リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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今回の話で天魔勢がどの程度弱体化しているか、管理局側の現有戦力がどの程度の物なのか、大体分かると思います。

ワンチャンはあった。


推奨BGM Letzte Bataillon(Dies irae)


ユーノ編第三話 管理局防衛戦

1.

 鳥の鳴く声すら聞こえぬ静寂とした夜。

 クラナガンがあった地点に広がる、膨大な土のグラウンドを渺と風が吹き抜ける。

 

 街並みはそこにない。有事を前提として開発されたこのミッドチルダの大都市は、天魔襲来に際してビル群や家屋を地下へと収納するという荒唐無稽な造りをしている。

 

 故にここにあるのは、地下シェルターの入口を隠すように被せられた大量の土と、管理局の象徴である本局庁舎のみである。

 

 そこに住まう人々は今頃地下の連絡通路を使って、管理局本局庁舎の真下にある避難施設へと移動しているだろう。

 地下深く。御門の秘術によって防衛された庁舎の真下という立地もあって、現在のクラナガンでは最も安全な場所と言えた。

 

 戦場となる土の上に、同じ顔の女達と仮面を被った局員達が待機している。

 

 女達は戦闘機人。戦闘用の量産型であるトーレタイプとチンクタイプ。それぞれ五十。合わせて百に及ぶ数がいる。

 

 Fと言うアルファベットを刻まれた仮面を被るのは人造魔導士。

 同じ顔が戦場で死ぬ姿を見れば士気が下がる。そんな理由でクローンでしかない彼らがミッドチルダで素顔を晒すことは許されていない。そんな彼らの数は五十人。

 

 総勢百五十人が、この最前線を支える戦力である。

 

 彼らは双子月を見上げる。

 少しずつ近付いていき、今にも重なろうとしている月を。

 

 戦闘用の量産兵器として、自我を薄められている彼らに恐怖はない。

 これより起きるであろう虐殺を前に、怯えることすらありはしない。

 

 唯、己が生まれた意味を果たそうと、ここに立つ。

 

 

 

 月が重なり赤く染まる。

 涙を流すように、月から滴が落ちて来る。

 

 彼女らは皆武器を取る。

 固有装備を取り出し、自らのインヒューレントスキルを発動させる。

 

 天魔襲来。

 その猛威に抗おうと――

 

 

「無駄だ。どれほど数を揃えようと、木偶の意志では届かない」

 

 

 爆発的に膨れ上がる呪いの風。

 万象遍く腐らせる叫喚地獄が、ミッドチルダを包み込む。

 

 

 

 そして、僅か数瞬の内に前線は崩れ去った。

 

 

 

 

 

「来たか、天魔・悪路」

 

 

 クラナガンより離れた高台に設置された長距離射撃兵器『アインヘリアル』内部。

 観測機器越しに戦線を確認していたティーダは、襲来してきた大天魔に予想通りと呟いた。

 

 とは言え確認したのは呪風のみ。神体そのものは目にしていない。

 例え機械越しであれ、見ると思って認識してしまえばこちらが腐ると知っている。

 

 

「黒石猟犬展開。アインへリアル、放て!」

 

 

 三連装四十五口径という馬鹿げたサイズの砲身より、黒色の歪みの影響を受けた魔力弾は放たれる。

 

 轟音と共に、無限に加速し続ける弾丸が悪路へと向かって行く。

 立て続けに放たれる弾丸。空間転移弾ではなく、無限加速追尾弾。

 

 相手の正確な位置を認識できない以上、空間転移、時間逆行は行えない。

 ならば必然、無限に加速するという性質を活かす為にも、こうして遠距離狙撃に徹した方が都合が良い。

 

 この大口径の魔法弾。作り上げた陸のトップ陣をして我らには過ぎた力と言わせる超兵器。

 歪みという彼らの力と同種の力による影響がある以上、これを受けて無傷では済まないだろう。

 

 だが、それだけで仕留められるとも思えない。

 

 本来ならば、このまま撃ち続け接近を妨害するべきだろうが、今回襲来して来た大天魔は悪路である。

 予測はされていた。誰よりも管理局を嫌うが故に最も襲撃回数の多い天魔が彼である。

 

 ならば恐らく、今回も彼が来るのであろうと。

 

 予測されていれば対策はある。

 彼はその襲撃回数の多さ故に、多くの敵を生み出している。

 

 奴が許せない。奴には負けたくない。あの腐毒を浄化したい。

 

 そう言った想い、渇望を抱く者は多く、故に彼にとって天敵というべき歪み者。最悪の相性を持つ歪みを生み出す結果となっている。

 

 

「管理局を嘗めるな」

 

 

 天魔・悪路に対して、最良の相性を持つ歪み。

 それを有効に活用する為に、ティーダは砲撃による足止めを中止し、合図を待った。

 

 数秒して、自らに干渉する力を感じる。

 それに承諾するように力を抜くと、彼は瞬時に戦場の最後方、エースストライカーが待機する場所へと転移させられた。

 

 

 

 万象掌握。

 戦場を支配する歪みによって、後方に集ったエースストライカーは五人。

 

 きっちりと制服を着込んだ黒髪の少年。クロノ・ハラオウン。

 

 茶色に近い橙色の髪に、両手に銃を構えた青年。ティーダ・ランスター。

 

 陸士の衣を羽織った無骨な男。ゼスト・グランガイツ。

 

 青い髪を後頭部で纏めた、快活な表情を浮かべる女。クイント・ナカジマ。

 

 腰まで届く程に長い紫髪に、温和そうな顔立ちの女。メガーヌ・アルピーノ。

 

 以上五名。彼ら全てが一騎当千。強者揃いの歪み者達である。

 

 

 

 無論。ここにあるが管理局の全戦力ではない。

 戦場の遥か上空からは、管理局の航行船団が列をなし砲火を絶やさない。

 

 伝説の三提督と称されたレオーネ・フィルス、ラルゴ・キール、ミゼット・クローベルらが直々に指揮を執る海の精鋭部隊である。その総数は十や二十では足りないだろう。

 

 陸はレジアス・ゲイズが先頭に立ち、陸士部隊と共に都市防衛機能を使って最前線にて抵抗を続けている。

 人数にして旅団規模。最も消耗率が高く、しかし確かに生き残っている古強者達だ。

 

 空は海と陸の間から、航空支援と遠距離射撃を繰り返す。

 上空を舞うヘリや飛行機からは、本局より増援に回された後詰めの戦闘機人達が飛翔魔法によって宙を舞い悪路の元へと突き進んで行く。

 

 戦場にあるは管理局だけに非ず。

 右翼では聖王教会の騎士達が被害を恐れず腐敗の風に立ち向かい。

 左翼では御門一門の術士達が腐毒を含んだ呪風を何とか逸らそうと、秘術をもって祈祷している。

 

 彼らの奮戦により、天魔・悪路を足止めしている。

 無数の魔力弾が、都市防衛機能として設置された大型の魔道兵器が、成層圏より次元航行船が、無数の砲火という雨を降らせている。

 

 だが不動。だが届かない。

 天魔の体を守る時間停止の鎧が、それら全てを弾いてしまう。

 如何に魔力が彼らの力と同質にして同種であるとは言え、単純に出力が不足していた。

 

 歪みを纏った攻撃でなければ、手傷一つ負わせることは出来ない。

 例え被るであろう被害に目を瞑り、アルカンシエルを打ち込んだとして、果たしてどこまで通じるだろうか。

 

 やはり大天魔は彼らの上を行くのだ。

 

 悪路の背に現れるのは、山よりも巨大な悪鬼。

 全てを恨む怨嗟を浮かべた人型は、彼のもう一つの肉体。随神相。

 

 随神相とは、彼ら天魔の神としての(カオ)だ。

 人間大の肉体と共にあるのは、神として顕現した彼自身の願い。

 

 その形相が悪鬼に歪む程に、男は怒りを抱いている。

 否、男だけではない。夜都賀波岐の七柱は、皆同様に憤怒していた。

 

 悪路の背に立つ随神相が、ゆっくりと膝を屈める。

 踏み込む足に掛かる力は、その巨体に見合った程に大きな物。

 

 ドンと轟音を立てて、神の相は飛び上がる。

 その跳躍の勢いで地面に穴は開き、星の地軸がずれた。

 

 大地震が巻き起こり、陸の部隊はそれだけで半壊する。

 巨人の飛翔で暴風が舞い、空の舞台はそれだけで半壊する。

 

 反動で大きく飛び上がった悪路の随神相は、成層圏を軽々と飛び越える。

 その身が到達するは宇宙。空気の有無、環境の変化など、物理法則すら無視する神格には意味がない。

 

 一閃二閃と随神相は、その手にした刃を振るう。

 斬と金属が断ち切られる音が響き、宙に大輪の華が開いた。

 

 瞬く間に撃墜されていく海の航行船。多くの命が星空に華と散っていく。

 

 軽々と飛び跳ね、次々と船を撃墜していく悪路の随神相。

 それを止めようと局員達も食い上がるが、何一つとして有効打は打てていない。

 

 悪路を強襲する為に飛び立った戦闘機人達は、腐毒の風を受ける。火に飛び縋る羽虫のように、腐って地面に落ちていく。

 

 随神相が地に降りたった衝撃で、巻き起こる大地震。小型隕石の衝突に等しい衝撃を受け、ミッドチルダの大地は裂ける。大地震と地割れに飲み込まれ、陸の戦線は崩壊する。

 

 足止めは確かに出来ている。無数の敵手を迎撃している天魔・悪路の侵攻速度は、確かにゆっくりとした物になっている。

 

 だが一歩ずつ。確実に前に進んでいる。呪風の範囲は広がっている。

 どれほど食らい付こうとも、そこには覆せぬほどの差が存在しているが故に――

 

 

 

 そう遠くない内に、管理局は崩壊するであろう。

 

 

 

 ならばこそ、ここに集った五人には役割がある。

 それは管理局の切り札。天魔を討つ矛としての役割を担う小隊である。

 

 僅か五人。されど戦線を維持する為に、攻勢に回せるのは必要最低限。

 

 だが、それでも成し遂げてくれるはず。

 そう思わせるほどの強者達が、彼ら五人であるのだ。

 

 

「メガーヌ。頼む」

 

「はい」

 

 

 小隊長役を請け負うは、ゼスト・グランガイツ三等陸佐。

 階級と経験からこの寄せ集め部隊の指揮官を担う彼は、天魔・悪路に対して特効とも言うべき歪みを持つ女の名を呼ぶ。

 

 彼の指示に頷きを返し、メガーヌは己の歪みを展開する。

 

 それは植木。それは植林。

 それは森を植えるという歪み。

 

 その名は――

 

 

「増えて飲み干せ、増殖庭園」

 

 

 まず落ちたのは一粒の種。それが急速に芽を出し育ち実を付け枯れ落ちる。落ちた種は再び新たな樹木を地に産み落とす。

 

 生える。育つ。枯れる。また生える。

 その循環は驚くほどの速さで行われ、そして腐毒の風に触れて腐り落ちる木々が増えた瞬間、更に爆発的に増え始める。

 

 瞬く間に、その過程を見ることも出来ぬ内に、クラナガンは樹木の海に飲み込まれた。

 

 

 

 ここで腐敗とは何かを語ろう。それは細菌などで有機物が分解されることを指した言葉。

 その分解される過程において起こる醜い状態への変化こそが、人のイメージする腐るという現象だろう。

 

 腐っている。腐敗したといった言葉は悪い形で使われることが多い。

 醜い状態へと変貌する様を指して言うのだから、そう言った印象を持ってしまうのもやむを得ないと言える。

 

 だが、本来腐敗とは悍ましい物に非ず、それは自然の循環における機能の一つでしかない。

 

 樹木と腐敗の関係を上げれば分かりやすいか。

 枯れた木の葉は腐り落ち、土と混じりて腐葉土と化す。そして腐葉土は新たな木々を育てるのだ。

 

 そう。腐敗は樹木の糧となる。

 

 それがただの樹木ならば、育つ前に全てが腐り落ちたであろう。

 だがこれは歪みによって生み出された植物。物質的なそれよりもむしろ、概念に近い植物。植物という概念の都合の良い部分だけを抜き出した物が、ここにある樹木である。

 

 腐敗は植物を育てる物。

 植物は大気中の毒素を浄化する物。

 木は生命の象徴にして神聖なる物。

 

 そう言った概念を保持している。そうメガーヌが思い込んでいるが故に、天魔・悪路の力を糧に半ば暴走するような形でこの歪みは力を増している。

 

 今爆発的に広がっている森林は、既にメガーヌの制御を離れている。

 元々、彼女自身の力では精々町の一区画を覆う程度の林しか生み出せない。

 

 だが今は違う。

 

 クラナガン全てを飲み干した樹海は、天魔・悪路の太極によって維持されている。

 その力を喰らう事で暴走し、本来届かぬ筈の位階へと、その手を伸ばしかけているのだ。

 

 

 

 本来太極の位階とは、遥か格下の歪みでどうにか出来るような物ではない。

 

 第四天の永劫破壊の位階で考えるならば、歪みとは創造位階相当。

 一つ位階が変われば太刀打ちできなくなるという基本原則が語るように、流出位階相当である太極を覆せるはずはない。

 

 だが、今の夜都賀波岐の太極ならば話は別である。

 

 確かに彼ら大天魔の太極は、そう呼ぶに相応しい規模を有している。

 単一次元世界規模。ミッドチルダという惑星は愚か、その太陽系全土を覆い尽くしている。

 だがその規模に比べ、その強制力は遥かに劣化しているのだ。

 

 今の夜都賀波岐の太極は、赤子にすら法を強制出来ない彼らの主柱のように、薄く引き伸ばす形で展開されている。

 

 嘗て人であった彼らが、偽神と化しているのは夜刀の力の恩恵だ。

 故に彼が正常ではない現状では、その恩恵の多くが失われてしまっているのだ。

 

 否、本来夜都賀波岐とは死人である。

 既に死した者。自己のみでは消滅を避けられぬ者。

 

 そんな消えていない方がおかしい彼らが未だ存在していること。それこそが夜刀の加護が未だ健在である証と言えようか。

 

 だが、力を強化することより存在を維持することを優先した彼らの主柱の手によって、軍勢変性という形で得られた力の多くが失われているのは事実である。

 

 時間停止の鎧という絶対防御も、太極が持つ強制力も、どちらも太極位階とは呼べぬレベル。創造位階最上位にまで落ちているのだ。

 

 無論。彼らは未だ人であった頃よりは強化されている。

 獣に従っていた三騎士の創造は勿論、太陽の御子という生贄を得ていない黄金の獣の力くらいならば軽々と蹴散らせる程に、遥かに上を行く強度を保持している。

 

 だが、確かに劣化してしまっているが故に、相性の悪い歪みに嵌ってしまうのだ。

 

 黄金の獣の死者の軍勢が、死想清浄・諧謔という創造で食い破られたように。

 死森の薔薇騎士の力によって吸血鬼と化した者が、唯の銀や太陽を弱点としたように。

 

 天魔悪路の叫喚地獄は、メガーヌの歪みを打ち崩せない。

 力を込めれば込めるほど、その歪みの力を引き上げてしまうという悪循環に嵌っている。

 

 故にこそ、メガーヌ・アルピーノこそが、天魔・悪路にとっての天敵だった。

 

 

 

 草木が腐毒を浄化する。

 ならばその森を、根こそぎ切り裂こう。

 

 そう語るかのように、振るわれるは随神相の刃。

 

 だが、それを――

 

 

「究極召喚・白天王!」

 

 

 白き鎧を纏った昆虫の王が押し止める。

 振るわれる神体の刃を三つ指の腕で押し止め、自身を腐らせる腐毒に耐えていた。

 

 白天王は、召喚術師であるメガーヌにとっての切り札。

 究極召喚と言う名が語る様に、彼女にとって究極の召喚術。

 

 本来、白天王では大天魔には届かない。

 それだけの力を、この生物は持ってはいない。

 

 だが、今この瞬間だけは違っている。

 メガーヌの歪みと悪路の太極がある限り、昆虫の王は神にも迫る力を得るのだ。

 

 森は昆虫の糧となる物。その概念によって、この歪みと同等域にまで白天王は今強化されている。

 森は毒素を清める物。その概念によって、悪路とその随神相は大きく力を削がれている。

 

 それでも拮抗はしていない。

 だが耐えられる程度の差に収まっている。

 

 神域へ届くほどに、虫の王は力を増している。

 昆虫王の手が届く位置にまで、悪路は落ちてきている。

 

 故にこそ、ここに膠着状態が生み出された。

 

 

 

 

 

 樹木が腐毒を浄化し、ふぅとクロノは息を吐いた。

 先程まで全てを腐らせる呪風と化していたミッドチルダの夜風は、今は森林の清涼な空気へと変じている。

 

 試す気はないが、今ならばバリアジャケットを脱ぎ捨てたとしても肉体が腐り落ちることはないであろう。

 

 

「見事な物だ」

 

 

 かつて天魔襲来の際、初陣だった自身やティーダの命を救ったこの歪みは何度見ても凄まじいと、クロノはそう感じている。

 

 悪路の腐敗の風を浄化する。

 森は迷う物という概念によって彼から方向感覚を奪い取り、本体を迷わせる。

 森は虫の糧となる物という概念によって、彼の力を喰らい疑似太極域に迫るほどに強化された召喚虫を使役する。

 

 何れも悪路にとっては無視出来ないほどの脅威であるだろう。

 故にメガーヌ・アルピーノと言う女は、真実、天魔・悪路の天敵となっている。

 

 だが、だからこそ思ってしまう。

 前線で散った戦闘機人。中衛で大きな犠牲を出した新人部隊。そして大天魔の足止めの為に戦い、傷付いた管理局の同胞達。

 

 彼らの犠牲も、この歪みを最初から使っていればなかったのではないのか、と。

 

 特に海の局員達。この戦場に出て来る程の実力者達は皆、一度はアースラに搭乗していた経験を持つ者達であるから、その犠牲を他人事と捉えることが出来ない。

 

 

「……最初から俺達が出ていれば多くを救えたのかもしれんが、もしやって来たのが天魔・悪路でなかったら、こうはいかなかっただろう」

 

「グランガイツ隊長」

 

 

 そんな彼の表情から内心を察したのか、ゼストは擁護の言葉を口にする。

 

 彼女の歪みがこうまでも力を発揮しているのは、相性による所が大きい。

 仮に他の天魔を相手にしては、随神相の一撃で消し飛ぶような小さな林しか生み出せなかっただろう。

 迷わせることも出来なければ、白天王がここまで強化されることもなかったはずだ。

 

 逆の意味で最悪の相性である母禮が相手ならば、メガーヌは歪みを展開した直後に即死していただろう。相性とはそれほどまでに、重要な要素となっている。

 

 

「だからこそ犠牲は必要となる。……七柱の大天魔の何れが来たのか、それを身をもって俺達に教えてくれる戦闘機人。生存すれば歪み者となり、心強い味方となってくれるであろう新人局員達。そしてメガーヌの歪みが一瞬で腐らぬだけの規模になる為に、必要となる時間を稼いでくれていた陸海空の局員達。前線に配された彼らは、何れも欠かすことが出来ない犠牲だ」

 

 

 その犠牲があるからこそ、辛うじて戦いと言う形になっている。

 特に相性が良い相手を、他の敵に潰されない様に、賢しく立ち回らなくてはいけないのだ。

 

 そのやり方を、ゼストは当然好んでいない。

 だが好んではいなくとも、代案がなければ覆せない。

 

 

「このやり方を気に入らんと言うなら、代案を出さねばなるまい。唯否定するだけでは、管理局の存亡が掛かっている以上は通らんだろう」

 

 

 まずは生き延びる事。局員として、人々の平穏を守り抜く事。

 それこそが最も重要な事で、それに比べたら己の矜持などは安いのだ。

 

 

「……分かっているつもりです」

 

「なら良い。彼らの犠牲に報いる為にも、ここで我らが踏ん張らねばならんからな」

 

 

 クロノは苦虫を噛み潰したように口にして、ゼストはそんな少年を好ましく思いながらも為すべきことを為す為に行動すべきと断言した。

 

 

「ほら、駄弁ってないで行くわよ、野郎共」

 

「ふっ、そうだな。……より多くを救うためにも、ここでジッとしている訳にもいかんな」

 

 

 そんな男達に、茶々を入れるクイント。

 その言葉に頷いて、ゼストは其々に役割を命じた。

 

 

「メガーヌはこの場で歪みを展開。悪路を弱体化させ続けろ! クイントは歪みを発動し保険を作った後、俺と共に奴の元へ突っ込むぞ! ハラオウンとランスターはメガーヌと共に護衛として待機。俺達のデバイスから送られたデータを元に位置情報を入手後、ランスターは歪みによって援護攻撃。ハラオウンは俺達の命綱と、前線のクイントが殺された場合に次のクイントを前線へと送り込むのが仕事だ。全員、判断を間違えるなよ!」

 

 

 ゼストの言葉に皆が頷く。

 

 あらゆる物を貫くという歪みを持つゼスト。

 相手の守りを無視出来るティーダの二人が矛の役割を。

 

 メガーヌが敵を弱体化させ、魔法による強化や召喚虫による援護を。

 

 クイントはその生存性の高さから前線にてクロノとティーダの目を代行し、クロノは彼らが危機に陥った際の救出と位置操作、戦場での戦力輸送を担当する。

 

 それこそが必勝の布陣。現状で為せる最高の戦術。

 

 

「行くぞ、皆! ここで悪路を、討つ!」

 

 

 管理局の総力をもって行う決戦。

 これにて天魔一柱を討たんと、彼らは攻勢へと移った。

 

 

 

 腐毒が浄化された今、彼ら以外の局員達の攻勢も増している。

 腐毒を浄化する森を吹き飛ばさぬように、海の局員達は船より降りて戦場に向かう。

 空の局員も陸の局員も、生身で悪路を討つ為に戦列を組んで戦場を進む。

 

 誰もが勝てると考えた。

 これほどの優位。圧倒的に弱体化した敵。今ならば倒せると。

 

 そうでなくとも、これで民の命は守り通せると、そこだけは絶対に安心であると油断した。

 

 それは今までの悪路との戦いが示している。

 彼は何度も襲来しているが、この森が展開された途端にその攻勢は鈍り、それ以上の被害が出ることはなかったから、もう大丈夫だと安心した。

 

 

 

 管理局員達は挑む側にありながら、そう思い上がってしまったのだ。

 

 

 

「その増長は、不快だな」

 

 

 侮るなかれ、大天魔とは容易く討てるものではない。

 驕るなかれ、太極とは相性が良いだけの歪みで防ぎ切れる物ではない。

 

 

「我らが太極(コトワリ)を甘く見るな」

 

 

 これまで彼が森の展開と共に退いたのは、それを突破出来ないから、ではない。

 

 それに対処するように動けば、局員以上に犠牲となるであろう者達を知っているから、それだけの犠牲を出してまで無理をする必要がなかったからだ。

 

 だが、事態は変わった。状況は変わっている。

 

 彼女が見付けた彼の欠片。永遠の名を宿した結晶。

 

 それを地球にて見付けたのだ。

 その回収の為にも、管理局の戦力は邪魔なのだ。

 

 故に、ここで間引く必要がある。

 余計な手出しを出来ない様に、適度に減らす必要がある。

 

 そして元より、この地にある民もまた管理局を支える存在。

 恥知らずにも彼の奇跡に甘え続ける、物乞いの集団でしかない。

 

 ならば彼らは、決して無辜の民とは言えない。

 その存在に対して、一遍たりとも掛ける慈悲など存在しない。

 

 故に、巻き添えにして殺し尽くすことを、ここに決断した。

 

 

「全て腐れ、塵となれ」

 

 

 罪深き者共。彼の愛を貪り食らう、穢れを払い切れなかった管理世界の民達よ。

 

 

「この屑でしかない我が身の様に――」

 

 

 死をもって救済と為す。穢れを払う為に腐り落ちろ。

 その殺戮の罪を、この屑でしかない我が身こそが受け止めよう。

 

 

「さらばだ。……在りし日の、愛しき刹那の断片達よ」

 

 

 さあ、全て腐って終わるが良い。

 

 今の黄昏に満ちた世界。

 その来世にこそ、救いの光はあると知れ。

 

 

 

 

 

2.

 ずしん、と何度目になるか分からない振動が避難所を揺らした。

 

 

「ユーノさん」

 

「大丈夫だよティアナちゃん。クロノの奴やティーダさんが、きっと何とかしてくれる」

 

 戦場はどうなっているのか。情報は一切入って来ない。

 まるで見えない不安に震えながらも、ユーノは意識を強く持つ。

 

 自身より幼い、守るべき対象がいる。

 だから折れないと奮起して、力強い言葉を掛ける。

 

 そんな彼の拙い励ましの言葉に、幼い少女はうんと頷く。

 ティアナ・ランスターは震える手で、ユーノの服をぎゅっと掴んだ。

 

 

(……大丈夫だよな、クロノ)

 

 

 自分も戦場に出して欲しいと言ったユーノに対し、ここは管理局員に任せておけと強気な発言をしたクロノ。避難施設の方で、妹を頼むと頭を下げてきたティーダ。

 そして歪み者でなく、管理局員でもない者が戦場に出ても足手纏いにしかならないというクイントの言葉。

 

 理と情。その両面から否定されて、ユーノは結局彼らの言葉に従う他なく、こうして避難施設へと来ている。

 だが未だ戦闘が終わっていないことを思うと、本当にこれで良かったのだろうかと考えてしまう。

 

 信じよう。信じると決めたんだろう。

 服の裾を握り締め、こちらを不安げに見上げる少女の為にも自分が不安そうな顔をしてなんていられない。

 

 大丈夫だよと笑って告げて、少女の髪を優しく撫でた所で――

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 悲鳴が上がった。

 

 そして同時に、湧き上がる腐臭。

 腐毒に満ちた世界にて、叫喚地獄が顕現する。

 

 

「駄目だ、ティアナちゃん!」

 

「え、何ですかユーノさん!?」

 

 

 その光景を見せないように、ユーノはティアナを抱きしめる。

 

 突然視界を塞がれ、耳に栓をされ、右往左往とするティアナ。

 その背後で、次々と避難民達の悲鳴が上がっている。叫喚地獄と言う地獄が其処にある。

 

 ユーノは見た。若い女が腐り落ちていく姿を。中年の男性の脂ぎった肌が異臭を上げながら崩れ落ちていく姿を。年老いた老人が自分の体を支えられず、ボロボロと腐っていく姿を。

 

 腐る。腐る。腐る。

 誰もが腐敗しながら崩れ落ち、避難所に腐臭が満ちている。

 

 腐り落ちて即死した人々と、少しずつ腐敗が進んでいる人々。

 誰も彼もが皆腐り始めていて、此処にはもう地獄絵図しか存在しない。

 

 

「え、これ、何の臭いですか?」

 

「な、……なんでもないよ、ティアナちゃん」

 

 

 鼻を突く異臭に疑問符を上げるティアナに、そう作り笑いをして返す。

 

 その瞬間に気付いた。ティアナの肌。

 首筋の後ろの部分から、少しずつ腐敗が進んでいることに。

 

 

「っ! ごめん!!」

 

「え? あ――」

 

 

 睡眠魔法を使って意識を刈り取り、麻酔効果のある魔法で神経を麻痺させる。

 小さな魔力刃を作り出して、腐敗が進んでいる個所を切り落とすと、即座に治癒魔法を使って失った部位を補填する。

 

 かなり強引な応急処置。だがこのままでは腐敗が進んでいただろうことを考えれば、決して誤った判断ではない。

 

 

(けど、付け焼刃だ。軽い再生魔法なら兎も角、内臓器官に届いたら治せないっ!!)

 

 

 だが所詮は対処療法。多少の傷ならば兎も角、内臓や神経は治せない。

 

 このままでは何れ、切り落とすことが出来ない箇所にまで腐敗が届く。

 そうなればもう、どうしようもない。少女は腐って死に至るであろう。

 

 悲鳴を上げている人々から、目を逸らす。

 

 細胞の補填は、間違いなく高位の医療技術。

 全員に施すには、純粋に魔力が不足している。

 

 自分の体も、腐り始めている。

 同じような対処を出来るのは、自分とあと一人だけ。

 

 

(ごめんなさい。貴方達を、見捨てます)

 

 

 全てを救う事は出来ないと、もう少年は知っている。

 ならば優先順位をはっきりと付けて、そうでなくては失われると分かっている。

 

 だから「ごめんなさい」と目を瞑り、彼らを見捨てた。

 自分とティアナ。二人分の治療だけを続けて、ユーノは思う。

 

 

(早くしろ、クロノ!)

 

 

 魔力が切れるか、治癒できない部位が腐るか。

 どちらにせよ、長くは持たない。長く持たせる事など、出来る筈がない。

 

 

(このままじゃ手遅れになるぞ!)

 

 

 だから、歯を食い縛りながらそう祈る。

 祈る事しか出来ない無力に震えて、それでも少年は治療を続けた。

 

 

 

 

 

 デバイス越しに悲鳴が聞こえてくる。

 本局勤めの内勤組。そして後方支援要員達。彼らの悲鳴に他ならない。

 

 

「そんな! どうして!? 浄化はまだ続いているのに!!」

 

 

 メガーヌが解せないと口にする。

 彼女の森は未だ健在であり、だと言うのに何故後方が地獄となったのか。

 

 

「そうか、奴め。太極の範囲を狭め、代わりに出力を引き上げたな!!」

 

 

 それは極めて単純な対応。妥当とすら言える反応。

 単一惑星規模に広がっていた叫喚地獄を、街一つにまで縮小した。それが悪路の行動であった。

 

 如何にメガーヌの歪みが腐毒を浄化するとは言え、悪路の力を糧に疑似太極へと至っているとは言え、それは所詮歪みである。

 

 出力で太極と並ぼうと、規模に大きな違いがある。

 彼女の力の影響があるのはクラナガンの一部。森が生み出されている部分のみ。

 

 対して悪路の太極は、このミッドチルダ全てを覆っているのだ。

 

 その状態で拮抗しているのだから、対処は簡単。

 太極の規模を狭くして、密度を増せば良い。それだけで腐毒の強制力は強くなる。

 

 腐毒の力を増せば、森の浄化の力も増すことに変わりはない。

 故に浄化の加護を受ける者達には、未だそれ程の変化がない。

 

 だが強められた太極は、管理局の防衛機能などは遥かに超えていく。歪みの影響下にない者達から腐っていく。

 

 浄化の加護を受けられぬ者達から死んでいくのだ。

 

 その果てに待つのは、守るべき者を失くした戦士だけが生き延びる。そんな無様な結末であろう。

 

 国民を全て失えば、管理局は戦力を残していてもその組織を保てなくなる。

 局員の士気も大きく落ちる。守るべき人々を守れぬという結果はその誇りを地に落とす。

 そうでなくとも、資金源を失くしてしまうのだから、これほど優位な戦場は生み出せなくなる。

 

 そうなれば、戦力が残っていようともう大天魔に抗うことは出来なくなるだろう。

 

 

 

「ティアナー!」

 

「っ! 待て、ランスター!」

 

 

 避難民達が危うい。その事実に真っ先に気付いたのが、誰よりも守らなくてはいけない妹を避難施設に残している彼だった。

 

 本局とその地下にある避難施設の防衛機能は同程度。ならば本局勤めの局員達の身に起きたことと同じことが、避難所内で起こっていてもおかしくはない。

 

 故にティーダ・ランスターは焦燥感に急き立てられ、一刻も早くこの状況の元凶を討たねばと一人飛び出した。

 

 

「ハラオウン!」

 

「っ! あいつ、僕の歪みに抵抗している。駄目です、転移させられません!」

 

 

 飛び立ったティーダとクロノ。歪みの習熟度ではクロノの方が一段上だ。

 だが共に空間に干渉する歪みである為に、お互いの力が通り難いという関係になっている。

 

 故にティーダが拒絶すれば、クロノでは彼を転送させることが出来ない。

 

 

(ハラオウンの歪みで先回りするか、幸いランスターが向かった先は分かっている。……いや)

 

 

 歪みで転送した先は、天魔・悪路の影響下だ。

 どんな害があるか分からぬ以上、先を確認せずに転移するのは危険であろう。

 

 転移による先回りは出来ない。ならば順当に追い掛けるよりないのだが、飛び出したのがティーダであることがここで尾を引く。

 

 この寄せ集め部隊。内三人は空戦が出来ない陸戦魔導士だ。

 飛行可能なクロノとて海の所属、高速飛行戦闘に慣れたティーダに追い付ける道理がない。

 

 

「ちぃっ! あの馬鹿者が! クイント! ハラオウン! 俺と共に来い! あの馬鹿を追うぞ! メガーヌは一度下がれ、お前を中心に浄化の森が展開されている以上、本局まで下がれば、避難施設の状況も多少はマシになるはずだ」

 

 

 舌打ちをして、ティーダの軽挙を罵倒した後、ゼストはすぐさま皆に指示を出す。

 全員がそれに頷いて、ゼスト、クイント、クロノの三人はティーダを追った。

 

 

 

 

 

 バリアジャケット越しに腐毒の風を浴びて、肉体が少しずつ腐っていくのをティーダ・ランスターは感じていた。

 

 周囲の森は腐っている。浄化が追い付かずに枯れている。

 故にこそ、障壁とバリアジャケットを超えて腐毒の風は彼に影響を与えている。

 

 だがそんなことも気にせず、彼は高速移動を続ける。

 進めば進むほどに、その腐毒は強くなっていく。その果てに呪詛の塊である奴がいるのであろう。

 

 ティーダはそう予感し、愛する者を守るためにこそ飛翔する。

 

 

「見えた!」

 

 

 敵の姿をその目に捉える。

 黒き髪、赤き瞳、和装を羽織った死人のような男。

 

 目にした瞬間、体を腐らせる毒素の進行が進んだ。

 

 ティーダが気付くと同時に、悪路も気付く。その視線が向けられて、その一瞥だけでティーダは死にそうになった。

 

 体の腐り落ちる速度が上がる。ボロボロと末端から崩れていく。

 頬が腐り落ちて歯が剥き出しとなり、膝が腐り落ちて足が地面に落ちた。

 

 目玉が零れ落ちて腐り、片手が指先から崩れ落ちていく。

 だが、歪みを振るうに必要な部位さえ残っていればそれで良い。

 

 周囲に森はない。浄化の力を持った木々がない。

 メガーヌが離れたことが原因だろう。既に弱体化は解除されている。

 

 故に優れた歪み者であるティーダであっても、目にしただけで、一瞥されただけで死に掛ける程に追い詰められている。

 

 だが見たのだ。だが認識したのだ。

 ならば時間逆行の魔弾は、その真価を確かに発揮する。

 

 口に咥えたデバイスの内部から、一つの質量兵器を取り出す。

 名をパイファーツェリスカ。第九十七管理外世界において世界最強の拳銃と称される質量兵器。

 

 銃弾に象狩りなどの大型動物を狩る際に使われる、大口径マグナムライフル弾薬を使用する対人兵器。

 過剰な大きさは持ち歩くのに向いておらず、銃弾の反動も衝撃が大きすぎて真面に的を狙えない上に、射手の安全すら不確かという欠陥品。

 

 だがティーダの歪みにとって、これほど相性の良い銃器も他にない。

 

 思ったよりも消耗が激しい今、複雑な魔法を使用する余裕などなく、ならばデバイスでただ魔力弾を放つより、このツェリスカの弾丸に歪みを混ぜて放った方が威力は高い。

 

 そう判断した彼は、命綱でもあったデバイスを捨てると、決死の覚悟で己の歪みを行使した。

 

 

「黒石ぃぃぃぃぃっ猟犬っっっっっ!!」

 

 

 質量兵器より放たれる弾丸が、時間軸と空間を歪めて飛翔する。

 

 姿勢などは関係ない。射出装置と打ち出す物さえあれば、どこを狙っていようと物理法則を無視して相手の体内に直接出現するのだから、求めるのは威力の高さだけ。

 

 そして、その一撃は――

 

 

「……見事だ」

 

 

 確かに届いた。

 

 その弾丸は、確かに時間停止の鎧を打ち破る。

 その魔弾は、確かに天魔に対して手傷を与えた。

 

 

「だが、それだけだな」

 

 

 悪路の右手に小さな穴が開く。銃弾の大きさにも届かない。小さな小さな穴が残る。

 

 心臓を狙ったはずの弾丸は、しかし膨大な密度を持つ大天魔という怪物の体を貫き切れずに止められる。

 

 片手一つ、僅かな傷を残すのがティーダの限界であった。

 

 如何に空間を超え、相手の守りを無視する力とは言え、大天魔は人型をした単一宇宙だ。

 

 時の守りを無視したとしても対人兵器では届かない。

 人とはその存在規模が違うのだから、対人攻撃では意味がない。

 人に向けるべきではない兵器だからこそ、微かとは言え傷を残せたのだろう。

 

 ティーダ・ランスターが残せた物など、たったそれだけの傷でしかなく。

 

 

 

 天魔・悪路が飛翔する。

 飛び上がってその手にした刃を、ティーダへと振り下ろさんとする。

 

 

「ティーダァァァァァ!」

 

 

 その刃は空を切った。それがティーダに止めを刺す前に、クロノの歪みが届く。万象掌握。距離を操作する歪みの力が彼を回収する。

 

 間に合う筈だ。間に合った筈だ。

 

 ならば彼は助けられたのか――

 

 

「クロ、ノ」

 

 

 否。

 

 ティーダ・ランスターを歪みで回収出来たのは、彼に抵抗するだけの力が残っていなかったから。

 ティーダ・ランスターは攻撃こそ受けてはいないが、それでも腐毒の王に近付き過ぎてしまった。

 

 故に――

 

 

「……ティ、アナ、を」

 

 

 腐毒の王は、近付いただけで全てを腐らせる。

 故にもう、ティーダ・ランスターは腐り切っていた。

 

 抱いた腕の中で、酷い腐臭がする。

 湧き上がる異臭と共に、友の身体が崩れ落ちる。

 

 

「あ、ああ」

 

 

 最早、原形すらも残らない。

 腕に残った悪臭と僅かな残骸だけが、彼と言う個が居た証。

 

 そんな腐り落ちた友の姿に、クロノは現実を受け入れられず。

 

 

「天魔・悪路ぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 悲しみを怒りが超越した。

 

 あれを、許してなるものか。

 また奪われた。それを断じて許せるものか。

 

 父は、腐って崩れ落ちた。

 友は、腐って崩れ落ちた。

 多くの部下たちが、腐って崩れ落ちたのだ。

 

 お前達は、一体どれ程に奪う心算だ。

 一体どれ程に、自分達を殺せば気が済むのだ。

 

 許せない。許してはいけない。

 大天魔とは即ち、我らにとっての怨敵だ。

 

 故にどれ程に無謀であれ、挑まずにはいられない。

 無茶が過ぎると分かっていても、たった一人で立ち向かおうとして――

 

 

「馬鹿者が!」

 

 

 彼を追ってやってきた男の鉄拳が、クロノの後頭部に叩き込まれた。

 

 

「ハラオウン! 貴様、ランスターの二の舞を晒すか!!」

 

 

 がんと叩き込まれた鉄拳に、クロノの頭は揺れる。

 怒りに沸騰しそうになっていた思考は、僅か理性を取り戻していた。

 

 

「冷静になれ、貴様が突っ込んでどうなる!!」

 

「グランガイツ、隊長」

 

 

 追い付いて来たゼストが、クロノの暴走を押し止める。

 殴られ、反発する思いも生まれかけるが、強く歯を噛み締めてただ耐えた。

 

 

 

 そうだとも、ここで己が突っ込んでどうなる。

 

 自身の歪みは、距離を制する力。

 中衛や後衛に立って、戦場操作に努めるのが正しい使い方。

 

 ティーダの死に怒りを燃やすならば、真に己の力を活かす形でなければならない。

 

 頭に上った血が下がったクロノは、掌を強く握り締め、歯を噛み締めながら己の不明を詫びた。

 

 

「……やれるな?」

 

「はい。やってみせますっ!」

 

 

 冷たく見据える腐毒の王。

 彼の前に集った管理局のエースストライカー。

 

 余りにも絶望的な、彼らの抗いが始まった。

 

 

「行くぞ、遅れるなよ、クイント!」

 

「はいはい、痛いのは御免だけど、仕方がないし行きましょうか」

 

「援護は任せたぞ、ハラオウン!」

 

 

 クロノにそう告げ、ゼスト・グランガイツは己の歪みを行使する。

 

 それはありとあらゆる物、全てを貫く信念の槍。

 時の鎧であれ、腐毒の風であれ、万象全てを貫く一閃。

 

 

「乾坤一擲ぃ!!」

 

 

 腐毒を貫いて、ゼスト・グランガイツが突き進む。

 

 全てを貫くまでは止まらない。一念を持って、我が敵を打ち貫こう。

 

 その意志、その祈りより生まれたこの歪みは、攻撃動作を行っている間のみ使用者への攻撃をシャットアウトするという副次効果を得ている。

 

 無論、格上である大天魔を相手に、副次効果が完全に機能する訳がない。

 だが格上とは言え、腐毒の影響を減らすことが出来ている。故にこそゼストの突撃は迎撃することが難しい。

 

 振るわれる槍の穂先を、悪路は手にした剣で防ぐ。

 防がねばならない。攻撃に特化した歪みならば、劣化した時間停止の鎧を貫き得ると知るが故に。

 

 ゼスト・グランガイツの動きが止まる。

 攻撃中は無敵とは言え、相手は格上。攻撃を防がれ接近してしまえば、その腐毒の影響を受けるのは当然の事。

 

 

「万象掌握!」

 

 

 ならばそれに対応する術がある事もまた、当然と言える事だろう。

 

 攻撃が止められた直後に、クロノは己の歪みでゼストを後方へと退避させる。

 空間転移が齎す力で、腐って死ぬはずだったゼストは、こうして再びの機会を得る。

 

 

「そんじゃ、次、行くわよ! クロノ、後ヨロシクね!」

 

 

 ゼストが退いた直後、クイントが悪路へ殴り掛かる。

 繋がれぬ拳。飛来する一撃を叩き込んだ所で、クイントは腐り落ちて塵となる。

 

 だが、今のクイントは一人に非ず。

 存在重複の歪みによって、安全圏に残機を残している。

 

 故に彼女は、犠牲を前提とした策を行える。

 残機を磨り潰し続ける事で、本来届かない拳を届かせるのだ。

 

 一人になった直後に、己の数を二倍にする。

 安全圏に増やした一人を残すと、クロノの歪みによって前線へと転移する。

 

 前線へと転移した二人目のクイントが、天魔・悪路に殴り掛かる。

 二人目も三人目も四人目も、一撃を入れた直後に崩れ落ち、然し攻撃は止まらない。

 

 クイント・ナカジマは死に続け、分身たちの犠牲によって悪路の守りを切り崩さんと挑み続ける。

 

 

「おぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 クイントの猛攻に紛れ、再度ゼストが突撃する。

 クイントの拳が大剣を揺るがせ、その隙に打ち込まれた槍が微かに悪路を傷付けた。

 

 太極位階。単一宇宙。

 それを揺るがせる程の傷ではない。

 

 規模が違い過ぎるが故に、貫こうともそれでは終わらない。

 だが、僅かであろうと確かに傷は刻まれていた。

 

 面倒だ、と悪路は思考する。

 

 ゼストとクイント。どちらも真面にやり合えば、一瞬で倒せている。

 ゼストは本来ならば一合で潰せる弱者である。クイントは残機がこの場に揃っていたならば、複数の肉体全てを一瞥で腐らせることが出来る程度の弱兵だ。

 

 それが未だ健在なのは、彼らの背後で戦場を操作するクロノ・ハラオウンが存在しているからに他ならない。

 

 反撃の瞬間。迎撃の直前に距離を外される。

 そんな些細な能力が、他人と組むとこれ程に厄介になるとは思いもしていなかった。

 

 

「面倒だが、それだけだな」

 

 

 だが抵抗が止むのも時間の問題だろう。

 ゼストにダメージ軽減能力があるとは言え、その体は少しずつ、だが確実に腐毒に侵されている。

 

 クイントが無限の残機を抱えていようと、その痛みまでなかったことに出来ている訳ではない。額で脂汗を搔いている女が戦闘不能になるのはそう遠くない。

 

 クロノは戦場で逃げ回るしか出来ない。この拮抗を保っているのは彼だから、安易に前に出れば全滅という結果しか残らない。

 

 彼らは脅威などではなく、所詮面倒という域を出ない。

 

 故に時間の問題であったのだ。

 

 

「……だが」

 

 

 時間切れ。それが訪れる。

 ゆっくりと消えていく悪路は、未だ健在な敵を見据えて、そう静かに呟いていた。

 

 

「時間切れ、か」

 

 

 時間切れは、どちらにも存在していた。

 月が重なっている瞬間しか、大天魔はミッドチルダに居られない。

 

 それ故にクロノ達が倒れるよりも、天魔・悪路がこの場に居られる時間の方が短かったのだ。

 

 重なった月がずれる。大結界が復旧する。

 途端に悪路を排斥しようとする力が、強く高まる。

 

 黄金の力の波動を受けて、大天魔はここにあることを許されない。

 故に天魔・悪路は、この地より追放されるように魔力を霧散させながら消えていった。

 

 

 

 最後に自身を手古摺らせた者達の顔を、覚えるかのように僅か見詰めて。

 

 

 

 激闘の果てに、管理局の勇士達は大天魔を撃退する。

 

 だが、彼らの表情に喜びの色はなかった。

 あまりに犠牲が大き過ぎた。あまりにも多くの者を失い過ぎた。

 

 

 

 そしてその元凶である大天魔を、討つことは出来なかったのだから――

 

 

 

 

 

3.

「嘘吐き!」

 

 

 ぱしんと頬を叩く小さな掌を、クロノは甘んじて受けた。

 

 管理局で行われた合同の葬儀。儀礼は一通り終了し、設立以来よりの殉職者達が眠る慰霊碑へと遺体が運ばれていく。

 

 その光景を背に、片方の目から涙を流す金髪の少女が声を荒げている。

 もう片方の目は眼帯に覆われて見えない。視神経の一部が腐ってしまったから、ユーノの治癒魔法では癒すことが出来ず、ティアナ・ランスターは片目を失明していた。

 

 

「守ってくれるって、言ったのに!!」

 

 

 背後の葬列から目を逸らすかのように、ティアナは会場に背を向けて走り去る。

 

 死者が生まれた結果生じた愁嘆場。

 それは彼女達だけでなく、この会場の至る場所で起こっている。

 

 多くの人が死んで、管理世界の住人の多くも被害を受けている。

 嘆きの声は酷く大きい。悲劇は至る場所で起きている。それを食い止める事が、彼らには一切不可能だった。

 

 少女に叩かれ頬を赤く染めたまま立ち尽くすクロノを、ユーノとエイミィは心配そうに見つめる。

 

 

「クロノ」

 

「……悪い。一人にしてくれないか。お前達は、あの子を頼む。暫くは、治安も悪化するだろうからな」

 

 

 そんな言葉に、ユーノとエイミィは視線を交差させる。

 クロノくんは任せて、とエイミィは無言で伝え、ユーノは頷くとティアナの後を追った。

 

 

 

 残された男女は静かに、埋められていく遺体を見詰める。

 

 

「放っておいてくれて良かったんだが」

 

「……今のクロノくんを放ってなんかおけないよ」

 

 

 背を向ける少年を、エイミィは優しく抱き留める。

 泣いても良いよと言う言葉に、泣くつもりはないさと答えを返す。

 

 

「……ただ、もう少しこのままで居てくれ」

 

「うん」

 

 

 涙を見せることはなく、ただほんの少しの弱さを見せて、クロノは声を上げることもなく肩を震わせた。

 

 

 

 天魔襲来。ミッドチルダ防衛戦線直後に見られる、当たり前の光景。

 

 死者を悼む。犠牲を嘆く。身内を失う。

 それら全てが、そう珍しくはない出来事であった。

 

 

 

 

 




今回あったワンチャン。
メガーヌが悪路を弱体化させた後、彼が本気を出す前にティーダが歪み付与アルカンシエルをブッパしてれば勝ってました。犠牲がヤバいですが。

攻撃特化型の歪みにアルカンシエル級の破壊力が伴えば、現状の弱体化天魔勢の一柱くらいは撃破可能と想定しています。
ティーダの場合は攻撃特化とは言えないので単独だと少し威力不足。敵の弱体化が必須だった形ですね。
無論。相手が黙って受けてくれるとは限らないので、迎撃されたりする訳ですが。


以下、オリ歪み解説。
【名称】増殖庭園
【使用者】メガーヌ・アルピーノ
【効果】何もない場所に森林を作り上げる歪み。本来ならゆっくりとした速度で広がり続ける歪みだが、今回は悪路の力を喰らった結果高速で増殖し続けていた。
 悪路の腐毒によって死に至る局員達を多く見たメガーヌが、この毒素をどうにか浄化したいと願った結果生まれた歪み。森という形になったのは、彼女の腐毒を浄化するイメージが神聖な木々が生い茂る森そのものであった為。その成立の関係上、悪路に対してのみ特に効果を発揮する歪みとなっている。
 内にある者を迷わせ、内にある虫を強化させ、内にある毒素を浄化する。それだけがメガーヌに出来ること。彼女の歪みの全てである。

【名称】乾坤一擲
【使用者】ゼスト・グランガイツ
【効果】ありとあらゆる物を貫く信念の槍。対象は物理現象であれ、風や炎という形のない物であれ、時間や死といった概念であれ何でも貫く。貫く対象が相手の能力であった場合、想いの強さ、渇望の深度が影響する。特に強い想いを込めて放たれる全力攻撃などは貫けない。
 副次効果として攻撃時無敵という阿呆みたいな能力もあるが、それは敵を貫くまでは止まらないというゼストの祈りから発現した副次効果に過ぎず、遥か格上相手ならダメージ軽減効果に収まっている。
 弱点は攻撃と攻撃の合間に生まれる隙。宗次郎のように振らなくても斬れるというような力がない為、攻撃直後の隙を狙われるとあっさりと落ちる。



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