リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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五飛教えてくれ、俺は一体何処で話を区切ればいい? 一体どのタイミングで筆を置けば、勢いを切らずに上下編に出来たと言うんだ。ゼロは俺に何も言ってはくれない。教えてくれ、五飛!

そんな訳で、多分過去最高の文章量になった今回です。



神産み編第五話 決着

1.

 今にして思えば、その出逢いこそが始まりだったのだろう。

 蒼銀を纏った黒き騎士。黄金に輝く黒き騎士。二つの黒は睨み合い、己が旅路を振り返る。

 

 初めて邂逅した場所は、人の狂気が渦巻く地獄。蠢く衝動に犯されて、獣と化した人の群れが共食いしていた地獄の釜。

 第三管理世界ヴァイセン。鉱山街を見下す小高い丘の上、少年達は其処で出会った。彼らの宿命が始まったのは、あの日あの時からだった。

 

 蒼銀は想う。あの日以前の己は、決して生きてはいなかった。呼吸していただけ。生命活動していただけ。

 彼は天より墜落した神の半身。内なる魂は決して己の物ではなく、なればこそ死んでいなかっただけの人形だった。

 

 黄金は想う。あの日以前の己は、決して生きてはいなかった。生きていたなどと、胸を張っては誇れない。

 何処へも行けず、誰にも頼れず、さりとて無頼を貫くだけの力もない。与えられた指示に従うだけで、どうして己を人と騙れよう。

 

 

「エェェェリィオォォォォォッ!!」

 

「トォォォゥマァァァァァァッ!!」

 

 

 銃剣を振るう。魔槍を振るう。激突する意志は鋭い殺意を伴って、されどこれは全て小手調べ。

 軽く探りを入れる様に、振るう連撃に特異な力は何もない。唯純粋な技巧と身体能力で以ってして、先ずは場の優位を確保する。

 

 故に加減は当然だ。初手を探りと決めたなら、流れが変わるまでは流す様に武威をぶつけ合うが道理であろう。

 されど彼らはその常道を、分かっていながら無視している。軽く手を抜くとは何だと、そう言わんばかりに互いの武技が速度を増す。

 

 さながらラッシュの速さ比べ。彼より早く、奴より早く、振るわれる体技は気付けば何時しか全力だ。

 これは意図した結果じゃない。大きく変じた互いの性能、その調査の為に武器を合わせる。そうしている内に、我慢が出来なくなっただけなのだ。

 

 ある程度見抜いたならば、其処で次に移るべきだろう。相手の強みと自己の強みを判断して、次に繋げる為のこれは探りだ。

 そうでありながら、そうと分かっていながら、ああしかし――例えそれが勝利の為に必要なのだとしても、この男を前に自分から退くのは屈辱なのだ。

 

 だから退けよ。お前が退けよ。そんな風に意地を張りながら、殺意が籠った武器をぶつけ合う。

 常人では目が追い付かぬ程の競い合い。素の体力と体術のみで常軌を逸しておきながら、彼らの内面はまるで幼い子供であった。

 

 

『お前には、お前にだけは、負けるかァァァァァァッ!!』

 

 

 殺意。そう殺意だ。この相手を前にして、両者は同じく純粋なる殺意を抱いている。

 これは決着だ。これこそが決着だ。なればこそ、その結末はどちらかの命の終わり以外にない。

 

 そうとも、分かっているとも理解している。目の前に立つ宿敵は、決して相手を許容しない。

 認める事は出来るだろう。称える事は出来るであろう。だが共に天を頂かず、互いが生きている限り永劫対立し続ける。

 

 仮に生かして帰したならば、必ずや再び立ち上がり道を阻むであろう。そういう信頼にも似た確信を、両者共に抱いている。

 故にこそ、此処に決着を付ける。エリオが先に語った様に、トーマが無言の内に肯定した様に、勝者が敗者を己に刻んで進むのだ。

 

 

『オォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 人を殺す事は悪い事だ。誰かを傷付ける事はいけない事だ。其処にどんな理由があっても、肯定されて良い事じゃない。

 そんな事は分かっている。守る為に救う為に拳を握れと、そう教えられて来たのがトーマだ。今の自分が間違っていると、そんな事は分かっているのだ。

 

 それでも、今回限りは心の底から望んで間違える。この相手にだけは、己で選んで間違える。

 

 そうともエリオだけは特別なのだ。誰かを倒す時には必ずや何かを守り救う為にと、そう心に決めているトーマ・ナカジマ。

 そんな彼が建前を抜きに殺しに掛かる存在。あらゆる激情を煮詰めた上で、その全てを剥き出しの儘に向けねばならない相手。その例外こそがエリオ・モンディアル。

 

 何時からこうなったのか。何時の間にこんなにも重い存在となったのか。

 剣と槍と拳と蹴りと想いを一歩も退かぬとぶつけながら、互いの旅路を思い浮かべて振り返る。

 

 二度目の邂逅は彼の日――伸ばした手は何も掴めず、黒き炎が女を焼いた彼の日である。

 

 救われない女が居た。育ての父が偶然手にしたロストロギアを求めた狂人によって、全てを奪われた女が居た。

 その女を見た時、蒼銀は救いたいと願った。助けてと泣いている様だから、その涙を拭いたいと心の底から願う。だからこそ、手を伸ばしたのだ。

 その女を見た時、黄金は唯只管に後悔した。己の甘さが生み出した女の生き地獄。これ以上苦しむより前に、幕を下ろすは自分であろうと心に決めた。

 

 故にトーマは手を伸ばし、己が焼かれる事すら厭わず女の身体を抱き締めた。

 故にエリオは狂人の策謀に従って、宿敵の覚醒を促す一つの要因と言う価値を女に与えて、幕を下ろす為に槍を振るった。

 

 彼の日に起こした互いの行動。意図を通したのはエリオだが、仮にトーマが護り通していたとしても結果はそう変わらなかっただろう。

 無限蛇とは、当時の管理局が暗部であった。なればこそ、ルネッサ・マグナスに救いはなかった。上層部を相手取る力を、彼の日のトーマは持ってなかった。

 

 トーマでは守れなかった。それでも、奪ったのはエリオだ。救えないと最初から諦めて、其処に怒りを覚えない筈がない。

 今振り返っても腹が立つ。煮えくり返る程に怒りが湧いて来る。だからトーマはそれを抑え付けずに、無数の激情と混ぜて拳を握った。

 

 

「もう一度、刻めっ! これが俺の自慢の拳。繋がれぬ拳(アンチェインナックル)だァァァッ!!」

 

 

 右手に握った銃剣で魔槍を受け流し、自由な左手を握り締めると振り抜いた。

 一瞬にも満たぬ攻防の間に力を抜いて、流れる柳が如くに回転しながら放つ拳圧。

 

 師より母より、受け継いだのはこの拳。トーマにとっては一番の、最強の象徴たる(チカラ)である。

 

 

「既に、刻んでいるさっ! 嗚呼、覚えているとも、忘れはしないっ! この痛みっ! この痛苦っ! 彼の日に抱いた屈辱を、どうして忘れる事が出来ると言うっ!!」

 

 

 魔力を伴う拳圧を胸に打ち込まれ、それでもエリオは一歩も退かない。

 彼の日に感じた痛みに、彼の日の屈辱を思い出しながら、其処でエリオは一歩も退かずに踏み出した。

 

 彼の日、エリオは彼の日を忘れていない。否定し続けた絆を前に、敗れた屈辱を覚えている。

 大地の底にまで堕ちて、咄嗟に感じた怒りに身を任せてナハトを呼び出し、雨の中で泥を食んだ事さえ覚えている。

 

 彼の日の屈辱が、今に繋がる彼の芯を作り上げた。本当の意味で、誰にも頼れないと確かに彼の日に理解した。

 故に手にした無頼の感情。エリオが辿り着いた解答。誰にも頼れないならば、誰にも頼る必要がない程に、誰よりも強くなれば良いのだ。

 

 降り頻る雨の中、首輪の痛みと嗤う悪魔の声に泥を食む。情けなさと屈辱に身を焦がしながら、煌く星を目に焼き付けた。

 だからこそ忘れない。彼の日の痛みを覚えている。この一撃を覚えていればこそ、退くに足る理由はない。恐れ戦いてはならぬのだ。

 

 

「返すぞッ! トーマッ!!」

 

 

 最初に魔法を使ったのはお前だと、笑いながらに拳に雷光を纏わせる。

 打ち放つのは雷光一閃。二百万の知識から抜き出し補完したその一撃は、先に放たれた少年の一撃を模倣した物。

 

 紅き雷鳴の繋がれぬ拳。飛翔する拳の圧力に胸を撃ち抜かれて、トーマは僅かに仰け反った。

 されど彼も退かない。宿敵が一歩も退かなかったのだから、意地でも退く訳にはいかない。だから一歩踏み締めて、其処から更に前に出た。

 

 一歩、前に出る。互いに退かずに前に出るなら、戦場はクロスレンジからショートレンジへ。

 吐息が掛かる程に近く、肩が密着する程に近く、睨み合う少年達は此処に力を行使する。その選択は申し合わせたかの如くに、全く同じ形となった。

 

 

「ディバインバスター」

 

「フォトンランサー」

 

『ファランクスシフト!!』

 

 

 自分さえも巻き添えにして、放つは広域殲滅魔法。ショートレンジから選ぶなど、本来あり得ぬ愚行の極み。だが道理に合わぬ事をすればこそ、この宿敵の度肝を抜けよう。

 僅か一瞬にも満たぬ判断で、出した解答は全く同じ。そんな偶然の一致に共に笑みを浮かべて、だが同時に気に喰わないと犬歯を剥き出し、殴り合いを続けながらに揃って光に飲み込まれた。

 

 360度、隙間なく包み込んだ光に飲み干される。絶え間なく降り注ぐ蒼と黄の色。殺傷設定の連続放火に晒されながら、それでも踏み込み拳を振るう。

 骨が折れて、血反吐を吐いて、そんな傷がすぐさま塞がる。狂人が作り上げた神座技術の再現。第三と第四の再現技術を宿した彼らの命に、この程度で届きはしない。

 

 なればこそ歓喜を浮かべて、だからこそ憎悪を燃やして、血で血を洗う闘争は止まらない。

 剣を槍を拳を蹴を、意地と魔法をぶつけ合いながらに加速する。互いの切り札こそまだ出してはいないが、それでも彼らは全力だった。

 

 痛みと共に、思い出すのは三度目の邂逅。互いの魔法に傷付きながら、殴り合う少年達は己の旅路を振り返る。

 

 一度目の出逢いが宿命を生み、二度目の邂逅がエリオに痛みを刻んだ物なら、三度目のそれはトーマにとっての変換点。

 信じた仲間と共に前に進み続けて、一歩一歩と泥臭くも歩き続けて、しかしそれでは届かないのだとこの宿敵に刻み付けられた。

 

 後の迷走。後の後悔。続く恐怖と混乱を、生み出す因となったその一件。

 鳴り響いたファーストアラート。其処から続いた苦難の記憶を、トーマは胸に刻んでいる。

 

 

「オォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 故にもう退くものか。故にもう逃げ出すものか。もう二度と、敗れて倒れるなど許容出来るか。

 そうとも己は負けられない。負けはしないさ。負けるものかよ。その一念を以ってして、トーマはエリオを押し切った。

 

 単純な力押しで僅か上を行かれた。誤差に過ぎない差異だとしても、力比べに敗北した。

 その事実に歯を噛み締めて、それでもそれで終わるエリオじゃない。押し切られた少年はその勢いに任せて距離を取ると、槍を真横に大きく構えた。

 

 

「押し潰すっ! 合わせろ、アギトッ!!」

 

〈任せろ兄貴っ! 行くぜっ!!〉

 

『火竜、一閃っ!!』

 

 

 内なる愛しい少女と共に、放つは火竜の吐息が如き一閃。槍に纏った炎を伸ばして、全てを焼き尽さんと薙ぎ払う。

 撓る鞭を思わせる様な炎の軌跡は、閉鎖空間をあっさりと呑み込む。逃げ場がない程に全てを、炎の赤が染め上げた。

 

 密閉空間で炎に焼かれる。この光景は、四度目の邂逅を思わせる。炎の津波を前にした、彼の日と同じ情景だ。

 されど彼の日とは違う。逃げ惑うしかなかった当時と異なって、トーマの元にはリリィが居る。ならば火竜の息吹であっても、恐れるには足りぬのだ。

 

 

「纏めて吹き飛ばすぞっ! リリィっ!!」

 

〈うん。一緒なら、許すから。トーマッ!!〉

 

『シルバー・スターズ・ハンドレッドミリオンッ!!』

 

 

 迫る火竜を前にして、トーマの周囲に無数の紙片が浮かび上がる。形成された銀十字の頁は、砲火を放つ彼らの武器だ。

 総数一億。ハンドレッドミリオンと語る様に、途方もない光の砲火が周囲を吹き飛ばす。火竜の息とて例外ではなく、その膨大な数に散らされた。

 

 これがトーマとリリィの強さ。手を取り合えば、どんな障害だって乗り越えられる。そんな事、エリオも既に知っている。

 故に火竜の吐息は布石だ。乗り越えられると分かった上で、彼らは既に飛び出している。炎の翼を爆発させて、紅蓮の中を進んでいたのだ。

 

 

『オォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 トーマとリリィは確かに強い。その絆を確かに認めて、しかしエリオとアギトだとて劣っていない。

 己達の方が強いのだと、そんな自負と共に槍を振るう。咄嗟に銃剣で受け止めたトーマは、しかしその踏み込む速度に押し負けた。

 

 素の性能差。足を止めての腕力は、確かにトーマの方が僅かに上であろう。

 だが、その速力ならば結果は真逆だ。異能の混じらぬ速度の差ならば、エリオの方がほんの僅かに上なのだ。

 

 そうとも、何時だってエリオの方が速かった。先に進むのは常に、彼の方が速かった。

 五度目の邂逅。崩れ落ちるアグスタを前にして、選ぶ道を決めたのは彼の方が先だった。

 

 迷い続けるトーマを他所に、足踏みを続ける彼を置き去りに、一足飛びに駆け抜けるのがエリオであるのだ。

 

 僅かな速力差に、爆発する炎の力も加えた突進。それは最早、咄嗟に振り上げた銃剣だけで、受け止められる様な圧ではない。

 まるで車に轢かれる様に、トーマ・ナカジマは吹き飛ばされる。宙で身体を捻って衝撃を受け流しながら、着地した少年の顔は悔しさに染まっていた。

 

 一進一退の攻防。結果は五分だがなればこそ、勝っていた所から引き摺り降ろされた事が心底悔しい。

 相手は退いたが、自分は退いていなかった。そんな下らない事に拘るからこそ、両者は真逆の表情を浮かべてしまうのだ。

 

 

「異能なしじゃ、完璧に五分か……」

 

 

 力は僅かにトーマが、速さは僅かにエリオが、だがその違いは誤差の領域。殆ど変わらぬ差異である。

 耐久力と再生力は拮抗していて、一撃二撃じゃ決め手にならない。このままでは埒が明かないと、両者は共に理解した。

 

 

「このままでは埒が明かない。ならば次のラウンドに、異能のぶつけ合いへと移るべきだろうけど――」

 

 

 笑うエリオは語りながらに上を見上げる。ボロボロと音を立てて、周囲の壁が崩れ始めていた。

 

 僅か数分にも満たぬ闘争。異能の混じらぬ純粋な魔法戦闘。だがそれでも、両者共に神域手前。となればその戦闘被害は、並大抵の物ではない。

 まるで大規模な自然災害。それ程凄まじい力が、余波として周囲に飛んでいた。なればこそ、カ・ディンギルでは持たない。この中央塔の闘技場では、彼らの決着には狭いのだ。

 

 

「此処では些か、手狭だね」

 

「なら場所を移す。それだけだろっ!」

 

 

 嗤う様に、怒鳴る様に、互いの感情の儘に言い放った言葉と意見は一致する。

 此処では狭いと、両者が同時に感じたのだ。故に申し合わせる必要もなく、両者揃って同じく動いた。

 

 目指すは中央塔の出入り口。巨大な扉に向かって、宿敵を睨みながらに走り出す。

 進行方向を見ずに敵を見詰めて、同等の速度で並走しながら扉を壊す。そして広がる荒野の先へと、彼らは躊躇もせずに飛び出した。

 

 場所を変えての第二ラウンド。ならば攻撃手段も此処に、先とは一変させるべきだろう。

 荒野を二人で並走しながら、睨み合う敵を前にエリオは嗤う。先手を取るのは何時だって、己であると嗤っていた。

 

 

「来いっ! 夜天の守護騎士(ヴォルケンリッター)っ!!」

 

 

 走り続けるエリオの背から、三つの影が飛び出し翔ける。

 空を飛ぶのは夜天の守護騎士。彼らは己が武器を手にして、主の敵を討たんと咆哮した。

 

 カ・ディンギルから遠のく様に、エリオと並走し続けるトーマは迫る女達を睨む。

 主の敵を倒すのだと、己の願いを叶えるのだと――そんな死者達を前にして、トーマが躊躇う理由はない。

 

 

死想清浄(アインファウスト)諧謔(スケルツォ)ッ!!」

 

 

 死人は死んでろ。死者が墓から戻るなよ。浄化の蒼い風が吹き抜けて、夜天の騎士らを一蹴する。

 所詮彼らは死んだ者。一度命を終えた者なら、今のトーマを前に立てない。それが明確な相性による差と言う物だ。

 

 そして影響はエリオにも、彼も一度は死んでいる。奈落に繋がる前の人体実験で、確かに命を落としている。

 ならば当然、この法則からは逃れられない。蒼い風に肌を焼かれながらに押し潰されるエリオは、このまま崩れ落ちるしか術はなく――否。

 

 

「――舐めるなよ、トーマ! 僕は今、生きているッ!!」

 

 

 浄化の法則をその身に喰らって、消え去らないのはエリオの意地。

 気合一つで痛みに耐えて、揺るがぬ意志で道理を乗り越え、此処に不可能を踏破する。

 

 そうとも相性の悪い能力を前にしただけで止まってしまうなら、一体どうして神座に辿り着けると言うのか。

 

 

「死んでろと言われて、素直に頷くならば、此処に立っている道理がないッ!!」

 

 

 内に宿した魂の数と質。その格と己の意志で、再誕否定の法則に真っ向から耐え続ける。

 痛みは感じる。弱体化は避けられない。それでもこれでは終わらぬのだと、叫ぶエリオは此処に力を行使した。

 

 

「夜天の騎士共っ! 僕の中から力を示せっ!!」

 

 

 浄化の風を前に、形成された死者は抗えない。されどエリオの体内でなら、その大前提も覆せる。

 エリオ自身が蒼風に対する壁となるのだ。その血肉と器を鎧に変えて、内部展開した力を己に上乗せする。

 

 烈火の将が炎熱変換。湖の騎士の強化魔法。鉄槌の騎士が攻城能力。全てを己に上乗せして、エリオは此処に大地を踏む。

 上乗せする力はそれだけではない。狂気の母性が紫電の光。狂愛放蕩絶望が持つ急段を更に加えて、放つは全力全開総軍アタック。

 

 

「打ち砕かれろォォォッ! トォォォマァァァァァッ!!」

 

 

 迫る黄金の全力攻撃。鬼気迫る程の圧を前に、諧謔の弱体化では間に合わない。

 故にトーマは剣を手にする。弱体化を続けながらに、もう片方に掴んだ物は加速の法則。

 

 

美麗刹那(アインファウスト)序曲(オーベルテューレ)っ!!」

 

 

 総軍の攻撃を受ければ、トーマであっても身体が持たない。故に選ぶは回避一択。

 蒼風で総軍を弱体化させながら、己の速度を加速させて距離を取る。弱体化させて、隙を突こう。そんな選択は――

 

 

「だから、舐めるなと言ったァァァァァァッ!!」

 

「――っ!!」

 

 

 エリオ・モンディアルには通じない。片手に握った小さき剣で、罪悪の王は倒せない。

 

 

「そんな片手間の願いでっ! そんな薄っぺらい深度でっ! 僕らを相手取れると思うなっ! 不愉快だっ!!」

 

 

 二つの祈りを同時に使うトーマを前に、総軍を束ねたエリオは我意を貫き通す。

 加速の理の速度を超える程に加速して、清浄の弱体化すら取るに足りぬと踏破して、その手の槍を振り下ろす。

 

 この結果は当然だ。理屈を問うまでもなく、それは余りに明確な理由。

 トーマは一人で、二つの祈りを使っている。エリオは二百二十万人を従わせて、彼らに力を使わせている。要は純度と深度の違いである。

 

 複数の渇望をたった一人で同時に展開すると言う事は、一つの願いを重視していないと言う事と同義だ。片手で祈った願いなど、其処に重さの欠片もない。

 たった一つの自己でたった一つの願いを想うから、その願いは渇き飢える程に重いのだ。それ故に同時発動など、所詮は大道芸の域を超えない邪道の力だ。

 

 同じく複数の力を使いながら、トーマが押し切られる理由がそれだ。相性の悪ささえ覆す理屈がそれだ。

 総体となる数が違う。祈りを抱いた数が違う。トーマの半分の祈りでは、この総軍は超えられないし崩せもしない。

 

 

「くっ! なら――!!」

 

 

 全霊の一撃を躱せずに押し潰され掛けながら、トーマは己の愚策を理解する。

 理解して、そのままでは終わらせない。愚かと分かったならば、即座に改善すれば良いのである。

 

 同時発現では対応出来ない。故にトーマは願いを絞る。序曲か諧謔か、どちらかならば選ぶは一つ。

 

 

「美麗刹那・序曲。最大出力だぁぁぁぁっ!!」

 

 

 如何に最良相性だろうと、弱体化だけでは届かない。弱らせるだけでは、この宿敵は気合と意志で踏破しよう。

 故に選択すべきは、速度に絞った一点強化。何処までも深くたった一つを祈る事で、膨大な軍勢と言う総数を此処に引っ掻き回す。

 

 

「ちぃぃぃっ!!」

 

 

 速度に絞った強化に対し、次に遅れを取ったはエリオであった。

 それは先の道理の跳ね返し。たった一つの純度に対し、総数を束ねる王意が届いていない。

 

 二百二十万の軍勢。その一つ一つの質が、トーマに比すれば劣っている。想いの純度で届いていない。

 その上、エリオの使い方が問題だ。内に宿した彼らの力を、己の身体を通して顕現する。そのやり方が問題なのだ。

 

 例え全てを統べる王でも、従える者らと同一ではない。祈りも願いも異なる他者だ。他人と言う余分があれば、劣化するのは当然だ。

 なればこそ、同調率と言う物が生まれている。何処まで力が使えるかと言う相性がある。だがどれ程に共感しようとも、本人が用いる願いに比すれば必ず劣化する。

 

 光の後が残って残像が見える程に、無限に加速を続けるトーマ・ナカジマ。

 その動きに対処し切れずに、エリオ・モンディアルは削られて行く。一点突破の願いが此処に、膨大な質量差を覆す。

 

 閃光の如き速度の猛攻。一気呵成に責め立てる宿敵を前に、エリオは槍で捌きながらに後退する。

 踏み込みながらに押し切る事はもう出来ない。例え数に頼ろうとも、今のエリオでは覆せない。ならばどうする諦めるか、いいやそんな選択肢などあり得ない。故に――

 

 

「僕を通す事で落ちると言うなら――僕を通さずに力を放つ! シグナムッ!!」

 

「翔けよ隼! シュツルムファルケンッ!!」

 

 

 相手が一点突破を狙うなら、対処法は唯一つ。魔力によって形成した魂に、対処の全てを任すのだ。

 外部展開の強みがこれだ。最初に魔力を与えておけば、後は細かい指示を出す必要すらない。王と配下の相性差など、外に出すなら関係ない。

 

 エリオの背後に現れたのは烈火の将。手にした弓に矢を構え、すぐさまそれを撃ち放つ。

 音速を超えて迫る一矢を前にして、トーマは大きく身を翻す。如何に音越えであろうとも、今のトーマの方が遥かに早い。

 

 そんな事、分からぬエリオである筈はなく。ならば其処には次なる布石が。形成された軍勢は、烈火の将だけではない。

 

 

「破段顕象! 中台八葉種子法曼荼羅!」

 

「なっ!? くそっ!!」

 

 

 迫る一矢を前に後退した瞬間に、敵の居場所が分からなくなる。周囲の景色が全て歪んで、気付けば己が何処に居るのかすら分からない。

 

 何時の間にか現れていた放蕩の廃神。レヴィ・ザ・スラッシャーの陣形錯乱。

 あらゆる要素が崩されたこの領域で、加速の理は意味がない。どれ程早く動こうとも、端から道を間違えていれば、永劫目的地には着けぬのだ。

 

 これを突破するには全てを読み解く明晰な頭脳か、或いは勘と本能に全てを賭ける思い切りと勝利に至る豪運が必要不可欠。

 トーマに前者を行えるだけの知性はなく、後者を行おうにも初見の事態に即応出来ない。ならばこそ、これは時間稼ぎには十二分。エリオが統べる軍勢は、たった二人じゃないのである。

 

 

「あの子を再び抱き締める為――邪魔よ、消えなさいっ! サンダーレイジO.D.J!!」

 

 

 エリオに呼び出された紫怨の大魔導師は此処に、空間全てを焼き払う程の雷火を起こす。

 追い立てられて道に迷って、その遁甲ごとに消し飛ばす。そんな彼の軍勢に追い詰められて、トーマが取る選択は――

 

 

「死想清浄・諧ぎゃ――」

 

「そうだな。君なら、そう来ると思っていたよっ!!」

 

 

 当然、エリオに読まれている。外部展開した軍勢を消し去る為に渇望を持ち替え、其処に隙が生まれていた。

 死想清浄は死者を弱体化させ清めるが、決して己を強化する力ではない。故にこそ、蒼風に耐えられるエリオは止められないのだ。

 

 咄嗟にその事実に気付いて、だがしかし能力行使は止められない。此処で蒼風を押し止めれば、この雷光に全てを焼かれる。

 故にこそ異能を行使したままに、銃剣を握って、トーマはエリオを迎え撃つ。それ以外に術はないから、此処に蘇生否定の理を展開した。

 

 死者と死者が起こした事象。展開された魔法と異能は消え去る。だが、エリオは当然止まらない。

 槍を両手にチャージアタック。爆発的な速度で撃ち込まれた槍の一撃に、合わせた銃剣の刀身ごと押し切られた。 

 

 

「が――っ!」

 

 

 与えられる痛みに思わず苦悶を上げて、されど苦しみ悶えていられる余裕はない。

 即応せねば、即座に是を決め手とされる。そうと確信して歯を噛み締める。そして前を見続けた。

 

 そんなトーマの予感に違わず、追撃の手は止まらない。先の一撃が隙を生み出す為になら、続く一撃は正しく絶死の必殺だ。

 

 

「メギド・オブ――」

 

「――っ!? ディバイド・ゼロ!」

 

 

 槍の穂先に、黒く暗き炎が灯る。魂を腐らせる黒炎は、この世全てに対する反物質。

 真面な方法では防げない。そうと知るが故に限界を超えて、此処に発動するのは世界の毒だ。

 

 

「ベリアルッ!!」

 

「エクリプスッ!!」

 

 

 腐滅と分解。世界を滅ぼす力が此処に、ぶつかり合って相殺する。

 力は互角。結果は同等。相殺する力に弾かれあって、少年達は共に後方へと跳躍した。

 

 軍勢形成は死想清浄に耐えられず、だが死想清浄は総軍統率には対処出来ず、総軍統率は美麗刹那には追い付けず、美麗刹那では軍勢形成を突破できない。

 まるでジャンケンゲームを思わせる相性関係。体術体力魔法の全てが同等ならば、異能の総決算もまた同等。完全なる五分と言う形で、此処に彼らは拮抗していた。

 

 

「はっ」

 

「ははっ」

 

 

 笑みが零れる。そうでなくてはと、苦しげな顔に笑みが零れる。宿敵が互角の敵として立つ事実を、歓喜を以って受け入れる。

 力が拮抗していて、相性は循環している。ならばこの拮抗を崩すに必要なのは、小手先と称される様な要因だろう。小細工の類が必要となろう。

 

 相性は循環しているのだからと、相手のミスを待つなど出来ないしたくない。

 そんな消極的な方法論で、どうしてこの相手に勝れよう。それでは負けると両者は共に、既に確信していたのだ。

 

 なればこそ、勝利の為に己が全てを此処に賭け――

 

 

『行くぞォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 奴に必ず勝るのだと、男の矜持を叫ぶのだった。

 

 

 

 

 

2.

 荒野の果てへと飛び出して、激しい攻防を繰り広げる少年達。トーマもエリオも最早退かない。

 腕を振る度に大地が抉れ、武器を繰り出す度に周囲の景色が一変する。そんな激闘を、二人は遠巻きに見詰めていた。

 

 

「ほんっと、すごいね。見てみなよ、アミタ。荒野の地形が目まぐるしく変わってる。あの攻防の余波だけでも、街の一つ二つは簡単に消し飛びそうだね」

 

「博士」

 

 

 塔の中から外へと出て、片割れたる男は感嘆する様な言葉を漏らす。

 黒いメンズシャツの上から白衣を纏って、窶れた頬に楽しげな笑みを浮かべた男。

 

 彼こそ罪悪の王の最も新しき臣下。形成されて此処に残るは、エルトリアの頭脳たり得るグランツ・フローリアン。

 

 

「それに何とも、実に楽しそうだ。今にも笑い声が聞こえてきそうな程に、二人とも全力を出し切っている」

 

「博士」

 

 

 前を歩くグランツの背を、赤毛の少女は追い掛ける。此処に残ったアミティエは、歩く彼の背に想いを抱く。

 筆舌にし難い、複雑な想いだ。言語に出来ない程に、それでも確かに重い感情。それを上手く言葉に出来ず、彼を呼ぶだけでも時間が掛かった。

 

 

「まるで互いしか見えていない。事実そうなんだろうね。彼らを想う少女達には残念な事だろうけど、まぁ同じ戦場に立てるだけでも――」

 

「お父さんっ!!」

 

 

 それでも、アミタは此処に名を呼んだ。だから、彼は小さく笑って振り返るのだ。

 

 

「……うん。直接そう呼ばれるのは、何時振りだったっけか?」

 

「博士が自分で、博士と呼んでくれって言ってたんじゃないですか」

 

「ああ、うん。そうだね。そうだったね」

 

 

 永遠の別離だと思った死別から、望外の果てに訪れた再会。此処に来て、一体何と語れば良いのか。

 第一声となったのは、そんなどうでも良い遣り取り。遺言を語るではなくて、再会を喜ぶでもなくて、そんな日常を思い出すような言葉。

 

 そんな中身のない応答に、グランツは嬉しそうに笑って、同時、何処か申し訳なさそうに顔を歪めた。

 

 

「ゴメンね。アミタ」

 

「……一体、何をですか」

 

「色々あるけど、今はそうだね。何から話そうか上手く纏まらなくて、逃げる様な会話をしちゃった事、かな?」

 

 

 何と言葉を掛けるのか、迷っていたのはアミティエだけではない。

 寧ろ残してしまったと言う負い目があるからこそ、グランツの方が迷っていた。

 

 遺言があると呼びだして、これは何と言う無様であろうか。

 それでもそんな何気ない遣り取りが、どうしてかとても嬉しかったのだ。

 

 

「父さんが話があるって、魔刃がそう言ってたんです。伝言だって、遺言だって――そうじゃ、なかったんですか?」

 

「うん。それはそうなんだけど、いざ目の前にすると、正直何から言ったものかなって。……僕は本来、もう死んだ人間だからさ。死人が一体、何を言えって。そういう所が気になっちゃうんだよ」

 

「それは、その、死んだ経験はないので、何と言えば良いのか」

 

 

 死人は黙って死んでろと、そう叱り付けて来る蒼い風。アレを見ていれば、尚更に想う。

 既に死んだ人間が、今を生きる彼女に何を伝えると言うのか。そんな迷いを抱いていたのだと、グランツは情けなく笑った。

 

 情けなく自嘲しながら、困った様に詫びるグランツ。そんな父を見上げて、アミタは何を言えば良いのか言葉に詰まった。

 彼の存在を訝しむ様な、そんな猜疑の念は欠片もない。このどうしようもないくらいの駄目さ加減。どこか情けない人物は、紛れもなくアミタ達の父親だった。

 

 

「だから、さ。アミタの悩みを先に聞かせてくれないかい?」

 

「私の悩み、ですか」

 

「うん。悩み」

 

 

 そんな駄目で情けない男は、それでもやはりアミティエ・フローリアンの父親だ。

 だからこそ、呼び出しておいて何を語ろうかと迷う様な有り様でも、娘の悩みを見過ごす事はなかったのだ。

 

 

「一体何年、僕が君達の父親をやっていたと思うんだい? 悩み事を抱えているくらいは、一目見れば気付けるさ」

 

 

 情けなく、それでも優しげな表情で、笑う父を前に想う。敵わないなと思いながらに、アミタは己の心を明かした。

 

 

「……私は、少し分からなくなったんです」

 

 

 分からなくなった。一言で言えば、そうだろう。彼女の迷いは、そんな単純な言葉であった。

 

 

「信じた想いを貫けば良い。だけどその信じた想いの根底が、間違っていたならば」

 

 

 憎悪を抱いた相手に向ける激情は、しかし恨みを晴らすに足る正当性を持っていない。

 いざ向き合えば疑問の棚上げも出来るのだろうが、こうして時間があれば無駄に考え込んでしまう。

 

 そんな真面目な少女の真面目な悩み。こう生きるべきと言う形を彼女が定義しているからこそ、それは悩み足り得る澱みだ。

 

 

「恨みも憎悪も、決して良い事じゃない。そんな事は分かっていて、酔える程に重くもなくて、けど許せる程に軽くもない。ならばどうすれば良いのかと」

 

 

 父を殺された。だがその父は笑っている。母を奪われた。その想いは錯覚だった。だからはいそうですかと、許せる程に軽くはない。

 全てを失った様に思って、しかし家族は残っている。守るべき人々は変わらずに、今も此処にいる。だからその全てを捨て去れる程に、抱えた想いは重くない。

 

 其処に己が痛め付けられた。その要素が加わっていない事実が、アミタが底なしに善良な少女である証左。

 あくまで自分の感情を重視はしない彼女の在り様に苦笑を零して、グランツは頭を軽く掻きながらに言葉を返した。

 

 

「う~ん。難しい問題だね。アミタの好きにするしかないんじゃないかな?」

 

「……聞き出しておいて、それですか」

 

「うん。だけど結局、復讐ってのは納得する為の行為だからね。本質は感情に寄ったモノ。ならば思うが儘に、としか言えないさ」

 

 

 グランツは語る。それは感情の問題で、理屈で考えている時点で過ちなのであろうと。

 

 

「許すも許さないも、忘れるのも覚えておくのも、全て君の想い次第だ。そうしたいと思える様に、後悔しない様に生きなさい。そうとしか、私には言えないさ」

 

「感情のままに。その感情が、間違っているのだとしても、ですか?」

 

「そうだね。傍目に見て間違いだと思えるなら、誰かが叱って止めてくれるだろうから、別にそれでも良いんじゃないかな」

 

 

 風に流れる綿毛の様に、ふわりふわりとのらりくらりと、語る男の言葉はそれでも真剣なのだろう。

 だがそんな口調で言われてしまえば、まるで無駄に考え込んでいる己が馬鹿みたいだ。何処か苦い感情を抱きながらに、アミタは呆れの言葉を口にした。

 

 

「な、何と言うか、相変わらずと言いますか」

 

「そうさ。僕は相変わらずなのさ」

 

 

 この父親は、死んでも変わらない。そんな現状に呆れと安堵を、等分に感じて息を吐く。

 そんな娘の呆れた視線を一身に浴びながら、死んだだけでは変わらないさとグランツは笑った。

 

 そうして二人、肩を並べて荒野を見詰める。激闘を繰り広げる少年達を、塔を背にして見詰め続ける。

 幾度も剣を結んだ罪悪の王。隠されていた彼の本領を見詰めながら、アミタはグランツへと問い掛けた。

 

 

「博士はどうして、彼を許したのですか?」

 

「う~ん。許した、とは少し違うね。協力して同じ宙を目指すと決めたが、彼が君達にやった事は忘れていないさ。だから、許した訳ではない」

 

 

 どうして貴方は、あの少年を許したのか。そんな問い掛けに苦笑して、グランツ・フローリアンは静かに振り返る。

 

 彼の知識が必要ならば、それこそスカリエッティの残骸と同じ対処で良かった筈だと。知識を奪い取るだけならば、説得などは必要なかった。

 イクスヴェリアを救う作業の中で問い掛けた、その言葉への解答は単純。力への意志を持つ者を殺した上に、全てを奪い取るなど出来ればしたくはなかったのだと。

 

 協力を求める為に、そして綺麗な意志を持つから、アミタとキリエを見逃し続けた悪魔の王。

 彼は余りに膨大な罪に塗れて穢れているが、それでも一片たりとも救いがない訳ではない。何となく気付いていたその断片に、あの時確信を持てたのだ。

 

 

「唯、思ったんだ。彼の語る新世界は、きっと捨てた物じゃない。其処でならきっと、僕が本当に望んでいた願いも叶うんじゃないかなってさ」

 

 

 故に想った。そんな彼が流れ出す世界は、きっと綺麗な物となる。

 故に希望を抱いてしまった。何時か見た夢をその世界でなら、叶えられるのではないかと。

 

 それが、グランツ・フローリアンが彼に手を貸そうと思った理由。最も大きな事由であった。

 

 

「博士の願い、ですか。それは、エルトリアの再生では――」

 

「違う。それは過程だ。僕が願う未来の為に、必要だっただけなんだ」

 

 

 娘達の命の保証と、己の夢を叶える為。二つの理由で頭を垂れたのが、グランツ・フローリアンと言う男。

 彼が必死になってエルトリアを救おうとしていた過程を知るから、それこそが夢なのではないかと錯覚していたアミタは問う。

 

 惑星再生が結果ではなく過程ならば、果たして彼が願った結末は如何なる物であったのかと。

 問いを投げ掛けるアミタの瞳を見詰めて、何処か恥ずかしそうに頬を掻きながら、グランツは己の夢を此処に語った。

 

 

「僕はね。笑顔を作りたかった」

 

 

 グランツ・フローリアンは、笑顔が見たかった。

 

 

「エレノアに指輪を贈った日。その笑顔が忘れられない」

 

 

 結婚を申し込んだ時、花咲く様に笑ったエレノア。そんな妻の笑顔が、胸に焼き付いて離れない。

 

 

「キリエと一緒に花壇を作って、開いた花弁に笑顔を零した。その綺麗な顔を覚えている」

 

 

 荒れた野に花壇を作って、四苦八苦しながら如何にか開いた小さな芽。

 無事に育って花開き、朝露に濡れた花弁を見た時に浮かんだキリエの笑顔。その笑みに、心が震えた事を覚えている。

 

 

「アミタは、二人よりも男の子っぽい趣味だったね。銃型のデバイスを贈った時に、一番喜んでいたのを覚えているよ」

 

 

 楽しそうに銃を手にして、的を相手に練習していた。心の底から笑顔を見た。

 そんなアミタの姿を懐かしいと思い出しながらに笑みを浮かべて、言われたアミタは恥ずかしそうに目を逸らす。

 

 

「その笑顔が綺麗だったから、もっと見たいと思った。君達の物だけじゃない。沢山の笑顔が見たかったんだ」

 

 

 グランツ・フローリアンの理由はそれだ。唯それだけの理由で、彼は星を救おうと願った。

 

 

「滅びが迫ったエルトリア。人々の顔に余裕はなくて、少しずつ笑顔が減っていた。だから先ずはこの星を救わなくてはと、僕のそれはそんな不純な動機だった訳だ」

 

 

 それを不純と、男は笑う。心の底から救済を、求めた訳ではないのだと男は語る。

 見たかったのは、皆の笑顔。そんな己の我欲を満たすその為に、星を救う必要があったのだと彼は語る。

 

 だから、そんな彼の目標が変わったと言うならば――それは世界の真実を知ったからだろう。

 世界が滅びかけていると知っては居ても、覇道神と言う存在は知らなかった。そんな彼が全てを知ったからこそ、その視野は広がったのだ。

 

 

「軍勢の皆と相談してね、色々と考えてみたんだ。エリオの世界に遊びはないが、それさえあればきっと彼の世界はもっと素晴らしい物になる」

 

 

 世界を救う為には、新たな世界を流れ出させる必要がある。道はそれ以外に一つもない。

 グランツの発明ではエルトリアの延命は出来ても、世界全ては救えない。だからこそ、新世界の流出は絶対に必要だ。

 

 新たな時代の神となる。そう願い突き進む少年の軍勢と化して、グランツは皆と相談しながら考えた。

 それはエリオの抱いた願望。其処に刻まれた一つの陥穽。皆に努力を強いる世界は、娯楽と言う物に欠けている。

 

 だから、己がそれを補完しよう。グランツ・フローリアンの選択は、彼の世界に遊びを生むと言う物なのだ。

 

 

「例え子供の遊びであっても、皆が全力の想いで向き合い競う。そんな共通の遊び場ならば、例え遊戯に過ぎないとしても、それはきっと前に進む意志となる。彼の世界に相応しいと、目溢しされる娯楽となろう」

 

 

 彼は怠惰を許容しない。惰弱の存在を許せない。それは彼の根底で、なればこそ取り除くのは不可能だろう。

 だがそれでも、世界法則に沿う形での娯楽ならば組み込める。遊びを通して絆を深め、それが成長に起因するのだと証明できれば受け入れられよう。

 

 

「僕は、そんな物を作りたい。皆が本気で、ぶつかり合える遊び場を作りたい。誰もが笑顔になれる、そんな場所を作るんだ」

 

 

 皆が競い合いながら、それでも笑顔になれる場所。遊びを知らない少年(カミサマ)が、その楽しさを知れる場所。そんな子供の楽園を、作り上げるのが彼の夢。

 

 

「ブレイブデュエルとか、どうだろう? その遊び場の名称なんだが、構想としては取り敢えず体感型の対戦アクションゲームを予定していて――」

 

 

 己の夢の構想を、楽しそうに語るグランツ。誰よりも子供らしい輝きを見せる瞳を見上げて、アミタは素直にこう想う。

 良かったと。無理に従わされている訳ではなく、道半ばに命落とした事を悔いるでもなく、夢を語れる今で本当に良かったと。

 

 

「まあ、詰まりはそういう事。僕は自由に生きている。いや、もう死んでるけど、割と自由だ。だから、さ」

 

 

 一頻り己の新たな夢を語って、白衣の男は僅かに髪を掻き上げる。

 見下ろす瞳に慈愛を宿して、良い子に過ぎた子供に語る。これが彼の、伝えたかった遺言だ。

 

 

「アミタも、キリエも、僕に縛られる事は、もう止めなさい」

 

「博士?」

 

 

 真摯な瞳で真剣に、見詰めて語る言葉に嘘はない。心の底から伝えたかった。今の彼女達を見詰めて抱いたその後悔。

 アミタもキリエも、良い子が過ぎた。善良だった。善性に過ぎたのだ。だからこそ死者に縛られていて、それを止めろと彼は告げる。それだけをずっと、彼女達に伝えたかった。

 

 

「エルトリアを守りたい。この大地を救いたい。その想いは尊い。それは確かに、素晴らしい想いだ」

 

 

 アミタの願いも、キリエの祈りも、どちらもとても綺麗な物だ。

 こうも善良に育ってくれて、道を踏み外さないでくれて、ありがとうと言う想いは山ほど溢れている。

 

 それでも、それは否定しなくてはいけない。エルトリアを救おうと、其処に拘る想いは捨てさせなくてはならないのだ。

 

 

「しかし、その理由が自分の心から湧いて来たモノでないなら、拘る事は止めなさい。縛られてはいけない。死人の想いに、引き摺られてはいけないんだ」

 

「けどっ! 私は、皆を守りたいっ! エルトリアの皆を守りたいっ! この想いは、確かに私の抱いた物で――その為にエルトリアを救う事は必要だからっ!!」

 

「本当に?」

 

「え?」

 

「アミタ。君は自分の願いを見直してみなさい。今語った事を、振り返りなさい」

 

 

 叶えたい願いを否定され、反発する様に叫ぶアミタ。彼女の想いを受け止めて、しかし冷たくグランツは語る。

 この今に口にされた言葉。それだけでも十分な程に、その陥穽は明確だ。彼女が今に告げた想いが、既に全てを語っていたのだ。

 

 

「救いたいのは事実だろう。守りたいのは事実だろう。それでも、君は緑溢れるエルトリアを知らない。故郷を取り戻そうとする、その意志を知らない筈だ」

 

 

 アミタもキリエも、実年齢は見た目相応。エルトリアが荒廃する数百年前を、彼女達は知りもしない。

 

 

「写真で見た。映像で見た。其処に如何なる真がある? 言葉に聞いた。想いを聞いた。それで道を狭めてはいけない。願いを勘違いしてはいけないんだ」

 

 

 此処に残った人々に、多くの言葉を聞いたであろう。必死に頑張る父の背中に、多くの想いを抱いただろう。だがそれでも、それは彼女達の願いじゃない。

 

 

「アミタが言っているのは、君が望んでいるのは、エルトリアの民の救済だ。エルトリアの救済じゃない。其処を履き違えてはいけないんだ」

 

 

 アミタとキリエが真実胸に抱いた願いは、此処に今生きる人々を救う事。

 この世界を再生しようと努力していた先人達をこそ、守り救いたいと願っていた。エルトリアを救う事、それは過程であっても目的ではなかったのだ。

 

 

「エルトリアの救済は、本当に必要かな? 彼らを守る為に、この地でなくてはいけないのかな? この故郷を救おうと、その願いが縛られていないと言えるだろうか?」

 

 

 そしてその過程は、果たして本当に必要な事であるのだろうか。

 グランツは己の背中を見続けたであろう娘に向かって、それは本当に必要なのかと問い掛けた。

 

 

「彼らはエルトリアでなくては生きていけないのか。この場所でなくては救われないのか。この地から逃げ出す事は、本当に悪し様に言われる事なのだろうか?」

 

 

 この地に拘り、他の場所では生きられない程に弱いであろうか。

 生きる為にこの地から逃げ出して、別の世界に落ち延びる。それは本当に、悪い事なのであろうか。

 

 

「きっと違う。僕は、そう思うよ」

 

 

 否と。それら全てに否であると、グランツ・フローリアンは口にする。

 そんな言葉を咀嚼して理解したアミタは、揺らいだ心と瞳で父へと問うた。

 

 

「……逃げろ、と。この星から逃げろと、博士はそう言うのですか?」

 

 

 縋る様なアミタの問い掛けに、しかし父親は答えを返さない。

 変わりとばかりに彼が語るは、最早閉ざされてしまった星の未来だ。

 

 

「エルトリアはもう持たない。彼らのどちらかに助力を受ければ延命できるが、それでも時間制限が付いて回るだろう」

 

 

 エルトリアと言う世界は、もうとっくの昔に詰んでいた。その結末を引き延ばす事は不可能ではないだろうが、それでも更なる無理が出るだろう。

 例えばグランツが作り上げた発明品と、トーマかエリオに協力を頼んだ結果の延命方法。それを使えば確かに星の寿命は延びるが、その装置を使っている間彼らは身動き出来なくなる。

 

 流れ出せない。超深奥へと至れない。それはエルトリアを救う代わりに、他の全てを見捨てると言う選択だ。

 

 

「未来に可能性が溢れる命が、過去の想いに縛られて道を誤る。それはいけない事だ。きっと何より、いけない事だと断言出来る」

 

 

 だから、その結果は間違いだ。エルトリアに拘る事は過ちだ。この星はもう救えないのだと認めて、その上で何を残すのかを考える。それこそが今に必要な事であろう。

 

 

「心の底から、この場所を守りたいと願うならば止められない。民の命よりも家族の命よりも自分の命よりも、この生きる場所が大事と言うなら止められない。けど、そうじゃないと言うのなら――」

 

 

 それでもアミタが、キリエが、心の底からこの場所に拘ると言うならグランツは止めない。止められない。

 だがその想いが己の内から生まれた物ではなく、グランツや先人達の願いを汲んだ物だと言うなら、彼が認める訳にはいかぬのだ。

 

 

「ロクス・ソルス。そう呼ばれる船がある。エルトリアの全人口を収容できる。巨大な次元航行船だ」

 

 

 故にグランツ・フローリアンは、中央塔の上を指差す。星の海に、それはある。

 カ・ディンギルより到達できる人工衛星マルドゥーク。その内部に、世界を渡る巨大な船は眠っている。

 

 逃げる手段は其処にある。後に繋ぐ道は其処にある。だからこそ、グランツは娘に向かって告げるのだ。

 

 

「それを使って、行きなさい。生きる為に、行きなさい。死者に縛られず、この地に縛られず、未来を想い生きなさい」

 

 

 空を見上げて、先に続く未来を想う。脳裏に思い描いた光景こそが、彼が伝えたかった想いの全て。

 それは、大局的には何の意味もない事だ。世界を変える程の、何かがある訳ではない。それでも、きっととても大切な事。

 

 

「大丈夫。希望の種子が途絶えぬならば、何時かまたエルトリアは作り出せる」

 

 

 この世界が滅びようとも、この世界に生きた人々が居る限りエルトリアは滅びない。

 

 

「散った花をまた植える様に、受け継がれる意志が途絶えぬ限り、何度だって帰って来れる」

 

 

 忘れなければ良い。覚えていれば良い。そうすれば新しい世界で、またこの故郷は甦る。

 

 

「だから、今は生きなさい」

 

 

 帰りたいと願うなら、諦めずに想うなら、失われるモノなど無い筈なのだ。

 

 

「彼らの様に、己が想うままに、素直に生きて行きなさい」

 

 

 だからグランツはそう笑って、楽しそうに戦い続ける彼らを見詰める。

 スケールこそ大きいが、その実態は子供の喧嘩にも似た意地の張り合い。そんな二人を見詰めて告げる。

 

 あれは間違っているが、それでも正しい人の在り方。

 何れ神になる者達が、人としての最期に刻む想いの全て。

 

 その決闘を見詰めながらに、グランツ・フローリアンは笑って語った。

 

 

「それが、僕が二人の娘に伝えたかった想いの全てだ」

 

 

 これが想いの全て。他には何もない。伝えたかった想いの全て。

 その想いを受け止めて、直ぐにはアミタは頷けなかった。伝えられた想いを素直に、受け容れられる彼女じゃなかった。

 

 それでも、無下にはしたくない。無価値になんてしてはいけない。だから小さく頷いて、父と同じ物を見た。

 正しくとも間違っている。そんな人としての最期。敗者は死んで、勝者は人間から外れる。そんな彼らの、人としての最期を見届ける。

 

 意地を張り、痛みに耐えて、怒りを叫び、それでも笑う。そんな戦いを父と見詰める。

 肩を揃えて塔の麓から、無責任に激闘を見守る。そんな娘に向かって、男は子供の如くに笑って問い掛けた。

 

 

「さて、アミタ。君はどっちが勝つと思う?」

 

「……きっと、トーマさんです。なんたって、キリエが信じた英雄(ヒーロー)ですから」

 

 

 言葉を交わして、何となくだが理解する。きっとこの時間は、そう長くはない。

 結果がどうあれ、長引かない。トーマが勝てばグランツは消えて、エリオが勝てば彼らは立ち去る。だからこれがきっと最後だ。

 

 

「珍しく意見が割れたね。今が夕飯前だったなら、おかずを一品増やせたんだが」

 

「何、賭け事にしようとしてるんですか。それに、本当に賭けたとしたら――博士の夕飯はきっと白いお米とお味噌汁だけになってますよ?」

 

「お、言ったね。アミタ。なら、賭けるとするかい?」

 

 

 だからこそ、普段ならば叱る所を、偶には良いかと少女は笑った。

 そんな娘の心情を察しながらに、それでも彼は楽しげな笑みを浮かべる。

 

 

「……何を、賭けますか?」

 

「そうだね。じゃあ、想いを賭けよう」

 

 

 何を賭けるかと問う娘に、男は少し悩んで答えを返す。

 互いの想いを此処に賭けよう。男の言葉に、娘は首を傾げて意味を問う。

 

 

「負けた側の願いを、勝った側が叶えよう。僕が勝った場合は、エルトリアの再興かな?」

 

「それ、賭けじゃないです。勝った側が損してるじゃないですか」

 

 

 問いに返す答えは、そもそも賭けになっていないと言う物。

 全く適当なんだから。溜息を吐いたその後に、アミタも楽しそうに笑って言った。

 

 

「けど、良いですよ。トーマさんが勝ったら、私がブレイブデュエルを作って流行らせちゃいますから」

 

 

 きっと勝つのは、私達の英雄なのだと。いやいや、僕の神こそ勝るであろう。

 そんな風に言い合いながらに部外者たちは、逃れられない別れが来るまでの僅かな間、その決闘を見守り続けた。

 

 

 

 

 

3.

 朝日を背に旅立って、気付けば空は茜色。疲弊し消耗し摩耗しよう戦場で、されど少年達は一歩も退かない。

 アレに勝つのだ。奴に勝つのだ。その一念に全てを賭けて、互角の攻防を繰り広げる。荒い呼吸と疲労すらも、最早心地が良いと感じる程。

 

 僅かでも隙を作れば、即座に死に至る綱渡り。対等の立場で戦いながらに、決着の時は未だ見えない。

 もう終わらせたい様な、けれど何時までも続けていたい様な、そんな今に感じる想いは複雑で、されど為したい事は唯一つ。

 

 勝つのだ。勝つのだ。己が勝つのだ。人としての最期の戦い。宿敵との競い合いを前に、己の勝利を只管願う。

 世界中に最早己達しか残っていない。そんな錯覚を受ける程に集中しながら、鎬を削る死闘は苛烈さを増していく。

 

 

「エェェェリオォォォォォッ!!」

 

「トォォォゥマァァァァァッ!!」

 

 

 互いの名を叫びながらに、異能を相殺しながら武器を交える。同じく傷付きながらに、それでも前に進み続ける。

 顔に浮かぶは苦悶と喜悦。張り付いた様に離れない感情は、しかし薄まる事がない。どれ程に繰り返そうとも鮮烈に、焼き付いて離れぬ至高の既知だ。

 

 そんな戦いを何時までも続けたいと願いながらに、しかしそれ以上に勝利を望めばこそ一手を打った。

 

 

「行けっ! マテリアルズッ!!」

 

 

 何時だって、状況を動かす為に先手を打つのはエリオだ。接近戦でトーマと斬り合いながらに、彼はその背に三柱の廃神を呼び出す。

 黒き炎の殲滅者。蒼き雷の襲撃者。暗き闇の統率者。形成された三柱の廃神は己の意志で敵を討たんと、トーマへ向かって飛翔する。

 

 

「ちっ! 死想清浄・諧謔っ!!」

 

 

 エリオと斬り合い続けながらに、創造を入れ替えるのも最早慣れた事。

 不意を打っての形成など、最早既に見飽きたのだ。ならばこそ、浄化の風が間に合わないなどあり得ない。

 

 死人は死んでいろ。その法則に逆らえず、消滅していくマテリアルズ。その結果は、端から分かり切っている。

 しかしこの宿敵が、今更無駄な事などするものか。ならばきっと彼女達は布石だ。本命は彼自身。そう信じてエリオを睨むトーマに隙はなく――なればこそ、それが致命の隙となった。

 

 

『死人は死んでろ? ふざけるなよっ! トーマ・ナカジマッ!!』

 

「なっ!?」

 

〈嘘っ!! 何で、貴女達は消えないのっ!?〉

 

 

 ニヤリとほくそ笑むエリオ。この局面まで隠し通した、これこそ彼の選んだ切り札。

 蒼き風をその身に受けて、それでも消えないマテリアル。展開された彼女達こそ、彼にとっての本命なのだ。

 

 

「私達は夢ですっ! 人の抱いた、普遍的無意識に生まれた悪夢っ!」

 

 

 愛に狂った少女は叫ぶ。己達は夢であるのだ。そう叫びながらにシュテルは迫る。

 蒼き風を一身に受け、存在を否定される痛みに耐えながら、それでも迫る女の剛腕にトーマの身体が吹き飛ばされる。

 

 

「そうだ! だから、僕達に意味はなく! だから、僕達に価値はなくっ! 僕達は、そもそも生きてすらいないっ!!」

 

 

 意味がないから遊ぶしかない。価値がないから居ても居なくても変わらない。そんな風に悟っていた放蕩は、此処に異なる意志を見せている。

 そんな蒼き少女は此処に、最速の速さで斬り込む。圧倒的な速力で吹き飛ばされた少年の身体を、無数に切り裂き引き裂き、眼に止まらぬ速さで刻み続けた。

 

 

「だからだ! 我らは未だ、生まれてすらおらんのだっ! それなのにっ!!」

 

 

 彼女らは夢。彼女らは無価値。それは未だ、彼女達が正しく生まれてもいないから。生きてすらも居ないから。

 ならば闇と病みを統べる王は、臣下の想いと共に叫びを上げる。憎悪の瞳で神の子を睨んで、その法則を否定した。

 

 

『生まれる前に死ねと言われて、死ねる訳がないだろうっ!!』

 

 

 そんな彼女達の感情論。トーマの手にした諧謔に浄化される度に、蓄積し続けていた憎悪。

 もう二度とは浄化されるかと、彼女達が内側にて吠えていた。だからこそ、そんな彼女達にエリオは賭けた。

 

 この意志ならば、必ずや耐えて成し遂げよう。その想いに彼女達は応え、此処にその真価を見せ付けた。

 

 

「ルシフェリオンブレイカァァァァァァァッ!!」

 

「雷刃封殺――爆・滅・けぇぇぇぇぇぇんっ!!」

 

「ジャガァァァァノォォォォトォォォォォッ!!」

 

 

 三位一体最大火力。浄化の風に身を焼かれて消えながらも、それでも意地で押し通す。

 諧謔を全力展開しているが故に、他の力に切り替えられない。そんなトーマは当然躱せず、故にそれが隙と化すのだ。

 

 

「さあ、開け――旅の鏡っ!!」

 

 

 トーマの叫びを聞きながら、魔法に貫かれた彼へと扉を開く。

 神の子である彼の身体にも、リンカーコアがあるとは分かっている。故にそれを抜き出して、残る片手に彼女を呼び出す。

 

 呼び出すのは鉄槌の騎士。形成するのはグラーフアイゼン。その武威を右の手に握り、そして彼は振り上げた。

 

 

『ツェアシュテールングスハンマーッ!!』

 

 

 向ける先は己の左手。其処に顕現させた湖の力で、奪い取ったリンカーコア。

 手にしたそれに殺意を向けて、全力を以って振り下ろす。右手に握ったハンマーが、左手に握った核を打ち砕いた。

 

 

 

 

 

「ガァァァァァァァァッ!?」

 

 

 叫びが上がる。鮮血が舞う。魂の一部が砕かれて、結晶破片が宙に舞う。

 予想外の痛みに叫びを抑えられずに、()()()()()()()()()が苦悶の声を上げていた。

 

 

「き、さま、トーマ、お前はっ!?」

 

〈信じられねぇ。そんなのアリかよ〉

 

 

 胸に感じる喪失の痛みに、苦しみもがきながらにトーマを睨む。

 信じられないとエリオが見詰めるその先で、トーマは同じく苦しみながらに不敵な笑みを浮かべていた。

 

 リンカーコアは確かに砕いた。常人ならば致命傷となる傷は刻んだ。されどエリオが苦しんでいる。その理由はたった一つ。

 

 

「この一瞬に、共有したかぁぁぁぁっ!?」

 

 

 蒼く輝く瞳が展開したのは、明媚礼賛・協奏。トーマは己の傷を、エリオと共有したのだ。

 痛いと予想出来ていた。だから耐えられたトーマと異なり、勝利を確信したからこそ予想外の痛みにエリオは耐えられなかった。

 

 それが先の攻防結果。されどこれは、所詮は一発芸の域を出ない小細工。もう二度とは通じない。

 協奏の力は相手が同意してこそ成立する。失楽園の日に協力したから、その因果を利用して無理矢理繋がれただけなのだ。

 

 エリオが拒絶すればそれで無となる。ダメージを共有するなど、一発限りの裏技なのだ。

 だから次は嵌らない。そう意識して戦えば良い。この痛みに耐え抜いて、また勝機を掴めば良い。

 

 槍を握ったエリオはそう断じ、しかし其処で戸惑いを浮かべる。

 最早無意味と化した協奏。拒絶しようと決めた法則。思考は読まれているのだから、拒絶される前に切り替えるべき力。

 

 その法則が変わらぬのだ。拒絶すれば消える法則を、しかしトーマが使い続けている。その意図が読めずに僅か戸惑って。

 

 

「正気か、君は――っ!?」

 

 

 どういう心算かと問う前に、流れ込む思考に理解する。共有された互いの思考は、此処に筒抜けとなっていた。

 故に分かる。だから分かった。その意図を明確なまでに理解して、エリオは其処に戦慄する。その選択は、余りにあり得ぬ答えであった。

 

 

〈力を、傷を、全部兄貴と共有する気か!? 幾ら何でもイカレ過ぎだろお前っ!?〉

 

 

 協奏を使う限り、互いの力は同等だ。互いの傷も全く同じく、全てが同等に強化される。

 故に結果は千日手。絶対に決着が付かない状況へと、互いを追い込む最大の下策。其れをトーマは、自ら選び取ったのだ。

 

 

「これで、対等だ。本当の意味で、対等、だろう?」

 

 

 能力差も相性差も、これで全てが意味がない。戦況を読み合って、出し抜き傷付け合う事すら意味がない。

 力も傷も全て同等。本当の意味で何もかもが五分となる。そうなった状況で違いが生まれるとするならば、それは互いの意志を除いて他にない。

 

 故にこそ、トーマは思考する。その思考を、エリオも共有する。彼が何を望んでいるのか、此処に全て理解した。

 

 

「精神の、競い合いが目的かっ!?」

 

「チキンレースさ。どっちが先に潰れるか。それを競うとしようぜ! エリオッ!!」

 

 

 此処に切り札を隠していたのはトーマも同じく、これが彼にとっての最後の手札。

 この申し出を断る事は簡単だ。協奏を受けるも受けぬも、全てエリオの意志一つ。断られたら、それこそトーマは何も出来ない。

 

 それでも、トーマは笑う。逃げるのかと、悪童の如く彼は嗤う。そんな笑みを前にして、エリオの答えは唯一つ。

 

 

「逃げるか、だと……舐めるなっ! トーマッ!!」

 

 

 一時は度肝を抜かれたが、さりとて何時までも飲まれている筈がない。

 全てが強制的に同等とされると言うならば、それこそ互いの優劣を明確に示せると言う物。

 

 故にエリオ・モンディアルも受けて立つ。己の意志が勝ると信じて、彼は前へと踏み出した。

 

 

「勝つのは僕だっ! それをお前に、教えてやるっ!!」

 

 

 武器を構えて、一歩を踏み込む。最早此処に至って、異能は一切意味がない。

 総軍は互いに浄化されるだろう。浄化は互いに突破されよう。全ての異能が相殺されるのだ。ならば使う意味がない。

 

 重要なのは、心を圧し折る攻撃だ。精神的に叩きのめす、そんな分かりやすい暴力こそが必要なのだ。

 故にエリオが選ぶは接近戦。被害や痛みが想像しやすい物理攻撃にて、此処に宿敵の心を圧し折り叩き潰そうと言うのである。

 

 

「はっ! 寝言は寝て言えっ! 勝つのは俺だっ! お前にだけは、負けるものかよぉぉぉっ!!」

 

 

 銃剣を手に取り、トーマも彼の思惑に応じる。心を折る為になら、やはり単純暴力こそが相応しい。

 回りくどい異能は要らない。分かりずらい力は要らない。互いの優劣を示す為に必要なのは、原始的な力であろう。

 

 斬り付ける。突き穿つ。叩き付ける。蹴り飛ばす。振るう力は獣の如く、最早体技も必要ない。

 回避も防御も意味はなく、違いが出るのは精神消耗。ならば小賢しい思考は全て無為であり、前に出る事だけが為すべき全てだ。

 

 事此処に至って、互いに打てる小細工などは一切ない。前に出る以外に、出来る事など何もない。

 前に、前に、前に、前に、選ぶは一つ前進制圧。恐怖に臆した瞬間に、心が屈した瞬間に、それが即ち敗北となるのだ。

 

 

「エェェェリオォォォォォッ!!」

 

 

 トーマの協奏は、従者に対し与える要素を制限できる。その気になれば、傷だけを共有する事も出来るだろう。

 されどそんな小細工をしようと思えば、その瞬間にも共有を一方的に断ち切られる。拒絶の意志を持たれれば、そもそも異能が成立しない。

 そうでなくとも、小細工に頼らねば勝てないと認めた瞬間に、心が敗北してしまうだろう。だからこそ、余計な事は一切できない。してはならない。

 

 

「トォォォゥマァァァァァッ!!」

 

 

 共有現象の主導権を持つのは、使用者であるトーマではなくエリオである。

 故に彼がその気になれば、最悪のタイミングで一方的にこの状況を破棄する事も出来るであろう。

 

 だがやはりそれは小細工だ。そんな小細工に頼らねば、相手に負けると語る様な物である。そんな負けだけは認めない。

 故に、思考にさえ浮かべてはならない。心が惰弱に流れれば、その瞬間に敗北する。だからこそ、余計な事は一切できない。してはならない。

 

 

『勝つのは――俺/僕だァァァァッ!!』

 

 

 思考も感情も全て剥き出しの儘、前進を続けながらに敵を斬り裂き抉り撃ち、己の意志を叩き込む。

 何時しか気付けば夕日は落ちて、夜の帳が荒野を包む。それ程の時間が経過しようと、彼らの戦いは終わらない。

 

 打ち込みながら、撃ち込みながら、斬り裂きながら、引き裂きながら、流れ込む記憶が脳を走る。

 それは目の前に立つ敵の記憶。泥の底で生まれ落ちて、血反吐の中で育ち続けて、こうして此処に立つ宿敵の記憶。

 

 その全てを追体験しながらに、トーマは剣を振るい続ける。傷付けた分だけ傷付いて、それでも目を逸らさない。

 見詰め返す瞳の強さに、心の底から憧れる。嗚呼、コイツは何て凄い奴だろうか。踏破した道の険しさに、そう思わずには居られない。

 

 あの汚泥の底から見上げた宙は、とてもとても綺麗な色。それも良いなと心の底から、感じる程に美麗な新世界。

 

 

「だけど、負けない」

 

 

 負けない。負けない。負けたくない。負けられない理由はなくて、此処にあるのは唯の意地。

 男の子には意地があるのだ。男の矜持が叫んでいるのだ。負けて堪るか負けられるか、ならば勝利を求める理由はそれ一つで十分だろう。

 

 トーマ・ナカジマは雄叫びと共に、血反吐で荒野を染め上げながらに前進した。

 

 

「お前にだけは、負けられる物かぁぁぁぁっ!」

 

 

 打ち込みながら、突き刺しながら、斬り裂きながら、引き裂きながら、流れ込む記憶が脳を走る。

 それは目の前に立つ敵の記憶。天の座より生まれ堕ちて、消滅に抗いながら進み続けて、こうして此処に立つ宿敵の記憶。

 

 その全てを追体験しながらに、エリオは槍を振るい続ける。傷付けた分だけ傷付いて、それでも目を逸らさない。

 見詰め返す瞳の強さに、心の底から憧れる。嗚呼、コイツは何て凄い奴だろうか。踏破した道の険しさに、そう思わずには居られない。

 

 壊れた記憶で追い続けたその夢は、とてもとても綺麗な色。それも良いなと心の底から、感じる程に明媚な新世界。

 

 

「だけど、負けない」

 

 

 負けない。負けない。負けたくない。負けられない理由はなくて、此処にあるのは唯の意地。

 男の子には意地があるのだ。男の矜持が叫んでいるのだ。負けて堪るか負けられるか、ならば勝利を求める理由はそれ一つで十分だろう。

 

 エリオ・モンディアルは雄叫びと共に、血反吐で荒野を染め上げながらに前進した。

 

 

「お前にだけは、負けられる物かぁぁぁぁっ!」

 

 

 互いに願う新世界。流れ出す法則が辿り着く果ては、結局どちらも同じ色。

 絆と進歩。違いはどちらを優先するかと言う事だけだ。どちらも大切にする以上、最終地点は共に同じだ。

 

 ああ、良いな。お前の世界も確かに良いな。想いを共感しながらに、それでも男の意地が許容しない。

 ほんの少しの差異がある。目を瞑れる程度の小さな差異を理由に変えて、己の意地を此処にぶつけ合う。

 

 

「君は甘過ぎるんだっ! 確かに君の世界は美麗だが、足の遅さに合わせていたら、理想郷に着くのは一体何時になるっ!?」

 

 

 誰も彼もに優しくしては、到達点に辿り付くのは何時になろうか。皆で一緒に、それは確かに素晴らしいが、足の遅さは覆せない。

 辿り着くのが遅れれば、その分だけ救われない者らは増えよう。全てが救われる理想の場所へ辿り着く為、その甘さが余計であるのだ。

 

 口ではそんな事を言いながら、しかし共有した思考は筒抜けだ。憧れてしまった相手の理想に、難癖つけなくては我慢が出来ないだけなのだ。

 誰も取り零さない道の、その険しさは分かっている。分かって選ぶならば、違いは最早誤差であり、ならばそれは認めるに足る力への意志であろう。

 

 

「お前は厳し過ぎるっ! 確かにその世界は明媚だけど、追い付けない人を斬り捨てて、速さに拘るだけじゃ意味ないだろっ!?」

 

 

 共にあるべき人間を選別すれば、確かに速度は上がるであろう。だがそれは、救われない人を率先して斬り捨てると言う事だ。

 もう少し待てば何かがあるかも知れないのに、諦めて斬り捨てるなど許せない。全てが救われる理想の場所へ辿り着く為に、誰かを轍とするのは間違っている。

 

 口ではそんな事を言いながら、しかし共有した思考は筒抜けだ。憧れてしまった相手の理想に、難癖つけなくては我慢が出来ないだけなのだ。

 誰かを斬り捨てた分だけ、理想へ到達する時は短い。結果として生まれる犠牲は、トーマのそれと差して変わらない程度であろう。だから、結局違いなんて何もない。

 

 

「僕の方が――」

 

「俺の方が――」

 

『お前より良い世界を作って見せるっ!!』

 

 

 それでも自分が、それでも己が、そうと吠えて突き進む。その前進は止まらない。

 共感し、憧れ、心の底から認め合う。それでも退けないのは、やはり男の意地なのだ。

 

 剣を振り下ろす。槍を薙ぎ払う。銃口が火を噴いて、鋭い刃が敵を突き穿つ。

 与えた傷は即座に己にも刻まれ、互いの血潮を撒き散らす。それでも前へ、前へ、前へ、愚鈍な獣の如く前へと進む。

 

 この今に、瞳に映るのは目前に居る相手だけ。まるで世界に存在するのが、己達だけの様な錯覚を抱く。

 競い合い、傷付け合い、奪い合う。痛みと血潮に彩られたこの今が、それでもどうして心地良いのか。知らず笑いながら、二人は前へと進み続けた。

 

 苦しいのに、楽しんでいる。辛いのに、喜んでいる。そんな今の一時に、ふと嘗ての思考を思い出す。

 もしも出会い方が違っていたなら、或いは誰よりも親しい友と成れていたかも知れない。そんな無意味な仮定の話。

 

 だが、この今に揃って思うのは、そんなもしもでなくて良かったと言う一念。

 

 当たり前の出会い方をしていたならば、きっとこれ程に特別な存在とはならなかったであろう。

 だから、きっとこれで良い。何度繰り返したとしても、こうした形が一番良い。歓喜と憎悪と喜悦と憤怒。あらゆる思考を剥き出しにして、競い合う今はそれ程に充実していたから――

 

 

〈トーマっ!〉

 

〈兄貴っ!〉

 

 

 そんな男の意地の張り合い。傷付け合う少年達の逢瀬を前に、我慢できない者らが居た。互いしか映さない彼らに、彼女達は怒っていたのだ。

 一端は諦めて、一時は納得して、ああそれでも認めない。一緒に進むのではなかったのか。私を置いていくでない。そうと叫ぶ少女達は、此処に己の意志を示した。

 

 

〈あたしを忘れんなよっ! 一緒に、勝つんだろっ!?〉

 

 

 烈火の剣精は想いを伝える。一人で傷付き進む彼へと、己の愛を此処に示した。

 彼女の愛は親愛と信頼。家族を想い相棒と想い、その寂しい背中に寄り添い続ける紅蓮の想い。

 

 

「アギト。……嗚呼、そうだね。そうだった」

 

 

 宿敵との一騎打ちに夢中になって、何時しか忘れていた彼女の想いに応える。

 そうとも一人で戦う訳ではない。もう無頼は必要ない。だから此処に、打ち勝つべきは己達。

 

 

「一緒に勝とう。僕らの強さを、奴らに刻み込んでやろうっ!」

 

〈ああっ!〉

 

 

 少年の言葉に紅蓮の花は此処に笑って、彼らは共に前に進む。

 対立する彼らがそうである様に、相克である彼らも想いは同じく。リリィも此処に、不満を示した。

 

 

〈フリンは、ダメなんだよっ! エリオと二人だけでなんて、絶対認めないんだからっ!!〉

 

 

 白き百合の乙女は想いを伝える。一人で傷付き進む彼へと、己の愛を此処に示した。

 彼女の愛は恋慕と嫉妬。寄り添う男を女として愛すればこそ、彼が他者に拘り過ぎる事が我慢ならない。

 

 

「リリィ。君は、何と言うか。……けど、そうだね。こういう方が、僕ららしいかっ!」

 

 

 何時もの調子で語るリリィを前にして、何処か気が抜けた笑みを零す。

 気負い過ぎていたのだろう。素直に認めたトーマは此処に、リリィの手を掴み返した。

 

 

「行くよ、リリィ! 不倫がダメって言うならさ、二人で一緒にアイツらに勝とうっ!」

 

〈うん。私達の絆の方が上だって、アイツらに教えてやるんだからっ!〉

 

 

 少年の言葉に聖母の花は此処に笑って、彼らは共に前に進んだ。

 自分達の絆こそが当代当世至大至高。そうと信じるが故にこそ、彼らにだけは負けられない。

 

 

「行くぞエリオッ! 勝つのは俺達だっ!」

 

 

 蒼き瞳を輝かせ、手にした銃剣を強く握る。振るう刃は勝利の為に、己と彼女の勝利の為に。

 ショートレンジの距離から更に一歩を踏み込んで、両手に握った剣で己達の敵を此処に斬り裂いた。

 

 

「抜かせよトーマッ! 勝つのは僕らだっ!」

 

 

 胸に走った斬撃の傷痕。与えられた衝撃に吹き飛ばされて、それでも数歩で立ち止まる。

 鏡合わせに刻まれた痛み。急速に塞がる傷に頓着もせず、一歩を踏み込み槍を振るう。打ち込まれた魔槍の切っ先は、深く深くその胴を射抜いた。

 

 

〈教えてあげるわっ! ぺったん娘っ! 私とトーマの絆は絶対、誰にも負けない無敵の力なんだからっ!〉

 

 

 胴を抉った痛みを共有しながらに、リリィは負ける物かと叫ぶ。想いに応えて、トーマも此処に意地を見せる。

 切り裂かれた腹に力を入れて、筋を締める事で槍を止める。そうして無理矢理に作り上げた隙に、手にした剣を振り下ろした。

 

 

〈ふざけんな! 真っ白脳内花畑っ! 兄貴とあたしの、ユニゾンこそが世界最強! お前らなんか、敵じゃないんだっ!〉

 

 

 肩口から袈裟斬りに、肺に届く程に深い傷が刻まれる。その痛みに泣き叫びそうになりながら、それでもアギトも意地を張る。

 負けるか、負けるか、負けるものか。紅蓮の花が願うなら、魔刃はそれに必ず応える。エリオは切り裂かれた筋に力を入れると、無理矢理にその刃を受け止めた。

 

 傷が共有される。互いの攻撃に互いが傷付く。それでも、受け止めた刃はこれより先には進ませない。

 びくともしない剣と槍に、二人は即座に見切りを付ける。両手を武器の柄から手放すと、握り絞めて振り抜いた。

 

 殴る。殴る。殴る。殴る。足を止めて殴り合う。意地を押し通す為に、拳を振り抜く。

 一歩も退かぬと言うラッシュの撃ち合い。力も心も互角なら、結果は相打ち。互角の引き分け。

 

 拳の隙を突いて打ち込まれた蹴撃がトーマの身体を浮かして飛ばし、吹き飛ばされる彼が放った拳の圧がエリオの身体を殴り飛ばした。

 共に大地を転がって、音を立てて刃が抜け落ちる。地面に落ちた相手の武器を一顧だにもせず、即座に立ち上がった彼らは再び前へと跳んだ。

 

 

『ハァァァァァァァァァァッ!!』

 

『オォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 この今に、少年少女は一心同体。互いの痛みを感じながらに、負けてなるかと前へと進む。

 相手を傷付け、同じ傷を身体に受けて、それでも負けない負けられない。誰もが想いを同じくしていた。

 

 拳を振るう。蹴りを打ち込む。拳圧を飛ばして、相手の身体を吹き飛ばす。

 白い歯が飛ぶ。赤い血が飛ぶ。骨が折れて、皮膚が千切れて、それでも即座に治るから気にせず一歩を踏み込む。

 

 そうして気付けば、一体どれ程の時間が経っていたのだろうか。当の昔に更けた夜は蒼く染まって、ゆっくりと日の出の時が迫っていた。

 

 

『はぁ、はぁ、はぁ』

 

 

 荒い息を整える。腫れ上がった傷跡が、塞がる速度は落ちている。彼らを包む光は、気付けば既に消えていた。

 それは単純な話。どちらかの心が折れるより前に、どちらの力も底を尽きた。だからこそ、協奏の力はもう消えていたのだ。

 

 視界が点滅する。意識が遠のく。足下がふら付いて、気を抜けば倒れてしまいそう。

 魔力も体力も既に底辺。互いに異能も行使できない程に弱っていて、泥の様に眠りたいとさえ願ってしまう。

 

 それでも――

 

 

『まだだっ!!』

 

 

 まだ、終わっていない。ならば寝るな。寝るには早いぞ。その一心で立ち続ける。

 歯を噛み締める。爪が肉を抉る程、強く強く握り締める。その痛みを以ってして、落ちる意識を此処に留めた。

 

 

〈トーマっ!〉

 

〈兄貴っ!〉

 

 

 最早痛みも共感出来ない。そんな愛する花達は、故に心の内より男達へと声援を送る。

 頑張れ、負けるな。単純だが強い想いの言葉を受けて、彼らが進めぬ筈がない。どんなに疲弊していても、想いに応える為に行く。

 

 

「形成――」

 

 

 限界を超えて、魂から魔力を絞り出す。それでも、薄く微かな力で打ち止め。

 その最後の欠片を此処に集めて、再び紡ぎ上げた形成位階。手にした力は、夢追い人の貫く剣。

 

 

「来いっ! ストラーダッ!!」

 

 

 限界を超えて、魂から魔力を絞りだす。それでも、薄く微かな力で打ち止め。

 その最後の欠片を此処に集めて、それを呼び水に魔槍召喚。手にした力は、罪に塗れた王の槍。

 

 互いに構えて、ふらつく身体に理解する。消し飛びそうな意識に悟る。

 どれ程に想いを託されようと、やはり限界と言う物はある。故に全力を出せるのは、あと一度が精々だろう。

 

 ならば、その一度に残る全てを託す。それは奇しくも、失楽園の日の焼き直し。されど最早、邪魔する者は何処にもいない。

 四つの意志が敵を定めて、一歩を踏み出し全力で駆け出す。轟音と共に大地を蹴って奴より早く、弾丸の如くに此処に荒野を飛翔した。

 

 

『オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!』

 

 

 これが、最期の一撃だ。この一撃が、激闘の幕を引いたのだった。

 

 

 

 彼は持っていた。生まれながらに恵まれた彼は、それを引き寄せる何かを持っていた。

 彼は持ってはいなかった。生まれながらに底辺で蠢いていた彼は、故に最期も取り零す。

 

 それは、ほんの少しの差異。互角であればこそ、崩せない明確な差。

 登り始めた逆光に目を焼かれて、運悪く宿敵を見失った。それが、それだけが、恵まれなかった少年の敗因だった。

 

 

「嗚呼――また、届かなかった、か」

 

 

 見落とした一瞬に、懐に入っていた蒼銀。突き出す刃は防げずに、心の臓を撃ち抜いた。

 深く、深く、柄まで通せと。背より飛び出た刃から、滴る血潮に濡れた敵を見る。己を倒した、彼を見詰める。

 

 

「トーマ」

 

 

 ずっと見上げていた空の星。日の光を背に受けて、それより鮮烈に輝く星。

 伸ばした手は、此処に届いた。頬に触れた手を動かす。星に届いた手を確かめる様に、そして小さく微笑んだ。

 

 

「君は、強いね」

 

 

 敗北を前に焦がれる様に、その最期に届いた事実に微笑んで、罪に塗れた王は幕を引く。

 己の道を誰よりも鮮烈に駆け抜けた罪悪の王は此処に、余りに短い生涯を駆け抜けて逝ったのだった。

 

 

 

 

 




罪悪の王――敗北。互角の時点で、彼に勝機はありませんでした。
運命に恵まれていないエリオがトーマに勝つ為には、常に相手を圧倒し続けなくてはいけなかったのです。



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