リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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副題 アオリスト集団参上


推奨BGM
1.Fallen Angel(Paradise Lost)
4.雲海を抜けて(リリカルなのは)


第四話 美しくも醜悪なる世界

1.

 列車の連結部が切り離され、重要貨物室を含めた後部車両は置き去りにされていく。

 あっという間に小さくなっていく少年の姿に、少女達が手を伸ばさんとするが死人の群れに阻まれて届かない。

 

 人一人が走り回れる程に広い貨物車両の只中で、少年達は相対する。

 

 トーマが眼前の敵を前に抱く感情は複雑だ。

 許せない。許してはいけない。認められない討つべき敵。

 

 だが怒りのままに動けない。憤りに身を任せて、冷静さを失ってしまう訳にはいかない。そうと分かっている。そうしなければと理解している。けれど――

 

 エリオの手にした血塗れの槍を見る。

 それだけで、この列車に居た人々を殺したのが誰であるのか分かってしまうから。

 

 

「エリオォォォォォォォォッ!!」

 

 

 拳を握り締め、深く踏み込む。

 振るう拳に籠るのは、義憤と怨恨が混ざり合った敵意の色。

 

 

「……隙だらけだ」

 

「がっ!?」

 

 

 だが届かない。あの日の如くに振るわれた拳は、あの日の如くに躱される。

 拳を躱して打ち込まれるは鋭い刺突。鋭利な刃は、トーマの血肉を引き裂いて――

 

 

「サンダーレイジ」

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 その身は雷に焼き尽くされた。

 

 

 

 一瞬の交錯。瞬く間もない程の短い攻防。結果は冷たい床に崩れる少年と、それを見下す悪魔の姿が物語っている。

 

 

「……あの日の焼き直しだね。結局、君は一人じゃ何も出来やしない」

 

 

 三年前と同じ光景。あの日も劣っていたのだから、こうして地に伏すのは至極当然の結末。

 崩れ落ちたトーマの頭を踏み付けて、エリオは見下しながら語る。

 

 

「言っただろう? 君の絆は弱さの同義語だ」

 

 

 その思考は揺るがない。

 

 

「確かに手を取り合えば強くなるのも、一つの事実なんだろうさ」

 

 

 嘗ての敗北。その結果を受け入れていない訳ではない。

 

 

「癪だが認めよう。あの日の僕を打ち破ったのは、確かに君の(つよさ)だった」

 

 

 確かにそんな強さもあるのだろう。己には決して得られない絆がある。

 

 

「けど、今の此処に誰がいる? さて、君を救える誰が居る? 誰もいないさ」

 

 

 だが、そんな無形の強さは状況によって失われてしまう脆さを持つ。

 誰かと一緒になら勝てる。その字義は、翻せば誰かと一緒に居なければ勝てないという物。

 

 

「一人で出来ない事も、皆と一緒なら。……そんな思考をしている時点で、一人では出来ないと諦めている。一人で出来る様になろうとせずに、誰かに頼ろうとしている限り、個の性能は上がらない。純度は下がるんだ」

 

 

 見下す少年と、這い蹲る少年。三年前と同じ光景だが、三年前とは大きな違いが存在する。

 

 片や内なる悪魔にすら頼らず、己の戦技のみを磨いてきた。

 片や友と共に、笑い合い、手を取り合い、絆を信じて前に進んできた。

 

 その三年の差は大きい。皆で共に戦うならば兎も角、こうして一騎打ちに持ち込まれてしまえば、その優劣は明らかである。

 

 

「さて、どうする? 助けを呼んでも、誰もここには来られない」

 

 

 それを認めさせる為に、態々この場を用意した。

 それを認めたからこそ、この様な場を用意したのだ。

 

 これは唯の私闘だ。無限蛇としての任務でもなければ、無限の欲望の戯れに付き合っている訳でもない。

 既に首輪のない少年が、態々彼らに従う必要などありはしない。

 

 

「僕は一人じゃ何もできない。誰かお願い助けてください。……そう震えて泣いて縋ってみる? その無様さが笑えるなら、嬲り殺しが即死に変わるかもしれないね」

 

 

 その笑みは宛ら夜風の如く。あの夜相見えた悪魔に近付いたエリオは、真実己の意思でこの惨状を作り上げている。

 最早、後戻り出来ぬ程にその身は深く堕ちている。

 

 

「っ! 舐めるなぁぁぁぁっ!!」

 

「……だから、遅すぎるんだよっ!!」

 

 

 その深度は強度と同義だ。未だ内にある感情を御せてもいないトーマでは、決して届きはしない域にある。

 

 

「がっ!?」

 

〈トーマ!!〉

 

 

 まるでボールの如く、その身が大きく蹴り飛ばされる。

 重要貨物室から蹴り飛ばされて、八両目の客室へと倒れ込んだ。

 

 

 

 そこで少年は、それを見た。

 

 

 

 

 

 トーマ・ナカジマと言う少年は、これで中々顔が広い。

 町中で言葉を交わした人物は数え切れぬ程であり、誰かの為に必死で動ける少年を慕う者も決して少なくはない。

 

 ならば、この可能性は十分にあり得た事なのだ。

 

 死体があった。山の如く、川の如く、余りにも多すぎる死が其処にあった。

 想像していなかった訳ではない。考えなかった筈がない。それでも、そうなるとは思ってすらいなかった。

 

 死体の山の中に、見知った顔が居るなんて、予想もしたくなかったのだ。

 

 

「……っ!」

 

 

 口元を抑える。腹を蹴り飛ばされて、知人の死を目の当たりにして、吐き気を催す。

 エクリプスによって無理矢理に治っていく身体と異なり、心の傷が増えていく。

 

 

「何だ。今にも吐きそうな顔をして、そんなに死体が珍しいか?」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤う。掻痒感を掻き立てる様な笑みを浮かべた宿敵は、こんなにも悍ましい。

 

 

「お前が、やったのか!」

 

「……何が?」

 

「この列車に乗っていた人達を殺したのか、って聞いてんだよ!」

 

「嗚呼、何だ。そんな事か」

 

 

 答えの分かり切った無意味な詰問。

 答えが分かっていて、その反応を嘲笑う無価値な悪魔。

 

 

「イクスの能力は死体がないと不便だからね。一応、欠片でも残っていれば操作できるらしいんだが……材料はたくさんあるんだから、下拵えしておいた方が良いと判断しただけだよ」

 

 

 そんな語りに意味などない。トーマの友好関係の全てを知っている彼が、その犠牲者達に気付かぬ筈がない。

 

 

「そんな、理由で……」

 

 

 全て分かって、それでいながら悪魔は悪魔らしく嗤うのだ。

 

 

「気にするなよ。重要な理由なんて要らない。どうせ生きているだけの無価値な塵だ。幾ら消えた所で、どうでもいい話だろう?」

 

「お前ぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 自制心も冷静さも、もう欠片も残っていない。その無様を諭してくれる師も、未熟を押し止め共に異なる方策を考えてくれる相棒もいない。

 故に、この結果は覆せない。幾度挑もうとも、その立ち位置は揺るがない。

 

 

 

 地面に倒れた少年は、悪魔の足元で無様を晒す。

 

 

 

 

 

2.

 山道に敷かれた線路を走り続けるリニアレール。

 置き去りにされた貨物車両で行われている蹂躙に、ティアナは歯噛みする。

 

 

(また、ミスった。……今度は訓練じゃなくて、実戦だって言うのにっ!)

 

 

 己の所為だ。自分の判断ミスだ。

 

 最悪の怪物の前に、相棒一人を突っ込ませてしまった。

 指揮官として、相棒として、致命的なまでの失策に拳を振るわせる。

 

 

「……ティアナさん」

 

「分かってるわ。落ち込んでいる場合じゃないって」

 

 

 己より幼い子が、自分よりも確かに現実を捉えている。その事実に思う所はあれ、そんな感情は後回しだ。

 自分の失敗で相棒を危機に晒している。ならば己の不始末は、己で尻拭いせねばならない。

 そうでなくば、少女は己が許せない。

 

 

(考えなさい。ティアナ。……どうせそれしか芸はないんだから、どうにかする方法を思い付きなさいよっ!)

 

 

 だが、その死人の群れを前に、少女達に一体何が出来ようか。

 

 一体一体ですら手に余るベルゼバブ。イクスを巻き込まぬ為に偽りの星光は使えずとも、攻防一体と言える強酸の体液は脅威である。

 

 そしてマリアージュは不滅である。傀儡師が其処に居る限り、彼女らが尽きる事はない。

 死力を賭しても一人を倒せるかどうか、だと言うのに相手は無尽蔵に存在するのだ。

 

 

(どうして、こんな時になっても、私の目には何も映らないのよ!!)

 

 

 不安定な歪みは当然の如く発動せず、右の視界は白く濁って見えなくなるだけ。

 幾ら思考を巡らせても、如何に発想を変えようとも、勝機などは欠片たりとも存在しない。

 

 正しく、これは絶望的な状況であった。

 

 マリアージュ達に慈悲はない。元より、そんな感情すら持たないであろう。

 人語を介するだけの頭脳はあっても、思考や感情と言った面では昆虫レベルしかない屍兵器。

 グラトニーと言う接種者を必ずベルゼバブに変える麻薬の影響を受けたとしても、その頭脳が強化される事はない。

 

 彼女達は不死身である事を理由に、指揮者であるイクスを守る以外に策略を立てよう等とは考えない。自身を上回れる可能性など予測もせずに行動する。

 

 

「ガリューっ!」

 

 

 体の一部を様々な武器に変化させて襲い来るマリアージュ。その行動は単調であれ、その性能があれば恐るべき圧へと変わる。

 

 唯一人で戦域を支えていた黒き昆虫も、遂に膝を屈する。

 即座にキャロが援護に入るが、強酸によって穂先の潰れた槍は先程の様な効果を見せず、マリアージュを僅かに揺るがせるだけで終わってしまう。

 

 その揺らぎの瞬間に、キャロとガリューは離脱する。

 だが、その損傷は大きい。ガリューの両手は見るも無残に焼け爛れ、キャロの槍はその穂先が完全に溶けてしまっている。

 

 対するマリアージュは一体が損傷した程度。その傷は決して深くはなく、軍勢の持つ力はまるで落ちていない。

 勝ち目がない。その事実を前に、どうしたら良いのか分からなくなる。

 

 追い詰められて、追い詰められて、追い詰められて――

 

 

「いい加減にしなさいよ!」

 

 

 ルーテシアが声を上げた。

 

 

「アンタの役目は何! ウジウジしてる暇があったら、ちゃんと指示を出しなさいよっ!」

 

 

 可愛い妹と、家族同然に育った召喚獣。二人の傷付く姿に、ルーテシアは怒っている。

 

 

「今は生き残らないと、でしょ! その方法だけ、考えなさいよっ!」

 

 

 倒す術を考える。どうすればリカバリー出来るか思考する。それは愚かな事だ。

 まず勝てないからこそ、トーマ一人を先に送るという小細工を弄したのだ。四人で挑んでも勝てない相手に、三人で勝つ方法などある筈がない。

 

 

「……チビッ子が、言うじゃないの」

 

 

 その事実を受け止めて、その叱咤を受け入れて、ティアナは深呼吸を一つした。

 血の臭いに満ちた客室で深呼吸をした結果気分が悪くなるが、それでも思考はすっきりする。

 

 

「キャロ、ガリュー。アンタ達、まだ動ける?」

 

「な、なんとか」

 

「…………」

 

 

 状況確認の声に、キャロは魔力光を槍型に変化させながら頷き、ガリューは傷の痛みに耐えながら静かに構えを取る事で意思を示した。

 

 まだ二人は戦える。勝利ではなく生き延びる事を目的とするならば、まだ出来る事は確かにある。

 

 

「ガリューをトーマのポジションに、後はいつも通りでやるわよ」

 

 

 ティアナの言葉に、ルーテシアは笑う。手間が掛かる指揮官だが、それでもその頭脳を信用しているのだ。

 腹を括れば、このリーダーは強いと知っている。だからこそ、少女の言葉に皆が頷いて構えを取った。

 

 

「時間を稼げば、何とかなる。此処にはあの人が居るんだから、それまで死ぬ気で耐えるわよ!」

 

 

 特別な策はない。特別な計略もない。

 何時もの訓練と同じ、強敵を前にフォーメーションで立ち向かう。

 

 

 

 光の槍が斬り裂く。黒き掌底が押し寄せる脅威を跳ね除ける。

 橙の弾丸が機先を制し、呼び出された虫が屍人の動きを制限する。

 

 戦線は拮抗していない。黒き虫の拳は少しずつ溶けていき、全霊で槍を形成する幼子の魔力は今にも底を尽きようとしている。

 

 じりじりと削られていく焦燥感。それでも、抗い続ければ如何にかなると信じて行動する。

 

 戦線は拮抗していない。だが、それでも僅かに押し留める事は出来ている。

 崖の先端で爪先立ちをする様に、何か少しでも外的要因があれば崩れ落ちる状況。それでも確かに時間稼ぎは出来ていた。

 

 

「成程、そうですか。……では、その様に」

 

 

 そんな中、傀儡師はぼんやりとした瞳で呟く。魔力反応はない。念話を使っている訳でもない。

 誰かと会話している様に見えても、それは自己の器の中で完結した対話だ。

 そうして内心の声に頷いた後、イクスヴェリアは抗い続けるティアナを見た。

 

 

「随分と酔っていますね。助けが来てくれるから、それまでの間なら、自分の頭脳なら、何とかなるとでも思っているのですか?」

 

 

 最初、彼女が何を言い出したのか、理解出来る者はいなかった。

 

 

「己になら出来る。これしかないから、これしかできないから、これだけは磨いたから、……けど残念。全く全然これっぽっちも届かないんですよね」

 

 

 突き刺すような言葉の嵐。染み込む様な思いの毒。

 傀儡師である女は、その奮闘は無価値に終わるだろうと此処に告げる。

 

 

「浅慮ですよ。短慮です。私達が、エースストライカーに対して何の対処もしていないとでも? そんな風に思考が浅いから、先ほども罠に掛かって無様を晒したのです」

 

 

 無表情のままに紡がれる誹謗。無感動のままに行われる中傷。標的となるのは、その視線を向ける先に居るオレンジの少女。

 

 

「分かりますか? 貴女の事ですよ。ティアナ・L・ハラオウン」

 

 

 掛けられた言葉に、ギリギリの状況で冷静さを保っていたティアナは動きを止めた。

 

 

「聞きたいですね。頭の良さを誇って、その策略を鼻に掛け、それで結局裏を掻かれて無様を晒す」

 

 

 その表情に愉悦はない。あくまでも機械的な指摘。

 

 

「力が足りない。補助も出来ない。頭の良さしか見る所がないのに、それすら役に立ちはしない」

 

 

 それは、ティアナが抱える鬱屈。彼女が飲み干せていない感情。それら全てを表に引き摺り出して、それを嘲笑う言葉の刃。

 

 

「子供に叱責される程に無様。役立たずの足手纏い。生きる価値のない虫けらさんは、一体今どういう気持ちなのでしょうか?」

 

「っ!」

 

「私は浅学なので、その辺が分からないのですよ」

 

 

 自覚があるからこそ、無視できない。

 己でも理解しているからこそ、その言葉を聞き流せない。

 

 

「ねぇ、教えて頂けませんか? ねぇ、ねぇ、ねぇ?」

 

 

 追い詰められた精神状況で、聞かされる侮辱と言う毒。

 震える手で、それでも指揮官で居なければと思考していたティアナはその嘲笑の言葉に無反応ではいられない。

 

 

「……だ、そうですよ」

 

「ふっざけろっ!」

 

 

 まるで伝聞の如く、おざなりに後付けされた言葉にティアナは激昂する。

 何かを考えるよりも前に、塗り込まれた毒を洗い流そうと武器を執った。

 

 

「駄目です! ティアナさん!」

 

「っ!?」

 

 

 その隙は、本当に一瞬に過ぎなかった。

 激情に駆られて動き出す前に、仲間達が止めようと声を掛ける事は出来た。

 

 されど全霊を以って拮抗している状況で、其処に欠片でも余分が加われば拮抗は崩れる。

 振り向いたキャロは吹き飛ばされ、負担の増大したガリューは崩れ落ち、前線に晒された後衛二人はその被害を一身に受ける。

 

 

「死に濡れろ――暴食の雨(グローインベル)

 

 

 無数のマリアージュが膨れ上がって破裂する。

 弾け飛んだ肉体は魂を穢す毒。その赤き滴は万象全てを溶かす雨。

 

 コンパートメントの客室内は、赤き血の海によって満たされた。

 

 

「……成程、確かに効率的ですね」

 

 

 少女達は崩れ落ち、一人残った傀儡師はそんな風に呟いた。

 

 

 

 

 

3.

「全く、学ばないね。バカの一つ覚えだ」

 

「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉっ!」

 

 

 幾度倒されただろうか。幾度傷付けられただろうか。

 何度となく地を舐め、再生して立ち上がる度に叩き潰される。

 

 それでも諦める事はなく、愚直に愚鈍に繰り返す。

 そんなトーマの姿に、無様だ、とエリオは小さく呟いた。

 

 

「結局、君は誰も救えない。それは無駄だ。その抗いは無価値だよ、トーマ」

 

 

 嗤う悪魔を前に、心が折れそうになる。

 それでも退く事が出来ないのは、これが余りに多くを奪うから。

 

 

「お前が奪ったこの人達にも、優しい日常はあった! 愛しい瞬間はあったんだ! その先には、確かな未来があった筈なのにっ!」

 

 

 失った人達を知っている。ごく普通の暖かな家庭だった。

 他に奪われた人達も居る。休日の山岳列車。其処には確かに、多くの人の笑顔があった筈なのだ。

 

 それを奪った悪魔に対し、怒りを耐えられる訳がない。

 だからこそ、何度でも何度でも、意味がないと分かっても拳を振るうのだ。

 

 

「……そんな物はなかったさ」

 

 

 そんな少年の正しい怒りを前に、悪魔は悪辣な笑みを浮かべたまま回答する。馬鹿みたいに真っ直ぐなまま、己に挑み続ける少年へと魔刃は告げる。

 

 

「お前もコイツ等も、皆薄っぺらい綺麗さの上に生きている。薄皮一枚剥げば、醜悪さしか見えない世界で蠢いている。犠牲者の上に享受している幸福など、所詮は欺瞞の類だよ」

 

 

 この世界は見苦しい。この世界は醜悪だ。

 このミッドチルダと言う世界は、知れば知る程にそう感じてしまう。

 

 大天魔と言う災害に抗う為に行われる非道。

 戦時中だから、そんな免罪符を盾に為された外道。

 

 それを為した者も、それの恩恵を受けた者も、全て同罪だ。

 

 

「っ! 欺瞞、だと!」

 

「ああ、欺瞞さ」

 

 

 犠牲者を知るからこそ、その裏にある奈落を知るからこそ、エリオ・モンディアルから見たミッドチルダとは欺瞞に満ちた世界でしかない。

 

 そう。その幸福は見苦しい。

 

 

「ふっざけるなぁぁぁぁっ!」

 

 

 けれどそれは魔刃の理屈だ。全てを知りながらも、当たり前の幸福を味わったことがないからこその理屈だ。

 トーマが見てきた世界とは、其処にあった事実とは、致命的なまでに食い違っている。

 

 

「其処にあったんだ! 其処にあった筈なんだよ! 優しい空気が存在して、美しい景色は其処にあった! ――それを欺瞞だなんて言わせない!!」

 

 

 その瞳が青く輝く。罅割れた殻の内側から零れ落ちた力が、その振るう拳に力を与える。

 

 ディバイドゼロ・エクリプス。

 全てを消滅させる世界の毒を纏った拳が、魔刃を討たんと振るわれる。

 

 

「……嗤わせる。それこそが何よりも欺瞞だろうにっ!」

 

 

 張り付いていた笑みが消えた。其処から除くは、阿修羅の如き憤怒の相。

 

 

「この地は無数の屍の上に成り立っている! 悍ましい地獄を、欺瞞で覆い隠した世界だ! それを美しいなどと、誰であろうと言わせはしない!!」

 

 

 高速で放たれた拳に合わせる様に、振るわれた槍がトーマの肘を打つ。世界を殺す毒も、当たらなければ意味がない。

 そうして弾き飛ばされたトーマに向けられるのは、魔刃の激情。

 

 魔刃は己が何故、これ程に激しているのか分からない。悪魔の影響によって、生きる理由すら見失ってしまった少年では永劫気付けない。

 

 それでも胸の奥が震える。(こころ)が震えるのだ。

 

 

「……僕らの怒りを、思い知れっ!」

 

 

 だから、そんな言葉が自然と口を吐いた。

 

 

 

 許せない。許せない。許せない。

 そんな理由も分からぬ激情に駆られて、エリオはトーマを圧倒する。

 

 

「……欺瞞、じゃない」

 

 

 その激情に気圧されながらも、その性能に蹂躙されながらも、トーマは己の意思を口にする。

 

 その激情に満たされた魔刃が、虚言を弄しているとは思えない。

 ならば確かに犠牲者達は居たのだろう。欺瞞だと、そう言われるだけの業をミッドチルダは重ねてきたのかも知れない。

 

 

「……誰かの犠牲の上にあったとしても、血が流れていたとしても、其処にあった美しさは、その優しさは、偽りなんかじゃ、ないんだ」

 

 

 それでも、その幸福は欺瞞でも、そこで紡がれていた優しさは欺瞞ではない。その美しさは決して、偽りなどではないのだ。

 

 

「お前は、ヴァイセンを焼いた」

 

 

 優しい世界は確かにあった。

 

 

「お前は、ルネッサさんを殺した」

 

 

 永遠に続いて欲しいと思う程に、美しい光景は手を伸ばした場所に確かにあった。

 

 

「誰かを傷つけるお前に、全てを無価値と嗤うお前に、その輝きを、否定なんかさせるかぁぁぁぁ!」

 

 

 それまでも否定するエリオに、トーマは負ける訳にはいかない。

 その美しさが真であると信じるからこそ、醜悪だと蔑む魔刃には負けられない。

 

 海の如き蒼を宿した瞳で、ボロボロのままに少年は立ち上がる。

 勝ち目があるから挑むのではない。負ける訳にはいかないから挑むのだ。

 

 

「……なら、君に教えてあげるよ」

 

 

 その瞳は忌々しい。その輝きは気に入らなかった。

 だからこそ、エリオはトーマの身体を苛め抜くのではなく、その心を壊す為に真実を語る。

 

 

「最大の欺瞞を。君の傍らにある醜悪な真実を」

 

 

 美しい光景しか見ていなかった少年に、その光景の中にある醜悪な物を教えてやろう。

 

 既にこの身は首輪から逃れた。槍と同じく腐炎に耐える特殊な金属。力尽くで外そうにも電流が邪魔をする。故に今まで、黒い首輪は外せなかった。

 

 だが監視の目が逸れた。その視線が緩んだ。その隙に、エリオは己の血肉を引き裂く事で首輪に隙間を作り上げた。

 そうして神経に癒着していた首輪の電流が直接流されない状態を作ると、()()の協力を得て無理矢理に引き千切ったのだ。

 

 この絞首痕は、憎むべき者らの齎した枷を破った証。誇りを以って見せられる傷痕。

 

 その傷痕が示す。最早彼らに従う必要もなければ、立てる義理さえ存在しない。

 故にエリオは、トーマの心を傷付けるであろうその事実を、あっさりと此処に明かした。

 

 

「僕らを作り上げたのは、僕やルネッサ、イクスと言った無限蛇の戦力を用意したのは、ジェイル・スカリエッティだ」

 

「……え?」

 

 

 思わず漏れた声は、余りにも場違いな物。

 

 

「僕ら無限蛇は、管理局の暗部だった。特殊な実験や、世情を操作する為に犯罪行為を行う管理局内の汚れ役だったのさ」

 

「……何を、言っているんだ?」

 

 

 分からない。分かりたくもない。身近に居た人が元凶の一人だった。誇りと共に所属していた組織が悪意に満ちていた。

 

 美しい世界で、楽しげに笑う人。己の命の恩人の一人である主治医。

 共に優しい空気を作り上げていた刹那が、何よりも憎むべき敵を作り上げていたなど信じたくもない。

 

 

「分からないか? トーマ。……僕は君と同じ、管理局員だったと名乗っているんだよ」

 

 

 この世界を守り続けていた組織。その戦列に加わって、戦場に出れる事に誇りを抱いた。

 だからこそ、その組織が醜悪であった事実など知りたくもない。

 

 

「っ! 嘘だっ!!」

 

 

 否定する。否定する。所詮は己を揺るがす為に、魔刃が嘘八百を並べているのであろうと否定する。

 

 

「本当さ。確かめたいなら、クロノ・ハラオウンやレジアス・ゲイズと言った識者共にでも聞くと良い。嗚呼、もしかしたら、そのデバイスが知っているかも知れないぞ?」

 

「……スティード」

 

〈トーマ〉

 

「嘘、だよな。コイツが、エリオが言ってる事は、全部、デタラメでっ!」

 

〈…………〉

 

 

 スティードは答えを返さない。主の問いかけに答えを返したいデバイスは、その問いかけが設定された禁則事項に当たる内容であるが為に、何一つとして言葉を伝えられずに機能を停止する。

 

 そんなデバイスの姿が、エリオの言葉が事実であると雄弁に告げていた。

 

 

「その認識の上で、もう一度口にしよう」

 

 

 信じていた物の崩壊。罅割れた殻の隙間から押し寄せる汚染。追い詰められた精神は、その言葉によって砕かれていく。

 

 

「君は誰も救えない」

 

 

 そう。トーマ・ナカジマは救えない。

 

 

「仮定の話さ。君が執着しているルネッサ・マグナス。あの女がもしも生き延びていたらと仮定しよう」

 

 

 ルネッサ・マグナスがもしも、エリオ・モンディアルによって殺されなければ、果たしてどうなっていたであろうか。

 

 

「君の手によって死から逃れられた彼女は、果たして何処に保護される? 問うまでもない。管理局だ」

 

 

 あの日のトーマに、他に頼れる場所などなかった。

 あの日のトーマが知る者らに、無限蛇の真実に辿り着いていた者はいなかった。

 

 故に当然の結果として、更生の余地がある犯罪者としてルネッサ・マグナスは捕らえられていたであろう。

 

 

「そう。彼女をあの状態にまで追い詰めた管理局に回収されるんだ」

 

 

 あの日、ルネッサは笑った。そうなると分かって、それでもやり直せると信じていた。

 気に病まないで、その想いはエリオに殺されずとも抱いたであろう彼女の気持ち。

 

 

「その後は、どうなるかな? 口封じの為に消されるか? 新たな実験の為に更に酷使させられたか? どちらにせよ、死んだ方がマシな目に会っていただろうさ」

 

 

 やり直せる筈などなかった。

 あの時点で、もう彼女は詰んでいたのだから。

 

 

「君の父親の部隊なら? 或いは英雄の部隊なら? いいや、それでも守り抜くなど不可能だ」

 

 

 ゲンヤ・ナカジマはあくまで陸士部隊の指揮官に過ぎない。より上位の者の命を前に、そう長く女を隠し通す事など出来なかったであろう。

 

 クロノ・ハラオウンは、今でこそ権力を手にしている。だがあの時点での彼は所詮は虜囚に過ぎない。

 守る事は愚か、彼女が隠れるだけの場所を提供する事さえ出来なかったであろう。

 

 

「結局、君は僕に踏み躙られずとも、救おうとした人を救えなかったのさ」

 

「…………」

 

 

 血塗れの傷に塩を塗り込む様に、エリオの言葉はトーマの心に深く刻まれる。

 

 

 

 抗う意思がない。立ち上がるだけの気力がない。

 奪われた現実。教えられた真実。聞かされたifが少年の心を圧し折った。

 

 

「今感じているのは困惑か? 不安か? 嘆きか? 嫌悪か? 怒りか? 諦観か? 絶望か?」

 

 

 罪悪の王は、何処か寂しげに反身を見下ろす。

 

 

「それが世界の真実だ」

 

 

 冷たい少年の声は、この世界の真実を此処に告げていた。

 

 

「悍ましき世界を嫌悪したまま、偽りの理想を抱えて命を終わらせろ。……それこそが、弱さ故に死んだ塵屑(ぎせいしゃ)の墓標に相応しい無価値さだ」

 

 

 膝を屈した少年の首筋目掛けて、魔刃はその刃を振り下ろす。

 

 

 

 

 

4.

 もう駄目だ。もう間に合わない。

 

 フォアード陣は無限蛇を前に敗れ去り、高町なのはは未だ封殺されている。

 足手纏いが居る限り、リミッターが付いた彼女では偽りの輝きを超えられない。

 

 足手纏いを見捨てるなど選べずに、だが新人達を見捨てる事も出来やしない。ならば、選ぶ選択など一つしか存在していない。

 

 

「クロノ君!」

 

〈ああ、分かっている〉

 

 

 緊急回線での呼び掛けに、即座に応えるクロノ局長。

 もうどうしようもない。そんな状況下で打つ一手。唯三度のみ許された一つを、此処に発動する。

 

 

限定(リミット)解除(リリース)!〉

 

 

 翠の光が球体を形成する。降り注ぐ偽りの星光は、極大の光によって吹き飛ばされた。

 

 

「待ってて、直ぐに行くからっ!」

 

 

 空中に立つは管理局の白き英雄。彼女がその真なる力を取り戻した今、屍人の兵など敵ではない。

 

 

「不撓不屈、全力全開!」

 

 

 嘗てよりも合一は進んでいる。その砲火は未だ終焉に殺される前の出力には届かずとも、偽りの星では掻き消せない。

 

 

「ブラストォォォッシュゥゥゥゥトッ!」

 

〈Blast Calamity〉

 

 

 生み出された魔力は宛ら太陽の如く、翠の輝きは屍人の群れを駆逐する。

 

 ベルゼバブの弱点は高魔力による非殺傷攻撃。それはマリアージュ=グラトニーも変わらない。

 崩れ落ちたマリアージュは、自爆すら出来ぬ様に一瞬で核を封印されていく。

 

 

「……まさか、マリアージュが」

 

「なのは、さん」

 

 

 驚愕に目を見開く冥王。師の輝きに照らし出されて震える弟子。

 そんな彼女らの思考が追い付く暇もなく、高町なのはは飛翔する。

 

 

「このまま一気に、終わらせるっ!」

 

「っ!?」

 

 

 狙うのは傀儡師。冥府の王イクスヴェリア。

 その身が生み出した新たな軍勢をあっさりと無力化し、流星の如くに女は迫る。

 

 

 

 キンと甲高い金属音と共に、杖と槍が交差した。

 

 

「舐めるなよ。エースオブエースッ!」

 

 

 トーマに止めを刺そうとしていた少年は、同胞の危機を前に即座に動きを変える。その凄まじい速度は、高町なのはですら見失いかける程。

 

 

「っ! ……この子、強いっ!」

 

「……ちっ、流石にエースは厄介だな」

 

 

 互いに交わした一撃から、双方の力量を正しく認識する。

 全力を出したなのはと、腐炎を封じているエリオ。その実力は正に拮抗していた。

 

 両者共に距離を取る。打ち合えば不利、そう感じたなのは。イクスを守る事を優先したエリオ。双方の思惑が重なり、距離は自然と大きくなる。

 

 

「済みません。エリオ。……しくじりました」

 

 

 腰を抱かれ、共に引き下がる少女は詫びる。

 

 彼にとって、過去を切り捨てる為に必要だった事。

 宿敵を倒して、初めて先に行けるのだと言う思考。

 

 その決着に水を差した不出来に、少女は頭を下げていた。

 

 

「まぁ、良いさ。……あんな雑魚。殺す機会は何時でもある」

 

 

 エリオは置き去りにされていく車両に残されたトーマを一瞥する。

 何時か殺す宿敵。されど最早脅威など感じない。あれは何時でも殺せるだろう。

 

 

「逃がすと、思ってるの!!」

 

「アンタこそ、追えると思わない事だ!」

 

 

 一瞬で無数の魔法を形成するなのは。そんな彼女に対して、エリオはどこか優しげな声音で最後の仲間の名を呼んだ。

 

 

「おいで、アギト!」

 

「よっしゃぁぁぁ! あたしの出番だな、兄貴!」

 

 

 客室から飛び出して来たのは、全長30センチ程度の小さな少女。

 ビキニの如き水着に悪魔の様な羽。赤い髪の少女こそは、古代ベルカのユニゾンデバイス。

 

 

人魔・融合(ユニゾン・イン)

 

 

 エリオとアギトがその手を合わせた瞬間、二つの影は一つとなる。

 

 

「古代ベルカの、ユニゾンデバイス!?」

 

「驚いている暇などないぞ」

 

 

 薄い金色に変化した髪と瞳。振るわれる槍は焔を纏って、全てを此処に蹂躙する。

 

 

『剣閃烈火っ! 火竜一閃っ!!』

 

「そんな大振りの攻撃じゃ――不味いっ!?」

 

 

 なのはは気付く。そのマルチタスクが示した答え。レリックと言う高魔力結晶体が存在する場所で、放たれた広域殲滅魔法はそのロストロギアをこそ狙っていた。

 

 エリオ・モンディアルはニヤリと笑う。その意図が分かって、それでもなのはは動かずにはいられない。

 

 見過ごせば死ぬ。なのはではなく、新人達が命を落とす。

 大爆発を起こすレリックは、この山岳地帯を地獄へと変えるだろう。

 

 

「っ! レイジングハート!!」

 

〈Eternal Coffin〉

 

 

 それを止める為に、慣れない氷結魔法を行使する。

 資質がなく、専用のデバイスもなく、適正を技巧で補って使用された魔法は確かにレリックとその周辺空間を凍結させた。

 

 

「さぁ、隙が出来たな」

 

 

 だが、同時に隙を生み出す。格下相手ならば兎も角、同格の敵を前にその隙は致命的な物であった。

 

 

『墜ちろ、エースオブエースッ!!』

 

「っ!?」

 

 

 槍が吸い込まれる様に、高町なのはの胴を貫く。

 ついで打ち込まれた蹴撃が、エースオブエースを地の底へと叩き落した。

 

 

 

 

 

 残されたのは無限蛇の三人と、崩れ落ちた新人達。

 

 

〈はっ、あたしと兄貴がユニゾンすればこんなもんだぜ〉

 

「……仕留めた、のですか?」

 

「いいや。あの程度で死ぬなら、管理局のエース足りえないさ」

 

 

 山の麓、そこで輝く翠の光を見下してエリオは語る。

 再演開幕。一度殺されたなのはは、山間の谷間で既に蘇生を終えていた。

 

 これ以上この場に留まれば、あの全力のエースと終わらぬ死闘を強要されるだろう。

 腐炎を使えば蘇生を無視して確実に殺せるが、それを使わない以上は泥沼にしかならない。

 

 そんな戦闘などエリオは望んではいないのだ。

 

 

「為すべきは為した。此処は退くとしよう。……もう僕たちは自由で、何時だって、何だって、望んだ事を望んだだけ出来るんだから」

 

 

 帰るべき場所はない。戻るべき場所もない。為すべき事もありはしない。

 

 

「さよならだ。トーマ」

 

 

 彼は唯の無頼漢。社会と言う枠組みに囚われる事はなく、何処までも自由に突き進む。

 

 

「何時か僕に殺されるその日まで、膝を抱えて震えていなよ」

 

 

 アギトと融合したまま、イクスを片手にエリオは去っていく。

 二度目の邂逅は、こうしてトーマの――機動六課の完全敗北に終わったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 




エリオ達の裏切り。
無限蛇は管理局に反旗を翻しました。


それに対する生みの親の一言。
スカさん「素晴らしいじゃないか! 私の予想を超えるなんて、なんて親孝行な息子なんだ!!」(マジキチスマイル)


飼い犬に手を噛まれたのに、スカさんは大喜びだったりします。




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