リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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※原作七話ホテル・アグスタ・オークション。公開意見陳述会とは分断し直しますた。
 お陰で更に先が延長。なのはフラグとか排除しても尚、失楽園の日が遠い。

特にStS編の最終話、失楽園の日が半端なく長い。
プロット段階なのに、其之漆か其之捌くらいまで行く事は確定な感じです。


推奨BGM
1.厭魅凄艶(神咒神威神楽)
2.心中善願決定成就(神咒神威神楽)
3.乾元亨利貞(神咒神威神楽)
4.Paradise Lost(PARADISE LOST)



第十四話 骨董美術品競売会

1.

 豪奢なシャンデリアに飾り立てられた室内。ホテル・アグスタのホール会場。

 競売会は無事終了し、今現在はその後に予定されていた立食会が執り行われている。

 

 そんな上流階級が遣り取りをする会場にて、壁の花をしている紫髪の女は何処か気だるげに吐息を吐いた。

 

 

「……はぁ」

 

 

 彼女が溜息を吐いたのは、己に向かう煩わしい視線が理由だ。

 気怠さと嫌悪に満ちたその嘆息だが、周囲の者らにとっては天上の讃美歌か、或いは魔性の呪歌か。誰もが皆感嘆を声に漏らし、熱い視線を一人の女へと向けていた。

 

 

(理由は分かるけど、どうして私が内勤なのか)

 

 

 壁側に居ると言うのに誰よりも目立ってしまっている月村すずかは、内心でそんな愚痴を呟く。声に出してはならぬと分かっているからこそ、あくまで内心に留めるだけだ。

 

 現在の任務。それはこのホテルアグスタの警護にある。

 故にロングアーチが内部で警戒し、正面と裏、二ヶ所の入り口には各分隊が配属されている。

 バーニング分隊だけでなく、不調なスターズ分隊まで動員されているのは、それだけこの任務が重要な物だからであった。

 

 

(綺麗な服を着て、その実誰よりも肥え太った人間達。こんなのの機嫌取りをしないといけないなんて)

 

 

 理由はそれだ。端的に言ってしまえばこれは、スポンサー探しの一環なのである。

 管理局は強大だ。ましてやその最高評議会ともなれば、彼らが持つ権力は極めて大きな物となる。

 

 それを武力で排除したとしても、それだけの強大な存在がすっぽりと消えれば混乱も起きるだろう。

 倒せるか倒せないかだけではなく、倒した後も厄介なのだ。故に最高評議会に代わる、有力者と繋ぎを作りたかったのである。

 

 故にクロノは以前に来ていた依頼より、この護衛任務を引き受けた。

 古代遺産管理局が本来為すべき事ではないが、富裕層が多く集まるこの会場は正しく絶好の舞台だった訳だ。

 

 オークション会場にて、警備にあたるのはすずかとクロノの両名だ。

 現在の立食会に参加している二人は、その後の為の顔繫ぎを理由としていたのだ。

 

 その理屈が分かっていて、それでも月村すずかはうんざりとした感情を抱いてしまう事を止められなかった。

 それは己に向けられる我欲に塗れた視線も理由の一つならば、彼女が残してきた仕事に対する矜持もまた理由の一つであった。

 

 彼女には今、執刀を担当している患者がいる。

 その容態を改善する術はなく、傍に居たとて役に立たないのは分かっているし、相手は余り好きにはなれないあの男。

 だが、それでも彼は己の患者である。医師の一人として、確かに負った義務がある。尽力を尽くさねばならない責務があるのだ。

 

 それをこうして必要だからとは言え、まる一日も他の者たちに任せろと命じられた。

 その上更に見詰める視線がこうなのだから、些か以上に不満を感じるのも無理はなかろう。

 

 

(……ほんと、気持ち悪い)

 

 

 好色に満ちた視線で舐め回す様に見詰められながら、月村すずかは吐き気さえ感じる程に気が滅入るのを自覚していた。

 

 老いも若いも問わず、男達の視線を釘付けにするその姿。

 服飾が問題なのかと自問してみるが、出て来る答えは否である。

 彼女の服装は寧ろ、ドレスコードに反しない範囲において、極端に露出の低い物であった。

 

 青を基調とするパーティドレス。肩に羽織った白のボレロが肌を覆い、白薔薇の意匠が胸元を優雅に隠す。

 服装だけを見るならば、色気よりも清楚さを強調させる物。清純な乙女や可憐な花嫁をイメージさせる。そんな美しい装束だ。

 

 それでも着る者が特別だった。

 

 服に着られるとは良く言うが、彼女のそれは全くの真逆。

 女が醸し出す妖艶な魔性に引き摺られ、深窓の令嬢が如き穢れなき衣装が、高級娼婦の夜伽服が如き色香を放つのだ。

 

 

(誰も彼も、欲に塗れた豚ばかり。……真面な男って、なんでこんなに少ないのかな)

 

 

 綺麗に着飾ってはいるが、その実利と欲に満ちた支配階級。そんな彼らが、極上の色香を前に目を向けぬ道理はない。

 肥えて太った豚にしか見えない男達から向けられる色を含んだ瞳は、すずかにとってどうしようもない程に気色悪くて不快な物であった。

 

 

「はぁ」

 

 

 小さく吐いた溜息に、男達が陶酔する。

 そんな彼らを冷たく見ながら、ホールの中央でにこやかに談笑しているクロノを見て良くやる物だと素直に感心する。

 

 

(腹芸は苦手だって言ってたけど、随分慣れたものじゃない)

 

 

 会場の男達を釘付けにしているのが月村すずかならば、残る女性陣の相手を卒なく熟しているのがクロノ・ハラオウンだ。

 

 彼は言葉巧みに淑女方の相手をしながら、さりとて深くは踏み込ませずに上手く話題を逸らしている。

 その気になればプレイボーイを気取る事など容易いだろう。だが死んだ女に操を立てるが故に、そういう関係には進まない。

 

 今なおたった一人を想い続けると言うその思考は、男嫌いなすずかの目で見ても好ましいと感じる物であった。

 

 

(……それに比べて)

 

 

 どうしてこの男達はこうなのか。

 周囲を取り囲む豚の視線に蔑みの色を隠しながら、すずかは今日何度目になるかも分からない嘆息を吐いた。

 

 

「はぁ」

 

 

 同時に思う。そろそろ潮時だろうか、と。

 

 こちらを見詰める男達は、月村すずかの常人離れした色香に気圧されて未だ声も掛けてこない。

 だが、向こうもこの魔性にそろそろ慣れて来る頃合いであろう。彼らの中の上位者が、口説き文句を口にするのもそう遠くない先の話だ。

 

 これまでの経験からそう判断したすずかは、動き出そうとした者らの機先を制する様に動き出す。

 周囲に居た女性局員に一声掛けると、花を摘みに行くと偽って席を外すのであった。

 

 

 

 

 

2.

 吹き付ける初秋の風にマフラーを靡かせて、管理局員の制服を着た少年は目を細める。

 

 目の前に映る光景は、何の変哲もないクラナガンの街並み。それを見詰めて周囲の警戒を続けると言う立哨警備。

 そんな眠気さえ誘う詰まらぬ単純作業を、少年は飽きない所か何処か楽しげに続けていた。

 

 

「トーマ」

 

「何だ。ハラオウン」

 

 

 そんな彼の背へと、ティアナ・L・ハラオウンが声を掛ける。

 

 同じ場所に配属されながらも、何処か距離感を感じている。そんな彼女は声を掛けたのは良いが、何と続けるべきか思い悩んで、結局つっけんどんに言葉を口にしていた。

 

 

「……何だって、この時期になって迄、そんなマフラーしてんのよ」

 

「別に、お前が気にする事じゃないだろ」

 

「っ」

 

 

 喧嘩を売る様な心算はないのに、口に出たのはそんな言葉。

 そして返って来るのは、突き放す様な冷たい声であった。

 

 

「と、トーマ」

 

 

 そんな冷たく返したトーマの手を、リリィが引く。

 そんな返しは酷いんじゃないか、そう咎める様に見上げてくる彼女の視線。

 

 そんなジト目の少女に気まずさを感じて、トーマは降参する様に両手を上げた。

 

 

「首の傷痕を晒すべきじゃないって理由が一つ。秋風が肌に冷たいって言う理由がもう一つ」

 

 

 白いマフラーを首に巻く理由を語る。彼自身、どうしてこれを選んだのか分かっていない面もあるが、そんな感情を誤魔化す様に口にした。

 

 

「大した理由じゃないよ。これは」

 

 

 大した理由じゃない。そう。これは大した理由じゃない筈だ。

 そんな風に己を納得させながら、トーマはマフラーの裾を指で弄ぶ。

 

 向き合わずに語る態度の悪さ。

 選ぶ言葉も投げ捨てる様なぞんざいさだが、ちゃんと意図は説明している。

 

 そんな最低限の対応をしてくれた事に、リリィはほっと一息を吐いて――

 

 

「……その子の言う事は、ちゃんと聞くのね」

 

 

 そんなティアナの売り言葉に、白百合は再び泡を食った様に戸惑い始めた。

 

 

「そりゃ当然、優先度ってもんが違う。碌に知らない他人(ハラオウン)身近な女(リリィ)、どっちを優遇するって言われたら、答えなんて決まってんだろ?」

 

 

 薄れた記憶の中に消えた個人は、もう碌に知らない他人でしかない。

 排他性が高まった現状、消えない白百合と比して、そう判断してしまうのはある種止むを得ぬ事。

 

 

「……そう」

 

 

 だが、そんな事情が分からぬティアナにとっては、お前は仲間などではないと言われたも同義な発言。

 その言葉に黒くこびり付く様な感情を抱いて、周囲の体感温度は急激に低下していった。

 

 

「あ、あうぅぅぅぅ」

 

 

 その煽りを真っ先に受けるのは、第三者である筈の白百合。

 冷たく淀んだ空気に耐えられないリリィは後方で黙ったままの保護者へと、目に涙を浮かべながら助けを呼んだ。

 

 

「な、なのはさん」

 

「え?」

 

 

 リリィの声に弾かれる様に、高町なのはが顔を上げる。

 だがその顔色はまるで病人の様に、一目見て分かる程に酷い有り様であった。

 

 

「あ、ゴメン。聞いてなかった。何かあった?」

 

 

 それでも強がる様に笑みを浮かべて、そう言葉を投げ掛ける。

 目の前で起きていた不和にも気付けない程に追い詰められた女の姿に、頼ろうとしたリリィさえも何も言えずに固まってしまう。

 

 

「何でもないですよ」

 

 

 そんな彼女に、突き放す様な言葉を投げ返す蒼い瞳の少年。

 知らない誰か(ティアナ・L・ハラオウン)に対するそれのではなく、其処には僅かな温かい色があった。

 

 だが気付かない。だから気付かない。

 栗毛の女性を通して、トーマが見ているのは彼女(なのは)ではない誰か(香純)だと言う事に。

 

 

「そ、そう」

 

「ええ」

 

「だ、大丈夫なのかな」

 

「全く、全然、これっぽっちも問題なし。な、ハラオウン」

 

「え、ああ」

 

 

 そんな言葉の応酬の中、突然話を振られたティアナは言葉を言い淀む。

 

 

「……そうね。問題なんてないわ」

 

 

 だが、それも一瞬。数瞬の後には冷静に取り繕った表情で、ティアナはそう口にしていた。

 

 

「だ、そうですよ」

 

「そ、そっか」

 

 

 そんな二人の何処か余所余所しい会話に違和を感じつつも、追及する程の気力も湧かない女は苦笑いを顔に浮かべていた。

 

 そうして、沈黙。誰も何かを話す事はなく、話す気さえもない。

 居心地の悪い沈黙の中、何かを口にしようとしたリリィを遮る様に、レイジングハートが着信を告げる為に震えた。

 

 

「あ、呼び出しだ」

 

 

 手にしたデバイスを覗き込み、今与えられた指示を確認するなのは。

 その表情は疲れ切ったそれから、文字を追う度に驚きへと色を変えていった。

 

 

「何か、あったんですか?」

 

 

 その表情の変化にただごとではあるまいと、ティアナが問い掛ける。

 そんな彼女の言葉にうんと一つ頷いてから、なのはは与えられた指示を口に出した。

 

 

「クローベル統幕議長から、……指揮権をアリサちゃんに委任して、即座に出頭せよって」

 

 

 現状の高町なのはは、部隊指揮能力において不安が見られる。

 故に指揮権を譲度した上で出頭し、現状には問題がないと言う事を証明せよ。

 

 デバイスに届けられた命令文は、要約すればその様な内容であった。

 

 その意図は部隊長としての不適合を責める為の物ではなく、寧ろそれを理由に少し休めと言う物だ。

 数年前に護衛任務を請け負ったなのはの事を、孫の様に可愛がるあの老女なりの好意であるのだろう。

 

 

「えっと、統幕議長さん、からですか?」

 

「……うん。非公式だけど、クローベル統幕議長とフィルス相談役も此処に来てるんだ」

 

 

 そんな大物が来ているのかというリリィの問いに、なのはは頷いて答えを返す。

 

 彼らは伝説の三提督と呼ばれる管理局の大御所。

 既に亡くなってしまわれたラルゴ・キールも含めて、この三者は政治の面でも強い影響力を持っている。

 

 故にこそ、今立食会を行っている有力者達同様、このホテル・アグスタへと招かれていたのだ。

 

 

「明確な命令権は持ってない筈だから、拒否する事も出来なくはないけど」

 

 

 あくまでも今の彼女はVIPとしての参加しているのであって、作戦の上位者ではない。

 指揮権が違う事を理由に、この呼び出しを拒否する事は不可能な事ではない。

 

 寧ろ分隊長としての責を果たすならば、此処で部外者の呼び出しに従うべきではないのだろう。

 

 それでも悩んでしまうのは、それが善意による呼び出しなのだと分かってしまった事と、今の自分が此処に居て何が出来るのだろうかと言う疑問。

 そして、既にミゼットがバーニング分隊にも話を通していると言う状況が故であった。

 

 

「……行ってくりゃ良いんじゃないですか」

 

「トーマ君」

 

 

 そんな理由で思い悩むなのはに、トーマは乱暴な言葉を掛ける。

 

 

「先生が倒れてからこっち、アンタ、気を張り詰め過ぎだ。俺らは何かと頼りないかも知れないけど、それでも今のアンタが指揮するよかマシだろうぜ」

 

 

 言葉を聞いたティアナとリリィが思わず口を開こうとする程に、それはぶっきらぼうな言い回し。無礼にも程がある言葉遣い。

 

 

「……だから、少し休んどけよ」

 

 

 だが、冷たい言葉ではなかった。

 其処には不器用ながらも、排他ではない思いやりが確かにあったのだ。

 

 

「うん。ちょっと、そうさせて貰うね」

 

 

 だからそんな不器用な少年に笑みを返す。

 言葉尻だけでは冷たくても何処か温かさを宿したその言葉に破顔して、高町なのははホテルの中へと戻って行った。

 

 

 

 そうして分隊長が戻った後に、残されるのは三人の子供達。

 

 

「……ちょっと、トーマ」

 

「何だよ」

 

「アンタ、途中から敬語使ってなかったわよ」

 

「……マジか」

 

 

 やっちまった、と顔を覆うトーマ。そんな少年の姿を、訝しげな視線で見据えるティアナ。

 違和感があった。拭いきれない程に、其処に違和感があった。トーマ・ナカジマはこんな奴だったか、そんな疑問が内心に浮かんでいる。

 

 

「なんつーか、なのはさんに敬語を使うのに違和感があるって言うか、寧ろアイツはバを付けた上で呼び捨てにすべきなんじゃないかって妙な感覚があって」

 

「……聞かなかった事にしておくわ」

 

「そうしろ」

 

 

 そんなティアナの胸中に気付かず、トーマはそんな言葉を零す。

 ぶっきらぼうな口調に籠った情はなく、今の少年にとって少女は見知らぬ他人でしかない。

 それと同様に、少女にとっても少年は見知らぬ誰かでしかない。その事実にティアナは未だ気付けていなかった。

 

 

(トーマ)

 

 

 リリィは知っている。白百合だけは分かっている。

 トーマはこの場に居る人々を見て、其処に違う影を重ねて見ているのだ。

 

 彼ではない彼に浸食されて、その認識が染まりつつある。

 何れティアナにも情を向ける様になるだろうが、その時にはきっと彼女を別人として見る事になる。

 

 そうなればきっと終わりだ。もう引き返せない程に、トーマはツァラトゥストラに近付いていく。

 

 

(きっと、大丈夫だよね)

 

 

 祈る様な願いに、保証などは何もない。

 変貌しかけている少年と、追い詰められている少女。

 指揮官は心が疲弊し切っていて、間に立つ白百合には特別出来る事がない。 

 

 まるで空に浮かぶ暗雲の様に、彼らスターズ分隊の今後は暗く淀んでいた。

 

 

 

 

 

3.

 そうして、女達は邂逅する。

 

 

「え? アリサちゃん」

 

「な、なのは!?」

 

 

 呼び出された部屋へと移動する途中のエレベーターホール。

 裏口から戻って来たなのはは、別の入り口から入って来たアリサ・バニングスと遭遇していた。

 

 

「どうして、……アリサちゃんが指揮権を受け取ってるんじゃ」

 

「それはこっちのセリフよ! アンタこそ、何やってるの!?」

 

 

 思わず、と言った体で零した疑問。

 それに対する相手の対応も、全く同じ疑問の吐露であった。

 

 何かがおかしい。何かが噛み合っていない。

 互いに混乱しながら向き合い続ける二人の下へ、第三者が現れる。

 

 

「……二人とも、こんな所でどうしたの?」

 

『すずか(ちゃん)!』

 

 

 向けられる視線に嫌気が差して抜け出した女が、其処で彼女達と合流した。

 

 

「……まず落ち着いて、驚いていても意味がない、でしょ」

 

「そう、ね。……なのは、“アンタは誰の命令を受けた”?」

 

 

 言い争いになる前に、状況を理解するべきだ。

 そう諭されたアリサは、なのはへと確認の言葉を掛ける。

 

 

「私はクローベル統幕議長から、……指揮能力に不安があるから、少し休めって」

 

「……こっちはフィルス相談役よ。最高評議会について至急伝えねばならない情報が出て来たから、速やかに出頭せよってね」

 

 

 予想通り、異なる人物から同じ様な命令を受けた相手。

 前線指揮官を纏めて排除する様な命令だった事を理解して、三人は全く同時に同じ疑問を其処に抱いた。

 

 

『おかしい』

 

 

 そう。おかしい。

 並べてみればはっきりと分かる程に、余りにもおかしな命令であったのだ。

 

 

「どっちも指揮系統に居ない今、直接的な命令権は持っていない」

 

「なのに強権を振るう様な形での呼び出し、立ち場上断れない人間からこんな命令をされたら、まず動かずには居られない」

 

 

 そもそも命令権のない人間が、現場に直接口出しする時点でおかしな話である。立場上断れない話を、持ってくるような人物ではなかった筈なのだ。

 

 そして仮に、召喚が正当な理由による命令であったとしても、動かすのはどちらか片方で済んだ筈だ。

 なのはを休ませる事を目的とするのだとしても、フィルス相談役の命令も同時に済ませる事は出来ただろう。

 

 

「……私たちを同時に動かす理由は何?」

 

「前線の戦力低下。今、前線に居るのはエース級の実力者は新人達だけ」

 

 

 命令に違和を感じたならば、次に思考するのはその命令を下した理由。

 態々なのはとアリサを前線から同時に退かせる理由など、戦力低下を狙う以外に思い浮かばない。

 

 其処から類推出来るのは、襲撃が起こり得る可能性。

 

 

「なら、あの人達が裏切って最高評議会側に付いた?」

 

「まさか、……クローベル統幕議長はそんな人じゃないよ」

 

「フィルス相談役も、ね。あの人が裏切るメリットが一切ないわ」

 

 

 すずかの懸念に、両者を良く知るなのはとアリサがあっさりと返す。

 人間誰しも裏がある様に人柄だけで全てを判断するのは危険だが、理屈でも情理でも彼女らが裏切る要素が存在しない。

 

 機動六課に深く関わる人間は皆、ヴェロッサの思考捜査を受けている。

 それは老人たちも例外ではなく、故に裏切りという可能性は真っ先に潰せる物だった。

 

 

「と、なるとこれはこちらを動かす為の誤情報」

 

「或いは、本人達の身に何かがあった、ね」

 

 

 故に結論は、誰かの策謀に嵌められたと言う物。

 その罠が牙を剥くのはこれからなのか、それとも既に剥き終えた後なのか。それが分からずとも、確かに彼女達は嵌められたのだ。

 

 

「どうするの?」

 

「命令無視して、どっちかが現場に戻る? それとも、クロノ君に報告すべきかな」

 

 

 すずかの問い掛けとなのはの提案。

 その二つを聞いて、アリサはどうするのが一番最善なのかと思考する。

 

 

「……確か、お二方は最上階のスイートルームだったわね」

 

「うん。其処で時間までお休みになられている予定だけど」

 

 

 まず、前線メンバーは放っておいても平気だろうか?

 

 トーマは襲い来るのが反天使であっても対処できるだけの力があり、キャロとルーテシアの傍にはあの心配性な獣が控えている。

 万が一の事態が起こっても、駆け付けるだけの時間は稼げるであろう。

 

 それに命令無視の前例を作ると、後々になって責められる隙となる危険がある。故に彼らについては後回しにするしかないだろう。

 

 クロノ・ハラオウンに指示を仰ぐか。

 だとしても情報が少な過ぎる。自分達の得た情報しか得ていない状態では、この異常事態に対処できるとは思えない。

 

 ならば簡単な状況だけは連絡を入れておき、自分達は独自に動いた方がいいだろう。

 そう結論付けると、アリサは二人に対して己の考えを口にした。

 

 

「まず、誰がこんな事を仕出かしたのか。それを知る必要があるわ」

 

 

 まず必要なのは正確な情報。最も恐ろしい事が起きている可能性を潰す事こそ、一番必要な事である。

 

 

「今一番怖いのは、最高評議会じゃない。……あのクソ女が内部に入り込んでいる可能性」

 

 

 今一番恐ろしい事とは何か、それは全ての情報が筒抜けであり、既に魔群がこのホテル内に潜んでいる可能性。

 

 単純戦力で最強である魔刃以上に、魔群が潜んでいた場合は手に終えないのだ。

 

 もしも、あれが既に内部に潜んでいたとするならば、この防御網には意味がなくなる。

 万が一既に奴が潜んでいて、蟲を手当たり次第に植え付けていたとするならば――巻き起こるのは感染拡大(パンデミック)だ。

 

 誰も彼もが次から次へと苗床に変えられていく、悍ましい地獄が顕現するであろう。

 この外部からの干渉の一切を防ぐ要塞は、内部に残された人々を閉じ込める檻へと変わってしまうのだ。

 

 

「行くわよ。まずは何があったのか、この目で確かめないと」

 

『うん』

 

 

 それだけは防がねばならない。

 そうなってしまっているとしたならば、即座に対処しなければならない。

 

 

(幸い、こっちにはすずかが居る。魔群の毒でも直ぐに対処すれば、如何にでも出来るわ)

 

 

 後は時間との勝負。

 既に手遅れになっていない事を祈って、女達は走り出した。

 

 

 

 そして、辿り着いたVIP用のスイートルーム。

 返事を待つ時間すら惜しいが故に、荒々しく扉を叩いて乱暴に開く。

 

 その、先には――

 

 

『っ!?』

 

 

 椅子に腰掛けた二つの物体があった。

 譫言を口にする様に、同じ言葉だけを呟き続ける壊れた残骸しかなかった。

 

 

 

 誰もが一見して分かる程に、二人の老女は人として終わっていた。

 

 

 

 

 

4.

 静かな森の高台から、そのホテルを見下ろす影がある。

 その数は三つ。罪悪の王。真なる魔群。そして、未来を識る中傷者。

 

 此処にあるは反天使。三柱の怪物が其処に集っていた。

 

 

「どうやら、発見されたようですね」

 

「……そうか」

 

 

 機械の如き抑揚のない声で、魔鏡は静かに事実を語る。

 それに返す魔刃は然程興味なさげに、事態の推移を見据えていた。

 

 

――アクセス――我がシン

 

 

 声がする。声が響く。

 奈落(アビス)へと繋がる為に、己の原罪を解き放つ声が響いた。

 

 

「傀儡の限界ですね。繰糸を操る事を止めれば、途端に動かなくなってしまう」

 

「……老人達に指示を出させた時の様に、遠隔操作を続ければ未だ多少は引き延ばせたんじゃないかい?」

 

 

 機動六課に潜入していた彼女は、今日の予定を調整する為に六課を訪れていた老女達に接触し、事前に傀儡へと変えていた。

 既にその時、ミゼット・クローベルとレオーネ・フィルスは、魔鏡の手によって完膚なきまでに壊されていたのだ。

 

 

「直接会っても気付かれないレベルの精度を保てば、こちらへのフィードバックが余りにも大きくなり過ぎる。ティーダの時で懲りましたよ。巻き添えはもう御免です」

 

 

 二柱の堕天使がそんな言葉を交わす影で、少女の身体が膨れ上がる。

 その右の半身が大きく揺らぎ、右肩から先の華奢な肉体が悍ましい異形へと変じていく。

 

 

――イザヘル・アヴォン・アヴォタヴ・エル・アドナイ・ヴェハタット・イモー・アルティマフ・イフユー・ネゲッド・アドナイ・タミード・ヴェヤフレット・メエレツ・ズィフラム

 

 

 クアットロが呪いの言葉を口にして、イクスヴェリアと呼ばれた少女が苦悶の声を上げている。

 喘ぐ様な少女の声と共に、肥大化した腕はまるで鋼鉄の如く変色し、巨大な悪魔の顎門へと作り替えられていく。

 

 

「そうか」

 

「はい」

 

「……少し、変わったか」

 

「はい?」

 

 

 そんな少女の姿から目を逸らす様に、少年は魔鏡へと語り掛ける。

 その暗く濁った炎を燃やす瞳は、無垢なる人形だった筈の魔鏡の変化を映していた。

 

 

「……いや、大した事じゃないさ」

 

「はぁ」

 

 

 とは言え、会話に大した意味を見出せない魔王と、感情が死滅した人形の如き無表情の魔鏡。その両者に、真面な対話が成立する筈もない。

 

 声を掛けたは良いが、特に言う事も見つからずに言葉は途切れる。お喋りな魔群と異なり、彼らの会話はあっさりと終わった。

 

 

――おお、グロオリア。我らいざ征き征きて王冠の座へ駆け上がり、愚昧な神を引きずり下ろさん。主が彼の父祖の悪をお忘れにならぬように。母の罪も消されることのないように

 

 

 イクスヴェリアの瞳が真っ赤に染まり、その背を引き千切って機械仕掛けの翼が生えて来る。

 右の肩甲骨より生えた片翼の翼は、ただ一度の羽搏きだけで膨大なエネルギーを作り出す。

 漆黒の翼が生み出した力に弾かれる様に、一瞬でイクスヴェリアの身体は上空へと跳ね上げられた。

 

 

「さて、花火が上がるぞ」

 

「ええ。花火が上がりますね」

 

 

 上空百メートル。高みより見下ろす魔群は、右腕が変質した魔砲で狙いを付ける。数キロ先までも見通す瞳は、どんな標的だろうと見逃さない。

 

 狙うべき標的は唯一つ。ホテル・アグスタ。

 

 

――その悪と罪は常に主の御前に留められ、その名は地上から断たれるように。彼は慈しみの業を行うことを心に留めず、貧しく乏しい人々、心の挫けた人々を死に追いやった

 

 

 呪いが形となる。無数の蟲が門を通じて奈落より呼び出され、そして銃口へと集まっていく。

 周囲の悪性情報。人の魂を穢し貶める魔性の群れ。世界に満ちる大気。その全てを一点に収束して、生み出すのは巨大なプラズマ球。

 

 

「僕は行く。奴と決着を付ける為に」

 

「では、私は残りましょう。どうせ生き残りが出てもクアットロが喜々として潰しに行くでしょうから、未だ私が動くべき時ではありません」

 

 

 ホテル・アグスタは要塞だ。相次ぐ天魔災害に備えての対策で、要塞染みた性能を有している。

 核の直撃にも耐えるであろう装甲と、歪みや魔法を妨害する特殊な装置に守られている。

 

 ならばこの要塞は完全無欠か? 否、否である。

 

 

――彼は呪うことを好んだのだから、呪いは彼自身に返るように。祝福することを望まなかったのだから、祝福は彼を遠ざかるように。呪いを衣として身に纏え。呪いが水のように腑へ、油のように骨髄へ、纏いし呪いは、汝を縊る帯となれ

 

 

 その最大の弱点は、単純な防御力。耐久性が常識の域を出ていない。

 

 街一つ。国一つ。その程度を破壊し尽くす攻撃ならば防げるであろう。

 だが、果たして大陸一つを一瞬で消滅させる魔群の牙を向けられて、耐えられる道理が何処にある。

 

 

――ゾット・ペウラット・ソテナイ・メエット・アドナイ・ヴェハドヴェリーム・ラア・アル・ナフシー

 

 

 故にこれで終わり。だから此処でさようなら。

 

 

「皆々皆様、これにてさようなら。纏めて根こそぎ死んでしまいなさいっ!」

 

 

 にぃと女が悪い笑みを口元に浮かべて、そして終わりの引き金を引く。

 大陸全土を消し去る力を一点に収束して、撃ち放たれるは真なる魔群の最高火力。

 

 

「レェェェストイィィィンピィィィィッス!!」

 

 

 偽神の牙。ゴグマゴグ。放たれるそれは超高熱のプラズマ球。

 二億度を優に超える漆黒の魔弾は、轟音と大気を貫いて飛翔し、ホテル・アグスタを撃ち抜いた。

 

 そして轟音。大地を揺るがす轟音と、破壊の衝撃波。

 そして膨大な熱量を伴った光が世界を塗り替えて――後には唯、巨大な穴だけが残されていた。

 

 

「ウフフ、アハハ、アァァァハッハッハァァァッ!!」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤い声を響かせる。

 ホテル・アグスタは地上より消え、建物は全て蒸発した。彼の聳え立つ摩天楼は、最早地図上にしか残らない。

 

 

「アァァァッハハハハハハハハハハァッ!!」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤い続ける。

 

 内にあった人間の死はほぼ確定。辛うじて生き延びた者が居たとしても、地面に刻まれた大きな穴の底。助かる道理など何処にもない。

 

 最早、其処には地獄しか残っていないのだ。

 

 

「クアットロ。トーマは巻き込んでいないだろうな」

 

「勿論ですよぉ。フォアード陣は、ぜ~んいん無事みたいですよぉ」

 

 

 元より、魔鏡の仕込みはこの為に。

 人形が予め老女たちに接触していたのは、標的を一点に集めるが為だ。

 

 そう。ホテル・アグスタは檻ではない。獲物を纏めて仕留める為の網だったのだ。

 

 

「……では、行く」

 

 

 弾ける様な音と共に、エリオの背にも黒い翼が噴き上がる。

 穴だらけの黒き翼で強く羽搏くと、魔刃は一瞬で遥か彼方へと跳んで行った。

 

 

「ではでは~、私も生き残りをプチプチ潰して行きましょうかぁ」

 

 

 爆風と共に大気を歪めて飛び立ったエリオの背を見詰めた後で、クアットロは暗い笑みを浮かべる。

 

 トーマは彼の為に残した。同じく、外部に居た少数の者らは全て彼に任せよう。

 

 故に己はあの穴の底に居るかも知れない生き残りの始末に。

 偽神の牙によって瀕死に迄追い詰められたであろうエース陣を、安全な場所から確実に仕留めるのだ。

 

 

「じゃ、後はお願いねぇん。アストちゃん」

 

「……了解。ご武運を」

 

 

 アストと呼ばれた魔鏡は機械的に頷いて、それを見てクアットロは面白そうに嗤う。

 

 

「素直な子は好きよぉん。アストちゃん」

 

 

 魔群は魔鏡の事を好ましく思っている。

 傀儡を操る人形と言うその在り様が滑稽過ぎて、余りにも嗤えるから彼女の事が好きだった。

 

 それは彼女が無垢なる人形だからこその、上から目線での好意。

 故にこそ、今彼女の伽藍洞の心の内に僅かな感情が生まれ始めているとしれば、即座に嫌悪に変わるであろう。所詮魔群は小物である。

 

 

 

 そして一柱の反天使を残して、二柱の怪物がその堕ちた翼を天高く羽搏かせた。

 

 

「さぁ、踊りましょう。今夜は地獄が近い日(クリミナルパーティ)なのだからぁっ!!」

 

 

 地獄に近い日は今日、この時。クリミナルパーティーが開演する。

 さあ人々よ。絶望しろ。汝らの希望は全て絶やされ、世界は滅びへとその針を進めるのだから。

 

 

 

 悪意に満ちた宴が、こうして始まった。

 

 

 

 

 




アグスタ「ぐあぁぁぁぁぁっ!?」
リニアレール「あ、アグスタァァァッ!」
廃棄区画「何て有り様だ。塵一つ残ってねぇ」


そんな訳で、物理的に消滅したホテル・アグスタ。
完全防備のその弱点は、過剰火力をぶつけられるとあっさり壊れる事。

魔群のゴグマゴグ(砲撃モード)以外にも、なのはの“惑星破壊砲”やクロノの“愚息諸共KEITO☆TENTUI!”でも壊せます。



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