リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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推奨BGMは傾城反魂香(相州戦神館學園八命陣)


副題 真・ゲスキャラ無双。
   KYOUYAの主人公力。
   天魔参戦。



なのは編第三話 残る想い

1.

 翻る刃を身を逸らして躱す。

 突き付けられる無数の刃を防ぎ切る。

 

 戦況は女の優位となっている。だがその表情は晴れない。

 

 

(ファリンが、邪魔ばかりする)

 

 

 忌々しいと舌打ちを一つ。

 イレインは自身の内側にあるもう一つの人格を罵った。

 

 彼女にとっては不本意ながら、この器は最早ファリンの物となっている。

 こうしてイレインが操作すること、それ自体が大きな負担となっているのだ。

 

 彼女の体から立ち上る青い魔力光。ジュエルシードの残り香が、主人格を押し退けて体を動かすという無茶を可能としている。

 だが、主となるのがファリンである以上、彼女の怯えや咄嗟の行動が表に出てしまう。

 

 そんな僅かな誤差が妨害となり、イレインは量産型の人形を破壊する好機を幾度も逃していた。

 

 

(それに、氷村遊)

 

 

 あの男は、先ほどの怒りの形相が嘘だったかのように静まり返っている。

 青き輝きを纏ったイレインが、量産型を圧倒する姿に笑みすら浮かべている。

 

 それが、どうしようもなく不気味に思えてくる。

 まだ何かがあると、傾城反魂香だけではないと思わせるのだ。

 

 

「だが、ここで狩れば同じ事!」

 

 

 左手の制御を解除し、その分の魔力光を右手に移す。

 手刀の形に変えた右手より伸びるは魔力刃。殺傷設定という物理的な破壊力を持ったそれが向かい来る三体の機械人形を両断する。

 

 直後、集めた魔力は霧散する。

 左手が動かなくなり、右手の刃も消えた。

 

 だが問題はない。残るは氷村遊唯一人。

 その周りにいる侍従達では壁にもならず、そして夜の一族の身体能力は機械人形に劣ると知っている。

 

 機械人形の方が戦闘能力は優るからこそ、彼らの祖はイレイン達を作り上げたのだ。

 故に、機械仕掛けの戦乙女と夜の王は向かい合って戦えば前者が勝利する。それこそが道理。それこそが必然だ。

 

 魔力は己の体を動かすだけあれば十分。

 奴が何を企んでいようが、力尽くで打ち破れる。

 

 

「氷村遊! 覚悟!!」

 

 

 一気呵成に踏み込み。右足で体重の乗った蹴撃を放つ。

 その一撃は、この期に及んで座り続けている氷室の胴に確かに打ち込まれた。

 

 勢い良く放たれた蹴撃。鋼鉄の肉体と、人間離れした重量。その双方を生かす格闘技のデータ。それら全てが込められた蹴りは、単純威力で車の衝突をも上回る。

 

 だが、だと言うのに――

 

 

「き、さま!?」

 

 

 氷村遊は揺るがない。夜の王たる吸血鬼は椅子に腰かけたまま、揺るぎすらしていない。

 

 

「……知っているか? 出来損ない。鍛え上げられた人間の体は、鋼にも匹敵すると言われている事を」

 

 

 無傷。無防備に一撃を受けて、それでも揺らぎすらしていない。

 イレインの放った全霊の一撃は、しかしこの夜の王を倒すには不足し過ぎていた。

 

 

「そう。下等な人間種でも鍛え上げれば、お前達人形と同等の強度を持つのだ」

 

 

 剛体法。硬気功。肉体強度を上げるという考えは、古くから人間の歴史の中で探求されて来たことである。

 そしてその果てに、技術として成り立っている物があることを、氷村遊は知っている。

 

 

「ならば僕のような真に選ばれし者が、不断の意志をもって己を鍛え上げれば、さあどうなると思う?」

 

「くっ!?」

 

 

 打ち込んだ右足を氷村は握る。

 その強烈な握力にイレインは表情を歪めた。

 

 

「強くなるんだ。強く、強く、そこに際限などありはしない」

 

 

 筋肉が膨れ上がる。彼の着ていた仕立ての良いスーツは弾け飛び、下から見えるは優男という顔立ちには不釣り合いな、筋肉の異様に発達した上半身。

 

 イレインの蹴撃を受けてなお無傷。

 その鋼を遥かに超えた強度の肉体には、傷一つとしてありはしない。

 

 

「吸血鬼とは、血を吸う鬼だ。夜を統べるこの僕は、既にお前達が考える領域を凌駕している」

 

 

 吸血鬼とは、血を吸う鬼と書く。そう。彼らは鬼なのだ。

 その肉体も、その力も、鍛え上げれば正しく鬼と呼ぶに相応しい物となる。

 

 人も戦乙女も取るに足らぬ。

 我は夜の王ぞ。血を啜る鬼である。

 

 

「分かるか? 家畜以前。屑鉄の塊が、王に抗うとは不敬と知れっ!」

 

 

 ぐしゃり、と音を立ててイレインの右足は押し潰される。

 ただ握力で強く握っただけ。それだけで鋼鉄は、まるでアルミ缶のように押し潰された。

 

 

「あっがぁぁぁぁぁっ!?」

 

「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 女は悲鳴を上げる。絹の様な声を上げるファリンと、痛みを噛み殺すかのような声を漏らすイレイン。同口より零れる異音に、氷村遊は笑みを浮かべる。

 

 

「はっ、はははっ! 家畜の真似事か? 出来損ないにしては、良い声で鳴くじゃないか」

 

 

 崩れ落ちた女を前に、腰掛けたままに男は嗤う。

 戦乙女などは敵にすらならぬと、夜の王は哄笑している。

 

 

「ああ、しかし……所詮塵は塵だなぁ? その青き輝きには何かありそうだと思ったが、やはり使えん。役立たずの屑か僕に逆らうなど、増上慢も甚だしい」

 

「ぐっ!」

 

 

 崩れ落ちた女に手を掛けて、その首を強く握り絞める。

 そのまま片手で持ち上げて、みしりみしりと握力が増していく。

 

 

「そんな塵が、この僕を殺す? その慢心。その増長。愚かしさを超えて、許し難いっ!」

 

 

 氷村遊は冷静になった? まさか、彼は今も怒っている。

 自らに逆らった出来損ないの乱入に、その口にした啖呵に怒りを覚えている。

 

 

「所詮貴様らは塵屑だろうがっ! 僕の名を称えて、囀っているからこそ生かされていると知れよ。家畜共!」

 

 

 氷村遊は小物である。

 その精神の有り様に、他者を受け入れる余地などない。

 

 

「それすら、分からんと言うなら、もう要らんぞ。お前達」

 

 

 片足を捥がれ、吊るされている金髪の女。

 金属が歪む音を立てて、その首がおかしな方向へと圧し曲げられていく。

 

 その光景を前に――

 

 

「やめてぇぇぇぇっ!」

 

 

 香の影響が薄れ、意識を取り戻したなのはが叫び。

 止めて、と。そんな少女の悲痛な懇願を前にしながら。

 

 

「嫌だよ」

 

 

 氷村は満足気に笑って返す。そしてその掌を握り締めた。

 

 

「あ、あ」

 

 

 ぐしゃりと音を立てて首が落ちる。

 ころころと転がる頭部は、己を救わんとしてくれた人の物。

 

 言葉も口に出来ぬ少女を前に、夜の王は歪な笑みを浮かべて立ち上がる。

 一歩。一歩。見せつけるように近付いて、その頭を踏み潰さんと足を上げる。

 

 

「ディバインバスターっ!」

 

 

 そこに桜色の砲撃が割って入った。

 踏み潰させる訳にはいかない、となのはは限界を超えて魔法を行使する。

 

 

「……また、僕の邪魔をしたな」

 

 

 ふらふらと立ち上がった少女。間に合わなかった少女は悲痛に顔を歪めたまま、それでも必死に意識を保っている。

 

 唇の端から血を流す少女が、死力を振り絞って放った魔力砲。

 その輝きに僅か見惚れながらも、自身の行いが邪魔をされたことに対する怒りが上回る。

 

 傷はない。傷付いてはいない。

 魔砲の直撃すら、蚊の刺した痛みにも届かない。

 

 だが――

 

 

「三度だ。三度もお前は、僕の決定を妨げた」

 

 

 それは希少種であっても、許されるレベルを超えた行為。

 己こそを世界の支配者だと信じて疑わない男にとって、それは万死に値する罪である。

 

 

「下等種がっ! 家畜風情がっ! 甘い顔をしてやれば、付け上がる。やはりお前達には、相応の教育が必要だなぁっ!!」

 

 

 気に入らないな。躾がいるぞ。家畜の分際を弁えろよ下等種が。

 

 膨れ上がった自我は、傲慢な決定を押し付ける。

 既に反魂香を吸い込み意識が朦朧としている少女とて、例外にはなり得ない。

 

 

「この世の全ては、僕が決めて僕が裁く。命の保証はしてやるが、他に保障があると思うな」

 

 

 どんと音を立てて、男が大地を滑る様に疾走する。

 震脚による踏み込み。その反動での軽い跳躍。だがたった一歩の歩みだけで、距離は詰められていた。

 

 男は既に眼前に、怒りの混じった笑みを浮かべて、その右腕を大きく振るう。

 

 

「ぷ、プロテクション!」

 

 

 対応する為に、必死に障壁を展開する。

 振るわれた右腕を障壁で防ぐ。強力な障壁は、確かに初撃を防ぎ切り――

 

 

「へぇ、そんな物もあるのか。……だけど脆いな」

 

「あっ!?」

 

 

 続く二撃があっさりと砕き、左の拳がなのはの腹に突き刺さった。

 

 

「あっ、ぎぃっ」

 

「……鎧か? おかしな感触だ」

 

 

 激痛に表情を歪め、潰れた蛙のような声を漏らす少女。

 それを一顧だにせず、バリアジャケットの感触にのみ彼は一瞬眉を顰める。

 

 だがそれも一瞬――

 

 

「御神流・徹」

 

 

 即座に放たれた第三の拳が、鎧を無視して打ち込まれる。

 まるで釘打ち機に打たれたかの様な痛みに、少女は悲鳴も漏らせない。

 

 

「鎧通し。浸透剄。お前達家畜が考えることはどれも似通っているが、まあ僕の役には立っているね」

 

 

 バリアジャケットを無視して打ち込まれた衝撃に、なのはは込み上げてくる物を耐えられない。その場に蹲って嗚咽しながら、胃の中身を嘔吐した。

 

 

「……汚らわしい」

 

 

 吐き出された胃液が床に飛び散るのを見て、元凶たる男は吐き捨てる。

 余りにも身勝手な言葉を口にしながら、高町なのはへとその手を伸ばした。

 

 

「吐くのを止めろ。王の御前だぞ」

 

 

 喉笛を掴んで、気道を抑える。無理矢理に嘔吐し掛けている物を飲み込ませると、片手で軽々と少女を持ち上げた。

 

 呼吸を止められた少女は、脱力して手足をだらんと伸ばし、青ざめた表情を浮かべている。

 ここで殺すつもりのない氷村は僅か手を緩め、途端確保された気道で、必死に酸素を取り込もうと呼吸を始める少女を笑う。

 

 

「無様だなぁ、家畜。僕に逆らうから、そうなるんだ」

 

 

 その青き両眼が少女を見据える。これほど接近しているのだ。そう荒い呼吸をしてしまえば、傾城反魂香の影響を受けるだろう。

 

 甘い香の香りに飲まれ、少女は桃源へと沈んでいく。

 さあ、この家畜はどんな無様を晒すか、それを待つ氷村の前で――

 

 

「……気に入らない目だ」

 

 

 しかし彼女は屈しない。

 歪みによって高められた魂は、反魂香をもってしても容易には染まらない。

 

 意識は飛ぼう。体は動かなくなるだろう。

 阿片の香は、少女にとって猛毒である事に違いはない。

 

 

「その眼を止めろ、下等種っ!」

 

 

 だが、それでも心だけは屈しない。

 痛みも苦痛も麻薬も、彼女の心を折るには届かない。

 

 なのはは崩れそうな意識の中、それでも氷村を睨み付ける。

 その視線に何かを重ねて、怒りを抱いた男は更なる悪意を此処に示す。

 

 

「気に入らない。許せない。ああ、そうだ。そうだな」

 

 

 ニヤリと邪悪に笑う。

 悪しき思考を思い付いて、男は暗く笑みを浮かべた。

 

 

「お前達下等種は、仲間が傷付いた方が堪えるんだったな」

 

 

 この少女の心、圧し折ってやろう。

 泣いて詫びる少女を踏み躙って、全てを奪い取ってやろう。

 

 首を砕かれ頭部が転がっているファリン。

 反魂香を吸い込み虚ろな目をした少女達。

 

 こんなにも、なのはの心を砕く材料は存在している。

 

 

「一人ずつ頭を砕いていこう。その砕ける瞬間を特等席で見せてあげよう」

 

 

 にぃと笑う氷村の言は、どこまでも本気で言っていると分かる物。

 

 

「お前の所為だぞ、下等種。お前が僕に逆らうから、家畜を間引かないといけなくなったぁっ!」

 

 

 自分に逆らう者に、価値はない。

 生きる価値など何処にもなく、苦しむ義務だけ存在している。

 

 この男にとって世界とは、そういう物に他ならない。

 

 

(だ、めだ)

 

 

 止めないといけない。それだけは許してはいけない。

 

 だがなのはでは届かない。非殺傷の魔法は何の痛痒も与えることは出来ず、殺傷設定でもどこまで通じるか。

 障壁もバリアジャケットも意味を為さず、どころか捕まっている現状を如何にかしなければどうしようもない。

 

 

(この人を、止める、方法。……何か、あったような)

 

 

 虚ろな瞳で考える。霞がかった思考で思い出す。

 そう。誰かが言っていたはずだ。魔導士が持つ、非魔導士に対する圧倒的なアドバンテージ。

 

 

――魔力はない。そんな相手と正々堂々戦う必要がどこにある?

 

 

 思い返したのはあの日の父の言葉。

 兄に言い聞かせるように、非魔導士が魔導士に勝てない理由を口にしていた。

 

 そう。それこそが――

 

 

「封時、結界」

 

 

 氷村遊から、逃げ延びる唯一の手段。

 

 桜色の魔力が飛び散る。

 魔力が空間を切り取っていく。

 切り取られた空間は、氷村遊だけを排除する。

 

 如何に彼が強大であれ、その身にリンカーコアを有してはいない。

 ならばこの隔離世界にて、夜の王が動ける道理は何処にもない。

 

 この男は、戦っても勝てない相手だ。

 だが戦う必要など、最初からなかった相手でもあるのだ。

 

 

「なんだ、今のは!?」

 

 

 驚愕の声を上げる氷村。その結界を知らぬ彼から見れば、現状は突然少女が消え失せたようにしか見えない。

 

 

「透明化? いや、それなら掴んでいた感触までしないのはおかしい。……空間転移か? それまであれは出来ると言うのか」

 

 

 周囲の少女達も、砕かれたファリンも、もうそこには残っていない。

 またも自身の企みを妨害された。だと言うのに氷村は、今度は機嫌が良く。

 

 

「ああ、良いなそれ。欲しいぞ。……転移能力。あのバリア。どちらも僕が持つに相応しい力じゃないか」

 

 

 男は逃げられた獲物に、舌なめずりをする。

 否、彼にとっては逃げられたという意識がない。

 

 所詮子供。幾らでも逃げ出す力を持っていようと、逃げ込む場所など容易に想像できる。だからこそ、彼の手からは逃れきれない。

 

 

「狐狩りと行こうか。まずは巣穴を潰すところから、少しずつ追い詰めてあげよう」

 

 

 折角、外に客人が来ているのだから、まずは彼らから潰してあげよう。

 

 氷村は震脚で館を揺らす。

 その衝撃で室内の窓ガラスがぱりんと割れる。

 

 肉体を無数の小さな蝙蝠に変えると、割れたガラスの隙間から外へと飛翔した。

 

 

 

 そして館の前に、蝙蝠が集まる。

 重なり合ったそれは、外で手を拱いていた男女の眼前で人型に変化する。

 

 

「さあ誅罰の時間だよ。売女と下等種」

 

 

 刀を取る高町恭也を、身を固める月村忍を、嘲笑って見下した。

 

 

 

 

 

2.

 剣閃と拳撃が舞う。鋼を打ち合うような硬い音が響き、打ち合った両者は互いに正反対の表情を浮かべていた。

 

 打ち合う度に欠けていく刃に、焦燥を隠せない高町恭也。

 打ち合う度に勝利へと近付いていく現状に、笑みを浮かべる氷村遊。

 

 鋼鉄より硬い肌を傷付けることが出来ず、悲鳴を上げている名刀。父より譲り受けた御神の刀、八景。飛針も小刀も鋼糸も全て、鬼の外皮を貫けない。

 

 

「どうした下等種? 折角合わせてやっているのに、なあおい、武器の扱いすら劣るなら、お前に一体何がある」

 

「ちっ!」

 

 

 必死に技を繰る恭也に対し、氷村はあくまで余裕。

 その態度を崩さず、後の後にて迎え撃つ。

 

 

「御神流・薙旋っ!」

 

 

 抜刀からの四連斬。薙旋。

 その四撃を全て見切り、全く同じように四撃を返す。

 

 恭也はそこで、僅かに違和感を覚えた。

 

 

「そら、どうした下等種。考え込んでいる暇があるのか?」

 

「っ、舐めるな!」

 

 

 だが嘲笑を向けられて、思考よりも戦闘を優先する。

 思い付いた可能性は錯覚だろうと己を欺き、高速の抜刀術を撃ち放つ。

 

 

「御神流・虎切っ!」

 

 

 燕返しとも称される、空の敵すら切り裂く飛ぶ斬撃。

 距離を離して虎切を放つ恭也に、氷村は同じように拳で衝撃波を打ち放つ。

 

 結果は相殺。どちらも傷付く事はなく、顔に張り付いた表情も変わらない。

 唯一つ、先の違和感がより強くなる。まさかと言う戸惑いが、隠せぬ程に大きくなっていく。

 

 

「御神不破、奥義の歩法っ!」

 

 

 そんな戸惑いを抱きながら、神速の領域に至る。

 肉体のリミッターを外し、知覚と身体能力を限界を超えて強化する。

 

 一瞬、速力だけなら血を啜る鬼に並び、しかし――

 

 

「御神流・神速」

 

 

 直後に全く同じ奥義で、その差を大きく引き離された。

 

 

「やはり、それはっ」

 

 

 笑みを浮かべて、悠然と佇む吸血鬼。

 そのニタリと張り付いた笑い顔に、恭也は驚愕交じりに確信を口にする。

 

 

「……何故、貴様が御神不破の技を使えているっ!?」

 

 

 その動きは、正しく御神不破の技。

 氷村は恭也の技を見て、全く同じ技を返していたのだ。

 

 一度見られた程度で使われるほど、御神の技は浅くはない。

 一体如何なる理由で、この男がその奥義である神速までも使えるのか。

 

 そんな疑問に、彼は笑って答える。

 

 

「永全不動八門一派・御神真刀流。僕が覚える価値がある技術だ。誇って良いぞ、下等種」

 

「だから! それをどこで学んだと聞いているっ!」

 

 

 激発するように鋭くなる剣閃。

 それにすら、氷村は余裕を失うことはない。

 

 全て返す。全く同じ動きで、先手を譲っておかれながら、そんなものかと嘲笑っている。

 

 

「さて、いつ蒐集したのだったか。……あまり興味のないことは覚えておかない質でね」

 

 

 存外に、氷村は使い手などに興味はないと語っている。

 

 真実、彼が執心するは優れた技術のみ。

 人間などはその付属物に過ぎないと思考する。

 

 振るい続けられる剣閃を躱しながら、悩む素振りを見せる氷村。

 考え込む余裕がある。そんな嘗められた態度をされること。そして自身の流派が汚されているような現状に、恭也は怒りを隠せない。

 

 

「ああ、思い出した。大陸で潰した羽虫が使っていた物だ」

 

 

 氷村が浮かべる笑みは、性質の悪い嘲笑。

 恭也にとっての逆鱗を、嗤いながら氷村は踏み抜いた。

 

 

「何だったかな、御神、美沙斗だったか? 絞り粕には普通興味が残らないんだが、中々面白い物を貢いでくれたからね。ああ、多少は覚えているよ」

 

「美沙斗さん、だとっ!?」

 

 

 その女の名を知っている。

 

 御神美沙斗。高町士郎の妹であり、美由紀の実の母でもある女。

 夫である御神静馬が龍と呼ばれる組織に殺された後、仇打ちの為に娘を兄である士郎に預けて大陸へと向かった女傑。

 

 香港国際警防隊に所属し、ある程度の地位を得たという言葉が書かれた手紙を最後に、二年ほど前に連絡が途絶えた女性だ。

 

 

「貴様、あの人に何をした!!」

 

「ん? ああ、あまり覚えていないな。……大陸へは、この僕を差し置いて不遜にも闇の頂点とか語っていた下等種の組織を潰す為に向かったんだが」

 

 

 翻る刃。息を吐かせぬ程の猛攻を前に、なおも余裕の表情を崩さず、氷村は思い出したことを口にする。

 

 龍という組織があった。人類最強の防衛組織と謳われる香港国際警防隊ですら手を焼く、世界最大規模の犯罪シンジゲート。

 

 国連にすら魔の手を伸ばしていたその組織は、この男唯一人に潰された。

 そして不幸にも、龍を追っていた女は、この男の眼に止まってしまったのだ。

 

 

「……ああ、そうだ。あの屑共を嬲っている所に割って入って来た、下らん雌が居たんだったな」

 

 

 高町美沙斗は優れた剣士であった。

 百人の戦士を単独で返り討ちに出来るほどの剣士であった。

 

 だが、夜の王の圧倒的な暴威の前には、そんな力は無意味であった。

 

 香港国際警防隊の所属隊員全員が、この男の糧となった。

 非合法すれすれの世界最強集団は、この男にとって良き蒐集対象でしかなかった。

 

 

「価値ある技術を持っていたからな、嬲り尽くしてその全てを引き出した」

 

 

 男はまるで何でもないことのように、自らの所業を語る。

 美沙斗が恭也の身内と分かって、だからこそ嗤いながら口にする。

 

 

「絞り粕には興味がないから、欲しい欲しいとうるさい家畜にくれてやった」

 

 

 それは外道の所業。無意味に無責任に、男はただ下種な行為を繰り返す。

 

 

「運が良ければまだ生きているんじゃないか? 正気の保証は出来ないけどね」

 

「氷村、貴様ぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 身内を傷付けられた。その所業を許してなるものか。

 激昂した恭也は、今まで以上に裂帛の気迫を纏っている。

 

 

「貴様はっ、貴様だけはっ!!」

 

 

 恭也の猛攻は鋭さを増し、しかし氷村に届かない。

 血を啜る鬼の身体能力は、神速を用いた高町恭也を遥かに凌駕している。

 彼の集めた技術は、恭也のそれを遥かに凌駕している。

 

 

「はっ、はははっ、はははははっ! 無様だなぁ、下等種。笑えて来る無様さだ!」

 

 

 彼の蒐集した技術は御神不破のみに非ず。

 明心館空手。日門草薙流。鳳家拳法。神咲一灯流。神咲真鳴流。神咲楓月流。

 一子相伝の秘技から、民間にも広く開かれた一般的な武芸まで、種類を問わず質を選ばず、目に付く全てを集め続けた。

 

 それら武芸の使い手達を、或いはその関係者を嬲り、蹂躙し、殺し、奪い取った。故にその技巧は、既に武の頂へと迫っている。

 未だ一騎当千の域を出ない恭也では、逆立ちしたとて届かない高みにいるのだ。

 

 

「どうした、下等種。お前は優れた剣士なのだろう? だったら、加減をしてやるから、全霊を振り絞れよ。僕が学ぶに足る物を、限界を超えて引き摺り出してみろ!」

 

 

 そしてそれだけでもない。氷村遊の体は全身これ薬物の塊だ。

 彼に近付き、こうして戦闘を行っていることで、傾城反魂香の影響を受けてしまっている。意識が遠のく。何をしているのか分からなくなる。

 

 

「それすら、この僕にはまるで届かないだろうけどなぁっ!」

 

 

 故に氷村は嗤っている。

 もう高町恭也が長くは持たないのだから。

 

 

(だが、その慢心が死を招くと知れ!)

 

 

 その気になれば恭也など一瞬で平伏せさせることが出来るだろうに、氷村は嬲って遊んでいる。攻撃など無駄だと、優れた技術を回避に使おうとすらしない。

 

 それが御神不破の前ではどれほどの愚行となるか、身をもって知ると良い。

 

 

「御神不破流の前に立った事を、不幸と思え」

 

 

 容赦などない。躊躇いなどありはしない。

 この外道を討つ為に、己が命すら惜しまない。

 

 一擲に全霊を賭して乾坤と為す。その覚悟が、ここにある。

 

 この男の防御力の高さは外皮の硬さ、筋肉の硬度に由来している。

 尋常ではない特殊な力などではなく、鍛え抜かれた体こそがその力を支えている。

 

 彼は強靭な鎧を纏っているような物。

 そもそも攻撃が通じないという反則ではないのだ。

 

 ならば、それは御神不破の技が通じるということも示している。

 

 神速では届かない。二重神速でもまだ足りない。

 ならば三重。限界を超えた先の限界を、ここで更に振り切って進む。

 

 振るうは閃。御神の秘奥。

 それに衝撃を内部に伝える透の技法を載せて、打ち放つは乾坤一擲。

 

 

「喰らえぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 ドンと空気の壁を打ち抜き放たれた刺突。

 それは狙い余さず氷村の体に突き刺さり、その胴に大穴を開けた。

 

 

 

 がくり、と膝から崩れ落ちる。

 限界を超えた代償に全身の筋肉が引き攣り、所々で断裂を引き起こしている。

 

 脳が沸騰したように熱く、肺が破れたかのように痛い。

 骨も幾つも逝っていて、無事な場所などないだろう。

 

 

「恭也!」

 

 

 倒れ込む恭也の傍に、忍が駆け寄る。

 崩れ落ちた体を支えて、ゆっくりと座り込んだ。

 

 手にした八景。父より譲り受けた名刀が音を立てて砕け散る。

 

 

「済まない。だが、ありがとう」

 

 

 随分と無茶をさせた。

 だが最後までもってくれてありがとう。

 

 あの外道を討てたのはお前のお蔭だと、分かれる相棒に感謝を告げる。

 

 

 

 高町恭也は、確かに勝てたと安堵して――

 

 

「やってくれるじゃないか、下等種風情がぁっ!」

 

 

 地の底から響くような声に勝利の余韻が消し飛び、背筋に怖気が走った。

 

 青褪めた表情で、体を動かそうとする恭也。

 しかし、限界を超えて無茶をした体はまるで動かず、その視線だけを向けるしか出来ない。

 

 その視線の先に、氷村の死体が立っている。

 胴に大穴を開けて、内臓を幾つも吹き飛ばされ、それでもなお立っている。

 

 

「貴方、何で」

 

「ふん。売女が! 吸血鬼は死者の王だぞ、死ぬ訳がないだろう!」

 

 

 困惑する忍に、氷村が返す言葉はそんな物。

 当たり前と彼が断ずる、彼の内にしかない閉じた真実。

 

 

「嘘よ! 私達は突然変異しただけの人間。夜の一族は決して不死身じゃないわ!!」

 

「そうだろうな。お前はそうだろう」

 

 

 忍の否定に、遊は当たり前の様に返す。

 夜の一族が人間の変異種に過ぎないと、それが一般的な思考である。

 

 だが、この男にとっては事実が異なる。

 

 

「そう。夜の一族は衰え過ぎた。吸血鬼を語る資格もないほどに無様に堕ちた。お前達も、かつての僕もそうだった」

 

 

 この男の中では、そうなのだ。

 世に蔓延る事実が如何であれ、この男にとってはこれこそが吸血鬼の真実。

 

 吸血鬼とは、不死の王。

 嘗ての祖は、もっと強大だった筈だ。

 

 現実を見ない閉じた男は、本気でそう信じている。

 

 

「だが、今の僕は違う。それだけの話だ」

 

 

 嘗ての先人の姿を思い、伝承に思いをはせて氷村は語る。

 語りながらも傷口の周囲の肉が膨れ上がり、彼の傷を塞いでいく。

 

 

「血を吸ってもいないのに、そんな重症が治るというの!?」

 

「ふん。吸っていたさ。吸い尽くした命が僕の中にある」

 

 

 命のストック。奪い続けた命の総量が、男の身体に満ちている。

 その総数が尽きぬ限りは、氷室遊と言う夜の王を殺す事は不可能だ。

 

 

「……何よ、それ!?」

 

「これが吸血鬼だ。夜の一族だ! 気が狂うかのような鍛錬の果てに、僕は先祖帰りを果たしたんだよ!」

 

 

 そう吠える。己の考え、先祖帰りという的外れ(・・・)にも程がある考えを、それに至った経緯を、氷村は自慢げに語り始めた。

 

 

 

 かつて、人間達を前に敗れ去った氷村遊は、そのプライドの高さ故に己の敗北。己が劣等さを認められなかった。その敗北が余りにも惨めな形だったから、男は現実から目を背けて夢想した。

 

 己が負けたのは、彼らに優れた技術があったから。

 そうに違いないし、それ以外の理由などは認めない。

 

 そんな小物はその敗北の理由が人間の戦闘技術にあると考えても、その技術に価値があると知っても、その技術で自分が劣っていることが許せなかった。

 

 故に鍛え上げたのだ。

 寝食も忘れ、狂念にも迫る想いで、己を唯鍛え上げた。

 

 人間が持つ技術を得れば、己はもう敗れない。

 あんな無様は訪れず、自身は完全無欠な夜の王となる。

 

 だが、家畜に師事する気などない。

 自分に劣る者らに対し、頭を下げるなど耐えられない。

 

 ならば、奪い取るのが基本である。

 優れた武人を痛めつけて、その全てを奪い去る。

 

 まず彼は自身を倒した相川真一郎が空手家であった為に、適当な町の空手道場を襲いその技術を目に焼き付けた。

 

 そして一人になると、その焼き付けた技術を体に馴染ませるまで反復し続ける。

 

 繰り返した。繰り返して繰り返して繰り返した。

 何度も殺し、何度も奪い、そして己を鍛え上げる。

 

 一年を過ぎた頃、食欲を抑えきれなくなって吸血を行った。

 

 かつての彼にとって、吸血行為とは食事というより趣味に近い物だった。

 食前酒を嗜むように、生きるのに必要な分だけ吸って、後は常人と同じ食生活を送ることを好んでいた。

 

 だが、その時の吸血は違った。

 少量だけで止めようと考えていたのに、吸血行為が止まらない。

 

 血を吸い尽くしても飢えは収まらず、浅ましくも肉を貪り、臓物を食らい、それでも収まらずに骨までしゃぶりつくした。

 

 そして彼は気付かず、その魂までも食らっていた。

 

 急速に肥大化し、己の意志を離れた食欲。人一人を食らい尽くしても収まらぬ飢え。常人だったならば、己の肉体変化に恐怖を覚えていたであろう。

 

 だが、氷村遊は違う。彼はこの変化を羽化の証であると捉えた。

 肉体が変異する為に必要な栄養が足りないから、それを求めているのだと考えた。

 

 否である。生体機能として必要不可欠な補給行為を行っていなかった結果、飢えに耐えられなくなっただけ。

 既に体が悲鳴を上げているという現状にあって、痛みすら感じられなくなっていただけだ。

 

 だが、それはまるで的外れの自己陶酔でしかなくとも、魂を食らうという行為が彼の魂を上の位階へと引き上げていた。

 

 夜の一族の体質と、捕食という行為と、彼の狂気の念が結び付き、食らった魂を取り込み自身の魂の質を上げるという現象を引き起こしていたのだ。

 

 

 

 都心から外れた地にある村落。そこに住まう百人弱の住民達。

 彼らを全て食らい尽くした所で、彼の開花は訪れた。

 

 肉体強度が上がっている。筋肉の質が変わっている。

 蝙蝠になる。霧になる。狼に変わる。そんな以前より持っていた力が、大幅に高められている。

 

 人を食らうという形で魂を取り込んだ彼は、食った分だけ魂の純度が増し、結果引き摺られて肉体も強化されていく。彼が脳裏に抱いていた吸血鬼に相応しいスペックへと。

 

 そして得たのが不死性だ。

 食らった命。奪った魂の数だけ死から蘇る命のストック。

 

 その時彼は理解した。そう彼は思い込んだ。

 これこそ吸血鬼。夜の一族があるべき姿であると。

 

 加速度的に純度を増していく魂に引き摺られ、進化していく肉体。

 それは彼が知る由もないが、彼の第四天が作り上げた永劫破壊の術理と同じ原理。殺せば殺すだけ、彼の格を引き上げていた。

 

 無意識のうちにそれを為し、故に氷村遊は怪物となった。

 

 

 

 笑いながら自慢気に、自身の考えを語る氷村。

 語っている内に上機嫌になったのか、先ほどまでの苛立ちは見えない。

 

 彼の語る先祖帰りという発想が的外れだと知らず、だが事実として怪物と化した氷村の姿に二人は唯絶句した。

 

 

「……貴方は、これまでどれ程の命を奪ったと言うの!?」

 

「売女。君は今まで食べたパンの枚数を数えているのかい?」

 

「貴方は!」

 

 

 陶酔したように語る氷村の姿が、忍には悍ましい物に見えて仕方がない。

 夜の一族とは、同族とは、ここまで終わってしまえるものなのか、と。

 

 

「そういう訳で、僕を殺したければ吸い殺した人数と同数回、致命傷を与える必要がある訳だ。……出来るのかな、君達に?」

 

 

 不死不滅の肉体。故に氷村の傲慢さは余裕であって、慢心には成り得ない。

 人が抗う域にある怪物ではない。この男は神話に出て来る怪物と同種だ。

 

 

「とは言え、一度殺されたのは事実だ。……ここは油断せずにいこうか」

 

 

 言葉と共に彼の肉体が赤い霧に変わっていく。

 その赤い霧は、あっという間に周囲を満たす。

 

 そして――

 

 

「が、がぁぁぁぁぁっ!」

 

「恭也っ!」

 

 

 男の悲鳴が上がる。

 その赤い霧に、生きたまま溶かされていく声が。

 

 

「強酸性の霧による吸血だ。無論、今の僕は霧だからね。物理攻撃は通らない」

 

 

 氷村は笑う。為す術無く溶かされていく恭也の姿に、見詰めて抱きしめるしかない忍の姿。二人を見下し、歪な笑みを浮かべている。

 

 両者を一瞬で取り込むことは出来る。

 だが敢えて、月村忍には影響を与えていない。

 

 それは無論、同族への慈悲ではない。

 家畜に過ぎぬ下等種に、心奪われた愚か者への処罰である。

 

 愛する者が、溶かされていく様を直視しろ。

 何も為せずに指を咥えて、唯無力に見ているが良い。

 

 それが氷村の目論見。それが彼の誅罰。

 

 

「貴方には、愛や情はないと言うの!?」

 

 

 優れた頭脳故に、その考えに気付く。

 その余りの悪辣さに、月村忍は吐き捨てるように口にした。

 

 

「愛や情、か」

 

 

 呟くように口にして、必死に男に縋り付いている女を見下す。

 氷村遊は見下した女に、己の考えを教えてやろうと口にする。

 

 

「愛は分かる。情も分かる。人に属する感情、その全てを知っているさ。僕に欠落などはない」

 

「なら、何で! こんなことが出来るのよ!!」

 

「愛も情も知っているが、それでもとんと分からぬ事がある」

 

 

 血を吐くような訴えを無視して、氷村は言葉を続ける。

 そう彼に欠落があるとすれば、それは唯一点のみ。

 

 

「それは同格に向けるべき感情だろう? 姿形が似通った猿を相手に発情するのは、百歩譲って分からんでもない。だが何故その猿に逆上せ上るのか、それがどうも分からない」

 

「何を、言って?」

 

 

 唖然とした表情を浮かべる忍に、男は嗤いながら言葉を告げる。

 

 

「猿が愛の囀りをしたとて、そこに喜びなどない。乳牛に対してプロポーズをする男など特殊性癖の変態だろう?」

 

 

 彼にとって同格の存在とは夜の一族の事であり、それ以外は須らく家畜でしかない。

 家畜に愛情を向けると言う女の行為が、どうしても異常者のそれにしか映らない。

 

 

「お前も同じだ、月村忍。そんな下等な猿に股を開いて愛を囀る。理解が出来ない。気持ちが悪いぞ、お前」

 

「っ、氷村ぁぁぁぁっ!」

 

 

 ニヤニヤと馬鹿にしたように嗤う男。

 その男の悪意に気付いて、愛情を貶められた忍は叫びを上げた。

 

 だが、そんな思いは届かない。

 彼が人を人と見る事はないから、忍に共感する事などあり得ない。

 

 彼の欠落とは人への認識だ。彼は人を人として見ていない。

 己以外の同族こそ別枠に見ているが、それ以外の人など盛りのついた猿にしか映らない。

 

 故に罪悪感すら抱く事はなく、無責任に蹂躙が出来る。

 家畜でしかない下等種が苦しむ姿が、娯楽以上の意味を持たない。

 

 嘆きを齎す吸血鬼の、それこそが本性と言える物。

 

 

「さあ、そろそろ死ぬ時間だよ。下等種。……売女の方は家畜の牧場行きかな?」

 

 

 哄笑が響く中、恭也は何も出来ずに溶かされていく。

 死に瀕する己が恋人を抱きしめ、月村忍は慟哭する。

 

 

「溶けて、死ね。それが僕の決定だ」

 

 

 彼らの戦いは、ここに敗北という形を迎えた。

 

 もう詰んでいる。第三者の介入がない限り、悲劇という形で幕は下りるであろう。

 

 

 

 

 

3.

 桃色の香に包まれた屋敷の廊下を、高町なのはは歩いている。

 二階建ての洋館の、入口を目指して進んでいる。

 

 背には三人の少女達。自身の三倍という重量に押し潰されて、その歩みはまるで進んでいない。

 

 腕に抱えるのはファリンの頭部。体の方は置いてきた。その重量を持ち上げる力などなのはにはなかった。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 呼吸も荒く、呼気と共に反魂香を吸い込んでしまう。

 その度に意識が飛び掛け、大切な思い出が崩れて行ってしまうような錯覚を覚える。

 

 否、錯覚ではない。阿片中毒者と同じように、今の彼女の記憶は少しずつ壊されている。

 

 結界内の空気から反魂香だけを取り除くこと、それがなのはには出来なかった。

 元々結界は苦手な魔法だ。レイジングハートが手元にないこともあって、大気中にある成分の取捨選択までは出来なかったのだ。

 

 故に彼女は進んでいる。

 悪意に満ちた阿片窟を、一歩一歩進んでいる。

 

 

 

 そんな彼女の背で、唯一人意識を保っていた少女は歯噛みした。

 

 

(何でよ! 何でなのはが頑張っているのに、私の体が動かないのよ!?)

 

 

 その少女はアリサ・バニングス。氷村の魔眼により、意識を保っているようにと命じられた少女は故にこそ、この毒素の中でも辛うじて意識が残っている。

 

 だがそれだけだ。いやにクリアな思考に反し、彼女の体はぴくりとも動かない。

 それは道理。歪みもない。魔力もない普通の少女では、この場で意識を保っていることこそが奇跡に近い。

 

 そんな奇跡も長くは続かないだろう。

 彼女の意識も飛び始めている。記憶が混濁し始めている。

 

 魅了の魔眼よりも傾城反魂香の方が効果は強いのだから、そうなるのが道理である。

 

 少女達は逃げ延びることが出来ず、この館の中で薬物に溺れる。

 それこそ辿るべき結末。避けられない運命。

 

 

――そのまま必死に進みなさい。振り返っては駄目よ

 

 

 そんな声が、その運命を塗り替えた。

 

 

 

 直後、炎が燃え上がる。燃え広がった炎はなのは達を傷付けることはなく、香だけを焼いていく。桃色の毒を浄化するかのように、荒れ狂う炎が道を切り開く。

 

 

(きれい)

 

 

 その炎の輝きに、アリサは魅せられる。

 地獄の業火のような炎。決して美しいとは言えぬそれが毒を払う光景に、只々圧倒されていた。

 

 

 

 その光景を最後に、アリサは意識を手放した。

 

 

 

 炎が道を開く。進むべき先が見える。

 だがそれでも、なのはは先に進めなかった。

 

 薬物はもう全身に回っている。体力はとうに尽きている。

 震える足はそのまま崩れ、背に負った重みに押し潰される。

 

 

(ごめんね。皆)

 

 

 朦朧とした意識でそんな言葉を呟き、なのはは倒れ込む。

 もう一歩とて進めない。このまま館と共に、焼き尽くされて終わるだろう。

 

 運命は変われど宿命は変わらず、落とされるべき命は――一人の女によって繋がれた。

 

 ぼんやりとした視界で背後を見る。首のない片足の女が地を這いながら、それでも少女達を前へと押している。

 その体から上る青い輝きが、一歩進むごとに掻き消えていって、動かなくなる。その直前に――

 

 

「お嬢様! 皆様!!」

 

 

 ボロボロになったノエルが、彼女らを見つける。

 そこまで届かせるように、イレインは最後の力を振り絞って少女らを放り投げた。

 

 片手の捥がれたノエルは体で彼女らを受け止めると、一人たりとて落とさぬように強く抱きしめる。

 

 

「っ! 火の回りが早い! ここから跳びます!」

 

 

 少女達を抱えながら、ノエルは窓を破り飛翔する。

 

 ファリンの首と、四人の少女。そしてノエル。

 彼女らが脱出した直後、館は天を穿つ炎の嵐に飲み込まれ、焼け落ちた。

 

 

 

 

 

「な、僕の館が!?」

 

 

 その光景に誰より驚いたのは彼に他ならない。

 一体誰が。予想もしていなかった状況に、その頭を回転させて対策を練ろうとする。

 

 

「終わりよ、吸血鬼。貴方はここで終わる」

 

 

 館の前、黒髪の女が燃え盛る炎の剣を手に佇んでいる。

 

 まずいまずいまずい。

 その女の不味さを本能で感じ取り、氷村は撤退を選択する。

 

 その恐るべき炎の剣で焼かれぬように、その身を霧から人に戻して少しでも密度と耐久力を高める。

 

 瞬間――

 

 

「なっ!?」

 

 

 斬と体が断ち切られた。

 

 一瞬たりとも視線は外していなかったのに、気付けば女は至近に居て、自身の体が燃えている。

 

 

「馬鹿な!? 僕は夜の王だぞ! 闇の不死鳥だぞ!? そんな僕がこんなところでぇぇぇっ!?」

 

「……一撃で死なない。どれだけ魂を食らったのか、生き汚い男ね」

 

 

 燃え続ける体で、二つに分かれた体で、なおも逃れようとする男。彼を翻った刃が再度襲う。

 

 二度目はない。燃え盛る炎を二度耐えることは出来ず、その体は灰となって崩れ落ちた。

 

 

「やった、の?」

 

 

 あれほど凶悪だった男が、たった二撃で死亡した。

 その現実を信じられず呟く忍に、黒髪の女、櫻井螢は首を振って言葉を返した。

 

 

「いいえ、まだよ。本当に生き汚い奴。巣穴を焼かれて必死になっているわね」

 

 

 螢の見詰める先。燃え盛る館より湧き上がる黒い影。

 煙ではない。煙の如く天を覆うが、それは生物。万に迫る蝙蝠の群れ。

 

 

「まさか、あれ全部が氷村遊!?」

 

「……一匹でも逃したら最後、人を食って再生するでしょうね。一年もあれば元通り。あれは死に難さだけならもう神格域にある怪物よ」

 

 

 それは氷村がこの五年で食らった人間の数と同数。八千四百七十五匹。

 密度を上げても炎に耐えられぬと学んだ彼は、故に館の奥に隠していた魂を極限まで薄めて数を増やし、この場より逃れようと企んでいる。

 

 その万に近い蝙蝠。一目散に逃げようとするそれらは全滅させることは、とても困難であっただろう。

 

 だが所詮それだけだ。

 天を覆い、海鳴市を埋め尽くす程の数があっても、大天魔からは逃れられない。

 

 

「けど、相手が悪かったわね。広域を焼くのは得意なの」

 

 

 轟と膨れ上がる炎が、天を赤く染め上げ燃やす。

 例え不死身の夜の王でも、無間焦熱地獄には耐えられない。

 

 空を真っ赤に染め上げて、その一撃で氷村遊のほとんどを焼き殺す。

 

 だがその炎の海を、逃れた数羽の蝙蝠がいる。

 

 

「ちっ! 本当に生き汚い!」

 

 

 数羽の生き残り。

 それらが非戦闘員へと向かって行く。

 

 即ち、なのは達救出された少女の元へ。

 

 この位置で炎を放てば、はやてまで巻き込む。それを見越しているのかいないのか、生き汚く足掻く氷村は少女達に食らい付かんとその顎を開き。

 

 

「ハーイ。没収!」

 

 

 そう。ここにいたのが炎の女だけならば、或いは氷村も逃げ延びたかもしれない。

 

 だがここにいる天魔は一柱ではない。沼地の魔女も同じく。

 最初から全てを見て置きながら、素性を隠し通す為に、ギリギリまで手を出さない。そう決めていた少女は、今がその時と影の沼で少女達を避難させた。

 

 

「褒めてあげるわ。歪みも加護も残滓もなしに、そこまで至ったことだけは」

 

 

 氷村遊はこの数億年、彼ら天魔が見た中でも最も神格域に近付いた生物だ。

 これでもし性格が真面だったならば、そう惜しむ気持ちもない訳ではない。

 

 

「けど、神の代替わりは必要ないし、お前の命も必要ない。ここで死になさい」

 

 

 剣から放たれる業火が荒れ狂う。

 欠片一つ残さないと荒ぶる炎に包まれて、氷村遊は言葉一つ残せず燃え尽きた。

 

 

 

 全てを支配したと妄信していた夜の王は、そうして此処に敗れたのだ。

 

 

 

 

 

「わーお! レオンったらそんなにあの子が苛められて頭にきていたのかしら。随分とまあ念入りに焼いているわね」

 

 

 沼地の魔女は少女達の診察をしながら、その光景に声を漏らす。

 

 随分と派手にやった物だ。この子達が気絶しているから良いが、もし起きていたらどう誤魔化すつもりだったのか。

 

 

「あ? 何よ、ベイ。さっきから煩いわよ、アンタ。え、あれが吸血鬼だって? そりゃ見れば分かるけど? あー、そんなにあの器欲しかったの? でも我慢なさいな、もう燃え尽きて残ってないっつーの。あ、どうにかしろ? 無茶言うなし。あーはいはい。アンタの器は別に考えとくから、少しは静かにしなさい。中で騒がれると頭痛くなるのよ」

 

 

 幼い頃からの憧れを具現したような存在を見た為か、体内ではしゃいでいる残滓に魔女は頭を抱える。もう一人の方に抑えるように頼み込むと、少女達の頭を軽く撫でた。

 

 

「ん。全身に回ってた薬はこれで大丈夫。……ただ表層の部分の記憶。短期記憶はもう駄目でしょうね」

 

 

 薬の影響で記憶が混濁してしまっている。表層部分はズタボロになっている為、これはもう消してしまった方が良いだろうと魔女は判断する。

 

 

「今日のこれは悪い夢。寝て起きれば忘れてしまうわ」

 

 

 余程強く心に残った事でもなければ、もう思い出すこともないだろう。

 今日一日の出来事を全て真っ新に変えて、沼地の魔女は静かに微笑む。

 

 

「館をレオンが燃やして、気絶した貴女達を私が拾う。そういう決め事だったんだけど」

 

 

 魔女が手を貸す前に、彼女達は自らの力で乗り切った。

 一人の力ではなく、繋いだ絆が確かに彼女達を生き残らせたのだ。

 

 

「やるじゃない。貴方達」

 

 

 だから魔女は、素直にそれを褒め称えた。

 

 

 

 さて、そろそろ少女達を迎えに保護者達がやってくるだろう。

 草むらに引き込んだから自分の正体はバレていないだろうが、ノロノロしている訳にもいかない。見つかる前に退散しよう。

 

 何とか立ち上がってなのは達を探す恭也と忍。

 目の前で少女達を攫われた為に必死になっているノエル。

 

 魔女の位置を知っているが故に、ちゃっかりとはやてを回収して立ち去り始めている螢。

 そんなそれぞれの態度に溜息を一つ零すと、自身の素性を知られる前に彼女は影の沼へと逃げ込んだ。

 

 

 

 遅れて漸くやってきた高町家の面々が、なのは達を見つけ出す。

 眠りながらも無事である三人の少女の姿に、彼らは安堵の溜息を漏らした。

 

 

 

 当事者たちに何を残すでもなく、少女達に忘れ去られて、氷村遊の起こした事件はこうして幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

4.

 事件から数日後、少女達の姿は月村邸内にあった。

 高町恭也は入院し、彼女達も何故か検査入院を行うことになった。

 

 結果は異常なし。だがそこで少女達があの日の全てを忘れていることに大人たちは気付いた。気付いてしかし、敢えてそれを指摘せずに隠し通した。

 

 悪い思い出などない方が良いと。

 

 そして彼らは今氷村遊の犠牲者達や、氷村を倒した炎の女を探している。

 その調査の為に大人たちが家を空けている間、少女達は最も防備の整った月村邸で軟禁生活を送ることになっていた。

 

 少女達はよく分からない理由で外出制限を受けて、こうして友人宅の中で過ごしている。

 何があってこうなったのか、あの日の記憶を失くしている少女達に因果関係が分かることはない。

 

 

「うーん。どこ行ったんだろう、課題プリント?」

 

「あれ、なのはも失くしてたの?」

 

「アリサちゃんも?」

 

「……どこかに落としてきた気がするんだけど、どこなのか分からないのよね」

 

 

 うーんと頭を捻る少女達。プリントの再配布を担任に頼むべきかも知れないと口にするアリサに、えーと不満げな声をなのはは零す。

 

 

「二人とも失くしてるんだ。私もなんだ。御揃いだね」

 

「何で嬉しそうなのよ、すずかは」

 

「ってか近くない? 今日のすずかってば、アリサやなのはに近付き過ぎじゃない?」

 

 

 ぴっとりと寄り添うように、二人の少女のどちらかにくっついている月村すずか。その姿に、アンナは一歩引いた表情を浮かべて口にする。

 

 

「百合の花が見えるわ」

 

「碌でもないこと言うな、馬鹿アンナ!」

 

「あはは、そんなんじゃないよ。何だかなのはちゃんとアリサちゃんなら、もっと近付いても良いかなって思えて。……けどアリサちゃん達が望むなら私は」

 

「な、こいつ真正だと!? ないわー。同性愛とか非生産的過ぎてないわー」

 

「百合? お花? 何で?」

 

 

 ぎゃあぎゃあと喚く友人達を背に、高町なのはは言葉の意味が分からずに首を捻る。

 

 そんな風に考えているなのはの眼前を、コロコロと丸い物が転がっていった。

 

 

「あーれー、目が回りますー」

 

 

 スペアのボディを与えられたファリンが、上手く繋がっていないせいで転がり落ちた自分の頭部を追い掛けていた。

 ホラー映画のワンシーンのような姿だが、彼女がやるとコメディにしか見えていない。

 

 そんな彼女の頭を拾い上げると、なのははそれを手渡す。

 

 

「あー、ありがとうございますー」

 

 

 間延びした口調で礼を言うファリンを、なのはは暫し仰ぎ見て――

 

 

「ありがとうございました!」

 

 

 何とはなしに、気付いたらそう口にしていた。

 

 

「え、何でなのはちゃんがお礼を言ってるんですか?」

 

「……にゃはは、何でだろう? 何か言わないとって、そんな風になのはは思ったんです」

 

 

 理由も分からず衝動的に感謝を告げたなのはは、ふとある女の姿を幻視する。

 ファリンに似ていないのに似てる女は、ふっと笑みを浮かべて感謝を受け取った。そんな気がした。

 

 例え記憶が失われたとしても、無くならぬ思いは確かにここにあったから――

 

 

 

 高町なのはは、にっこりと笑うのであった。

 

 

 

 

 

 




ア螢出現時のBGMは、Letzte Bataillon(Dies irae)で。

大天魔出現時のBGMは『祭祀一切夜叉羅刹食血肉者』だけど、個人的にアレは宿儺さんの専用曲な印象があるので(マッキーは黒騎士のテーマで)、他の天魔出現時にはDiesのボスキャラ出現BGMを鳴らしながら書いています。


因みに、氷村さんの強さの理由は単純に魂の純度が引き上げられていたから、先祖帰り云々は彼の誤解です。魔法や太極に対しての耐久性も魂の純度の高さが理由です。

この世界で最も神格域に自力で近付いた人物。その存在を知れば神格を生み出すことを諦めかけている顕明さんは泣く。さらにこいつの下種っぷりを知ると号泣する。

そして更に、氷村さんが敗北した時のとらハ1綺堂さくらルートのラストバトルを知ると、もっと号泣すると思う。……あの展開はボスキャラとして、情けなさ過ぎるだろ氷村遊。


当作の氷村遊は、そんな情けなさ払拭の為に魔改造されました。
単独で一万人相当の魂純度。魂関連の知識も技術も何もないのでこの領域、人で打倒可能な範囲内に止まっています。

これをベイが手に入れたらやばいことになるのは、確定的に明らか。

プロット段階で居た超吸血鬼。この氷村スペックで中身ベイ。
傾城反魂香と天魔・血染花の魅了・吸収効果が付与されたとらハ格闘技を使ってくる怪物。

何で作者はそんな頭悪いのを書こうとしたんだろう。(暴言)




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