リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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ちたま「アルザスが逝ったか」
みつど「だが、奴は我ら被害担当世界の中でも最弱。たかが一柱の大天魔に耐えられぬとは、所詮は四天王の恥さらしよ」


副題 月夜の誓い。
   鉄槌無双。
   真竜の怒り。母の強さ。

※2017/01/05 改訂完了。シャ〇さんの出番が増えた。



第三十話 竜世界崩壊

1.

 薄暗い病室の扉の前で、ザフィーラは歯を噛み締める。

 はやての状態を診察した石田医師。彼女に告げられた現状に、只々己の不明を恥じる。

 自分は何をやっていたのか、主の現状を知る事もなしに、守るなどと盾の守護獣の名が聞いて呆れる。そんな自責の念で、男の胸の内は満ち溢れていた。

 

 はやてが倒れた時、その場にいた少女達は慌てて救急車を要請した。

 辿り着いた先は海鳴大学病院。はやての通っている、海鳴で最も大きな病院だ。

 

 はやての診察をした石田医師は、その惨状に言葉を失う。

 五感の殆どが潰れている。以前治療した際より、確実にはやての状態は悪化している。

 何故倒れたのか、ではない。何故息があるのかを疑問視してしまう程の惨状がそこにあったのだ。

 

 はやてが失踪した際に、忙しさ故に捜索を後回しにした石田は当時の判断を酷く悔やんだ。

 だが己の行為への後悔や、彼女を連れ出したであろう人物への叱責は後回し。医者としての職分こそを今は優先するべきである。

 

 そう判断して死に向き合おうとした医師はしかし、その状態のどうしようもなさに絶望する。

 

 最早、手の施しようがない。何をどうした所で助からない。

 彼女の医師としての知識が、どうしようもなくそれを告げていたのだ。

 

 そんな彼女の動揺を、どうして感じ取ったのか。

 盲目の少女は自らの死期を自覚して、ただそうか、と諦めたように口にしたのだった。

 

 

「……なぁ、ザッフィー。そこに居るん?」

 

「はい。ここに」

 

 

 ベッドに身を横たえるはやてが呟く。

 目を閉じて、眠りに落ちているような姿で横たわる少女の問い掛けに、ザフィーラは己の葛藤を押し殺して応答した。

 未だ想像を絶する苦痛に耐え続けているだろう主。彼女を思えば、己が葛藤を殺す事など比較にもならぬ程に簡単な事であろう。

 

 

「こっち、来てくれへん?」

 

「そちらに? ですが……」

 

「……何だか、寒いんよ。傍に居てくれへん?」

 

 

 傍に来て欲しいと口にするはやてに、ザフィーラは一瞬戸惑う。

 今の彼は獣の姿ではない。病院内にあって、獣の姿をしていられよう筈がない。

 故にその姿は、主が恐れる大人の男のそれである。その事実に、躊躇いを感じたザフィーラは立ち止まった。

 

 

「ん、しょっと」

 

 

 そんな彼の戸惑いに気付いたのか、はやては己の上体を起こす。

 盲目のまま、無理に体を動かそうとする。そうすれば、バランスを崩すのは至極当然の事。

 

 

「主!」

 

 

 くらりと揺らいで、起き上がった勢いを止められぬままベッドから落ちそうになる。

 ベッドから転落しそうになったはやてを、慌ててザフィーラは受け止めようと走り出す。

 手を伸ばそうとして、それがない事に気付き、結局その胸を使って少女の身体を押し止める形となった。

 

 足をベッドから投げ出して、ベッドに浅く腰掛ける。

 ザフィーラの胸元へと縋り付く体勢となったはやては、その小さな手で優しくザフィーラの体に触れていた。

 

 

「ザッフィーは、温かいなぁ」

 

 

 その手は震えている。その体は震えていた。

 それはきっと彼女が口にする“寒さ”が故だけでなく、そこに居るのがザフィーラだからと言うのも関係しているであろう。

 

 少女は男を恐れている。そして、そうである事を拒んでいる。

 

 

「……この姿では、毛皮はありませんが」

 

「そうやないよ。……そうやない」

 

 

 少女の体が震えているのを感じながら、何と返した物かと悩んだ男はそんな言葉を返す。

 そんなどこか不器用な男に、笑ってそうではないのだ、とはやては伝えた。

 

 そこに彼女が感じているのは、きっと恐怖だけではない。

 そこに感じている温かさは、物理的な物ではないのだ。

 

 人の姿を取った彼に毛皮はない。

 あったとしても、今のはやてにそれを感じ取るだけの触覚などは残ってはいない。

 今では触れ合っている事が微かに分かるだけ、その先から伝わって来る体温などはありはしないけれど。

 

 

「温かいんや」

 

 

 盲目の少女はそう口にして微笑んだ。

 

 

「目ぇ、見えんようになって、唯一得したことやな。……ザッフィーが、怖くない」

 

 

 そんな風に、冗談めかして口にする。

 

 無論、ザフィーラにもそれが嘘だと言うことは分かっている。

 彼女の内にある、男性への恐怖は消えていない。見えないからと言って、その傷跡は忘れられるような程、軽い物ではないのだ。

 

 それでも、そんな言葉を口にして、掌の温もりを逃さないようにしている。

 それでも、もう最期だと知ってしまったから、先送りにしていたトラウマに対して、こうして今向き合っている。

 

 そんな主の姿に、何か気の利いた言葉でも言えれば良いのに、武辺者である自分では都合の良い言葉が浮かばない。

 戦しか得手のないのに、その役すら果たせていない自分がどうしようもなく情けなかった。

 

 

「なぁ、ザッフィー」

 

 

 そんな情けなさを噛み締める彼に、少女は何でもないように口にする。

 

 

「私、もうすぐ死ぬんよ」

 

 

 それは少女の、諦めの言葉。

 

 

「っ!? そんなことは!!」

 

「分かる。分かるんや。……自分の体やから、どうしようもなく分かってしまうん」

 

 

 咄嗟に否定するが、其処に力など籠らない。説得力などありはしない。

 分かっているのだ。ザフィーラにも、はやてにも、もうこの今は続かない。先は長くはないのだと。

 

 日々冷たくなっていく体。殆どが失われてしまった五感。

 そして時折体を走る、耐え難い程の痛みと苦しみ。

 

 そんな物しか残っていない事が、そんな物すら失われていく事が、否応なしに八神はやてに死の実感を齎している。

 

 

「……主」

 

 

 慰めの言葉は口に出来なかった。

 無責任な救いの言葉、嘘偽りを語ることは出来なかった。

 覆しようのない事実が其処にあるから、どうして一瞬目を逸らすだけの言葉を口に出来ようか。

 

 結論は唯一つ。八神はやては、もう、どうしようもなく終わっている。

 

 

「せやから、一つだけ、お願いがあるんよ」

 

 

 だからこそ、彼女は最期に想いを伝える。

 だからこそ、彼女は最期に願いを託した。

 

 

「……私が死んでも、忘れんで欲しい」

 

 

 それは少女の最初で最後の我儘。

 忘れないでという、傷を覚えて置いてという、自分勝手とすら言える願い。

 

 

「忘れんといて、覚えといてぇな」

 

 

 そんな事は分かっていて、そうするべきでないと気付いていて、それでも忘れ去られる事が怖かったから、八神はやてはザフィーラの服を握り締め、切に願う。

 

 

「……ずっと、ずっと。お願いや」

 

 

 悲痛を込めて伝えられるその願い。

 今まで少女が口にすることはなかった、唯一つの我儘。

 

 ああ、それをどうして拒絶出来ようか。

 ザフィーラは唯、その言葉に頷きを返すことしか出来なかった。

 

 そんな彼に、はやては良かった、と零す。

 そんな願望しか叶わない現状に、それでもはやては満足した笑みを浮かべて。

 

 諦めて納得するかのように、誰かに託す頼みではなく、唯純粋に願いを吐露した。

 

 

「……次の闇の書の主が、皆に優しい、ええ人やとええなぁ」

 

 

 そんな言葉。そんな祈り。

 もうどうしようもないから、きっと彼らが救われれば良い。そんな言葉を呟いた。

 

 

「次の主が優しい人やったら、その人を幸せにしてな」

 

 

 もう自分はそうはなれないから、そんな想いが込められて少女の二つ目の願い。

 一つだけと言いながら欲張りやな、と自嘲するように微笑んで語られた言葉に、ザフィーラは言葉を返した。

 

 唯、否と。

 

 

「いえ、申し訳ありませんが、それは叶えられません」

 

「え?」

 

 

 ザフィーラは、確固たる意志の元にそれを否定した。

 唖然とした表情を浮かべるはやてに伝える。それはザフィーラの決意。

 

 

「私は貴女の騎士です。貴女だけの守護者です。……それは未来永劫、変わることはありません」

 

 

 それはザフィーラがザフィーラとしてある為の誓い。決して譲れぬ鋼の意思。

 例え次の書の主がどれ程の大人物であったとしても、ザフィーラはその者の騎士にはならない。

 例え次の書の主がどれ程心優しく清廉な人物であったとしても、ザフィーラがその者を守る事はあり得ない。

 

 彼は己の主を、生涯唯一人と定めたが故に。

 

 

 

 我欲を語るならば、共に逝きたいという思いはある。

 けれど、はやては共に死ぬ事ではなく、覚えていることを望んだ。覚えておいて欲しいと願ったのだ。

 

 ならば生き続けよう。心優しき少女が居た事を忘れず、その想いを抱き続けよう。

 己の想いよりも、彼女の願いこそを優先するべきだから――ああ、けれど、それでも唯一つだけ。それだけは譲れない。

 

 

「我が忠義は貴女の元へ、貴女以外に仕える事はあり得ません。……それだけは貴女の命であっても変える事は出来ないのです」

 

 

 それだけは願わせて欲しい。騎士の忠義だけは共に逝かせて欲しいのだ。

 遺すは唯、過去を見続ける獣のみで良い。書の中から出る事はなく、唯過去を想う残骸だけ残れば良い。

 

 騎士の誇りも、守護者の意志も、この素晴らしき主と共に埋めて行くのだ。

 例え新たな主に誅されようと、蘇った仲間達に否定されようと、管制人格に初期化されようと、八神はやてを泣かせる事になろうとも、この決意だけは覆させない。

 例え闇の書の奥にあるナニカを相手取る事になったとしても、この意思だけは決して譲らないのだ。それが、それだけが、盾の守護獣ではなく、唯のザフィーラが決めた事。

 

 

「アカン。アカンよ、それ。……ザフィーラ、騎士である事、自慢しとったやん」

 

「ええ、誇りに思っていました。……貴女の騎士である事を」

 

「ザフィーラだけ従わんかったら、苛められてまうかもしれん」

 

「それこそ関係ありません。……誰に認められなくとも、真に大切な物は何であるか、それは分かっていますから」

 

 

 いけない。いけない。これではいけない。

 自分が死んでしまってはザフィーラが不幸になる。

 そんな未来が容易に想像出来て、ああ諦めていたのに死ねないと思ってしまう。納得していたのに、それでは納得出来なくなってしまう。

 

 

「ザフィーラは、卑怯や」

 

 

 ぽつりと涙が零れた。無理に抑えていた想いが溢れ出した。

 この己に付き従う獣の為にも、生きねばと思ってしまう。

 生きなくてはと思えば、諦めで蓋をしていた生きたいという思いが溢れ出してしまうのだ。

 

 

「そんなこと言われたら、死ねへんて思ってまう。……諦めとったのに、死にたないって思うてまうやん!」

 

 

 悟っていたのではなく諦めていた。

 八神はやては生きることを諦めて、どうしようもない現実を受け入れて、せめて綺麗に終わろうとしていた。

 

 それなのに、その言葉で、そうではなかった事を自覚してしまう。

 

 当然だろう。何故、これ程幼き少女が、己の死を受け入れられようか。

 それを仕方ないと諦める以外に道がないとは言え、どうして嫌だと思わないで居られるだろうか。

 

 

「……やはり、死にたくはなかったのですね」

 

 

 感情を出したはやてにそう言葉を掛ける。

 漸く他者への言葉だけではなく、利己を口にしてくれた少女に、そう言葉を掛けた。

 

 

「死にたない! 死にたないに決まっとる!! やって、まだしてないこと沢山ある! やってみたいこと、してみたいこと沢山あるんや!」

 

 

 涙と共に言葉を零す。

 それは生きたいと言う願望。

 最早どう足掻こうと叶える事は出来ない渇望。

 

 もっと遊んでいたかった。もっと家族と共に居たかった。

 友人が出来て、家族が出来て、これからなのだ。これからやっと、幸福になれると思っていたのだ。

 

 事故で両親を失って、その思い出に縋る形で生き続けたモノクロの世界。

 それに漸く色が付き始めたのだ。鮮やかに染まったそれに、漸く希望を持ち始めたのだ。

 やりたいことは山ほどある。星の数にだって負けない程に、これから重ねていきたいのだ。

 

 美味しい物を食べたい。シャマルや螢と一緒に色々な物を作ってみたい。

 学校に行ってみたい。なのはにアリサにすずか、アンナと一緒に学んで、そこにヴィータも加われば、きっともっと楽しい筈なのだ。

 恋だってしてみたい。ザフィーラはやきもきするお父さん役か、それとも別の立ち位置か。まだ想像も出来ないが、恋をすればきっとまた世界は変わるのであろう。

 

 守護騎士や友達に出会えた時のように、螢姉ちゃんという家族が出来た時のように。

 そんな細やかな願望は、決して叶うことのない願いは、確かに胸の内に残っていて。

 

 

「せやけど、しゃーないやん! もう生きられんて、どうしようもなく分かってもうて! なら、なら、こうする以外に、どうすればええんよ!?」

 

 

 そんな悲痛の声を上げながら、はやてはその小さな手でザフィーラの胸を叩く。

 そこに物理的な痛みはない。その手にはもう、物を動かす程度の力も籠ってはいなかったから、軽い音すら立てることはない。

 そんな小さな拳に、心を抉られるような痛みを感じながら、ザフィーラは泣きつく少女を慰めようとする。

 

 けれど、抱き寄せることは出来なかった。

 先のない腕は空を切り、泣き叫ぶ少女を抱き締める事すら出来はしない。

 

 その頭を優しく撫でて、慰めることすらも出来はしない。

 その両手は、もう失われてしまっているから。

 

 

「共に生きましょう。共に探しましょう。そして共に眠りましょう」

 

 

 だから、そんな言葉を口にする。他に何も出来ないから、唯言葉を口にする。

 保障のない希望を口にする事は出来ない。あり得ない可能性に縋らせる事は出来ない。だから、だけどせめて――その最期の時まで共に生きよう。

 

 その最期の時まで、救われる可能性を探し続けよう。

 それでも、どうしようもなかったら、貴女と共にこの騎士としての自分を眠りに就かせよう。

 

 

「死が二人を分かとうとも、未来永劫、我が忠義は貴女の元へ。……私は貴女の傍らに侍り続ける事を誓います」

 

 

 月夜の元、交わされる誓い。

 泣き叫ぶ少女がその想いの全てを吐き出すまで、泣き疲れて眠りに落ちてしまうまで、ザフィーラは唯そこにあり続けた。

 

 

 

 

 

2.

 その惨劇は日の出と共に訪れた。

 朝日と共に、第六管理世界アルザスにある、ル・ルシエの里は炎の朱に沈んでいた。

 

 

「はぁぁぁぁっ! どりゃぁぁぁぁっ!!」

 

 

 掛け声勇ましく、鉄槌を振るう赤毛の少女。

 その鉄槌が振るわれる度に、小型の竜が空から墜落し、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。

 

 そんな彼女は打ち倒した竜も、打ち倒して気絶させた人も、どちらに対しても頓着などしない。

 彼女は轍になど興味はないとでも言うかのように、唯前進と制圧のみを繰り返す。

 

 

「魔力蒐集」

 

〈Sammlung〉

 

 

 故に倒れた者らより魔力を奪うは湖の騎士の役目である。

 今の彼女に慈悲はない。対象となる者の命が尽きるまで蒐集行使する。

 

 慈悲を持ったとしても無駄なのだ。

 ル・ルシエを燃え盛る炎が包む限り、ここで手心を加えたとしても、意識を奪ってしまった時点でどうなるかなど明白であろう。

 

 里は燃えている。森は燃えている。人も竜も、共に炎に追いやられていく。

 それは彼女らが直接火を放った訳ではないが、それでも彼女らこそが元凶と言えるであろう。

 

 日の出と共に行われた襲撃。それによって家屋は倒壊した。

 木や布で出来た家屋に使っていた囲炉裏の火はあっさりと引火し、そして自然と生きるが故に燃焼物の多かったこの里は、炎の朱に飲み込まれたのだった。

 

 救助の為に時間を使う余裕はない。そんな無駄な事をする心算もない。

 故にもう助からないルシエの民に、守護騎士が慈悲を向けることなどないのだ。

 

 

「はっはぁっ! 退きな、鉄槌の騎士の御通りだ!」

 

 

 喜々とした笑みを浮かべながらに、ヴィータは唯戦場を蹂躙する。

 心の中に溜まる鬱屈を獰猛な笑みで隠しながら、戦士としての顔を此処に見せる。

 

 その心中で実際に何を思っていようと、その外見しか見えない他者には伝わらない。

 傷付けない。殺さない。その縛りすらもう持たない幼き体躯のその少女は、アルザスに生きる者らにとっては死神と言うより他にない。

 

 そんな彼女に対して、ル・ルシエの民に出来る事など何もなかった。

 

 幼竜や小型竜は愚か、成体の竜すらも獰猛な笑みで撃破していく鉄槌の騎士。

 彼女に対し、強き力は災いしか呼ばないと信じて力を持つことを放棄した彼らに出来る事などはない。

 

 彼らはその掟故に、抗うだけの戦力など持たない。

 力持つ者が例え子供であっても、自らの部族内から追放した。

 

 餓えて死ぬと分かって、為した事の因果が応報したのだろう。

 掟に従って生きる彼らは、守護騎士と言う外敵を前に何も出来なかった。

 

 確かに、彼らの教えには一理がある。強き力は和を崩すであろう。

 余りにも強過ぎる力は安定を壊す。災いを呼ぶと言うのも事実であるのだ。

 

 だが、力なき安寧は外敵に弱いという陥穽を持つ。

 こうして外部から強き力が入り込めば、何も出来ずにその安定は崩れ去ってしまうのである。

 

 

「おい、シャマル! 今、どんくらいだ!?」

 

「五百九十六頁! もうじき六百よ!!」

 

「はっ、足んねぇよなぁ、おい!」

 

 

 まだ六百に届かないと見るべきか、もう四十頁近く集まったと考えるべきか。

 

 だが足りていない。足りていないのだ。

 この地の竜も、この地の民も、蒐集効率が落ちてきている。

 

 これでは無茶をした意味がない。ならばもっと、何かがないといけない。

 これ程派手に無茶をしたのだから、相応の見返りがなくば割りに合わない。

 こんなにも命を奪ったのだから、それに応じた見返りを示せなければ嘘であろう。

 

 だから大物よ出て来い。そう願うヴィータに応えるかのように、アルザスの大地が震えた。

 

 

「来るか――」

 

Guuuuuuuuuuuuu

 

 

 辺りに響くは唸り声。

 その怒りの籠った咆哮は、何よりも騎士らに大きさを意識させた。

 

 

「来るか――」

 

 

 天が震えている。大地が罅割れる。

 木々を山々を砕きながら、大地の底より溢れ出すは業火の咆哮。

 

 

「来いよぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

Guooooooooooooooooo!!

 

 

 燃え盛るルシエの里を包む炎よりも、なお赤き真紅を纏って現れるは黒き竜神。

 ルシエの守り神と謳われる真なる竜。遥けき大地の護り手たるは黒赤二色の大型竜。

 

 その名はヴォルテール。

 

 ル・ルシエの民と共に生き、その加護を担う黒き火竜は今、過去にない程に怒り狂っていた。

 

 

「はっ、大物が出てきたな!」

 

「っ! 真竜クラスの巨大竜!?」

 

「下がってろシャマル! コイツは私がやるっ!!」

 

 

 山より大きなその巨体。内包する魔力は正しく強大。

 その力の前に、然し鉄槌の騎士はほくそ笑む。そこに怯えなどありはしない。

 

 

「闇の書に食われて薪になれっ! このデカブツがぁぁぁぁぁっ!!」

 

Gaaaaaaaaaaaaaa!!

 

 

 ヴィータの言葉に怒りをぶつけるかの如く咆哮する。

 ここに、鉄槌の騎士と真なる黒竜の戦いは幕を開けた。

 

 

 

 

 

「全く、面倒ったらないわねー」

 

 

 そんな鉄槌の騎士と黒竜の戦いを、遠目に眺めながら奴奈比売は溜息を吐いた。

 

 目算するに、彼の竜の魔力貯蔵量は膨大。

 現在の闇の書が竜種の乱獲によって、その魔力を溜め込み辛くなっている事を考慮に入れても、それでもあれを蒐集するだけで少なくとも五十頁以上は稼げるであろう。

 

 それに他の魔導師などの魔力が加わればどうなるか、その答えは簡単だ。

 このままではこの場で闇の書は完成してしまう。それを防ぐ為には、適度に間引きが必要になるだろう。

 

 目標とするのは、六百六十六頁未満。で、ありながらあの騎士達がもう十分だと判断する地点。

 

 

「ってなるとさー。やっぱりあの黒蜥蜴で御終い。或いはもう少しいけるかなーって所よね。それくらいにしてもらわないとこっちが困る訳よ」

 

 

 分かるかしら、と嗤って口にする彼女に返るのは、零れ落ちるような苦悶の声であった。

 

 拷問器具が散乱している。

 胴体から切り離された手足が地に落ちている。

 黒き影に縛られて、絶叫の悲鳴すら上げられない者らは少しずつ壊されている。

 

 魔女の戯れ。どうせ間引くのならば、その命で楽しもう。

 鬱憤晴らしの八つ当たり。悲鳴と苦痛による気分転換。

 

 嗜虐趣味を持つ魔女が、友の居ない現状で思いやりを見せる事などあり得ない。

 彼女の行動は当然であり、そして魔女に魅入られたこの地の民が地獄に引き摺り落とされるのもまた必然であるのだ。

 

 

「だからさー。困るのよね。そういうの。……その奥に居る子、ちょーっと見逃せないかなー」

 

「……悍ましき怪物め」

 

 

 魔女の言葉に、この場で唯一人の生者は吐き捨てる。

 家屋の中に隠れる者らを守らんと身を挺する老人は、己の意志を砕こうかとばかりに同胞らを壊し続けている魔女を、悍ましいと睨み付けた。

 

 老人はこの地の実質的な支配者。ル・ルシエの里長と呼ばれる人物だ。

 そんな彼は思う。己が判断は過ちであったのか、と。この里の掟は間違っていたのか、と。それがこの魔女に抗う術を奪ったのか、と。

 

 だが、今はそんな事を考えている時間はない。

 彼が扉を閉ざす家屋。その奥にいるのはこの地の巫女だ。

 

 彼女を失う訳にはいかない。

 同胞を戯れに壊し続けるこの外道に道を譲る訳にはいかない。

 

 その異形より放たれる威圧感に恐怖を覚えながらも、老骨に鞭を入れて老人は道を阻む。

 

 

 

 そんな老人を、どうでも良さげに奴奈比売は見下す。

 多少の魔力はあるがその程度、壊す価値もありはしないし、これでは痛め付けても余り楽しめそうにない。

 

 魔力を余り持たない人間ならば見逃しても良い。蒐集されても一頁にすらならない者はどうでも良いのだ。

 

 だがこの奥にある者は駄目だ。その内包する魔力は、この地に生きる民の中で最も大きい。幼竜程度ならばあっさりと超えてしまっている。

 そんな奴と黒き竜を蒐集してしまえば、闇の書は完成してしまうであろう。

 

 黒き竜を排除しようとすれば、流石に戦闘中の守護騎士に気付かれてしまう。

 闇の書に気付かれてしまえば、その無作為転移が発現する。書の異常を未だ知らぬ奴奈比売には、そういう認識が確かにある。

 

 

「だから、その子をちょーだいな」

 

 

 言葉と共に、ぐしゃりと今まで生かしていた者らを影が砕いた。

 

 血臭と死臭が溢れ出す。

 場を死の臭いが満たしていく情景に、吐き気を堪える。

 眼前の魔女に怯えながらも老人は、それでも毅然に口にする。

 

 

「……ならぬ。ルシエの巫女を、貴様などに」

 

「ふーん。……一瞬で壊さない為に手加減してあげてるとは言え、これだけ脅しても耐えるのは大した物だけどさー」

 

 

 魔女はにたりと笑って口にする。

 所詮戯れだ。存在するだけで他を圧倒する彼女が、呼気一つでこの地を壊滅させられる彼女が、こうして会話をしているのは唯の遊びに過ぎない。

 怯えさせて、その反応を楽しんでいるだけなのだ。

 

 そしてそんな魔女の予想通り、この老人はやはり遊びがいがなかったから。

 

 

「別に貴方の意見なんてどうでも良いのよね」

 

 

 だから、あっさりと壊した。

 ぐしゃりと長の顔を潰す。柘榴のように飛び散った頭部を、音を立てて倒れる死体を、意図的に踏み躙りながら歩を進める。

 

 

「さーって、ごかーいちょーう!」

 

 

 影で切り裂きながら、その家屋の扉を開けた。

 

 他の家々と変わらぬその造り。家屋の奥には我が子を抱いて怯える女。

 桃色の髪をした若い女だ。その顔色は真っ青に染まっている。酷く体調が悪いのだろう。

 

 それは現状に恐怖しているだけではない。無論それも理由だろうが、それ以上に生来の病弱さが理由なのだろう。

 放っておいても先は長くない。その女が持つ病の臭いに、そう奴奈比売は判断した。

 

 だが、そんな女もどうでも良い。

 彼女の標的は、女ではなく、その腕に抱かれた赤子なのだから。

 

 其処に居る赤子。女の手に抱かれた同じ髪色の少女。

 その子こそが狙いである。その子供こそが、竜に愛された膨大な資質を持つ巫女だ。

 だからこそこの子供は闇の書に喰わせる前に、自分の手で処理しておかなくてはいけない。

 

 そう考えて、ふと戯れに思い付いた。

 鬱憤晴らしに嘗てを演じたからか、その悪趣味が甦る。その戯れは外道の発想。

 

 表の戦いは未だ続いている。

 その激闘が続く限り、まだ時間はあるだろうから――この女が、子を見捨てる姿を見たくなったのだ。

 

 

「はーい。お母さん? その子、私に下さいな。……そうしたら、貴女は助けてあげるわよ」

 

 

 にこやかに話し掛ける。その腕の子をよこせと、魔女は口にする。

 その背に蠢く影より垣間見えるは、冒涜的な情景。女を侵し壊すは拷問の形。

 拒絶して貰わなくては困る。女がどれ程で壊れて、己が娘を手渡すのか、それが知りたいのだ。

 

 震える母を前にして、悪徳の魔女はニタリと嗤った。

 

 

 

 

 

Gaaaaaaaaaaa!!

 

「ははっ! 遅せぇよ、愚鈍が!」

 

 

 黒竜の拳を紙一重で躱しながら、鉄槌の騎士は凄惨に笑う。

 その身に余る鉄槌は揺らめき、肩で荒い息をしながらも鉄槌の騎士は闘い続ける。

 

 刻一刻と過ぎる時間。余りにも強大な敵の存在。

 其処に負荷を感じながらも、獰猛な笑みを震えを隠して鉄槌を振るった。

 

 

 

 黒き真竜。ヴォルテール。

 その力は正しく強大。オーバーSを大きく上回っている。

 

 竜召喚などで呼び出されるそれと、今の黒竜の力は桁が違う。

 あれは召喚者の力量や感情で制限を受けてしまう。呼び出した召喚者の耐えられるギリギリまで己を劣化させ、その指示を受ける為にその性能を貶める。

 

 故に呼び出す度にその大きさが変わるという現象が起こり得る。

 召喚者が真に強くならない限り、真竜と言えどたった一発のSランク砲撃で沈むという無様を晒すのだ。

 

 だが今の黒竜は、己の意志で現出している。その力に何の制限も受けてはいないのだ。

 故に今の黒き火炎竜は、召喚者に使役されている状態の比ではない。比較になどなりはしない。

 

 

Guooooooooo!!

 

「ちぃぃぃぃっ!」

 

 

 その咆哮で大気が震える。その体の一振りで地が戦く。

 

 完全に躱した筈なのに、掠っただけで頬が切れる。

 傷口より流れ出して来た血を舐め取りながら、上等とヴィータは歯を剥き出す。

 

 彼我の実力差は明確だ。真なる力を発揮する黒竜は、人の触れて良いモノではない。

 ヴィータの実力を一回りも二回りも上回る。それ程に強大な怪物こそがヴォルテールだ。

 

 一撃でも貰えばヴィータは落ちるであろう。

 腕力も耐久力も速力も、何もかもが違っているのだから。

 

 

「負けるかぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 どれ程に追い詰められても、鉄槌の騎士は諦めない。

 先陣を切り裂く守護騎士は、そんな実力差には怯えない。

 

 

「テメェに負けてるようじゃ、私は絶対守れねぇ」

 

 

 この竜は確かに強大だが、あの歪み者どもに比べれば一段落ちると彼女は思う。

 

 事実、それが正しいのかは分からない。

 少なくとも、歪み者らであっても単純な力比べをすれば敗れる程度には、真竜のスペックは逸脱している。

 

 それでも、彼女は思う。

 

 この程度の数値差だけで負けてしまうと言うのなら、もっと反則的な存在を前にしては本当に何も出来なくなる。

 もう二度と何も出来ずに負ける様な無様は嫌なのだ。理由は分からずとも、守らないといけないと言う意志が確かにあるのだ。守れないのは駄目なのだ。

 

 だから――

 

 

「だから、だから、だから――私はもう、ぜってぇに負けねぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 黒竜の爪が空を切り裂く、その咆哮が大気を震わせる。

 巨大な翼の羽ばたきは、まるで嵐のような突風を引き起こし、その口より放たれる業火は天を大地を焼き尽くす。

 

 全てが必殺。全てが結殺。唯一撃でも当たれば死を決定する。

 だが、その暴威に何ら恐れることはなく、鉄槌の騎士は身を翻してその武器を振るう。

 

 

「だから、負けねぇって、言ってんだろ!」

 

 

 空を切り裂く爪を躱す。大気を震わせる咆哮に耐える。

 嵐の如き羽ばたきに身を委ねて距離を取ると、業火の隙を縫って魔法を放った。

 

 

「どぉぉぉぉりゃぁぁぁぁっ!」

 

〈Komet fliegen〉

 

 

 巨大化した鉄槌で、生成した鉄球を撃ち放つ。

 巨大な真紅の魔力を纏った鉄球は、黒竜の外皮を大きく傷付けた。

 

 だが、それだけだ。傷一つ付けるのが、その魔法の限界だった。

 

 ならば彼女は敗れるのか、否。

 

 ここに居たのが或いは烈火の将ならば、黒竜の外皮を抜く為に弱所を探し、辛うじての勝機を探る必要があったであろう。

 ここに居たのが盾の守護獣だったならば、その猛攻を防ぎ切れただろうが、火力不足故に泥沼の争いとなった筈である。

 

 だが違う。ここに居るのは彼らではなく、鉄槌の騎士である。

 そう。ヴォルケンリッターの矛である彼女にとって、外皮の硬さなど脅威ではない。

 

 

「ぶっ潰せ!」

 

 

 鉄球は囮だ。その質量の影に隠れていた少女は、その巨大な鉄槌を振りかぶる。

 

 

「ラケーテン! ハンマァァァッ!!」

 

 

 振り下ろされた鉄槌が狙うは頭部。

 それを庇うかのように、飛び出した黒竜の手に炸裂して――グシャリと生々しい音を響かせて、その手は砕け散った。

 

 

Guooooooooooooo!!

 

 

 痛みに咆哮した竜は、その尾を振り回す。

 攻撃直後故に躱し切れず、防御魔法越しに攻撃を受けたヴィータは派手に吹き飛ばされた。

 

 その一撃で防御魔法は砕かれる。騎士甲冑は崩される。

 派手に血を流し、己が守りを失う。唯一発で己が与えた以上の被害を受けてしまう。

 

 だが、そうでありながらも――

 

 

「それがっ! どうしたぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 未だその戦意は尽きない。鉄槌の騎士は諦めない。

 

 

「帰るんだ! それが何処か分かんねぇけど! だけど何処かに、きっと帰るんだ!!」

 

 

 痛みに震えながら、何かを思う。帰りたいと望んだ場所は、何故だかもう思い出せない。

 その手は血に塗れて、その身は戦火の灰に穢れて、多分覚えていたとしてももう戻れなかっただろう。

 

 今の彼女にある想いは唯一つ。朧げな記憶の中にある平穏の光景を、再び取り戻す為に血に濡れる事。

 其処に帰る事が出来ないと分かって、それでもそれを作り上げる事だけを鉄槌の騎士は心の底から望んでいる。

 

 

「だから! 痛くねぇ! ぜってぇに痛くねぇっ!! だから、私は戦えるんだよっ!!」

 

 

 何故だか涙が零れた。だが大丈夫だと歯を食い縛る。

 そして食い縛った歯を剥き出して、鉄槌の騎士は獰猛に笑った。

 

 未だ戦意を鈍らない。非殺傷などない、血塗られた戦場で、それでも騎士は泣き笑う。

 共に必殺となる力を持ち、故に拮抗している戦場で、鉄槌の騎士は辛そうに笑い続けていた。

 

 

 

 そんな騎士と対峙しながらも、黒竜は思考する。

 己の勝利は揺るがない。この小さき者との被害を思えば、その実力差を思えば、まず順当に勝てるであろう。

 アルザスの守護者は伊達ではない。その実力は、長き時を戦い続けた守護騎士を上回っている。

 

 だが、それでもこの小さき者は侮れない。

 その手の傷の痛みが語る。その闘志の衰えぬ瞳が語っている。一寸でも気を抜けば、その瞬間に食らい尽くされるのは己である、と。

 

 そう。これは己の全霊を賭けて挑まねばならぬ強敵である。

 自身に助けを乞う、この地に生きる者達の悲鳴を聞きながら、打ち破らんと鉄槌の騎士を睨み付け。

 

 そこで、一つの泣き声を聞いた。

 

 それは赤子の声だ。己が祝福を与えた子の叫びだ。

 火の付いたように泣くその声は、母の窮地に己を呼ぶかのようで――

 

 

「はっ! どうしたどうした! 手が止まってんぞ!!」

 

 

 猛攻を仕掛けて来る鉄槌の騎士。それを前に、迷っている時間などはない。

 一瞬でも気を抜けば敗れ去る。それが分かっていて黒竜は、決断を下した。

 

 

 

 黒竜の尾が空を切る。それが狙うのは鉄槌の騎士。

 

 

「おっと」

 

 

 軽々とそれを躱したヴィータは、黒き竜の動きに疑問を抱く。

 見え見えの攻撃。まるで躱されるのが分かっていたかのような尾の一撃は、ヴィータに躱された後もその勢いを落とすことはなく。

 

 それが狙うは鉄槌の騎士ではない。

 

 黒竜の尾が薙ぎ払うは、巫女が隠れていた家屋。

 その先に居る、守るべき者を蹂躙する大天魔である。

 

 

 

 家屋を打ち崩しながら、黒竜の尾が奴奈比売へと迫る。

 絶殺の威力を伴って放たれる竜尾の一撃は、しかし片手で止められた。

 

 まるで蠅を払うかの動作で、奴奈比売はそれを握り潰す。血肉が飛び散り、大地が鮮血に染まる。

 それ程までに、大天魔とは程遠く――だが、それでも竜は己が意志を貫き通す。

 

 己が姿を騎士に晒せぬ魔女は、自らの姿を隠していた天蓋の消滅に身を退かざるを得ない。

 黒き竜の背を追う鉄槌の騎士に見つかる訳にはいかぬから、その身を即座に影へと沈めて。

 

 そして黒竜は優しく包み込むように、母娘を無事な方の手で抱き抱えた。

 血塗れで傷だらけで今にも死んでしまいそうな女。そんな彼女がそれでも手離す事はなかった娘。

 

 その姿に、安堵を抱いたかのように目を細めて――故にその背を、無防備な隙を騎士に晒した。

 

 

「打ち抜けぇぇぇぇっ!!」

 

 

 巫女を守る為に竜が晒した致命的な隙を、鉄槌の騎士は見逃さない。

 この歴戦の勇士が、どうしてそれ程の隙を逃がそうか。

 

 

〈Zerstorungshamer〉

 

 

 無情にも告げられる電子音。

 即座に吐き出されるカートリッジの数は三。

 

 魔力が生み出すは巨大な鉄槌。

 高速回転する鋭角は、黒竜の頭部めがけて放たれた。

 

 そして、鮮血と脳漿が飛び散る。

 頭部を砕いた事で、ヴィータは勝利を確信し――だから其処に、少女もまた致命的な隙を晒していた。

 

 

Guoooooooooooooooooooo!!

 

「んなっ!?」

 

 

 分かっていた。此処で無防備を晒すと分かって、だから耐えきってみせるまで。

 守るのだ。護り通すのだ。強き意志でそれだけを思って、守護者と呼ばれし竜は鉄槌を受け切る。

 

 鮮血と血肉を飛び散らせながら、赤く染まった瞳で少女を見据える。

 その破壊の鉄槌に頭部を半壊させながらも、それでも黒竜は死んでいなかった。

 竜が持つ生命力でその命を繋ぎながらに、手にした小さき命を守り通す為に襲撃者たちを排除せんと咆哮する。

 

 

Guooooooooooooooooooooooooo!!

 

 

 大地の咆哮(ギオ・エルガ)。万象を消滅させる殲滅砲撃を、唯一人を排除する為だけに使用する。

 死に瀕した真竜が放つ焔の砲撃を前にして、最早ヴィータは抵抗すらも出来はしない。

 

 

「く、そ――」

 

 

 敗北を理解して、負けられるかと歯を食い縛って、それでも落とされる事は変えられない。

 周囲に満ちる焔の力が放たれれば最期、鉄槌の騎士はこの世から燃えて消え失せたであろう。

 

 放たれたとしたならば、の話だが――

 

 

「クラールヴィントッ!!」

 

 

 鉄槌の騎士の窮地を前に、湖の騎士は此処で動いた。

 攻撃の為に防御が薄れた真竜の体内へと扉を開いて、逆流する炎に焼かれながらに手を突き入れる。

 

 

「くっ、くぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

 

 触れた竜種のリンカーコアは、白魚の様な指先よりも何倍も大きい。

 全てを焼き払う最上級の魔法が発動中だ。それにそもそも魔力の量が違っている。

 

 こうして旅の鏡を繋げられたのは、頭部を壊されて死に瀕した真竜が、残る全霊を攻撃に回したから。

 それでも、それ程に消耗していても、出来たのは旅の鏡を繋げる事だけ。その余りに巨大過ぎるリンカーコアを、抜き出す事すら出来ていない。

 

 右手を炎に焼かれながら、溢れ出す火の粉に苦悶に歪んだ頬も焼かれる。

 それでも真竜を止める事すら出来なくて、シャマルは書を投げ捨てると左の腕も突き入れた。 

 

 両手と顔を殺傷設定の炎に焼かれて、それでも湖の騎士は手を伸ばす。

 同胞があれ程の意志を見せたのだ。自分が見ているだけではいけないと、痛みに耐えながらに女は叫んだ。

 

 

「ヴィータちゃんっ!!」

 

 

 シャマルは決定打を持たない。この竜のリンカーコアを、摘出するだけの力もない。

 それでも其処に干渉すれば、魔法の発動を一瞬妨害する事くらいは出来た。

 

 そしてその一瞬さえあれば、鉄槌の騎士はまた立ち上ると信じていた。

 だから湖の騎士はその端正な容姿を炎で醜く染めながら、それでもその手を放さなかった。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 そしてそんな彼女に応える様に、立ち上った鉄槌の騎士は再びその槌を振りかぶる。

 荒れ狂う炎の中を突っ切って、振りかぶった巨大な鉄槌を其処に振り下ろした。

 

 

「ツェアシュテールングスッ! ハンマァァァァァァァァッ!!」

 

 

 流血を流しながら、鉄槌の騎士が振り下ろした回転衝角。

 少女達の全霊を込めた一撃を前にして、遂に真竜は限界を迎える。

 

 黒き真竜はその頭部を完全に失い、此処に崩れ落ちたのだった。

 

 

 

 

 

「あーあ、やっちゃった」

 

 

 僅か離れた場所に再び出現した奴奈比売は、遊び過ぎたかと溜息を吐いた。

 頭を失い地に倒れ伏した黒き真竜。その手に握られた母娘がどうなったのかは分からない。

 

 あの母娘は死んだだろうか? それとも生きているだろうか?

 少なくとも、頭部を失った竜の真上で勝利の雄叫びを上げる鉄槌の騎士が居る限り、その生死を確認することは出来ぬから。

 

 

「ま、あの調子じゃ、あの子らも見つけられないだろうし、まぁ良いわね」

 

 

 屍となっても強大な魔力を発揮している竜が居る。竜の生命力が場を満たしている。

 それがある限り、余程鋭敏な感覚でも持っていなければあの母娘は見つけられないであろう。

 

 見つからなければそれで良い。面倒な事は放っておくべきだろう。

 さぁ、まだこの世界には魔力を保持している者らが居るから、見つからない内にそいつらを潰してしまおう。

 

 そう思考して、魔女は影へと消えていく。

 

 

 

 大地の守護者は地に落ちた。その力は失われた。

 

 最早アルザスに滅びを回避する術はない。

 

 

 

 

 

3.

 血の臭いと死臭。そして腐敗臭に満ちた場所。

 そこに茶色のコートのようなバリアジャケットに、両足を守る具足。左手にのみ籠手を身に付けた壮年の男が立っている。男は人が忌避する臭いに、常の顰め面を更に歪めた。

 

 アルザス地方ル・ルシエ。被害はそこだけではない。

 この第六管理世界。その中心とも言える首都圏でさえ、生き残りは誰一人としていなかった。

 

 外傷が殆どない非魔導師の死骸。まるで拷問に掛けられたかのように原型を留めていない魔導師の惨殺遺体。

 数えられない程の屍に満ちたこの世界は、最早地獄としか形容が出来ないであろう。

 

 もし自分達が間に合っていたらと思う。

 考えても無駄だと分かって、それでも第六管理世界から送られていた救援要請に即座に答えることが出来なかった事が口惜しく感じられてしまう。

 

 

「ゼスト隊長!」

 

「……そちらはどうだ?」

 

「いいえ、こちらにも生存者はおりません」

 

 

 直属の部下からの報告に、そうか、とゼスト・グランガイツは溜息を吐いたのだった。

 

 

 

 ミッドチルダの防衛を担当する陸の部隊。

 その隊長である彼がここに居るのは、複雑な事情が絡みあった結果である。

 

 先に起きた大天魔襲来。

 それによって局員は数を減らし、その代替に当たる戦闘機人達も量産には時間が掛かる。

 更にアースラ壊滅も痛かった。戦力を丸ごと失って、そして部隊唯一の生き残りは封印状態だ。

 

 その人員不足を解消する為に、部隊全ての人員調整を行っている矢先。

 第六管理世界を定期巡回して警戒に当たる部隊から武装局員が引き抜かれた現状で、この第六管理世界襲撃が起きてしまったのだった。

 

 それでも動ける者は居た。緊急時の為に残っている部隊は居た。

 

 そうでなくとも、今のゼストがそうしているように、武装隊の多くを失ってしまった巡回部隊と協力して駆け付けることは出来たのだ。

 失くした戦力の穴埋めをすることは、決して不可能ではなかったのだ。

 

 だが、本局の上層部がそれを許さなかった。

 緊急用の部隊を動かすことを拒み、休暇中の者らを動員することを嫌った。

 

 そのくせ陸の部隊が海に干渉することを越権行為と否定して、しかし何も解決の案を出せなかった者達。

 足を引っ張る事ばかり上手くなっている者らの争いの結果がこれでは、流石に納得する事などは出来ないであろう。

 

 結局、現在の上層部では僅かと言える現場上がりの指導者、レジアス・ゲイズが動く事となる。

 最良だったのは海の部隊を動かすことだが、レジアスにその権限はない。彼の権限内で独自に動かせるのは陸の部隊だけだ。

 故に彼は敵を作る事を覚悟した上で、無理矢理に第六管理世界を警戒する部隊にゼスト隊をねじ込んだ。救援ではなく、定期巡回への協力という名目で、上の指示を待たずに増援を送ったのだった。

 

 それだけの労を負わせて、然し生存者が見つからない。

 もっと早く出来なかったのか、勝手ながらもそう思ってしまう感情を、ゼストは押し殺す事が出来なかった。

 

 

〈グランガイツ三等陸佐! ルシエ周辺にて、生存反応が出ました!〉

 

「何!? 直ぐ向かう!!」

 

 

 海の部隊に属するオペレーターからの報告に頷くと、ゼストは誰よりも早く現場へと直走る。

 生きていてくれ、救われてくれ、そう祈って、男は地獄を駆け抜けた。

 

 

 

 そして男はその躯に出会う。

 巨大な竜の躯。頭部の欠損したそれの下に、生存者は確かに居た。

 

 躯でありながら強大な存在感を放ち続けるその黒竜。

 ともすれば見失ってしまいかねない程微弱な力が、その下から感じられている。

 

 その下からか細いが確かに助けを呼ぶ、赤子の泣き声が聞こえていた。

 ゼストとて、艦からの情報と泣き声が聞こえなければ気付けなかっただろう。

 管理局が誇る最新機器による支援を得て、漸く見つけ出せる程微弱な生存反応。微かな泣き声に耳を澄ませて、漸く見つけ出せた生存者だ。

 

 崩れ落ちた竜がその手で守るかのように、一組の母娘を包み込んでいる。

 傷付けないように細心の注意を払いながら、その母娘を助け出す。母は重症であるが、それでも幼子は無傷であった。

 

 

「っ! ……意識はあるか?」

 

「……うっ」

 

 

 一目見てその状態を悟ったゼストは、意識はあるかと問い掛ける。

 案ずる言葉はない。それはもう遅いを分かっていて、だからこそ最期に何かを聞き届けようと、彼は要救助者に無理を強いる。

 

 そんな苦渋を浮かべたゼストの呼び掛けに、桃色の髪をした女は僅かに瞼を動かした。

 その開いた瞼の内側、その眼下には何もない。無理矢理引き摺り出されたであろう、血の溜まった空洞があるだけ。

 その身に刻まれた無数の傷に、生きたまま引き摺り出された内臓。彼女を襲った出来事がどれ程凄惨であったか、簡単に読み取れた。

 

 意識があるのは魔力が生かしたか、それとも女の死ねぬと言う意志か。既に死に体の女はしかし、限界を超えて言葉を紡いだ。

 

 

「ああ、あの子は……」

 

「その赤子ならば、ここに居る。案ずるな、無事だ」

 

 

 案ずるのは己が子だ。この有り様でも彼女は子を優先した。

 その在り様に敬意を抱き、そして同時に己が抱き締める赤子の場所すら分からない有り様に、ゼストは悲痛の色を強くする。

 この女はもう持たない。戦場で多くの死を見守って来たゼストでなくとも、誰であろうとそう判断出来るであろう。それ程までに女の顔に浮かんだ死相は濃い。

 

 

「……お願いが」

 

「聞こう」

 

 

 女もそれを悟っているのか、抱きしめる子の無事を聞いて微笑みを零した女は、ゼストに一つ頼みを口にする。

 

 

「この子を……娘を、頼みます」

 

 

 血反吐を吐きながら、今にも死んでしまいそうな女の願いに、ゼストは頷きを返す。

 

 

「ああ、任せて置け。管理局員として、ゼスト・グランガイツとしてここに誓おう。この娘は必ず守り抜く、と」

 

 

 素性も知れない男に託す程に、女は切羽詰まっている。

 だから、せめて安心させるように、己の素性を明かし、そして彼女に誓いを立てる。

 

 約束しよう。強き竜と強き母が守ったこの小さき命。必ずや守り抜く、と。

 

 そんな無骨ながらも情に満ちた言葉に、女は頷きを返す。

 呼吸をするのも辛いだろうに、何とか娘を手渡そうとする彼女から、ゼストはその子を優しく受け取った。

 

 母から引き離された途端に、火の付いたように声を大きくして泣き喚く赤子。

 そんな幼子に女は優しげな笑みを浮かべて、祝福するかのように口にした。

 

 

「キャロ。……貴女は、幸せに」

 

 

 言葉は途中で途切れた。

 力尽きた女はそのまま眠りに落ちて、永劫目覚めることはない。

 

 泣き喚く赤子を抱きながら、ゼストは静かに黙想し、その冥福を祈った。

 

 

 

 アルザス崩壊事件。

 第六管理世界で起きたこの事件は、生存者僅か一名という凄惨な結末で終わりを迎える。

 

 多くの犠牲者を出し、後の世でも管理世界有数の大事件として扱われるこの事件。

 たった一人の生存者であった幼子は、当時の部隊指揮を執った人物の養子として引き取られる事となった。

 

 新暦六十五年の秋に起きた出来事である。

 

 

 

 

 




召喚魔法云々やヴォルテールの真の力は独自設定です。

強大な存在を召喚しようとしても無理が出る。それ故に術者が未熟だと術者を守る為に召喚対象が自らを弱体化させるという理屈。
その為、召喚獣との絆がない状態で実力以上の存在を無理に召喚しようと、魔力コストがヤバくて自滅します。

弱体のイメージとしては竜魂召喚する前のフリード。
デカい飛龍が小型化するんだから、ヴォルテールも弱くなれるよね、という認識ですね。


だから原作でヴォルテールの大きさが変わっていたのは作画ミスじゃないんだ!
なのはさんのワンパンで倒れて、真竜(笑)になってたのもキャロが未熟だった所為なんだよ! と主張してみる。


ここのヴォルさん(本気)は、原作六課全員を同時に敵に回しても一時間は持つんじゃないかなーというレベル。或いは勝つかも?

暴走したA’sでのリインフォースよりも一回り強いくらいを想定しています。



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