リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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まとめ回兼、次話への繋ぎ回。
書いてみたら想定よりかなり長くなりました。


推奨BGM
2.AHIH ASHR AHIH(Dies irae)
3.黄泉戸喫(神咒神威神楽)
4.Paradise Lost(PARADISE LOST)


第十三話 残された傷痕

1.

 一夜が明けた翌朝。古代遺産管理局の局長室にて、二人の男が向かい合っている。

 

 椅子に深く腰かけた男クロノ・ハラオウンは、渡された資料に目を通した後、その視線を対面に立つ男へと向けた。

 

 

「まずは、良く戻った。これだけの戦果があれば、如何様にでも動けるだろう」

 

 

 その労いの言葉。それを素直に受け取る事が出来ない長髪の男は、首を横に振って言葉を返す。

 

 

「……犠牲を出してしまった以上、僕たちは役を果たせたとは言えないでしょう」

 

「ユーノ、か」

 

 

 今回の作戦における唯一の犠牲者。

 古代遺産管理局設立以来の最大級の犠牲の一つ。

 

 己の親友の現状に、クロノの纏う空気も自然と重くなる。

 

 

「厳しい言い方だが、お前たちは犠牲を出す事も前提とした部隊だ。……それは、分かっているな」

 

「……ええ」

 

「なら、まずは受け止めろ。役割はしっかりと果たしている。アイツ一人の犠牲に対して、これだけのリターンを得たのならば、それは確かな戦果なんだ」

 

 

 それでも、彼は統率者としてそんな言葉を口にする。

 その拳を握り締めたまま語られる言葉に秘められた感情に気付いたからこそ、ヴェロッサ・アコースはそれ以上自責する事も出来なかった。

 

 

「……はい」

 

 

 常の飄々とした態度を見せる余裕もなくして、力なく頷く長髪の青年。

 そんな彼の様子を見て、クロノはそう気に病むなと言葉を重ねた。

 

 

「それに、アイツも一命は取り止めたんだろう?」

 

「……本当に、命だけはと言った所ですが」

 

 

 ユーノ・スクライア。

 機動零課の手によって回収された彼は、辛うじてその命を保っていた。

 

 

「意識不明の植物状態。徐々に衰弱が進んでいる事を思うと、一体何時まで持つ事か」

 

 

 だが、その有り様は余りに悲惨。

 全身の骨は圧し折れ、内臓が幾つも機能不全となっている。

 

 肺が潰れた結果、脳に酸素が送られなくなり脳死判定。

 辛うじて息を繋ぐ今は、呼吸さえも機械に頼った植物状態だ。

 

 

「……スカリエッティは、未だ戻らないのですか?」

 

「ああ、奴は未だ最高評議会に拘束されている。……こちらに戻るのは、当分先になるだろうな」

 

 

 あの狂気の研究者ならば、あの状態からでも治療出来るのではないか。そんな期待の籠ったヴェロッサの言葉に、クロノが返す。

 

 衰弱は徐々に悪化している。命運は今にも尽きようとしている。

 そしてこの組織で最も優れた頭脳を持つ人物は、今は席を外して戻らない。

 

 最悪と言っても良い状況。彼が失われる事を、誰もが半ば確定している事だと捉えていた。

 

 

「だが、そう案ずるな」

 

 

 ただ一人、クロノ・ハラオウンと言う男を除いて。

 

 

「医療に限れば、月村も多少見劣りする程度。奴が戻るまでの延命ならば、彼女にも可能だろうさ」

 

 

 状況は悪い。展望は開けていない。

 理屈で考えれば、ユーノ・スクライアには先がない。

 

 

「それに、ユーノ・スクライアだぞ?」

 

 

 それでも、男は信頼している。

 知っているのだ。確信している。

 

 アイツはこのままでは終わらない。

 

 そう信じる理由なんて唯一つ。

 確証なんて欠片もない。馬鹿な男の言葉と否定されるだろう理由。

 

 

「アイツの事だ。自分の惚れた女を泣かせたまま、死んでしまう事はないだろうさ」

 

 

 惚れた女を残して、アイツが死ぬ訳がない。

 そんな親友に対する、それが男の結論だった。

 

 それは安易な楽観論だ。現実逃避にも似た理想論だろう。

 そんな現実を見れていない、自己完結した理屈にもなっていない理屈である。

 

 それでも――

 

 

「信用、ですかね」

 

「信頼だよ。僕の親友は、そういう男だ」

 

 

 其処には信頼がある。其処には友情がある。

 

 故にこそ、彼はそう信じて揺るがない。

 悲しむ理由も、諦める理屈も、クロノ・ハラオウンには存在しないのだ。

 

 

「さて、話を戻すぞ」

 

 

 故に、彼が為すべきは唯一つ。

 親友が身体を張って得て来た戦果を、確かな形で生かす事。

 

 

「今回得た情報、最も重要なのは何だか分かっているか?」

 

「……完全なる人間(アダム・カドモン)、ですかね」

 

 

 彼がそう断じるのなら、気にし過ぎるのは彼らへの侮辱だ。

 そう思考したからこそ、ヴェロッサは感情を押し殺して話を合わせた。

 

 

 

 完全なる人間(アダム・カドモン)

 極秘研究所に残された情報より読み取った、その存在こそが最高評議会が企む策の根幹を為す存在。

 

 

「甦る聖王。槍の担い手たる聖餐杯。……それは即ち、反天使と対を為す、原罪なき熾天使」

 

「ヴィヴィオ・バニングスこそが、最高評議会のアキレス腱だ」

 

 

 天使とは罪を持たぬが故に、天国への門を開ける存在。

 王冠(ツォアル)と言う座への道を切り開き、世界に福音を齎す者。

 

 即ち、生まれついてより座と繋がった存在。

 神の御使いとは、穢土夜都賀波岐と同じく神の欠片の一つである。

 

 

「最高評議会は反天使に夜都賀波岐の足止めをさせている間に、完全なる人間の手によって、神を直接討つ心算だったようですね」

 

 

 遥か嘗て失われた技術より再現された純粋無垢なる存在は、最初から神と繋がっている。

 故に、天使は望めば何時でも座に至れる。その妨害が出来るのは、同じく同調可能な大天魔のみである。

 

 

「天使は何時でも神の座に至れる。そして今の消耗した神ならば、黄金の槍で確実に滅ぼせる。勝算自体は結構高かったようですよ」

 

「……反天使の裏切りさえなければ、な」

 

 

 故に管理局最高評議会が求めたのは、聖王の完成と大天魔を封殺出来るだけの戦力。

 完成を進める為の糧こそが英雄達であり、そして大天魔を相手取る剣と盾こそが反天使であった。

 

 だが、その想定も反天使の裏切りによって水泡に帰した。

 下位の大天魔なら足止め出来る魔群や魔鏡ならば兎も角、両翼相手に時間稼ぎが可能な魔刃の喪失は痛過ぎたのだ。

 

 故に最高評議会は、手段を選ばずに代替案を求めている。

 古代遺産管理局がどれ程に挑発行為を重ねようとも、明確な妨害行為に出ないのはそれ故だった。

 

 

「反天使が使えなくなった今、彼らはその役割を僕らに果たさせようとしている」

 

「同時に聖王陛下を未完成のまま僕らに預ける事で、更に高次元へと至らせようとしている訳ですか。……こちらには、トーマ君が居る訳ですしね」

 

 

 両翼を相手取れるであろう太極の男女。

 残る大天魔に対するは、機動六課のエース達。

 

 彼らに反天使の代わりをさせる事。

 そして神に至る少年を取り込ませる事で、ヴィヴィオを神へと至らせる事。

 

 それこそが、最高評議会の企みの全てであった。

 

 

「ヴィヴィオ・バニングス、か」

 

 

 そんな薄汚い大人の理屈に巻き込まれる。罪なき少女の事を思う。

 

 

「……確かに、あの子は天使と呼べるくらいには愛らしい子だけどね」

 

「おや、何かあったのですか?」

 

「ああ、お前たちが居ない間に少し、な。……あの子達の気分転換も兼ねて、歓迎会の様な物を行ったのさ」

 

 

 重苦しい空気を払拭するかの様に、何処か悪戯めいた表情でクロノは口にする。

 

 

「中々に楽しめたぞ。BINGOゲームの賞品が何時の間にか、ヴィヴィオがほっぺにキスする事になっていて、それを知ったアリサが暴れ出す、とか言うトラブルもあったがね」

 

「頬の火傷はそれが故、ですか。……微笑ましい話だね」

 

 

 誰の仕業だ、と烈火の如く怒り出す女の表情が目に浮かぶ。

 そんな風に笑って、ヴェロッサは敬語を崩した。

 

 

「天使の口付けを貰った羨ましい人物は、一体誰かな?」

 

「ふっ、何故僕がこんなに火傷を負っていると思っている」

 

「成程、ま、燃やされても仕方がないくらいには、幸運だったんじゃないかな?」

 

 

 そんな風に馬鹿な話で軽く笑って、空気を切り替えた男達は真剣な表情に戻る。

 

 

「ま、そんな下らない日常を重ねてる訳だ。……下らないけど、確かに大切な時間だった。士気は確かに上がっただろうさ」

 

 

 悲喜交々に、馬鹿げた日常を続けていく。

 何処か微笑ましく、何処か温かく、そんな日常が其処にある。

 

 

「ああいう子供は、そんな日常の中で生きるべきだ。天使だか聖餐杯だか知らんが、大人の都合であの子の未来を変えて良い訳がない」

 

 

 だから、唯の子供は其処で生きるべきなのだ。

 少なくとも、大人の勝手な事情で振り回してはいけないのだ。

 

 

「なら」

 

「ああ、潰すぞ。その目論見」

 

 

 故に、最高評議会の企みは看過出来ない。

 改めて、彼らは倒すべき敵なのだと結論付けた。

 

 

 

 

 

 そして、残る問題は唯一つ。

 

 

「……それで、そっちはそうするとして。こっちはどうするんだい?」

 

「最高評議会の悪事、か」

 

 

 最高評議会の悪事。

 明かされた悪意は、余りにも膨大過ぎる量。

 

 

「全てを公開すれば」

 

「暴動程度で済めば、良い方じゃないかい?」

 

「だな。流石にそれは出来ん」

 

 

 全てを唯語ったならば、それは秩序の崩壊を意味する。

 

 隣人や友人。恋人や家族が何時の間にか偽物と入れ替えられていた。

 管理世界に住む為に義務付けられている健康診断で、採取された血液などが違法研究に使用されていた。

 

 そんな情報の中には取返しの付かない物は多くあり、知られただけで社会が崩壊する火種に溢れている。

 

 仮初であっても、ミッドチルダには平穏と幸福があった。

 その本質が醜悪な世界であっても、その表層は何処までも美麗な世界であった。

 

 ならば、それを崩壊させてしまう真実を語る事は、決して出来はしないのだ。

 

 

「なら、こっちに都合の良い情報だけを、歪めてばら撒くのが効果的なんだろうが」

 

 

 彼ら騙されていた民を更に欺く。否、欺く訳ではなく語らないだけ。

 そうすれば必然、状況は自分達に都合よく動く。民の愁嘆すらも利用すれば、後の世を目指す事は余りにも容易くなるだろう。

 

 そんな打算塗れの発想が浮かんできて――

 

 

――お前たちは、善であれ。

 

 

 だからこそ、彼女はその言葉を今になって伝えたのだと理解した。

 

 

「僕たちは、何を求めてきた?」

 

 

 忘れるなと言われたのは、始まりに抱いた願い。

 

 

「何の為に、守ると誓ったんだ?」

 

 

 背に負った荷物の重さではなく、胸に抱いた最初の願いによって行く道を定めると言うならば――

 

 

「決まっている。今其処にある現実を、明日に繋ぐ為にこの道を選んだんだ」

 

 

 選ぶべき道は、決まっている。

 

 

「ロッサ。情報部と広報部を動かすぞ」

 

 

 この今を守る為に、全てを語る事は選べない。

 この意志を守る為に、全てを隠す道は選べない。

 

 

「情報を再び精査して、社会的な影響度に分けてランク付けするんだ」

 

 

 故に選ぶは折衷案。

 

 

「知られたら社会秩序が完全に崩壊する物、知られた後でリカバリーが一切聞かない物をA区分に。それ以外を重要度ごとにBとCの区分に分けてくれ」

 

 

 社会秩序を崩壊させない情報だけを選別して、それを明かす事こそクロノの選択。

 

 

「その上で、BとCに分類した情報を全て開示する。……勿論、予想して然るべき問題への対処準備を全て終えた後で、だけどな」

 

 

 その結果、生じる問題は全て飲み干す。

 青臭い正義を胸に、全ての問題を解決してみせる。

 

 覚悟と意志を胸に抱いて、クロノ・ハラオウンは己の決定を此処に示した。

 

 

「どのくらいで出来そうだ?」

 

「……情報量が多いですからね。一月は貰います」

 

「一月か、流石に長いな。……情報は秘匿し切れるか?」

 

「勿論。外部には漏らしませんし、漏れたとしても誰も話せませんよ。こんな代物」

 

「……なら良い。だが少し急げよ。可能なら二週間後に行われる予定の公開意見陳述会に合わせたい。……全次元世界の注目が集まるイベントだ。僕らが知った事実を明かす場所としては、相応しいタイミングだろうさ」

 

 

 地上本部にて行われる意見陳述会。本来は管理局の予算の使い道を発表する場だが、丁度良いから利用しようと決める。

 其処で全ての悪を暴く、そして民意の手によってその悪を裁くのだ。

 

 

「世界の目がある前で、最高評議会の全てを明かす。その時にこそ、奴らの捕縛に移るぞ」

 

 

 クロノはそう口にして、ヴェロッサは静かに頷く。機動六課のエース達は、為すべきを此処に定めるのであった。

 

 

 

 

 

2.

 幾つもの隔壁に塞がれた機密区画。

 その奥にある格納庫。其処にそれは安置されていた。

 

 

「血、血、血が欲しい」

 

 

 それは血に濡れた刃。砕けた断頭台の、残った最も大きい欠片。

 

 

「ギロチンに注ごう。飲み物を。ギロチンの渇きを癒す為に」

 

 

 それが呼んでいた。そんな気がする。声を聞いた気がするのだ。

 

 だから、気付けば此処に来ていた。

 

 

「欲しいのは、血、血、血」

 

 

 首筋に刻まれた傷跡を指でなぞる。

 まるでギロチンに掛けられた罪人の如き斬首痕に触れる事で、心の内に想い出が溢れ出してくる。

 

 忘れていく(オモイダシテイク)溢れて来る(キエテイク)

 何もかもが塗り替えられていき、それでもその瞳が離せない。

 

 

「……この歌、なんだったっけ」

 

 

 それは名も知らぬ筈の、忌まわしきリフレイン。

 

 帰って来たあの人の姿が余りに鮮烈だったから、塗り替えていく記憶を忘れた。

 けれどこうして、己を無自覚に惹き付ける断首の刃を見て、消えて行った筈の誰かの記憶がまた溢れ出している。

 

 

「嗚呼、そう言えば、……僕は何をしているんだろう」

 

 

 白百合の乙女は此処に居ない。

 一人になりたいと望んだ彼を、一人にしてあげたいと彼女が望んだから。

 

 目指していた場所は医療区画だった筈だ。

 けれど途中で呼び声に惹かれて、気付けば此処にやって来ていた。

 

 何か、とても大切な事を忘れている気がする。

 何か、とても大切な事が無くなって行くような気がする。

 

 それは嘗ての記憶の残滓か。

 それとも今失われようとしている人か。

 

 忘却に堕ちようとするその頬を、一筋の滴が流れ落ちる。

 そしてその滴を拭う人は、今の彼の傍らには存在しない。

 

 だから何かを忘れたまま(オモイダシテ)、彼は飽きる事もなく断頭台の刃を見詰め続けていた。

 

 

 

 

 

 そんな壊れていく少年の姿を、女はモニタ越しに観測していた。

 

 

「これで指示内容は完遂。……状況は予測通り、加速しますね」

 

 

 回収された断頭台。この世界の至宝と言うべき物の管理は、当然並大抵の物ではなかった。

 それこそ、呼ばれただけの少年が迷い込めない程度には、そのセキュリティは厳重な物であったのだ。

 

 

「神に至るべき少年は、嘗ての秘宝をその手に。神を殺すべき少年は、彼を殺す為だけに全てを捨てる」

 

 

 だが、ある男に作られた彼女にとってみれば、余りにも容易い護りであったとしか言えない。

 特別性である彼女の目で見れば、管理体制には確かな穴が存在していた。

 

 

「太極の半分は壊れ、残りし者らは――」

 

 

 そして古代遺産管理局の面々の殆どが、膨大な仕事量か彼の安否に意識を集中している現状。特別性である彼女の暗躍を止める事は、この場の誰にも出来なかったのだ。

 

 故に彼女は易々と隔壁を操作して、監視カメラの情報を書き換えて、そうしてトーマが自然とあの場所に迷い込むように誘導した。

 

 このモニタルームを秘密裏に占拠して、ある人物の指示通りに新たな一手を打ち込んだのだ。

 

 

「伝達する必要のある情報はこの程度ですかね。次の定時連絡の前に報告を――」

 

「ねぇ、なにしてるの?」

 

「っ!?」

 

 

 そんな彼女。ウーノ・ディチャンノーヴェは、突然掛けられた声に思わず悲鳴を上げそうになる。慌てて振り向いたその視線の先には、小首を傾げる幼子の姿があった。

 

 

「ヴィヴィオ、ですか。脅かさないで下さい」

 

 

 ほっと安堵の息を吐く。澄んだ瞳で首を傾げる幼子の姿に、ウーノは発言を理解されていないのだろうと判断した。

 

 

「ねぇ、ここでなにしてるの?」

 

 

 幼子が再び問い掛ける。その瞳には一点の曇りもなく、唯純粋な心で疑問に抱いた事を問い掛けていた。

 

 

「……ヴィヴィオこそ、こんな所でどうしたのですか?」

 

 

 後ろめたい事をしている身としては、幼子の問い掛けに答える訳にはいかない。

 ウーノはあからさまに話題を逸らす様な形で問い返す言葉を口にして、然程疑問は抱いていなかったのか、ヴィヴィオはあっさりと己の理由を口にした。

 

 

「アリサママ、さがしてるの」

 

 

 幼い少女の歩く理由は、母を捜していると言う単純な物。

 人形をその小さな手に握ったヴィヴィオは母親を捜して、まるで関係のない場所へと迷い込んでいたのだった。

 

 

「ウーノおねえちゃん。アリサママ、どこ?」

 

「……彼女でしたら、恐らくはまだ医療区画でしょう」

 

 

 アリサ・バニングスは、高町なのはに付き添って医療区画へと足を運んでいる。

 運び込まれたユーノを見て半狂乱になった彼女を落ち着かせ、容態を見守ると言って聞かない女の付き添いをしているのだ。

 

 

「アリサさんから、何か言われていませんか?」

 

 

 あれで母親役をしっかりと熟している女性の事だ。何も言わずに娘を置き去りにはしないだろう。

 そう判断して問い掛けた言葉に、ヴィヴィオは少し言い辛そうに口にした。

 

 

「うん。……ママ、まっててって。けど、キャロもルーもいないの」

 

「……」

 

「だから、さびしかったから、ごめんなさい」

 

 

 待っててと言われて、それに反した事。

 お留守番の約束を守れずに、捜し始めてしまった事。

 

 そんな小さな約束を破った事に、幼子は幼いなりの罪悪感を感じていた。

 

 だが、それでも寂しさが勝ってしまったのだろう。

 手にした白いウサギの人形を、ぎゅっと両手で握り絞めて――

 

 

「……キャロさんとルーテシアさんでしたら、演習場付近に居りますね」

 

「?」

 

 

 そんな寂しげな姿を見たから、打算などは抜きに何かをせねばと思ってしまった。

 機械仕掛けの量産品がこんな事を。そんな風に思ってはいても、どうしても伸ばした手は戻せない。

 

 

「案内しますよ。アリサさんが帰って来るまで、お友達と遊んでいましょうね」

 

「……うん」

 

 

 そうして差し出された手に向かって、ヴィヴィオはその小さな掌を伸ばした。

 

 

「?」

 

「どうしましたか? ヴィヴィオ」

 

 

 握り返そうとした掌が虚空で止まる。

 

 何かあったのか、そう首を傾げるウーノに向かって、ヴィヴィオは見つけたそれを口にした。

 

 

「ち」

 

「ち? ……ああ、血ですか。何処かで切りましたかね?」

 

 

 言われて気付く、伸ばした指先から血が出ている事を。

 作業中に指先を切ったのか、軽い切り傷からは真っ赤な血が滲んでいた。

 

 後で治療すれば良いか。そう単純に考えていたウーノは、続くヴィヴィオの突飛な行動に思わず声を上げていた。

 

 

「っ! 何を!」

 

 

 ぺろりと、その小さな舌が傷口を舐める。

 幼子が自発的に行った傷を舐めると言う行為に、ウーノは声を上げて飛び退いた。

 

 

「いたそうだから、いたいの、とんでけって」

 

 

 そんな驚きを見せる彼女に対して、ヴィヴィオは理由を口にする。

 

 

「なめるといたくなくなるって、いってた」

 

 

 それは小さな子供の善意。無垢なる幼子の治療行為。

 

 

「……それは誰に教えられました?」

 

「?」

 

 

 その行動を無垢な幼子に教え込んだであろう何某かに怒りの情を感じながら、ウーノは小首を傾げるヴィヴィオと向き合う為に腰を下ろした。

 

 

「他の方にも、この様な事を?」

 

「……ティアナおねえちゃんと、トーマおにいちゃん。シャッハおねえちゃんに、すずかおねえちゃんに、なのはおねえちゃんに、あと、あと」

 

「もう十分です。以後、この様な真似はしないように」

 

「どうして?」

 

「色々と危ないからですよ」

 

「?」

 

 

 指折り数える幼子にウーノが危惧する事など理解出来る筈もなく、小首を傾げる彼女の様子に溜息を吐いて、ウーノは異なる理由を此処に上げた。

 

 

「……傷口を舐めると口から細菌が入る可能性もあります。ヴィヴィオが病気になってしまうんですよ」

 

「びょうき?」

 

「ヴィヴィオが病気になると、アリサママが悲しみます。ママが悲しむのは、嫌でしょう」

 

「やだ!」

 

「なら、もうしませんね」

 

「うん」

 

 

 幾ら知能が高いとは言え、やはり幼子。

 言葉の全てを理解している訳ではないのだろう。

 

 それでも彼女は彼女なりに考えて、少しでも誰かの為にあろうとしている事が分かったから。

 

 

「ヴィヴィオは良い子ですね」

 

 

 そう口にして頭を撫でる。優しく撫でられた掌の温かさにヴィヴィオはその相好を崩して、ほんわかとした笑みを浮かべた。

 

 

「さあ、行きましょうか」

 

 

 はにかむ幼子の手を取って、作り物の人形は歩を進める。

 

 

 

 己には、命令を熟すしか存在価値はない。

 所詮この身は量産品の消耗品。数打ちの中の一つでしかない。

 

 そう己を断じていた一人の女は、繋いだ手の暖かさに確かな何かを感じていた。

 

 

 

 

 

3.

 真っ白な病室の中、規則正しい機械の駆動音が小さく響いている。

 ベッドに横たわる身体は包帯塗れ。内臓破裂と複雑骨折は全身に及んでいて、傷のない場所などはない。

 

 血液の送られなくなった脳は、その機能を止めている。

 肺を潰された身体は、機械がなければ呼吸すらままならない。

 

 どう見ても死に体。生きている方がおかしい姿。意識を失くしたその人の鼓動は響かない。

 

 自力では呼吸さえ出来ない青年の生存を、その小さな機械音だけが保証していた。

 

 

「ユーノ君」

 

 

 ぎゅっと拳を握り締める。呟いた声は届かない。

 彼が運び込まれて来てから三日。片時も休まずに傍に居た女の限界は近い。

 

 一度は半狂乱になって、頬を叩かれて気を持ち直した。だが、それでも正気と言うには程遠い。

 その髪の毛は荒れ放題。寝不足で隈が出来、肌も荒れている。そんな頬を伝う涙は既に乾いて、されど彼は戻らない。

 

 

「ユーノ君」

 

 

 嫌な予感が拭えない。嫌な感覚が消えてくれない。

 今一瞬でも目を逸らしたら、その瞬間にもうこの命は抜け落ちてしまうのではないか。そんな感覚が、確信に近い強度で生まれ始めている。

 

 己の内にある彼の鼓動が、繋がりを介して効果を発揮している異能が伝えて来る。

 

 今にも彼の魂は、その肉を離れて飛び散ろうとしている。黄金の城に囚われて、輪廻の輪にすら戻らない。

 

 意志の問題ではない。魂の問題でもない。

 肉体に魂を繋ぎ止めるだけの命が残っていないのだ。

 

 彼はもう終わっている。それを覆す術は、もうないのだ。

 

 

「……嫌だ」

 

 

 全身を傷付けられて、既に虫の息となっているユーノ・スクライア。

 そんな彼の命が辛うじて繋がれているのは、高町なのはが居るからだ。

 

 再演開幕。その願いは望んだ結末以外を認めないと言う物。

 

 繰り返す力が魂の繋がりを辿って、彼の命を留めている。

 その飛び散ろうと言う魂を無理矢理に縛り付けて、死の一歩手前で青年を生かしていた。

 

 だがそれも、長くは続かない。

 繋がる力は未だ弱い。命蝕む傷よりも、留める力が弱いのだ。

 

 故に必然の結末として、彼はゆっくりと衰弱して命を落としてしまうであろう。

 

 

「嫌だ」

 

 

 この三日でどれ程に死に近付いた。

 あと何日、彼はこのまま留まって居られるのだ。

 

 

「嫌だ」

 

 

 認めない。認めない。認めない。そんな結末は認めない。

 逝かせない。逝かせない。逝かせない。貴方だけは何処にだって逝かせない。

 

 

「嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ」

 

 

 女の想い(アイ)は呪詛の如く、深く深く深く深く。

 黒く染まる魔力は繋がりを辿って、その魂に纏わり付いて沈めていく。

 

 真っ暗な部屋の中で、その想いだけが圧倒的な質量を持って肥大化していた。

 

 

 

 明かりもついていない部屋の中で、どうすれば良いのか思考を回す。

 無数のマルチタスクが不可能と言う結論を出す中、たった一つの思考回路が可能性を提示した。

 

 

「嗚呼、そうか」

 

 

 それは一つ、彼女の辿り着いた一つの可能性。

 余りにも簡単で、どうして思い付かなかったのかという発想。

 

 今の彼を生かしているのが彼女の力なら――

 その力の純度が低いが故に、彼を完治させられぬと言うならば――

 

 

「強く願えば良い。もっと、もっと強く。彼の無事を願えば良いんだ」

 

 

 それはそんな単純な答え。取り戻す為に、より深く願うと言う結論。

 

 飛び散ろうとする魂を取り戻す。壊れた肉体を再現する。

 不足した部位を補って、何度だって彼をこの腕の中へと呼び戻す。

 

 出来る筈だ。不可能な事ではない。

 今だって出来ているんだから、その強度を上げるのだ。

 

 

「お願い。ユーノ君。……戻って来て」

 

 

 其処に至った女は迷わずに、手にした答えを形にする為に祈りの深度を引き上げた。

 

 

 

 再演開幕。その本質は、訪れる結末を認めないと言う願い。

 故にその渇望はこの現状と噛み合って、その祈りは深くなる。

 

 こんな終わりなんて認めない。こんな結末なんて許せない。

 私と彼の物語がこんな幕引きを迎えるなど、嗚呼どうして認められるか。

 

 だから願う。だから祈る。

 

 やり直すのだ。再演するのだ。

 望むべき未来に至るまで、何度でも何度でも何度でも――

 

 

 

 その影響など考慮しない。その善悪など理解しない。その意味など想像する意味すらない。

 

 失いたくないのだ。失えないのだ。

 彼が居なければ、この生に意味などないのだから。

 

 そんな己の感情のままに、渇望は深く重く純度を増していき――

 

 

「……っ」

 

「ユーノ君!」

 

 

 ぴくりと彼の身体が動いて――

 

 

 

 ()()()()()()()()()

 

 

「がぁっ! げぇっっっ!?」

 

「……え?」

 

 

 びしゃりと、どす黒い鮮血が舞った。

 

 

「……ユーノ、くん」

 

 

 女の目の前で、男の身体が破裂する。

 どす黒い血反吐を口から漏らして、痙攣する身体が壊死していく。

 

 肉体が異常に膨れ上がって肉塊と化し、間接はおかしな方向へと折れ曲がっている。

 人の形骸は失われて行き、余りにも悍ましい光景が眼前に広がっていく。

 

 助けたいと願った女の祈りは、既に死地にあった男を無残な形へと変えていた。

 

 

 

 それは必然の結末。彼の身体を考えれば、予測出来て当然の結果。

 

 高町なのはの異能の大本は、大天魔に与えられた歪みを己の力で模倣した物。

 その根源である魔力は彼らの太極と同じく、故にその力を他者に送った際、拒絶反応は必ず起こる。

 

 重濃度高魔力汚染患者。高町なのはの力は、太極と同じくそんな犠牲者を出せる程に高まっているのだ。

 

 対して、ユーノ・スクライアにはリンカーコアはない。

 リンカーコアとは魂の力を受け入れる要素。魔力に対する耐性だ。それがない以上、彼の身体は魔力に耐えられない。

 流れ込んでくる魔力。それを受け取るだけの器がないのだ。

 

 魂の繋がり故にその力の恩恵を受け取る事が出来ても、受け取った力に耐える事が出来よう筈がない。

 故にこそ、微量な効果だからこそ命を繋いで居た再演の異能は、その純度を増した事で男を壊す呪いへと変異していた。

 

 

「あ、あぁ」

 

 

 目の前で起こる惨劇に、高町なのはは硬直して震える事しか出来なかった。

 

 

「ぎっ、げっ、がっ――」

 

 

 爆発的に流れ込んだ魔力に壊されていく青年は、されど死に至る事が出来ない。

 こんな有り様を生み出して尚、彼の死を認められない女の力で強制的に蘇生される。

 

 そしてその度に汚染は進行し、身体は異形へ変じ壊れていく。

 見る見る内に形骸を失っていくその有り様は、余りにも悍ましい。

 

 何度でも何度でも何度でも、死と蘇生を繰り返して壊れていくその姿。

 そんな死んだ方が遥かにマシな無様を晒す愛しい男の姿を見て、漸く高町なのはは己の行いを理解した。

 

 

「私、違うっ! こんなっ、どうしてっ!」

 

 

 違う。違う。違う。

 こんな形を望んだ訳ではない。こんな結末に至りたい訳ではない。

 

 だがどれ程否定しようとも、現実は揺るがない。

 愛する男は魂の繋がりを介して流れ込む膨大な魔力によって、生きたままに壊されていく。

 

 それは宛ら等活地獄。何度でも死んで、何度でも甦る。

 無間地獄の中で壊れ続ける男。それがどれ程の苦痛かと理解して尚、それでも再演の力は止められない。

 

 

「っ!? 止まって! 止まって! 止まって!!」

 

 

 だが、止まらない。

 肥大化した願いの重量は己の意志などでは止められず、荒れ狂う様に魔力は溢れ出し続ける。

 

 止めないと、もう苦しめてはいけない。

 そんな思考は出来るのに、暴走を始めた願いを止められない。

 

 貴方に死んで欲しくない。貴方を失いたくない。

 この慕情が貴方を壊すと知って尚、その想いが拭えない。

 

 単純な話。頭で理解していても、想いが付いてこないのだ。

 男を苦しめると知って尚、こうすれば彼は死なないと分かってしまったから――

 

 

 

 女の愛は呪いの如く、男を縛って(コワ)していく。

 

 

「ユーノ君っ!!」

 

 

 けたたましく鳴り響く機械音の中、女はその手を壊れ続ける男へと伸ばす。

 

 その手で何がしたいのか。

 彼を生か(コワ)したいのか。彼を殺し(スクイ)たいのか。

 

 どうしたいのかすら分からずに、唯必死で伸ばした手は――

 

 

「っ! 馬鹿なのはっ!」

 

「あ」

 

 

 横から伸びた白い手に強く叩かれて、何も掴めずに宙を泳いだ。

 

 

 

 手を叩かれて呆然とするなのはを他所に、近くの病室で休んでいた二人の女は焦燥を顔に浮かべて対処に動く。

 

 

「すずか!」

 

「……っ。出来る限り、何とかしてみる!」

 

 

 緊急警報を聞きつけて、近くに居たが故に直ぐ駆け付ける事が出来た二人。

 そんな友人達が必死に対応する姿を、なのはは何も出来ずにただ見詰める。

 

 金髪の女がなのはの身体と異能の暴走を抑え付け、紫髪の女は計器類を幾つも同時に操作しながら青年を救う為の術を見つけ出す。

 

 どちらも蠢く肉塊と化す彼から瞳を逸らす事もなく、確かに己の役割を此処に果たした。

 

 

「……汚染濃度は高いけど、魔力耐性がないのが逆に幸いしてる! 定着して歪みになる事はないから、汚染魔力を体外に排出させる事は不可能じゃない!」

 

 

 汚染濃度は陰の九か十に届く程、だがユーノ・スクライア自身に魔力がない事が幸いしていた。

 

 流された魔力が本人の魔力と結び付き、渇望を以ってそれを異能に変える者こそ歪み者。

 ユーノ・スクライアの身体に彼自身の魔力がないからこそ、他者の魔力が深く染み込んだまま定着すると言う事は避けられていたのだ。

 

 

「なら、……コイツが死なない程度に、汚染を弱めて!」

 

「うん。任せて。直ぐに機材を用意するっ!」

 

 

 本人の魔力と同化していない毒素ならば、それを取り除く事は難しいが不可能ではない。

 その方法を知るが故に、すずかはその医療機器が蔵された倉庫へと走り出す。

 

 高濃度重魔力汚染患者を治療する事を目的とした医療機械。

 だが結局、汚染魔力と本人の魔力を分断する事は難しく、かと言って通常の非魔導師では汚染された瞬間に死に至る。

 故に役立たずと化していた医療機器は、開発者であるスカリエッティの足元。即ちこの施設で死蔵されていた。

 

 

 

 すずかが持ち出して来た腕輪状の機械を腕に取り付けられた青年は、少しずつ小康状態へと戻って行く。

 

 変異した肉体はそう簡単には戻らないが、外科手術で改善する事は出来るであろう。

 

 何とかなる算段が付いた事で、二人の女は漸く安堵の溜息を漏らした。

 

 

「アリサ、ちゃん。すずか、ちゃん」

 

 

 残る一人。高町なのはは、己の激情を持て余したままに小さく呟く。

 

 渦巻く感情は、果たして何か。

 感謝か、怒りか、安堵か、嫉妬か。

 

 それは彼女自身にも分からない。

 

 

「すずか。後、頼むわ」

 

「……アリサちゃんは」

 

 

 そんな女の手を握り締めて、アリサ・バニングスが口にする。

 

 

「私は、この馬鹿の相手をしてくるわ」

 

 

 

 

 

 そうして、二人の女が病院の屋上にて向かい合う。

 吹き付ける夜風は肌寒く、互いの心を此処に示しているかの様だった。

 

 

「アンタ、自分が何したのか分かってる?」

 

 

 口火を切ったのは、やはり金糸の女であった。

 回りくどい事、迂遠な行動を不得手とする彼女は真っ向から切り込む。

 

 

「一番最悪な事。惚れた男にしてたのよ」

 

 

 死んでしまうよりも酷い事。

 殺してしまうより悪い事。その躯さえ辱める様な行為。

 

 失いたくない。そんな己の感情を押し付けて、大切な誰かの尊厳を踏み躙る。

 

 彼女のした行為はそれである。

 アリサ・バニングスはそう断じていた。

 

 

「……私は」

 

 

 言われたなのはは、しかし激する事はない。

 彼女は唯、俯きながら己の胸中を其処に吐露する。

 

 

「……ユーノ君が居なくなる。そう考えたら、頭の中が真っ白になって」

 

 

 どうすれば彼を救えるか、それ以外を考える事が出来なかった。

 失わない為に、どうすれば良いのか。それ以外を思考する事など出来なかった。

 

 だからその道を見つけたと思った時、何も考えずに飛び付いてしまったのだ。

 

 

「間違ってるって分かってる。苦しめてるって分かってる」

 

 

 分かっている。分かっているのだ。

 己のした行為が、どれ程に愚かしい事なのかなど。

 

 

「分かっている、のにっ!」

 

 

 それは許されない行動。

 憎まれ、恨まれ、拒絶されても仕方のない行為。

 

 愛する人の全てを汚す、愛を言い訳にした一つの呪詛だ。

 

 

「それでもっ! それでも私はっ!」

 

 

 分かって尚、溢れ出る想いが止められない。

 止められて尚、未だ己の心が彼を壊し(スクイ)に行けと叫んでいる。

 

 

 

 ユーノ・スクライアは助かった訳ではない。

 汚染症状を取り除けても、その異形と化した肉体を取り戻せたとしても、彼の命が危うい事には変わりない。

 

 最初から、何時死んでもおかしくない状態だったのだ。

 再演開幕の影響によって、辛うじて生きていられるだけなのだ。

 

 このままでは彼は目覚める事もなく、植物状態のまま衰弱死を迎えるだけであろう。

 繋がっているが故に、それがどうしようもない事だと分かってしまっていた。

 

 

「失くしたくない! 失いたくない! 死んで欲しく、ないんだ!」

 

 

 失くしたくない。そんな想いが瞳から零れる。

 死んで欲しくない。そんな願いが滴となって、その衰弱した頬を伝って落ちた。

 

 

「一緒に、居たい、よ」

 

 

 零れ落ちた本音は、結局唯それだけ。

 

 願いは一つ、一緒に居たい。

 それ以外には何もなく、だからこそ誰にとっても分かり易い望み。

 

 それだけが、叶える事が出来なかった。

 

 

 

 必死に涙を堪えて、それでも溢れた滴が頬を濡らす。

 そんな友人の姿を見詰めて、握り拳を解いた女は彼女へと手を伸ばした。

 

 

「馬鹿なのは」

 

 

 殴り飛ばす心算だった。ふざけるなと罵倒する心算だった。

 

 けれどその願いに共感出来て、その想いを同じように受け止めてしまったから――らしくないと分かっているのに、その震える身体を抱きしめていた。

 

 

「……泣きたいなら、泣きなさい。胸くらいは貸してあげるわ」

 

 

 ユーノが運び込まれてから三日三晩、止める言葉も聞かずに彼の傍に居続けた高町なのは。

 

 彼女達を案じて病室近くに居たアリサだからこそ、その想いが真実であると分かる。

 同じ様に彼の身を案じていた女だからこそ、その溢れ出す想いを否定する事は出来なかったのだ。

 

 

「っ」

 

 

 そんな風に抱きしめられて、堪えていた涙が決壊する。

 瞳から零れる滴は止めどなく、溢れ出す感情に任せて声を上げていた。

 

 

「あ、あぁぁぁぁっ!!」

 

 

 病院の屋上で、友人に抱きしめられたまま、女は声を上げて涙を零す。

 

 唯、一緒に居たい。唯、失いたくない。

 唯それだけの願いが、どうして叶えられないのか。

 

 そんな現状に涙を零すしか出来ず、失いたくないと想いを口にし続けた。

 

 

「泣き終えたら、少しは休みなさい。……そんな有り様じゃ、真面な思考も出来ないわよ」

 

 

 優しくその手で背を叩く。

 大切な人の名を呼び続ける友の声に頷いて、夜風の中で空を見上げる。

 

 

 

 どうして、世界はこんなにも残酷なのか。

 どうして、こんなにもこんな筈じゃなかった事は多いのか。

 

 何か別の回答を。何か異なる形の奇跡を。

 そんな何かが起きる事を願って、そんな何かを見つけ出そうと心に決めて、今は唯涙に暮れるのだった。

 

 

 

 

 

4.

 そして、闇に蠢く彼らも動き出す。

 

 

「古代遺産管理局潜入中の魔鏡ちゃんより定期報告~!」

 

 

 其は天に背きし反天使。絶対なる原罪を背負いし悪魔たち。

 

 

「な~んと! あの人たち、二週間後の公開意見陳述会にて、一般人に対して管理局の後ろ暗い所を暴露しちゃうみたいで~す!」

 

 

 真なる魔群は笑みを浮かべる。

 嗚呼、素晴らしい、と声を上げて嗤い狂う。

 

 

「悪事なんて許さない! 隠匿なんて選ばない! 発生する諸問題は、ぜ~んぶ背負ってみせるのさ!」

 

 

 女は嗤っている。彼らの愚かな選択を。

 女は嗤っている。その罪を背負いながらも、善であろうとする彼らの足掻きを。

 

 

「なんて凄い覚悟! なんて素晴らしい決意! な~んて格好良い選択かしらぁ~」

 

 

 もっと効率の良い術はあるだろうに。

 もっと上手いやり方は幾らでもあるだろうに。

 

 それでもその道を選んだ彼らを、言葉では賛辞しつつ腹の底では嗤っている。

 

 

「け・ど」

 

 

 彼らはその道を進むために、必死で必要な物を揃えているだろう。

 彼らはその道を進むためにも、どうしても晒してしまう隙がある。

 

 

「そ~んなビッッッッグッチャァァンス! 私達が逃す訳がないじゃなぁぁぁいっ!」

 

 

 ならばその瞬間とは、彼女達にとって、最大の好機となり得るのだ。

 

 

「蹂躙してあげるわ。踏み躙って、嘲笑いましょう? 私達反天使の手によってぇぇぇ、正義が果たされる瞬間は地獄に変わるのよぉぉぉぉっ!」

 

 

 そう。正義執行の瞬間を、絶望の奈落に変えてしまおう。

 

 子供が積み上げた積み木を、横から崩してしまう様に。

 砂場に作った砂のお城を、上から踏み付けて潰してしまう様に。

 

 絶好のタイミングで、何もかもを壊してしまおう。

 

 

「嗚呼、愉しみぃ」

 

 

 正義を為す彼らを、大衆の注目の中で惨殺しよう。

 殺し尽して並べた彼らの死骸の前で、彼らが暴こうとした悪事の全てを代わりに伝えてあげよう。

 

 

「その時、ど~んな絶望が見れるかしらねぇぇぇ」

 

 

 きっと素敵な地獄が見える筈だ。

 きっと素晴らしい絶望が、世界を満たす筈だから。

 

 

「ウフフ、フハハ、アハハハハ!」

 

 

 予想しただけで笑みが堪えられない。

 魔群。クアットロ=ベルゼバブは腹を抱えて大笑する。

 

 さあ、皆壊れてしまえ。

 この世界で幸せになるのは、自分と父だけで良いのだから――

 

 

「アァァァァハハハハハハハハハッ!! はひゅっ!?」

 

「煩い。少し黙れ、クアットロ」

 

 

 そんな笑い転げる女に凶器を突き付けて、傍らに居た少年は気だるげに口を開いた。

 

 

「…………」

 

 

 パクパクと口を開くクアットロの喉元に突き付けられたのは、完全修復されたストラーダ。

 その先端に灯った暗き炎は、不死の女であろうとも一瞬で消滅させるであろう。

 

 そんな死を目前にして黙り込んだクアットロを冷たく見下すと、槍を下したエリオは己の掌を見詰めて呟いた。

 

 

「二週間か、長いな。長過ぎる」

 

 

 待つのは飽きた。耐えるのには飽きた。二週間後に戦う日が来るのだとしても、それまで待つ事など出来はしない。故にエリオは問い掛ける。

 

「もっと早く、動ける日があるだろう?」

 

「えーと、魔鏡ちゃんの報告ではー。いちおー明日、ホテル・アグスタって所で護衛任務があるみたいだけどー」

 

 

 少年の問い掛けに、クアットロは震える声で言葉を返す。

 恐る恐ると女が口にした予定は、大掛かりな舞台に向けての事前準備。

 

 ホテル・アグスタ・オークション。其処に関わる事で、富裕層を味方に付けようとしている。二週間後の公開意見陳述会とそこから先の管理局改革に備えての、その行いこそが隙と言えたのだ。

 

 

「明日、か」

 

 

 心の内に燃え上がる炎は、何処までも無価値な色をしている。

 己の命と同じく、この世界の全てと同じく、何もかもが無価値な黒。

 

 

「トーマ。明日が君の命日だ」

 

 

 そして明日が、この世界の終焉だ。

 

 

「さあ、殺しに行こう」

 

 

 その背を悲しげに見つめる四つの瞳を意識から捨て去り、罪悪の王は孤独な戦場へと進む。

 

 

 

 

 

 そして彼の反身。

 対となる少年もまた、その日を迎えようとしていた。

 

 

「ったく、こんな所に居たのね」

 

「…………」

 

 

 飽きる事もなく、機密区画にて断頭台を眺めていた少年の下に彼の相棒が姿を現す。

 セキュリティを強引に下げられた場所に辿り着いた少女は、周囲を物珍しそうに見回しながらも言葉を掛けた。

 

 

「もう出発の時間。後はアンタだけなのよ。それで全員揃うんだから、()()()()()()()()()ボケっとしてないで、早く準備しなさいよ!」

 

 

 彼女が此処に来たのは、出発の時間を告げる為。

 明日より行われるホテル・アグスタ・オークション。それに先駆けての警備体制の準備を行う為にも、機動部隊は前日に現地に向かう様に言われている。

 

 ウーノよりトーマの居場所を教えられた少女は、何一つ疑問を抱く事もなくこの場に来ていた。

 

 

「ああ、分かってるよ。ハラオウン」

 

「……っ」

 

 

 そんな彼女の言葉に返される声。

 その他人行儀な呼び方に、ティアナは一瞬呼吸を止めていた。

 

 

「先に行ってろ。直ぐに俺も行く」

 

 

 そう言って、再び何もない虚空へと目を向ける少年。

 その姿は話す価値すらもないと、拒絶を示している様にしか見えなかったから。

 

 

「……そう」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンは、それが彼の決めた事なのだと誤解した。

 

 冷静に考えれば異常に気付いただろうに、師の不調故に間接的に追い詰められていた少女には、冷静に考える余裕さえなかったのだ。

 

 

「もう、名前で呼ぶ価値もないって言いたいのね」

 

 

 お前はもう相棒ではない。

 お前にはもう、名を呼ぶ価値も、話をする価値もないのだ。

 

 そんな風に言われていると錯覚した少女は、僅かに残った意地で表情を取り繕うと黙ったままの少年に背を向ける。

 

 

「……さっさと来なさいよ」

 

 

 告げる言葉に返る声はない。

 その現実に、引き裂かれる様な思いを抱く。

 

 

(……最初から、相棒になりたかった訳ではないもの)

 

 

 そう。アイツが勝手に言い出した事でしかない。

 だからきっと、相棒でなくなったとしても、己は傷付いたりしないのだ。

 

 そんな風に己を誤魔化して、ティアナはその場を走り去った。

 

 

 

 残されたトーマは振り返る事もなく、唯々断頭台が保管されていた空間を見詰め続ける。

 

 そうして、暫くの後、少年は動き始めた。

 

 

「行こうか。()()()

 

 

 

 斬首の痕を隠す為に白いマフラーを首に巻いて、少年はその身を翻す。

 

 

 その場所に断頭台はないが、確かにそれは此処にある。

 熱く燃える胸の内、己の魂に取り込まれて同化したのだ。

 

 断頭台を取り込んだ少年は先を見据える。

 その蒼く輝く瞳には、白き双頭蛇の刻印が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 ホテル・アグスタ。

 二人の少年は、四度目の邂逅を果たす。

 

 その戦いの幕が如何なる結末を迎えるのか、神々ですら未だ知らない。

 

 

 

 

 

 




ユーノ君がいない六課の風景。
彼が抜けた事で、地雷が連鎖爆発しています。


○連鎖要素。
ユーノ重体→なのは半狂乱→ティアナの面倒臭さレベルアップ。
ユーノ重体→トーマ半暴走→ティアナの面倒臭さレベルアップ。
ユーノ重体→クロノ仕事中毒化→ティアナの面倒臭さレベルアップ。


文章に起こして気付く衝撃の事実。
全部ティアナに収束してやがる!?(驚愕)



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