リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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衝撃のファースト・ブリットッ!


穢土決戦編
第一話 決戦前夜 其之壱


1.

 第二十三管理世界ルヴェラ。豊かな自然と旧暦時代の家屋が立ち並ぶ、穏やかな静寂に満ちた世界。

 その静寂を切り裂く様に、空に蒼き光が灯る。現れたのは巨大な鉄塊。壊れた船体から煙を噴き上げ、ゆっくりと落ちていくはロクス・ソルス。

 

 島よりも大きな船が空から墜ちる。墜落した船は大海へと、大波を起こしながらにぶつかる船体は衝撃に大きく揺れた。

 大きく揺れて、船底に穴が開く。されど即座に隔壁が降りて、水が内側へと流れ込む事はない。この船は未だ、確かに此処で生きていた。

 

 

「っ、ここ、は――」

 

 

 衝撃に揺らされて、中身が引っ繰り返った医務室。白いベッドから床へと転がり、痛みに意識が薄れそうになる。

 それでも、もう消えてはいかない。この身は、この瞳に映る彼女は、消滅を免れたのだ。それをリリィは確かに理解した。

 

 白百合は見詰める。己の掌中に握られている、星の蒼さを既に失ってしまった宝石を。

 ジュエルシードは所有者の願いを形に変える結晶だ。それが純粋であればこそ、雑念が一切無ければ、この宝石は奇跡を形としてくれる。

 

 帰りたい。その想いに嘘はない。また逢いたい。そう願う想いに雑念などありはしない。

 只管に、純粋に、唯それだけを願えたのだ。故にこそ、この石は少女の意志に応えた。ロクス・ソルスと言う巨大な船を、始まりの場所へと転移させたのである。

 

 リリィ・シュトロゼックにとって、全てが始まった場所。トーマと出会ったこの世界、ルヴェラと言う大地へと。

 

 

「通信、機を。皆に、知らせ、ないと」

 

 

 途切れそうになる意識を必死に保って、リリィは如何にか立ち上がる。彼女には、為さねばならない事がある。

 それは通信機にて、トーマの誘拐を知らせる事。管理局の仲間達に、この危機を知らせる事。後どれ程に時間があるか、それすらもう分かっていない。

 

 ジュエルシードの空間転移は、一瞬の内に起きた出来事ではなかった。ロストロギアの力を以ってしても、“外”からの帰還には時を必要とした。

 既にあの日より三ヶ月に近く、時が流れてしまっている。一分一秒、僅かな時すら重要となるこの今に、この浪費は致命的。何時世界が凍り付いても、おかしくはない状況だ。

 

 その事実を知らずとも、急がねばならないと分かっていた。胸の中にあるトーマとの繋がり。それが薄れていく感覚が、リリィの心を搔き乱す。

 未だ生きている。未だ其処に居てくれる。だが一体何時まで、彼はこの世界に存在している。分からないからこそ、急がねば。その一念で立ち上がる。

 

 

「あ」

 

 

 それでも、意志の力だけでは此処が限界。リリィは立ち上がった直後に、自分の自重を支えられずに崩れ落ちる。

 

 存在が安定していない。自己の形成が中途半端だ。リリィは上手く歩けぬ身体に、苛立ちながらに歯噛みする。

 神体の“外”に出た事で、彼女は消滅し掛けていた。その上でジュエルシードを使用したのだ。故にこそ、身体を構成する魔力が足りていない。

 

 今は神の内へと戻った。そして彼の神は、この今にも力を取り戻し続けている。故にこの症状は、一過性に過ぎぬ物。

 少し休めば、立ち上がれるだろう。問題なく回復する筈だ。だが、それでは遅い。その僅かを待つ余裕すら、もう彼女には残ってなかった。

 

 故に立ち上がれぬ身体を、意志で無理矢理引き摺り進む。自重を支えられぬなら、支えようとは思わない。

 地面を這いずりながらに扉の外へと、転がり倒れて壁を見上げる。予想の通り其処にあるのは、DISTRESSボタン。

 

 次元間通信機がある艦橋まで、辿り着けるとは思えない。辿り着けたとして、全てを語れる気がしない。

 故にこそ、そのボタンに手を伸ばす。救難信号を発信する装置のカバーを叩き割って、躊躇いもせずに押して起動した。

 

 

「お願い。皆」

 

 

 エルトリアの船が発する救難信号を、管理局が正式に運用している通信端末が捉えてくれる保証はない。

 それでも、何かアクションはある筈だ。管理世界に墜落した船に、きっと気付いてくれる筈だ。そうあってくれと願いながらに、リリィは己の意識を手放す。

 

 この今に出来る事はこれで全て。故にこそ、次に目覚めた時は己の足で立てる様に身を休める。

 気絶する様に眠りに落ちて、それでも最後まで祈り続ける。この僅かに繋いだ希望の欠片、確かな形に変えて欲しいと。

 

 

 

 

 

 数時間後――ルヴェラを含めた複数の世界を巡回する海の部隊が、その信号を察知し惑星内へと救助部隊を派遣する。

 同部隊が船内に倒れた人々を発見。登録されたデータとの照合に手間取るも、要救難者内にリリィ・シュトロゼックを確認。

 

 ロクス・ソルスにて発見された人々は、ミッドチルダにある管理局直営の病院にて保護される事となる。

 そして同時に、この案件は局長指揮の下へ。ロクス・ソルス発見救助と言う情報は、こうしてクロノの下へ届いたのだった。

 

 

 

 僅かな希望は、確かに此処に繋がれる。次代の可能性は微かな形から、少しずつ形を変えていく。

 

 

 

 

 

2.

 ミッドチルダはクラナガン。嘗て地上本部があった場所に、再建された中つの塔。その上層に位置する局長室にて、クロノは書類を手に取り見詰める。

 それはロクス・ソルス発見の報告書。そして救助された人々の、現状を伝える診療書類。救助されて一日、未だ意識を取り戻した者はいないが命を落とした人もまたいない。

 

 彼らの症状は、魔力を使い果たした時と似ている。急激に魔力を消費して、意識を保てなくなっている。

 診断書類からそう判断すると、クロノは思考を切り替える。知人の命を救えた安堵に浸るよりも前に、指導者として考えねばならない事が確かにあった。

 

 

「発見された人の中でIDがあるのは、リリィ・シュトロゼックだけ。トーマは居ない、か」

 

 

 それは未だ意識も戻らぬ彼女らから、聞く事が出来ぬ真実の推測。予測し推理し想定して、先の事態に備えておく事。

 本来、予想だけで行動するのは危険であろう。予測だけを信じて動けば、思わぬ事態に足を引かれる事もある。それでも、最悪を予想したなら話は別だ。

 

 診断書の横に、二つの資料を取り出し並べる。一つは先に起きた夜の一族襲撃事件。そしてもう一つが、スカリエッティの遺した手記だ。

 スカリエッティの手記には、彼が行った全ての事実が遺されている。そして、その内には当然、菟弓華と言う女に施した実験内容も記録されていた。

 

 管理局の誇る重要戦力。アリサとすずかとザフィーラに、あの時はイクスヴェリアとアスタロスまで協力していた。

 それだけの戦力を真っ向から押し切って、高町なのはが動かねばならない程に追い詰めた。それが闇と化した菟弓華の戦闘能力。

 

 それ程に強力な力を成立させた人体実験。一体どれ程に非道な物かと思えば、記されていたのは肉体の治療を除けば、他人の臓器を移植した事のみ。

 トーマ・ナカジマのリンカーコア。その断片を移植しただけで、あれ程の戦力値に至ったと言う。スカリエッティの書記を信じれば、それが事実だった。

 

 

(闇の力は神のリンカーコアの断片だけで成立している。……ありえんな。それだけであれ程に化けるなら、魔刃がもっと凶悪になっていた筈だ)

 

 

 其処に感じていた違和は、唯それだけで至れる物かと言う懸念。それで至れるならば、どうして魔刃はあの領域で済んでいたと言う疑問。

 筋が通らないのだ。理屈が合わない。菟弓華だけがあれ程に化けて、魔刃は覚醒までに時間が掛かった。エリオも同じ処置を受けていた筈なのに、どうして其処に違いが生まれる。

 

 心の差か、想いの差か。だがそうだとしても、菟弓華がエリオより精神的に強いとは思えない。

 それは書面だけで見たからこその感想かも知れないが、それでも精神の在り様だけが理由だとクロノは結論付けられなかった。

 

 故に最初に疑ったのは、スカリエッティが手記に遺した内容。読み手が読むタイミングすら予測していた。そんなあの男が今更隠し事を増やしたとしても、ああそうかとしか思わない。

 

 

(だが、トーマの不在が理由だとすれば、どうだ? ……同じ処置でも、大本の出力が変わっていたとするならば)

 

 

 流れ込む力の総量が増えた。それが答えだとすれば、その現象にも説明が付く。同じ処置でも、違いが出たのはその一点。

 リリィ・シュトロゼックだけが保護された事。トーマ・ナカジマが其処に居なかった事。其処から逆算出来たのは、この今にある最悪の状況。

 

 

「天魔・夜都賀波岐が、トーマを抑えた。そう見るべきだな」

 

 

 トーマが敵の掌中に堕ちた。神の復活が近いのだ。そう事実を推測して、クロノは更にと思考を進める。

 裏付けは必要だが、リリィの回復を待つ暇はない。彼女の言を得たならば、すぐさま動き出せる様な状況を作っておく必要があるだろう。

 

 少数精鋭による穢土侵攻。必要とされるエース達への通達と、足となる次元航行船の準備。そして夜都賀波岐への対策全て。

 半機械化された身体を使って、高速演算を進めていく。必要な物と要らない物。取捨選択を脳裏で固めて、実行に移る事を選択する。

 

 そうしてクロノは、机の角へと手を伸ばす。其処に備え付けられた通信装置を手に取って――

 

 

「――っ、げほっ、ごほっ」

 

 

 溢れ出す様に、口から大量の血が零れ落ちる。どす黒く濁ったそれは、腐った異臭を放つ固形物。

 発作的に咳き込んで、次から次へと机を染める。激痛に悶える様に、それでも慣れた様な手付きで、水差しの水を口に含んだ。

 

 口と喉を洗浄して、濁った汚水をコップに吐き出す。機械の身体に仕込まれた、利き目の薄れた麻酔を使う。

 何処までも手慣れた対応。元より、これは初めてではない。あの失楽園の日を前に、全力を出した時から続いている。彼の身体は壊れていた。

 

 既に死してもおかしくはない身体。それを無理矢理、歪みの汚染が活かしている。それが今のクロノである。

 意志を手放せば、素直に死ねるのであろうか。汚染の大本が消えれば、消滅するのだろうか。それすら分からぬ程に、人間離れした身体。

 

 それでも、死ねないならば、戦える。この意志が潰えぬ限り、前に進み続けよう。クロノ・ハラオウンは、己の役をそう定める。

 

 

「また麻酔を使ったんだね」

 

 

 吐き出した血を片付けている途中で、執務室の扉が開く。呆れた様な表情で、近付いて来るのは紫髪をした女。

 地球から戻って数日。あの事件を経た事で、その美しさに深みが増した。素直にそう思える美女に向かって、クロノは罰が悪そうに言葉を返す。

 

 

「月村か」

 

「出来る限り使用は控えてって言ったよね。効力は高いけど、身体に掛かる負担も大きいんだからさ」

 

「極力、控えてはいるさ。……もっとも、今更健康被害など考えても、誤差にしかならんと思うがな」

 

 

 白衣を纏った医務官は、クロノにとっての主治医である。彼女が指名されたのは、医療技術だけではなく、事情を深く知る身内であるから。

 人々の期待を一身に背負う若き英雄局長。その身が病に伏しているなど、無関係な人々に知られる訳にはいかないのだ。少なくとも、情勢が安定するまでは。

 

 故にこそ闇と相対するより前に、彼の主治医となった女は担当患者の言葉に頭を抱える。

 

 痛みを抑えて意識をハッキリとさせる。その代償に、血肉を深刻に傷付ける。

 唯それだけの劇薬を、自ら望んで投与する。そんな命知らずな患者に、付ける薬なんてない。

 

 それでも、彼女には誇りがある。命を救うと言う誇りがある。故にこそこの馬鹿者に、言いたい事は一つ二つでは済まないのだ。

 

 

「クロノくん。君ねぇ」

 

「すまんが、説教は後だ。先に準備を済ませておきたい」

 

 

 とは言え、男にも都合があれば耳を貸している暇はない。黙って叱られるのは、為すべき事を為した後。

 血に塗れた紙の資料を処分しながら、電子媒体を操作しているクロノ。彼の言葉に意識を引き締め、月村すずかは静かに問うた。

 

 

「決戦が、近いの?」

 

「……月村も気付いていたか」

 

「何となく、だけどね。もう直ぐかなって、クアットロは予想していたみたい」

 

 

 敵地への侵攻。穢土決戦が迫っている。そう予感していた魔群の、その記憶を受け継いだ女の問い掛け。

 そんな彼女に無言で頷き、故に時間がないのだとクロノは語る。進行中の計画、予定していた計画、その全ての前倒しが必要なのだと。

 

 必要なのは、足と武器。移動手段と手にする刃だ。その準備はあの日から、少しずつ用意されていた。

 電子端末の画面に浮かんだ報告書。レストアされた航行船を再利用した設計図が足ならば、もう一つの人体模型図こそが求めた刃だ。

 

 

「穢土に乗り込む前に、出来る限りを備えたい。……フィニーノを呼んでくれるか?」

 

「……本当にやる気? 医者としては、勧めたくはないんだけど」

 

「僕は未だ弱い。お前達と比べても、な。だからこそ、切り札の一つ二つは持っておきたい」

 

 

 画面に浮かんだ設計資料。同時に並んだ進行状況確認は、完成率にして凡そ85パーセント。

 アースラ(セカンド)。あの日に沈められた船の同型艦。ロストロギアを搭載したそれこそが、彼らを運ぶ足となる。

 

 そして、もう一つ。それはクロノ・ハラオウンの新たな剣。

 万象掌握。デュランダル。御門の秘術。魔導師としての実力。それだけでは、届かないと感じていた。

 

 目の前の女。月村すずかを見詰めて確信する。今の彼女に今の己では、例え逆立ちしようと勝てないと。それだけの差が生まれてしまった。

 穢土決戦。全力を出して防衛にあたる大天魔は、間違いなく彼女と同等。仲間に勝てないと確信している状況では、何も出来ずに敗れるだろう。

 

 それでは駄目だ。そう思えばこそ、剣を新たに用意する。手に入れる為だけに、己を更に切り売りしていくのだ。

 

 

「クロノくん。ちょっと、聞かせてくれるかな?」

 

「何だ、月村」

 

 

 どの道、どれ程に苦しくとも死にはしない。そう割り切ってしまっている様な、男の瞳に問い掛ける。

 歪みに生かされている死体。そうとしか言えない有り様の青年の瞳を、月村すずかは鋭い視線で見詰めて言った。

 

 

「君は、生きて帰って来る気があるの?」

 

「……あるさ。まだ、仕事が終わってない」

 

 

 女の問いに、返る男の答えはそんな物。まだやるべき事がある。故にこそ、まだ死んでなどはいられない。そんな義務感だけの言葉であった。

 

 

「せめて、もう少し。組織体制を整えてからでなくては、な。後進の育成も済んではいない」

 

「そうじゃなくて――」

 

「僕にとって生きる理由は、もうその程度しかないんだよ」

 

 

 問い掛けた理由に、その義務感は相応しくはない。何処か怒った様に、クロノを睨み付けるすずか。

 そんな彼女に少し困った様に苦笑して、それでもクロノは翻さない。隠す事なく、彼は己の胸中を此処に明かした。

 

 

「お前と同じだ。多分、僕達は何処か似ていた。心の何処かで、終わりを求めていた」

 

 

 何となく理解していた。それはある種の共感だった。愛した人を失くした日から、クロノは終わりを求めていた。

 友との殴り合いを経て、古き人の想いを継いで、変わったのは生きる意味。終わるまでに、果たそうと思った責任感。

 

 クロノ・ハラオウンには、もうそれしか残っていない。全てを成し遂げ、眠りに就く事こそが彼の望みだ。

 そんな彼だからこそ、気付いた事。同じ様に心の何処かで、終わりを求めていた似た女。彼女が前を見た事に、彼だからこそ気付いていた。

 

 

「それでも、お前は変わった。それはきっと、良い変化なんだと思うよ」

 

 

 その変化。彼は良い事だと理解する。生きたいと思えた事、それは素直に素晴らしいのだと喝采する。

 

 

「……私は、善き場所に行きたいんだって、気付けただけだよ」

 

「そうか。……お前がそうなら、ああ、多分僕はこうなんだろうな」

 

 

 自分はそうはなれない。そうなりたいとも思えない。彼にとっての善き場所は、もうこの世の何処にも在りはしない。

 だが、それで良い。誰かを本気で愛する事など、一生に一度あれば十分だ。だからこそ、クロノの願いはすずかのそれとは違っている。

 

 

「善き場所を作りたい。己が救われたいのではなくて、誰もが救われた世界を見たい」

 

「其処に自分の姿が無くても?」

 

「ああ、元よりそれは望んでいない。……僕にとっての善き場所は、この世の何処にも残っていない。新たに作る心算も、時間もない」

 

 

 彼女が望んだのは、自分が幸せになれる世界。彼が望んだのは、誰かが幸せになれる世界。

 その誕生を見た時にこそ、漸くこの荷は下りるのだろう。苦痛の生を経た果てに、手にする証がそれなのだ。

 

 

「だから、皆の幸福を。貴方のそれは、そんな献身?」

 

「いいや、違う。僕が望んだのは、生きた証を。これはそんな身勝手な我儘さ」

 

 

 女はそれを献身と語り、男はそれを否定する。所詮この感情は、身勝手な自己満足に過ぎぬのだと。

 クロノが求めたのは、己が生き続けた意味。その生の果てに掴んだ物が、誇れる物であって欲しい。そう言う類の感情だ。

 

 

「分からないな。君の考え、正直理解が出来ないよ」

 

「それで良いさ。分かる必要なんてない。今のお前にとってはな」

 

 

 今更に生を求めた女は、この今に死を求め続ける男を理解出来ない。素直に嫌悪を表して、詰る女に男は笑う。

 分からなくて良い。分からない方が良い。どんな形であっても生きたいと、そう思える女が理解するべき事ではない。

 

 それでも、分かり合えないままだとしても――

 

 

「分かり合えなくても、同じ場所は目指せるだろう? ならば僕らは、それで良い」

 

 

 同じ場所を目指す事は出来る筈。ならば我らは友と在れる。共に在れる。仲間として、轡を並べて同じ夢を見れるのだ。

 何処までも身勝手に、何処までも鈍感に、苦笑しながら己の解答を口にする。そんな男の鋼の意志に、女は呆れた様に深い深い息を吐いた。

 

 

「……ほんっと、男って駄目だね。身勝手で、目を離したら何処かへ行っちゃう。秘密主義で格好付け。その上、振り返りすらしないんだもん」

 

「返す言葉がない。……だが、身勝手に言うならばそうだな」

 

 

 これだから、男共は駄目なのだ。自ら死に行く男の誇りを、薔薇の女は理解しない。格好を付けて走り抜けてと、そんなの望んでいないのだと。

 本当に、これだから男共は駄目なのだ。薔薇の女が身を許しても良いと、そう思った男に限ってこんな様。そしてそんな男は、苦笑交じりにそう語るのだ。

 

 

「諦めろ。男って奴は、どいつもこいつも面倒なのさ」

 

「それ、普通は女の子に使う言葉だよ? 女の面倒を許すのが、男の度量ってね」

 

「なら僕は甲斐性なしだな。問題ない」

 

 

 自嘲する様に笑いながらも、己の言葉を翻しはしない。そんな男の抱いた想いは、鋼の如く揺るぎはしない。

 そんな男に背を向けて、深く深く呼吸をする。真っ直ぐにその顔を見詰める自信はなかった。今の自分が、どんな表情をしているか分からないから。

 

 故に月村すずかは振り返らずに、クロノに向かって言葉を掛ける。語る女のその声は、全く震えていなかった。

 

 

「……ロストロギアの内臓手術。私も立ち会うわ」

 

 

 クロノが得る新たな剣。それは彼の機械の身体に、ロストロギアを内蔵する事。

 文明一つを滅ぼす遺産。そんな物を身体に仕込んで、無事で在れる筈がない。それでも、男は止まらない。

 

 そのくらいはしなくては、もう届かないと分かっている。だからこそ、その生涯が終わるまで、鋼の意志は揺るがないのだ。

 

 

「そうだな。そうしてくれると助かる。フィニーノの奴の専攻は、機械工学だからな。医療知識がある人間が居た方が良いだろう」

 

 

 そんな男の意志を理解して、女は退いたと言うのに返る言葉はそんなもの。

 この鈍感で一途な男が感情の機微を理解する事などないとは分かっていたが、これは余りにも酷くはないか。

 

 月村すずかは振り返ると、残念な物を見る様な視線で呆れた様に口にするのであった。

 

 

「そうじゃないんだよなぁ。クロノくんってさ、相変わらず空気読めないよねぇ」

 

「……待て、今のはそういう内容じゃないのか!? ちょっと自信あったんだが、僕は何処で空気読めてなかったッ!?」

 

 

 呆れた様に語るすずかの言葉に、弾かれた様にクロノは反応する。幼い頃から母に空気が読めていないと、そう言われ続けていた彼は地味に気にしていた。

 長い年月を掛けて、数多の試練を乗り越えて、そして治った心算だったのだ。空気が読めているのだと、最近は言われてなかったから、微妙な自負があったのだ。

 

 故に呆れた様に口にされ、とても気になってしまう。気の持ち様で治せる筈だからと、教えて欲しいと懇願する。

 そんな先ほどまでとは一変したクロノの姿に噴き出す様な笑みを零して、その笑みをニヤニヤとした嗤いに変えてすずかは言った。

 

 

「くすっ。おーしーえーまーせーん」

 

「待てっ! 割と本気で切実にッ! 最期まで空気読めないで終わるなんて、嫌な心残りが出来そうなんだがッ!?」

 

「えぇー。知りたいのぉ? 分からないなんてぇ、クロノくんったら駄目駄目ねぇぇぇ。け、ど、教えてあーげない」

 

 

 ニヤニヤニマニマ。嗤い続けて今愉しい。嗜虐的な愉しさに目覚めた女に対して、男もこれで割と切実。

 自分の事こそ、自分だけでは見えない物。死んでもアイツは空気が読めなかったと、そう言われ伝わっていくのは断固避けたい事なのだ。

 

 そんなクロノの内心を、読み取り切ってすずかは嗤う。その浮かべた表情は、嘗ての魔群そっくりだった。

 

 

「ねぇ、今どんな気分? ねぇねぇ、最期までKY治らなかったの、どんな気分?」

 

「すずかットロォォォォォォッ!!」

 

 

 絶対にお前のKY(空気読めない)は治らない。嘲笑を浮かべて煽って来る薔薇の花に、嘗ての敵を思い出しながらに叫ぶ。

 本人視点では何処までも切実で、他人から見ればどうでも良い戯言。下らない遣り取りを続けながらに、その日常は過ぎ去っていく。

 

 例え決戦を前に控えていようと、その今は変わらない。そうとも彼らは今日(イマ)を守り、明日(ミライ)へ繋げる為に、昨日(カコ)へと挑むのだから。

 

 

 

 

 

3.

 ミッドチルダの中央にある一つの公園。小さなその公園に二人、幼い少女の姿がある。

 片や車椅子に座り、桃色の髪を長く伸ばした少女。もう片方はその車椅子を押す、紫色の髪を伸ばした少女。

 

 キャロ・グランガイツとルーテシア・グランガイツ。嘗ての上官に呼び出されて、此処にやって来たのはその二人。

 そんな少女達の前に、立っているのは小さな白。金糸の髪に、色違いのその瞳。それでも彼女を例えるならば、その色は白と言うべきだろう。

 

 

「あ、あの」

 

 

 ヴィヴィオで居たい。そう語った少女は言葉に詰まる。目の前の二人に対し、何を言えば良いのかが分からない。

 そうして、悩み狼狽える。分からないから足踏みして、分からないから逃げ出してしまう。それが常の彼女だが、今は逃げ場が何処にもない。

 

 とんと背中を押す女の手。振り返る先に居る母が、一歩を進めと言っている。だから、ヴィヴィオは前を見る。

 

 あの後姿を消したイクスヴェリアと話をして、心を定めて道を決めた。その時の苦悩に比べたら、この今に感じる物は重くはない。

 背に居る母も踏み出さずに、見逃してはくれないだろう。息を吸い、息を吐き、そうしてヴィヴィオは彼女らを見詰める。そして、その口を開いた。

 

 

「キャロ。ルー。私」

 

 

 一歩を踏み出す。一歩を踏み出し、其処で止まる。何と言ったら良いのか、ヴィヴィオは良く分からない。

 分からないから悩んでしまう。悩んで頼ろうとしても、スパルタな母は答えをくれない。故に自分で考えねばと、ヴィヴィオは視線を泳がせる。

 

 そんな友達の態度に、二人の少女は息を吐いた。そうしてそれぞれ、特徴的な色を見せる。

 

 

「ヴィヴィオ」

 

「散々待たしておいて、馬鹿でしょアンタ」

 

「……うっ」

 

 

 どこか鋭く名を呼ぶ桃色の少女に、呆れた様に口を開いた紫色の少女。

 二人の視線を向けられて、狼狽える様に戸惑い止まる。そんなヴィヴィオの姿に、グランガイツ姉妹は揃って笑った。

 

 一歩を踏み出して、戻って来てくれただけでも十分。そう思えたから、今度は彼女達から歩み寄る。

 

 

「でも、帰って来たから、許してあげるわ」

 

「行こう。ヴィヴィオ」

 

 

 手を伸ばす。二人は揃って手を伸ばす。全てを水には流せぬが、それでも帰って来てくれた。ならば、仲直りには十分。

 伸ばされた手は、もう一度友として共にある事。それを誓う為の小さな契約。互いの手を握り締めて、それは友好を示す為の方法だ。

 

 

「……うん」

 

 

 キャロとルーテシア。二人が伸ばした二つの手を、ヴィヴィオは己の両手で握る。

 握り締めた手を握り返して、遊びに行こうと誘う二人。その姿に彼女は、もう二度と裏切る物かと心に誓った。

 

 

「案ずるより、生むが易しってね。アンタは考え過ぎなのよ。馬鹿娘」

 

 

 友達に手を引かれて、一緒に走り去っていく小さな我が子。その背を慈愛の瞳で見詰めて、アリサは一つ息を吐く。

 己が為さねばならぬ事の一つは終わった。その友情は再び繋がれて、ならば後は守るだけ。もう二度と壊させぬ様に、それが己の役目であろう。

 

 三人で出来る遊びを、考えながらに動き回る。激しい喜びなどないが、耐えられない程の苦痛もない。

 運動が出来ないキャロに合わせて、余り動かなくても良い遊びを。知らない事を知る度に、ヴィヴィオの瞳は煌いていた。

 

 

「小さき子らだ。儚く、脆く、小さき子らだ」

 

 

 何時しか、その子らを見守っていたアリサの下に蒼き獣が訪れる。

 彼女の横に歩み寄った群青色の狼は、煌く子らを見詰めながらに口にした。

 

 

「だが、そうだな。何よりも、輝かしい。まるで煌く、宝石の様ではないか」

 

「何、アンタ。一体何時から詩人になったの?」

 

「さて、な。然して問う価値のある疑問ではないだろう」

 

「ま、良いけど」

 

 

 まるで宝石の様だ。そう語りながら、遊ぶ子供達を見守る。そんな彼に軽く返して、アリサは近くのベンチに座った。

 同じく見守る為だろう。ベンチの横に腰を下ろして、本当の獣の様に身を丸くするザフィーラ。そんな彼にふと、気付いた様にアリサは零した。

 

 

「……そう言えば、アンタと真面に話をする機会なんてなかったわよね」

 

「そうだな。一度か、二度か。二人で語り合うなど、或いは初めてやもしれんな」

 

 

 思えばこの獣と、一対一で話す事など初めてではないか。そう呟いたアリサに、ザフィーラも今更気付いた様に口にする。

 業務連絡などではなく、戦場での遣り取りなどではなく、はたまた次代の相談などでもなく、日常会話をするのは気付けばこれが初めてだった。

 

 

「別に、話す事なんてないわよね」

 

「ああ、特に語る事などありはしない」

 

 

 嫌っていた訳ではない。寧ろ戦士としては、互いの事を信頼している。単に機会がなかっただけだ。

 だからこそ、これを機に話してみようかと揃って思う。思いはするが、されど互いに言葉が浮かばない。

 

 共に私生活では不器用な二人だ。片やそれを自覚していて治そうともせず、片や治そうとする時間がなかった。

 アリサはこれが自分と納得してるし、ザフィーラはそんな暇があったら魔力節約の為に眠っていた。だからこそ、この二人は無骨であるのだ。

 

 

「でも、ま。意志表明でもしてみる?」

 

「意志表明? お前と、か?」

 

 

 不器用で無骨な二人。その関係に情念などはない。仲間と想う共感こそ在れ、感じているのはそれだけだ。

 

 故に交わす情などない。局長と吸血鬼の様に、愁嘆場など起こらない。

 何処までも無骨で不器用な二人は、故に日常であっても戦士としての言葉を交わすのだ。

 

 

「仲間である。それ以外に縁なんてない関係だけど、見ているモノは同じでしょ?」

 

「……そう、だな。だが、少し違うと思うぞ」

 

 

 愛しい日々の象徴を見詰めながらに、見ているモノは同じだろうとアリサは微笑む。

 彼女はこれを守ろうと願う者。守る為に、敵を焼く者。その目的が守護ならば、獣と願う所は似ている筈だ。

 

 そう語る女の言葉に同意して、しかしズレがあると男は指摘する。ザフィーラの願う形は、アリサのそれとは違っている。

 

 

「俺とお前は、近くて遠い。彼の夜都賀波岐の両翼と、同じくらいには離れていよう」

 

「それ、完璧に別物じゃない」

 

 

 尊ぶ物が同じでも、過程も結果も正反対。そんな者らを仮定と上げられ、アリサはゲンナリと顔を歪める。

 それでも、僅か思考を進めれば言いたい事を理解出来る。彼女達の想いは遠いが、それでも何処か似ているから。

 

 

「俺は、護り通したい。あの少女達の顔に浮かんだ、その晴れやかな表情を」

 

「私は、護り続けるわ。大切な娘とその友達だもの。邪魔だって言われても、見守り続けてやる心算」

 

 

 盾は護る事を決めている。煮詰まった様な憎悪は、燃え滾る様な憤怒は、まだ在るけれどそう決めた。

 己の都合で恨みを叫んで、怒りのままに手を振るよりも、此れの方が尊いのだ。確かにそう思えたから、ならばそれが相応しい。

 

 守る為に、敵を討とう。日常を続けていく為に、我が敵を討ってみせよう。それで復讐も果たせるならば、それこそ満願成就と言えよう。

 

 炎は護り続ける事を決めている。迫る決戦を乗り越えて、その後までも護り続ける事を心に決めた。

 その為ならば、命は賭けない。必ず生きて帰ると誓って、求めたのはその先だ。彼女が描く理想には、己の姿が確かにあるのだ。

 

 守る為に、敵を討とう。そして討ち取った後は、護り通した日常の中へと帰ろう。愛した日々を、愛した人と、それが女の望みであった。

 

 

「次の戦場が最期だ。帰る心算などはなく、その先などは何もない」

 

「次の戦場は山場よ。それでも終わりなんかじゃない。その先へ行く為に、其処から私の道は続いていく」

 

 

 男の想いに先はない。全てを賭けると言えば聞こえが良いが、端から帰る気がないならば自殺行為と変わらない。

 女は覚悟が足りてない。必ず生きて帰ると誓うと言う事は、生きて帰って来れる程度と見縊る事と同義と言えよう。

 

 それでも、互いを否定はしない。二人の戦士は互いの誓いを、決して否定する事はない。

 

 

「否定はしないぞ。アリサ・バニングス。俺にはそうするだけの、理由が何もありはしない」

 

「否定はしないわ。盾の守護獣ザフィーラ。復讐だけを叫ぶよりは、まだ救いがある終わりだもの」

 

 

 互いの決意を尊重する。そうと言えば聞こえが良いが、その実態は少し違っている。

 分かり合う事などは出来ぬから、不干渉で居ると言うだけだ。そうとも、揺るがぬとはそういう事。染まらぬとは、そう言う事だ。

 

 

「俺達は互いに理解し合えない」

 

「それでも、この今に抱いた感情はきっと同じ」

 

 

 強過ぎる個我は、互いを理解する事が出来ない。だがそれは、共に在れないと言う事ではない。

 互いの想いに深く関わる事はしなくとも、互いに至高と捉えた景色は同じだ。故にこそ、彼女達は仲間で同士。

 

 同じ夢を見詰めて、前に向かって駆け抜ける。肩を並べて轡を揃える。そんな確かな戦友達だ。

 

 

『この美しい刹那を、何時までも』

 

 

 夕日が沈むまで、遊び呆ける子供達。そんな小さな日常を、何より尊いと想っている。

 この美しい光景を、何時までも絶やさぬ為にこそ。同じ事を願えた今に、彼女達は共に行く。

 

 

 

 目指すは穢土。第零接触禁忌世界。その地を目指して、彼らは己の心を定める。

 決戦の日はもう間もなく。彼らの胸に迷いなどは最早なく、物語の終わりは迫っていた。

 

 

 

 

 


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