リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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クロノくんタイムGOD。

オリ詠唱まで出て来る今回は、クロノくんと魔刃が目立つお話です。


訓練校の少年少女編第六話 無価値の悪魔 下

1.

「……良かった」

 

 

 気が狂いそうな重圧の中、少年は安堵の息を吐く。

 

 自分は何も出来なかった。大切な何かが欠けてしまったのに、大切な宝石を対価に捧げたのに、己は何も出来なかったのだ。

 その悔しさは残っている。己こそが勝ちたかった。その想いは確かに存在している。

 

 

「本当に、良かった」

 

 

 だが、それ以上に嬉しかったのだ。

 だから助かって良かったと、心の底から安堵していた。

 

 

 

 眼前で見つめ合う両者。管理局の英雄と次元世界最大の犯罪者。

 

 格の差は歴然だ。力の差は絶対だ。夜風の様な余裕を浮かべるナハト=ベリアルに対し、素知らぬ顔の裏側に怯えを隠すクロノ・ハラオウンでは届かない。

 

 その二人が動き出すのは同時であった。

 双方が全くの同時に、前に向かって動いていた。

 

 

「っ!?」

 

 

 瞬間、トーマを襲う浮遊感。

 視界がくるりと回るような異質な感覚が彼を襲う。

 

 思わずと言う形で立ち上がろうとした彼は、柔らかな物を握り締めていた。

 

 

「……御免ね。ちょっとキツイから、余り動かないでくれないかな?」

 

「って、すずかさん!?」

 

 

 朧げながらも意識を取り戻した女は、如何にか再生させた肉体で少年を受け止める。

 裸体を晒す女の胸元へと転送された少年は顔を羞恥で朱色に染めて、目の前に広がる女の色気に視線を右往左往させた。

 

 そんな彼らからは遠く。両雄が睨み合った戦場で爆発が起こる。

 爆煙が巻き起こり、それが晴れた後。其処に立つ両者の姿は変わっていた。

 

 

「っ!」

 

「クククッ」

 

 

 片や笑みを浮かべる悪魔は悠然と立つ。

 対する男は片腕を失い、バランスの崩れた状態で敵から距離を取る。

 

 あの瞬間の両者の行動は単純。前に出て敵を切り裂こうとした悪魔と、彼の初動を妨害する為に敢えて前進したクロノ。

 先ず身内を救わんとした英雄は、その一瞬の隙を突いて万象掌握を行使した。その選択の差が、この結果を生み出していた。

 

 交差した両者。魔刃の腐炎は正しく絶殺。

 一度燃え移れば、魂全てを腐り落とすその炎。防ぐ術などある筈もない。

 でありながらも、片手を失うだけで済んだ理由は簡単だ。

 

 

「良い判断だ。咄嗟に己の腕を落としたか。……否、あのタイミングから見るに、最初から片手は捨てる気だったな」

 

「ふん。それが分かって、だからどうしたと言う」

 

 

 機械の腕を身代わりにして、予め歪みでその内側に爆発物を転移させておいて、魔刃の炎が触れた瞬間に起爆させた。

 

 クロノの対応など、たったそれだけの単純な事であった。

 

 

「何、唯暴き出しただけさ。底が知れたぞ、とな。……さて、後どれだけ躱せる? 右腕を捨てた。次は左か? 両の足を捨てた後は、首から上でも差し出すかい?」

 

「はっ、誰が。……手の内を暴いたのがそちらだけと思うなよ、気狂い(ソドミー)

 

「へぇ」

 

 

 距離を取って向き合う両者。片や強者故の余裕で、片や時間稼ぎを含めた策略で、両者は言葉遊びを交わし続ける。

 

 

「今の交差で理解したぞ、お前今は魔法が使えないな」

 

 

 そんなクロノの分析に、ナハトは笑みを浮かべて応と返した。

 

 

「その腐炎。魔力素さえも焼き尽くすか。……なら当然、お前はそれほど速くない。戦域の絶対者であるこの僕を、捉えられる速度じゃないんだ」

 

 

 ナハトは魔法を使えない。腐炎は己の魔法すら焼いてしまう。呼吸と同様に腐炎を放ち続けるナハトには、故にこそそれが避けられない。

 

 エリオと比較して、その攻防は比肩出来ぬ程に跳ね上がっているであろう。その鎧を打ち破る術はなく、その矛を防ぐ術はない。

 だが速力と言う一点に限れば、全力を出した結果彼は劣化してしまっている。

 

 高速移動魔法を使えぬ彼は、身体能力と翼による飛行。そして溢れる魔力に物を言わせた直線移動しか出来ないのだ。

 単純な速さ。小回りの良さでは、高速移動魔法を使用できるエリオに及ばない。

 

 

「成程、随分と強気だな嘘吐き(ライアー)

 

「強気にもなろうさ。先人は良い事を言った」

 

 

 あらゆる防御を貫く矛を持とうと、あらゆる攻撃を防ぐ盾を持とうと、戦域の絶対者は覆せない。

 

 何故ならば――

 

 

「当たらなければ、どうと言う事はない」

 

 

 如何なる攻撃も躱してみせよう。如何なる破壊も躱してみせよう。己には決して届かせない。

 既に片腕を失い。格上からの威圧だけで精神力を消耗して、未だ己を拘束する白い和服は外せない。

 

 

「ティアナとトーマと月村。それに陸士部隊の生き残り。足手纏いの避難は今の一手で終わっている。……もうお前じゃ僕に届かんよ」

 

 

 それでも、どこまでも強気に、そんな風に虚飾の笑みを張り付けて、嘘吐きは子供達に強い背中を見せ続けるのだ。

 

 

「ククク、ああ、それも噓だな。虚飾が過ぎるぞ」

 

 

 だがそんな虚飾は直ぐに暴かれる。彼は罪悪の王。虚飾と無価値を司る悪魔なれば、そんな薄い英雄の仮面などあっさりと見抜ける。

 

 どの道時間の問題だ。如何に当たらないとは言え、歪みは使い続ければ摩耗する。

 唯立って向き合うだけで精神力を消耗する現状、悪魔を前に逃げ続けるなど現実的ではない話だ。

 

 この戦場からは逃げ出せない。クロノは英雄であるが故に、ミッドチルダを守らねばならぬ故に、気分一つで星を滅ぼせる悪魔を見逃せない。

 

 故にこの戦いの幕とは、クロノが歪みを使えなくなる程に消耗するか、ナハトがクロノの回避行動を読み切ってその手を届かせるか、そのどちらかの幕しかないだろう。

 

 この英雄の奮闘は、所詮時間稼ぎの域を出ない。

 

 

「どれだけ持つか、試してみようか、嘘吐き(ライアー)

 

 

 絶望的な戦いは続く。閉幕の鐘はまだ遠い。宴の夜は終わらない。

 

 

 

 

 

2.

 廃棄区画から離れた場所にある小高い丘。崩壊を始めているあの地区を眼下に見下ろすその場所に陸士部隊の残存兵力と、意識を閉ざした橙色の少女が立て続けに落ちて来る。

 

 割とぞんざいな扱いで纏めて落ちて来る男達と違い、少女が落下した場所には一緒に柔らかなクッションも送られている。

 その一瞬を稼ぐ為に随分と不利を許容しているのだから、彼も兄馬鹿と言える人種なのかもしれない。

 

 

「父さん! ティア!」

 

 

 そんな彼らの下へと駆け寄ったトーマは、その呼吸が正常に行われている事を確認して安堵の溜息を吐く。

 そうしてその視線を、廃棄区画で戦い続けているであろう彼らへと向けた。

 

 

「クロノさん。……エリオッ」

 

 

 砕けた殻が如何なる影響を与えているかは分からない。崩れ落ちた記憶は、何かとても大切な物だった気もする。

 

 けれど、今はそれよりも。

 

 

「……()()

 

 

 唯、自分の無力さが恨めしかった。助かってくれた嬉しさの方が勝っているけれど、それでもやはり無力感に項垂れてしまう。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 先程までの彼ならば、きっと誰かが助けてくれると信じて止まなかった彼ならば、絶対にしなかったであろう思考。

 己が全てを解決せねばならないと言う異質な強迫観念を抱いたまま、しかし何も出来ない現実に苛立つ様に、トーマは己の手を握り締めた。

 

 

 

 そんなトーマの直ぐ傍で、何とか起き上がった月村すずか。彼女は、己の上に何かが転送されてくるのを感じ取る。

 

 さて、一体何を送り付けて来た、と疑問を抱いた彼女の胸元へと落ちて来たのは、クロノの羽織っていた一着のコートだった。

 

 

〈それで前を隠せ。若い女が余り肌を晒すんじゃない。目に毒だ〉

 

「……随分と紳士的な対応だけど、若い女の身体を見てその反応って、随分枯れてるんじゃないかな」

 

〈ふん。死んだ女に操を立てているだけだよ〉

 

 

 哄笑と共に振るわれる魔刃の刃。闇の底から全てを無価値に変えんと振るわれる力を躱しながら、クロノはそんな念話を使用する。

 

 己の軽口に、同じく軽く言葉を返すその姿に、月村すずかは安堵を抱く。

 

 

〈その子達は任せる〉

 

「うん。任された」

 

 

 そんな彼女に子供達を任せると、精神を擦り減らす作業へと意識を向ける。

 絶殺の力と向き合いながら、クロノは廃棄区画の中心地で再び魔刃と踊りを続けるのであった。

 

 

 

 腐炎を纏った怪物が凄まじい速度で迫って来る。

 全てを無価値にする炎。それを常時燃やし続けてしまうナハトは、エリオと異なり一切の魔法を使用出来ない。

 

 故にその速力は雷光の如き彼に劣るであろう。

 魔力を爆発させて、その穴だらけの翼で飛翔する魔刃は、確かにクロノでも対応可能な速度しか持ち得ない。

 

 

「万象掌握」

 

 

 故に転移し続けるクロノを、魔刃は捉えられない。音速を超える速度で迫ろうと、戦域の絶対者を捕捉する事は敵わない。

 

 連続で転移しながらもクロノは、無数の建造物を転移させて弾丸の如くに放つ。歪みを纏った廃墟郡。その膨大な質量は、確かな脅威としてあるだろう。

 

 

「ククク、クハハハハハ」

 

 

 だが届かない。無価値の炎を超えられない。

 全身をくまなく覆う消滅の炎。魔法を使用出来なくなる対価に、その攻防力はエリオ・モンディアルの比ではない。

 

 全ての力は躱す価値がなく、触れるや否や無価値に腐って燃え堕ちる。

 此処に居る青年の歪みでは届かない。否、攻勢に特化した異能者であっても無価値の鎧を超えられないであろう。

 

 真実、この炎に抗えるのはトーマの毒のみ。他の者の力など、全て無価値に堕としてしまう。

 

 

「逃げてばかりじゃ芸がない。早く踊ろう。退屈させるな」

 

 

 燃え上がる腐炎に限界などはなく、それは悪魔にとって呼吸の如く自然体で生じる物。

 故に至近距離とは悪魔の絶対領域。如何に戦域を支配出来る歪み者であっても、その領域では抗えない。

 

 その手が届けば死ぬだろう。

 何も出来ず、一切抗えず、腐って燃えて死ぬだろう。

 

 悪魔は何も急ぐ事は無い。ゆっくりと近付いて触れれば、それだけで彼は勝利する。

 

 

「分かっているな。余りに無様が過ぎるようなら、怒りの余り如何にかなってしまうぞ」

 

 

 対して英雄に逃げ場はない。この悪魔がその気になれば、その瞬間にミッドチルダは腐炎に飲まれる。未だこの地が無事なのは、悪魔を興じさせるダンスパートナーが居るからに他ならない。

 

 

「そう逸るな。それなりに愉しめる相手だと自負しているんだ」

 

 

 己の力は通じず、この場から逃げ出す事は出来ない。

 敵は遥か格上。己は片腕。その身が放つ圧力に耐えるだけで精神を消耗し、呪服に縛られた自身は全力を発揮する事が出来ない。

 

 そんな絶対の窮地においても、管理局の英雄は嘘に塗れた笑みを絶やさずに語るのだ。

 

 

「だから、もっと愉しめよ。気狂い(ソドミー)

 

「はっ、はははっ! それまで虚飾でないと期待させてもらうぞ、嘘吐き(ライアー)

 

 

 迫り来る魔刃の刃を躱して、クロノは一気に距離を開く。

 それは間合いを外すとか、攻撃を躱すとか、そんなレベルではなかった。

 

 

「何?」

 

 

 これまでは短距離の移動しかしてこなかった敵手の暴挙。

 此処に来て初めて見せた長距離転移に、魔刃は思わず鼻白んだ。

 

 

「正気か? 逃げればミッドチルダごと焼くと言われた直後に」

 

「お前に狂人とは言われたくないな」

 

 

 その姿は空にあった。トーマ達が避難した小高い丘。その遥か上方へと転移したクロノは、残った片手で印を切る。

 

 元より彼の本領とは後方支援。後衛において複雑な術式を以って、敵を薙ぎ払う事こそその真価。

 

 ならばその距離とは逃げる為の物ではなく、反撃の為の一手であるのだ。

 

 

「昼にして夜。冬にして夏。戦争にして平和。飽食にして飢餓」

 

 

 空間支配。万物掌握。その力が空と大地に変化を生み出す。

 星の地形を自由に歪め、万物の構成物質さえ原子レベルで転移させられるクロノに、動かせない物などありはしない。

 

 

「火は土の死により、風は火の死により、水は風の死により、土は水の死による」

 

 

 片手で印を組み、歪みと御門の秘術を混ぜ合わせる彼の意志に従って、遥か上空の大気がその質を変化させる。

 

 その密度を変え、膨大な質量を伴って下降する。成層圏より落ちて来るダウンバースト。

 空気の操作によって極めて極小の場所へと降り注ぐそれは、マイクロバーストよりも遥かに重い。

 

 

「万物のロゴスは火であり、アルケーは水であれば、そに違いなどはなく四大に生じた物は四大に返る」

 

 

 同時に作り変えられる大地。廃棄区画は跡形もなく消え去り、火山の噴火口、溶岩の海へと変わっている。

 

 遥か上空より冷えた重い空気が落下し、それに押しやられる形で火山の熱を内包した空気が上昇気流となって吹き抜ける。

 

 その気圧差。呼吸さえも出来ぬ状況。

 歪みを伴った風は嵐となり、竜巻を生み出して魔刃を襲う。

 

 余りにも予想外な対応に一手遅れた魔刃では、最早この流転より逃れられはしないのだ。

 

 

「此処に――万物は流転する(ΤΑ ΠΑΝΤΑ ΡΕΙ)

 

 

 上昇気流は上空で冷やされ、ダウンバーストとして地に落ちる。そして作られた大気の壁の内側にて一瞬で熱されて再び上昇する。

 

 万物の流転は止まらない。その竜巻は消える事無く、無限に流転し敵を討つ。

 如何に無敵の守りを持つとは言え、その器は人間。ならば生存不可能な領域で、あれが生きられる道理はない。

 

 流転する万物の世界は、酸素さえない絶対の領域なのだから。

 

 

 

 局所的に起きる異常気象。

 それから目を離さずに、クロノは己の歪みで避難した皆の下へと転移した。

 

 

「やったの?」

 

「……いいや、こんな物は時間稼ぎさ」

 

 

 問い掛けるすずかに、しかしクロノは首を振って返す。

 

 正しく自然の猛威と呼べる現象。

 人の器にある限り、呼吸さえ出来ぬ状況に耐えられる道理もない。

 

 それでも、あの悪魔がこの程度で如何にか出来るとは思えなかった。

 

 

――主に大いなる祈祷を捧ぐ(ヘイメ・エタンツ)

 

 

 その懸念を確証に変える。そんな声が周囲に響く。

 

 

――エルアティ・ティエイプ・アジア・ハイン・テウ・ミノセル・アカドン・ヴァイヴァー・エイエ・エクセ・エルアー・ハイヴァー・カヴァフォット

 

 

 嵐の向こう。竜巻に飲まれた魔刃は、しかし自然の猛威を前に嗤っている。

 歪みと御門の秘術により、高位の歪み者ですら耐えられない領域で嗤っている。その腐炎の鎧は揺るがない。

 

 これでは足りぬぞ、と悪魔は笑みを浮かべて嗤っていた。

 

 

――アクセス。我がシン

 

 

 それは呪詛。奈落の深奥より悪魔の真なる力を振るう為の呪詛。

 

 

「アッシャー・イェツラー・ブリアー・アティルト――開けジュデッカッ!!」

 

 

 爆発するかの様に黒い炎が吹き上がる。

 それは闇のファイアウォール。高度数千メートルまでにある全てを焼き尽くす暗黒の火柱。

 あらゆる全てを腐滅させる呪わしき炎が、流転する万物全てを零に貶める。

 

 悪魔は殺せない。物質世界。王国にある力ではこれは倒せない。そんな事、彼は百も承知である。

 

 

「頭上注意だ」

 

 

 故にそれは所詮時間稼ぎ。彼が皆の下へ避難した理由は、己の力に巻き込まれない為。

 上空を焼き尽くす炎が消えた直後、その上空に現れるのは歪みを纏った巨大な凶星。

 

 

「計斗天墜。凶の果てに散れ、悪魔の王」

 

 

 吹き抜けた火柱が消えた直後に、空より計斗星が墜落する。

 膨大な力を消費した直後、生じた隙を逃さずに落ちた凶星は確かに魔刃に直撃する。

 

 ミッドチルダの空に轟音が響く。

 ミッドチルダの大地が大地震に揺れる。

 

 破壊の衝撃波は空気の壁に阻まれるが、間違いなく星に多大な影響が出たであろう。

 墜ちた凶星は火口へと変じた地形を大きく穿ち、巨大なクレーターを其処に作り上げる。

 

 何処までも何処までも深く大きな傷跡を、ミッドチルダと言う世界に残して――それでも魔刃は止まらない。

 

 

「クハハ、ハハハハハハハハッ!!」

 

 

 哄笑は止まらない。嗤い声が止む事は無い。

 大地に開いた巨大な穴。隕石落下の被害を外部に漏らさぬ様に、一点に集中して放たれた一撃。

 

 星を滅ぼすだけの一撃をその一身に受けて、それでも魔刃は嗤い続ける。深淵よりその翼で這い上がりながら、魔刃は狂った様に嗤っている。

 

 

「……結局、あの炎を超えない限り、魔刃を倒す事など出来んと言う事か」

 

 

 己の力では鎧を抜けない。力を行使して防御が疎かになっている状態ですら、隕石の直撃に耐えるあの鎧。それを超える術を、クロノ・ハラオウンは持ち得ない。

 

 そう。この場において、アレを超えられるのは唯一人だけだ。

 

 

「クロノさん! 俺もっ!」

 

 

 少年は言葉を紡ぐ。何かに突き動かされる様に、己が何とかしなくてはと口を開く。

 

 

「俺にも、俺のエクリプスならっ! アイツの炎だってっ!!」

 

 

 エクリプスの毒によって腐炎の鎧を破壊する。その直後にクロノが動けば、確かにあれに一撃を加える事は可能だ。

 その器は魔人の物であれ、あくまでも人間の範疇を遥かに超えている訳ではない。無価値の炎さえなければ、その身に絶対の守りなどはないのだから。

 

 

「……お前はいい」

 

 

 そんな少年の言葉に、しかしクロノは首を振る。

 お前は出て来るな、と確かに大人はその意志を見せていた。

 

 

「……そんなに役立たずですか、俺」

 

「そうだな」

 

「っ!!」

 

 

 あっさりと返される言葉。暴走の危険性が高い少年は、如何なる力を持っていようと足手纏いにしか成り得ない。

 

 そんな冷たい声音にトーマは震える。少年の内側に満たされる感情は、助かって良かったと言う安堵よりも、何も出来ない弱さに対する怒りと悔しさの方が強くなっていた。

 

 

「悔しいか?」

 

 

 男の言葉に、トーマは黙って頷く。

 そんな彼の頭を残った腕で不器用に撫でて口にした。

 

 

「なら良い。その想いを忘れなければ、お前は強くなれるだろうさ」

 

 

 トーマの頭を軽く撫でた後、その左手でデュランダルを手にする。

 白い和装の男は、後頭部で纏めた長い黒髪を風に棚引かせながら、圧倒的な強者の前へと一人立ち向かう。

 

 

「だから、今は大人に任せておけ」

 

 

 クロノはこの少年に感謝を抱いている。

 妹の凍てついた心を溶かす切っ掛けをくれた彼に確かな感謝を抱いているから、大人の背中を見せるのだ。

 

 

「勝機はあるのかな? クロノ君」

 

「ふん。愚問だな」

 

 

 先へと一歩踏み出したクロノに対する問い掛け、それを愚問と鼻で笑って答える。

 

 

「倒す事が出来ない事と、敗北はイコールじゃないんだよ」

 

 

 既に勝機は掴んでいる。

 後は、この策がなる瞬間を待つだけだ。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと踏み出したクロノの前に、悪魔と化した少年が姿を見せる。

 

 

「ほう。それは気になるな」

 

 

 彼の言葉に、面白いとその表情を歪ませる。それが真実ならば、何とも愉しい事になる。だからやってみせろ、と悪魔は期待を顔に浮かばせる。

 

 

「期待しているぞ、嘘吐きの英雄。君とのダンスは中々に愉しめているからね。もっと上があるならば、嗚呼、それは何と素敵だろうか」

 

 

 悪魔は余裕を揺るがすことは無く、唯見せて見ろと笑っている。

 そんな彼に向き合うクロノは、デュランダルの術式を起動しようとして、止めた。

 

 もうその必要がなくなったが故に。

 

 

「……どうやら、これまでの様だ」

 

「なに?」

 

「ダンスパーティは終わりと言う訳だよ、気狂い(ソドミー)。……あんな事を言ってすぐに、この流れでは閉まらんがね。この勝負、僕の勝ちだ」

 

 

 手にしたデバイスを仕舞い込む。

 既に決着が付いた状況で、クロノは確かに勝利を宣言した。

 

 

 

 その宣言と共に、宙に無数の影が現れる。転移魔法によって、即座に大部隊が展開されていく。

 それはL級。XV級。LS級。種々様々な次元航行艦。のみならず、無数に転移して来る船の中には戦争用に開発された物も存在している。

 

 

「僕を誰だと思っている?」

 

 

 空には複数のヘリ。地上には無数の装甲車。量産された戦闘機人達が武器を手に取り戦場に現れ、管理局の歪み者達もこの場に集って行く。

 

 

「僕はクロノ・ハラオウンだぞ? ミッドチルダにとっての、最後の命綱だぞ? それが戦う。その意味が本当に分かっていないのか?」

 

 

 アリサ・バニングス。

 ゼスト・グランガイツ。

 メガーヌ・アルピーノ。

 

 そして、高町なのは。

 

 そこに集ったのは、正しく管理局の全戦力。

 大天魔との戦いでもなければ揃わないレベルの総兵力が、魔刃を前に集結していた。

 

 

「詰まりだ。この星でもっとも消えてもらっては困る個人なんだよ。……そんな僕が格上と死力を尽くして戦っている。そんな事を知れば、管理局が動かない筈がないんだ」

 

 

 詰まりは全てが時間稼ぎ。

 

 万象流転も計斗天墜も、所詮は被害を大きくする事で気付かれやすくする為だけに展開された物。その広域破壊で、管理局の現場を動かす為の手札であった。

 

 クロノの不在に気付いて、魔刃との戦闘に気付いて、そして現場戦力が緊急対応で動いている事を知れば、上層部は動かざるを得ない。

 

 クロノ・ハラオウン救出の為に必ず大部隊を派遣する。

 故に彼の行動の全ては、全戦力を動かすまでの時間稼ぎであったのだ。

 

 

「クハッ、クハハハハハッ!」

 

 

 そんな男の勝利発言に、魔刃は堪えられないと笑みを浮かべた。

 これだけで勝つなど、余りにも己を過小評価し過ぎだろう、と。

 

 

「足りないぞ、嘘吐き(ライアー)。まるで足りない」

 

 

 燃え上がる黒き炎。昂り続ける無価値の炎は、管理局の全軍程度では止められない。

 

 

「俺を殺したければ、この十倍の質と百倍の量を持って来い」

 

 

 開くはジュデッカ。燃やし尽くすはメギドの炎。

 その圧倒的と言うのも生温い暴威を前に、ミッドチルダの全兵力などでは不足にも程がある。

 無限蛇最強の怪物は神格域の魔王であれば、そんな物では覆せないのだ。

 

 故にこそ。

 

 

「……だから、これが僕の切り札だと誰が言った?」

 

「なに?」

 

 

 これはクロノの策ではない。

 管理局全軍で迎え撃つ等と言う、力任せの策略などは彼の選択ではない。

 

 これはあくまでも、副次的に起こった事象に他ならないのだ。

 

 

「そら、もっと良く考えて見ろ。……僕が死ぬ事で、一番困るのは誰だと思っているんだ」

 

「……く、ククク。成程、そういう事か」

 

 

 その発言で、漸くに彼の真意を知る。彼が企んでいた内容の全てを理解する。彼の展開した策略の全容を確かに暴き切って――

 

 

「ああ、困った。……これは勝てない」

 

 

 悪魔は、あっさりと己の敗北を認めた。

 

 闇色の翼が消え失せる。濁った黒い魔力が、黄色の単色へと変化する。

 変質していた瞳の色が元に戻って、ナハトは闇に沈んだエリオの精神を表側へと引っ張り上げる。

 

 

「っ!? 何の心算だ、ナハト!!」

 

 

 唐突に表へと引き上げられたエリオは、現状を認識出来ずに戸惑う。

 闇に飲まれていたが故に何も知らない彼に、悪魔はニヤリと笑んで告げる。

 

 

〈いいや、何。痛いのは嫌いなんでね。……君が代わりに請け負ってくれ、相棒〉

 

「な――がっ、ああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 

 魂を焼き尽くすかの如き痛み。それに屈するかの様にエリオは膝を折る。

 

 悪魔を封印する為に、無数の魂の群体を分解する力。

 雷撃と言う形でその力を発する首輪を両手で抑え付けながら、少年は絶叫を上げていた。

 

 

 

 クロノ・ハラオウンの死亡を何より恐れるのは誰であろうか?

 

 管理局の前線で戦う彼らか? 成程然り、彼らも確かに命綱が消えるのは恐怖となるだろう。

 だが、彼らは元より命知らずな愚か者。英雄の死に嘆けど、それを恐れ絶望する様な者らではない。

 

 ならば守るべき臣民。ミッドチルダに生きる人々であろうか? 成程然り、彼らも確かに命綱が消えるのは恐怖となるだろう。

 作られた英雄。偽りの偶像とは言え、クロノに対する期待は本物だ。故にその死は彼らに絶望を齎すだろう。

 

 だが、だからと言ってそれで何かが変わる訳ではない。

 乱暴な言い方だが、所詮は力なき群衆だ。その意思は侮れないが、この場においては全く何の役にも立たないだろう。

 

 ならば戦友達か? 或いは求道の狂人か? いいや、否。

 

 

「……僕に死んでもらって、一番困るのは管理局の上層部なんだよ」

 

 

 人の価値は、その人個人の視点によって変わるであろう。

 求道の狂人や親友であり悪友な彼にとっては、不屈の少女こそ何に変え難い物である。

 最高評議会の脳味噌達にとっては蘇らんとする聖なる王であり、両面の鬼にとっては神に至れるであろう少年がそれに該当する。

 

 ならば、即物的な彼らにとっては誰であるか。

 管理局の上層部に巣くい、同時に無限蛇への出資者であるだろう彼らにとっては誰であるか。

 

 論ずるまでもない。己にとっての最後の命綱。クロノ・ハラオウンの死こそを彼らは恐れているのだ。

 

 それは単純な話だった。それは当たり前の回答だ。

 

 倒す事が出来ない怪物。止める事さえ不可能な悪魔。

 戦う事自体が間違いと言わざるを得ない怪物を如何にかしようとするならば、戦闘以外の分野で対処しなければならない。

 

 それを止める事の出来る人物が居るのだから、その飼い主と呼べる人物が居るのだから、そんな彼らが動かなければならない状況を作れば良いのだ。

 

 

「分かるか? お前達無限蛇のトップ。スポンサーが動かないといけない状況なんだよ。今の状況はな」

 

 

 無限蛇に管理局の上層部が関わっている事は、クロノも当然知っているのだ。

 一体何処まで上の人物が関わっているかは分からずとも、無限蛇の裏に管理局の権力者が居る事など分かっているのだ。

 

 故に、己を餌とする形で彼らを動かしたのだ。

 

 如何に無限の欲望が観測を望んだとて、彼より上位者が動けば魔刃を止めざるを得ない。

 当然の思考の帰結として、己が動いている姿を彼らが確認すれば、彼らは魔刃を止める為に動く。

 

 管理局全軍が動く程の大事にしてしまえば、彼らとて魔刃を止める様に動かなくてはならなくなるのだ。

 

 何よりも己の生を重要視する上層部の幹部も、管理局の戦力を無駄に傷付けたくはない最高評議会も、無限の欲望の身勝手な遊びには付き合えない。

 彼の持つ制御装置を使用する様に指示を出す。それは当然の思考である。

 

 そう。エリオの首に輪がある限り、魔刃はクロノ・ハラオウンを殺せない。

 

 

「がっああああああああああああっ!?」

 

 

 蹲って、忌々しい輪を引き千切らんと手を動かす少年。

 だが出来ない。不可能だ。奈落との繋がりを一時的に絶たれてしまえば、エリオにこれは壊せない。

 

 

〈ハハハッ、無様だなぁ、相棒〉

 

「ナハト、おまえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 己の全てを引き換えにしてでも奴を倒したい。

 そんな少年がその望みを果たせずに、もがき苦しむその姿を悪魔は内側より嘲笑う。

 

 元よりナハトは悪魔である。他者を苦しめるだけの存在だ。

 勝利が不可能だと悟った彼は、故にその悪意の矛先を変えたのだ。どうせ勝てないなら、今を愉しもうと開き直ったのだ。

 

 だからこそ悪魔は、全てを棚に上げてエリオを苦しめる言葉を囁く。

 

 

〈駄目だなぁ、相棒。怒りは己で晴らさなくては、憎悪は己で拭わなくては、復讐は自分で果たさなくては、嗚呼、そうでなくては駄目だろう?〉

 

 

 苦しみもがく己の相棒を内側より見下ろして、ナハトはニヤニヤと笑っている。

 その言葉は聞かずにはいられない。己の内側より響く声だ。どれ程に嫌がり、耳を塞ごうとも、聞こえて来るそれを聞かないと言う選択肢などありはしない。

 

 

〈悪魔に頼っちゃ駄目だぞ、無頼漢。自分のシンを貫けないから、そうして無様を晒すんだ〉

 

「っっっっっっっ!!」

 

 

 歯を食い縛って痛みに耐えるエリオは、その言葉に衝撃を受ける。

 嘲笑う悪魔の声に痛み以外の感情を見せてしまうのは、嘗て彼が語った言葉が故だろう。

 

 

――なあ、相棒。誰にも頼れないなんて、寂しい事は言うなよ。

 

 

 それはエリオが頼れる人は居ないと認識した時の事。己の内にある悪魔と、始めて会話した時の事だ。

 

 

――俺はお前の味方だ。お前に幾らでも力を貸してやる。だから、なあ、頼らないなんて寂しい台詞は必要ないだろう?

 

 

 それは悪魔の甘言。それは虚飾に満ちた言葉。

 そうだと知って、そうだと分かって、それでも拭えなかった甘い言葉。

 

 信用できないと分かって、信じてはいけないと理解して、それでも何処かでまるで兄の様に思ってしまっていた悪魔。

 極大の憎悪の元に、最後に縋ってしまったその言葉は――

 

 

〈何だ、相棒? あんな戯言を信じたのか? ……駄目だぞ、悪魔は嘘吐きなんだからな〉

 

「っっっっっっっっ!!」

 

 

 所詮悪魔が愉しむ為に語った嘘偽り。

 虚飾を司る悪魔の王は、あっさりと前言を翻す。

 

 そんな言葉一つで揺れ動く幼子の心を、極上の美酒の如くに味わうのだ。

 

 

 

 雨が降り始める。

 ぽつぽつと降り始めた雨は、そう時間を置かずに大雨に変わった。

 

 管理局員達は崩れ落ちたエリオを捕えようとはしていない。死に物狂いで暴走されればどうなるか、被害が予測できないが故に彼らは動けない。

 

 そんな彼らの過大評価に、エリオは自嘲する様に笑みを浮かべる。

 

 崩れ落ちた己では、もう何一つとして為せはしない。

 ナハトとの繋がりが妨害されている現状、痛みに耐えたとしても管理局全軍は相手に出来ない。

 

 こんな弱者な己では、彼らに打ち勝つ事など出来はしないのに、そんな己を恐れる彼らを暗く笑った。

 無価値の炎がなければ、エリオ・モンディアルはトーマ・ナカジマを殺せない。それ程に、己と言う存在は弱いと言うのに。

 

 

「……最悪の気分だ」

 

 

 項垂れたままに、エリオは静かに呟く。

 脱力したままの己に干渉する魔力を感じて、その転移魔法に抗う事無くされるがままでいる。

 

 

「本当に、最悪の気分だ」

 

 

 涙は零れない。濡れた地面は涙が故ではない。そんな事でこの心は挫けないのだ。

 そんな段階は当の昔に超えてしまっているから、そんな絶望など当に味わい続けて来たから、唯晴れない感情のままに飼い主の下へと回収される。

 

 

「……トーマ」

 

 

 消えていく少年は相克なる者を見る。

 視線を向けられた少年は、項垂れている彼を見た。

 

 赤い前髪に隠れた瞳を除くことは出来ず、其処に如何なる感情があるのか、トーマには分からない。

 

 

「君は、何時か僕が殺す」

 

 

 雨が地面を打つ中、掠れる様な声音だと言うのに、その声は確かに耳に届いた。その言葉だけが、確かにトーマの耳にこびり付いた。

 

 

 

 誰にも頼れない。誰にも救われない。誰にも受け入れられる事がない。そんな悪魔は、そうして闇夜と共に消え去っていった。

 

 

 

 

 




負け確したら全力で愉悦に走るナハトさんは悪魔の鏡。

そんな訳でVSエリオ一回戦終了。
首輪がある限り、エリオ君は管理局に甚大な被害を与える事が出来ないと言うお話でした。

無限蛇のスポンサーが管理局内に居る事は、聡い面子なら気付ける事。なのでクロノくんは彼らが動かないといけない状況を作ったという訳です。


サラッと練炭汚染されているトーマくんは次回にちゃんと触れます。



○愉しいスカさん一家構成図。
父:ジェイル・スカリエッティ。
母:ウーノ・スカリエッティ。
兄:ナハト=ベリアル。
妹:クアットロ=ベルゼバブ

こんな中に一人放り込まれるエリオ君。
確実にハートフル(ボッコ)な日常が待っている。





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