リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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前半は姉妹回。後半はサブタイ通り、ヤンホモ回。
いよいよ反天使との決戦間近。次回は大一番となるでしょう。

推奨BGM
1.ROMANCERS' NEO(魔法少女リリカルなのは)
2.Jubilus(Dies irae)


神産み編第四話 暗闇に灯る炎

1.

 寝台に眠る母の姿。規則正しく聞こえる呼吸に、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 同時に感じる想いはシコリの如く、胸に留まり拭えぬ泥。

 その恨みが的外れだったなどと、今更分かってしかし飲み干せないでいた。

 

 

「母さんを苦しめていたのは、罪悪の王じゃなかった」

 

 

 治療設備を以ってしても分からなかった原因不明の昏睡に、それが医療に従事する者らの下した判断。

 トーマの死想清浄の力によって浄化された今、エレノアは何時目覚めてもおかしくない。それ程に回復した容体が、その事実を確かに示している。

 

 彼女がこの二ヶ月、眼を覚まさなかったのはベルゼバブの毒が原因だった。

 魔刃襲撃の直後、その時点で既に潜んでいた魔群の毒。それが意識を奪っていたのだ。

 

 今、エレノアが眠り続ける理由は一つ。先の消耗が故である。だからこそ、傷が癒えれば意識を取り戻すであろう。

 魔群の毒は既に消え失せた。もう彼女を苦しめるモノはない。死想清浄・諧謔によって、エレノア・フローリアンは確かに救われていた。

 

 それは、あの少年を恨み憎む理由が一つ消えた事を意味している。

 

 

「父さんは、脅されたからって想いを変える人じゃない。ならきっと、力を貸しても良いって思ったんだ」

 

 

 あの日、彼女が彼に強さと優しさと言う一面を見た時、彼女の父もまた何かを見ていたのだろう。

 だから、彼は手を貸すと決めた。その知識を託すと決めた。貸しても良い理由があった。託すに足りる理由があったのだ。

 

 自分を殺した相手を、それでも協力して良いと認める。己の命を奪った手を、奪われた命が握り返したのだ。

 それはある種の許しと言えよう。己に対する行為を、被害者自ら認めたのだ。ならば被害者の家族とは言え、今更少女らに何かを言う権利があるのか。

 

 また一つ、憎む理由が消えてしまう。恨む理由が消えていき、嚥下し切れぬ汚泥が胸に溜まっていく。

 

 

「私は、どうすれば良いんでしょう」

 

 

 燃える様な怒りは消えていない。こびり付くような憎悪は残っている。それでも、正当性が其処にない。

 奪われた者が許しているのだ。死者は復讐を望まないとはよく言うが、本当の意味で望んでいなかったなどと誰が思おう。

 

 此処に至って尚、あの少年を許せないと語る理由。それは所詮、己の感情でしかない。全て自己と利己の事由に過ぎない。

 己の感情だけで、騒ぎ立てる事など出来ない。確かな理由もなく感情だけで憎悪に身を焦がすなど、そんな浅い真似をしてはならない。

 

 アミタと言う女はそういう女だ。彼女を取り囲む全ての物は、一時の自己満足と引き換えにして良い程に軽いモノでは断じてないのだ。

 だが、それは全て理屈の話。感情の籠らぬ冷徹な思考だ。どれ程に頭で無駄だと分かっても、してはならないと思っても、心が其処に付いて来ない。

 

 理屈だけで、感情の全てを抑えられる筈がない。それでも感情だけで、理屈の全てを無視して良い道理がないのだ。故にアミタは迷っている。

 

 この感情は閉じた輪だ。この思考は堂々巡りを繰り返す。ならば成程、これは無価値だ。

 何処にも行けず、何の役にも立てず、唯々思考するだけでは価値がない。そんな想いに意味はないのだ。

 

 無価値にしたくはない。無意味だなんて認められない。このままで良い理由はない。

 それでも、一人では答えが出せそうになかった。だから少女は、思考を伸ばす。この感情の核となる人を想った。

 

 

「お父さん。……貴方は今、何を想うの?」

 

 

 グランツ・フローリアンの想いを知れば、この感情にも或いは答えが出せるであろうか。

 彼が一体何を伝えたかったのか。その事実を知ったとすれば、もう迷わずに進めるのだろうか。

 

 知りたい。知りたい。どうしても、その想いが知りたい。そんな感情が胸の内に溢れて来る。

 彼は語った。罪悪の王は確かに告げた。カ・ディンギルに行けば、グランツ・フローリアンに逢えるのだと。

 

 だからこそ、アミティエは其処へ行きたいのだと願って――それでも行けないのだと、知っていた。

 

 

「トーマさん達は、夜明けと共に出発する」

 

 

 エクリプスウイルスの影響で、トーマの自己治癒能力は高い。夜明けまでには、その体は完治しよう。

 傷が治り次第、トーマは反抗を始めると語った。このまま守るだけではジリ貧だからと、此処で攻勢に出ると決めたのだ。

 

 目指すは一路、エリオが告げたカ・ディンギル。中央塔に巣食った三柱の反天使を、此処に討ち取る事を宣言した。

 エリオは強い。クアットロは恐らく未だ生きている。アストだって侮れない。それでも己が全てを倒すと、彼は確かに宣言したのだ。

 

 その言葉には自信があった。確かな想いがあった。そしてそれを現実にし兼ねない、そんな力も手に入れている。

 死想清浄・諧謔。その力はクアットロに対する天敵で、エリオの軍勢に対しても有効だ。ならばこそ、勝機は確かに此処にある。

 

 それでも、三柱全てを相手取るなら、勝利の可能性は蜘蛛の糸。那由他の彼方にある奇跡と同じ領域だ。

 故にこそ、同行するなら力が居る。最低限、足手纏いにならない程度。出来るのならば、アストかクアットロの足止めが出来る程度に。

 

 その役割を、アミティエ・フローリアンでは果たせない。彼女は己の両手を見詰めて、その事実に息を吐く。

 添木を当てて、包帯を巻かれた右の腕。半ばから切断されて、断面が見えている左の手。この有り様で、足手纏いにならぬとどうして言えよう。

 

 

「物資が足りない。時間が足りない。私の傷は、治らない」

 

 

 時間も物資も足りていない。壊れた機械の修理が出来れば、ギアーズが彼女達だけになる事なんてなかった。

 夜明けまでの僅かな時間と、シエル村に残った僅かな資材。それで出来る事など精々、右か左かどちらかの腕の復元くらいだ。

 

 そして、そんな時間を掛けるくらいなら、そんな資材を使うくらいなら、損傷の軽いキリエを向かわせた方が良い。そんな事は、考えるまでもなく分かる事だ。

 知りたい。知りたい。どうしても知りたい。溢れ出すこの感情に身を任せて、道理に合わぬ事をする。その愚かさを分かっている。自分の都合で周囲を巻き込むなんて、アミタに出来る事じゃない。

 

 

「私でも、キリエでも、どちらでも良い。ならきっと、お姉ちゃんは我慢するべきなんでしょう」

 

 

 どの道、二人は連れていけない。もし万が一が起きた時の為、指示を出せる人間は必要なのだ。

 アミタかキリエか、どちらかはシエルシェルターに残る必要がある。ならばどちらが残るべきなのか、そんなのは自明の道理であろう。

 

 己は姉だ。お姉ちゃんなのだ。だからどんなに知りたくとも、歯を噛み締めて我慢しよう。

 知りたいと願うのは、多分自分だけではない筈だ。だから姉は我慢して、キリエの報告を聞くのを待とう。

 

 そう決めて、それでも抑えられない想いはあって、だけどアミタは我慢する。

 己の我儘に蓋をして、せめて笑顔で見送ろうと心に決めて――そんな彼女の頭に向かって、何かが投げ付けられて来た。

 

 

「痛っ!?」

 

 

 感じる痛みに思わず叫んで、病室内に甲高い音を立てて投げられた物が落ちる。

 床に転がったのは、赤い色のヴァリアント・ザッパー。人の頭に金属を投げ付けるとは一体何を考えているのか、アミタは頭を抑えて下手人に文句を口にした。

 

 

「ちょっと、どういう心算ですかッ! お姉ちゃんも怒りますよッ! キリエッ!!」

 

「べっつに~。……アミタがウジウジしてる癖に、一人で妙な結論付けてるみたいだったから」

 

 

 目尻に涙を浮かべて振り返るアミタに、病室の扉に凭れ掛かったキリエが返す。

 桜花の少女が語る言葉を、アミタは一瞬理解が出来なかった。キョトンとした表情を浮かべ、それから数秒程して理解する。

 

 一体誰の為を想ってか、理解した瞬間に頭が沸騰するかと思った。

 そんな感情を顔に出さずに隠し通して、アミタは首を左右に振ると抗弁した。

 

 

「……妙な結論って、私は――キリエやトーマさん達の為に」

 

「それが変って言ってんの」

 

 

 頭を振って、説明する為に口を開く。そんなアミタの第一声を、キリエは一刀にて切り伏せる。

 またもポカンとしたアミタに向かって、何処か怒った様な表情を浮かべて、キリエは想いを語るのだ。

 

 

「だってさ、アミタ。聞いてないじゃん。言ってないでしょ?」

 

 

 貴方達の為にと、その言葉は嗚呼確かに素晴らしい物だろう。誰かを想って、其処に卑俗な感情などはない。

 天狗道の言葉とは違う。貴女の為にと口にしながら、その実貴女を想う素晴らしい自分の為に。そんな利己はアミタにない。

 

 それでも、彼女の結論は独り善がりだ。キリエは不貞腐れる様に顔を顰めて、その陥穽を指摘する。

 これが相手にとって一番良い。この方が誰かにとって一番良い。その思い遣りは確かに素晴らしいが、彼女はその相手を見ていないのだ。

 

 

「どうしたいのか。何をしたいのか。言ってくれないと、分からないし伝わらない。誰にも何も言わないまんま、自分勝手に色々背負い込まれても、正直だから何って話? それに、さ。……言ってくれれば、何とか出来るかもしれないでしょ?」

 

 

 誰かの為にと、自分の想いを押し殺す。そんな彼女を愛する誰かにとって、その背負い込みは不快であるのだ。

 頼んでないのに苦しんで、大切な人が我慢している横で楽しめるとでも思っているのか。己を軽んじるのも、いい加減にしろ。キリエの怒りは、詰まりはそれだ。

 

 勝手に決める前に、先ず最初に相談しろ。こうしたいのだと想いを告げて、それからどうすべきか考えよう。たった二人の姉妹だろうに。それがキリエの主張である。

 

 

「ですけど、私は――」

 

 

 それでも、そう簡単に頷けないのは姉の意地と言う物だろう。頼れと言われて直ぐに頼れる。そんな柔らかい頭をしていない。

 ましてや、それが一番良い解決策でないと知っているなら。どちらかが我慢しないといけないと分かっているなら。アミタは素直に頷けない。

 

 頼れと、そう語るキリエの言葉は姉の為に。任せろと、抱えるアミタの想いは妹の為に。

 互いに互いを思えばこそ、擦れ違っているこの現状。キリエは面倒そうに頭を掻くと、愚痴る様に呟いた。

 

 

「あ~、ほんっとメンドクサイお姉ちゃんよね。……けど、ま。私ってばお姉ちゃん想いの孝行妹だし、言い辛い意見も汲んであげようじゃない」

 

 

 息を吸って、大きく吐く。そうして想いを定めると、キリエはニヤリと笑みを浮かべた。

 この姉が頑固者だと知っている。それでもこの姉は、押しに弱いと知っている。故に選ぶは、押して押して押し潰す唯一手。

 

 

「ちょ!? キリエ!?」

 

 

 笑みを浮かべたキリエはまるで子猫の様に、軽く前に跳ぶと椅子に座ったアミタに飛びついた。

 相手の両手が使えぬ事を良い事に、笑みを浮かべたキリエは抱き着いて懐を探る。くすぐりながらに目的の物を見付け出すと、笑みを深めて飛び退いた。

 

 

「お宝いっただきぃ! この青いヴァリアント・ザッパーは貰っていくわねッ! 代わりと言っては何ですが、赤い方はサービスよん」

 

 

 顔を赤くして、荒い呼吸を整えるアミタ。そんな彼女に向かってキリエは、奪い取った青いデバイスを片手に告げる。

 キリエが指差す先、床に転がっているのは赤いデバイス。互いの為にチューンされた互いの武器を、此処にキリエは入れ替えたのだ。

 

 理由は一つ。妹想いで頑固な姉に、姉想いな妹からの贈り物。知りたいと願うアミタの願いを、叶える為に想いを託す。

 

 

「キリエの想いが籠ったキリエの武器よ。それと一緒に行くんなら、私が一緒に行くのときっと気持ちは一緒だもん。……だから、お姉ちゃんが見届けて来て」

 

 

 何かと理由を付けて、我慢ばかりしている姉の背中を押す。想いを武器と託すから、共に見て来てと此処に伝える。

 キリエに不満はない。彼女も知りたいと、そんな願いは確かにある。英雄と共に居たいのだと、そんな想いは確かにある。それでも、キリエ・フローリアンに不満はない。

 

 だって彼女は信じているのだ。心の底から信じていて、だからこれで良い――これが良いのだと決めていた。

 

 

「私の英雄(ヒーロー)の活躍を。私達の博士(パパ)が遺した想いを。抱いた想いの決着を。ちゃんとアミタが見詰めて来て」

 

「……それで、キリエは良いんですか?」

 

「うん。それがアミタが出した答えなら、キリエもそれで良い。ううん。私は今まで一杯貰ったから、だから(キリエ)はそれが良い」

 

 

 キリエはトーマを信じている。きっと彼なら大丈夫。必ず勝ってみせるであろう。

 キリエはグランツを信じている。彼が遺した想いはきっと、自分達に必要な物であるだろう。

 そしてキリエは、何よりアミタを信じている。全てを託して任せられるだけには、己の家族を信じていたのだ。

 

 だから彼女は笑って見送る。いってらっしゃいと言う言葉と共に、笑って見送る事が出来る。

 妹が何時の間にか手に入れていた、そんな強さに目を細める。そうしてアミタは、長い長い息を吐いた。

 

 

「お姉ちゃん、失格ですね」

 

「そう? 色々抜けてる所はあるけど、割と良いお姉ちゃんだと思うわよ?」

 

「其処で手放しに誉めない所が、キリエらしいと言うか何と言うか」

 

 

 妹を導く立場にありながら、妹に導かれている。そんな自分の現状に、自嘲交じりに言葉を愚痴る。

 そんなアミタを前にして、叶わぬ想いだろうと恋を知った少女は強いのだと、笑いながらにキリエは告げる。

 

 

「偶には、甘えちゃえば良いのよッ」

 

「……そうですね。偶には、キリエに甘えてみます」

 

 

 無理に背負わず、甘えて良いと語る妹。そんな彼女の笑顔に笑顔を返して、アミタも此処に心を定める。

 知りたい。知りたい。どうしても知りたい。湧き上がるこの想いを我慢しなくて良いと肯定されたから、もう彼女は我慢をしない。

 

 

「ちゃんと、見て来ます。キリエが信じた英雄を」

 

 

 此の想いに報いる術は、善意を拒絶し続ける事では断じてない。

 ありがとうと想いを返し、託された物を背負って進む。望まれた様に在る事こそ、彼女が返せる最大の感謝だ。

 

 

「ちゃんと、聞いて来ます。私達の父さんが遺した想いを」

 

 

 だから、此処に約束する。彼女が見たい筈の英雄の活躍。彼女が知りたい筈の遺された想い。その全てとしっかりと向き合って、必ず答えを出して戻ると。

 

 

「ちゃんと、答えを出します。自分の心と、キリエの心。二人で納得できる想いの答えを」

 

 

 トーマと共に、リリィと共に、アミタが彼の地に向かうのだ。

 そうしたいから、そうして良いと言われたから、彼女はそうすると決めた。

 

 そうと決めたアミタに向かって、それで良いのだとキリエは笑みを見せるのだった。

 

 

「だから、その為にも。先ずは傷を、出来る限り治さないといけませんね」

 

「夜鍋して付き合ってあげるからッ! 出来た妹に感謝しなさいなッ!」

 

「……ええ、本当に――ありがとう。キリエ」

 

 

 明日の朝まで、どれ程時間があるだろう。この僅かな時に、一体どれ程の事が出来るだろう。

 一人では大した事が出来ずとも、二人でなら少しはマシになるだろう。アミタとキリエは、肩を並べて場を移す。

 

 夜が更けて、明けるまで。共に過ごす少女達の間に、会話が尽きる事はなかった。

 

 

 

 

 

 明けて翌日。シエルシェルターの大型搬入エレベーターを前に、彼らはその時を待っていた。

 長袖の黒いシャツに青いジーンズ。首には白いマフラーを、風に靡かせながらに立つのはトーマ。

 

 その傍らに寄り添うは、白いブラウスに青いスカートの少女。

 リリィ・シュトロゼックは彼に寄り添いながらも、何処か不機嫌そうに膨れていた。

 

 

「あのー。リリィさん。何か不機嫌そうなんですが」

 

 

 昨夜からなぜか、不機嫌そうな顔を変えないリリィに恐る恐るとトーマが声を掛ける。

 時間が経てばマシになるだろうと、そんな甘い見込みはご破算。しかし流石に決戦を間近にして、この態度は如何な物か。

 

 もう余り時間がないからこそ腹を括って、それでも恐る恐ると探るような言葉。

 そんな妙なヘタレさを師から受け継いでいる少年に、膨れっ面を見せる少女は振り向くと不満を口にした。

 

 

「……フリンは、ダメなんだよ」

 

「不倫って……、一体何を言ってるのさ」

 

「エリオだけじゃなくて、キリエまで。ほんっとトーマは、フリンは絶対駄目なんだからねっ!」

 

「ちょっと待て、何だその風評被害っ!? 特にエリオは含めるなっ!?」

 

「ふーんだ」

 

 

 昨日の魔群撃退から、どうにもトーマに距離が近付いたキリエの姿。それがリリィは気に喰わないのだ。

 

 エリオだけではなくキリエにまで粉を掛けるかと、言われたトーマも堪らない。

 百歩譲って、妙にボディタッチが増えた桃髪少女に鼻の下を伸ばしていた事は認めよう。だがしかし、同性愛だけはないのである。

 

 どうにか宥めすかして説得しようと、トーマは様々な言葉を重ねる。対するリリィの反応は、どうにも素っ気ない物ばかり。

 しかし、その頬は何処か緩んでいる。それを見せない様にそっぽを向いたリリィの顔を、見えないトーマは必死に頭を下げて釈明を続ける。

 

 構って貰ってる。必死になって釈明する程、大切に想われている。それだけで満足しているが、安い女とは思われたくはないのだ。

 そんなリリィは、故に口を閉ざしたまま。それをよっぽど怒られているのだろうと誤解して、トーマが土下座を視野に入れ始めた時に。

 

 大きなエンジン音を立てて、彼女が此処に到着した。

 

 

「皆さん。お待たせしました」

 

 

 身を包むのは桜の衣装。レッドフレームを身に纏い、鉄の騎馬に跨っている。

 黒き鋼鉄の身体を持つ騎馬は、エルトリア製の自動二輪車。大型のバイクの横には、二人乗りのサイドカーが備え付けられている。

 

 犬も食わない類の喧嘩をしていた事すら忘れて、二人揃ってその威容に目を丸くする。

 男心を擽る様な大きなメカニックを前にして、トーマは何処か興奮する様にこれは何かと問い掛けた。

 

 

「アミタ? これは」

 

「TWシリーズが一つ、ジャベリン。陸海空に宇宙も含めて、あらゆる場所を走破可能な大型バイクです」

 

 

 蒼の騎士が乗騎とされた大型バイク。未来技術の粋を尽くしたこの絡繰りは、単独での大気圏突破すらも可能とする。

 乗り手の意志に反応し、機能を拡張する特殊な機構。シエルシェルターに残った移動手段の中では、最も戦闘に長けた物。

 

 立ち向かうのは、たった三人。ならばこのバイクで十分だろう。いいや、これこそが良い筈だ。

 そうと判断して、此処に来た。そんなアミタが指差し示して、トーマとリリィは一つ頷いてからサイドカーへと乗り込んだ。

 

 

「さあ、行きましょう。皆さん。……反天使との戦いを此処で、全て終わらせる為に」

 

 

 二人が乗り込んだ事を確認すると、アミタは慣れたハンドル捌きでバイクを動かす。グリップを握る()()()は、姉妹が築いた確かな絆だ。

 鉄扉の奥、エレベーターの中へと進み停車する。彼女達が乗り込んだのと同じくして、その背の扉は静かに閉まった。

 

 

「ああ、行こう」

 

 

 大きな機械音を耳にして、浮き上がる様な浮遊感を身体に感じて、トーマは静かに前を見る。

 振り向いた先、傍らに寄り添う少女は頷く。運転席に跨る赤毛の女も同じく、決意を以って頷いた。

 

 

「目指すは一路――中央塔カ・ディンギルっ!!」

 

 

 鋼鉄の扉がゆっくりと開いていく、その先に広がるのは乾いた風が吹く荒野。

 目指すは中央。この惑星の中心地。そうと言葉に定めると、跨る騎馬に火を入れる。

 

 轟音と共に走り出したジャベリンに乗って、彼らは決戦の地へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

2.

 時は僅か遡り、中央塔カ・ディンギル。その中枢区画と言える最上階で、女は一人荒れていた。

 身体が痛い。身体が痛い。焼ける様に溶ける様に身体が痛い。分体を浄化された彼女は、これまで感じた事がない程の痛みに悶え苦しんでいた。

 

 

「アイツ。アイツアイツアイツアイツ、よくもォォォォォッ!!」

 

 

 魔群クアットロは生きている。この女は健在だ。身の安全の保証がなければ、この女が我が身を囮とする筈がない。

 分体とは感覚を共有していただけ。いざとなれば即座に接続を解除して、エリキシルを唯の血液に戻す事など何時でも出来たのである。

 

 無限数と言う数を誇れど、女の自我は一つしかない。自分が複数あれば、自己矛盾が発生する。それを防ぐ為に、意図して一つに抑えている。

 そんな彼女にとって、先の攻防は最初から結果が決まった物だった。もし万が一逆転されたとしても、分体を崩して奈落経由で自我を退避させればそれで十分な筈だった。

 

 傷付く筈がない。痛みを感じる筈がない。敗北し消滅する要因などありはしない。

 だと言うのに、今のクアットロは傷付いている。その身は感じる筈のない痛みに苦しんでいる。それは受けた浄化の力の、性質が故の事であった。

 

 実体がないモノであれ、それが甦る死者なら浄化できる。そんな蒼き浄化の風を、たった一つしかない主観で受けたのだ。己の自我を直接浄化されたのだ。

 最早傷は残っていない。傷付いた場所を切り落としても、それでも残っているのは幻肢痛。今現在もあの風に晒されている様だと、そんな痛みに女は形相を険しくする。

 

 皮膚が焼け落ちる様な、鏝で臓腑を焼かれる様な、意識が散漫になる程の痛み。

 そんな苦痛に耐えられず、そんな苦痛を与えた少年に向かって、クアットロは罵詈雑言の恨み言を口にし続ける。

 

 

「腸を引き裂くだけじゃ足りない。惚れた女を凌辱するだけでも足りない。もっともっともっともっと、思い知らせる為にもっと」

 

 

 憎悪の言葉を吐きながら、しかし何処か冷静な思考が警鐘を立てる。

 如何に恨みを晴らすか苦痛に足掻いて叫びながらに、だが同時にそんな博打をするなと理性が叫ぶ。

 

 痛みを感じた。想定外の逆撃を受けた。其処から生き延びた事は、この女の最も恐ろしい一面を再び動かすに十分過ぎる事象だ。

 小物である事。小心である事。絶対的な窮地に対して、決して挑もうとしない事。そんな臆病さを此処に、クアットロは取り戻していた。

 

 なればこそ恨みを口にしながら、同時に逃げる手段を模索する。アレが向かって来るだろうと、そう思えばこそ妥協はしない。

 逃げるならば何処が良い。逃げる為には何を使おう。もしも万が一こんな時はどうしよう。そんな無数の疑問に対し、万全の用意を整えておくのがこの女。

 

 エルトリアに来た時点で、エルトリアから戻る為の転送装置は用意していた。逃げるだけなら何時でも出来る。

 カ・ディンギルを抑えた際に、エルトリアの技術力で作られた次元航行船も見付けている。いざとなれば、それを使うのも良いだろう。

 

 故に最早逃走は確定事項。あんな最悪の相性を前に、挑むなどは言語道断論外だ。

 だが唯逃げるだけでは駄目だろう。それでは鬱憤が晴らせない。だから、ああそうだそれが良い。

 

 

「きーめたっ! カ・ディンギル。壊しちゃおぉぉぉぉ」

 

 

 エルトリアを支える要石。此処が消えれば、この惑星が全て消え去る。全てが虚無に飲まれて消えるのだ。

 壊すのは簡単だ。この建物は既に魔群が抑えたのだ。ならばこそ、何時でもこれは軽く壊せる。だから此処に壊してしまおう。

 

 そうすれば、嗚呼、奴らはどんな顔をするだろうか。逃げ場もない虚無に飲まれて、今の自分以上に苦しみ悶えて死ぬのだろう。

 故に魔群は邪笑を浮かべる。父より教わった類稀なるハッキング技術を駆使して、カ・ディンギルに毒を仕込む。

 

 コワレロ。コワレロ。コワレロ。コワレロ。無数の呪詛を紡ぎながらに、自壊プログラムを組み上げて――扉が開いた。

 

 

「クアットロ。君に伝える事がある」

 

 

 その先に居たのは、赤毛の少年。目の下に濃い隈を刻んだ、目付きの悪い一人の槍騎士。

 たった一人で近付いて来るエリオの姿に、一体何の用なのかとクアットロはその手を止める。

 

 

「エリオ? 今忙しいのよ。だから、後に――」

 

「気にする事はないよ。直ぐに終わる」

 

 

 今は忙しいのだ。だからお前で遊んでいる暇はないのだと。

 そんなクアットロの言葉を途中で遮って、直ぐに終わるとエリオは嗤った。

 

 一体何なのか。一体どういう心算なのか。クアットロは不快を抱く。

 それでもそれ以上の思考が出来なかったのは、痛みによって鈍っていたからか。

 

 彼女は其処に、致命的な見落としをしていた。その見落としに気付けずに、それでも女の本能が此処に警鐘を立て始めていた。

 

 

「伝えるべきは、唯の一つ。たった一つの言葉だからさ」

 

 

 何かがおかしい。何がおかしい。この疑問は何故か、無視してはいけない様に感じている。

 何がおかしいのか。何がズレているのか。痛みに鈍り憎悪に歪んだ思考を如何にか動かして、直前にその事実に気付けた。

 

 

(赤、毛? ……アギトちゃんが、いない!?)

 

 

 今のエリオ・モンディアルは、アギトが居なくば命を繋げない。だからこその常時ユニゾン。

 だと言うのに、彼は今ユニゾンをしていない。そうだと言うのに、当たり前の様に生きている。

 

 其処に何かがあるのだと、気付いた時にはもう遅い。エリオは既に、弾ける様に駆け出していた。

 足に雷光を纏って、光の如き速度で接近する。思考に沈んでいたクアットロが気付いた時には、その顔を掴む様に五指を開いた掌が近付いていて――其処に、黒い炎が灯っていた。

 

 

「もう、お前は死んで良い――無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)

 

 

 クアットロの頭部を掴んだ右手から、腐った炎が燃え上がる。

 黒く黒く黒く黒く、全てを無価値に穢し貶める炎が燃え上がり、クアットロの全てを焼いた。

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァァァァァァァァァァァァァァっ!?」

 

 

 腐る。腐る。腐る。腐る。腐食しながら燃え続ける炎は延焼し、侵食しながら拡大する。

 この炎は、不死と言う概念すらも焼き尽くす物。繋がる部位を介して、何処までも対象を追い続ける力。

 

 早く切り落とさなくては、次元世界中に満ちた蟲の全てが腐滅する。

 如何にか傷口を取り除かなくては、このまま全てが炎に飲まれて消滅する。

 

 そうと分かっているのに、激痛と苦悶と恐怖と困惑に満たされた自我が動けない。

 早く早く早く早く、生きる為には逃げなくては。そうと思っているのに、何故なのだと言う思考に邪魔される。

 

 そうして、僅か数秒――エルトリアを崩壊させんとした魔群は、無価値の炎に堕とされた。

 

 

「ではな、塵芥。此処から逃げ延びる算段があるかどうかは知らないが、正直もうどうでも良い」

 

 

 二百二十万の軍勢から、特定事象のみに干渉する歪みを引き出し混ぜた。そんな今の無価値の炎は、クアットロだけを焼き尽したのだ。

 次元世界に満ちていた全て。魔群の奈落さえも焼き尽くして、それでもあの生き汚い奴ならば生きているかも知れない。エリオの知らない生存法があるかもしれない。

 

 だが、そんな事はもうどうでも良い。アレは此処で理解した筈だ。もう二度と、エリオ・モンディアルには抗えないと。

 

 

「一秒後には忘れてやるから、何も遺せず腐滅しろ」

 

 

 ならば、魔群は取るに足りない塵芥。記憶しておく価値すらない。

 クアットロが操作していた端末を槍で切り付け破壊すると、エリオは白いコートを翻す。

 

 目指すべき場所は一つ。愛しい家族が囚われた、あの扉の向こうへと。

 

 

〈しかし、お前もイカレているなぁ。相棒〉

 

「何がだ。ナハト」

 

 

 彼女の下へと向かう途中に、内なる夢より悪魔が湧き出す。蘇った悪魔はナハト。無価値を意味する失楽園の悪魔である。

 エリオが為した事は単純だ。己を形成する二百二十万の魂。その意識で夢の世界を紡ぎ上げ、其処に悪魔を呼び出したのだ。

 

 夢界の支配者と化した彼と、其処に生まれた悪魔の関係は嘗てとは違うだろう。

 命綱を握る側が入れ替わる。明確な自己を手に入れたエリオはもう、一人で生きていけるから。

 

 だが、だからこそ、ナハトは嗤う。己を取り戻した事は、不要なリスクだと告げる。狂気の沙汰だと嗤うのだ。

 

 

〈折角俺から逃れられたと言うのに、また奈落から呼び出すとは。他に手段がなかったのかもしれんがね。これをイカレていると言わずに、一体何と言う?〉

 

「何だ。そんな事か」

 

 

 甦れば必ず、宿主を憑り殺す。この怪物に感謝の念は欠片もなく、当然殊勝な思考もない。

 決して繋げぬ反逆者。かく在れと望まれ、かく在るだけの無価値の悪魔。ナハト=ベリアルがそうであると、エリオは既に知っている。

 

 だからこそ、彼はそんな事かと鼻で笑った。そうとも、反逆は最初から想定内。そんなナハトだからこそ、エリオは此処に取り戻したのだ。

 

 

「覚悟の上だ。ナハト=ベリアル。それにな。僕が目指す新世界に、お前と言う悪性は必要だ」

 

〈ふむ。その心は?〉

 

「何、単純な話さ。神とは、その世界で誰よりも模範とならねばならない存在だ。僕が目指した自己超克。その世界で誰よりも、僕は努力を続けなければならない。そうでなくば、一体誰が共感してくれると言う」

 

 

 想いを流れ出させる神は、誰よりもその想いに真摯でなければならない。そうでなければ嘘であろう。

 それがエリオの思考であって、だが何時までもそう願い続けられる保証がない。折れる心算など欠片もないが、人は確かに変わる者。自己を過信したままに、対策一つ取らぬは愚の骨頂。

 

 

「それでも、人は弱いと知った。疲弊し摩耗し、心は変わると知っている。ならばそう。外因が必要だ。そうとならない為に、内部に浄化機構が必要なんだ」

 

 

 必要なのは浄化の仕組み。己が決して鈍らぬ為に、反逆者を内に飼う。それがエリオの求めた理由。

 全てを台無しにする悪魔が居ればこそ、神には決して怠惰が許されない。鋼の意志で進む為に、安全装置としてナハトを求めた。

 

 

「お前はそれだよ。神に敵対する簒奪者(ナハト=ベリアル)。僕が鈍ったと思えば、一切合切全て灰にしろ。隙を晒したならば全てを奪え。そう言う切迫感があればこそ、僕が鈍る事はない」

 

〈成程、己の理想の為にか。確かにそれは理に適っているんだろうがね。しかし、やはりイカレていると――〉

 

「それとね。ナハト」

 

 

 それが理由の一つであって、しかし理由の全てでない。理由は合理一辺倒だけではない。

 狂念を否定し嘲笑しようとしたナハトに向かって、エリオは呟く様にその想いを零すのだった。

 

 

「君がいないと、少し寂しい」

 

 

 ずっとずっと、泥の底から一緒に居た。其処に愛はないと知っても、其処に自己がないとしても、ずっと傍に居た唯一つ。

 失ってから、感じたのは寂しさだ。解放の事実に歓喜はなく、相手が己を塵の様に扱ったとて関係ない。感じた想いは、揺るがぬ事実だ。

 

 エリオは寂しかった。悲しかったのだ。だから、理由を付けて彼を呼び戻した。

 態々夢界を形成し、己の内に悪魔を作った。その本当の理由は、そんな子供の駄々でしかない。

 

 

〈…………〉

 

 

 そんな彼の感情に、思わず悪魔も呆気に取られる。何を言われているのか分からずに、僅か思考が停止した。

 だが、それも一瞬。言われた言葉と想いの意味を理解すると、ナハト=ベリアルは堪え切れないとばかりに嗤い始めるのだった。

 

 

〈クククッ、クハハッ、ハハハッ、アーッハハハハハハハハッ!!〉

 

「そんなに嗤うな」

 

〈無理を言うなよ。これを嗤わずに、何を嗤えと言うんだ気狂い野郎(ソドミー)。腹が捩れる。引き裂けそうだ。不死身の悪魔がこれで死んだら、一体どうしてくれると言う!?〉

 

「……お前を呼び戻した事、正直今、凄く後悔してるよ」

 

〈おいおい、クーリングオフはナシだぞ? もう後悔しても遅い。ずっと付き纏ってやる。奪ってやるさ。愛してやるよ。理想に最も近付いた日に、お前の世界を台無しにしてやろう〉

 

 

 誰でもない悪魔は嗤う。他の誰でもない、悪魔が感じた歓喜に嗤う。

 嗚呼、これが一時の夢であろうと構いはしない。己の全てを以ってして、求められた様に彼を愛そう。

 

 そうとも、悪魔の愛は歪んでいる。腐った臭いがするその情で、お前の全てを穢し貶める。その日が訪れる時までは――

 

 

〈仰せのままにさ。俺の相棒(マインマイマスター)。俺はお前の為の悪魔となろう〉

 

 

 新たな神よ。ナハト=ベリアルは、お前の忠実な配下であろう。理想郷に至るまで、お前を助け続けよう。

 この全てを以ってして、お前が望んだ様に神座を捧げよう。そしてその最期、与えられた愛を破滅と言う形で返すとしよう。

 

 誰でもない悪魔は此処に、誰でもない己自身に誓いを立てた。

 そんなナハトを内に抱えて、エリオ・モンディアルは更に奥へと進んでいく。

 

 その途中、扉へと辿り着く直前。エリオは其処にそれを見付ける。

 女の臭いがこびり付いた小さな子供。白濁する液体に穢された、嘗て憎んだ男の残骸を。

 

 

「スカリエッティの残骸、か」

 

「わた、ぼ、くは、すすすかりえ――」

 

 

 目を向けられて、声を掛けられて、壊れた人形の如くに言葉を漏らす。

 繰り手が既にいない以上、これは最早中身の欠けた残骸だ。故にこそ、エリオは静かに槍を取り。

 

 

「哀れんでやる故もない。だから、もう死んでおけ」

 

 

 一閃。一息の内に首を落とす。そうして転がる頭部を踏み付け、柘榴の如くに踏み潰した。

 同時に力を行使して、その知識だけを奪い取る。最早用済みとなった残骸に振り返る事はなく、更に奥へと歩を進めた。

 

 そうして、彼は漸く辿り着く。鎖に閉じられた扉の前へ、エリオは漸く辿り着いた。

 ストラーダを手に握る。ふうと息を吐き、眼を見開いて振り下ろす。扉を閉ざす錠前は、抵抗すら出来ずに弾けて飛んだ。

 

 左の手で、扉を強く押す。勢い良く開かれた鉄の扉。その先には、座り込んだ一人の少女。

 食事も水も最小限。生きていける分しか与えられてはいなかった。そんな窶れた少女の下へと、エリオはゆっくりと近付いていく。

 

 そうして、その傍らに膝を付く。折れそうな程に儚い身体を、彼は優しく抱き上げた。

 

 

「イクス」

 

「エリ、オ?」

 

「遅くなって御免ね。けど、助けに来たんだ」

 

 

 曖昧な思考。微睡む視界で、少年の姿を見上げるイクスヴェリア。

 抱き締めた愛しい命。抱擁すれば砕けてしまいそうな、そんな彼女にエリオは優しい笑みを返した。

 

 そうして、彼は一度目を閉じる。為すべき事は唯一つ。故に今は忠実なる悪魔に向かって、一つそれを命じるのだ。

 

 

「ナハト」

 

〈アイアイ〉

 

 

 軽い応えと共に、黒い炎がイクスを包む。全てを穢し貶める炎は、しかしイクスの身体を焼かない。

 燃やし尽くすのは、エリキシルの毒素のみ。クアットロが遺しただろう、全ての仕込みを此処に消し去る。

 

 念入りに、執拗に、何一つ残しはしないと。そうして炎が消えた後、微睡む彼女に優しく告げた。

 

 

「少し寝ていて。目が覚めた時には、君を傷付けるモノは何もない」

 

 

 此処に全て、決着を付けると改たに誓う。優しく撫でる手の熱に、微睡む少女は安らいだまま目を閉じた。

 

 

「生きて、幸せになってくれ。僕が君に願うのは、たったそれだけの事だから――」

 

 

 眠りに落ちるイクスヴェリアに、一つ想いを言葉と伝える。

 そうして彼女が眠った事を確認すると、エリオはその顔付きを厳しく変えた。

 

 

「手を貸せ、グランツ。失敗なんて許さない」

 

〈やれやれ、行き成りプレッシャーが大きい話だ。けれどまあ、頑張ってみようか〉

 

 

 ベルゼバブを焼いた以上は、イクスヴェリアの命は持たない。その身は緩やかに機能停止に向かっている。

 そんな事、エリオ・モンディアルは許さない。此処まで来て、そんな終わりなど認めない。だからこそ、グランツ・フローリアンを取り込んだのだ。

 

 彼の専攻は機械工学。イクスの治療とはズレてはいるが、それでもエルトリアの基礎技術力はミッドチルダの比ではない。

 そんなエルトリアでも最高峰の一人。ギアーズを介して、生体にもある程度の知識がある権威。スカリエッティの残骸から奪った記憶が其処に加われば、救えないと言う道理がない。

 

 

〈生体用の培養槽は……確かカ・ディンギルの地下にあったね〉

 

「なら、降りるよ」

 

 

 階段や屋内転移装置を探すのが手間だ。そう感じたエリオは、槍を地面に突き刺し穴を空ける。

 カ・ディンギル内の螺旋階段。その中枢空間に地下まで続く穴を空けて、エリオは最上階から飛び降りた。

 

 地下へ、下へ、底へ、其処へ――今度は誰かを救う為、底へ底へと堕ちていく。揺らぐ心など、最早ない。

 

 

 

 

 

 中央塔はカ・ディンギル。その中腹に位置する場所で、女は一人囚われていた。

 牢に囚われている訳ではない。鎖に繋がれている訳ではない。それでも女に自由はない。

 

 クアットロに軟禁されて、与えられた役割は彼女が面倒だと思う作業の代行。

 その為だけに生かされていた、使用済みの胎盤。紫髪の知的な女性、ウーノ=ディチャンノーヴェは声を聞いた。

 

 

「んしょ、んしょ」

 

 

 白痴と化したアストの世話役。それだけが残った役割だから、此処に来るのはアストかクアットロのどちらかだけ。

 そんなウーノが耳にしたのは、久しぶりに聞く少女の声。掌サイズの小さな少女が、その体積よりも大きなモノを抱えてやって来ていた。

 

 

「よっこらしょっと。ふぃ~、疲れた~」

 

 

 人の腰より低い場所を、低空飛行しながらやって来た少女。アギトは荷物を降ろすと、近くの床にペタンと座る。

 彼女が持って来たモノの内一つ。予想外のそれに目を丸くしながら、ウーノ=ディチャンノーヴェは烈火の剣精に問い掛けた。

 

 

「烈火の剣精? 何故、此処に」

 

「郵便と伝言。兄貴からさ」

 

 

 アギトが引き摺る様に持って来た大きな袋。その中に入れられたのは、とても小さな一人の少女。

 未だ眠り続けるアスタロスを抱き上げるウーノを見上げて、連れて来た少女は主の声真似をしながらに伝言を語るのだった。

 

 

「アスト。君は塵屑だ。だから興味も湧かないし、好意も抱かない。どうでも良いから、適当な所で勝手に幸せになれば良い。……だってさ」

 

 

 へへっと鼻の頭を擦って、笑うアギトには主の真意が分かっている。

 どうとでもなれと言いながら、この星で一番アストを大切に想っている女性に彼女を託す。其処に情がない筈ない。

 

 そうとも、ウーノ=ディチャンノーヴェは想っている。あの日からずっと、ヴィヴィオ=アスタロスを想っていた。

 

 

――いたそうだから、いたいの、とんでけって。

 

 

 あの時点では、己も教えられていなかった正体。あの時に感じた想いを向ける幼子は、或いは唯の演技であったのだろう。

 それでも、あの日に感じた温かさは嘘じゃない。胸に迫る想いを感じたのは事実で、だからこそウーノはヴィヴィオを想っていた。

 

 想っていて、何が出来たと言う訳ではない。文字通り胎を痛めた子を奪われて、代替として求めた可能性も零じゃない。

 子を失くした母と、母の下へと帰れぬ子供。そんな二人の過ごした時間は、唯の傷の舐め合いだったのかもしれなくて――嗚呼、それでも大切な時間だったのだ。

 

 

「確かに届けたぜ。ウーノ」

 

「待って」

 

「あ? 何だよ。早く兄貴の所に帰りたいんだけど」

 

 

 渡したモノは、アストと掌大の転送装置。それはクアットロが用意していた、此処から逃げ出す為の手段が一つ。

 一体何処の座標が登録されているのか、エリオもアギトも知りはしない。それでもエルトリアから脱出する為に、使える確かな一つの道具。

 

 それを渡したのだから、己の役割は終わったのだと語るアギト。

 脱出装置とアストの身体を感謝と共に受け取りながら、ウーノはそんな彼女を呼び止めていた。

 

 

「……あの子は、どうなりますか」

 

「スカ野郎の偽物の事なら、アレはどうでも良くないんだってさ」

 

 

 呼び止めたのは、きっと母の情。触れて育てた事はなくとも、胎を痛めて産んだ相手だ。情を抱いて当然だろう。

 そんな彼女にアギトは振り返りもせずに、起きた結果を冷たく返す。問われれば伝えてやれと言われた言葉を、しかしアギトは伝えず呑み込んだ。

 

 

“クアットロと同じ様に、生きてもいない人形遊びを続ける心算か? アレを真に想うなら、救えないからさっさと殺すが情と知れよ”

 

 

 そんなエリオの零した言葉。伝えても、伝えなくても、どちらでも良いと言われたから伝えない。

 態々助けた相手に煽る様な言葉を投げる主の悪癖に息を吐きながら、アギトはふわりと宙に浮かんだ。そうして振り返らぬままに、彼女はこの場を飛び立った。

 

 

「……そう、ですか」

 

「じゃっ! もう二度と会わないだろうけど、精々元気でなーっ!」

 

 

 飛び立っていくアギトを、今度はもう止められない。だから無言で見送った。

 感謝と怒り。入り混じった複雑な情を抱きながらに、拙い母はその背中へと頭を下げるのだった。

 

 

 

 そうしてアギトは、地下へ地下へと降りていく。カ・ディンギルの底の底。

 奥深くにある培養槽。その前に立つ一人の少年の名を、アギトは歓喜を以って呼んだ。

 

 

「兄貴ーっ!」

 

 

 形成されたグランツが作業を続ける中、名を呼ばれたエリオは穏やかな笑みを浮かべて振り返る。

 順調に続く作業の中で、険を落とした優しい少年。彼は抱き着いて来る妖精の頭を、不器用な手つきで撫でるのだった。

 

 

「お使い完了、だぜッ!」

 

「ああ、ありがとう。アギト」

 

「へへっ」

 

 

 そんな少年の掌に頭を擦り付けながら、アギトは嬉しそうな笑顔を零す。

 そうして二人。暫し戯れた後で、彼らは共に視線を移す。申し合わせたかの様に、見詰める先には培養槽。

 

 緑の液体の中に、泡が僅か浮かんでいる。逆さの試験官の中に、浮かび上がるは少女の裸体。

 それを見上げる三者の瞳に、下劣な情など欠片もない。唯純粋に案じる様に、アギトは想いを口にした。

 

 

「イクス。助かるよな」

 

「そうだね。きっと、助かる。上手く行かなくても、絶対に助けるさ」

 

 

 不安げに見上げる少女を撫でて、エリオは決意を此処に口にする。

 必ず助ける。例え何をしようとも、彼女達だけは必ず救うと決めたのだから。

 

 

「上手く行かないとは、人聞きが悪いね。確かに僕の専攻とはズレるが、それでも生体と機械の融合は許容範囲だ」

 

 

 形成されたグランツは、与えられた知識を咀嚼しながら語る。

 彼にとっては不慣れな作業。人の命が掛かった神経が磨り減る作業に、しかし確かな自信があった。

 

 この程度、救えずして何がエルトリア一の研究者か。そんな意地が、彼にもあるのだ。

 

 

「君がスカリエッティの知識を奪ってくれたお陰で、僕の知識も補完された。となれば、救えない道理の方がない」

 

 

 イクスヴェリアの機能不全。それは体内のマリアージュコアと、肉体の不適合が生み出す物。機械と生体の融合に、失敗した結果である。

 生体知識が薄くとも、機械の知識はエルトリア一。その自負があればこそグランツは、マリアージュコアに干渉する。人体を上手く弄れぬならば、機械を人に合わせれば良いのである。

 

 頭の中で論理を纏めて、指を動かし作業を続ける。時間に追われる中でも確かに、救いの道筋を組み上げる。

 そうして、どれ程の時間が過ぎたか。夜が更けて、朝日が昇る頃に漸く、彼の作業は終わりを迎えた。その安定化に成功したのだ。

 

 

「これで、完了だ。マリアージュコアとの不適合は改善した。もう二度と、機能停止に陥る事はない」

 

 

 タッチパネルを操作して、試験管から水が抜け落ちる。漸く開いた培養槽へと、エリオはゆっくりと歩を進める。

 浮かんでいた少女が崩れる様に、前へ向かって倒れていく。そんなイクスヴェリアの身体を抱き留めて、エリオは噛み締める様に呟いた。

 

 

「ああ、良かった。本当に、良かった。これで漸く、君を救えた」

 

 

 抱き締めた熱に、感じる情はそれ一つ。漸く救えた命を腕に、彼の心は涙を流す。

 されど表にそれは見せない。それは唾棄する弱さであるから、エリオの表情は崩れない。

 

 白衣のコートを此処に脱ぐ。そうしてイクスに羽織らせると、彼は一つのデバイスを眠る少女の腕に巻き付けた。

 

 

「転送装置の座標指定を。イクスが起きる前に、彼女を此処から避難させる」

 

 

 そのデバイスは転送装置。クアットロが用意していた逃走手段の内一つ。

 これよりこの地は、激闘の場となるだろう。そうでなくとも、クアットロの仕込みがまだあるかも分からない。

 

 カ・ディンギルの崩壊は食い止めたが、エリオは彼女程に機械に詳しくない。

 分からぬが故に端末を壊すと言う単純解答。それで防げぬ事態があっても、決して不思議ではないのだ。

 

 だから、イクスヴェリアは此処から逃がす。彼女が目を覚ますより前に、安全な場所へと避難させる。

 ミッドチルダは、顔が知れているから不味いだろう。故に選んだ場所は管理外世界。恐らく最後の日まで残るであろう、座に一番近い場所。

 

 第九十七管理外世界。即ち地球へ、彼女を逃がす。どうか幸せに生きて欲しい。包む白き外套に、そう願いを込めて。

 

 

「アギト。君は――」

 

「今更逃げろとか、ナシだぜ兄貴っ!」

 

 

 少女を転送する直前、掛けようとした言葉をアギトに阻まれる。

 此処まで来て、イクスと逃げろなんてナシだと。そんなアギトを見て、エリオは小さく一つ笑った。

 

 エリオにとって、キャロ・グランガイツは道を指し示した恩人だ。

 エリオにとって、イクスヴェリアは命に代えても守り通さねばならない家族だ。

 ならばエリオにとって、アギトとは何か。決まっている。背中を預け合う相棒だ。

 

 

「……ああ、そうだね。なら一緒に行こうか、最期の時まで」

 

「うんっ!」

 

 

 だから、その手を取って一緒に行こう。転送の光に背を向けて、エリオは一歩を踏み出した。

 

 

 

 中央塔。王座の塔に作られた螺旋状の階段を、一つ一つと登っていく。

 底から上へと這い上がる様に、エリオ・モンディアルはゆっくりと踏み締めながら上に行く。

 

 傍らには小さな妖精。内側には二百二十万の同胞達。彼らが夢見た悪魔の王。

 喧々囂々。新世界について喧しく議論している彼らを抱えて、罪悪の王は空を目指す。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、段差を一つずつ登っていく。

 這い上がるのは何時もの事。底から見上げるのは何時もの事。嗚呼、だからこそ、この符号に笑みを零す。

 

 

「遅かったじゃないか……目的は既に果たしたよ」

 

 

 最後の段差を登り切り、辿り着いたのは一階部分に広がる大きな空間。

 まるで古代の決闘場。そう思わせる舞台の上に、下から登って来た赤毛の少年。

 

 エリオ・モンディアルは空を見上げる。其処に討つべき敵を認めて、彼は空を見上げていた。

 そしてその想いに寸分たりとも違う事なく、二階部分の大窓が音を立てて崩壊する。外から飛び込んで来たのは、蒼い瞳を持つ宿敵。

 

 

「運命も宿命も策謀も、最早何一つ取るに足りない。残るは唯、重ねた想いの幕引きだ」

 

 

 何時だって、彼は遥か高みから。何時だって、彼は遥か地の底から。

 互いを憎み、恨み、羨みながらに焦がれていた。そんな彼らは互いに向かって、互いの武器を手に取った。

 

 リアクト・オン。ユニゾン・イン。語る必要もない言葉の後に、蒼銀は鉄の騎馬より飛び降りて、黄金はそれを迎え撃つ。

 

 

「僕が生きた証を、君に刻もう。君が生きた証を、僕に刻もう。勝者と敗者、生者と死者、其処に全てを託し遺して逝く為に――」

 

「此処に、お前を乗り超える。もう誰にだって邪魔はさせない。此処が俺達の、最期の舞台っ!!」

 

 

 蒼銀の銃剣。黄金の魔槍。音を立ててぶつかり合う。ぶつかり合った両者は此処に、弾かれる様に共に跳ぶ。

 互いに後方へと飛び退いて、互いの武器を相手に向ける。睨み合い、憎み合い、奪い合う。此処に決めるはどちらが上か、誇りと命を掛けた決着。

 

 

「行くぞッ! エリオォォォッ!!」

 

「決着を付けようッ! トーマァァァッ!!」

 

 

 最早此処に来て、妨害などはあり得ない。誰一人として、彼らに割り込む事など許されない。

 遥か世界の彼方。世界の中心から最も遠いこの大地。されどこの舞台こそ、間違いなく世界の中心。

 

 次代の神を定める決闘。これこそが最期の決闘。宿敵二人は今日この時に、全ての決着を付けるのだ。

 

 

 

 

 




エリ・O「遅かったじゃないか……尻を貸そう。ゲイヴンとして生きた証を、ハメさせてくれ」

何故かACの弱王さんのシーンが頭を過った為、終盤の台詞はちょびっとオマージュ。


やるべき事を終えた宿敵に、漸く追い付いた少年。二人の決着を付ける為の戦いが今、始まります。



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