リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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楽土血染花編も今回がラスト。二万字オーバー、長いです。


推奨BGM
2.Albus noctes(Dies irae)
3.Der Vampir(Dies irae)


楽土血染花編第五話 闇が終わる時

1.

 朝焼けに染まる景色を前に、間に合わなかったと自覚する。急いで駆け付けた心算であったが、既に彼女の気配はない。

 少女は一人、息を吐き出す。光の熱が籠らぬ風が、肺の中を満たしていく。寝惚けた頭を覚ます程には、吸い込む空気は澄んでいた。

 

 

「……彼女は、もう居ない。ならば、どう動くべきでしょうか?」

 

 

 瞳を閉じて、思考を進める。逢うべきだ。逢わねばならない。そう感じていた因縁の消滅に、少女は間に合わなかった。

 ならば諦めて、何もせずに去るべきだろうか。そう脳裏に思い浮かべるが、それでは駄目だと直ぐに否定する。それでは、()()()()()()()()()()

 

 

「彼女は、もう居ない。彼も、もう居ない。……それでも――私は今、生きている」

 

 

 冷たい朝の風に吹かれて、白いコートが揺らめき揺れる。風に飛ばされてしまわぬ様にと、小さな手で握りながらに呟いた。

 それは、唯の事実確認。此処に今生きていると、口にした言葉はそれだけ。だが、其処に込められた意味は、決してそれだけなどではない。

 

 掴んだ衣服に感じる温度。その温かさが言っていた。君は生きて、幸せになって良いのだと。

 罪を重ねた。悪を為した。それでもその言葉があったから、彼女は今を生きている。生きて、幸せになろうと想ったのだ。

 

 

「ならば、何を為すべきか。……そんなの、決まっています」

 

 

 瞳を閉じて、熱を感じる。僅かに残った微かな香りが、幸福になれと伝えている。ならばこそ、その為にも向き合わなければならない。

 罪には償いを。悪に贖いを。己の因縁には、確かな形の清算を。そうでなくては、向き合えない。向き合わなければ、進めない。進めなければ、彼の想いは果たせないのだ。

 

 ならばこそ、少女は瞳を開く。翡翠の如くに澄んだ瞳で、崩れ落ちた邸宅を見詰めた。

 

 

「先ずは、彼女と接触を。その為には、盟主様が動き出すのを待った方が良さそうですね」

 

 

 この地で起きた全貌を、少女は知っている訳ではない。だがその力のぶつかり合いは、星の裏側に居ても分かる程だった。

 そして今、瞳に映る光景から算段する。魔群を滅ぼした吸血鬼。堕天使を救った狩猟の魔王。人々を守り通した盾の獣。その姿を見詰めて、判断した。

 

 此処で起きた戦場。その全てが、既に己の手に負える領域ではない。明らかに、格も次元も違っている争いだ。

 血染花も魔王も守護獣も魔群も魔鏡も闇も、全てが少女の手に余る。彼女では例え幾つの奇跡を引き寄せようと、傷付けるだけが精々だろう。

 

 故に何の策もなく進むのは愚策。対抗策を得る為に彼女と接触する必要があるが、この今に近付くのは下策。

 彼らは決して、少女の味方などではない。少女は決して、彼らの同胞には成り得ない。ならばこそ、接触は後回しとするべきだ。

 

 誰にも邪魔をされない状況。誰も自由に動けぬ状況。闇が再び襲い来る時、それこそ少女に残った好機。

 どの道、余り時間は掛からない。そう長く待つ事はない。盟主に残った時間は僅か。遅くとも今宵には仕掛けなくては、順当に詰むのである。

 

 故に再び、日が昇って落ちるまでの僅かな時に戦が起こる。今日と言う日が終わる前に、この一件は決着を迎える事だろう。

 

 

「だから、もう少しだけ付き合って貰いますよ。マリアージュ」

 

 

 少女は手にした杖を一振りし、そして屍が立ち上がる。壊れた人形。欠損した男性遺体。それらを材料に、偽りの命が甦る。

 機械や肉塊が変じる光景。自らの力が齎した悍ましさに、顔を顰める。しかし止めようとは思わない。彼ら死者たちの力が必要だから。

 

 

「……全てに決着を付けて、明日も生きて行く為に」

 

 

 故に少女は、その時を待つ。愛する人が遺した言葉を、守って幸福となる事を夢に見る。

 蒼き衣に、銀の軽鎧。羽織った白は、彼の遺品。無数の死者を従えて、冥府の炎王――イクスヴェリアは前を見詰めた。

 

 

 

 

 

2.

 魔鏡は母の腕に抱き留められ、魔群は赤き薔薇に喰われて消えた。長らく敵と立ち塞がりし反天使。その全てが、確かにこの日打ち破られた。

 ならばこの地に敵などいないか、この今に恐れるべき脅威はないか。そんな筈がない。彼らを敵と目する者は、他にも居る。最大の敵手は、未だ残っていた。

 

 闇。この今、地球に残った最後の強敵。夜の一族を憎み続ける復讐者には、余り時間が残っていない。

 魔群を喰らった血染の花は理解する。クアットロより奪い取った記憶から、菟弓華と言う女を知ったすずかは推測する。

 

 黙っていても、そう遠くない内に自壊する闇。だがしかし、あの女がそれを良しとする訳がない。

 そう。黙って消え去る筈がない。あの強大にして濃厚に過ぎる憎悪が、自壊の時を漫然と待つ理由がない。

 

 必ずや動き出す。もう時間がないと自覚すればこそ、意識を取り戻せばすぐにでも、この地に再びやって来る。

 魔群が消えた今、あの女の内に渦巻いていた悪夢は消えた。その忌まわしきリフレインは過ぎ去って、もう既に目は覚めていよう。

 

 既に向かって来ている筈だ。もう間もなく、見える事になる筈だ。夜を憎む闇へと向き合い、答えを出す時は此処に来たのだ。

 

 故に、すずかは仲間達にその事実を告げた。推論ではなく、事実であるのだと断言した。

 そして仲間達も首肯した。闇と言う存在を記録の上でしか知らない者らは、故にこそ己が信じる友の言葉を信じたのだ。

 

 

「来るか」

 

 

 力のない者は避難した。戦えぬ者は地下の奥へと。その扉の前に立ち、蒼き盾は静かに中天を見上げる。

 燦々と照り輝く頭上の陽光。その輝きに陰りはなく、訪れる予兆は其処にない。されど背筋に感じる寒さは確かに、何かが近付いていると予感させた。

 

 先ず真っ先に、褐色の男が認識したのは同類だったからであろう。彼もまた、あの闇と同じモノに繋がっている。

 闇の書に眠っていた憎悪の欠片。神の子から抜き取られた魔導核の欠片。媒介となる物が変わっても、共に同じく眷属なのだ。

 

 故にこそ、盾の守護獣ザフィーラは確かに理解する。此処に訪れようとする闇が、己よりも深く神に繋がっているのだと。

 

 

「来るわね」

 

 

 赤き炎を瞳に灯した女は、盾に数手遅れて気付く。彼女が認識したのは、目に見えて分かる異常であった。

 太陽の光が曇っていく。雲に遮られていると言う訳ではないのに、斜陽を迎えている訳でもないのに、日の光が消えていく。闇が濃度を増しているのだ。

 

 夜の訪れは、彼女が訪れた証。菟弓華と言う女は、呼吸をするかの如く当然に、天の相を操り作り変えている。

 ヒシヒシと痛い程に、肌を突き刺す狂気の波動。吹き付ける力は、間違いなく女よりも強烈だ。その事実を理解して、アリサ・バニングスはしかし瞳を逸らさない。

 

 義娘から受けた手傷は、未だ快癒に程遠い。彼女の想いを理解する為に、些か無理をし過ぎてしまった。

 それに対し、後悔などはしていない。未だ痛む傷痕を抱えて、消費し過ぎた魔力に舌を打ちながら、アリサは訪れる闇を睨み付ける。

 

 勝機がある訳ではなく、勝利を確信している訳ではない。彼我の実力差と、自分の現状は確かに理解出来ている。

 それでも瞳を逸らさない。その身体を震わせない。恐るべき敵を前にして、だが震え慄かねばならない理屈がないのだ。

 

 

「来なさい。――菟弓華っ!」

 

 

 見上げた空で、日が陰る。黒き帳が頭上を包んで、星明かりすら見えない夜が流れ出す。

 其処に感じる圧に、知らず膝を折り掛ける。殺気と憎悪に満ちた気配は、気が狂いそうになる程に濃密だ。

 

 それでも、月村すずかは確かに立つ。立ち続けた儘に、訪れる闇の名を此処に呼ぶ。

 如何に強烈な存在であろうと、今更怯む理由がない。己はたった一人でも、アレに喰らい付く事が出来ていた。

 

 ましてや、今は仲間がいる。盾と矛。万の援軍よりも心強い仲間と共に、なれば恐れるモノなど何もない。

 そうと知るが故に、月村すずかは頭上を見上げる。己が打ち勝つべき敵の到来を、揺るがぬ意志で待ち受けた。

 

 そして――闇は訪れる。憎悪に染まった、闇が来た。

 

 

「殺しに来たヨ。吸血鬼」

 

 

 中天に座していた光が消えて、天地も分からぬ暗闇の中へと。浮かび上がった人型は、暗く昏く黒く染まっている。

 赤く染まった長い髪。その隙間から覗く瞳も、血の色を思わせる赤に染まる。黒と真紅の二色に染まった人型は、流出域にある怪物だ。

 

 

「根切りに来たヨ。吸血種」

 

 

 呼吸と共に放つ波動。言葉に籠った殺意の圧力。瞳が宿した憎悪の質量。それだけでも、押し潰されそうになる程。

 先の邂逅よりも深く、強くなっている事を認識する。女の身体の自壊が進めば進む程、その深度は深くなっている。最早、取返しが付かない程に。

 

 

「此処で滅びろ――夜の一族ッ!!」

 

 

 闇は唯、一人の女を睨んで叫ぶ。憎悪と憤怒に溢れた声で、怨敵を滅ぼさんと咆哮する。

 その咆哮は、狂気を揺する圧を伴って。漠然と暗闇を恐れる感情を、煮詰めた物を撒き散らす。

 

 吹き荒れる圧力。天から落ちるかの如く、吹き付ける大量の魔力。それだけで、唯人は死に至るであろう。

 だが此処に、唯の人間などは一人も居ない。闇の狂気に中てられ様と、狂い果てる程に弱い者など居はしない。

 

 

「修羅曼荼羅・大焼炙ッ!!」

 

 

 膝を屈する事がなければ、先ず真っ先に動くはこの女。金糸の女傑は躊躇いなく、初手から最高火力を叩き付ける。

 其れは修羅の法則の下に存在する一つの世界。一つの宇宙を根こそぎ焼き尽くし、それでも足りぬと燃え上がり続ける破滅の炎。

 

 本来の火力には届かずとも、元が世界を滅ぼし切る力だ。星を砕く程度では釣り合わない、太陽系一つは焼き尽くせるであろう一撃だ。

 それを一つの形に当て嵌め、女に向けて撃ち放つ。まるで壁の如くに競り上がり、津波の如くに押し潰す。その形骸は一つの城壁(ツルギ)だ。

 

 激痛を産む炎の剣で、闇を焼き尽さんと荒れ狂う。単一宇宙を焦がす炎。文字通り、それは一つの宙を終わらせるのだ。

 

 

「……で? 惑星系を一つ、焼き尽す力はアル。だから、それデ? 何か意味がありマすか?」

 

 

 だがしかし、その炎は届かない。火力だけなら神域級。その炎が届かない。

 闇が揺らめき、飲み込まれた。そうして、破壊が跳ね返る。呼吸をする様に自然と、振り下ろした剣が戻って来た。

 

 

「元より、規模が違うヨ。世界一つを燃やスは、最低条件。並行世界、次元世界、その全ての闇を払うには、何もかもが足りてイない」

 

 

 成りたての神格ならば討てる力も、最強の眷属と化したこの女を滅ぼすには不足が過ぎる。

 その大半を焼き払う事が出来る火力でも、その全てを焼き尽すには足りてない。ならば、闇の法則は超えられない。

 

 全ての影と影が繋がっている。全ての闇と闇が同一である。故にこそ、この女はその全てを焼き付くさねば傷付けられない。

 火力の不足だ。この時代の誰よりも攻撃性能に特化した継承者を前にして、そう断言出来る圧倒的な霊的質量。それこそが、闇と言う存在なのだ。

 

 

「下がれッ! バニングスッ!」

 

 

 名を呼ぶ声に即座に剣を手から手放す。そうして一歩を退いた女に代わり、男が前へと飛び出した。

 跳ね返って来た激痛の剣を、停滞の力場で押し留める。蒼き守護の獣が此処に、世界を滅ぼす力を受け止めた。

 

 

「ぐっ、おぉぉぉぉぉぉッ!」

 

 

 だが、さしもの盾にもこれは重い。一つの惑星系を滅ぼす力を受け止めて、無傷で済む程に彼は強くない。

 圧し掛かる業火は盾を焼きながら、その熱量を消費していく。その有り様はまるで矛盾の再現。ならば結果は、盾と矛が同時に砕ける他にない。

 

 このまま行けばそうなると、誰の目にも明らかなその状況。

 しかし、そうはならない。受け止めてくれたのなら、そうはさせぬと女は気炎を上げた。

 

 

「もう一発ッ! 大焼炙ッ!!」

 

 

 時の力場が抑え付けた炎の剣を、全く同じ力で側面から焼き尽くす。

 元の出力が同等なれば、停滞している方が押し負けるのは当然。跳ね返って来た力を、アリサはそのまま押し切った。

 

 そして、それだけでも終わらない。やられるだけで済まさないのが、この女の性質だ。

 

 

「こぉぉぉのぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 炎の剣を受け止めて、そのまま腕を振り抜き通す。一歩を前に踏み込んで、気分は剛速球を打ち返す強打者だ。

 跳ね返って来た力に、跳ね返す力を上乗せして撃ち放つ。ぶつかり合いで双方消耗しているが、それでも一発よりは遥かに重い。

 アリサの手から離れた業火が、再び闇を焼き尽さんと荒れ狂う。一つで足りぬのならばと更に重ねて、そんなそれは強引に過ぎる力技。

 

 単一惑星系を焼き尽す炎は再び、闇へと迫る。その全てを今度こそ焼き尽くさんと燃え上がり――

 

 

「無駄な事ヲ」

 

 

 だがしかし、やはり闇には届かない。吸い込まれる様に飲み込まれて、吐き出される様に返される。

 それも当然。本当に世界を二度焼ける力があったならば兎も角、反射された力を迎撃する際にどちらの火力も落ちている。

 

 多めに見積もっても、初撃よりも二割増しと言う所が精々だ。そんな程度の火力では、闇を滅ぼし切るには足りない。

 それでも、跳ね返って来る火力が増していると言う事は事実。停滞の力場で受け止めて、側面から炎の剣を打ち付けて、しかし今度は返せなかった。

 

 

「――っっっ!!」

 

 

 迎撃した力を超えて、己の身体に火傷を負う。相殺し切れぬ被害を受けて、アリサは痛みに歯を食い縛る。

 これで倒れる程に、大きな被害は受けていない。これだけで落ちる程に、軟な精神はしていない。それでも、この状況は厄介だった。

 

 火力を以って打ち破る矛。それしか出来ぬ女の力が、一切通用していない。それはこの女が闇を前に、何も出来ないと言う事実を示していた。

 

 

涅槃寂静(アインファウスト)終曲(フィナーレ)ッ!!」

 

 

 次に動いたのは盾の守護獣。僅かな焦りを胸に抱いて、男は己の物へと変えた力を駆動する。

 肌は黒く、髪や瞳は血の赤に。赤き刻印が身体に浮かんだ姿は、今の女と同じく神の眷属としてのそれ。

 

 背に負う巨大な処刑の刃を、駆動させながら疾走する。男の取るべき戦術などは単純だ。

 自軍の最高火力が通じなかった。ならば後に残る対処法は、持久戦での削りだけ。故に男は、最高速度で加速する。

 神速からの突撃と一撃離脱。それを駆使して敵を傷付け、敵の力の全てを躱し、闇の限界が訪れるまでの時を削り潰そうと言うのである。

 

 

「……で? 速いのハ分かったけれド、だからドウシタ?」

 

 

 だが、その前提が通らない。速いだけでは届かない。如何にどれ程加速しようと、そもそも規模が違っている。

 人は地上を走っても、空に沈む夕日には決して辿り付けない。これはそう言う類の理屈。闇の身体は大き過ぎ、闇の心臓は小さ過ぎた。

 

 女が身に纏った影。強大な闇の体内に、男の手は届かない。そして男の手を阻む全ての闇は、しかし女の身体であったのだ。

 

 

「元より、私ハそんな所で競ってなどないネ。どうでも良いヨ。そんなモノ」

 

 

 故に、動かそうと思う。それだけで男の速度などは砕け散る。停滞の鎧ごとに押し潰されて、男は大地に落とされる。

 速いだけでは届かない。だが、男の本領は防衛戦。影の掌握一つで崩れ落ちる程に、軟な身体をしていない。故にザフィーラは、また立ち上がる。

 

 届かなかったが、大した痛痒などは感じていない。それはザフィーラと、そしてアリサに共通した事項。

 故に二人は決して折れず、強大なる闇を睨み付ける。その背には届かせない。その身に届かせてみせる。二人の闘志は猛っていた。

 

 そんな二人をどうでも良いと見下しながら、どうでもよくない三人目を闇は睨み付ける。

 無駄な努力を続ける二人よりも遥かに、忌々しく厄介な敵が居る。この怨敵の存在こそが、この場で最も危険であった。

 

 

「月村、すずか」

 

 

 何時の間にか、頭上に輝いている赤い月。星の灯りさえ届かぬ暗闇は、唯の夜へと落とされている。

 簒奪の力は防げない。血を吸う薔薇を止められない。この今にも突き立てられた牙が、ああなんと忌々しくも悍ましい。

 

 

「やっぱり、お前ガ、一番邪魔ネ」

 

 

 故に、先ずはお前から潰そう。何よりも第一に、お前だけは滅ぼし尽そう。

 闇の身体が揺れ動き、膨大な魔力が放たれる。怨敵をこそ憎む闇の眼中に、既に男女の姿はない。

 

 無駄な努力を続ける者らは、路傍の石と取る意味もない。五月蠅いだけの賑やかしでしかないのだ。

 まるでそうと言わんばかりのその対応に、アリサは内なる怒りを燃やす。舐めるなと、燃え上る気炎を形にする。

 

 

「大・焼・炙ァァァァッ!!」

 

 

 味方側において、唯一有効な攻撃手段。それを狙った魔力の波動を、焼き切りながらに刃を下ろす。

 苛烈な意志で、業火の如く燃える瞳で、三度放った全力攻撃。闇の心臓までも焼き尽くさんと、伸びる剣はされどやはり闇に飲まれた。

 

 

「だから、言ったヨ。無駄だって」

 

 

 闇の身体が揺れ動き、激痛の剣が跳ね返る。多少気炎を上げた程度で、届く程に闇の底は浅くない。

 所詮は無駄だ。結局無意味だ。その抗いの全てが無価値だ。蔑む様な瞳を向ける闇へと向けて、アリサはその手を剣から手放した。

 

 

「だから、もう分かってんのよ。そのくらいッ!」

 

 

 そして、剣を再び持ち替える。四発目をその手に握って、今度は真っ向からに迎撃する。

 跳ね返って来ると分かっているなら、即応する事は無理じゃない。戻って来た炎の刃を、新たな刃で受け切り相殺した。

 

 身を焦がす炎。既に満身創痍の身体を、無数の火傷が彩っていく。それでもアリサは、再びその手に剣を握った。

 

 

「それでも、私にはこれしか出来ない。だったら、この一つを積み上げるッ!」

 

 

 無駄だと分かっていても、己にはこれしか出来ないのだ。ならば通じる程になるまで、積み重ね続ければ良い。

 先より強く、今より強く、奴に届く程に強く。重ねて、重ねて、重ね続けて、打ち破れば己の勝利だ。ならばその道筋を、駆け抜けて行けば良い。

 

 

「不器用なのよ。この私はッ! 届かないなら、届くまでッ! 届かせれば、良いだけでしょうがッ!!」

 

 

 五、六、七、八、九、十。放つ度に返されて、それを迎撃しながらギアを上げる。一振りごとの全力を、更にと魂から絞り出す。

 それでも十や二十では届かない。何度放とうとも跳ね返されて、その度に己が手傷を負う。限界を超えた消耗に、アリサ自身が焼かれていた。

 

 故に闇はそれを見縊る。所詮は取るに足りない無駄な足掻きと、女の姿を視界から外した。

 故にこそ、その見縊りが過ちだった。重ね続けた炎の剣が、彼女を意識から外した瞬間に闇の心臓へと届いたのだ。

 

 

「――っ!」

 

 

 痛みに跳ねる様に、咄嗟にその炎を握り潰す。心臓にまで届いた炎は、僅かに菟弓華と言う核を焼く。

 それは本当にほんの僅か。指先の火傷程度にしかならぬ傷だが、傷付けられた事は確かな事実。闇は信じられないと、大地に片膝を付いた女を見詰めた。

 

 

「どうしテ、其処まで」

 

 

 普通は諦める筈だ。無駄と分かって数十数百、続けられる精神性は異常であろう。だがそれでも、その思考は理解が出来た。

 闇もまた、そうした意志で生き延びたモノ。ならばこそ、それを異常と捉えない。女が疑問と零した理由は、それではなくて別の事。

 

 

「どうしテ、お前は、其処まで、夜の一族に手を貸すヨ」

 

 

 何故それ程に、夜の一族を守ろうとするのか。その理由が分からない。その在り様が理解できない。

 業火の如く燃え上がる意思。その素晴らしい輝きで、何故に悍ましい化外を守るのか。それを理解したくはないのだ。

 

 

「知れた事。友達だからよ」

 

 

 そんな闇の戸惑いに、アリサは笑って言葉を返す。遂に己を見た敵に、女が返す理由は唯一つ。

 友だから、大切だから、だから手を貸し共に立つのだ。火傷に爛れたその顔に、燃える様な喜悦を浮かべてアリサは笑った。

 

 

「違うネ。お前は騙されてるヨ」

 

「はっ、アンタに何が分かるのよ」

 

「私だからこソ、分かるノよ」

 

 

 アリサの主張は単純明快。友達だから守るのだと、そんな言葉を聞いてしまえば理解せずには居られない。

 女の在り様を理解して、成程然りと結論付ける。この女は分かってないのだ。騙されている哀れな者だ。そう結論付けて、受け止めた。

 

 故に啓蒙してやろう。膝を付いて荒い呼吸を続ける女に、闇は己の持論を語る。

 

 

「夜の一族は、寄生虫ヨ。何時だって、血を吸える獲物を探してル。人の心ナンて、塵か何かとしか思ってナイね」

 

 

 夜の一族と言う害虫に、友を想う情なんてありはしない。いいや、情があるのかも知れないが、人を対等などとは思っていない。

 

 仮に言葉を発する魚が居たとして、人と語り合える様な牛が居たとして、そんな対話が出来る存在を喰らう事など出来るだろうか。

 人は出来ない。尋常な人間と言うモノは、知性あるモノを傷付ける時に抵抗を覚える者。対等だと感じる存在を、一方的に喰い殺すなど出来はしない。

 

 それはある種の性善説。どうしようもない己ですら、そうだった。そんな忌々しい過去が、彼女の想いを強くする。

 人間は本質的には善性の生き物で、誰もが心の底では誰かを傷付ける事を望んでいない。人が他者を傷付けられるのは、彼我を対等だと思わぬからなのだ。

 

 対して、吸血鬼と言う生き物はどうだ。菟弓華は結論付ける。彼らはその生態からして、間違っているのだと。

 血を吸わねば生きられない。人を喰わねば生きられない。それでどうして、人を対等だと認識出来る。対等と思った者を、どうして傷付ける事が出来ると言う。

 

 人を人と認識せぬなら、彼らは正しく人でなし。己こそが上等なのだと夢想して、弱者を貪り喰らう怪物だ。

 人を人と認識しながら、それでも呵責もなく喰らえるならば、それもまた人ではない精神性。人に害なす悪魔の証だ。

 

 

「産まれタ時かラ、害虫なのヨ。お前が見てルのは、唯の擬態ネ。そうシタ方が生きやすいカラ、人に寄生する悪魔共。一匹タリとも、生かしてオイてハいけないネ」

 

 

 その心根の在り方がどうであれ、夜の一族と言う存在の在り方が間違っている。其処に個々の精神性など、一切関わる余地はない。

 生まれた時から間違っている。生きていてはいけない者達。それを友と捉える事、それこそが過ちなのだ。人と違う生き物が人との友情を感じているなど、あり得ないしあってはならない。

 

 

「だから、学ぶと良いヨ。こんな害虫を、友と呼ぶのハ、余りに愚かが過ぎルのダと――」

 

「うっさい。もう、黙れ」

 

 

 更に言葉を重ねて理解させようと、そんな闇の言葉を一言で叩き切る。

 聞くに堪えない。耳を貸して損をした。そうと言わんばかりに、立ち上がった女はその手に剣を握り締める。

 

 

「グチグチグチグチ。人の友達貶して、貶めて、……要はアンタ。泣くのが好きなんでしょ」

 

 

 話半分に聞いた言葉。彼女の主張を、アリサはそう理解する。故に、受け入れる筈がない。

 その話は下らない。耳を貸す価値がない。考慮の余地も一切なく、真っ向から否定し叩き切るべき物だ。

 

 

「アイツはこんなに悪い奴。私はこんなに可哀想。それだけしか言えないんなら、口を閉ざしてもう二度と喋るな。反吐が出る」

 

 

 怨敵への恨みと自己への憐憫。アリサには、それしか感じられなかった。だから、そう結論付けた。

 お前は泣くのが好きなのだろうと、そんな悲劇のヒロイン気取りに我らを巻き込むなと。断じた女は剣を手に取り、真っ向からに振り下ろす。

 

 

「……違うヨ。私は、泣くのが嫌いネ」

 

 

 その炎を受け止めて、闇は静かに言葉を零す。金糸の女はもう自分の言葉など聴こうともしないだろう。そう理解して、寂しげに自嘲した。

 それでも、その在り様は変わらない。泣いているだけの余生など、望んでなどいないから。闇は激痛を齎す剣を受け止めて、焼かれながらに掌中で握り潰した。

 

 

「もう二度と、泣かない為に動くのヨ」

 

 

 もう二度と、己が泣かない為に。もう二度と、誰かが泣かない為に。この世界を、綺麗にしないといけない。

 己が生き延びた理由はその為に。死ねなかった以上は、それが己の義務である。それが己の役割なのだと、闇は自身に言い聞かせる。

 

 

「もう二度と、泣かない為に、か……」

 

 

 そんな女の自己弁護。自身に言い聞かせる様な発言に、反応したのは盾の守護獣。

 苛烈さを増していく戦場で、戦えぬ人々を守りながらに疑問を零す。睨み付けながらに口にしたのは、泣きたくないと叫ぶ闇の行いだ。

 

 

「その為ならば――お前は、まだ首も座らぬ赤子すらも縊り殺すか」

 

「夜の一族だからネ。生きていちゃ、いけないヨ。アイツらは、寄生虫としテしか、生きてはイラレないのだから」

 

 

 後の誰かが泣かない為に、己の涙を止める為に、お前は赤子すらも殺すのか。そう問い掛けた獣に対し、返る答えは淀みない。

 心の底から、それが正義と信じている。その脳裏には忌避の感情は欠片もなく、そうするのが絶対的に正しいのだと妄信している。

 

 そうと分かる程に、即座に返った言葉の反応。それを耳にしたザフィーラは、唯悲しげに感じた想いを口にした。

 

 

「成程、お前は醜いな」

 

「…………」

 

 

 憎悪に染まって、憤怒に身を任せて、それだけとなり果てたその姿。

 人の世の為と口にして、生まれたばかりの子を殺す。それは抗弁できぬ程に、唯々只管に見苦しい。

 

 其処に如何なる理由があろうと、其処にどの様な正当性があろうと、赤子を縊り殺す姿は純粋に醜いのだ。

 

 

「人の振りを見て、我が振りを直せとはよく言うがな。一つ、学んだよ。……憎悪しかない生き物は、傍から見ていて、酷く見苦しいのだとな」

 

 

 胸を突く程の憎悪を叫ぶ。それでも八つ当たりをする様な形では、余りにそれは見苦しい。

 怒りを以って怨敵を誅殺せんとする。されどその後に何も残らぬ様な無様では、余りに酷く醜いのだ。

 

 泣いて喚いている姿では、端的に言って格好が付かない。悲しい悲しい悲しいと、それだけでは無様に過ぎる。

 格好が悪いのはいけない。無様に過ぎる様では甲斐がない。愛しい人が居たならば、彼らが目を背ける様な姿を見せてはいけないのだ。

 

 

「見っとも無いにも程がある。そんな姿、失った者には見せたくないな」

 

「……お前に、何が分かルよッ!?」

 

「分かるさ。俺とお前は、どうやらよく似ている様だからな」

 

 

 闇は男の言に激高し、魔力を嵐の如くに放つ。消えろ消えろ消え失せろと、闇がその顎門を剥き出す。

 時を停滞させて受け止める。受け止め切って押し返す。そうして盾の守護獣は、己の同類の目を見て告げた。

 

 

「よく似たお前を反面教師としよう。我が身を振り返る為の切っ掛けとなった。それだけは、感謝しておこう」

 

 

 己はお前の様にはならない。その無様さを心に刻んで、其処までは堕ちる物かと胸に誓う。

 彼は堕ちない。皆を守護する騎士であると、彼を信じた少女が居た。だからこそ、彼は闇になってはならない。

 

 怒りは消えない。憎悪は尽きない。それでも、それだけにはならない。

 己と同じく憎悪と憤怒に染まって、堕ちきった女の姿。その果てを見た事で、ザフィーラはそう誓ったのだ。

 

 故に、男は慈悲の心で最後に告げる。己の同類へと向けて、彼はその言葉を叩き付けるのだった。

 

 

「だから、そろそろ死んでおけ。愛した者すら忘れ去った残骸よ」

 

 

 戦場は変わった。形勢は逆転した。攻守は此処に入れ替わる。

 激痛の剣が少しずつ、闇の身体を削っていく。それを食い止めようとしても、停滞の盾が全てを防ぎ切る。

 

 そして、何より忌まわしいのは赤い月。削られていく闇の力が、更に吸血鬼に奪われていた。

 

 

「っ、私、はァァァッ!!」

 

 

 三人掛かりのこの戦場。遂に打つ手を失くしたのは闇だ。下手な攻撃は防がれて、己だけが傷付いていく。

 そんな逆境に、闇は叫びを上げる。死を嘆く様に、悲痛に涙する様に、唯々只管に己の感情を叫び上げていた。

 

 

「泣きたくナイよ。泣かない為ヨ。愛しテいるネ。まだ大好キダヨ。だから、綺麗にスルね」

 

 

 女の言葉を否定する。男の言葉を否定する。泣いている訳ではない。醜いだけではないのだと。

 それでも何処かで自覚する。醜くなってしまったと、涙が止まってくれないと、そう自覚するのは過去が未だに残っているから。

 

 

「何故生きた。何故残った。何故死ねなかった。その全て、意味がアッたヨ。ナければならナイ。だから、だカら、ダかラ――ッ!!」

 

 

 闇の芯は砕けている。女の核は崩れている。その想いの根底は、あの日に既に砕かれた。

 それでも生きた。生きてしまった。ならば其処には意味がある。なければならない。ならば示そう。

 

 その為には、彼らが邪魔だ。故に闇は己の矜持を破る。事此処に至って漸く、女はその拘りを捨て去った。

 

 

「……吸血鬼を庇うなら、お前達も同類ヨ」

 

 

 それは、人を傷付けないと言う拘り。彼女に残った、最後の矜持。それを、邪魔だからと捨ててしまう。

 反射しかしてなかった。波動をぶつけただけだった。それで足りないと言うならば、排除する意志を持って殺し尽す。

 

 そうとも、彼らは害悪だ。夜の一族と同じく、世界を穢す悪なのだから。

 

 

「滅びロ。世界ヲ穢ス害悪ドモォォォォォォッ!!」

 

 

 彼らを滅ぼす為に、闇と夜を此処に重ねる。全力で、全霊で、加減などありはしない。

 星を滅ぼす闇の極光。虹の光を核として、それでは足りぬからと更に引き出す。それが齎す被害など、女はもう考えない。

 

 

「もっと、深ク」

 

 

 菟弓華の体内に移植された神の子(トーマ)欠片(リンカーコア)。それを介して、更に深く神へと繋がる。

 溢れ出した神の力と同調し、集めた虹へと注ぎ込む。己の身体に亀裂が走るが、それすら知らぬと更に更に近付いていく。

 

 

「もット、強ク」

 

 

 集められた力は既にして、世界を確かに滅ぼす程だ。無限に広がる大宇宙。それさえ消し飛ばせる程に。

 その力を前に、闇に立ち向かう者らの表情が凍り付く。中天に座す闇がそんな物を放てば、この地は跡形すらも残りはしないと。

 

 それで良い。それで良いのだ。最早矜持を捨てた女は、何の為に力を振るうのかも忘れ去って、破壊の闇を齎した。

 

 

「滅ビィィィロォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 躊躇いなく振り下ろされた力。天から全てを滅ぼさんと、落ちて来る闇の極光。

 それを前にして、すずかが夜を、ザフィーラが停滞の力を、アリサが激痛の剣を、極光へ向かって打ち放つ。

 

 

「っ! 吸い、尽くすッ!!」

 

「此処を、抜かせるものかァァァッ!!」

 

「その調子よ、アンタ達ッ! 大・焼・炙ッ!!」

 

 

 夜が力を吸収し、停滞の力場が更に弱める。弱体した極光に、アリサが炎の剣を叩き付ける。

 何としてでも食い止める。此処で必ず押し切ってみせる。そう意志を強くしたのは、決して三人だけではない。

 

 

「Magna voluisse magnum!!」

 

 

 打ち破ると言う意志は、闇もまた強いのだ。ならば想いの多寡だけで、状況は変わらない。

 ほんの僅かに足りていない。三人分の力を束ねて、しかし落ちて来る極光の方が微かに上回っていた。

 

 宇宙開闢にも等しい極光。それを前に、三人掛かりで此処まで抑え込めた事こそ想いの力。

 だがその意志の多寡を含めて尚、闇の方が僅かに上だ。魂を何処まで輝かせようと、その出力差を覆せない。

 

 ジリジリと炎を喰らいながら、堕ちていく虹の輝き。その光景に、闇は亀裂の走った貌を歪める。

 落ちて来た闇の極光が齎すのは、間違いなく破滅の光景。一瞬先のそれを夢想して、誰もが此処に背筋を凍らせた。

 

 

「こんのぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

「さ、せるかぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 猛り、叫び、諦めない。だがしかし、あと僅かが押し返せない。ジリジリと、闇が落ちて来る。

 後本当に僅か。ほんの少しのその差異が、此処に全てを分けてしまう。そうはさせじと抗うが、しかしやはり届かない。

 

 もうダメなのか。だが諦めるものか。誰もがそう抱いた時に――

 もう勝利する。これで全てが浄化される。闇がそう笑みを浮かべた瞬間に――

 

 

「イミテーション・スターライトブレイカー!!」

 

 

 そのほんの僅かを揺らがせる。小さな光が瞬いた。

 覆すには遠く足りずとも、この拮抗を揺るがすには十分過ぎる輝きが閃いたのだ。

 

 

「今っ! 与えよ、さらば与えられん(Date et dabitur vobis)!!」

 

 

 僅かに拮抗した一瞬、すずかは剣を入れ替える。薔薇の夜から天使の光へ、切り替えた力を極光へと叩き付ける。

 そうして、頭上にて破裂する。束ねた力と極光が此処に相殺して、余剰の火力が小さな爆発となって闇の身体を焼いた。

 

 身を僅かに焼かれた闇は、しかし大した被害を受けていない。自壊の方が、遥かに重い状況だ。

 故に闇は受けた被害に頓着せずに、起きた事実に意識を向ける。この拮抗を覆した、小さな女を睨んで問うた。

 

 

「……どうしテ、オマえが」

 

「どうして、何故。そう問われたならば、こう答えましょう」

 

 

 青を基調とした民族衣装に、白き白銀の鎧を纏う。指揮棒の如き杖を握って、屍人を従えた少女。

 イクスヴェリアは問いを向けられ、その圧に気圧される。内面で震えながらも、羽織ったコートを心の頼りに啖呵を切った。

 

 

「私は今、生きている。そして、明日も生きて行く。その為に、過去に決着を付けに来た」

 

 

 本来は、純朴で善良だった少女だ。己の行いに心を痛めて、罪の感情を背負い続けていた彼女である。

 生きている価値がない。そう捉える自己に、それでも生きてと願った人が居た。だから胸を張って生きる為に、その罪と向き合いに来たのだ。

 

 己を縛っていたクアットロはもう居ない。ならば敵対するべきは、此処に残った最後の一人。彼女を従えていた組織の盟主だ。

 

 

「私、傀儡師イクスヴェリアは――本日限りで、無限蛇を脱退させて頂きます」

 

 

 死人の群れを従えて、少女は此処に一礼する。彼らが手にした号砲こそが、決別を告げる意志表明。

 偽りの星光。プロトタイプスチールイーターを構えたマリアージュの軍勢。従える冥王は、指揮棒の如き杖を盟主に向けた。

 

 

「……まァ、良いネ。今更、お前と、お前の傀儡ガ来た所で、物の数ニモならないヨ」

 

 

 その裏切りに、僅か驚愕した。彼女が己の前に立てている事実に、意外性を感じている。

 それでも所詮はそれだけだ。闇の前に立つ為に、裏技を幾つか重ねているのだろうが脅威には成り得ない。

 

 傀儡師では届かない。マリアージュなど意味がない。この今に、戦局を左右出来る様な存在ではない。

 故に取るに足りないと、菟弓華は結論付ける。そんな盟主の判断に、成程然りと冥王自身も賛同していた。

 

 

「えぇ、自覚はあります。裏技を重ねても、貴女の前に立つのがやっとな時点で、私では役に立たないでしょう」

 

 

 馴染んだマリアージュコアと、外部からの強化支援。それを受けても、イクスは此処に立つだけで限界だ。

 敵の敵は味方であると、六課の三人の支援が精々。単独で戦局を左右出来る様な、前線を支えられる様な者ではない。

 

 そんな事、イクスヴェリア自身が一番良く分かっている。ならばこそ、先ず最初に()()に接触したのだ。

 機動六課の三人。無限蛇の盟主。その四者の戦闘に、真っ向から立ち入る事が出来る第三者。その協力を、イクスは取り付けていたのである。

 

 

「なので、任せましたよ。――ヴィヴィオッ!」

 

「アクセス、()()()()ッ!!」

 

 

 言葉と共に、屍人と生者が作った夢へと繋がる。その夢を作り上げたのは、マリアージュだけではない。

 今も月村邸に居る者達。戦闘の最中に忍び込んだイクスヴェリアと接触して、彼女の言葉に絆された人間達。

 

 高町恭也が、ノエルとファリンが、さくらと真一郎が、皆が眠り夢を見ている。

 その夢によって支えられ、再び飛び上がった白き翼。全てを映し出す魔鏡は此処に、始めて己の意志で飛翔していた。

 

 

「なッ!? オマえもカァッ!?」

 

「ネツィヴ・メラーッ! 実行ッ!!」

 

 

 予想だにしていなかった裏切り。人形でしかなかった少女の反逆に、さしもの闇も驚きを隠せない。

 驚愕する女に向けて、白き天使が裁きを下す。降り注ぐのは浄化の光。あらゆる悪を駆逐する、塩の柱の力である。

 

 奈落に天使は生まれ得ない。人の憎悪と憤怒の中に、熾天使が生まれ出でる筈がない。

 されどアストは以前から、その身に天使を宿していた。其れは嘗ての残照が一つ。似て非なる器に宿った、前代以前の遺産の欠片。

 

 その欠片が真に輝く。その受け継いだ魂が、此処で本物へと変わる。故に天使の輝きは、繋いだ夢の大きさ以上に強烈だった。

 

 

「アストッ!! お前ェェェッ!?」

 

「ヴィヴィオ。アンタ」

 

 

 己の名を呼ぶ二人の女。盟主と母親。彼らが指し示すその二つの名に、白き幼子は一つを想う。

 

 与えられた役割と、映し出した虚構の己。抱き締めてくれた母親は、どちらでも良いと語ってくれた。

 どちらでも良いと言うならば、後はどちらを望むかと言う事。光を掲げる小さな天使は、此処に己の想いを口にする。

 

 

「私は、ヴィヴィオ(こっち)が良い」

 

 

 闇を光で駆逐しながら、小さな少女が望む答え。どちらでも良いと言うならば、己が望むのはヴィヴィオである事。

 幼い心が初めて願う。自分の意志で初めて決める。役割を果たす為の純白の鏡よりも、母に甘えるだけの子供で居たい。それが彼女の心であった。

 

 

「どっちでも良いなら、アストよりヴィヴィオが良いッ!!」

 

 

 だから、盟主に向かって反旗を翻す。彼女が居たら帰る場所が消えてしまうから、自分の意志で立ち向かう。

 誰かに先導された訳ではない。イクスに持ち掛けられた時、確かに自分で選んだのだ。故に少女はヴィヴィオとして、此処に翼を羽搏かせる。

 

 そんな娘の言葉に、アリサは僅か笑みを浮かべる。巻き込まれたのではなく、踏み込んだのならば否はない。

 この今に羽搏く天使は、確かに力強い増援だ。もう負ける心算など欠片もない。愛する娘と肩を並べて、女は更に更にと気炎を燃やした。

 

 

「終わりだな。無限蛇の盟主。憎悪と共に散れ」

 

「このまま、重ねて詰みに持っていくわ。アンタには、何もさせやしないッ!」

 

「数の暴力ですが、詫びる心算はありません。今を、明日を、生きる為に――」

 

「ヴィヴィオは、ママが良いッ! お前は、邪魔だァァァッ!!」

 

 

 再び照らし出す赤い月の下、誰も彼もが咆哮する。必ず勝つのだ。勝利するのだと意志を示す。

 闇を止める停滞。闇を焼き尽す赤い炎。無数の死者と生者が夢を紡いで、白き天使が闇を切り裂く。

 

 誰も彼もが敵である。周囲全てを囲まれて、最早反逆の術などないか――否。

 

 

「終わらない、よ。私の憎悪は、軽くナイ」

 

 

 終わらない。終わらせない。絶対に。この圧倒的劣勢で、されど強く強く想いを抱く。

 軽くはないのだ。この痛み。この憎悪。この憤怒。これは決して軽くはない。ならば敗北など認めない。

 

 

「詰みナンて、認めナイ。何も出来ないナンて、許せナイ」

 

 

 矜持は捨てた。より良き未来を、その為にと言う題目を捨てた。それで得た力、それでも未だ足りていない。

 魔鏡一人、冥王一人。その程度の力が足りず、されどその程度ならば埋められる。また別の物を捨てれば良いのだ。

 

 

「明日なんて、もう要らなイ。未来なんて、モウ要らナい。吸血鬼を、お前達を、根絶やシに出来るナラ――もうこれで終わっても良イからッ!」

 

 

 壊れていく。罅割れていき、亀裂が走り、激痛に身体が崩れていく。だがそれでも、それでもと力を望む。

 この戦いが終わった後に、死んでしまっても構いはしない。夜明けを待たずして、自壊するのだとしても構わない。

 

 唯一つ、吸血鬼を殺せるならば。彼女達を滅ぼせるのならば、もうこの命など惜しくはないのだ。

 

 

「力ヲォォォッ!! コノ全てを、滅ボす力をォォォォォォッ!!」

 

 

 壊れていく。壊れていく。壊れていく。激痛と共に自壊は進んで、その分だけ強くなっていく。

 命と引き換えに、神の如き力を。覇道神としての極みにある戦神。その力の断片を、此処に形と変えていく。

 

 この女がこの今に、発する力は言語を絶する程に。超新星の爆発すらも、今の女に比すれば小さく映る。

 大地が悲鳴を上げる。空が苦痛に呻いている。世界が絶叫を上げている。壊れゆく闇は一人、その全てを顧みない。

 

 

「Initium sapientiae cognitio sui ipsius」

 

 

 天魔・夜刀は時の神。ならばこそ、最大限に同調している今に放つべきはこの力。

 全てを加速させていく。万物を滅ぼす程に長く、長く、悠久の時を此処に回す。己が壊れて潰える前に、全てを滅ぼさんと言うのである。

 

 

「Nihil difficile amanti」

 

 

 加速する。加速する。時間の速度が早回しに加速する。膨大な時の総量は、魂さえも滅びる程。

 世界全てを加速させる。その神威と言うべき力の顕現に、先ず耐えられなくなったのは最も弱い少女であった。

 

 

「あぁ、エリ、オ。……御免、なさい」

 

 

 魔鏡の力と夢界の補助。それを受けても、闇に向き合うのがやっとであった。そんなイクスは耐えられない。

 杖を支えに、膝を付く。必死に起き上がろうとするが、それさえ出来ずに沈んでいく。そうして冥府の炎王は、その意識を失った。

 

 冥王が落ちれば、次は魔鏡だ。彼女を支える夢が消え去り、白き天使は力を失う。

 翼を捥がれて落下する。その身に襲い掛かる悠久の時。全てを加速させて滅ぼす力に、当然ヴィヴィオは耐えられず――

 

 

「っ!? アリサママッ!!」

 

「……言ったでしょ。今度は必ず、一緒に居て上げるってさ」

 

 

 少女を守る為に、女は我が身を盾とする。身を挺して庇った女は、しかしそれに耐えられない。

 元より攻勢に特化した身だ。既に満身創痍であったのだ。ならば背に受けた一撃に、耐え切れずに落ちるは道理であった。

 

 娘を抱き締めて、母に抱き締められて、母娘は此処に大地に沈む。彼女達はもう、この戦場では戦えない。

 

 

「ぐ、ォォォォォォッ!?」

 

 

 残るは二人。防御能力と再生能力。頼みとする物は違えど、共に生存に特化した存在。

 彼らの明暗を分けたのは、その性質が故だった。男の足が先に沈んだのは唯単純に、男の方が背負う荷が多かったからである。

 

 守るべき人々。倒れた仲間達。彼らを庇いながらに立ち向かう守護獣は、その分だけ多くの被害を受けていた。

 如何に時の加速を留める力を持っていようと、抱える荷がこれ程に重くなれば潰される。他の三者が落ちた時点で、彼は既に身動きすらも出来なくなっていた。

 

 

「アトハオマエダケダヨッ! キュウケツキィィィィッ!!」

 

「あ、ぐぅ」

 

 

 三人が沈んだ。残る一人は、動く事すら儘ならない。故に後は唯一人。残ったのは怨敵だ。

 全身に罅割れを起こしながら、手足の先から砕けながら、それでも闇は力を操る。この女を滅ぼし切る為だけに。

 

 

「まだ、だ」

 

 

 加速する時の中、壊れながらも必死に縋る。億年を超える時であろうと、まだ滅びる訳にはいかない。

 古い者には負けないのだと、叫んだ吸血鬼を知っている。あの白貌が耐えた時より重くとも、彼よりも恵まれている自分が此処で膝を折る事はない。

 

 修羅の宇宙。槍を継承した彼女と繋がり、その格は当時の彼と同様に高まっている。

 そして今の己が受け継いだのは、白貌の力だけではない。彼が愛した最愛の天使も引き継いだ。ならばどうして、此処で生き残れない道理があるか。

 

 

「まだ、こんな、くらいで」

 

 

 ましてや、今の己は答えを見付けた。魔群の知識を得て、この闇に対して示すべき在り方を見出している。

 それを為すのに、まだ足りない。この状況では意味がない。だがそれを示さずに、終わる事など認められない。

 

 だから、歯を食い縛る。千億の時すら耐えてみせる。必死に、必死に、必死に残り続けて見せるのだ。

 

 

「私には、まだ、やるべき、ことが――」

 

「オノレオノレオノレオノレェッ! キュウケツキィィィィィィィッ!!」

 

 

 時を回す。時を加速させる。悠久の夜を動かし続ける。その度に亀裂が走り、自壊していく。

 これは最早チキンレースだ。闇が壊れるのが先か、吸血鬼が沈むのが先か。それを競い合う戦いだ。

 

 どちらも退かない。どちらも諦めない。滅ぼすのだ。生き延びるのだ。その意志をぶつけ合う。

 それでも、優劣は明白だった。余りにも分かりやすい程に、どちらが不利かは明確だった。故に――

 

 

「滅びろッッッ!!」

 

 

 血を吐く様な闇の言葉と共に、遂に女も膝を付く。此処に、勝敗は決するのであった。

 

 

 

 

 

 闇と呼ばれた、女の敗北と言う形で。

 

 

「あ、え」

 

 

 気が付けば、胸を貫いている光。飛来した事すら気付けなかった力が、菟弓華を射抜いている。

 その輝きは黄金。修羅の宇宙を受け継いだ世界の破壊者が、その身に宿した聖なる槍の力であった。

 

 

「何で、これ、何、が――」

 

 

 分からない。訳が分からないし、意味が分からない。己が圧していたのではなかったのか。

 そんな弓華の思考は、既にして過ちだ。最初からその最後まで、常に劣勢にあったのは彼女なのだ。

 

 何しろ、闇の全てを一撃で消し飛ばせる。そんな女が見詰めていたのだ。

 高町なのはと言う上位者が、眷属を介して監視していた。ならばこそ、彼女は何時でも弓華を終わらせる事が出来た。

 

 圧倒的な劣勢にあったのは、闇と呼ばれた女であったのだ。

 

 

――ロンギヌスランス・ブレイカー。

 

 

 出来れば彼女達の手で、だがもう持たないと判断した。故に高町なのはは、ミッドチルダから力を行使した。

 遠く離れた魔法の世界から、黄金の力を顕現させて投げ放った。唯それだけの小さな行為で、闇の全てが覆された。

 

 黄金の一撃は、嘗ての獣の全力攻撃に等しい。故にこそ、例え神域の怪物だろうと耐えられない。

 影を全て奪われて、夜の全てを壊されて、闇と呼ばれた女は大地に沈んだ。菟弓華と呼ばれた復讐者は、こうして敗れ去ったのだった。

 

 

 

 

 

3.

 既に戦いは決した。闇はその全てを奪われて、大地に崩れ落ちた。血染の花は生き延びて、闇は勝利を得られなかった。

 そう。既に戦いは決した。ならばこそ、これは唯の蛇足。意味がなく、愚かしく、それでも無価値ではない。そんな余計な後書きだ。

 

 

「まだ、ヨ」

 

 

 胸を槍に突き刺され、大地に倒れた女の残骸。ざんばらに散った髪に隠れる、瞳に意志の強さが宿る。

 既に力は残っていない。神との接続は砕かれた。体内のリンカーコアは最早なく、引き出せるものなど何もない。

 

 残っているのは、僅かな魔力。そしてこのままでは死ねないと、そんな女の意識だけ。

 

 

「私、ハ、まだ、死ねナイね」

 

 

 それでも、必死に指を動かす。影で作った義肢が消え去る前に、己の意志で必死に留める。

 残った力を掻き集めて、己の意志を強くして、唯死ねないと立ち上がる。このままでは、終われなかった。

 

 此処で終わると言うならば、あの時死んでしまえば良かった。此処まで生きてしまったのだから、何もせずには終われない。

 壊れた女は立ち上がる。狂った女は立ち上がる。嘗てを生きた残骸は、此処に立ち上がって前へと進む。その前に、彼女は一人立ち塞がった。

 

 

(お願い。なのはちゃん。……後は、私にやらせて)

 

 

 祈る様に、願う様に、心の内で一つ呟く。そんなすずかの想いに応える様に、遠くミッドチルダから放たれようとしていた次弾が止まった。

 その配慮に感謝を。想いを汲み取ってくれた事に感謝を。そして月村すずかは向かい合う。己が決着を付けなくてはいけない。そんな女を真っ直ぐ見詰めた。

 

 

 

 月村すずかは答えを見付けた。善き場所へ行きたい。愛し愛する事の幸福を、望み願った事こそ彼女の理由。

 その為に生きたいと、それは始原の渇望だ。幸福になりたいと願う。それはとても純粋な、自己の成功を願う事。

 

 その願いの根幹にあるのは、自己への承認。己を愛すると言う感情が、そもそも必要な物なのだ。

 自覚のあるなしに関わらず、自分を愛せなければ、幸福になる事などは求めない。嫌悪した対象が救われる事など、どうして心の底から望めよう。

 

 善き場所へ行きたいと、そう願った時点で彼女は自己を肯定した。自分自身で承認して、己の目を逸らさないと決めたのだ。

 その上で、彼女は一つを決めた。それは幸福な場所へ行く為に、必要不可欠となる要素。自分を愛し続ける為に、必要となる要因。

 

 故に向き合う。故に道を阻む。立ち上がった女の前に立ち塞がって、月村すずかはその頬を歪に歪めて嗤うのだった。

 

 

「……何だ。まだ生きてたんだ? 薄汚い下等種が、まるでゴキブリみたいだね」

 

「な、に」

 

 

 赤い月の下、瑞々しい唇が緩やかな孤を描く。立ち上がった女にも分かる程、らしくない嘲笑が浮かんでいる。

 思わず呆然と、問いを投げ返す菟弓華。そんな無様を更に嗤って、月村すずかは悪辣なる言葉を零す。ニヤリニヤリと笑みを作っている。

 

 それは演技。それは虚構。己を愛し続ける為に、この女と向き合う為に、この今に必要となる悪辣な仮面だ。

 

 

「聞こえなかったの? 本当に、存在が下等なら身体も劣等なんだね。それで良く、男を誘えた物だよ。私だったら、そんな胎を使おうとは思えないな。全く、その辺分からない当たり、氷村叔父さんも劣等だよね」

 

 

 さあ、演じろ。演じろ。演じきれ。見本となるべきは己の中に、腐った下種の皮を被って嗤え。

 赤い瞳に喜悦を浮かべて、歪んだ愉悦に嗤ってみせる。己の胸中さえ偽って、月村すずかは外道を演じていた。

 

 

「あぁ、それも当然か。塵に二度も負けるんだもの。夜の王に相応しくない。所詮は塵屑でしかなかったって事だよねぇ」

 

「……何デ、お前」

 

「本当、愚劣。事此処に至っても理解出来ないんならぁ、そんな頭捨てたらぁ? 大体さぁ、何で生きてんのよ気持ち悪い」

 

 

 この女は救われない。それは敵が居ないから。恨みをぶつけるに足りる、悪党が存在してないから。

 その憎悪を吐き出す相手が、その憤怒をぶつける相手が、居ないからこそ救いがない。ならば逆説、憎悪を向けるべき悪党が居れば良い。

 

 

「貴女が言った通りだよ。全く人が演技してるのに、そんなのにすら気付けないなんて。下等種はこれだから、下らないったらありゃしない」

 

 

 アリサもザフィーラも、その発言は的外れだった。菟弓華と言う女は、泣きたい訳でも憎悪に身を任せていた訳でもない。

 泣いていたくなかったのだ。憎悪しかない状況が、どうしようもなく我慢がならなかっただけだ。この今に、納得出来なかっただけなのだ。

 

 そうとも、何故生きたのだ。自死が出来なかったからこそ、女は己が生きた理由を求めた。

 その理由を探し出して、納得して終わりたかった。それこそが女の救いであって、故に救われぬと魔群は嗤った。そんな理由、何処にも存在しないから。

 

 

「貴女の事を言ってるんだよ? ねぇ、分かる。分かりますかぁ?」

 

「何ヲ、お前ハ、一体――」

 

「貴女自身が、何度も言っていたじゃない。なのに、その程度も分からないなんて」

 

 

 故にこそ、敵を。許せない敵を。悍ましい敵を。憎むべき怨敵を。

 この敵と戦う為に生きたのだ。この敵を倒す為に生きたのだ。そう思える程の凶悪なる存在を。

 

 恨まれる血族の中で最強の彼女だからこそ、女が月村すずかを深く知らないからこそ、怨敵には成れるのだ。

 

 

「良いわ。その惨めさ。その愚かしさ。愚劣さが哀れに過ぎるから、教えて上げる」

 

 

 嘲笑を浮かべる。傲慢な笑みを浮かべる。支配者に相応しい、そんな態度を此処に示す。

 取り込んだ魔群を被って、その外道を演じ切る。決して相手に暴かれぬ様に、何処までも悪辣に女は嗤った。

 

 

「私は、月村すずかは――夜の王」

 

 

 そう。我こそ闇を統べる者。蠢く悪意の頂点に立つ、吸血鬼が王である。

 己を騙り、その名を騙り、そしてその威を此処に示す。赤い月が、強く強く輝いた。

 

 

「闇夜を統べる吸血鬼を前にして、頭が高いよ。下等種族」

 

 

 簒奪する力を前に、漸くに立ち上がった女が再び崩れ落ちる。

 大地に沈んだ菟弓華を、月村すずかは冷たく見下す。下らないと、冷笑を顔に張り付けていた。

 

 

「お前ガ、オ前が、お前ガ、オマエが」

 

 

 その演技に騙される。疲弊故に思考が鈍り、女の実態を知らないからこそ騙される。

 崩れ落ちた菟弓華は、騙され切ったその果てに、遂に倒すべき怨敵の姿を見付け出したのだった。

 

 

「お前ガお前ガお前ガお前ガお前ガお前ガァァァァァァァッ!!」

 

「煩い。黙れ」

 

「がっ――」

 

 

 叫ぶ女の頭を足で踏み躙り、冷たく温度の通わぬ瞳で見下し嗤う。

 大地に押し付けられた弓華は、口や目に泥が入るのも構わずに怒りの声を上げた。

 

 

「足の裏で這い蹲ってろ。それが似合いだ。下等種族」

 

「月村、すずかぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 そして、その怒りを原動力に立ち上がる。憎悪を燃やして、両手で必死に立ち上がる。

 踏み躙る吸血鬼を吹き飛ばす様に、勢いよく立ち上がる。飛ばされた女は蹈鞴を踏んで、距離を取ると冷たく演じ続けるのであった。

 

 

「ふぅん。逆らうんだぁ。ほんっと、目障り」

 

 

 まるで屠殺される豚を見る様な瞳で、見下しながらに嗤って騙る。

 その冷たい目を見詰めるだけで、その怨敵を見上げる度に、全身に力が満ちていく。

 

 

「貴女達は騙されて、搾取されてれば良いんだよ。そのくらい、言われなくても分かってよ」

 

「お前の様な奴が、お前ノ様な奴がイルからァァァァァァァッ!!」

 

 

 故に女は飛び上がり、拳を握って飛び掛かる。何としてでも、お前だけは殺してみせると。

 既に全ての力を失くして、それでも弓華は咆哮する。使える力が何もないなら、その五体こそを武器とするのだ。

 

 

「……仕方ないね。教育の時間だ。調教してあげる」

 

 

 原始的な獣の如く、叫びながらに襲い掛かる女の姿。それを見下しながらに嗤って、月村すずかも拳を握る。

 これより始まるのは、高尚な決闘などではない。己の意志を叫びながらに、殴り合うだけの見っとも無い闘争だ。

 

 

 

 殴り合う。唯純粋に拳を握って、相手の顔を狙って振り抜き殴る。殴り飛ばした腕に、感慨を得る前に返って来るのは拳の返礼。

 掴み合う様な距離感で、相手の顔を狙って殴り合う。それは女の戦い方とは程遠く、ましてや優雅さなんて欠片もない。余りに原始的過ぎる、そんな無骨な男の在り方。

 

 それでも、それこそが相応しい。相手の拳に籠った怒りを、その憎悪を、全て受け入れる様に躱さず受ける。

 夜を使えば容易いだろうに、それでも相手と目線を合わせて。気付かれない様に浮かべるのは、余裕に満ちた軽薄な笑み。

 

 

「どうして、どうしてヨ」

 

 

 痛い。痛い。痛い。痛い。与えられる感情は、余りに痛いと思える程に重い物。

 それでも躱そうとは思えない。それでは意味がないと知っているから、それは軽いと嗤ってみせる。

 

 そうとも、そうでなくてはいけない。そうでなくては、月村すずかは己を愛せない。

 

 

「どうしテ、皆が死んだネ」

 

 

 悪事を為した人なんて居なかった。逝ってしまった彼らより、己の方が遥かに罪に塗れていた。

 叫ぶ様な痛みに、心を震わせる。向けられる憎悪の質量に、身体が震える。だがその全てを隠し切り、月村すずかは嗤ってみせる。

 

 この憎悪は、己が背に負うべき物だ。心に刻んで、背負って進む物なのだから。当然と、笑って受けてみせるのだ。

 

 

「お前の様ナノがイるのに、どうして皆がイないのヨ!?」

 

「……ほんっと、低脳。そんなの決まっているじゃない」

 

 

 殴り合う。感情のままに、原始的に殴り合う。片や悲痛の涙を流して、片や嘲笑を顔に浮かべて。

 殴り合いながらに悪女は騙る。相手の琴線。抱えた想い。その全てに泥と糞尿を塗りたくり、嘲笑と共に罵倒する。

 

 

「弱いから、雑魚だったからだよ。寧ろ死んで良かったんじゃない?」

 

 

 殴る。殴る。殴る。殴る。拳を振るう腕に重みを、撃ち抜いた甲に痛みを、感じながらに殴り続ける。

 血反吐が飛んで、歯が飛んで、それでも歪んでいくのは片方だけ。吸血鬼の身体に付いた傷痕は、瞬きの後に消え失せるのだ。

 

 

「だって、貴女みたいに、見苦しく見っとも無く、無様な姿は晒さなかったんだからさぁ」

 

「あ、ァァァァァァァッ!!」

 

 

 女の叫びに心を搔き乱されて、それでも余裕を浮かべて嗤う。

 笑いながらに殴り飛ばす。必死に立ち上がった女の身体を、何度も何度も打ち付ける。

 

 その想いの底までも、全てを解き放たせる為にこそ。己こそを、決して許せぬ怨敵へと据える為に。

 

 

「ウフフ、アハハ、アハハハハァ」

 

 

 余裕を見せろ。実情を隠せ。既に限界な心など、仮面を被って隠し通せ。

 悪辣なる者と在れ。倒すべき敵と在れ。虎の威を借る下劣畜生。その低劣さを見せ付けろ。

 

 

「ねぇ、今どんな気持ち? 折角強くなれたのにぃ、それ無くなったら踏み躙られてぇ、ねぇ今どんな気持ちぃ?」

 

「月村、すぅずぅかぁぁぁぁぁッ!!」

 

 

 何度倒されようと、怒りを胸に女は立ち上がる。幾度踏み躙られようと、下劣畜生へと立ち向かう。

 負けない。負けない。負けるものか。最早その意地だけで、己の限界を大きく超える。最早死は確定で、だからこそ負けられない。

 

 

「負けないヨ。お前にハ、お前みたいな奴ニは、絶対にィィィィッ!!」

 

「ぐっ、がっ――」

 

「滅べヨ。吸血鬼ィィィィィィィッ!!」

 

 

 殴る。殴る。殴り飛ばす。再生すると言うならば、それより前に拳を振るう。

 身体の自壊など気にしない。自己の崩壊など関係ない。この目の前に立つ化け物を、滅ぼす事に執心する。

 

 滅べ、滅べ、滅び去れ。拳を握って振り抜き殴る。その拍子に右の腕が砕けるが、菟弓華は気にしない。

 まだ左の腕がある。まだ二つの足がある。例え首だけとなったとしても、噛み付きその命に届かせてみせるとしよう。

 

 

「……ちっ、面倒ね。あぁ、本当に面倒臭い」

 

 

 女の意地を前にして、遂に零れたそんな言葉。それは紛れもなく、月村すずかの本音であった。

 

 

「手間を掛けさせて、無駄な事ばっかり。こんなの、リスクとリターンが見合っていないわ」

 

 

 本当に、得る物と失う物が釣り合っていない。これを生み出した男が生きていたならば、悪辣なまでに罵倒していただろう。

 僅かな血を吸う為だけに、人を幾人も終わらせた。その果てにこんな闇を生み出して、それでは支出が多過ぎる。手間が掛かり過ぎるのだ。

 

 

「学ばせて貰ったわ。貴女みたいなのが生まれるなら、人間を飼うのは考え物だってねぇ」

 

「学ぶついデに、死んでしまえヨ! 月村すずかッ!!」

 

 

 何処までも傲慢に、傲岸不遜を気取って嗤う。そんな吸血鬼に向かって、血を吐くような恨みをぶつける。

 死んでしまえ。死んでしまえ。お前など死んでしまえ。純粋なまでの憎悪を前に、嗤って返す。笑みこそ演技に過ぎないが、語る言葉は何処までも真実だった。

 

 

「……冗談。どうして私が、貴女の為に其処までしないといけないの?」

 

 

 恨みをぶつける対象には成れる。その憎悪を受け止めてやる事は出来る。だが、死ぬ事だけは許容できない。

 何故、其処までしないといけないのだ。故にそれは許容せず、月村すずかが示した答えはそれとは異なる形である。

 

 

「覚えておいて上げるわ。認めておいて上げる。菟弓華」

 

 

 何故生きた。そう語る女に理由を。何故死ななかった。そう嘆く女に救いを。

 貴女は唯、徒に生きたのではなかったのだと。ただ徒に、生を苦しんだのではなかったと。

 

 

「貴女みたいなのが生まれない様に、今度は上手くやってあげる。蜜の様に甘く、魂すらも蕩かす様に――溺れさせてから吸うとしましょう」

 

 

 何処までも傲慢に、何処までも上から目線で、悍ましい怪物に相応しく嗤いながら。

 己の生を受け入れた女が、辿り着いた答えがそれだ。この被害者を前に、導き出した答えがそれだ。

 

 その死までも喰らってやろう。望み続けた怨敵に敗れて、後の世の為に散るが良い。

 

 

「無価値ではなかったわ。私に、そう思わせる事が出来たんだから。――だから、それを救いに死になさい」

 

「そんな、上から目線デ、恵まレタ価値なんかデェェェッ!!」

 

 

 反発する様に、叫ぶ女の拳を受ける。受け切ってから、右の拳を握り締めて殴り飛ばした。

 殴り飛ばされて、それでも女は止まらない。走った亀裂に壊れながらに、それでも左の拳を振り抜いた。

 

 殴る。殴る。殴る。殴る。月夜の下で殴り続ける。己の想いを拳に込めて、只管に相手を否定する。

 それでも、殴られる度に分かってしまう。その拳に籠った色は、隠し切れる物ではなかったから、菟弓華は気付いてしまった。

 

 

「どうして、生きたヨ」

 

「知れた事、私の為によ」

 

 

 気付いて、だから素直に。そんな風に成れる程、この女は真面では居られなかった。

 矜持も明日も捨て去って、そうして得たのがそれでは納得できない。だからこそ、拳を握って振り抜いた。

 

 

「ドウシテ、残ったネ」

 

「知れた事、後の世の為によ」

 

 

 気付かれて、だからと言って言葉を翻しはしない。女はもう決めたのだ。

 自分の血筋を肯定した。幸せになる事を求めた。善き場所に行きたいと、だからその為に向き合っている。

 

 唯、自分だけが笑っている。そんな世界は、決して善き場所などではない。

 彼女が願った理想の為に、だからこそ月村すずかは決めたのだ。この闇は、もう二度と生み出させはしないのだと。

 

 

「私は、月村すずかは、夜の王。闇夜を統べて、君臨する者」

 

 

 誓いを此処に、我こそ夜の王となる。全ての闇と、全ての悪を、治めて君臨してみせよう。

 もう二度と、悲劇を生まない為に。もう二度と、闇を生み出さない為に。それこそが、月村すずかの至った答え。

 

 

「私が辿り着くべき幸福な世界の為に、肥しとなって果てなさいッ! 菟弓華ァァァァァァァッ!!」

 

 

 振り抜いた拳が、女の顔を穿つ。血反吐と共に吹き飛んで、そうして女は崩れて落ちた。

 

 

 

 残った腕が崩れていく。両の足が砕けていく。もう立ち上がる事など出来ない。

 自壊は既に取返しが付かない程に、全身が崩れ落ちる。故にもう動けない弓華は、此処に最期の言葉を吐いた。

 

 

「……誓え、夜の王」

 

 

 それは、呪詛。殴り合った事ですずかの真実を知ったからこそ、初めて意味を持つ呪詛の言葉。

 

 

「もう二度と、闇を生み出すナ」

 

 

 負けを認めて、敗北を認めて、そうして最期に呪詛を残す。

 砕けて散り行く女は此処に、憎悪に歪んだ瞳で射抜いて語った。

 

 

「その時ハ、今度コソ、殺してやるネ」

 

「ふん。言われるまでもない。……誓ってあげるわ。菟弓華」

 

 

 気付かれていた。その事実に気付いて、されど何かが変わる訳ではない。

 嘘偽りが暴かれようと、結果は何も変わらない。月村すずかは、最早立ち上がれない女に背を向けた。

 

 

 

 砕けていく。崩れていく。崩壊していく中、女は一人息を吐く。

 余りに苦しく、余りに痛みに満ちた生。そんな果てに、小さく笑った。

 

 

「……あぁ、勝てなかったヨ。御免ネ、火影」

 

 

 漸くに終われる。漸くに貴方の下へ。愛しい男の名を呟いて、女は砂へと変わって行く。

 崩れて、砕けて、風に吹かれて。何もかもが消えていく。それでも、その最期には小さな笑みを浮かべたまま。

 

 

「だけど、ああ、だけど…………やり遂げたヨ」

 

 

 敗北した。されど、己を刻み込んだ。あの呪詛を忘れぬ限り、闇はもう生まれない。

 ならば、きっと意味があったのだろう。それはちっぽけな戦果であったが、それでも慰めとなったのだ。

 

 だからこそ、憑き物が落ちた様に笑ったまま、夜を憎んだ闇は消えて行くのであった。

 

 

「……本当、面倒臭い。手間ばっかり掛かって、割に合わないんだよ」

 

 

 そうして、長かった一日が終わる。その最期を刻み付けて、月村すずかは前を見る。

 本当に面倒だった女。もう二度と、会いたくはない被害者。だからこそ、二度と会わない為に動こう。

 

 

「私は、夜の王。闇夜を統べる、暗き女王」

 

 

 散って行った砂を振り返る事もなく、己が己に任じた役を口にする。

 怪物を統べる怪物。何よりも嫌い恐れていたそれへと、成り果てる事はもう怖くはない。

 

 そう在ると望み、そう生きると決めた。他でもない、自分の意志でそう定めたのだから。

 

 

「そう在る事を望んで、そう生きる。そう決めたから――さようなら、復讐者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




○今作における無限蛇の戦力
盟主:菟弓華(Diesルートヴィヒから継戦能力を奪って、代わりに流出させてみたゲテモノ)
参謀:ジェイル・スカリエッティ(総合性能的には、一度目の過渡期を滅ぼした時のサタナエルくらい)
魔刃:エリオ・モンディアル(ナハトが憑いてるライルに、創造獣殿要素をInしたヤンホモ)
魔群:クアットロ=ベルゼバブ(ジューダスじゃなくて神野明影)
魔鏡:ヴィヴィオ=アスタロス(まんまアスト。愛を知らないアスト)
傀儡師:イクスヴェリア(原作イクスをちょっと強化したくらい。無個性)
人形兵団:ルネッサ・マグナス(無限蛇の雑煮。レストインピースを添えて)


纏まりのなさに目を瞑れば凶悪な布陣。コイツ等を纏められるスカさんが本気で計画の中心に据えてたらヤバかった連中。

欠点は、劣勢なのに滅びろ(死亡フラグ)とか言っちゃう盟主様のアズラーン要素と、雑煮なルネさん以外に原作無限蛇要素がなかった事だと思う。



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