リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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文章校正の為に読み返していて思う。
あれ? ユーノ君の耐久力おかしくね?

……これが解脱者の精神力か。

推奨BGM Take a shot(リリカルなのは)


第三話 無間地獄を乗り越えろ 其之参

1.

 それは正しく災害だった。大地が砕け、雲が消し飛び、巨大な山々が数秒先には消し飛んでいる。

 

 瞬きの間に移り変わる光景は、まるで天の裁きだ。古くは嵐や地震を神の怒りと捉えたのも、無理はないと感じてしまう。それ程に、その光景は余りに理不尽過ぎたのだ。

 

 四つの砲門が火を噴き上げる。大地を劈く爆音は三つの山を更地に変えて、芦ノ湖へと着弾する。その直後に中身が全て飛沫と変わって、湖が唯の窪地と成り果てた。

 

 轟音を伴う砲撃は、その余波だけでも荒々しい暴風を作り出す。砲撃だけではない。鬼の剛腕を振るうだけでも効果は同じだ。四つの腕と四つの砲門。それが嵐と竜巻を周囲に向かって撒き散らす。

 

 四腕が脅威と言うならば、同じく二足も脅威である。巨大な化外の身体が動いて、足を一歩と踏み変える。唯それだけの行動で、地盤が沈んで大地が割れた。

 

 時の鎧など関係ないと、箱根の大地を唯練り歩くだけで崩壊させるその有り様。それは鬼の身体を形作る太極(コトワリ)が、この地の護りすら消し去っている証明だった。

 

 両面を持つその鬼は正しく天変地異の権化である。唯其処に居るだけで、全てを崩壊させ得る怪物だ。

 単純な破壊能力を考えるなら、先触れたる二柱にも届かないだろう。広域殲滅と言う分野においては、一歩も二歩も劣るであろう。

 

 それでも、両面悪鬼は怪物だ。既に半分となったその身であっても、唯の人間からしてみれば余りに過ぎた怪物なのだ。

 

 

「ナンバーズ。モード・ウェンディ。エリアルレイヴッ!」

 

 

 そんな怪物を前にして、それでも男は愚直に挑む。友より受け取った絆を頼りに、巨大な盾に乗って空を飛ぶ。

 鬼が動きに合わせて生み出された暴風に、何度落とされようとも変わらない。落下したまま大地に飲まれて、落ち続けたとしてもまた飛翔する。

 

 底の底へと落ちきる前に、魔力結晶を起動させる。ロストロギアの力を纏って、試作AEC兵器と共に前へと進む。

 前へ進んでどうなるのか。空を飛翔してどうするのか。雲を突き抜け、日の光が失われた上空へ。飛び出しても、未だ答えなんて見付からない。

 

 

「ナンバーズ。モード・オットー。レイストームッ!」

 

 

 思考を回し、試行を続ける。答えなんて出せないと分かって、考える事を止めてはいない。

 最善は何か。次善は何か。己に出来る事は一体何か。何も出来ないと言う理性が下した答えを前に、それでもユーノは思考を続けながらに試行した。

 

 真っ暗闇と化した上空から、流れる星の如くに無数の雨が大地に降り注ぐ。其はナンバーズが兵装の第八番。多種多様な機能を持った魔力光。

 

 

「……で?」

 

 

 当然の如く、降り注いだ流星は消え失せる。鬼の身体、その体皮に触れた瞬間に否定されて消滅した。

 両面悪鬼は全く無傷。それが如何したと嗤う悪鬼を前にして、今更に揺れる弱さなんて持ってはいない。

 

 防がれると分かっていた。無効化されると知っていた。ならば試行はこの先へ、一体何処まで無力化されるかと言うその一点。

 降り注ぐ無数の魔力光。消える瞬間までは視界を塞ぐその光を、障害として使用しながらナンバーズを操作する。巨大な盾のその先端に、長大な砲門が姿を見せた。

 

 

「ナンバーズ。モード・ディエチ。イノーメスカノンッ!」

 

 

 動力炉が魔力粒子を高密度に集束して、その砲門より撃ち放つ。放たれた一撃は、両面鬼の号砲に勝るとも劣らない。

 惑星破壊の集束砲。その模倣として生み出されたこの砲撃は、真に迫る程ではなくとも火力が高い。核兵器の数十倍は、軽々と超えられる出力だ。

 

 安定しない体勢から、放った己が反動によって吹き飛ばされる。空を落下していく、傷だらけの青年がその目にしたのは――やはり無傷な悪鬼であった。

 

 

「だから、どうした? 今更魔法か? 温ぃぞ。阿呆が」

 

 

 光の雨が掻き消える。集束砲が消し飛ばされる。魔力なんか(神の欠片)に頼るなと、太極を開いてないのに無効化される。

 

 天魔とは、一つの法則だ。人型をした宇宙である。そうであるが故に彼らは、太極を開かずともにその法則を纏っている。

 悪路に触れれば腐ってしまう様に、母禮に触れれば燃えてしまう様に、大獄に触れれば死んでしまう様に、宿儺に触れれば魔法の奇跡が消え失せる。

 

 

「分かってたでしょう? そんな事」

 

 

 自分に触れている力でなければ消せないと、開かない事で生じる欠点などはその程度。

 

 ましてや、相手が唯の人間であると言うこの状況。己の弱点を晒す事はなく、故に自滅はあり得ない。

 敵の異能を全て禁じて、己だけが一方的に神様の力で蹂躙する。反則と言う他ない。それ程に、余りに理不尽な状況だった。

 

 

「……ああ、分かっていたよ。そんな事」

 

 

 嗤う様に、嘲る様に、語る女に言葉を返す。魔力に依った攻撃が届かないなど、端から周知の事である。

 既にあの日に見て来ている。時の庭園にて、高町なのはが敗れた時。太極を開いていないと言うのに、魔法を無効化した光景は覚えている。

 

 

「分かっている。分かっているけど、分かっているから――」

 

 

 だから、届かないなんて分かっている。勝ち目なんて欠片もないと、もう既に分かってしまっている。

 ユーノの頭脳は明晰なのだ。彼には諦め癖が付いている。だからこそ、心の何処かで絶対勝利の道などないと理解していた。

 

 だが、だとしても――何も為さずに、何も出来ずに、終わりたくなどないのである。

 

 

「分かって、やってんだよっ! 届かせてみる為にっっっ!!」

 

 

 故に、無駄と分かって重ねていく。己に出来る事を全て、手当たり次第にぶつけていく。

 どれか一つでも通れば上等。僅か一手でも、掠り傷に過ぎなくとも、積み重ねる事が出来るならば勝ちの目はある。

 

 呪詛に病み衰えたその身体は、無数の傷に塗れている。魔力補助がなければ、立って歩く事すらやっとと言う有り様だ。

 手にした非魔導師用特殊兵装ナンバーズ。友より受け取ったこの武器が、最早唯一つの生命線。そんな事、分かっている。何度も何度も、己の手札を確認したのだ。

 

 故に勝ち目はないと、冷静に思考しているその頭脳。だがまだ何もしていないと、先ずは試行するのだと猛るその心。

 砲撃の反動で大きく後退しながらも、前へ飛翔する青年は盾の一部を切り離す。左右上下の四ヶ所に、収納されていたのは飛去来器(ブーメラン)だ。

 

 

「モード・セッテっ! スローターアームズッ!!」

 

 

 第七の牙を展開する。高速で飛翔し迫るは四つの鋼鉄。脳波と魔力を用いて制御を行う兵器であるが、その本質は鋼の刃の体当たり。

 分類を分けると言うならば、これは間違いなく質量兵器。鋼鉄のブーメランを止める力を、その太極(コトワリ)は持っていない。故にこそ、この攻撃は消し去れない。

 

 

「……それが切り札だって言うんなら」

 

「そりゃ甘いよって、言うより他にないわよねぇ」

 

 

 鬼の身体は強大で、小回りが利き辛い。ユーノの周囲を飛び回る飛去来器を、意図して撃ち落とす事は難しい。

 飛び回る羽虫を的にした射的の様な物だ。鷹狩や流鏑馬の様に動的な動作で、それよりも遥かに小さい的を狙えと言うのだ。困難であって、当然だろう。

 

 だがしかし、この悪鬼にしてみれば、多少面倒程度の問題だ。困難ではあっても、不可能などとは程遠いのだ。

 そうと分からせる様に、嗤いながらに一射を放つ。それは寸分違わず鋼の刃を撃ち抜いて、生じた爆風が青年と残る刃を飲み干した。

 

 

「――っっっ!!」

 

 

 咄嗟に盾へと身を隠し、レリックの魔力で障壁を生み出す。全能力を防御に回して、それでも盾に罅が入った。

 罅割れた黒い盾を掴んだまま、ユーノは大地へ落とされる。二度三度と地面をバウンドして、されど己の武器を手放す事はしなかった。

 

 此処でナンバーズを手放せば、その瞬間に終わると理解していたのだ。

 

 

「そら、死ぬ気で避けろよ」

 

「避けられないなら、死んじゃいなってね」

 

 

 空を劈く轟音と共に、続く第二射第三射。放たれると分かっていたから、落下の衝撃に苦しんでいる余裕もない。

 立ち上がる暇すらないから、そのまま大地を滑る様に前へと進む。黒く輝く盾を手に持ち、鬼に向かって地表を翔けた。

 

 

「モード・トーレッ! ライドインパルスッ!」

 

 

 速さが足りぬと言うならば、此処に第三機構を発動する。

 鋼を迎撃したと言うならば、届かせれば傷付けられると己を鼓舞する。

 

 痛む身体を引き摺って、大地を擦る様に滑走する。降り注ぐ砲撃を蛇行しながら回避して、必死の想いで射程内へと。

 この距離ならば届く。物理攻撃ならば防がれない。目の前に見えた巨木の様な足に向かって、ユーノは四つの鋼を打ち出した。

 

 

「残念。足りないわ」

 

 

 鬼に向かって飛来した刃はしかし、鬼の身体に届く前に止められる。その体表に、鋼の刃が刺さらない。

 だが、そんな事は予想出来ていた。故に展開した刃を対象に、既にもう一つを重ねていた。発動していた力は即ち、ナンバーズが第五の機能。

 

 

「消し飛べっ! ランブルデトネイターッ!!」

 

 

 鬼の体表直ぐ近く、止まっていた鋼鉄が爆発する。金属を爆発物へと変える五番目の力を以って、悪鬼の巨体を大爆発に巻き込んだ。

 元より、狙いはこの一手。飛ばしたブーメランだけでは火力が足りぬから、届いた瞬間に爆発させる。爆弾と言う名の質量兵器ならば、多少の手傷は負う筈だ。

 

 それは目論見――と言うより期待や希望の一種であろう。所詮は願望の域を出ない、策とも言えぬ程度の物。

 現状で出せる最高ダメージ。物理的な限界点すら届かなければ、真実為せる事が何もない。故にどうか傷付いていてくれと、そんな淡い期待は――

 

 

「だから言ったろ? 足りねぇってよ」

 

 

 やはり、届かない。煙の中から見える巨体に、手傷などは一つもない。両面悪鬼の随神相は、全くの無傷であったのだ。

 

 それも当然。今の宿儺は、時の鎧に守られている。天魔・夜刀が持つその法則は、眷属達に絶対の防御能力を付与していた。

 

 時間を停める。止まっているが故に、その領域で運動エネルギーは発生しない。爆発が起こったとしても、その爆発が何時まで経っても届かない。

 時間停止と言う絶対防御。超える為に必要なのは、それさえ無視する超火力か、無効化する様な異能の類か、或いは強制力に頼った力押しの何れか一つ。

 

 非魔導士用特殊兵装ナンバーズ。12種類の機能を合わせ持ったAEC兵器でも、時の鎧を抜ける可能性があるとするなら一つだけ。

 時間を停めるその防御を超える為に、鋼鉄の刃や質量爆発などではまるで足りていない。高密度エネルギーを集束させ、撃ち放つ魔力砲。イノーメスカノンのみであろう。

 

 だが、此処でこの両面の悪辣さが牙を剥く。己は神秘の恩恵を受けながら、他者の恩恵だけを消し去ると言う反則が此処にある。

 イノーメスカノンは魔力砲だ。そうでなくとも時の鎧を超える様な威力を出す為には、物理法則の範疇に留まっている様では足りぬであろう。

 

 されど物理法則を覆すと言う事は、誰しもが生きている世界に唾を吐くと言う様な物。

 異能もなく出来る様な事ではなく、だが異能に頼る様な反則行為を天魔・宿儺は認めない。

 

 

「それじゃ」

 

 

 故に無理なのだ。だから不可能なのだ。天魔・宿儺を打倒する術など、彼が望まない限り何一つとして存在しない。

 攻勢と言う面では確かに、先触れたる兄妹には劣るであろう。されど守勢においては比較にならない。彼の護りは完璧なのだ。

 

 故にこの瞬間は確定していた。この状況になる事は、端から既に理解していた。ユーノ・スクライアの手札では、天魔・宿儺を傷付ける事すら出来はしない。

 

 

「今度はこっちの番だよなぁ」

 

「――っ! ライドインパルスッ!!」

 

 

 両面宿儺がニタリと嗤い、その手の砲門を突き付ける。咄嗟にユーノは身を翻し、高速飛行を行使した。

 一発。二発。三発と、轟音と共に砲撃が放たれる。地形を変えて、雲を消し飛ばしながらに迫る脅威に、ユーノは必死で逃げ回る。

 

 逃げ回る事しか出来ていない。抵抗手段が一つもなくて、通る武器すら持ってはいない。そして逃げ回る事ですら、長く続ける事すら出来ない。

 

 

「はぁっはぁぁぁぁっ! どうしたどうした!? 逃げてばっかじゃ何の解決にもなんねぇぞ!?」

 

 

 単発式の大筒で、連射をすると言う異常。当たり前の様に物理法則を無視しながら、弾丸を雨霰の如くに放つ。

 一発でも地形を変えて、その砲撃の余波だけで膨大な衝撃波を放つ弾丸だ。それを二発三発、四発五発と容赦もせずに撃ち続ける。

 

 鼠を追い立てる様に迫る弾丸。余波だけでも吹き飛ばされるから、大きく避ける以外に道がない。

 飛行のコースを制限されて、辿り着く道は袋の小路。それを自覚しながらに、されど逃れる事など出来はしない。

 

 砲門が描くは直撃コース。弾道が辿る軌跡を予感して、ユーノは咄嗟に魔力を使って身構える。必死に構えた盾に向かって、その砲撃が着弾した。

 

 

「っ、ガァァァァァァァッ!!」

 

 

 展開した筈の魔力障壁が、込められた自壊の色に消し飛ばされる。魔力を引き剥がされた盾では、受け止める事すら出来やしない。

 余波だけで罅割れた大楯は、唯の一撃で砕かれた。僅かに残った部位を握り締め、そんな青年の身体も傷だらけ。空に浮かぶ術を失くして、ユーノは真っ逆さまに落下する。

 

 握り絞めたのは、盾の一部と動力源。残ったのはそれだけで、己の意識すら飛びそうな程に消耗している。

 何も出来ずに、何も為せずに、一方的に追い詰められた。そんな唯の人間は、霞む意識の中で見詰める。嗤い見下す鬼の視線、その瞳に浮かんだ己が落ちた場所。

 

 地形が変わる程に暴れた宿儺。鬼の号砲が更地に変えた周囲の中で、ぽっかりと浮かび上がったその異常。

 寂れて廃れた武家屋敷。瓦屋根に開いた穴を通って、ユーノはその中へと落ちていく。彼をその地へ誘導した鬼は、何処か詰まらなそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 風化して崩れかけた武家屋敷。それでも僅かに残った力の残滓が、この屋敷が崩れ落ちる事を退けている。

 そんな屋敷の瓦に開いた穴を通じて、落下したユーノ・スクライア。畳に叩き付けられて、余りの衝撃に悶絶した。

 

 口から血反吐が溢れる。何処かの骨が折れたのか、手足が歪つに、全身が熱を発している。

 痛みを感じる事は出来ない。完全に痛覚が麻痺する程に、呼吸すら儘ならぬ姿で、それでも彼は必死に耐える。

 

 耐えながら、手を伸ばす。握り締めて、取り零さなかったその欠片。盾の残骸を、強く強く握り締めた。

 

 

「……フィジカル、ヒール」

 

 

 魔法を消されたと理解した瞬間、咄嗟に抜き取ったその部品。何時か君の役に立つと、渡された後付け機構。

 レリックを動力源に、ナンバーズを動かす端子。これはそれ単独でも、多少の魔法が使える様に作られている。それを利用したのである。

 

 記録された三つの術式。その内の一つである治療魔法を、レリックの魔力を使って使用する。

 レリックが放つ淡い光に、傷口が癒えていく。その途中で痛覚が戻って、激痛に呻きそうになるが必死に歯を食い縛る。

 

 魔法では失った体力を取り戻すのは、正直に言って効率が悪い。

 そして三つの術式の内に、そんな効率の悪い魔法は入っていない。

 

 故にこそ、激痛を叫ぶと言う無駄な消費をしたくはなかった。

 

 

(だけど、どうすれば、良い)

 

 

 痛みに耐えながら思考する。痛いのは生きている証なのだと、己を鼓舞しながらに考える。必死に探るのは、勝利する為の道筋。

 至る結果を思い浮かべて、其処へと続く仮定を想像する。その為に先ず必要となるのは、現状の正しい認識。冷静な思考で、彼我の違いを確認する。

 

 

(相手の身体能力は、こっちの比じゃない。本気になれば、動いただけで人が死ぬ)

 

 

 基本となる能力値。己の性能が一桁の数字だとすれば、敵は三桁以上。間違いなく、話にならない大差である。

 銃を放てば地形が変わり、腕を振るえば嵐が起こり、足を踏み込めば地割れが起こる。そんな怪物を前にして、こちらは魔法頼りの半病人だ。

 

 そもそも比較になる筈がない。向き合っているだけですら、身体が震えて意識が潰れそうになる程。存在規模に格差があり過ぎている。

 

 

(対してこっちの手札は、全部届かない。魔力を用いた兵器は無効化されて、質量兵器じゃ時の鎧を超えられない)

 

 

 そして、手札も詰んでいる。持ち得る手札は、そのどれもが鎧を抜けない性能。蜂の一刺しは愚か、猫を噛む窮鼠にすらなれやしない。

 魔法も異能も無効化するのに、質量兵器すら通らない。太極と言う弱所を突かれない限り、天魔・宿儺に隙は無い。彼本人に太極を使う心算がなければ、真実その守りは完璧なのだ。

 

 現状を正しく認識し、そして思考する。幾つも幾つも脳裏に浮かべて、その対策を試行する。

 結果は言うまでもなく詰んでいる。何度も何度も考えた通りに、出来る事なんて何もない。ましてや、今の状況は最初のそれより悪化している。

 

 もうこの手には、友の形見(ナンバーズ)と言う武器すら残ってはいないのだ。

 

 

「あぁ、困った。本当に、打つ手がない、じゃないか……」

 

 

 どう考えても、この状況は覆せない。何を試そうとしても、何一つとして通じない。弱点を晒さない両面悪鬼は、無敵に等しい怪物なのだ。

 

 勝利の可能性があるのだとすれば、それは如何にかして太極を使わせた後に。用意していた対策は、その後で初めて形になるものばかり。

 人に焦がれる怪物ならば、無条件で使ってくれると思い込んでいた。相手が合わせてくれる事が前提にあったのだ。だからこそ、それに反する場合なんて考えてもみなかった。

 

 人間でしか倒せない怪物が、人間が届かない場所から一方的に攻めて来る。そんな状況で、怪物を倒す手段なんてある筈ない。

 ない答えなど、幾ら探そうと見付からない。最初から何処にもないのだ。ならば見付けられる筈がないのは当然で、否が応にも諦観の二文字が頭を過ぎる。

 

 諦めてばかりだ。諦めてばかりの人生で、何時も次善を探して来た。出来ない事は出来ないと割り切って、出来る中から最善策を模索する。

 

 それが青年が生きてきた在り様で、今更に変えられる事じゃない。だから次善を見付ける為に、先ずは思考を切り替える。

 出来ないと諦めた上で、倒れたままに顔を動かす。周囲を観察してみる事で、異なる何かを見付け出そうと言うのだ。そして彼は漸く、それに気付いた。

 

 

「これは、絵、か?」

 

 

 壁一面に、巨大な絵が描かれている。水墨画の様な筆遣いで描かれたのは、左と右で大きく異なる一枚絵。

 右に記されているのは――巨大な白蛇、黄金に輝く獣、稲穂の様な色の乙女、血の様に赤い刃を握った一人の男。

 

 その絵画を見た瞬間に、フラッシュバックする記憶。共有した知識の中に、確かに一致する物が存在していた。

 

 

「なのはが見た、あの景色。巨大な蛇と、黄金に輝く獣。守られる女が黄昏なら――抱き締めた男が、永遠の刹那」

 

 

 此処に記されたのは、在りし日に起きた戦いの記録。黄昏の女神を守る為に、共に戦った三柱の神こそが絵画の右に記されている。

 ならば左に記された、巨大な化外は一体何か。飢えた餓鬼を思わせる、大きく腹の出た怪物。三眼の化け物こそが、全ての元凶と言うべき邪神であろう。

 

 

「第六天波旬・大欲界天狗道」

 

 

 誰もが憎み、誰もが恨み、誰もが恐れたその怪物。恐れ戦きながらに、それでも戦わねばならない存在。

 今も神座世界の深奥にて、唯一人自閉を続ける六天魔王。描かれた絵に籠る鬼気を感じ取って、ユーノは唾を飲み込んだ。

 

 だが、其処で違和を感じる。見詰め続ける中で、そのズレに気付いた。

 見付けたのは、記憶にある光景と絵画の違い。何が違うのか、何故違うのか、疑問の答えは直ぐに出た。

 

 

「腕がない化け物。でも、あの記憶では、腕がないなんてなかった筈。……ああ、そうか。ないんじゃない。描けなかったんだ」

 

 

 恐らくは、この絵画を描いた人物は夜都賀波岐の関係者。敗軍の兵として、敗れた側であった者。

 だから、描けなかったのだ。此処に描くべき光景は、邪神に敗れたその景色。腕を描いてしまえば、其処まで描かなくてはいけなくなったから。

 

 

「神座の向こう。もう終わった戦い。何も出来ないって無力感は、今の状況に似ているのかな」

 

 

 寝転がったままに絵画を見上げて、ユーノは静かに思考する。当時の想いに僅か触れ、感じたのはそんな事。

 どうしても勝てなかった。何を考えても無駄だった。抗って、抗って、それでも敗れた果てが今ある世界。今も尚、抗い続けるこの世界。

 

 最強の邪神を前に感じる絶望感や諦観と、何も出来ないこの現状に感じる想いは同質だろうか。

 ふとそんな風に絵画を見上げたまま、感じたままを口にする。治療魔法の力が効果を終えて、言葉を語れる程にはその身は既に癒えていた。

 

 

「だったら、止まれない。立ち止まっては居られない」

 

 

 レリックに入った術式を、治療から身体補助へと切り替える。在りし日の想いに触れて、沸き立つ想いが胸にはあった。

 だから、身体を動かし立ち上がる。もう一度立ち上がって前を見る。まだ諦めるには早いのだろうと、既に心は知っていたのだ。

 

 状況を打破する手段は見付からない。現状を覆す術など分からない。詰んでしまったこの今に、確かに諦観を感じている。

 諦めてばかりだ。諦めてばかりの人生で、何時も次善を探して来た。出来ない事は出来ないと割り切って、出来る中から次善の策を模索し続けてきた人生だった。

 

 それが青年が生きてきた在り様で、今更に変えられる事じゃない。だから次善を見付ける為に、何時だって頭を捻り続けている。

 最善なんて掴めない。何時だって人生はこんな事じゃなかった事ばっかりで、それでも何も掴めない訳じゃない。

 

 諦め割り切り立ち止まる前に、未だ走り終えてもいないのだ。

 

 

「アイツは必死に走り続けた。この絶望を味わって、それでも次代に賭けたんだ。そう言う事を選べた奴が、僕が超えるべき敵なんだ」

 

 

 そうとも、彼の敵はそう言う男だ。全てが詰んだ状況で、それでも勝利を求め続けた。最期に勝ちを得る為に、決して諦めなかった男。

 

 今もまだ、諦めてはいない。僅かな可能性に全てを賭けて、勝利を目前にまで手繰り寄せた。そう言う男が、ユーノ・スクライアが超えなくてはいけない敵なのだ。

 

 なのにどうして、此処で立ち止まっている様で超えられる。全てを試して何も出来なかったからと、立ち止まってしまう様でどうして勝てる。

 勝利する為に、先ずは対等になる事。此処で諦めない事は大前提で、立ち上がる事は絶対条件。己が勝つのだと言う意志の下、青年は此処に前を見た。

 

 

「此処で蹲っていたら、対等になんてなれやしない。どんなに道がなくても、絶対に不可能だって思っても、それでも走り続けて、それで漸く対等なんだ」

 

 

 諦めは未だ変わらない。次善を目指す性質は揺らがない。そう簡単に変われる程に、彼の人生は軽くなかった。

 それでも、届かなくても最期まで前へと歩き続ける。苦行でしかない人生を、己で望んで生きていくと決めたのだから。

 

 

「だから、大丈夫。僕はまだ、戦える」

 

 

 そうして、立ち上がった彼は振り返る。何時から其処に居たのか、気付けなかったが気配は感じていた。

 故に振り返った金髪の青年は、その翡翠の瞳で彼女を見る。薄く透き通った少女は澄んだ瞳で、傷だらけの姿を見詰めていた。

 

 

「…………本当に?」

 

「うん。大丈夫。それに、さ――」

 

 

 青年の胸元にも届かない身長の、小さな少女が其処に居る。金糸の髪が風に靡いて、赤い瞳で見詰めている。

 助けは必要ないのかと、不安そうに見上げる瞳。そんな彼女に笑って返して、強がる様に口にする。それでも、それは唯の強がりなんかじゃない。

 

 

「君のお陰で、策が一つだけ思い付いたよ」

 

 

 今の自分に出来る事。今の自分で出来る事。友の形見をその手に握って、ユーノは確かに見付け出す。

 その瞳を見上げる少女は、澄んだ瞳で男を見詰める。その瞳に映っていたのは、あの嵐の日と同じ色の決意である。

 

 大切な人の為に、出来る事を探し出して、必死になって立ち向かった。

 そんな少年期の姿を色濃く残した青年は強がる笑みを浮かべたまま、金髪の少女に向かって問い掛けた。

 

 

「正直何が何だか分からないけど、色々聞くのは無粋だと思う。……それでも、一つだけ聞いても良いかな?」

 

「何?」

 

 

 青年の問い掛けに、少女は小首を傾げて問い返す。問うべき言葉の答えを、彼女が持っている保証なんてない。

 それでもユーノは、何となくだが理解していた。それは外れかけたが故の直感の様な物であったのかもしれないし、或いは唯の錯覚だったのかもしれない。

 

 唯一つ、確かな事は――ユーノが問い掛けた言葉の答えを、生まれる前の少女は確かに知っていた。

 

 

「今、なのはが何処に居るのか分かるかい?」

 

「……あっち。なのはは不二に居る」

 

 

 少女が指差したのは北西の方角。霊峰不二の膝元で、彼女達は今も激闘を続けている。

 その事実を聞いたユーノは、一つ頷き感謝を言う。少女と目線を合わせる様に、彼女の名を此処に呼んだ。

 

 

「そうか。ありがとう。――フェイト」

 

 

 名前を呼ばれて、フェイト・テスタロッサは目を丸くする。覚えていたんだと、驚いた後に小さく笑った。

 どういたしまして、と。はにかむ様に微笑む少女に、ユーノも笑って言葉を返す。己の勝機を教えてくれた彼女へと、強い瞳で口にした。

 

 

「君がどうして、此処に居るのか分からない。君に何が起きているのか、僕は知らない。それでも、何となく分かる事はある。だから、僕は君にこう伝えよう」

 

 

 どうしてフェイト・テスタロッサが此処に居るのか、ユーノ・スクライアには分からない。

 死者が此処に居られる理由が分からないし、今の彼女が何で在るかも分かっていない。それでも、一つだけ、分かる事があった。

 

 それは、この少女が此処に来た理由。己の仇を前に、介入して来た理由。それを少女の瞳を見て、ユーノは確かに理解した。

 フェイト・テスタロッサは恐れているのだ。彼女を殺した天魔・宿儺を、あの無敵と思える怪物を、その存在を怖がっている。

 

 だから、そんな彼女に伝える事。勝利への道筋を見せてくれた彼女に向けて、ユーノが伝えるべき言葉はそれだけしか存在しない。

 

 

「アイツは僕が倒す。君達の仇は、此処で終わる。だから――安心して生まれておいで」

 

 

 どうして最後にそんな言葉を付け加えたのか、自分でも良く分からない。口にして初めて、彼女は未だ生まれてないのかと納得した程。

 それでも、言葉に嘘はない。生まれていないと言うのなら、彼女が生まれる前には終わらせる。夜都賀波岐との戦いは、己達が此処で終わらせるのだ。

 

 

「うん。分かった」

 

 

 言葉と共に背中を向ける。その身体は傷だらけだけど、それでも何より大きいと思える漢の背中。

 フェイトは想う。まだ産まれていない奇跡の双子。その片割れは確かに想う。■■■■が、この人で良かったと。

 

 この記憶は残らない。生まれる時には、無色となろう。それでも、素直にそう想えた。

 だから少女ははにかむように、微笑みながら言葉を掛ける。戦場でと向かう青年に、伝えるべきは唯一言。

 

 

「頑張ってね」

 

「ああ、頑張って来るさ」

 

 

 半透明の少女は薄れて、在るべき場所へと戻って行く。大きな背中を見送りながら。

 大きな背中を持つ青年は、壊れた盾の残骸を握って進んで行く。勝機は此処に見付けたから、今更諦める事などない。

 

 踏み込み、踏み出し、進んで行く。そうして彼が、己の戦場へと戻ろうとしたその瞬間に――轟音が響いて、武家屋敷が消し飛んだ。

 

 

「……はっ、まだ産まれてもねぇ餓鬼が、茶々入れてくんじゃねぇよ。白けるだろうが」

 

 

 瓦礫の山と化した屋敷を前に、胡坐を掻いた男は嗤っている。手にした銃口からは、硝煙が音もなく噴き上がる。

 ユーノが飛び出すより前に、両面宿儺は屋敷を消し飛ばした。嘗ての同胞が遺した色を消し去って、嗤う男の行動は本意と言う訳ではない。

 

 それでも、心底から気に入らないモノが目に映り込んだ。そんなモノが、この戦いに介入する事など許せない。これは己と、再び己の敵になるかも知れない漢との決闘なのだから。

 

 

「大人しくお母さんのお腹の中に帰ってなさい。……特別な生まれだからって、生きてない子が出て来て良い場面じゃないのよ」

 

 

 既に死んだと言うなら、大人しく死んでいろ。まだ産まれていないと言うならば、出て来るには早過ぎる。

 これは己が認めて、打ち破った敵が、己への挑戦権を再び得る為の大一番。そんな舞台に割り込んで、手垢を付ける事など許しはしない。

 

 故にこそ、両面宿儺は力を放った。号砲で嘗ての残滓を消し飛ばし、同時にその介入を防いだのだ。

 これ以上引っ掻き回される前に、奇跡の子供を消し飛ばす。消せたのは触覚だけで、大本は消せていない。それでも、脅しには十分だろう。

 

 アレがこれ以上、この戦場に関わって来る事はもうないだろう。ならばそれで十二分。

 屋敷の倒壊に巻き込まれた青年も居るが、それで死ぬならその程度。そう切り捨てて、天魔は嗤った。

 

 

 

 

 

 崩れ落ちた屋敷の中で、古き絵画が炎と燃える。燃え去り散って行く中に、二つの赤が場を染める。

 衝撃が引火したのか、燃え上がる炎の赤。青年の傷付いた身体から、溢れる血の赤。瓦礫の山に潰されて、ユーノは血反吐を吐き捨てた。

 

 それでも、まだ諦めない。傷を癒しながらに、前へと進む。立ち上がる事が出来ないから、這って前へと進んで見せた。

 

 

(見っとも無くても、足掻け)

 

 

 傷を癒す為の魔力は、それこそ山と言う程に残っている。レリックの内蔵魔力量は、ロストロギアの中でも最大級の一つである。

 だから、また直ぐに立ち上がれる様になる。そうなる前に、次弾を撃たれればそれで御終い。そうと知るからこそ、少しでも先へ。足掻く様に這って進む。

 

 地を這って進む。瓦礫の中を隠れる様に、鼠の如く浅ましく進む。気付かれたら終わりだから、それより前にと少しでも前へと進み続ける。

 

 

(泥臭くても、生き残れ)

 

 

 血が流れる。意識が遠のく。この今に生きている事すらやっとであって、だがしかし其処で一つ疑問に思う。

 この今の己は、果たして生きているのであろうか。両面鬼が砲撃によって屋敷が瓦礫の山に変わって、その内に居た己がどうして生きていられるのか。

 

 其れは或いは、世界から外れ掛けているからなのかも知れない。解脱に至り掛けているから、法の影響を強くは受けていないのか。

 其れは或いは、死を拒めたのではないのかも知れない。既にユーノは二度三度と死んでいて、なのはの呪詛(アイ)で蘇生しただけなのかも知れない。

 

 其処まで考えて、どうでも良いかと苦笑した。この今に考える頭があって、這い摺る形であっても動ける身体が残っている。ならば、それが全てであるのだ。

 

 

(耐えろ。耐えろ。痛みに耐えて、あの場所へ)

 

 

 目指すは不二。遠く遠く、這い摺り進む青年にとっては、気が遠くなる程に遠い場所。

 少しでも、其処に近付く必要がある。勝機を手にする為には、高町なのはの協力が必要なのだ。

 

 フェイトを見て、あの絵画を知って、思い描けたその策謀。この状況を打破する鍵は、愛する女の下にある。

 其処まで考えて、苦笑した。何時だって、己は助けられてばかり居る。そう自覚して、ユーノ・スクライアは笑って進んだ。

 

 

(一人じゃない。なら、進めるだろうさ。なら、歩けるだろうよ)

 

 

 武器は友がくれた物。身体で守った残骸こそが、切り札足り得るジェイル・スカリエッティが遺した物。

 策は少女を見て気付いた事。フェイトが倒れた時の庭園。其処で起きようとしていた一つの事象が、ユーノの策の根幹だ。

 

 そして胸に消えない想いは、今も進み続ける事が出来る力は、愛する人がくれた物。

 高町なのはが居る限り、強く在ろうと想い続ける。彼女の愛があればこそ、己は今も生きていられる。

 

 

(唯――)

 

 

 だから、痛みに耐える。必死に耐えて、立ち上がる。立ち上がって、前を見詰める。

 一歩を、強く踏み締める。二歩目を、更に強くと踏み込み進む。三歩目で、飛び出す様にユーノは駆けた。

 

 

「進むんだっ!!」

 

 

 走り出す。瓦礫と化した屋敷を抜けて、更地となった箱根を駆ける。一歩でも先へ、一歩でも前へ、不二を目指して男は走る。

 

 

「……へぇ」

 

 

 されど瓦礫の中を抜け出したと言う事は、隠れ潜む為の盾を失くした事と同意義だ。

 大地を駆ける青年の速度は、両面から見れば欠伸が出る程に遅い物。必死の行動ですら、一歩の動きで踏み潰せる。

 

 そして、両面悪鬼にそれをしない理由がない。故に天魔・宿儺は大きく跳んだ。

 

 

「よぉ、久しぶりだなぁ」

 

「――っ!」

 

 

 必死に進むユーノの目指す先へと、たった一歩で先回りする事が出来る。それ程に、彼我の断絶は絶対だ。

 不二への道を阻む様に、両面宿儺が立ち塞がる。道端に屯する不良の如く、しゃがんで嗤うその姿。乗り越える手段は、何もない。

 

 

「何か考え付いた様だが――その策が形になる前に、全力で踏み潰してやるよ」

 

「じゃあね、バイバイ。優等生くん」

 

 

 そして、嗤う鬼は手にした大筒を青年へと向ける。油断も容赦も其処にはない。

 突き付けられた砲門。一寸後に引かれるだろう引き金は、確実にユーノの命を奪うであろう。

 

 だと言うのに、ユーノ・スクライアは笑みを浮かべて見上げて居た。

 

 

「……相変わらず、僕は助けられてばっかりだ」

 

「あ?」

 

 

 突き付けられた死を前に、笑って口にした言葉。前後の脈絡など欠片もない発言に、気が狂ったかと邪推する。

 されど、そんな妄想は悪鬼自身が嗤って否定する。己の敵であった敗北者は、狂気と言う手段に逃げる様な男じゃないと知っている。

 

 ならば、そう。その発言には、その浮かべた笑みには、確かな意味が必ずあるのだ。

 

 

「昔はそれが情けなくて、今は――そうだね、少し違う」

 

 

 何を言っているのかと疑念に抱いて、何かあると確信して、その直後に天魔・宿儺は感じ取る。

 吹き付ける風。不吉を纏った気配。今の己ですら殺されると、そう直感する程に強烈な死の気配に彼は気付いた。

 

 

「――っ!? コイツは、黒甲冑の太極かっ!?」

 

「近付いているっ! 何で!? まさかっ!!」

 

 

 近付いていたのは、青年だけではない。愛した女の下へと向かおうとした彼と同じく、彼が愛した女も彼を目指して移動していた。

 陰陽太極。彼らの魂は繋がっている。青年の窮地に女が気付かない筈がなく、彼が思い浮かべた策の成就に手を貸さない筈もない。だからこそ、この結果が此処に在る。

 

 高町なのはが、天魔・大獄を圧している。愛する人の下へ向かう為に、その太極の内側から彼の神体を箱根に向かって吹き飛ばしたのだ。

 

 

「助けられる事が悪いんじゃない。助けられたことに、全力で応えられない事が格好悪いんだ」

 

 

 迫って来る死の気配。濃密な終焉の波動。陰陽太極とぶつかり合って、世界そのものが揺れている。

 法則と言う色で他を染める。色を無数に塗った画用紙が耐え切れず破れる様に、世界が悲鳴を上げている。

 

 覇道と覇道の競い合いに比すれば遥かに遅いが、それでも穴が開きそうになる程の力のぶつかり合い。

 世界の壁が曖昧となり、特異点が生まれ掛けるこの境界。それこそがユーノ・スクライアが求めた、たった一つの対抗策。

 

 

「なのはに感謝を。君が居たから、僕は戦える」

 

 

 慈愛の色を瞳に浮かべて、近付いて来ている女を想う。

 愛する人に貰った想いを胸に腕を掲げて、ユーノはその手にレリックを強く握った。

 

 

「ジェイルに感謝を。君の智慧は確かに、僕の助けになってくれた」

 

 

 取り付けられた機械を介して、第三番目の術式を起動する。

 一つ目が身体補助。二つ目が肉体治療。そして最後のそれは、ジェイル・スカリエッティの研究成果。

 

 ある一つのロストロギアを、魔法で再現しようと言う試み。その挑戦の果てに完成した、それが最後の切り札だ。

 

 

「さあ、これが最後の術式だ。壊れる程に輝けっ! イミテーション・ジュエルシードッッッ!!」

 

 

 模倣したのは、願いを叶えると言う宝石。その万能性故に、最後の切り札と伏せた物。

 掲げたレリックに術式を打ち込み、最大出力で暴走させる。高く高く掲げた光が、齎す結果はたった一つ。

 

 

「え? はっ? うっそでしょっっっ!?」

 

 

 女の相が驚愕に染まる。あり得ない。あり得て良い筈がない。そんな最悪なその方法。

 こんなにも神座に近い世界で、こんなにも世界が揺らいでいる状態で、ジュエルシードなどを暴走させればどうなるのか。

 

 悪童の笑みを浮かべた青年は、全て分かった上でやっているのだろう。それがどうしても、本城恵梨依には理解出来ない事だった。

 

 

「はっ、やってくれたなぁ! おいおいおいおい、そりゃねぇだろうがっ!? ってかお前、俺よりキまってんじゃねぇよっ!!」

 

 

 同じく驚愕を口にしながら、何処か楽しそうに笑うのは男の相。全く予想外だった行動だが、成程考えてみれば実に道理だ。

 絶対に勝てない敵を前にして、それでも勝たなくてはいけない時。その状況を引っ繰り返す為には、敵の敵をぶつければ良いのは当然なのだ。

 

 それでも、そんな発想が出なかったのは、それがあり得ぬ事だから。そう決め付けていた己の想像力が負けたのだと、遊佐司狼は腹を抱えて笑っていた。

 

 

『波旬を呼び込むとかっ!? イカレ過ぎだろ(でしょ)優等生っ!?』

 

 

 あの日、PT事件に天魔達が介入して来た理由は、ジュエルシードが神座世界への道を開いてしまうから。

 ならばそう、あの日よりも神座に近い場所で、あの日よりも揺らいでいる状況で、暴走させれば道は必ず開けるだろう。

 

 ジュエルシードが穴を開ける。その開いた道を通じて、求道神達のぶつかり合いの余波が神座に届く。

 そうなれば当然、彼の邪神は気付くであろう。この世界を認識して、動かない筈がない。ユーノの一手をこのまま通せば、波旬が必ずやって来る。

 

 それを望まないと言うならば――

 

 

「それが嫌なら、さっさと太極開けよっ! 不良共っ!!」

 

 

 穴が開く前に、レリックの暴走を防ぐ他に術はない。

 そしてその暴走を防げる手札を、天魔・宿儺は一つだけ持っている。

 

 故にこそ、二者択一だ。太極を使うか、波旬の召喚を許すのか、ユーノが突き付けたのはその二択。

 

 

「波旬が来れば、僕もお前も死ぬ。被害はそれで終わりだ。……この位置取りなら、なのはより先に大獄がぶつかる」

 

 

 記憶を見て知っている。彼の三眼の邪神は、既に渇望を果たしている。奇形嚢腫を失くした神は、その力を大きく落としている。

 そして、夜都賀波岐。天魔・大獄が切り札を隠している事にも気付いている。それを目の前で見せられ掛けたのだ。ユーノが気付けぬ筈がない。

 

 その切り札は、恐らく彼の異能の上位互換。間違いなく格上にも通じる切り札。そうと予測すればこそ、今の邪神にならば通ると確信する。

 そして同時に、通りはするが唯では済まないだろうと予測する。如何に弱体化しているとは言え、嘗て三神を滅ぼした存在だ。唯では滅ばず、大獄を道連れにする筈だ。

 

 

「僕ら三人の命と引き換えに、波旬は倒せる。なら、後は――なのはがトーマを救い出して、僕らの勝ちだ」

 

 

 故にどちらを選ばれても、ユーノにとっては問題ない。この状況に追い込めた時点で、ユーノ・スクライアは既に勝利していた。

 

 

「だから、選びなよ。自分が負けるか、夜都賀波岐が全滅するかをさ!」

 

 

 太極を使えば、天魔・宿儺は己の決めたルールに反する。己で負けを認める結果となるであろう。

 太極を使わなければ、確かに負けはしないのだろう。それでも、夜都賀波岐は全滅する。その企みは、水泡に帰すのである。

 

 ならば、彼が何を選ぶのかは明白だ。如何なる屈辱も飲み干して、求めた結果が覆されるなど許せない。これ以外に、選択肢などは存在しなかった。

 

 

「アセトアミノフェンアルガトロバンアレビアチンエビリファイクラビットクラリシッドグルコバイ」

 

 

 青い光を天へと投げて、大地に倒れて転がるユーノ。身体補助が失われ、半病人へと戻った姿。

 それを高みから見下ろしながら、よくもやってくれたと笑ってみせる。そうして負けを認めた天魔・宿儺は、ここまでされると逆に清々しいと笑いながらに咒を紡ぐ。

 

 

「ザイロリックジェイゾロフトセフゾンテオドールテガフールテグレトール」

 

 

 邪神の降臨から、夜都賀波岐の全滅。結果として残ったなのはに、助け出されたトーマが流れ出す。

 そんな形での新世界など、宿儺は望んでなどいない。訪れる結果が変わらないのだとしても、過程こそが重要だ。

 

 夜都賀波岐は超えられなくてはならない。次代の神が波旬を倒せる様にならねばならない。

 古き者らを相討たせる様な策で、他者を嵌る様な形の解答で、全てに納得する事など断じて出来やしないのだ。

 

 

「デパスデパケントレドミンニューロタンノルバスクレンドルミンリピトールリウマトレックエリテマトーデス」

 

 

 故にこそ、天魔・宿儺はそれしか選べない。敗北する事しか選択できない。

 そんな状況へと叩き込まれた。その事実に先ずは見事と、笑いながらに受け入れる。

 

 その上で、宿儺は笑みを嗤みへと変える。この男を再び己の敵と認めて、だからこそ嗤う。

 己に一度勝利したからと言って、それで決着と言う訳ではない。対等になったと認めたからこそ、次なる試練が牙を剥く。

 

 

「ファルマナントヘパタイティスパルマナリーファイブロシスオートイミューンディズィーズ」

 

 

 一体何度、死を迎えた。一体何度、蘇生したのだ。一体どれ程、今のお前は壊れているのか。

 其れはこの太極の内側で、ユーノ・スクライアが生存できるのか。高町なのはの呪詛(アイ)がなく、生きていられるかと言う問題点。

 

 そして、もう一つ。今の生かされている彼が、真面目に生きていると認められるかと言う点。生き延びるだけでは、展開させた意味がないのだ。

 

 

「アクワイアドインミューノーデフィシエンスィーシンドロォォォム」

 

 

 その疑念に、宿儺自身も答えを出せない。己の敵が真面目に生きている存在なのか、彼ですら答えが出せない。

 だがそれも、太極を開いて見せれば答えが出る事。己の心に嘘は付けない。自身の法は偽れない。故に宿儺は、己の宙に判断を委ねる事にしたのである。

 

 この世界で青年が生き延びて、己が弱体化したのなら――彼は確かに真面目に生きている。そう己の心が認めた結果と言えるのだから。

 

 

「太極――無間身洋受(マリグナントチューマ―)苦処地獄(・アポトーシス)

 

 

 さあ、試してみるとしよう。生きているのか、生かされているのか。

 

 幾何学模様の宙が広がり、大地に倒れた半身不随の要介護者を取り込んだ。

 

 

 

 

 

 途端に身体が重くなる。全身から体温が薄れていき、肌が青白く染まって行く。

 寒い。痛い。苦しい。異常を発する身体は治らず、己を生かしていた女の想いが抜け落ちる。

 

 こんなにも苦しいのならば、生きてなど居たくはない。こんなにも痛いのならば、今直ぐにでも死んでしまいたい。

 そう想いながらも、それでも必死に歯を食い縛る。指を一本ずつ動かして、動く部位を確認する。そうしてユーノは、強く叫んだ。

 

 

「っ、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 己を鼓舞する為に、雄々しく叫んで拳を握る。肺が動く事を確認すると、横隔膜を震わせる。

 不随意筋を振動させて、痙攣を意図的に起こさせる。引き攣る筋が勝手に動いて、繋がる部位が自然と震えた。

 

 少しずつ、少しずつ、一つ一つと動かしていく。そうして、まるで縮こまる様に、倒れた五体で蹲る。

 指先に土を握り締めながら、蹲った状態から身体を動かす。倒れ込みそうになりながら、それでも足で踏み締めた。

 

 

「生きている」

 

 

 踏み出し、踏み込んだ足で立ち上がる。その振動を殺せずに、よろめきながらも踏み止まる。

 二足の脚で確かに立って、握り拳で構えを取る。視線を動かすだけで感じる激痛に、耐えながらユーノは吠えた。

 

 

「僕はまだ、生きているっっっ!!」

 

 

 高町なのはの呪詛(アイ)が無くても、ユーノ・スクライアは生きている。

 それが答えだ。太極と言う世界は嘘を吐かない。天魔・宿儺の目の前に居る男は、確かに己の足で生きていた。

 

 

「これで一勝一敗。さぁ、最終ラウンドだっ! 天魔・宿儺っっっ!!」

 

「は、ははは、ははははははっ!!」

 

 

 そして、同時に理解する。随神相が消えている。鬼の身体能力が、既に失われていたのである。

 そうとも、心が既に認めていた。この目の前に居る強敵は、誰より真面目に生きている。己が信じる、確かな人間であるのだと。

 

 故に天魔・宿儺は笑っている。こうでなくてはいけないと、これでこそだと、心の底から呵々大笑と笑っていた。

 

 

「ああ、そうだな。やろうか、俺の敵(ユーノ)。此処から先が本番だっ!」

 

 

 飛び跳ねて踊り出しそうな程に、心底から楽しそうに笑って走り出す遊佐司狼。

 そんな男に付き合っては居られないと、本城恵梨依は一歩を退く。此処から先は男の世界であろうと、女は瓦礫の上に腰掛けた。

 

 幾何学模様の宙の下、終焉の世界を遠ざけながらに司狼は嗤う。女物の着物を風に靡かせながら、ユーノに向かって殴り掛かる。

 その技の冴えは正しく至高の絶技。天衣無縫の襲撃は、柔らの極みと言うべき物。今にも倒れそうな青年を前に、拳を緩める事などない。

 

 此処で倒す。此処で潰れろ。歓喜と殺意の混じった拳が、ユーノの顔を打ち貫く。――その瞬間、司狼は腹に重い衝撃を感じていた。

 

 

「っ! は、ははっ!」

 

 

 今にも倒れそうな程にふらついた身体から、出されたとは思えない程に重い衝撃。殴られた筈のユーノが其処に踏み止まって、その拳を放っていた。

 腹に感じる鈍い痛み。余りに重い打撃を受けて、青痣となった腹を摩る。痛みと驚愕に怯んだのは一瞬で、笑みを浮かべた司狼は再び天衣無縫の業を示した。

 

 華麗に舞う蝶の如く、或いは美しく流れる川のせせらぎが如く、柔らの極みは最早芸術と言うべきもの。

 そんな美しさを伴った脅威を前に、ユーノは唯只管に不動。その一撃を身体で受けて、骨を断つ様な一撃を此処に撃ち返した。

 

 

「はは、はははははっ! ははははははははっ!!」

 

 

 笑う。笑う。笑ってしまう。それ程に、この動きは遊佐司狼の見知った物。

 肉を切らせて骨を断つ。剛の極みと言うべき拳は、紛れもなく己の対となる男の体技だ。

 

 

「そいつは――黒甲冑の動きかよっ!」

 

 

 ユーノ・スクライアは半身不随の半死人。真面に動くだけでも、身体が悲鳴を上げる程に弱っている。

 そんな彼が、司狼を打ち破る為に用意していた切り札。其れこそ、天魔・大獄の動き。既に死んでいる筈の男が見せた、最小限の動きで最大の成果を得る為の方法だ。

 

 

「一体どんだけビックリ箱だっ! どうやって、覚えたって言うんだよ!?」

 

「別に……あんなに散々、殴られたんだ。あれだけ受ければ、身体が勝手に覚えてくれるさ」

 

「そう言うもんでもねぇだろうによっ! はっ、ほんっとイカレてるよ。良い意味でなっ!!」

 

 

 最強の天魔が示したその剛拳は、あの地獄の中で瞳に焼き付けた。

 目に焼き付いた光景を、脳裏で描き続けていた。実際の動きとの誤差は、この今に修正し続けている。

 

 最初は一撃を受けてからではないと、真面に攻撃も当てられない程度の芸当。

 それでも何度も何度も繰り返し、修正しながら近付いていく。目に焼き付いた死者の剛拳を、今この場にて習得していく。

 

 一歩で脂汗を滲ませながら、腕を振るう動作だけで吐きそうになりながら、それでもユーノ・スクライアは近付いていた。

 

 

「焼けるねぇ。腹立つぜ。俺の敵だぞ。俺の敵なのに。ほんっと、あの黒甲冑は腹立つよなぁっ!」

 

「お前の戦い方は、天才型過ぎて、参考にならないんだよ」

 

「ははっ、悪いなぁっ! 才能に恵まれ過ぎててよぉっ!!」

 

 

 されど、その速度は凡庸の域を出ない。されど、対する男は数億の研鑽を抱えた天才だ。

 時間も才能も届かない。拮抗出来たのは一瞬で、殴り合いは一方的な形へ。青年の身体が宙に浮いた。

 

 

「だが、舐めるなよ。一体何年、俺が野郎の動きを見てきたと思ってやがるっ!」

 

 

 大振りのアッパー。まるで獣の様な動きだが、それが余りに滑らかで美しく映る。柔らの極みとはそういうもの。

 自然体で放った一撃が、無形ままに武芸の境地と化すのだ。型に縛られない以前に、そもそも型を知らないからこそ縦横無尽に暴れ回る。

 

 それでも、一手一手が実に理に適っている。何千何万と考え尽くした流派の型を、司狼はその場の直感だけで上回るのだ。

 紛れもなく、彼こそ戦の天才。武における才覚のみを語るなら、大獄ですら届かない。そんな高みに、唯の猿真似だけでは届きはしない。

 

 

「猿真似レベルに過ぎねぇなら、ぷちっと潰すぜ秀才児っ!」

 

 

 ならば、そう。勝利を望むなら、此処で習得した力を己の物にするしかない。

 終焉の拳を習得して、嘗ての己の体技と混ぜ合わせる。受け継いだ物を確かな形へ、此処で司狼を超えるのだ。

 

 

「積み重ねる事なら、天才(オマエ)にだって負けるもんかっ! 直ぐ様追い付いて、そのまま追い越してやるよっ!!」

 

 

 殴られる度に、込み上げて来る異物。喉が焼ける様な痛みに、肺が引き攣る様な痛み。無理な動きに、全身が悲鳴を上げている。

 それでも、やってみせるしかない。泥臭く足掻いて、何処までも喰らい付いて、手にした物を確かな形で結実させる。それ以外に勝機はないのだ。

 

 殴られながらに思い出す。それは拳の握り方。腕の振り方。足の踏み込み。呼吸の仕方。

 ストライクアーツを、永全不動八門一派・御神真刀流を、終焉の拳を、己の中で混ぜ合わせる。

 

 出来ないなんて言いはしない。出来ないならば出来る様になるまで、喰らい付いてでも続けて見せれば良いのである。

 

 

「ああ、そうだっ! その息だ! やって魅せろや俺の敵っ!!」

 

 

 最初は意表を付いて、それでも肉を切らせて骨を断つのが限界だった。

 次には動きを見抜かれて、殴った拳が当たらない。一方的に追い詰められた。

 

 そして今、その成果はまだ薄い。決めた学んだ出来ましたと、そう直ぐ出来る程の才はない。

 それでも、全くの無駄と言う訳ではない。進歩が一歩もない訳じゃない。少しずつ、少しずつ、その高みに近付いている。

 

 三度に一回、拳が当たる様になってきた。五回に一度、拳を防げる様になってきた。

 ほんの少しずつ、身体が動き始めている。ほんの少しずつ、今の身体に適した型に変わってきている。

 

 牛歩の様に遅い速度ではあったのだが、それでも確かに――ユーノ・スクライアは成長していた。

 

 

「おい、気付いたかよ?」

 

「な、にがだっ!」

 

 

 故にこそ歓喜を頬に張り付けながら、遊佐司狼は敵へと問うた。誰より真面目に生きてる彼の敵は、脂汗を流しながらに問い返す。そんなユーノの言葉に、司狼は更に笑みを深めた。

 

 

「気付かないか? 気付けないよなぁ。ああ、そうさ。それで良い。それでこそ、そうでなくちゃぁいけねぇなぁ」

 

「だから、何がだって、言ってんだよっ!」

 

 

 勝手に納得して、勝手に笑うその身勝手さ。怒りを吐き捨てる様に、ユーノ・スクライアは拳を振るう。

 重戦車の如き重さと、目にも止まらぬ速さを伴った拳。鋭い拳が打ち込まれ、司狼は笑いながらに一歩を下がる。

 

 二回に一度は受ける様になった確かなダメージ。だが、だからと言ってそれで倒れる筈がない。

 ユーノが異常な精神力で喰らい付くなら、己も負けるかとより燃え上がる。そんな司狼は、過酷な現実を突き付けながらに笑い飛ばした。

 

 

「お前の女、終わったぜ?」

 

「……え?」

 

 

 一瞬、何を言われたのか理解が出来なかった。天衣無縫に殴り飛ばされ、痛みと共に理解する。

 血が流れた事で、頭が冷静になったのか。動揺を内心に隠して、それでも隠し切れない青年は天魔を睨んだ。

 

 

「策士、策に溺れるって言うがよ。コイツは正しく、そう言う状況だ」

 

 

 何故にお前が分かるのかと、そう問い掛ける瞳に返す。それは極めて単純な、分からない筈がない答え。

 

 

「お前、アイツらを俺に近付け過ぎたんだよ。一体どういう手品を使った訳か、お前の女は黒甲冑の決闘場を打ち壊しやがった。……その所為で、お前の女は、俺の太極に飲み込まれたのさ」

 

「――っ!?」

 

 

 太極とは、天魔にとっては身体と同じく。己の体内に異物が紛れ込めば、気付かない道理が存在しない。

 これは間違いなく事実。嘘偽りなんてないと、問い質すまでもなく理解する。高町なのはが大獄の宙を壊した結果、この宇宙に飲まれたのだと。

 

 

「それがどういう事なのか、言われなくても分かるよなぁ!?」

 

 

 動揺に凍ったユーノの身体を殴り飛ばしながら、遊佐司狼は嗤って告げる。

 高町なのはにとっての天敵。決して勝てない存在こそが、この天魔・宿儺であるのだ。

 

 

「人の振りした求道神。そんなモノ、俺は人間だなんて認めねぇっ!」

 

 

 ユーノの身体を蹴り飛ばして、遊佐司狼は此処に告げる。

 己は決して、あの女を認めない。この宇宙は高町なのはにとって、必ず毒であり続ける。

 

 

「人間に成りたがってる腐れ神っ! あの女は自ら望んで、俺の法則に嵌っちまうっ!」

 

 

 そして、高町なのはの願いは人になる事。素晴らしい人に成りたいと、そう願うからこそ嵌ってしまう。

 神が人間の振りをするな、人になってしまえ。そう呪う法則を、彼女の心は福音として受け止めてしまうのだ。

 

 それは理性でどれ程に抑えようと、決して覆せない感情。心の底から飢え乾く程に、求めて狂するとはそういう事だ。

 

 

「あの黒甲冑の目の前で、俺の太極に飲み込まれた。その意味が、分からねぇとは言わせねぇぞっ!!」

 

 

 大獄の宙を破壊出来たとは言え、その求道神を打ち破ったとは言え、それだけであの大天魔が滅び去る筈がない。

 両翼とはその域には非ず、故に天魔・大獄は存在している。そんな彼の目の前で、一瞬だろうと人間になってしまう事。それが致命的な隙なのだと、天魔・宿儺はそう告げる。

 

 殴り飛ばされ、蹴り飛ばされて、それでも立ち上がったユーノ・スクライア。

 そんな男に向かって、もうお前の女は死んでしまうぞと、嗤いながらに司狼は拳を振った。

 

 

「……退け」

 

 

 頭を撃ち抜く様な拳を、その額で受け止める。回避も防御も行わず、血を流しながら睨み返す。

 一歩も退かず、痛みも見せず、口にしたのはその一言。行かなくてはいけない場所があると、その瞳が強く男を射抜いていた。

 

 

「はっ、退く訳ねぇだろ?」

 

 

 己のミスで、窮地に陥った愛する人。ユーノはその事実を知って、黙っていられる男じゃない。

 だからこそ、今直ぐにでも駆け付けたい。この太極を叩き潰して、彼女の下へと駆け付けなくてはいけない。何の役に立てないとしても、そうしなくては己が許せないのだ。

 

 そんな意志の籠った瞳に、されど男は嗤って返す。返り血を浴びた拳を拭って、平然と嗤い飛ばした。

 

 

「其処を退けぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

「退かせてみろや。なぁ、優等生っ!!」

 

 

 殴る。殴る。一歩踏み込み殴り飛ばす。手傷も痛みも関係ない。

 死ぬ程に痛い身体も、吐き気がする程に感じる不快さも、意識が飛びそうになる眩暈も全てどうでも良い。

 

 取るに足りない。生きているのだ。ならばそれが全てで、それ以外など取るに足りない。

 取るに足りない。彼女を助ける為に駆け付けるのだ。ならばそれが全てで、それ以外など取るに足りない。

 

 その動きは退化している。型を忘れて、己の身体の状況も考えず、ペース配分なんて忘却の彼方だ。

 比較すれば、先の方が遥かに洗練されている。それでも、脅威と感じるのは今だ。遊佐司狼は、ユーノの拳をそう感じていた。

 

 

(ああ、そうだ。それで良い)

 

 

 想いが違う。強さが違う。覚悟が違う。宿敵に勝つ為よりも、女を守る為にこそ、ユーノはそう言う男であった。

 

 愛する女の下へ行く為、お前が邪魔だ。愛する女の脅威となっている、この太極が邪魔なのだ。

 そうと言わんばかりの瞳は、先と違って司狼に勝つ事を目指していない。それは手段に過ぎぬのだと、何処までも揺らがない瞳が此処に告げていた。

 

 

(俺らは所詮敗残兵。邪魔な障害物など取るに足りぬと、乗り越えていくべき障害だ)

 

 

 そんなある種見下す様な色を前にして、見縊る様な想いと向き合って、それでもそれで良いと笑ってみせる。

 そう言う形で超えられて、そう言う形を前に敗れ去る。そんな結果こそを、何億年も待ち続けた。だからこそ、それで良いと笑ってみせた。

 

 

(惚れた女を助ける為に、邪魔な敵を排除する。その程度で良い。その程度の感情で、乗り越えていくべき存在なのさ)

 

 

 そうとも、天魔・夜都賀波岐はそう言う物だ。過去の敗残兵など当然と、乗り越えてみせねば嘘だろう。

 だから、ああそうだとも、ユーノ・スクライア。その刹那に消え去る愛を胸に抱いて、この悪鬼を超越して魅せろ。

 

 

「だからって、素直に退いてはやらねぇけどなぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「天魔・宿儺ァァァァァァァッ!!」

 

「はっはぁぁぁっ! 良い面する様になったじゃねぇかよ、ユーノ・スクライアァァァァァァァッ!!」

 

 

 殴り合う。殴り合う。一歩を踏み込み、殴り合う。互いに動きは獣の如く、骨肉相食む様に相手を殴る。

 そんな形になっても、未だ美麗な柔らを形作るのは天賦の才覚。ユーノのそれと見比べる事すら、侮辱になる程敵は高みだ。

 

 それでも、そんな事は関係ない。相手が強いとか、弱いとか、そんな事はもうどうでも良いのだ。

 限界なんて忘れた。出来ないなんて思わない。やらなければならない事があり、ならば断じて為せば良い。

 

 ユーノ・スクライアは拳を握る。愛する女の下へと行く為、敵を撃ち抜く拳を握る。握った拳で、敵を射抜いた。

 何の変哲もない拳が、どうしてこれ程に重いのか。余りに無様な体技がしかし、何故にこれ程鋭いのか。答えなんて、たった一つしかないだろう。

 

 

(ずっと、ずっと諦めてきた)

 

 

 それは、きっと想いの違いだ。勝利を目指す熱量を、超える程の想いが其処にある。

 

 

(大人になるって事は、割り切ると言う事。出来ない事を出来ないと、諦めを知って行く事。諦めと上手く付き合う方法を、覚えていく事だって知っている)

 

 

 戦士となる事を諦めた。そう成れない事を、幼い時分に思い知らされたから。

 司書となる道を諦めた。そう成る為に必要な物を、大切な人を救う為に捧げたから。

 自由となる体を諦めた。彼女の愛を受け止めて、その呪詛を背負って生きると決めたから。

 

 諦めた。諦めた。諦めた。諦めた。色々な想いを諦めて、己の中で折り合い付けて、そうして前に進んで来た。

 

 

(だから、仕方がないって。だから、それは出来ないって。だから、しょうがないんだって。ずっとずっと、色んな物を諦めて来た。諦めた上で、其処から目指せる次善を求めた)

 

 

 何時だって、最善は掌から零れ落ちる。人生はこんな事じゃなかった事ばっかりで、生きる事は辛いのだと知ったのだ。

 

 

「だけど、そんな僕にも、譲れない者は確かにある」

 

 

 それでも、譲れない事がある。どうしても、譲れない事がある。それだけは、譲ってはいけない事なのだ。

 女々しいと嗤うならば嗤え。自分一人で立てないのかと、蔑むならば好きにしろ。何と言われようと、己のこの想いは変わらない。

 

 

「それだけは譲れない。それだけは駄目だ。これは次善じゃ駄目なんだ。諦めるなんて、出来る筈ない事だから――」

 

 

 故に拳を握り締める。痛みに震える身体を無視して、限界など置き去りにして進む。

 故に拳を引き絞る。忘れた筈の動き方。染み込んでいた技術は其処で、自然と実を結んでいた。

 故に敵を睨み付ける。勝率なんて考えない。勝算なんてどうでも良い。初めて此処で、思考を捨てた。

 

 

(お前を超えるぞ。天魔・宿儺。他でもない、あの子の下へと行く為に)

 

 

 襲い来る拳を身体に受けて、それでもユーノは怯まない。傷付きながらに、それでも一歩を其処で踏み込む。

 唯一発に全てを賭けて、倒せないなど考えない。戦術戦略論ずるならば、実に愚かな行為を己の意志で貫き通す。

 

 

「これが僕の――自慢の拳だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 愚直なまでの想いと共に、振り抜かれた拳は打ち貫く。遊佐司狼の身体の中心、水月に深く打ち込まれていた。

 

 

「……はっ」

 

 

 打ち抜かれた痛みに、遅れて気付く。反応出来なかったのは、それ程に速かったのか、或いはその意志に魅入っていたからか。

 どちらにせよ、この事実は変わらない。傷だらけのユーノが放った渾身の一撃が、司狼の身体にある心臓を既に破壊していた。

 

 痛みはない。後悔はない。唯々、己にはもう先がないだけだ。そうと分かって、司狼は小さく笑みを浮かべる。

 心臓が破裂した以上、人に戻ってしまった己はそう遠くない内に死するであろう。それを覆すなど、それこそ無粋の極みであろう。

 

 素直に認めた。負けたのだと、完膚なきまでに敗れたのだと。だからこそ、己を倒した勝者に言葉を伝えるのだ。

 

 

「行きな。優等生。生きて、行っちまえ」

 

「…………」

 

 

 答えはない。言葉に返る答えはなくて、ユーノはその行動で意志を示す。

 拳を引いて、身を動かす。司狼の身体を横切る様に、無言のままに先へと進んだ。

 

 立ち去っていくその背中。歩く速度は駆け出す速さに、愚直な背中を見詰めたままに倒れていく。

 崩れ落ちる身体に力は入らず、唯々心が清々しい程に敗北を認めていた。だからこそ、遊佐司狼は笑うのだ。

 

 

「は、はは、ははははははは」

 

「あーあ、負けちゃったわねぇ。それも、言い訳出来ないくらい完璧に」

 

「応よ。負けだ負けだ。俺らの負けだよ」

 

 

 戦績は一勝二敗。一度は随神相まで持ち出して、不可能と分かって戦いを挑んだのだ。

 

 それでも、相手は己を超えた。合わせたのではなく、合わせざるを得なかった。

 そうした対等の勝負の果てに、敵は己を超えたのだ。完膚なきまでに、完全敗北したのである。

 

 

「なぁ、エリィ」

 

「ん? 何さ。司狼」

 

 

 己の策謀。その最後を見届ける事はもう出来ない。その結果がどうなるか、もう分かりはしない。

 光となって消えていく中、それでも司狼は満足そうに笑ったまま、駆け抜ける背中を焦がれた瞳で見詰めて言った。

 

 

「やっぱいいよなぁ。人間はよぉ」

 

 

 その言葉を最期に、人に焦がれ続けた鬼は此処に消滅する。最後に残った淡い光も、何にも成らずに消え去った。

 消え去った男の残影。淡い光が消え去る時まで、その光を慈愛の瞳で見詰める。そうして光が消えると同時に、女も同じく消え去った。

 

 自壊の宙が消えて行く。晴れた雲の果て、宙に浮かぶ星はない。されど、地上の月は輝いていた。

 

 

 

 

 

 穢土・夜都賀波岐第三戦、箱根。天魔・宿儺。消滅。

 ユーノ・スクライア生存。高町なのは死亡? 機動六課――勝利。

 

 無間地獄を乗り越えて、戦いは次なる舞台へと進む。

 

 

 

 

 




○設問1 魔法無効。物理も火力的に無理。身体性能は比較にもなりません。そんな鬼を倒す方法を上げなさい。

鬼畜フェレット君の模範解答「先ずは波旬を召喚します」
ゆさしろー「ちょっ! おまっ!?」



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