リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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ヒャッハー。投稿だー!

多分次回も十日前後掛かります。


そんな今回はティアナのお話し。面倒臭い娘へのテコ入れ回です。


訓練校の少年少女編第四話 其は誰が為に

1.

 ティアナは緊張に震える手に力を込めて、唾を飲み込む。戦意を強く保つと、その左の瞳で女を見据えた。

 

 両手で構えたアンカーガンの標準の先、佇む金髪の女。

 ドロドロに濁った瞳を虚空に浮かべ、無表情を顔に張り付ける彼女こそは教科書に載る程の犯罪組織“無限蛇”の幹部。

 

 這う蟲の王。己と言う才能の欠片もない劣等ではまず勝ち目などない相手。挑む事自体が無謀。相手に向けたデバイスなど、牽制にさえならないと分かっている。

 

 だから、それが何だ?

 

 御託は要らない。怯懦は不要。対話も勧告も必要なく、あるのは唯の戦意のみ。ティアナは震える手を抑え、這う蟲の王へと立ち向かう。

 

 

(相手は格上、だけど今なら!)

 

 

 相手は自身より格上だ。犯罪組織の幹部に単独で挑む愚は、今のティアナにとて分かっている。

 それでも動いたのは勝機があるから。彼女の読み通りならば、今だけは確かに勝機はあるのだ。

 

 故にここは、一気呵成に責め立てる。

 

 

「フェイクシルエット!」

 

 

 両手で構えたアンカーガンの引き金を引く。少女の魔力を食らいて発現するは、虚実入り乱れた光の弾丸。

 茜色の輝きの数は十八。無数にばら撒かれた弾丸は複雑怪奇な軌道を描く。

 

 十八の内、真実脅威と呼べる弾丸は六つ。実体を持つのはそれのみで、残る十二は幻影だ。されど高速で飛来するそれを見極める術などありはしない。

 

 これぞシューティングシルエット。幻術魔法と射撃魔法の合わせ技を前に、回避などは意味がない。躱す余地などありはしない。故に、被弾は当然の結果であった。

 

 ティアナの行動。それは無謀であれ無意味ではない。蛮勇であれ無策ではないのだ。

 無意味な強がりではない。無根拠な思い込みではない。確かに勝機はあるのだと彼女は確信している。故に確信を抱いたまま、ティアナは幻影の弾幕に隠れて接敵する。

 

 

(信じなさい。ティアナ。他ならぬ私自身が見出した、確かな勝機を)

 

 

 女が無表情である事。ティアナを見ながらも、何処か遠くを見ている瞳。そして先の夢遊病者の如き発言。現実を見ていない。現実を見れていない。まるで薬物の中毒者の如きその姿。

 

 エリキシルと言う麻薬を大量に摂取した者が“這う蟲の王”ならば、或いは自然な姿と言えるのかも知れない。

 だが、ティアナは其処に疑問を抱く。そんな人物が指揮官足り得るであろうか、と。

 

 

(アイツは人形兵団を指揮している。前線での兵団の動きを見るに、間違いなく合理的な判断で行動している。……夢遊病者の如く精神が安定していない奴が、優秀な指揮官であれる筈がない)

 

 

 その姿こそ根拠。その様子こそ証拠。ルネッサが晒すその醜態こそが、ティアナの推測した勝機を裏付ける。

 

 

(予想通り。ええ、こいつの状態は予想通り。なら、勝てる筈よ)

 

 

 今こそが、這う蟲の王を討てる最大の好機。相手が遥か格上であったとしても、ティアナの予測が正しければ確実に勝てる。そんな確信で己を鼓舞しながら、ティアナは一気に走り抜けた。

 

 元よりシューティングシルエットは布石。その第一の弾幕を隠れ蓑にして、ティアナは本命の弾丸を叩き込む。

 

 その銃口に魔力が集う。レーザーサイトが展開され、その標準を定める。

 虎の子である一発のカートリッジによって膨れ上がる力は、シューティングシルエットの比ではない。

 

 魔力弾の着弾で隠れた砂埃の向こう。相手の状態は見れないが、それでも既に標準は定まった。この距離ならば外さない。

 

 

「ファントムブレイザァァァァァァッ!!」

 

 

 放たれるのは遠距離砲撃魔法。ティアナが持つ魔法の中でも最大の火力を誇る、真実彼女の切り札。

 

 本来、長距離の相手を狙撃する砲撃は、至近距離で放たれる事で威力を跳ね上げている。

 並の魔力障壁などあっさりと撃ち抜くであろう。例え彼女がどれ程の強者であろうとも、無傷で居られる筈がない。

 

 オレンジの輝きを纏った砲撃が土煙を吹き飛ばし、轟音と共にベルゼバブを撃ち抜いた。

 

 

 

 ガシャンと音を立てて排出される空となったカートリッジ。煙を上げるアンカーガンを手に、ティアナは呼吸をゆっくりと整える。

 

 シューティングシルエット。ファントムブレイザー。その二つの魔法で、ティアナの魔力の大部分が失われた。

 僅か一瞬の攻勢で半数以上を消費してしまう自身の魔力総量の低さに苛立ちながらも、会心の出来にティアナは笑みを浮かべる。

 

 相手は一切の抵抗をしていなかった。それは油断や慢心ではなく、出来なかったのだ。

 今のルネッサにはその余裕がない。その事実を、ティアナはこの場に来るまでの状況から推測し、確信していた。

 

 回避も防御も行う為には思考を割く。特に魔導師である以上は、魔法使用には計算能力を必要としている。思考容量には限りがあり、それが魔導師の行動限界だ。

 

 無論、性能の良いデバイスやマルチタスクを以ってすれば、そんな隙は減らせるであろう。機械の補助や、複数同時思考はその為にあるのだから。

 だが、それにも限界はある。これ以上は思考出来ないと言う限界点は存在しているのだ。

 

 

(躱せなくて当然。アイツは今現在も街中で暴れてる人形兵団を統率している。幾ら化け物染みた魔導士でも、そのレベルでマルチタスクを使い続ければ本体は疎かになるものよ)

 

 

 如何なる技術も、如何なる魔法も、その限界を超えられはしない。

 

 ミッドチルダで増え続ける人形達の数は既に万を超えている。

 その指揮を執り、フィードバックを受け続けている彼女が、真面な思考を残していられる筈がないのだ。

 

 今、この時この場所で戦う限りにおいて、ルネッサ・マグナスは全力を出せない。それをティアナ・L・ハラオウンは相対する前に予想していたのだ。

 故にこれこそ、彼女の策。相手が本領を発揮する前に、こちらを脅威と感じる前に、全力攻撃で何もさせずに撃破する。

 

 思惑通りに推移した戦場に、少女は無言で拳を握り締めて――

 

 

「っ!?」

 

 

 煙が晴れた先、未だ健在である敵の姿にティアナは絶句した。

 

 

「どうして……」

 

 

 疑問が零れる。これ以上ないというタイミングで、これ以上は出せないと言う最高火力をぶつけたのに、どうして平然としていられるのか。

 回避は出来ず、防御魔法すら使えず、それで何故健在で居るのか。訳が分からずにティアナは硬直する。

 

 多少の疲労感しか感じてはいないルネッサは、兵団の一部の指揮権を放棄して思考を取り戻すと、静かに告げた。

 

 

「……魔力ダメージの原理。その理屈程度は訓練生であっても知っているでしょう?」

 

 

 それは魔法学で学ぶ基本事項。何故物理的な破壊を伴わない非殺傷魔法で、他者の意識を奪えるのかと言う基礎的な理屈だ。

 

 非殺傷設定とは、相手の保有魔力そのものを傷付ける性質を魔法に持たせる特殊な変換魔法である。

 魔法を構成する魔力の一部を変換の為のエネルギーとして消費し、相手の魔力のみを傷付ける力へと変換する。

 その性質上、殺傷設定に比べると幾らか威力が落ちてしまうが、その分相手を傷付けずに意識を奪えるようになるのだ。

 

 保有する魔力が急激に低下すれば意識は薄れる。魂の力を一度に消費すれば、それによって支えられる我は薄れてしまう。

 非殺傷設定自体が持つ衝撃が其処に伴えば、人は意識を手放す。最悪の場合、衰弱状態からのショック症状すらも引き起こす。それこそが、非殺傷設定で人が倒れる理屈である。

 

 ならば逆説。非殺傷設定を受けて傷付いた魔力。それが魔力総量全体から見て、些細な物であれば?

 紙束で手を切れば出血はするだろう。だが、それで出血多量を引き起こす事はあり得ない。傷が少ないのだから、命に届く前に塞がってしまうのだ。

 

 

「貴女の全力砲撃は通りました。……けれどそれで、消耗した魔力なんて、全体の総量から見れば大した物ではない。多少疲労するくらいですね」

 

 

 単純に総量が違い過ぎる。百や千と言った数字から一を引いても誤差にしかならない。

 物理的な破壊力を伴わない非殺傷攻撃では、魔力差があり過ぎる相手には効果がない。

 それこそが、無防備なルネッサが倒れない理由だ。

 

 

「……っ!」

 

 

 ベルゼバブとなった女の全身を回る血液は、エリキシルと同一の物と化している。エリキシルとは反天使の血。それは無限の欲望が作りし高次存在の断片だ。

 

 故に女の血に宿った魔力はティアナの遥か上を行く。

 管理局に所属する高位の歪み者と同じく、神々には届かずともその汚染された力に並ぶ程度には魔力の質が高い。

 

 もし仮に此処に居たのがニアSランクの魔導師ならば結果は分からなかった。

 魔力量と強さは等号ではないが、それでも砲撃や斬撃の威力は込められた魔力量に依存する。

 

 ティアナの魔導師ランクは所詮Cランク。彼女の魔力は決して高くない。

 砲撃特化、斬撃特化ならば多少は通じたかも知れないが、彼女の資質もまた特化型とは真逆の器用貧乏。

 大した適正を持たないCランク魔導師の砲撃など、カートリッジで上乗せしたとて底が知れているのである。

 

 

「それでも傷付けたいのなら、せめて殺傷設定で来るべきでしたね。魔力差故に魔力攻撃に意味がないのです。物理的な破壊ならば、多少はこの身を傷付ける事も出来たでしょう」

 

 

 余りの弱さに憐れみを込めて、女は判断ミスだったと語る。

 人の域を超えた魔人とは言え、ルネッサは肉体的には人間の上位互換程度でしかない。

 大天魔の如くに無敵の守りなどないのだから、物理破壊を受ければ肉体は損傷する。殺傷設定だったなら、多少は被害を受けていたと。

 

 無論、実力差を思えば大した変化にはならないであろうが。

 

 

「無様とは言いませんよ。これが厳然たる実力差です。……力の差。絶対的な壁を前に小細工などに意味はない。唯、それだけの話なのですから」

 

 

 所詮幻術魔法は当てる技術。当てても意味がない程に、力に差があるなら無駄である。

 所詮ティアナは凡才だ。魔力の総量が高くなければ攻撃は通らず、しかしその魔力値とてそれ程の物は期待出来ない。

 

 ティアナ・L・ハラオウンは弱過ぎる。彼女では如何なる行動をしたとしても、結果は変わらない。結局は大差ない結果に終わっていた。

 だからこそ、これ程の好機を得ていながら、これ程のアドバンテージを持ちながら、しかし何も出来なかったのだ。

 

 

「っ」

 

 

 屈辱に唇を噛み締める。手を握り締めて、非情な現実を前に少女は震える。

 策略では覆せない差。ここでも才能が足を引っ張るのかと思考する少女に、優しげな声で女は告げた。

 

 

「最後に非殺傷を選択したのが過ちとは言え、存外、貴女の策は悪くありませんでした。寧ろ褒めてあげても良い。見事でしたよ、訓練生」

 

「……っ、嫌味の心算!」

 

「いいえ、本心からの言葉です」

 

 

 ティアナの行動は悪くはなかった。内乱渦巻くオルセアと言う地に育ち、現実の戦場を知る女の目から見ても、合格点を与えても良いくらいの策ではあった。

 

 

「私を見つけ出した事。何かをする前に一気呵成に責めたてた事。そして何よりも、今、この場で私に挑んだ事。それら全てが評価に値する」

 

 

 ティアナは今この時に、自分こそが最大のアドバンテージを持っていると判断していた。この状況下でなら、この女に勝てるのだと考えた。

 その判断は決して誤りではない。確かに正しい物であった。今こそが千載一遇の好機であった。

 

 

「今こそが最大の好機であると。人形兵団の動きを見ただけで、そう考えたのでしょう? 一見無鉄砲な行為に見えて、存外良く状況を見ている。頭の良さは大した物ね」

 

 

 そう。正しかった。ティアナの判断は確かに正しかった。

 

 既にクラナガン全域に生まれているエリキシル患者。その総数は万を超える。

 血中に流れるエリキシルと言う毒素を媒介に、対象の脳内へハッキングを行っているルネッサは、その総数と同じだけの魔法を使用せねばならない。

 

 如何に脳を改造され、更に複数のデバイスで強化されている彼女とて、その数は手に余る。どれ程指揮を簡略化しても、それでも既に限界は超えていたのだ。

 その全てを同時に制御し、そのフィードバックを受け続ける女は、ティアナに対して満足に対処出来ていなかった。

 故に此処に来ていたのがストライカー級であったのならば、その時点で勝負は決していたであろう。

 

 無論、その時は彼女も人形兵団の制御を切り離すであろうが、それでも即座には対応出来ない。

 相手を認識する前に初撃で高威力の歪みを受けてしまえば、ベルゼバブであっても耐え切れなかっただろう。それ程の隙を晒していたのだ。

 

 そんな好機は、今日この時を置いて他にない。本来、制御する人形兵団は小隊規模であり、ここまで膨れ上がる状況など、今日この日を置いて他にないのだ。

 

 一斉蜂起の為に、人形兵団が戦争を齎す為に、どうしても防げなかった死角。それは確かにこの瞬間に存在していたのだ。故にティアナの読みは何処までも正しかった。

 

 

「ですが、地力の差があり過ぎた。制御に一杯一杯となっている相手に、一切の攻撃が届かないなど、貴女も想定すらしていなかったでしょう」

 

 

 唯一点、地力の差だけを読み間違えた。多大な優位では覆せない程に、その差は絶対だった事を読み違えた。

 

 才能の差。それだけがティアナの足を引っ張っていた。

 その事実に無謀な少女は気付けなかった。気付く事が出来る要因や情報がなかった。それが全てだ。

 

 ティアナ・L・ハラオウンが挑むには、この敵は余りに強大過ぎたのだ。

 

 

「力の量が違えば、策に意味などありはしない」

 

 

 詰まる所、ティアナの手には最初から勝機など欠片も存在していなかった。

 

 

「理解しなさい。名前も知らない、か弱い訓練兵」

 

 

 まるで諭す様に講釈する。余裕を持って口にする。何処までも力不足な少女に、その現実を教え込む。

 

 

「どれ程に天才的な頭脳を持ち、悪魔の様な奸智を以って策を練ったとしても、力の絶対量が違えば通らない。絶対的な知略を持っている蟻が居たとして、その蟻は象に勝てると思いますか? 不可能です。まず勝負の土俵が成り立っていないのですよ」

 

 

 額にある三眼を模した飾りで、人形兵団が次々と討たれていく現状を認識しながら語る。

 

 凶殺血染花に蹂躙されていく配下に舌打ちをしつつも、数が減った事で自由に回せるようになったマルチタスクで、目の前に居るか弱い訓練生へと伝える言葉を思考する。

 

 

「私は魔刃程には強くない。彼を巨象とするならば、小型の犬猫が精々でしょう。……ですが、蟻に過ぎない貴女では超えられません」

 

 

 ティアナの全力でも傷付ける事すら出来ない女は、それでも無限蛇の最強戦力である罪悪の王とは比べ物にならない程に弱い。

 

 ルネッサ・マグナスは知っている。

 真に強き者の出鱈目さを、その荒唐無稽なまでの強大さを。

 

 その上で彼女は断じる。それでも己はお前より遥かに強いのだと。

 

 

 

 目が疼いた。どうしようもなく、右目が疼いた。

 お前の努力は無駄だ。結局才能は覆せない。その力の壁は変わらない。

 

 そんな風に憐れみの視線で語る敵に、講釈を語るだけで攻撃をして来ようともしない敵に、腸が煮えくり返る程の怒りを感じながらティアナは皮肉を口にする。

 

 

「……随分余裕ね。仮にも戦っている敵に向かって講釈を垂れるなんて」

 

 

 眼帯のない左の瞳で睨むように見詰めるティアナに、ルネッサは溜息を吐いて口にする。

 

 

「敵? 貴女が? まさか、そう口にするには貴女は弱すぎる」

 

「っ!」

 

 

 それは何処までも慈悲のない言葉だった。憐れみが込められたその言葉は、余りにも深くティアナの矜持を傷付けた。

 

 

「弱さも其処までくれば、見苦しいを通り越して哀れになると言うものです」

 

 

 そんな彼女に告げられるのは、余りにも屈辱的な言葉。

 お前など敵にすら値しない。そんな見下しと憐れみしか存在していない言葉であった。

 

 

「……それにその瞳、同病相憐れむ、と言うモノですかね」

 

 

 小さく呟いて付け加える女は、屈辱に唇を噛み締めるティアナに向かって告げる。

 ティアナが瞳を見て同類だと理解した様に、ルネッサもまた理解していた。同じ様な想いを抱く同類であると、理解したからこそ彼女は告げる。

 

 

「これが現実ですよ。名も知らぬ少女。貴女じゃ私に勝てやしない」

 

 

 何時でも殺せるのに仕留めない。分からぬ駄々っ子に母が道理を言い聞かせるように、彼女は柔らかい言葉使いで現実を伝える。

 

 一方的な同族意識。自分より弱い同類に向けた感情は、優しさではなく格下に対する憐れみで溢れている。

 

 

「っ! 舐めるなっ!!」

 

 

 その憐れみは腹立たしい。その結論は受け入れられない。

 強き者に対して弱き者が何をしようと勝てぬと言うのならば、己は永劫勝利出来ない事を意味している。

 

 

「私は示すんだ!」

 

 

 それしかないのだ。それしか残っていないのだ。

 それすら出来ないと言うのなら、一体何が残ると言う。

 

 

「ランスターの弾丸を! 兄さんの銃弾は天魔だって討てるんだって! 絶対に示して見せるんだ!!」

 

 

 オプティックハイド。陽炎の如く燃え上がる魔力は、周囲の景色と同化して消えていく。光学迷彩を展開する魔法によって、何処までも諦めない姿勢を見せる少女は姿を隠す。

 

 無意味だと知っても認められない。手札の全てがブタとなってしまった現状でも、それでもその先を望む。

 

 その在り様に溜息を一つ吐く。ルネッサとしては、彼女を必要以上に傷付けたくないと思っている。

 それは多分に同族意識も籠っているが、同時に合理も伴った思考。ここで彼女を殺すのは、勿体無いと感じていた。

 

 だから心を折ろうとしたのに、諦めない少女は無駄を重ねる。

 百の内の一しか削れずとも、百度続ければ勝ち目はある。そんな風に自分を誤魔化して、自身の魔力もカートリッジもまるで足りない現実から目を逸らして、ティアナは無駄を続けるのだ。

 

 これはもう、動けなくなるまで止まらないだろう。

 故に、ルネッサはデバイスの収納空間より一丁の大型拳銃を取り出した。

 

 銀色に輝く巨大な銃。それは人形兵団に配備されている物と同じく、巨大過ぎる質量兵器。スチールイーター。そのプロトタイプだ。

 

 

 

 イノーメスカノンと言う大型銃器がある。所有者の魔力を、その砲身内にある機械によって増幅し、本人の使用できる魔力以上の破壊力を発現しようとした兵器。

 エースオブエース。高町なのはの集束砲を再現しようとして作られた、強力に過ぎる大型砲だ。

 

 これはそれを無理矢理に小型化した物。この試作品は、真面に扱える者のいない欠陥兵器。

 魔力が無くとも使えるように改造された正式量産型のスチールイーターに比べれば、まるで洗練されていない駄作である。

 

 だが、ルネッサは違う。ベルゼバブならば、これを使える。その余りにも凶悪過ぎる質量兵器は、ベルゼバブの手中において真価を見せるのだ。

 

 

 

 拳銃に繋がれた管がひとりでに動き、ルネッサの頸動脈へと突き刺さる。

 吸い出される血液が銃弾へと加工され、吸い出される魔力がその砲撃を加速させる。放たれるは悪魔の魔弾。全てを滅ぼす偽りの星光。

 

 

「直撃させる心算はありませんが……死ぬ気で避けなさい」

 

 

 引き金が引かれる。ドォンと轟音が響いて、大気が震えた。

 

 量産品と違い威力を抑えられていない弾丸は、並み居る廃墟ビルを打ち崩す。大地を抉る様に砕き、廃棄区画の景観を僅か一発で大きく変える。

 兵団と争い続ける血染花を飲み込んで、己の配下達を焼き殺して、廃棄区画の大部分を更地に変えた。

 

 強大なる偽りの星光は全てを蹂躙する。幻術で隠れて居場所を見つけられないならば、居るかも知れない場所全てを薙ぎ払う。

 そんな余りにも力押しが過ぎる対処は、しかし確かに有効であった。

 

 

「っ……、あ……」

 

 

 態と外されて、それでも銃撃の余波だけで地に倒れ伏したティアナ。

 

 直撃ではない風圧だけで眼帯はズレ落ち、髪は解け、バリアジャケットを壊される。

 吹き飛ばされた際に全身を強く打ち付け、出血と痛みに意識を失い掛けている少女は、小さく呻き声を漏らしていた。

 

 

 

 

 

2.

「まだ息はありますか? 意識はありますか? 言葉を聞き取る事は出来ますか?」

 

 

 大口径の砲撃を放った反動で、ズタボロになった右腕をだらしなく垂らしながら、ルネッサは静かに口にする。

 呻き声を上げるティアナに息がある事を確認すると、ルネッサは静かに言葉を続けた。

 

 

「これが私と貴女の差ですよ。訓練生」

 

 

 血管に突き刺さった管を支えに、振り子の如く宙で揺れる大型拳銃。それによって折れた腕が、異音を立てて復元する。

 まるでビデオを逆回しで再生するかの様に、血肉や骨や神経が生えて結び付き再生する。数秒と言う時間を必要とする事無く、その傷は消え去っていた。

 

 

「……理解しなさい。貴女は弱いわ。何も出来ない程にね」

 

 

 不死不滅の怪物は倒せない。無限に再生する女は、ティアナの手に負える者ではない。

 

 それでも――破れた鼓膜から血が零れる。

 

 

「あ、……っ」

 

 

 少女は歯を食いしばる――解けた髪は血に塗れて、べっとりと重たくなっている。

 

 

「あき、らめるか」

 

 

 その手を必死に握り締めた――握力は上手く入らず、身体は震えて動かない。

 

 

「諦める、か」

 

 

 立ち上がる事を諦めない――身体は既に限界で、だから何だと言うのであろうか。

 

 

「諦めるものかぁぁぁぁっ!」

 

 

 元より無理は知っている。始めから無茶だと分かっている。

 今更絶望的な差を見せられた所で、この道を諦めるなんて選べない。

 

 だってこれしか残ってないのだ。この道しかないのだ。それさえ諦めてしまえば、本当に何も残らない。

 弱いから、届かぬから、それで諦め生きていくなら、このまま死んでしまった方が遥かに救いだ。

 

 これは誇りではない。これは勇気ではない。これは意思の強さではない。

 これは唯の悪足掻き。執念が生んだ意地。少女に残った見苦しい執着心。

 

 だが、それが何であれ、立ち上がる力には変わりない。

 自分の身体に治療魔法を掛けて、荒い呼吸を無理に整えて、少女は何とか立ち上がる。

 

 策略などない。立ち上がった意味などない。

 それでも諦められぬから、ティアナはアンカーガンを片手に走り出す。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 遠距離は不味い。それを今の一撃で理解した。

 直撃どころか掠っただけで死に掛ける質量兵器、それを使わせた時点で敗北だ。

 

 故に狙うは零距離攻撃。密着状態の近接戦。独学の体術で挑む。

 素早い接近から放たれる蹴撃。それは自己流とは思えぬ程度には鋭い物であり――

 

 

「はぁ、何度も言う様に、貴方では無理ですよ」

 

 

 身体能力を強化されたルネッサを上回る事は出来なかった。

 

 振るわれた足を右手で掴まれる。その掌が握り締められた瞬間、ティアナは耐え難い苦痛を感じて絶叫を上げていた。

 

 

「づっ!? あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 まるで焼き鏝を当てられたような熱さ。硫酸を掛けられた様な嫌な音。

 ジュワジュワと音を立てて吹き上がる煙が溶かすは、ティアナの足の血肉である。

 

 

「ベルゼバブの体液は強酸の毒。その唾液、汗の一滴でも触れれば最後、骨まで溶ける」

 

 

 女の言葉に何かを返す余裕もなく、猛毒の手に足を掴まれたティアナは絶叫する。

 痛みに苦悶し、肉体が溶けると言う言葉に恐怖し、後先など考えずに逃れようと銃を向ける。

 

 非殺傷は通じない。それでは逃げられない。

 ならば使うのは唯一つ。この女が通ると語った殺傷設定。

 

 傷付ける覚悟だとか、殺傷設定を使う意味だとか、そんな事は考えない。そんな事を考える余裕はなく、唯、痛みより逃れたくて魔力弾を放つ。

 

 放たれた弾丸は、余りにもあっさりとルネッサの右腕を吹き飛ばした。

 

 二の腕から吹き飛んだルネッサの手。自身の足に絡み付いたままのそれに、その指の隙間から白い骨が見えている自身の足に表情を引き攣らせながらも、その手を排除しようとアンカーガンを向けて。

 

 

「BANG!」

 

 

 その手が爆発した。

 

 

「っっっっっ!!」

 

 

 それは人形兵団を操るのと同じ理屈。血中にあるエリキシルを媒介に、その魔力を暴発させると言う行動。

 弾け飛んだ腕が撒き散らす赤い液体に濡れて、ティアナは声にならない絶叫を上げのたうち回る。

 

 

「ベルゼバブの体質の根源となるエリキシル。それは血液中の赤血球と同化しています。故に、最も毒素が濃いのはその血液。汗や唾液が強酸ならば、その血液は万物を溶かす腐食の毒です」

 

 

 全身にその血を浴びて、ジュウジュウと焼け爛れる音をさせながら悲鳴をあげるティアナ。肌を焼かれ、皮膚を焼かれ、全身から煙を上げて溶かされていく。

 

 切り離された己の一部を、爆弾として使い捨てたルネッサの腕が再生を始める。

 ぐちゅぐちゅと腕が修復していく。今度は先と違い、ぶら下がっているスチールイーターをも巻き込んで歪な形に変じていく。

 

 右手が異常に肥大化した姿。右半身が機械化した異形。

 その血肉は金属が混じって変色し、肉塊と融合した大型銃器は生体大砲となる。

 

 悪魔の顎門の如きその砲門が、地面に蹲ったティアナへと向けられる。最早結果は確定した。

 

 

 

 全身を焼く痛みに苦しむ中、ティアナは確かに己に向けられた砲門を視界に入れる。全身を焼き尽くす熱の痛みに震えながらも、異形と化したルネッサの右腕を見る。

 

 その魔砲は一秒先にも己の命を奪うであろう。

 

 これで終わりなど、認められるか。認めたくない、諦められない。

 歯を砕きたくなる程の悔しさに震える。同時に何処か安堵も感じて、それを否定する様に唇を噛み締めた。

 何も出来ない自分の弱さに、目の奥が酷く疼いて痛んだ。

 

 一秒、十秒。耐え難い程の屈辱と、僅かな安堵を抱きながら死を待つティアナ。だが、幾ら待てどもその瞬間はやって来なかった。

 

 

「……な、んで」

 

 

 強酸にやられてひりつく喉。掠れた声で問い掛ける。

 何故、撃たぬのか。何故魔砲を下ろしているのか。困惑するティアナに、告げられる言葉は予想もしていなかった物であった。

 

 

「ねぇ、訓練生。貴女、無限蛇に来ませんか?」

 

 

 それは、蛇の誘惑であった。

 

 

 

 

 

3.

 もしも喉が焼けて声が真面に出ない状態でなければ、大声を上げて驚いていたであろう。絶対的な勝利を前にして、女が口にしたのは犯罪組織への勧誘。

 

 どうして、と瞳を揺らがせて困惑するティアナにルネッサは語る。彼女が何故、ティアナを無限蛇へと誘うのかを。

 

 

「その明晰な頭脳。未だ諦めない意志の強さ。そのどちらも、普通の人間では持ち得ぬ物。魔法を扱う才能なんかより、遥かに価値のある物です」

 

 

 彼女が加減をしていたのは、見定めたティアナの資質故。一撃で殺そうとしなかったのは、その資質が得難い物であると感じたから。勿体無いと思ったのは、彼女の知識と執念が確かに価値ある物だからだ。

 

 

「分かりますか、訓練生。魔力の大小なんて、身体を弄れば後付けで増やせる。単純な力は上乗せ出来る。脳の記憶領域や計算機能も変えられるけど、想像力を必要とする推理力だけは後付け出来ないのです」

 

 

 事実、ルネッサ自身も本来はこれ程化け物染みた魔導師ではなかった。

 デバイスよりも質量兵器を持った方が強い。その程度の人間でしかなかった。

 

 そんな彼女がベルゼバブとなった。それだけでこれ程の怪物に至れたのだ。

 

 素の性能差など多少の差異にしかならない。天分に溢れた魔法の才などより、明晰な頭脳の方が無限蛇にとっては価値があるのだ。

 

 

「エリキシルを摂取すれば、それで魔力量も増えていく。今はそれよりも強力な、グラトニーと呼ばれる薬剤も研究されています」

 

 

 エリキシル。その液体は魔群の血。無限の欲望が作り上げた、ジュデッカより堕ちて来た物。

 

 高次存在であるそれを長期間服用すれば、それだけで高位の歪み者に近い魔力を得る。異能の質で劣ろうとも、陰の伍等級の歪み者になら匹敵する力を獲得できる。

 

 ルネッサと同規模の怪物ならば、無限蛇は時間さえあれば生み出せるのだ。

 その改造に耐え抜く意志力さえあれば、誰でもこの領域に上がれるのである。

 

 

「貴女が望めば、このスチールイーターだって手に入る。Sランクオーバーの砲撃だって、好きに使える様になる」

 

 

 ルネッサが持つスチールイーターは、ベルゼバブでなければ使えぬ物だ。だが逆に言えば、ベルゼバブであれば使えてしまう。

 ティアナが望み同意すれば、唯無心に鍛えるだけでは得られぬ力が手に入るのだ。

 

 

「与えられた力は嫌いですか? 恵まれる力なんて望んでいませんか? いいえ、貴女はそう言う人間ではない」

 

 

 そんな拘りはない。与えられた力では意味はない、などと言えるのは才能溢れる者だけだ。

 

 弱いのだ。貫けぬのだ。諦められない事があるのに、このままではそれを為せない。そんな状況で、弱い者が恵まれた力を否定出来る筈がない。

 

 

「分かりますよ、訓練生。だって同じ目をしている。私達は同類なのだから」

 

 

 神様に頭を下げて恵んで貰った力だって喜んで振るうだろう。こんな私は強くて凄いと胸を張るだろう。体を切り裂いて、中身をグチャグチャにして、それで強くなれるなら安い代価だ。

 

 それで目的を果たせるならば、手段などどうでも良い。手段に拘るなど、目的への執着が薄いのだ。渇望と言えぬ程に安いから、手段を選ぶ余地がある。

 

 少なくとも、ルネッサはそうだと思っている。

 そして、ティアナ・L・ハラオウンも同じであろうと、ルネッサは確信を抱いて口にした。

 

 

「私はオルセアと言う地に生まれました。物心付いた時から戦場で兵として使われていて、あの人に拾われて当たり前の幸福を得た」

 

 

 ルネッサは語る。同胞を同じ道へと引き入れる為に、彼女は己の素性を明かす。お前と私は同じなのだと、ティアナに分からせる為に己を告げる。

 

 

「けれどそれも失った。あの人が手にしたロストロギアを求めた魔刃に、その全てが燃やされた」

 

 

 燃えて消え去る黒き炎。焔に焼かれて灰すら残らない光景こそ、ルネッサの記憶に刻まれた弱者の烙印。

 

 

「あの人は私を庇って死んだ。娘だけはと口にされた言葉に、魔刃は憐れみを浮かべて姿を消した。……結局私は何も出来ませんでした」

 

 

 弱かった。泣きたくなる程に、どうしようもない程に、嘗てのルネッサはティアナと同じく弱かったのだ。だから全てを失った。

 

 魔刃に見逃された彼女は、無限の欲望に囚われる。人体実験の材料として、凄惨極まる地獄の底へと送られた。

 

 

「私には何もなくて、漸く得た物も失って、……結局残ったのはあの人が語っていた夢の残骸」

 

 

 強くなければ意味がない。弱き命に価値はない。

 それは無頼のクウィンテセンス。弱肉強食の理こそが、弱き彼女に刻まれた烙印。

 

 強くならなければいけなかった。何を犠牲にしようとも、強くならなければと感じていた。

 強くなければ、何も為せない。また何かを得たとしても、結局何もかも失くすのだろう。

 だからこそ、無限の欲望に囚われた事は、彼女にとっては絶望ではなく希望であったのだ。

 

 

「戦争をしましょう。最初はミッドチルダ。それから一つ、一つと世界を増やしていく。遍く次元世界全土を焼きましょう。それを為す力は、此処にある」

 

 

 堕ちた女が行き着いたのは蛇の底。無限の欲望に囚われ、望まぬままに墜ち続けて、そんな暗闇の底で、女は漸く望んだ力を得た。

 

 

「戦争をしましょう。あの人が残した夢。辛く苦しい戦争こそが、日常の尊さを教えてくれる」

 

 

 どの道、それ以外に譲れぬ物など残っていなかったのだ。ならば、己の身体も、己の誇りも、己の矜持も、その夢以外は必要ない。

 故にその望みを叶えようとしている。流されるままであったとしても、この今に満足しているのだ。

 

 だって、願いは漸く叶うのだから。

 

 

「それが私、ルネッサ・マグナス。残された最期の意志に縋る、何を対価に捧げても為そうとする。そんな人形兵団の指揮官よ」

 

 

 其処に偽りはない。同胞へ言葉を偽る意味がない。

 その目は真摯であり、その想いに不義はなく、その意志に揺らぎなどありはしない。

 

 

「……貴女もそうなのでしょう? 同じ目をしている貴女は、同じような想いを抱いている。その想いを諦められないからこそ、貴女は膝を折らないのでしょう?」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンとルネッサ・マグナス。この二人に、果たしてどれ程の違いがあるであろうか。

 向かう道筋は同じであり、抱く感情の質は同じであり、胸を焦す想いの多寡は同じである。

 

 違うとすれば唯一つ。ルネッサの方が救えぬ場所まで堕ちている。

 

 

「ねぇ、貴女の想いを聞かせてくれない? 貴女の願いを語ってくれない? 貴女の名前を教えてくれない?」

 

 

 故にその誘惑は何処までも甘い。

 ティアナが望む未来を、彼女が否定出来ない言葉を、ルネッサは確かに口にする。

 

 

「きっと貴女は大成する。その瞳が揺るがぬ限り、無限の蛇でこそ大成する。元の資質を考えれば、或いは私より上に行ける」

 

 

 管理局では其処まで至れない。魔力量が、そのリンカーコアの質が足を引っ張る。人道に配慮せねばならぬ集団では、其処まで人を外れられない。才能の壁は超えられない。

 

 だが、無限蛇ならば違う。誰に憚るでもなく、悪を為せる。非人道的な行為とて幾らでも為せる。そんな蛇の中でこそ、ティアナの才は花開く。

 

 

「貴女が司令官になって、私がそれを支える副官となる。そんな妄想が浮かんでしまったのです。……それはちょっとだけ、素敵じゃないかと思うのですよ」

 

 

 始めて目を見た時に理解した。彼女が同じだと思った時、そんな下らない妄想が浮かんだのだ。

 此処まで堕ちてもなお同族を求める意志がある事に驚いて、ルネッサはそれを是として受け入れた。

 

 

「どの道、管理局も無限蛇も変わりはありません。違いは表か裏かだけなのだから、どちらに居ても多少の差異しか存在しない」

 

 

 最高評議会直属の暗部。表沙汰に出来ない技術試験や、非人道的な人体実験を行う部隊。民衆をコントロールする為にマッチポンプを行う犯罪集団。それこそが無限蛇の実態だ。

 故に管理局と無限蛇に差異はない。所詮はコインの裏表でしかないのだ。

 

 

「力を望むなら、私の手を取って欲しい。願いを叶えたいと思うなら、無限蛇へと墜ちれば良い。無限の蛇は、貴女に無限の力を与える。さあ、私と共に、蛇の牙として生きましょう」

 

 

 だから、共に墜ちよう。友達になろう。

 そんな風に、ルネッサは優しい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

4.

 その誘惑は甘い。楽園を追放された始原の人の如く、蛇に誘われ禁断の果実へと手を伸ばす。

 

 痛みは感じない。痺れは感じない。苦しみはもう感じない。それよりも強い衝撃を受けたから。

 

 これ程に強い力が得られる。

 己を蹂躙した力が手に入る。

 これがあれば、大天魔にだって挑めるかも知れない。

 

 そう考えると、断る理由がなかった。拒む選択などなかった。拒める意志などありはしなかった。

 

 

(私は弱い。けど)

 

「ええ、弱さもこれで御終い。私達は、もう無価値ではありません」

 

 

 無限蛇に堕ちてでも、叶えたい願いがあった。

 この場所で叶えられないならば、其処に価値などはなかった。

 

 だから、差し出された手を取ろうと手を伸ばす。

 強酸の腕に触れるのではなく、その機械の半身を握る様に手を伸ばす。

 

 曖昧な思考で、朦朧な意識で、それでもこの手を取れば、願いは叶うと思ったから。その願いが叶った時を夢想して――

 

 

――御免な、ティアナ。悪いお兄ちゃんでさ。

 

「あ」

 

 

 そんな言葉を思い出した。

 

 

――気付いてやれなかった。お前が沢山苦しんでる事。我慢してた事、まるで分かんなかったお兄ちゃんで御免な。

 

 

 病室で寝込むティアナに、彼が語った言葉。

 執務官試験の最終段階まで進んだのに資格取得を諦めて、慌てて戻って来た兄が語った言葉。

 

 

――それと、許してほしい。こんな馬鹿をやったのに、まだ管理局員で居る事を許して欲しいんだ。

 

 

 意識が朦朧としていたティアナには聞こえていないと思っていたのだろう。

 涙を堪えて、頭を下げて、自責する姿を晒したまま、ティーダは己に誓うように口にしていた。

 

 

――僕は守りたい。ティーダ・ランスターは守りたいんだ。ティアナや、ティアナが生きるこの世界を。

 

 

 だから許して欲しい。熱に浮かされたティアナの手を取って、ティーダは確かにそう口にした。

 ティアナに伝えるのではなく、愚かな事を続けていると自分に言い聞かせるように、ティーダはそう口にしていたのだ。

 

 あの時と同じように意識が朦朧としているからだろうか、忘れていた言葉がこんなにも明確に思い出せていた。

 

 

(この手を取ったら、兄さんは何を言うだろうか)

 

 

 困った表情で、悲しそうに瞳を閉ざす姿を幻視する。きっと、それは褒められた事ではない。

 ならばどうしたら良いのか、譲れぬ想いがあって、けれどその為の最適解が過ちならば、一体何が正しいのだろうか?

 

 その問い掛けに対する答えは、ティアナの記憶の中に既にあった。

 

 

――なら、その信用に背かないように頑張らないとな。ああ。約束する。

 

――はい。約束です。

 

 

 思い出すのは一つの遣り取り。もう一人の兄と交わした、果たされなかった約束。

 交わした約束は果たされず、彼はあっさり破ってしまったけれど、ああ、それでもその言葉は真実だった。

 

 

(そう。そうよね。そうなのよね、お兄ちゃん)

 

 

 信頼に背かないように頑張る。それは一つの回答だ。

 その答えを知っているからこそ、ティアナは伸ばした手を途中で止めた。

 

 

「……何の心算ですか?」

 

「別に、大した事じゃないわ」

 

 

 掠れた声。ボロボロの言葉。けれど強い瞳で口にする。

 

 ドロドロに濁った瞳は、まだ澄み渡っている訳ではない。その願いは変わった訳ではない。その執念は、未だ揺るがず存在している。

 けれど、この眼前の女と己に、確かな違いを見つけたからこそ、ティアナはその手にアンカーガンを握り締めた。

 

 

「……ただ、ね。無限蛇(そこ)は、私の願いに続く道じゃない」

 

 

 魔力とは魂の力だ。故に魂が輝く時こそ、その力は真価を発揮する。

 それでも得られた魔力は多少の傷を癒す程度。言葉を喋れる程には回復しても、それ以上の結果など出せよう筈もない。

 だからティアナは上体を起こすのが限界で、それでも確かに強い意思で口にするのだ。

 

 

「まさか、貴女の願いは手段を選べる程に軽いのですか? 与えられた物じゃ意味がない。為す術が悪では価値がない。そんな愚劣で薄っぺらい言葉を語る気ですか?」

 

 

 理解出来ない。訳が分からない。手段を選べるのは想いが弱いからだ。手段の是非の方が、願いよりも重いから選ぶ余地があるのだ。

 

 そう考えるルネッサは、故にこそティアナの言いたい事が分からない。

 

 

「……逆に、聞くけど、アンタ、何の為に戦争を起こすのよ」

 

「何ですって?」

 

 

 そんなルネッサに対して、ティアナは前提となる問い掛けを口にした。

 

 

「だから、何でミッドチルダ焼くのかって話」

 

 

 ルネッサ・マグナスの願いは聞いた。そしてその上で確かに理解し共感した。

 彼女の願いは一面においては真実だ。戦いの中でこそ、失われるかも知れない状況でこそ、確かに大切な物の輝きを知れる。

 

 失って始めて気付く物はある。それを教える為に戦争を起こすと言うのは本末転倒な行いだが、ティアナが言いたいのは其処ではない。

 

 

「バッカじゃないの? もうミッドチルダは戦争状態じゃないの。ずっと昔から天魔と戦ってるのに、今更そんなの教える余地なんてないじゃない!」

 

「え、あ……」

 

 

 そう。ルネッサ自身、既に知っていた。

 彼女の養父は、ミッドチルダの姿を見て闘争の世界にこそ真の輝きがあると夢見たのではないか。

 全ての世界がミッドチルダの様になれば良いと、そう願ったのはトレディア・グラーゼではないのか。

 

 ならば、そんな彼の理想であるミッドチルダを今更焼くのは、本当に彼の願いに沿った行動なのであろうか?

 

 否、断じて否である。

 

 

「失くす物は何もないっ! 痛くても辛くても戻らないっ! だけどっ!!」

 

 

 もう失くす物なんてなくとも、それでも選んではいけない道はある。

 どれ程に苦しくても、暗闇の中に一人取り残されていても、最後に残った願いだけは否定してはいけないのだ。

 

 

「絶対に選んじゃいけない選択肢はあるのよ! 目的の為にじゃない! 何の為にその目的を為すのか! それを忘れちゃ意味ないじゃないっ!!」

 

「っっっ!?」

 

 

 ルネッサが息を飲む。ティアナの言葉は、何処までも正しい。

 

 何の為にそれを為すのか、それを忘れてはいけない。

 例え手段を選ばぬ程に渇望しても、願いの本質を揺るがせてしまえば本末転倒にしかならない。

 

 何を望んでいたのか、それすら忘れてしまっては、結局己の手で己の夢に泥を塗っているような物ではないか。

 

 

「私は忘れないっ! この夢をっ! 明日に続くこの道をっ!!」

 

 

 どれ程辛くとも、忘れてなるものか。どれ程にきつくても、忘れてなるものか。

 

 彼女の願いは決まっている。例え独善に過ぎなくても、例え自己満足に過ぎぬとしても、彼女がこの道を志すのは、残された一つの価値を示す為に。

 

 

「兄さんの教えてくれた弾丸の強さを示す為にっ! ランスターの弾丸で、勝てるんだって示す為にっ! あの人の強さを分からせる為にっ! だからっ!!」

 

 

 あの人の夢に泥を塗ってはいけない。守る事を望んだ彼の跡を継ぐならば、この身は守護者でなければいけない。

 

 

「兄さんの為に進むこの道でっ! あの人の夢を貶めてたら意味がない!!」

 

「私は、私はっ!?」

 

 

 少女と女は幻視する。互いの目的、誰の為に望んだのか。その大切な人の姿を幻視する。

 少女の兄は仕方がないなと笑っていて、女の父は悲しそうに嘆いていた。結局、それがこの二人の違いだったのだろう。

 

 

「約束する。その信用に背かぬようにっ! あの人達の誇りに泥を塗る手段なんて、私は望んでなんかいないのよっ!」

 

 

 二人の兄。大好きな人達。その人達が掲げる理想は、今なお変わっていないと知っていて、だからこそティアナは差し出された道を選ばない。

 

 無限蛇ではない。管理局員として、彼女の願いは果たさなければ意味がない。

 だって、ティーダ・ランスターは、この日常を守る事こそを望んでいたのだから。

 

 

「違う。私は、こんなの、一緒な筈なのに」

 

「アンタと一緒にするな! ルネッサ・マグナス!!」

 

 

 迷う様に、縋る様に、お前も一緒だろうと手を伸ばすルネッサ・マグナス。そんな彼女の想いを切り捨てて、ティアナは彼女を否定する。

 

 

「アンタは忘れた!」

 

「っ!?」

 

 

 否定する。

 

 

「アンタは間違えた!」

 

「だ、まれ」

 

 

 否定する。否定せずには居られない。

 

 

「アンタは父親の夢に、自分で泥を塗ったのよっ!!」

 

「黙れ」

 

 

 あり得たかもしれない未来。居たかも知れない己。だが、だからこそティアナはルネッサに成り得ない。

 この成れの果ての如く、大切な事を忘れてしまうなどありはしないのだから。

 

 

「そんなアンタと、私を一緒にするな! 馬鹿女っ!!」

 

「黙れぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 その否定の言葉に激怒して、ルネッサは右の砲門を少女に向ける。

 認められない。認められる物か。認めてしまえば、異形と化したこの身は何なのだ。

 

 人と触れる事すら出来ぬ程に堕ちて、見るも悍ましい異形に変わって、それでこの夢に泥を塗っていたなどと言われて、ああそうかなどとは口に出来ない。

 

 

「消えろっ! お前なんかっ!!」

 

 

 だから消えろ。己の矛盾を晒す少女など要らない。

 虚偽と虚構で誤魔化して、己は幸福なのだと思い込んでいた。だからこそ、その鍍金を剥がす少女は居てはならない。

 

 

「レェェストイィィンピィィィィスッ!!」

 

 

 まるで泣き喚く子供の様に、ルネッサはその魔砲の引き金を引いた。

 

 

 

 迫る魔砲。偽りの星光。それを前に、ティアナは動じない。

 それは対策があるから。この魔砲では死なないと確信しているから――

 

 

(って言う理由だったら、良いんだけどね)

 

 

 そんな訳がない。ティアナに打つ手など何もない。

 唯、一緒にされるのが癪だったから、散々良い様にされてムカついたから、思いっきり否定してやっただけだ。

 

 

(これで終わりね。けど、ま、凡人には相応しい。寧ろ及第点でしょ。……自分の夢を間違えなかったんだから、さ)

 

 

 偽りの星光が、ゆっくりと迫る。視界が遅くなる感覚。意識が引き延ばされる中、ティアナはこれが走馬燈だろうかと理解する。

 

 

(結局、会いに行けなかった。……どうせ死ぬなら、行けば良かったかな)

 

 

 そんな風に思考して、せめて走馬燈では会いたいなと期待する。

 どうすれば会えるだろうか、引き延ばされた時間をそんな思考に浪費して。

 

 

「……何で、アンタが見えんのよ」

 

 

 その右の瞳に、見たくもない顔が映った。

 狂おしい程に会いたいと思った二人ではなく、もう二度と見たくないと思っていた顔が右目に見える。

 

 全身に赤き刻印が浮かび上がり、瞳を赤く染めたその姿。ティアナが見た事もないそれは、走馬燈ではない。

 疼く痛みが消え去った彼女の右目が見せるは、未来に起きる確かな現実。

 

 

「ディバイドゼロ・エクリプス!!」

 

 

 その瞳に映った光景に僅か遅れて、駆け付けた少年が拳を振るう。未だ制御出来ない力を、一瞬だけ放出する事で魔砲を防ぐ。

 赤き輝きを纏った拳が偽りの星光を打ち砕き、その脅威を跡形もなく消し去った。

 

 

「……何で、アンタが」

 

 

 赤き刻印は一瞬で消え失せ、其処に立つのは茶髪の少年。

 そんな何時も通りのいけ好かない表情を浮かべた彼は、何時も通りの腹が立つノリで答えるのだ。

 

 

「泣いてる声が聞こえた!」

 

 

 だから何だと言うのか。一体どうやって来たと言うのか。

 そんなティアナの疑問に答える事はなく、トーマは二人の間に立つ。

 

 ティアナの前に立つ少年の背中は、ムカつく程に頼もしい。

 

 

「だから、その涙を拭いに来たんだ!」

 

 

 力強く口にして、少年は師に教えられた通りの構えを取る。

 

 ここにトーマ・ナカジマが参戦した。

 

 

 

 

 

 




ギース「あれ? 俺の知っているベルゼバブじゃない」


ベルゼバブってジューダスの劣化品だよね。
じゃあ、ガチで劣化魔群にしよう。そんな思考で強化されたルネッサさんでした。


作者の中での俗称が『なのは砲』になっているプロトタイプスチールイーター。兎に角強いの作ろうとして、派手に失敗した欠陥品。
あくまでも、無印なのはさんの再現なので、惑星破壊は出来ません。イノーメスカノン云々も捏造設定です。

ここの反天使作っちゃうスカさんなら、なのは砲作ってもおかしくはない。
寧ろ作れない方がおかしいと思ったから、悪ノリでやってみた結果だったりします。


どうしよう。設定的にコレ、量産できるようになっちゃったんだけど。(震え声)



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