リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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えるとりあ「……俺、消えるのか?」


神産み編第六話 一つの世界が終わる刻

 小高い丘に風が吹く。乾いた風が胸を吹き抜け、白いマフラーが揺られて靡いた。

 見詰める先には異形の槍。小さく盛り上がった土の上、墓標と突き立てられたストラーダ。

 

 瞳を閉じる。口を閉じる。想いに沈むは、ほんの僅かな一刻だ。再び開いた蒼い瞳に、揺らめく想いは欠片もない。

 瞳を開いて、しかし口は閉ざしたまま。語るべき言葉はあの時に、告げるべき想いはあの決闘で、全てを刻み込んできた。だから口を開く必要などはない。

 

 故にトーマは何も語らず、突き立てられた墓標に背を向ける。

 彼から半歩下がって見守っていた少女に振り向き笑みを向けると、ただ「行こうか」と口にして歩き出す。その歩はもう、止まらない。

 

 

 

 何もない荒野を見下す、少しだけ小高い丘の上。

 突き立てられた魔槍は、彼らが立ち去った後――ゆっくりと零れ落ちる様に崩れて、後には何も遺らなかった。

 

 

 

 

 

1.

 中央塔の最上階。其処に備え付けられた巨大な転送装置を通じて、辿り着くは人工衛星。

 古代メソポタミアに曰く、世界と人間の創造主。その名を冠した衛星内、その大半を埋める格納空間にそれはある。

 

 街の一つ二つは愚か、島の一つや二つでさえも軽々と入るであろう。それ程に巨大な格納庫。

 そんな格納庫の内部にあるは、余りに巨大が過ぎる船。その全容は島二つより広い空間を、唯一隻で埋め尽くす程。

 滅びを前にして多くの民が逃避した後でも、総人口は億に迫る程。そんなエルトリアの民全てを収容可能な、エルトリア史上最大級の超弩級戦艦。

 

 全長は1000kmにも届くであろうか、その大きさはエルトリアの常識からも外れた物。これぞグランツが語りし方舟ロクス・ソルス。

 そんな馬鹿げたサイズの艦内を、桃色の髪を靡かせながらに隻腕の少女が歩いている。青い装束に身を包んだキリエは此処に、与えられた仕事を熟していた。

 

 青のブーツで音を立て、姉に譲った腕とは別の腕で指差し確認をしながらに、異常個所を探し回る。

 この大きさだ。確認作業一つでさえ結構な労力とはなるが、さりとて全く確認しないと言う訳にもいかないだろう。

 

 メインコンピューターは異常なしと断じているが、直接確認の一つもしないで使って異常が出たなら笑えもしない。

 そうでなくとも、非常時に立地や地形を覚えていなければ即応する事も叶わない。故に散歩気分も兼ねて、点検業務に従事ているのだ。

 

 

(もっとも、どうせ散歩気分なら、トーマも一緒が良かったんだけどね)

 

 

 キリエやアミタと同じく、今はこの艦内に居るトーマ・ナカジマ。そんな彼と一緒に、そう思う感情も確かにあるが自重する。

 

 表面上は何時も通りに振る舞っていても、やはり決着には何か思う所があったのか、トーマは時折考え込む事が増えていた。

 それが負の方向性ならば無理矢理にでも引き摺り出したが、そういう訳でもない様子。そういう暗さは欠片もなければ、横槍は自重するべきだ。

 

 己に刻み込んだ宿敵の想いを抱えて進む為に、彼は折り合いを付けている途中なのだろう。

 傍らに侍るリリィを羨ましくは思っても、所詮は途中からの横恋慕。素直に諦める気はないが、さりとて分は弁えていた。

 

 

(しっかしこれ、出遅れ感半端ないわよね。……此処からキリエさん大勝利展開に持って行く為には、一体どうした物かしら?)

 

 

 そんな不真面目な事を考えながらに、設備点検だけはしっかり行う。

 万が一にも冷凍睡眠装置などが誤作動すれば、数千数万単位で犠牲が出るのだ油断は出来ない。

 

 さりとて考え込む余裕がないと言う程ではない。機械チェックでは問題なしなのだから、これはあくまで二重の点検。油断は出来ないが、気負い過ぎる必要はないのだ。

 故に合間合間に生まれる余裕で、如何に少年を落とそうか、考えながらに作業を進める。そんなキリエの作戦が組み上げられるより前に、彼女の足は艦橋へと辿り着いていた。

 

 ロクス・ソルス艦橋。この巨大な船の頭脳とでも言うべき場所。

 扉の前に立つと、キリエは認証装置に手を当てる。機械的な音声が一つして、扉が一人でに開いた。

 

 一歩中へと踏み出して、キリエは周囲を見回してから上座を見上げた。

 解放戦線のメンバーがブリッジクルーを兼任する中で、艦長席に腰を掛けていたのは赤毛の少女。

 

 ロクス・ソルス臨時艦長。白いプレートに油性のマジックで、記されたのはそんな文字。

 エルトリア脱出計画。その提案者であるが故に、この艦のトップを託された少女。アミティエ・フローリアンが其処に居た。

 

 

「異常な~しッ! 保守点検業務、無事終了しましたッ!」

 

「ありがとう、キリエ」

 

 

 軽い敬礼と共に報告する。そんな妹に微笑みを返して、アミタは彼女から点検用紙を片手で受け取る。

 その内容に不備がないか軽く目を通してから、満足した様に頷くと傍の空席を指差しキリエに提案した。

 

 

「疲れたでしょう? 少し休んでいったらどうですか?」

 

「それじゃ、お言葉に甘えるわ~」

 

 

 手元の端末を使って指示を出し、オートメーション機能の一つを駆動させる。

 副長席の腕掛け部分に、紙のコップが飛び出し中身が注がれる。席に腰掛けたキリエは、コップに入った冷たいお茶に口付ける。カタカタとキーボードを操作する音が響く中、キリエはふうと一息吐いた。

 

 操作パネルではなく、キーボード入力とは今時アナログな。そうと思いながらに、ぼんやりとした顔を晒すキリエ。そんな妹の怠けた表情に苦笑してから、監督者としての仕事しかない少女は彼女に言葉を掛けた。

 

 

「……キリエは」

 

「んー? なにー?」

 

「エルトリアからの脱出に、何も言わないんですね」

 

 

 周囲に聞こえぬ様にと、掛けた言葉に籠った色は何処か苦い。

 それはアミタ自身もこの計画に、心の芯から納得している訳ではないからだろう。負い目の様な感情が、心の何処かに確かにあった。

 

 エルトリア脱出計画。カ・ディンギルから戻ったアミタが、シエルシェルターにて告げた計画だ。

 トーマ達が争っている間にも、ジャベリンを駆り戻る途中にも、アミタが考えていた事。父の遺言への、彼女の答えだ。

 

 縛られていると言われて、否定する事が出来なかった。全てを賭ける覚悟があるかと問われて、頷く事なんて出来なかった。

 なればこそ、父に言われた通りにこの船を見付け出した。この世界から逃げ出すと決めて、共に同じ道を行く賛同者達を募ったのだ。

 

 自分でも納得出来ていない事、そんな想いで誰かを説得できる筈がない。

 だがそれでも、この星には未来がない。カ・ディンギルももう長くは持たないのだ。

 

 元より選択肢などなくて、受け入れるしかない状況。故に全てを伝えたアミタに、シエル村の者達は余り多くを口にはしなかった。

 唯、彼らは一つ頷いた。それしかないなら、そうしよう。確かにそう答え、共に手を取り合った。惑星エルトリアからの脱出計画。それを実行すると皆が頷いたのだ。

 

 皆が頷いた。皆が協力してくれている。それでも、何か思う所はあるんじゃないのか。

 それは自分がそうだから。心の底から納得している訳ではないから、同じ想いを抱く者もいるのではないかと言う不安。

 

 

「そりゃぁさ、想う所も色々ある訳だけど」

 

 

 そんなアミタの不安に、キリエは当然だと言葉を返す。

 逃げると言われて、はいそうですかと頷ける程に故郷を想う気持ちは軽くない。

 

 それでも、それが自分だけではないと知っている。自分達だけが、不満に想う訳ではないと知っている。

 

 

「パパと会ったアミタが選んだ。キリエを背負ったアミタが選んだ。だったらそれって、キリエが選んだ事と一緒でしょ?」

 

 

 アミティエ・フローリアンと言う少女が、どれ程にこの故郷を大切に思っていたかを知っているのだ。

 キリエだけじゃない。シエル村の皆が知っている。大切に想っていて、それでも逃げるしかない。そう結論付けたと分かっている。

 

 ならばどれ程に悔しく思おうと、どれ程に無念に感じていようと、共に行く事に否はない。

 彼らはアミタを信じている。心の底から信じている。信じる者が選んだ明日が、決して悪い物ではないと信じているのだ。

 

 信じた者の選択ならば、それは己の選択と同じだ。そう思うのは、誰もが同じく。

 何時しかタイピングの音が途絶えた艦橋内で、アミタを見上げる無数の瞳。その全てが語っていた。

 

 

「選んだ後は一直線。振り返っている暇はない、ってさッ!」

 

 

 不安はある。不満はある。それでも、後悔と不信。その二つは其処にない。

 選んだ道を振り返る必要はないのだ。何時か帰って来る日を心の底から信じて、今は旅立つ事を選べば良い。

 

 

「……ええ、そうですね」

 

 

 信じる瞳を向けられて、大きな感情が胸を突く。その重さで言葉に詰まって、顔を隠す様に船長帽を目深に被った。

 帽子の影に瞳を隠して、それでも隠し切れぬ情。緩やかに孤を描いた口元を見て、誰もが微笑みながらに己が作業へ戻っていく。

 

 嬉しさと恥ずかしさの板挟み。そんなアミタの直ぐ傍で、椅子を回転させるキリエは笑い飛ばす様に言った。

 

 

「選んだ後の事を今更振り返るより、もっと重要な事は一杯あるでしょ? 例えばさ。どうやってトーマを落とすか、とか。ってか割とMIK(マジで一緒に考えて)なんだけど」

 

 

 選んだ事を振り返るなど、それこそ男を落とす相談より価値がない事だ。そう語るキリエに笑う。

 そうとも自分らしくもない。背負う重さに迷っている暇があれば、駆け抜けてしまえば良いのが真理だ。

 

 振り返るのは、走り終わってからで良い。そうと結論付けたアミタは、キリエに向かってもう一つの真理を告げる。

 

 

「諦めたらどうですか? 既に試合終了ですよ」

 

「ちょっ!?」

 

 

 もう既に周回遅れだ。諦めろ。そう語る姉の冷たさに、妹は噴き出し絶句する。

 絶句して数秒。気を取り直すや否や、文句を口にし出すキリエ。そんな彼女へ、第三者視点の現実をアミタは突き付けていく。

 

 喧々囂々。姦しい遣り取りを始める姉妹の様子に、ブリッジクルーは吹き出す様に小さく笑う。

 そんな彼らに気付かず、喧しく騒ぎ立てる姉妹喧嘩は数分続く。そうして暫しの時が経ち、揃って一端落ち着いた後、キリエはアミタに問い掛けた。

 

 

 

「んでさ、答えは見付かった?」

 

「ええ、一応は――」

 

 

 自分の腕を渡してまで、行って来た成果はあったのか。今更ながらに、姉にそう問う妹。

 そんな妹に一つを返して、アミタは晴れやかな表情で、己の見付けた答えを此処に告げるのだった。

 

 

「私は彼が嫌いです」

 

 

 白い船長服に包まれた、さほど大きくはない胸を張る。

 そんなアミタの語りは如何なる形で続くのか、キリエは疑問を抱きながらに待つ。

 

 一秒。十秒。三十秒。六十秒。何時まで経っても、口にされない第二の句。

 自慢げな表情で、言い切ったと鼻で息する。そんな姉の表情を見上げて、キリエは思わず問い掛けた。

 

 

「……え、それで?」

 

「え? それだけですよ?」

 

「いやいやいやいや、あんだけ悩んでたのに出した結論それだけなのっ!?」

 

 

 己の腕の解体までして準備を整え送り出したと言うのに、出した答えはそれだけなのか。

 愕然と驚愕しながら問い掛けるキリエの言葉に、アミタは言葉が足りなかったかと反省しながら説明した。

 

 

「いえ、まぁ……正当性があろうとなかろうと、感情が変わる訳ではないですし。既に相手は死んでいて、なら死人に鞭を打つ訳にもいかないですし」

 

 

 父に言われた。結局感情の儘に振る舞うしかないと言う言葉。感情の儘に考えて、出した結論は負の感情。

 されど怨敵は既に倒れた。罪悪の王と烈火の剣精は最期まで共に、宿敵と戦い続けて大地に散った。悪意を向ける対象は、最早何処にも存在しない。

 

 許せなくとも、気に入らなくても、死者に向かって為せる事など一つもない。

 彼が護ろうとした者を傷付けようなど、そんな方法はない。善良な彼女では、発想すらも浮かばない。

 

 故に、全て御終いだ。今更何を考えても意味がないと、結局それが結論だった。

 

 

「色々考えて、もう考えても意味がないと言う結論に達して――なので、私はエリオが嫌い。その感情を結論にしようかと」

 

 

 あの少年は嫌いだ。例えどんな理由があっても、どんな生き様があったとしても、アミタは彼を嫌っている。

 結論は所詮そんな物。だからどうしたと言われて、どうもしないと返せる程度。感情論など、その程度の適当さで良いのだろう。

 

 生真面目な少女には相応しくない、適当さに満ちた答え。其処に見る影は、二人にとっては大切な人。

 何処か目を細めながらにキリエは理解する。自慢げな表情で語るアミタも理解している。これはきっと、あの人の影響だ。

 

 

「何と言うか、えーと、……血の繋がりがなくても、やっぱり親子って事なのかしら?」

 

「それを言ってしまうと、キリエも似た者同士と言う事になるんですけど」

 

「私はアミタ程に脳筋じゃあーりーまーせーん」

 

「誰が脳筋ですか!?」

 

 

 何処までも適当で、ダメな所ばかり目に付いた優しい父親。

 例え同じ血が流れていなくとも、二人は確かに彼の家族であったのだ。

 

 再び始まる姉妹喧嘩。じゃれ合う獣の如くに噛み合って、そんな互いに吹き出し笑う。

 一頻り笑いあった後で、見詰め合う。そんな姉妹はまるで祈る様に、今後の展望を此処に零した。

 

 

「でさ、お姉ちゃん。……皆、来てくれるかな?」

 

「分かりません。テレパスタワーを使って、エルトリア中に放送はしましたけど――」

 

 

 アミタの言葉に、キリエやシエル村の人々は頷いた。だがそれは、彼女達が身近な存在であればこそ。

 

 惑星全土に念話の波長を送るテレパスタワー。取り戻し復旧したその装置で、エルトリア脱出計画は既に伝えた。

 だからと言って、言葉だけで皆が来てくれるとは思えない。生存者がどれ程に居るのか、アミタの言葉を誰が何処まで信じてくれるか、何も分かっては居ないのだから。

 

 

「あんま待てないわよね。賛同してくれた、シエル村の人たちの為にもさ」

 

「カ・ディンギルの崩壊までまだ時間はあります。なので、ギリギリまでは待ちましょう」

 

 

 中央塔カ・ディンギルの状況も良くはない。もう長くは持たないと、専門家が見ればそう判断出来る状態だった。

 それは一つに、クアットロの仕込んだ毒の影響。もう一つに、トーマとエリオの決闘の余波。そして最後に、純粋な耐用年数の問題だ。

 

 中央塔が崩れ落ちると言う事は、この世界の消滅を意味している。エルトリアが消えるまで、時間はもう余りない。

 可能な限り、沢山の数。出来れば全ての人々を、救いたいと二人は願っている。だからこそ、世界全土に声を届けたのだ。

 

 

「それでも、此処に残りたいと言う人がいるなら――私には何も言えません」

 

 

 それでも、誰もが信じてくれるとは限らない。信じてくれたとして、それでも残りたいと言う人は必ず居るだろう。

 元よりこの地に残った人々は、誰よりもエルトリアを愛した人々の末である。だからこそ、アミタを信じてついて来てくれる人はきっと多くはない。

 

 ギリギリまで待とう。直前まで此処に居よう。だがその時が来たと分かった時は、心を決めよう。

 救える数には限りがあって、ならば信じてくれた人を見捨ててはいけない。その判断を下すのは、信じられたアミタの役割だ。

 

 

「付いて来てくれる人達と一緒に、ロクス・ソルスで旅立ちます」

 

 

 そう決意して、被る帽子の重さに覚悟する。そんなアミタは、未だ知らない。

 その決意が、その覚悟が、必要とされる時――エルトリアの崩壊は、もう間近に迫っていた。

 

 

 

 

 

2.

 少年達の戦い。少女達の決意。その全てを天の瞳で見詰めていた悪鬼は此処に、悪童の如く笑みを浮かべる。

 些少の予想外こそあれど、現状は大凡彼の想定通り。両面悪鬼が望んだ通り、全てはその掌中で転がるままだ。

 

 

「かくして、宿敵同士の戦いに幕は下り――アイツは己の内に、その全てを刻み込んだ」

 

 

 小高い丘の上で胡坐を掻いて、頬杖を付きながらに鬼面の男は満足そうに笑う。

 女の着物を着崩した男の相は一人、言葉を呟きながらに瞳を閉ざす。振り返るのは、これまでの長い長い道のりだ。

 

 

 

 男は、悪童だった。昔からずっと、性質の悪い悪ガキだった。自分でも碌でもないと、そう断じる事が出来る存在だった。

 何をしても新鮮味が感じられない。生きている実感がしない。その瞬間は楽しくても、終わってしまえば全てが色褪せて感じられた。

 

 既知感だ。一つの事象が終わってから、直後に感じるのはデジャブ。

 この酒は飲んだ事がある。この女は抱いた事がある。何もかもに付き纏うその感覚が、どうしようもなく許せなかった。

 

 その時感じた情すら下らないと言われている様で、只管に気に入らなかったその感覚。

 既知感から逃れる為に、何でもやった。選択肢の総当たり。絶対にやらないだろうと考える事。やりたくない事こそ、男は自ら望んでやった。

 

 その全てが無意味だった。結局、既知感からは逃れられずに、男は友を傷付けただけ。

 交通事故にあって不能となったその日から、逃れられないデジャブに苛まれながらに男は生き続けた。

 

 そして知る。その既知感の由縁を。その身にあった直感の、真実の意味を知って慟哭した。

 

 永劫回帰。繰り返される世界の中で、既知の感情に囚われるのは特別な存在だけ。世界の繰り返しを理解出来る者だけだ。

 神であるメルクリウス。その癌であるラインハルト。そんな彼らと同じく遊佐司狼と言う男もまた、決して例外などではない。

 

 自滅因子。真実全能なる神が、無意識に望んでしまう己の死。

 神の子であり神の端末であったツァラトゥストラ。その彼の癌として、友を滅ぼす役割を担った存在。

 

 観測者。神座が代替わりする時に必ずや現れ、世界の行く末を見届ける存在。

 惚れた女に禊を立てて、異性と交われぬ様に不能となる。そんな超越者の作った端末。

 

 遊佐司狼と言う男はそれだった。自滅因子であり、同時に観測者の端末でもある者。

 神様に都合が良い玩具として作られて、神様に都合良く踊り狂って、その意のままに利用され続けたモノ。

 

 慟哭した。憤怒した。憎悪した。真実を知り、ふざけるなと叫びを上げて、それでも男は変われなかった。

 結局最期まで、神の玩具だった。だからこそ恋い焦がれる。心の底から憧れているのだ。真面目に生きる。そんな人の輝きが眩しいのだ。

 

 故にこそ、心の底から願った理は神秘の否定。お前らなんかいらねぇよ。彼は唯、それだけを祈っていた。

 

 

 

 人の輝きに焦がれ、その姿を見詰め続けた両面の鬼。そうはなれないと知りながら、そうなりたいと今も願っている男。

 彼を縛っていた観測者は既に滅びた。彼を突き動かす自滅の因子は、神の弱体化と共にその衝動が弱っている。だからこそ、今ならば抗える。

 

 この今に望んだのは、大切な友に贈る物。ツァラトゥストラの自滅因子としてではなく、観測者の端末としてではなく、遊佐司狼として望んだモノ。

 その為に矜持を捨てた。自分の誇りに自ら泥を塗った。生き恥を晒すと決めたのだ。全ては一つ、大切な友である彼へ――この策謀こそが、遊佐司狼の捧げる愛なのだ。

 

 

「十分だ。上等だ。もう下地は出来上がった。だから――これで漸く、賭けに出れる」

 

 

 見詰める先、遠く遠く空の彼方に居る神の半身。彼へ感じる想いは複雑だ。

 嘗ての友の写し身で、だが決して同じじゃない。そんな彼は己と同じく、生まれながらの神の玩具。

 

 天から堕ちた道筋は、神の恣意によって歪められた。誰もが求め、望み、流されていた人間未満。

 だが、それも以前の話。既に彼は一個の人間だ。人として生きて、人として決着を付けた。その命は、確かに真っ直ぐ生きている。

 

 素直に尊敬しよう。両手を叩いて喝采しよう。よくぞよくぞと、よくぞ此処まで来たのだと。

 人として完成し、そして流れ出す土台は出来た。ならば後は切っ掛けだけだ。次に打つ一手こそが、宿儺が与える最後の試練。

 

 小さな龍を取り出して、掌に転がらせる。苦痛で暴れる様に、己の手に噛み付く小さな神を見下し嗤う。

 神格域の力を持つが故に、人では倒せぬこの怪物。人の想念から生まれたモノ故に、神なら問題なく倒せるこの怪物。この怪物こそが、最後の試練に相応しい。

 

 

「お前じゃ忠は捧げられねぇ。そもそも神を祀り敬う立場じゃ、テメェが神になれやしねぇ」

 

 

 人が神を鎮める方法。価値あるモノを捧げ宥める。そんな方法論は使えない。

 トーマは大切なモノを捧げられる様な自己犠牲の人ではなくて、全てを手に掴もうと言う強欲な人間だから。

 

 そうでなくとも、神を鎮めると言う方法は“倒せない相手だから倒さない方法を考える”と言う事だ。

 確かに人ならそんな方法を選ばなくてはいけないのだろうが、これから神となるモノがそれでは困る。そんな枠に嵌った対応策など要らぬのだ。

 

 

「人のままじゃ、コイツは止められねぇ。ならば神に成るしかなくて、成れるだけの下地はもう揃っている。ならばもう、十分だろう?」

 

 

 戦う事が愚かであると、発想がズレていると語られる存在。地脈の化身であるが故に、滅ぼせば共に地球と言う惑星が消滅する怪異。

 真面にやっても倒せない存在に、真正面から打ち勝つ事。星を亡ぼさずに、この怪異だけに勝利する。次代を継いで行くと言うならば、その程度はして貰わないと納得できない。

 

 故に、これが最後の試練だ。両面鬼はその掌に、己の魔力を惜しみなく注ぎ込む。

 唯の夢では終わらせない。この怪物を真なる神として顕現させる為に、夜都賀波岐が両翼の力を惜しみなく与えるのだ。

 

 

「俺からテメェに与える最後の試練だ。乗り越えて見せろよ、トーマ・ナカジマ」

 

 

 ドクン。ドクン。鼓動の如く震える身体が、両面鬼の力を喰らって肥大化する。

 自滅の枷から解き放たれて、此処に甦る穢れた龍の力は過去最高。正しくその名に相応しく、強く強く強くその身が変貌していく。

 

 目覚めんとする穢れた龍。その身が腕より巨大となる前に、天魔・宿儺は腕を振り被って大きく投げる。

 投げ付ける先にあるは、巨大な塔。彼らが動かねばならぬ理由を作る為、この世界を支える中央塔の直近にて怪物を解き放つ。

 

 

「さぁて出番だぜ、百鬼空亡(ナキリクウボウ)ッ! 何もかも、一切合切蹴散らしなァッ!!」

 

 

 空が震える。大地が砕ける。中つ塔は斜めに傾き、魔震の余波で壊れていく。

 崩れ落ちる命綱。音を立てて大地が崩壊を始め、空が虚無に蝕まれる。穴だらけとなった天空に、それは遂に姿を見せた。

 

 

――オン・コロコロ・センダリマトウギソワカ

 

 

 両面鬼が投げ付けた場所。其処を基点として、狂える巨大な龍が甦る。

 蒼き空を鉛色に染める程に、余りに巨大が過ぎる龍。女陰めいた卑猥さを晒しながらに走った亀裂は、大地を見下す龍の瞳。

 

 たったそれだけの部位が、中央塔の全貌よりも尚大きい。その頭部。続く体躯の巨大さは、ロクス・ソルスすらも届きはしまい。

 

 

――六算祓エヤ、滅・滅・滅・滅

 

 

 老いた翁の声。幼き童女の声。代わる代わるに嗤う声と共に、現れるのは二つの器。

 穢れた巨大な龍と共に、見えるは穢れて堕ちた人型。赤く染まった長き髪。呪符に縛られた全身は、まるで木乃伊の如きモノ。

 

 覗く単眼が真っ赤に輝き、見下ろす先には今も大地に生きる者達。

 穢れて思考も出来ぬ龍にとって、両面の謀りなどはどうでも良い。考える事すらしないし出来もしない。

 

 唯、龍は穢れを払われたい。嘗ての姿に戻りたい。その為には贄が必要で――そして此処には、贄となれるかもしれない命がある。

 

 

――亡・亡・亡ォォォォォッ!!

 

 

 星の化身は、空の果てなど知りもしない。故にこそ、この穢れた神が求めるのは大地に蠢く人々だけ。

 どうして我をこんなに貶めた。其処に何か想うなら、どうかこの穢れを祓っておくれ。叫ぶ堕龍の声は魔震だ。唯それだけで、世界を亡ぼすには十分過ぎる。

 

 エルトリアの崩壊が始まる。この世界が全て消え去るその時まで――最早、時間は残っていない。

 

 

 

 

 

3.

 裏勾陳。天中殺・凶将百鬼陣。その出現の瞬間を、誰もが確かに理解した。

 頭がおかしくなる程の重圧。余りに膨大に過ぎる力の圧は、正しく大天魔と同等域か或いはそれ以上。

 

 そうとも、今の空亡は過去最強だ。両面鬼の力を数年に渡って喰らい続けて、既にその神格係数は今の彼と同等なのだ。

 

 

「トーマっ!?」

 

「……何だ、この異常な魔力量!!」

 

 

 その余りに暴力的にも過ぎる力は、例え星の海に居ようと感知が出来る。

 ましてや今のトーマならば、力に差があり過ぎて分からないと言う事もない。

 

 当然の如くに二人は気付いて、与えられた部屋から揃って飛び出す。

 広い広いロクス・ソルスの内部通路。飛び出した彼らは艦橋を目指して、一目散にと駆け始める。

 

 この現状、正しく認識している者が居るかは分からない。それでも艦橋に詰めている彼女らが、理解している可能性が一番高い。

 通信機は渡されているが、数度のコールでは繋がらない。或いは向こうも慌てているのか、ならば先ずは合流を。直接会う事を優先しよう。

 

 明らかな異常事態を察知したトーマは迷わず行動を開始して、駆け抜けながらも通信機を弄り続ける。

 幾度かの不通を経て、五度目で漸く繋がった回線。端末に映し出された艦橋は、正しく大混乱と言う有り様だった。

 

 

「やっと、繋がったかっ!」

 

〈トーマさん! リリィさん!〉

 

 

 計器を前にして崩れ落ちたシエル村の住人達。伏せた彼らを救護する為、無事な者らに指示を下しながらアミタは通話口に立つ。

 突如起こったこの出来事を、正確に理解出来ていないのは彼女らも同じく。それでも確認の意を込めながらに、トーマは彼女に問い掛けた。

 

 

「アミタ! 一体何があったんだっ!?」

 

〈分かりません。殆ど何も――分かっているのは、一つだけ〉

 

 

 エルトリアで何かが起こった。その情報を解析する為に、映像を介して“視た”瞬間に倒れた者ら。

 反天使の襲撃に際し、似た様な現象は起きた事がある。その経験故にアミタは、即座に対応する事が出来た。

 

 映し出された映像をその瞬間に断ち切って、未だ無事な者らに指示を出す。

 強大な魔力に当てられたのだと、弱った人々を退避させた後、アナログの機材での観測に切り替えたのだ。

 

 故にアミタは、犠牲を最小限には出来た。されどそれ故に、その場で何があったのか正しく理解出来ていない。

 分かった事は一つだけ。映像が切り替わる刹那、魔刃との戦いで耐性を得ていたフローリアン姉妹が目に出来たのはそれ一つ。

 

 

〈巨大な龍が、突如エルトリア上空に出現しました。その余波で、カ・ディンギルは――〉

 

 

 突如、エルトリアの上空に巨大な龍が現れた事。堕ちて腐ったその龍が、中央塔を砕いた事。

 アミタに分かる事実はそれだけ。そして其処から推測できるのは、何時か来ると思ってはいた最悪の展開。

 

 

〈世界の崩壊が始まります。今直ぐに全てが消える訳ではないにしても、もう長くは持ちませんッ!〉

 

 

 世界崩壊が始まった。全てが虚無へと消えていく。

 未来世界エルトリア。この荒れ果てた大地は正しくこの今に、滅びの刻を迎えていたのだ。

 

 

 

 覚悟はしていた。何時かはきっと、それでも未だ時間はあると。

 きっと慢心していたのだ。未だ余裕があるのだと、だからこの今に大慌てとなっている。

 

 そんなエルトリアの艦橋で、それでも瞳を揺らがせないアミタ。彼女の目を見て、トーマは問うた。

 

 

「どうすれば、良い。俺に、何が出来るっ!?」

 

 

 一体何をすれば、一番の助力となるのか。彼女達がどう動くのか分からなければ、トーマもその答えが出せない。

 故にどう動けば良いのかと問い掛ける。何が出来るかと、何をして欲しいのかと、アミティエ・フローリアンに投げ掛けた。

 

 問われたアミタは瞳を閉じて、僅かな思案の内へと沈む。この先に自分達はどう動くべきなのか、その答えは直ぐに出た。

 

 

〈…………時間がありません。もう待っている時間がありません。だから――〉

 

 

 被る帽子に、背負う重さは覚悟したのだ。貫くと決めたなら、走り切るまで振り向かない。

 目を見開くと周囲を見回す。意識を保った人々が、頷く姿に頷き返す。そうしてアミタは、答えを告げた。

 

 

〈こちらから迎えに行きますッ! ロクス・ソルスの炉に火を入れて、エルトリア全土を一週しますッ!〉

 

 

 これはきっと下策であろう。百鬼空亡は星の化身だ。星の外にあるロクス・ソルスを、アレは認識していない。

 このまま逃げ出せば、此処に居る皆は無事に逃げられる。それが分かってアミティエは、全てを賭けると決めたのだ。

 

 答えを聞いて、トーマはその身を翻す。進む先を艦橋から、船底近くにあるエアロックへと変更する。

 彼女達が為すべき事は聞いた。その上で、自分が何を為せば良いのか。その答えはきっと、これ以外にありはしない。

 

 

「分かった。時間を稼げば、良いんだな」

 

〈お願い、出来ますか?〉

 

「やってみせるさッ! こんな所で、今更ケチを付けられて堪るかよッ!!」

 

 

 シエル村の人々が命を賭けて、エルトリアの人々を救う為に死地へと飛び込む。

 そうと覚悟を決めたなら、トーマが為すべきなのは防衛だ。彼らが乗り込むこの船を守る為、単騎で巨大な龍へと挑む。それだけが彼の選択肢。

 

 

〈……流石ですね。私達の英雄(マイヒーロー)

 

 

 恐れもせずに、戦きも見せずに、当たり前の様に守り通すと語るトーマ・ナカジマ。

 そんな彼に、一番辛い役割を押し付ける。其処に後ろめたさを感じながらも、力強く応える言葉に安堵を覚えた。

 

 

〈私達全員の命。貴方の背に預けます〉

 

〈……トーマが居なくなったら、片手落ちなんだからさ。必ず戻って来てよねッ!〉

 

「当たり前だろ。誰に行ってんのさッ!」

 

 

 英雄。こんな人をそう称するのだろう。輝かしいその背中に、アミタは全ての希望を託す。

 横合いから話を耳にしていたのだろう。通信に割って入ったキリエは此処に、帰って来いと言葉を紡ぐ。

 

 そんな二人に頷いて、トーマはリリィと手を取って、広い艦内を駆け抜けていく。

 頷くトーマの姿に感謝を抱いて、アミタは通信装置を切る。そうして残ったブリッジクルーへ、艦長席から指示を発した。

 

 

「ハッチ開いてッ! 魔力式動力炉、始動!」

 

 

 人工衛星マルドゥーク。火の星を思わせる巨大な星が、ゆっくりとズレて開いていく。

 二重三重の隔壁が解除され、無数のビーコンが発光しながら道を示す。空の海へ、開いた扉を前に彼女は叫んだ。

 

 

「総員対衝撃防御ッ! ロクス・ソルス、緊急発進ッ!!」

 

 

 動力炉に火が灯り、即座に船が動き出す。動き出した速度は、すぐさま最高船速へ。

 本来ならば段階的に、行われる加速を一息に。余りに無理な航行に、艦内全てが激しく揺れた。

 

 激震が続く。激しく揺れたまま、ロクス・ソルスは大気圏へと。

 計器や機材が上げる悲鳴を全て無視して、そのまま荒れ狂う星の只中へ飛び込んだ。

 

 

 

 赤熱し、激震し、そして魔震に飲み込まれる。その全てに、人々は必死にしがみ付いて耐える。

 揺れる艦内はまるで、激しく回る洗濯槽。吐き気を催す様な状況で、それでもトーマは止まらない。

 

 走り抜けて、駆け抜けて、そうして漸く辿り着く。エアロックへと到着した少年は、傍らに佇む少女の手を取った。

 

 

「リリィ」

 

「トーマ」

 

『リアクト・オンッ!!』

 

 

 同調。新生。黒き鎧をその身に纏い、手に取ったのは夢を貫く憧憬の剣。

 空いた左手を握り締め、プラスチックの囲いを躊躇く事なくぶち破る。拳を叩き付ける様に押したのは、緊急時用開閉ボタン。

 

 エアロックが動き出す。二重三重の扉を抜けて、閉まる扉を背後に、最後の扉の前に立つ。

 大気圏突入中である為に、決して開かぬ気密扉。緊急開閉も通じぬ故に、戸惑うのは僅か一瞬。この船ならば持つと断じた。

 

 一閃。二閃と刃を振り抜き斬り裂く。十字に裂けた扉に銃口を向けて、撃鉄を起こして引き金を引いた。

 道を塞ぐ扉を力技で叩き壊して、躊躇もせずに外へと飛び出す。吹き付ける熱を全身に浴びながら、トーマは大気圏へと落下した。

 

 

「オォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 外気圏。熱圏。中間圏。成層圏。対流圏へと突入して、広がるのは虫食いだらけの青い空。

 まるで空を支配しているかの様に、大地の化身は青を染める。遥か上空から見ても尚大きいと、感じる程に巨大な堕龍。

 

 上から墜ちて来た何かを不思議そうに見上げる龍の瞳と、舞い降りた少年の瞳が其処に交わる。

 緩やかに消滅していくエルトリアの空を舞台に、この地で最後の戦いが幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 




みつど「お前、……消えるのか」
あるざす「持った方だよ。頑張った」
ちたま「さりげなく、俺の命も消えそうなんだが」





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