リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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Wikiと動画と二次創作とかで、シルヴァリオシリーズをちょびっと齧ってみました。ゲームは時間が出来次第、プレイしてみる予定。

そんな作者は、凄い人(総統閣下)の生き方に人はそんなに正しくは在れないと否定する主人公(?)より、凄い人の生き様を見て憧れて奮起し努力して行き過ぎちゃった邪龍おじさんの方が格好良いと思いました。

自分より優れた人を見た時に、粗を探して否定するのではなくて、己を顧みて努力する。作者もそう言う人間でありたいものです。……邪龍おじさんレベルは無理だけどっ!


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第三話 無間地獄を乗り越えろ 其之壱

1.

 黒雲に覆われた空の下、絶え間なく振り続ける雷光。吹き付ける風は腐臭を孕んで、大地を業火が焼いている。

 二柱が開いた太極位階。其は互いに喰い合いながら、より多くより大きくと溢れ出す。流れ出す力が互いを潰し合うのは、神格故の欠点だろう。

 

 例え偽りの位階であれど、神である事は確かな現実。息の合った兄妹である事など、その大前提を前にすれば関係ない。

 流れ出すとは、他を染めると言う事なのだ。自分以外の全てを自分の色で染め上げる。そんな力を直ぐ傍らで使うなら、互いに潰し合うのは必定だ。

 

 されど、それがどうしたと言う話。互いの宙が互いの足を引くからと、それは力を抑える理由にならない。

 足を引かれると言うならば、それ以上の速度で前に進めば良い。そうと言わんばかりに荒れ狂う力の波は、欠片の劣化も見られはしない。

 

 それは最早、天の災厄と例える事すら出来ぬであろう。嵐や地割れや噴火など、嘗て神と例えられた現象ですら比較にならない。

 究極に近付けば、言葉は陳腐となっていく。それは現実にある現象で、例える事が出来なくなるが為。そして間違いなくこの今に、荒れ狂う二柱の力は正しくその領域にあったのだ。

 

 

「昼にして夜。冬にして夏。戦争にして平和。飽食にして飢餓」

 

 

 他に例える事が出来ぬ程の神威。其れを前にして、立ち向かう男が二人。片や鎧を全力で発現し、片や咒を口にしながら印を切る。

 肌が腐る。身体が燃える。降り注ぐ落雷に打たれて地に落ちる。されど、彼らはその力量差に諦めずに喰らい付く――その光景が、既にして異常であった。

 

 天魔・母禮は疑問を抱く、天魔・悪路は訝しむ。それでも攻め手は揺るがずに、相対する二者は一方的に圧されている。

 時の鎧を身に纏ったザフィーラが前に立ち、その背後に立つクロノが咒を唱えながらに魔法を放つ。圧されながらも、喰らい付いているその姿。

 

 異常と言ったのは、正しくそれだ。彼我の戦力差を考えるならば、喰らい付くなど出来る筈がないのである。

 

 

「火は土の死により、風は火の死により、水は風の死により、土は水の死による」

 

 

 ザフィーラは先の闇との一件で見せた様に、存在規模が異なる相手に追い付ける程の力を持っていない。

 命を担保に限界を二つ三つと超えたとしても、太極の領域に片手を届かせるのが限界だ。そんな彼が母禮と悪路を相手に防戦出来る。それが先ず一つの異常。

 

 ましてやクロノ・ハラオウンはそんな彼にも劣る。ロストロギアで上乗せしようと、穢土の二柱を前に立っているだけが限界だ。

 実力の桁が一つ二つは違っている。何を積み上げようが、何を賭けようが、埋め切れない差が確かにある。だと言うのに、彼らはそれを詰めていた。

 

 ミッドチルダならば当然だろう。地球でならばまだ納得出来る。だが此処は穢土なのだ。彼ら夜都賀波岐の本拠地だ。

 この世界において、全力を発揮した彼ら兄妹。その存在規模は正しく神域。それも並の覇道神にも等しくなればこそ、こうなる意味が分からない。

 

 

「万物のロゴスは火であり、アルケーは水であれば、そに違いなどはなく四大に生じた物は四大に返る」

 

 

 玉汗を掻きながら、クロノは印を切って咒を紡ぐ。絶えず絶えずと繰り返す。この状況を維持しているのは、彼が紡ぐその咒である。

 これこそが切り札と自覚すればこそ、彼の援護は片手間だ。氷の礫や凶星落下。時たま落ちる支援を背に、防衛戦を維持しているのがザフィーラだった。

 

 二柱の攻勢を受け切りながらに、後背への被害を生み出さない。防衛に特化した獣であっても、彼の領分を大きく超えている。

 それでも如何にか喰らい付き続けて、戦闘と言う状況を成立させる。彼我の差が絶大で、賭ける物は最早ない。それでも蹂躙にならない理由が、クロノが用意した第二の手札だ。

 

 

「此処に――万物は流転する(ΤΑ ΠΑΝΤΑ ΡΕΙ)

 

「……ああ、成程。そう言う事か」

 

 

 風が吹いた。腐毒を孕んでいない清浄な風に、天魔・悪路は理解する。クロノが一体、何を以って対抗手段としたのかを。

 穢土では勝てない。それは紛れもない事実。ミッドチルダならば追い付ける。それもまた、紛れもない事実。ならばそう、()()()()()()()()()()()()()()

 

 発想の根幹は、即ちそれ。万象を操る能力を持って、地形を作り変える事。

 されど穢土と言う大地。クロノの強制力が及ぶ物など内にはない。地形改変と言う行為は、そう簡単には行えない。

 だからと思考を詰めた先、彼が思い至った事こそこの解答。穢土と言う世界の中に、穢土ではない世界の一部を転移させたのだ。

 

 空気の入れ替え。詰まりは換気だ。太極と言う形で周囲を染め上げようとしている限り、その入り口――窓は開いているのである。

 だからクロノは、その穴を突いた。空いてる窓に、他の世界の空気を放り込む。彼らが支配していない領域から、世界を構成する物質を投げ入れているのだ。

 

 その結果、起きた現象は密度の希薄化。太極と言う一つの世界にその世界以上の物を詰め込んで、強制力を低下させる。それがクロノの対抗策。

 敵地では勝てないから、勝てる状況にまで相手を貶める。戦術としては常道で、されど戦略としては陥穽がある。その陥穽すら纏めて理解したからこそ――天魔・悪路は激昂した。

 

 

「理解しているのか? それは、お前が守ると言った未来。それを削る行いだと」

 

 

 密度が薄まると言う事は、即ち規模が増えると言う事。全体の総量が変わらないと言う前提があれば、その事実は変わらない。

 彼が他の世界から奪い取った分だけ、他の世界に腐毒と炎熱が流れ込む。穢土にて神威と化した二柱に追い付く為に、影響を受ける世界は一つ二つで済まないだろう。

 

 護る為に、護るべき人々を犠牲にする。それでは筋道が取れていない。目的と手段が明らかに、歪に変わってしまっている。

 故にこそ、あの様な啖呵を切ってそれなのか。そう激昂する天魔・悪路。彼が矍鑠たる程の怒りを抱いたのは、誰より護ると言う言葉を重く想うが故の事だった。

 

 

「無条件での賛同4割。条件付きが3割。反対票が2割で、残る1割が罵声や怒声や無投票」

 

「……何の話だ」

 

「この対抗策を発表した時の反応だよ」

 

 

 怒りを抱いた天魔を前に、クロノは何処か晴れ晴れとした様に笑う。この策略、クロノも乗り気ではなかった事だ。

 それでも、勝てないと言われた。ロストロギアの移植手術を終えて、其処で仲間に言われたのだ。これではまだ足りていないと。

 

 残る断崖。その距離を埋める方法を考えた。必死に必死に考えて、出した答えは目的と手段が破綻した物。

 これではいけないと考え直そうとした時に、思い出したのは親友へと語った嘗ての言葉。己が掲げる理想の形。

 

 

(一人の手はちっぽけだ。それでも、二人でならば救える量が確かに増える。もっと大勢、組織皆で協力すれば、ミッドチルダだって掴めるはずだ。僕は確かに、そう信じている)

 

 

 自分の言葉を思い返して、だから友へ問い掛けた。決戦を間もなくと控えた時期に連絡して、返ってきたのは苦笑交じりの言葉が一つ。

 

 

――背負い込む前に、聞いてみなよ。それでどうするかは、それから決めれば良いさ。

 

 

 言われた言葉に、目から鱗が落ちた。盲を啓かれた気持ちとなった。そうとも、要は其処なのだ。

 

 自分が自分がと一人で決めてやり遂げる。そうした道を選んだ結果、破綻してしまった者こそ彼ら先達。

 それとは異なる道を示すのならば、先ず問うてみるのは前提だろう。全てを皆で語り合ってこそ、そう気付いたクロノは出立前に全てを明かした。

 

 そんな彼の言葉に対し、返った答えが即ちそれだ。半数以上の民が、痛みを共に背負ってくれると言ったのだ。

 ならば信じて任せよう。その想いに応えて頼ろう。共に行こうと決めたのだ。だからこそ、クロノ・ハラオウンは笑って語る。

 

 

「人は正しくは生き続ける事は出来ない。真面目に生きるって事は辛くて、投げ出したいって思うのは当然だ」

 

 

 努力は大変な事である。節制するのは難しい。早寝早起き程度ですら、ずっと続ける事は容易い事ではない。

 投げ出したいと思って当たり前。逃げ道を作って当然の事。苦楽を選んでも変わらないなら、誰しも楽を選ぶ。其処で苦痛を背負うのは、余程の例外事項であろう。

 

 

「けれど、立ち上がる事はそんなに難しいか? 立って歩く事を望むのは、そんなに高望みが過ぎる事なんだろうか?」

 

 

 それでも、望んだ事はそうではない。ずっと真面目に生きろとは言っていない。唯この今に、立ち上がって欲しいと伝えたのだ。

 

 

「三日坊主に終わっても良いさ。ずっと続ける必要なんてない。この今に、この一瞬に、共に前へ進んでくれ。そう願うのは、そんなに愚かな事なんだろうか?」

 

 

 天魔・悪路と天魔・母禮。二柱の太極の中心点は変わらず穢土で、其処から離れる程に威力は下がる。

 その前提は変わらない。規模が増えてもこの穢土程には重くはならない。異常な気象に違いはないが、死者が山程に出る程の密度にはなり得ない。

 

 それは唯人でも、歯を食い縛れば耐えられる程度の痛み。ならばそれに耐えて欲しいと、頼る事は高望みに過ぎるのだろうか。

 ほんの一時、一昼夜にも満たない時間。努力してくれ。我慢してくれ。そう頭を下げて頼み込む事。それが出来ると信じる事。それは本当に愚行であろうか。

 

 

「違う。きっと、違うさ」

 

 

 人はずっと、正しい事を続けられないのかもしれない。そんな強さはないのかもしれない。

 だが人は一度でも、正しい事が出来ない程に弱いだろうか。いいやきっと違う筈だ。クロノはそう信じている。

 

 

「続ける事は辛くとも、始める事なら誰だって出来る。歩き続ける事が出来ずとも、立って一歩は進める筈だ」

 

 

 だから、その想いを言葉と伝えた。穢土へと出立する前に、言葉に紡いで演説した。

 

 

「大丈夫。後は背負うさ。立って支えてくれるなら、後は僕が進んで拓く。だから、せめて――自分の足で立ち上がれ」

 

 

 祈る様に真摯な瞳、それでも命じる様な断定口調で、お前達なら出来るだろうとクロノは言葉に紡いだのだ。

 

 

「天魔・夜都賀波岐は、僕ら皆で乗り越えるべき者。この時代の皆で、超えていかないといけない者。そうとも、いい加減に気付けよ。誰もが当事者なんだって」

 

 

 それは彼と言う英雄に、頼り過ぎている今の世界。その事実に対して募り続けた、怒りと憤りであったのかも知れない。

 何処かキツイ口調になって、口にしたのは鬱憤晴らしに過ぎなかったのやも知れない。何れ死ぬ個人に、何時まで頼り続ける心算かと。

 

 

「信じているぞ、立ち上がれ! お前の足は、一体何の為に付いているッ!? 誰だって、立ち上がる事は出来るだろうがッ!!」

 

 

 頼り続けた英雄から、告げられたのはそんな言葉。それでも、多くの者らがそれを受け入れてくれた。

 だからこそ、クロノ・ハラオウンは清々しい笑みを浮かべる。今を生きる多くの者らが、前を向いて立ち上がってくれたのだから。

 

 そうとも、此れは今の英雄達と過去の英雄達の戦いなどではない。

 過去に生きた英雄へと挑むのは、今に生きる全ての命が抱いた意志なのだ。

 

 

「だから、苦痛を背負えと? 命には届かぬから、我が背負うよりは軽いから、だから皆に背負えと言うか?」

 

 

 百と言う数字を、一人で背負えば潰される。だが同じ数字でも、百人で背負えば簡単に超えられる。

 痛みを己で背負い続けた過去の英雄達へと向けて、それこそが現代(イマ)解答(コタエ)であるとクロノは語る。

 

 そんな彼へ向かって刃を振るいながら、悪路王は口にする。言葉にしたのは、その想いに対する否定の情だ。

 

 

「……全く理解が出来ない。守るべき宝石を、何故に己で傷付けられる」

 

 

 真っ直ぐに向き合って、その輝きを確かに見ている。己が苦痛から逃れたい訳ではないと、その目を見れば分かってしまう。

 だからこそ、理解が出来ない。何故大切だと想っていて、それを態々窮地に巻き込めると言うのか。手にした宝石を、何故己の手で傷付けるのだろうか。

 

 その最期まで大切な人の為に、そう在り続けた彼だからこそ、その感情が理解出来なかったのだ。

 

 

「そうか? 些か癪な話だが……僕は天魔の中で一番、お前の願いに共感出来たんだけどな」

 

 

 そんな否定の言葉を前に、クロノは笑って口にする。言葉にしたのは、嘘偽りない本心だ。

 我だけが穢れるから、我以外は穢れないで欲しい。そんな自己犠牲の祈りの切れ端は、確かにクロノの胸にもある。

 

 だからこそ、こうして前に立っている。自分が一番苦しい場所へと、其処に似た様な想いがない筈がない。

 

 

「だが、そうだな。だからこそ、言わせて貰おう」

 

 

 それでも、クロノは否定する。人間体と神相の連続攻撃。其処から如何にか逃れながらに、男の瞳を見て告げる。

 

 

「我が身だけが穢れるからと、他の皆は穢れないでくれ。そう願うのは良いさ。綺麗で分かりやすい願いだろうよ」

 

 

 大切な人に穢れて欲しくはない。それは誰だって共感できる願いであろう。とても純粋な、愛する者の幸福を願うと言う祈り。

 それでも、其処に間違いがあるとするならば唯一つ。自分だけが腐るから、それでどうにかしようと思った事。たった一人で、立ち向かおうとした事だ。

 

 

「けど、な。何もかも自分で背負おうとした。そんな様だから――お前は結局、誰も守れなかったんだろうがッ!!」

 

 

 苛烈な刃を薄皮二枚と斬られながらに躱し続けて、手足が腐っていく中でも叫びを続ける。

 自分一人で何とかすると、そうして守れなかったのは悪路だけの事ではない。己もそうだ。そう痛む心で、涙を叫ぶ様な声で、言葉に紡ぐ。

 

 

「人の手はちっぽけなんだよッ! たった二本しかないんだッ! 何もかも掴もうとして、掴める筈がないだろうッ!!」

 

 

 停滞の力場に縛られて、太極の密度を減らされて、それでも尚も重く鋭い悪路の刃。

 触れれば命を奪われる力の差に圧されながらも、全身を醜く腐らせながらも、クロノは確かに目を見て叫ぶ。

 

 見詰めて、見られて、腐って落ちる。それでも、そうしなければならない。だからこそ、真正面から否定した。

 

 

「だから、僕は皆を信じるんだ! きっと立てると彼らを信じて、頼っていかないと何も出来ない! そうと知っている事、それが僕とお前の違いだろうよ、櫻井戒ッ!!」

 

 

 何もかもを掴もうとすれば、何もかもを取り零す。自分の一生だけでも、人には既に重い荷だ。

 其処に一つ二つと背負ってしまえば、潰れてしまうのは当たり前。誰かの助けを拒んだ時点で、背負えなくなって当然なのだ。

 

 

「……成程、耳が痛いな」

 

 

 風を操り、氷を使役し、空間を飛び回る。逃げに徹する姿であると、笑うのは簡単なその行動。

 クロノを庇う様に動き回るザフィーラを一時超えても、致命傷を与える程の隙にはならない。彼らは確かに、二柱に喰らい付いている。

 

 その事実を前に、悪路は抱いた怒りを収める。クロノの言い分を、彼は確かに理解したのだ。そう言う事もあるのだろうと。

 

 

「確かに、僕は守れなかった。君の言い分を、否定する事など出来はしない」

 

 

 生前の彼は確かに失敗した。全てを一人で背負おうとして、己を救おうとした女を手に掛ける結果となった。

 あの時もしも、誰かに助けを求めていたら違った結果になったのかも知れない。あの戦乙女と心の底から分かり合えていたのなら、聖餐杯の企みを打破出来たのかも知れない。

 

 それは確かだ。あの時になっても一人でと、その想いが間違っていたと言われたならば、其処に否定を返す事なんて出来はしない。

 

 

「だが、だからどうした? そんな言葉一つで揺らぐ程に、神格と言うのは脆くはないぞ」

 

 

 だが今更になって、否定されたからはい変えますとなる筈がない。神格と言う存在は、渇望とはそんなに安い物ではない。

 

 

「――っ! 本当に、頑固者だな。他を理解などする気などないかッ!?」

 

「理解しないのではない。だが、あぁそうかとしか思わない。それだけの話だ」

 

 

 例えそれが正論であれ、だからどうしたと言う話。元より他者に理解を求める事ではないのだ。

 守りたいのだ。傷付いて欲しくはない。だから自分がその一身で穢れを受けたと、彼にとってはそれだけの事。其処に善悪正否など、論ずる必要性はない。

 

 

「この身は屑だ。如何に正論を並び立てようと、だからどうした。己がそうしたいからそうしている。唯それだけの、腐って爛れた男なんだよ」

 

「そうして自虐している所も、そんなお前を宝石と感じる、お前の最愛を貶めてるって分かれよッ! 馬鹿がッ!!」

 

 

 結局のところ、穢れて欲しくないのも守りたいと思うのも、どちらも己の都合でしかない。独善でしかないのだ。

 だからこそ、誰に何を言われようと関係ない。やりたい事をしているだけだと、そんな屑でしかないのだと自嘲しながらやり遂げる。

 

 そんな悪路の変わらぬ姿に、逃げ惑いながらに舌打ちする。腹立たしい程に、その姿は余りに身勝手過ぎたのだ。

 だからこそ、怒りを抱いて――されど戦闘の要故に前には出れない。そんな状況に憤りを抱くクロノだが、怒りを覚えていたのは彼だけではなかった。

 

 

「……黙って聞いていれば、好き勝手言ってくれる」

 

 

 金色の雷鳴が音を立てる。愛する人へと向けられた罵声の言葉に、彼女が怒りを覚えぬ筈がない。

 

 

「貴方に、それを言われる謂れがないッ!!」

 

 

 故にこそ光が瞬く。音すら置き去りにする速度で雷鳴が閃いて、その剣先がクロノの下へと。

 

 この戦場が形となっているのは、彼が天魔の強制力を低下させているから。故にこそ、クロノが落ちればそれで終わりだ。

 戦いは戦いの体を失い、一方的な蹂躙へと変わる。そうと知るのは、母禮だけではない。ならばこそ、それは通さないと獣が叫んだ。

 

 

「それは通さんよ。天魔・母禮ッ!!」

 

「ちっ、獣がッ!!」

 

 

 力場を広げる事で速度を落とす。今の彼女ならば、停滞の効果内へと落とし込める。

 守る時にこそ、その力を最大限に発揮する。そんな守護の獣がある限り、例え二対一であろうと決定打は打たせない。

 

 ザフィーラの姿に舌打ちして、炎を放って迎撃する。そうして彼女は、その想いを叫んでいた。

 

 

「貴方も、貴方達も同類でしょうがッ!?」

 

 

 怒りを吠えているのは、獣と呼んだ女ではない。母禮を構成する、もう一人。

 櫻井螢ではない女は、愛する男を貶められて怒っている。なればこそ、此処に言葉を紡ぐのだ。

 

 

「自分の意志で道を選んで! 自分の中で結論付けて! 自分勝手に解決しようと進んで行くッ! 同じ様な貴方達が、どうして戒を否定できるッ!?」

 

「……あぁ、そうだな。言うべき資格はないのだろうよ。自分だけが傷付いてでも、大切な人を傷付けない。それが美麗だと、確かに認めてた時点で、俺達も同じ穴の貉だ」

 

 

 黄金を通じて、高町なのはが視た景色。トーマ・ナカジマの創造で、それを皆が共有している。

 天魔・悪路を知っている。その正体も、その境遇も、彼が願った渇望も、その全てを知っているのだ。

 

 その上で断言する。その願いの美麗さは否定できない。その想いが確かであると、それは彼らも認めていた。

 

 

「だが、同類だからこそ、だ。分かるからこそ、言うんだよ。ベアトリス・キルヒアイゼン」

 

 

 美麗であるが、陥穽も確かに其処にはある。それを一番分かっているのは、今叫んでいる女であろう。

 その雷光の剣を処刑の刃で受けながら、至近距離にて男は告げる。誰よりも悪路の願いを否定したいのは、此処に居るお前であろうと。

 

 

「愛した者の為にと奮起して、一人傷付き倒れる男の身勝手さ。それに一番納得がいかないのは、他ならないお前であろう。一番物申したいのはお前だろう。……だが、悪いな。そんな女の我儘に、付き合っている余裕がない」

 

「――っ! まるで悟っているかの様にっ!!」

 

 

 速度を止めて、己を加速させ、漸くに追い付ける雷光速度。そうして受けた雷の剣は、しかしジリジリと押していく。

 ましてや、女の剣は一つではない。もう一振りの炎が閃き、処刑の刃が砕かれる。崩れた男のその身体に、二振りの刃が振り下ろされた。

 

 

「……ええ、そうですね。これは所詮女の身勝手です。ですが、だからこそ明言しましょうッ! 私ではなく、貴方達にッ! 私の戒が否定されるのは、どうしようもなく気にいらないッ!!」

 

 

 否定するのは己の役目だ。他人が勝手に奪っていくな。それはどうしようもない男を愛してしまった女の独占欲。

 処刑の刃を砕かれて、その胸筋に鋭い傷を刻まれて、それでも致命傷には届かせない。後方へと流れながらに、ザフィーラは其処で如何にか踏み止まる。

 

 そうして、見上げる。敵は母禮だけではなく、彼が討たれれば戦場は即座に破綻する。ならばこそ、痛みに怯んでいる暇すらない。

 

 

「ああ、難しいな。護ると言うのは」

 

 

 三つの手札。その全てを持つのはクロノ・ハラオウン。彼の死は即ち、己達の敗北を意味している。

 クロノが隠す最後の切り札。それが通る密度まで、太極を肥大化させて時間を稼ぐ事。最期に隙を作り上げる事。それこそ、ザフィーラの役割だ。

 

 故にこそ、彼を追い詰める悪路王は無視出来ない。炎を飛ばす雷光の女へ牽制打を放ちながら、悪路を阻む様に疾走する。

 

 

「心を護るか、身体を護るか。クロノが重んじるのが心なら、腐毒の王が重んじるのはその命なのだろう」

 

 

 先の折れた斬撃を、修復した処刑の刃で受ける。続く巨大な悪鬼の一撃に、大きくその身を吹き飛ばされる。

 迫る雷光を前に再び時を止めて立ち塞がり、その炎の剣に貫かれる。燃え上がる火が血肉を焦がす前に敵を蹴り飛ばし、続く異形の女武者に叩き潰される。

 

 何度も何度も地面に倒れ、幾度も幾度も傷を増やして、それでも盾の守護獣は立ち上がる。

 

 

「だが、どちらであっても駄目なのだろうよ。双方を守り通せなければ、護ったと言う事にはならない」

 

 

 彼は護る者。誰かを護ると言うその一点で、誰にも負けぬと自負する獣。ならばこそ、この男は諦めると言う言葉を知らない。

 心だけではない。命だけでもない。その全てを護り通す為ならば、盾の守護獣は砕けない。何度でも立ち上がり、幾度でも道を阻むのだ。

 

 

「心も身体も護り抜く。それが守護者の目指すべき解答だ」

 

「お前はそれを如何に果たす気だッ! 盾の守護獣ザフィーラ!!」

 

「知れた事。クロノの策を為した上で、一刻も早くお前達を討滅する。そうすれば、心も身体も護れるだろう?」

 

「獣がっ、大きく出たなッ! ならば、やってみせろと言うッ!!」

 

 

 ザフィーラの言葉に、櫻井螢が笑って語る。啖呵を言い切る姿は確かに、爽快ささえ感じさせる物。

 ベアトリスが怒りを叫んで、螢が笑っている。そんな相反する姿を見せながら、それでも天魔・母禮は苛烈であった。

 

 

 

 雷光が空を蹂躙し、腐毒の風が嵐となって攻め立てる。随神相と人間体。四つの身体と二つの異能が、絶え間なく襲い来る。

 悪路も母禮も加減をしない。油断も慢心も其処にはなくて、唯純粋な殺意と敵意を突き付ける。彼らが行う猛攻は、彼らにとっての最善策だ。

 

 

「卑怯とは言うまい。無粋などとは口にもしない。そうとも、お前達が如何なる罠を仕組んでいようと、食い破ってみせればそれで良い」

 

 

 クロノの放った太極循環。密度の希薄化を防ぐ手段は確かにある。太極を閉じるか、或いは範囲を意図して縮小すればそれで済む。

 だが、その行動を取れば隙が生まれる。攻撃の手が僅かに緩む。故に二柱は判断したのだ。手札が自慢と言う敵ならば、これ以上何かをさせる前に潰せば良いと。

 

 

「その積み上げた全てを焼き尽くす。我が槍を恐れるならば――此処で、この炎で燃え尽きろォォォォォォッ!!」

 

 

 停滞の力場を力付くで突き破る。転移速度よりも尚早く、その先へと到達する。己の意志を叩き付け、全てを腐らせ焼き尽くす。

 蒼き獣の腕が飛んだ。左の腕が一本飛んで、無数の刃が砕かれる。黒き英雄の腹が抉れた。腐った臓腑が零れ落ちて、口からは止めどなく黒が溢れ出す。

 

 それでも、獣は退かない。全身を火傷に覆われながら、それでも新たな刃を作り上げて道を阻む。

 それでも、男は逃げない。失った臓腑を機械と異形化した肉体で補って、霞む視界で敵を睨みながらに跳び回る。

 

 何処までも続く攻勢は、正しく一方的な展開だ。四つの身体から放たれる殺意の嵐に、彼らは切り刻まれていく。

 傷付き、追い詰められて、だがまだ戦える。苦しみ、膝を付きそうになって、それでもまだ諦めない。削られ圧し潰されながら、それでも二人は前を見た。

 

 

〈まだ、か……もう、持たんぞ、クロノ〉

 

 

 諦めないのは、勝機があるから。この圧倒的な劣勢においても、まだ覆す術があるから。ならば、絶望するにはまだ早い。

 

 

〈もう直ぐ、だ。もう直に、後僅か耐えろ。……後、数秒だ〉

 

 

 世界の循環。太極の希薄化。もう間もなくに、届く領域にまで落ちて来る。だから、その僅か先を待つ。

 一秒がまるで、一日にも二日にも感じられる極限状態。コンマ以下が過ぎ去る時が、余りに遠く思えてくる。

 

 それでも、男達は耐え続けた。僅か数秒の時を耐えきって、故にその勝機をつかんでいた。

 

 

「3、2、1――規定値を超えたぞッ! 今だッ!!」

 

 

 その瞬間をクロノの瞳が確かに捉える。魔力を測定する瞳が、その濃度が一定以下に至った事を視認した。

 故に、此処より反撃は始まる。蜘蛛の糸を掴む様な、薄氷の上を渡って行くような、そんな勝利への筋道が確かに此処に見えたのだ。

 

 

「そうか。ならば、後は任せるッ!」

 

「……ああ、安心して死んで来いッ! ザフィーラッ!!」

 

 

 その一点を突く為に、命を消費する必要性が存在する。故に死んで来いと、後は任せたと彼らは笑った。

 

 

「日は古より変わらず星と競い、定められた道を雷鳴のごとく疾走する」

 

 

 そして、全力での能力行使。神の眷属として得た力を、幾重に幾重に重ねていく。

 其処に注ぎ込むのは魔力。己の命を維持している力すらも注ぎ込んで、ザフィーラの身体が消えていく。

 

 

「そして速く、何よりも速く、永劫の円環を駆け抜けよう」

 

 

 ゆっくりと泡になる様に、崩れていく男の身体。ふわり浮かんだ光の粒は、まるでシャボン玉の如くに弾けて消える。

 ボロボロと零れ落ちながら、紡ぐ咒は力を増していく。密度を強制的に薄められて、弱った彼らの法則に一瞬だけでも勝る程。それが命の対価であった。

 

 

「光となって破壊しろ、その一撃で燃やし尽くせ。そは誰も知らず、届かぬ、至高の創造。我が渇望こそが原初の荘厳」

 

 

 己の意志で塗り潰す。この渇望で上書きする。不味いと理解した彼らが行動に移るよりも速く、世界を此処に停滞させる。

 ザフィーラが加速した分だけ、世界の時は停止に近付く。十の二十四乗。正しく涅槃寂静の領域にまで、全てを止めて彼は走った。

 

 

創造(ブリアー)――涅槃寂静(アインファウスト)終曲(フィナーレ)ェェェェェェェッ!!」

 

 

 己が消滅するより前に、その手を届かせて動きを止める。動き出そうとした二柱の頭を、その両手で確かに掴んだ。

 随神相も太極も、全てを止めて拘束する。ほんの一瞬で消え去ろうとしている男は、その背中で仲間に向かって伝える。

 

 このまま、やれと。憎らしくとも信頼している、そんな戦友へと確かに告げた。

 

 

「クロルフル……我、誓約を持って命ずるものなり。レイデン・イリカル・クロルフル」

 

 

 右腕に詰め込まれた無数のロストロギア。同じく制御装置と組み込んだS2Uを、託された男は此処に起動する。

 膨大に過ぎる程の魔力が溢れ、それを如何にか統制しながら彼らを見詰める。戦友が命賭けで生み出した一瞬の隙、決して無駄になどしない。

 

 

「悠久なる凍土。凍てつく棺のうちにて、永遠の眠りを与えよ。諸共に凍てつけッ! エターナルコフィンッッッ!!」

 

 

 停滞の力場に包まれた全てを、此処に纏めて凍らせる。永久凍結の力で以って、求めるのは次への布石だ。

 一瞬しか持たないザフィーラの停滞が破られる前に、エターナルコフィンが溶かされる前に、凍らせた対象を纏めて転移させる。

 

 街一つを包む大質量。内に孕んだ無数の魂。重い重い重いけれど、だからと言って投げ出せない。

 故に血反吐を吐きながら、故に臓腑を取り零しながら、それでもクロノは限界を超えて己の歪みを行使したのだ。

 

 

「跳べッ! 空の彼方、星の海ッ! 其処に浮かんだ、あの燃え盛る星の中へとッ!!」

 

 

 万象掌握による強制転移。飛ばした場所は宇宙に浮かぶ、燃え盛る灼熱の星。

 穢土の太陽。其処に堕ちる様に彼らを跳ばして、そしてクロノも同じく転移で宙へと跳んだ。

 

 凍り付けにして、太陽に落とす。それだけで倒せる程に、大天魔と言う存在は弱くない。

 当然の如く、勢いを失った停滞の力場は破られる。溶けない氷は破られて、彼らは火の中から姿を現すだろう。

 

 

「バレル展開。最終安全弁解除。目標、穢土宙域内の恒星」

 

 

 故にこそ、クロノが跳躍した場所は艦橋。最後のダメ押しとして、切り札として用意したのはアースラⅡ。

 惑星の宙域にて待機させていたこの船に、転移で乗り込み起動させる。放つのは今の文明が作り上げた禁忌の光。世界一つを滅ぼす反応消滅砲。

 

 

「反応消滅砲Arc-en-ciel――発射ァァァァァァァッ!!」

 

 

 空間歪曲による対象消滅を以って、太陽ごとに大天魔を消し飛ばす。それが彼らの立てた策。

 三つの魔法陣が力を集めて、アルカンシェルが放たれる。全てを消し去る破壊の光に、停滞の力場に縛られた天魔達は――

 

 

「……言った筈だ。我らが太極(コトワリ)を、甘く見るな」

 

 

 消え行く獣の強制力は、徐々に衰えていた。彼らを止められる程に、強かったのは最初の僅か一瞬だけ。

 最早ザフィーラには止められず、ならば彼らも無防備で受ける筈がない。悪路の随神相が、破壊の光を前に立ち塞がった。

 

 

「かれその神避りたまひし伊耶那美は、出雲の国と伯伎の国。その堺なる比婆の山に葬めまつりき」

 

 

 そして、着弾する。激しい白光が全てを消し去ろうと、荒れ狂うが鬼は耐え続ける。

 光の奔流を真っ向から受け止めて、無傷ではないが耐えている。男がそれに耐えたのならば、次に動くは女の天魔だ。

 

 

「ここに伊耶那岐。御佩せる十拳剣を抜きて、その子迦具土の頸を斬りたまひき」

 

 

 傷付きながら光を受け止める悪路の背後で、激しい炎が燃え上がる。

 己達を焼き続ける恒星すらも、消し飛ばす炎が溢れ出す。その力を前にすれば、アルカンシェルとて子供だましだ。

 

 

太極(ブリアー)ッ! 神咒神威(ここにあまつかみのみこともちて)無間焦熱(ふとまににうらへてのりたまひつらく)ッッッ!!」

 

 

 太陽が消し飛ぶ。アルカンシェルが吹き飛ばされる。停滞の力場が焼き尽くされて、蒼き獣の残骸は大地に向かって落ちていく。

 全てを消し飛ばした炎の勢いは、それでもまだ止まらない。このまま溢れ続ければ、必ずやアースラⅡも飲み込むだろう。故にこそ、クロノも更に一手を切る。

 

 

「甘く見てなどないさ、だから――アースラⅡのアルカンシェルは連装式だッ!!」

 

 

 試作連装式Arc-en-ciel。アースラⅡの左右に在る剣の数は合計六本。

 最大で同時に三発までのアルカンシェルが撃てる事。それこそが、この船の切り札だった。

 

 

「第二射ッ! 第三射ッ! てぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 迫る炎へと向けて、第二射第三射を放つ。そして、それだけでは終わらない。三つの砲門を順繰りに使って、放つ破壊の光は三弾撃ちだ。

 息も吐かずに放ち続ける光の連撃。継ぎ目なく、絶え間なく、振り続けるアルカンシェル。恒星と停滞の力場。二つの要素で弱った炎は、数十と言う光の中に消されていった。

 

 

「言ったぞ。甘く見るな、と。……随神相(カムナガラ)

 

 

 終わりのない光の雨。真面に受ければ消滅必至な状況で、櫻井戒は突き進む。常に泥を被るのが、変わらぬ彼の在り様だ。

 悪鬼の随神相を前面に、光を受けながら進み続ける。時の鎧さえ貫く光の雨。受ける度に傷付き、受ける度に砕かれ、それでも津波に立ち向かう様に、天魔・悪路とその神体は進撃する。

 

 腕が落ちた。足が取れた。腐った身体が欠損して、それでも悪鬼は突き進む。光の雨さえ突き抜けて、その手に握った刃をアースラへと。

 

 

「――っ! 堕ちろッ! 堕ちろッ! 堕ちろォォォォォォッ!!」

 

 

 確かにダメージは与えている。その神体は既に消え去りそうだ。ならば、届かせる前に此処で落とす。

 何度も何度も何度も、アルカンシェルを撃ち続ける。想定していない過負荷に砲門が悲鳴を上げるが、それでもクロノは撃ち続けた。

 

 艦内の非常アラートが、激しく音を立てる。真っ赤に染まった船の中、危険と言う音声が流れ続ける。

 そんな艦橋に立つ男は、その目で確かに見詰めていた。船の前方、目と鼻の先までに迫っている巨大な悪鬼を。

 

 或いはこれが、愛する人達が最期に見た光景か。消え掛けた悪鬼が大剣を大きく振り被り、その刃を振り下ろす。

 

 

「神咒神威・無間叫喚ッッッ!!」

 

 

 そして、宙に大輪の花が咲いた。

 

 

 

 

 

 星の海で、アースラⅡが爆発する。先代と同じ道を辿って、炎の中へと消え去った。

 その爆発を背に負って、悪路王が大地に着地する。着地した瞬間に随神相は、自重を支えられずに大地に沈んだ。

 

 轟音を立てて、不和之関が崩れていく。大地に沈んだ神の相が、光となって消えていく。それでも、悪路は未だ生きている。

 折れた大剣を支えに、荒い息を吐く。既に満身創痍の腐毒の王は、それでも己の勝利を確信し――故に一瞬、その光景に目を見開いた。

 

 

「終わりだ。櫻井戒」

 

 

 死人の如き顔色で、それでも未だ生きている。そんな隻腕の青年が空に立ち、一本の腕が落ちて来た。

 その鋼鉄の右腕は、世界一つを滅ぼす遺産を無数に詰め込んだ爆薬だ。例え時の鎧であっても、これを防ぎ切るなど出来ない。

 

 既に死に体。最早何時消滅してもおかしくない程に、アルカンシェルの雨に削られていた。

 故にこそもう動けなかった櫻井戒は、空に浮かぶクロノを見上げて、素直な心でその結末を認めていた。

 

 

「……見事だ」

 

「ブレイク、ショットッッッ!!」

 

 

 デュランダルより撃ち放たれた魔力の弾丸が、落ちた機械の腕を撃ち抜く。

 そして惑星全土を揺らす程の激震と共に、不和之関を消し飛ばす程の大爆発が悪路を包んだ。

 

 

「戒……兄さん……」

 

 

 時の鎧に守られた穢土が、それでも地形を変える程の大爆発。其処に巻き込まれれば、今の悪路では耐えられない。

 当然の如く消滅していく家族の姿に、天魔・母禮は静かに涙を零す。それでも刃を握り直すと、穢土に向かって疾走した。

 

 

「だが、これで最早打つ手はないぞッ!!」

 

 

 天魔・悪路を倒したは見事。されど、それで全てを使い果たしたならば此処まで。

 己も爆発に巻き込まれて、吹き飛ばされて大地に落ちた瀕死の局長。その首を取って、我らの勝利に終わるのだ。

 

 

 

 悪路の消滅と引き換えに、クロノ・ハラオウンも吹き飛んだ。

 既に不和之関は原形すらも留めておらず、残る命は後僅かしか存在しない。

 

 そんな砦跡に刻まれたクレーター。残骸と化した蒼き獣は、最早何も映らぬ硝子の玉で空を見上げた。

 片腕を喪失し、全身焼け爛れ、瞳は光を失った。その身は停滞の鎧を展開する事も出来ずに、彼本来の姿で少しずつ解けて消えていく。

 

 此処までか。二人掛かりで天魔を一柱打ち倒し、しかしそれが限界だったか。最早動かぬ身体で、そんな風に感じている。

 守るべき命を守れず、果たすべき仇を討ち取れず、消え去るだけが終わりであろうか。諦めたくはない。諦める訳にはいかない。なのに僅か、そう思ってしまって――

 

 

――頑張って。

 

 

 何処かで聴いた、懐かしい声を耳にした。そんな気がしたのだ。

 

 

「ぅ、おぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 

 

 だから、崩れた残骸が声を上げる。何処からか流れ込んで来る様な力に、最期の一矢を示してみようと決意する。

 力など欠片も残っていない。この身など数秒も持ちはしない。それでも盾の守護獣は、己が消える間際に雄叫びを上げた。

 

 そうとも、我は護る者。既に意識など殆どなくて、消え去るまでの時間も数秒と言った状態。それでも護る者だから、蒼き獣は立ち上がる。

 そして、立ち上がって前へと進む。星へと降り立った母禮の道を阻む様に、倒れた局長の下へと進む。戦う事は出来ずとも、我が身を盾としてみせようと。

 

 白い髪に、褐色の肌。片腕しかない男が立ち塞がる。盾にしかなれない男を前に、母禮は僅か歩を止めた。

 

 

「……良いだろう。先ずはお前から、終わらせてやる」

 

 

 それが男の矜持であれば、女は確かに受け取った。あの日の様に、踏み躙らねばならない理由はない。

 最期まで盾になろうとした、意識さえ真面に残っていない男。ザフィーラへと向き合って、女は一歩を踏み込んだ。

 

 盾の守護獣の意志は尊い。だが、尊いから強いと言う理屈はない。アルカンシェルの被害を大きく受けたのは悪路であって、母禮の死は未だ遠い。

 雷速で迫る女の姿を眼で追う事すら最早敵わず、当然振り下ろされる刃にも反応なんて出来やしない。既に盾はその一撃を受け切る程の強度も残っていない。

 

 ならば鎧袖一触。消し去られるのが必定で――

 

 

「なっ!?」

 

 

 ならば、これは一体如何なる奇跡だったのか。天魔・母禮の刃が驚愕に止まっていた。

 

 

「ま、さか――」

 

 

 機能を失くした硝子玉。何も見えない筈の瞳に映った、その淡い影を確かに見る。半透明な少女の姿を、獣は確かに知っている。

 忘れる筈がない。見間違える筈がない。誰より愛したその人を間違えるなど、如何なる状況でもありはしない。

 

 だから、止めどなく涙が溢れた。涙に滲んだ硝子の玉が見詰める先に、幼い少女の幻影が映り込む。これ以上はさせないと言うかの様に、彼女は両手を広げて立っていた。

 

 

〈私な、怒っとるんやで。嘘ばっかり言って、本当の事言ってくれへんかった〉

 

 

 茶髪の少女が見詰めている。その青い瞳を、女は二度も切り捨てる事が出来なかった。

 だからこそ、何故どうしてと、驚愕したまま硬直してしまう。それは僅かに過ぎずとも、確かに明確な隙だった。

 

 

〈せやから、お仕置き。ザフィーラ。螢姉ちゃんを許す為に、思いっきりぶっ飛ばしてッ!〉

 

「――それが、(ハヤテ)の命ならばッッッ!!」

 

 

 そんな動揺を前にして、八神はやては従者に命じる。その主命を前に、ザフィーラは喜悦の声を確かに上げた。

 既に死に体な男であったが、彼女の命ならば一歩を踏み込む事が出来る。彼女の声が其処にあるなら、不可能なんてないと想えたのだ。

 

 故に届く。硬直した女へ向けて、男の拳が打ち込まれる。その一撃が、決め手となった。

 瀕死の男は、拳を打ち込み消滅する。盾の守護者が命を終えて消え去った後、ゆっくりと気付いた様に母禮の身体が崩れ始めた。

 

 

 

 嘗て語られた様に、この女の自壊はとうの昔に始まっていた。櫻井螢とベアトリス・キルヒアイゼンは、致命的なまでにズレていた。

 その傷は消え去った訳ではない。その自壊は無くなった訳ではない。心の力で無理矢理に覆い隠していただけ。だからこそ心が納得した瞬間に、彼女の身体は自壊したのだ。

 

 ああ、そうだ。そうだとも、この幕引きは相応しい。嘗て斬り捨てた少女の命を受け、その従者に討たれる結末。

 力を見た。意志を見た。覚悟を知った。託して逝けると分かっていたから、この結末に心が納得してしまっていたのだ。

 

 睨み付ける様に見上げる少女を前にして、女は崩れ落ちていく。壊れていく己を顧みる事すらせずに、見詰め続けて彼女は気付いた。

 

 

「……ああ、そう。そう言う事、なのね」

 

 

 此処に居る八神はやての正体。彼女が一体何なのか、それに気付いて息を吐く。

 正真正銘彼女本人。その理由を理解して、己に終止符を打つに相応しいと納得して、そうして螢は最期に笑った。

 

 

「最期に逢えて、良かったわ」

 

 

 憎んでいて当然だ。罵声を受けて当たり前。こうして幕を引かれる事に、否がある筈もない。

 だから、だけど、逢えないよりは逢えて良かった。例え結果が己の死でも、良かったのだと想えたのだ。

 

 そうして、笑みを浮かべる。素直な笑みを前にして、八神はやては笑って告げた。

 

 

〈これであの時の事は、水に流したるわ〉

 

 

 半透明の少女は告げる。これで対等、もう怒ってはいないのだと。

 故に笑みを浮かべたはやては、崩れる螢に手を伸ばす。その差し伸べられた手を、彼女は確かに握り返した。

 

 

〈せやから、また逢おうね。螢姉ちゃん〉

 

「……えぇ、そう出来たら、それはとても素敵でしょうね」

 

 

 もう間もなく、生まれ落ちる奇跡の子。八神はやての言葉に頷いて、櫻井螢は消えていく。

 己に次があるかは分からない。彼女は生まれた後に、前世の記憶を失うだろう。だから、きっとこの約束は叶わない。

 

 それでも、そうできたら、それはとても素敵であろう。優しい少女の優しい言葉に、合わせた手の形を変える。

 和解の握手の形から、小指を絡ませ指切る様に。小さく一度揺らしてから、櫻井螢は消滅した。後には何も残らない。

 

 半透明の少女は一人、太陽を失くした空を見上げる。隙間ない曇天に覆われた暗い空。それでもきっと、もう直ぐに明るくなるだろう。

 今を生きる光が、何れ生まれる世界を照らしてくれる。この時代は終わらずに、先へ繋がって行く。そう信じて、八神はやては立ち去るのだった。

 

 

 

 

 

 穢土・夜都賀波岐初戦、不和之関。天魔・悪路。天魔・母禮。消滅。

 盾の守護獣ザフィーラ死亡。クロノ・ハラオウン生存。機動六課――勝利。

 

 無間地獄を乗り越えて、戦いは次なる舞台へと進む。

 

 

 

 

 




※八神はやて(仮称)の正体はもうちょい秘密。この子が此処で出て来れた理由は当然あります。


○おまけ~演説時のクラナガンにて~
クロスケ「お前の足は、一体何の為に付いているッ!? 誰だって、立ち上がる事は出来るだろうがッ!!」

キャロ「……足。私も、立つべきなんじゃ」
ルーテシア「待って! 局長の演説は比喩表現だからっ! 無理に立てって言ってないから! 半身不随なんだから、立って歩けなくても駄目じゃないのよっ!!」

シュテゆ「半身不随だから立てない? ユーノなら出来ましたよ」
イクスべ「きっとエリオにも出来ますね。当然の事でしょう」
ヴィヴィ吉「ヴィヴィオのママだって、誰にも負けないもんっ!!」

ルーテシア「ちょっ!? 上二人は何処から!? って、キャロ!? 無理に立とうとしないでっ!! 大怪我しそうだからやめてぇぇぇぇっ!!」



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