リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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幸福な子供と不幸な子供。
その道が交わる事はあっても、その想いが重なることは無い。




訓練校の少年少女編第二話 交わらぬ意志

1.

 右の瞳が疼く。目の奥にある神経が腐っていく感触。

 嘗て受けた腐毒の被害が再び鎌首を上げているかの如き不快感が湧き出して来て、思わず瞳を抉り出してしまいたくなる。

 

 ありはしない幻肢痛。錯覚だと分かっていても、拭い去れない不快な感触。既に治癒された筈の傷が疼いていた。

 

 あの日から、何か苛立つ事が起こったり、疲労が溜まったりすると感じるようになった疼きに、ティアナは苦虫を噛み潰すように表情を歪めた。

 

 こうなると右の視界も潰れてしまう。身体的な異常はない筈なのに見えなくなった片方の目を眼帯で隠すと、ティアナは溜息を吐いた。

 

 

「あー。その。ティア?」

 

「…………」

 

 

 先程から語り掛けて来るいけ好かない男。

 この不調の元凶である苛立ちの対象を、ティアナは無言で睨み付ける。

 

 その鋭い視線に息を飲んで、それでもめげない少年は言葉を口にした。

 

 

「あのさ、これから陸士部隊の隊舎で研修だろ? どんな事するんだろうな」

 

「…………」

 

「……先輩達の話だと、単純な事務仕事とか、部署の担当地区巡回とか、稀に事件の現場に行く事もあるとか、担当官の所属次第で変わるらしいんだけど」

 

「…………」

 

「…………えーっと、現場の担当官の人、良い人だと良いよね」

 

「少し黙れ」

 

「うっ」

 

 

 何とか会話を続けようとするトーマだが、敵意を多分に含んだティアナの言葉に怯む。

 言葉が途切れたのを良い事に、ティアナは耳栓をして拒絶の意思を示すと顔を背けた。

 

 陸士学校が保有するバスの中、隣合わせの席に腰を掛ける少年少女達の距離は近くて遠い。

 

 

(不味い。話しが繋がらない。雑談どころか研修内容の相談すら出来ない!?)

 

 

 ティアナはこれで真面目な人物だ。その性格上、事務的な内容ならば会話も出来るが故に、そこから切り崩していく予定であった。

 

 行動を共にすれば切っ掛けは増える。

 自然と交わさなければいけない会話も増えていく。

 

 そこから雑談を交えて理解を深めていけば良い。そんな風に安易に考えていたのだ。

 

 どうやら見込みが甘かったようだとトーマは自省する。

 相手の敵意は嫌悪や憎悪の域にまで達しているらしく、全身で話し掛けるなと主張する少女にトーマの言葉を受け入れる余地はない。

 

 

(いっそ行き成り雑談から入る? 駄目だ。誰にでも受け入れられそうな鉄板ネタなんて、最近次元世界お笑いグランプリ三冠を達成したシュピ虫さんのネタくらいしかないぞ!? 明らかに不機嫌なティアに話す内容じゃないっ!)

 

 

 と言うより、それで反応されても嫌だ。

 そんな風に考えつつも、めげない少年はどうした物かと思考を巡らせる。

 

 だが特別頭が良い訳でもない少年だ。

 思考は堂々巡りを続けて、あっさりと行き詰まりを迎えていた。

 

 

(ど、どうする。どうすれば良い? 助けて下さい、先生!)

 

 

 自分一人で出来ない時は、素直に誰かを頼る事。

 そんな言葉を教えてくれた先生へと、望みを託す。

 

 無論手元に通信機がある訳でなければ、リンカーコアを持たない彼の先生が念話を使える訳でもない。

 必然、彼の脳裏に浮かぶのは、彼がイメージする先生の姿と言葉であった。

 

 

――諦めたら? 試合終了だよ。

 

(せ、せんせーいっ!?)

 

 

 想像の産物である金髪の青年は、朗らかな笑みを浮かべながらそんな事を宣う。

 

 悟りの境地に至ったような表情で語られるのは、諦めようと言う言葉。そんな慈愛と諦観が混ざった表情を浮かべる師の影に、トーマは内心で叫び声を上げていた。

 

 

「はぁ」

 

 

 黙り込んだまま一人で百面相を晒しているトーマの横で、ティアナは溜息を零す。顔色がコロコロと変わる少年は、視界に映るだけで目障りであった。

 

 こんな事なら、眼帯ではなくアイマスクでも持ってくるべきだった。そう心中で吐露しながら、少女はその瞳を閉じる。

 

 訓練校から目的地までの距離はそう長くはない。半刻とは掛からぬ距離だ。交通量の少ない平日の昼間ならば、それよりも早くに到着するであろう。

 

 傍らの目障りな少年との煩わしい遣り取りもそれまでだ。

 実際の研修中に話す余裕などはそうないであろうし、次からはしっかりと組み合わせを事前チェックすると心に決めているのだから。

 

 

 

 

 

 そうして暫くの後、バスは静かにブレーキを掛けて停車する。

 

 クラス毎に分けられたバスが到着した場所は、陸上警備隊の隊舎の一つ。108以上ある部隊の一ヶ所が、彼らが学ぶべき研修の場であった。

 

 

「到着だ。皆、整理番号は覚えているな。その番号の札を掲げている局員の下へ行くように。彼らがお前達の担当官になるのだから、失礼な真似はするなよ」

 

 

 バスの先頭座席に腰を掛けていた教官が立ち上がって口にする。

 その言葉に陸士見習い達は揃って声を返し、散り散りにバスを下車して行った。

 

 

「あー、それじゃ、行こうか?」

 

 

 通路側の座席に座っていたトーマが立ち上がり声を掛ける。

 

 馬鹿の考え、休むに似たり。そう割り切って堂々巡りの思考を止めた少年は、馬鹿の一つ覚えの如くに続けるのだ。どうせ自分には真っ向から向き合うしか能がないのだから。

 

 手を差し伸べて、一緒に行こうと口にする以外に、トーマ・ナカジマにとって友好を示す術はないのだ。

 

 

「退いて、邪魔」

 

 

 だがトーマが一つ覚えの馬鹿ならば、ティアナはへそ曲がりな頑固者だ。

 気に入らない少年の差し出した手。そんな物をティアナが握る筈もないのだ。

 

 パンと甲高い音がして、差し出された手が叩かれる。

 茫然とするトーマの身体を両手で無理矢理に押し退けると、ティアナは一人で先に進んだ。

 

 

 

 ノロノロと動きの遅い者らを押し退けながらバスを降りる。慌てて追いかけて来る少年の存在を意図的に無視しながら、記憶した番号を探そうと周囲を見回す。

 

 その番号を持つ担当官は、探すまでもなくあっさりと見つかった。

 

 

「初めまして、えーっと君が、ティアナ・L・ハラオウン陸士候補生かな?」

 

 

 一人先行したティアナの下へ、紫の髪をした女性が近付いて来る。誰もが感嘆の声を漏らしながら、その人物を見詰めていた。

 

 紫の女性は、多くの人々に囲まれながらも一際目を惹く程に見目麗しい。

 特別何かをしている訳でもないと言うのに、何処か退廃的な美を晒している。

 

 それは少女にも分かる程の魔性。隠し切れない程に香るは、生き血を吸った薔薇の如き香り。探す必要がない程に明らかな存在感。

 

 生まれからして違う。人外のナニカ。

 そう思わせる程に人間離れした妖艶さを持つ女性は、その異質な気配とは正反対な笑みを浮かべていた。

 

 

「げっ」

 

 

 慌ててティアナを追い掛けて来たトーマが、表情を変えて立ち止まる。

 誰にでも向き合う姿を見せる少年が、その女性を見るや否や、思わずと言った形で言葉を漏らしていた。

 

 

「その反応は、お姉さん傷付くな、トーマ君」

 

「す、すす、すみませんっ!」

 

 

 顔が青ざめ、体が硬直して震える少年の姿。

 怯えて縮こまる少年に、怖がらせないように優しく微笑んで、親しげに話しかける女性の姿。

 そんな両者の反応に、ティアナはトーマに向かって誰何の視線を投げ掛けた。

 

 

「……知り合い?」

 

 

 会話などしたくもないが、嫌悪より興味が打ち勝った。

 仕方なしに、ぶっきらぼうに少年へと少女は問い掛ける。

 

 答えずとも構わない。そんな程度の軽い問い掛け。それに対し、トーマは無言で頷いてから、師が語った言葉を小声で呟いた。

 

 

「……先生曰く、彼女程に恐ろしい女性はこの世にいない」

 

 

 死んだ魚の様に濁った瞳でそう語った師の姿。何をされたのかを決して語らなかったあの先生が、この女性にだけは逆らってはいけないと口にしていた。

 

 遠い目をして、ラッキーなスケベってなんだろうね。そう呟いていた姿が印象的であった在りし日の師匠。

 幼い少年にとって偉大である師が怯える女性の姿は、恐ろしいナニカとして記憶されていた訳である。

 

 そんな説明を耳打ちするかの如き小声で口にするトーマ。

 その漏らすような声が聞こえていないのか、女性は他者を安堵させる柔らかな笑みを深くして口にする。

 

 

「全く、あの淫獣は教え子に何を教えているんだか。……なのはちゃんの為に種なしにはしなかったけど、失敗だったかしら?」

 

「ひぅっ!?」

 

 

 美女の地獄耳は、小声の言葉さえ聞き取っていたらしい。

 健全な笑みを表情に浮かべながら、恐ろしい言葉を口にする女性。その姿に少年は、恐怖の悲鳴を零す。

 

 

「大丈夫だよ、君には何もしないから」

 

「せ、先生、ごめんなさい! 何か酷い事になりそうです!?」

 

 

 怯える少年に慈母の如き表情で語る女性の言葉は、少年を更に恐怖の底へと陥れる。

 

 トーマの脳裏に浮かぶは、朗らかに笑う先生が空の星となる姿。

 自分の失言が原因で酷い目に遭う事が確定した師の無事を、少年は心の底から祈っていた。

 

 

「……再会を喜ぶのは良いですが、まずは担当官としての仕事をして貰えますか」

 

 

 親しげに会話する彼らの姿。身内同士の対話に、自分にはない物を感じ取って、湧き上がる感情を殺せない。

 

 自分で聞いておきながら、候補生と言う立場にありながら、そんな風にも思うが、それ以上に苛立ちを抱いている。

 そんなティアナは目の奥の疼きを感じながら、慇懃無礼な言葉使いで先を促した。

 

 

「うん。そうだね。まずは、自己紹介からかな?」

 

 

 そんな複雑な情を秘める少女の言葉に怒りを抱く事もなく、女性は温かな瞳で見詰める。

 向こう見ずな少女の姿に、友人の一人の影を重ねて、柔らかく微笑んでいた。

 

 その笑みは正の物。その言動と行動も異質さなどありはしない。

 だが、だと言うのにその一挙一動が何処か妖艶に受け取られる。隠し切れない程に背徳的な美と退廃的な魔性を覗かせている。

 

 

「陸上警備隊108部隊所属の医務官兼捜査官。月村すずか陸曹です。今日は一日宜しくね。二人とも」

 

 

 隠し切れない程に肥大化した魔性。内に秘めた血染花との同調により、膨れ上がった魔性を妖艶な美へと変えている女は、その魔性を振り払う程に涼やかな声音で己の名を告げたのだった。

 

 

 

 

 

2.

「医務官と捜査官を兼任する事ってあるんですね」

 

「まあ、医療魔法に適正のある魔導師は数が少ないからね。割と強制に近い感じで、資格取得しないといけないんだ。その結果だから、あくまでも医療知識がある捜査官って感じかな?」

 

 

 人気のない医務室の中。暫く同じ時を過ごして、多少は恐怖も薄れたトーマがすずかと会話を交わしている。

 梱包された大量の医療品を取り出し棚に並べているトーマの問い掛けに、すずかはそんな風に言葉を返した。

 

 

「へー。……その割には、他の医務官の人居ませんけど」

 

 

 強制の割には人が少ない。陸上警備隊の隊舎内にある医務室の中に居るのは彼ら三人のみで、他には誰もいなかった。

 

 

「言ったでしょ、医療魔法の適正持ちは少ないって。陸上警備隊の部隊数は400近くあるからね。一つの部隊に一人でも医務官が配属されていれば恵まれている方なんだよ」

 

 

 そんな二人の会話を耳にしながら、ティアナは黙々と書類の整理を進める。

 彼女達訓練生に出来るのは書類の仕分け程度だ。処理済みかどうかを判断し、また内容に応じて別の籠に入れていく単純作業である。

 

 

「治療魔導師が少ないから、こんなに薬品が多いんですか?」

 

「うーん。そういう面もなくはないかな? 後はそうだね。緊急時に魔力切れって事になったら大変だからって所もあるかな」

 

 

 当然、部外者が触れる事の出来る程度の重要度しかない書類。

 そんな書類の仕分けを幾らしたとて、役に立っていると言う実感は湧かない。

 

 

(私は、こんな事をする為に陸士を目指しているんじゃない)

 

 

 ティアナは悔しげに歯噛みする。パートナーが最低なら、担当官も最悪だった。

 他の担当官の下に行った劣等達が、担当地域の巡回に走り回っている中、こうして自分達は部屋で書類仕事だ。外れと言うより他にない。

 

 医療魔法への適正は然程低くはないが、医務官になる気など欠片もない。

 こんな場所で教わる内容など全て無意味だ。そうティアナは内心で嘆いていた。

 

 

「陸士は唯でさえ負傷率の高い仕事だからね。いざと言う時に動けるように、軽度の物なら魔法を使わないようにしているんだよ」

 

 

 子供達の作業を指差し確認しながら微笑む女性が口にするのは、先を生きる子供達への助言である。

 

 

「……魔法は便利だけど、頼り過ぎちゃいけないんだよ。二人共覚えておくように、ね」

 

「先生もそんな事言ってたなぁ」

 

 

 何処か諭すように口にするすずかに、熱心に頷くトーマ。

 そんな二人を後目に、早くこんな無駄な時間が終わるように、とティアナは手の動きを速めた。

 

 

「……けど御免ね。二人共。本当は捜査官としての仕事も経験させたかったんだけど」

 

 

 捜査官としての仕事。そちらの方を学びたかったティアナは、思わずと言った風に口を開いていた。

 

 

「……出来ない理由でもあるんですか?」

 

 

 そんな彼女の問い掛けに頷いて、すずかは軽く説明をする。

 己の都合で彼らから学ぶ機会を奪っているのだから、その理由を語るのは当然である。そう考えるすずかは、だからこそ、出来る限り誠実な対応をするのだ。

 

 

「今、追っている事件がちょっと大きな山でね。流石に訓練生を巻き込めないんだ」

 

「追っている事件、ですか?」

 

「うん。無限蛇って知ってる?」

 

 

 無限蛇。その呼び名に心当たりがあるのか、トーマは首を捻って考え込む。

 

 

「えーっと、訓練校の授業で教えて貰ったような」

 

「……アンリヒカイト・ヴィーパァ」

 

 

 思い出せずに悩むトーマを見下すように、ティアナが語る。

 近代犯罪学の初期に学ぶ内容すら覚えていないのか、と嘲笑うかのように口にする。

 

 

「次元世界最大級の犯罪者組織よ。ミッドチルダ以外の管理世界で主に動いているSSS級の広域次元犯罪者も名を連ねている犯罪組織で、管理局でも迂闊に手を出せない規模があると言われているわ」

 

「あ、そっか! そう言えば教科書に出てたっけ。ティア、ありがと!」

 

「…………」

 

 

 そんな嘲笑いを込めた解説に素直に返され、ティアナは鼻白む。

 悪意に感謝を返されるなど経験した事のない対応であり、どう返した物かと目を白黒とさせた。

 

 そんな二人の様子にくすりと微笑んで、すずかはティアナの説明に付け加える。教科書にも記されていない現場の知識を、彼らへと伝えるのであった。

 

 

「うん。大体合ってるかな。付け加えるなら、設立から十年経っていないであろう若い組織と目される事。それから組織と言うよりは互助会に近い構造をしているらしい事だね」

 

 

 名を知られるようになったのが数年程前。それまで影も形もなかった事から、無限蛇は比較的若い組織だと考えられている。

 管理局が情報を得る事も出来ない組織などまずあり得ない、それが一般的な考えであった。

 

 また、無限蛇を名乗っていた犯罪者達より得た情報から、その集団が組織だった物ではなく互助会に近い性質を持っている事も分かっている。

 

 どうやって特定しているのか、犯罪を犯した者の下に届く電子アドレス。

 それに繋ぐと掲示板のようなサイトが表示され、そこで情報交換や協力要請が行われるのだ。

 

 各地の警備情報やら、ロストロギアの保管情報やら、或いは個人情報の様な物まで情報の売り買いがされている。

 また、こんな犯罪がしたいと書き込むと、それに対して協力をしようとする者が名乗り出るような仕組みになっている。

 

 そのサイトこそが、無限蛇の実態と言えるのだろう。

 実物を抑えようと管理局も動いているが、局員がサイトに繋ごうとするとエラーが出る。

 そのアドレスを辿ろうにも、まるで先回りされているかのようにアドレスが変更されている。

 

 毎度毎度、何等かの形で妨害される。まるでこちらの情報が筒抜けになっているかのように、寸での所で追い付けずにいるのだった。

 

 無論、無限蛇は唯のネットのサイトと言う訳ではない。

 組織と言う体を取っている様に、実際に構成員も存在していた。

 

 正式なメンバーは盟主と幹部を含めてもごく少数。大抵の者は無限蛇と言うサイト利用者が、勝手に構成員を名乗っている訳でしかない。

 だが確かに、正式な構成員は存在している。それを度重なる追撃戦にて、管理局は確かに確認していた。

 

 盟主。

 這う蟲の王。

 人形兵団。

 傀儡師。

 中傷者。

 傲慢なるモノ。

 

 そして、罪悪の王。

 

 無限蛇のメンバーであると噂される彼らの名はネット内部にて知れ渡っている。

 だが、実際に確認された者は少ない。その多くが謎に包まれていて、素性まで明らかになっているのは、表立って行動する這う蟲の王と人形兵団、そして罪悪の王のみだ。

 

 

「トーマ君は、筆記ももっと勉強しないと、ね」

 

 

 すずかはその素性までは話そうとはしない。

 何れ知る事と分かっていても、今は早いと考えている。

 

 罪悪の王。魔刃エリオ・モンディアル。

 

 彼の仇敵が無限蛇に所属している事を知った時、まだ若いトーマがどう反応するか分からないからこそ、すずかは其処までを語る事はなかった。

 

 

「とにかく、その無限蛇が流通させている違法な麻薬。それがミッドチルダでも発見されたの」

 

 

 その発見の報告と共に、陸上警備隊の仕事量は大幅に増えた。

 巡回に向かった者らも、危険地帯には近寄らず、そう時間を掛けずに戻って来る予定である。

 

 人手が足りない。訓練校の研修すら中止するべきではないかという意見も出た程に、陸上警備隊も切羽詰まっている。

 

 

「エリキシル。依存性の強い麻薬でね。流通ルートとか、感染範囲とかを調べてる途中に、ミッドチルダ郊外で人形兵団と這う蟲の王の姿も確認されてるんだ。……間違いなく、アイツらはミッドチルダで何かしでかす」

 

 

 それでも、人材育成の大切さを知るが故に、彼らは研修を中止にはしなかった。

 現場には向かわない者達や、捜査には不向きな者を担当官にする事で、如何にか体裁だけは整えたのだ。

 

 本来なら、月村すずかが担当官になる予定ではなかった。

 捜査官としても、戦力としても優秀なすずかを前線から外すのは悪手だからだ。

 

 特に脅威となる存在が確認されている以上、そんな行動は本来ならばする筈がない。

 だが、彼女がそれを選択したのは、身内と言う程度には親しいある権力者が強権を振るったからだった。

 

 その権力者の義理の妹を見る。兄らしい事など出来ないと諦めている彼が、せめて危険から遠ざけようと信頼に足る者を担当に付けたなどと、彼女が知ることは無いだろう。

 

 

「だから、悪いけど今の状況下じゃ、捜査への同行は許せないかな。医務官の仕事だけじゃ不満だとは思うけど我慢してね」

 

 

 不器用な男の妹の為にも、弟分の様に思っている少年の為にも、月村すずかに彼らを連れて危険地帯へ向かうと言う選択肢はない。

 本日の研修は、こうして医療事務としての仕事だけで終わりを迎えるであろう。

 

 

(……こんなチャンスが近くにあるのに)

 

 

 義兄と、女性の思いやり。だがティアナにその思いは届かない。

 力を求める彼女にとって、危険な状況は寧ろ望む所だ。故に納得できないし、だからこそ如何にか譲歩を出させようと口を開く。

 だが、彼女が何かを口にする前に、トーマが己の意志を示した。

 

 

「……僕は満足してますよ」

 

 

 口を開こうとしたティアナの身体が、トーマの言葉で硬直する。

 彼が口にする綺麗事を耳にして、少女の思考は停止していた。

 

 

「捜査官としての仕事についていけないのは残念ですけど、この物資や書類の仕分けも、誰かの傷を治す役に立つんですよね。前線で今も頑張っている人の為に、僕らにも出来る事があるんだ」

 

 

 それは少女にとって理解の外にある言葉。

 少年が持つ輝き。絶望を知らない彼の口にするは、何処までも澄んだ綺麗事。

 

 

「そう思うと、何だかやる気が出て来るんです。誰かの為になるのって、素晴らしい事だと思います」

 

 

 何を言っているんだ、こいつは。

 愕然とした表情で見詰める少女の前で、少年は臆面もなく綺麗事を口にする。夢物語にも似た理想論を口にする。

 

 

「先生曰く、人と人は繋がっている。一見何の関係もない事でも、誰かの為になっている」

 

 

 それは彼が教えられて、そして体験した中で刻んだ記憶。彼が生きて来た、美しい世界の姿。

 

 

「単純な作業でも、その影響で効率が上がれば、その分だけ助かる人も増えていく。そうして助かった人達が、また別の何かをして誰かの助けになっていく」

 

 

 誰も彼もが優しくしてくれる環境で育った。

 そんな彼にとって世界とは、何処までも美しい。

 

 

「幸福は連鎖する。助け合い、助け合って前に行ける。僕が幸せになって、君が幸せになって、そうして皆幸せになる。これ程素晴らしい事はない」

 

(違う)

 

 

 トーマの言葉に、ティアナは強い反発を覚える。

 彼の言は、助け合いさえすれば誰もが幸福になれるというかのような言葉だ。

 支え合って生きれば、皆が品行方正に生きていけば綺麗な世界が広がっていくと言う考えだ。

 

 そんなのは嘘だ。そんな世界など、あり得て良い訳がない。

 もしもそれが世界の姿だと言うのならば、何故、己はこんなにも辛いのだ。

 

 泥のように暗い感情が蓄積する。

 幸福な世界だけを生きてきた少年の輝きに、己の醜さを自覚しながらも嫉妬せずにはいられなかった。

 

 

「……なら、書類仕事もやろうか、トーマ君?」

 

 

 少年の眩しさに目を細める。その真っ直ぐな姿に、あの淫獣も存外に良い教師をしているらしいと、すずかは微笑みを浮かべながら、決して書類には手を伸ばさない少年に提案した。

 

 

「……先生曰く、適材適所。……小難しい文字を読むと眠くなるから、きっと僕に書類仕事は向いてないんです」

 

「向いてないからって、やらなきゃ成長しないでしょ? 眠る度に体罰だから、しっかり頑張ろうね」

 

 

 ニコニコと口を開くすずかから、トーマは無言で書類を受け取る。

 

 

「……やらないと駄目ですか?」

 

「うん。駄目」

 

 

 解釈の違いによる違法行為を極力失くす為に作られた公文書は、無駄に難解な言い回しをしていて見るだけで嫌気がしてきた。

 

 

 

 

 

 書類を見て嫌そうな顔をするトーマと、どんな罰を与えようかと今から楽しみにしているすずか。

 

 そんな二人の姿を後目に、ティアナは無言で立ち上がる。

 握られた拳は、酷く痛む。目の奥が耐え難い程に疼いて、今すぐにでも瞳を抉り出してしまいたくなった。

 

 

「ティアナちゃん?」

 

「……すみません。眠気が酷いので、顔を洗ってきます」

 

 

 荒れ狂う感情を何とか自省して、そうすずかに伝えたティアナは席を外す。

 表情を見せぬように俯いて、掻き毟りたくなる程の疼きに耐えて、ティアナは逃げ出す様に両者の姿に背を向ける。

 

 医務室の扉から外へ歩き去って行く少女の背を、残された二人は心配そうに見詰めていた。

 

 

 

 

 

3.

 秋の風が吹く中、隊舎の外にある椅子にティアナは腰掛ける。

 残暑の熱を孕んで温かい筈の秋風は、水道水で顔を洗った直後の所為か何だか冷たく感じられた。

 

 医務室には戻らない。授業態度の良い生徒で通っている自分らしくもないが、あの部屋に戻ると何をしでかすか分からない。だからこそ、こうして外で頭を冷やしている。

 

 何だか、どうしようもない程に目が疼いていた。

 

 

「ティア」

 

 

 暫し風に吹かれていたティアナの下へ、トーマ・ナカジマがやって来る。

 探して来いとでも言われたのであろう。隊舎内を駆け回った少年は、僅かに息を切らせていた。

 

 

「……今、戻るわよ」

 

 

 そんな少年の姿を極力視界に入れないように立ち上がる。

 そうしてその脇を擦り抜けて、医務室へと戻ろうと足を運んで。

 

 

「……何よ」

 

 

 その肩を掴まれた。

 

 

「好い加減、腹を割って話さないか、ティア?」

 

 

 ティアナの肩を掴んだトーマは、そんな言葉を口にする。

 そんな彼の手を跳ね除けると、ティアナは暗い瞳で少年を睨んだ。

 

 

「……色々言いたい事はあるんだろうさ。僕だって、色々思う所がある」

 

 

 トーマはその瞳に気圧されずに口にする。ティアナの態度に、彼女の行動に、少年は怒りを抱いていない訳ではない。思う所がない訳ではないのだ。

 

 

「すずかさんに許可を貰って来たから、時間だって山ほどって訳じゃないけど、確かにある」

 

 

 不器用な少年少女の姿に、懐かしそうな色を瞳に浮かべた紫の女性は、トーマの背を押した。

 

 ぶつかっておいで、そう大人に言われたのだ。

 ならば、ここで全てを片付けてしまうべきであろう。

 

 

「だから腹を割って話そう」

 

 

 元より策を弄するのは苦手だ。頭の巡りも良くはない。だからこそ、トーマが選ぶのは真っ向勝負。

 

 選択するのは、何時だって馬鹿げた体当たりだ。

 

 

「言いたい事、思ってる事、全部全部吐き出そう」

 

 

 面と向かい会って否定し合おう。

 己の意志を伝えて、そうして互いを理解しよう。

 

 その果てに分かり合えたのなら素晴らしく、分かり合えないのならとても悲しい。

 それでも、どんな結果に終わろうとも、不理解のまま否定し合うよりずっと良い筈だと、トーマは思うから。

 

 

「……君がそれを望まないなら、今まで通り追い掛け続ける。僕は結構粘着質だよ」

 

「っ、アンタ!」

 

 

 今逃げたらどこまでも追うぞ。

 そう口にする事で、ティアナの逃げ場を塞いでいた。

 

 

 

 そうして、向き合った二人は互いを見詰める。片や敵意と憎悪で睨み付けるように、片や相手を理解しようと澄んだ瞳で、互いだけを見詰めていた。

 

 

「僕は君が気に入らない」

 

 

 まず内心を語るのはトーマ・ナカジマだ。

 言い出しっぺの彼だからこそ、まず最初に全てを明かすべきだと考える。

 

 

「絆なんて信じない。自分だけで進んでいける。そんな姿が気に入らない」

 

 

 必死に頑張っている事は知っている。その努力の方向が間違っていると感じていて、それでは救われないと思うからこそ否定せずにはいられない。

 

 

「世界はこんなにも綺麗で、人はこんなにも温かくて、絆はイカヅチにだって壊せやしないんだ」

 

 

 それは彼にとっての真理だ。絶対に揺るがない事として、少年の心に刻まれている。

 

 

「それを知らずに、否定するなんて間違っているよ」

 

 

 その美しさを知らないままに、否定なんてさせない。

 その美しさを誰にも知って欲しいと願っているからこそ、トーマはそれを否定する者を否定する。

 

 そして否定するだけではない。

 少年は否定した後に、少女に向かって手を差し伸べるのだ。

 

 

「君に何があったのか何て、僕は知らない。この想いを否定するだけの理由があるのかもしれない。或いは、僕とは致命的に相容れないのかも知れない」

 

 

――人は人。他人は他人なんだ。人の数だけ想いがあり、人の数だけ理想はある。だから、自分の考えだけを強要してはいけないよ、トーマ。

 

 

 昔から理想を他者に押し付けようとする悪癖があったトーマに、師はそう語った。

 

 知って欲しい。感じて欲しい。そう思う気持ちは止められないけれど、その忠告があるからこそ、それだけを強要する事はしないと決めている。

 

 まずは知ってもらう事。それが一番大事だ。けれど知って貰った後でも、受け入れて貰えないなら、それは仕方がない事なのだ。

 諦めたくはないし、この輝きを知ってなお否定する者が居るなどと考えたくもない。

 

 

「けどさ、それを知る前に否定したくはない。それを知る前に否定して欲しくもない。拒絶は理解の後なんだ。嫌悪だけで、人を見ちゃいけないんだから」

 

 

 だけど、個人の意思を否定するのは、考えを否定する事とは訳が違うから、それを選んじゃいけないと知っている。

 

 だから、トーマは分かり合おうとするのだ。

 分かり合う事で、きっと綺麗な世界を共に生きられると信じている。

 

 そんな純粋な少年は、誰からも愛される輝きを放っている。

 想いの丈を語り尽くした少年は、何処までも綺麗なままだった。

 

 

「……そういう所が、気に入らないのよ! トーマ・ナカジマッ!!」

 

 

 だからこそ、少女にとって少年は受け入れがたい存在である。

 己の醜さを際立たせる彼を、恵まれない自分に対してこんなにも満たされている彼を、どうして認める事が出来るのだろうか。

 

 

「世界なんて、こんな筈じゃなかった事ばっかり! 人間なんて冷たくて! 信じた絆も約束も、あっさりなくなるものじゃない!」

 

 

 溜め込んでいた激情を吐き出す少女は、怒りに任せて思考を吐露する。

 口にして語るのは、何処までも救いがない、彼女にとっての真理である。

 

 

「助け合って生きていけば、皆幸福になれる!? バッカじゃないの!!」

 

 

 助け合って皆が幸福になれるのなら、世界から不幸は当の昔に消えている筈だ。

 苦しんでいる誰かを放って置ける程に人でなしばかりではないのだから、既に悲劇はなくなっている筈なのである。

 

 だが、確かに不幸は存在している。

 救いのない現実は何処にでも転がっている。

 

 それが示している。

 所詮トーマの語る幸福など、夢物語に過ぎないのだ、と。

 トーマにとっての現実など、とてもとても狭いのだ、と。

 

 

「幸福の椅子ってのは、数が限られてるの! 誰も彼もが幸福になんてなれないのよ!!」

 

 

 幸福な少年に不幸な少女は語る。

 それは彼女が短い生の中で悟った、彼女の真理。

 

 幸福には限りがあるのだと言う彼女の思想。

 

 

「経済と同じ。資産と一緒で幸福も総量が決まっているの! 富が集中してお金持ちが現れれば、その分必ず貧乏人が生まれるように、幸福な人と不幸な人は必ず出る。誰かが不幸になった分だけ、他の誰かが必ず幸せになっている!」

 

 

 絶対数が限られているのならば、全ての人がそれを掴む事など出来ない。座るべき席は限られていれば、後は蹴落とし合って奪うしか他にない。

 

 

「……そうでなきゃ、理不尽じゃない!!」

 

 

 そう。現実がそうである事を、少女は心の底から願っていた。

 

 

「幸せになっててよ! 私が不幸になった分、誰かがそうなってないと、憎む事すら出来ないじゃない!!」

 

 

 自分の幸福が失せた分、他の誰かが幸せになった。

 そう思う事で孤独に耐え、そう思う事で誰かを憎もうとしている少女の姿は、何処までも悲壮に満ちた物であった。

 

 

「……ティア」

 

「馴れ馴れしく呼ぶな!!」

 

 

 憐れむな、そう視線で語る少女は差し伸べられた手を弾き返す。

 トーマが語る現実がどれ程に綺麗であっても、彼の思いがどれ程に真摯であっても、決して少女には届かない。

 

 不幸な過去を持っては居ても、今恵まれているトーマ。

 恵まれた過去はあっても、今悲痛の叫びを上げるティアナ。

 幸福な子供と不幸な子供は、互いの想いを真に理解する事など出来ないのだ。

 

 

「アンタの理想なんて知らないし、私は不幸のままで良い! 唯一つ残った意志を、貫く為だけに生きている! 救いなんて求めてない!」

 

 

 あの大天魔に打ち勝つ為には、真っ当な幸福など得られないと諦めている。そんな物を求めては、決して辿り着けないと諦めている。

 

 だから、そんな幸福よりも、復讐こそを彼女は望んでいる。

 ランスターの弾丸を示す事こそが、少女に残った全てなのだから。

 

 

「だからアンタなんか受け入れない! だからアンタの言う美しさなんて、理解してやらない! ヘラヘラ笑って、満たされているジャンル違いが、私の道に入って来るんじゃないのよ!!」

 

 

 言い捨てると、ティアナは走り去って行く。

 

 声を掛けるな。もう関わるな。無言で拒絶の意思を伝えて来る背を見詰めて、弾かれた痛みに手を抑えるトーマは悲しむように口にした。

 

 

「……それじゃ、ティアは、何時まで経っても泣いてるままじゃないか」

 

 

 泣いているように見えた。

 叫びを上げた少女の瞳は、涙に滲んでいるように見えたのだ。

 

 そんな少女が行く道には救いがない。

 彼女自身が受け入れているからこそ、その先には救いがない。

 

 間違っている。その先は間違っている。

 頑張っている奴が報われないなんて、絶対に正しくない結末だ。

 泣いている少女が泣いたまま、目的を果たして消えていくなど許せない。

 

 ああ、けれど、他者に理想を押し付けるのが違うと言うならば、その目的を違うと否定する事がいけないと言うのなら。

 

 

「先生。……僕は、どうすれば良いんだろう」

 

 

 どうすれば、あの少女の涙を止められるのであろう。

 

 

 

 問い掛ける言葉に、答えは返らない。

 

 

 

 

 




絆はイカヅチでも壊せない。
なのポA'sのOPに出て来るフレーズです。



○パラロス知らない人向けのおまけ解説。無限蛇とは。

PARADISE LOSTに登場する悪の犯罪組織。
数多ある犯罪結社が弱肉強食の理によって食らいあった結果生まれた集団であり、都市の闇を支配する原作序盤の敵である。

悪の秘密結社の中でも頂点に立つ集団であり、三人の幹部によって運営される。

裁きの炎を操る盟主アズラーン。
不死身の肉体と強酸の体液を持つ蠅の王ギース。
あらゆる人の心を壊して操る傀儡師デザード。

強力な力持つ三大幹部と言う、厨二の大好物要素が多分に込められた、小物集団こそが無限蛇である!

所詮小物と作中で明言されたアズラーンを筆頭に、シュピ虫さんレベルのかませっぷりを見せ付けながら配下に殺されたデザード。

そしてギースに至っては、何時の間にか死んでいたと言う素晴らしい扱いをされている。仮にも主人公に倒されたと言うのに、戦闘も死亡も省略されているのだ!

故に無限蛇とは神座シリーズ最大の小物集団であり、ネタにすらされない腫物達なのだ。CVもないしね。


そんな無限蛇に愛の手を、そんな思いも込めて、その名を採用してみました。
実際、魔刃が加わっただけで、イロモノ集団からシリアスな敵に変わる気がする。そんな当作の無限蛇は、本当に凶悪な敵集団です。



正田作品で作者が一番好きな集団。無限蛇。

神座作品のみでクロスするなら、盟主にシュピーネさんを据えて、その下に三大幹部+キーラちゃんで四天王とかやらせて、かませ界至高の集団とか作ってみたい。

そんな風に思う天狗道でした。



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