リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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○前回あらすじ
シュテゆ「エリオ神様。ユーノの愛が、欲しいです」
エリオ「諦めるなっ! お前の祈り、僕が必ず叶えようっ!!」

ユーノ「やめろォッ! やめろォォォッ!!」

※負けられない理由が増えました。


神産み編第二話 激動の狭間で

1.

 夕焼けに沈んだ空の下、完全防備の警備兵が手にした誘導灯を小さく振る。

 大きく開いた扉の中へと進んで行くのは、旧態依然とした大型車両の行列だ。

 

 後に後にと続く車の流れは目を引く物であるだろう。だが決してその行列は、壮烈と言う言葉にならない。

 彼らは所詮敗残兵。流れる車両で運ばれる人々の半数以上は、最早戦えぬ程傷付いた者達だ。それ以外もまた、無傷と言うには程遠い。

 

 よく見れば、どの車両にも無数の傷痕が。そも数十年以上は昔の車両を持ち出す時点で、余裕などない証左と言えよう。

 そんな車両の最後尾。傷の手当を受けたトーマ・ナカジマは、荷台に用意された椅子に腰掛け、風に揺れる布の隙間からその光景を見詰めていた。

 

 反天使に焼かれた都市より、輸送用の旧式車両で数時間ほど移動した場所。

 代り映えのしない荒野に建てられたドーム状の建物こそが、敗残兵たる彼らが向かうべき仮宿だ。

 

 ドーム中央にある大きな扉へと、数台の軍用トラックが立ち入り扉が閉まる。

 そうして僅かな時と、静かな機械の駆動音。次に扉が開いた時には、内部は蛻の殻である。

 

 その状況に疑問も抱かず、運転手はアクセルを踏む。トーマが乗った最後のトラックが内部に入ると、ゆっくりと背後の扉が閉まった。

 そして再び、機械の駆動音。外から聞こえるそれよりは大きな音と、身体に感じる浮遊感。地面に潜っているのだと、気付いたトーマは直後その目を見開いた。

 

 草木が生えている。緑が溢れている。美しく清浄な湖畔の畔には、小さな小鳥の囀りが聞こえる。

 天蓋に輝くは、人の手による偽りの太陽。流れる川に沿う様に、色とりどりの花が咲く。一面の荒野から僅か地中に進んだだけで、其処は正しく別世界。

 

 この星には荒野しかないのだと、無意識に思い込んでいた少年少女。故にトーマとリリィは驚きを隠せない。

 停車した車両からゆっくり降りて、しかしポカンと口を開きながら身動きしない。そんな二人を前にして、キリエは胸を張って自慢をするのだ。

 

 

「じゃじゃーん! これぞ我が惑星名物、シエルシェルター!!」

 

 

 少年少女の前へと態々回り込み、にこやかな笑みを浮かべて語るはキリエ・フローリアン。

 その表情に暗さはなく、先の形相がまるで嘘の様。そんな少女は明るい声と口調で、トーマ達を先導する。

 

 キリエに連れられ、前へと進むトーマとリリィ。最後に下車したアミタは運転手に指示を出してから、前方を行く彼らに追い付くと、この地について補足を入れた。

 

 

「ここは、エルトリアにある避難施設の一つ。そして現在は、私達エルトリア解放戦線の本拠地となっている場所です」

 

『エルトリア解放戦線?』

 

 

 死触の影響が強まっていく中、作り出された幾つもの避難所。此処、シエルシェルターはその一つだ。

 浄水装置と空気清浄機。ナノマシンによって改善された土壌に、咲き誇るは色とりどりの花々草木。人工の太陽が照らし出すのは、木造家屋が並んだシエル村。

 

 有事の際には、このシェルター内だけで安定した生活を行える。そういう施設を目指して、異端技術者たちが作り上げた閉鎖空間。

 星に複数あるシエルシェルターの一つが此処であり、この地を拠点として彼女達――エルトリア解放戦線は反天使への抵抗を続けていたのであった。

 

 

「あははー、なーんか野暮ったい響きだよね。やっぱり此処はさ、終末の四騎士(ナイトクォーターズ)とか、ブリューナクとか、そういうイケてる名前が良いと思うんだけど」

 

「あのですね、キリエ。ギアーズはもう私達しかいないんですよ? 人数的に四騎士なんて名乗れませんし、特務局的な何かがある訳じゃないですか。名前だけ格好良くて中身が伴わないなんて、ヒーロー的にやっちゃいけない事ですよ!?」

 

「……拘る所は、其処なんだ」

 

「トーマ。この人達、大丈夫なのかな?」

 

 

 ネーミングセンスがないと笑うキリエに、特撮マニアであるアミタが己の拘りを示す。

 そんな妙な拘りにトーマは苦笑を浮かべ、リリィはこの人は大丈夫なのかと不信の目を向ける。

 

 生暖かい苦笑いと若干冷たい不信の瞳。温度差がある二人に揃って見詰められて、頬を羞恥に染めたアミタは誤魔化す様に咳払いを一つした。

 

 

「ごほん。……まあ、取り敢えず進みましょう。シエル村の中には、私達の家もありますから。詳しい経緯などに関しては、其処で説明するとしましょう」

 

「ベッドもお風呂もちゃんとあるわよ。食事は控え目に言っても、美味しいなんて言えないけどねッ!」

 

 

 あからさまな態度で誤魔化す姉に、妹はニヤニヤと笑いながら言葉を紡ぐ。

 そんな二人に導かれるがままに、トーマとリリィの二人は木造の一軒家へと入って行った。

 

 

 

 

 

 カタカタと旧式の鍋が音を立て、アミタは中身をカップに移す。

 湯気を立てるカップを片手に持って少年へと、笑みを浮かべたまま手渡した。

 

 

「あったかいもの、どうぞ」

 

「はぁ、あったかいもの、どうも」

 

 

 トーマがカップを受け取ったのを確認すると、同じ動作と言葉でリリィに手渡した。

 

 湯気を立てるカップを両手で包んだ二人に対して、机の対面にある席へと座ったアミタは僅か瞑目する。

 彼女は迷っているのだ。何から語るべきなのか、何を伝えるべきなのか。この二週間、ほんの僅かな時間の内に、余りに多くが起こったから。

 

 迷いはそれこそ無数にある。稀人に過ぎぬ彼らの事情を、アミティエと言う女は知らない。

 此処に来るまでに交わしたのは、名前の交換と簡単な自己紹介だけ。車両の中では傷の治療に専念して、故にそれ以上など知りはしない。

 

 だから迷う。巻き込んで良いのか。この今にエルトリアを襲う危機を、彼らに伝えて良いのだろうか。

 だから悩む。自分だけでやりたい。自分達の手で成し遂げたい。そういう想いは確かに彼女達の胸にある。

 

 それでも、彼もまた己達とは違う因縁を持っている様ではある。ならば無関係な巻き込まれと、言う事は出来ないのだろう。

 それでも、自分達だけではもうどうしようもないとは分かっている。既に詰んでいるのだ。盤面を覆すには、第三者の助けは必ず必要だろう。

 

 アミティエ・フローリアンは瞳を閉じて、呼吸を一つ吸い込み吐き出す。

 そして瞳を開いた少女は、此処に語るべき言葉を選んだ。伝えるべきは最初から、全てを告げるとアミタは決めたのだ。

 

 

「ある日突然、本当にある日突然だったんです。切っ掛けがあった訳でもなければ、予兆があった訳でもない。彼らはある日突然に現れて、エルトリアを蹂躙しました」

 

 

 エルトリアは、時間の流れがズレている。その性質上、この地の技術力はミッドチルダの比ではない。流れる時間が違うのだ。発展するのは当然だろう。

 だが、この世界は技術力が高いだけ。純粋な戦力、軍事力と言う点で見れば、ミッドチルダと同等以下だ。反天使と戦える程の、圧倒的な武器など此処にはないのである。

 

 何しろ数百年は昔から、エルトリアは滅びの危機にあった。そんな状況下にあって、悠長に戦争などしてはいられない。

 ミッドチルダの様に、天魔に狙われる理由もなかった。ならばこそ、この地は何百年にも渡って、戦などない平穏な世界であったのだ。

 

 確かに技術力は高いであろう。基礎レベルが大きく違う。だが、その使い方が洗練されていない。この地の者らは、戦闘に長けてはいないのだ。

 

 対して反天使は戦力だけならば、大天魔にも届かんとする怪物達だ。

 数百年以上闘争を続けていたミッドチルダと言う世界を、神々に抗い続けたエースストライカーが護る大地を、たった三柱で追い詰めた恐るべき悪魔たちなのである。

 

 故にこそ、これも当然の結果であろう。エルトリアに生きる者達は、突如現れた反天使を前に敗れたのであった。

 

 

「街は壊され、人は殺され、私達は逃げ回るしか出来なかった」

 

「都市に残っていた国軍が抵抗はしましたが、……元々エルトリアは崩壊寸前で、だから軍事面では百年前から一歩も進歩していなかった。奴らと戦えるだけの戦力は、私達にはなかったんです」

 

 

 アミタが理屈で、キリエが感情で、互いに補いながらに語る。

 エルトリアの国軍が反天使に敗れた後、生き延びた人々が如何にして生きて来たのかを。

 

 突如、エルトリアを襲った反天使。彼らは主要都市のほぼ全てを焼いた。

 ギアーズを生み出す生産施設を、武器や戦力となる者達を、次から次へと壊していった。

 

 二週間にも続いた襲撃。多くの悲鳴と犠牲によって、国は最早その体を為してはいない。生き残った者達は散り散りに、避難所へと逃げ込んだのだ。

 

 

「大半の人達は、避難所に逃げ込めたわ。けど、どうしても近くにシェルターがない人達は、街に取り残されていたの」

 

「先の一件も、その関係ですね。この周辺では最大の組織である解放戦線。私達にとって一番重要な目的は、他の組織や取り残された人々との合流ですから」

 

 

 現在のエルトリアは、無政府状態が続いている。大都市は真っ先に落とされて、民は意志の伝達すら出来ていない。

 誰が何処で生き延びているのか、それさえ知る事は出来ない現状。各地に出来た複数の反抗勢力は、互いに協調も出来ずに少しずつ磨り潰されていった。

 

 彼女達が属する解放戦線の目的は、そんな反抗勢力を一つに纏め上げる事。その為にも、未だ生きている都市や組織を探していた。

 先の一件もその延長。未だ細々と機能を維持している中小規模の都市群。その一つに同じ意志を持った者らが居ると知った解放戦線が、救援の為に援軍を出した。その援軍が、運悪く反天使とかち合ってしまった訳である。

 

 

「この二週間の戦いで、解放戦線も壊滅寸前です。指導者層が軒並み全滅していて、……戦力として見込まれて参加した私達が、今では最高階級になっています」

 

 

 前線に出向き指揮を執る。そんな指導者から先に、彼らは狙って落としていった。故に今の解放戦線は、明確な指揮官がいない状況だ。

 一先ずは最高階級となってしまったフローリアン姉妹が、ベッドで寝た切りとなっている先人達に意見を聞きながら、どうにか組織を維持しているのが現状なのだ。

 

 それでも、そう長くは続かないだろう。何れこの組織は壊滅する。そんな未来が、既に誰もの脳裏にあった。

 反天使相手に、多少なりとも抵抗が出来る戦力。それがこのフローリアン姉妹しかいないのだ。前線に立てる兵力は、最早枯渇し掛けているのである。

 

 

「アイツら、遊んでるのよ。戦力になる奴から排除して、戦えない女子供は追い掛け回すだけ。まるで肉食の動物が獲物を甚振るみたいに、牙と爪だけ剥いでいくんだ」

 

 

 キリエは怒りを言葉に込めて、震える己の拳を握る。武装した者達から率先して排除する。それが反天使の方針だった。

 それでいて最高戦力であるフローリアン姉妹が生き延びているのは、彼女達が見逃されていたから。殺す価値すらないのだと、敗北する度に捨て置かれた。

 

 彼女達が前線に立つ度に、その道を塞ぎ阻んだのは罪悪の王。彼は無価値だと見下して、毎回毎回姉妹の命を見逃すのだ。

 その度にキリエは悔しさを感じた。私は戦えるのだと、私が戦わねばならぬのだと、叫びをあげるがそれすら振り返る価値がないと無視された。

 

 彼女達が土を食んでいる間にも、前線に出た者らは消耗していった。まるで紙を水で溶かすかの様に、あっという間に失われていった。

 出撃する度に味方は消えていき、守るべき人々ばかりが増えていく。そんな中で見逃され続けた彼女達は、戦う力があったと言うのに何も出来はしなかったのだ。

 

 其処に悔しさを覚えぬ筈がない。其処に怒りが生まれぬ筈がない。

 己が戦えるのだと、そうであると知ればこそ憤りは強くなる。戦う為に生まれたというのに、敗れ続ける己こそが許せなかった。

 

 

 

 彼女達は、ギアーズと呼ばれる存在だ。エルトリアでは数少ない、戦う為に生まれた生命。戦闘機人や自動人形と同じく、機械の身体と人の心を持った存在なのである。

 最盛期は多く居たギアーズ達。兄弟姉妹はその全てが破壊されてしまった。生産拠点も既に失われ、今に残ったギアーズはこの姉妹のみ。今のエルトリアでは間違いなく、彼女達が最上位の戦力なのだ。

 

 故にこそ、そんな彼女達は周囲から特記戦力として求められていて、それを受け入れざるを得ない理由も彼女達には確かにあった。

 

 アミタは静かに、寝室の扉を見詰める。その奥で今も眠り続けている人物。それは、機械の姉妹を実の娘と扱ってくれた優しい母親。

 あの日以来、目覚めぬ彼女。あの襲撃以来、意識を閉ざしたままの母親。そんな彼女を守る為にも、優遇された立場が必要だったのだ。

 

 恨みを晴らすと息巻いていたキリエの事もあって、アミタも戦力として扱われる事を良しとした。

 そうと決めたのが、あの襲撃の日から三日後の事。先ずは味方と合流する為に、慎重に動いていた解放戦線。当時の彼らは勇壮だった。

 

 だが、それも最早見る影がない。その戦闘能力故に解放戦線では幹部待遇を受けていた彼女達が、最高階級になってしまう程に――もう彼女達しか戦える者が居ない程に、彼らは消耗していた。

 

 

「彼らは殲滅には乗り出さない。その遊びがあるからこそ、私達は二週間も持ったのでしょう」

 

 

 少しずつ、少しずつ、真綿で締める様に減らされる。牙と爪を剥ぎ取られて、その無様な姿を嗤われる。

 そんな事しか出来なかった二週間。それでも抗う事を止められない。止める事なんて、選ぶ事は出来なかった。だから今も、彼女達は此処に居る。

 

 

「それは分かる。侮られてるから、生きて来れた。それは分かるんです。もう抵抗する事は無駄だって、嫌って程に分からされました。……だけど、理解と納得はイコールじゃない。舐められたまま、何時死ぬか分からぬと怯え続ける。そんなのは、絶対に御免ですッ!」

 

 

 もう道はない。前に進むしか道はないから、勇気を以って前へと進む。そうと決めたアミティエ・フローリアンは、揺るがぬ瞳で言葉を告げる。

 

 

「私達には恨みがある。それに、遺された想いも確かにあるの。だから、キリエも、お姉ちゃんも、退かないって決めたんだ」

 

 

 引き返せない。引き返したくはない。荒ぶる激情を笑顔で隠して、真っ直ぐ歩く。キリエ・フローリアンは、滴に揺らいだ瞳でそれでも語る。

 

 

「貴方に、頼みがあります」

 

「お願いしたい。聞いて欲しいの」

 

 

 既にエルトリアに力はない。解放戦線の戦力は、たった二人のギアーズだけ。

 残るは戦力にも満たぬ者達か、負傷者か非戦闘員。純粋に手が足りてない。質も量も全てが不足していれば、滅びは最早避けられない。

 

 他の場所にも生き残りが居るかもしれないが、何処に居るかも分かりはしない。そんな彼らを当てにするなど、博打どころの話じゃない。

 だからもう、切れる札はない。既に盤面は詰んでいて、ここから覆すなどそれこそ盤面返しが必要となろう。そんな都合の良い事など、そう簡単には起こらない。それは彼女達にも分かっているのだ。

 

 

「私達だけじゃ倒せない。私達だけじゃ救えない。私達だけじゃ遺せない。きっとこのままじゃ、何も遺せずエルトリアは終わってしまう」

 

「そんなのは駄目。そんなのは許せない。それだけは、ぜったいのぜったいだッ!」

 

 

 それが分かって、それでも良しとは出来ぬのだ。何も遺せず、終わるのだけは駄目なのだ。

 故に少女達は彼らを見詰める。あの戦場で、魔群を追い払った少年を。敗れたとは言え、彼の罪悪の王が執着する少年を。

 

 彼だけがこの先がない状況下で、偶然手にした蜘蛛の糸。そうと分かればこそフローリアン姉妹は、想いを此処に言葉を紡ぐ。

 

 

『だからッ! 力を貸してッ!!』

 

 

 助けて欲しい。そう叫ぶ事が、愚かでないと知っている。出来ない事を、背負ってはいけないと分かっている。理解出来る程に、既に追い詰められている。

 だからと言って、救って欲しい訳ではない。全てを託したい訳ではないのだ。少女達が彼に求める行為とは、同じ戦場に立って共に戦ってくれる事なのだから。

 

 二人揃って、少女達は頭を下げる。手を貸してくれと想いを伝える。そんな彼女達へと返す答えを、トーマはたった一つしか持ってはいない。

 

 

「……リリィ。良いよね」

 

「うん。どうせ言っても聞かないんだし、だったら良いよ」

 

 

 傍らに咲く花に許可を求める。問われて少女は、苦笑交じりに笑って許した。

 そうとも、トーマ・ナカジマはそういう人間だ。だからこそ、リリィ・シュトロゼックは彼を愛した。

 

 そんな彼が言う言葉、彼女に分からぬ筈がない。助けて欲しいと言葉にされて、耳を塞げるトーマじゃないのだ。

 

 

「俺に何が出来るのか、何も出来ないのか。分からない。分からないけど、それでも、それは何もしない理由にならない」

 

 

 一つの世界の危機。それを前にして、トーマ・ナカジマに一体何が出来るであろうか。

 宿敵一人を相手取るので精一杯。それすら負ける可能性の方が大きく、敵は余りに強大だと言えるのだ。

 

 エリオだけではない。クアットロとアストも居る。彼ら全てを相手取るなど、トーマ一人じゃ不可能だろう。

 それでも、何も為さない理由にはならない。勝てぬからと諦める。そんな殊勝な言葉など、その瞳の何処にもない。

 

 

「助けを求める人が居る。手を伸ばせる自分が居る。だったら、その手を握らない理由がないんだっ!」

 

 

 白き蛇の刻印が刻まれた青い瞳が、まるで星の如くに輝きを魅せる。

 神の力に影響されても揺らがぬ意志が其処にあるから、その想いは確かに光り輝くのだ。

 

 

「アミティエさん。キリエさん。愛しい刹那を無価値に変えてしまわぬ為に――俺と一緒に、戦おうっ!!」

 

 

 気負う事もなく、恥じる事もなく、トーマ・ナカジマは笑ってその手を二人に差し出す。

 一緒に戦おう。何より望んだその言葉を受けて、絶望の闇を照らす星の光を其処に目にして、アミタとキリエは確かに笑った。

 

 

「ありがとう、ございます」

 

「うん。本当に、本当の本当に、ありがとう」

 

 

 瞳を涙に滲ませて、とても大きな感謝を抱いて、アミタとキリエは綺麗に笑っていた。

 

 少女達の笑顔に僅か見惚れて、そんなトーマの足を嫉妬する少女がふんと踏み抜き、痛みにトーマは床を転がり回る。

 そんな二人の様子に少女達は笑みを深めて、和やかな空気の中で笑い合う。あの襲撃の日以来初めて、アミタとキリエは心の底から笑うのだった。

 

 

 

 

 

 そうして暫く、目尻に涙を浮かばせる程に笑い合って、アミタは一つ言葉にした。

 

 

「しかし、さん付けなのは、ちょっと硬い様な気もしますね」

 

「それ言ったら、ずっと敬語なお姉ちゃんもだけどねッ」

 

 

 特に意味のない発言。それに突っ込むキリエに対して、これは自分の癖だとアミタが返す。

 そんな姉妹の遣り取りの中、ふと何かを思いついたキリエは悪い笑みを浮かべた。その笑みに既視感を抱いて、思わずトーマは一歩を下がる。

 

 これはアレだ。機動六課の仲間達。その中にあって、度々己を揶揄って来た彼の召喚術師。ルーテシア・グランガイツが自分を弄る時と、全く同じ種類の笑みだったのだ。

 

 

「そうだッ! 親睦を深める為にも、同じ格好をしてみましょ!」

 

「……同じ、格好? まさか、そのメタルなスカートッ!?」

 

「博士特製のプロテクトスーツ。SFチックで可愛いでしょ?」

 

「それ絶対、女性物じゃないかぁぁぁっ!?」

 

 

 予感的中。ニタリと笑うキリエが取り出した赤いスカート。彼女の衣装の予備を向けられ、トーマの顔が盛大に引き攣る。

 デバイスが展開するバリアジャケットよりも性能は上だから、戦力的にも有意義だと。キリエは揶揄い十割の晴れやかな笑顔で詰め寄り始めた。

 

 

「女性物でも良いじゃない。別に死ぬ訳じゃないんだし。寧ろ可愛い顔立ちだから、意外と似合いそう?」

 

「やめろォ! 俺の世間体が社会的に死ぬぅっ!」

 

「世間なんて得体が知れない物にどう思われたって、平気へっちゃらなんだからッ!」

 

「俺は平気じゃないんだぁぁぁっ!!」

 

 

 じりじりと獲物に詰め寄り、女性用の衣服を押し付けようとする狩人キリエ。

 追い詰められた獲物は己の不利を悟って即座に反転すると、全力逃走を開始した。

 

 

「やっぱり、キリエは笑顔の方が良いですね。……良しッ! お姉ちゃんも参戦ですッ!」

 

「んなっ!? 敵が増えた!?」

 

 

 そんなキリエの楽しそうな顔を見詰めて、嬉しくなったアミタが此処に参戦を表明する。

 出口の扉を塞いだ彼女の姿に、信じられないとトーマは瞠目する。そして彼は此処に、決意した。

 

 最早形振り構ってはいられない。男の尊厳が危機なのだ。此処はリリィと同調して、創造位階で駆け抜けよう。

 無駄に切実な表情で、無意味に優れた体捌きで、無価値な程に素早くリリィの下へと駆け付ける。彼女ならばきっと味方だと、その柔らかな手を掴んで――

 

 

「こっちは任せて、アミタにキリエ!」

 

「君もか!? リリィっ!!」

 

「ゴメン、だけど見たいっ!!」

 

 

 同調しようと伸ばされた手を掴まえて、トーマの身体を両手で思いっきり抱き寄せる。

 抱き着いて来る双丘の柔らかな感触に頬を染めながら、予想外の裏切りに頬を引き攣らせる。そんな妙に器用な真似をするトーマへと、彼女達は既に迫っていた。

 

 

「拘束はリリィに任せて、やりますよッ! キリエッ!!」

 

「了解ッ! 行くよ、お姉ちゃんッ! リリィッ! ジェットストリームアタックだぁッ!!」

 

「この変な方向の共闘は、絶対無価値だぁぁぁぁっ!!」

 

 

 迫る三人の少女からは逃れられず、衣服を剝ぎ取られながらにトーマは叫ぶ。

 自分の口癖を奪われた魔刃が何処かでクシャミをした様な、そんな感覚を共有しながらトーマは辱められるのだった。

 

 

 

 

 

2.

 カ・ディンギル。そう呼ばれる一本の塔がある。それはエルトリアの中心地、この地を支える要であった。

 惑星維持システム。白紙の画用紙から乾いて剥がれていく絵具を、画用紙に止め続ける為の鉄針。この塔の役割とは、つまりはそれである。

 

 そんなエルトリアにおいて、最も重要なこの場所。既に彼の地は、反天使達が抑えている。

 特に理由があった訳ではない。唯、象徴だったから。勝利の証として、この地を求めた。クアットロがカ・ディンギルを抑えた理由はそれだけだ。

 

 今や反天使の居城と化したこの中央塔。その只中で壊れた人形を愛でながら、這う蟲の王は耽美に耽る。

 人間体を形成して、溢れ出させる女の匂い。余りに濃厚な臭気を前に、扉を開いて立ち行って来た金髪の少年はその顔を顰めていた。

 

 

「……今、戻った」

 

「あらぁ? 戻って来たんですかぁ。エリオくん」

 

 

 愛する男を摸した人形。唯の残骸に群がる蟲とは、別の場所に新たな器を形成する。

 己の肉体の一部を使って中身がない人形と情欲の宴を続けながら、クアットロはエリオに向けて別の己で語り掛ける。

 

 満たされる情欲。それを共感しているのだろう。その顔を淫靡に歪めた女は、確かに美人と言える物。

 だがその本質はまるで食虫花。中身のない残骸を使って自慰に耽る怪物は、その内面が余りに醜悪が過ぎると言えよう。

 

 

「てっきりそのまま、逃げ出したかと思いましたよぉ。イクスちゃんを見捨ててねぇ」

 

 

 一時感じた恐怖から逃れる為に、情欲に耽っている醜い虫けら。その口から告げられる罵倒は、己の小心を癒す為に。

 それが余りにもあからさまだから、怒りを抱く以前に憐憫を抱く。そして同時、己が戻るまでのこんな僅かな時間で、酔い痴れる嬌態に呆れを通り越して感心した。

 

 だがそんな場違いな感情を抱いたのは、エリオだけだったようだ。彼の相棒たる小さな少女は、クアットロの本質に気付いていない。

 哀れに感じる程の小物さ。腐れ外道である事を込みしても、哀れみを抱いてしまうちっぽけさ。それを理解したのは、エリオの目が肥えていたからなのだろう。

 

 伊達や酔狂で、二百二十万を従えている訳ではない。内面に夢の世界を形成し、その全てと対話したのだ。

 その全てと記憶や知識を共有した。分かり合う為に、途方もない体感時間を経験した。なればこそ、エリオは二週間前とは違う。彼の器は、正しく大器と呼べる物。

 

 だからこそ、怒るよりも哀れんでいる。恨みは何れ晴らすだろうが、それとは別の領域で哀れな奴だと見下している。

 そんなエリオと、アギトは違う。烈火の剣精にとって、クアットロの言動は怒りを誘う物でしかない。彼女にとって、魔群は許せぬ怨敵だ。

 

 

〈兄貴を、お前と一緒にすんじゃねぇよ〉

 

「ふぅん。そんな事言っちゃう? 一皮剥けば、同じだと思うんだけどねぇ。どうせ誰だって、自分の命が一番大事でしょぉ?」

 

 

 怒りの感情を見せるアギトに対し、クアットロは笑みを深める。

 危機感を覚えたこの小物は、欲に狂い、他者を甚振る事でその恐怖を晴らす。

 

 そうしなければ己が感情すら飲み干せぬ程に、クアットロ=ベルゼバブの底は浅いのだ。

 

 

「それなのに綺麗事言うなんてぇ。踏み躙りたくなっちゃうわよ、アギトちゃぁぁぁん?」

 

 

 ニィと悪辣に嗤う魔群は、その視線を扉の奥へと向ける。彼女は知っているのだ。彼らにとって、何が一番苦痛であるのか。

 その扉の奥には、彼女の命綱が監禁されている。エリオが反意を抱いている事を知っているから、彼から離す形であの少女は幽閉されている。

 

 自分に逆らったならば――否、己を不快にさせたならば、だ。その時点で、クアットロはあの少女を痛め付ける。

 そうと分かっているが故に、その視線だけで脅しとなる。人質とされたイクスヴェリアの事を想って、アギトは口を閉ざすより他に術がなかった。

 

 だからこそ、口を閉じた彼女の代わりに、エリオ・モンディアルは言葉を紡いだ。

 

 

「……そうだね。君の言う通りだよ。クアットロ」

 

「あら、意外ねぇ。認めるんだぁ?」

 

「人間は誰しも、自分が大切とするモノの為に生きている。利己が殆どない奴なんて、極少数の異常者だろうさ。……僕もお前も、本質的に違いはない。どっちも自己満足を優先する、薄汚い悪党だ」

 

 

 クアットロの嘲笑を肯定する様な言葉。それはしかし、嘘偽りのないエリオの本音だ。

 結局、エリオ・モンディアルもクアットロ=ベルゼバブも大した違いはない。己が我欲の為に、他者を踏み躙る外道の類だ。

 

 その欲望の質が違うだけ。それを内包する器の大きさが違うだけ。許容する外道の幅が違うだけ。そんなモノ、大局から見れば然したる違いはない。

 

 我も彼も反天使。人の世に在ってはならない、許されざる怪物達だ。そうと認めて、そうと理解して、だからどうしたと言う話。

 エリオ・モンディアルと言う少年は、誰にも許されようとは思っていない。そうとも、もうとっくの昔に、分岐点は通り過ぎてしまったのだから。

 

 

「それで、僕は仕事を果たして戻った訳だが。偶には何か、飴でもないのかい? 鞭だけの躾けだと、頭が悪い犬は学ばないよ」

 

「……意外と図太くなってるわねぇ。ま、良いわ。イクスちゃんのとこにでも行って、好き勝手してなさぁい」

 

 

 平然として揺るがずに、あまつさえ報酬を強請るエリオの図太さ。それに呆気に取られながらも、クアットロは僅か思考する。

 偶には顔合わせの一つもさせなければ、自暴自棄になる可能性もある。そうでなくとも、飴を与えれば飼いならせるかもしれない。そうと思考して、故に彼女は許可を出す。

 

 閉鎖された扉の鎖が砕けて散って、二週間ぶりとなる再会を前にエリオは僅か頬を緩める。

 そんな彼の表情に何か意地の悪い事を思い付いたのか、クアットロは立ち去る彼の背中に向けて、盛大に汚物をぶち撒けた。

 

 

「見ないであげるからぁ、三人で色々として来たらぁ? まな板ばっかりだから、勃つ物も勃たないかもしれないけどねぇぇぇ」

 

 

 ケラケラと、ニタニタと、嗤う女の言葉は無粋だ。その言葉にどんな反応を見せるのか、分かっていて女は嗤うのだ。

 背中越しに被せられた汚物の言葉に、エリオの足が僅かに止まる。女の嬌声と男女の混じり合う饐えた臭いが漂う室内で、振り返らずにエリオは告げた。

 

 

「……僕にとって、アギトやイクスはそういう対象じゃない」

 

〈あたしらは家族だよ。汚い言葉で穢すな、下種女〉

 

 

 求めた愛は、異性に対する物じゃない。何処にも行き場がなかったから、帰りたかった暖かな場所。

 エリオもアギトも、互いに求めるのは親愛だ。だからこそ、そんな欲は必要ない。そう語るエリオに、クアットロは腹を抱えて嘲笑する。

 

 確かにこの二人が抱いているのは、異性愛ではなく家族へ向ける愛情だろう。だが、イクスヴェリアだけは違うのだ。

 あの少女はエリオに対し、恋慕の情を抱いている。親愛以上の異性愛を、彼女は彼に抱いている。その内面を知るが故にこそ、クアットロは笑っている。

 

 それを暴露してやれば、彼らは一体どうなるのだろうか。やり方次第ではあるが、きっととても愉しくなる。

 魔群が見る限り、エリオが低俗な情欲に属する感情を抱いた相手は唯の一人しか存在しない。イクスやアギトを、彼は傷付けたくはない家族としてのみ愛している。

 

 故にこそ、きっと素敵な愁嘆場が作れるだろう。最悪の状況でぶち撒けてやれば、それこそ愉しい光景となるだろう。

 

 

「うふふ。そういう表情。そっちの方が、踏み潰したくなって魅力的よぉ。エリオくぅぅぅん」

 

 

 だが、この今に暴露するのは勿体無い。もっと煮詰めてから、教えてやった方が愉しくなりそうだ。

 今のままでは、エリオはあっさり受け入れてしまうだろう。だからこそ、今暴露しても意味がない。今口にするだけでは、その絆を壊せない。

 

 それでは、何も愉しくないだろう。だから泥を投げ付けるだけで、一先ず満足する。

 何れ必ず壊してやる。エリオの背中を見詰めて嗤う女に、顔を顰めて立ち去る少年の思考も全く同じだ。

 

 お前は何れ、必ず壊してやる。同じ様に考えながらに、エリオ・モンディアルは立ち去って行った。

 そんな魔刃の背中を見送って、クアットロは残骸の彼を抱き締めながらに思考を巡らせる。これから如何に動くべきかと。

 

 

「う~ん。どうした物かしらねぇ? 両面宿儺が出て来るなら、逃げる一択なんだけどぉ」

 

 

 嘗ての自分と同じ顔をした形成体。それを無数に形成して、子供の傍に侍らせる。裸体を晒す女達と、感覚を共有しながらに思考を進める。

 ずっと欲しかった父の愛。倒錯的な光景の中、精神肉体両面で満たされながら、舌の上で言葉を転がせる。そんな魔群の瞳は、致命的に曇っていた。

 

 

「トーマ・ナカジマも、そんなに強くなさそうよねぇ。今のエリオ君で止められるって事は、その程度って事なんだしぃ」

 

 

 二百万の魂を移植して、しかし何の恩恵も得られなかった。彼女はエリオの現状を、その様に理解している。

 元より自我が保てているだけで例外なのだ。燃料として使えるならば、それは十分過ぎる成果であろう。そんな風に考えている。

 

 エリオの戦力を、彼女は過小に評価している。なればこそ、トーマ・ナカジマに対して正常な判断を下せはしない。

 彼はきっと協力戦闘に特化してしまったのだろう。渇望が変わった事で、単独戦闘能力は落ちたのだ。そうと考えれば、エリオにあしらわれた事も説明出来た。

 

 理屈が付いてしまうから、彼女は此処に誤解する。その曲解を正しく改める人間がいないから、彼女は誤解したまま間違い続ける。

 そうとも、今のクアットロの手元にあるのは人形だけだ。彼女に愛されている男は、中身のないラブドール。彼女に従う壊れた鏡は、記憶を失くした人形だ。

 

 己に対して、是としか返さぬ配下達。そんな人形しか手元にないからこそ、クアットロの栄華は決して長続きなどしないのだ。

 

 

「取り敢えず、狩りは続行かしらねぇ。仕込みもあるし、万が一それが破られたら動けば良いわよねぇ」

 

 

 今は未だ、この地で狩りを続けよう。トーマを殺そうとしなければ、あの天魔も顔を出しはしまい。

 慢心し、増長し、それを諫める者もなく――故にクアットロは破滅する。そうなるとすら気付けずに、道化は全てを手中に収めた心算になって、耽美な時を過ごすのだった。

 

 

 

 

 

3.

 シエル村にも、夜の帳は落ちる。人の体感機能を狂わせない為に、時間に応じて人工太陽が停止するのだ。

 プラネタリウムの要領で、天蓋に映写された星々。それを見上げながらに、トーマ・ナカジマは木造の家から外に出た。

 

 此の二週間、睡眠時間が少なかった影響だろうか。一休みをしただけで、眼が冴えてしまう。疲れている筈なのに、ゆっくりと身体を休める事が出来なかった。

 

 こんな時は、意識を切り替える為にも歩くべきだろう。そう考えて、彼は与えられた寝室から抜け出した。

 水で顔でも洗えば気分もスッキリするであろうか。そんな風に思考しながら、トーマは村の中心にある井戸を目指す。

 

 滑車の付いた古びた井戸。だがその中身が古いと言う訳ではなく、古びた外装は風情を醸し出す為の演出らしい。汲み上げるのは、地下水ではなく浄水された飲料水だ。

 演出の為だけではなく、実利の理由も其処にはある。多少不便な方が、人は節制する物だ。水も食料も無限に作れる訳ではないから、効率的な物を作らない事にした。それがアミタから聞かされた、シエル村の仕組みであった。

 

 

「……しまった。これ、どう使えば良いんだっけ」

 

 

 話は確かに聞いていたが、実際に使った事がない古い構造。井戸水を汲み上げる方法を、トーマは度忘れしてしまっていた。

 思い出そうとすると、連鎖して甦りそうになる屈辱の記憶。女装させられた記憶に再び蓋をして、どうした物かとトーマは悩む。

 

 そんな彼の真横から、すっと白い手が伸びた。

 

 

「使い方は簡単よ。この桶をそのまま井戸に投げ入れて、その後に紐を引けば良いだけ」

 

「おわっ!?」

 

 

 備え付けの桶を手に首を捻っていたトーマ。そんな彼の背後から手を伸ばして、その手から桶を奪い取る。

 触れる身体の感触と、思い出しそうになったトラウマを生んだ声に、思わずトーマは声を上げながら飛び退いた。

 

 慌てて飛び退き、蹈鞴を踏んで転びそうになる。そんなトーマの醜態に、声の主はケラケラ笑う。

 楽しそうな笑顔を浮かべたキリエを見上げて、トーマ・ナカジマは憮然とした表情を浮かべるのであった。

 

 

「トーマもさ。寝れなかったの?」

 

「……だったら、何だってのさ」

 

「あー、そんなに怒らないでよ。ちょっとさっきは悪ノリし過ぎたって、謝るからさ」

 

 

 軽い謝罪を口にしながら、キリエは手にした桶を井戸へと投げ入れる。

 カラカラカラカラ。滑車が回る音を立て、暫くするとポチャンと水の音が静かに響いた。

 

 そんな井戸の前で二人。キリエはその場に腰を下ろし、手招きする。横に座れと言わんばかりのその行動に、トーマは嘆息すると従った。

 そうして暫くの沈黙。特に何も語る事はなく、黙ったままに空を見上げる。偽りの空に浮かんだ星は、それでも荒野で見たものと変わらなかった。

 

 

「……本当はさ。一人で全部やりたかったんだ」

 

 

 ふと、キリエが口を開く。膝を抱えて見上げる少女の、その表情は隠れて見えない。

 覗き込めば見えるのだろうが、それは流石に無粋であろう。故にこそ、トーマは唯言葉に耳を傾けた。

 

 

「私達はギアーズ。人の為に作られた機械を、本当の娘として愛してくれたのはパパとママ」

 

 

 グランツ・フローリアンとエレノア・フローリアン。子宝に恵まれなかった夫婦にとって、少女達は正しく大切な娘であった。

 機械の身体など関係ない。血潮が流れぬ事などどうでも良い。人の為に作られた機械である事など、彼らにとっては重要な事ではなかったのだ。

 

 だからこそ、キリエは愛される様に愛した。人の為に作られた彼女は、望まれた様に人として、彼らに等しく愛を返した。

 

 

「パパは殺された。ママはあの日から、まだずっと眠ったまま」

 

 

 彼女を愛した人々は、あの日に揃って奪われた。その光景を忘れはしない。

 彼女が愛した光景を、奪った悪魔を許せる理由がない。あったとしても、許さない。

 

 

「許せないよ。許せる筈がない。私はあの悪魔を、絶対に許しはしない。どんな理由があったとしても」

 

 

 だから、彼女は自分の手で仇を討ちたかった。この手で、あの悪魔に勝ちたかった。

 だけど、それが出来ない。どうしても、出来なかった。散々に叩きのめされて、何度も何度も踏み躙られて、理解せざるを得なかった。

 

 キリエは空へと手を伸ばす。たった一人でも如何にかしてみせると、そんな事すら言えない手を見詰める。そんな彼女の掌は、機械と思えぬ程に儚く小さかったのだ。

 

 

「だから、私は――」

 

「キリエ。君は」

 

「……な~んてね」

 

 

 消え入りそうな彼女の声に、思わず案じる表情を見せるトーマ。

 そんな彼が心配の言葉を口にするより前に、キリエは笑って言葉を変える。

 

 

「あ、何? 泣いて抱き着くと思った? ふふっ、ムッツリスケベめ」

 

「む、っつりって、おい」

 

「あはは、大丈夫。うん。大丈夫。……だってそう言うの、私の柄じゃないからさ」

 

 

 そうとも、弱音を吐くのは柄じゃない。誰かに縋るのは好きじゃない。自分で立てないのは格好悪い。

 だから何度悔やんでも、挫けそうになったとしても、彼女達は前へと進む。必要なのはたった一つ、揺るがず貫く己の意志だ。

 

 

「今残っている人達はね。エルトリアが大好きな人達なんだ。エルトリアで生まれて、滅び行く世界と共に生きると決めた人達」

 

 

 逃げる機会は何度もあった。立ち去る理由はそれこそ山ほど、それでも此処に残る理由なんて一つだけ。

 エルトリアが好きだから、滅び行くのを見過ごせない。彼女の父を始めとした、それがこの地に生きる人々の総意である。

 

 その多くが奪われて、命が次々消えていく。それでも、遺った物は確かにある。全てが無価値になってはいないと、キリエは確かに知っているのだ。

 

 

「そんな人達が、遺した物がある。それを無価値にしない為にも、私は絶対に無茶はしない。私一人じゃ、結局何も出来ないから――誰であろうと、利用してあげるのよ」

 

 

 ならばこそ、手段なんて選ばない。自分一人でやるのだと、そんな拘りも必要ない。それでは出来ぬと言うならば、そんな物は捨ててしまおう。

 そして彼女は掴むのだ、確かな物をその手に。この今を無価値としない為に、必要なのは貫く覚悟。激情を笑顔の裏に潜めたまま、キリエ・フローリアンは確かに笑う。

 

 

「そういう訳で~、君にも手伝って貰うわよ。予想より活躍したなら、キリエさんによる色仕掛けという役得もあるかもよん?」

 

「揶揄うなよ。ってか抱き着くなっ! リリィに知られたら、何て言われるか分かってんのかよっ!?」

 

「あはは、顔真っ赤! いやはや、キリエさんの魅力も捨てたものじゃないですなぁ」

 

 

 必要とあれば、色仕掛けも視野にいれる。ともあれ、そんな事をしなくても協力してくれるだろう彼には不要か。

 その善良さに最大の感謝を。そうと想えばこそ、偽る事のない己を伝えた。そんなキリエの心中に気付けずとも、楽しそうな彼女を見れば、文句を言う気すら失せてくる。

 

 

「……まったく」

 

 

 仕方がないなと溜息を吐いて、絡んでくる少女から距離を取る。色仕掛けと言ってはいるが、眼に浮かんだ色は嗜虐のそれだ。

 下手に応じると、絶対に面倒な事になる。応じなくとも、隙を晒せば漬け込まれよう。ほんの僅かな遣り取りで、其処まで理解が出来たのだ。

 

 そうして距離を取ったトーマの警戒心に苦笑して、キリエは井戸の水を汲む。

 紐を引く事で桶を取り出し、中に入った水を持っていたカップに移すとトーマに向かって差し出した。

 

 

「4番井戸。水質レベル26。ミネラル含有率良好。飲んでも美味しい、良いお水よ」

 

「……そのコップ。何処に持ってたのさ」

 

「何処にって――そんな事聞いちゃうの? ムッツリなんだからぁ」

 

「言えない場所に閉まってんじゃねぇぇぇっ!?」

 

 

 叫ぶトーマに、キリエは笑う。冗談冗談と取り成す彼女に、コップを受け取りながら息を吐く。

 どうにも性質の悪い女に気に入られてしまったと、溜息交じりに井戸水を口に含んで――

 

 

 

 その直後に吐き出した。

 

 

「――っ!?」

 

「って、何してるの!?」

 

 

 口から水を吐き出して、コップを地面に叩き付ける。そんなトーマの行動に、キリエは怒りを露わにした。

 井戸の形を取ってはいるが、この地下にあるのは機械仕掛けの浄水施設。その水は無限ではなく、限りのある貴重品。

 

 そんな物をどうして無駄にするのか、そう怒るキリエはトーマの顔を見て黙り込む。

 まるで信じたくない事に気付いてしまったかの様に、トーマ・ナカジマの顔には怒りと驚愕が混ざり合った色が浮かんでいた。

 

 

「ど、どうしたってのよ。そんな険しい顔して」

 

「キリエ!」

 

「え!? ちょ、なにっ!?」

 

 

 真剣な表情で、キリエに迫るトーマ・ナカジマ。そんな彼に押される様に、キリエはコテンと座り込む。

 互いの息が届く程に近く、迫った異性の顔に頬を染める。そんな乙女らしさを見せる彼女とは異なって、トーマは何処までも真剣な表情で口にした。

 

 

「この井戸。ってか地下にある浄水施設! 最後に確認したのは何時だっ!?」

 

「え、そんな事? 一体どうして――」

 

「良いからっ! 答えてくれっ!!」

 

 

 切羽詰まった表情で語るトーマの言葉に、いよいよ何かを感じて来たのか。

 何処か怪訝に思いながらも、キリエは己の記憶を手繰る。彼の抱いた懸念に気付かぬままに、彼女はその事実を口にした。

 

 

「……一応、毎日の定期清掃はあるから。出撃前には一度、確認してる筈だけど」

 

「――っ! 最悪だっ! 確認が日に一度って事は、警備も厳重じゃないって事で、クソっ! やられた! 一体何時からっ!?」

 

「ちょ、ちょっと、どういう事よ!? さっきから、何を言っているの!?」

 

 

 その最悪の事態に、一人得心するトーマ。彼が何を言っているのか、まるで分からないキリエが問い掛ける。

 一体何に気付いたと言うのか。その問いに答える暇も惜しいと、トーマは端的に気付いた事実を伝えるのであった。

 

 

「エリキシルだ」

 

「は?」

 

「この水が全部――クアットロの血液だって言ってるんだよっ!!」

 

 

 ギアーズにも分からぬ程に、薄められた彼女の血液。それが井戸の水に混じっていた。

 トーマが気付けたのは、エリキシルを口に含んだ経験を持つエリオの記憶を持っていたから。そうでなければ分からぬ程に、余りに微弱な量が混入していたのである。

 

 このシエル村の飲料水は、全てこの井戸が繋がる浄水施設で賄われている。

 食事や入浴。その他様々な事に使われる水が汚染されていた。その事実が齎すのは、正しく最悪の展開だろう。

 

 急がないといけない。もう遅いのだとしても、急いでこの血を除かなければならない。

 地下の浄水設備へ向かおうと、トーマはその場に立ち上がる。場所が分からぬから、キリエにも手を貸して貰おうと――

 

 そんな彼の判断は、余りに遅きに失していた。

 

 

「……遅かった、か」

 

 

 ガチャリと音を立てて、民家の扉が開いていく。其処に居るのは、守られていた非戦闘員。

 老いた者。負傷兵。か弱い女。幼き子供。次々と姿を現す彼らの瞳は、赤く黒く濁っている。それはあの日に見た、人形兵団と同じ色。

 

 ベルゼバブ。それは魔群に操られ、命を握られた人形達。此処にあるのは人形劇。悪趣味な女が作り上げる、人形だらけの恐怖劇(グランギニョル)

 

 

「何、これ。エルトリアの人達が、どうして」

 

「……ベルゼバブ。奴に喰われたんだ」

 

 

 事態の中心地、地下浄水施設。其処へ向かおうとする者が現れた時、その道を阻む為に動く罠。

 最初から仕込まれていた。既に罠に掛かっていた。その事実を未だ混乱しているキリエに分からせる為に、トーマは最悪の事実を叫び上げた。

 

 

「此処に居る全員が、魔群クアットロの細胞だっ!!」

 

 

 悪辣な魔群が残した罠が牙を剥く。一体何時から仕込まれていたか分からずともに、分かる事は唯一つ。

 シエル村の住人は、皆須らく魔群に飲まれた。守るべき者達は皆、ベルゼバブになっていた。故にこそ――彼らは、もう救えない。

 

 

 

 

 




エルトリアの地名などは、WAシリーズから拝借。
フローリアン姉妹ってどのラベルだったか忘れたけど、ワイルドアームズに出て来るキャラだった気がするし別に良いよねッ!(阿片スパー)


そんな訳で、死亡フラグ乱立させてる不死身のクアットロさんが行動開始。
トーマ&キリエVS操られた人々&クアットロと言う、ろくでもない舞台が幕を開けます。




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