リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

77 / 153
サブタイの子は顔見せだけ。


第五話 白百合の乙女

1.

 古代遺産管理局の局長室。

 執務用の机に向かう青年は、事件の事後処理を行っていた。

 

 先の山岳レールウェイで起きた無限蛇による事件。

 遺産管理局が受けた被害確認と、現場で起きた出来事の理解。被害者の遺族への説明と助成金の手続き。

 これまで華々しく活躍していた新設組織のスキャンダルを騒ぎ立てようと集まる情報機関関係者への対応。

 

 彼が処理せねばならない問題は多くあり、その殆どを終えた今漸く一息を吐いて革張りの椅子に背を預けたのだった。

 

 

「……不幸中の幸いは、最高評議会も僕ら英雄の名を穢したくはなかった、と言う点か」

 

 

 作られた英雄によって士気を維持するミッドチルダ。

 その実質的な支配者である最高幹部達もまた、クロノの失脚を望んではいない。故にこそ、局長を騙るなどと言う敵対宣言をしても向こうは手出しをしてこないのだ。

 

 

「癪な話だが、僕ではこうも都合の良い事実を作り上げる事など出来なかっただろう」

 

 

 隠せない事実は明らかにしたまま、都合の悪い真実のみを隠し通すその手腕。それを貫き通せるだけの権力とコネクション。

 

 政治と言う分野において、自分は一歩も二歩も遅れを取っていると言う自覚がある。

 古代遺産管理局にとって最大の敵と言える彼らに助けられた事は確かに癪な話だが、元より毒杯を飲み干してでも為すべきを為すと誓った身だ。

 

 最高評議会への敵対心は一時的に仕舞込む。無限の欲望の行為を知りながらも身内に引き込んだのだ。今更、悪行が増えたとして、一体何を戸惑う必要があろうか。

 

 今は未だ必要だと認めよう。何れ覆すその日まで、何時かその毒に倒れる事を覚悟して、今はその毒杯を飲み干すのだ。

 

 

「……昔の自分が見たら、堕落だと詰るかもしれないがな」

 

 

 思えば、随分と遠くに来た物だ。鏡に映った己の姿に、そんな感慨を抱く。

 

 歪みを制限する室内では、白地の着物を着なくても良い。

 だと言うのに簡素な着流しを着ている自分。和装を着るのが自然になるほどに、この身に馴染んでしまっているのだ。

 そんな所にも変化は見て取れる。他にも探せば、色々と見つかるのであろう。

 

 そんな事を益体もなく考えていると、基地内の通信装置が電波の受信を感知する。

 クロノ・ハラオウンは片手で空間に投射されたモニタを操作すると、連絡を入れてきた女が口を開く前に彼女の名を呼んだ。

 

 

「月村か。六課メンバーの状況はどうだ?」

 

〈あ、うん。今の所、容体は安定しているよ。魔群の毒も、それが血による物なら血染花で対処出来るからね。……ティアナちゃんも後数日もすれば普通に動ける様になるわ〉

 

「……そうか」

 

 

 ほっとクロノは安堵の溜息を漏らす。略式とは言え報告を遮ってまで発言した内容。で、ありながらも直接的には聞いてこない男の様子にすずかは苦笑する。

 

 

〈って言っても、問題がない訳じゃないんだけどね〉

 

 

 そんな笑みを引き締めて、すずかは医療班の班長としての視点で問題点を語る。

 

 

〈トーマとティアナの、精神面でちょっと、ね。……ティアナの方は兎も角、トーマはかなり重症よ。適切な対処を見誤ると、此処で折れるかもしれない〉

 

「……スティードが撮影した記録映像は、こちらでも確認している」

 

 

 トーマとエリオ。二人の戦いの一部始終は見聞きしている。

 エリオがトーマに何を語り、それがどれ程にトーマを傷付けたのか。予測の域を出なくとも、その刻まれた傷の大きさは判断できた。

 

 

「その上で言うがな。現状では何もせん」

 

〈……見過ごす気? あの子の性格的に、ドツボに嵌りそうだけど〉

 

 

 あっさりとした発言をする上司の姿に、すずかは僅か眉根を寄せる。

 内々であれば無理に形式張った所作をせずとも良い。そう言われていた事もあって、すずかは言葉を飾らない。

 

 そんな己を責める発言に、クロノは気にした素振りも見せずに己の判断理由を明かす。

 

 

「スカリエッティの件は、奴本人の口から語って聞かせれば良い」

 

 

 何を想い、何を目指し、何の為に何を為したのか。

 他者が語るよりも、本人に全てを語らせた方が良い。その結果が納得出来る物でないとしても、本人同士に対話させる事に意味がある。

 

 どの道、何れ奴には全てを語らせる気であった。それが多少早くなっただけと言えよう。

 

 

「他の問題はな。……迷いや戸惑いなどは、休暇の一つでもくれてやれば解決する」

 

 

 ミッドチルダが綺麗と信じる子供に明かされた、薄汚れた真実。それを知った今、少年は迷いを抱いている。

 

 何の為に戦うのか、何を信じて戦うのか。

 だが、そんな物。態々教える必要などないのである。

 

 

「アイツの教えを受けた子供だ。何の為に戦うのか、既に知っている筈だ。なら、もう一度それと、肌で触れ合ってみれば自覚する」

 

 

 当たり前の平穏の中で、守る者を知ってきた筈だ。醜悪な真実に打ちのめされても、優しい現実がある限り、あの少年は立ち上がれると確信している。

 

 

「……最大の懸念は魔刃に対する執着だが、こちらはもうどうしようもない」

 

 

 魔刃に対する怒り。恨み。憎悪。敗北を機に得てしまったであろう劣等感や、勝ちたいという意思。

 そう言った物は、外野から働きかけをしたとしても揺るがす事など出来ないであろう。トーマ自身が向き合っていかなくてはいけない問題だ。

 

 だからこそ、クロノ・ハラオウンはトーマ・ナカジマに対して何もしないと語ったのだ。

 

 

「僕らに出来るのは、力を鍛えてやるくらい。……それ以外は、何もしないで良いのさ」

 

 

 トーマの事を軽んじている訳ではない。しっかりと考えた上での判断だと理解して、すずかは表情を和らげた。

 

 

〈……ティアナに対する判断も、それと同じくらい冷静に下せると良いんだけどね〉

 

「……どういう意味だ? 何故、笑う」

 

 

 最初にティアナの容態を報告した際の姿を思い出し、すずかはくすりと笑みを浮かべる。

 

 

〈何でもないよ。心配性なお兄ちゃん〉

 

 

 鋼鉄の如き意思しか見せぬ男よりも、人間らしさが見え隠れする方が好ましい。そんな風に月村すずかは思うのである。

 

 

 

 

 

「それで、今後はどう動くのかな?」

 

 

 話の流れを変える様に、すずかが問いかける。そんな露骨な話題逸らしに、クロノは目を半眼にしつつも「まぁ、良い」と口にしつつ答えた。

 

 

 

 そも、古代遺産管理局の設立理由とは何であるか。

 何れ訪れると予言された災厄。管理局の崩壊に際して、自由に動ける戦力を用意するのが一つ。その戦力こそが、機動六課。

 

 

「まずはバニングスを六課に合流させる。奴の追っている事件は、動物園の連中にでも任せておけば良い」

 

「……動物園って、確かに二人とも動物だけど」

 

 

 二つはその災厄の阻止。何故それが起きるのかを明かす事。

 

 予言に記されし反天使。

 魔刃。魔群。魔鏡。彼らこそが世界を滅ぼす。その先駆けとなる者達。

 

 身内に引き込んだ無限の欲望より無限蛇の実態を聞き出した時、“敵”は実際に破滅を起こす反天使から彼らの裏で糸を引く最高評議会へとシフトした。

 

 そんな管理局の裏に巣食う古き者共を排除する為にこそ、古代遺産管理局と言う大掛かりな組織を作り上げたのだ。

 

 

「機動部隊メンバーは今後、三人一組を厳守させる。無限蛇の連中と遭遇した場合でも、それである程度の対処は出来る筈だ」

 

「スターズが囮で、バーニングを本命として動かすと見て良いの?」

 

「場合によりけり、だな。……魔刃がトーマを狙う以上、スターズがそちらの対処に回る事は必然として多くなるだろう」

 

 

 だが破滅を齎す魔刃の裏切り、それが状況を変えた。

 既に最高評議会の指揮下にいない彼が、何を仕出かすのか分からない。

 

 故に有事に至るまでは囮である六課が、異なる意味を持つ。その裏で、魔群の痕跡から最高評議会を引き摺り出す場を用意しようとしていたアリサの役割も変わる。

 

 これまで通り、最高評議会を引き摺り出す術を探る事は必要だ。だがそれ以上に、無軌道に暴れまわるであろう魔刃に対する対処こそが重要となるのだ。

 

 

「……まあ、先ずはスカリエッティの奴が査問会から戻って来てからだな」

 

 

 最高評議会によって呼び出されたジェイル・スカリエッティ。彼がどの様な情報を持ち帰るかで、古代遺産管理局や機動六課の行動も変わってくるであろう。

 

 スカリエッティが裏切るとは考えない。あの男は裏切れない。

 

 ヴェロッサの思考捜査によって深層意識の底の底まで全てを明かされ、魔法によって幾つもの制約を課されているジェイル・スカリエッティ。

 彼は裏切る事は出来ないし、裏切るだけの理由も持たないのだ。

 

 クロノは椅子からゆっくりと上体を起こすと、悪友が淹れた珈琲に口を付けるのであった。

 

 

 

 

 

2.

 薄暗い地下室。うっすらと黄金色に輝く試験管の中に、浮かび上がるは剥き出しの脳髄。

 その三つの脳髄こそは、このミッドチルダを統べる管理局最高評議会。

 

 

〈一体、どういう心算だ! ジェイル・スカリエッティ!!〉

 

 

 彼らは呼び出しに応じて現れた白衣の狂人に、開口一番にその様な詰問を投げかけていた。

 

 

「はて、どういう心算、とは。皆目、検討が付きませんが」

 

 

 戯けた様子を隠さぬ道化。面従腹背の情を隠そうともしないスカリエッティ。

 どの道、隠した所で意味はない。最高評議会の傍らに膝を付く歪み者ら。精神を覗く透視能力が、内心の思い全てを明らかにしてしまう。

 

 どうせ分かるならば、隠す必要はないだろう。そんな彼の態度に、最高評議会は機械越しに声を荒げた。

 

 

〈戯けるな、道化! 山岳レールウェイズでの事件はやり過ぎだ!〉

 

〈計画では、機動六課に花を持たせる予定だった。魔刃の投入は早過ぎる〉

 

〈その上、エリオ・モンディアルの首輪が外れているのはどういう事だ!? 魔刃の恐るべき刃は、我らの手で完全に管理されていなければならない!〉

 

〈神の子の羽化の為に必要な試練であり、同時に我らが聖なる王が振るうべき刃こそが魔刃であろうに!〉

 

 

 口々に騒ぎ立てる老人達。現実が己の思い通りになると慢心している愚か者。

 

 未だスカリエッティが糸を引いている等と、余りにも楽観が過ぎる思考をしている彼らの姿に、スカリエッティは嘲笑を隠さない。

 

 

「……私は、何も知りませんとも」

 

〈何!?〉

 

 

 だからこそ、そんな的外れな者達に真実を語ろう。

 

 

「ですから、これはあの子の成果です。……無限蛇は、己の意思で我らを裏切ったのですよ」

 

 

 その言に偽りはない。その言は偽れない。

 他ならぬ最高評議会こそがそれを知るが故に、彼らは恐慌の如き醜態を晒す。

 

 

〈馬鹿な。そんな馬鹿な〉

 

〈貴様が糸を引いているのではないのか!? そうでなければ、どうして!?〉

 

 

 そんな姿に先の判断の一部を改める。彼らは楽観が過ぎるのではなく、現実を理解したくなかっただけだろう、と。

 

 スカリエッティにとっては踏み台に過ぎない魔刃も、彼らの視点で見れば自由に動かせる最高戦力だったのだから。

 

 

「さて、予測は出来ますが、確証はどこにもありません」

 

 

 古き世の支配者。未だ終わらぬ戦火より世界を救わんとする夢想家たち。

 

 

「ですが、今は嘆くよりも喜ぼうではありませんか」

 

 

 その為に肉体を捨て、脳髄に成り果ててでも守ろうとした嘗ての英雄。

 

 

〈貴様、何を〉

 

「あの子の成長を、ですよ」

 

 

 どれ程に長く生きても、彼らは唯の人なのだろう。

 

 

「魔刃は我らの思惑を超えたのです。その成長を、どうして喜ばずに居られますか!」

 

 

 どれ程に姿形が変わろうとも、彼らはあくまでも真っ当な人間なのだろう。

 

 

「良くぞ、この父の思惑を崩した。良くぞ、この父の予測を超えた。認めよう。見誤っていた。それが限界だと決めつけて、君の真価を間違って判断していた!」

 

 

 其処に信念があり、其処に意志があり、其処に誇りがあり、其処に愛があり、故に彼らは己の肉体が朽ち果てて尚戦い続ける事が出来た。

 

 

「素晴らしい! 最高だ! 我が愛し子よ! 君を作って、本当に良かった!」

 

 

 故にこそ――

 

 

「フフフ、フハハハハ、ハーハッハッハッハッ!!」

 

 

 スカリエッティの狂気に、彼らは付き合えない。

 

 

〈……こやつ、正気か〉

 

〈だが、嘘偽りは口に出来ん。スカリエッティには枷がある〉

 

〈ならば、真実、コヤツは関わっていないのか〉

 

 

 その在り様の悍ましさに、最高評議会は理解する。その破綻した思考に、歴戦の歪み者達でさえも内心を見続ける事が出来ずに目を逸らす。

 

 誰もが理解した。ジェイル・スカリエッティはイカれている。

 

 

〈なんという事だ。……なんという〉

 

〈魔刃が居なければ、もしこの瞬間に夜都賀波岐が来たとして、どう対処すれば良いと言うのだ〉

 

 

 彼らの嘆きは必然だ。彼らの余裕は、結界内で戦う限り魔刃が大天魔を圧倒できると言う事実から来ていた。

 それが彼らの手元から失われた今、最早其処に余裕などは欠片もない。

 

 

〈止むを得ん。計画を加速させよう〉

 

 

 故に最高評議会議長。今は名も失くしてしまった脳髄は決定を下す。

 

 

〈聖王陛下を目覚めさせ、一刻も早く、英雄達の下へと〉

 

 

 本来の計画を加速させる。一刻も早く、その目的へと至らねばならない。

 

 

〈公開意見陳述会にて予定していたレジアスの排除を先にせねば、クロノが力を持ち過ぎるのではないか? 唯でさえ、奴には手が出せん。奴もそれが分かって、こちらを利用している節がある。陛下を与えれば、奴の基盤はより盤石な物となってしまうぞ〉

 

〈それに、陛下の調整とて難航している。まだ完全なる聖王となり得ていないぞ〉

 

 

 議長の声に、残る二人は懸念を吐露する。

 

 クロノの反意は明らかであり、聖王を利用して教会と繋ぎを持たれたら最高評議会を引き摺り出せるだけの勢力になってしまう。

 

 聖なる王は未だ不完全。糧となるトーマ・ナカジマも完成しておらず、この状況で六課に預けたとしてどれ程に好転するかも分からない。

 

 

〈それでも、だ。為さねばならぬ〉

 

 

 そう。それでも為さねばならない。

 

 

〈魔刃と大結界。二つの要素が我らの切り札であった。だがその片方が失われた今、最早我らには一刻の猶予もないのだ〉

 

 

 聖王の完成を急がねばならない。

 英雄達の下で、彼らの全てを学習させねばならない。

 

 聖なる王は英雄達の下、人の輝きの何たるかを学び聖なる槍の正当なる所有者となる。

 神殺しの槍を持て神の雛を喰らい殺し、ゆりかごに乗って穢土夜都賀波岐を殲滅する。

 偉大なる神を弑逆した後、神座世界への路を開き極大の邪神を打ち破るのだ。

 

 残された座の残骸を回収出来れば、神座再生は可能だと判断している。

 彼の前史文明は科学力にて座を生み出したのだ。あれの本質はロストロギアである。

 

 ならば管理局の技術力を以ってすれば、目の前で高笑する狂人の頭脳があれば、劣化品であれ似た物を作り上げる事は不可能ではない。

 その果てに、永遠の理想郷は完成する。それこそが、最高評議会が目指す至高の天だ。

 

 

 

 

 

(全く、無知とは恐ろしい物だね)

 

 

 己に向けられていた読心の力が消えた事を理解して、狂騒を演じていたスカリエッティは思考を巡らせる。

 

 無知と嘲るのは目の前の脳髄の事ではない。

 無知の恐ろしさを実感するのは、己の記憶に空白が生じているがこそだ。

 

 

(私自身の記憶に空白がある。脳内にあった筈の情報が消去されている。こんな事が出来るのは、あの子くらいな物だろう)

 

 

 他者の脳に干渉し、その異能を写し取る鏡。反天使が最後の一つ。魔鏡アスタロス。

 魔法と科学と御門の技術。幾つもの守りを用意していたスカリエッティの記憶を一方的に消せる怪物など、アレを置いて他に居ない。

 

 

(詰まり、裏切ったのはエリオだけではないという事だろうねぇ)

 

 

 魔鏡に関する記憶が完全に消されている。

 誰が魔鏡であるのか、男か女かすらも、スカリエッティにはもう分からないのだ。

 

 製作者である彼がこの様だ。他に魔鏡の正体を知る者など、何処にもいないと言えるであろう。

 

 

「では、勝負と行こうか愛し子達よ」

 

 

 そんな己の子らの裏切りを、されどスカリエッティは満面の笑みで受け入れる。

 

 

「私の求道と、君達の輝き。どちらが勝つか、試してみるとしよう」

 

 

 己の為すべき事は変わらない。古代遺産管理局に必要な者らが揃っている現状、己の求道を貫くのに足りぬ物など一つもない。

 正義の味方の一人として、彼らを全力で支援しよう。

 

 反天使ら、愛し子の抗い。それを歓喜で以って受け入れる。

 もしも彼らが己の求道全てを乗り越えて見せるなら、その子は必ずや世界の頂点へと至るであろう。

 

 己の策略と彼らの意思。どちらが勝ろうとも、己の理想は己の最高傑作の手によって果たされるのだ。

 

 

「嗚呼、本当に……楽しみだ」

 

 

 状況は己の想定を超えている。だが既に条件は満たされた。嘗て打ってあった一手が効果を発揮する。

 

 

 

 未だ微睡む神の子が、目覚める時は近付いていた。

 

 

 

 

 

3.

 茶髪の少年が公園のベンチに座っている。

 黒いシャツに青のジーンズ。白いジャケットを羽織った少年だ。

 

 

「ねぇ、スティード」

 

 

 少年は紙袋を手に抱いて、首から掛かったデバイスへと言葉を掛ける。

 大人達の判断で危険はないと断じられたデバイスは、未だトーマの手元にある。

 

 与えられた休暇を公園で無為に過ごす少年は、されどその時間で大切な物を再認していた。

 

 

「僕にはさ。エリオが言った様に、この世界が醜悪だとは思えない」

 

〈トーマ〉

 

 

 何も持たず、着の身着のままでクラナガンを彷徨い歩いていた少年。彼が手にした紙袋の中身は、全てが街中で貰った物だ。

 

 どこか痛いの? そう問い掛けて来た子供が居た。

 元気出しなよ。そう笑いかけてくれる商店の店主が居た。

 何かあったのですかと、心配してくれる知り合いの姿が其処にあった。

 

 それはトーマが人一倍明るくて、普段から人助けばかりしているからかもしれない。

 だからこそ、彼らはそんなトーマが落ち込んでいる姿を見過ごせなかったのであろう。不安や戸惑いを抱えて暗くなる少年に、手を差し伸べてくれたのであろう。

 もしもトーマでなければ、ここまで親身にはしてくれなかったに違いない。

 

 けれど。

 

 

「汚い物じゃない。この優しさは、汚くなんかないだろう」

 

 

 痛いの痛いの飛んでいけと、そう小さな掌を動かす姿が醜い筈がない。

 これでも食べて元気を出せ、と林檎を大量にくれた豪快な店主の笑みが嘘偽りな筈はない。

 向けられる有形無形の思いの全てが、醜悪な筈あるものか。

 

 紙袋から取り出した林檎に噛り付く。口の中に、優しい味が広がった。

 

 

「……あるんだよ。やっぱり、此処にあるんだ」

 

 

 その爽快な甘さは、此処にある優しさに何処か似ている。そんな甘さを失くしたくはないと願っている。

 

 

「優しい刹那は、確かな温かさは、このミッドチルダに溢れている」

 

 

 漸く理解した。いいや、最初から知っていた。

 世界の真実がどれ程に悍ましくとも、今其処にある現実は美しいのであると。

 

 

「なくなって欲しくない。失いたくない。この綺麗さを、否定なんてさせたくない」

 

 

 永遠に続いて欲しいと切に願う。

 そんな美しさは、誰にだって否定させたくはない。

 

 

「……けど、僕は負けた」

 

 

 だが否定された。その言葉を覆す事が、己には出来なかった。

 

 

「アイツに、否定するアイツに、何も出来ずに負けた!」

 

 

 拳を握り締める。歯を食いしばる。荒れ狂う内心を此処に吐露する。

 

 

「偽りだって、嘲笑うアイツに! 醜悪だって見下すアイツに! エリオに僕は勝てなかった!!」

 

〈トーマ〉

 

 

 力の優劣が全てを定めるなどと語る心算はない。

 されど互いの論が交わらぬ時、その優劣を断じる要素になるのは確かな事実であろう。

 

 弱者の言に力はない。どれ程に美しいのだと声を立てようと、殺されてしまえばもう口は開けない。

 あっさりと潰されてしまう程に、トーマの言葉はまだ軽い。

 

 

「勝ちたい! 僕はアイツに、エリオに勝ちたい!」

 

 

 心に残った想いはそれ一つ。何もかもを見下したアイツに、認めさせるだけの力が欲しい。

 己の弱さを噛み締めて、トーマは嘆く様に声を漏らした。

 

 

 

 少年が内心を吐露して、どの程度の時間が経った後か。

 一分か、十分か、三十分か。或いは五秒にも満たない時であったか。

 

 暫し時間を空けた後、彼のデバイスであるスティードはトーマに言葉を掛けた。

 

 

〈力が、欲しいですか?〉

 

「え?」

 

 

 それは楽園の林檎に絡み付いた蛇の如き誘惑。

 スティードと言う機械に用意されていた。無限の欲望が仕込んだ一つの毒。

 

 

〈其処に行けば、貴方は力を手に入れる。其処には、貴方の為の剣がある〉

 

「……スティード?」

 

 

 真にトーマが力を望んだ時、その機構は動き出す。今トーマは、狂人の誘惑を躱せぬ程に追い詰められている。

 

 

〈それを得れば、貴方はもう誰にも負けない〉

 

 

 その声はまるで蜜の如く、まとわりついて染み込んでくる。

 

 

「……けど、それは」

 

 

 どこか違う。強く、強く、強く希求する中で、それでも何かが違うと踏み止まる。

 真面目に生きる師の姿が脳裏に浮かんで、毒を振り払おうとトーマは首を横に振る。

 

 そんな彼の抵抗は――

 

 

〈エリオ・モンディアルに勝利したくはありませんか?〉

 

「っ!」

 

 

 そんな一つの言葉で完膚無きまでに崩れ去った。

 

 

「……勝てる、のか」

 

 

 アイツに勝てるのか、そう問いかけるトーマにスティードは答える。

 

 

〈ええ、それを得た貴方に勝てる者など居はしない〉

 

「……僕は、勝てるのか」

 

 

 二度目の問いは唯の確認事項。それに対しスティードは、一つの座標を映し出す事で答えを返す。

 それは、トーマが得るべき力がある場所。

 

 

〈さあ、行きましょう。トーマ〉

 

 

 項垂れていた少年は顔を上げる。その瞳に宿る意思は、澄んだ色とは違っている。

 

 

白百合(リリィ)が貴方を待っている〉

 

 

 

 握り潰された林檎の残骸に蟻が群がる。

 この日、一人の少年がクラナガンから姿を消した。

 

 

 

 

 

4.

 一つの無人世界。野営用のテントの前で、小さな焚火を前に赤毛の少女は騒ぎ立てる。

 

 

「へっへー。やっぱ、あたしと兄貴が協力すれば、エースだろうがあんな物だぜ」

 

 

 何度目の繰り返しになるのか、自慢げに胸を張る手の平サイズの小人の言葉にイクスが相槌を打っている。

 

 彼女曰く、アギトの語りは楽しいらしい。

 

 言葉選びは稚拙だが、思わず笑みを浮かべてしまう様な愛らしい仕草。

 同じ事の繰り返しでも、目まぐるしく変わる表情は見ていて苦にはならないと言う話だ。

 

 少年にとって、その感覚はまるで理解が出来ない。

 可愛さだの、会話の楽しさだの、絆だの、まるで理解の範疇には存在していない。

 

 だが、それでも――

 

 

「あっ! 兄貴が笑ってる!」

 

 

 感じる物が確かにあるのは、事実であった。

 

 

「……僕は、笑っているのか?」

 

 

 アギトの指摘を受けて、エリオは目を丸くする。

 戸惑いを隠せぬ少年の態度に、もう一人の少女は優しげな笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

 

 

「ええ、優しい目をして、笑ってましたよ」

 

 

 言われて頬に手を当てる。緩んでいる様には感じられない。

 優しさなど、そんな感情は当の昔に忘れてしまった筈だった。

 

 

「なぁ、兄貴! 何処が面白かった!?」

 

 

 目を輝かせて、近付いてくる小人の少女。

 手を伸ばして握れば、それだけで潰れてしまう弱者は語る。

 

 

「兄貴ってばいっつもムスってしてるからな! 今みたいな笑顔浮かべてる方が、絶対に良いぜ!」

 

 

 そんな笑顔が好きだから笑わせたい。

 面白い話を出来るようになるから笑って欲しい。

 

 そんな風に笑う少女の姿は酷く眩しい。

 

 

「ええ、そうですね。……笑えるなら、笑った方が健全です」

 

「イクス」

 

 

 助けを求める様な視線に返されるのは、何処までも優しげな眼差し。

 

 

「罪深き私達は、何時か裁かれるのでしょう。……けれど、全力で生きた先の裁きなら、きっと」

 

「はっ、何言ってんのさ、イクス!」

 

 

 優しげに語る少女の言葉を遮り、烈火の剣精は腰に手を当てて自慢げに語る。

 

 

「兄貴は死なねぇよ。あたしがずっと守るんだからな!」

 

 

 そんな少女の姿に、胸が苦しくなる様な熱を感じるのだ。

 

 

 

 嗚呼、きっとこれは弱さだ。

 この暖かな物を失くしたくないと感じてしまうこれが、弱さでなくて何なのか。

 

 それでも、罪に塗れた己の願いが叶うならば――

 

 

「僕は」

 

 

 

 

 

 エリオの想いが、言葉になる事はなかった。

 

 

「遮って済みません、エリオ。……彼女から」

 

「……アイツか」

 

 

 浮かんだ微笑を消して、エリオは目を細める。

 

 

「あの女は、何と言っている?」

 

 

 イクスに対し何時でも言葉を掛ける事の出来る女。ベルゼバブとなってしまったイクスの生殺与奪を握る悪女。

 

 あの女は気に入らない。イクスの事がなければ、今直ぐにでも燃やしている。

 それが出来るだけの力はあり、それを為さないのはこんな暖かさに抱いてしまった弱さ故だ。

 

 

「白百合は彼の地に、神の子の手に渡る前に破壊せよ、と」

 

 

 あれは小物だ。己よりも優れた作品があるのが許せないと語る子悪党だ。

 魔刃の腐炎が怖くて、イクスを介さねば話し掛けてすらこれない弱者である。

 

 あの女がスカリエッティを裏切ったのは、自分こそが彼の最高傑作だと示す為。

 

 故にこそ、あの女が居る限りエリオはスカリエッティを殺しに行けない。それこそ、イクスヴェリアを見捨てれば話は別なのだろうが。

 

 やはりこれは弱さだな、と己の胸に宿った熱をエリオは嘲笑する。

 

 

「……行くのか、兄貴」

 

「何か不満があるか?」

 

「クアットロに従うってのも嫌だけどさ。それ以上に、……また殺すんだろ」

 

「うん。そうだね」

 

 

 あっさりと返された言葉に、アギトはどう答えようかと一瞬悩む。

 だが一瞬だ。結局自分は言葉を選べる程に器用ではないと思い直して、彼女は思いの丈を素直に口にした。

 

 

「……出来れば、兄貴に殺して欲しくねぇ」

 

 

 それはもう手遅れな言葉。

 

 

「研究員とか、あのイカレ野郎が作った物とか、不当な幸福を享受してる奴らなら兎も角、……あたしらみたいな被害者は見逃せないかな?」

 

 

 罪深き少年に、罪悪の王に、掛けるには遅すぎる言葉だ。

 

 

「…………」

 

 

 今更、そんなことに何の意味があるのか。

 罪人も、唯人も、例外なく殺し尽した。万を超える罪が一万と一に増えたとして、そこに違いなど見られまい。

 

 

「駄目、かな?」

 

 

 だが、そんなちっぽけな事で、こんなに沈み込んだ少女の顔が花開く様な笑みに変わるなら――

 

 

「別に構わないさ。……白百合以外は、見逃しても脅威にならないからね」

 

「兄貴!」

 

 

 飛び付いてくる少女を、エリオは優しく撫でるのである。

 

 

 

「イクス。君はどうする?」

 

「私は、そうですね。……この機会に、機動六課の戦力を削っておこうかと」

 

 

 付いてくるのか、と言う問い掛けに、イクスヴェリアは首を振る。

 これより先、機動六課の戦力は増強されていく。あの焔の女傑が合流すれば、先の戦い程容易には運べなくなるだろう。

 

 故に、最も落としやすいと判断した戦力を排除する為に、独自に動くと宣言した。

 

 

「それもクアットロの指示か?」

 

「……彼女の提案で、私の判断です」

 

 

 狙うは一人。己で確実に勝利出来る、そんな脆くて弱い一人の少女。

 

 

「無理はするなよ」

 

「ええ、勿論です」

 

 

 無理はしない。万が一にも倒される可能性など残さない。己は決めているのだから。

 

 

「私は貴方を見届けると決めている。その道に救いはあるのか、意味はあるのか、それを見るまで絶対に死にません」

 

「……そうか」

 

 

 誰よりも罪に塗れた彼の進む先に、一体何があると言うのか。それを見届ける迄、イクスヴェリアは生き抜くと決めたのだ。それが彼女の誓い。

 

 

 

 エリオはイクスに背を向けると、アギトの手を取り歩き出す。

 

 

「じゃあ、行こうか」

 

「おうよっ!」

 

 

 向かうは彼の地。クアットロが見つけ出した、スカリエッティの最高傑作の一つが眠る場所。

 高町なのはと同じく、最高の出来だと無限の欲望が語った白百合を壊すために、罪悪の王は己を慕う少女と共にその地を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鉱山の奥に作られた研究施設。其処の最奥に彼女は居る。

 

 十字架に掛けられた聖人の如く、白き衣を纏った少女。

 無数の鎖に縛られた少女は、夢の中で幾度も出会った少年の訪れを待ち続けている。

 

 積み重ねられた情は恋の如く、白百合の乙女は微睡みの中で彼を待つ。

 

 

 

 第二十三管理世界ルヴェラ。

 三度の邂逅はこの地にて――これより少年達の戦いは真に始まるのであろう。

 

 

 

 

 

 

 




そんな訳で実は全員裏切ってた反天使。ガバガバ過ぎるスカさんでした。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。