リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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FORCE編プロット「どうやら、そろそろ俺の出番な様だな」
エルトリア編プロット「一体何時から、プロットが変わっていないと錯覚していた?」
FORCE編プロット「なん……だと……」


予定していたFORCE編が爆死したのは、来月『魔法少女リリカルなのはReflection』が劇場公開されるからです。


空白期4
神産み編第一話 早過ぎた再会


1.

 青い衣を靡かせる微かな流れに、命の芽吹きは感じ取れない。

 吹き付けるその乾いた風に目を細め、赤毛の少女は眼前に映る光景を静かに想う。

 

 

「死触、か……」

 

 

 視界に広がる一面の荒野。荒れ果てた大地は何処までも、この地は最早海さえも干上がってしまっている。

 命がないのだ。魔力が足りていない。少しずつ広がる荒野は、否が応でも滅びの二字を想像させる。これが惑星エルトリア。

 

 ある研究者が“死触”と名付けたこの現象。その原因は既に分かっていた。

 分かっていて、解決策が打ち出せない。如何にか目前に迫った滅びを取り除こうと、今も多くの者らが尽力している。

 

 少女――アミティエ・フローリアンの父親も、そんな滅びに抗う研究者の一人である。

 

 

「水が腐り、土が腐り、命が消える。……理由は単純、この世界は壊死している」

 

 

 本来ならば滅びていなければならない世界。既に寿命が尽きたそれを、この地に居る者らは無理矢理に繋ぎ止めている。

 それは宛ら、切り落とされた指の一本をそのまま繋ぎ止める様な行為。既に患部は千切れていれば、其処に血は流れない。指は静かに腐っていこう。

 

 死触とは、そういう事だ。滅びに向かう世界を無理に留めているからこそ、死触と言う現象が発生する。命失くした世界が、緩やかに腐っているのである。

 

 

「魔力が足りない。腐り始めた星を支えるだけの、力が世界に足りてない。だから、父さんは――」 

 

 

 彼女の父親、グランツ・フローリアンは研究の果てに、一つの結論に至っていた。

 世界には、魔力が満ちていなくてはいけない。そうでなくては、死触が起きる。ならば逆説、魔力で満たせば死触は止まる。それが彼の結論だ。

 

 研究の成果によって、彼は確証を得た。膨大な魔力を生み出す何かがあれば、それを効率的に惑星中に散布する機械も作り上げた。

 後少し。最も重要となる中枢機構を用意出来れば、エルトリアは救える。そんな状況に至っていた。グランツ博士はもう其処まで、その手を届かせていたのだ。

 

 例えば、闇の書に眠っていた永遠の結晶。或いは、高町なのはの様な神格到達者。

 そう言った物質の確保か特殊な人物の協力さえあれば、エルトリアを蝕む死触を止める事が出来るのである。

 

 其処まで至って、其処まで届いて――だから、だろうか。グランツ・フローリアンは病に倒れた。

 後一歩まで至る迄に、余りに無理をし過ぎたのだろう。此処まで届かせるだけで、限界を迎えてしまったのだ。

 

 

「…………」

 

 

 アミティエは静かに、父が救おうとした世界を見詰める。父の病状を改善する為の薬が入った袋を握って、彼女は世界をその目に見る。

 彼女が物心つくより前に、この地に居る人々は選択した。この世界から逃げ出すか、滅び行く世界を如何にか留めるか。その選択の果てに、今もこの地に残っている人々は確かに居る。

 

 当時の意志を、彼女は知らない。それでも当時の意志を受け継いだ父が、必死に抗っていた事を知っている。

 

 エルトリアから逃げ出す事を選ばずに、訪れる神の死から如何にか世界を繋ぎ止めようとした。その結果として、発生してしまった死触と言う現象。

 今更何処へ逃げ出すのか、周辺世界は全てが虚無に消え去った。それでも、逃げようと思えば逃げられただろう。遠く、遠く、世界の中心地はまだ生きている。

 

 しかし、グランツはこの荒野で生きていくと選択した。彼だけではなく、少なくない人がそれを選んだ。

 その理由を、アミタは知らない。当時は生きていなかった、そんな彼女は知らない。それでも、抗う人々が今に抱いた意志の強さを彼女は確かに知っている。

 

 だからこそ、アミティエ・フローリアンは思うのだ。このエルトリアを救いたいと、大切な人々が大切と想う故郷を救いたいのである。

 

 

「だからって、何が出来る訳でもないんですけどね」

 

 

 父より貰った護身道具。青いヴァリアントユニットを手に遊ばせながら、アミタは溜息を一つ吐く。

 意識を切り替えようと背筋を伸ばし、そうして空を見上げる。遠く空の果てにある黒い雲。珍しい光景に、彼女はその目を瞬きさせた。

 

 

「雨雲? 雨が降るなんて、何年振りでしょうか?」

 

 

 この乾燥した世界に未だ、雨が降る余地があったのだろうか。ふと疑問に思いながらも、アミタは思考を切り替える。

 不思議に思うならば、後で父に確認すれば良いのだ。今は雨が降り出すより前に、急いで我が家に帰るとしよう。彼女は小走りに駆け出した。

 

 

 

 フローリアン邸宅は、一面の荒野の只中に存在している。周辺に民家の類はない。

 特殊な実験もする為に、人に与える影響を嫌ったグランツ。そんな彼が、都市外で生活出来る場所を探して建てたのがこの家だ。

 

 

「アミティエ・フローリアン! 都市薬局より、ただ今帰宅ッ! ですッ!」

 

 

 木造の一軒家。煙突が特徴的な木の家の扉を開いて、その勢いのまま中へと駆け込む。

 何時もなら笑顔で迎えてくれる母も、マイペースな言葉を返す妹も、何故か今日は出て来なかった。

 

 その事実に、疑問に思って首を傾げる。地下にある研究施設か、父の部屋にでもいるのだろうか。

 そんな風に自己解答して、アミタは靴を脱ぎ捨てる。薬を届ける為にも父の部屋へと行こうと、彼女は一先ず歩を進めた。

 

 

 

 

 

 そして、その先で目撃する。それは何時までも続くと思えた日常が、無価値に燃えて堕ちた瞬間だった。

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 疑問を零す。理解が出来ない光景に、思わずアミタはポカンと口を開いていた。

 

 壁に穴が開いている。大きな穴の直下には、倒れて意識を閉ざした母親――エレノア・フローリアンのその姿。

 医療器具が備えられていた病室は、暴虐の痕跡を残す荒れ果てた姿に。青褪めた表情を浮かべる妹――キリエ・フローリアンは床に倒れたまま、何かに向けて必死に手を伸ばしている。

 

 何かを必死に叫んでいる。そんなキリエの言葉は、しかし聞こえても理解が出来ない。

 訳が分からないと感じたままに、彼女が見詰める先を見る。其処には、金色の悪魔が居た。

 

 黄金に輝く短い髪に、黒い鎧を着込んだ少年。首に刻まれた傷痕は、まるで絞殺された死刑囚。

 鎧の上から羽織るは白のコート。背には二枚の翼を羽搏かせ、その左手に穢れた槍を持つ。握った槍の穂先は、男の身体を貫いていた。

 

 まるで捕らえた獲物を誇るかの様に、彼は死体を貫くその槍を天高くに掲げている。

 無理矢理に引き裂かれた管が繋がる中年男性は間違いなく、此処で療養していた筈の彼女の父だった。

 

 

「さようなら、グランツ・フローリアン。エルトリア最高峰の頭脳が一つである君の、全てを此処に貰い受ける」

 

 

 槍の穂先に、炎が灯る。赤い炎が燃え上がり、男の身体を焼いていく。

 グランツ・フローリアンが灰となる。大好きな父が燃え堕ちる。その光景を見て、漸くにアミタはその異常を理解した。

 

 

「あああああああああああああああっ!?」

 

 

 叫んでいる。何を叫んでいるのか、自分が叫んでいるのか、それすら分からないのに叫んでいる。

 激情を吐き出す様に、手遅れとなった現実から目を背ける様に、護身具を変形させると両手で構えて撃ち放った。

 

 青い色をした拳銃から、放たれる弾丸はファイネストカノン。

 極大威力のエネルギー弾は、金色の悪魔へ向かって飛翔する。だが――

 

 

「無駄だ」

 

 

 罪悪の王には届かない。この悪魔は止められない。撃ち放たれた弾丸は、彼の片手で止められた。

 まるで虫を払う様に軽く、金の悪魔は右手を振るう。ただそれだけの僅かな動作で、アミタの全力は無に返る。

 

 それは、考えれば分かる筈の事だった。周囲を観察していれば、絶対に分かった筈の事だった。

 倒れたキリエは傷付いている。全力で止めようとしたのだろう。それでも止められず、もう叫ぶしか出来ていない。

 

 アミタと互角の性能を持つ、キリエがその有り様なのだ。彼女を下して、しかし悪魔は無傷なのだ。アミタ一人で、この怪物の打倒などは不可能だ。

 

 

「抗うな、とは言わない。怒るな、とも言わない。憎むな、とも言わないさ。――だけど、その全てを僕はこう断じよう」

 

 

 魔力弾を片手で消し去り、金色の悪魔は一歩を踏み出す。雷を纏った速力は、弾丸よりも尚速い。

 アミタは咄嗟に、アクセラレイターを起動する。超加速によって距離を取ろうと彼女はするが、だがやはり悪魔の方が速いのだ。

 

 一瞬で追い付かれて、驚愕を顔に張り付けたアミタの前に悪魔が立つ。金色の悪魔は冷たい瞳で、彼女の姿を見下し言葉を告げた。

 

 

「全て、無価値だ」

 

 

 抵抗も憤怒も憎悪も無価値だ。その感情は届かない。アミティエ・フローリアンでは届かない。

 振り上げられる巨大な槍に、反応する事すら女は出来ない。ならば振り下ろされる一撃に、対処出来ないのも自明の道理。

 

 振り抜いたストラーダの一撃が、彼女の身体を打ち据える。地面に叩き付けられる様に、前のめりに倒れたアミタは立ち上れない。

 立ち上がる事など許さない。そう告げる様に背中を踏み付けて、悪魔の王は見下している。その瞳は、無価値なゴミを見るかの如くに冷えていた。

 

 

「お前がっ! よくもっ! 父さんをっ!!」

 

 

 自分でも何が言いたいのか分からぬまま、涙を浮かべて渦巻く激情を口にする。

 必死で足掻く様に手足を動かし、支離滅裂とした言葉を口にするアミティエ・フローリアン。

 

 そんな女を冷たく見下し、少年は歪な笑みを浮かべて告げた。

 

 

「罪悪の王。エリオ・モンディアルだ」

 

 

 憎む男の名くらいは、知っておきたいだろうと嗤う。知ったところで無価値であろうと、嗤いながらに悪魔は告げる。

 そうして彼は右手を振り上げると、少女の頭部へ向かって振り下ろす。曲げた五指は獣の如く、その一撃はアミタの意識を刈り取るには十分過ぎた。

 

 

「……もう二度と、会わぬ事を祈っておきなよ」

 

 

 擦れていく痛みと共に、消えていく少女の意識。倒れたアミタが耳にしたのは、嘲笑の籠らぬ小さな言葉。

 本心からそう告げた少年は、意識を閉ざした少女を蹴り飛ばすと歩を進める。背後でキリエが憎悪を叫ぶが、足を止める事すらしない。

 

 意識を閉ざした母と娘と、何時までも憎悪を叫び続ける桃色の少女。そんな彼女達を残して、エリオ・モンディアルは姿を消した。

 

 

 

 その日、エルトリアは反天使の脅威に晒される。都市には赤い雨が降り続け、人々の悲鳴が木霊していた。

 

 

 

 

 

2.

 見渡す限り何処までも、続く荒野を二人で歩く。茶髪の少年が前を進んで、その手を掴む少女が後に続く。

 黒い半袖のシャツに、首元を隠す白いマフラーをした少年。トーマ・ナカジマは、苛立ちを隠す事なく口にした。

 

 

「ふざけやがって、司狼のクソ野郎! アンタの血は何色だぁぁぁっ!?」

 

 

 変わる事のない一面の荒野。進んでいるのかいないのか、それさえ分からぬ同じ景色が延々続くこの場所。

 其処にトーマ達を放り捨てた両面宿儺は、そのまま何も言わずに姿を消した。それがもう、二週間は前の出来事だ。

 

 土は腐っているか、荒れ果てているこの場所。自然に流れる水なんて殆どなくて、稀に見付けても腐った臭いを漂わせている。

 スティードが居た頃ならば兎も角、リリィに格納空間はない。故にサバイバルが得意なトーマであっても、この劣悪な環境ではどうしようもなかった。

 

 倒れそうになる度に、何処からともなく水や非常食が投げ込まれてくる。そんな両面の助けがなければ、今頃とっくに倒れていたであろう。

 だがこの荒野に放り込んだのが彼ならば、その助力に感謝など出来る筈もない。しかも食料と同時に、評価を告げる紙が投げ込まれてくるのである。

 

 前回倒れた時間から、今回倒れるまでの時間。その総評と共に、記されているのは容赦のない罵詈雑言。

 お前やる気あんの、と言う旨が記された紙を見る度にブチ切れそうになる。故に日に一度は唐突に、トーマは溜め込んだ怒りを叫ぶのだ。

 

 そんなトーマに、寄り添う白百合は苦笑を浮かべる。疲弊したトーマに比べて余裕がある彼女だが、トーマより体力がある訳ではない。

 水や食料の大半を、トーマはリリィに譲っているのだ。疲れる度に休める場所をトーマが探して、しっかりとしたペースを守っている。それ故の余裕である。

 

 

「落ち着いて、トーマ。今言っても、多分あの人は嗤って流すだけだよ」

 

「それは、……俺も分かってるけどさ」

 

 

 怒りを込めて叫んでも疲れるだけ、こちらを観察しているだろう天魔・宿儺は嗤って流すだろう。

 手を引きながらそう宥めるリリィの言葉に、トーマは僅か口籠りながらも同意する。この行動は無駄どころか、体力を浪費するだけ害悪である。そんな事は、彼も確かに分かっていたのだ。

 

 

「それに、怒りは溜め込んでおこう? あの人が顔出して来たら、思いっきり顔をぶん殴ってやる為に、ね」

 

「……偶に思うけど、リリィって意外と過激だよね」

 

 

 シャドウボクシングの様に、繋いだ手とは逆の手を小さく動かす白百合の少女。

 あの日以来、妙に過激な発言が目立つ。そんな事を思いながらに、トーマは青い瞳で彼女を見詰めた。

 

 お互いに、初めて出会った頃とは変わった。願いを思い出して、魂の人格汚染が安定した今にトーマはそう思う。

 

 それは例えば、混ざって安定した一人称であるし、真面目一辺倒だった思考に混ざった不良な発想。トーマ・ナカジマは、もう嘗ての自分じゃない。

 それは例えば、こうして時折発露する過激な思考であったり、見詰める瞳に宿る感情が慈愛だけではなくなっている事。リリィ・シュトロゼックは、もう嘗ての自分じゃない。

 

 それでも、己は己だ。トーマはトーマで、リリィはリリィだ。そう断言出来る自我がある。

 己はこうだと、満天下に誇れよう。心の芯まで変わっても、もう二度と自分を見失う事はないのである。

 

 

「過激になったのは、貴方の所為だよ。だって、そうじゃないと、恋敵にキャラで負けるんだもん」

 

「……誰の事を言ってるのかは、聞かない事にしておく。俺の精神安定のためにも」

 

 

 青い瞳に浮かんだ双蛇の刻印(カドゥケウス)。神の残り香は未だ強くあって、それでももう揺るがない。

 そんな瞳を見詰めて微笑むリリィの言葉に、トーマは顔を顰めて視線を逸らす。未だ拘っている事は認めるが、彼はリリィの恋敵などではない。断じて、そういう関係ではないのだ。

 

 

 

 二人で語り合って、二人で笑い合って、二人で手を取り合って――二人一緒に荒野を進む。

 何処へ行けば良いのか、全く分からないけれど諦めない。投げ出さずに、決めた方角へと只管進む。

 

 昼間は歩いて、夜には寄り添いながら星を見る。互いの体温を頼りに、寄り添いながら眠りに落ちる。

 これがこの二週間、変わらぬ今にある光景。己の存在を確かに自覚して、大切な物を確かと自覚して、彼らは何もない荒野を歩いていた。

 

 そうして、彼らは辿り着いたのだった。

 

 

「あっ!? トーマ、あれ!!」

 

「街だ! 漸く、見付けたっ!!」

 

 

 遠く、地平線の先に見える影。一瞬蜃気楼かと目を疑って、直ぐに違うと確信する。

 大きな街だ。荒野の中に広がるのは、クラナガンにも似た大都市。遠くに見える光景に、二人は胸を躍らせる。

 

 久々に美味しい物が食べられる。久々にお風呂に入れる。久しぶりに柔らかなベッドで寝れるのだ。

 そんな期待に胸を躍らせて、自然と進む足も軽くなる。歩く速さは何時しか小走りに、手を繋いだまま駆け出して――

 

 

「待って、リリィ!」

 

 

 途中で立ち止まったトーマは、その異常に漸く気付いた。此処まで近付いて、初めて理解出来たのだ。

 

 

「燃え、てる? ……トーマっ!!」

 

「ああっ! 分かってる!!」

 

 

 街からは、火の手が上がっている。音が届かぬ程遠く、建物は無音で崩れていく。

 理由は分からない。理屈なんて知らない。分かるのは唯一つ、あの街が何者かに襲撃されているという事実だけ。

 

 それだけ分かれば、もう十分。取るべき手段は、一つだけだ。

 

 

同調・新生(リアクト・オン)!』

 

 

 助けに行かないなんて、理由がない。手を拱いている、必要がない。逃げ出すなんて、選択肢はあり得ない。

 故に二人は手を取って、此処に同調し融合する。展開するのは願いの剣。その手に握った銃剣は、理想を貫く覚悟の証。

 

 

形成(イェツラー)――白百合(リーリエ)憧憬の剣(シュヴェールトアドミラシオン)っ!!』

 

 

 其処に何が待とうとも、対処出来る様に二人一緒に。銀に染まったその姿こそ、今ある彼らの戦闘形態。

 そしてトーマは渇望を切り替える。剣を持ち替える様に簡単に、それこそ超越する人の理。己が誰であるか、もう分かっているから揺るがない。彼が(ヤト)であった頃の力を、今の彼(トーマ)を維持したままに引き出すのだ。

 

 

創造(ブリアー)――美麗刹那(アインファウスト)序曲(オーベルテューレ)!!』

 

 

 協奏から、序曲へと。願いを共に前に進む事から、刹那を永遠に味わう事へと切り替える。

 唯走るだけでは間に合わぬから、もう何も失いたくはないから、日を置き去りにする速さでトーマは駆け出す。

 

 速く、速く、もっと速く。駆け出す度に願いは強まり、その力もまた強く発現する。

 誰よりも速く、何よりも速く。光となって駆け続けて、そうして彼はその場に着いた。

 

 轟音と共に崩れ落ちる街の中、降り頻るのは赤い雨。魂すらも穢し尽さんとする、その悪意を彼らは知っている。

 頭上を覆う黒い雲。雨雲に見える程に大量のそれは、無限を思わせる蟲の群れ。不死不滅たる魔群が放った、これぞ正しく暴食の雨(グローインベル)

 

 

〈クアットロ=ベルゼバブ!!〉

 

 

 空を覆う雲は魔群だ。失楽園の日を終えて、それでも未だに強大な力を保っている唯一柱の反天使。

 トーマが知る限りにおいて、最悪最低の下劣畜生。女の雨が追い立てるのは、この地に潜む人間達だ。

 

 武装した集団が酸の雨に打たれて、建物を影に逃げ回っている。時折デバイスの様な物で反撃しているが、蟲の一匹も落とせない。

 それも当然、あの女には管理局も手を焼かされたのだ。大天魔を相手に、膨大な戦闘経験を持つ集団ですら遅れを取った。そんな怪物に、技術力だけでは対処は出来ない。

 

 人の集団を追い立てながら、嘲笑を響かせているクアットロ。そんな女の名を呼んで、空を睨み付けるリリィ。

 少女の怒りに同調しながらに、トーマはしかしそれ以外の感覚を抱いている。クアットロよりも、彼が無視出来ない気配が此処にあるのだ。

 

 

「あの女、だけじゃない。お前を、感じる。居るって、分かる。――此処に、居るんだろ!? エリオっ!!」

 

 

 トーマの叫びに応える様に、街の片隅で炎が燃え上がる。

 幾つもの建物を雷光と炎熱で消し去りながら、屍を築き上げている宿敵の存在を感じ取る。

 

 そして恐らく、彼だけではない。時折強大な魔力が発生し、周囲を根こそぎ消し去る大砲が打ち込まれるのだ。

 それはエリオの力でなければ、クアットロが放つ偽神の牙でもない。恐らくは第三の反天使。ヴィヴィオ=アスタロトの異能であろう。

 

 魔鏡アストの大砲が街を破壊する中、魔刃エリオが砲火の中を単騎で駆ける。彼らが取り零した者達を、安全な場所に居る魔群クアットロが刈り取っていく。

 反天使三柱による共同戦線。全ては腐った汚物を思わせる女の自己満足を満たす為に、彼らはこの地を蹂躙している。そうであると理解して、トーマが動かぬ理由がない。

 

 

「……アイツの事は気になるけど、先ずは。……行くぞリリィ! 皆を助ける!!」

 

〈うん。分かってる。やろう、トーマっ!!〉

 

 

 何はともあれ、先ずは人々を助けるべきだ。そう判断したトーマは、即座に行動へと移る。

 加速の理によって、助けるべき命をいち早く見付け出す。間に合えと祈りながらに手を届かせて、届いた途端に願いを変える。

 

 刹那を味わい尽くす加速から、共に前へと進む協奏へと。

 手を伸ばすから掴んでくれ。掴んだならば、彼ら自身に立ち上がって貰うのだ。

 

 

「君達は?」

 

「何でも良いだろ!? 今は逃げろよ! 必ず助けるからさっ!!」

 

「――っ! 済まない。助かった!!」

 

 

 助けた人と最低限の対話をしてから、意識の共有によって救うべき次の人を探し出す。

 加速と協奏。全く異なる二種類の創造を使い分けながらトーマは救助を進める。少しずつ、だが確実に生存者を増やしていた。

 

 だが、それは所詮対処療法。元凶を排除しない限り、根本的な解決は期待が出来ない。

 この騒動の元凶は誰か。問うまでもなく、その答えは明白だ。こんな事を仕出かして、悦に浸る様な奴は一人しか存在していない。

 

 エリオ・モンディアルではない。分かり合えたあの宿敵は、無頼であっても外道じゃない。悪辣を為す時には、必ず何か理由があるのだ。

 ヴィヴィオ=アスタロトではない。既に壊れた事実を彼は知らなくとも、その正体を知っている。あの戸惑っていた幼子が、こんな凶行の指示を取るものか。

 

 嬲り、甚振り、悦に入る。人々から抵抗手段を奪い取って、自分だけは安全圏に。そんな真似をする奴は、あの女しかいないのだ。

 間違いなくこの行動を指示しているのは、這う蟲の王クアットロ。下劣畜生たる女を真っ先に仕留めなければ、被害は更に増すであろう。

 

 故に救出作業を続けながらに、トーマ・ナカジマは空を目指す。

 翼の道なら届くだろう。ゼロ・エクリプスなら通じるだろう。トーマ・ナカジマならば、奴を討つ事は可能な筈だ。

 

 己の手札を確認しながら、多くの人を助けながら、上へ上へとトーマは進む。この元凶を止めるのだと、誰もを救いながらに進み続ける。

 そんな彼が辿り着くよりも早くに、悪辣なる魔群は次なる一手に打って出る。トーマに追われる彼女の取った行動は、あまりにらしい対処であった。

 

 

〈トーマっ! クアットロが逃げるよ!?〉

 

 

 

 無数の蟲は流れる雲の如く、纏まったまま一つの方向へと移動する。

 トーマ・ナカジマには目もくれず、クアットロ=ベルゼバブは逃げ出し始めたのだ。

 

 

「ちっ、逃がすかっ!!」

 

 

 危険な敵からは必ず逃げ出す。強敵が向かってくるならば、振り返りもせずに尻尾を巻いて逃げ延びる。

 ましてや、トーマの背後には両面の鬼が居るのだ。この今も彼を観察している天魔・宿儺は、クアットロにとっては数少ない天敵。相対する事すらしたくはない。

 

 故に圧倒的な速度で、逃げの一手を打つ魔群。その背後を追い掛けるトーマは、逃がす物かと加速する。

 ゼロ・エクリプスを刃に纏わせて、空を駆けながらに追い掛ける。そんなトーマの追撃は、彼女にとっても想定内だ。

 

 誰かを守る事こそを、誰かを救う為にこそ、ならばトーマは先ず己を追い掛ける。

 そうと判断すればこそ、クアットロは彼を配していた。そして今の彼にとって、魔群の命令は絶対だ。

 

 

 

 なればこそ、此処で彼らが再会する事も、或いは一つの必然だったのだろう。

 

 

 

 雷光と共に、彼は現れる。翼の道を炎が燃やして、走り続けていた少年の横腹を蹴り飛ばす。

 続け様に振るわれる魔槍に向けて、トーマは咄嗟に銃剣を構える。槍と剣の刃がぶつかり合って、甲高い音が瓦礫の街中に響いていた。

 

 黄金と蒼銀。二色の瞳が見詰め合う。視線を絡ませながらに、両者揃って大地に降り立つ。此処に、彼らは再会した。

 

 

「エリオっ!」

 

「トーマっ!」

 

 

 未だ鬼の掌からは抜け出せず、その上で転がされているトーマ・ナカジマ。

 未だ悪魔の縛りからは抜け出せず、首輪を嵌められているエリオ・モンディアル。

 

 どちらにとっても、余りに早い出来事。準備など欠片も出来ていない、早過ぎる再会だった。

 

 

 

 

 

3.

 燃え上る炎。雷火が焼き尽し、蹂躙され尽くした街の只中。

 崩れた瓦礫に囲まれて、二人の少年達は見詰め合う。両者の胸にある感情は、筆舌し難い激情だ。

 

 

「……思っていたより、早い再会になったね」

 

「エリオ。お前、一体何をしているんだっ!?」

 

 

 片や自嘲が混ざった苦笑。逢いたいと願っていて、だが未だ逢う訳にはいかなかった。そんな敵と出逢ってしまった。其処に抱いたのは、荒れ狂う水底の如く静かな激情。

 片や憎悪が混ざった憤怒。下劣畜生と協働して、多くの人を苦しめている宿敵に身勝手な怒りを抱いている。其処に抱いているのは失望を伴った、炎の如く荒々しく激しい感情だ。

 

 

「無様な外道の下働きさ。嗤いなよ。結局、未だ何も出来ちゃいない」

 

「……エリオ、お前」

 

 

 無様を嗤えと、本意ではない行為に自嘲するエリオ。その儚い笑みに、僅か飲まれる。

 心の底から望んでいないと、そう感じ取れる瞳の色。憐憫と安堵を同時に覚えたトーマに対し、エリオは自嘲を深くした。

 

 哀れみは不要と、そう語れぬ我が身が恨めしい。それ程に、底の底まで落ちぶれてしまった。

 そうと自覚して、エリオは自分を嗤う。その笑みを深くして、その質も歪める。二度目の笑みは、己の飼い主たる女に向けた嘲笑だ。

 

 

〈兄貴。監視の視線が、途切れたぜ〉

 

「ああ、そうだね。……どうやら、クアットロは余程あの天魔が怖いらしい」

 

 

 エリオに殿を任せて、あの女はアストを回収して逃げた。振り返りもせずに、一目散に逃げ出したのだ。

 この今に監視の目はない。何を為そうと、あの女は気付かない。ならばあの女の横槍が、此処に入る事はないのである。

 

 

「と、なると、だ。無粋な邪魔は入らない。決着を望もうと思えば、幾らでもやり合える。……成程、あの両面が言っていたのはこの状況か」

 

 

 別れ際に、両面宿儺が告げた言葉を思い出す。舞台は用意してやると、ならばこれがその舞台であろうか。

 

 天魔・宿儺が動かないと、確証を得るまでクアットロ=ベルゼバブは逃げ回るであろう。

 トーマ・ナカジマはこの二週間で、己自身を完全に確立した。地盤は固めた。ならば後は成長するだけ。

 

 その切っ掛けとなるに相応しいのは、間違いなく罪悪の王との決戦だろう。

 この宿敵と決着を付ける事で、彼は一歩前へと進める。そんな状況を作り上げる為に、この二週間があったとすれば――成程、誰の邪魔も入らない今回は、確かに相応しい舞台であろう。

 

 

〈兄貴。だけどさ〉

 

「ああ、分かっているよ。アギト。――未だ、僕は何も為せてはいないのだから」

 

 

 だが、彼の思惑にエリオは乗れない。今回がそうだと言われても、そう簡単に乗れない理由がある。

 まだ、助けていないのだ。まだ、救えていないのだ。大切な家族を、愛しい少女を、エリオは未だ救えていない。

 

 イクスヴェリアを救う方が先決だ。己の感情など、それに比すれば全てが軽い。ならばこそ、全てを決する時は今じゃない。

 

 

「トーマ。君の相手は後だ。それよりも、優先すべき事がある」

 

「っ!? エリオッ! お前がっ!!」

 

 

 適当にあしらう。そう語るエリオを前に、トーマは反発心を抱いて武器を構える。

 彼が背負う理由を知らない。彼がどうして、今此処に居るのかトーマは知らない。あの戦いの後に起きた出来事を、トーマ・ナカジマは知らぬのだ。

 

 だから分からない。だから気に喰わない。宿敵たる少年が、誰より執着する彼が、自分より誰かを優先した事。その事実が絶対に許せない。

 お前が見ないと言うならば、見るしかない程に追い詰めてやる。序曲の加速によって駆け抜けるトーマに対し、迎え撃つエリオは小さく笑って告げるのだった。

 

 

「丁度良い。クアットロの奴も、今は見ていない」

 

〈やろうぜ、兄貴! 兄貴の新しい力で、度肝を抜いてやろうっ!〉

 

「そうだね。ああ、そうだ。――その目に焼き付けろ。これが、僕だっ!!」

 

 

 魔力が集まる。魔力が高まる。意志が此処に収束する。黄金の瞳が強く輝く。

 この二週間、彼も遊んでいた訳ではない。エリオ・モンディアルは、新たな力を手に入れた。

 

 クアットロには、知られる訳にはいかない真なる力。彼女の監視がない今だからこそ、その一端を此処に示す。

 

 

「君も、クアットロも、天魔・宿儺も、エリオ・モンディアルを舐めている。掌で転がせると、ナハトを失くせば何も出来ないと――()()を見下すな。未だ輝かしいお前達が、僕は心底羨ましいぞ!!」

 

 

 警戒しながらも、一気呵成に攻め込もうと踏み出していたトーマはその瞬間に自覚する。

 何か枷が掛けられたと。何かに嵌められたのだと。自覚して、それが何か分かるより前に――嗤う少女の影が少年に重なり、闇統べる王の力が示された。

 

 

「急段、顕象――生死之縛(しょうししばく)玻璃爛宮逆サ磔(はりらんきゅうさかさはりつけ)っ!!」

 

 

 逆十字が成立する。絶望の廃神が牙を剥く。理不尽な等価交換が此処に、トーマを捕らえて光を奪った。

 

 

「っ!? 何だ、これ!? 目が、何も映らなくなって――」

 

 

 奪われたのは視力、だけではない。聴覚も嗅覚も触覚も味覚も、あらゆる五感が剥奪される。

 そして押し付けられるのは、余りに濃密過ぎる病み。全身を蝕む悪寒によって、トーマは前のめりに転がり倒れる。

 

 そんな彼を前にして、エリオ・モンディアルは止まらない。内なる群体が夢見る夢より彼女を連れ出し、その渇望を己に重ねた。

 

 

「来いっ! シュテル・ザ・デストラクター!! 僕が認める! お前は愛に狂った怪物だっ!!」

 

 

 愛しているの。愛しているわ。だからお願い。私を見て。今も女は、唯それだけを願っている。

 認めよう。お前の愛の熱量は、其処に掛ける想いの情は、間違いなく己に真摯な祈り。前へ進むその激情は、紛れもなく力への意志である。

 

 ならばそう。その力への意志(ヴィレ・ツァ・マハト)を称えよう。共に行こう、星光の殲滅者。何時か必ず、お前の願いを叶える為に。

 

 

「急段、顕象――鋼牙機甲獣化帝国(ウラー・ゲオルギィ・インピェーリヤ)!!」

 

 

 エリオが引き出した少女と、エリオの間で協力強制が成立する。故にその夢は、此処に形となっていた。

 

 振り上げた腕に、込められた力。その総量が、数瞬先には跳ね上がる。

 十倍。十五倍。二十倍。三十倍。四十倍。五十倍。百を超えて尚跳ね上がる破壊の力が、至る到達点は唯一点。

 

 

「三千倍だ。その身に受け取れっ!!」

 

「がぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 振り下ろされた剛腕が、トーマの身体を打ち砕く。五感全てを簒奪されている少年は、その一撃に対応出来ない。

 防御も回避も許されず、その破壊の力が直撃する。完全なる初見殺しの連携に、トーマ・ナカジマは為す術もなく大地に沈んだ。

 

 

〈トーマっ! トーマっ!!〉

 

「な、にが、何、なんだよ、これ」

 

 

 悲鳴の様なリリィの呼び掛けに、倒れたトーマは咳き込みながらに言葉を返す。

 たった二撃。それだけで打ち倒されて、立ち上がる事すら出来はしない。そんな彼は、漸くに戻り始めた視覚を使ってエリオを見上げた。

 

 

「ちっ、ディアーチェとの同調率じゃ、短時間の簒奪が限界か。……けれど、仕方ない、か。僕にお前の病みは、理解も共感も出来ないんだからさ」

 

 

 生きたい。活きたい。生きて活きたい。何処までも真摯な感情で、それだけを願っている病みと闇を統べる王。

 底辺で足掻く感情は理解出来ても、魔人の肉体を持つが故に彼女の病は理解出来ない。そんなエリオでは、此処が限界点。

 

 どれ程に素晴らしい感情だと称えて認めていようとも、エリオはディアーチェと共感出来ない。

 上手く力を使えなくて済まないと、内なる王へと詫びる少年。そんなエリオへ向かって、ロード・ディアーチェは笑って返す。

 

 

――我らの神が、覇道の神が、軽々しく頭を下げるでないわ! それは御身を称える、我ら全てへの愚弄であるぞ!!

 

「ふっ。ああ、そうだね。なら、僕はこう言おう」

 

 

 その不器用な声援に、何処か嬉しくなって笑みを浮かべる。家族と同じく大切だと、そう言ってくれる信徒に微笑む。

 新たに出会えた彼女達。夢界に生きた廃神の残滓。紅葉の残骸より回収し、取り込んだ魂。その中に残っていた彼女へと、エリオは確かに笑って告げた。

 

 

「ついて来い、ロード・ディアーチェ。僕が神座を奪う、その日まで。……必ず君の願いも叶えると、此処にもう一度誓うから」

 

 

 返る答えは唯一つ。無論と、そう告げて王は揺るがない。そんな彼女へ改めて、エリオは誓いを立てる。

 何時か救うと約束する。何時か叶えると約束する。だから力を貸して欲しい。だから一緒に前へ行こう。

 

 無頼である事を捨てた少年に、応えたのは彼女達だけではない。

 エリオ・モンディアルと言う覇道の器に、応じたのは彼女達だけでは断じてないのだ。

 

 

「エリオ。お前は、一体、何で、お前が――」

 

 

 一人。二人。三人。四人。五人。六人。見上げるトーマの視界に、映る影が増えていく。

 十人。二十人。三十人。四十人。五十人。重なる影に限はなく、無数の意志が蠢いている。

 

 百か。千か。万か――、いいや未だ未だ足りていない。その総数は数百万すら超えている。

 エリオ・モンディアルの背中に浮かび上がった二百万と言う膨大に過ぎる霊魂に、トーマ・ナカジマは恐怖の叫びを上げていた。

 

 

「お前の、背中に、何で、そんなにっ! 沢山の人が見えるんだっ!?」

 

「……成程、見える、か。ならばそうだね。僕は君に、敢えてこう名乗るとしよう」

 

 

 魂だけしか残らぬ彼ら。その姿をトーマが目視しているという事実に、エリオは僅か疑問に思う。

 されど考えてみればそれも当然、彼ら二人は繋がっている。ならば自分が見る彼らの事も、トーマは確かに見えていよう。

 

 そんな彼に、彼らが見える彼に、名乗るべきは我が異名。誇りを以って、今こそこの名を伝えよう。

 

 

我が名は――レギオン(Mein Name ist Legion)

 

 

 覇王とは、他者を狂奔させる才を持つ者。恐怖であれ、利益であれ、或いは愛情であれ、人を酔わせる者こそ王だ。

 それは例え、己が奪った命であっても例外じゃない。真なる覇王の将器とは、己を恨み憎む者すら酔わせて従える物なのだ。

 

 そうとも、彼らは犠牲者達だ。エリオが殺し、奪い続けた二十万。彼を構成する魂たち。

 そうとも、彼らは既に死した者達。天魔との戦いの中で命を落とし、紅葉の遁甲に囚われていた者達だ。

 

 天魔・紅葉が倒された後、クアットロによって回収された。その中身はヴィヴィオの器から、エリオの中へと移されていた。

 紅葉の遁甲に囚われ、アストの身体に保存され、エリオの下へと移った魂の総数は二百万。彼が抱え続けていた二十万の命達。そんな彼らの全てを、今のエリオは従わせていたのである。

 

 

「見えるんだろう。なら見なよ。奪われた彼ら、失った彼女ら。僕が奪い、背負い、与える。二百二十万の魂をっ!」

 

 

 心優しい少年は、奈落の底を知った事で無頼に堕ちた。

 底の底まで堕ちた彼が縋った無頼を捨てた事で、初めて至れる場所こそこの境地。

 

 そうとも、此処に来て漸くエリオは目覚めた。当世当代至大至高、彼こそ正しく――覇を吐く王の器である。

 

 

「理解しろトーマ。これが、僕の――エリオ・モンディアルと言う名の軍勢(レギオン)が持つ力だっ!!」

 

 

 その膨大な質量に戦慄する。狂奔する数に怯えてしまう。誰も彼もが死兵と化して、その熱量が理解出来ない。

 殺されたのに、殺した相手に心の底から力を貸せる。殺した相手からの賛意の情を、平然とその身に受け容れている。その狂気が、トーマには理解が出来なかったのだ。

 

 

〈トーマ! トーマ! しっかりしてっ!!〉

 

「俺、は……。リリィ、エリオ……」

 

 

 呼び掛けられる少女の声に、霞む意識を如何にか留めて言葉を返す。

 未だ負けてはいない。未だ折れてはいない。それでも、胸に感じる想いが確かにあった。

 

 王の器として、トーマはエリオに劣っている。配下を狂奔させると言う性質を、彼は理解も受容も出来ない。

 それは敗北感にも似た、悔しさを伴う無数の感情。そうはなりたくないと拒絶して、そうはなれないと諦めて、それでも同時に凄いと彼を尊敬してしまうのだ。

 

 千路に乱れる感情で、倒れたままに見上げるトーマ。彼に向けて、エリオ・モンディアルは槍を振る。

 当然、躱す事すら出来ぬ彼へと振り下ろされた槍は、その身体をあっさりと貫かんとして――

 

 

『ファイネスト・カノンッ!!』

 

 

 そこで三度、妨害が入った。邪魔立てするのは、クアットロでなければ天魔・宿儺でもない。

 エリオに仕留める殺意はなく、彼が動く理由はない。ならば動いたのは誰か、それは鮮やかな色を放つ二人の少女達である。

 

 

「アクセラレイター、っと。風か嵐か、ピンクの閃光! キリエさん、疾風のようにただいま参上ッ!!」

 

 

 まるで特撮番組のヒーローの様に、倒れたトーマを守る様に現れる二人の少女。

 ピンクの少女が見栄を張り、赤毛の少女は苦笑する。妹の姿に少し羨ましいと思いながら――それでも、アミティエには先に為すべき事があった。

 

 

「……君、たちは?」

 

「貴方が誰かは知りませんし、貴方も私達を信じられないかもしれません」

 

 

 トーマに駆け寄り、膝を付いてその身を抱える。柔らかな腕で支えた少女は、少年に向けて微笑みながらに確かな想いを告げる。

 アミタはトーマを知らない。彼の理由も、彼の素性も知りはしない。そしてトーマもまた、彼女達を知らない。ならば信じられないか、信頼など出来ないか。その疑問に、アミタは胸を張ってNOと答えられる女である。

 

 

「ですが、断言します。皆を助けてくれた貴方が、誰であろうと私達は信用出来る。ならッ! 貴方が私達を信じられずとも、私達は貴方の味方ですッ!」

 

 

 エリオ・モンディアルが理想によって他者を狂奔させる王器なら、トーマ・ナカジマは情によって誰かを動かす人間だ。

 支えたくなる。信じたくなる。共に歩きたくなる。それも確かに他者を染め上げる覇道の器。彼は人を助けるからこそ、彼を助ける人は必ず居るのだ。

 

 

「いや、信じる、よ。君達は、味方だ」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 エルトリアの人々を助けて回ったトーマに対し、彼を助けると告げるアミティエ。

 怒りを宿した瞳を笑顔に隠して、そんなキリエとて彼に抱いている感情は姉と同じだ。

 

 

〈……兄貴。アイツら〉

 

「ああ、何だ。フローリアン姉妹か。……相も変わらず、無価値な事をしている様だね」

 

 

 そんな彼女達の姿を、馬鹿にするかの如くにエリオは揶揄する。

 

 懐に入った身内には異常な程に甘く、だが敵には何処までも厳しいのが彼の性質。

 彼女達が何をしようとも、結局全てが無価値であるのだ。エリオは少女らを見下して、その顔に嘲笑を浮かべていた。

 

 

「罪悪の王。エリオ・モンディアルッ!」

 

 

 そんな彼の冷たい瞳に、作っていた余裕を剥がされる。

 浮かべていた笑顔が凍り付いて、憎悪を剥き出しにするキリエ・フローリアン。

 

 今にも飛び掛かりそうな程に、怒りを堪える桃色の少女。父の仇を前にして、彼女は激する寸前だった。

 

 

「落ち着いて、キリエ。今は、そうじゃないでしょう」

 

「……うん。分かってるよ。お姉ちゃん」

 

 

 そんなキリエに、アミタは落ち着く様に言葉を掛ける。今優先するべきは違うのだと、暴走しがちな妹を説得する。

 今は挑むべきじゃないと、それは確かに理解している。未だ勝てないと、そんな事はキリエにも分かっているのだ。

 

 だから怒りが爆発しない様に、キリエは深く吐息を吐く。ゆっくりと恨みを吐き出す様に、そうでなければ我慢が続きそうになかったのだ。

 それでも、憤怒も憎悪も薄まらない。あの日の悪魔を睨みながらに、キリエは作った笑みを浮かべる。其処にアミタは何かを思いながらも、今はそれほど時間がない。故に後でと、今為すべきはこの場所からの撤退だ。

 

 

「一端、退きます」

 

「付いて来て、ってか。連れてくけどねッ!」

 

 

 倒れたトーマを両手に抱き上げて、アミティエは立ち上がる。身を翻して撤退を始めた彼女を庇う様に、キリエはその直ぐ傍にて警戒しながら移動する。

 そんな二人の少女の警戒を鼻で嗤って、エリオは何もせずに彼女らを見逃す。元より此処で決着を付ける心算はないのだ。故に彼女達の参戦など、心の底からどうでも良い。

 

 無価値な者らを意識の隅に追い遣って、エリオ・モンディアルは静かに告げる。

 伝えるべきは、殺す価値もない彼女達にではない。己の宿敵、唯一人の最も憎い彼へと伝える。

 

 

「では、一先ず――さようならだ。トーマ」

 

 

 眼中にない。万に言葉を尽くすより、分かり易い態度でそれを示すエリオ。

 その姿にアミタは悔恨を、キリエは憤怒を、そしてトーマとリリィは複雑な感情を抱いている。

 

 それでも、今は勝てない。このまま戦い続ければ、一方的に負けてしまう。それは四者に共通した、現状の認識だった。

 

 

「全てを終えた、その後にでも――改めて決着を付けるとしよう。……その時は、簡単には嵌らないでくれよ」

 

 

 手の打ちは見せた。あると分かれば、次から対処は可能だろう。必ず上回って魅せる筈だ。

 そう信じて、そう願って、かく在れと望む。そんな宿敵の言葉に、トーマは静かに拳を握った。

 

 今回は負けた。完膚なきまでに、言い訳しようがない程に、心の底から負けを認めた。

 だからこそ、次は負けない。決着の日には、必ず勝つのだ。王の器として負けてはいても、人としてなら負けてはいないと示すのだ。

 

 

 

 トーマ・ナカジマは己の心に勝利を誓い、その背をエリオは静かに見届ける。

 誰よりも憎み合った宿敵二人。彼らの余りにも早い再会は、此処に一先ずの終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 




〇おまけ。エリオ君の面接風景。

エリオ「君の意志を聞かせて貰おうか。放蕩の廃神」
レヴィ「え? 僕の意志? …………そんなことよりおうどんたべたい」
エリオ「え、うどん? 意志が、うどん? いや、しかし、僕の偏見で見下してしまうのは……いや、うん。至高のうどんを食べたいと望むなら、それも力への意志……なの、か? まあ良いだろう。今二百二十万の中にうどん職人がいないか探してみるから、職人修行のプラン構築から始めて――」
レヴィ「蕎麦派の僕にうどんを食べろって!? 貴様っ! さてはうどん県の刺客だなっ!!」
エリオ「なっ!? いや、うどんでも蕎麦でも別に構わないんだが……取り敢えず君の意志は、それで良いのか。って、何をしているっ!?」
レヴィ「……え、何? 僕今、ラーメン食べるのに忙しいから後にしてー。いやー、食べたい時に食べたい物が出せる、創法の形って便利だよねー」
エリオ「…………君は一体何なんだぁぁぁぁぁっ!?」


※糞真面目なエリオ君が、一番説得に苦労したのはレヴィ。



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