リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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これにて閉幕。最後に記すは、戦い続けた者達が手に入れた未来。その断片。

推奨BGM 滑空の果てのイノセント(リリカルなのは)


エピローグ そして、世界は何処までも

『あの後の顛末を此処に記すとしよう。我らの戦いが終わり、そうして始まった日々の事を。

 

 先ず最初に記すべきは、トーマ・ナカジマに関してだろう。彼は再び流出が始まる前に、リリィと二人、あてもない旅路に出た。

 現行人類。神に形成されねば生きられぬ人々。神としての彼が皆を形成すれば、そのまま位階を流出にまで引き上げてしまう。故に、リリィ・シュトロゼックも彼の理の中に組み込まれた。

 

 誓約と言う繋がりを介して、リリィにトーマが力を注ぐ。そうしてリリィが世界全てを直接的に支える。そう言う形になる予定だと、別れる前に彼は語っていた。

 彼らは二人で一柱の神格となる、と言う事なのだろう。人の縁を繋ぎながらに、世界の中心と言うべき場所で彼らは世界を紡ぐ。そうして、この今にある世界は運営されている。

 

 何れ、触覚なる者も生まれるらしい。それは世界そのものとなった神が、己の体内で動かす分身。眼と耳として、世界を生きる為の器。

 具体的にどのような物なのかは分からないが、トーマはそれを人の相の様な物だと語った。夜都賀波岐が神相と人相を持っていた様に、トーマとリリィも二つの器を持つ様になるのだと。

 

 その触覚が、もう生まれたのか。まだ生まれてはいないのか。どちらにせよ、彼はもう人の世には関われない。我々が生きている間に、彼と出逢う事は二度とない。

 

 人々を神格へと引き上げてしまう。彼の理による偽神化は、並の軍勢変性よりも遥かに厄介だ。何故ならばそれは、主となる神をも超える存在を無限に生み出してしまうと言う性質を持つが故に。

 それは生まれる神がトーマを何時でも弑逆出来ると言う意味での危険でもあるし、次から次へと自分よりも強い存在が内側に生まれ続けると言う状況自体が危険でもある。支える者より、支えられる者が増えてしまえば、破綻は至極当然の結末だ。

 

 平穏な生活をさせると言う理由がなくとも、彼は誰にも関わってはならない。誰よりも絆を尊ぶ少年が、誰とも絆を結べないと言うのは如何なる皮肉であろうか。

 それでも、世界を破綻させない為に、彼は僅かな絆と共に永劫の放浪を選んだ。己の世界が終わる日まで、決して多くに関わる事はせずに。それは一体、どれ程に強い想いであったのか。

 

 こうして雑多な形であれ、文字に起こしていると自分が恥ずかしくなる。仲間達が皆、何時か彼と共に在ると誓う中――僕だけが、彼に力を貸せないと語ったのだから。

 

 正直に言って、僕はもう疲れた。彼女が居ない世界で、その果てまでも神として存在し続ける。死後に待つ未来がそれと知り、怖くなったと言っても良い。

 もう眠りたい。母の下へ、恋人と共に、この命を終えたならば眠りたい。そう弱音を口にした僕を、トーマは笑って確かに許した。ならば仕方がないとだけ、そう笑って許された。

 

 

「次はせめて、エイミィさんに出逢える様に。どんな形であっても、共に添い遂げる事が出来る様に、縁を結びます。だから――そうして、今と次を生きた果て、その時になったら、また聞きに来ても良いですか?」

 

 

 冗談交じりに笑いながら、トーマは確かに受け入れた。そんな彼の優しさと強さに、本当に頭が下がる想いだ。

 だからこそ僕も、せめてこの命を終えるまでに、出来る限りを為そう。出来る事をやり遂げて、後にバトンを繋いで行こう。

 

 それが今を生きて、未来に繋げていくと言う事だと想うから――』

 

 

 カタカタと音を立てて、小型端末のキーを叩く。液晶の端末を見詰めながら、文章を打ち込んでいる黒髪の青年。

 新たに立ち上げる組織。その出来たばかりの制服に袖を通したクロノは文章を確認している途中、口元に手を当てて数度咳き込んだ。

 

 喀血。吐き出したのは、真紅の血液。末期を思わせる程の吐血量ではあったが、腐った様な臭いは其処にない。彼の歪みは、もう既に消えていた。

 

 

「兄さん。大丈夫?」

 

「ああ、まだ、平気だ」

 

 

 文字を起こしている彼の横で、手帳と時計を確認していた少女が吐血に気付く。

 手帳を懐にしまったティアナは慌てる事なく、水差しからコップに水を灌ぐと咳き込む兄へと手渡した。

 

 至極慣れた手付きで介抱する。事実、ティアナは慣れていた。あの戦いから既に半年、彼は日々弱り続けていたのだから――

 

 

「歪みが、無くても、まだ、逝けないさ。ああ、まだ、後、もう少し、だけ」

 

 

 天魔・奴奈比売の消滅と共に、その力の源は消えていた。僅か残っていた欠片も、流出から切り離されて暫く後に、ゆっくりと解ける様に消え去った。

 クロノを生かしていた力は既になく、彼はもう唯の重病人。医師の判断では、何時死んでもおかしくない。そう判断されて、既に半年。男は今も生きている。

 

 死ぬ事が出来る。まともに死ねなくなった筈の彼が、当たり前に眠れる様になった。それは彼にとっては福音で、だからこそまだ死ねない。

 愛する人達と共に眠りたい。それでも、後を全て託してしまう。そんな男はだからこそ、生きている間に最も大きな問題に取り組んでいる。それが筋だと、クロノはそう思うから。

 

 

「……それと、兄さん」

 

 

 何時か、神様なんて要らない世界の為に。人類解脱への道を、少しでも良いから近付けよう。

 そんな想いで身体を押して、男は最期に遺して逝こうとしている。そんな想いを知るからこそ、ティアナも止める言葉は掛けない。

 

 どの道、今更に身体を労おうと、クロノ・ハラオウンはもう長くは持たない。咳き込む頻度が増えている。起きていられる時間が減っている。

 どれ程に意地を貫き通そうとも、もう数年と持たぬであろう。それが分かって、それでも最期まで全力で進む。そんな彼を案じる言葉は、唯の無粋にしかならぬのだ。

 

 

「そろそろ、時間よ。主賓はもう、揃っているみたい」

 

「ああ、もうそんな時間か。……最近は、時間の感覚も、曖昧になってきて、困る」

 

 

 故に必要な事を伝える。案ずる言葉ではなく、急かす言葉を口にする。手帳に記された次なる予定、それが迫っているのだと。

 言われたクロノは苦笑を零すと、端末の電源を落とした。しっかりと手記の記録を残してから、机の上に畳んで置く。そうして彼は、車椅子の車輪に手を当てた。

 

 そんなクロノの手に手を重ね、その手を車輪から外させる。案ずる言葉は口にはしないが、背を押すくらいはさせて欲しいと。

 ティアナが無言の内に示した想いに、クロノは僅か苦笑する。もう立ち上がる事すら出来なくなった青年は、力を抜いてその身を任せた。

 

 

「痛み止めの、用意を。恐らく、これが最後になるが、だからこそ、こんな姿は、見せられん」

 

「ええ、ちゃんと用意してあるわよ。今回の宣誓が終われば、もう兄さんが表舞台に立つ必要はなくなる。だから、その後なら――」

 

「まだ、だよ。立ち上げから、暫くは、見ていかないと、な。実際に、動かさなくては、見付からん物も、ある」

 

 

 これより先に待つのは、クロノ・ハラオウンが最期の宣誓。後の世にまで長く残るであろう、彼が最期に為す偉業。

 それは、あの日に見た夢の為。何時の日か神無き世界へ行く為に、先ずは人類を一つに纏める。人の意志を束ねる機構を、生み出そうと言うのである。

 

 クロノ・ハラオウンは既に、管理局の局長ではない。彼は管理局を後進に託して、政治の世界に踏み込んだのだ。

 あの決戦を後に直ぐ、己の寿命を悟って動いた。そんな彼が政治家として、目指した物こそ巨大な政治機構。全次元世界を巻き込んだ、超巨大な国家連盟。

 

 管理世界も管理外世界も、大国も小国も、全てを此処に纏め上げる。遥か先を目指す為、内輪揉めをしている暇などないのだ。

 全ての争いは無くせないだろう。それでも世界が一つになれば、争う理由は減らせる筈だ。そう願って、そう祈って、それを此処に形とする。

 

 そんな新たな組織の立ち上げ。それは本来ならば、どう考えても成功しない愚行であろう。

 一つの惑星を纏めるだけでも至難と言うのに、真実次元世界全てを纏め上げようと言うのだ。何処かに歪みは生まれる物だ。

 

 だが、この今ならば行える。その歪みも最小限に、そう為せる状況が整っている。世界は一度、一つになったのだから。

 人の意志は神の下、確かに誰もがその想いを一つとした。それが色褪せぬ今ならば、そして英雄が生きている今ならば、世界はきっと一つに成れる。

 

 クロノはそう信じて、それを為す事こそが己の最期の役であると決めた。そんな彼に付き従う少女は、何れ訪れるであろう未来を想う。

 彼女がこうして、クロノの補佐と介護を行うのは、家族の情だけが理由じゃない。それも確かに在るのだがそれ以上に、ティアナにも目的と言うべき物があったのだ。

 

 

「そう、言えば、特異点の、解析は、進んでいる、か?」

 

「……まだまだよ。まだ、始まったばっかり。道の先は、ずっと遠いわ」

 

 

 鋼の道を此処に、二人ともに進んでいる。皆に伝えるべき舞台に向かって、進む最中で口にする。

 

 特異点。クロノが告げたその単語は、神座と直接関わりがある物ではない。全く無関係と言う訳ではないが、神座世界で語る特異点と同一の事象ではない。

 それは穢土が在った場所。座に繋がる穴を塞ぐ為に、先代の神に奪い取られた世界。其処に残った、嘗ての傷痕。トーマの力が今も、全く及ばない場所の事。

 

 その先には嘗て、無の先に在った物が見えている。即ち、それはこの世界が始まる前。座の外側に在った場所。

 エルトリアの民が嘗て、落ちてしまった人の生存できない世界。今も其処を見詰めるだけで、震えが止まらぬ絶死の地。

 

 それが見える形で、確かに残った傷跡。嘗ては恐怖でしかなかった光景が、今ではそれだけではない。それは確かな、未来の可能性でもあったから。

 

 

「だけど、可能性は見えている。未来はもう見えなくなったけど、確かにその先にあるんだって思ってる」

 

 

 その青い瞳に異能は無くても、確かに見える可能性。傷痕の向こう側に存在する世界は、神の加護など無い世界。

 流出の外側。人の生きていけぬ場所。己を形成出来ない未熟な魂では、夢幻となって消える場所。だがもしも、その場所で消え去らずに居られたならば――

 

 そう、其処に向かう事が出来たなら。その先へと進む事が出来たのなら。其処で生きていく事が出来るのならば、きっと神は不要となる。

 

 永劫の放浪を続ける相棒に、頼らなくても良い世界が其処にある。誰もが神の加護もなく、流出の外側で生きていける様になれれば良い。

 それこそティアナが夢見た世界。彼らが願った神無き世界。遠く、遠く、余りに遠くに存在しているが、それでも願った果てが見えている。確かに其処に、道はある。

 

 この世界の物質は、一切持ち出す事は出来ない。この世界の民は、一歩出た瞬間に崩壊する。その穴が何時までも、残っている保証はない。

 どうすれば届くのか、どうすれば至れるのか、まるで分からない。遠く、遠く、本当に余りに遠い果てにある場所。それでも、確かに道は其処にあるのだ。

 

 

「だから、まだまだ学ばせて貰うわよ。兄さん。次か、その次か――私が必ずトップに立って、このプロジェクトを達成してみせる」

 

 

 現在も進行している計画。微弱な魔力でも形成できる様にする鎧や、神の代わりに魔力を発生させる機械など、幾つも幾つも案は進んでいる。

 だがどれも、何等かの陥穽を持っている。現状は大した案も結果も出せず、このままで居れば何れ計画は凍結されるだろう。だからこそ、ティアナは想いを此処に定めた。

 

 未来に続く道を絶やさぬ為に、何時かの果てに続く道を歩き続ける為に、無駄と言われようとも続けるために、彼女は此処でトップを目指す。

 誰が何と言おうとも、誰が何を語ろうとも、放浪する神の孤独を永劫の物とはさせない為に。ティアナ・L・ハラオウンが目指した果てへ、続く道はそう言う物だ。

 

 されど、彼女は未熟。兄の後をすぐ継げる程、その能力は高くない。自他共に認める程に、彼女のこれまでの努力とは完全に畑違い。

 縁故採用などは出来ない。初代がその様な事を許せば、後々までに残ってしまう。立ち上げたばかりの組織に、腐敗の要素を生み出す訳にはいかないのだ。

 

 だから、ティアナは今に学ぶ。偉業を果たさんとする兄の背中を見届けて、己の力で其処へと辿り着く為に。

 何時か、己が主導する形で到達したい。そう願うのは、彼女の我儘。だけど、誰にも譲れない。だって、トーマの相棒はティアナ・L・ハラオウンなのだから。

 

 

「何時かきっと、神様が不要になる世界の為に――そうして、こう言ってやるの。待たせたわね、相棒って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○クロノ・ハラオウン。

 管理局の若き英雄は、決戦後に次元世界の大改造に乗り出した。管理局を後進に任せると、英雄の名を武器に政治の世界に参戦する。

 元よりミッドチルダ政府からの信も、民衆からの支持も高かった英雄だ。一躍、政府の頂点へと。そして彼はその最初の仕事として、全次元世界連盟の樹立を提言した。

 

 本来ならば、不可能と言うべき事象。されど、その不可能を可能にする要素が確かにあった。

 皆が意志を一つにして、まだ一年と経ってはいなかった。そんな時期と、英雄としての名声。二つの要素が、不可能を可能に変えたのだ。

 

 後の世にまで続く、史上最大の組織が誕生する。世界は真実、一つとなった。それこそ、彼の最大の偉業であったのだろう。

 歴史に名を遺す偉人となった彼は、それから程なく病に没する。数百年に渡って続く機構を作り上げた後に、三十にも届かぬ若さで早世した。

 

 それでも、その末路に悲嘆はない。全てを成し遂げた男は何処か安堵する様な笑みを浮かべて、眠る様にその命を終えた。

 

 

 

 ○ティアナ・L・ハラオウン。

 全次元世界連盟、第八代盟主。彼女に付いて語るならば、常について回るのが一つの言葉がある。歴代で最も、落選を続けた政治家と。

 初代盟主であるクロノ・ハラオウンの義妹ながら、兄の名声を頼らぬ姿勢。そんな英雄の一人に対しても、現実と言う物は甘くなかった。

 

 一度は政治知識の不足故、二度目はその露呈に繋がる不信故、三度目以降は殆ど笑い話の様な槍玉に挙げられて――しかし彼女は諦めなかった。

 

 少しずつ予算を削減されて、停滞する特異点の解析。為したい事も為せない状況。泥を食み、涙を流した事も一度や二度ではなかっただろう。それでも、前に進み続けた。

 地道な活動の果てに、支持者を少しずつ増やしていく。ハラオウンとしてではなく、ティアナと言う一人の人間として、彼女は確かに届かせた。

 

 盟主と言う立場に付いたのは、既に壮年を超えた時期。凍結が決まっていた研究へと、公約通りに多額の資金をつぎ込む。多くの政敵に否定されながらも、初心は決して歪めなかった。

 故にこそ、彼女は歴代で最も長くその職を務めたのであろう。その晩年、老女と化した時分に、漸く第一歩が踏み出される。

 

 彼女は後の世に、こう語られる事になるのだ。世界で初めて、外側へと到達した人間。そう、確かに彼女はその末期を前に追い付いた。

 

 盟主としての権限で、最初の被験者として出立する。特異点を通り抜け、確かに外へと到達した。

 そこで、人類最初の一歩を刻む。これで対等だと、これで相棒と胸を張れるのだと。既に誰もが事実を忘れた頃に、外側に辿り着いた女は笑った。

 

 皺だらけの顔で、骨が浮き出る程に老いていて、それでも確かに成し遂げた。その最期の笑みは、誰よりも美しかったと伝わっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 若い者らの声が響く。狭い空間の中で、大きな声を張り上げながらに身体を動かす。彼らの身を包むのは、訓練校の制服だった。

 硝子張りの部屋から、金糸の女はそれを見下す。一糸乱れぬ動きである事を確認しながら、これなら及第点かと厳しめの採点を下していた。

 

 

「あれ? 結局、あの話は断ったんだ」

 

 

 採点用紙を片手に、もう片方の手には赤いペン。情を排除した瞳で観察を続ける女は、暫く振りの声を耳に顔を向ける。

 其処には、懐かしい友の姿。あの決戦を後に別れて、其々の道を行くと誓った者。故にこそ何処か厳しい声音で、アリサ・バニングスは彼女に告げる。

 

 

「何しに来たのよ、犯罪者(すずか)。どうせ顔出すなら、休日や勤務明けにしなさいよ。此処に来たら、捕まえないといけないじゃない」

 

「久し振りなのに、ひっどい言い草だね、鬼教官(アリサちゃん)。私はこれでも、堅気には一度も手を出してないんだよ? 下僕にだって、手を出させたりはしてないし」

 

 

 鋭い目付きで睨まれて、言われた女はクスクス笑う。紫の薔薇は僅かな笑いと呼気だけで、周囲の空気を妖艶な色に染め上げる。

 此処に居たのが、アリサ一人でなかったならば、少し面倒な事になっていたであろう。月村すずかと言う道を違えた友人の、その色香は唯人には余りに強く利き過ぎるのだ。

 

 

「だから、休みだったら見逃してやるって言ってんでしょ。これ以上の譲歩を望むんじゃないのよ」

 

「私を捕まえると、余計に被害が増えると思うんだけどな~。ま、良いや。だって犯罪者だもん。法律に従う理由なんかないよね?」

 

 

 片や法を守る者。あの決戦の後も管理局に残り続けた、たった一人の英雄。この今に、次代の法の守護者を鍛える女傑。

 片や法を破る者。何時の世も絶えぬ犯罪を、あらゆる悪を統べると誓った女。この今に、次元世界の闇夜を統べる女帝。

 

 互いが抱えた想いが故に、決して同じ道は歩けない。そうと分かっていたからこそ、あの後に道は分かたれた。

 それでも確かな友誼が其処に残っているから、違う道を歩いているだけではない。歩く道が違っても、同じ想いを抱けるのだ。

 

 

「んで、あの話って、どの話よ?」

 

「ほら、あれだよあれ。次の管理局長に就任するって、奴。前に一緒に飲んだ時、どうしようか悩んでるって言ってたでしょ?」

 

 

 すずかの言は確かに事実。無作為に起きる犯罪を制御して、行き場のない者らを拾い上げている夜の女帝。そんな彼女が捕縛されれば、それこそ犯罪は増えていく。

 そうと分かっていればこそ、今この場では目を瞑る。結んだ友誼の情もあいまって、積極的に捕まえたいとは思えない。故にこそ苦い表情をしながらも、アリサは先の言葉に問い掛けた。

 

 そんな彼女の発言に、すずかは指を一つ立てて口にする。彼女の言葉を聞いたアリサは、更に表情を顰めて言った。

 

 

「……一体何年前の話してんのよ。アンタ」

 

「あれ? そんな昔の事だっけ?」

 

 

 あの決戦を後に別れて、邂逅するのはごく稀に。最後に全員が集まったのは、ある夫婦の挙式の時だけ。

 その晩、共に飲みに行って、泥の様に眠った記憶。一緒に飲んだ記憶はそれが一番最後であるから、アリサは呆れながらに告げるのだ。

 

 

「もう十年は前よ。カレンダーを確認する癖、今からでも付けときなさい」

 

 

 月村すずかが顔を見せなくなって、もうそれ程に経っているのだ。アリサ・バニングスはそう語る。

 言われた女は僅か驚いて、時間の変化に目を丸くする。そして言われてみればと、その事実に気が付いた。

 

 今も年若い姿のまま、何一つ変わらない月村すずか。対するアリサ・バニングスは、もう壮年期に至っている。

 三十を超えた彼女の身体は、少しずつ衰えを見せている。もう最前線には立てないだろう。その程度には老いていた。

 

 そんな気付いた事実を誤魔化す様に、月村すずかは小さく笑う。そうして、彼女の提案を拒絶した。

 

 

「あれ、好きじゃないんだよねぇ。と言うか、時間を数えるって行為が嫌いなんだけどさ」

 

 

 吸血鬼の女は、カレンダーを嫌っている。時を数える物の類は、全て嫌いと言って良い。

 それは、否が応にも分からせてくるからだろう。時間が過ぎ去る残酷さ。同じ時を生きられないと言う真実を。

 

 日々の経過は、眼を逸らす事を許さないから嫌いなのだ。恋し掛けていた一人の男が、あっさり逝ってしまった事実を思い出してしまうから。

 

 

「一体何時まで、引き摺っている気よ。馬鹿すずか」

 

 

 月村すずかが顔を見せなくなったのは、彼らの結婚式から数ヶ月後。クロノ・ハラオウンの病没後だ。

 彼が死んだ事実自体か、それともその死に他の者らのそれを想起したのか、それを過去の引き摺りであるとアリサは断ずる。

 

 

「それ、そっくりそのまま返すね。今も乙女なアリサちゃん」

 

 

 そんなアリサの言葉に対し、すずかも同じく言葉を返す。引き摺っているのは、お前もであろうと。

 吸血鬼としての力が分からせる。童貞や処女を血の臭いで判別できる。そんな女は、三十路を過ぎてまで乙女であるのかと鼻で嗤った。

 

 まるで灼熱の様な業火と、凍える様なブリザード。相反するそれがぶつかり合うような威圧を振り撒きながら、女達は睨み合う。

 互いに互いの地雷を踏み抜いて、そうして睨み合う彼女達。暫くガンを付け合った後に、吹き出す様に笑い出す。二人同時に、腹を抱えて笑っていた。

 

 

「お互い様、ね。全く、人の事言えたもんじゃないわ」

 

「全くだね。ムキになるのも馬鹿らしいって言うか、ムキに成れば成る程、みっともない話だもん」

 

 

 変わった物はある。それでも、変わらない物もある。久方振りの再会に、それを確かに実感した。

 先に老いていく女も、後に残されていく女も、互いにそれが嬉しく想えた。だからこそ、何時かの様に笑うのだ。

 

 

「んで、局長の話だっけ? もちろん、断ったわ。器じゃないし。私には前線が似合っていると感じてたもの。大体、私をトップに立たせる理由って、ネームバリューくらいしかないじゃない」

 

「実際、アリサちゃんの名声は凄いからねぇ。救世の英雄にして、最も強き執務官長。そりゃ支持者と言うか、信者は一定数はいるよね」

 

「救世の英雄でありながら、今じゃ裏社会の帝王やってるアンタにゃ負けるわ。ってか、執務官長って何時の話よ。ほんっと」

 

「あれ? もうそっちも辞めてたんだ。……これが浦島太郎の気分かぁ」

 

「アンタはもっと、頻繁に顔出せ。休日に。此処を何処だと思ってんのよ」

 

「えー、これでも忙しいんだけどなぁ」

 

 

 道を違えたこの今も、確かに繋がっている互いの想い。日向と影に生きると決めた、女達は互いを語る。

 逢えなかった時間を此処に、埋めようとするかの様に。変わる日々と変わらぬ想いを、互いに笑顔で紡いでいく。

 

 

「って事は、もう本当に教官職しかしてないの? 前線退くの、早くない?」

 

「人間は衰えが早いのよ。なまじ、私は結構無理して来た分、余計にね」

 

「……だから、後進育成に?」

 

「そ。だから、後に繋ぐ為に、そっちに専念する事にした訳よ」

 

 

 受け継いできた物がある。受け継がせるべき物がある。己の限界を悟ったからこそ、アリサはそれに専念する道を選んだ。

 それが人の生き方で、絶やさず続けると言う役割。彼らの先人達は、決してそれを絶やさなかった。だからアリサも生ある限り、決してそれを絶やさない。

 

 

「私達は、過去を引き継いだ。なら次は、継いだ物を次へと繋げる事。それが私達の役目でしょう?」

 

「……そう、だね。人間は何時も、私達より短いんだもんね」

 

 

 時代の歯車。その一つとなって、何れは消えていく友人。その姿に、月村すずかは僅か寂しそうに微笑んだ。

 今ならば、古き友の気持ちが良く分かる。置いて逝かれた魔女の気持ちに、本当の意味で共感する事が出来ていた。

 

 そんな寂しがる友の姿に、アリサは揺るがぬままに言葉で示す。苦笑を零す事もなく、馬鹿を見る様な冷たい瞳で、その事実を口にした。

 

 

「別に、もう二度と逢えない訳でもないでしょうに。終わったら、私は先に逝って待ってるわ」

 

 

 これが最期と言う訳ではない。これで最期と言う訳ではない。彼女達は何時か、神を守る為の存在になると決まっている。

 だから、何時かまた逢える。互いの生きる時間が違っても、何時かはまた逢えるのだ。その事実を忘れるなと、アリサはすずかに向かって言った。

 

 その瞳の色は冷たいと言うのに、言葉には隠し切れない程度の気遣い。何時になっても不器用な友の姿に、月村すずかは笑みを浮かべる。そうして彼女は、可憐な笑みと共に毒吐いた。

 

 

「ま、そうだね。高々数百年の違いだし……なら、アリサちゃんが卒業出来ない乙女だけでも、しっかり卒業してから合流するね!」

 

「おまっ!? 誰が卒業できないって!?」

 

「アリサちゃんの処女。万年乙女のアリサちゃんは、未来永劫、膜が破れません。そう言う運命なのですからぁ」

 

「うっさいわボケっ! 不吉な事言うんじゃないわよっ!? って、そもそも、其処まで言うアンタには相手居んのかっ!?」

 

「う~ん。ピンとくるのは居ないけど、良さげな素材は幾つか居るから。その辺を育ててみようかなーって、時間は山ほどあるからさ。アリサちゃんと違って」

 

「買った! アンタのその喧嘩! 全力で買ってやるから!! 見てなさいよ! 月村すずかぁっ!!」

 

「う~ん、この。負けが確定してるのにぃ、アリサちゃんはほんとアリサちゃんだなぁ」

 

 

 ケラケラケタケタ嗤いながらに、影に消えて行く月村すずか。立ち去る彼女に苛立ちながら、アリサは罵倒と共に想いを告げる。

 

 

「また来なさいよ! 馬鹿すずか! 次もこんなに待たせたら、灰になるまで焼いてやるからっ!!」

 

 

 道を違えたのだとしても、今は別れるのだとしても、我らは共に友であるのだ。だから必ず、また来いと。

 そう怒りながらに告げる友に、笑顔と一緒にその手を振る。また逢いに来ると胸に誓って、彼女達の道はまた分かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○アリサ・バニングス。

 若き日は執務官長として、老いてからは訓練校の教官として、その終生を管理局にて生きた女傑。

 時たま故郷に戻る度、家の事業を継いで欲しいと言われていたが、自分の性には合わぬと武辺の者であり続けた。

 

 伝えられた想いを絶やさぬ為に、教えられた事を伝え続ける為に、彼女は人を導く事を止めはしなかった。

 そんな彼女の背中に焦がれた者は多い。後の世に残る偉人の多くは、彼女の教えを受けている。そうとまで、語られる程に偉大なその名を後に遺す。

 

 血の繋がらない一人娘を育てきった後も、常に日向でその存在を示し続けた炎の女傑。

 そんな彼女が友と交わした喧嘩の結果、彼女に連れ合いが出来たかどうか。それは何処にも残っていない。

 

 

 

 ○月村すずか

 嘗て交わした闇との約束。それを果たした女はやがて、アンダーグラウンドの女帝に至る。

 統率された人の意志。次元政府を良き物と捉えながらも、敵対し続けた女。零れ落ちた者らを拾い集めて、夜の王は生き続ける。

 

 全次元世界の犯罪者達。それを束ねる大きな母は、余裕と嘲笑を張り付けて、裏から世界を回していく。

 誰よりも長く生きた女は、時に人の敵として、時に人の味方として、或いは完全なる第三者として、常に歴史に在り続けた。

 

 何時か至るべき善い場所が、一体如何なる形となるのか。生き続ける女は、其処で確かに模索を続ける。

 誰よりも長く生き、誰よりも最期に合流するのだ。だからこそ、誰よりも幸せにならねば嘘だろう。そう思うからこそ、女は理想を探し続けた。

 

 そんな女に振り回されて、多くの男が色香に惑う。だがそんな女に付き合うのも、男の甲斐性と言う物だろう。月村すずかはその様に、何時も笑い続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い白い神の家。諏訪原に在ったそれに良く似た、同じ作りの教会の礼拝堂。ステンドグラスの灯りの下に、白い衣服と共に立つ。

 ガチガチに固まった青年は、気取られぬ様に深呼吸を二度三度と繰り返す。その度胸に痛みが走るが顔には出さず、ユーノ・スクライアは前を見る。

 

 そうして、一歩を踏み出す。周囲の席を満たす知人の顔を横目で見ながら、バージンロードを歩いて進む。

 一歩、一歩と歩いて進む。その度に痛みが生じるが、折角の晴れ舞台、倒れる様な無様はいけない。だからこそ、一歩一歩と歩いて進んだ。

 

 親類席から見守るのは、高町桃子と高町美由希。月村と名を変えた恭也に、その妻である月村忍。そして、スクライアに連なる人々。

 友人席にて笑うのは、クロノ・ハラオウンとティアナ・L・ハラオウン。月村すずかに、アリサ・バニングス。そして、彼らだけではない。

 

 キャロが居る。ルーテシアが居る。ヴィヴィオが居る。メガーヌが居る。ヴァイスが居る。グリフィスが居る。レティが居る。シャーリーが居る。

 カリムが居る。ヴェロッサが居る。シャッハが居る。今も失われていない命が其処に、誰もが祝いの席に座っている。だからこそ、格好悪い姿なんて見せられない。

 

 全てが終わったこの今に、最後が始まるその前に、漸くに得た平穏の中に決めた事。ずっと待たせてしまった女と、共に祝言を此処に挙げよう。

 白いタキシードを着込んだ青年は、今を必死で生きている。残る傷痕全てを抱えて、真っ直ぐ歩き続けて祭壇へ。辿り着いて、確かにその姿勢を正した。

 

 新郎の入場。それに続くは新婦の入場。白いウェディングドレスに身を包んだ女が、扉の先から姿を見せた。

 黒いスーツ姿の高町士郎。彼に手を引かれて、高町なのはは道を歩く。見て分かる程度に僅か膨らんだお腹は、この道の名に相応しくはないかもしれない。

 

 それでも、綺麗だった。赤い道をゆっくりと歩いて進む、白いドレス姿の女。愛する人の姿は唯々、見惚れる程に美しかった。

 

 祭壇の前へと娘を連れて、役目を果たした父親は己の場所へと。確かに託す様な視線をユーノへ向けて、彼は想いを受け止めた。

 おかしく見えない程度に軽く頷くと、その視線を愛する人へ向かって移す。白いベールの向こうに浮かんだ笑みは、はにかむ様な仄かな色に染まっていた。

 

 見詰め合う。互いの姿に見惚れながら、想いを確かに見詰め合う。そんな二人の背後で鳴るは、未来を祝福する讃美歌だ。

 聖歌が確かに音を立て、そして牧師が聖書を開く。見詰め合う姿から、寄り添い合う姿へと。同じ想いを胸にして、二人は祭壇を前に誓う。

 

 

「新郎、ユーノ・スクライア」

 

「はい」

 

「健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くす事を誓いますか?」

 

「誓います」

 

 

 迷いはない。戸惑いはない。想いは既に、此処にある。だから口に出す宣誓は、その一言しかあり得ない。

 

 

「新婦、高町なのは」

 

「はい」

 

「健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くす事を誓いますか?」

 

「誓います」

 

 

 ずっとずっと愛してきた。ずっとずっと愛している。抱いた想いは共に同じく、返す言葉も共に同じだ。

 寄り添いながら想いを告げる。其処に偽りなどはない。牧師は満足そうに微笑むと、彼らに対してそれを語った。

 

 

「では、誓いの口付けを」

 

 

 そして、もう一度向かい合う。白いベールを片手でずらして、潤んだ瞳を見詰め返す。

 万感の想いと共に、此処に確かな誓いを立てる。女は僅か爪先を立て、男は僅か身を屈める。そうして、互いの唇を合わせるのであった。

 

 

 

 鐘の音が響く。祝福の鐘の音が鳴り響く。そんな教会を遠く、見守る男女は微笑みながらに立ち去って行く。愛し合う彼らの末を、此処に祈って――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○高町なのは

 救世の英雄。今もある神威。そんな女は此処に、その杖を大地に置いた。戦う力は、今は必要ない。

 嘗ての約束通りに、海鳴の地へと戻った。そんな彼女は夫と共に、小さな店を営みながらに生きて行く。

 

 愛した夫に寄り添いながら、当たり前の彼と同じ時間を刻む。三人の子宝に恵まれて、浮かぶ笑みは母のそれ。

 優しい幸福に満ちた平穏。誰もが過ごしている日常。誰よりも特別な女は、誰よりも平凡な世界で過ごしていく。

 

 愛する夫の命が終わる日まで、寄り添いながらに生き続けた。愛する夫の命が終わる日、同じく彼女も眠りに就いた。

 

 

 

 ○ユーノ・スクライア

 戦いの後も、彼の傷は残り続けた。その身は痛みに震えたまま、されど笑みは絶やさなかった。

 それは強がりなどではない。確かに彼は満たされていたから、痛みよりも強い喜びで微笑み続けていたのである。

 

 特別にはなれなかった彼は、どこまでも平凡な日々を過ごす。

 海鳴にある喫茶店。義父のそれとは違う場所に、建てた小さな店で日々を過ごした。

 

 三人の娘が育ち、それぞれに家庭を築く日まで、彼は当たり前の日常を必死に生きて行く。

 最後の子が嫁に行き、そして暫くがした後。愛する人の膝に抱えられたまま、その満ち足りた生を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして――――――世界は、続いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トゥルルルルルトゥルルルルルトゥルルルルルトゥルルルルルチャチャチャチャチャチャチャチャチャーチャ!

 

 

――あ! 野生のシュピーネさんが現れた!――

――けんじゃセージの行動! セージはベホマを唱えた! しかしセージのHPは全快だ!――

――あそびにんジンロンの行動! ジンロンは阿片をばら撒いている!――

――シュピーネさんの行動! シュピーネさんは命乞いをした!!――

――ミス! セージには効かない! ジンロンは阿片を勧めている! アマカスは暴走した!――

――ゆうしゃアマカスの行動! アマカスは全ての魔力を解き放ち、ラグナロクを打ち放った!!――

――セージに99999のダメージ! セージは倒れた!――

――ジンロンに99999のダメージ! ジンロンは倒れた!――

――アマカスに99999のダメージ! アマカスは気力を振り絞って立ち上がったっ!――

――シュピーネさんに99999のダメージ! シュピーネさんを倒した!!――

 

 

 テテテテ、テッテテー! レベルアップのファンファーレ音を流しながら、テレビ画面に映った軍服の男が万歳三唱している。

 ボタンを押さねば先に進まぬ画面であるのだが、コントローラーの持ち主は眠りこけている。その為勇者の万歳三唱は、かれこれ数時間は続いていた。

 

 コントローラーを握る少女が夜更かししてまで、プレイしていたゲーム。シュピ虫クエストⅢは大人気ソフトだが、その例に漏れず怪しい噂が付き纏っていた。

 その噂。裏技を確かめる為に行っていたシュピーネ狩り。何億分の一と言う確率で、ラグナロクを受けたシュピーネさんがラスボスである総統閣下並に覚醒を繰り返すらしいと言う噂の検証。

 

 

「……やっぱ、嘘や。……ラスボス閣下みたいに、37回変身するなんて、嘘やったんや。……ゴールデンなシュピーネさん、見たかったなぁ」

 

 

 コントローラーを握ったまま眠ってしまい、それでも口から零れるのはその無念。夢に見る程に強く思う。

 偽りの噂に踊らされた被害者は、一押しな芸人をモデルにした雑魚敵の雄姿を心の底から見届けたいと願っていたのだ。

 

 

「はやてぇ、もう眠ぃ……Zzzz」

 

 

 午前二時まで付き合わされた長姉は、眠りながらに眠たいと寝言を口にしていると言うウルトラCを体現している。狙って出来る事ではない。

 そんなベッドの上に倒れた金髪と、床に転がった茶髪の姉妹。共に眠りこける子供達だが、彼女達に安らぎはない。何故ならば――今日は平日なのだから。

 

 

「ふぁ~。アカン、寝落ちしてもうた……って、嘘やん!? もうこんな時間や!!」

 

 

 瞼を擦りながらに目を覚まし、寝惚け眼で時計の文字盤を確認する。姉が寝惚けて止めたのだろう。彼女の手の下にある時計の数字は、出発の時間を大きく過ぎた物。

 そんな馬鹿なと目を見開いて、祈る様に天を見上げて、二度三度と時計の文字盤を確認する。だが幾ら現実から逃避したとしても、時間の流れは変わってくれない。はやての顔が、真っ青に染まっていった。

 

 

「何で、オカンは起こしてくれんのや! フェイト! フェイト! 早よ起きぃっ! 遅刻してまうで!!」

 

「な~に~。はやて~。まだ眠ぃ~」

 

 

 今も寝惚け眼のままに、寝言かどうかも判別できない言葉を漏らす。そんな姉――高町フェイトの姿に焦りが募る。

 外ではしっかりとしているフェイトだが、家庭の中では数多のポンコツっぷりを見せ付ける。そんな彼女は朝に弱く、一人では中々起きられないと言う悪癖を持っていた。

 

 

「アカン。寝惚けたフェイトは、一時間は起きんし、今日は日直やったのに、バニングス先生の鉄拳、もう食らいとうないし」

 

「Zzzz……晩ご飯まだ~?」

 

「朝食がまだやっ!? ってか、どっちも食っとる暇ないわ!!」

 

 

 寝起きで混乱しているのだろう。寝巻から着替えるより前に、遅れては不味い理由ばかり連呼してしまう。

 そんなはやての傍らで、また眠りに落ちて寝言を呟くフェイトの姿。焦りに焦った高町はやては、ここで最終手段を発動した。

 

 

「しゃーない。こうなったら――起きんと、オトンを連れて来るで? そのはずかっしい格好、見せてええん?」 

 

「…………はっ!? それは駄目だよ! はやて!!」

 

 

 双子の妹が耳元で口にした言葉に、双子の姉は一気に覚醒して跳び起きる。

 囁く様な声音だと言うのに、父と言う単語には必ず反応する。そんなフェイトに、時間がないと言う事実を一瞬忘れて、はやては苦笑しながら言った。

 

 

「相っ変わらず、フェイトはファザコンやなぁ。……って、そんな事言うてる場合やなかった!? もう登校時間過ぎとるんやでっ!!」

 

「え? あ、本当だ」

 

 

 目を覚まして、ぼんやりと時計を見詰める。見詰めたままに停止して、のそのそと布団から抜け出していく姿。

 そんなフェイトに僅か苛立ちながらも、はやては寝巻を脱ぎ捨てる。そうして聖祥付属の制服を取り出すと、袖に腕を通しながらに言った。

 

 

「ほら、ボケっとしとらんで急ぎぃ! 早よ着替えて、マッハで走れば、拳骨が一発減るかもしれん!」

 

「……何で、深夜まで付き合わせたはやてが、そんなに偉そうなの?」

 

「それ言うたら、フェイトやって目覚まし止めとったやん! って、言い合いしてる暇はないんや。どっちが悪いかは、また後で!」

 

 

 はやてに急かされて、目覚めたフェイトも着替えを始める。そんな彼女より先に、着替えを終えたはやては鞄の中身を確認する。

 自分と姉と、二人分の中身チェック。授業に必要な教科書もノートも、そして課題も問題ない。軽く見た後に頷くと、着替えを終えたフェイトに投げ渡す。

 

 さあ、急いで出発しよう。二人部屋の扉を開けて、フェイトとはやては家の階段を駆け下りていく。

 そうして玄関を目指す途中、一階の居間から彼女達に向かって言葉が掛かる。それは毎日聞いている、母が子を呼ぶ声だ。

 

 

「二人ともー、朝ご飯食べてから行きなさーい!」

 

「ご飯。お父さんの作る、美味しい朝ご飯」

 

「何釣られとんねん。食ってる暇ない言うねん。……オカン! 私ら、今日はいらーん!!」

 

 

 母の言葉を耳にして、揺れ動く姉の頭を叩く。靴箱から靴を取り出すと、玄関に座って履き始めた。

 朝食と言う言葉に後ろ髪を引かれながらも、フェイトもそんなはやてに続く。そうして二人揃って、登校準備を終えた所で――

 

 

『いってきま――』

 

「はい。駄目です。子供の頃から朝食抜きなんて、身体に良くはありません」

 

 

 出発の挨拶を止められる。まるでネコを持ち上げる様なやり方で、揃って襟首を掴まれた。

 振り向いた先には、何時も浮かんでいる笑顔。太陽を思わせる笑みと共に、高町なのははそう語る。

 

 

「せやかて、オカン! 時間ないんや!」

 

「遅刻なら、心配する必要はないよ? 私が、ヴィヴィオに伝えておいたから」

 

 

 朝食を食べている時間はないのだと、抗弁しようとしたはやての言葉を笑顔で断ち切る。

 曰く、既にお前達の遅刻は担任教師に報告済みだ。にこやかに告げられた処刑宣告に、娘達は揃ってその場にへたり込む。

 

 

「……アカン。私、死んだ」

 

「命が終わる前に、お父さん分を補充しておこう」

 

「はいはい。これに懲りたら、ゲームは程々にしておく事。……それと、フェイトはもう少し、お父さん離れする様に」

 

 

 思い浮かべるのは、この先に待つであろう末路。学校と軍隊を間違えてませんかね、と時々問い掛けたくなる担任教師の叱責姿。

 果てに待つ結果が揺るがなくなった事実を前に、脱力してしまう二人の娘。そんな彼女達を前に仁王立ちする母親は、偶には良い薬だろうと判断する。

 

 昨日の夜もあれ程に、早く寝ろ、早くゲームを止めなさい、と再三に渡って叱ったのだ。

 それを無視して、後少しなどと言い訳して、挙句に起きられなかった娘達。詰まりは結局、自業自得な訳である。

 

 

「これを持って行ってくれるかい?」

 

「はーい。おっまかせー」

 

 

 そんな遣り取りを耳にしながら、キッチンで調理を続けるエプロン姿の青年は小さく微笑む。

 そうして笑みを浮かべたまま、料理の手伝いをしてくれている末の娘に、盛り付けた皿を手渡した。

 

 光の当たり方次第では、僅か赤み掛かって見える茶色の髪。まだ義務教育も始まっていない年齢の少女は、元気な声で父に応じる。

 小さな両手でお皿を抱えると、零さない様に気を付けながらに駆けていく。小走りに居間へと、自称・桜屋の看板娘の姿は見慣れた物。

 

 

「ほらほら、退いた退いた愚姉どもっ!」

 

 

 母に引き摺られて、居間に放り込まれた二人の姉。その姿を笑い飛ばして、中央の食卓へと。

 湯気を立てる朝食を並べていく。そんな妹に退かされた二人の姉は、はぁと溜息を同時に零して観念した。

 

 

「はぁ、しゃぁないか。……どうせ拳骨くらうなら、ゆっくり食べてから行こ」

 

「やった! 今日のご飯何ー?」

 

「喜びなさい! 自家製パンにベーコンエッグにシーザーサラダ、最後のオニオンスープは私が手伝って作ったのよっ!」

 

 

 諦めて椅子に座っていくフェイトとはやて。そんな姉を前にして、末の妹は自慢そうに胸を張る。

 浮かべた笑みは、何時か何処かで見た気がする物。残っている筈がない。残っていた筈はない。だから、彼女はきっと違う者。

 

 だけど、それでも何処か似ていると――そう思っていたからこそ、彼女にその名を付けたのだろう。

 或いはそれとも、その名を与えられたから、あの日の彼女に似ているのか。高町なのはは少しだけ、そんな益体のない事を考えた。

 

 

『えー、杏奈(アンナ)が作ったのー?』

 

「何よ、その反応!」

 

「せやかて、なぁ?」

 

「うん。お父さんのご飯に比べたら、杏奈のはちょっと」

 

 

 三ツ星レストランでも通用する腕前に比較すれば、誰であろうとこう反応するだろう。そも比較対象が悪いと言える。

 それでも、父の手伝いを頑張ったのだ。そんな自負がある少女は、二人の姉に憤慨する。此処で泣くのではなくて、今に見ていろと言うのが強気な彼女の性質だった。

 

 

「ふんっ、良いもん。この桜屋の二代目、高町杏奈の料理が上達しない訳がないのよ! その時になってから、食べさせてくれって言ったって、聞かないんだから!」

 

 

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 黄金に輝く鱗の上に、寄り添い立つ彼らは見守る。世界を共に旅しながら、変わり続ける色を見届ける。

 

 

「ちょっと、こっちの方が良いんじゃない?」

 

「けど、そっちだとちょっと値段が」

 

 

 何処かの世界で、何処かで見た女達が笑い合う。共に紫色の髪。片や泣き黒子。そんな女達が其処に居る。

 ショッピングモールにて、見付けた衣服や装飾品を比較する。共に気が合う友人同士、笑い合って互いに似合う物を選び合う。

 

 そんな女達が買い物を謳歌している中、彼女達の背を追う荷物持ちの少年は小さく吐息を吐くと苦情を述べた。

 

 

「どうでも良いけど、姉さま達。二人の世話を、押し付けないで欲しいんだけど」

 

 

 金髪の少年は、年の離れた姉らに言う。泣き黒子の姉と、その姉の友人。彼女達の妹が、彼の背中を登っている。

 両手は大量の荷物に塞がれて、背中の子らは止められない。兄貴分が止めない事を良い事に、彼女達はその手で悪戯ばかりする。

 

 

「にいに。頭変ー」

 

「頭、変。電波?」

 

「……二人とも、僕の髪の毛をぐちゃぐちゃにしないでくれないか?」

 

 

 金の髪に、明るい瞳。元気一杯な笑顔で髪を引っ張る少女。銀の髪に、ぼんやりとした瞳。何処か微笑みながらに額に落書きしようとしている少女。

 そんな妹たちを止められず、買い物に夢中な二人の姉は気付いてすらいない。そんな事実を前にして、苦労人は嘆息する。そんな日常も、世界の一つ。其処に確かに彼らは居た。

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 黄金の龍が空を舞う。誰にも見られる事は無いように、誰にも気付かれる事はないように、けれど誰もを見守っている。

 

 その視線の先には、何処かの世界で、何時か見た人々。その残り香を漂わせる、そんな日常の断片たち。

 

 

「むっ! 今日こそ!」

 

「ワンワンワン!」

 

「きゃーっ!!」

 

 

 黒い髪の幼子が、ぎゅっと手を握って一歩を進む。確かな覚悟を胸に抱いて、彼女は眠る獣に手を伸ばす。

 眠っていた蒼い犬は、少女が近付いた瞬間に大きく吠える。少女は触ろうと伸ばした手を引っ込めて、涙目になって逃げ出した。

 

 小さな女の子を追い払う大型犬。少女を追い払って自慢げに、蒼い毛並みを毛繕う。

 そんな相方の姿を見上げて、オレンジの犬は呆れた様に嘆息する。子供を追い払って、何を誇っているのだと。

 

 

「はは、今日も駄目だったか」

 

 

 一人で出来ると走り出し、結局逃げ帰って来た黒髪の少女。そんな彼女に縋り付かれて、彼女の兄は苦笑する。

 黒髪の優男。微笑みを浮かべて、妹をあやしている青年。彼に想いを寄せる幼馴染の少女は、その様子に首を傾げた。

 

 

「全く、どうしてこんなに嫌われてるんですかね?」

 

「さぁ、どうしてだろうね」

 

 

 喫茶桜屋。彼らが産まれる前からあると言う有名店と、その看板犬であり番犬でもある二匹の犬たち。

 オレンジの犬は触らせてくれると言うのに、どうして蒼い犬には嫌われているのか。金髪の女は分からないと、答えを知らない男も同じく返す。

 

 事実なんて分からない。何処にあるのかも知りはしない。それでも一つだけ、確かに言える事が此処に在る。

 兄の下に逃げ帰ってきた妹。その背中に隠れて、ズボンを両手で掴んでいる。そんな少女の瞳は未だ、諦めてなどいないのだ。

 

 

「むー。負けないもん! 明日はきっと一人でも頭撫でられる様になって、いつか思いっきりモフモフするんだから!」

 

 

 大好きなお姉ちゃんでもある犬の飼い主。その人と一緒にならば、今でも触る事くらいは出来る。

 だが、それだけでは意味がない。もっと仲良くなって、柔らかな毛並を思う存分触ってみたい。そう思うから、少女は今も諦めない。

 

 兄の大きな背中に隠れたまま、黒髪の少女は宣言する。きっと友になってみせるのだ、と。

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 黄金に輝く鱗が旅するは、世界の果ての果てまでも。何処までも何処までも、遠くへ遠くへ飛翔する。

 

 その視線の先には、何処かの世界で、何時か見た人々。その残り香を漂わせる、そんな日常の断片たち。

 

 

「はっはっは! おいおいおいおいどうしたよ!? これで俺らの二十連勝だぜぇ?」

 

「ギガうぜぇっ! それぜってぇ、何か反則してんだろ!?」

 

「えー、君が弱いだけじゃないのぉ? 正直、大した事ないわよねぇ」

 

「ムキーっ! テメェら、フルボッコにしてやるから、そこ直れっ!!」

 

 

 ケラケラゲタゲタ、笑っているのは二人の子供。染めた安っぽい金髪の少年に、同じく笑うは青い髪の不良な少女。

 対する赤毛の少女は其処に、いきり立って拳を振るう。ぶっ飛ばしてやると直情的に、そんな彼女にやる気かと返す少年達。

 

 放っておけば、今直ぐにでも喧嘩を始めてしまうであろう。桃色髪の絡繰り乙女は、呆れた口調で彼らを諫めた。

 

 

「はいはい。ガキどもはリアルファイトしない。……それと、バグに気付いてくれたのは嬉しいけど、バトルで悪用しない様にって言ってあったでしょうに」

 

「うっわ、バラしやがった。コイツ」

 

「あーあ、もう使えないじゃないのー」

 

「って、やっぱ反則じゃねぇかよっ! 無効だ無効だもう一度だぁっ!」

 

 

 年長者に暴露され、されど己の非を認めぬ悪童。そんな不良二人に対し、赤毛の少女は口にする。

 もう一度、今度は真面に戦えと。言われた二人は面倒そうに、されど何処か楽しげに、ゲームの筐体に入っていく。

 

 一般公募で集めたテスター達。そんな中でも一際に、灰汁の強い子供たちが喧嘩を止めた。その事実に機械の女は、ほっと一つ息を吐いた。

 

 

「んで、他に問題はなさそう?」

 

「えぇ、大きなバグはこれだけで、そこさえ直せば――」

 

 

 そしてそのまま、パソコンを操作している姉に振り返る。妹の仕事が子供たちの監督なら、姉の仕事はプログラムの仕上げである。

 モニタに映る少年少女の戦闘風景。仮想空間で行われている戦闘に不具合がないか、流れるコードを確認しながら適時修正を加えていく。

 

 

「ブレイブデュエルも漸く、一般公開出来そうです」

 

 

 父が遺した夢を形にする為。そして何より、今も楽しそうに筐体内で戦っている子供たちの為にも――ブレイブデュエルは、唯のゲームで終わらせない。

 発表して、それで終わりと言う訳ではない。完成は遠く、遠い高みを確かに目指す。誰でも一緒に遊んでいける。誰もが皆で、夢中になれる。そんな物を生み出すのだと、開発者たちは想い描いた。

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 寄り添う白い百合は変わらない。飛び立つ黄金の龍は変わらない。何時までも、何処までも、彼らは共に旅をする。

 

 その視線の先には、何処かの世界で、何時か見た人々。その残り香を漂わせる、そんな日常の断片たち。

 

 

「頑張って! 剣道部の意地に掛けて、今日こそアイツらに!」

 

「ああ、今日こそは負けんさ。そうとも、私は負けられん。奴には、アイツにだけは負けられるかっ!」

 

 

 とある世界の片隅に、在った一つの中学校。何処にでもありそうな学校の校庭を、桃髪の少女が走っている。

 剣道着と言う袴姿。主将としての誇りを胸に、校庭のトラックを進む。そんな主将に向かって、応援するのは金髪のマネージャー。

 

 女達が戦う理由は、誇りと意地だ。運動部を次々と打ち破っているイカレタマッド。彼に負けたあの日から、次は勝つと誓ったのだ。

 

 

「ほう。その程度での速力で、私に勝つと語るとは、まるで全然なっていないなぁぁぁぁぁっ!」

 

「っ!? 貴様っ!!」

 

 

 されど、そのマッドはあらゆる意味で先を行く。其処は進むなと言いたくなる様な道すらも、全力で駆け抜けるのが彼なのだ。

 白い衣が風に靡く。紫の髪をうちふるい、風速を受ける顔面で一発芸を晒している少年。短距離を走る剣道娘を後ろから、高速移動で抜き去っていく。

 

 

「はっはっはっ! 不思議ガジェット28号『これで誰でもアスリート。ドーピング疑惑は勘弁だぜ』は今日も絶好調! 私の発明品は世界一ィィィィィィィッ!!」

 

「くっ。……また、貴様に負けるのか。また、貴様の妹に馬鹿にされるのか。……いいや、否! もう二度と、科学部の発明品一つで負けるなんて、剣道部主将も大した事ないんですねプゲラとかあの眼鏡に言われて堪るかぁぁぁぁっ!!」

 

「ぬぁにぃっ!?」

 

 

 身体に張り付けた機械で高速移動し、剣道娘を抜こうとしていた変質者。その姿に、剣道娘は怒りの想いで咆哮する。

 

 唯でさえ、スタート地点でハンデを受けていたのだ。それで追い抜かれてしまえば、それこそ何処ぞの性根が腐った女に罵倒されても何も言えない。

 もう二度と、言わせる物かといきり立つ。心の底から叫びを上げたのは、眼鏡の煽りがそれ程に腹立たしい物であったからなのか。確かな事実は唯の一つ、少女は此処に己の限界を超えたのだ。

 

 

「きゅ・・・90000・・・!? 100000・・・110000・・・バカな・・まだ、上昇している!? いかんっ! 不思議ガジェット29号『これってスカウター? いいえ、これは花火です』がこのままでは様式美的に破裂してしまうっ!?」

 

 

 限界を超えた疾走で、少女は確かに白衣に追い付く。だが、まだだ。まだ足りない。まだ勝てない。負ける訳にはいかないのだ。故に少女は拳を握る。

 

 

「オォォォォォォォォォォッ! 紫電一閃っ!」

 

「ちょっ!? ダイレクトアタックゥゥゥゥッ!?」

 

 

 顔に付けた玩具に浮かんだ数字に、戦々恐々としていた科学部の変態白衣。そんな少年の顔面へと、伸びるは必殺の一撃だ。

 紫電一閃と名付けられた唯のグーパンが、その顔面を打ち貫く。短距離走で物理攻撃は卑怯だと抗議する事すら出来ず、変態は錐揉み回転しながら飛んでった。

 

 勝てば良かろう。そうと言わんばかりに走り去っていく剣道部員。おいお前、武道の精神は何処行った。そう突っ込む者は此処にはいない。

 ゴールに辿り着いた桃髪剣士を、金髪の少女がドリンク片手に迎え入れる。そんな少女らを後目に、紫髪の少女が地面に倒れた兄を見る。その瞳は、とても冷たい。

 

 

「負けたんですね。じゃ、帰りますよ」

 

「ま、待ってくれ! リアルファイトはなしじゃないかね!? おい、デュエルしろよ!」

 

「最高時速が自動車並な発明品を使って、何を言っているんですか。……遊びに付き合ってくれている人に、迷惑掛けてばかりじゃ駄目ですよ」

 

「分かった。分からないけど、分かった。分かったから、だからせめて、足を持たないでくれないか!? 顔の傷に砂がぁっ!! 地面に引き摺られると痛いんだがぁっ!!」

 

 

 よせば良いのに、発明品を自慢する為に他者に迷惑ばかり掛けている兄。そんな兄に巻き込まれた人々の傷痕に、喜々として塩を塗り込んでいく妹。

 間に挟まれた常識人は、何時もの様に頭を痛めながら変態を引き摺る。ゴリゴリと砂で顔面を削られながら、科学部の長でもある問題児は回収されていくのであった。

 

 

 

 時は流れる。魂は輪廻する。世界はきっと何処までも、形を変えて続いていく。

 偶々立ち寄ったのは一つの世界。其処で見付けた光景に、当代の神はその目を丸く見開いた。

 

 その視線の先には、何処かの世界で、何時か見た人々。その残り香を漂わせる、そんな日常の断片たち。

 

 

「これは最終警告です。さっさとその手を離しなさい。淫乱ピンク」

 

「何を言っているのか分かりませんけど、手を離すのは若作りの貴女であるべきだと思いますよ? ちょっと実年齢を考えたらどうですか?」

 

「……1000年眠ってたんで、年齢はそんなに変わりません。それより、貴女の方こそ、そろそろ年齢を考える時期でしょう?」

 

 

 すっと鋭い目付きで睨むは、明るい茶色の髪を伸ばした女性。身に着けた男物のコートを、大切そうに握り締めた美女。

 そんな彼女の対面で睨み返すのは、車椅子に座った半身不随の美女。桃色の髪を伸ばした彼女は、嘗ての面影を残しながらも美しく育っていた。

 

 

「え、えっと、ふ、二人とも、落ち着いてください。ちょ、引っ張らないで、裂ける! 裂けますからっ!!」

 

 

 そんな二人に囲まれて、混乱している小さな少年。両の腕を左右から引っ張られて、赤毛の少年は痛みを叫ぶ。

 バチバチと火花が幻視出来る程、対立している美女二人。好意を向けられている事を自覚して、だが歓喜よりも痛みが強い。

 

 腕が痛い。胃が痛い。頭が痛い。振り回される少年の顔にはしかし、暗い影など何一つとして残っていない。

 

 

「仕方ありませんね。どちらにするか、直接選んで貰いましょう。……結果は既に、見えている様な物ですが」

 

「え?」

 

「それは良い判断だね。彼が私を選んだなら、頭の固いお婆さんもきっと理解できるでしょうし」

 

「は、ちょっ!?」

 

 

 必死に頼み込んだからか、腕を引く力は緩くなる。だが其処で一息吐く余裕が生まれる事はなく、恋する女達の鞘当ては終わらない。

 恋敵の排斥が即座に出来ぬのならば、恋する相手にそれをさせよう。互いに座った瞳で見詰めて、見られる少年はその頬を引き攣らせた。

 

 

「勿論、こんな淫乱ピンクじゃなくて、私を選びますよね?」

 

「は、はい!?」

 

「……私を半身不随にした責任、取ってくれなきゃダメだよ?」

 

「な、何の事を言っているんでしょうかぁぁぁぁっ!?」

 

 

 前世の記憶など残っていない。悪魔の王など此処には居ない。だから純朴な少年は、意味が分からないと慌てている。

 少年の戸惑いなどお構いなしに、此処まで待たされ続けた女達は止まらない。少年に選択を迫る為、その行動は過激になっていく。

 

 攻撃的になるのではなく、色香の面で過激となる。そんな三人を遠巻きに見る第三者は、揃って溜息を吐いていた。

 

 

「兄貴ー。私、お腹空いたー」

 

「はぁ、妹が、ショタコンになった。……どうすれば良いの、これ」

 

 

 色恋など知らない赤毛の少女。小さな少年の妹は、何時になったら食事が出来るのかと嘆息する。

 対して鞘当てを続ける女の姉は、まだ十にも満たない少年を本気で奪い合っている二十過ぎの女性達と言う、通報不可避な情景を嘆いていた。

 

 

(違う。これ違う。こんなの、アイツじゃない。俺のライバルは、あんな風にはならない)

 

 

 天高くから見下ろす彼は、その光景を見詰めて思う。龍の背中で膝を付き、白百合にその背を撫でられている。

 ガッカリと両手を付いた少年。誰も見れない筈の高みにて、誰にも見つからないままに、神は地味に傷付いていた。

 

 そんな黄金の龍が空を通り過ぎる一瞬に、僅かに浮かび上がった泡沫が嗤って語った。

 

 

「……さ、しっかりやりなよ、トーマ。気を抜けば、僕が内から喰い殺すよ」

 

 

 消え去った筈の影が浮かび上がって、去っていく神の背中を激励する。思わずトーマが顔を上げた時、既にその影は其処になかった。

 悪魔は底で眠りに就き、残されたのは純朴な子供だけ。この温かな世界に、悪魔の王は必要ない。そう知っているからであり――断じて、女性関係が面倒なだけではないと信じたい。

 

 

『エリオ君! どっちにするの!?』

 

「お姉さんたちは、小学生に何を期待してるんですかー!!」

 

 

 

 

 

 黄金の龍は空を舞う。数多の次元の海を渡って、その背に寄り添う二柱の神は多くの今を見届けた。

 

 

「ねぇ、トーマ。次は何処に行こうか?」

 

「そうだね、どうしようか」

 

 

 故にリリィは問い掛ける。今に生きる人々はもう見たから、次はさあ何をしようか。

 言われてトーマは僅か思考する。直ぐには思い浮かばぬから、友達の意見も聞いてみようと問い掛けた。

 

 

「黄龍。君は行きたい所、ある?」

 

〈病なきは善き賜ぞ。足るを知るは、極まれる富。いと親しきは信託するにあり、げに楽しきは涅槃なりけり〉

 

「ないんだ。うん。分かってた。なら、どうしようかなぁ」

 

 

 人の夢から生まれた星の化身。友を背に乗せる巨大な龍は、問われてその想いを伝える。

 彼に希望などはない。彼は今に満足している。病はなく、欲しい物は全てある。大切な友が居て、ならば世界は何処へ行こうと楽しいのだ。

 

 そう語ってくれる事は嬉しくとも、実際この先何処へ向かうか悩んでしまう。

 そんなトーマは思案の果てに、良しと一つ頷く。此処から何処へ行くのかを、彼は決めたのだ。

 

 

「取り敢えず、さ。行ける所まで行ってみようか! 世界の果てが、何処にあるのか見てみよう!」

 

 

 今も流れ出し続けている己の世界。その果てと言うべき場所は、一体何処になるのであろうか。

 知ろうと思えば、今直ぐにでも知れるであろう。だがそれでは詰まらぬから、自分達の目と足で向かってみよう。

 

 そう語る彼に、寄り添う者らは頷き返す。彼らに否などありはしない。共にある事、唯それだけで嬉しいから――

 

 

 

 世界は続いていく。過ぎ行く刹那は永遠にはなれず、何時かの果てには終わるであろう。

 それでも世界は続いていく。終わりは一つの始まりだから、きっと何時までも続いていくと願っている。

 

 

「だから、さ。その果てを目指して――行ける所まで、一緒に行こう!」

 

 

 物語は終わる。世界は終わらない。時は流れて、輪廻は回って、そうして世界は変わって行く。

 何時までも、何時までも、きっと終わる事はない。そう信じられる誰かが居る限り、必ず繋いでいけるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                   リリカルなのはVS夜都賀波岐 了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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