リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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唯一言。……今回長いです。
切り所が分かんなかったんだ。


副題 海鳴被害報告。
   お茶の間の大御所さん。お疲れさまです。
   不撓不屈の真なる力。



第三十二話 業火に焼かれる世界

1.

 燃える。燃える。街が燃えている。

 

 オフィス街にある高層ビルの屋上。

 炎に包まれた街を見下ろしながら、咄嗟にこの場所まで転移したユーノは己の判断の正しさに内心で胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

 天より降り注ぐ落雷の雨。豪雨の如く降り注ぐ雷は確かに恐ろしい。

 それでも色を変えたコンクリートが溶け出している地面に比べれば、遥かにマシと言えるのだ。

 

 どう言う訳かは知らないが、この大天魔の力は炎の力強さに反比例するかのように、雷自体はそれ程の脅威を伴ってはいなかった。

 無論、直撃を受ければ即死は免れないだろうが、それでもユーノの防御魔法で数発程度ならば防げるレベルでしかない。

 

 対して、地に蠢く炎は極めて危険だ。

 今居るのは十六階建てのビルの屋上。であると言うのに、大地に蠢く炎の熱はここまで届いて来ている。

 ユーノの展開した広域防御魔法越しにも届く熱量は、彼の精神を確かに削っていた。

 

 止めどなく零れ落ちる汗に体がぐっしょりと濡れている。

 釜茹でにされているかのような高温の大気に、立ちくらみや眩暈がする。

 

 最大限に強化した防御魔法の内側に、冷房効果のある魔法を使用していてもこの有り様だ。

 もしもう少し地面と近ければ、或いは防御魔法の展開が遅れていたらどうなっていたかなど、考えたくもなかった。

 

 とは言え、そう長くも持たないだろう。こうも高温の只中にあっては、確実に脱水症状くらいは起こす。

 そうなれば発動に細かな計算などを必要とする魔法は解除され、ユーノは彼が背に守る二人の少女達諸共に焼き尽くされて終わりである。

 

 

(……そんな死に方は御免だよ)

 

 

 そう胸中で呟きながらも、魔法を展開する力は緩めない。

 だが彼に出来ることはそれだけだ。この手を緩める訳にはいかないが、このままでは詰んでいる。それだけの事が分かっていて、それでも抗い続けるのだ。

 

 歪み者でないが故に、この炎に数秒とて耐えられない。

 この炎の中を進み続ける力を持たないが故に、こうして自分達の死を先延ばしにする以外、何も出来ずにいる。

 

 その事実が、どうしようもなく悔しかった。

 

 

「何で、よ」

 

 

 そんなユーノの後ろに守られた金髪の少女は、地を焼き払う炎を見て口を開く。

 

 その炎を覚えている。あの不浄を焼き払った、地獄の業火を覚えている。

 憧れたのだ。凄いと思ったのだ。あれ程に美しいと思った炎が、今は醜悪な様を晒している。

 

 そんな些細でちっぽけなことが、どうしても許せなかった。

 

 

「っ! あんなの、あんなの絶対認めないわ!!」

 

 

 止めてやる。そう短絡的に思考して、アリサは動き出そうとする。

 展開されている翠色の障壁から飛び出そうと手で触れようとして、その手を少年に掴まれていた。

 

 

「――っ!」

 

「あんたっ!?」

 

 

 アリサが突き出した左手。その拳を真横から抑える形で伸ばされたユーノの手。

 立ち位置が悪かった関係かユーノの背中は結界に押し付けられて、嫌な音を立てながらに焼け爛れていた。

 

 

 

 魔法と太極。その本質は同じ魂の持つ力であるが故に、互いに干渉出来る力だ。

 魔法の盾で熱を防げると言う事は、魔法の盾もまた熱の影響を受けるという事実を示している。

 

 高熱で半ば溶けかけている魔力障壁。次から次へと再構成し続けているからこそ今なお維持されているが、その盾は常に熱され続けているのだ。

 解除する余裕などない。含まれた熱を解消する手段がない以上、熱はその場に留まり込み続ける。その熱量は沸騰した水やコールタールの比ではない。

 

 

「……分かったかい。これが現実だよ。アリサ・バニングス」

 

 

 思わず蹈鞴を踏んだアリサが後退した隙に、結界から離れたユーノが口にする。

 痛みに耐えるかの如くに歯を食い縛りながら、脂汗を額に浮かべた少年は無鉄砲な少女に現実を教え込んだ。

 

 

「一歩出れば死ぬんだ。何も出来ない奴が、気持ちだけで前に出ようとするな」

 

「っ! けど、それでも放っておけないのよ!!」

 

「なら死ぬのか! 自殺なら一人でやれ!!」

 

 

 大量に魔力を消費しながら痛みに耐えるユーノは、余裕がない声でアリサを叱咤する。

 彼女の行動には考えが足りていない。現実的な方法論が見えてこない。感情だけで全てが解決するならば、それ程簡単な事はないのだから。

 

 

「君は無力だ! いい加減にそれを悟れよ! アリサ・バニングス!!」

 

 

 言葉を紡ぐのも厳しい環境の中で、叫ぶユーノ。

 その言葉に、何も返せない。傷付けてしまった少年に反論出来ず、アリサは悔しげに歯を噛み締めていた。

 

 

「アリサちゃん」

 

 

 そんなアリサの震える手を優しく包みながら、すずかがその名を呼んだ。

 落ち着かせるように、自暴自棄にならないように、そう想いを伝えるかのように声を掛ける。

 

 怪物という自分の生まれ。どうせ怪物ならば、こんな現状を打破できる程に外れていれば良かったのに。そんな風に思いながら、友人を励ますしか出来ない現状に悔しさを覚えていた。

 

 

「……分かっているわよ」

 

 

 そんなすずかの言葉に、顔を俯けたままアリサは返す。

 悔しさに打ち震える少年少女達は、何も出来ずに唯耐え続けている。

 

 彼らを護る命綱が失われる瞬間も、そう遠くはなかった。

 

 

 

 

 

2.

 海鳴市外周部。眼前に広大な海が見える場所に、多くの人々が集まっている。

 着の身着のままという雰囲気でこの場所に集まって来た人々は、自分達を救助した人物の指示に従い行動している。

 

 小火騒ぎ程度の被害しか起きていないこの場所へと、避難民を誘導した高町士郎は黒雲に覆われた空を見上げた。

 落雷が降り注ぎ、地が融ける程の炎に包まれている今の海鳴市。ここは最早地獄の底と変わらない。

 

 共に避難民達の誘導を買って出て、僅かでも助けになればと救助活動をしている高町一家。

 比較的安全な場所に物資を持ち込んで、仮設の施設などを用意している月村一家とバニングス一家。

 

 彼らが無事だったのは、一つの偶然の賜物と、そしてある一つの作為故であった。

 

 偶然とはなのはが家に戻らなかった事だ。

 翠屋や月村邸のあった場所は、大火災があった直後のような有り様だ。

 

 中心地である風芽丘町やオフィス街などに比べれば遥かにマシな状態だが、それでも確実に少なくない死者が出ているであろう状況である。

 そのままそこにいたのならば、今頃自分達は生きてはいなかったであろう。そう思わせる程の勢いで、天を焼き焦がすかのような業火が燃え続けている。

 もしもなのはが家に帰っていて、彼女を探し回る必要がなければ、今頃自分達はあの翠屋の中にいた筈である。そう思うと、背筋が冷たくなるのを避けられなかった。

 

 そして作為とは、街中を駆け回っていた彼らがこうして最も安全な場所に何時の間にか集まっていたこと。

 なのはを探して街中に散らばっていた彼らは見たのだ。まるで彼らを誘うように姿を見せる一人の少女を。

 

 どこかで見た覚えのある和服の少女は宛ら蜃気楼のように、出ては消えてはその姿を見せつけた。

 

 道を外れる度に姿を見せ、高町家の面々を何処かへ誘導しているかのように誘うその少女。

 死人のような肌をした彼女。何処か娘の友人にも似た容姿の彼女は、しかし決して悪い物ではない。そう判断した彼らは、その少女の誘導に従った。

 

 罠に掛けられているという疑心は当然抱いたが、それでも何か嫌な予感を消し切れなかった彼らは、その少女に賭けたのだ。

 

 そうして、その少女の姿を見たと言う三家族がこの場所に辿り着いた直後、炎が世界を包み込んだのだった。

 

 

「父さん。こっちの方は、大体避難は終わったぞ」

 

「……月村印の消火器でも消えない炎は厄介だよね。一応、燃えてない場所探して、水と食料は少し回収出来たけど」

 

「そうか。すまんな、恭也。美由紀」

 

 

 防護服を脱ぎながら近付いて来る子供達に、労いの言葉を掛ける。

 緊急対応の為にバニングスや月村が用意していた特性の防護服は、この特殊な火は防げずとも、高熱の中を歩く際に気休め程度にはその効力を発揮してくれていた。

 とは言え、街の中心区のような温度が高すぎる場所へは、そんな装備では立ち入ることも出来ないのだが。

 

 燃え盛る炎の中、僅かにでも火勢の弱い場所を探しては、避難誘導や周辺散策を行っているのは高町家。

 月村家のエーアリヒカイト姉妹や、バニングス家の万能執事らも協力を申し入れ、共に避難民誘導と一緒になって使用可能な物資探しも行っている。

 その甲斐もあって、少なくはない人々を助け出す事は出来た、と言えるであろう。

 

 だが消えない炎という厄介にも程がある物が、彼らの行動を縛っていた。

 燃え盛る業火は一度引火してしまえば、もうどうしようもない。家や所持品に燃え移れば、それが広がる前に捨ててしまうより他に術はない。

 

 一度燃え上がった炎は決して消える事は無い。先に通れた筈の道が通れなくなる。

 助けようとした人が消えない炎に飲まれてしまえば、結局二次災害を防ぐ為に見捨てる他ないと言う状況にも陥ってしまう。

 

 何より厳しいのは、救われるべき避難民達の目に力がない事だろう。

 度重なる震災の果て、こうして訪れた焦熱地獄に生き延びようと言う心を圧し折られてしまった者も少なくはない。

 

 災に包まれた家から逃げようとせず、そのまま下敷きになって死んでしまった姿も彼らは多く見てきているのだ。

 身内の死に耐えられず、心を壊してしまう者らをこの短い時間で嫌という程見て来たのだ。救う側の精神も、そろそろ限界に来つつあると言えるであろう。

 

 

「良いですか、皆さん。こんな時だからこそ、諦めてはいけませんよ」

 

 

 そんな絶望に満ちた避難民達を励ましているのは、偶然海鳴市にロケに来ていたという大物芸人であった。

 

 その針金のような細い体躯に、爬虫類を思わせる顔立ち。

 和服を来た白髪の男は、士郎達には出来ぬ事を率先して行っている。人の心を癒すという役割を。

 

 時に真摯に励まし、時に道化となって笑わせる。

 時には敢えて非難を浴びて憤りのはけ口となり、時に桃子が指揮を執る炊き出しに並んで皆と食事を共にする。

 そうして避難民達の心を支えるその姿に、士郎は称賛の念を向けずには居られなかった。

 

 餅は餅屋に、傷付いた人を癒すのは専門外だ。

 自分に彼の様な真似は出来ないと知っているからこそ、そちらは任せよう。

 

 自分達は彼の努力に応える為にも、一人でも多くの人を救うのだ。

 その為には、挫けてなどは居られない。子供達と共に気持ちを新たにすると、現状を確認する為に先程まで周辺散策に出ていた二人に問い掛けた。

 

 

「……それで、街の様子はどうだった?」

 

「中心区は特に酷いな。余りの高温で近付く事も出来ず、遠目に見ただけだが。……あれじゃあ生き残りはいないぞ」

 

「……一番ヤバいっぽいのは風芽丘の方っぽいよね。チラッと見ただけだけど、大気が揺らいでたって言うか、こうヤバいオーラみたいなのが出てた」

 

 

 散策をして得た情報を問う士郎に、恭也と美由紀はそれぞれに言葉を返す。

 

 

「やはり風芽丘か。……確か、海鳴大学病院もあの辺りにあったな」

 

 

 そう呟いて、末の娘からの連絡を思う。

 彼女が居たのも海鳴大学病院だ。今、一番危険な場所である。

 

 

(なのは。無事でいてくれ)

 

 

 今すぐにでも駆け出したい気持ちを抑え、士郎は祈る。

 自分が飛び出して、何が為せる訳でもない。自分がここに居る事で、確かに救える命がある。

 

 ならば、選択は決まっていた。

 少しでも多くの命を救う為に、彼らは地獄の中を駆け抜け続けるのだ。末の娘の無事を切に祈って。

 

 

 

 そんな士郎の願いは、しかし届かない。

 

 

 

 

 

3.

――えーと、東京から来た言うヘルパーさんですか? これからよろしゅうお願いします。

 

 

 初めて顔合わせをしたのは八神の家。

 両親を失ってまだ間もない時期の彼女は、必死に隠しては居たが、どこか暗い表情の垣間見える、そんな少女であった。

 

 

――えーと、な。買い物、行きませんか? ……歓迎会、とかしてみたいです。

 

 

 慣れない敬語で少女は話す。

 隔意や警戒は確かに存在していたが、何処かで他者との触れ合いを求めていた少女は、そんな言葉で自己表現をしていたのだろう。

 

 

――アカンな。これ。御免なさい。作り直します。

 

 

 一人ぼっちになった幼い少女。それも半身不随の人物が、そう簡単に優れた調理など出来よう筈もない。

 身体が自由に動いていた頃と同じ感覚で、母の料理手伝いをしていた頃と同じように調理を行った少女は、予想通り盛大に失敗した。

 

 黒焦げの料理を廃棄しようとする。そんな彼女を押し止めて、それを口にした。

 随分と久し振りに食べた他人の手料理は、お世辞にも美味しいとは言えなかったが、それでも確かに温かな味がしたのだ。

 

 

――不味いけど温かいって、……姉ちゃん。変な人やな。

 

 

 思わず本音が零れたのであろう。堅苦しい敬語ではなく、普段通りの口調でそう口にする。

 

 

――あ、変な人って、そういう意味やのうて。……ごめんなさい。

 

 

 直後に失言に気付いて頭を下げた少女に、別に構わないと伝える。寧ろ変な敬語よりはよっぽど良いと女は返した。

 

 

――変な敬語って、これでも頑張ったんやけどなー。

 

 

 何処か不満げにそう呟く少女。だが初対面の頃よりはその仲は確かに近くなっていて。

 

 

――決めたで。取り合えずお姉さんをあっと言わせたる。……一先ずは料理やな。絶対、素直に美味しいって言うてまうレベルになってみせるんや。

 

 

 始めて会った頃の呼び名は、ヘルパーのお姉さんだったのだ。

 それが螢姉ちゃんと呼ばれるようになったのは、一体何時の頃だっただろうか。

 

 

――ん、どこ行きたいか、って? せやな。スーパー一緒に行ってくれへん? 今日限定で卵一パック30円なんや。お一人様お一つ限りやけど、姉ちゃんが来てくれれば二人分買えるで!

 

 

 何処か行きたい所があるかと聞くと、三回に一回は近くの安売り広告を見せつけてくるようになったのは、暫く一緒に過ごした頃。

 

 そんなよく一緒に行ったスーパーは、燃え盛る炎の中へと消えていった。

 

 

――商店街に立ち寄るのも偶にはええなぁ。おっちゃん達、おまけしてくれるんやから。……せやけど、何時もは駄目や。八百屋のおっちゃん。螢姉ちゃんに鼻の下伸ばしとったんやから。

 

 

 何時の間にか独占欲でも抱かれたのか、少女は螢に向けられる視線に対して過剰に反応するようになっていた。

 お姉ちゃんは渡さないと言っているかのようなその拙い行動に微笑ましくなって、揶揄う様に他に構っている姿を見せたりした。

 

 そんな悪戯をしていた事は明かせず、結局最期まで内緒となってしまった。

 少女と共に歩いた商店街は、赤き業火の中に溶けて沈んでいく。

 

 

――誕生日? ああ、そか。もうそんな時期やっけ。プレゼントなぁ。……一緒に寝てもらうとか、甘えてええかな?

 

 

 何処か恥ずかしそうに甘えて来る少女と、一緒のベッドで眠りに就いた。

 古き世界の逸話を寝物語風に改竄して語る。そんな即席の物語に一喜一憂していた少女。

 

 彼女と共に過ごした八神の家は、もう何処にも存在していない。自分で焼いてしまったから。

 

 

「……無様ね」

 

 

 燃え盛る業火を天より見詰めながら、金髪の女は自嘲するように呟いた。

 

 

 

 天より降り注ぐ雷霆は、しかし彼女本来の力とは程遠い。

 その雷光は大地を砕き、豪雨のように降り注いでは何もかもを消し去っていくだけの力を持っていた筈だった。

 

 だがその威は嘗ての姉が用いていた頃よりも遥かに弱っている。

 その渇望と決定的なまでにズレてしまった精神が足を引っ張っているのだ。

 

 天すらも焼き尽くさんと荒れ狂う業火もまた、やはりその本来の力とは程遠い。

 大地を溶かし、永劫消える事はなく、望んだ物のみ焼き尽くすその業火は、本来ならばこの地の生物など一息で殺し尽くしてしまえる物である。

 

 だが今のブレた心ではその熱量も変動している。

 望んだ物しか焼かない炎は、しかし何を望んでいるかも分からない現状では何を焼くべきかも定まらない。

 大火に業火に小火に燻ぶる焦げ跡のみ。一切燃えていない場所すら生まれてしまっている程に、余りにも偏った景色を作り上げている。

 

 全ては自滅衝動が原因だろう。既に彼女の魂は限界を迎えている。

 自分でも自覚できる程に追い詰められた女はしかし、それでも確かに強大だった。

 

 

「……けれど、それでも貴女達を滅ぼすには十分過ぎる」

 

 

 そう事実を口にして、その視線を真下へと移す。

 そこにあるは幼い少女の焼死体。全身黒く染まった惨殺遺体だ。

 

 如何に雷光がその猛威を発揮していないとは言え、ここは始まりと言うべき場所である。

 如何に炎の出力が安定していないとは言え、ここは焦熱地獄の中心地。そこに収束された力は他の比ではない。

 

 彼女が焼きたくないと心の何処かで願っていた海鳴病院が、患者や医師を内に残したまま蒸発したように。

 彼女が焼きたくないと心の何処かで願っていた風芽丘の街が焦熱地獄に飲まれ、今なお天すら焼き尽くさんと燃え続けているように。

 

 この地に居た高町なのはと言う少女が、その猛威に触れて無事でいられよう筈もないのだ。故にこれは当然の結末であった。

 

 全身が炭化して地に落ちた魔法少女。

 彼女が未だ原型を保っているのは、その圧倒的な魔力と防御結界が故だろう。

 

 だが、それまでだ。どれ程の力を有していても所詮は人の身。歪み者の範疇だ。

 大天魔の太極。中心地にてその業火の全てを受けてしまえば、何を為そうと生きてなどはいられない。

 

 その結果が、焼死体と化した高町なのはの姿である。

 

 

「いや」

 

 

 そこで母禮は目敏くその変化を認識する。

 本当に僅か、掠れる程度だが呼気がある。空気が僅かに振動しているのを感じ取る。

 

 生きている。辛うじてというレベルだが、確かに息があった。

 とはいえそれで何が出来ると言うのだろうか、最早この少女は唯死んでいないだけだ。

 致命傷など当に超えている重症を受けて、抗うことは愚か逃れる事すら既に出来ない。

 

 最早無視しても構わぬ程の、死に損ないに過ぎない――だとしても。

 

 

「……絶っておくに限る、か」

 

 

 元より念の為。転ばぬ先の杖程度の意味しか持たない太極展開。

 この焦熱地獄はあらゆる可能性を根絶やしにする為に、反抗の余地を僅かすらも残さぬ為に展開された物。

 故に論ずるまでもない。思考する必要すらもない。

 

 まだ息があると言うならば確実に断つ。

 高町なのはと言う存在は、必要ないのだから。

 

 

「……そう。必要がない」

 

 

 この少女の持つ歪み。精神力の続く限り、無尽蔵に魔力を生み出す力。

 或いは、これこそ救いになると捉える者も居るかも知れないが、この少女が世界の救いとなる可能性はないと断じよう。

 

 何故ならば、それは単純な話。唯の歪み者の生み出せる魔力では、世界全てを支える量には絶対に届かない。

 

 倫理を無視し、人権を廃し、それでも決して届く事はないだろう。

 そんな歪み一つで世界の救済を為せると言うならば、全ての歪みを使い熟せる奴奈比売が当の昔に世界救済を終えているのだ。

 

 救済は為せない。歪み者では純粋に力の量が足りていない。

 世界全てを支えられるのは、神格域に到達した者だけなのだ。

 

 極端な話。神格域へ到達してしまえば、能力の種類などはどうでも良くなる。

 そも、神格は人から見れば無限にしか思えぬ程の魔力を秘めているのだ。

 弱り切った永遠の刹那の残骸ですら数億年という時を持たせる事が出来たように、そうそう使い切れる物ではない。

 

 魔力が魂から生み出される力である以上、消費以上の魔力を覇道神は生み出し続ける事が出来る。そして使われた魔力も内側で循環し続ける限り、再利用が可能である。

 覇道神の内側にある全てはその肉体の一部であるのだから、魔力の使用を制限することも、使用済みの廃魔力を元の状態の戻すことも、全ては意志一つで可能な事なのだ。

 

 今の夜刀には使用された魔力を自らの元に戻す力が欠けているが故、その循環が破綻してしまっているが、本来ならば神格は例え内に住まう者達に魔力を消費されようと関係なく存在出来る。

 故に魔法とは、本来ならば無限のエネルギー足り得たのだ。そう覇道神が正常に機能していたならば。

 

 だが、現状は違う。魔法は世界を殺す。そしてその救済には力の性質ではなく絶対量が重要となるのだ。

 神格に至らねばどんな力を持っていようと世界は救済出来ず、神格に至ればどんな力を持っていようと救えぬ道理がないのである。

 

 総じて高町なのはとは、夜都賀波岐という集団にとって、無価値な存在であるのだ。

 

 

「次代は生まれない。神の代わりなど何処にもいない。……だから断片を集め、贄をくべ、そして彼を取り戻す。その果てをこそ、望むしかなかったのよ」

 

 

 高町なのはは無価値であると語った。だが、それは現状のみを見た場合の話だろう。

 人の持つ可能性。これまでの経験が語るその成長性。それらを考慮すればこう断じる他にない。

 

 高町なのはの存在は、即ち害悪であると。

 神の域には至れぬだろうが、それでも偽神を殺し得る領域には届くのだ。

 

 故に払う。故に排除する。故に焼き尽くす。

 断片を揃える為の障害と成り得る者らは、必要な贄を欠落させ得る者らは、彼を取り戻す為に不要な者らは、皆悉く燃え尽きるが良い。

 

 一縷の望みすら残さない。僅かな可能性すら残しはしない。

 天魔・母禮は、最早死体と変わらぬ少女を焼き尽くさんと、神相が持つ炎の剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 高町なのははその光景を、熱に浮かされて纏まらない思考で、しかし確かに認識していた。

 

 視力、ではない。両目は既に燃え尽きて炭化している。それが物を見る機能を遺している筈がない。

 聴覚、でもない。耳は愚か全身が焼け爛れた今、五感は正しく機能をしていない。

 

 故に、それは第六感とでも言うべき機能であるのだろう。

 魔力の流れを、魂の持つ力を感じ取ったなのはは、己を焼き尽くさんと迫る力を確かに感じ取る。

 

 このまま死んでしまうのだろうか。そう思った。

 もう逃げたくないと決めたばかりなのに、諦めなくてはいけないのかと思った。

 

 迫る刃はゆっくりと感じ取れる。

 それは末期に見る走馬燈と同じ様に、死の感覚に思考が凄まじい速さで回っているからだろう。

 

 数倍に、数十倍に、数百倍に引き伸ばされた意識の中で、高町なのはは唯思う。

 

 

(嫌だ)

 

 

 そこに抱くは単純にして簡単な感情。

 恐怖に対する拒絶ではなく、死に対する忌避感ではなく、それは酷く利己的な想い。彼女が抱いた、一つの渇望。

 

 また四人一緒に。笑い合って共に居たい。

 アリサ・バニングス。月村すずか。――そして、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリン。

 

 

(嫌だよ)

 

 

 願うのは、少女達だけではない。僅か十年にも満たない生涯で、大切な人は沢山増えた。

 ユーノ・スクライア。高町家の家族達。管理局の人々。多くの出会いと別れが確かに其処にあったのだ。

 

 この炎に飲まれてしまえば、もう彼らには会えない。

 この炎を止められなければ、今なお逃れ続けている彼らもまた死者の仲間入りを果たすであろう。

 

 フェイトやはやてと言った、一緒に居て欲しいと願って、それでも失われてしまった命のように。

 

 

(それは、嫌だ!)

 

 

 だが動かない。だが動けない。

 意志の問題ではない。感情の問題ではないのだ。

 物理的に動く事が出来ない今、どれ程乞い願っても高町なのはが死から逃れる事は不可能だ。

 

 ならば、最早諦めるしかないのだろうか?

 

 

(嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!!)

 

 

 だが理屈ではない。そう理屈ではないのだ。

 そこにあったのだ。輝かしい世界が、確かにあった。

 取り戻すと決めたのだ。その為なら恐怖にだって向き合えると覚悟を決めたのだ。

 

 終われない。そう終われない。こんな所で高町なのはは終われない。

 

 諦めが足を止め絶望を呼ぶならば、なのはは決して絶望しない。

 もう足は止めないと決めたのだ。諦めたくないと決めたのだから。

 

 

(だから!)

 

 

 渇望を強く抱く。この地の民としては異常な程に強大な魂を炉にくべる。渇望によって魂を活性化させ、己が歪みを駆動する。

 

 

(立ち上がる為の足が欲しい。前を見る為の目が欲しい。願いを掴む為の手が欲しい)

 

 

 彼女の歪み。不撓不屈。その能力は無尽蔵に魔力を生み出す事――ではない。

 それは所詮力の一端に過ぎない。それは所詮、余技にしか過ぎないのだ。

 

 嘗て諦めたくないと願った時、彼女の体には魔力が欠けていた。

 魔力がなければ戦えない。戦う事を諦めたくない。故に彼女の歪みは魔力を生み出すという形に変異した。故にその本質は、その本来な形は些か違う。

 

 歪みとは渇望を叶える為にある力。その本質は、生み出された際の願いこそが示している。

 諦めないという想いを貫く為に、必要な物をその場で手に入れる事。それこそが、彼女の歪みの真なる姿。

 

 

(戦う為の、体が欲しい!)

 

 

 そう強く願う。嘗て求めた魔力と違い、今度は唯動かせる体を求める。

 

 

(この間違った人を止められる体が欲しい!)

 

 

 この人の優しさを知っている。あの友達がどれ程この人を慕っていたかを知っている。

 そんな彼女を追い詰めた事。そんな彼女の命を奪った事。その事に涙を流せるこの天魔が、泣きながら行われる悪行が、絶対に正しい訳がない。

 

 どんな理由があれ、今の彼女は間違っていると断言できるから。

 

 

(諦めたくない! 諦めないんだ!!)

 

 

 恐怖を駆逐する。意志を持って己を作り変える。

 諦めたくないから。故に彼女がそこに至るのは、至極当然の結果であった。

 

 

「あああああああああああああああっ!!」

 

 

 再誕の産声と共に、高町なのはは立ち上がった。

 

 

「っ!? 貴女っ!」

 

 

 目の前で起きた現状に戸惑うも一瞬。

 その本質を理解した母禮は少女の行った荒業を理解して内心で舌を巻いた。

 

 

 

 この世界は魔力によって構成されている。

 それは大天魔ならば誰もが知る世界の真実。

 

 空も大地も動物も全て。人間の体ですら、魔力を素材としている。

 故に理屈の上では、必要な魔力さえあれば人間を作り直すことだって、決して不可能ではない。

 

 動かなくなった体を分解し、そして己が歪みによって作り出した魔力で再構成する。

 高町なのはが歪みによって再現しているのは、唯それだけの事である。

 

 無論。口で言う程単純な事ではない。幾つもの代価は存在している。幾つもの制限は存在しているのだ。

 その一つが、肉体を再構成する際の設計図。復元する先の完成図がなければ、肉体に不具合が生じてしまうであろう。

 

 それをなのはは、己の魂から引き出す形で補った。

 十年近く共にあった体。確かに魂は構造を覚えているのだろう。故にこそ、高町なのはの歪みは肉体再生を可能とする。

 

 だが、それでも引き出すと言う過程に時間が掛かる。

 故に、こうして再生の隙を晒してはいる。治癒が中途半端な状態である。未だ、高町なのはは動ける程には再生していない。

 

 しかしそれも一時の事だろう。引き出しに時間が掛かるのは、新たな力になれない現状のみ。

 直ぐにこの力に適応し、瞬時に再生が可能となるだろう。脳内や魂内の機構を最適化してしまえば、そう簡単には殺せなくなってしまう。

 

 故に大天魔は、そんな時間などは与えない。

 

 

「はぁっ!」

 

 

 神相の刃が翻る。その速度は正しく雷光。

 光となって加速する刃は、正しく不可避の一撃だ。

 

 

「っ! ぐぅぅぅっ!!」

 

 

 生まれ直す苦痛に苛まれながら、なのはは神相の刃から逃れようと身を捻る。

 

 だが遅い。一歩所ではなく、圧倒的なまでに速力が足りていない。

 雷光の速度で振るわれるそれを躱し切る事など、あの運命の少女でなくば出来ぬだろう。

 

 高町なのはでは絶対的なまでに速さが足りていないのだ。

 

 

「あああっ!」

 

 

 先んじて動いた結果、即死だけは避けられる。だがその被害は甚大だ。

 体の半分を斬り飛ばされる。全身を雷鳴に撃ち抜かれる。逃がさんと追撃として放たれた炎が斬り飛ばした半身を炭化させる。

 

 そうして地獄のような苦しみを味わいながらも、それでもなのはは止まらない。

 溶けてしまったレイジングハートを、己の肉体の一部であると無理矢理定義して再構成する。

 炭化した半身を復元させながら、血肉を零しながらも飛翔魔法で宙を舞う。

 

 

「あ、ぐぅっ」

 

 

 追撃は止まらない。

 雷鳴の如き速度で振るわれる刺突剣と、燃え盛る炎の長剣は苛烈な攻めを絶やさない。

 

 不可避の雷光に貫かれる。取り戻した体を切り裂かれる。

 消えない炎で燃やされる。全身が炭化してしまう前に、焼かれた部分を自身の体ごと殺傷設定の魔法で消し飛ばす。

 

 そして距離を取り、逃げ回りながらも、高町なのはは己の肉体を再構成に完了した。

 

 

「何故、そこまで」

 

 そんななのはの姿を、理解し難い物を見るような瞳で母禮は見据える。

 魔力を持って肉体を作り直す。言葉にすれば簡単だが、何の代償もなくそんな真似が出来る筈もない。設計図の有無だけが代償の全てである筈がない。

 

 二つ目の代価が存在する。慣れぬまでは再生に時間が掛かるなどと言う安い代償ではなく、もっと重い代価は存在している。

 

 それは苦痛だ。それは激痛である。

 生まれ直す度に痛みを感じている筈だ。それも常軌を逸した物を。

 

 例えるならば、麻酔も掛けずに己が体をナイフで解体して、その上で針と糸でバラバラのパーツを繋ぎ合わせるような痛み。

 その痛みに耐えながら、全く間違えずに自分の身体を繋ぎ直さねばならない。高町なのはの行っている事とは、そんな狂気に満ちた行動である。

 

 特別な力によって解体されたままでも生きていられるとは言え、痛みに苦しみながら己の身体を作り直すなど、真面な人間に耐えられる物ではないだろう

 その上、繋ぎ直す力も、命を保つ力も、どちらも意志に依っているのだ。故に当然、痛みや苦痛に耐えられず諦めてしまえば、その時点で即死してしまう。

 

 それは力の所有者である少女自身が、分かっている筈である。

 それでいて自らその再生方法を繰り返しているのだから、正気であるとは言えないであろう。

 

 だが少女の瞳に狂気は見えない。この少女は間違えずに破綻している。

 その諦めないという渇望だけが、常軌を逸するレベルで練り上げられている。

 

 目に見える程明確に、その位階を高めていくなのはの姿。

 その血が特別であれ、その魂が規格外であれ、それでもその光景は明らかな異常である。

 

 

「だから、危険だと言うのだ。お前達は」

 

 

 当初こそ驚かされたが、しかしこれも彼らの可能性を思えば想定の範囲内と言える。

 あの獣の血を引く少女だ。この誰もが魂から力を失いつつある世界で、それでも神座世界の三騎士を凌駕する程の魂純度を持つ少女だ。

 

 そんな少女が強き渇望を抱けば、こうなる事くらいは予測が出来る。

 それ程に恐るべき可能性を秘めているからこそ、葬らねばならんと思ったのだ。

 

 その考えが間違っていなかった。この現象はその証左にしかなりはしない。

 

 

「ここで、消えろぉぉぉっ!」

 

 

 焦熱地獄の唯中で、その主たる大天魔は咆哮する。

 神相の四腕より放たれる二つの刃が、人型の両腕より振るわれる二振りの刃が、共に一人の少女を追い詰めて行った。

 

 

 

 

 

 口の中が血の味で満ちていく。

 八つ裂きにされる。首を切り落とされる。体を焼かれる。

 

 その度に再生し、それと同時に心が削れていた。

 まるで鑢にかけられているかのように、強い思いが削れていって、代わりに弱音ばかりが増えていく。

 

 痛い。苦しい。もう嫌だ。逃げ出したい。

 そんな弱音が湧いて来て、戦おうという想いが薄れていく。

 

 これが精神力を消費する事か、と認識しながら、それでもなのはは飛び回る。

 

 空を飛びながら少女は見詰める。この地で生き足掻く人々の姿を見る。

 

 ビルの屋上にて地獄を生き延びる少年少女の姿。

 被害の少ない埠頭付近にて救助活動を行っている家族の姿。

 避難所に集った人々。炊き出しされた食事を口にしながら、身を寄せ合って励まし合う姿。

 

 その頑張る姿に勇気をもらう。その追い詰められている姿に意志を強くする。

 逃げられない。負けられない。この光景を失わぬ為にも、あの光景を取り戻す為にも、高町なのはは諦めない。

 

 

「……貴女は!」

 

 

 声を出そうとして、その瞬間に首を切り落とされる。

 問答無用とばかりに攻める手を揺るがせない母禮を前に、なのはは言葉を紡ぐ事が出来なかった。

 

 

「間違っている!!」

 

 

 切り裂かれ、焼かれ、その度に途切れ途切れとなっても、それでもなのはは言葉を口にする。

 否定されようと、何と言われようと、母禮の攻撃は緩むことがない。

 

 その攻撃に晒される少女の言葉は、酷く聞き取りにくいだろう。

 だがそれでも、その間違いを指摘しなければとなのはは考える。

 

 そうでなければ、あの友達が余りにも救われないと思うから。

 

 

「……だって、泣いてた!」

 

 

 少女の口にするのは彼女が見た光景。

 大局など知らぬ少女では、真実など知らぬ少女では大言などは語れない。

 

 故に紡がれる言葉は至極単純な物。幼い子供の戯言だ。

 そう母禮は判断して、続く言葉を聞き流そうとする。

 

 刃を絶やさず、命を奪わんと振るい続けて。

 

 

「はやてちゃんも! 貴女も! 皆泣いてた!!」

 

 

 そんな子供の戯言が、酷く心を抉った。

 

 

「だから間違っている! 皆を泣かせた行動が! 誰も救われない現実が! 正しいなんて、ある訳ない!!」

 

「……何も知らない子供が」

 

 

 避けられない物はある。望んでいなくとも為さねばならぬ事はある。

 故にその真実を知らぬ少女の言葉は戯言だ。唯喚き散らすだけの感情論だ。

 

 ああ、けれど、それでも心が痛むのは、何も救われていないという現実を知っているからか。

 自分が間違っている事など理解しているからだろうか。

 

 はやての涙が脳裏を過ぎる。それを振り払うかのように、雷光の剣を振るう。振るわれた刃はずぶりと嫌な音を立てて、少女の身体を貫いた。

 

 

「……何の心算だ」

 

 

 振るわれる刃から逃れようともせずに、唯黙ってその身に受けた高町なのは。

 その対応に僅か違和感を抱いた母禮は、次いで己に向けられた機械の杖を見て目を見開いた。

 

 気付いていた。この大天魔はどういう訳か、他の大天魔に比べ能力を著しく落としていると。

 度重なる攻撃で理解した。例え直撃を受けようとも、今の自分ならば即死はしないと。

 

 恐るべきは雷速の行動。一挙手一投足全てが秒速にして150㎞。音速の四百倍以上の速度で行動しているのだ。

 音速の数倍程度が限界のなのはでは、何を為そうとも追い付く事など不可能であろう。

 

 追い付けない。命中させられない。

 ならば対処は簡単だ。肉を切らせて骨を断てればそれで良い。

 

 

「捕まえた!」

 

〈Divine buster〉

 

 

 殺傷設定の砲撃魔法は、使用者であるなのはすらも巻き添えにする。

 桜色の輝きがなのはの半身を消し飛ばしながら、天魔・母禮の体を吹き飛ばした。

 

 

「っ!」

 

 

 桜色の砲撃に久しく感じていなかった痛みを感じさせられた母禮は、反射的に距離を取ってしまう。

 その身には掠り傷程度に過ぎないが、確かに裂傷が生まれていた。

 

 

(やれる)

 

 

 吹き飛んだ体を再生しながら、高町なのはは確信を抱く。

 心が揺れているが故に火力は落ち、そしてその身の護りも弱くなっているこの大天魔ならば、諦めない限り対抗できる。

 

 そう思えば、この苦痛にも耐えられる。この痛みにも耐えられると思えたのだ。

 

 

「……どうして」

 

 

 それは意図した発言ではないのだろう。

 相手の意志など無視して、問答無用と苛烈な攻撃を続けていた母禮が僅かに見せた隙。

 

 己の身体を痛め付けながら、抗う高町なのは。

 死にたくないと抗うのではなく、間違っていると立ち向かえるのはどうしてなのか、と疑問を無意識の内に零して。

 

 

「間違っているから、止める。もう奪われたくないから、止めさせる。……ううん。それだけじゃない。謝って欲しいんだ」

 

 

 そんな明確な隙を前に、しかしなのはは攻撃をすることなく言葉を返す。

 苛烈に攻め続けられて出来なかった会話。漸く得たお話しの機会に己の意志を伝えようと、想いを言葉にして紡ぐのだ。

 

 

「謝る? 貴方に詫びろと?」

 

「はやてちゃんに、だよ」

 

 

 あの少女が、どれ程目の前の女性を大切に想っていたのか知っている。

 きっと生きていれば、奴奈比売を友達だと断言出来る自分のように、はやてもそれでも母禮が家族であると語るだろうと思うから。

 

 そんな居なくなってしまった友達の家族が、間違ったままで居て良い訳がない。

 

 

「はやてちゃんに謝って! その間違いを改めて! はやてちゃんが大好きだったお姉さんに戻ってよ! そうじゃないと、私は貴女を許さない!!」

 

 

 それは子供の戯言だ。真実など知らぬ言葉である。必要悪を知らないが故に語れる言葉。

 それでも桜色の輝きを放つ子供の言葉は、確かに母禮の心を揺さぶっていた。

 

 

「……良いだろう。お前の言う通りにしてやる」

 

 

 その返答になのはは表情を明るくする。

 分かってくれたのか、とそう楽観的に捉えた思考は、続く言葉で一変した。

 

 

「お前がその想いの根源を失ってなお、同じ言葉を囀る事が出来るならば、な」

 

 

 その目が向くのはオフィス街にあるビルの屋上。

 戦いの最中、心折れそうになったなのはが幾度も視線を向けた場所だ。

 

 それだけされれば誰だって分かろう。そこにこの少女の想いの源泉は存在している。

 戦おうという意志の根底は、そこにある者らを守りたいという想いであろうから。

 

 まずは其処から焼き尽くそう。その想いを砕いてしまおう。

 現在の消耗で高町なのはを殺し切るのは難しいからこそ、その根底を先に壊してしまおう。

 それでもなお揺るがぬと言うならば、願いが汚されようと同じ言葉を口にするならば、己が敗北を認めよう。

 

 そう判断して、母禮は神相の向きを変えた。

 

 

「ダメ! 待って!!」

 

 

 制止の声は届かない。高町なのはの手は届かない。

 雷速で走り抜けるその神相を追うには、彼女の足は遅すぎる。

 

 目の前で先を行かれる。足が遅いことを悔やんで、手が届かない事を後悔して、そんななのはの目の前で、大切な物を奪い去らんと大天魔が咆哮する。

 

 

 

 ユーノが、アリサが、すずかが空を見上げる。

 浮かび上がるは巨大な羅刹の姿。その存在が近付いた瞬間に、まるで煮え滾る鍋に放り込まれたかのように周囲は高熱に満たされ、彼らは揃って膝を折る。

 

 そんな姿に躊躇う事はなく。そんな姿に惑う事はなく。

 

 

「やめてぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 神相はその手にした燃え盛る炎の剣を、子供達へと振り下ろす。

 

 

 

 少女の叫びは、虚しく響いた。

 

 

 

 

 

4.

 それは闇の奥底に居た。

 

 心の臓を失い。その身は地に倒れた。

 闇の書に回収され、その奥其処へと引き摺り込まれる。

 

 烈火は腐敗してしまった。

 鉄槌は引き裂かれて燃え落ちた。

 湖は雷光に首を斬り落とされて焼き尽くされた。

 

 残ったのは守るべき者を失くした盾一つ。その命とて風前の灯火だ。

 

 闇の書は切り裂かれ、燃やされ、そして僅かな断片が残るのみ。

 永遠結晶を奪われた今、その消滅は最早時間の問題である。

 

 このままでは遠からず消え失せるであろう。

 何も為せずに、何も出来ずに、こうして唯無様に消える。

 

 それを良しとするのか? あの誓いすら果たせずに消えるのか?

 

 否。否。否否否否否否否否否否否否否否否、断じて否!

 

 

――死にたない! 死にたないに決まっとる!

 

 

 ああ、あの少女が一体何をしたと言うのだ。

 偶然闇の書などという下らない物に目を付けられて、この瞬間まで真実に気付くことはなかった愚かな騎士に守られて、信じた人に裏切られて。

 

 その内の一つとて、少女に非はあっただろうか。

 罪に応じた罰が下されると言うならば、因果は応報すると言うならば、少女程それと無縁な者はないだろうに。

 

 真に罪深き者らがこうして生き続け、あの少女が死んでしまった。

 そんな現実は許されない。己達が生きていて、あの少女が救われずに逝ってしまうなど、それは断じて許せない。

 

 

――生きるんや。精一杯、最期まで。

 

 

 そんな小さな決意すらも許されないというのだろうか。

 そんな僅かな救いすらも許されないというのだろうか。

 

 そんな事は認めない。認めてなるものか。

 

 人には相応の居場所と言う物があるべきであろう。あの少女は日溜まりの中で笑っていなければ嘘であろう。

 それを裏切り奪った者が居る。認められない。認めてなるものか。

 

 

――私が死んでも、忘れんで欲しい。

 

 

 そうだとも、そんなちっぽけな誓いすら果たせず、消えてなるものか。

 我は消えぬ。消えはせぬのだ、消えてなるものか。

 

 

 

 許さない。認めない。消えてなるものか。

 

 主を失くした獣は咆哮する。

 守るべき者を守れなかった守護者は極限を超えて憤怒する。

 

 例えどれ程叫ぼうと無意味である。どれ程怒ろうが無駄である。

 既に死は確定している。消滅までそう時間はなく、その結末は避けられない――筈だった。

 

 

 

 天魔・母禮は一つの勘違いをしている。

 闇の書から永遠結晶を抜き出せたのは、はやてが自身に対して怒りと憎悪を抱いたからだと錯覚している。

 

 だが、違う。八神はやては絶望こそしていたが、その死の瞬間まで母禮の事を慕っていた。

 あれ程手酷く切り捨てられ、傷付けられ、それでも憎悪と憤怒の感情だけは抱かなかったのだ。

 

 ならば、何故、永遠結晶が表に出て来たのか。

 答えは簡単だ。その結晶と同調した者が、八神はやてではなかったからだ。

 

 盾と言う役割故に、その生命力の高さ故に即死出来なかった守護獣は、確かにその目で主の最期を見ていた。

 

 そして抱いたのだ。極大の憎悪を、極限の憤怒を。

 

 それはまるで、永遠結晶の本来の主が嘗て抱いた想いの焼き直し。

 故にこの瞬間、誰よりも深く盾の守護獣は永遠の刹那に同調したのだった。

 

 

 

 故にここに至るは必然。

 抜き出された永遠結晶との間に僅か残った繋がりを通じ、その残骸と邂逅する。

 

 溢れ出る瘴気の念によって、猛毒へと染め上げられた世界の底。

 血涙を流す双頭の蛇。死者の躯を抱き留めている超越者の座へと繋がった。

 

 

――許さない。認めない。消えてなるものか。

 

「ああ許さんとも。断じて認めぬ! 消えて堪るかぁっ!!」

 

 

 押し潰されるような感覚に、否、実際に魂を押し潰されながらも青き獣は咆哮する。

 怒りを口にするのは本体ではなく、永遠結晶と言う名の神の怒りでしかない。それでもその力は強大だ。

 

 水が高きから低きに流れるように、ザフィーラへと流入する力。

 それだけでもその総量は絶大。己が分を超えた力に、彼の身体は限界を迎えていて。

 

 

「足りん」

 

 

 だが、それでも足りないと獣は断言した。

 あの瞬間に垣間見た力。その魔力量にはまるで届かないと知っているから。

 

 

「寄越せ! もっと力を! その力を寄越せぇぇぇぇっ!!」

 

 

 その果てに自らが消えようとも構うまい。

 何もかもを塗り潰されたとしても、あれさえ討てるならばそれで良い。

 

 最早自分には、それ以外の何も残ってはいないのだから。

 

 貪欲に、暴食するかのように、その力を喰らう。

 まだ足りぬ。まだ足りぬと喰らい続け――そして獣は闇の底から這い上がる。

 

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 

 少年少女達に向かって振るわれた神相の一撃が、正面から押し止められる。

 突如現れた男の漆黒に染まった片腕で、その勢いを完全に殺されていた。

 

 男の登場に驚愕を顔に浮かべる女。

 その女の顔を覚えている。己が討つべき敵であると確かに覚えていた。

 

 一瞬、脳裏に過ぎ去るは少女の笑顔。その顔を覚えている。守るべきだった大切な少女だ。

 

 

「ザフィーラ」

 

 

 誰かが名を呼んだ。それに応じる返事はない。

 

 既にそれが己の名である事など忘れた。

 過去にあった出来事の殆どを忘却してしまった。

 己が誰であるのかさえ分からない。力に塗り潰された今、男に残るのはたった二人の人物に関わる僅かな記憶だけしか残っていない。

 

 だが、それで良い。それで十分だ。

 倒すべき敵と、一番大切な事だけ覚えていれば、それでもう十分だったから。

 

 他には何も必要ない。

 

 

「櫻井、螢。……いいや、天魔・母禮」

 

 

 赤き瞳から血涙を流しながら、守護獣だった男は憎悪の籠った呪詛を口にする。

 その白き髪は血の様な真紅に染まり、晒された肌は全身漆黒に変じ、赤き双蛇の刻印が胸元に刻まれている。

 

 断頭台の刃が八つ。その背を引き裂きながら現出している。

 赤く輝く瞳で憎むべき敵を見定める。その姿は、嘗て古き世界において、涅槃寂静・終曲と呼ばれた姿に酷似していた。

 

 

「俺と共に、消え失せろ」

 

 

 あの少女に不幸を齎した我らは最早必要ない。

 故に諸共に死ねと、嘗ての守護者の残骸は憎悪を抱いて宣言した。

 

 

 

 

 

 




終曲ザッフィー爆誕。
守護騎士的に夜刀様パワー許容できるのはこいつしかいないと思ったので、こんな形に。
現状の彼の実力説明は次回作中にでも、条件付きですが準天魔級の実力です。(けど宿儺は無理)


そして追い付けないというトラウマと後から来た人(ザッフィー)に追い抜かれると言うトラウマを盛大に踏まれたなのはちゃん。
彼女の活躍はもうちょい後。不撓不屈もまだ先があります。

ちなみに不撓不屈ver2はRPG風に言うなら、毎ターン自動でSP消費してHPとMPが全回復する能力をイメージしています。



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