リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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○前回のあらすじ
4番「お前も、クアットロになれ!」

推奨BGM
1.Vive hodie(Dies irae)
2.Si vis amari ama(Dies irae)
3.禍津血染花(神咒神威神楽)


楽土血染花編第四話 楽園に咲く血染の花 下

1.

 白い家の夢を見る。虚構で出来た家の中、虚飾に満ちた愛を夢見る。

 

 太陽に向かって伸びる向日葵畑。その只中に建っているのは、真っ白な屋根の家。

 小さな子犬がワンワン鳴いて、茶髪の少女と戯れる。そんな小さな幸福を、優しい瞳で見詰める父親。

 

 幸せだった。例え虚構であろうとも、その一時は幸福だった。それこそ彼女の原風景。

 

 朝起きてご飯を食べたら、直ぐに遊びに外へ出る。小さな子犬と花畑を燥ぎ回って、夜になったら優しい父が迎えてくれる。

 温かい食事と、温かいお風呂。眠るまでの少しの間に、父が絵本を読み聞かせてくれる。そんな優しく、儚い日々は唯幸福だった。

 

 幸せだった。例え終わりが最低最悪の形であっても、この一時は幸福だった。だからこの今になっても、女は帰りたいと願っている。

 

 父は何でも出来る人だった。優しい父の振る舞う料理は、とてもとても美味しかったのだ。

 歯を抜き取られて、舌を切り裂かれ、食道を奪われ、胃を抉られた。それでも痛いよりも悲しかったのは、あの食事の温かさをもう感じられないと分かったから。

 

 柔らかなベッドの温もり。優しい人肌の温度。頭を撫でる不器用な手付きが、心の底から好きだった。

 手足を鋼鉄に縛られて、臓腑を一つずつ取り除かれた。そうして一人放置され、感じたのは寂しい想い。あの温かさが恋しかった。

 

 少女の始まりは幸福だった。その温かさが悪魔を作り上げる為にあったとしても、それでも彼女は幸福だった。だから心の底から、彼女は父が大好きだった。

 だって幸せだったのだ。その過去は嘘じゃない。その根底に何があっても、幸福だったと言う事実は嘘じゃない。だからこそ、少女は心の底から父親が大好きだったのだ。

 

 だから、父親は恨まない。大好きだから、憎まない。ずっとずっと大好きなまま、その想いに応えたかった。

 壊されて、殺されて、それでも想いは変わらない。届かなかったと悲しむ彼に、泣かないでと伝えたかったのだ。

 

 嘘はない。嘘なんてない。虚構なんてある筈ない。だって己は父親が大好きで、父親も己を愛していてくれたから。

 あるのは一つの事実。父の研究は失敗して、己は至れなかったと言う事実。この程度かと落胆する父の姿に、泣き叫びたい程に後悔した。

 

 ごめんなさい、お父様。至れぬ娘でごめんなさい。駄目な娘でごめんなさい。期待してくれたのに、届かなくてごめんなさい。

 興味を失っていく父の瞳に、心の底から叫びを上げる。きっときっと届いてみせるから、見捨てないでと叫びを上げる。私こそが完全なんだと、なれぬと分かって胸を張る。

 

 なれないなんて分かっていた。至れぬなんて分かっていた。己では届かないと、そんな事は分かっていた。

 だって偉大な父が言ったのだ。完璧なあの人が言ったのだ。君では届かないと、そうクアットロに言ったのだ。

 

 それでも、諦めたくはない。諦められないのは、あの温かさが恋しいから。あの幸福だった日常に、帰りたいと思ったから。

 だから願う。だから祈る。だから己の心に誓う様に、一つの言葉を口にした。私こそが完全なのだと、完全に至って見せるのだと。その本質は、父を求める子供の叫びだ。

 

 父が望んだ神殺し。其処に至って見せるから、どうか見捨てないで抱きしめて。神様になんか負けないから、頭を撫でて御本を読んで。

 だからお願い私を愛して。よく頑張ったねと頭を撫でて、一緒に手を繋いであの日に帰ろう。そうしてくれるなら、どんな苦しい日々だって、ずっとずっと頑張れるから。

 

 完璧になれば、帰れるのだと信じていた。神殺しを果たせば、あの日々が帰って来るのだと想っていた。

 だから、誰を傷付けてでも完全を目指した。父の矜持を穢してでも、共に居て欲しいと願ってしまった。クアットロは子供であるのだ。

 

 愛しているのだ。大好きなのだ。だから一緒に居て欲しいと、そう願って叫ぶだけの子供である。

 愛しているのだ。大好きなのだ。そんな父親さえ居ればそれで良く、それ以外の全てを唯只管に恐れている。

 

 彼女にとって外側とは、父の関心を奪うだけの物でしかなかった。自分よりも父の興味を惹く、そんな者ばかりがある世界。

 彼女にとって安らげる場所は、あの日の白い家しかなかった。優しい父に褒められて、一緒に過ごした優しい日常。それだけが心の支えだったのだ。

 

 あの日に感じた温かさ。それが嘘であろうと関係ない。全てが虚構であったとしても、其処に感じた想いは決して変わらない。

 虚飾の中の幸福を。偽りに満ちた温かさを。其処に感じた想いは確かに真実だったから、満たされた幸福だって嘘偽りでは断じてないのだ。

 

 だから願う。帰りたい。だから祈る。帰りたい。だから飢えて乾く程に求めるのだ。また、優しい父に出会う日を。

 それが魔群、クアットロ=ベルゼバブの全て。温かな家があった場所を見失い、迷子になってしまった子供の真実だ。

 

 

(クアットロ=ベルゼバブ)

 

 

 夢に見る。白い家を夢に見る。魂を加工されながら、刻み付ける様に繰り返し夢を見る。

 それは嘗ての幸福の記憶。魔群と呼ばれる女が過ごした幼少期。其処に抱いた幸せだった頃の原風景。

 

 帰りたいと願う。そんな渇望を植え付ける為に、繰り返し繰り返し見せられ続ける日常景色。

 小さな犬と戯れて、転んで怪我をして泣いた。そうした時に優しく頭を撫でて、傷を治してくれた父の姿。

 

 そんな夢を繰り返し、繰り返し繰り返し見続ける。失う前の幸福を、その優しい日々を見詰め続けた。

 そんな夢を見せられて、見せられ続けてすずかは想う。加工されているからか、作り変えられているからか、それでも確かに心に抱いた。

 

 

(これ程に幸福だった事が、かつてどこかであっただろうか?)

 

 

 満たされていた。本当に心の底から、満たされていたその風景。その想いに並ぶ程、強い幸福は果たしてあったか。

 友と過ごした日々はある。家族と過ごした日々はある。だがしかし、全てを失ってでも帰りたい。そう想える程に、確かな幸福があっただろうか。

 

 答えられない。断言できない。刻み込まれる過去の記憶が、余りにも強い質量を伴う想いだったから。これに勝るなんて口に出来ない。

 それしかなかった子供の幸福。それでもそれだけだからこそ、何より執着している子供の幸福。これ程に強い想いが、月村すずかの内にはない。

 

 だからこそ、なのだろう。刻み込まれて変質していく中、月村すずかは素直に想った。

 

 

(羨ましい、な)

 

 

 身体を切り裂かれ、臓腑を抉り取られ、無理矢理に生かされた。それでも、そんな目にあっても、大好きだって言える人。

 必死になって頑張ったのに、期待外れだって切り捨てられた。そんな目にあっても、それでも揺るがず大好きだと言えた人。

 

 誰がなんと言おうと否定は出来まい。誰がなんと言おうと覆せまい。其処にある想い、それは確かな一つの真実。

 愛。狂う程に壊れる程に愛していたから、彼女は求め続けたのだ。その一念。その想い。それだけは誰にも否定する事が出来ぬのだ。

 

 それ程の幸福の中、それ程に愛する事が出来る人が居た。そんな過去を、すずかは羨む。心の底から羨んだ。

 優しい日々。陽だまりの様な幸福。愛する人と共に、愛しているからこそ。それ程強い願いを抱けた過去が、純粋に羨ましいと想えたのだ。

 

 

(私、は……)

 

 

 少しずつ、自分が自分でなくなっていく感覚。それがあるからだろうか、酷くあの少女が羨ましい。

 壊されてなお愛していると、叫べる少女が羨ましい。そんな少女へと成り果てる事に、最早忌避の感情などは抱いていない。

 

 だが、だとしても――胸に残った無念が一つ。

 

 

(私も、誰かをこんな風に……愛する事が出来たのかな?)

 

 

 解ける様に溶けていく意識の中、月村すずかはそんな風に思考する。そんな事を考える。

 

 他者に寄生せねば生きていけない吸血鬼。その存在を否定される。それだけの悲劇を重ねて来た血筋。

 そんな自分がもしも、それでも愛し愛される事が出来るなら。己よりも罪深い者が、それでも愛された事実があったとすれば。

 

 そう成りたい。そんな風になりたい。月村すずかは、そう想う。

 

 彼女は焦がれたのだ。心の底から憧れた。そうなれたら良いなと、確かにこの今に抱いていた。

 それでも、何が出来る訳でもない。人の願いに触れて憧れた吸血鬼は、夢に浸ったままに少しずつ変わって行く。

 

 その果てに、如何なる形と成り果てるのか。今は未だ、分からない。

 

 

 

 

 

 枯れ果てた薔薇の園。撒き散らされた土くれを、貪り喰らう蟲の群勢。

 魔蟲が喰らうは花や土だけでなく、草の花壇や金属アーチ、果てには大地や空さえ喰らっていく。

 

 此処は月村すずかの内面にある世界だが、この情景は彼女の心象を映し出した景色ではない。

 その魂が内包する内的宇宙。其処に封じられた白貌の象徴であり、吸血鬼が今尚存在していると言う証明だ。

 

 抵抗が出来ぬ程に意識を削り取って、だが完全には消滅させなかった。その理由は、後に生まれる血染花(ジブン)の為に。

 魔群は消滅するのだ。故に魔群が喰らってしまえば、その喰った分が消えてなくなる。血染の花に取り込ませなければ、総合力が落ちてしまう。それは、この女が望む事ではないのだ。

 

 だからこそ、クアットロはこの世界を残した。吸血鬼の自我と反抗の牙だけを砕いて、この薔薇園が月村すずかの魂に溶けてなくなるまで、ゆっくりと待っていたのである。

 だからこそ、もうこの薔薇の園は必要ない。月村すずかはもう、十分な量を取り込んだ。これ以上は待てないし、これ以上に力を付けられたら抑え込めない可能性すら存在していた。

 

 魔群は安全策を選び取る。この女は常に確実性こそを選んで尊ぶ。絶対に抑えられる段階で、こうして今に動き出す。

 女にとって、この世界は最早不要。脅威となるかもしれない吸血鬼など必要ない。嘗ての世界に生きた白貌に、此処で引導を渡すのだ。

 

 蟲が喰らう。蟲が喰らう。蟲が喰らう。炎に燃えて、腐って潰れていく蟲の群れ。それが全てを喰らっていく。

 全て。そう、全てだ。比喩表現などでは断じてなく、事実全てを喰らっていく。空は穴だらけになって、大地は崩れ去っていき、白貌の魂が消えていく。

 

 無限に増えていく蟲は、無限に腐っていく蟲は、最早止められる様な物ではない。

 湯水の様に湧き上がり、津波の如くに押し寄せて、果てには何も残らない蝗の群れ。

 

 それは宛ら、蝗害と言う悪夢を思わせる情景だ。天地を喰らう浅ましさは、黙示録に語られる様な終末だろう。

 喰らって、喰らって、喰らわれ続けて――遂に全てが崩れて落ちた。砕ける硝子の如くに崩壊する。その先にある光景は、光すら届かぬ真の暗闇。

 

 

「あらぁ?」

 

 

 そんな中で一つ、クアットロは何かを見付けた。暗闇の只中に一つ、ポツンと浮かび上がった光。

 それは茨だ。無数の茨が取り囲み、まるで球体の如くに閉じている。そんな茨の隙間から、小さな光が漏れていた。

 

 

「何かしらねぇ、あれ?」

 

 

 さて、あれは何であろうか。白貌が世界の最も奥に、隠れていた小さな光。ふと気になって、興味を惹かれる。

 そして同時、己が内で即座に算段する。考えるべき事は、アレを放置するべきか否か。どちらがより危険だろうかと思考する。

 

 思考の隙は僅か数瞬、一瞬後に出るのは一つの結論。よく分からないモノだから、アレは此処で壊しておこう。

 

 

「ヴィルヘルムは、もう何も出来ない。ヘルガと言う女は消滅した。だったらぁ、脅威なんてないものねぇ」

 

 

 危険はない。そう断じる。だが脅威はある。そう結論付ける。アレを砕くのは簡単だが、アレを残すのはリスクが高いと判断した。

 

 此処は薔薇園の最奥地。それは詰まり、串刺し公にとって最も重要な物がある場所。其処にある想い出が、己の策を覆し得る可能性を考慮する。

 ヴィルヘルム・エーレンブルグにとっての光。それ程に輝かしい波動を残せば、後の月村すずかに悪影響を与えるだろう。クアットロになる女が、ズレてしまう可能性があったのだ。

 

 危険はない。だが脅威はある。ならば此処で壊すべき。何処までも安全性を考えればこそ、クアットロはそれへと手を伸ばす。

 そんな暴食の魔群を阻もうと、何かが一つ咆哮した。白き化外は霧の如き霞となっても、他者が其れに手を出す事を許しはしない。

 

 其れは俺のだ。俺の物だ。決して誰にも奪わせない。まるでそう語る様に、白き男の最後の一矢は――

 

 

「邪魔」

 

 

 最早、この魔群を退ける事さえ出来はしない。当たり前の様に吹き散らされて、そうして虚空に消え去った。

 霧の様に薄く、悪夢の様に浅い。そんな男の残骸が消え失せて、後に残るのは茨の球体。中に何があるのだろうか、クアットロは一つ一つと剥いていく。

 

 底にあるのは、一つの宝物。薔薇園の管理者が決して認めず、しかし統治者の最愛故に捨てられなかった。ならばこそ底の其処へと隠した宝物。

 隠れた物を暴かんと、隠した物を奪わんと、大切な物をこそ踏み躙ってやろうと。嘲笑を浮かべた魔群は茨を全て食い破り、そして――その極光に包まれた。

 

 

 

 

 

2.

 嘗て、一人の男が居た。第一次世界大戦直後のドイツ暗黒期。そんな地獄の更に奥、貧民街に生まれた男。

 

 彼の父は嘗ては軍人、だが足を失い追放された。妻を失い、酒と薬に逃げて、腐り切った男が手を出したのは実の娘。

 彼の母は幼い少女。生まれついてまだ間もなく、幼い内から実父に犯され子を産んだ。その事実を、何より喜んでいた狂った女。

 

 腐った種と、狂った胎から産まれた男。畜生腹と蔑む血筋に、生まれた身体は日の光が下では歩けぬアルビノ。

 日の光から逃げながら、虫や鼠を狩って暮らした。狩る獲物の質を上げながら、自分はこういうモノだと理解した。

 

 夜に無敵となる狩人。犬や猫は愚か、浮浪者やチンピラ。敵対する人を喰らって生きる存在なのだと。

 そんな男は、唯只管に気持ちが悪かった。己の父母と言う名の畜生が、彼らが盛り続ける姿が、余りに気持ち悪かった。

 

 我が呪縛よ、灰になれ。故に男は二人を殺した。獲物を狩る様な要領で、彼らを殺して火を付けた。全てが灰となってしまう様にと。

 

 そうして彼は、闇夜を彷徨う狩人へと姿を変える。生まれ落ちたのは、無差別に人を喰い殺すシリアルキラー。

 そうして彼は、運命の夜に彼らと出会う。同じ白を象徴とする殺人鬼。国を守ろうとした軍人達。そして――産声を上げたばかりの黄金と。

 

 真っ先に頭を垂れて、全霊の忠義を誓ったのは二つの白。だが近衛として選ばれたのは、男ではなくもう一人。

 その理由を想像する。何故己ではなかったのかと、己自身に問い掛ける。答えは一つ、この身に流れる血であろう。それ以外、己が白に劣る要因などありはしない。

 

 畜生腹から生まれたからこそ、黄金の騎士に相応しくなかったのだ。その事実に死んでしまいたいと思う程に、それでも相応しくあろうと生きた。

 この血を流そう。新たな血を吸い込み取り入れよう。そうして己は、強く強く新生する。闇の不死鳥と化したのならば、真実騎士に相応しき者に成れる筈だから。

 

 それが、それこそが、男の全て。ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイの真実の姿である。

 

 

「そうよ。太陽の下に出れないから、血を吸う鬼と己を重ねた。明けない夜を望んだモノこそ、嘗ての世界に居た白貌でしょうッ!?」

 

 

 クアットロは知っている。喰らい貪り埋め尽くす中に理解した。このヴィルヘルムと言う吸血鬼の真実を。

 浅い男だ。下らない男だ。鼻で嗤って踏み潰して、それでどうとでもなる怪異。暴き切ったと認識していたからこそ、其処にあったモノは全く予想していなかったのだ。

 

 

「なのに、なんで? なんで、なんで、なんでなんでなんでどうしてえええ! どうして、明けない夜しかない世界に――」

 

〈In principio creavit Deus caelum et terram〉

 

 

 茨を暴いたその先に、浮かび上がった一つの光球。全てを焼き尽さんとする、其れはとても強い輝き。

 永遠の夜を望んだからこそ、決してある筈がない光。吸血鬼にとっては最大の、天敵と言うべき光が此処にあったのだ。

 

 

「太陽があるのよッッッ!?」

 

 

 夜の闇は消え失せて、暗闇と言う世界が照らし出される。何処までも広がる青空に、天高く座すは銀の太陽。

 ずっとずっと隠されていたその輝きは、この今に全てを染め上げる。()()は怒りを抱いていたのだ。愛しい男を苦しめた、悍ましい蟲の群れへと。

 

 故に――

 

 

〈Briah――Date et dabitur vobis〉

 

 

 愛しています。ヴィルヘルム。私の天使。あなたの天使に、私はなりたい。

 万象全て、この太陽に祝福(モヤ)されよ。天使がしろしめす(アイ)を前に、真なる燃焼を得るが良い。

 

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 

 光は尊く、焼くものである。身の内に潜んだ毒が彼を傷付けるならば、その毒素を焼き尽そう。

 銀の太陽より降り注ぐ光は極限の神火へと変わって、内に取り込んだあらゆる全てを焼き滅ぼす。

 

 これは幾つモノの偶然が重なった果ての奇跡。流れ着いた運命が示した一つの帰結。

 在りし日に男へ愛を教えて、彼の半分と共に消えた少女。第六の宙で男の姉と溶け合って、確かに其処に居た女。

 

 捧げて、吸い尽くされて、そうして彼の中に居た。共に消え果てる日を待つだけの、そんな残滓に過ぎなかった。

 されど、彼の日に奇跡が起こる。敗残の将が示した光、新時代を告げる蒼き光に包まれて、彼女の意識が戻っていたのだ。

 

 黄金の恩恵は得られない。その臣下ではないのだから、彼の日に目覚めた血染の花は気付けなかった。

 それでもあの瞬間に、確かに協奏の光は届いていた。仲間が信じる先達の、嘗て愛した女が遺していた僅かな欠片。

 

 友の友が友であるのと同様に、彼にとってはそれで十分。些か遠い関係だが、手を取れない相手ではない。

 黄金の復活とその恩恵を受けた騎士の覚醒。その影に隠れる程に小さく儚い形であったが、それでも女は蘇っていたのである。

 

 その最期に燃焼を。この最期に愛を。たった一人の男の為に、たった一度の怒りを示す。

 初恋の天使が輝きは、貪る魔群を許しはしない。愛する男を苦しめたベルゼバブへと、メタトロンは此処に裁きを下すのだ。

 

 

〈よくもっ! 私のヴィルヘルムに、手を上げたなぁぁぁッ!!〉

 

 

 彼の姉に習う様に、怒りの言葉を口にする。自滅の光が更に更にと強く輝く。

 この輝きを前にして、クアットロは抗えない。一切の穢れを消し去る光に、穢れから生まれた悪夢は浄化されていく。

 

 

「ぎぃ、ぎぃぃぃぃぃぃっ」

 

 

 蟲が燃えた。蟲が潰れた。蟲が消えた。蟲が蟲が蟲が蟲が、日差しの中へと溶けていく。

 状況は最悪だ。現状は甚だ不利だ。予想を反する展開に、クアットロは咄嗟に逃げ出そうとする。軍勢の一部でも、外に逃がして生き延びようと――

 

 

(生き延びて、生き延びて、生き残れれば――それで……どうするの?)

 

 

 太陽に燃やされる痛みの中で、それでも冷静さを保った思考が答えを想定する。

 此処で逃げ出したとして果たして、その先に一体何があるのか。その先で一体、何が出来ると言うのであろうか。

 

 この太陽は自滅の技だ。一旦逃げれば、次にはもう発現しない。もう一度、燃やされると言う事はないだろう。

 だが此処で逃げ出せば、月村すずかが復活する。もう一度抑えようとしても、種が割れてしまった以上は対策されてしまうであろう。

 

 後に残るのは、僅かな数と化した蟲。腐炎に燃やされ続けて、減る一方となった蟲の群れ。

 それでも人は喰えるであろう。人を喰らい続けて、生き残る事は出来るであろう。だがもう二度と、神座を狙う事など出来ない。

 

 既に限界なのだ。世界の終末はもう後僅かで、その時に間に合わせる為には月村すずかが必要不可欠。

 ここで逃げ出せば、もう二度とは望めない。神座に至れない。スカリエッティが帰って来ない。もう二度と、あの白い家には帰れないのだ。

 

 

「……いや、よ。そんな、の」

 

 

 生きたい。生きたい。生きていたい。死にたくはないのだ。生きていたい。

 だがどれ程に強く願っても、それ以上の想いがある。生きていたいのは、帰りたいと思えばこそだ。

 

 愛する人に抱きしめられて、よく頑張ったねと褒めて欲しい。それだけが、ずっと彼女が望んできた事だから。

 

 

「私は、帰るの。ドクター、と一緒、に。だから――ッ!」

 

 

 自分の命よりも、彼の方が大切なのだ。無様に生き延び続けるよりも、滅ぶとしても帰りたいのだ。

 ならばもう逃げ出せない。例え此処で死ぬのだとしても、余りに勝率が薄いのだとしても、逃げ出す事などもう出来ない。

 

 

「もう逃げない。逃げる訳には、いかないのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 クアットロ=ベルゼバブは産まれて初めて、自分の意志で立ち向かう事を心に決めた。

 逃げ出さないと決めたのだ。逃げる訳にはいかないと、だから全てを賭けて前に進むと決めたのだ。

 

 戦うと決めた。どれ程に逆境であれ、戦って勝ち取ると決めた。これが女にとっては初めての、全てを賭けた戦闘だった。

 

 

「太陽が消えるまで、耐え抜けば。私が消える前に、その全てを刻み込めれば。行ける。出来る。だったら、私はッ!!」

 

 

 日差しの中に溶けていく。そうでありながらも必死にしがみ付きながら、己と言う存在を刻み込む。

 この身が滅びるよりも前に、月村すずかを作り変えれば己の勝ちだ。そうなる前に消えてしまえば、己の負けだ。

 

 保障などはない。どうなるかなんて分からない。勝率は五割を切っていて、可能性に賭けるだけ。

 そんな対等な条件で、初めて立ち向かうと決めたクアットロ。だが、その決意は些か遅過ぎたのだろう。

 

 太陽の光に溶かされて、魂の加工に残る全霊をつぎ込んで、故に相手を抑えていた支配力が低下した。

 僅かに弱っていく太陽を前に、溶かされながらも意地を貫こうとする魔群を前に、解き放たれた女は此処に目を覚ましたのだ。

 

 

 

 

 

3.

「かつて何処かで、そしてこれほど幸福だったことがあるでしょうか」

 

 

 涙を零す様に目を開く。目尻から滴り落ちる僅かな雫が、美しい顔を微かに染めた。

 夢を見ていた。余りに幸福な過去を夢見て、どうしようもなく焦がれてしまった。ああ、何と美しく羨ましい幸福か。

 

 

「あなたは素晴らしい。掛け値なしに素晴らしい。しかしそれは誰も知らず、また誰も気付かない」

 

 

 嗚呼、本当に素晴らしかった。重ねた想い。募った想い出。その全てがどうしようもない程に、この胸を熱く焦がしている。

 見詰めて来たのは二つの夢。一つが白き家の夢ならば、もう一つは此処に目覚めた彼らの嘗て。ワルシャワで出会った、男と女の恋物語だ。

 

 恋を知らない男が居た。己とよく似た自己嫌悪。生まれに対する怒りに満ちて、己が進まなかった先へと進んだ男が居たのだ。

 恋を教えた女が居た。それが自死に至る道だと分かっていても、日差しの下で微笑んでいた女が居た。その幸福を、どうして卑下する事が出来ようか。

 

 

「幼い私は、まだあなたを知らなかった。いったいどうして、私はあなたの許に来たのだろう」

 

 

 己は未だ愛を知らない。身を焦がさんとする想いを、その幸福を理解出来ていないのだろう。

 だからこそ、なのだろうか。素晴らしいと感じるのは、憧れる程の幸福は、吸血鬼と天使に向けてだけの物ではない。

 

 取り戻したいと願う蟲。彼女が見せた幸福と、今に至って示された意志。その感情(アイ)に、どうしようもなく憧れていると自覚する。

 自覚して、しかし譲れない。自覚したからこそ、譲る訳にはいかないのだ。だって、月村すずかと言う女は知らない。知らないけれど、憧れたのだ。

 

 

「もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい。何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても、決して忘れはしないだろうから」

 

 

 ずっと心の何処かで、このまま死んでしまいたいと思っていた。勇気がなくて、意志がなくて、唯嫌悪しかなかったから。

 それでも、今は素直に想う。己は未だ、生きていたい。だって知らなかったのだ。こんなにも幸福に満ちた光景があった事を。

 

 誰よりも汚らわしいと思った。下劣だと、畜生だと自称した。そんな彼らでも、満たされる幸福が確かに在ったのだ。

 知識では知っていた。理屈では分かっていた。だがその実感が分からずに、己は大海の蒼さすらも知らなかった。だからこそ、知ってしまえば手に入れたいと願ってしまう。

 

 そうとも、己は幸福になりたい。生きて、幸せに――善き場所に行きたいのだと、心の底から実感したのだ。

 

 

「まるでこの世のものではなく、聖なる楽園の薔薇のよう。まるで生きているかのように、強い強い香りがする。強過ぎて耐えられない程に、この胸を強く締め付けられる。痛い程の幸福は、神に与えられた薔薇の園。帰らねばならない天上楽土」

 

 

 だから、もう譲らない。どれ程に己を嫌悪したとしても、この命は譲らない。この血肉は己の物だ。

 

 生に縋る執着心。幸福になりたいと言う強い強迫観念。それは或いは、月村すずかの内から生まれた物ではないのかも知れない。クアットロに加工された、彼女の色なのかも知れない。

 だがそんな事は関係ない。心の底からどうでも良い。生きたいと願った。幸せになりたいと祈った。善き場所に行きたいのだと感じたのだ。ならばどうして、余計な思考を混じらせる必要があるだろうか。

 

 

「あちらへ戻らなければならない。そしてその道の上で、完全に死ななければならないだろう。ならばいったいどうして、私はあなたの許に来たのだろう」

 

 

 ヴィルヘルム・エーレンブルグはもう消える。食い荒らされたあの男は、月村すずかに溶けて消え去る。

 クラウディア・イェルサレムはもう消え失せる。僅かに残った太陽が自滅を果たすより前に、月村すずかが取り込み殺す。

 クアットロ・ベルゼバブは必ず己が討ち破る。その血、その肉、最早一片たりとも残しはしない。全てを喰らい尽くし、己の中に刻んで進もう。

 

 故にこそ、月村すずかは立ち上がったのだ。目覚めた女は今此処に、全てを受け入れ変わって行くと決めたのだ。己が、善き場所へと行く為に。

 

 

「未だかつて、こんなにも幸福だったことがあるでしょうか。時と永遠が祝福されたこの瞬間――私は死しても、決して忘れはしないだろうから」

 

 

 立ち上がり、前を向いた。そんな女の姿に、消え去る白貌は一つ頷く。彼にしては珍しく、何処か素直な表情で。

 

 それで良い。それで良いのだ。ウジウジと鬱屈して蹲っている暇があるならば、夢へ向かって、前に進んで行けば良い。

 幸福になりたいと、そんな願いで十分なのだ。己が誰であるかなど、問い掛ける必要すらないのだ。唯前へ、進めればそれで上等だろう。

 

 月村すずかに吸い殺されながら、それで良いのだと笑う。取り込まれる男は此処に、主命の成就を確信した。

 

 

「ゆえに恋人よ、私は誓おう。正しい愛で、貴方を真実愛する事を」

 

 

 立ち上がり、前を向いた。そんな女の姿に、白貌の傍に侍る天使は笑った。彼女らしい、優しい笑みで。

 

 善き場所へ行きたいと、それこそが渇望の始まり。誰もが抱いた、原初の願い。目指す夢の起こりとして、それ程に相応しい物はない。

 故に女は素直に退く。愛する男が身を退いたのだ。その傍らに寄り添って、共に消える事こそ相応しい。だからこそ、天使は確かに笑っていたのだ。

 

 

「何かが訪れ、何かが起こった。私はあなたに問いを投げたい」

 

 

 消えていく白貌の声が、女が唱える言葉と重なる。重なりながら消えていく、後に残るは咒を紡ぐ女の声のみ。

 消える中で交互に紡ぐ。白貌の声が語るのは、嘗て男が願った祈り。永遠に明けない夜が欲しいのだと、夜に無敵の吸血鬼となりたいのだと、そんな男の願いである。

 

 

「全てを理解を望んで、全ての理解を拒絶する。尋ねたいし、尋ねたくない」

 

 

 消えていく天使の声が、女が唱える言葉と重なる。重なりながら消えていく、後に残るは咒を紡ぐ女の声のみ。

 消える中で交互に紡ぐ。天使の声が語るのは、嘗て女が願った祈り。愛しい人の天使になりたい。彼を照らす彼だけの太陽になりたいのだと、そんな女の願いである。

 

 

「本当にこれでよいのか、私は何か過ちを犯していないか」

 

「これは夢、本当ではありえない。私達二人が一緒に居るなんて、永遠に一緒に居るなんて」

 

「恋人よ。私はあなただけを見、あなただけを感じよう」

 

「天国の入り口に立った様に、至福である事がとても不安になる。貴方の愛を、失う事だけが恐ろしい」

 

「私の愛で朽ちるあなたを、私だけが知っているから」

 

「私がどうなっているのか、私ですら分からない。それでも分かる事は唯一つ、私は貴方を愛している」

 

 

 不安に揺るぐ心を支え合う様に、女と男が願いを語る。まるで閨で睦言を囁き合う様に、語りながらに消えていく。

 消え去る彼らが語った願い。共に抱いた一つの幸福。それこそが、吸血鬼にとっての天上楽土。彼らが目指した、理想の園だ。

 

 

『ゆえに恋人よ、枯れ落ちろ』

 

 

 男が消えて、女が消えた。夜が残って、太陽が残った。その全てを取り込んで、新たな形と作り上げる。

 二つの創造。半分でしかないノアの子らを、二つ合わせて真実完全なる形へと。二人から受け継いだ力を此処に、月村すずかは発現した。

 

 

「修羅曼荼羅――」

 

 

 世界に夜の帳が落ちる。明けない夜は簒奪の夜。己の身体を境として、外部を全て夜へと変える。

 身体の中には沈まぬ太陽。落ちる事なき愛の光は、己を清める浄化の力。己の身体を境として、内部を全て光に変える。

 

 二つが混じり合った形は即ちそれだ。あらゆる全てを簒奪し、己に害を為すモノが内にあれば浄化する。半分でしかないが故の弱点を、克服したコレこそ完全なる形であるのだ。

 

 

「――楽土・血染花ッ!!」

 

 

 腐毒であろうと、炎であろうと、聖なる光であろうとも、全てを喰らい尽くして糧とする。

 どれ程に己を苦しめる猛毒だろうが、最早この身を傷付けるには値しない。天使が微笑み続ける限り、吸血鬼が傷付く事はないのである。

 

 あらゆる万象、全てを簒奪する力。それを以って、月村すずかは奪い取る。己の敵、己に生きたいと刻み込んだ。宿敵と言うべき女の全てを。

 

 

「クアットロッ! ベルゼバァァァブッ!!」

 

「月村ァ、すずかぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 

 奪い喰らい背負って行くのは、唯二人の全てだけではなく。この今に初めて、敬意を抱けた宿敵すらも。

 記憶も、力も、願いも、その魂の全てを咀嚼し取り込み進む。腐った炎を恐れはしない。ベリアルの炎など、メタトロンを以って焼き尽そう。

 

 その血肉、一滴たりとも残しはしない。不退転の女を前に、明けない夜は赤く赤く輝いた。

 

 

「此処で、私の中で――枯れ、堕ちろォォォォォォッ!!」

 

 

 最早、抗う事など出来はしない。そして不退転を決めた今、魔群が逃げ出す事もない。

 膨れ上がる夜の力に飲み込まれ、無数の蟲が消えていく。その身を焼いた炎と共に、すずかの内へと溶けていった。

 

 

 

 後には唯、一人だけ。心の中を吹き抜ける夜風に、震える事は最早ない。月村すずかは唯一人、暗闇の中に浮かんでいる。

 女は一人目を閉じて、取り込んだ者らを咀嚼して、己に刻んでから目を開く。前を向いたその瞳は、確かな力強さに満ちていた。

 

 

 

 

 




例えヘルガ姉さんの中の人の逆鱗に触れる展開であろうとも、天狗道の射干はネタとして膨らませられる設定こそを選ぶ! それが、覚悟と言うモノッ!!

そんな訳で、当作時空の凶月咲耶さんは姉さんとあの人の融合体。失楽園の日に協奏パワーで天使も復活するも、騎士になれたぜヒャッハーしてるベイが気付かない内にヘルガが内面に封印していたとかそんなサムシング。

ついでに原作最長かもしれないと言われるベイの完全詠唱を、更に盛ってやったぜヒャッハーッ!!


そしてクアットロは完全消滅。だが一部分はすずかに吸収され、彼女の心の中に記憶や経験は残り続ける模様。……意図した形と違うけど、目的果たせたねクアットロ!

今後(主にユーノ君を標的にする)下種の極みモード発動に際し、融合完全体すずかットロとして僕らの前で下種の煽り芸を見せ付けてくれるかもしれません。(願望)



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