副題 素性を隠す気がない御門さん。
天魔戦一月前にこれやるとか、管理局大丈夫?
最後に名前だけちょっと出すスタイル。
1.
――掛けまくも安からず憂へある民草の大前にて白さく
晴天の元、鈴を転がすような声が場に満ちる。
――当世、化外有りて月日佐麻弥く病臥せり
ミッドチルダ中央部。DSAAによって開催されるストライクアーツの世界大会。
その会場として使われる競技場には今、万を超える人が集い大盛況を博していた。
――故是を以て益荒男に事議りて難聴
まだかまだかと熱を上げる人の群れ。彼らが観客席や場外モニターより見る試合場は、ストライクアーツを行う際の状況とは些か趣を異にしていた。
――斎き奉りて蒼生に安寝を恵み給う
高性能なシミュレーター装置によって展開される建築物。試合を単調な物にしない為にある特殊な地形が存在していない。
あるのは唯、中央に位置する縦横1㎞ほどの四角い石のみである。
小細工など許さぬ。己が自力のみを見せよと言わんばかりに。
――恩頼を乞い祈奉らむとして今日の吉日吉事こそば
その中央。祝辞を口にするは絹の様に美しい黒髪の女。
紅白の衣装に身を包んだ凛としたかんばせの妙齢な美女が、ミッドチルダの民には聞き慣れぬ言葉で祝詩を紡ぐ。
――礼代の幣を捧げ持ちて恐み恐み称辞竟え奉らしむなり
名を御門顕明。
管理局。聖王教会に並ぶミッドチルダ三大組織。御門一門の長である。
この場に似合わぬ大物。
本来、軽々しく人前に出るような人物ではない。
――掛けまくも畏きかみ此の状を平らけく聞こえし召して御国が悩む病を速やかに直し給い癒し給い
いや、この場に集いし管理世界の重鎮は、彼女だけにあらず。
貴賓席に座り並ぶは管理局を代表する三提督。そして聖王教会の教皇猊下。
管理世界の代表者達が、こぞって見に来る行事こそ、これよりこの地で行われる神事。
其は撃剣の神楽舞。
――堅盤に常盤に命長く、夜守日守に守り給い幸い給えど、畏み畏み申す
謡え謡え斬神の神楽。
選ばれし兵。その数は八。
陸より二。海より二。空より二。
聖王教会と御門一門の代表が一人ずつ。
合わせて八名。己が武威をもって、最強を証明せよ。
さあ安らかであれ管理世界に住まう人々。我らはこれほどの武を持っている。
八柱の大天魔。何を恐れる、恐れるに足らず。
それを民に示す為に、天魔襲来を目前に控えた時期に行われる大一番。
この神楽舞に制限などはない。
殺傷設定や非殺傷設定の義務すらない。
如何なる術を持ってしても敵を気絶させるか降伏させるか、あるいは石作りの土俵より弾き出した方の勝利となるルールがあるだけだ。
故に土俵の上空なら飛行も許され、歪みの使用すら許可される。これは最早、実戦と何が変わるであろうか。
「東方、前へ!」
主審を兼任する御門当主は、その涼やかな声音で代表選手を呼ぶ。
「東方、ティーダ・ランスター! 首都防衛隊所属。管理局空代表!」
名を呼ばれたティーダは、石舞台を前に一礼すると石作の階段を上り舞台に上がった。青年の瞳が見詰める先にあるは、一人の少年の姿。
「西方、前へ!」
今日。この日を前に気が逸らぬミッドチルダの民はいない。
この日、この時、管理世界最強が決定するのだ。
その瞬間が見られる。血飛沫が飛ぶ場合もあるが、大抵の者は皆非殺傷設定で戦う。
故に戦いに対する抵抗感も薄く、この撃剣の神楽舞は彼らにとって最高の娯楽と成り得る。
ユーノ・スクライアも、この大会が開催されると知って胸を躍らせた一人である。
師であるクイント・ナカジマも陸の代表選手として参戦すると聞いて更に期待は膨れ上がった。
ティアナと共に観客席からその光景を見守り、活躍を目に焼き付けておこうと考えていた。見ることもまた修行である、と。
当代最強を自負する者達。
陸戦魔導士は如何なる体技を見せるのか。
空戦魔導士は空と言うアドバンテージを如何に生かすのか。
海に属する魔導士達は自身が不得手とする限られた空間内で、然しその豊富な戦闘経験が彼らを確かに生かすであろう。
いいや、古代ベルカの秘技を残す聖王教会こそが頂点である。
彼らは確かに強かろうが、御門の奇妙奇天烈な秘術とて侮れんぞ。
口々にされるは戦の前評判。神楽舞に向かう多くの期待。
その言葉を聞く度にワクワクする思いを抑えられず、さあどうなるかと期待していたのだ。
そう。観客席より見守ることを期待していたのだ。
「西方、ユーノ・スクライア! 無所属。御門一門代表!」
名を呼ばれ、ごくりと唾を飲む。観客席の誰もが彼の素性に訝しげな表情を浮かべる中で、他ならぬ彼こそが現状に違和感を覚えている。
(どうしてこうなった)
これより行われる第一試合。
何故か出場者にされてしまった最強の自負などありはしない少年は、遠い目をして前日の出来事を思い出していた。
2.
「『御門一門の秘術』載ってない。『天魔大戦の真実』へー、古代ベルカ時代以前から大天魔は出現してたんだ、って違う違う。『夜天の魔導書』何だ、これ? んー。やっぱり違うかな? 『ミッドチルダ大結界に関する考察』うん。これだ」
「……凄いなお前。もう見つけたのか」
ティーダと共にティアナへのプレゼント探しを行った翌日。
管理局“地上”本局にある無限書庫。そこで調べ物をしていたユーノに、責任者として同行していたクロノは驚きの声を上げていた。
管理局の蔵書が眠る書庫。
幾つもの管理世界の情報が蓄積された巨大データベース。
と言えば聞こえは良いが、実態はそれほど有意義な物ではない。
局員達が集めた情報。各管理世界から押収した書物。
それらを分類分けもせずに得る端から押し込んでいった物置。
それこそが、この無間書庫を表すに相応しい言葉であろう。
一応本棚の中に収められてはいるが、データ化されていない文章を把握している者はおらず、どころか必要な情報が記された書物がどこにあるのか分かる者すらいない現状。
清掃業務に携わる者のお蔭で埃被ってこそいないが、明確に役に立ったこともない無用の長物。
それこそがこの無限書庫であった。
故にその見学を望んだユーノに許可が下りたのだ。
機密情報を取り扱うべき場所に部外者を立ち入れるなど、防衛という観点で見れば本来は論外な行為があっさりと許された訳である。
ミッドチルダ大結界について調べたいことがある、と無限書庫の使用を希望したユーノに、クロノは時間の無駄だと返した。
それでも見てみたいと言う彼に、渡航制限に巻き込んでしまった負い目のあるクロノは不承不承ながらも了承した。
そんな彼の眼の前で起きた信じ難い行為。
探索魔法を使用しての蔵書探しに、マルチタスクで速読魔法を使用して書物内容を瞬時に確認していくユーノ。
探索魔法をここで用いるなど、クロノは考えたこともなかった。
速読魔法をこれほどに使いこなす人物を、クロノは初めて目にしていた。
「たった三十分で二百冊を読破、か。ユーノ、お前司書になる気はないか?」
「……何言ってるのさ、僕はもう後方担当なんて御免だね。それに、こんなのやり方さえ覚えれば誰だって出来るよ」
「む、そう単純な物でもないと思うんだが。いや、しかし惜しいな。お前がここで働いてくれれば、無用な長物と化している無限書庫が日の目を見そうなんだが」
お前、戦士より司書の方が才能あるだろ、と口にするクロノ。
そんな彼に対し「馬鹿にしてるのか」と返したユーノは、展開していた魔法を一時解除するとゆっくりと地面に降り立った。
流石に疲れたのか、体を軽く伸ばすと自身が調べ上げた内容を口にする。
「やっぱり重要な情報はここにないね。分かるのはミッドチルダ大結界が地脈や月の運行に左右されているっていうことと、何か基点のような物が存在していることくらいかな。うん。それが御門一門にとっても最重要な代物である、ってことも分かったか」
「……しかし何でまた、ミッドチルダ大結界を調べ出しているんだ?」
「いや、大したことじゃないよ。ただ、あの大天魔達が入れない結界って、一体何なんだろうって思ってさ」
クロノの当然の疑問に、ユーノは軽く答えを返す。
彼の脳裏に浮かぶのは両面の鬼の姿だ。
あの封時結界をあっさりと塗り潰した怪物。あれと同質同種の怪物が後六柱も存在している。
それだけの怪物達を同時に敵に回せば、管理局は滅んでいてもおかしくはない。
否、今こうして形があることの方がおかしいのだ。滅びる事こそ、本来辿るべき結末であろう。
それが、何故か残っている。紙一重であろうとも、辛うじて均衡を維持している。
天魔一柱をも討てぬ管理局を延命させている物こそが、ミッドチルダ大結界に他ならない。
あの怪物と同種の夜都賀波岐が、打ち破れず手を拱くしかない大結界。それは一体如何なる物であると言うのか。
「もし、その基点が何なのか分かれば、もしかしたら」
「天魔を討つ力を得ることにも繋がるかもしれない、か」
「そういうこと。……けどやっぱり駄目だね。僕と同じ事を考えない人間はいないだろうって思ってここを当たってみたけど。その基点の正体に辿り着いた人はいないみたいだ」
「知るは御門の当主のみ、か」
「うーん。多分これだけ大規模な秘密だから、管理局の上の人達は知っているはずだと思うけど」
「……それで何もしていないなら、攻勢に使えるような物ではないんじゃないのか?」
「かもね」
二人の少年は揃って溜息を吐く。
「けどまあ、実態を知らずに諦めるのは少し早いだろ」
「そうだね。……御門の偉い人。この本を書いた顕明さんとか会えると良いんだけど」
「いや、御門顕明は無理だな。あの方は、管理局や聖王教会と双璧を為す御門一門のトップだからな」
「そうなのかい? この本自体随分古い物だから、その人がトップだとすると結構な御歳の方になるよね」
「……襲名制か何かじゃないか? 管理局と設立はほぼ同時期だし、初代御門のままだと百歳以上になってしまうからな。……前に見た感じ、結構若い人だったし」
「そうなのか?」
「遠目だから断言出来んが、家の母さんと同じくらい若く見える美しい方だったぞ」
「へー、会ってみたいかも」
「おや、少年達。私がどうかしたかな?」
『のあっ!?』
突如背後に現れた黒髪の麗人。
その姿に驚かされてユーノとクロノは変な声を上げてしまう。
そんな少年達の様をカラカラと笑い見て、女性は己の素性を明かした。
「いや、驚かせて済まなかったな。私は御門顕明。御門一門を統べる長である」
付き人達が膝をつく中、あっけらかんと告げる御門顕明。
その姿に慌てて礼を返そうとしたユーノ達に女傑は良いと告げる。
無礼無作法を許すと告げられ、さあ何と返すべきかと堅物少年が悩む横で、顕明はユーノの眼をじっと見詰めた。
「あ、あの、何ですか?」
「いや、良き目をした男子だと思ってな。……彼の第九十七管理外世界で起きたPT事件。その詳細は私の耳にも入っている。無論、君が口にしたという啖呵もな」
「は、はぁ」
故に一目見てみたかったのだ、と語る女の姿に、ユーノはどう返した物か悩み曖昧な返答をしてしまう。
そんな少年の態度に軽く笑うと、顕明は提案する。
「折角の機会だ。袖振り合うも他生の縁であろう。茶の一つでもどうかな? 私は君達をもう少し深く知りたいと思っているし、君達とて私に聞きたいことがあるのだろう?」
一組織の長の気軽い誘いに、少年たちは静かに思う。
さて、彼女は何を考えているのだろうか、と。
だが、如何なる考えがあるとは言え好都合。
自らが知りたい疑問に答えてもらえるやもしれぬ好機である。
故に、断ると言う選択肢は端から存在しなかった。
クラナガンにある高級料亭。
一見様お断りの敷居が高い店に、二人の少年は連れて来られていた。
メニューに値段が載っていない。
もしここで普通に食事をしたらどれ程の額となるのか、想像も付かず少年達は戦々恐々としてしまう。
「本当はもう少し気軽に入れる所が良かったが、私が好む茶を置いている店が中々なくてな、まあ寛いでくれ」
言って笑う顕明に、少年たちは引き攣った笑いを返す。
場違い感が酷い。護衛のほとんどを外部に待機させている現状。こんな高級店でお偉いさん相手に寛げるはずがない。
そんな少年達の内心に気付きつつも、それで臆するようなら見る価値はない。
そう内心で断じる女傑は、さあ知りたいことがあれば聞いてみろと軽く口にする。
疑問の内容。質問の仕方。この場においての行動全て、それらで少年達の価値をこの女は測っている。
そんな女の企みに、人生経験が豊富な者なら気付いたのであろう。
女は自他共に認めるほど腹芸が苦手だ。故にあえて隠そうともしていない。
だが幼い少年達では気付けない。気付くほどの土壌がない。
そして腹芸が苦手なのは彼も同じだ。
故にユーノは、測られていることに気付かず、単刀直入に己が疑問を口にした。
「ミッドチルダ大結界。その基点について聞きたいことがあります」
「ほう」
女の眼が鋭く細まる。問うてみよと女は告げる。
そんな女の言葉に対して、ユーノは疑問を投げ掛けた。
「基点とは何か、御門に秘している物は何か、それをお聞きしたいのです」
「……それで少年。その問いに答えることで私が得られる利益は何だ?」
「え?」
「よもや無償で聞き出せるとは思っていまい? お前は何を対価に答えを聞き出そうとしているのだ、ユーノ・スクライア」
「あ、えっと」
無償で聞き出せると思っていた。ついそんな甘い考えをしていた少年は目を泳がせ、隣に座っていた執務官はその姿に溜息を吐く。
「全く、人が悪いですよ、刀自殿。何が欲しいのか口にしていない相手に対し、対価を提示できるほどの物を彼は持っていません。……それにその口振りだと、彼に何かさせたいことがあるようです」
「ふん。詰まらん茶々を入れてくれるな。私の言にどう対応するか、それも見てみたかったと言うに」
申し訳ありませんと詫びるクロノに、まあ良いと返すと女はユーノを見る。
青く澄んだ瞳にて、彼の全てを見抜くかの様に――
だがその瞳の奥に、何処か異質な歪みを宿して――
女は嘗て語った言葉を、此処に口にした。
「……益荒男ならば愛してやる」
「え?」
それは終ぞ、叶わなかった言葉。
今になって尚、死に損なっている死人の願い。
「私が愛するに足る益荒男だと証明出来たならば、その問いにも答えてやるさ」
「あ、あい?」
その言葉を一瞬遅れて理解して、ちょっぴり顔を赤らめた少年に顕明は苦笑する。
言葉の本質には気付いていない彼らに向けて、何処か柔らいだ表情を見せていた。
「愛、と一口に言っても男女のそれ、性差が絡む物ではないぞ」
「あ、そうですよね……」
「いや、今のは誤解されても仕方ない発言だと思いますが」
「お前は堅物だな。ハラオウン」
安堵した表情を浮かべる少年と、物事を堅く考えすぎるきらいがある少年に苦笑を漏らす。
そして、一つ咳払いをすると、彼に与えるべき課題を口にした。
「単刀直入に言うぞ。……数日後に執り行われる撃剣の神楽。その儀に御門の代表として参陣せよ」
御門顕明が告げるのは、撃剣の神楽舞への出場要請。管理世界最強を決定する、数年に一度の闘技大会。
最強の自負など欠片もない少年に課せられるには、余りにも過酷が過ぎる試練であろう。
「え、それってあの神楽舞ですか!? む、無理ですよ! 僕より遥かに強い人しかいない場所に御門の代表として出るなんて!?」
当たり前の様に、不可能だと口にする。
そんな彼に対して、御門顕明は笑ったままに退路を塞いだ。
「泣き言は聞かぬ。丁度都合の良い術士がいないこともあってな。お前が出るなら都合が良い。……出る気がないなら、これ以上は話も聞かんぞ?」
ついでにここの払いも持たんぞ、と顕明は笑う。
そのあくどい笑みを前に、逃げ道を封じられたことをユーノは悟った。
「……分かりましたよ」
「ふむ。渋々と言うのが不満だが、まあ取り合えずは良しとしよう」
そして御門顕明は、神楽舞においてユーノに課す内容を指折りしながら口にした。
「まずは一勝。勝利したならば、先の疑問に関連する事実を一つ教えてやろう。次いで二勝。二度勝ったならば、先の問いに正確な答えをくれてやる。そして三勝。管理世界の頂点である証明を得たならば、その時は私が知る全てを語ってみせよう」
それは大盤振る舞いと言っても良い言葉。
だが同時に、ユーノ・スクライアでは実現が不可能に近い要求だ。
故に、彼が口を挟むのも道理である。
「刀自殿。その益荒男の証明。僕では受けられないでしょうか?」
「ハラオウン。貴様がか?」
「ええ、僕も個人的に、その基点の正体は気にかかるので」
勝利の可能性が限りなく低いユーノと異なり、優れた歪み者であるクロノには十分優勝するチャンスはある。
その性能差と、知りたいという意思の強さを見て取った顕明は、条件付きでクロノの申し出を受け入れた。
「……お前の場合はスクライアより難度が低い故にな。まずは二勝。それをもってスクライアの一勝と同じくする」
「ご配慮、感謝致します」
それが最大限の譲歩。クロノが最強に至ろうと、彼には全てが知らされる訳ではない。それでも良いと納得すると、クロノは立ち上がって一礼した。
「では、僕らは神楽舞に備えて鍛錬に励もうと思いますので、ここで失礼させて頂きます」
そして、ユーノを伴って退席する。これ以上この場所に居ても、この女傑は何も語らないだろうと確信を得たが故に。
「うむ。期待している。……無論、言うまでもあるまいが、八百長の類は許さんぞ。そう思える行動すらしてはならぬと思っておけ」
「ええ、分かっております」
先を歩くクロノに、慌てて一礼すると彼を追い掛けるユーノ。
二人が立ち去っていくのを、椅子に座り込んだまま見つめ続ける。
その胸にあるのは、倦怠感にも似た諦めと僅かな希望。
「……アレがあやつが見込んだ。次代の希望か」
特別な力などはない。何かに選ばれた人間でもない。
あの少年は所詮、唯の脇役だ。ご都合主義も特別な資質も何もない。
あるのは唯、弱い心と向き合う為の強い意志。
それだけでどうにか出来る様な、それ程に現実は優しくない。
だが、それでもあの男は、それが希望の種火になり得ると判断した。
彼自身が特別ではなくとも、特別でないからこそ、それは特別な誰かに良い影響を与えられる、と。
「歪み者とそうでない者の間には、絶望的な戦力の隔たりがある」
だがやはり、彼個人は唯人だ。
多少は秀でているが、その程度。特別にはなれようはずもない。
故に常道で考えるなら、突破不可能な課題を与えた。
才能にも恵まれていない少年に、歪み者を倒すなど不可能に近い難事である。
「だが、その隔たり以上に、大天魔と歪み者との間には大きな隔たりがあるのだ」
突破不可能以上の隔たり。絶望的な断崖が、両者の間には広がっている。
唯人は歪み者には勝てず、歪み者は天魔には勝てず、そして天魔は邪神に敗れる。
ならば、そこには一遍足りとて救いがない。
「強き者が強き故に勝つ。ならば我らに勝機などはない」
管理局は滅ぶより他にない。この世界は、全てが破綻し終わりを迎えてしまうだろう。
この地は消滅するか、或いは紅蓮に染まって凍り付くか。
どちらにしても、今の時代を生きる民に救いはないと知っている。
だからこそ――
「だが、そうではないのだ。そう信じたい。信じさせて欲しい」
信じたい。信じさせて欲しい。
その為に、敗軍の将は生き恥を晒している。
ユーノ・スクライア。彼がもし、弱き者が強き者を打ち破るという光景を見せてくれたならば――
その光景を見た誰かが、同じ様に不可能を貫く何かを為せたのならば――
それはきっと、ほんの僅かな希望となり得る。
蜘蛛の糸よりか細い可能性であっても、次代に繋がる先駆けとなり得る。
あまりに弱い魂しか持たぬ今の世の民が、あの慈悲深くも哀れな神の庇護を不要とする。その果てにある、重ね上げた全てが報われる世界。
その光景こそを彼女、御門顕明は遥か昔から望んでいる。
3.
「いつまで、ぼんやりしているつもりだい!」
「うわっ!!」
目の前を飛んでいく魔力光に、ユーノは意識を取り戻す。
もう試合開始の合図は行われている。
過去を思い耽り、結果無様を晒すなどどうしようもないだろう。
そう考えて構えを取った少年を、しかし甘いとティーダは罵倒する。
「喰らい付け。黒石猟犬!」
ティーダが構える両の銃型デバイス。
黒い靄のような物が纏わりついた銃口より放たれるのは、彼の魔力光を暗く塗り潰した魔力弾。
「これが、ティーダさんの歪みっ!?」
飛来する魔弾を前に、ユーノはやはり来たかと神経を研ぎ澄ませる。
それが如何なる効果を持った歪みであるか、推測する余裕などはない。故にまずは躱そうと、身体を動かし距離を取る。
だが――
「追跡効果!? 誘導が能力か!!」
躱せない。魔弾は複雑怪奇な軌道を描いて、ユーノ・スクライアを追い掛ける。
誘導弾より早く、正確に自身を追尾し続ける黒き魔弾。
秒単位でその速度を上げていく弾丸を前に、回避と言う選択は間違いだ。
一秒後には、速度が一段階上がっている。
数十秒もすれば、その軌道を捉える事すら出来なくなる。
このまま加速を続ければ、いずれは躱し切れなくなる。
そう断じたユーノは仕方なしに防ごうと、魔力障壁を展開して――
「それが甘いと言っているんだ!」
「がっ!?」
障壁を擦り抜けた黒き魔弾が、ユーノの顎を撃ち抜く。
歪みの影響によって非殺傷設定ではなくなった魔弾は、ユーノに少なくはない傷を負わせた。
流れる血を手で押し止めて、ユーノは障壁を見る。魔力障壁に傷はない。真っ向から打ち破られたのではなく、障壁などないかのように黒き魔弾はユーノを撃ち抜いていた。
一発で済んだのは、ティーダが手を抜いていたからだろう。
彼が手を抜いたのは、分からせる為。ユーノの在り様に、ティーダ・ランスターは苛立ちを抱いている。
「君、やる気がないだろう?」
やる気がない。真剣味を感じない。
戦場を前にして、考え事。よそ見をしながら、敵を甘く見過ぎている。
「何を……」
「自分の意思じゃない。参加なんてしたくなかった。……そんな目をしている」
戸惑うユーノを、ティーダは冷めたい視線で見下ろす。
彼にはまるでやる気が感じ取れないから、だから男は怒りを抱いていた。
「目的が他にある、それは良いさ。誰かに強要されている、それもまあ良しとしよう。……実力不足の理由としては、確かに何かがあるんだろうさ」
ティーダは彼と御門の遣り取りなど知らない。
彼が何故、御門の代表に収まっているかも分からない。
過去にも無所属の人物が代理代表となったことはあったが、それにしてもユーノ・スクライアは未熟が過ぎる。
そんな未熟者が、こうして舞台に立っている。
それには当然何か理由があって、一概に彼の責任とは言えないのだろう。
「けどね。それでも君は、この場に立っている。この晴れの舞台。撃剣の神楽舞に立つからには、そんな無様は許されないっ!」
だが如何なる理由があれ、やる気がないのは許せない。
そんな男がこの場に立つ資格などはない。故にティーダは、怒りを感じている。
「代表者は八名。八人しか出られないんだ。……今日、この日を目標に努力してきた人間がどれ程いると思っている?」
政治取引や何某かの暗躍。そんな思惑など関係ない。
今この舞台に立つ人間にとって、重要なのは立場に恥じぬ行いを為す事。
この場に立つのは、選ばれた八人だ。
その八人の足元には、選ばれなかったそれより多くの人がいるのだ。
故に――
「お前のそれは、そんな皆に対する侮辱と知れ!」
「っ!?」
それは侮辱だ。それは蔑みと同じ行為だ。
そう断言したティーダは、双銃より無数の黒き魔弾を放つ。
放たれた弾丸がその背を追い掛け、ユーノ=スクライアを傷付ける。
防御も回避も許さぬ魔弾に追い立てられながら、確かにユーノは思考する。
(僕には、最強の自負なんてない。選ばれたなんて、事実はない)
この場に立つに、相応しくないと分かっている。
自分が脇役に過ぎないと弁えて、選ばれていないと理解している。
ああ、なんて勘違い。
(知りたいことがあるから、本意ではないけど舞台に上がる。戦いたくなんてないけど、知る為には戦わないといけない)
如何なる形であれ、自分は選ばれている。
この今に立つ事を望んだ人達に先んじて、こうして自分が舞台に立っている。
競り勝った訳ではない。競う事すらしてない。
偉人のコネで、恥知らずにも分不相応な場所に居る。
その癖、真面目に戦おうとすらしていない。
(そんな考え、ああ確かに、侮辱だろうさ)
それは、侮辱だ。それは不義理だ。
出られなかった人々に対して、競う事すら出来なかった人々に対して、何よりも――今この場に立つ対戦相手である彼に対して不義理が過ぎよう。
「ああ、ほんっとに僕は屑だな。言われるまで気付けない!」
彼の怒りは正当だ。それを認めよう。
この場から立ち去れと、そう言われても仕方がない。
苛烈な射撃を前に、それを確かに理解して――
「だけど――だからっ! 屑なままでは居られないっ!!」
漸くに、意志が定まる。戦おうと、意志を定める。
認めよう。認めたからこそ、このまま無様を晒したままでは居られない。
「……ふん。少しは真面な顔になったじゃないか」
顔を上げる。目を動かす。前を見る。
追跡してくる黒き魔弾を躱しながら、ユーノは戦うべき相手を見据える。
その少年の闘志を前に、ティーダは銃を両手に答えを返した。
「だが、そんな意思一つで敗れるほど、ランスターの弾丸は甘くないぞ!」
ひゅごうと音を立てて加速する魔弾。
その数は十二。絶えず追尾を続け、標的を狙い続ける。
何処までも追尾する漆黒は、猟犬と言う名に相応しい。
だが――
(守りを貫き、何処までも追い掛ける。確かに凄いけど……本当に、それだけなのか?)
その程度の物であろうか、ユーノは疑問を抱く。
クロノの万象掌握。戦域を支配し、思うが儘に歪める異能。
なのはの不撓不屈。心が折れない限り、無限に戦えると言う異能。
クイントの存在重複。あらゆる要素の倍化と言う、単純ながら強力な異能。
ユーノの知る歪みとは、どれも規格外の性能を持った代物だ。
魔法で代用することは出来ない。複数の魔法を同時併用すれば、一部分の再現は可能かもしれないというレベルで凶悪な能力である。
だが、ティーダの魔弾はそれほどではないのだ。
凶悪な能力を持つ歪みとしては、余りにもあっさりとし過ぎている。
敵を追跡するという能力は、誘導弾なら当たり前のように持っている。
障壁を擦り抜ける能力だって、貫通効果としてなら魔法に簡単に付与できる。
再現できないのは秒単位で加速し続ける効果くらいだろう。
ならば――
(きっと、まだ先がある)
これには、先がある。
黒石猟犬の本領は、この先にこそ存在する。
ユーノが考え付くと同時に、ティーダは笑みを浮かべる。
そして黒き猟犬の牙が、その真価を発揮した。
「がっ!?」
突然、ユーノの後頭部を衝撃が襲う。
揺らぐ視界の中、足が縺れて土俵の上に倒れ込む。
(何、が!?)
訳が分からない。意味が分からない。
何一つとして前兆がなく、気付けば攻撃を受けている。
倒れ伏して、現状すら理解できないユーノ。
そんな彼に止めを刺すかのように、十二の魔弾がその五体を襲った。
「がぁぁぁぁぁっ!?」
悲鳴と共に、全身から血が噴き上がる。
弾丸は軌道と言う過程を経ずに、結果だけを齎していた。
「これが僕の黒石猟犬。狙った的は外さない。時間も空間も、あらゆる障害を無視して撃ち抜く必中の魔弾さ」
倒れ伏すユーノに、ティーダが真相を語る。
必中の魔弾。それこそが、彼の歪みの本領であった。
躱されれば加速して追い縋り、あらゆる守りや障害を無視して標的だけに当たる魔弾。そんな物は、余技に過ぎない。
その本質は、時間も空間も無視して敵を射抜く事。
ティーダ自身の任意で空間を飛び越え、当たったと言う結果を作り出す。
その気になれば、過去や未来だろうが改竄出来る。
標的に当たったと言う結果を作り出して、敵を倒すことが出来る。
故にこそ、必中の魔弾。
「僕は既に、一発を撃っていた。……そういう形に、過去を歪めた。だから君は、認識していなかった一発を避ける事が出来ず、そうして倒れている訳さ」
それが、真実。十二発とは別に、もう一発放っていたという形に過去を改竄し、その最後の弾丸の位置をユーノの後頭部に移動させた。
今、起きた現象など、ただそれだけの事だ。
「く、ぅ」
痛い。痛い。痛い。
後頭部から血を流して、ユーノは掌を握り締める。
無防備な場所に受けた一撃は、決して軽い傷ではない。
「どうだい、もう降参するかい?」
そんな彼に、告げられるのは降伏勧告。
絶対に勝てる訳がない。そう告げるかの様に冷えた視線。
まだ、認められていない。
好敵手どころか、戦う相手とすら見てはいない。
だから――
「っ! まだっ!」
歯を食い縛って立ち上がる。まだ、負ける訳にはいかない。
体全身。至る所が傷んでいるが、泣き言なんて言っては居られない。
「未だ、戦えるっ!」
示さなくてはいけない。己は敵だ、と。
認めさせるのだ。ユーノ=スクライアは好敵手足り得る、と。
「僕はまだ戦える! だからっ!!」
そうでなくては、不義理が過ぎる。
不義理なままでは、己は屑から変われない。
そうとも、変わるのだ。
弱い心が悲鳴を上げても、退かないと決めるのだ。
所詮自分に出来るのは、考える事と退かぬ事。
特別でも何でもないから、それだけは決して譲らない。
「行くよ、ティーダさん! この戦いには、僕が勝つ!」
「……良い虚勢だ! けどね」
諦めない少年の瞳に、触発される様に青年は笑う。
加減も手抜きもありはしない。全力で打倒すべきだと理解する。
「ランスターの弾丸は、気概の一つでは覆せないっ!」
故に真剣な眼差しで、敵として対処する。
満身創痍の少年に、向けるべきは全身全霊全力全開。
「黒石猟犬・最大展開っ!!」
両手の銃より放たれる弾丸。
その数は十や二十では足りないほどに増えていく。
「僕の猟犬に限りはない。発射装置と弾丸となる物さえあれば、幾らでも効果を発動させられる」
その数は百を超え、千を超え、万を超える。
限りない銃弾の雨。時間軸すら狂わせて、放てぬ量を成立させる。
「過去に、僕が撃ってきた弾丸の全て。未来に、僕が撃つであろう弾丸の全て。その総量で、何かをする前に押し潰すっ!」
それは無限の如く。数えきれない程の弾丸の雨。
全てが必中。どこまでも追尾し、標的だけを狙い続ける黒き猟犬。
空間や時間すら、無視してしまう。
その魔弾の雨を前に、出来る事など何もない。
さあ、どう対処する気だ。いいや、対処など出来る物か。
そう確信を抱いたティーダの前で、ユーノは一つの賭けに出る。
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」
それは、ある一つの可能性。
彼が唯一他者に誇れる、優れた頭脳が見た可能性。
「破れかぶれの玉砕か!?」
それを信じて、ユーノは自ら雨の中へと走り出した。
(どうして、ティーダさんは物量を選んだ)
抱いた疑問。それこそが、一つの可能性。
その可能性に全てを賭けて、勝機はその先にしかない。
(素直に時間跳躍を使えば、それで終わっていた筈。……なのに切り札が、単純な物量?)
それはおかしい。余りにもおかしい。
絶対に当たる魔弾があるのに、量に頼るのはおかし過ぎる。
(手を抜いている? それはない。……最初の一撃は、分からせる為に。でもここで手を抜く理由がない!)
抱いた疑問を、突き詰めて思考する。
武才の欠ける自分にあるのは、この人並み外れた頭脳だけ。
だからそれに全てを賭けて、疑問の答えの先にこそ勝機を見付け出す。
(なら、其処に理由がある。一見、不条理に見える事でも、必ず何か理由がある)
そうでなくば、自分に勝機などはない。
だったらその一点に全てを賭けて、勝利を捥ぎ取ってみせるまで。
(時間跳躍攻撃は、切り札じゃない。いや、切り札に出来ないんだっ!)
恐らく、あの攻撃には陥穽が存在している。
だからこそ、あの瞬間までティーダは時間跳躍攻撃を隠し通していた。
そもそも、一番おかしな事は唯一つ。
故にこそ、ユーノはその解答に辿り着いていた。
(必中の強調! それこそが、最大の陥穽だ!)
弾幕を前に足を止めて、その場で膝を屈める。
唯、それだけの行動で、一つの脅威は力を無くす。
「なっ! 気付いたのか!?」
瞬間。頭上を飛んでいくのは時間跳躍弾。
あれほど必中と語っていた歪みは、しかし今その攻撃を外していた。
(やっぱり、“当たらない”。時間跳躍攻撃は、決して必中なんかじゃないっ!)
それこそが、黒石猟犬の第二能力。時間跳躍の陥穽。
撃ったと言う過去を改竄できても、それが当たったと言う結果に繋がるとは限らないのだ。
(ティーダさんには、時空間を跳躍して攻撃を行う能力はあっても、時空間の跳躍した先を認識する能力はないんだ)
そう。ティーダ=ランスターは時空を跳躍する魔弾を放つ際に、自分が認識している現在以外の時間軸や空間を見ることが出来ない。
過去や未来を改竄して、攻撃の手数を増やす事は出来る。
だがその増やした攻撃が当たったかどうかは、改竄する事が出来ない。
故に外れない攻撃でなくては、時間跳躍攻撃は当たらないのだ。
だから相手の予想を外す動きをすれば、それだけで時間跳躍は回避できる。
それを知られることを恐れて、ティーダは必中を意識させるような説明を口にしたのだろう。
「だが気付いた所で、僕の切り札は破れない!」
されど眼前に迫った物量。圧倒的な銃火は躱せない。
それは時間跳躍ではなく、確かに今ティーダの歪みの影響下にある弾丸。
何処までも追尾して、何でも摺り抜ける弾丸の雨。
それが迫っていると言う状況は、何一つとして変わっていない。
そんな圧倒的に不利な状況で――
「さあ、どうする!!」
「こうするのさ!」
ユーノは恐れもせずに、自ら魔弾の雨にぶつかった。
鮮血が舞う。血反吐を吐く。
痛む身体を意志で抑えて、一歩先へと進んで行く。
「なっ!?」
驚愕は、ティーダの物。
血に塗れて、それでも迫る少年に驚愕する。
「……やっぱり、貴方の歪みの弱点はこれだ!」
弾丸を全てその身に受けて、それでも痛いで済んでいる。
泣きたくなる程に辛いが、それでも致命傷には届いていない。
その威力の低さこそが、黒石猟犬の持つ最大の弱点だ。
「辛いけど、耐えられる。キツイけど、それでも痛いだけ。命を取るにも意識を取るにも、決定的に不足してる!」
必中の魔弾。標的以外には当たらない弾丸。
殺傷設定と変わらぬ攻撃の雨を受けてもユーノが気絶していないように、ティーダの歪みには弾丸の威力自体を強化するような力がない。
「それを補う為にあるのが、加速能力なんだろうけど。……なら、そもそも加速させなければそれで済む!」
その威力を高めるのが、無限加速。
質量に速さが伴う事で、ティーダの歪みは恐るべき力を発揮する。
ならば、まずはその加速を止めれば良い。
躱したら威力が増すなら、躱さないで受ければ良い。
それこそが、ティーダ・ランスターの弱点だ。
「万でも億でも、耐えてやる! 接近すれば、僕の勝ちだ!!」
多少の痛みならば、耐えられる。
意識が途切れないならば、傷口を塞ぐのは簡単だ。
故に、勝機がある。耐えきって、近付けたならば勝利する。
ユーノはそんな気迫を胸に、ティーダに向かって走り出した。
「っ!」
歪みに非殺傷などはない。
この弾丸は、当たれば血を流し肉を抉る実弾と何ら変わりがない。
幾ら威力が軽くても、対人兵器としては十分程度な火力はある。
それを体に受けながら、しかし笑う少年。その姿に、ティーダは恐ろしさを感じる。
「舐めてくれるな! 観客席でティアナが見ている以上、お兄ちゃんは負けられないのさ!」
それでも、そう嘯いて恐怖を抑える。
常軌を逸した少年の対応に、力尽くで対処する。
連続する射出音。弾丸は機関銃のように放たれ続ける。
破壊の力をばら撒きながら距離を取り、ティーダは宙へと浮かび上がった。
加減はない。油断はしない。
今眼前に立つ相手は、既に己を倒し得る敵だ。
そう認めたティーダは、故に彼にとっての最良を選択する。
彼の本領は空対空の高速戦闘だ。
空において、首都航空防衛隊を超える技量を持つ者など居はしない。
「おぉぉぉぉぉぉぉっ!」
対するユーノは、己の足で前に進む。
彼の飛翔魔法はさして速くない。
単純に空戦を挑めば、物量に押されて倒れるか場外退場だと理解している。
故に地を蹴り、駆け出し進む。
道がない? だが既に見た事がある魔法の中に、打開策があると知っている。
一度見た光景は、マルチタスクによる仮想で、身に付くまで身体に刻み込む。
繰り返す根気強さと折れない意志こそ、PT事件にて彼が得た最大の成長と言える物。
「ウイングロード!」
魔力を用いて、道を生み出す。
空へと続く翼の道を、身体強化で駆け進んだ。
「おぉぉぉぉぉっ!」
絶えず体を襲う魔弾の群れ。一撃一撃は必殺とは程遠いが、それでも既に百を超える被弾に、ユーノの身体はふら付いている。
治療魔法で治すよりも、受ける傷の方が大きい。
回復だけに魔力を使えばじり貧だから、最低限のままで先に進む。
倒れない。止まらない。
全ての攻撃をその五体で受け続ける少年は、己が間合いに敵を捉える。
「取ったっ!」
これは間合いの奪い合い。拳の届く零距離は、ユーノの得意とする間合い。
近付かれる前にティーダがユーノの体力を削り切るか、ユーノがその拳をティーダに打ち込むか。
そしてその争いは、こうして間合いに捉えた瞬間に決着する――はずがない。
「甘いっ!」
「っ!?」
打ち込まれる左の拳。
しかし、それはティーダの左手の銃に妨げられる。
そして返礼として振るわれるのは、鋭く重い蹴りの一撃。
腹を抉り背骨までも蹴り砕かんとする一撃に、ユーノは苦悶の表情を浮かべていた。
「僕が接近戦で弱いと、誰が言った!」
ティーダの使ったそれは、両手の銃と五体を駆使した近接戦闘技術。
管理局員が接近戦に弱いなどと言う道理はない。
彼らは皆、格闘戦においてもユーノの一歩前を行くのだ。
「ぐぅっ!?」
苦悶の表情で耐えるユーノに、魔弾の群れが着弾する。
無防備な背に、後頭部に、足の裏に、至る所を撃ち抜いていく。
動きの止まった敵は、最早唯の的だ。
時間跳躍攻撃を躱せなくなれば、逆さのハリネズミになるのが末路。
(失敗、した。……ティーダさんを、侮った)
意識が途切れる。記憶が飛びそうになる。
血が流れて、肉が吹き飛び、意識が朦朧としている。
(僕は、馬鹿か! 相手が、格上だって、分かり切っていた、筈じゃないかっ!?)
朦朧とする中、己の失態を罵倒する。
接近すれば自分が勝つ? 何を言っているのか。
あそこにあるは格上だ。歪みも魔法も格闘術も、全て上を行く格上だ。
それを間合いに捉えた程度で、勝利するなど烏滸がましい。
この傷はその代償。己の愚かさ故に、支払わなければならない。そんな傷だ。
「終わりだっ! ユーノっ!!」
弾丸を受け続けて泳いだ上体に、ティーダがその銃口を向けている。
その魔弾が放たれれば最後、最早耐えきれずに倒されるのは必定だ。
(負ける、のか……)
撃たれる。当たる。負ける。
僅か数秒の先にある結末。
(勝てない、のか……)
ああ、結局格上には勝てないのか、と零れる思考。
覆す手段は何もなく、手札は全て切り終えた。
ならばもう敗れる以外に道はなく、もう休もうと弱い心が言ってくる。
だが――
(まだ)
否、と意志が主張する。
否、と意地が主張する。
「まだ、僕はっ!」
「なっ! まだ!?」
まだ退けない。まだ退かない。
動ける身体がある限り、躊躇う事なく進むだけ。
「おぉぉぉぉぉぉっ!!」
ユーノは弾丸を額で受けると、一歩先に踏み込んだ。
左が駄目なら右がある。だがそれだけでは防がれるであろう。
純粋な技量は相手が上だ。俄仕込みの拳では、ティーダの接近戦技能を超えられない。
ならば、今この場で限界を超えれば良い。一歩先へ、一つ先の位階へ手を伸ばす。俄仕込みから一流の域へ、今ここで昇華して見せろ。
不可能ではない。無理な事ではない。
それだけの積み重ねは、確かにある。
確かに一目見た時から、その拳を幾度も再現した。
仮想の中での出来事で、それでも確かに出来たから――
(今、この時に、イメージを現実にしてみせるっ!)
ならば今ここで、それを確かな現実にしてみせる。
そう想いを確かにして、右の拳を振りかぶる。
防ごうと腕を動かしたティーダの眼前で、その勢いのままにくるりと回転した。
無防備な背を晒す。その瞬間に脱力する。
攻撃を外したのだと判断したティーダは、その銃口より迎撃の魔弾を放った。
背を穿つ無数の弾丸。
だがそれすらも、ユーノの勢いを止めるには至らない。
否、その真逆だ。それを糧に、ユーノは確かに加速する。
反撃を背に受けながら、その衝撃すら勢いに変えて彼は放つ。
それは、かつて一度見た師の十八番。
クイント=ナカジマが誇る、撃ち貫く拳の一撃。
「
「がっ!?」
吹き抜ける拳圧が、ティーダの身体を撃ち貫く。
絶対の勝利を確信したが故にその身体は、撃ち貫かれて落下した。
決着はここに――
「はぁ、はぁ、はぁ」
空より落ちて気絶するティーダと、彼よりボロボロになりながらも確かに空に立っているユーノ。それこそが勝敗を如実に表している。
絶対に勝てない筈の敵を、ユーノは確かに打ち破っていた。
「第一試合! 勝者、西方、ユーノ・スクライア!!」
御門顕明が、笑みを浮かべて勝利を宣言する。
荒い呼吸をする少年は、一瞬現実を信じられずに立ち尽くしていた。
「かった、のか」
予想を超える大番狂わせ。
誰もが知る空の花形を、無名の少年が打ち破る。
その姿に、観客たちは喜びの声を上げる。
爆発する歓声を背に、湧き上がる勝利の実感を漸く得る。
唖然とした感情は奮い立つ喜びに変わり、少年は大きく拳を振り上げた。
「勝ったぞぉぉぉぉぉっ!!」
勝利宣言。晴れやかに、勝ち誇る少年の姿。
それに呼応する様に、場内の熱気が膨れ上がる。
この日、ユーノ・スクライアと言う少年は、一つの不可能を塗り替えたのだ。
4.
「――で、次の試合であっさり負けた訳だな、少年」
試合終了後。選手控室にて煤けていたユーノに、御門顕明は笑いを堪えながら話し掛けていた。
「……いや、あれは反則だと思います」
五回戦。神楽舞準決勝という大舞台でのユーノの次なる対戦相手は、クロノ・ハラオウンであった。
聖王教会所属のシャッハ・ヌエラ。彼女の歪みと近代ベルカ式を織り交ぜた格闘術を打ち破り勝ち上がって来たクロノの姿に、ユーノは全身が震えあがるのを感じていた。
かつて挑めなかった強敵。高町兄妹やフェイト・テスタロッサをあっさりと破った彼の姿に、ボロボロになりながらも挑んでやると決意する。
そんな彼は試合開始直後。クロノの歪みによって、場外に立ち尽くしていた。
場に沈黙が満ちる。誰もが大番狂わせを起こしたユーノを期待していたが為に、それはないだろうとクロノに冷たい視線を向けていた。
「いや、全力で戦えと言われたしな。……格下なら確殺出来るのに、態々勝利の可能性を与えるなんて、八百長扱いされるかもしれなかったから」
悪いとは思っている、と目線を逸らすクロノ。
場外からの大ブーイングは、流石の彼にも堪えたらしい。
「そのハラオウン少年もグランガイツ三等陸佐に決勝戦で敗北した訳だ」
「……皆僕を反則と言うが、あの人の歪みの方が反則だろう。何だよ、攻撃特化の癖に攻撃の瞬間は同格以下相手なら無敵。格上でもダメージ軽減って。突進し続けるだけでこちらはどうしようもないじゃないか」
ちなみに余談だが、ゼスト・グランガイツの勝利を最も喜んでいたのは観客席の最前列で齧り付くように試合を見ていたレジアス・ゲイズ中将であった。
良くやったと男泣きする姿に、彼の娘や当のゼスト本人がドン引きしていたのは言うまでもない。
自身の試合に対してグチグチと呟いている少年達に、顕明はかんらと笑う。
「ユーノ・スクライア一勝。クロノ・ハラオウン二勝。よってどちらも関連する言葉。いわゆるひんととやらを与えるだけだな」
「ああ、ヒントですね」
「うむ。このミッドの地に何故天魔が入れないのか、その理由を少しだけ教えてやろう」
ぴしと手にした扇子を閉じると、御門顕明はその言葉を口にする。
「目には目を、歯には歯を。そして神には神だ。大天魔に抗う為に、我らはある神のご加護を受けている」
それが真実。それこそが真実。
この地は、管理局は、大天魔に抗する為に、ある神の加護を受けている。
「管理局の、神?」
それは、在りし日に敗れた戦神。
既に残滓となって久しく、されど蘇らんとしている死者の王。
「然り。この地はある神。彼の存在が統べるべき領地と化している。故に嘗て彼に膝を屈した天魔達は、この地に彼の許可なく入ることが出来ぬのだよ」
その神。争いを司りし戦神なり。
修羅を率いて荒ぶるは、覇軍の主。
その神。その理に咒を付けるならば――
「修羅道至高天」
黄金の獣ラインハルト・ハイドリヒ。
それがミッドチルダ大結界に纏わる存在の名。
嘗ての神座世界。その時代に生きた闘争神の名を、少年達は胸に刻んだ。
祝詩の内容「不安でビビってる皆の前で言うよー。今化外って病気あるよね。だから強い人達と話しました。神様お願い、民衆に安心して寝れる状況くださいな。お願いするのに良い日だったから、神楽舞を捧げ物にするので叶えて下さい。国の病気治して健康がずっと続くようにしてくださいとお願いします」(超意訳)
祝詞の変更点は古語辞典見ながらテキトウに変えた場所。神事の際に使って良い言葉とか知らないんで、結構ツッコミどころがあると思います。深く考えずにスルー推奨。
最初は龍明さんの台詞コピペで良くね、とか軽く思ってどんな言葉だったかゲーム起動して確認したら使えない単語が多過ぎてワロタ。
天皇を指す言葉は管理世界なので軒並みアウト。ミッドチルダも神州じゃないし、蒼生を恵み給うって「民をもっと増やしてください」って意味。或いは繁栄を祈願する言葉なので、スカさんのお蔭で人手不足が解決している上、ミッドチルダ自体はしっかり繁栄している現状では願うほどのことではない。なぁにこれぇ?(震え声)
え、管理世界に神様いるのか? ……そこに聖王様がおるじゃろ? 後獣殿。
以下オリ歪み解説。
【名称】黒石猟犬
【使用者】ティーダ・ランスター
【効果】必中の魔弾。その名の通り当たるまで敵を追尾し、その障害となる物は全てすり抜けていく。
正し貫くべき標的を定めているのはティーダ自身であり、放つ瞬間に彼が標的を見失うと弾丸が外れる。
特に時間跳躍攻撃は明確な座標や敵手の状態を知っていなければ外れる。空間跳躍の方もどうしてもタイムラグが発生するので躱すのはそう難しくはない。
ただしこれら二つは標的を正確に確認していれば、直接体内に出現させるという攻撃方法も使える為、敵の防御や位階差も無視したえげつない攻撃を行う事も出来る。
通常時の魔弾の方は完全自動制御で、回避され続けると無限に加速を続ける。正しく必中と言える攻撃である。
弱点は作中でも語られた通り、加速していない状態だと通常魔力弾程度の威力しかないこと。
だがこれも射出機構がある物なら、何であれ歪みの対象と出来るティーダからすれば本来弱点と呼べる物ではない。
試合ではなく実戦ならば彼は魔力弾に拘らず、あらゆる質量兵器やロストロギア。果てにはアルカンシエルにまでも己の歪みを混ぜて打ち込んできていたであろう。