リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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今回の戦いは、Dies先輩ルートのルサルカVSマッキー……の戦いに、何故かザミ姐がマッキー側で参戦してきたくらいの戦力差だと思います。

推奨BGM PHANTOM MINDS(リリカルなのは)


第三話 無間地獄を乗り越えろ 其之弐

1.

 出会いの切っ掛けは、何でもない平凡な日常の中にあった。

 特別な異能なんてなくて、高尚な理想なんて関係なくて、当たり前に過ぎ行く日々の一頁。

 

 我が儘な自信家が居た。素直になれない自信家は、自分はこんなに有能なのに、どうして友が居ないのかと首を傾げる。その傲慢さに自覚がなかった。

 とても臆病な少女が居た。生まれに引け目があった彼女は怖かった。誰かと関わる事が、己の異常が暴かれる事が、どうしようもなく怖かった。

 

 だから二人は共に一人ぼっち。友達が出来なかった自信家は、同じ少女に一方的な共感を抱いて関わった。

 友達になりたくて、それでも素直に口には出来なかった。だから気を引く為に、そんな下らない理由で行った事は唯の身勝手。

 

 大切な物を奪い取る。無理矢理に取り上げたのは、少女が大切にしていた一つのカチューシャ。

 取り上げればきっと、興味を惹く事が出来る筈だ。人の痛みを考えられない少女の短絡さは、虐めと言う形で露出した。

 

 人の痛みが分からない子供に、取られても何も言えない子供。そんな二人は二人だけでは、きっと碌でもない形になっていた。

 アリサ・バニングスは痛みを理解出来ないまま、月村すずかは何も言えないまま、たった二人だけならそれで終わりとなってただろう。

 

 そんな二人だけど友達になれたのは、正しく歩く彼女が居たから。悪い事は悪いのだと、真っ直ぐに向き合ってくれる少女が居たのだ。

 

 

「痛い? でも、大切なものをとられちゃった人の心は、もっともっと痛いんだよ」

 

 

 頬を叩かれた痛みに、呆然とするアリサ。理解が追い付くと同時に捲し立てる。口から出たのは悪口雑言。対するなのはと言う少女も、己が正しいからこそ退きはしない。互いに罵り合う口喧嘩から取っ組み合いへ。

 被害者を置き去りにして、喧嘩を始める二人の子供。そんな彼女達を必死に止めようと、泣いていたすずかは奮起する。奮起した彼女が選んだのは、短絡的な実力行使。

 

 素手で殴り合う少女達。そんな三人が暴れる姿を、まるで微笑ましいと見詰めていた赤毛の少女。

 虐めは何時しか二人の喧嘩に。止めようとしたすずかが力を振るい、気付けば高みの見物をしていたアンナも巻き込み大乱闘に。

 

 そうして学校のチャイムが鳴るのと同時に、皆揃って担任の先生に怒られた。それが四人の始まりだった。

 

 素直になれないアリサになのはが怒って、そんな二人をすずかが宥めて、アンナが高みで指差し笑う。

 なのはの地が明らかになって、アリサが呆れながらにカバーする。そんな関係の変化に、すずかとアンナは揃って目を丸くした。

 

 最初は対立から始まって、そのいがみ合いを引き摺りながら関わり続けて、気付けばずっと一緒に居た。

 当たり前の日常を、当たり前の様に四人で過ごしていく。特別嬉しい事があった訳でもないが、それでも幸せだった時間。

 

 授業中。繰り返しの様な出来事に飽きたアンナが手紙を回して、それに頭が良過ぎて学ぶ事のないアリサが乗って、すずかが苦笑交じりに関わって、なのはの所で教師に見付かる。

 学校の昼休み。お弁当を何処で食べるかの論争。中庭で食べようと言うアリサに、屋上こそが鉄板だとアンナが語る。なのはは目を回しているだけで、すずかが交互にしようと折衷案を口にした。

 

 夏休み。祭りの花火大会に一緒に行って、河原に並んで空を見上げた。最終日になると何時も、なのはが残った宿題の量に悲鳴を上げる。

 冬休み。家族総出で一緒に旅行へ、色々な景色を共に見た。時折深い表情を浮かべるアンナの秘密も、気付いた今ならば納得しよう。彼女は何かを通して、何時も過去を見詰めていた。

 

 億年の年月に比べれば、ほんの一瞬に満たない僅かな時間。二十年と言う年月でも、決して多くはない時間。

 小学校に入学してから、あの日に擦れ違って別れるまで。僅か四年に満たぬ時。そんな少ない月日であっても、今も忘れないでいる大切な日々。

 

 忘れない。忘れる筈がない。あの日にまた戻る為に、こうして今に向き合っているのだから。

 

 

(えぇ、そうよね。貴女達も大切だって、うん。大丈夫。分かっているわ。私も貴女達の事、今も大好きだって言えるもの)

 

 

 断言しよう。今もまだ、自分達は友達だ。ずっとずっと変わらない。誰より大切な友人だ。

 だからこそアリサは、故にこそすずかは、友の姿を真っ直ぐに見詰めていた。それは、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンも変わらない。

 

 同じく大切な友達と思えていたから、この鬼無里における出来事は、戦闘として成立するのだ。

 

 

 

 

 

 鬼女の如き上半身と、烏賊を思わせる多足の下半身を併せ持った巨大な随神相。

 天魔・奴奈比売の情念は、他を圧する神威と共に影を生み出す。舐めるなと、その啖呵と共に溢れ出した影の海。

 

 されど舐めるなと、そう思うのは女一人だけじゃない。襲い来るその重圧を前にして、相対する二人も決して震えはしないのだ。

 

 

「大・焼・炙ッ!」

 

 

 金糸の女が手にした炎の刃を振るう。唯それだけで、神威の圧を伴った影の津波が消し飛ばされる。

 炎の余波に随神相が揺らめいて、天魔・奴奈比売は掌を握り締める。指の間を流れる汗は、嫌な程に冷たくあった。

 

 彼我の実力差を明確に、推し測った奴奈比売は後退する。大きく膝を折って、後方へと一息に跳んだ。

 それは逃走の為ではなくて、仕切り直しを求めた一手。対する女達もそうと理解したが故に、一切の油断なく追い掛ける。

 

 誰も居ない無人の人里。居並ぶ古い作りの家屋は、寂しい風が吹き抜ける様な場所だった。

 啖呵を切ったその後に、落下したのは町の入り口。宿場町を摺り抜けて、辿り付いたのは城下町の境とでも言うべき場所。

 

 まるで両者の立場を示すかの如く、堀を挟んで天魔は止まる。相対する女達も其処で止まって、両者の間には木造の橋が一本だけ。

 橋を挟んで対面に、三人の女は強い瞳で相手を見詰める。同じ時を同じ様に過ごした少女達は、この今に同じ想いと異なる意志を抱いていた。

 

 

「ものみな眠る小夜中に、水底を離るることぞ嬉しけれ」

 

「かつて何処かで、そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか」

 

 

 どちらからともなく咒を紡ぐ。高まる魔力と溢れる神威。互いに求める結果は違うが、打つべき一手は一致していた。

 赤と紫。二人の女が選んだ手段は覇道の展開。周囲を己の宙で塗り替えて、対する敵を取り込み打ち破らんと言うのである。

 

 

「水のおもてを頭もて、波立て遊ぶぞ楽しけれ」

 

「あなたは素晴らしい。掛け値なしに素晴らしい。しかしそれは誰も知らず、また誰も気付かない」

 

 

 沼地の魔女は分かっている。今の自分では、この二人の片方にも届きはしないと。先の一手で確信した。

 だが、だからそれがどうしたと言う話。そんな理屈では諦められない。理屈じゃないのだ。大切なのは、頭で出した答えじゃない。

 

 故に彼女は譲れぬ意志を届かせる為、既に展開している太極を二重三重へと重ねて開く。

 たった一つで届かぬならば、届くまで何度も何度も積み上げる。溢れる海の如き泥は、溜まり積もった彼女の情念。

 

 

「澄める大気をふるわせて、互いに高く呼びかわし」

 

「幼い私は、まだあなたを知らなかった。いったい私は誰なのだろう。いったいどうして、私はあなたの許に来たのだろう」

 

 

 月村すずかは判断した。共に並び立つ友と己。どちらの法則を展開するべきなのか。

 一瞬たりとも悩まずに、下した結論は簒奪の夜。永劫に燃え続ける炎では、余りに火力が強過ぎる。

 

 己の目的は、己達の望んだ事は、皆で共に帰る事。殺意は其処に欠片もなければ、激痛の剣は重過ぎる。

 下した判断はアリサも同じく、無言の内に通じ合う。其処に歓喜を僅か感じて、笑みを浮かべたままに女は己の咒を紡ぐ。

 

 

「緑なす濡れ髪うちふるい、乾かし遊ぶぞ楽しけれ」

 

「もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい。何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても、決して忘れはしないだろうから」

 

 

 堀から溢れる影は津波の様に、膨大な量となって湧き出す。紙に墨汁が染みる様に、明けない夜は空を塗り替える。

 そんな覇道のぶつかり合い。アリサは仲間との同士撃ちを望まない故に参加しないが、だからと言って彼女は指を咥えて棒立ちしている様な女じゃない。

 

 己の宙を掌大に、集束させて剣の形に。激痛の剣を強く握り締めた女は、咒を紡いでいる女に向かって地を駆ける。

 己の願いを呟きながら、対する奴奈比売もその動きは見逃さない。覚悟を胸に定めた彼女は、アリサを止める為に随神相を動かした。

 

 

「太極――随神相(チェイテ・)・無間黒縄地獄(ハンガリア・ナハツェーラー)ッ!!」

 

「修羅曼荼羅――楽土(ローゼンカヴァリエ)・血染花(・シュヴァルツヴァルト)ッ!!」

 

 

 開かれる二つの太極(コトワリ)。地より溢れて天にも届かんとする大海嘯と、天を染め上げ地すら喰らわんとする赤い月。

 異なる覇道は喰らい合う。互いを同じく染め上げようと拮抗して、だがそれも一瞬の出来事だった。月の魔力を前にして、影は拮抗し切れず圧し負ける。

 

 ぶつかり合って押し返そうとはするのだが、結局一方的に喰われて行く。二重三重に重ねようと、実力差は埋められなかった。

 圧し負けた海は水が盃から零れる様に、夜が染め上げていない場所へと溢れ出していく。無人の箱庭を押し潰しながら、奴奈比売の太極が齎した結果はそれだけだった。

 

 

「アンナァァァァァァァッ!!」

 

 

 赤い月が輝く空に、炎の剣が燃え上がる。刃を振り下ろすアリサを見詰めて、天魔・奴奈比売は無言で笑う。

 随神相を動かしての妨害は、鎧袖一触に打ち破られる。多足の足をなで斬りされて、手足を焙られる痛みを感じながらも笑った。

 

 初撃にて分かっていた。アリサの圧倒的な火力を前に、己では抵抗する事すら出来はしないと。

 仕切り直して此処に来たのは、この場所に対抗手段があったからではない。ただ少し、ほんの少しの時間稼ぎだ。

 

 

(……けど、逃げ回る事での時間稼ぎはもう出来ないわね。対抗手段がない事は、もう暴かれてしまっているもの)

 

 

 何かあると思わせて、油断がなかったから釣れたのだ。相手が最大限に警戒すればこそ、逃げ回る事が時間稼ぎとして成立する。

 場所を変更しても、太極を重ねても、対抗手段とならない事がこの一手で知られてしまった。そうである以上、今度は攻めに回らなくてはいけない。

 

 己の目的は宿儺の策がなるまでの時間稼ぎ。対する相手の目的は、戦術的には己の無力化で、戦略としてはトーマの救出。厳密に言えば、どちらも戦闘は手段でしかないのだ。

 

 逃げ回るだけで止められないのだと分かってしまえば、アリサもすずかも当初の予定通りに行動しよう。奴奈比売をどちらか片方で相手にして、残る一方が突破していくと言う訳である。

 

 それは出来ない。それは困る。だから、此処から先には策が要る。何かを使って、この断崖を埋めねばならない。その為に必要な覚悟は、もう既に決まっていた。

 故に奴奈比売は笑みを浮かべる。随神相を打ち破り、其処から一歩を踏み込むアリサ。彼女に向かって、奴奈比売は嘘偽りのない笑顔を浮かべた。

 

 

「なっ!? アンタッ!!」

 

 

 そして晴れ晴れとした表情で、女はそのまま燃え続ける激痛の刃へと無謀備に飛び込む。

 まるで己から首を差し出す様な女の行動。アリサの顔が確かに引き攣って、彼女の腕が硬直した。

 

 時の鎧に守られていても、激痛の剣ならば関係がない。このまま僅かに振り抜けば、奴奈比売の首が燃え尽きる。

 いいや、振り抜かなくても変わらない。既に掠めた火の粉だけで、女の肌が燃えている。天魔の身体が溶け始め、白い骨が見えていた。

 

 このままでは友が死ぬ。その光景に戦慄して、咄嗟に剣を消してしまう。そんなアリサの行動に、天魔・奴奈比売は笑みを深めた。

 

 

「ふふっ、ほんっと大好きよ、貴女達。……お陰で私は、私の意志を貫けるんだから」

 

「――っっっ!!」

 

 

 剣を消し去った瞬間に、無数の汚泥が溢れ出す。傷付いた身体を癒す事すらせずに、奴奈比売は力の全てを攻勢へと回していた。

 溢れ出す影を前にして、アリサ・バニングスは押し潰される。資質を言えば万能型だが、彼女が最も得意とするのは火力の一点。それ以外の面ならば、奴奈比売でも如何にか追い付けたのだ。

 

 影の津波に飲み込まれ掛けて、苦虫を噛み潰したように顔を顰める。一息に大量の力を奪い取られて、己の五体を拘束されて、アリサはハッキリ分かる様に舌打ちした。

 

 

「アリサちゃんっ!」

 

 

 拘束された友を助け出す為に、すずかは即座に行動する。狙うは影の海と人間体。二つに向かって、氷と杭を投げ放つ。

 飛び上がって上空から、落ちて来る力を見上げて奴奈比売は選択する。展開したのは無数の歪み。すずかに向かって放つ力は、しかし迎撃の為ではなかった。

 

 氷と杭の雨と、色取り取りの魔力光。両者の力は空中で、ぶつかり合わずに擦れ違う。

 笑みと驚愕。両者はその展開に正反対の表情を浮かべたまま、互いの力を同時にその身で受けた。

 

 

「くっ、この程度っ!」

 

「――っ。……ふふふ」

 

 

 互いに互いの力を身体に受けて、刻まれた被害もほぼ同等。簒奪の瘴気も時の鎧も、共に貫かれている。

 それでも、継戦能力が違っている。杭や氷が突き刺さったままの奴奈比売に対し、夜を展開している吸血鬼は即座に傷を治してしまう。

 

 取るべき手段は攻撃のみで、防御も回避も全てを捨てる。そうまでして、漸くに得られる結果がこの程度。

 それ程までに明確な実力差があると言うのに、浮かんだ表情は正に真逆だ。追い詰められている筈の側が、何処までも澄んだ笑顔を浮かべているのである。

 

 

「だらっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 それでも、幾ら笑っていようと受けた傷は隠せない。弱った影では、この女を捕えている事なんて不可能だ。

 

 共に堕ちよう。一緒に居よう。睦言を囁く様に抱き締める影の海を、内側から己の炎で燃やし尽くす。

 そうして飛び上がったアリサは、再びその手に激痛の剣を握り締める。今度こそ友を止めようと、振るわれたその剣は――

 

 

「良いの? それ受けたら多分、私、死んじゃうわよ?」

 

「くっ、そ、アンナァァァァァァァッ!!」

 

 

 ニッコリと笑う女の言葉に、揺るがずには居られない。加減をした心算であっても、本当に出来ているかが分からない。

 直撃すれば命はない威力が未だある。そう嘯く言葉に腕が鈍る。それでも振り抜かれた刃を前に、奴奈比売は笑って一歩を踏み込んだのだ。

 

 本来の威力よりも低下していて、その上僅か鈍っていた。だから傷は掠った程度で、奴奈比売も死にはしていない。

 それでも、無傷である筈がない。腕と足を一本ずつ、炎に焼かれて失った。そんな奴奈比売は、それでも痛みも見せずに力を振るう。

 

 隻腕片足となった友達の姿。それを割り切れる程に冷たくなくて、故にアリサはまたも隙を晒してしまう。

 こうなると何処か分かっていた。故に先よりは動揺が薄い。それでも友を傷付けたその衝撃は、先程ではなくとも重かった。

 

 赤を継いだ者が影の刃と無数の歪みに切り裂かれる。血反吐を吐いて膝を付いたアリサを庇う様に、月村すずかが攻勢へと回った。

 夜の継承者を傷付きながらに迎撃して、天魔・奴奈比売は笑みを深める。彼女はこの瞬間に、己が考えていた策の有効性を確信したのだ。

 

 穢土と言う領域で、全盛期に戻ったとしても、この二人には届いていない。性能だけで考えるならば、これは嘗てない程の窮地である。

 それでも、戦闘の主導権を握っているのは天魔・奴奈比売。相手が殺せない事を利用して、自分の命を囮とする。それが奴奈比売の対策だった。

 

 

「ふふっ、何時ぞやの意趣返しってね。あの時はされる側だったから、今度はこっちがやり返す側よ」

 

 

 闇の書を巡る一件。正しくそれの焼き直し。あの日はアリサとすずかが、己の命を囮とした。だから今度は、奴奈比売がそれをやり返す。

 遥か格上へと化けた二人を前に、全てを攻勢に回す事で如何にか打撃力を追い付かせる。防御も回避も必要ない。彼女達は、己を仕留める事が出来ないからだ。

 

 アリサとすずかの目的は友達を連れ戻す事で、奴奈比売の目的は彼女達の足止め。

 両者の目的が噛み合わない状況だからこそ、性能だけでは決まらない戦場が生まれていた。

 

 

「……ほんっと、性質(タチ)が悪いわっ!!」

 

 

 口に溜まった血を吐き捨てて、苛立ちと共に言葉を叫ぶ。アリサに対して、奴奈比売の策は正しく覿面に効果を発揮していた。

 

 そのやり口をもう理解した。だが理解したからと言って、何か対抗手段がある訳じゃない。

 時の鎧を抜ける規模の攻撃を放てば、奴奈比売が消滅する。だからと言って、鎧を抜けない規模ではそもそも意味がない。

 

 こういう場面で、過剰な火力は全く無駄だ。アリサはその本質を、まるで活かせてなどいない。

 不得手な火加減を続ける女は、炎の剣を調整しながら振るっている。影を蹴散らし、海を干上がらせ、されど女には届かせられない。

 

 これではまだ駄目だ。これではまだアンナが死ぬ。歯噛みしながら制御して、結局大した事が出来ていなかった。

 

 

「でも実際、厄介にも程があるよ。私達の、心理的弱点を突かれてる」

 

 

 光で影を消し去りながら、月村すずかは舌打ちする。夜を展開する事で鎧を貫いて、継続したダメージを与える事は出来ている。

 だが、それだけだ。それ以外に、有効打が入れられない。彼女達の前に立つ奴奈比売のダメージは既に重いのに、まだ倒れない事実が示している。

 

 一体何時まで、この女は持つであろうか。一体何処まで、この女は耐え続けるのだろうか。

 手足を失い、杭と氷を突き立てられて、骨すら見せながら、夜に喰われる。そんな状態だと言うのに、天魔・奴奈比売は止まってくれない。

 

 

「卑怯って言うんなら、好きに言いなさい。何としても為さねばならない事があるから、私は何だって利用するのよ」

 

 

 覚悟が違う。意志が違う。例え四肢を奪い取り、内臓を全て取り零したとしても、この大天魔は決して止まらないのではなかろうか。

 それはある種致命的。何処までも彼我の目的が噛み合わない。天魔・奴奈比売と言う女は、死ぬまで止まらないのではないかと思ってしまった。

 

 その不吉な想像を、振り払う様に戦い続ける。夜が消耗させ続ければ、激痛の剣が意志を挫ければ、きっとまた一緒に居られるだろうと希望を信じて――

 

 

「友達だからね。一応善意で、忠告してあげるわ。……私は絶対に止まらない」

 

 

 その希望を友達が否定する。口にした言葉はまるで、己自身に誓うかの様に。そうとも、アンナはもう止まれない。

 頬を孤の字に釣り上げて、魔女を其処に張り付ける。感じる痛みに耐えながら、女は決して振り返らない。走り出すと決めたのだから。

 

 

「止めたいなら首を落としなさい。止めさせたいなら、先ず息の根を止めなさい。それが嫌だって言うんなら――」

 

 

 殺意を抱けば、今直ぐにでも実行出来る事だろう。首を斬り取る仕草でそう示しながら、アンナは一つ笑って告げる。

 己は死ななければ止まらない。そう誓う様に口にしながら、それでもそれ以外の道を口にする。何処か焦がれる様に、きっと断られると思いながらに。

 

 

「そうね。お茶でもどうかしら? 別れが来るその時まで、笑い合って過ごすのも良いんじゃないかしら?」

 

 

 戦いたくなどない。傷付けたくなどない。唯足を止めてくれるなら、そうして過ごして居たいと思う。

 それは紛れもない真実で、だからアンナは少女の如き笑みを浮かべる。絶対に断られるだろうと、分かり切った言葉に返る答えも当然だった。

 

 

「はッ! お茶なら終わってから、幾らでも付き合ってやるわよッ! すずかっ!!」

 

「うん。分かってる。こんな足止めに、付き合う必要なんてないッ!!」

 

 

 天魔・奴奈比売は死なない限り止まらない。そうと理解した彼女達は、思考を即座に切り替える。

 未だ殺す事は出来ない。取り戻す事が目的ならば、そんな対処を選べる筈がない。故に彼女達の選択は、当初に予定していたそれだ。

 

 奴奈比売が命を賭けて足止めするなら、その妨害を無視して突破する。既に進んだ仲間の下へと、どちらかだけでも辿り着かせる。戦術的勝利が難しいなら、戦略的な勝利を狙うのだ。

 

 

「……残念。素直に想うわ。本当に、そう出来たら良かったなって」

 

 

 分かってはいた。気付いてはいた。これは新たな世界を求める為の戦場で、だから彼女達も止まらないのだと。

 心の底から残念だと思いながらに、それでもそうなると分かっていたから準備は出来ている。故に奴奈比売は、寂しそうに笑いながら口にするのだ。

 

 

「馬鹿ね。足を止める為なら、何でもするって言ったでしょ?」

 

 

 アリサはその手に激痛の剣を構え、足下で爆発を起こしながらに前へ前へと進んで行く。

 すずかは夜を展開したまま、身体を蝙蝠の群れへと変える。無数に枝分かれする様に、影の隙間を縫って前へと進む。

 

 質と数。異なる手段で強引に突破しようとする両者。そんな女達を前に、奴奈比売は舐めるなと啖呵を切る。

 

 

「誰かの足を引く事に掛けては、こちとら億年単位の経験則がある訳よッ! 誰にも負ける訳がないわッ!!」

 

 

 己を殺せないと分かった時点で、突破は予想出来ていた。ならばそれを阻む様に、布石は既に打ってある。

 前に進む者の足を引く事ばかり考えていた。そんな沼地の魔女なればこそ、誰よりも他者の妨害に秀でているのだ。

 

 家屋の屋根を吹き飛ばし、無数の影が湧き上がる。事前に仕掛けた太極の欠片が、此処で一斉に牙を剥いていた。

 真面に突き進めば、その影に飲まれて捕まるだろう。そんな光景を前にして、アリサとすずかが選んだ手段は真逆だ。

 

 月村すずかは罠を回避して、突破の道を探そうと選択する。アリサ・バニングスは、罠を強引に消し飛ばしての突破を狙った。

 そんな其々、個性的な選択肢。だが一緒に居た時間が、そう動くと教えていた。故に予想は寸分も違わず、彼女達はその足止めを超えられない。

 

 

「っ、こっちも、そっちも。此処も駄目なのっ!?」

 

 

 進もうとしていた先に、無数の影が沸き立ち道を阻む。回避しようと翼を羽搏かせても、何処に行っても影が湧く。

 月村すずかは舌打ちして、意識を宿す個体を変える。ルートを次々入れ替えて、だがしかし道がない。必ず何処かを影が塞いでしまう。

 

 

「こんの、ウザったいのよっ! 馬鹿アンナッ!!」

 

 

 超火力で罠を根こそぎ消し飛ばすアリサに対し、奴奈比売の対抗策は先程までと全く同じだ。

 罠を壊す為に女が腕を振るう度、彼女の前に己の身を曝け出す。このまま剣を振るってしまえば、諸共に消し飛ぶ場所へと彼女が姿を見せるのだ。故に此処から抜け出せない。

 

 

「本当に、こんの馬鹿は。捕縛に向いた能力でもあれば、別だったんでしょうけどッ!」

 

「このままじゃ、千日手だよ。アンナちゃんを殺せない以上、突破しかないのに。アンナちゃんを殺せないから、突破が出来ない」

 

 

 次々に仕掛けられた罠。正攻法で突破しようと頭を捻れば、その分だけ時間を稼がれる。それでは突破を狙う意味がない。

 力任せに全てを覆そうとすれば、奴奈比売が己の命を盾とする。彼女を殺す事を選べぬ以上、正攻法での攻略を強要される。

 

 変化していくのは、互いの疲労と周囲の景観のみである。皆が力を消耗しながら、家屋や山が押し流され、周囲が焼け野原に変わって行くだけなのだ。

 

 総じて、現状は千日手。時間稼ぎが目的ならば、これ以上はない最上手。そんな状況に、女達はその焦りを隠せない。

 そんな状況に焦りを浮かべた女達と異なって、奴奈比売は全く余裕の表情で言葉を返す。されどその心身は、女達以上に消耗していた。

 

 

「その前に、多分私が死ぬんじゃない? 割と結構無理してるし」

 

「どの口がほざくかッ! 馬鹿アンナッ!!」

 

 

 何処か軽く笑って語る天魔・奴奈比売。現状全てがこの女の掌だ。数億年を生きた魔女の知略に、揃って転がされている。

 時間を掛ければ如何にかなるかも知れないが、そもそも時間を掛けてはいけない。この劣勢を覆すには、何か抜本的な対処が必要だった。

 

 故にアリサは立ち止まる。此処で何をするべきか、思考を切り替え言葉に紡ぐ。両者が突破を狙うのは、全く悪手であったのだ。

 

 

「すずか。夜を閉じて」

 

「……分かった。後は任せるね」

 

 

 その一言で、何を狙っているかを理解する。故に月村すずかは頷いて、薔薇の夜を此処に閉じる。

 アリサが意志を決めたのだ。ならばやり遂げると信じて、友達の事は彼女に任せる。己の役割は、前線への合流だ。

 

 飛び立っていく月村すずか。その場に立って、咒を紡ぎ始めるアリサ・バニングス。

 進む友を追い掛けながら、アリサの姿から目を離さない。無数の罠で妨害しながら、奴奈比売もまた彼女の狙いを推察していた。

 

 

「彼ほど真実に誓いを守った者はなく、彼ほど誠実に契約を守った者もなく、彼ほど純粋に人を愛した者はいない」

 

 

 どちらも突破できぬなら、どちらかが残って相手取る。それは当然の思考であって、されど此処で生じる一つの問題点。

 二人はどちらも足が速くはなくて、故に影を振り切れない。奴奈比売を拘束する必要があって、だが明けない夜に拘束力なんて存在しない。

 

 だからこそ、アリサ・バニングスの宙である。燃え盛る激痛の世界。逃げ場なき列車砲の砲門内部に、友を取り込もうと言うのであった。

 

 

「だが彼ほど総ての誓いと総ての契約、総ての愛を裏切った者もまたいない。汝ら、それが理解できるか」

 

 

 魔力が集まる。炎と集まる。冷静に己を観察し続ける友達の瞳を見詰め返して、アリサは想いを口にする。

 

 言葉を紡ぎながらに、この先を想像する。列車砲の内部へと取り込んだから、それで捕縛出来るかと言えば否であろう。

 逃げ場なき世界であっても、この長く生きた女ならば攻略出来てしまうかも知れない。何もせずに取り込むだけでは、脱出されてしまう恐れがあった。

 

 だからこそ、炎を灯す。殺さぬ様に、傷付け過ぎない様に、それでも己の世界に消えない(オモイ)を灯す。

 その最愛の炎と共に、胸に抱くはあの日の言葉。目の前で命を切り売りしている友達に、確かに出したアリサの答えだ。

 

 

――アンタは友達だ! 私の大切な親友だ!! 私にとってはそれが真実。それだけが真実。この、アリサ・バニングスを甘く見てるんじゃないのよ!!

 

 

 あの日に口にした想い。その熱量は今も変わらず、あの悪夢はもう乗り越えた。

 だから、さあ伝えよう。あの言葉を彼女が忘れたと嘯くならば、もう一度この(オモイ)で伝えよう。

 

 

「我を焦がすこの炎が、総ての穢れと総ての不浄を祓い清める。祓いを及ぼし、穢れを流し、熔かし解放して尊きものへ。至高の黄金として輝かせよう」

 

 

 友達だから、一緒に居たい。あの平凡な日常をもう一度。またあの日へと帰るのだ。

 お前の思惑など知らない。余計な事情なんて関係ない。何度だって殴り飛ばして、手を握って連れ帰るのだ。

 

 それがあの日に、アリサ・バニングスが決めた事。この今になっても変わらない。たった一つの真実だ。

 

 

「すでに神々の黄昏は始まったゆえに、我はこの荘厳なるヴァルハラを燃やし尽くす者となる」

 

 

 目を見開いて、取り込むべき者を捉える。天魔・奴奈比売とその随神相。そして彼女の太極全て。

 己の宙の内側へ。捉えた者を取り込み閉ざす。展開された世界は正しく、永劫燃え続ける列車砲の砲身内部。

 

 

修羅曼荼羅(ブリアー)――焦熱世界(ムスペルヘイム)激痛の剣(レーヴァテイン)ッ!!」

 

 

 閉ざされた天蓋の下、罅割れた大地の上に二人が立つ。アリサとアンナが、向かい合う様に立っている。

 二人を包む焦熱世界。大地に刻まれた傷痕から、湧き上がるのはマグマの様な赤き色。噴き上がるのは想いの炎。

 

 

「アンタの事だから、捕らえただけじゃ諦めないんでしょうね」

 

 

 此処は出口のない世界。主が許さない限り、出入りなど出来ない空間。だがだからと言って、この魔女は諦めないだろう。

 無数の叡智で出口を生み出してしまうかも知れないし、力技でこじ開けてくるかも知れない。故にアリサは炎を灯す。思考する為の余裕を、想いの炎で奪い取る。

 

 

「分かってるのよ。だから、死なない程度に焼いてあげるわ」

 

 

 湧き上がる大炎上。殺さない様に加減して、取り込んだ者を焼き続ける。この荘厳なる炎は、決して消えはしない。

 そうとも、これは想いの炎。例え死しても足止めしようと、そう想う奴奈比売に負けない程に、取り戻そうと言う意志は強いのだ。

 

 

「……燃えてるわよ。アリサ」

 

「知ってる。ってか、意図的よ。これ」

 

 

 取り込まれて、燃やされる。激痛を齎す業火に焼かれるのは、天魔・奴奈比売だけではない。

 女を知るが故に奴奈比売は、その意図を何となく理解して、何処か呆れた顔で指摘する。この世界の主もまた、この炎で燃えていた。

 

 

「だって、アンタを留めるのに必要な炎がどのくらいか、正直分かんないのよ。だから、火加減は自分で確かめる事にしたの」

 

 

 その行動を妨害しながらも、命を奪わない程度の熱量。それを確認する為に、女は敢えて己も焼いた。

 湯の温度を確かめる為に指を入れる様な気軽さで、女は己の炎を身体に浴びている。その炎に、己の身体を焼かれている。

 

 肌が燃える。髪が焦げ付く。衣服が溶け掛け、火傷が身体に刻まれる。

 そんな苦痛を何時までも、全てが終わるその時まで、アリサは続ける心算であったのだ。

 

 

「我慢比べ。一緒に燃えてあげるわ。馬鹿アンナ」

 

「……馬鹿はアンタよ。馬鹿アリサ。ほんっと、馬鹿なんだから」

 

 

 燃え滾る熱が肌を焦がす。戦いの後でもその傷跡が、残ってしまうかも知れない。なのに、平然とそれを行う己の友達。

 確かに今も愛している。そう断言出来る友と一緒に、同じ時間を共有する。共に炎で焼かれながらに、何時かの様に笑みを零した。

 

 

「ええ、そうね。自覚はあるわ」

 

 

 気が付けば、思っていたより大きな存在になっていた。たった数年で、どうして此処まで大きくなった。

 子供にとっての三年は、確かに大きな割合を占める時間であろう。人格形成期に出会った友に、強い想いを抱いた理由は納得できる。

 

 ならばどうして、アンナも同じく思っているか。僅か疑問に思った事実に、返る答えはあっさりと得心出来る物だった。

 

 

「だけど、仕方ないじゃない。大好きなんだもん。アンタの事」

 

 

 こんなにも真っ直ぐに、己を大好きだと語ってくれる人が居ただろうか。

 魔女と貶められて、人に迫害され続けて、彼の背中を追い掛け続けて、それでも真っ直ぐ見詰める瞳はごく少数。

 

 壊れている訳ではない。依存している訳でもない。それでも、大切だと真っ直ぐ見詰めて微笑む姿。

 同じ視線で見ていたからか、同じ瞳を見ていたからか、どちらで在っても変わらない。事実なんて、それだけだ。

 

 大好きだと言ってくれる友達を、愛さずに居られる筈がない。理由なんてそれだけで、だから大切だって想えるのだ。

 

 

「だから、アンタが諦めるまで続けるわ。茶会程に優雅じゃないけど、私達には相応しい形でしょ?」

 

「……ああ、本当に、頭悪いって言うか、脳みそまで筋肉って言うか」

 

 

 何処までも真っ直ぐに、一緒に燃えようと語る女。本当に諦める時まで、彼女はこれを続けるのだろう。

 如何なる障害が残ったとしても、どれ程に身体が焼け爛れようとも、アンナが帰って来るまでアリサも決して退かないのだ。

 

 それはアンナの覚悟とは、全く別種の想いであろう。だがその熱量は、等しく等価と言える程。

 真っ直ぐにキラキラと輝いていて、アンナが憧れ続けた空の星。掴みたいと願った光に目を細めて、アンナは笑いながらに言った。

 

 

「けど、さ。ほんっと真っ直ぐで、キラキラしてて――頭に来んのよッ! その態度ッ!!」

 

 

 その判断は余りに愚かだ。焼かれる痛みに苦しむくらいで、今更思考が鈍る筈がない。命などもう捨てた。

 その判断は余りに愚かだ。無駄に自分を痛め付け、共に分かち合おうとする行動。愚行と言うより他にない。

 

 そんな愚かさが、ああ、本当に頭に来る程――大好きだ。そんな風に心で笑って、アンナは此処に影を集める。

 揺れ動く海を一点へと。炎で焼かれている事など関係ない。その程度で鈍る限界なんて、最初から既に超えている。

 

 守りを捨てて、回避するでもなく、炎に焼かれながらに穴を探した。笑い合う様に語りながらに、見付け出したのは主砲の入り口。

 此処が砲門であるならば、何処かに出入り口は存在している。其処へ向かって飛び立つ為に、限界を超えた先の限界すらも更にと超えて、黒き影を集めて束ねた。

 

 

「馬鹿ッ! アンタ、そんな事したらッ!?」

 

「言ったでしょ。元からその心算だって、だから――」

 

 

 揺蕩う影が溢れ出す。足りない差分を命で埋めて、身体が引き千切れる程の力を行使する。

 炎で燃え続ける身体を気にせず、傷付く事すら厭いもせずに、命と引き換えにほんの一瞬だけ高みへと。

 

 崩れていく女が開いた太極は、叫びと共に届いてしまう。空を覆う天蓋の果てへ、砲門と言う僅かな隙間を広げて道を生み出した。

 

 

「その(オモイ)は届かないのよッ!!」

 

 

 全霊を尽くして、打ち砕けたのは僅か一部に過ぎない小ささ。それだけで崩壊し掛けながら、それでもアンナは止まらない。

 小さな穴から、外へと抜け出す。己の身体を砕きながらに、飛び出していく友に向かって、伸ばした手はまたも届かなかった。

 

 

「馬鹿アンナァァァァァァァッ!!」

 

 

 届かない手。掴めなかった掌。砕けて崩れながらに、去って行く友の背中。

 自傷の痛みと、魂の一部を砕かれた痛み。苦痛に呻く女は一手遅れて、伸ばしたその手は嘗ての様に何も掴めない。

 

 もうこれが最期なのだと、分かって口に出来たのはそれだけ。罵声を上げる女を置き去りに、アンナはもう一人の友を追い掛けるのだった。

 

 

 

 

 

 空を駆ける。一人になって、友を置き去りにして、壊れながらに空を駆ける。

 もう残った時間はどれ程か。数分か、数十秒か、もしかしたら数秒だろうか。何れにせよ、余り長くはないだろう。

 

 まるで火の粉だ。飛び散る火の粉が消え去る様に、無理ばかりした身体が擦れて消えていく。

 そんな中でふと想う。痛みが過ぎて、冷静になってしまったのだろう。今更ながらに、何をしているのだろうかと思った。

 

 

(ほんっと、何してんだろ。……此処までする意味、あったのかしらね)

 

 

 それは彼の為に、命を賭ける必要がないと言う事ではない。問うまでもなく、彼の為なら、死力を尽くす価値があると断言出来る。

 唯、一つ疑問に抱いてしまったのは、それが己である必要があるかと言う事。論ずるまでもない。アンナが此処までしなくとも、別に問題なんて何もなかった。

 

 この道の先、鬼無里を超えたとしても壁がある。天魔・宿儺と天魔・大獄。大きな壁が、二つもある。

 別に此処まで、必死になる必要なんてなかった。自分が足止めしなくとも、どちらか片方が残っていれば十分だろう。

 

 月村すずかじゃ超えられない。アリサ・バニングスじゃ勝ち目がない。両翼と言う怪物を、この二人は超えられる程に強くない。

 高町なのはやユーノ・スクライア。彼らと協力すれば、或いは倒せるかもしれない。だが誰かが死ぬ可能性は高いし、確実に足止めはされるであろう。

 

 だから、アンナが無理する必要なんてなかった。両翼が残っているのだから、この二人が常世の下に辿り着くなんて出来なかった。

 だから、別に此処までする必要なんてなかった。適当にどちらかを抑えればそれで良かった。あの炎の世界に付き合って、談笑してればそれで良かった筈なのだ。

 

 なのに、どうしてこうしているのか。何となく思考するのは、両翼との戦闘で倒れる者が出るとすれば誰であろうかと言う事。

 異能殺しと終焉の怪物。その両者を前にして、一番危険となるのは誰か。そんな仮定で浮かんだ妄想。それを鼻で嗤って、掻き消し自嘲した。

 

 そう、そんな事はどうでも良い。答えがどうあれ、関係ないのだ。

 

 

「彼の為よ。愛する彼に、想いを見せるの。それだけで良い。それ以上なんて、要らないわ」

 

 

 追い掛ける。追い掛ける。何時もの様に追い掛ける。自分は足が遅いから、何時も背中ばかり追う。

 追い掛ける。追い掛ける。何時もより急いで追い掛ける。今度は置いて行かれる訳にはいかない。そんな想いで、追い掛けた。

 

 だから、だろうか。背中が見えた。必死になって追い掛け続けて、そうして漸く背中が見えたのだ。

 

 

「あぁ、最期に、追い付けた」

 

 

 月村すずかは止まっていた。不二と箱根。この二つの上空を、吸血鬼は抜けられなかった。

 

 箱根は既に地形が変わった。飛び交う号砲に立ち並ぶ山々が消し飛んで、更地やクレーターが幾つも幾つも量産されている。

 不二はより危険である。共に求道の極みに至った者らの激突。余波だけでも消し飛びそうなその圧は、世界に穴すら生み出しそうな程。

 

 箱根に近付けば、天魔・宿儺に気付かれよう。あの自壊の鬼に見付かれば、吸血鬼では勝ち目がない。

 不二に近付けば、その激闘の余波だけでも消し飛ばされる。そう確信を抱ける程に、彼らの戦いは別次元であった。

 

 故にその領域へと踏み込めない。無駄死にだけは出来ないから、先へと続く道を探していた。

 その為に歩を止めていたから、だから足が遅い魔女でも追い付けた。その最期の最後に、魔女は初めて追い付いたのだ。

 

 

「アンナちゃんっ!?」

 

 

 消え掛けたその姿。内に残る力は最早微弱なそれ。届いたからと言って、一体何が出来るのか。

 何も出来ない。何も出来ずに消えていく。そんな友の姿に、月村すずかは絶句する。それでも、彼女は思考した。

 

 

(このまま、消える。取り戻せずに、友達が。それで、良いの!?)

 

 

 それは、友を救えるかと言う問いではない。もう救えないと、もう僅かも持たないと一目で分かった。

 だから、考えるのは何をすべきか。何がしたいのか。彼女が消える前に出来る事。その死を前提に、思考を回す。

 

 本当は受け入れたくなんてない。今からでも助ける方法を考えたい。それでも、それでは無理だと分かってしまった。

 だから、此処で何を為すべきか。僅かな戸惑い。確かな逡巡。もう彼女を取り戻せない事を理解した上で、月村すずかは心を定めた。

 

 

「良い訳がない。だから――」

 

 

 だから、月村すずかは諦める。アンナの命を救う事を諦めて、彼女と共に帰る事を此処に選んだ。

 涙を流して、それでも決めたからには心を揺らさない。自分の意志で仕留める事を、その命を吸い尽くす事を選択する。

 

 そうとも、此処で命を奪う。その魂までも吸い尽くし、己の内に抱えて共に帰るのだ。それだけが、彼女が死ぬ前に出来る事。

 

 

「私の腕で、枯れ堕ちろッ!!」

 

 

 命を救えなくても、せめてその(ココロ)だけは、その死骸だけは我が腕に。全て刻んで連れて行く。

 涙と共に決意を定めて、彼女が死ぬ前にと手を伸ばす。迫る簒奪の力を前にして、アンナはニコリと笑って言った。

 

 

「駄目よ。すずか。私の(ココロ)は、彼の物だもの」

 

 

 我が友よ。死骸を晒せ。愛するが故に、貴女の姿をせめて、私が永劫覚えていよう。そんな女の想いを否定する。

 例え如何なる形でも、一緒に居たいと言う想い。確かに理解し共感できるが、それでも彼女は決めていた。アンナが心を捧げる相手は、たった一人しか居ないのだ。

 

 この命は彼の下へと。そう決めていたからこそ、アンナは決して迷わない。悩んでしまったすずかでは、一手僅かに届かない。

 最初から決めていた者と、逡巡の果てに答えを出した者。どちらが正しい答えを出すかは分からずとも、どちらが早く動けるのかは明白なのだ。

 

 

「……貴女は、望んだ相手を取り逃がす。決して、望んだ形に至れない」

 

 

 だから間に合わない友達に向かって、その呪縛を口にする。取り込んでいた無数の歪み。その全てを投げ捨てる。

 吸血鬼を止めるには足りない。それでも、動きを少し遅らせる事は出来る。そのほんの僅かな時があれば、それだけでアンナには十分だったのだ。

 

 そうして、彼女に向かって笑ったまま――アンナの身体が光り輝く。まるで消える寸前の蝋燭の様に、其処ですずかも狙いに気付いた。

 

 

「アンナちゃんっっっ!!」

 

「……バイバイ、すずか」

 

 

 女の身体が四散する。激しい光と共に爆発する。アンナは魔力を暴走させて、己の身体を自爆させていく。

 風に吹かれた花弁の如く、女は微笑みながら散って行く。大好きだよと唇を小さく震わせながら、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンは光となって消滅した。

 

 手を伸ばして、届かなかった。そんな吸血鬼の前で引き起こされた爆風は、しかし彼女に傷を負わせるにも届かない。

 だが、それで良い。それでも、十分だった。アンナの狙いは、己の死を見せ付ける事。死する女が求めたのは、愛した友の足を引く事。

 

 彼女達は強い。アリサもすずかも、失ったから折れる程に、傷付いたから諦める程に、その心は弱くはない。

 けれど、目の前で愛する人が命を落とせば、その痛みは傷となる。ほんの少しでも足を止めて泣いてくれると、その程度には愛されていると知っていたから。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 目の前で散った命に、涙を流す吸血鬼。身体を襲う激痛に、間に合わなかった狩猟の魔王。

 惜別に涙を。失った痛みに震えて膝を付く。もう居なくなってしまった友を想って、女は子供の如くに涙を流す。

 

 彼女達は確かに、また立ち上がる事が出来るだろう。だが立ち上がるまでに、ほんの少しの時間を奪われる。

 稼げた時が僅かであっても、女達がまた立ち上れるのだとしても、それでも他の戦場が決着する前に進む事など出来やしない。

 

 そのほんの僅かを稼ぐ事。先の戦場に巻き込まれて、友が命を落とす結果を防いだ事。

 それが、それだけが、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンの手にした戦果。この戦いの結末だった。

 

 

 

 

 

 穢土・夜都賀波岐第二戦、鬼無里。天魔・奴奈比売。消滅。

 アリサ・バニングス生存。月村すずか生存。機動六課――敗北。

 

 無間地獄を乗り越えて、戦いは次なる舞台へと進む。

 

 

 

 

 




赤アンナ「大っ勝利っ!!」

完全勝利したアンナちゃんUC。その目的も実は夜刀様の為ではなく(それもあったが主ではない)、友達を生存させる為に身体を張っていたと言う。
戦力値は絶望的ではありましたが、互いの目的が致命的に噛み合わなかったのでアンナちゃんが目的全てを達成する大勝利ルートとなりました。


六課側の敗因は覚悟の差と言うよりは、戦力分配のミスが一番大きい。火力特化のアリサ姐さんと弱体吸収のすずかちゃんでは、心を折る以外に無力化の手段がなかった。最初から死ぬ気の相手に、殺さない覚悟では戦力差以上に相性が悪かった形です。

仮にアンナちゃんを生存させようと考えた場合、格下無敵で自爆も妨害出来るクロすけと弱体化可能なすずかちゃんを組ませるのが恐らく鉄板。大穴でなのはさんを連れて来て、槍で強引に夜刀様から支配権を奪い取ると言う力技。

そのどちらも成立しない状況では、アンナ生存は端から不可能だったと言う訳でした。



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