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1.血の縛鎖(リリカルなのは)
2.Fallen Angel(Paradise Lost)
3.Einherjal Rubedo(Dies irae)
1.
それは少し以前。古代遺産管理局の設立が発表される前の出来事。
伸びた黒髪を後頭部で束ねた青年と、白衣を纏った紫髪の男。二人の男が、局長室にて向かい合っていた。
「ふむ。反天使に施した実験内容を知りたい、と?」
狂人は問い返す。若さに逸る局長が口にした言葉。その意味を確認する様に、彼の言を反芻した。
「ああ、僕はお前を使うと決めたからな。知っておかねばならんだろう」
男を使う。そう決めた青年は、故に知らねばならない。
この男の悪行を、その為した行為を、その全てを知り、負わねばならない。
それがどれ程に悍ましいモノであったとしても、受け入れねばならないのだ。
クロノ・ハラオウンはそう思っている。悪を為した者を利用しようとするならば、その為した事を理解して背負わねばならない。
それこそが、犠牲になった人々への最低限の誠意であると思考していた。
「成程」
その言葉に込められた想い。それを感じ取った狂人は微笑む。
彼の言は若さの発露だ。既に終わった事柄に対し彼は責務の一切を持たず、知ったとしても何が変わると言う訳でもない。
根底にあるのは自己満足。青年は知らずとも良い事を、己の意志で知ろうとしている。背負わずして良い咎を、己の意志で背負おうとしている。
これが若さでなく何だと言うのか。
だが、そんな若さが好ましい。肉体を捨て暗闇の中に潜む彼らよりも、己の罪すら背負いきってみせようとする若造の方が遥かに好意に値する。
故にスカリエッティは、笑みを浮かべて口にした。
「……そうだね。丁度良い資料があるから準備をさせよう」
スカリエッティの指示に従ったウーノが一枚のディスクを取り出し、局長室内に展開された空間ディスプレイに映像が投射された。
それは、狂気の映像であった。
恐怖憎悪憤怒悲嘆苦悩失意諦観絶望。そんな感情に満ちた冒涜的な映像。
スカリエッティが為した実験の全て。その結果を記録した映像データが流されていく。
映像を背に狂人は語る。狂気と共に語るは、無限の欲望が為した悪行の僅か一片に過ぎぬ外道の所業。
語られる言葉の内容に悍ましさに、悲嘆が余りにも多過ぎる映像に、覚悟していた筈のクロノですら表情が青ざめていった。
それでも、青年は目を逸らさずに。そんな青年の姿を、狂人は是と受け止める。
「魔刃は二十七万の魂の群体。其処に夢界の廃神が混ざりあったモノ、か」
「そうだね。概ねその理解で間違っていない」
まず初めに見たのは、嘗て相見えた魔刃の真実。彼を構成する為に、多くの人間が材料として消費されていった姿を記録した映像。
それを確かに受け止めて、クロノは理解した事を口に出して伝える。
「……随分と気分が悪そうだが、続けるかね?」
「続けろ。僕の体調など気にするな」
にぃと笑みを浮かべるスカリエッティに対し、吐き気を堪えながらもクロノは告げる。
これはまだ一つ。反天使の数は三つ。この程度で折れる訳にはいかない。
映像越しに映る悲鳴や嘆きを目に焼き付けながら、クロノ・ハラオウンは先を促した。
「了解だ。……さて、次は魔群。クアットロについて話してみようか」
映像が切り替わる。第二の実験映像が、スクリーンに映し出されていく。
無限の欲望は、第二の堕天使に施した実験の内容を語り始めた。
「クアットロは魔刃の再現を求めて行われた実験の被験体だった」
素体として選ばれたのは、クアットロタイプと言う正式量産には至らなかった戦闘機人。
「無数に用意した戦闘機人。娘の一人にシンを植え付けて、ジュデッカと接続させる。彼女を選んだ理由は、クアットロタイプの適合率が一番高かった為だ」
彼女を選んだ理由に、特別な物などない。
エリオや高町なのはとは違い、本当の意味で幾らでも消費出来る戦闘機人。失敗しても幾らでも取返しが付く量産品。
その中で一番確率の高い者だから、成功率の低い第一次実験のモルモットとなった。それだけの理由しかなかったのだ。
「結果は、まあ言うまでもない。……失敗にしかならなかった訳だ」
接続には成功した。廃神は堕ちて来た。クアットロは魔群の器となった。
だが、それだけだったのだ。
魔刃程の強度はない。絶対的な力に欠ける。所詮は量産品の域を出ない。
元の素体の質の悪さも相まって、その性能は精々が優れた歪み者程度。
そんなモノ、己は望んでなどいなかった。
「故に私は思考した。廃神を宿したクアットロを、どの様に扱おうかと」
観測した。想定した。実験した。解体した。研究した。
廃神を宿した人間の性質。人間に宿った廃神の原理を解明する為に、器となったクアットロを解体して中身を暴き切った。
そうして反天使の性質を理解したスカリエッティは、一つの発想に至った。
そして一度思い付いてしまえば、それを我慢するなど彼に出来よう筈がなかったのだ。
「そのまま手駒にするのも良いが、それでは余りに面白みに欠けている。挑戦意欲と言う物がない。……故に、思い付いた発想を試してみる事にした」
奈落に眠る廃神たち。降ろす器との精神面での同調率の高さこそが、彼らの性能に影響する。
感情を凝縮させ該当する大罪を抱かせれば、より強い力を悪魔は現実世界で振るう事が出来るのだ。
奈落の悪魔とは、人の精神に依存した存在である。
それこそが、スカリエッティが実験の果てに得た回答。
「廃神。悪魔の王たちは、明確な自己と言う物が欠落している。コギト・エルゴ・スム。我思うが故に我ありと言う基本事項すら、悪魔と言う型である彼らには存在していない」
彼らは、人が想像した悪魔と言う型を取る。
人間が持つ信仰により己を高め、人の感情に呼応して出現する悪なるモノ共。
人間の持つ信仰により己を歪められ、人の感情に呼応しなければ現世に現れる事さえ出来ない亡霊達。
「魔群はその最たるモノ。己の名さえ無数に存在する、文字通りの群体であった」
それこそが、奈落の悪魔。べリアル。ベルゼバブ。アスタロス。ルシファー。
「ならばその群体の中に、一際強い個我を抱いた個体の精神を融合させた後、肉体を完全に破壊した場合、どうなると思う?」
彼らは人の感情を糧にするが、人の感情に左右される。
故に一滴の極まった個我が、無数の群体を汚染し尽くす事もあり得るやもしれない。
そう仮定したスカリエッティは、検証の為の実験を執り行った。
解明したそれらを踏まえた上で、何体目かになるクアットロを材料に実験を始めたのだ。
「結果は、私の予想通りであった」
重要となるのは素体の質。精神の強さだ。
唯の量産品には価値がない。植え付けた感情では意味がない。
「暴食のシンと同調させる為に、新たなクアットロを調整した」
故に己で感情を育める様に、新たに用意したクアットロには急速な成長をさせずに己の手で育て上げた。
「リンカーコアを植え付ける事で魂を芽生えさせてから、普通の娘が体験する様な一般的な愛を惜しみなく与えてあげたよ」
移植したリンカーコアが身体に馴染むように時間を掛けて、その魂が確かに少女のモノとなる様に愛情を注いで、ごく一般的な幸福を少女に与えた。
まるで幼い少女の夢の如くに優しい父親を演じ、白い家の中で暖かな家庭を演出した。
にこやかに笑い己を父と慕う娘に、彼女が望む在り様を返しながら、無限の欲望はその時を待ち続けた。
全ては、確固たる自我を与える為に。
全ては、与えたモノを奪い尽くす為に。
奪う為には与えねばならない。
奪う為に、感情を育めるように、適当な少女のリンカーコアを移植したクアットロを大切に育てあげたのだ。
「自我の確立。あの娘が正常に成長している事を確認してから――その器を加工した」
狂人の背後に映る映像が切り替わる。
花畑の中心にある赤い屋根の白い家。そんな場所で穏やかな生活を送っていた少女は、ある日気が付いたら暗い実験室の手術台に縛られていた。
「泣き喚くあの子に目的を語った。恐怖に震えるあの子に何をするかを伝えた。やめてと叫ぶあの子を、愛を以って破壊した。そう。私は確かに愛していた!」
其処には確かに愛があった。
目的の為とは言え、否、己が求道の為だからこそ、確かな愛が其処にあった。
狂人は確かな父性で少女を愛し、そして目的の為に愛した少女を愛したままに壊し尽す。
「脳に細工をして満腹中枢を切除し、摂食中枢の機能を増築した。何を食しても餓えは満たされない状態に変え、暴食する為に必要な部位を一年と言う時間を掛けて一つ一つ削り取っていった」
クアットロが同調したのは、暴食を冠すベルゼバブ。その力を高める為には、暴食のクウィンテセンスが必要となる。
だから愛する娘を、最大の愛を以って、常に餓えに苦しみ続ける様に加工した。
「最初は手を。次は歯を。舌を。食道を。胃を。腸を。一つ一つ機能を説明しながら削り落とした。勿論、死なない様に生命維持装置に繋いだまま」
愛しているからこそ、完成して欲しい。私の求道を、私の子供に叶えて欲しい。
そう狂った笑みを浮かべる父の姿に、クアットロの精神は完全に壊された。
「そして這う虫の王と同調させたまま、あの子を餓死させた」
そうして餓えたまま、クアットロは死んだ。
奈落と同調したまま飢え死にした娘は、最後の瞬間まで壊れた笑顔を浮かべていた。
――これで漸く、ドクターが望んだ最高傑作になれるのね
壊れた娘は、最期に父の愛に縋った。それしか縋るモノがなかったから、その狂愛に満たされる事を夢に見て――笑いながら餓えて死んだ。
「残った死骸は圧縮装置に掛けて磨り潰した。液状化するまで、ね」
墓標はない。死骸すら残しはしない。
砕いて液状化した死骸。その赤き血のスープこそが、エリクシルと言う麻薬の原材料。少女の残骸は、奈落へと繋がる門を万人の体内に作り上げるのだ。
「後は結果の確認の為に、ジュデッカへとアクセスする器を新たに用意するだけ」
それを飲ませた実験体は、壊れた笑みを浮かべる。
名も知らぬ実験材料の少女が浮かべたその笑みは、愛する娘のいまわの際の笑みに酷似していた。
――ただ今、戻りました。ドクター
毒の蕾が花開く。愛しい人に睦言を囁く様に、壊れた女は笑っていた。
「結果は予想通り。クアットロは這う虫の王となった訳だ」
満面の笑みを浮かべて、廃神となったクアットロは甦る。
奈落の底、コキュートスはトロメアから這い上がった娘は最早人ではなくなった。
「……あの娘が廃神を乗っ取ったのか、廃神があの娘の振りをしているのか。それは私にも分からないがねぇ」
無数の群体は殻を得た。女の残骸は力を得た。どちらにしても、然したる違いはないだろう。
そう。どちらにせよ――
「結局、あの娘は私の想定を超えられなかった。不死不滅の魔群は確かに強力だが、神殺しには程遠い」
魔群の性能は魔刃以下。結局其処までして、その程度にしかなれなかった。数年と言う月日を掛けても、その程度にしか至れなかったのだ。
それこそが、スカリエッティに反天使全てを失敗作と認識させた最大の要因。
偶発的に生まれた魔刃と言う例外を除いて、コストパフォーマンスが悪いのだ。
だからこそ戻って来たクアットロに対して、スカリエッティは何一つとして隠さずに告げた。
君は神殺しには至れぬ失敗作であった、と。
青褪めた青年の目が据わっている。
狂った外道は何一つとして変わらずに笑っている。
「貴様は愛を語りながら、それを為したのか」
「然り」
愛しているから、私の求道の為に壊れておくれ。
ジェイル・スカリエッティと言う外道が為したのは、そんな所業。
「貴様は愛に応えた娘に、そう告げたのか」
「然り」
狂気の愛に応えた娘に、期待値以下だと落胆を返した。
ジェイル・スカリエッティと言う外道は、当たり前の様に娘の想いを踏み躙った。
「貴様は、本当に娘を愛していたのか?」
「愛していた。今も愛しているとも。……私なりにね」
男は求道者だ。己の求道こそを優先する破綻者だ。
だが、それ以外に見えぬ訳ではない。それ以外を知らぬ訳ではないのだ。
「だが、愛しい娘ではあっても最高傑作ではない。ただ、それだけの話だよ」
唯、その求道を何よりも優先すると定めたから、何処までも狂った男は外道を為すのである。
胸糞悪い語りを聞き終わり、背をソファへと預けるクロノ。
血の気の失せた表情で溜息を吐く青年に対して、スカリエッティは提案した。
「さて、今日はこのくらいにしておくべきだろう。随分と顔色が悪いようだからねぇ」
笑う男の言葉は確かに気遣い。思いやりに属する感情であった。
其処に他意はない。最高評議会とは異なり、スカリエッティは彼らを全面的に支援すると決めている。ここでクロノが潰れるのは困るのだ。
それにスカリエッティ個人としても外道を為すより、彼らの様な者を見る方が気持ちが良い。
正義や愛と言った感情のままに進む英雄譚は好きなのだ。友人との友情を、本当に大切に思ってはいるのだ。
それでも彼が悪行を為すのは、それが最も効率的だからに他ならない。
それでも彼は己の求道にとってそれが有効だと理解すれば、如何なる外道も為すのである。
愛を知り、情を知り、正しさを理解して尊ぶ事が出来る。
そうでありながらも、それら全てよりも己の求道こそを優先してしまう。
それがジェイル・スカリエッティと言う狂人の真実である。
「……再認識したよ」
「何をだね?」
そんな狂人の歪さを、クロノは確かに理解する。
「決まっているだろう。お前の外道さと、そんなお前を利用する僕自身の無能さをさ」
この螺子が一本も二本も外れた狂人を使う意味を、その悪意を身に含む罪深さを。そうしなければならない。そんな己の無能さを理解する。
それが分かって、それでも利用するのであろう。
必要とあらば、その悪すら利用しようとする。清濁併せ呑んででも、目的を果たそうと言う意志が其処にある。
クロノと言う青年がそういう男だと分かっているからこそ、スカリエッティは歪んだ笑みを浮かべるのであった。
2.
空の色が見えない。無数の蝗が犇めき蠢き埋め尽くす。
其れは毒素。其れは病毒。妖気呪詛瘴気。
あらゆる悪性。大気中に満ちる有毒物質を凝縮し、餓えた暴食の具現たる餓鬼魂で染め上げられた悪なる虫共。
触れれば最期、その血肉は愚か魂までも汚染され人間性が崩壊する。霊の一片までも穢し落とすは魔群の眷属。
「っ! 鬱陶しい!」
紅蓮の炎が燃え盛る。無数の鉄火が猛威を振るう。
蝗の群れを焼き尽くさんと炎が荒れ狂い、無尽蔵に思える鉄火の雨は迫り来る悪なる獣を迎撃する。
だが、足りない。まるで足りていない。
一発の銃弾では、悪なる虫は倒せない。
燃え上がる炎であっても、それを焼き尽くすには数秒が掛かる。
アリサ・バニングスをしてなお、一匹倒すにも全霊を必要とする悪なる蟲共。
それが天を覆いつくさんとする数を以って襲い来るのだ。単純な話、圧倒的なまでに手数が足りていなかった。
「ウフフ、アハハ、アーッハハハハ!」
クアットロが嗤う。クアットロが嗤う。クアットロが嘲笑う。
偽神の牙。ゴグマゴグ。
魔群の最大兵装。その応用によって生まれるは無数の眷属達。
リミッターが掛かった状態のアリサを相手取るならば、最大火力の砲撃よりも悪性情報のままばら撒いた方が効率的だ。
そう判断したクアットロは、己の眷属達に女を蹂躙させる。
蟲が群れを成し、黒き竜巻となって飛来する。
燃え上がる炎に落とされ、無数の銃弾に叩き落とされ、それでも迎撃しきれない程の物量が二人を飲み干した。
「ぁぁぁぁっ!」
少女の叫び声が上がる。その身体が激しく震える。
脳が溶けるかの如き熱病。触れるだけで精神を犯す怪異。悪意の獣に触れた部分は醜く爛れ、張り付いた害虫が血肉を貪り喰らっていく。
あらゆる悪性の集合体に集られたティアナは、僅か一瞬で汚染された。
「ちぃっ! 小娘! 少し痛いけど、我慢しなさい!」
燃え上がる炎が、震えて蹲る少女を包み込む。
非殺傷の力で放たれる魔法は、悪性情報と言う魔力の集合体を焼き払う。
されど非殺傷の一撃では悪なる蟲共は殺し切れない。単純に威力が不足しているのだ。
故に一度では殺し切れず、二度三度と振るわれる事で漸く無数の蟲は焼け落ちていった。
当然、この状況下でそんな真似をすれば致命的な隙を晒す。
自分の守りを手薄にしてでも部下への対処を優先した女は、当然の如くその報いを受けた。
「っっっっっ!」
全身に纏った炎の温度が下がった瞬間に、蟲がその顎門を突き立てる。無数の蟲が血肉を貪りながら、女の肢体を凌辱し始めた。
歯噛みして耐える。足を踏み締めて耐える。
脳みそが溶けそうになる程の高熱。全身を襲う虚脱感。精神を蝕む悪意は、心の底にあらゆる負の感情を植え付ける。
悪性情報が齎すのが無数の病毒ならば、高密度魔力が齎すのは純粋なる破壊。物理的な衝撃を受けて、全身に傷を負っていく。
蟲は消えない。腐肉に集る蠅の如く、何時までも何時までも女の皮膚に纏わり付く。
その精神を凌辱しながら、その肉体を貪らんと蠢く。無数の蟲が血肉を食い散らしながら、その衣服の内側から入り込んでいく。
それはどれ程の嫌悪感か。どれ程の不快感か。
女にとっては、否、女でなくとも生理的な拒絶を抱く様な状況。
尊厳を貶める蹂躙をその身に受けながらも、しかしアリサはその意識を逸らさない。
「はぁぁぁぁっ!」
燃え上がる。想いの炎が燃え上がる。
熱量が足りないなら、純粋な総量を増やせば良い。
リミッターの有無など知ったことではない。小娘一人庇うくらいで、この炎が尽きはしないのだ。
「フレイムアイズっ!」
己を凌辱せんと奥へ奥へと迫って来る蟲を、己の衣服諸共に焼き払う。
燃え上がる殺傷設定の炎で己を焼きながら、デバイスを起動すると赤き鎧のバリアジャケットを展開した。
「今更バリアジャケット展開ですか~? ちょ~っと舐めすぎじゃないの~?」
剣を構え、炎の魔法で蟲を切り払うアリサをクアットロが嘲笑う。あっさりと苦境に陥った敵手の低性能を、馬鹿にする様に笑い続ける。
「温いとか小物とか言っておきながらぁ。そぉんな相手に追い詰められるなんて、実にお間抜けな話ですよねぇ~! ねぇ? 今、どんな気分? どんな気分なんですかぁ~?」
「うっさいわ!」
上空で嗤うクアットロへと鉄火を降らせる。
無数の銃弾が、彼女を撃ち抜かんと迫るが――
「うふふ~。そ~んな見え見えの攻撃じゃぁ、当たらないわよぉ」
あっさりと躱される。足手纏いを庇いながら、放つ攻撃など当たる道理がありはしない。そんなことは、アリサ自身分かっている。
「フレイムアイズッ!!」
故にこれは布石。一瞬の隙を作る為の弾幕。本命はその次だ。
足手纏いが居るから劣るなら、その守る隙を一瞬無くせば良い。視界を封じる弾幕の役割とはそれであり、続く本命こそが。
「フレイムスピナー!」
アリサが身を捻りながら飛び上がる。
弾幕によって視界を封じた隙に、振るわれた刃は焔を伴って蹂躙する。
即座に蟲が壁を生み出すが、その壁ごと焼き尽くさんと殺傷設定の炎が荒れ狂う。
空中で二度三度。駒の如く回転する刃が炎の渦を生み出して、魔群の群れをイクスヴェリアと言う器を、業火で焼いて地に落とした。
「あ~あ、燃えちゃった」
焼けて、焦げて、燃え落ちる。
殺傷設定の刃は純粋熱量を伴って、全てを焼き尽くす。
「で・も」
されど、これはベルゼバブ。その本体たる魔群が動かす傀儡だ。その血肉が、滅びる事などありはしない。
半身を焼かれた痛みをイクスヴェリアに押し付けて、クアットロはにぃと笑った。
「あっという間に元通りぃ~!」
ぐじゅぐじゅと音を立てて傷が塞がる。
焦げ堕ちた肉片の下には、新たな血肉が生まれている。
例え一瞬で肉体の九割を破壊されたとしても、一割残っていれば復元する。それこそが魔群の特徴。彼女の持つ不死性だ。
「ちっ」
思わず舌打ちをする。
非殺傷では蟲の群れを超えられず、殺傷設定では届いても直ぐに癒えてしまう。
純粋に殺し辛い。死に難さに特化したその能力は、余りにも対処が難しい代物であった。
「後方注意。よそ見は駄目よってねぇ」
そしてそんな思考の硬直は、致命的な隙になる。全力攻撃の直後は、どうしても守りが疎かとなってしまう。
守りが薄れた敵手。その背後には足手纏い。ならば悪辣なる魔群が、その瞬間を狙わぬ道理は何処にもない。
故にこれは当然の結果。必然が齎す結末だ。
「がっっっ!!」
魔群が狙ったのは、ティアナ・L・ハラオウンと言う少女。だが、反吐を吐き出したのは、狙われた少女ではなかった。
驚愕で目を丸くするティアナの前で、仁王の如くに立ち塞がっていた女の背中が崩れ落ちる。
ティアナと言う弱所を狙い続ける魔群の攻撃をその身で受け止めた女傑は、遂に膝を折るのであった。
「アハハ、アッハハハハッ!」
一度膝を付けばもう終わりだ。無数の蟲に際限などはなく、どれ程焼こうとその数が尽きる事はない。そんな海の砂より多い獣が、一斉に群がって来るのだ。
立ち上がる事すら出来なくなった女に、躱す術などある筈もない。
防護服が溶かされていく。魔力が汚染され、その瘴気に全身が侵されていく。
尊厳さえ凌辱する。霊の一片さえも穢し尽す。剣を支えに起き上がろうとする女は、見るも無残に変わっていった。
「良いわ。すっごく素敵。今の貴女、本当に無様で最高よぉ」
今にも倒れそうな程の疲弊。何一つ対処が出来ていない状況。
剣を支えに蹲る。崩れかけたバリアジャケットで最後の一線だけは守りながらも、立つことすら出来ていないアリサを魔群は嘲笑う。
笑い続ける己を睨み付けるしか出来ていない女を、心底から馬鹿にする様に見下す事で魔群は怒りの溜飲を下げていた。
「ねぇ、アリサちゃん。命乞いをしてくれない?」
そうしてクアットロは提案する。無様に地を這う事しか出来ていない女を傷付けながら、ニヤリと嗤って口にする。
「私は無様で、愚かだった。誰の役にも立てないのに、偉大なる魔群様に対して無礼な真似をしてしまった」
それは烈火の如き女の更なる無様を見たいが為の言葉。もうどうしようもないだろうと、勝利を確信したが故の提案。
「そ~んな風にぃ、頭を下げて媚を売ればぁ、助けてあげなくもないですよぉ?」
魔群は嗤う。魔群は嗤う。魔群は嗤う。
嗤いながら、言外に告げている。もうお前に勝機などはない、と。
「ああ、で・も。蟲姦はされてねぇ。処女膜ぶち破ってぇ、苗床にしてあげるぅ。お前がママになるんだよってさぁぁぁっ!」
それは揺るがぬ結論であろう。アリサ・バニングスでは魔群には届かない。
燃え上がる炎の女は既に死に体なのに対し、魔群クアットロは未だに無傷どころか疲弊すらしていない。
例えリミッターがなかったとしても、二割か三割か、その程度の勝率しかない。己の勝機は薄いのだと、アリサは確かに理解していた。
状況は絶望的である。
3.
人間の本質とは、追い詰められた時にこそ垣間見える。そう語る識者も居る。
ならばアリサ・バニングスと言う女の真価は、今この瞬間にこそ見えるのであろう。
「……はっ」
神経を逆撫でする女の声を耳にしながら、アリサは小さく鼻で笑う。
その提案を心底から馬鹿にしながら、小鹿の如く震える足を拳で叩いて気合を入れる。
「ほんっと、小物ね。三下が」
立てる道理がない。だから何だ。
立ち上がったとて、戦って勝つ術などない。だからどうした。
まだ己は切り札を切ってはいない。まだ全霊を見せてはいない。
否、そうではない。そんな物がなくとも、最期の瞬間まで心の炎は燃やし続けるのだ。
「やる事なす事全部が、とことん安っぽい」
秘部を隠す程度しか用を為していないバリアジャケットも、裸体に刻まれた火傷と害虫の傷痕も、己を嘲弄する魔群の悪意すらも、この炎を消し去るには届かない。
ならば、立ち上れぬのは嘘である。故に立ち上がったのは道理であった。
「アンタは温い。そんな温さで」
女は凄惨な姿なまま、腕を組んで立ち上がる。
純粋な意志の力で限界を超えた女傑の姿は、仁王の如く揺るぎはしない。
女は揺るがない。燃え上がる炎と共に、女は決して頭を垂れはしない。
この果てにあるのが見るも無残な末路であっても、決して覆せぬ敗北の果てに凌辱の限りを尽くされ心折れるとしても――
「この炎は、越えさせない!!」
今この瞬間に、挫ける理由などありはしない。
ならばこの胸を焦がし続ける炎は、この程度では消えはしないのだ。
「へぇ~。……まだ、そんなこと言っちゃうんだぁ」
燃え上がる炎が蟲を焼き尽くす中、クアットロは笑みを止める。
その顔に無表情の仮面を張り付けて、冷たい瞳で静かに呟いた。
「ほ~んと。不愉快」
気に入らない。この女は気に入らない。
否、女だけではない。クアットロはこの世界の全てが気に入らない。
「この世界には、私とドクターだけ居れば良い」
例外は父だけだ。それ以外など要らない。存在自体が気に食わない。
「ずっとずっと二人で居られれば、それだけで私は満足なのに」
願いはそれだけ。あの人に愛して欲しい。
あの人にずっと見ていて欲しい。頑張ったねと褒めて欲しい。
「それなのに、それなのに、それなのに、それなのにぃぃぃ!」
だが父は彼らを特別視する。自分と言う娘を失敗作と断じ、高町なのはこそを最高傑作と語る。
彼女と共にある機動六課に属する者達を、次世代の英雄と位置付けている。反天使よりも古代遺産管理局の面々をこそ選んだのだ。
「お前たちはどいつもこいつもぉぉぉ!」
それは彼の唯一つの欠点だ。偉大で完璧な父親の犯した、たった一つの間違いだ。
「ウザったいったら、程がないのよぉぉぉぉっ!!」
貴方が見るべきは私である。
私こそが貴方の願いを叶えるのだ。
断じて、コイツらではない。
それを分からせねばならない。それを分からせるのだ。
その為に無様な姿を晒させよう。
あの人が幻滅する程に、間違いだったと悟る様に、それ程に無様な姿を晒して見せよう。
クアットロ=ベルゼバブはその為の方法を考え付いて、暗い笑みを顔に張り付けた。
「……良いわ。その済ました顔、絶望に染めてやる」
激情を吐露した女は、一瞬で冷静になる。躁鬱病の如き症状は、精神の壊れた女が抱える欠落の一つ。
「今から、標的を変えま~す!」
そうして切り替わった言葉使いで、甘く囁く様にクアットロは己の発想を口にした。
「これから私はぁ、アリサちゃんじゃなくてぇ、ティアナちゃんでもなくてぇ、クラナガンの一般人だけを無差別に襲いまぁす!」
立ち上がったアリサの表情が凍る。震え続けるティアナの顔が青褪める。
「抵抗しない人間も、逃げ惑うだけの人間も、老若男女一切問わずぅ、全員無差別に惨殺してあげま~す!」
未だ尽きぬ蟲の群れは、海の砂よりも多い。たった一匹でも、死力を尽くさねば殺せぬ規格外。
それら全てが無差別に飛び散り、暴食の限りを尽くすのだ。ミッドチルダと言う惑星は、一晩と持たずに死の星と化すであろう。
「こうなったのもぉ、ぜ~んぶアンタの所為よ。クソ女」
アリサは立ち上がるだけで限界だ。もうこの怪異全てを相手取る余力は残っていない。
ティアナはそもそも抗うだけの意志が残っておらず、あったとしても抵抗の術など欠片も持たない。
ならばその被害の予想は、現実の物と化すであろう。
「どいつもこいつも皆殺しにしてやるから、そうなった後で精々後悔しろや!」
クアットロ=ベルゼバブはその瞬間を夢想して、歪んだ笑みで彼女らを嘲笑った。
無数の蟲が散り散りに飛んでいく。今の己に残された力は僅か。立ち続ける事すら難しい現状では、死力を尽くしても攻撃は一度出来るかどうかであろう。
たった一度の攻撃で、この悪なる蟲共を消し去る事など出来ない。
たった一度の機会を失えば、クラナガンは地獄と化すであろう。
「……他に手は、ないわね」
それでも為さねばならない。この一度で全てを終わらせねばならない。
最早退く事など出来ぬから、アリサはただ三度のみ許された切り札を此処で切った。
「ゲイズ中将!」
機動六課。古代遺産管理局の後見人が一人の名を呼ぶ。
突如発生した空を覆う蟲と言う異常事態に、状況を追っていたレジアス・ゲイズは即座に彼女の声に応えた。
〈……分かっておる。抜かるなよ。バニングス執務官!〉
男の言葉にアリサは声を返さず、唯頷きだけで己の意志を示す。
地上本部にてディスプレイ越しに現場を見ているレジアスは、そんな強気な娘の態度にふんと笑って指示を出した。
〈
「
レジアスの指揮の下、第二の限定解除が此処に行われる。
本来の力を取り戻したアリサ・バニングスは、炎の笑みを浮かべてその真価を此処に示す。
両足で確かに立つ女の背に、赤き魔法陣が浮かび上がる。
魔法陣より出現するのは、余りにも巨大過ぎる砲塔。鋼鉄の輝きを纏うは、全長47メートルという戦略兵器。80センチ列車砲二号機“ドーラ砲”を材料とした聖遺物。
「
砲身が狙うは蟲の群れ。周囲を巻き込まぬ為に、非殺傷にて砲撃を放つ。
魔力で構成された実体を持たない悪性情報ならば、非殺傷でも倒し得る。
だが放たれる砲火の力を非殺傷に変えているとは言え、その痛みまではなくせない。
一般人がそれに耐えられる訳もない。
故にアレらが降りて来る前に、戦いに決着をつけねばならないのだ。
状況的にも体力的にも、発動できるのはあと一撃のみ。
唯一発しか許されぬならば、その一発で全てを終わらせる。
「焼き尽くせぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
放たれた弾丸が空を飛翔する。
炸裂した弾丸は爆心地を作り上げ、燃え上がる炎が無限に広がり続ける。
アリサ・バニングスは全ての蟲を焼き尽くす事を望んだ。
故にこの爆発は、悪なる蟲共全てを焼き尽くすまで止まらない。
轟と大気が震え、地面が揺れる。
爆発は月を飲み干すのではないかと錯覚する程に膨れ上がって、空に蠢く何もかもを飲み干していった。
空に咲いた大輪の花が消える。
その後には悪なる蟲の群れも魔群の姿も、何一つとして残ってはいなかった。
スカさんは外道。クアットロは属性過多。アリサちゃんは男前。そんな今回でした。
リミッター解除は、これでクロすけとレジアス中将が使用済み。後はカリムさんしか使えません。
次回、トーマ対エリオ第三回戦。
リアル事情が忙しい中、加筆修正を加えるので時間は掛かると思います。