リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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前話の感想三件が、全部クアットロさん関係でクソワロタ作者です。
ほんの数行分の出番で感想欄を染め上げる。これは大人気キャラですね。(阿片スパー)


楽土血染花編第三話 闇を織りなす罪を見る

1.

 原初の闇が過ぎ去って、真の夜が訪れる。山の手にある邸宅は壊れ果て、されど散り行く命は未だない。

 崩れた瓦礫の奥深く、偏執的な程強固に作られた地下空洞は今も健在。散り行く命は未だ無くて、されど()()()()と言う状況でしかなかった。

 

 

「取り敢えず、これで一先ずは。だけど……」

 

 

 産後の肥立ちも未だ終わらず、元より弱っていた女。そして生まれたばかりのその娘。儚い母と娘にとって、狂気の波動は余りに影響力が強過ぎた。

 全ての人が夜に囚われ、残るは血族だけとなった時。己の力を解放しようとした瞬間。自壊に至るまでのほんの僅かな時だけで、月村親子には十分過ぎる毒だった。

 

 

(もう一度、あの闇が来たら――)

 

 

 戻って来て直ぐに、倒れた姉と姪を目にした。そんなすずかは医務官として即座に動いて、彼女らの治療を済ませた。

 それでも此処で出来るのはほんの僅かな対応のみ。治療魔法を駆使しても、抜本的な対策など出来はしない。体力の衰弱が原因ならば、一足飛びに全回復など望めない。

 

 治療を終えた月村すずかは、静かに眠る姉を見詰めながら思考する。もう一度あの闇が此処に来れば、その時こそ彼女達は持たないだろうと。

 

 

(なら、二人を連れて――さくら叔母さん達も一緒に、ミッドチルダまで退くべきかな?)

 

 

 向かい合って理解した。肌で感じてもう分かった。あの闇を食い止めるに、己一人ではまるで力が足りていない。あの時自壊が起こらなければ、夜の一族は壊滅していた。

 ハッキリ言って、地球の戦力では不足が過ぎる。仮に一族が他に残っていても、高町家を動員しても、闇と化した弓華を倒す事など幾つ奇跡が重なろうとも不可能だろう。

 

 だが、それは地球で戦った場合の話。管理局に戻ったならば、あの闇とて容易くは倒せぬ戦力がこちらにも存在している。

 例えばクロノ・ハラオウン。或いはザフィーラやアリサ・バニングス。相性は決して良くはないが、好相性のすずかと同程度の善戦はしてくれるだろう実力者たち。

 

 そして何より、ミッドチルダに引き込めれば、高町なのはが其処に居る。確実にあの闇よりも上を行く、そんな女が味方に居るのだ。

 その事を考慮に入れるなら、此処で手を拱いているのは下策。ミッドチルダに撤退して、其処で迎え討つ事こそが上策。そんな事、考えるまでもない。

 

 

(だけど、それだと――姉さんが持たない)

 

 

 一応は落ち着いた姉と姪。だが彼女達の衰弱は、解決した訳ではない。その疲弊が、なくなった訳ではないのだ。

 姉の方は特に酷い。寝たきりで安静にしていなければ、間違いなく命に差し障る。ミッドチルダへの移動にすら、現状では耐えられる様に思えなかった。

 

 これは選択だ。これも一つの選択だ。皆が死ぬかも知れない道。確実に一人が助からないが、それ以外が助かる道。その二つが眼前にある。

 姉に意識があったなら、娘だけでもと語るであろう。必ず死ぬとは決まっていないと強がって、自身に掛かる負荷など気にするなと語るであろう。それでも、やはり命を落とす可能性は非常に大きい。ならばすずかは、それを選べない。

 

 揃って救いたいと思ってしまう。それがどれ程に愚かな選択か、分かっていても想ってしまう。誰かの犠牲を許容して、そんな道など選べやしない。

 

 

(私達は愚かでも、尊い道を選ぶと決めたから。――きっとそれこそが、善き場所へと繋がっていると信じたい)

 

 

 次善の為に、誰かを見捨てるなんて道は無しだ。僅か思考に沈んだすずかが、出した結論はそれ一つ。

 彼女は光に焦がれる吸血鬼。当たり前の如くに生きる人々を、その善き場所を何時だって、焦がれて見詰めるモノだから。

 

 何処までも愚劣な理想を胸に抱いて、尊い道を真っ直ぐに生きる人々を追い掛けて生きたいのだ。

 

 

「さて、次は――ノエル。皆さんを集めて。場所は、直ぐ隣の和室で良いかな」

 

「はい。……忍お嬢様方は、如何されますか?」

 

「そうだね、二人はファリンに任せるよ。出来るよね」

 

「はい。お任せ下さい。お嬢様っ!」

 

 

 治療を終えて一息を入れる暇もなく、すずかは立ち上がって振り返ると、控えていた二人の従者に指示を出す。

 ノエルとファリンは揃って礼をして、それぞれの役を果たす為に動き出す。そんな二人に後を任せて、すずかはスノーホワイトを手に取ると起動した。

 

 パネルを操作すると文章を打ち込み、簡易の報告書類を作り上げる。

 己を襲った現状と敵戦力に対する情報。それに付け加えるのは、管理局への援軍要請。

 

 

(管理局には援軍要請を。……間に合うかどうか正直微妙だけど、ううん、クロノ君達なら間に合わせてくれる筈)

 

 

 間に合うだろうか。否、必ず間に合わせてくれるだろう。そう信じて、月村すずかはデバイスを懐へと仕舞い込む。

 そして皆を集めた部屋へと向かう。集めた理由は唯一つ、彼らの知る事情を聴く為。此処に襲い来る敵の真実を知る為。

 

 少しだけ、胸が痛む。怖気が胸を突くのはきっと、あの女が確実に被害者であると分かっているからだろう。

 夜の一族への過剰な憎悪。そして綺堂の夫妻にとっての知人であったと言う事実。それが示しているのだ。分かってしまった。

 

 

 

 アレは己達が生み出してしまった、一族の罪が象徴なのだと。

 

 

 

 襖を開いて向こう側。既に関係者は一同に会していた。椅子も机もない畳の部屋に、誰もが腰を下ろしている。

 足を崩している者が居ないのは、彼らが皆生真面目な性格をしているからか。闇の牢獄から解き放たれて、未だ間もないと言うのに律儀な話だ。

 

 

「……もう、分かってますよね。皆さんを此処に集めた理由」

 

 

 誰もが姿勢を正し、誰もが表情を引き締めて、しかし瞳に浮かぶ色は三者三様。

 恐怖。困惑。後悔。それは彼らがどれ程に、あの闇と深い関係にあったかと言う証明だろう。

 

 

「集められた理由。弓華について、だよね」

 

 

 信じたくはないと、きっと何かの間違いだと、そんな恐怖の色を浮かべているのは少女の如き容姿の青年。相川真一郎。

 彼は女と最も近かった者。なればこそ、菟弓華を信じたい。彼女が憎悪に身を焦がすだけの復讐者と化したなど、理解などしたくはない。

 

 それでも、そんな彼にも分かっている。如何に現実を見たくないと叫んでも、辛い事実は消えてはくれないと。

 目を逸らし、耳を塞ぎ、それでは残った者すら失ってしまう。そんな事はもう分かっていて、だから歯を食い縛ってでも此処に居る。

 

 

「弓華さんについて、俺が知っている事は少ない。同僚だった美沙斗さんから、色々と聞いてはいたけどな」

 

 

 困惑を抱いているのは、高町恭也だ。妻子を狙う謎の怪人と、何度か手合わせをした事のある知人女性が繋がらない。

 実力者である事は知っている。それでも恭也と五分程度、あれ程に怪物染みてはなかった。そんな知識がある為に、恭也は困惑していたのだ。

 

 それでも、事実として敵対している。放置しておけば、妻と娘が危ないのだ。ならば敵が誰であろうとも、斬って捨てるより他にない。

 とは言えすずかの助けがなければ、闇の牢獄から脱出する事すら出来なかった程度。己が前線を張れる様な状況ではないと、この場で一番役には立たないだろうと理解出来ていた。

 

 

「彼女は、氷村遊の――兄さんの犠牲者よ」

 

 

 名前と同じく、桜色の髪を伸ばした女は静かに告げる。菟弓華は被害者で、犠牲者で、そして復讐者なのである。

 彼女が抱くのは強い後悔。兄を止められる立場にあったのに、殴り飛ばすだけで終わらせた。其処に肉親の情がなかったなどと、否定する事は出来やしない。

 

 氷村遊がああなった間接的な原因。氷村遊を仕留められる機会はあったのに、見逃してしまった元凶。己をそうと思えばこそ、綺堂さくらの後悔は重かったのだ。

 それでも、気が重いからと語らぬ訳にはいかない。責任を感じていればこそ、口にせずには居られない。誰よりも後悔していればこそ、誰よりも向き合わねばならぬのだ。

 

 

「彼女の名前は、菟弓華。……出逢ったのは高校生の頃、留学生として俺のクラスに転校して来たんだ」

 

 

 真一郎はあの日の出逢いを思い返しながらに、女の過去を此処に語っていく。

 拙い日本語で名を名乗る。隣の席に座らなければ、教師からの頼まれ事がなければ、恐らくは関わり合いにならなかったであろう女。

 

 それでも、あの日々に後悔なんて一つもない。それが例え、虚偽に始まり、裏切りを前提としたモノであったとしても。

 

 

「だけど、それはカモフラージュだったらしいわ。私は詳しくは知らないけど……彼女は“龍”と言われる犯罪組織の構成員で、ある政治家を暗殺する為に送り込まれて来たエージェントだったそうよ」

 

「コードネームは泊龍。偶然、正体を見ちゃった僕といずみが狙われて。……でもそのお陰で、本当の彼女と親しくなれたんだ」

 

 

 父親殺しの過去を持つ女。何処までも冷酷非道な組織の殺し屋。そんな女の心を揺らしたのは、彼女と過ごした虚偽の日常だった。

 野々村小鳥と友になり、相川真一郎と友になり、その日常が彼女の心を僅かに溶かした。だからこそ、その刃は鈍り、御剣いずみに彼女は敗れたのだ。

 

 

「その後も色々あったんだけど、結局弓華は龍を裏切って。いずみのお兄さんと一緒に過ごした後、香港国際警防隊って組織に所属する事になったんだ」

 

「……私が友人として付き合い始めたのは、その後の事よ。真一郎さんと小鳥を介して、共通の友人同士って形でね」

 

 

 敗れた後に捕縛され、情状酌量の余地と司法取引の末に御剣家に身柄を移される。

 保護観察期間中にいずみの兄である火影と恋仲となり、しかし己の重ねた罪故に日常で安らぐ事を女は己に許せなかった。

 故に彼女は日常を脅かすモノを破壊する為、嘗ての罪を贖う為、香港国際警防隊に所属した。古巣であった“龍”を討つ為、単身香港へと渡ったのだ。

 

 それでも、彼女は日常を愛していた。守る事は出来ずとも、海鳴の地を故郷と想っていた。だからこそ、その後も交流が続いていた。

 争いの日々の中、時折この地に戻って来る事。たったそれだけが弓華にとっての救いであって、幸福だった。彼女を追い掛けて、御剣火影が香港に渡った事も確かに影響した。

 

 ほんの僅かな幸福が、少しずつ大きくなっていく。生まれと育ちが故に闇の底に居た女は、確かに救われつつあったのだ。

 

 

「全てが変わってしまったのは、あの日。氷村遊が、また来たあの日だ」

 

 

 あの日の悲劇。氷村遊の襲撃が起こる日までは――

 

 

「その日は皆で、久し振りに集まろうって。唯子と一緒に駅に着いたら、もう小鳥と弓華が先に着ていて」

 

 

 旧友皆で海鳴市へ集まろう。久し振りに顔を合わせて、共に遊び笑い過ごそう。そんな小さな同窓会。

 恐らくあの男は、皆が揃う日を狙っていたのだろう。駅で待ち合わせをして、人が揃った瞬間に衝撃が彼らを襲った。

 

 何の脈絡もなく、余りにも突然に、大切な友人の命が零れ落ちた。後に残ったのは、駅の白い壁にこびり付いた血肉の薔薇。

 

 

「……まるでトラックに跳ねられたみたいに、小鳥が潰された。唯子が必死に叫びながら、俺は、呆然と見ているしか出来なくて」

 

 

 思い出すだけで、吐きそうな程に顔を青くする。今も目を閉ざす度に、瞼に浮かんでしまう惨劇の光景。

 高所からの襲撃。鬼の身体能力を用いた強襲。その衝撃は、数トンのトラックすら超える程。小さな体躯の女では、耐えられなくて当然だった。

 

 大人しくて、人見知りが激しいけれど、誰より心優しかった少女。だからこそ皆の中心に居た小さな鳥は、あの一瞬で挽肉へと変えられたのだ。

 

 

「気が付けば、血溜まりの中、立っていたのは俺だけだった。アイツは嗤いながら、俺を嘲笑って――」

 

 

 咄嗟に動いた弓華は片手間に倒された。悲鳴を上げながら、手が真っ赤に染まるのも気にせず友を助けようとしていた唯子は首を捥ぎ取られた。

 絶叫を上げる野次馬達も、あっという間に数が減らされ気付けば零に。たった一人立ち尽くすしか出来なかった真一郎を、赤い瞳が見下しながらに嗤っていた。

 

 お前の所為だ。お前の責任だ。なのに何も出来なかったな。嘗て己に屈辱を与えた少年に向けて、それこそが氷村遊の復讐だったのだ。

 

 

「私が駆け付けた時には、息があったのは真一郎さんと菟弓華だけだったわ。意図して残した真一郎さんと、あの場で一番体力があったから生き延びたあの女だけだったのよ」

 

 

 当時の光景を思い出して、遂に限界を迎えたのか、震えて嗚咽しながら言葉を上手く語れなくなった真一郎。

 そんな彼を抱き締めながらに、綺堂さくらが言葉を引き継ぐ。余りに強い血の臭いに、慌てて駆け付けた彼女の前にあったのはその惨劇だった。

 

 

「頭に血が上って、殴り掛かって、それでもあっさり押し負けた。……その後は、知っての通りよ。敢えて生かす事で、屈辱を与えた。嘗ての憎悪を晴らす様に、私達の知り合いを次から次に奪っていったの」

 

 

 懐かしい顔に、再会を喜ぶ前に激怒した。矍鑠たる怒りを以って殴り掛かって、しかしあっさりと鎮圧された。

 嘗ては身体能力の差が故に、その力量差が裏返っていた。真なる怪物として覚醒した吸血鬼を前に、さくら一人では何も出来ずに敗れたのだ。

 

 そうして敗れたさくらと真一郎の前で、氷村遊は彼らの知り合いを一人一人と狩り始めた。見せ付ける様に、嘲笑う様に、態々彼らの前に連れて来て、残虐の限りを尽くしての殺戮を続けたのだ。

 

 

「だから、私は真一郎さんを連れて逃げ出した。誰かに頼れば、頼った人が遊にやられる。だから他の誰も巻き込まない様に、二人だけで逃げ出したの」

 

 

 親族や友人だけではない。教師やクラスメイト、果ては街で一度か二度会話した事がある程度の相手まで。

 あらゆる知人を手に掛けながら、嘲笑を続ける吸血鬼。氷村遊の殺戮を前にして、綺堂さくらは逃げ出した。真一郎を引き連れて。

 

 誰かに頼れば、その誰かが殺される。そんな経験を二度三度を味わえば、誰も頼れないと諦める。

 諦めながらも、それでも泥を食んで必死に逃げ回る。その無様さに溜飲を下げたのだろう。気付けば二人を追う脅威は、影も形もなくなっていた。

 

 それでも、また元の場所へと戻れば氷村遊が来るかもしれない。そんな恐怖に、折れた二人は抗えなかった。

 誰も知らない場所へと逃げて、誰にも知られない場所で二人、傷を舐め合い慰め合って生きて行く。心を折られて、残ったのはそんな共依存。

 

 結局、氷村遊が討たれるその日まで、彼らはそうして震えている事しか出来はしなかったのだ。

 

 

「その後、氷村遊は龍と並んで、香港国際警防隊の標的になった、らしい。詳しい経緯は、分からないんだが」

 

 

 だから、その後を二人は知らない。その後の流れを知るのは、生き残りから話を聞いた高町恭也一人である。

 

 

「龍は氷村遊に壊滅させられた。その時に、香港国際警防隊も潰された。……生き残りは、皆捕らえられた」

 

 

 菟弓華はあの日の後に、傷を治して警防隊に戻った。龍への恨みを超える、吸血鬼への怒りを宿して。

 そんな彼女の変貌と、そして彼女を追って所属していた御剣火影の憤慨。実の妹を吸血鬼に殺されて、火影と言う青年も怒り狂っていた。

 

 構成員二人が語る吸血鬼の脅威。それを耳にした香港国際警防隊の陣内啓吾は、彼の怪物の討伐を龍への対処と同程度の最優先事項に据えた。

 彼の吸血鬼が龍を殲滅している場面に遭遇し、即座に吸血鬼を倒そうと行動したのもそれが故。だがそれでも、どれ程に強大な組織であっても、人の集団では怪物には届かなかった。

 

 龍は滅んで、国際警防隊も壊滅した。そして生き残った人々は、氷村遊の掌中にへと堕ちたのだ。

 

 

「これは父さんと一緒に、救出された美沙斗さんから聞いた話なんだが……捕らえられた人々は、大きく分けて四つの対応を受けたらしい」

 

 

 吸血鬼が地獄の炎に焼かれた日の後、大陸を探して回った士郎と恭也は御神美沙斗を見付け出す。

 既に虫の息と言う程に、だが確かに息があった彼女。如何にか救出されたその命は、辛うじてだが繋がれた。

 

 生きているだけマシなのか。死んだ方がマシなのか。判断に付かない程に傷付いたその身体。

 現代医学での回復は困難で、だが高町家には縁があった。ハラオウン一家やユーノ・スクライア。彼らを介して、魔法の知識が確かにあった。

 

 だからこそ、救出された美沙斗は彼らの下へと預けられた。そうして魔法治療の末に意識を取り戻し、全地球焦熱の後にこの地へと戻って来ていた。

 そんな彼女から話を聞いたのだ。どれ程に心に傷が出来ているのか、それでも今からでも判明する事実によって何かが変わるかも知れないと、語ってくれた彼女はとても強い女だったのだろう。恭也は心の底から、美沙斗に対して敬意を抱いていた。

 

 

「先ず女性と男性で分けられたそうだ。そして、女性は夫や恋人が居るかどうか――性交渉経験の有無でまた区別された」

 

 

 捕らえられた人々の分類は、性別と他者と交わった経験があるか否か。

 吸血鬼は処女や童貞の血を好む。それは他者と交わる事で、他者の切れ端が混ざるから。純粋な魂の味こそを、彼の怪物は好んでいたのだ。

 

 

「処女は餌として、生き血を呑む為に氷村遊に献上された」

 

 

 密教の一部には、男女の交合こそ悟りに至る道とする教えがある。性的絶頂こそが、悟りの境地とする考えだ。

 その是非は如何であれ、その行為を特別視する事はあながち間違いではないのだろう。他者と深く交われば、己の何かが変わるのだ。

 

 その変化を吸血鬼は好まない。なればこそ、純粋な血を彼らは好む。自分ではない他が交じり濁った血など、食指が動く様な物ではない。

 

 

「そうでない女は、次の餌を産む為に――手足の腱を切り落とした上で、牧場と呼ばれる施設に囚われたと聞く」

 

 

 ならばこそ、生娘は生き血を啜る餌となった。そうでない女は、子を産むだけの胎盤だ。

 喰ってばかりでは減ってしまうからと、増やす事を考える。それは人を家畜と見ればこそ、余りに傲慢が過ぎる発想だろう。

 

 

「男の方は従順か、そうでないかが区別対象だったらしい。氷村遊に従う奴は生かされて、奴の従者か牧場の種馬に。逆らう奴は、娯楽の為の玩具として使われた後に処分されたそうだ」

 

 

 吸血鬼は異性の血をより好む。氷村遊にとって、男は吸い殺す対象になり得ない。

 生娘が山ほど手元に居るのに、男に牙を立てる趣味はない。上質な食事を前に、ゲテモノ食いをしようなどとは思えなかった。

 

 故に男の区別は簡単だ。自分に従い称えるか、自分に逆らい壊れるか。二者択一は簡単だった訳である。

 

 

「美沙斗さんは牧場行きになる前に、奴に従順な人間に選ばれ買われて行った。……対して、菟弓華は」

 

 

 真っ先に氷村に下った人間の男。警防隊の外部関係者であった彼が、以前より美沙斗を狙っていたのは幸か不幸か。

 欲しい欲しいと煩い小物に、氷村は呆れながらに女を渡した。そうして劣等種が喜ぶ姿を見下しながら、残った者を使って餌を増やそうとしたのである。

 

 

「恋人の居た彼女は、牧場に堕ちた。……その境遇。その屈辱。その憎悪。正しく想像を絶する――生半可なモノじゃ、ないんだろうな」

 

 

 人間を増やす為の牧場。其処で行われた凄惨な光景は、想像するのに容易いものだ。

 だが相手は人を家畜と見下す吸血鬼。その場で起きた真実は、正しく想像を絶するものであったのだろう。

 

 

 

 何故ならば、生き残りがいないからだ。菟弓華と言う一人を除いて、あの牧場に居た人間は皆が死んでしまっているのだから。

 

 

 

 

 

2.

 繰り返す。繰り返す。繰り返す。終わりのない悪夢のリフレイン。目を閉ざし、立ち止まる度に映る光景。

 許すな許すな決して許すな。湧き上がる憎悪と憤怒。矍鑠たる意志を持って、全ての化外を滅ぼすのだと己に示す。

 

 あの日の牧場で、あの時に落ちた地獄の中で、汚泥に染まりながらに抱いた意志は今も胸に宿っている。

 

 

〈それで実際ぃ、なぁにがあったんですかぁ?〉

 

 

 悪夢の中に浸る女の耳元で、蠅声が音を立てている。何があったのかと、語り掛ける甘い声。

 見詰める悪夢が少しずつ、その色を変えていく。蠅声に誘導されたまま、意識は嘗てに戻っていく。

 

 牧場に堕ちて直ぐ、男達に暴行された。為す術なく襲われて、必死に手を伸ばす愛しい恋人。

 襲う者らが下種ならば、素直に恨み怒れただろう。だが彼らは皆、苦しみ詫びながらに女に欲を放つのだ。こうしなければ、己や己の大切なモノが壊されるのだと。

 

 

〈身勝手な話ですよねぇ。僕は悪くない。俺は悪くない。悪いのはアイツだ。だから僕らは悪くない。そう言って口にするのは責任転嫁。やってる事は変わらないのに、泣きながらやってれば許せるなんて、実際問題どうなんでしょうねぇ。実は盟主さまぁ、まぞだったりしますぅ?〉

 

 

 許せない。許せた訳ではない。断じてその行いを、肯定できる訳ではない。

 だが心の何処かで、納得出来てしまったのだ。泣きながら襲う男を前に、真実邪悪が誰であるかは分かっていた。

 

 だからこそ、怒りも憎悪もあの男へと。友を奪い、己を此処まで貶めて、この惨劇を生み出している。そんな男へと向かっていた。

 

 

〈吸血鬼を憎みながらぁ、あんあん喘いでいたんですねぇ。それで男は愛想尽かしちゃったとかぁ? 犯されてるのに股を開いてるビッチとかぁ、そりゃ男の方もゴメンですよねぇ〉

 

 

 違う。彼はそんな男ではない。己が愛し、己を愛した。そんな彼は血の涙を流しながらに、共に助かる道を探していた。

 

 休みなく犯され続ける女を前に、歯噛みしながら憎悪に耐える。憤怒を胸に抱きながらに、彼は為す術を探していた。

 男は捕縛されてはいたが、女と違い手足を切られた訳ではない。だからこそ必死に耐えながら、隙を見付けて助け出す為に動いていたのだ。

 

 

〈女は手足を切ったのにぃ、男はしっかり残していたぁ? あ、もしかしてぇ、それも意図的だったとかぁ?〉

 

 

 そうだ。その通りだ。男に手足を残した理由は、男がある流派の使い手だったから。蔡雅御剣流忍術。その技術が氷村遊の興味を惹いた。

 永全不動八門一派・御神真刀流の片手間に、学べる程にどちらも軽くはなかった。故にこそ、壊滅前に学べなかったモノの参考資料として、男は保管されていた。

 

 全ては吸血鬼の悪辣な遊びだったのだろう。態と弓華を救出しやすい様に、逃げ出す事が出来る様に、そうして作った偽りの希望。あの男は嗤いながらに、それを彼らの前で奪い去ったのだ。

 

 

――さぁ、毛皮を狩るぞ。血肉を捌くぞ。お前が積み重ねた全て、僕に献上する日が来たぞ。

 

 

 重ねられた憎悪。膨れ上がった憤怒。全てを込めて、吸血鬼を討たんと駆けた御剣火影。

 その技巧、その奥義。一つ一つと学習しながら、吸血鬼は全てを奪い取った。そうして、火影は価値を失った。

 

 

――喜べ、下等種。蔡雅御剣流忍術。僕が覚える価値があるモノだった。

 

 

 勉学が終わったならば、残った資料はもう不要。当たり前の様に、男は其処で処分された。

 女は狂った様に叫びを上げる。事実、其処でもう壊れていたのだろう。あらゆる尊厳を奪われても耐えられたのは、彼が居たからこそなのだから。

 

 もう我慢する故もない。もう終わってしまって良い。自暴自棄の果てに、動かぬ手足で暴れ狂う。

 そんな女を見下して、氷村は一つ嘆息した。そうして更に一つを告げる。女の手足を肩と股間の付け根から、本当に切り落としながらに告げた。

 

 

――この塵も、もう要らん。適当に処分しておけ。

 

 

 言って、振り返りすらしない。処分の方法にすら、関心一つ寄せはしない。壊れた女の叫びを背にして、吸血鬼は去っていく。

 そして女は、心の次に身体を壊された。吸血鬼に従う者らの中でも更に底辺、碌でもない奴らの遊び道具と化して壊された後に捨てられた。

 

 同じ様に壊れた女達。酷使された秘部は性病で焼け爛れ、食事すら真面に取れずに全身はやせ細り、塵の様に捨てられた残骸達。

 憎悪と怨嗟と絶望に満ちた血肉の山。腐った身体は動かずに、蠅が集って蛆が湧く。そんな廃棄処理場の奥底で、それでも弓華は生きていた。

 

 

〈あれれぇぇぇ、おっかしぃぃぞぉ? 死んでも良いから暴れたのにぃ、どうして塵山で生きてるのぉ?〉

 

 

 死んでも良いから、この恨みを晴らしたい。あの時の自暴自棄は、要はそういう種類の物だったのだろう。

 どれ程に暴れても、どれ程に狂っても、憎悪の牙は届かない。だから一矢報いるまではと、必死に生に噛り付いた。

 

 腐った塵の山の中、蛆虫に身体を喰われながらに、それでも意志の力だけで女は生き延びてしまったのだ。――故に、あの男に出会った。

 

 

――おや、これは。面白い者を見付けたね。

 

 

 どれ程に時間が経ったのか。気が遠くなる程の苦痛の果てに、白衣の男が其処に現れる。

 手には一つの計測器。それは魂の力である魔力の波長から、人の渇望の強さを計測する装置。

 

 八神邸に隠れ潜んでいた天魔・母禮。その調査の為に地球を観測する中で、偶然装置が拾った小さな波動。

 興味を惹かれて、危険と知りながらも足を運んだ。そんな彼が見付けたのがこの塵山で、其処に埋もれていた女であった。

 

 

――性病と飢えによる免疫低下。一部肉体の癌細胞化。白血病。内臓癌。脳腫瘍。……おやおや、これは寧ろ発症していない病気を探す方が大変そうだ。

 

 

 異常に膨れ上がった肉塊。腐って蛆が湧いているのに、目が強い憎悪の光を放っている。

 己の手が汚れる事すら厭わずに、残骸に触れて診察する。その目に見えて分かる異常に、白衣の男は刻まれた笑みを深くした。

 

 男の本命は変わらない。特別な血筋に生まれた少女と、彼すら魅せた唯人の融合。陰陽を以って至る太極。

 それでも、常に二つ三つと策を同時進行で動かすのがこの男。そんな彼にとって、渇望だけで生き延びる肉塊は余りに興味をそそる材料だった。

 

 

――それでも、生きている。それも意志の力だけで。それ程の憎悪か。それ程の憤怒か。いや実に素晴らしい素材だね。

 

 

 魂の波動は弱い。その資質は決して優れている訳ではない。菟弓華と言う女は、特別なモノと言う訳ではない。

 それでも、あの少年と同類だ。己の意志一つで、特別ではないと言う状況を覆している。その意志力は、生来の才能とはまた違った稀有さ。

 

 これを材料に、実験をしてみよう。そしてもしも、それで生き残る事が出来たなら。狂気を抱いた求道者は、その瞳を濁らせながら問い掛けた。

 

 

――折角だ。君に選択肢を上げよう。君が己で望むなら、君を私の共犯者にしてあげよう。

 

 

 彼女の類稀なる資質は、その意志力唯一つ。なればこそ、自分の意志で決めなくては意味がない。

 故に狂気の求道者は手を伸ばす。その背より差し込む光は後光の如く、嗤う白衣の男はゆっくりとその手を伸ばして問うた。

 

 この手を取れば、お前に力を与えよう。その憎悪と憤怒を晴らす為の、絶対たる力を与えようと。

 

 

――さあ、どうするかね? 怒りと憎悪に震えながら、腐って死ぬしか道がない女よ。

 

 

 差し出した掌。その手を取る事など、女には出来ない。それは心情の問題ではなく、単純に物理的な理由。

 女には手がない。女には足がない。両手両足は既になく、胴体に繋がる首があるだけ。それでどうして、手を取る事など出来るだろうか。

 

 それでも、女は動き出す。死体にしか見えない女が、ずるずると地面を這い摺り進んだ。

 憎悪に身を焦がし、憤怒に瞳を染め上げて、芋虫の如くに進む。血反吐を撒き散らしながら、それでも前へと。

 

 

――手を、取ったね。喜び給え、この瞬間、君は私の同士となった。

 

 

 伸ばされた掌に、頭をぶつける。それが女に出来た、唯一つの意志表明。

 撒き散らされた血反吐の中に、零れ落ちた臓腑を見付ける。身体を欠損させながら、それでも示された意志に男は狂喜で哄笑した。

 

 そして何処までも純粋に、その意志へと敬意を払う。素晴らしい意志の輝き。故にこそ、彼女は己の同士であると。

 

 

――折角だ。名前が必要だろう。君と私と、互いの異名を合わせてみようか。

 

 

 男は知っている。男は女の素性を知っている。この塵山を見付けてから、接触するまでに調べ上げた。

 龍と言う存在。女の過去と与えられた一つの異名。そして彼女がこれ程の憎悪を向ける、突然変異の生命体を。

 

 

――泊龍。そして、無限の欲望。合わせて、そうだね。……無限龍と言うのはどうだろう?

 

「……は、嗤わ、せるナ、ヨ」

 

 

 提案するスカリエッティの言葉に、思わず失笑が漏れていた。言葉と共に、腐った歯肉から穴だらけの歯が零れ落ちる。

 ボロボロと、開いた口は血肉が剥き出し。咳き込みながら語る言葉は、余りに耳障りが過ぎるであろう。それでも女は語り、男はそれを聞き届けた。

 

 

「……手も、足も、ない龍なんテ、唯の、蛇ヨ」

 

――成程、蛇、か。ならばこうしよう。……我々は今から、無限の蛇(アンリヒカイトヴェーパァ)だ。

 

 

 手も足もない龍。既に蛇となった女の言葉に、狂った男は一つを頷く。

 敬意を表するに足る女と、己の異名を合わせる。無限の欲望。そして蛇。二つを合わせて、この瞬間に生まれたのが管理局の最暗部。

 

 ジェイル・スカリエッティと菟弓華。二人の出逢いを切っ掛けとして、無限蛇は此処にその生を受けたのだった。

 

 

――宜しく、共犯者。君が私の実験に耐え、力を得る事を期待しているよ。

 

 

 魔法の力によって浮かび上がりながら、菟弓華は暗く嗤う。この男への不信や疑念など、其処には欠片も存在しない。

 生き延びるのだ。生きて力を手に入れるのだ。そして、あの吸血鬼に討ち滅ぼす。この憎悪と憤怒を持って、犠牲者達の恨みを晴らすのだと。

 

 その爛々と輝く瞳を前に、ジェイル・スカリエッティは静かに嗤う。最後に一つ、女に向けて試練と渡す。それは今の女には、余りにも残酷が過ぎる一つの真実。

 

 

――ああ、そうだ。言い忘れていたが。

 

 

 それを聞いて尚、揺らがぬならば良し。揺らいで死すると言うならば、残念だがその程度だったと言う事だろう。

 故に男は躊躇わない。息する様に自然体で、何ら気負う素振りも見せずに――女が生き続けていた、その執着を打ち砕いた。

 

 

――氷村遊は、もう死んだよ?

 

 

 その言葉を聞いた瞬間。菟弓華は己の中で、ぴしりと、何かが壊れた様な音を聞いた気がした。

 生きたまま腐って、生きたまま蛆に喰われて、それでも生き続けた芯が崩れ落ちる。本当の意味で、女が壊れた瞬間だった。

 

 

 

 それでも生き延びてしまった事。それこそがきっと、一番の悲劇だったのだろう。

 菟弓華と言う狂った女は、復讐の相手もいないのに、復讐の為に生き延びてしまったのだ。

 

 

 

 

 

「嗚呼、何て可哀想な盟主様。必死に生きて生きて来たのに、もう恨みを晴らす相手は居ないなんて――超、受けるぅぅぅ」

 

 

 悪夢に沈んだ女の思考を誘導して、一通りを聞き出した魔群は嗤う。腹を抱えておかしいと、この女を嘲笑う。

 もう恨む対象が居ないと分かったのならば、其処で死んでおけば良いのに生き延びた。結局何がしたいと言うのか、最早女自身分かってなんて居ないだろう。

 

 クアットロは瞼すらない瞳をギョロリと動かし、魘される女の本質を見通すかの如くに覗く。

 人の悪意より生まれた女にしてみれば、この女に残った思いは実に分かりやすい。その本質は、糞の様に臭い物となっているのだ。

 

 

「要は気に入らないのよねぇ。許せないんだもんねぇ。恨んだ相手と同じ血が、当たり前の様に生きている事が気に入らないのよぉ」

 

 

 自壊に苦しみ、熱と悪夢に魘されて、未だ意識が戻らぬ盟主。その身体を蹴り飛ばしながらに、クアットロは批評する。

 この女は最早塵だ。唯、八つ当たりをしているだけの残骸だ。その言葉に正義はなく、その行動に正当性などありはしない。そう言う汚物に成り果てている。

 

 

「結局唯の八つ当たり。分かってないから、結局自分を正当化。お前らみたい奴らが居るから、世に悲劇は無くならないのだろうがぁっ! って実はブーメラン!」

 

 

 平穏に生きている人々に寄生して、その生き血を啜りながらに生き延びる吸血鬼。

 彼らの様な者が居るから、世に悲劇は無くならない。そんな理由で平穏に暮らす彼らを討つなら、その下手人もまた世に害を為す悪漢だろう。

 

 何せ、彼らが明確に世に害を為した訳ではないのだ。今に生きる彼らは、偶々そう言う血筋に生まれてしまっただけの者なのだから。

 

 

「平穏に生きている人達に、お前の肉親がこんな事をしたから、お前も死ね。言ってる事はそれだけ、ほんっと底が浅い女」

 

 

 口にする理由は全てが後付け。要は彼女は許せないのだ。自分以外が許せない。この境遇が認められない。

 一点に向いていた憎悪の芯を砕かれて、それでも生き延びてしまった。そうした果てに、女の全てが歪んでしまった。

 

 犯罪者の家族に対し、罵声を浴びせる自称善良なる市民。そう言った者らよりも、この女は更に度し難い者である。

 犯罪者の子ならば必ず犯罪者になるから、そうなる前に殺してしまおう。口にしている言葉はそれだけで、その論理が破綻している事にすら気付いていない。

 

 

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。犯罪者の子は犯罪者。石を投げて泥をぶつけて、糞塗れにしないと気に入らないのぉ。だってそれだけ苦しかったんだものぉ」

 

 

 別に何でも良いのだ。理由なんて何でも良い。別に誰でも良いのだ。相手なんて誰でも良い。

 今は夜の一族を恨む理由があるから、夜の一族に向かっている。だがもしも彼らが滅びれば、菟弓華はどうなるか。

 

 

「アンタはもう止まれないわ。予言して上げる。予告して上げる。宣言して上げる。例え夜の一族を滅ぼしたとしても、菟弓華は止まらない」

 

 

 それでも、この女は止まらない。何故ならその本質は、自分以外を許せぬと言う煮詰まり腐った憎悪であるから。

 

 

「幸福な奴が憎いの。平穏無事なのが気に入らないの。だから、理由を付けて人を討つ。理由さえ付いてしまえば、アンタは別のモノを傷付ける」

 

 

 女は理由を探すであろう。次の標的を探すであろう。そうして次に、さらに次に、奪って奪って奪い続けて、そういう化外に成り果てる。

 

 

「夜の一族が滅んだら? 多分次は重犯罪者。お前らみたいなのが居るから世の中は綺麗にならないと、次から次に殺すでしょう」

 

 

 もう一度生まれ変わる彼の為に、世界を綺麗にしておこう。そんな免罪符がある限り、女の憎悪は止まらない。

 もうこの女は終わっているのだ。だから止まる訳がなく、悲劇を只管積み上げていく。せめて復讐相手が残っていれば、そんな過程は最早無意味だ。

 

 

「重犯罪者が絶えてしまったならば? 少しずつ罪が軽くなっていく。最終的には万引きみたいな軽犯罪でも、アンタは死刑を下すでしょうよ」

 

 

 晴らす事が出来なかった憎悪は、溜め込み続けて腐ってしまった。歪んで捻れて、その精神性までも腐り果てた。

 世を綺麗にする為に、そんな免罪符と共に女は殺戮を続けるだろう。或いはそうなる前に、自壊して滅び去るか。それ以外に、彼女に道などありはしない。

 

 

「次は、どうなるかしらねぇ? 人に親切にしなかったら死刑? 泣いている子供を放置したら死刑? 電車で席を譲らなかったら死刑? どんどんどんどん軽くなる」

 

 

 理由があればそうして良い。理由を探せばそうして良い。その理由さえ軽くなってしまうなら、それこそ本当に終わりであろう。

 今が恐らく阻止臨界点。未だ残っている僅かな理性がある内に、月村すずかと言う標的が生き残っている内に、憎悪を晴らせなければならなくて。

 

 しかしクアットロは足りぬと見ている。月村すずかが背に人を庇う善良な者であればこそ、恨み憎む対象としては不適当であるのだと分かっている。

 だからこそ、この女は終わっているのだ。憎んだ相手は憎むに値する悪鬼羅刹などではなく、故に憎悪は果たせず溜め込み腐ってしまう。もう菟弓華は終わっている。

 

 

「一応、忠言してあげるわ盟主様。……世の為と想うならぁ、そろそろ死んでおきなさぁい。アンタはもう、壊れた泥船なんだからぁ」

 

 

 そして、そんな壊れて沈む泥船に、この女がこれ以上関わる義理はない。あったとしても、女は全て捨て去るだろう。

 悪夢に魘される女の身体を蹴り飛ばし、拠点の倉庫に蹴り入れる。まるで塵を扱う様に、雑多に纏めて扉を閉めて、それでもう御終いだ。

 

 放っておけば自壊しよう。そうでなくとも、壊れ果てよう。そんなモノ、大事に扱う価値がない。

 ケラケラゲタゲタ、その無様を一頻り嗤った後にクアットロは身を翻す。そうして一人、同じく壊れた人形にへと言葉を掛けた。

 

 

「それじゃ、行くわよ。アストちゃん」

 

 

 自身を恐怖に揺らいだ瞳で、見上げる砕けた魔の鏡。震えながらも頷く姿に、クアットロは満足する。

 この地に降りてから、喰らって来た無数の命。そうして作り直した夢界の大部分を、クアットロは彼女の強化に使用していた。

 

 どの道、自分を強化しようにも腐ってしまう。無理矢理に高めたとしても、一時的に等級にして伍か陸に上げるのが精々だ。

 故に自己の強化は諦めた。アストを真面な戦力として運用する為に、その力の大半を割いている。今のクアットロには、神座世界の紅蜘蛛(ロート・シュピーネ)にすら手も足も出ずに敗れる程度の力しか残っていない。

 

 

「こんな泥船の為ではなく――全てはドクターと、もう一度会う為に」

 

 

 それでも、既に道筋は出来ている。全てを手に入れ、もう一度彼を取り戻す為に、その策は組み上がっている。

 

 ジェイル・スカリエッティはもう居ない。予備の身体すら壊されて、魂は輪廻に紛れて何処かへと消えてしまった。

 この世界の転生は、嘗ての転生と同じではない。輪廻する中で魂は少しずつ崩れて、別の魔力がそれを補完していく。

 

 同一人物の再誕は起こり得ず、よく似た誰かの誕生にしかならぬのだ。そしてそのよく似た誰かですら、意図して生み出す事は出来ない。

 輪廻の中に紛れた魂を、見付け出せるモノなどそれこそ世界そのものである覇道神。流出に至った神格でなければ、何処かに居る誰かは探せないのだ。

 

 故に、クアットロ=ベルゼバブは決めたのだ。もう一度、輪廻に紛れた彼を見付け出す為に――()()()()()()()()()()と。

 

 

「月村すずか。アリサ・バニングス。高町なのは。トーマ・ナカジマ。……そして、夜都賀波岐に、天魔・夜刀」

 

 

 道筋は見付けた。可能性は掴んだ。奇跡を何度か起こす必要こそあるが、それでも可能性はゼロじゃない。

 己に資格がないならば、ある者から奪い取る。奪い取れない程に強いなら、少しずつ奪える所から奪っていく。

 

 そうしてその果てに、己こそが至るのだ。新世界の神。次代の神。流れ出す覇道の神へと。

 

 

「見ていなさい。貴方達。……全て私が喰らい尽くして、神座を奪い取ってあげるわぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 全ては唯、父と生きたあの白い家へと帰る為だけに――魔群クアットロはその牙を剥く。

 

 

 

 

 




スカさんのお見舞いシーンの推奨BGMは羽化登山(相州戦神館學園 万仙陣)で。
原作での神々しいお見舞いシーンを意識してみました。



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