こんなんじゃ俺、シュピーネさんをもっと出したくなっちまうよ。
副題 強い子はしまっちゃおうね。
擦れ違う。それでも手は離さずに。
なのはちゃん、二段底に落ちるの巻。
※2017/01/05 改訂終了。
1.
ミッドチルダ東部。クラナガンよりそう遠くない地に、一際目を惹くその建物はあった。
檜皮葺の屋根は優美な曲線を描き、垂直に配された木造の壁はミッドチルダには珍しい和の雰囲気を感じさせる建造物。
一五階建ての高層ビルにも匹敵する48mというその高さ。180坪という広大な敷地面積を誇るその大社造りの建物は、彼の御門一門が本拠地である神殿だ。
その御門一門の社の最奥、中心地とも言える礎石のある一室。薄暗い部屋を蝋燭の炎が仄かに照らし出す。
式服に身を包んだ術士達が壁に立ち、呪言を口にする中、その部屋の中央にて二人の人物は向き合っていた。
心の太柱の前で禅を組み、苦々しい表情を浮かべるは黒髪の美女。凛とした顔のその女性こそは、この御殿の支配者である御門顕明に他ならない。
険しい顔で呪を口にする彼女。咒力という点に置いて、師の足元にも及ばない彼女では、こうして複数の術者の補助がなくば高度な術式は使えない。
怨と呪を口にして皆の力を集める顕明。彼女の前には、脂汗を浮かべるクロノ・ハラオウンの姿があった。
黒髪の執務官は今、常とは異なった様相を晒している。
白い着物に、白字で文字の刻まれた細い黒帯。その帯に打ち付けられた杭は、大地と少年の身体を繋ぎ止めるかのように埋め込まれている。
幾重もの帯に包まれたその姿。その様はまるで拘束具を着せられた囚人が鎖に繋がれているようにも見える。
否、その表現はまるでではなく、真実を突いていると言えるであろう。クロノ・ハラオウンは今、御門顕明の手によって拘束されていた。
「戯けが、無茶をしおってからに」
常に余裕を見せる彼女にしては珍しい、焦りと怒りが混じった色。
彼女の目に映る少年の姿は、それ程までに悲惨な有り様を見せていた。
ミッドチルダに戻った少年少女達。
眼前の脅威から逃れられたことに安堵の溜息を吐くユーノと未だ恐怖に怯えて震えるなのはの前で、歪みを解除したクロノ・ハラオウンは何の前触れもなく唐突に倒れた。
疲労か、傷か、どちらにしても意識を保っている方がおかしい程に彼は消耗していた。
故に倒れたのもそれが原因だろうと楽観的に捉え、管理局の医療班を要請する為に動こうとするユーノ。
彼はクロノの容体を確認する為に近付いて、そこで漸くその異常に気付いた。
クロノの纏う気質が変じていく。その小さき体より悍ましい程の瘴気が溢れ出している。
目の前でクロノの気配が変質していく姿にユーノは、先の考えが全くの的外れであったことを悟ったのであった。
その瘴気の質は、濃さや威圧感の違いはあれ、正しく大天魔と同質同種の物。
穢土の理に傾いてしまった少年より放たれるは、万民を発狂させ得る天魔の毒であった。
発されるクラナガン全土を包み込まんとする瘴気。それに気付いた御門顕明が、一門の術士や兵を伴い現れる。
彼女らは瘴気の毒に飲まれ動けなくなった子供らの目の前でクロノ・ハラオウンを捕えると、こうして有無を言わせぬ内に本殿へと引き摺り込んだのであった。
彼女の目に映る魂の形。それは所々に剥げ落ちて皹が入り、今にも砕けそうな姿をしている。
彼女の目に映る肉の体。おかしな形に変じた臓器は殆どが本来の役割を果たしていない。半身であった機械の体は歪みに飲み込まれ、金属が脈打つという悍ましい様を晒している。
そんな在り様すらも、彼の愚行を思えば億に一つ以下の可能性が結んだ奇跡に他ならないと御門顕明は知っていた。
共に居た子供達。会話が出来るだけの余裕があったユーノ・スクライアを問い詰め、どうしてクロノがこうなったのかを知った顕明。
そんな彼女は思う。心底からこの少年は阿呆であるのか、と。
確かに、歪みの根源である奴奈比売より力を奪い取るのは不可能ではない。
目の前にいる相手から力を引き出すというのは、他者の力である歪みを引き出す事に慣れた高位の歪み者ならば至極簡単な行為と言えるであろう。
だが、それは出来るというだけで、その安全性を保障している訳ではない。
力の流入は望んだ分だけ掴み取るという便利な物ではない。圧倒的な力が洪水の如く押し流れて来るのだ。それだけ力に耐えられる器がなければ、それは最悪の結果を招くであろう愚行となる。
夜都賀波岐の大天魔。彼らは、血の一滴すら恒星を上回るとされる覇道神、その神々の中でも在りし日の最強と謳われた最高位の戦神、永遠の刹那が眷属達だ。
その力の総量は絶大。その存在の位階は遥か高みにある。そんな物の一欠けらでしかないのが歪みであり、魔力汚染患者の大半が歪み者に成れないという事実が示すように、そんな僅かな欠片でも人の身には余るのだ。
そんな一滴で人を壊す毒を、杯ごと飲み干すような行為。それこそクロノが行った愚行である。本来ならば断じて行うべきでない、唯の自殺行為に過ぎないのだ。
一滴の毒ですら馴染ませるのに時間が掛かり、或いは生涯を掛けても制御出来ないというのに、コップ一杯の毒など飲み干せばどうなるか、そんなのは自明の理であろう。
毒杯を飲み干す器がなければ、その瞬間に体は爆ぜて死亡するだろう。
内にある毒を制する意思。精神力が足りなければ、その瞬間に自我は狂い崩壊する。
心身全てを染め上げる歪み。それに抗えるだけの魂の強さがなければ、即座にその魂は引き裂かれて塗り潰されるだろう。
後に残るのは、穢土の蜘蛛という彼らの傀儡となった蠢く肉塊だけである。
その点で言えば、クロノはその条件の大半を満たしていたのだ。
彼の器は既にして完成していた。努力の天才とでも言うべき彼は、その歪みも魔法も体術も精神も、弛まず磨き上げていた。己の限界点とでも言うべき境地に、僅か十四歳という若さで手を伸ばし掛けていた。
才能に驕った天才ではなく、歪みに慢心した愚か者でもなく、然したる才能にも恵まれない身でありながら幼い頃より己を鍛え続けた努力家である彼だからこそ、肉体と精神、その双方で必要とされる領域に到達していたのだ。
故にこそ、毒杯を飲み干してなお、それを受け入れる事が出来た。
その毒こそがきっかけとなり、彼は陰の拾という極みへと至れたのだ。
だが、それだけだ。彼には、否、この世界の民には決定的に欠けている物が存在している。
それは魂。その純度。その強靭さ。それが致命的なまでに足りていない。
歪み者にとっては死活問題。最も重要な要素の欠落である。
その弱き魂を、クロノ・ハラオウンは意思の強さと渇望の深度で補っていた。
好敵手に出来て自分には出来ない訳がないという意思。
何の根拠もない盲信であっても、揺るがぬ程に強く思えば魂を輝かせる薪と成り得る。
守りたい。届かせたいという渇望。
失ってしまったからこそ強くなったそれは、確かに神格と呼ばれる者らと見比べても何ら見劣りしない程に極まっている。
だから彼は陰の拾という規格外の歪みを制御することが出来た。
そしてだからこそ、逃走に成功して気を抜いた瞬間に、その歪みを支えていた意思を失ってしまった事で力の暴走を許してしまったのだ。
常に意識を張り詰めておく事など出来ない。常に強き覚悟で居る事など出来ない。一瞬でも気を抜けば歪みを支えられなくなる。
鋼の意思を決して揺るがせない。そんな生き方を、死ぬまで延々と続けていくことが出来る者など、一体何処にいるのであろうか。
故にクロノの身に起こった出来事は、必然の結果に過ぎないのだ。
「刀自、殿」
「……話すな。呼吸をするのも辛いであろうに」
苦痛の中でも決して意識を手放さず、状況を認識し続けていたクロノ・ハラオウンは現状を理解して言葉を口にしようとする。
御門顕明はそんな彼を片手で抑え、彼を縛る呪をより強くした。
「嘗ての神州。秀真という地で最大級の歪み者を封じていた物と同じ術だ。衣服。髪の結い方。爪の切り方に呼吸の仕方。あらゆる要素を制限することで外部に与える影響を遮断する。そして完結させたお前の内なる宙の中で、その歪みを安定させる」
「……どれほど、掛かり、ますか」
クロノ・ハラオウンは望んでいる。
再び戦場に立つことを。大天魔を討つことを。
後一歩まで迫っているという実感がある。打ち破る為の戦術は既に己の中で形になっている。
故に、闇の書を廻る戦いにおいて、今こそ大天魔を討ち滅ぼさんと意志を強く持っている。
そんな彼の姿に視線を逸らすと、しかし顕明は強い口調で冷酷な事実を告げた。
「致命的な魂の崩壊を食い止め、失った分を補うのに一年。……その歪みを安定させるのに掛かる時は最低でも三年だ」
「っ!?」
それは、もうクロノは闇の書を追えないという事実を示している。
「三年と言うのも、封印が馴染んで以前のように力が使えるようになるまでの期間でしかない。……自分の自我や仲間の命が惜しくば、最早全力など出さぬことだ」
「っ、ぅぅっ!」
最早全力など出せない。それは大天魔に抗えないという事実を示している。
「あ、がっ!」
その言葉を理解した瞬間に、クロノは抵抗を始めた。
身を捩って、歯を食いしばって、意思の力で無理矢理にでも歪みを制して、蓑虫の如く拘束されながらも、クロノ・ハラオウンは動き出そうと体を動かす。
周囲を囲む術者らが騒めく。その鬼気迫る姿に怖気付く。その身から放たれる瘴気が一段と激しくなっていく姿に誰もが顔に恐怖を張り付けていて。
「喝っ!!」
そんな配下の動揺を、御門顕明はその一喝で押さえ付けた。
そして鬼気迫る表情でもがき続けるクロノに対して、咒力を込めた一喝を加える。
「……戯けが! 今の貴様が周囲に与える影響を理解しろ!」
「がっ!?」
御門顕明が放つ一喝。それが纏うは強大な呪力。
魔力とは似て非なる力に押し潰され、クロノはその行動を制される。
衝撃波に弾かれ、強まった拘束に身を絞められて、クロノは全身の自由を奪い取られた。
「その身から流れる呪詛は最早大天魔と同質。今の貴様は居るだけで周囲を侵す猛毒。歩く爆弾と同じであると知れ!」
「っ!」
クロノの脳裏に浮かぶのは、この身の放つ瘴気に圧倒されていた好敵手の姿。歪み者である少女が怯えていた姿。
あの時点よりも、今のクロノの放つ瘴気はその濃度を増している。その強さを増している。
歪み者でない少年では耐えられない程に、ならば、魔導師ですらない一般人がその瘴気を浴びればどうなるか。
その結末は想像するに容易い。
心を壊され、体を浸食され、異形の怪物となり果てるか。死に至るか、発狂するか。
どれにしたって救いはない。そんなどうしようもない結末しか、待ち受けてはいないだろう。
「お前が居ればそうなる。お前が死ねば制御を外れた歪みは爆散し、より悲惨な結末を生む。……それを自覚しろ。クロノ・ハラオウン」
「…………」
その言葉に、漸くクロノはその動きを止めた。
自分の感情で無様を晒す愚かさは分かっている。もう二度と無関係な誰かを巻き込む訳にはいかない。
それは自分を止めてくれた。あの少年への裏切りだと知っているから。
「……案ずるな。お前を必要とする時は、必ず来る」
静かになったクロノに、一つの術を掛けながら御門顕明はそう口にした。
闇の書は彼女らにとって、最早重要ではない。
管制人格はその役を果たした。六百年という歳月を稼いでくれたのだから。
そう。夜天の書が闇の書へと変わったのは、内に蔵した永遠結晶を守る為ではなく、それを持って無限転移することにより、大天魔の目をそちらへと惹き付ける為。彼らの目から逃れて、顕明達が暗躍するだけの時間を用意する事こそがその役割。
闇の書がその役を果たし続けたお蔭で、管理局と御門顕明は確かに手を届かせつつある。
足りないのは後一つ。最も重要なそれさえ得られれば、反抗の準備は完了するのだ。
無駄にはしない。無駄には出来ない。それだけの業を重ねている。
次元世界中から集めた無数のロストロギア。その為に滅ぼした世界は数知れない。引き渡しを拒否した者らは皆残らず打ち滅ぼした。
母体に細工を施すことで、思考能力を強化した強化人間を生み出せるように調整したアルハザードの血統。その最高傑作たるジェイル・スカリエッティ。それらの行いが外法であると分かって、しかし望んで行った。
大天魔との戦場を用意することによって、歪み者が覚醒しやすいような状況を意図的に作り上げた。
ミッドチルダとは蟲毒の壺だ。そこに生きる者を磨き上げる為の地獄の釜だ。その為に意図的に大結界に欠陥を残した。完全を求められたと言うのに、避けられた悲劇を、無くても良かった惨劇を作り上げた。
六百年という準備期間をもって、これだけの用意をしてきた。
目の前の少年は、長き管理局の歴史の中でも最大級と言える歪み者は、その集大成と言うべき者の一つであるのだから、ああ、何故無駄に出来ようか。
「決戦の日は近い。その時こそ、お前の力が必要となろう」
故にその命。無駄に散らしてくれるな。失うならばその時にしろ。
そんな言葉を聞きながら、クロノは自分の意識が薄れていくのを感じていた。
それは誘眠の術。他者を眠りへと誘う術だ。
そんな魔法とは異なる力にクロノは抗うことも出来ず、ゆっくりと目を閉ざした。
眠りに落ちた少年は、神殿の奥底へと囚われて封じられる。
彼がもう一度戻って来るまでには、暫しの時が掛かるであろう。
少なくとも、最早彼が闇の書を廻る戦いに関わることはない。
2.
ミッドチルダから第九十七管理外世界を目指す航行船。その船室の一画で、高町なのはとユーノ・スクライアは隣り合って座っていた。
地球までの旅路はそう遠くない。異常さえ起きなければ数日と掛からないであろう。
御門顕明が用意した一等客室。ホテルの内装のような客室の中で、少女は無力さを感じたまま少年と共に過ごす。
――案ずることはない。お前達の戦いは終わりだ。
そう少年少女に告げたのは御門顕明。闇の書の製作者の一人でもある彼女は、現状をこれ以上ない程に理解している。
大天魔が地球を攻撃することはないだろう。ならばそこでひっそりと生きる限り、彼らと相対することはもうありはしない。
守護騎士達がもう一度捕捉されることはないだろう。彼女らも愚かではない。管理局に監視されていると知って、暫しその動きは鈍るであろう。
また、千の瞳という機構をそう長期間に渡って自由に使用させる訳にもいかない。
クロノ・ハラオウンという歪み者が封じられた現状ならば尚更、民間人にそれを使わせる道理はない。
故に、彼女達には残されていないのだ。
大天魔と戦う必要も、守護騎士を追う機会も、戦いに赴く事さえ選ぶ事は出来なかった。
そんな事実を聞かされて、思わずほっとしてしまった。高町なのははそんな自分を恥じるように項垂れる。
友との対話の機会を奪われ、あのように必死な少女らを見逃し、そんな現状に安堵している。それに異を唱えようとも出来ない事が、堪らなく嫌だった。
「私、何も変われていなかった」
膝を抱える腕に額を乗せて、高町なのはは内心を吐露する。
その行為に意図などはない。唯、自分一人で抱え込むのが限界になったから、格好悪いと思っても言葉にするのを止められない。
そんな少女の独白を遮ることなく、少年は耳を傾ける。
「……あの鬼が言った通り、それが私だった」
力を得て慢心し、無意識の内に他者を見下していた。力に溺れて、己に酔って、そんな自分なら何だって出来るんだと思っていた。
「それを言われて、怖くなって目を逸らして、必死に頑張って前に進んでいるって思ってた」
確かに前には進んで居ただろう。努力はしていた。必死に歩いていたのだから。
けれど、目を逸らして、目隠しをしたまま歩いて、それで綺羅星のように輝ける人達に追い付ける程、高町なのはの歩みは早くなかったのだ。
魔法を得て足が速くなった気になって、両面の鬼に無理矢理直視させられて、それでも嫌だと目を逸らしていた事実が其処にある。
「私、歩くの遅いんだ。……そんな知ってた筈の事、今になるまで忘れてた」
輝ける星の如く先に行ってしまう少年が、君が居るからと語ってくれた。そんな彼の傍に立ちたくて、無意識に追い付けるって思っていて。
ああ、けれど、魔法という神様の奇跡に支えられていても、それでも自分の足は遅かったから。
「羨ましい。妬ましい。そんな私の思い」
その輝きに辿り着けないと、乞い願うような思いが芽生える。
否、ずっとあった筈なのだ。幼い日から、なのはは他者を妬んでいた。
私には何もないから。あの日に言ったその言葉が、それを確かに示している。
「力を得て、自分より弱いと思った人にはそれを振るえるのに、強い人に怖気付く」
私はこんなに凄いと見せびらかすように、他者を弱いと見下して上から目線でお話しを要求する。それは劣等感の裏返し。
その癖、本当に言葉を伝えなくちゃいけない友達に、怯えて何も出来なかった。本当に必要な時に、その強さを見せられないなら意味など何処にあると言う。
「するべきことも、やりたいことも分かるのに、それが出来ない」
体が震える。小さな身体が震えている。
今でもその魔女の戯れを思い出す度に、その小さき体は恐怖に震えて動けなくなってしまうのだ。
「……ねぇ、ユーノくん。私、どうしたら良いのかな?」
上手く纏まらない思考を止めて、支離滅裂でぐちゃぐちゃとした複雑な思いを抱えて、縋るようになのははユーノに言葉を伝えた。
そんな少女の姿に、少年はどう返すべきか、暫し思い悩んだ。
(君に僕は、何を伝えられるんだろう)
その掌の温かさに救われたのはユーノ自身だ。高町なのはの輝きを知るのは、ユーノ自身である。
なら、それを伝えれば良いのだろうか? いや、それはきっと違う。
今のなのはは目を逸らせなくなった自分の醜さに対する自己嫌悪と、能力不足や意思不足による嫉妬、そして友達への恐怖で雁字搦めとなっている。
ある種のパニック状態と同じだ。友達が大天魔という恐ろしい怪物だった事実を含めた、認めたくない現実が山ほど出てきた所為で混乱状態となっているのであろう。
そんな彼女に、君にはそれ以外にも良い所はあるから、と。そう伝えて、なのはが喜ぶはずもない。
きっと彼女が望んでいるのは、現状を打破する為の言葉。その一言で立ち上がれるような、そんな都合の良い魔法の言葉。
けれど残念ながら、ユーノの内側に解決の助けとなる言葉は存在しなかった。
彼の思いは示している。その感情は全て伝えてしまっている。故にユーノに、これ以上語れる言葉はない。
だからユーノはなのはの手を優しく握りながら、一つの言葉を伝える。
「待っていて欲しい」
それはきっと彼女が望まない言葉。そうと分かっていても、それしか口に出来ないから、あの戦いの中で決意した思いを言葉にして伝えるのだ。
「待っていて、その内に考えを決めれば良いんじゃないかな? ……君の友達は必ず引き摺り戻すから、君の友達と共に、僕は君の元へと帰るから」
「ユーノくん」
望まれていた言葉とは違う。自分一人で解決するという独り善がりな発言。
けど無責任に背を押すことも、無暗に死地へと向かわせることも、ユーノには口にすることも出来ないから。
任せておけ、後は自分が何とかする。
不可能に近いことは分かっている。どれ程先になるかも見えていない。
今は追い掛けることも出来ず、追い付いたとしても自分一人ではどうしようもないことを知っていて、それでもユーノはそう語る。
男の意地を貫く言葉を、後先など見えていない独り善がりな言葉を、格好付けて口にしていた。
そんな彼の言葉を、嬉しく思う自分が居る。
そんな彼の言葉に、それで良いのかと疑問視する自分が居る。
そんな彼の言葉に、輝かしく前へと進んでいく彼を妬み羨む自分が居る。
ぐちゃぐちゃな感情に翻弄されながら、自分自身の答えは返せない。
けれどなのはは、優しく握られたその手を確かに握り返したのだった。
3.
地球に戻った少女達は、各々の日常へと戻っていく。
ユーノ・スクライアはあれから以前にも増した鍛錬を己に課している。
御神不破の稽古。ストライクアーツの修行。高町桃子のパティシエ苦行。
彼に守護騎士を探し出す術はない。彼に大天魔を追う策はない。
八神はやてという当てこそなくもないが、彼女の住居などは知らない。仮に知っていたとしても、あの少女を巻き込むのはないだろうと判断している。
故に彼の考えは単純だ。管理局へと何れ入局する。大天魔と戦い続ける彼らと共に宿儺、そして奴奈比売という二柱の大天魔を打倒し、アンナという彼女の友達を連れ戻す。
その時の為に、今は唯己を鍛え上げる。
約束した少女を泣かせない為に、あの限界を超えた友人に負ける事がない様に。
そんな彼を後目に、高町なのはは通学路を一人歩いていた。
あの日抜け出した事を叱り付け、無事に帰って来た事を喜んで抱きしめてくれた母の涙を見た。
母に先んじられた事に苦笑して、それから温かい飲み物を入れてくれて、ゆっくりと休むと良いと語った父の優しさを知った。
起きた出来事を聞き、辛かったろうにと慰めてくれる姉が居た。不器用ながらも良く帰ったと笑ってくれる兄が居た。
そんな家族の温かさと、ユーノの頑張りを知るなのははこうして平穏へと戻っている。
これで良いのかという思いを内に抱きながらも、これで良いのだと無理矢理納得させていた。
学校へのバスに乗る停留所までの道行でふと思う。
何時もなら今頃はアンナが声を掛けて来て、バス停の傍でアリサとすずかが待っている。
そんな彼女らと話しながら、バスで学校まで行く。そんな当たり前だと思っていた光景。
それが今はない。
アリサもすずかも、なのはの事など待ってはいないだろう。
数日どころか一週間以上休んでいたなのはを、朝の忙しい時間に待ち続けるとは思えない。
教室に行けば会えるだろうが、それまでの道行で出くわすことはなさそうだ。
アンナも当然居るはずがない。
彼女は大天魔であった。今でもそれを思うと震えが来て、顔を思い浮かべるとあの魔女の嗤いしか浮かばなくなって、そんな自分が情けなくなる。
トボトボと一人歩く。何だか無性に寂しくなった。
バス停へと向かう途中の交差点。出発しようとしているバスを見つけた。
朝のホームルームが始まる前に到着する最後のバスだ。これに乗り遅れたら遅刻してしまうであろう。
急げば間に合うかもしれない。
けれど、まあ、どうでも良いかと思ったなのはは、唯バスが過ぎ去っていくのを見詰めていた。
そして――
「えっ?」
通り過ぎたバスの向こう側。バス停で佇む二人の人影を見つけていた。
「……やっと来たわね」
「待ってたよ。なのはちゃん」
アリサ・バニングスと月村すずか。二人の少女は高町なのはを待っていた。
しかし、その顔に歓迎や歓喜の表情はない。
引き締まった、或いは張り詰めた表情でなのはを見詰めて、アリサは口を開いた。
「ちょっと、顔貸しなさい」
苦難の現実から逃げた少女に、その壊れた絆と向き合う時が来た。
バス停から数分程離れた場所。震災の影響で出来た再開発地区。
住居が建築される予定の空き地に入り込んで、なのは達は向かい合っていた。
「アンナが消えたわ」
「……」
「その顔、知っているって、顔ね」
それは確認でしかない。消え去った少女となのはの関り、自分達では立ち入れなかったそこに、何かがあると気付いていた。
それを何時か話してくれると信じて、待つと決めていた。それでももう待てない理由が出来たから、此処で決着を付ける為に一歩を踏み込む。
きっとその時の少女達は、どちらも余裕がなかったのだろう。
だから勇み足に寄って迫って、そうして破局を迎えてしまうのだ。
「消えたのは私の目の前で、天魔だとか何とか語ってからよ」
「っ!?」
アリサの口にした言葉に、なのはは心底から驚愕する。
なのはにとって、彼女の口からその言葉が漏れるのは予想外だった。
あの大天魔達が己の事を、力のない人間に語るという事が予想すら出来ていなかった。
それはあの血と死が満ちた戦場へと無力な人間を巻き込むかも知れない行為。
そんな事をしでかしたアンナに対して、身勝手な怒りを僅か抱く。どうしてそんな真似をと、恐怖しながらに憤る。
そんななのはの表情から、アリサはやはりなのはは知っているのだと確信していた。
断片とは言え知識を得たアリサは、何よりもあの時止められなかった事を悔やんでいる。どうして手を離したのかと後悔している。
そしてだからこそ、断片以外の出来事を知るであろうなのはに、問い掛けずには居られないのだ。
「いい加減、全部話しなさいよ!」
もう蚊帳の外に置かれるのは御免なのだと語るアリサの問い。
最早部外者ではないのだと告げるアリサの詰問を、跳ね除ける術をなのはは持っていなかった。
「……始まりは、ユーノくんと出会った時」
少女は語る。始まりの物語。ジュエルシードを廻る戦いを。
フェイト・テスタロッサと言う少女が居た。アルフという使い魔の狼が居た。
ユーノと共に駆け抜けて、全能感に酔いしれて――そして全てを両面の鬼が踏み躙っていった事。
そして、続くは闇の書を廻る物語。八神はやてと守護騎士達。
突然襲われて、争いに巻き込まれて、そして再び悪路王と言う大天魔に全てを蹂躙された。
嘆きながら抗う少年達を、取り残されたまま羨望して、その果てにアンナが大天魔の一柱であったことを、天魔・奴奈比売の存在を知った。
それを語る。これまであった事。その主観を、その思いを、ぽつぽつと語るなのはに返って来たのは、パシンと頬を張る張り手であった。
「え?」
「何、してんのよ。アンタは」
叩かれた事に愕然とするなのはに、アリサが伝えるのは唯一つ。
「何で、アンナを止めなかったのよ!」
「っ!」
それは身勝手な怒り。それは理不尽な感情だ。
アリサは友達を止められなかった己を悔やんでいて、そして大切な事だけは間違えないと思っていたなのはが自分と同じ過ちをした事に怒っている。
その過ちを正そうとさえしない在り様に嘆いている。身勝手な感情。押し付けた理想に反されただけだと分かっていても、それでもその感情を止められないのだ。
「何も、知らない癖に」
頬を叩かれたなのはが思うのは、そんな勝手な期待に対する怒り。
既に張り詰めて限界を迎えつつあった少女は、そんな自分勝手なアリサに対して、同じく自分勝手に怒りを向ける。
「アリサちゃんは知らないから言えるんだ! あの大天魔を! あの地獄を! 見ていないからそんなことが言えるんだよ!!」
あの両面の鬼に蹂躙されて、同じ事が言えるはずがない。
あの悪路王の腐毒に染まった地獄を見て、それを止めようなんて思えるはずがない。
天魔・奴奈比売の悪逆は、正しく彼らと同質同種の物である。
「それでも、それでもあいつはアンナでしょうが!!」
掴み掛って口にする。それでも友達だろうと、あの魔女の正体を知って、その拷問を追体験して、それでもとアリサは口にする。
「知っているわよ! あいつがどうしようもない化け物だって、その姿を見て理解したわよ!! あいつに見せられた幻覚で、もう嫌だって思うくらいに怖がって!! けど、けどね、それでもあいつは私の友達なの! アンタもそうじゃないの! なのは!!」
「思うだけなら! 考えるだけなら簡単だよ! けど、それだけじゃ意味がない! 友達だって思っても、手が届かないなら意味がない! 結局力が足りない私じゃ、無力なアリサちゃんじゃ何も出来ない!!」
「それがアンタの本音か! 高町なのは!!」
罵倒から取っ組み合いへと、掴み合ってからの殴り合いへと、少女達の対立は激しくなっていく。
これ以上いけば戻れないほど、どうしようもない程に絆は壊れていって――
「……二人とも、そこまでだよ」
そんな姿を、立ち合い人として見続けていた月村すずかが押し止める。
間に割って入って食い止める少女は、その夜の一族の膂力によって二人の拳を完全に抑え付けた。
「っ! もう知るか、馬鹿なのは!」
抑え付けられて、殴り合いを止められたアリサは吐き捨てるように口にしてその場を後にする。
アンナを呼び戻す為に、なのはの力を借りようと漠然と考えていた金髪の少女は、彼女にその気がないことに勝手に失望する。
何も出来ない自分と何もしないなのはに怒りながら、アリサはこの場から立ち去って行った。
「……アリサちゃんの、馬鹿」
そんな背を睨み付けながら口にする高町なのは。
天魔の恐怖を、アリサ以上に知るが故に怯え歩き出せぬ少女は、断片とは言えそれを知りながらもあんな言葉を口にするアリサの身勝手さに怒りを抱き、同時にその在り様に僅か羨望しながら呟いた。
そんな少女へと向き直り、月村すずかは言葉を告げる。
「アリサちゃんが無茶を言っているのは分かるよ。……私は天魔とか、聞いただけで見た訳じゃないから、どちらが正しいのか何て口に出来ない」
だから中立として、二人を見届ける為にここに居た。
どうしようもなく絆が壊れてしまう前に、自分が間に立って押し止めよう。蚊帳の外に居る自分に出来る事は、そのくらいだと思ったから。
「けど」
そう。それでも今の遣り取りに、月村すずか個人が感じる思いは一つだけ。
どちらが正しいとは言えなくとも、それでも抱いた感情が一つあったから。
「……ちょっとだけ、失望した」
「……っ」
咎めるようなその視線になのはは怯む。
大天魔という人外を恐怖故に遠ざけたなのはに、同じく人外であるすずかは失望を感じている。
あの日、なのはが語った、もう彼女は覚えていない言葉。
それでも友達だと語った彼女の輝きに心打たれたすずかだからこそ、彼女が一番仲の良い友達であった筈のアンナを恐怖故に遠ざけた事に失望を隠せない。
ああ、やっぱり怪物は駄目なのかな、と。
「……それじゃ、私はアリサちゃんを追うね」
そう言って立ち去っていくすずかを、なのはは何も返す事が出来ずに見送った。
「…………私」
一人取り残されたなのはは、去って行く友達の背を見詰め続ける。
「悪く、ないもん」
そう自分を正当化して、ああ、それでも何故だか目は涙で滲み始めている。
少女達の背が見えなくなるまで、高町なのははただ茫然と立ち尽くし続ける事しか出来なかった。
なのはちゃん達の喧嘩は無印でやってなかったので投入。
一度も対立しないで真の友情とか、語れないよね。(脳筋発言)
クロノくんは強く成り過ぎたので、しまっちゃうおばさんに仕舞われました。
心折れて歪み使えないなのはとユーノ相手なら、現状の守護騎士達と互角ぐらいじゃないかなーというバランス調整ですね。
え、大天魔? あれは災害ですから、バランス調整はしない。
全編通して恐らく最も鬱要素が強いだろうA's編。
クロノの慟哭。はやて重篤被害。なのは挫折。アンナ消失。三人娘の絆崩壊。と既に七割は消化しているので、後少しです。
大体三十三話~三十五話くらいでA's編は終わる予定。
もしかしたら後始末や描写の複雑化で一話、二話延びるかもしれませんが、そろそろA's編は終盤へと突入します。