リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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無印編ラストバトル。VS宿儺戦です。

2016/09/19 大幅加筆修正。
+9000字とか、増やし過ぎた。けど後悔はしていない。


副題 かつての約束。
   少年の決意。
   新たな約束。


推奨BGM
2.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)
3.Take a shot(魔法少女リリカルなのは)
4.innocent starter(魔法少女リリカルなのは)


第十六話 約束

1.

 それは遥か昔の記憶。

 

 地球。日本。そう呼ばれるようになった世界で、一組の男女が言葉を交わしている。

 

 金髪の男。女の着物に身を包んだ異形。その名は天魔・宿儺。

 対する女は栗色の髪に優しげな笑顔を浮かべた、太陽のように微笑む女。

 

 

「随分と、懐かしい光景が戻ってきてるね」

 

「はっ、相変わらず過去にしがみ付きやがって、穢土の近くに地球なんて世界が生まれるなんて、狙ってんのかあの野郎」

 

「あいつのことだもの。また見たかった、ってそんな理由じゃないかな?」

 

 

 吐き捨てるように語る鬼に、女――綾瀬香純はにこやかに答えを返す。

 

 口では斯様に語りながらも、その実誰よりも“彼”の事を大切に想っている。その鬼の心情を知るが故に、女は陽だまりの様な笑みを浮かべていた。

 

 

「ああ、しっかし殺風景だった光景が、随分と様変わりしたもんだ。人間はやっぱ嘗めてらんねえよな」

 

「うん。東征軍の人達が攻めてきて、穢土で死んでしまったのは悲しいことだけれど。お蔭で黄昏の皆の魂も結構戻って来たからね」

 

「ああ、あいつらが負けちまったのはクソッタレな話だが、それがなけりゃこうはならなかった」

 

 

 第六天・波旬。神座世界の支配者に囚われていた者らは、穢土にて戦い死に没した。

 在りし日の世界。穢土と言う大地とは即ち、天魔・夜刀の肉体であった。故に其処で没した彼らは、その魂を浄化されて彼の内へと還ったのだ。

 

 あの日、剣を交わした子らは此処に居る。

 唯人として、東征軍の兵として参戦した黄昏の子らは、一つの命としてここにある。

 

 それを見詰める彼らの瞳は、何処までも優しい。

 確かな慈愛を其処に抱いて、彼らはその生命を祝福していた。

 

 

「波旬に飲まれ、東征の戦いで取り戻した黄昏の子ら。……ううん。あの子達だけじゃない。この世界には、確かに彼の子らも居る」

 

 

 神の魂は砕かれ、崩れ落ちた欠片は命となった。

 故にこの地に生きるのは、黄昏の子と、刹那の子と、そして彼らの血を引く者ら。

 

 

「へこへこやることやって増えて? んで今じゃこの有様さ、ってか?」

 

「言い方悪いな~。この世界で生まれた彼の子供と、あの世界から取り戻した彼女の子供が交わって、今を生きる子供達は生まれた。そして今を謳歌している。それで良いじゃん」

 

「同じだろ、言ってる意味は」

 

「ち~が~う。人聞き悪いって言ってんのよ馬鹿司狼!!」

 

 

 確かにこの地に生きる子らは、そんな嘗てより継がれた子供達。

 彼らが生きた嘗てにはまだ遠いけど、それでも人の文明は此処にある。

 

 そんな今の次代の人々を見詰めながら、香純はぽつりと呟いた。

 

 

「けどさ、本当に良かったのかな?」

 

「何が?」

 

「……アンタらはもう戻れないのに、私だけこうして人に戻ったこと」

 

 

 その言葉に含まれたのは、後悔に近い慙愧の色。

 自分だけがこうして、人に戻れた事を恥じ入る様な言葉。

 

 彼の地における波旬との戦いは、彼らに決して癒えぬ傷を刻み込んだ。

 彼と共に戦った英雄達は皆、その身を異形へと貶め、最早戻る事すら出来はしない。

 

 夜都賀波岐は既に死人だ。

 神の愛に抱かれ、神の憎悪に呼応し、神の為に蠢く死者である。

 

 その身に人の皮を被り、一時ならば人の振りも出来るであろう。

 だがその本質がもう揺るがない。壊れて穢れた化外の死人は、永劫救われる事がない。

 

 一皮剥けば、化けの皮が剥がれる。

 

 その姿はあらゆる生命の恐怖と嫌悪を煽る物。

 もう二度と、彼らは人として生きて死ぬ事は出来ないのだ。

 

 

「はっ、気にすんな。戻れるなら戻っとけ、そっちの方が得だろう?」

 

「……アンタらしいね。その物言い」

 

 

 そんな現状を、気にするなと両面は笑う。

 化外に変わって尚、変わらぬ彼の在り様に、香純は小さな笑みを零した。

 

 

 

 懐かしさを抱きながら笑いあって、女と男は視線を移す。

 見詰める先にあるのは現世。今を生きる人々が織りなす、当たり前の日常。

 

 町を歩く人の群れ。

 町を行き交う行商。

 当たり前の今を謳歌している人々。

 

 これこそが、神が望んでいた愛しい刹那。

 何に変えても守り通さねば、と彼が誓った珠玉の宝石。

 

 自由な民と自由な世界で、愛しい子らが織りなす平穏こそを彼は愛しているから――

 

 

「これから、どうなるんだろうね。この世界」

 

 

 何時か終わる。

 そう考えると、どうしようもなく寂しく思えた。

 

 そう。この世界は始まった瞬間より、終わりが待ち受けている。

 どれほど今が輝かしくとも、この刹那は永遠にはなれずに終わってしまう。

 

 神は最早、長くはない。

 彼の死後、この世界は全てが同時に消え去るだろう。

 

 そして生まれた子らは、何もない世界に放り出される。

 其処は剥き出しの弱き魂が生きるには、余りにも難しい神なき場所。

 

 この地の子らには、魂を自らの意志で形成する力がない。

 神の魔力に満ちた世界から放り出されれば、その存在を保てなくなり霧散する。

 

 神の死後に待つのは、全ての人が夢幻に還る。何も残らぬ泡沫の結末。

 

 ああ、何と救いがない事だ。

 あの苦痛に満ちた日々の先、その幕引きがそれでは誰も救われない。

 

 

「任せとけ」

 

 

 だから、自滅因子はそう語る。

 神の願いを叶え、世界を滅ぼす癌細胞はそう決める。

 

 

「後は俺が何とかする。お前は気にせず、人として生きて死ねや」

 

 

 唯人として、生きて死ね。

 

 それがきっと、人になる事を焦がれた鬼の友への餞別。

 全てを救う術を見つける為に、両面悪鬼が己の矜持すらも捨てた瞬間であったのだろう。

 

 そんな鬼の表情を見て、月の如く生きた女は溜息を吐いた。

 

 

「またそれ? アンタら男共は何時も何時も」

 

 

 全てを解決してやると嘯く鬼の言葉。

 一番辛い選択を、己の意志で通そうとする姿。

 

 それは彼も同じく、彼ら男達は何時も何時もそうだった。

 月の様に生きた太陽の女を顧みる事なく、全てを自分達で背負って解決してしまうのだ。

 

 女に出来る事は、あの頃から変わらない。

 

 信じて待つ。それしか出来ない。

 何時だって辛い想いを我慢して、そうして全てが終わった後で「おかえり」と告げるだけ。

 

 懐かしいと、そう思ってしまう事すら度し難い。

 そう思いながらも、そうとしか生きれなかった。辛さや寂しさに耐えて、ただ待つしかなかった。

 

 それがきっと、綾瀬香純の限界で――

 ああ、けれど、そんな限界をこの地でまで抱いて居たくはなかったから――

 

 

「――なら、私が何とかして見せるよ」

 

 

 だからたまには、男達の方をヤキモキさせてやろう。

 そう思って、そんな風に口にしたのだ。

 

 

「……で、どうすんのよ。バカスミ」

 

「バカスミ言うな! ……まだ分かんないけどさ」

 

 

 口で言ったとて、出来る事など浮かばない。

 既に詰み掛けている世界で、何かを出来る力など女にはない。

 

 

「やっぱバカだな。バカスミだ」

 

「だから言うな!!」

 

 

 それでも、女は確かに何かをしようと思った。

 笑い飛ばしながらも、鬼は何かをしてくれるのではと期待した。

 

 だから、言うべき言葉は唯一つ。

 

 

「アンタが外から頑張るなら、私は中から変えていくよ。心配性で格好付けなあの神様が、安心できる世界を作って見せる」

 

 

 互いに同じ様な笑みを浮かべて、互いの道を此処に決める。

 

 きっと何時か、何とかして見せる。

 古き世の男女は、一つの約束を交わしたのだ。

 

 

「やってみせろよ」

 

「やってやろうじゃん!」

 

 

 そんな、今は昔の約束。

 在りし日に交わした、唯の戯言。

 

 

 

 

 

「天魔・宿儺っ!」

 

 

 両面の鬼は、眼前で憤慨する少女を見る。

 綾瀬の系譜に連なる少女。高町なのはを冷たく見据える。

 

 あいつ譲りの栗色の髪。

 太陽の如き彼女と、どこか似た所のある性格。

 修羅道至高天の血族。太陽の御子(ゾーネンキント)であった香純が受け継がなかった筈の、黄金の獣が持つ暴虐性。

 

 そういった面を見る度に、そいつがあの馬鹿の血族だと分かってしまう。

 彼女が変えると言って、果たされる事を望んだ約束が、破られてしまったと分かってしまう。

 

 元より、無理だとは思っていた。

 そもそも、出来る筈なんてなかった。

 こんな子供に当たるのは、何もかもが筋違いだと分かっている。

 

 分かっていて、それでも――

 

 

「なんて様だよ。……バカスミが」

 

 

 嘆く色が隠せない。憤りを抑えられない。

 

 なのはが魔法を振るう姿を見る度に、深い失望を覚える。

 あの約束が果たせていない様子に、憎悪の情さえ抱いてしまう。

 

 故に――

 

 

「やっぱり俺、お前が嫌いだわ」

 

 

 天魔・宿儺は、高町なのはを酷く嫌うのだ。

 

 

 

 

 

2.

 高町なのはは怒っている。

 これまで抱いたことがない程の怒りを、鬼に対して抱いている。

 

 

「どうして、フェイトちゃんを!!」

 

 

 どうして、奪うのか。

 あと少しで分かり合えたと言うのに、どうしてこの鬼は奪っていくのか。

 

 

「どうして、貴方はそうなんですか!!」

 

 

 誰かを傷付けて、命を奪って、それでもヘラヘラと笑っている。

 そんな両面を持つ悪鬼の行為が、在り様が、存在自体が、高町なのはには許せない。

 

 

「はっ、俺が気に食わないか、ガキ」

 

 

 鬼はその稚拙な怒りを、応よと受け止めると笑って返す。

 嫌いだと言う感情を受け止めて、そして己の悪意を返すのだ。

 

 

「俺もだクソガキ。俺もお前が気に食わねぇ」

 

「何を!」

 

「戦う理由ってなシンプルな方が良い。正義だ悪だ大義だ理想だ。そんな物は必要ねえ」

 

 

 戦いにそんな余分は必要ない。それは純度を下げる想いだ。

 

 お前が許せない。

 お前が気に入らない。

 お前を殺さなければ気が済まない。

 

 それだけで十分。十分過ぎる程の理由だろうと鬼は笑う。

 

 

「さあ、来いよクソガキ。その杖は飾りか? 太極は使わねぇでやるから、手前の可能性を見せてみろ」

 

「貴方と言う人は!!」

 

 

 鬼は余裕を揺るがせない。

 怒りと共に、なのはは悪鬼へ向かって杖を構えた。

 

 

「ディバインバスター・ファランクスシフト!!」

 

〈Divine buster phalanx shift〉

 

 

 先ずもって、放つは初手より全力砲火。

 桜色の砲撃が飛来する。空間の殆どを塗り潰す程の砲撃雨。

 

 集束する程の魔力が満ちていない今、これこそが高町なのはの最高火力。

 

 だが――

 

 

「温ぃな」

 

 

 この鬼の前には意味を為さない。

 その身に触れた矢先から、魔法の砲撃は泡沫の滴の様に弾けて消える。

 

 

「詰まんねぇぞ。おい。……馬鹿みてぇに同じ事の繰り返し、それだけじゃ何の意味もねぇ」

 

「っ」

 

 

 砲撃と言う豪雨の中で、鬼は両手を広げたままに歩き出す。

 真昼の日差しの中を散歩するかのように、悠々と宿儺は歩み寄って来る。

 

 その姿に、心が僅かに揺れる。

 

 魔法が効かない。両面鬼に対するトラウマ。

 怒りによって見ない振りをしている弱い心が、僅かな恐怖で揺らいでいた。

 

 

「なあ、気持ち良いか? 気持ち良いだろう? 気持ち良いから、やってるんだよなぁ?」

 

「何が!?」

 

 

 砲撃だけでは通じない。されど魔法以外に何がある。

 こうして攻撃を続けていれば、何時かは何かが通る筈だ。

 

 そんな風に己の恐怖を誤魔化しているなのはに向かって、悠々と歩く鬼はその口から悪意を零した。

 

 

「そうやって力を振り回すことが、だよ」

 

 

 嗤う鬼の悪意の意図は、プレシアに向けた物と同じ物。

 相手の隠していたい一面を暴き出して、それに対する奮起を期待する物。

 

 彼女はその血を宿すが故に、向けられる期待はプレシアに対するそれより大きい。

 だがそれよりも、天魔・宿儺が高町なのはを嫌うが為に、向けられる悪意の方が遥かに大きい。

 

 

「良いよな、偶々拾った宝石で、偶然力が手に入って、凄い才能が芽生えて活躍、そんな私は強くて凄いだ?」

 

「何を!!」

 

 

 魔法の力が全く効かない光景に――

 恐ろしい鬼がゆっくりと近付いて来る姿に――

 隠していたかった己の弱さが暴かれようとしている状況に――

 

 高町なのはの心が、恐怖に揺れていた。

 

 

「ああ、随分と浸ってやがるな。そんな手前はどれだけ努力した? どれだけ努力した奴を嘲笑っている?」

 

「違うっ、私はっ、嗤ってなんかっ!」

 

「はっ、違わねぇよ。――私は無力だとか言ってたガキが、神様に頭下げて恵んで貰った力を振り回す。自分は凄いと悦に浸って、他人を無自覚に蹴落としている。それがどうして、嘲笑と違うと言える」

 

 

 ユーノ・スクライアと言う少年は、ちっぽけな意地を才能に砕かれた。

 あの時なのはが目覚めなければ、確かに彼を含めて多くの命が失われていたであろう。

 

 それでも、なのはは無自覚にユーノの矜持を圧し折った。

 それは変わる事はない事実であり、天与の才と言う理不尽な要素がそれを齎した。

 

 

「神様のお詫びで摩訶不思議な力を恵んで貰って、そんな私は強くて凄い。だからやる事為す事全部正しい。自己満足で他人の意志を踏み躙って、終わり良ければハッピーエンド? 笑えもしねぇ冗談。……そんな屑どもと、テメェはどれ程に違っている!?」

 

 

 フェイト・テスタロッサと言う少女は、母の為に弛まぬ努力を重ねていた。

 優れた才に恵まれて、それしかないから死に物狂いの鍛錬を重ねて、その果てに確かな答えを見付け出した。

 

 それは母を守ると言う意志。作り物が、初めて己で決めた事。

 けれどそんな決意を伴う力すら、歪みと言う力に都合よく目覚めた少女を前に破られた。

 

 結果的には、それが彼女の心を解き放つ事に繋がった。

 だが、それでも理不尽な才でなのはは我意を貫いた。その事実は変わらない。

 

 

「馬鹿にしてる。ふざけてる。拾って貰って恵まれたもんがなければ何も出来ねぇガキが、粋がってんじゃねぇっ!」

 

 

 それでいて、少女の本質は変わっていない。

 あの日屋上で自分は何も出来ないと嘆いていた様に、彼女の全ては魔法の才能ありきの物だ。

 

 神の瞳。万象全てを覗く天眼を用いれば、それが嫌でも分かってしまう。

 神が全知である所以。この世で起こり得る全てを知る事が出来る瞳を、大天魔は部分的にだが借りる事ができるのだから。

 

 

「手にした力が何であれ、得た救いは素晴らしい? 振るう力は天賦の才能であり、与えられた力を如何に使うかが大切だ? 俺は俺の力に覚悟と意志を抱いているから、だから神の恵みであっても正しく使える?」

 

 

 無論。全てを見通す事は出来ない。

 神に人の自我がある限り、膨大過ぎる情報全てを理解し切るには時間が掛かる。

 そして大天魔は本来の持ち主でなければ、どれ程同調しているかによっても制限が掛かるのだ。

 

 だが、それでも両面宿儺は確かに見通している。

 神の片腕である夜都賀波岐のナンバースリーは、他の大天魔よりも高い同調を保っている。

 

 だからこそ、鬼が語るのは、高町なのはが心のどこかで自覚していた己の弱さ。

 故にこそ、その言葉は彼女の心を恐怖で揺らし、その醜さを衆目の内に晒し出す。

 

 

「馬鹿馬鹿しい。阿呆かテメェら。――そんな奴の語る言葉は、救いも意志も覚悟も全部、薄っぺらくて軽いんだよっ!」

 

 

 与えられた者。恵まれた者。

 彼らの語る強さは、その全てが軽い物。

 

 努力していない者に、何故その辛さが語れよう。

 恵まれただけの者に、何故恵まれぬ者の心を理解出来よう。

 神様の脚本通りに動いて齎した救いに、一体どんな輝きがあると言うのか。

 

 何もない。何もかもが軽くて安くて見苦しい。

 

 

「立脚点が、そもそも間違っている。借り物拾い物貰い物。そんなもんの上に何を重ねようと、何もかもが安物だろうがっ!」

 

 

 その想いは安いのだ。

 その覚悟は軽いのだ。

 

 その上に何を乗せようとも、土台が真面でないなら崩れる物。

 得た力で何をしようとも、その力に驕り高ぶり悦に浸るならば全てが格好悪いのだ。

 

 

「けどっ! それでも私はっ!」

 

 

 拾った物でも、貰った物でも、これで確かに変われたのだ。

 だから誰かを助ける為に、だから何かを貫く為に、そうした想いも無価値と言うのか。

 

 曝け出された弱さに怯えながらも、なのははその手の杖を握り締める。

 放たれる魔砲の雨に、混じるのは無数の誘導弾。吹き荒れる桜の嵐は、全てを塗り潰さんと暴威を示し――

 

 

「何かを語ろうとするなら、先ずもって最初にその見苦しい貰い物を捨ててから語れっ!!」

 

 

 されど魔法である限り、両面の鬼には届かない。

 彼がそれを認めぬ以上は、魔法の力でこの鬼は倒せない。

 

 

「変わったと語るなら、何もない状態に戻ってから何かを為せ! 無力だと嘆いていた身で変わるから、それに初めて価値が生まれるっ!」

 

 

 それが、それこそが、両面鬼が焦がれた人の輝き。

 未だその手に奇跡を握り締める限り、鬼は決して認めない。

 

 

「それが、真面目に生きるってもんだろうがぁっ!!」

 

 

 無数の魔法は、意味を為さない。

 人間にしか倒せないこの鬼は、奇跡の杖では倒れない。

 

 

 

 そして桜の嵐の中、歩み寄った鬼が少女の前に立つ。

 

 

「さて、ここまで来たが、……どうするよ?」

 

 

 なのはの杖を胸元に押し当て、さあどうすると鬼は問う。

 この距離まで詰めたなら、魔法を振るうよりも殴った方が早い。

 

 

「さぁ、テメェの真価を見せてみろっ!」

 

「っ」

 

 

 手が震える。膝が震える。

 その小さな全身が、恐怖に震えていた。

 

 

「私、は」

 

 

 目の前で嗤う鬼。殴り掛かって来いと嗤う鬼。

 震える手に持つ魔法の杖を、高町なのはは離せない。

 

 魔法(コレ)があったから、己は変われた。

 魔法(コレ)があったから、己は強く歩けた。

 

 なら魔法(コレ)がなくなれば?

 それでも自分は、先に進めるのか。

 

 分からない。分からない。分からない。

 ああ、だけど。こんな恐ろしい怪物を前に、自分は魔法を手放せない。

 

 怖いのだ。恐ろしいのだ。

 魔法があっても勝てないのに、捨てるだなんて選べない。

 

 故に――

 

 

「ディバインバスターっ!」

 

 

 目を逸らしながら、それでも放つのは桜の砲撃。

 それを受けて煙が舞い、しかし掴まれた腕に感じる握力は揺るがない。

 

 

「……詰まんねぇなぁ、おい」

 

「ひっ!?」

 

 

 煙が晴れた先、揺るがぬ鬼の失望の色。

 その瞳に見下されて、なのはの心に亀裂が走る。

 

 

「レイジングハートっ! レイジングハートっ!!」

 

〈Calm down. My master〉

 

 

 あの日と違い、魔法の杖は答えてくれる。

 あの日と違い、レイジングハートは壊れてはいない。

 

 なのにあの日と同じ様に、己は魔法を使えない。

 

 

「どうしてっ! なんでっ!?」

 

〈Lack of magical powers〉

 

 

 魔力が不足している。

 解答は余りにも単純で、これ以外に解釈のしようもない物。

 

 魔力がないから、魔法が使えない。

 魔力が足りないから、杖は奇跡を起こせない。

 

 

「私の歪みなら、なのにどうして!?」

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 高町なのはは混乱の極みにあって、単純な解答に辿り着けない。

 

 歪みとは、渇望によって動かす魂の力。

 故にその源である心が折れてしまっては、発現する道理はない。

 

 故に今のなのはは、倒れた時と同じ状態。

 全ての魔力を使い果たして、何も出来ない姿となった。

 

 

「で? どうするよ」

 

「あっ、あぁ」

 

 

 既に力を振るえぬ唯の少女。

 全てを暴かれた状態で、さぁどうすると鬼は問う。

 

 杖を捨てて、拳で殴り飛ばす術もあっただろう。

 杖を握り締めて、殴り掛かる選択はあっただろう。

 

 だが、そのどちらも少女は選べなかった。

 

 

「レイジング、ハート」

 

 

 やはり、頼ってしまうのはその奇跡。

 結局高町なのはは、その杖を捨てる事は出来なかった。

 

 故にその結末は、当然の帰結であり、当たり前の幕引きである。

 

 

「やっぱ、駄目だわ。お前」

 

 

 冷めた口調で呟いて、鬼は完全に見限った。

 この少女に可能性はないと断じて、その剛腕を振り下ろした。

 

 

 

 

 

3.

 振り下ろされる拳の痛みを想像し、なのはは目を閉じた。

 

 一秒。二秒。三秒。

 どれほど経っても訪れぬ痛みに、恐る恐る目を開く。

 

 

「え?」

 

 

 其処には、少年の背中があった。

 

 

「へぇ」

 

 

 鬼の剛腕は、なのはに当たる前に止められている。

 その強烈な一撃を額で受けて、少年は揺らぎながらも確かに立っていた。

 

 

「訂正しろ」

 

「何を?」

 

 

 割れた額から血を流して、霞む視界で少年は口にする。

 対する鬼は楽し気に、己の拳を受けても立っている子供を見下ろす。

 

 感じる重圧。見下ろす悪鬼。

 その威圧感に気圧されて、胸に湧き上がるのは怯懦と恐怖。

 

 怖い。怖い。怖い。

 足がガクガク震えている。膝が崩れ落ちそうなくらい笑っている。

 

 そんなみっともなさと、怯えて震える弱い心。

 泣き喚いて逃げ出したい衝動に駆られて、だけど、だからどうしたと開き直る。

 

 開き直って、少年は口にする。

 退けない道理がそこにあるから、例え無茶でも通すのだ。

 

 

「なのはに言った言葉を、訂正しろって言ってるんだよ! 天魔・宿儺!!」

 

 

 決めたのだ。もう間違えないと。

 誓ったのだ。今度こそは守り抜くと。

 

 ならば今こそ、その誓いを果たす時。

 

 確かな怒りを手に握りしめ、震える瞳で確かに睨み付ける。

 逃げ出したい弱さと向き合いながら、少年は此処に大天魔と相対する。

 

 

「させてみせろよ、男の子」

 

 

 さあ、誓いを示す時だユーノ・スクライア。

 この鬼は己が倒さねばならない。背後に震える少女を守る為に。

 

 こうして漸く、ユーノ・スクライアは再び戦場に立った。

 

 

 

 震える心を抱える少年は、無茶でも無策で挑む訳ではない。

 弱い心と向き合う事を選んだ彼は、確かに彼なりの勝機を手に立っている。

 

 少年の胸に光る青き輝きを見て、なのはは小さく呟いた。

 

 

「それ、フェイトちゃんの」

 

 

 ユーノの胸に揺れるはジュエルシードのペンダント。

 それが輝くと同時に、彼の額に刻まれた傷が、録画映像を逆回転させるように癒えていく。

 

 癒しの力がユーノの傷を治し、溢れる魔力が彼の糧となる。

 それこそが弱い少年が見つけ出した、両面悪鬼に抗う手段。

 

 

「今まで泣いてる女を放っておいたのは、そいつを探していたからかい? クソガキ」

 

 

 それを見据えて、詰まらないと宿儺は断じる。

 一度上げた少年の評価を再び下げて、見据える鬼は吐き捨てる様に口にした。

 

 

「はっ、随分と気合入ったこと言うと思えば、情けねぇ。そんな玩具に頼らないと何もできないのか、良い子ちゃんよ?」

 

 

 ロストロギアを玩具と断ずる。

 そんな様が傲慢にならぬ程に、確かに鬼は強大だ。

 

 

「惚れた女を守るのに、命綱がなけりゃ立ってる事すらできねぇかっ!?」

 

「そうだよ」

 

 

 天魔・宿儺の罵声に対し、ユーノの答えはそんな物。

 痛い所を貫く両面鬼の嘲笑すらも、今の彼には意味がない。

 

 

「僕は屑だ。なのはが傷付いている時に、勝機がないと怖気付く屑だ。勝てる理屈を探してしまう。自分の意思だけじゃ戦えない大馬鹿者だよ! そんなことは分かっているんだ!!」

 

 

 そうとも、そんな事は分かっているんだ。

 自分が屑でしかなく、変わりたいのに変われないと知っている。

 

 ああ、本当にこんな自分が許せない。

 彼女が追い詰められる瞬間も、勝機を探し続けるなんて情けない。

 

 だから好きに罵倒しろ。

 言われても仕方ないくらい、ユーノ・スクライアは腐っている。

 

 だけど――

 

 

「僕を嗤うのは良い。なのはを侮辱するのは許さない!」

 

 

 それだけは許せない。

 彼女の輝きを確かに知る少年だからこそ、それだけは許さない。

 

 

「へぇ」

 

 

 その未熟な輝きの発露を見て、鬼はニィと笑みを浮かべる。

 この少年を見極めるには、その方向の方が良い。そう判断して悪意を零した。

 

 

「このガキは屑だ。拾った強さで悦に浸って、他人を嘲笑するクソガキだぜ?」

 

 

 びくり、と震える少女の姿。

 少年が背に庇う女を見下ろして、宿儺は蔑む様に口にする。

 

 

「お前、女の趣味悪いな」

 

「ふっざけるなぁぁぁぁっ!」

 

 

 その言葉に、少年は激発する。

 怒りを胸に、想いを言葉に、織り交ぜながら拳を振るう。

 

 

「お前は知らない! 知らない癖にっ!」

 

 

 そう。天魔・宿儺は知らない。

 神様の目で何もかもを見通した気になっている鬼は、その実少女の本質を見落としている。

 

 

「死に掛けた体を包んでくれたあの掌の暖かさを! どうしようもないほど震えていた時に、頑張れと声を掛けてもらえた時の心強さを!! 太陽のように笑うなのはの優しさを、お前は欠片も知らないじゃないか!!」

 

 

 その想いを拳に込めて、強化した身体で殴り掛かる。

 軽々と躱されて、返る拳に打ちのめされて、それでも少年は止まらない。

 

 そうとも、彼は止まらない。

 躊躇う事もなく、震える事ももうない。

 戸惑いすらも置き去りにして、ちっぽけな勇気を奮う。

 

 

「そうだ! あの時のなのはは、力を理由に優しく出来た訳じゃない! 何もないと語る内から、それでも“太陽”があの子の心にあったんだ!!」

 

 

 振るう力に溺れて、他人を蹴落とす餓鬼と嗤う。

 元が偽物ならば、重ねる物にも価値はないと嗤う鬼に反論する。

 

 確かに、高町なのはには、そういう一面もあるのだろう。

 手にした強さに溺れて、その魔法の力で何でも為せると思い込む。

 

 だけど、彼女はそうだとしても、それだけではない。

 それを他ならぬユーノ・スクライアこそが、他の誰よりも知っている。

 

 

「倒れた僕を救ってくれた優しさは、偽物なんかじゃない!」

 

 

 そうとも、あの日のなのはは、未だ魔法を知らなかった。

 だけど当たり前の様に、誰かを助ける為に必死になれる。そんな強さを持っていた。

 

 

「あの日感じた温かさは、安物なんかじゃ断じてない!」

 

 

 あの掌に感じた温かさは、安物ではない。

 

 そうとも、例え誰が嗤おうとも認めない。

 あの温かさに、自分は確かに救われたのだ。

 

 

 

 高町なのはの本質。根幹にある想いを偽物だと鬼は嗤った。

 だが違う。彼の語るように全てが魔法ありきにあるのではなく、彼女の土台は違う物なのだとユーノは語る。

 

 そうとも、そうでなければ笑えない。

 殴られながら、傷付きながら、それでもユーノは確かに叫ぶ。

 

 

「確かな“太陽”が胸にあるから、なのははあんなに綺麗に笑えるんだ!」

 

 

 そうだ。彼女の想いの根本は、偽物ではない。

 太陽が齎す陽だまりの様。そう思えた、その優しさだ。

 

 

「それに気付かないっ、そんなお前がぁっ!」

 

 

 人とはその一面だけではない。

 見るに堪えない部分も、とても美しく輝いている部分も、両方合わせて人なのだ。

 

 ユーノはなのはの輝きを、誰より深く分かっている。

 悪い所だけ抜き出して、お前はそうだと決め付ける。そんな鬼の悪意にも負けない程に、確かにそれを知っている。

 

 だから認められない。認められるものか。

 あの優しさを、誰にだって否定なんかさせない。

 

 

「お前の理屈でなのはを語るな! 天魔・宿儺ぁっ!!」

 

 

 そんな想いを胸に抱いて、ユーノは己の体内に魔力を通す。

 体内に蓄積する魔力は己を侵す毒と化すが、そんな事は知らぬと薄皮一枚の下で肉体を強化する。

 

 まともに表層を強化しただけでは、この鬼の拳で効果を消される。

 故にこその体内強化。この鬼に抗う為には、生命の一つや二つは担保としよう。

 

 それ程に、ユーノにとって、この鬼は認められないのだ。

 

 

「はっ、言うじゃねぇか」

 

 

 己に向かって、我武者羅に拳を振るう少年。

 鬼の身体能力に追い付く為に、命を燃やして抗う男。

 

 その姿に、鬼は確かに笑みを浮かべる。

 浮かべていた悪意の嘲笑は消えて、瞳に浮かぶのは認める色。

 

 

「良いな、お前。少し気に入ったよ」

 

「僕はお前が嫌いだ!」

 

「そうかい。なら俺を倒してみろや、男の子!!」

 

 

 既に満身創痍の少年は、それでも青い輝きで立ち上がる。

 体内を壊しながら、すぐさま治しながら、少年は確かに鬼に立ち向かう。

 

 だが、やはり体内強化は諸刃の剣だ。

 

 歪み者になる前の高密度魔力汚染者が示すように、或いはヒュードラ事件後に魔力汚染を受けていたプレシアが示すように、魔力は過ぎれば毒となる。

 

 特に制御出来ないほどの魔力を、無防備な体の中に通す。それは自殺行為と同意である。

 

 

「けど、これなら追い付けるっ!」

 

 

 己の体を侵す激痛に耐えながら、ユーノは己自身を鼓舞する。

 ロストロギアの魔力があれば、この鬼にも追い付けるのだと分かっている。

 

 そう。それによって、ユーノ・スクライアは鬼の身体能力に食らい付いている。

 命を切り売りし、青い宝石の輝きによって、その力を限界を超えて高めている。

 

 だが――

 

 

「甘ぇんだよ」

 

 

 それでも、覆せない差が存在した。

 

 

「っ!!」

 

 

 鬼の拳がユーノの胴に打ち込まれる。

 胃と腸と、内臓が潰れる様な痛みが走り、瞬時にそれが治癒される。

 

 本来治療魔法で出来ない事も、この願いを叶える宝石なら可能だ。

 そうして立ち上がったユーノは、口に溜まった血を吐き出すと、拳を握って殴り掛かる。

 

 

「おぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 魔力で強化された拳。鬼の拳速にも迫る一撃。

 それは相応の速さで敵に迫り――

 

 

「何だ、このへなちょこパンチは。拳が上手く握れてねぇ、肩と腰の動きがズレてんぞ!」

 

「ぐぁっ!?」

 

 

 その速さに不釣り合いな技巧の低さ故に軽々と躱され、鬼の反撃を受ける結果となった。

 

 足りない物がある。

 ユーノが鬼に抗う為には、決定的に不足している。

 

 

「そらよ、必死で躱せ」

 

「くぅっ!!」

 

 

 両面の鬼は軽く蹴る。

 だが軽く見えようとそれは、確かに数億年分の経験に裏打ちされた鬼の蹴撃。

 

 

「がっ!!」

 

 

 当然、未熟な少年に躱せる道理などはない。

 鬼の蹴撃に打ちのめされて、少年は二度三度と跳ねながら吹き飛ばされる。

 

 

「はっ、体幹がズレてんぞ! 体の軸が安定してねぇ!! そんな無様な躱し方じゃ、百年経っても俺に届かねぇ!!」

 

「ユーノくん!!」

 

 

 ボロボロになって俯せに倒れる少年に、涙目の少女はその名を呼ぶ。

 声に答える様に必死に立ち上がるが、不足を補えない限り少年には勝機がない。

 

 ユーノ・スクライアに足りない物。それは――

 

 

「はっ、良い子ちゃんがよ。お前、喧嘩の一つもしたことねぇだろ? 戦い方がまるでなってねぇ」

 

 

 戦う方法。拳を握り、誰かと殴り合う経験が不足していた。

 

 ユーノ=スクライアは和を乱すような少年ではなく、むしろ周囲を纏める立場にあった優等生だった。

 

 故に殴り方など知らない。

 だから殴り掛かられた際の対処など分からない。

 

 攻撃の躱し方にした所で、遺跡発掘の際に危険を回避する技術。それを応用した出鱈目な物でしかない。

 

 最小限の動きで躱す、最大効率で動く、そんな真似は少年には出来ないのだ。

 

 

「身体能力が追い付けばワンチャンある? そんなに俺らは、甘くねぇんだよっ!」

 

 

 それでも、彼が本能で動くタイプであったなら、また話は違っていたのであろう。

 だが彼は理屈で戦うタイプだ。彼に本能による体捌きなど、期待する事が出来なかったのだ。

 

 

 

 かつて両面の鬼はこう語った。

 武術というのは弱い奴がやるもの。強い奴は生まれた瞬間から強いのだと。

 

 故にこの鬼の武は無形。無形であり我流。天衣無縫の技の冴え。

 でありながらも数億年の研鑽が、この鬼の無形を武の頂きへと至らせている。

 

 

 

 等級という考え方がある。

 嘗て神座世界、天狗道に侵された神州・秀真で御門が作り上げた格付けだ。

 

 天魔に由来する力を陰。

 それ以外を陽として、十段階に区分けする考え方。

 

 武芸を収め、武門の看板を背負うことが許される達人で陽の肆。

 天分の才を持ち、修練の果てに一騎当千と謳われるだけの力を得た英雄が陽の伍。

 並み居る英雄譚の中でも、多くの英雄達を打ち破った大英雄で陽の陸と言ったところだろう。

 

 そんな格付けを宿儺に適応するならば、太極と鬼の身体能力を除いた上でなお、彼の格付けは陽の玖。それも到達点である拾に限りなく近い玖だ。

 

 喧嘩の遣り方も知らない少年が、身体能力を上げただけでどうにか出来るレベルを超えている。

 

 あの高町恭也でさえ、格付けに従うならば陸に近い伍といった所。

 ユーノ・スクライアがこの鬼に敵う道理など、何処にもありはしないのだ。

 

 彼はご都合主義に守られた主人公ではなく、主役の踏み台にされる脇役に過ぎないのだから――その拳を届かせる。戦いの中で学び取る。そんな都合の良い展開などは起こり得ない。

 

 当たり前の様に蹂躙されて、少年は地面に倒れた。

 

 

「もう。もう止めてっ!」

 

 

 その姿に、少女は涙目で叫ぶ。

 悲鳴の様な言葉を零して、駆け寄り彼の前に立つ。

 

 恐ろしい鬼の前で、両手を広げる。

 今にも逃げ出したいが、それでも彼は逃げないから。

 

 だから自分だって、彼を守る為に。

 そんな想いで立ち上がった少女の決意は――

 

 

「退いてろ、クソガキ」

 

「あ」

 

 

 鬼の一瞥で、呆気ない程に容易く砕かれた。

 自らに向かって伸びる腕に、なのはは震えて動けない。

 

 両面の鬼は、もうその少女に何の興味も抱いていない。

 

 見届けるべきは倒れる少年。

 さあ、これで御終いか、とまだ立ち上がって来ることを期待している。

 

 止めないといけない。彼を守らないといけない。

 なのに恐怖に震える高町なのはは動けず、鬼はゆっくりと迫って来る。

 

 涙が零れて止まらない。

 そんな少女の肩に、触れる様に手が置かれた。

 

 

「下がってて、なのは」

 

「ユーノ、くん」

 

 

 少女の肩を優しく押し退け、少年は確かに立ち上がる。

 

 泣いている少女に背を向けて、口にするのは強気の言葉。

 勝機なんてまるでないけど、それでも安心させたいと思ったから、意図して強い言葉を使って見せる。

 

 

「大丈夫。待ってて、なのは」

 

 

 未だ諦めない。根を上げる訳にはいかない。

 勝機がないとか勝算がないとか、そんな言葉に意味はない。

 

 

「君が恐れるあの鬼は、僕が必ず倒すから!!」

 

 

 変わりたいと、そう思ったのだ。

 守らないといけないと、そう誓ったのだ。

 

 

「はっ、良く言った! そうだよ、それでこそだよ男の子!! 惚れた女の前だろう!! 無様を晒す暇はねぇぞ!!」

 

 

 泣いて逃げる時間はおしまい。

 恐怖に震える心を勇気で奮わせ、何度だって立ち向かう。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

「来いやぁぁぁぁっ!!」

 

 

 敗北は確定している。

 勝機などないと分かっている。

 

 けれど、もう退かないと決めた。

 一度退けば、きっともう立ち上がれる程の気概はない。

 

 だから、退けぬのではない。

 退きたくないから、退かぬのだ。

 

 

 

 

 

「どうして」

 

 

 残された少女は一人、戦いを見詰める。

 

 いいや、これは戦いにもなっていない。

 勝ち目などないと、彼女にも分かる程に一方的な蹂躙だ。

 

 それは奇しくも、あの日の焼き直しだった。

 

 魔法に目覚めた日。

 未だ何も出来なかった少女を、守るように脅威に立ち向かった少年の姿。

 

 その傷付いていく姿を見ていられなくて、目を背けて神に祈った。

 その果てに自分は魔法を得て、そうして全てが解決した。

 

 ならば今回も、目を背ければ解決するだろうか?

 恐怖に震えて目を閉ざし、神に助けを求めれば全てが良くなるのだろうか?

 

 

「ユーノくん」

 

 

 少女はそんな妄想を抱き、少年の戦いから目を逸らすように瞼を閉じた。

 

 だが――

 

 

「ダメよ。貴女は見ていないとダメ」

 

「あっ」

 

 

 女の鬼が、現実から目を逸らそうとした少女の瞼を無理矢理に開いた。

 

 

「あの子の戦う理由が、そうして逃げてばかりいちゃ駄目。神様に祈っては駄目。どんなに辛くても、信じて待たないと、あの子があまりに報われない」

 

 

 女の鬼が告げるのは、そんな言葉。

 

 余りに弱い少年が、それでも鬼に挑む光景。

 それを見届けろと悪鬼の片割れ、本城恵梨依が少女に告げる。

 

 

「けど、でも……」

 

 

 ああ、その目に映る光景は何と残酷な物か。

 

 何度傷付いても、少年は血反吐を零して立ち向かう。

 何度挑みかかっても、彼は一歩たりとも届かずに、その拳に敗れ続ける。

 

 その少年の抗い続ける姿は――

 

 

「酷い、だけかしら」

 

「…………」

 

 

 酷いだけでは、決してなかった。

 

 ああ、何でその背が大きく感じられるのか。

 

 あまりにも小さな体で、か細い勝機すら見えぬ巨大な壁に挑み続ける。

 敗れ、倒れ、血に塗れ、それでも一つの想いを抱いて挑むその姿が、どうして小さく見えようか。

 

 

「どうして?」

 

「ん?」

 

「どうして貴方達は、こんなことをするんですか?」

 

 

 ぽつりと零れたのは、そんな当たり前の疑問。

 それに対し、女の鬼は小さく笑って呟くように口にした。

 

 

「さて、どうしてかしらね」

 

「…………」

 

「忘れてしまったわ。ううん。忘れたい程に、皆が余りに情けなかった」

 

 

 もう可能性はない。最後に残った希望さえ、明確な形にはなり得ない。

 

 両面の鬼はきっとどこかで、そう諦めて自棄になっている。

 生まれ落ちるであろう神の半身を、導ける者がいないと嘆いている。

 

 だけど――

 

 

「求めたのは、単純な物。あんな風に、大切な人の為に戦える。そんな当たり前の事」

 

 

 もしかしたら、そんな風に希望を抱く。

 この不本意な在り様で、それでも見つけられたかも知れない。

 

 求めたのは、如何なる絶望にも諦めない可能性。

 誰もの心にある筈の、揺るがない意地を貫ける存在。

 

 もしもあの少年が、そうだと言うならば――

 

 

「だから、もう少しだけ見ていたい。そんな単純な、理由なのかも知れないわ」

 

 

 鬼はそれを確かめなくてはいけない。

 どれ程に悪逆非道を自覚しても、それこそが彼らの役割だから。

 

 

「……ユーノくん」

 

 

 少女は見詰める。

 少年の名を呟いて、少女は戦いを見詰め続けた。

 

 

 

 

 

 鬼の拳がその小さな体を打つ。

 その度に内臓が破裂して、歯が飛び散り、それらがロストロギアによって瞬時に再生されていく。

 

 そんな光景を見詰める鬼に、思う所が一つ。

 

 

(気に入らねぇ)

 

 

 そう。その思いが残っている。

 彼をそうだと認めるには、余分な物が其処にある。

 

 それは少年の無様に対してか?

 いいや、否。この少年の泥臭い在り様は宿儺にとっては好ましい。

 

 見詰める少女が何も出来ていないことか?

 いいや、否。今はもう鬼の視界に映るのはこの雄々しい少年の姿のみ。他は些事だ。全てどうでも良いと感じている。

 

 ならば何が気に食わないと言うのか。

 

 鬼の視線は語る。

 その目はジュエルシードに向いていた。

 

 

 

 少年は戦いの中で、常に頭部を守っていた。

 一撃で即死してしまえば治癒も糞もない。それを防ぐ為の行為であり、至極当然の結論だ。

 

 だが、そうでありながら、少年は未だ心臓を庇ったことがない。

 心臓が破裂しても再生可能だと思っているから? いいやそうではない。

 

 少年は鬼がそこだけは狙わないと判断していたのだ。

 

 首から下げたジュエルシード。

 丁度心臓の上に位置するそこを狙えば、彼らが欲しがるジュエルシードが壊れてしまう。

 

 だからきっと、此処は狙われない。

 そんな姑息な浅知恵が、少年の在り様にケチを付けている。

 

 それが鬼は気に食わない。

 折角、見つけたかも知れないのに、その一点が足を引っ張っている。

 

 ジュエルシードを壊さぬ為なら、ここは狙えないだろう。

 そういう小利口な小細工が、どうしようもなく気に入らないから――

 

 

(さあ、最後の試験と行こうか)

 

 

 鬼が穿つ場所は決まっている。

 もうジュエルシードなど必要ない。

 

 

(これで生き残れたなら、手前のことを認めてやるよ)

 

 

 鬼の剛腕が放たれる。

 その圧倒的な暴威によって、ペンダントは砕かれる。

 

 ジュエルシードは色を失い、そして少年は吐血して倒れた。

 

 

 

 

 

「ユーノくん!!」

 

 

 戦いを見守っていた少女が、叫び声を上げる。

 血反吐を吐いて少年を地に伏せ、カランとペンダントが床に落ちた。

 

 

「未だ、息はある、か」

 

 

 倒れた少年を見下ろして、両面鬼はそう呟く。

 辛うじて、の領域だが、確かに少年は息を繋いでいた。

 

 

「運に救われたか、いや」

 

 

 直撃の瞬間。ペンダントの鎖が千切れ落ちた。

 結果として、ジュエルシードを狙った拳の軌道は逸れ、天魔・宿儺の一撃は心臓を破裂させるのではなく、腸を押し潰す形に収まった。

 

 それを幸運と結論付けようとして、そうではないと首を振った。

 

 

「お前達の意志が、その運を引き寄せた」

 

 

 鬼との殴り合いの中で、それ以前の少女達の戦いの中で、即席のペンダントは既に壊れ始めていたのだろう。それが少年の窮地を救ったのだ。

 

 

「なら、そいつは偶然ではなく必然だ」

 

 

 運が良かったのではない。

 彼らのこれまでが、その運を引き寄せたのだと宿儺は認めていた。

 

 だが、同時に――

 

 

(だが、もう持たねぇかな)

 

 

 諦めてもいた。残念にも思っていた。所詮は此処までか、と。

 

 生きている少年は、最早虫の息だ。

 内臓をごっそりと潰されて、命綱を壊されたのだから。

 

 管理局の医療技術なら、一命を取り留めるかもしれない。

 だが救助の部隊が来るまで、この傷では持たないだろう。

 

 故に少年は、もう助からない。

 

 

(結局、コイツも違ったか。……この程度で潰えるなら、託すなんて出来るかよ)

 

 

 両面の鬼は、そう結論付ける。

 アレを託すには足りないと、少年をそう断じた。

 

 

「んじゃ、帰るぞエリィ」

 

「はいはーい。……うん。今回も良い物見れたねぇ」

 

 

 両面の鬼は背を向けて、立ち去って行く。

 挑んできた少年の雄姿を称えながらも、この程度かと結論付ける。

 

 

「アイツを任せるには、足りねぇよ」

 

「ま、事が事だから、アンタが妥協する訳ないんだろうけど。……それでも、良い男だったでしょ?」

 

「……ああ、そうだな」

 

 

 一瞥するのは、倒れた子供。

 消え行く前に、任せるには不足でも、確かに輝いていたと認める。

 

 

「久し振りに、見所がある“人間”だったさ」

 

 

 魔法に頼っていても、それに縋り付く愚者とは違う。

 真面目に生きていても、根底で狂っている研究者とは違う。

 

 確かに少年は、人間だった。

 そう認めて、結論付けて、両面鬼は去って行く。

 

 

「ユーノくん」

 

 

 倒れた少年に駆け寄ろうとして、なのははその場で立ち止まった。

 

 

(これで、良いの?)

 

 

 彼らは勝手に少年を評価して、こうして立ち去ろうとしている。

 まだ息がある少年を、もう終わったと結論付けて、勝手な評価を下している。

 

 

(良い訳、ない。良い訳が、ないよ)

 

 

 小さい背中で、それでも大きく見えたのだ。

 その少年が値踏みされて、勝手に失望と納得をされて、それで良いと何故言える。

 

 彼は凄いのだ。震えて動けなかった自分より、確かに強くて輝いていたのだ。

 だから鬼の下したそんな結論が気に入らなくて、それでも自分で挑むのは違うから。

 

 

「ユーノくん!」

 

 

 涙に滲んだ瞳で、縋り付くのではなく言葉を掛ける。

 

 きっと彼が望んでいた言葉。

 先は言えなかった、無茶な言葉を彼に伝える。

 

 

「負けないで!」

 

 

 負けないで。そんな鬼には負けないで。

 涙と共に叫んだ言葉に、彼は確かに答えを返した。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 血を吐きながら、立ち上がる。

 中身がないのに、それでも意地で立ち上がる。

 

 

「え? 嘘」

 

「おいおい、マジかよ」

 

 

 それは両面にも予想外。

 死に瀕した少年は、少女の祈りに答えて立ち上がっていた。

 

 

「天魔・宿儺ぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 それは、現象としては起こり得る事。

 この地の民は皆、己の肉体を神の力で形成している。

 

 あらゆる万物は魔力が形を変えた物で、故に意志の力で無理が通せる。

 

 だが同時に、理屈の上ではあり得ても、決して不可能だった事。

 今の民に己を形成する程の力はなく、その弱った魂は加護がなければ自己を保てない。肉体部位の欠損は、そのまま死に繋がる致命傷。

 

 だと言うのに、少年は確かに立ち上がった。

 それは神様の加護ではなく、少年の意志が少女の祈りに応えたから。

 

 

「お前は、何時か必ずっ!」

 

 

 神の加護ではないから、その傷が治る訳ではない。

 少年の魂は弱くて、特別でも何でもないから、立っているだけで精一杯。

 

 意志の力で死を遠ざけて、必死に血反吐を飲み込み叫ぶ。

 もう一歩たりとも動けなくて、それでも少年は雄々しく宣言した。

 

 

「僕がっ! 倒すっ!!」

 

 

 負けないで、と望まれた。

 だから絶対に、唯では負けない。

 

 今は何の力もないとしても、何時か倒すと此処に誓う。

 

 相手は遊びで、己は蹂躙されただけ。

 元より戦っていないのだから、まだ負けてはいないと屁理屈を捏ねる。

 

 それは屁理屈であっても、それは遠吠えに過ぎないとしても、それでも少年は立っている。限界すらも乗り越えて少年は、確かに宣戦布告を口にした。

 

 

「お前が、俺を倒す?」

 

 

 気に入らない敵がいる。倒すべき敵がいる。越えるべき壁がある。

 

 ならば突破してみせるよう。

 

 何の根拠もなく、何の確証もなく、けれどそんな言葉をユーノは誓う。

 

 そんな彼の姿に――

 

 

「は、ははははははっ!!」

 

 

 両面の鬼は、心底楽しそうに笑い声を上げた。

 そして彼は笑いながら、己の内で答えを決めた。

 

 

「良いぜ、良いな。そうだ、それこそが“人間”だ!」

 

 

 彼こそが、最後の希望に相応しい。

 その意志の発露こそ、次代に伝えるべき人の輝き。

 

 そう決めたからこそ、宿儺は初めて、少年個人を認めていた。

 

 

「お前、名前なんだっけ?」

 

 

 問いかけるのは、そんな言葉。

 天眼を使えばすぐに分かるが、それでは意味がない。

 

 戦の作法と気取る様に、認めた相手が名乗るからこそ意味がある。

 

 

「ユーノ。ユーノ・スクライアだっ!」

 

「良いぜ、刻んだ。お前の名前は、覚えておく価値がある」

 

 

 お前には価値がある。

 そう認めた鬼は、その名を刻んで去って行く。

 

 少年が死ぬとは、もう思わない。

 断言しよう。彼は死なない。こんな形では死にはしない。

 

 だから、きっと己の下まで来る筈だ。

 血反吐を吐いて、泥に塗れて、血肉を食らって、その手をこの鬼の足元へと届かせる。

 

 そうでなくては嘘であろう。

 

 

「やってみせろよ。ユーノ」

 

 

 残した言葉は、在りし日と同じ物。

 そんな両面の鬼の心境は、果たして如何なる物であったか。

 

 

 

 ただ、確かに言える事が一つ。

 去りゆく鬼はこの瞬間に、少年を己に挑む敵と認めたのだ。

 

 

 

 

 

 そして鬼が立ち去って、少年はその場に崩れ落ちる。

 既に限界を超えた身体は、最早意識すらも保てなかった。

 

 

「ユーノくん!」

 

 

 鬼が去ると同時に意識を失い倒れた少年を、少女は両手で抱き締める。

 抱えた軽さに涙を浮かべて、それでも確かな鼓動に安堵を漏らした。

 

 

「ユーノくん」

 

 

 きっと、彼は生き残る。

 それをなのはも理解して、安堵の息を其処に零す。

 

 瀕死に近い少年は、それでも魂が輝いていた。

 

 

「ありがとう。――格好良かったよ」

 

 

 だから、その身を抱き抱えて、なのはは笑みを零す。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔だけど、その微笑みだけは陽だまりの様であった。

 

 

 

 かくして、時の庭園における戦いは終わりを迎える。

 少女の膝に抱えられて、生き延びた少年は確かに意志を貫いたのだ。

 

 

 

 

 

4.

 海鳴臨海公園。

 観光スポットに挙げられるこの場所で、彼らは集まっていた。

 

 リンディ・ハラオウン。クロノ・ハラオウン。エイミィ・リミエッタ。ジェイル・スカリエッティ。高町士郎。高町美由紀。そしてユーノ・スクライア。

 

 その顔触れの中に太陽の如き少女がいない事実に、ユーノは落胆を隠せない。

 

 無理もないか、と思う。

 友達になりたい少女を目の前で失って、あの鬼に蹂躙される無様しか自分は見せられなかった。

 あの少女の心に刻まれたトラウマは、重く大きくなるのが当然だ。

 

 

「ユーノくん。体の調子はどうだい?」

 

「あ、はい。調子良いですよ。何か作り物とは思えない感じで」

 

「そうだろうそうだろう! この私が作り上げた人工臓器だ。欠陥などありはしないとも。そう。所有者の血肉と共に成長するから交換の為の再手術も不要! 細かい調整の手間もなく、人体機能を本物と全く同様に再現する機構!! スカリエッティの科学力は次元世界一である!!」

 

「あ、はぁ。……ありがとうございます」

 

 

 高笑いを始めそうなテンションで語るスカリエッティに、ユーノは苦笑いを返す。

 

 感謝はしている。

 今自分が生きていられるのは、治療を請け負った彼のお蔭であると理解はしている。

 

 

(けど、このテンションの高さには付いていけないかな)

 

 

 我ながら失礼なことを考えていると思いつつ、ユーノは苦笑するしか出来なかった。

 

 

「けどユーノくんも戻っちゃうのか、寂しくなるね」

 

「美由紀さん」

 

 

 ユーノ・スクライアは海鳴を立ち去る。

 ここにあるべき人間ではないのだから、事件が終われば立ち去るのが当然の事。

 

 

「けど、また来ますよ。ここに居たいと、僕は思っていますから」

 

「ユーノくん。うん。そうだね」

 

 

 だけど、帰って来ると約束を。

 ユーノの言葉に、美由紀は笑みを返した。

 

 

「何を言っているんだか。事件の証人としての証言と、ロストロギアを失ってしまった損害についての手続き。それから管理外世界住人へのデバイス譲渡の許可申請。更に追加で管理外世界へ滞在する許可を申請しに戻るだけだろうに。幾ら管理局がお役所仕事とはいえ、一月もあれば終わる内容だぞ」

 

「……そういう問題じゃないのよ。全くこの子は」

 

 

 冷静にユーノが一時管理世界に戻る理由を説明するクロノに、彼の母であるリンディは頭を痛める。

 

 別れの空気が読めていない。

 もっと柔軟な思考を持てるようにしなくては、と。

 

 

「ユーノくん。恭也からの伝言だ。……ありがとう。そう伝えてくれと言われたよ」

 

「はい。士郎さん。確かに受け取りました」

 

 

 魔法関係に関わることを禁じられた高町恭也は、その決まりを律儀に守ってここには来なかった。

 ただ約束を果たし、妹を守ってくれた少年に感謝の言葉を伝え、それを少年は唯受け取る。

 

 守ったという実感は湧かない。

 けれど褒められるのは嬉しいと単純にそう感じた。

 

 

「さあ、そろそろ時間だ」

 

 

 クロノの言葉に、ユーノは頷きを返す。

 もう一度、ここに戻って来る為に、今は行こうと少年は転送魔法陣へと足を進めた。

 

 そこで――

 

 

「待ってー!」

 

 

 最後に聞きたかった、少女の声を聞いた。

 

 

 

 

 

「なのは?」

 

「はぁ、はぁ、ま、間に合ったの」

 

 

 息を切らせて駆け寄って来る少女。

 高町なのはへと振り返りながら、少年は戸惑いを隠せない。

 

 どうしてここに。そう問うような少年の視線に、なのはは呼吸を整えながら鞄から一つの首飾りを取り出した。

 

 

「これは?」

 

「お母さんと一緒に探したんだけど、まだお店もやってなくて、同じのが見つからなかったんだ。だから、ちょっと違うけど、水星のお守り」

 

 

 母と一緒に知人を訪ね、どうしてもと譲ってもらった銀細工。

 水星を象った石とその台座があるだけの、シンプルなシルバーアクセサリー。

 

 

「これを、僕に?」

 

「うん。水星はね、旅人の星なんだって。だから、帰って来れますように、そういう願いを込めるんだって」

 

「……帰って来る」

 

「うん。フェイトちゃんは居なくなっちゃった。……もう会えなくなっちゃった。ユーノくんも同じように、いなくなっちゃうのは絶対に嫌だから」

 

 

 帰って来て、そう言う願いを込めてなのははそのペンダントを持って来た。

 

 

「約束して欲しい。またここに帰って来るって」

 

「なのは」

 

 

 少女の想いに少年は静かに、だが確かな答えを返す。

 

 

「約束するよ。君の元に必ず帰ると。うん。約束する」

 

「うん!」

 

 

 そんな少女と少年は、互いの瞳を見つめ合う。

 太陽の少女は、少し恥ずかしそうに頬を赤らめて。

 

 

 

 

 

「いや、帰って来るも何も、あいつは元々次元世界の住人だろうに――」

 

「KYはそこまでよ」

 

「な、何するだ! やめろー!?」

 

 

 余計な事を言おうとした執務官は、ニコニコと微笑む桃子に引き摺られてフェードアウトしていく。

 

 リンディと士郎がお互いの家族の所業について謝罪をし合っている姿に、なのはとユーノは微かな笑みを浮かべていた。

 

 

「かけてあげるね」

 

「あ、うん」

 

 

 額を合わせて、少女は首飾りを少年に掛ける。

 気になる少女の顔が近くにある事態に、純情な少年は顔を真っ赤に染めあげた。

 

 

「にゃはは、何だかちょっと恥ずかしいね」

 

「う、うん」

 

 

 互いに顔を赤くして逸らす。

 

 そんな微笑ましい光景に、背後で頭部に大きなタンコブを抱えて蹲る少年執務官を無視したまま、高町桃子は微笑むと――

 

 

「写真を撮りましょう」

 

 

 想い出を形に残そうと提案した。

 

 

 

 昼間の公園にシャッター音が鳴り響く。

 

 関わった者の多くが集まったその写真の中で、首からペンダントを下げた少年と少女は隣り合って、頬を赤く染めながら、確かに笑顔で映っている。

 

 その写真を、なのはは大切そうに手に包んだ。

 

 

 

 

 

 一つの終わりは、いつだって、新しい何かの始まり。

 そう思う少女は、少年と再会を約束してここに分かれた。

 

 

 

 始まりの物語は、今こうしてその幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

5.

「海は幅広くー無限に広がってー」

 

「あら、その歌は?」

 

「ん? 姉ちゃんも知っとるん? わたしも何処で聞いたんか分からんのやけど、なーんか耳に残ってるんやよね。続き知らへん?」

 

「……ええ、良く知っているわ」

 

 

 懐かしい物を聞いたように、黒髪の女は目を細めて答えを返す。

 

 そんな彼女に対して、教えてとせがむ少女。

 女は自らに甘えて来る車椅子の少女に、優しげな微笑みを浮かべながらまた今度ねと返した。

 

 

「さて、そろそろ帰りましょう。これ以上外に居ては、体に悪いわ」

 

「春先なのにー」

 

「春先だからよ。体調が崩れたら大変でしょう。はやて」

 

 

 はーいと詰まらなそうに返す少女の姿に、苦笑交じりに女はその髪を撫でた。

 女の目に宿るのは、確かな情愛の色。彼女は少女を、心の底から大切だと思っている。

 

 

「なあ、姉ちゃん。今日は何食べたい?」

 

「あら、今日は私が作るわよ?」

 

「いや、姉ちゃんが作ると、何か不毛な味になるしなー」

 

「くっ」

 

 

 九歳児に調理技術で敗北しているという事実に、女は思わず歯噛みする。

 

 ベアトリスの所為よ、と少女に聞こえないように呟いて。

 

 

「なあ、螢姉ちゃん」

 

「何かしら、はやて」

 

「何でもない。呼んだだけや」

 

「何よ、それ」

 

 

 そんな風に和やかな遣り取りをしながら、彼女達は帰るべき場所へと向かって行く。

 

 

 

 そう。一つの物語の終わりは、新たな物語の始まり。

 果たして次なる物語は、如何なる色を見せるであろうか。

 

 

 

 

 

                   リリカルなのはVS夜都賀波岐 無印編 了。

 

 

 

 




そんな訳で、鬼退治はユーノ君のお仕事です。
この組み合わせはクロスさせると決めてすぐに決定しました。

KKK原作がチンピラ対決だったので、やり合うなら大人しい系優等生だろうとイメージ。
そう言えば原作司狼の台詞的にユーノ君は嫌いそう。なら因縁作って戦わせようと思った。(小並感)

無印編はユーノに「お前は僕が倒す」と言わせたくて、違和感を持たれないキャラにする為にずっと彼を苛めてました。心苦しかったんだよー(棒)
え、フェイトちゃん苛め? 趣味ですけど何か?


宿儺の実力が陽の玖なのは独自解釈。

唯、あの後の兄様が奥伝で陽の拾だったので、なら互角に近い戦いやってた宿儺さんは陽の拾一歩手前くらいだよな、という想定。

ユーノ君はとりあえず陽の玖くらいを目指しましょう。


因みにユーノ君の活躍するシーンでは、毎回「Take a shot」をループで聞いてる作者。なんか自分の中で、この曲が当作ユーノのテーマになり始めている気がします。



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