リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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予想よりも長くなった。
……一万字に収める心算だったのに、最近何時もこんな感じな気がする作者です。


副題 地球の内実。ユーノの選択。
   穢土において下される判決。
   海鳴市に未だ残る災禍。


推奨BGM
2.祭祀一切夜叉羅刹食血肉者(神咒神威神楽)
3.鴻鈞道人(相州戦神館學園 万仙陣)


空白期2
闇の残夢編第一話 闇の残り香


1.

 蒼天の元、葬送の音が響く。

 その場に集いし者らは皆、目を閉じ死者の冥福を祈った。

 

 

 

 地球全土を襲った大災害から一週間が経った。

 犠牲者達を慰問する為に、全世界規模で一斉に式典が執り行われている。仏教のそれではなく、教会式に似ているがやや違いのある葬儀が今、ここ海鳴自然公園を利用して行われていた。

 

 皆が悲しみに暮れている。愛する者との別れに涙を流している。故人との想い出に浸り、今は亡きその姿を惜しんでいる。

 嘆きは満ちている。悲しみは溢れている。……だが、そこにはある種の余裕があった。

 

 悲しむ事。嘆く事。そんな感情を表に出す事は、ある種の贅沢だ。

 必死になって動いている間は悲しみを抱けぬように。衣も食も住もままならず、生きていく事すら安定していないならば、そんな想いに浸っている余裕などない。

 

 まず第一は生きる事。それが満たされなければ、それ以外など思考出来ない。

 追い詰められれば、人は獣と化すのだ。情も理も、今日を生きるのも難しい状況となれば、その殆どが後回しにされるであろう。そうなれない者は、生存することすら出来ないのだから。

 

 世界を包んだ炎は住居を焼いた。田畑や海を焼き払い食物を奪った。着の身着たまま逃げ出した者達に、所有物など何もない。

 残った資源は僅かである。その僅かを廻って奪い合いは起きてもおかしくはない。否、起きない方がおかしいのだ。

 

 この世界に残った総人口は嘗ての1%以下。その総数は7000万人を切っている。

 それでも、そんな彼らを生かすだけの恵みがこの星にはない。この星で生きる事は果てしなく困難な事になっていた筈なのだ。

 

 だが、今は悲しむ余地がある。誰もが悲壮さを持ってはいても、切羽詰まった形振り構わさはそこにない。

 そうなる筈だった未来が、そうはならなかったのは、彼らが介入してきた為である。

 

 

「……聖王教会式の葬儀か。俺は余り信心深い訳ではないが、それでも想う所はある」

 

「ザフィーラ」

 

 

 葬列から外れ、並ぶ人々を見ていたユーノの元へ、青き狼がゆっくりと歩み寄って来る。黒縄地獄に囚われ、奴奈比売が去った後に解放された獣がそこに居た。

 

 その姿は嘗ての狼としての物とは違う。

 青き獣は、主に仕えていた頃の姿ではない。あの大天魔と渡り合った鬼神の如き姿とも違っていた。

 

 まるで小型犬に近い外見。獣の牙を隠した姿。残された魔力を極限まで抑える為、変じた姿は狼と言うには些か迫力不足となっていた。

 力の大半を制限して、己の消費を軽減して、ザフィーラは生き延びる事を選んだ。生き延びて復讐の牙を届かせる機会を待つ事を選んだのだ。

 

 無論、そこまでしても生存の為に常に残存魔力を消費し続ける以上、寿命を先延ばしにする程度の事しか出来ないのだが。

 

 

「故人の為に涙を流す。それは生者の為の儀式なのだろう。……それでも、主の為に泣いてくれる者が居る。その事実が、素直に有難い」

 

「八神はやて、か」

 

 

 ザフィーラの言葉に、ユーノは一人の少女の姿を思い浮かべる。八神はやて。結局、自分とは知り合う機会がなかった少女。

 一瞬の邂逅、それだけしか関りのなかった闇の書の主は、式典の石碑に刻まれる犠牲者達の中に名を連ねていた。

 

 

 

 彼女の友らは、葬列に並び献花を捧げている。

 災厄が去ってからその死を知ったアリサとすずかは涙を流し、その命が閉じる瞬間を見ていたなのはは悲しげな瞳の中に意志の色を宿している。

 

 そんな友が居てくれた事を、盾の守護獣は有難く思う。

 主と交わした言葉と、討つべき仇敵の事しか覚えていない彼は、故にこそ、そんな絆があった事に心の底から安堵していた。

 

 

「ユーノ・スクライア。お前にも感謝している。……お前が居なければ、主の故郷は失われてしまっていただろう」

 

「……僕は、何も出来てやいないさ」

 

 

 ザフィーラが口にした感謝の言葉を否定して、ユーノは拳を握り締めたまま空を見上げる。

 見詰める先にあるのは、管理局が誇る巡航L級戦艦の壮烈。数十を超えるその総数は、正しく圧巻と言うより他にない。

 

 そう。資源を失い。残された人々が生きていく力を失った星に、その文明に手を差し伸べたのは時空管理局であった。

 

 

――銀河の果てに見えた同胞。災禍の果てに滅び去ろうとしている君達を見過ごす事は出来ない。

 

 

 本局統幕議長、ミゼット・クローベルはそう語って、一切の代価を要求することなく、人道的な支援を行った。

 

 魔法文明である事を知らせず、次元世界の存在を伝えず、唯銀河の果てにある科学技術の発展した文明であると偽称する時空管理局。

 その真意を測れずとも、現状の地球文明には他に選択肢などなかった。

 

 国の舵取りをする政治家の多くを失い、国連首脳陣にさえ空席が目立つ現状、地球のあらゆる政府団体に世の中を主導する力はなかった。

 彼らにこの閉塞した現状を打破する術はなかった。故に差し伸べられた手を、藁にも縋る想いで握り返したのだ。

 

 

 

 時空管理局は強大だ。

 大天魔を相手取り、百年以上に渡り耐えてこれたのは、大結界の恩恵も無論あるが、その組織力の高さ、管理世界の持久力の高さも無関係とは言えないだろう。

 複数ある管理外世界。その内の十数と言う世界を、管理局は物資生産拠点に変えている。戦時下にあっても飽食を維持できるだけの地力は、そこから来ているのだ。

 

 その生産力は膨大だ。今の一億を切った地球人類全てを、数十年に渡り養い続けたとしても余りある程の力がある。

 故にこそ、無償で必要な物資をばら撒いたとしても、管理局に痛手などはあり得ない。数年に一度起こる大天魔の襲来直後ですら、人手不足以外の問題などは起こらぬのだから。

 

 

「確かに、救いの手を差し伸べたのは管理局だ。だが、その管理局とて、知らねば何も出来なかった。……彼らが手を伸ばす切っ掛けを作ったのは、紛れもなくお前の功績だ」

 

 

 地球全土を飲み干した焦熱地獄によって、管理局はこの世界に対する目を失っていた。

 ユーノが連絡を取り、状況の説明をしなければ、彼らがこれ程早く現状を知る事は出来なかっただろう。

 今よりも時間が掛かっていれば、食糧難や貧困が生む争いは激化し、凄惨な光景が生まれていた筈だ。

 それを回避できたのは、紛れもなく彼の功績であると言える。

 

 

「……けど、僕が救援要請をした所為で」

 

 

 それでも、それを素直に誇れぬ理由がある。その行いが正しいと言えない理由があった。

 

 表向き、管理局は無償での支援を約束している。だが、その裏では一つの要請があった。彼らは救援を行う為の条件を国連へと出していた。

 

 高町なのは。アリサ・バニングス。月村すずか。以上三名にミッドチルダ国籍を与え、管理局員とする事。

 その対価として、今後十年に渡る生活物資の援助。食料生産施設の譲度。それに伴う技術の供与や環境改善への全面支援を約束したのだ。

 

 管理局側にとっては、大量に保持する物資の幾らかと、既に使われなくなった技術を与えるだけで、大天魔と明確に戦える戦力と、今後見込みがあると思われる人物を確保出来る。

 地球側にとっても、一般人三名を犠牲にするだけで数千万と言う命が救える。

 どちらにとっても利しかない取引は、一週間と言う異例の速さで締結した。少女達やその家族の全てを無視した形で。

 

 

「……そんなの、人身売買と、何が違うのさ」

 

 

 ユーノは忌々しそうに吐き捨てる。

 形の上では移民した後に雇用契約を行って局員となる。確かに給与や保障は用意されているのであろう。

 だがそこには退職するという選択肢がない。局員となる事を拒否する自由がない。それは強制労働と何が違うと言えるのか。

 

 ユーノは思う。クロノの残したデバイスを使い、彼の伝手を利用してどうにか上層部に繋ぎを取り、どうにか二次災害が表面化する前に管理局の評議会を動かせたのは確かに功績なのかもしれない。

 それでも、自分が管理局に働きかけなければ、何も語らずになのはと彼女の大切な人達を連れて逃げ出していれば、少女達が戦力として利用される事はなかった。そう思ってしまうのだ。

 

 彼女達は、もう逃れられない。

 管理局は彼女達がミッドチルダに向わなければ、即座に支援を止めるであろう。そうなれば、国連は彼女らを人類の敵として追い詰めるだろう。

 地球に生きる人々は、自分達が生き延びる為に、必死になって彼女達を槍玉に上げる。

 

 あの少女ならば、自ら管理局員となる事を望んでいたかもしれない。ユーノの葛藤は、独り善がりな傲慢に過ぎないのかもしれない。

 それでも、少年が少女達の未来を変えたのは事実だ。その可能性を潰した事だけは、紛れもない事実なのである。

 

 

「僕は、あの子達の未来を犠牲にする選択をしてしまった。……管理局を無条件で信用せずに、もっと考えていれば分かった筈なのに」

 

 

 何処か幻想を抱いていたのであろう。これまでに見た局員達が、皆素晴らしき人々だったから、局員に成ろうとしていた少年は無条件に管理局を信じていた。それがこの結果を生んだのだ。

 

 

「だが、他に選択肢などなかった。異なる道を選んだとて、数千万の命を犠牲にしていれば、お前はそれを後悔していた筈だ」

 

「分かってる。分かっては、いるんだけどね」

 

 

 この問い掛けに正答はない。揺れる天秤のどちらが重要か。全ての情報が予め分かっていたとしても、正しい結論などは下せないだろう。どんな答えを出したとしても、その判断を悔やみ続ける事になっていた筈だ。

 

 考えるだけ無駄ならば、その思考を止め、別の行動に移るのが建設的だ。そんな事は、言われなくても分かっている。

 それでも、考えてしまうのは、そこに恐怖がある故か。

 

 

「……ねぇ、ザフィーラ。君は、世界の真実をどう思う」

 

「高町なのはが聞いたと言う、あれか」

 

 

 あの戦いの後、高町なのははあの場に居た生存者全員に自らが見聞きした事を語った。世界の危機。魔法が世界を殺すと言う事実。大天魔が望む、全てが凍った紅蓮の地獄。

 何れ訪れるであろう危機を語り、それに対処せねばならぬからと、皆の知恵を貸してほしいと彼女は語った。

 

 

「……正直、スケールの大き過ぎる話だ。そう遠くない内に世界が滅ぶ。魔法を使えばそれが加速するなど、死に掛けの神をこの目で見ていなければ、信じる事も出来なかっただろう」

 

「やっぱり、そうだよね。……その言葉だけで、信じられる人間はそうは居ない」

 

 

 だからこそ、ユーノは管理局員達にもこれを教えようとするなのはを止めた。

 言葉だけでは信じてもらえない。どころか、魔法至上主義を掲げる管理世界でそんな事を口にすれば、敵を増やすだけに終わる。

 信用できるごく少数を除いて話さない方が良い。少なくとも、出来る事がない今は、魔法文明の根幹を変えられぬ以上は、そうするより他になかった。

 故にこそ、ユーノは救援要請を受けてくれたレティ・ロウランと言う名の提督にもその事実を伝える事はなかったのだ。

 だと言うのに――

 

 

「……僕は最初、なのは達の身柄を管理局が要求した時、この世界も魔法文明に変えてしまうんじゃないかって思った。この隙に政治体系を完全に乗っ取って、質量兵器を廃止させて、管理世界を増やしてしまうんじゃないかって、そう考えたんだ」

 

 

 実際、それが出来るだけの力が管理局にはあった。この世界を手中に収めるメリットは薄いとは言え、それでも魔法至上主義者達は今後の為にもこの好機に管理世界を増やそうとするのではないかと考えたのだ。

 

 

「けど、そうじゃなかった。そうはならなかった」

 

 

 だが実際には、管理局はそれを選択しなかった。態々廃れた技術である純粋科学技術を持ち出してまで、魔法の隠蔽を徹底した。魔法至上を語る彼らが、然しそれを強要する事がなかったのだ。

 考えてみれば、現在存在している魔法文明は、その多くが近代ベルカ。ベルカ連合の流れを汲んでいる。ミッドチルダが広めた例は、過去に存在していないのだ。

 どころか歴史書を見れば、管理局が関わった後に、何等かの要因によって滅びた魔法文明は少なくない。

 

 

「その理由を考えたら、この結論しか出なかった」

 

 

 考え過ぎなのかも知れない。的外れな思考なのかも知れない。それでも、魔法至上を掲げながら、魔法を広めようとしない彼らは、もしかしたら。

 

 

「……管理局は、ずっと昔から世界の真実を知っていたんじゃないか? それをずっと黙っていて、その管理下にある人達すらも欺いていたとすれば」

 

 

 魔法至上を掲げるのは、魔法が天魔に抗し得る力だから。その発展の為に、ミッドチルダを完全な魔法社会として作り上げたのだとしたら、どうだろう。

 魔法至上主義者達を躍らせ、質量兵器を封じる政策の根幹が、彼らを打ち破る力を磨く為にあるとすれば。

 

 魔法を広めないのは、その技術が多く使われる事で、世界の終焉を近付けるから。

 対抗する力を持つのは自国と、それに友好的な者等だけで良く、それ以外に広がるのは都合が悪いとすれば。

 質量兵器文明ではなく、管理されていない魔法文明の方が彼らにとっては目障りだったのだとすれば。

 

 ロストロギアの暴走によって滅んだとされる魔法文明。そしてつい先頃に壊滅が確認されたアルザスや、闇の書の暴走による世界壊滅も、おかしなことに管理局にとっては都合が良い形で収まっている。

 

 魔法の発展が望めず、魔力を無駄に消費していた文明ばかりが滅んでいるのだ。それが偶然でないとすれば、或いは本局の初動の遅さすら、後進的な魔法文明を切り捨てる為の作業だとすれば。

 

 

「……僕は管理局が怖い。必要とあらば、あの子達も捨て駒にされるんじゃないかって、そんな風に考えてしまうんだ」

 

 

 戦時下の国家はある種の狂気に満ちている。追い詰められれば追い詰められる程に、そこに狂的な思考は蔓延していく。

 どれ程日常が幸福であれ、どれ程物資に満ち溢れているとは言え、それでも管理局は大天魔と言う災害相手に戦争をしているのだ。そんな彼らに、狂気がないと何故言えようか。

 

 管理局が持つ圧倒的な組織力。そこに潜む闇とでも言うべき冷徹な意志。

 大天魔達による蹂躙。暴力による脅威とは別種の恐怖が、其処にはあった。

 

 

「ならばどうする? 怖いからと逃げるか?」

 

 

 盾の守護獣は、見定めるかのようにユーノを見る。その問い掛けの言葉に、ユーノは首を小さく振ると、少し考えてから口を開いた。

 

 

「……僕は、司書になろうと思う」

 

「お前が、か?」

 

 

 その予想外とでも言うべき言葉に、ザフィーラは目を丸くした。

 少年の作り込まれた体を見る。その幼さで、どれ程真摯に鍛え上げたのか分かる動作を見る。

 その一挙一動にすら武の色が出る程に、鍛え上げられた彼の身は間違いなく戦場を行く者だと思えたから。

 

 

「お前は、戦士ではないのか?」

 

 

 その言葉には少し棘があった。お前は守るべき者らが捨て駒になるかも知れない状況で、自分だけ安全地帯に逃げるのか、と。

 そんなザフィーラの問い掛けに、ユーノのは心中の想いを吐露する。

 

 

「……そうありたいと思っているし、そうなりたかったよ」

 

 

 それは少年の願望だ。何れ打ち破ると誓った相手と戦う為に、憧れの女の子の背に守られているだけで居たくはなかったから、男の意地を通したいと思っていたのだ。

 

 

「けど、僕の資質は戦場(そこ)にない」

 

 

 しかしユーノは理解した。連続して起きた大天魔との争いの中で、管理局に潜む闇を知った事で、戦場に出ても使い捨てにしかならないと自覚してしまった。

 戦場で戦い抜いて、生き延びたとしても、上には行けないと分かってしまったのだ。

 

 

「……クロノが言っていたように、僕の魔力資質は後衛向きだ。権力を握ろうと思えば、司書になるのが一番の近道なんだと思う」

 

 

 無限書庫とは、管理局の全知が眠ると言われる場所だ。今は全く使われていない其処も、建て直せば情報の宝庫と化すであろう。

 情報とは力である。たった一つの情報が戦場での生死を左右する事も珍しくはなく、使い方によっては人を意のままに操ることも出来るだろう。

 

 ならば、無限書庫を再建させ、その全権を握った上で情報を活かす様に動けば、無限書庫自体の権勢を確固たる物へと変えて行けば。

 

 

「上手くすれば、管理局の上層部にも食い込める。権勢を利用して、あの子達が捨て駒として使われそうになった時に、その命令を撤回させられるかも知れない」

 

 

 それは未だ絵に描いた餅に過ぎない。それでも、戦場に出るよりも確かに可能性は高い。ユーノに与えられた選択肢の中で、最も上を目指しやすい道。

 

 

「そうでなくとも、情報を一手に握れば現場の人達との繋がりが増える。……信頼出来る人達との繋がりを利用すれば、いざと言う時に流れを変えるだけの勢力が作れるかも知れない」

 

 

 魔法が世界を殺す。その真実を明かせぬのは立ち位置の脆弱さ、社会的な地位を持たないが故だ。信用性がない言葉を口にしたとて人は集まらず、上位者に危険と認識されれば消されて終わりだ。

 だが、それだけの勢力を集め、管理局すらもどうにか動かす事が出来るようになれば、何れミッドチルダを魔法文明から脱却させる事が出来るかも知れない。

 魔法を使う事を制限出来るだけの立場を得る事も出来るかも知れない。その可能性を、その道の先に認識したからこそ。

 

 

「だから、僕は司書を目指す。無限書庫の司書長になって、管理局を中から変えるよ」

 

 

 少女達にあったかもしれない平穏な未来を奪った少年は、故にこそ己が戦いたいという意地を捨てる。

 己の為したい事を、目指したかった夢を諦めて、より可能性の高い道を目指す事を明言する。

 

 その諦めが混じった表情に、悔しさが滲んだ表情に、それでも前を見る事を止めない意志の籠った瞳に、見定めていたザフィーラは口にする。

 

 

「ならば、俺も連れて行け」

 

「え?」

 

「そう驚く事でもあるまい。……どうせ管理局からは、俺を勧誘しろとでも指示が下っているのであろう」

 

「……それは」

 

 

 その言葉は、どこまでも事実であった。時間制限があるとは言え、大天魔と五分に戦える戦力。それを管理局が見逃す訳がない。

 民間人でしかないユーノにも、彼を管理局へ引き込めという指示が下されている。彼が失敗したとしても、十重二十重に懐柔させる手段は思考しているであろう。

 

 

「お前が俺を勧誘し、俺がそれに応じた。……そうなれば、お前に対する管理局側の心象も良くなるだろう。上を目指すのも、多少は楽になる筈だ」

 

「ザフィーラ、君は」

 

 

 管理局に所属すると言う事は、戦闘を生業とする事と同義だ。今の彼にとって、戦闘とは最も避けねばならぬ事だろう。

 戦闘行為は、最低レベルに抑えたとしても日常生活より大きく魔力を消費する。残された魔力を使い切れば消滅するザフィーラにとって、その消費は何より痛い筈だ。消えてしまえば、復讐と言う望みが果たせないのだから。

 

 

「勘違いはするなよ。俺は復讐を諦めてなどいない。奴だけは許せん。認められん。その討滅こそが最優先。それ以外など些事に過ぎん。それを果たすまで、消える訳にはいかない。……それでも、消滅の危険があっても管理局に所属するのは、消費する魔力以上の利があるからだ」

 

 

 その瞳の憎悪は消えていない。その恨みは晴らされてなどいない。

 管理局に属するのは、彼らの情報力を期待しての事だ。彼らが大天魔と明確に敵対しているが故だ。

 ただ一人、単独で動いても彼らには届かない。穢土夜都賀波岐の本拠地すら分からぬ現状、単独で動いても意味がない。

 

 ならば、彼らが定期的に襲い来るミッドチルダに定住するのは、天魔・母禮以外の大天魔や木っ端な犯罪者達の相手をしなくてはならない事を考えてもなお、利益があるとザフィーラは考えたのだ。

 

 

「管理局は好かんし、信用も出来んが、それでも所属する価値がある。利用する余地がある。……そして、お前は信用が出来る」

 

 

 主が弔われる環境を作った少年を、己の夢を諦めてもより良き道を歩く少年を、ザフィーラは信が置けると見定めた。

 己が復讐の妨げにならない範囲でなら、多少の手助けをしてやろうと思えるだけの男である、と。

 

 そして、見定める以前から感じている感情に区切りを付ける。

 その記憶は残らずとも、魂の何処かに残っているそれに、ザフィーラは一つの言葉を内心で零す。

 嘗ての恩義、今返したぞ、と。

 

 

「……ありがとう」

 

「さて、な」

 

 

 そうして、自然と会話の途絶えた二人は、葬列の先に視線を向ける。

 献花が終わり、人々が目を瞑って冥福を祈る中、ユーノとザフィーラもまた彼らに習い目を閉じる。

 

 

 

 葬送の鐘が再び音を奏でる中、夢破れし少年と闇の残骸は、静かに死者を悼んだ。

 

 

 

 

 

2.

 黄金の瞳が見詰めている。

 

 

「さて、何か弁明はあるか?」

 

「……何にもないわよ。そんなもん」

 

 

 嘗てはあれ程黄金と対立し、討論を重ねていた腐毒の王がその傍らに侍る。その姿を不釣り合いに思ってしまうのは、対立していた時間が長いからか。

 あれ程この世界の民を信じようと、次代はきっと生まれてくれると語っていた悪路王。

 誰よりもこの世界の民を信じ期待していた天魔・悪路が、この世界の住人を蛇蝎のように嫌う彼女の横に居る姿に、何処か物悲しさを感じながら沼地の魔女は静かに立つ。

 

 彼女にはもう、弁明も反論もない。抵抗をする事もなく、下される処罰を受け入れるつもりであった。

 

 

 

 ここは穢土。地球に良く似た姿をしたこの世界こそ、夜都賀波岐の本拠地とも言うべき場所。

 否、地球に似ているという言い方は相応しくはあるまい。逆なのだ。この世界に似せて、神は地球を生み出したのだから。

 

 穢土。嘗ては日本と呼ばれた国の北の果て。無間蝦夷と言う土地に神は眠っている。

 その神体は衰え、その身体は失われ、残されたのは血肉を失くして皮と骨だけとなった巨大な黒蛇。まるで蛇の木乃伊だ。死せるが如きその姿こそ、今ある神の姿である。

 

 神前に置いて行われる裁き。それを執り行うのは、少女の姿をした一柱の偽神だ。

 白き髪は腰に届く程に長く、その頭には黒き花飾りが飾られている。緑色の着物を纏った死人の如き少女は、他の大天魔とは異なる、その黄金の瞳で奴奈比売を見詰めていた。

 

 彼女こそ、将なき夜都賀波岐を率いる者。首領代行たる任を持つ、最も重要な大天魔。穢土に置ける子宮であり、心臓でもある少女。天魔・常世に他ならない。

 

 

「……一応、聞いておくよ。何であんなことをしたの?」

 

 

 心底から解せない、という表情で常世は問う。

 

 

「彼に愛されながらもそれを理解出来ないゾウリムシ。生きる価値のない害虫に対して、貴女が其処までする理由が見えない」

 

 

 常世は誰よりもこの世界の民を嫌っている。

 彼に愛されながら、もっともっとと口にする管理世界の者達も、彼が苦しんでいるというのに笑顔で繁栄を謳歌している管理外世界の者達も、皆々全て纏めて滅んでしまえば良いとすら思っている。

 

 貴方達が生きていられるのは彼のお蔭でしょう? 億を超える歳月があったのだから、もう十分に幸福は味わった筈でしょう? ならばその命を捧げなさい。今すぐに自決して、彼の為の贄となるのが、貴方達に出来る唯一つの事でしょう。

 

 それが常世の思考だ。揺らぐことは無く、悩む事もなく、唯只管にそう思っている。

 故にこそ、神の復活に躊躇はない。大紅蓮地獄を呼び込む事に思う所は何一つとしてありはしない。

 そうなる事が当たり前であると考えているのだから。

 

 だからこそ、この世界の民に心を移す奴奈比売や、高々少女一人殺した程度で揺らいだ母禮の在り方が理解できない。理解しようとも思えない。

 故にこの問い掛けに意味などない。彼女はどんな解答を聞いた所で変わることは無い。

 

 唯、奴奈比売に対して、末期の言葉を問うているだけなのだ。

 

 

「……そうね。自分でも、どうかしてるって思ってるわ」

 

 

 そんな常世の言葉に、下される処罰を予想しながら、奴奈比売はそんな言葉を口にした。

 

 

「ほんっと、どうかしてる。……自分より他人を優先するとか、キャラじゃないって分かってるのよ」

 

 

 投げやりに、溜息混じりに、そんな言葉を口にして。

 

 

「それでも、ま、次があったら、……また同じ事しちゃいそうなんだけどさ」

 

 

 苦笑交じりに、そんな言葉を口にした。友達の危機に動いてしまった事を、後悔してはいなかった。

 

 

「そう。……反省はしていないって事だね」

 

 

 そんな姿に、常世は結論を下す。奴奈比売はもう必要ないと。

 興味を失くしたかのように彼女は視線を外す。そして、彼女に変わり悪路が一歩前に出た。

 

 

「お前がこれからどうなるか、分かっているな」

 

「ええ。……聖餐杯と同じように、魂だけで保管されるんでしょう?」

 

「来たるべき時まで、全ての自由を剥奪する。……分かっていて為したのならば、覚悟の上で行動したのだと受け取ろう。その覚悟、理解は出来んが賛辞しよう。……そして、あの子を救ってくれた事にだけは感謝している」

 

 

 その覚悟に賛辞を。妹を救ってくれた事に感謝を。それだけを悪路は奴奈比売に告げて、その背に巨大な随神相を顕現させる。悪鬼の形相を浮かべた巨人は、その手に持った巨大な剣を振り被る。

 

 

「介錯する。痛みは与えん。一瞬で終わらせよう」

 

 

 故に神相による全力の一撃を。唯の一斬に奴奈比売の全てを切り捨てるだけの力を込めて、巨大な悪鬼は剣を振り被る。

 

 その一撃を見て、受ければ己は消滅すると理解する。魂だけは残す心算なのだろうが、それ以外は残らぬであろう絶殺の一撃。

 元より逃れる気などない。争う心算など皆無である。奴奈比売の最終目的は彼らと同一であり、歯向かう事で彼らの戦力を落としてしまうのは本意ではないから。

 それに、これは抗ったとしても無意味に終わらせられるのであろう。それ程の力がある。そんな風に考えて。

 

 

(ここで、終わりか。……ごめん。追い付かせてあげらんないわ)

 

 

 そんな風に、この場に居ない誰かに謝った。

 

 

「さらばだ。……道を違えた同胞よ」

 

 

 巨大な悪鬼が剣を振り下ろす。その全霊の一撃を、奴奈比売は目を瞑って受け入れた。

 

 

 

 

 

「……何の心算だ。ゲオルギウス」

 

 

 悪路の言葉に、奴奈比売は目を開く。彼の神相が振り下ろした腐毒の剣は、両面の鬼によって止められていた。

 

 

「おいおい。……ここで姐さん切り捨てんのは、ちーっとばっかし愚策じゃないのかね」

 

 

 おお、痛い痛いと嘯きながら、両面の鬼はニヤニヤと笑う。

 悪路王の全霊の一撃を神相の片手で受け止めながら、痛いだけで済ませる鬼は夜都賀波岐においても別格の一柱だ。

 

 

「アホタルの阿呆は自滅しかけの消滅しかけ。でっかい方の姐さんも最近見ないとこを見ると、結構ヤバいんじゃねぇの? 元々俺らん中では一番弱かったし、億年単位で摩耗して、ダチ殺したのが引き金になったってとこかい」

 

 

 笑いながら鬼が語るは夜都賀波岐の現状。最悪なまでに追い詰められている彼らの状況を、嘲笑いながら指摘する。

 

 

「……んで、そこの電波先輩と黒甲冑は動かせねぇ。それなのにちっこい姐さん切り捨てたら、おいおい本格的に動けんのが兄さんだけになっちまうじゃねぇか」

 

「だから、何」

 

 

 そんな鬼の嘲笑に、真っ向から常世は向き直って口を開く。

 

 

「リザは休み休み動かせば、まだ大丈夫。櫻井さんも暫く時間は掛るけど、数年もすれば回復する。……その間は、私と戒君が動けば良い。寧ろ利敵行為を働く内敵が居る方が面倒だよ」

 

 

 内敵という言葉。それが向けられるのは、奴奈比売だけではない。その冷たき黄金の瞳が、少しずつ力を増している斬撃が暗に示している。彼に対する皮肉である。

 

 

「それじゃ、あのガキどもはどうするよ。……アホタルの馬鹿は排除すべきと判断したんだろ?」

 

「……今は放置する。彼女らに関わっている暇はないし、どうせ彼が復活すれば何も出来ない。態々こちらから仕掛ける必要性を感じない」

 

「ま、道理ではあるわな。……あのガキどもがミッドチルダに行くと、攻め込むのが大変になる訳だが」

 

「…………」

 

 

 その鬼の言葉に怒りが向けられる。お前がそれを言うのか、と、庇われている筈の奴奈比売すら怒りを向ける。

 そもそもこの両面の鬼が穢土の秘宝を渡さなければ、ミッドチルダを攻め込む必要など生まれなかったのだから。

 

 

「……以前から聞こうと思ってた。遊佐君。貴方、何を考えているの?」

 

 

 怒りを飲み干して、天魔・常世は宿儺に問う。嘲笑う鬼が一体何を思考しているのか、と。

 

 

「はっ、言っただろう? 俺だから分かる。俺にしか分からねぇ」

 

 

 そんな問い掛けに、煙に巻くように鬼は笑う。己こそが、将の代弁者であるのだと笑う。

 

 

「俺はあいつの裏面(ダチ)だぜ? だから、俺が一番あいつの事を理解してんのさ」

 

 

 その言葉に、常世と奴奈比売は殺気立つ。

 愛する男の一番の理解者であると語られて、それが真実であるが故に嫉妬の情を抑えられない。

 

 

 

 両面の鬼は、穢土の自滅因子である。自滅因子とは、神が真実全能であるが故に発生してしまう災厄だ。

 人の意識と全平行世界という巨大な体を持つ者。それこそが覇道神。だが人の意識を持つが故に、彼らはある種の禁忌に惹かれてしまう。

 

 高所にあっては墜落を。魔が差すと言う感情。誰しもが一度は抱いた事があるであろう、破滅への願望。

 覇道神の場合、それは致命的な癌を生む。彼らは全能であるが故に、無意識に己を破滅させてしまうそれを生み出してしまうのだ。

 それこそが自滅因子。誰よりも神を愛し、誰よりも神の想いを汲み取り、誰よりも神を理解して、誰よりも神を満足させてから破滅させる癌細胞。

 神が健在な限り神自身の力によって同格にまで強化され、そして何度滅びようともまた生まれ落ちる神の逆しま。両面宿儺とはそれである。

 

 

「んで、言わせてもらうとだ。……お前ら詰まんねぇと思ってんぜ」

 

 

 両面の鬼は語る。その在り方は退屈だ。そのやり方は飽き飽きしている。過去に縋り、残存に縋り、次代を諦めた同胞達を詰まらないと言い捨てる。

 

 

「あいつが残した物にしがみ付いて? 秘宝だ何だと後生大事に抱え込んで? んで、腐らせてりゃ意味ねぇだろ」

 

「……だから、貴方はアレまでも渡したと言うの?」

 

 

 宿儺が穢土より持ち出させた物。その三つは、どれか一つ取っても譲ってはならない物だ。僅かな残滓しか残っていないとしても、それを持ち出す事は許容できない物だ。

 だが、その中でも特に渡してはならない物があった。彼の欠片よりも、黄金の槍よりも、彼の想いを理解しているなら渡してはならない物があったのだ。

 

 

「……彼が愛した女神の形見を。“罪姫・正義の柱(マルグリット・ボア・ジュスティス)”すらも彼女に与えたのは、そんな理由だとでも語る心算?」

 

「形見だ何だ言った所で、あれの中身は残ってねぇ。……なら、別に良いだろ」

 

 

 そんな常世の糾弾を、どうでも良いだろうと宿儺は笑う。

 その態度に、黄金の瞳は鋭さを増し、悪路王の斬撃はその重みを更に増す。されど、へらへらと笑う鬼は揺るがない。

 

 

「ま、悪い様にはしねぇさ。……信じろって、俺はお前らの事も仲間(ツレ)だって思ってるんだぜ」

 

「…………」

 

 

 笑いながら語る鬼の言葉に、信憑性などは欠片もない。

 彼らの将ならば、そんな鬼の悪ふざけを掣肘する事も出来たのだろうが、この場に居る者らにそれは出来ない。

 

 

「ってかよ。今は俺の事より、姐さんの事だろうが。……実際どうすんのよ。俺は使い勝手の良い手駒ってのは幾ら居ても良いと思うぜ。手数がマジで足りてないんだっての。また不利益かますようなら、そん時改めて切り捨てりゃ良い」

 

 

 鬼の言葉は確かに正論だ。現状、手数が足りていないのは事実であり、時間制限すら存在している。ここで奴奈比売を切り捨てるのは、確かに愚策であるのだろう。

 それを口にするのが、この両面の鬼と言う時点で、その正論に対する信用性は失われている訳だが。

 

 

「……マレウス。貴女、次は殺せる?」

 

「……あの娘達は私の失態の結果よ。それが私達の目的を阻むなら、私が止めるわ」

 

 

 その回答は常世の望んでいる物ではない。ここまで来ても、止めるだけで済ませようとしている奴奈比売を残しておく事に一抹の不安を感じる。それでも。

 

 

「……良いよ。今回は見逃してあげる」

 

 

 常世はそう結論付ける。今、ここで両面の鬼に暴れられては困るからこそ、仕方なしに彼の言を受け入れる。

 

 この両面の鬼を掣肘出来るのは、将である永遠の刹那を除けば、最強の大天魔である彼だけだ。この嘲笑する怪物を仕留められるのは、対である天魔・大獄を置いて他に居ない。

 だが彼は今動かせない。両翼が争い合えば夜都賀波岐は自壊する。この世界は終焉を迎えてしまうから。

 

 

「だとよ。だからさ、兄さん。これ止めてくんね。手、痛ぇよ」

 

「…………」

 

「無言で体重乗せんなって!? マジで痛ぇんだからよ!!」

 

 

 そんな悪路と宿儺の遣り取りを見詰めながら、常世は思う。

 今は未だ、この鬼の好きにさせているしかない。それでも、何れこの鬼は如何にかしなくてはならない。

 

 彼は永遠の刹那の自滅因子だ。確かに彼の想いを誰よりも叶えるであろう。だが、その業に縛られる限り、何れこの鬼は夜刀を滅ぼす。それが自滅因子と言う存在だから。

 

 嘗ての友誼に蓋をして、常世は冷徹にこの鬼を排除する術を考える。

 

 

(さーって、どうなるかねー)

 

 

 己に向けられる仲間達の感情を、笑みを浮かべて受けながら両面の鬼は企みを進める。

 

 彼の残した布石は一つ。地球に未だ残っている。

 それが種火のままで消えてしまうか、それとも大火となるか、どちらかなど読めはしないし、どちらになろうと構わない。

 

 上手くすれば、あの子供達への試練となるだろう。当たれば儲け物程度の、気紛れで残した布石の一つに過ぎない。

 

 

(ま、どうせなら、派手に暴れてくれよ。なぁ、夜天の書)

 

 

 両面の鬼は地球と言う星を神の瞳で見つめながら、笑い続けるのであった。

 

 

 

 

 

3.

 草木も眠る丑三つ時、海鳴の街外れにある人気のない廃工場に男達が集まっていた。

 彼らは先の災害にて全てを失った者達だ。家を、職を、愛する者を、何もかもを失くした者達である。

 この海鳴にて、そんな者は少ないとは言え珍しいと言う程でもない。その殆どが、多くの支えによって立ち上がり、もう一度前を向いている。

 だが、誰もが強くあれる訳ではない。もう一度立ち上がる事が出来ない者も、確かに居るのだ。

 

 彼らはそんな者達だ。失った者が大き過ぎて、もう立ち上がれない者達。どうして自分だけが、とまだ大切な者が残っている人々を妬む者達。そして行き場のない感情を、同じ地獄を生き延びた者らに向ける者達だ。

 

 彼らにも理由はあるのだろう。それでも、他者を害する免罪符にはならない。それを分かっているのか、それともいないのか。

 彼らは日々、海鳴にて様々な犯罪行為に手を染めていた。

 

 この日も、そう。惰性にてこうして集まり、戯れに適当な女でも攫って楽しむかと考えていた所で、その女は現れた。

 銀髪の若い女だ。体のラインが強調される服を来たスタイルの良い女は、フラフラと千鳥足で歩いている。

 

 男の一人が思わず口笛を吹く。それ程に、その銀髪の女は見目麗しい。

 男達はその欲望に濁った眼を女に向ける。どうせこれから女を攫おうとしていた所だ。これ程の上玉が迷い込んで来たのなら、丁度良いと下種染みた笑みを浮かべる。

 

 フラフラと歩く女。酔っているのだろうか、ならば都合が良いと男達の内の一人が彼女に近付いて声を掛けた。

 

 

「なあ、アンタ。……こんな所に来て、どうなるか分かっていたんだろう?」

 

「どうなるか? どうなるの? ああ、どうなるのでしょうか? どうしたいのかが思い出せない」

 

 

 そのズレタ返答に男は鼻白む。それでも、戸惑いは一瞬だった。

 あの災厄の日以来、頭がイカレた人間は少なくはない。この女もそうなのだろうと結論付ける。

 自分達と同じ、明確な被害者である。そう思い込んだ男は、一瞬立ち止まるが、それも今更。犯した女も、殺した人も、奪った物も、全て同じ被害者達だったのだから、それが止める理由には繋がらない。

 

 寧ろ頭がイカレていれば抵抗されないだけ都合が良いと、女を押し倒すとその服を剥ぎ取った。

 その豊満な胸を手で鷲掴む。己の欲望を晴らそうと、荒い息を上げて。

 

 

「ああ、そう言えば(はやて)は胸がお好きでしたね。……あれ、(ユーリ)はそうでしたっけ? 主は、主は、主は、……主は誰でしたか? 思い出せない。思い付かない。ああ、私は救わなくてはいけないのに」

 

「はっ、主か。良い趣味してんな、おい。……俺が主だ。お前は俺を救うんだろ? 満たしてくれよ」

 

 

 銀髪の女の妄言に漬け込む形で男は言う。

 特に深い考えがあった訳ではない。唯、こう言えば自分から股を開くのではないか、そんな下賤で浅慮な思考で口を開き。

 

 それが切っ掛けとなる。

 それが種火に過ぎぬそれを、爆発させる切っ掛けとなったのだ。

 

 

「ああ、そうだ。私は救わなくては。主を救わなくては」

 

 

 太極位階による攻撃を受けてもなお再生可能という、第四天の秘技によって作られた彼女は、故に母禮の炎を真面に受けても、その断片を残していた。

 だが、それだけだった。彼女は両面の鬼に自壊させられ、炎雷の天魔に焼き尽くされて、そして残った断片は致命的なまでに壊れていた。

 

 彼女は現状を正しく認識できていない。嘗ての主達を区別出来ず、全てが曖昧にしか覚えていない。そして現実に今生きている者達の姿も、正しく認識出来ては居なかった。

 彼女は未だ救わねばならぬという意識を残していた。本来、世界を救う為に全てを切り捨てた夜天は、しかし何を救うべきかを忘れてしまっていた。

 

 だからこそ、男の言葉が切っ掛けとなる。その言葉で、彼女の中に残った記憶の断片が異なる形で結び付く。

 

 他者を認識できない。混ざり合った主の記憶は、誰が誰だか分からない。

 だがこの男は主だと名乗った。この男も主なのだ。ならば、この男と同じに見える、他の者達も皆、主なのだろう。

 救わなくてはならない。救うべき対象が分からない。だが主が教えてくれた。主を救うのだ。私はその為に生きているのだろうと、夜天の書は結論付ける。

 

 

「ああ、救わなくてはいけない。……それなのに、貴方はどうして嘆いているのですか?」

 

「……っ、何を!?」

 

 

 望まぬままに堕ちた男は、癒えぬ悲しみを抱いていた。その嘆きを、夜天が見逃す事はない。

 

 

「救われて下さい。幸せになって。私は“貴女”こそを救いたいのです」

 

 

 男の姿が、嘗て犠牲にした少女の姿に映る。

 故に、夜天はその男の中に悲しみを放置など出来ない。当然の帰結として、それを排除せねばと考え至る。

 救わなくてはと思う。救う為にはどうすれば良いかを考える。その回答は、至極単純な事。

 

 

「現実が貴女を救わないならば、優しい夢に浸ってしまいましょう」

 

 

 その為の力はある。その為の魔法はある。ああ、けれどこの偽りの夢では、簡単に覚めてしまうかもしれない。一度取り込まねばならぬ以上、上手くいかない可能性もある。

 だから知識の内にある魔法と組み合わせる。甘い香りを媒介に、幸福な夢に他者を閉ざす魔法を作り上げる。

 

 

「だから、己に閉じて? 幸福な夢の中で、幸せになって下さい」

 

 

 濁った瞳で、慈母の如き笑みで、そう女が口にした言葉を聞いた直後。ぐちゃりと言う異音と共に、男の意識は途絶えた。

 

 後に残るは、半裸の身を隠す事すらしない銀髪の女と、彼女が優しく撫でる醜悪な肉塊の姿。

 

 

「愛い、愛い。愛い、愛い」

 

 

 肉塊に取り込まれた男は、自らの命を糧に永劫覚めない夢を見せられ続ける。終わらない、優しい夢を。

 

 

「ば、化け物!?」

 

「なんだよ、それ! ふざけんな!!」

 

 

 彼女の近くで順番待ちをしていた男達は、その光景に悲鳴を上げて散り散りに逃げ始める。

 肉塊に飲まれた男を救おうとは思わない。それ程の情はないし、そもそも、彼らの目には男が肉塊に変じたようにしか見えなかったのだ。

 無意識に、もう助かる筈はないと結論付けて、己だけは助かるのだと女から逃げ出す。

 

 絶望に浸っていても、享楽的に破滅を望んでいても、それでも女に醜悪な肉塊へと変えられるのだけは嫌だった。

 故に、怯え戸惑いながら、男達は逃げ惑う。それを。

 

 

「ああ、何故そんなに怯えているのですか? 震えないで、恐れないで、それでは貴女が救われない」

 

 

 その逃げ惑う姿を前に、己が元凶だと思考出来ぬ夜天は、彼らを救う為に動き出す。

 彼らもまた主なのだ。顔も知らず、声も分からぬあの男が主だったのだから、同じく誰だか分からぬ者達も皆、主なのだろう。

 夜天はその思考の破綻にすら気付くことは無い。

 

 

「救われて下さい。幸せになって。己の形に閉じて、幸福な夢に眠りましょう」

 

 

 女は逃げ惑う主達を、全て同時に救おうと己の作り上げた魔法を更に変質させる。その甘き香りで、全てを眠らせる脅威へと変じる。

 

 

「舞われ、廻れ、万仙陣」

 

 

 幼い夢を起こしてはいけない。夢見る夢を壊してはいけない。幸せにしたいのです。幸せになって下さい。

 狂った女は唯、それだけを願っている。

 

 ぐちゃりと音を立てて、肉塊が生まれる。

 その数は、男達の数と同数。唯一人姿が変じることは無い醜悪な肉塊に囲まれた女は、慈母の笑みでそれを慈しむ。

 

 

「愛い、愛い。愛い、愛い」

 

 

 夜天の悪夢は終わらない。

 海鳴市の闇の底で、それは秘かに蠢いていた。

 

 

 

 

 

 




宿儺さんの本音「俺は(俺にとって)使い勝手の良い手駒ってのは幾ら居ても良いと思うぜ。(お前らの裏かくのに俺一人じゃ)手数がマジで足りてないんだっての」


そして救済と言う名の死体殴りの対象に選ばれたのはリインフォースでした。
万仙陣になったのは、彼女の劇中での主の救い方がこれ黄錦龍と同じじゃね、と思ったのでノリでやった。後悔はしていない。

阿片成分は氷村さんがやったので、リインは万仙陣(阿片抜き)です。
香りを媒介に眠らせる魔法と、原作で使われた幸福な夢を見せる魔法を組み合わせた能力。匂い嗅いだ時点で嵌る鬼畜コンボ。
肉塊のイメージは闇の暴走体みたいな見た目。取り込まれた対象の魔力を消費して、対象が死ぬまで幸福な夢を見せ続けます。


闇の残夢編はちたま最後の危機。海鳴市にて彼女が起こす騒動の話となります。



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