リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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不幸の連鎖。コンボ中。

推奨BGM
1.Holocaust(Dies irae)
2.雲海を抜けて(リリカルなのは)
3.Gotterdmmerung(Dies irae)


第十五話 地獄が一番近い日 其之参

1.

 雷光の如き白銀の刃が迫る。繰り出される槍技は正しく極上。

 獣を思わせる瞬発力で反応して処刑の刃を合わせるが、されど敵の方が一枚も二枚も上手であった。

 

 

「がっ!?」

 

 

 振るう刃に合わせる様に、流れる動きで槍が動いて一閃する。

 黒き炎が傷口に燃え移り、嫌な音を立てて一瞬で広がっていく。

 

 

「っっっ!」

 

 

 刻まれたのは無価値の炎。

 何処までも黒く、暗い炎は一瞬で全てを腐り堕とし――

 

 

「ディバイドゼロ・エクリプスっ!」

 

 

 全てを分解する毒が、それを消し去る。己の身体を腐炎が燃やし尽くす前に、その部位を分解して吸収する。

 ディバイドゼロの影響で五感が僅かに狂うが、それとて即死に比べれば遥かにマシな障害だった。

 

 

「はぁ、はぁ、っ――」

 

「そらっ、休んでいる暇はないぞ!」

 

 

 焔を纏う槍撃は、一寸の隙すらもなく。絶え間なく放たれる槍衾は、トーマの守る速度を超えて彼の身体を傷付けていく。

 

 

「っ、ぐぅっ――」

 

 

 腐炎が燃え上がる前に自傷して、欠損した血肉が再生する。

 再生した肉体にすぐさま攻撃を受けて、また自傷する破目となる。

 

 一歩間違えば死ぬ状況。この状況下で世界を侵す病毒は、彼の命を繋ぐ生命線となっていた。

 

 

「そのままでは全身が燃え堕ちるよ。何か打開策はあるのかい?」

 

「っ、テメェ! 何時までも余裕かましやがってっ!」

 

「はっ、遠吠え以下だね」

 

 

 合わせた斬撃の数は既に十合。その度に刻まれていく傷は増え、対して魔刃は無傷である。

 

 

「事実余裕なのさ。今の君の相手はね」

 

「っっっ!!」

 

 

 そんな有り様を嘲笑うかの様に、魔刃はその刃を振るう。振るわれる槍の斬撃は、大振りだと言うのに隙が無い。

 

 刺突こそが本領だろうに、突撃槍による斬撃を繰り返すエリオ。

 彼の動きに合わせるだけで精一杯のトーマには、憎まれ口を叩く程度の余裕しかない。

 

 

〈トーマっ! このままじゃ……〉

 

「ああ、分かってる」

 

 

 このままでは勝てない。そう告げようとする白百合の声に、分かっていると答えを返して、トーマはエリオの槍を受けきる。

 

 その力強い槍捌きは、振るう力さえ極上の物。だがそれ故に押し込む敵の膂力は強く、上手く利用できれば糧となる。

 

 薙ぎ払う槍を処刑の剣で受けて、その吹き飛ばす力に逆らわずに、トーマは大きく後方へと飛び退いた。

 

 

創造(Briah)――美麗刹那(Ein Faust)序曲(Ouvertüre)!」

 

 

 双頭の白蛇を刻んだ瞳が、星の如く美しい蒼に輝く。

 流れ込む記憶が齎す力は、美しい一瞬を少しでも長く感じたいと言う加速の願望。

 

 意識の加速が生むのは周囲の停滞。風に吹かれるマフラーの動きさえもゆっくりとした物に感じられる世界で、それまでと変わらずに動けるトーマだけは加速している。

 

 その速力を頼りに、処刑の刃を握って疾走する。

 相手が反応出来ない速度で、一瞬の内に勝負を決めようと――

 

 

「先の戦いでも見たよ。それは」

 

「っ!?」

 

 

 そんな思惑は、己よりも早く動いた魔刃の速度によって根底から覆された。

 

 時間加速したトーマよりも、加速魔法と黒き翼で走るエリオが前を行く。

 永遠の如き一瞬を味わいたいと言う願いを大きく超える速度で、エリオはトーマの頭を抑え付けた。

 

 

「だから、もうその速さには慣れた」

 

「がぁぁぁぁっ!!」

 

 

 捉えた頭を万力の如き力で抑えたまま、暗い炎を燃やすエリオ。

 させるものかとトーマが刃を振るうが、その直前に地面へと投げ付ける様に叩きつけられて、転がり倒れる。

 

 容赦なく踏み付ける足を転がりながら躱して、慌てて起き上がったトーマは距離を取る。

 そんな彼に告げられる声は、何処までも冷たく見下した物。

 

 

「君の願い(チカラ)は薄っぺらい。それはまるで、借り物の様に感じるよ」

 

 

 魂の汚染と引き換えに得た力。

 嘗ての自分に染められる魂は、しかし染まり切ってはいない。

 

 故に其処に齟齬が生まれる。

 故にこそ、彼の願いは純度が薄い。

 

 

「その程度の加速なら、僕の魔法と翼が上回る」

 

 

 槍に腐炎を灯したまま、エリオの足元で雷光が走る。

 地上を雷が走る様に、直角に折れ曲がりながらも加速する少年の速力は、この瞬間にトーマのそれを凌駕していた。

 

 

「っ! 早っ!?」

 

「違うね。君が遅いのさ」

 

 

 放たれるのは、雷光を纏った三連襲撃。

 即死の槍に集中する余り、無防備になった胴へと雷光が刻まれた。

 

 

「がっ!」

 

「そら、隙だらけだぞ!」

 

「っ、おぉぉぉぉっ!」

 

 

 刻まれる痛みに耐えながら、槍の一撃だけには反応する。

 

 掠り傷でも自傷せねば死に至る炎。

 直撃などすれば、その瞬間に全てが終わる。

 

 故にどれ程苦しくとも、どれ程に辛くとも、これだけは防がねばならない。

 

 

「つ、強い。コイツは、エリオは前より強いっ!?」

 

〈トーマっ! 落ち着いて! ()()()()()!〉

 

 

 身体に付いた傷は刻一刻と増えていき、再生する痛みに歯を食い縛って耐える。

 全身に感じる威圧感が増していく。息苦しい程に重厚な殺意の中で、トーマは崩れ落ちそうになる身体を必死に抑える。

 

 実力の差に戦慄するトーマの耳に、リリィの叫びは届かない。

 故にそのトーマの錯覚を理解させたのは、宿敵である彼の言葉であった。

 

 

「そうだ。違う。()()()()()()()、トーマ」

 

「な、に……?」

 

「だから、君が感じている僕の強さは、錯覚だと言っているんだ」

 

 

 そんな彼の言葉に、返されるは冷めた言葉。

 夜風の笑みを張り付けた少年は、冷たい声で真実を語った。

 

 

「確かに、僕はそれなりには強くなっている」

 

 

 己の手が小さい事に気付いて、もう背負っては居られないと分かって、だからエリオは余分を捨てた。

 

 故にその振るう槍はより鮮烈に、その燃やす炎を使う事に躊躇いはなく、確かに強くなったと言えるだろう。

 

 だが――

 

 

「けどね、あの時程じゃない。あの瞬間の共鳴現象。その時至った領域には、まだ届いていないんだ」

 

 

 トーマが覚醒したあの瞬間、共鳴する二人が至った領域には届いていない。

 まだ創造の半歩先、流出の一歩手前にすら至れていない。神域には僅かに届いていないのだ。

 

 

「……なら」

 

「簡単だ。僕が強くなったのではないなら――」

 

 

 そう。答えは唯一つ。

 震える声のトーマは、理解したくない真実を告げられる。

 

 

「君が弱くなったんだよ。トーマ」

 

「っ、がぁっ!?」

 

 

 驚愕を張り付けた少年の下へ、赤い悪魔が疾走する。

 振るわれる槍の斬撃を受けた刃ごと、トーマは大きく吹き飛ばされた。

 

 だが肉体が受けた衝撃よりも、精神に受けた衝撃の方が遥かに大きかった。

 

 

「嗚呼、弱いね。今の君は、その刃を得た時よりも弱い。その刃を得る前よりも、尚弱い」

 

 

 続く追撃は烈火の如くに苛烈で、雷光の如く素早い。

 破壊の力に曝される少年は、必死で剣を合わせる事しか出来ていない。

 

 

「分かるかい? 致命的なまでに自我が破綻しているのが、まるでボタンを掛け違えたかの様に、君の意志と君の肉体、それが完全にずれているのが」

 

 

 精神と肉体がズレている。意志と渇望が破綻している。

 中途半端に塗り替えられたその内面は、見るに堪えない程にボロボロだった。

 

 

「嗚呼、本当に――君は弱いなぁ」

 

「っっっ!」

 

 

 嗤う悪魔の声に、言葉を返す事は出来ない。

 魔刃の言葉は何処までも正しくて、決して覆りはしないのだ。

 

 

「くっそぉぉぉぉっ!」

 

「ははっ、破れかぶれかい? それは、無意味だよ」

 

 

 エリオ・モンディアルは、悉くトーマの上を行く。

 身体能力も戦闘技術も、そして破滅を齎す毒すらも腐炎を前にすれば相殺される。

 

 破れかぶれに虚を突こうと、危なげなく対処されて終わりである。

 

 

「獣の動きは理解した。その加速の法則は乗り越えた。処刑の刃の力だって、今の僕にとっては無意味だよ」

 

 

 ならば、彼に勝る何がトーマの内にある。

 

 

「なら、さて――君には何が残っている?」

 

 

 何もない。何もなかった。

 

 獣の如き動きは、武人のそれを超えられない。

 加速した速度は乗り越えられて、追い付く事すら出来ていない。

 

 振るう異能が相討つ以上、覆せるだけの物が何処にある。

 

 

「何もないと言うなら、此処で死ね。何かがあるとしても、此処で死ね。ただ無意味に、ただ無価値に、其処で死骸を晒して死ね」

 

 

 悪魔は揺るがない。魔刃は揺らがない。

 全ての破滅に向かって、決して揺るぎはせずに追い詰めていく。

 

 

「誰でもない悪魔。そして殺される神も、誰でもない、か」

 

「エリオォォォォォォォォッ!」

 

「……本当に、僕たちは無価値だね」

 

 

 自嘲する声で、寂しげに語る言葉。

 振るう刃を合わせながら、エリオは諦めた様に嗤い続けている。

 

 

「生産性がない。継承する物もない。奪うしか出来ない存在に、果たして一体何の価値がある」

 

 

 記憶は汚染され、感情は塗り替えられた。

 本来受け継いだ筈の拳は、その名の様に繋がれる事はなく無価値に消えた。

 

 守るべき者を守る強さも持てず、己に出来る事は殺すだけ。

 こうして殺せば自分も含めて全てが滅ぶと言うのに、喜び勇んでそれを為す愚か者。

 

 嗚呼、本当に――

 

 

「何もない。僕たちは等しく無価値だ」

 

 

 嗤う。嗤う。嗤う。

 その無様を嗤う。その有様を嗤う。

 その末路に、こんな物かと諦めを感じている。

 

 

「何も持てなかった。何も持っては居られなかった。僕も君も、余りにも弱かったから」

 

 

 もう何も持っていない。

 感情までも塗り替えられた少年と、己の意志で余分を捨てた少年。

 

 その手には、何も残っていないのだ。

 

 

「っ! 勝手に決め付けてっ! テメェの自暴自棄に、巻き込むんじゃねぇっ!!」

 

 

 そんな決め付けの言葉に、そんな無価値だと嗤う声に、トーマは反意を抱いて此処に叫ぶ。

 大剣と突撃槍をぶつけ合いながら、トーマ・ナカジマは己を無価値と蔑むエリオに反発する。

 

 

「俺には、リリィが居る。他にも、守るべき者がある。テメェみたいに、何もないなんて拗ねている余裕なんて、ないんだよっ!!」

 

〈トーマ!〉

 

 

 内面で喜色を返す白百合の想いを背負って、トーマ・ナカジマは心を示す。

 誰に否定させようか。此処に抱いている想いは、俺も、僕も、共に抱いた想いだから――

 

 

「……けどさ。その言葉も、その想いも、所詮借り物だろう?」

 

「っ! エリオォォォォォォォォッ!!」

 

 

 だが、その想いすら否定される。

 お前には何もないと、己と同じく無価値なのだと、嘲笑う声は止まらない。

 

 

「今の君が何を言おうと、其処に熱量なんて感じない。……唯、空虚なんだよ。空っぽの風船だ」

 

「っ!」

 

 

 流れ込む記憶を頼りに奮闘するが、その趨勢は覆らない。

 どれ程に想いを込めて剣を振るおうとも、その魔刃は揺るがせられない。

 

 幾たび刃を重ねても、常に弾き飛ばされて膝を付くのはトーマであった。

 

 

「けど、大丈夫。案ずる必要はない」

 

 

 この先にあるのは詰将棋。

 至るべき結末は揺るがずに、敗北は既に必定だ。

 

 

「もう終わる。この無価値な生も、植え付けられた憎しみも、漸く全てが終われるんだ」

 

 

 都合の良い覚醒などは起こらない。

 今はその条件が満たされていないが故に、あの時の共感状態には至れない。

 

 助けてくれる誰かはいない。

 追い詰められた少年に、差し伸べられる手は存在しない。

 

 ならば、やはりこの結末は揺るがない。

 

 

「じゃあ、終わらせようか」

 

 

 身体の傷は増えていき、身体の動きは鈍っていき、心は絶えず追い込まれている。

 

 

 

 振るわれる刃は、躱せない。

 

 

 

 

 

2.

 その光景を、少女は見ていた。

 その瞬間に至るまでを、彼女だけが見ていた。

 

 

「っ、あ」

 

 

 声を上げる。言葉を漏らす。

 ただそれだけで、全身が酷く痛んだ。

 

 

「っ、っ――」

 

 

 それでも、立ち上がる事を諦めない。

 其処に残った意地だけが全てだから、縋り付く様に身体を動かす。

 

 

「私、は」

 

 

 地面に打ち付けた身体が痛む。

 肺が空気を取り込む度に鈍い痛みが身体に走って、立ち上がりかけた身体が再び地面に転がり落ちる。

 

 そんな痛みの中で、霞む視界で、ティアナはその光景を見詰めていた。

 

 

(……なんか、以前にも、こんな事があったような)

 

 

 地面に倒れて土を食む。そんな状況に場違いな既知感を抱く。

 倒れたままに、相棒だった少年が赤毛の悪魔に嬲られている姿を見上げている。

 

 敵は一切眼中にないと、こちらに対して見向きもせず。

 何とかせねばと必死になって、身体を起き上がらせようと足掻いている。

 

 そんな経験を、確かに何処かで、した事があった。

 

 

(嗚呼、そうだ。あの時も……)

 

 

 あの自分に良く似た女が死んだ場所。

 ずっと待っていた義兄が、迎えに来てくれた場所。

 

 そして、自分と彼が相棒になった場所。

 あの時もこうして、トーマはエリオに追い詰められていて、自分は土を食んでいた。

 

 だから、きっと――

 

 

「きっと、出来る」

 

 

 今回だって、あの日と同じ様に出来る筈だ。

 あの時に自分の一撃が状況を変えた様に、今回だって助けられる筈だ。

 

 だって自分は、あの時よりも強くなった筈だから。

 あの日の自分には何もなかった。けど、今の自分には確かにある。だから、きっと出来る筈だ。

 

 そしてそれが出来たならば、きっと――

 

 

「きっと、やれる」

 

 

 何かが変わる筈だ。変われる筈だ。あの日、自分と彼が相棒になれた様に。この弱い自分が、強く変われる筈だ。

 此処で助けとなる事が出来れば、きっとやり直す事が出来る筈だから。

 

 そんな風に己を鼓舞して、意地だけで保っていた心を燃やす。きっと出来るから、きっとやれるから、だからやるのだ。

 そんな風に意志を燃やして、ティアナは全力を振り絞る。

 

 

「この手で、このランスターの弾丸で」

 

 

 嘲笑う声が脳裏に響く。兄から奪った力と、嘲弄する女と少女の声がする。

 それら全てを無視したまま、ティアナ・L・ハラオウンはクロスミラージュをその手に構えた。

 

 

「今度こそ、私はっ!」

 

 

 地面に倒れたままの視界では、彼らの動きは捉え切れない。

 雷速と時間加速による高速戦闘を続ける二人を捉えるだけの眼を、ティアナは持ってはいなかった。

 

 だが、関係ない。ランスターの魔弾は必中の弾丸。

 狙いを付けられない現状で撃ち放っても、絶対に標的を貫けると信じている。

 

 

「喰らい付けっ! 黒石猟犬っ!!」

 

 

 漆黒の魔弾が、倒れた少女の銃口より放たれた。

 

 

 

 その時、ティアナは一つの教えを忘れていた。

 それは彼女の師が教えてくれた、歪みに頼り過ぎてはいけないと言う教え。

 

 その時、ティアナは一つの錯覚をしていた。

 自分に自信が持てない程に追い詰められた彼女には、ランスターの弾丸しか己で価値を認められる物がなかったから――

 

 彼女は兄から受け継いだその力を、過大評価し過ぎていた。

 

 

 

 歪み者は異能に目覚めた際に、己の願いを自覚する。

 目覚めた時の状況と己の願いの質から、己の歪みがどんな能力なのかを悟る。

 

 他人から歪みを受け継ぐなど、まずあり得ない。

 歪みとはその願いより生じた、個人の資質と言うべきものだから。

 

 それ故に、他者の歪みを受け継いだ者は、その本質を理解し切れない。

 それ故に、前例がない為に彼女が歪みの本質を理解していない事を、誰も気付く事が出来ていなかった。

 

 故にその漆黒の魔弾は、最悪の形でその戦果を挙げた。

 

 

「がぁっ!?」

 

〈トーマっ!!〉

 

 

 苦悶の声を上げたのは、良く知る誰か。

 その姿に絶叫を上げたのは、彼に大切にされていた少女。

 

 

「え、あれ……、どうして」

 

 

 己が共に戦いたいと願った相棒と、白百合が黒き魔弾に射抜かれている。

 狙ったもの以外を摺り抜ける筈の力は、明確な狙いを付けられなかったが故に、最も近くに居た存在を標的と誤認して発動していた。

 

 

「トーマに、当たったの」

 

 

 震える声で、ティアナが呟く。誰の目にも明らかな程に、其処にあったのはティアナの失態。

 

 誤射。ランスターの弾丸は、味方の背を射抜いていた。

 

 最悪の状況で、最悪の事態を巻き起こした少女はその手のデバイスを取り零す。

 きっと出来ると言う根拠のない感情は消え去って、どうしたら良いのか分からない混乱だけが残っていた。

 

 

 

 撃ち抜かれた少年の傷は軽くとも、その隙は余りにも大きい。

 唯一発の誤射が、力に依存した少女のミスが、続く最悪の流れを呼び寄せる。

 

 

(シン)(シン)から、(シン)(シン)へ」

 

 

 ニヤリと笑う赤毛の悪魔が、その隙を逃す道理はない。

 今直ぐにでも殺し尽さんと、その無価値な憎悪を燃え盛らせる。

 

 

「堕ちろ、堕ちろ――腐滅しろぉぉぉぉっ!!」

 

 

 ぐさりと肉を抉り臓腑に突き刺さった槍の穂先から、黒い炎が燃え上がった。

 

 

 

 燃え上がる炎は、無価値の炎。暗く昏い漆黒の炎は、触れた全てを燃やし腐らせ無価値に堕とす。

 直撃すれば死に至る。ならば今、こうして燃え上がる腐炎は己を殺す。

 

 背中に刻まれた痛みは、相棒である筈の彼女に与えられた傷。その理由が分からなくて、何で、どうして、と頭の中がごちゃ混ぜとなる。

 死を間近にした衝撃と、仲間の裏切りとさえ取れる誤射の衝撃で、トーマの自我は嘗ての自分を僅かに取り戻していた。

 

 

〈トーマ! しっかりして、トーマ!!〉

 

 

 必死に呼び掛ける少女の声。白百合が何とかしようと足掻いているが、最早どうしようもない。

 

 もう身体が動かない。もう意識が保てない。

 燃え上がる炎を防ごうにも、腹のど真ん中から燃え出すのだから、防ぐ術など何処にもない。燃え上がる炎は身体を腐らせ、己は此処で死ぬのだろう。

 

 記憶がフラッシュバックする。

 加速する思考の中で、記憶が走馬燈の様に流れる。

 

 其処に映るのは、機動六課の医療施設へと運び込まれた先生の姿。

 絶対に大丈夫だと信じていた。彼の知る限り最強の先生が、誰かに倒された無残な姿。

 

 自分もああいう風になる。

 否、そんな死体すらも残らないと言うのならば――

 

 

「いや、だ」

 

 

 そんなのは嫌だ。そんな結末は嫌だ。

 そんな終わりなんて、どうして認められるのか。

 

 終わりを目前にして、流されていた筈の“僕”が戻って来る。

 

 今になって、貫かれた刃から感じる憎悪の総量に震える。

 今になって、信じた相棒の裏切りに対して、余りにも強い衝撃を感じている。

 今になって、あれ程に大切だった人が傷付いた姿に抱いた感情が鮮烈な物に変わっている。

 

 

「こわ、い」

 

 

 このまま死んでしまう事が怖い。今戻って来た感情が、また失われる事が怖い。

 自分と言う存在は腐って堕ちて、大切だと抱いた想いさえ残らないと言うならば、一体この生に何の意味があったのか。

 

 

〈トーマ! トーマぁっ!!〉

 

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

 

 縋り付く様な白百合の声さえ届かない。

 溢れる恐怖に支配された少年の心は、もう限界を迎えていた。

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。

 

 もう、何もかもが怖かった。

 己に向けられる悪意も、己が塗り替えられる恐怖も、何もかもが嫌だった。

 

 だから――

 

 

「嫌なものっ、全部っ!」

 

 

 なくなればいい、そんな風に思った。

 

 

「怖いものっ、全部っ!」

 

 

 魔刃も神の残滓も、相棒も味方も何もかも。

 

 壊れてしまう現象が怖い。

 失われるかも知れないものが怖い。

 

 己を傷付ける全てが怖い。

 

 

「消えろぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 ならば全て、消えてしまえば良いのだ。

 

 

 

 紙吹雪の如く、本の頁が散乱する。

 膨大な力が発生して、己に刃を向ける悪魔の身体を吹き飛ばす。

 

 全てを滅ぼす病毒が、こうして世界に流れ出した。

 

 

 

 

 

3.

 銀十字の書が浮かび上がる。力を無差別に解き放った銀髪の少年もまた、書に引き摺られる様に浮かび上がって空で止まった。

 

 全てを怖がり、全てを拒絶した少年は自閉する。

 頭を両手で抱えたまま、黒き鎧の少年は膝を折って丸くなる。

 

 自閉した少年に変わって、銀十字の書が自動防衛機構を起動した。

 

 

 

 周囲に展開される光の力場。

 それがまるで溶かす様に、世界を分解して取り込んでいく。

 

 少年が恐れる物を排除する為に。

 少年がもう脅威を感じずとも済むように。

 世界全てを食らい尽くして、新世界の創造を始めんと動き出す。

 

 食われた後に残るのは、何もかもが消えた虚無の闇。

 空も大地も、人も物も、全てがゆっくりと分解されながら少年に食われていく。

 

 

〈トーマ! トーマッ!〉

 

 

 白百合の乙女の呼び掛けも届かない。

 少年の心は自閉したまま、恐怖に震えて怯えている。

 

 彼を止める力は存在せず、全ては食われて終わるであろう。

 

 世界は緩やかに、だが確実に終わりを迎えようとしていた。

 

 

「――そう。終わるさ。僕の手で」

 

 

 そんな光景を前に、神殺しの魔刃は笑みを浮かべている。

 

 光の力場に最も拒絶されたエリオは、しかし健在。

 その槍こそ再び破壊されたものの、その身体には傷一つ存在しない。

 

 彼は気付いていた。

 この世界を滅ぼすディバイド・ゼロの暴走。其処に生まれた一つの欠点を。

 

 

「殺意がなく、幼子が拒絶しているだけ。君自身の意志が乗っていないぞ。……だから、軽いんだ」

 

 

 分解された槍を手にしたエリオは、大地の上に立ちながら笑う。

 あれ程に拒絶されたと言うのに、己が腐炎で防ぎ切れた事から分かっている。

 

 今のエクリプスには、無価値の炎と相殺出来る程の力が残っていないのだ。

 

 

 

 それは単純な話。一点に収束した状態で五分するのだから、無差別に振り撒いている破壊程度で無価値の炎は防ぎ切れない。

 

 そう。今この瞬間こそ、神の卵を殺せる最大の好機。

 

 

「ヘメンエタン・エルアティ・ティエイプ・アジア・ハイン・テウ・ミノセル・アカドン」

 

 

 手にした槍の柄から、黒い炎が燃え上がる。

 まるでバオバブの大樹が如く、巨大な腐剣は天さえも焦がさんと聳え立つ。

 

 

「ヴァイヴァー・エイエ・エクセ・エルアー・ハイヴァー・カヴァフォット」

 

 

 空に亀裂が入り、大地が捲れ上がる。炎の剣は高層ビルよりも巨大となって、特異点を生み出さんとしている少年へと向かって行く。

 

 さあ、これで終わりだ。

 さあ、此処で終わりだ。

 

 

「唯、無価値に終われ――無価値の炎(メギド・オブ・べリアル)!」

 

 

 トーマの毒が世界の全てを終わらせる前に、エリオの炎がトーマを殺して世界を終わらせようとする。

 

 終焉は避けられない。

 消滅は避けられない。

 世界の崩壊は、今まさに訪れんとして――

 

 

「――ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 誰かの小さな悲鳴が、耳に届いた。

 

 

「っ、アギトっ!」

 

 

 その見知った声に、思わず視線を向けてしまえば、其処には小さな少女の姿。

 崩壊する世界が生み出した破壊の余波に巻き込まれて、アギトはまるで塵屑の様に飛ばされていた。

 

 

「何故、付いて来たっ!!」

 

 

 揺らぐ。揺らぐ。揺らいでしまう。

 今まさに終わらせんと振るわれた剣が其処で止まって、ほんの僅かな逡巡が生まれてしまった。

 

 そして、少年はもう一つの存在を見つけてしまう。

 

 

「っ」

 

 

 それは世界を壊すトーマの先、意識を失って天より堕ちるイクスヴェリアの姿。

 

 あのまま落下すれば死ぬだろう。いや、それ以前にクアットロの気配を感じない。

 ならば最早手遅れで――そう思った瞬間に、エリオは飛び出す様に動き出していた。

 

 雷光が走る。赤い悪魔は疾走する。

 暴風を切り裂いて走る少年は、飛ばされる赤毛の少女を胸に抱きしめる。

 

 そのまま立ち止まらずに踵を返すと、飛翔魔法で天高く跳び上がった。

 

 

「っ! エリオ・モンディアル!!」

 

「邪魔だっ! 雑魚共っ!!」

 

 

 一閃。棒と化した槍の残骸を振り回す。

 ただそれだけで、一合とて必要なく、三人のエースを撃墜した。

 

 所詮、魔群如きに苦戦していた手負いのエース。

 彼女達など、最強の魔刃にとっては障害にすらなり得ない。

 

 そして壊れ物を包むかの如き手付きでイクスを抱きしめると、苦い表情を浮かべたままに巨大な穴の中へと墜ちて行く。

 

 

「嗚呼、本当に……」

 

 

 見捨てた筈だった。切り捨てた筈だった。

 

 もうどうなろうとどうでも良いと決めた筈だったのに、考えるよりも先に身体が動いてしまっていた。

 

 

「何て無様」

 

 

 咄嗟の反射行動を理由にして、手にした物を捨てられずに居る。

 そんな自分の中途半端さを嗤う悪魔は、自由落下に身を任せたまま、奈落の底へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 そしてエリオが消え去れば、この危機を止められる者など何処にも居ない。

 暴走を始めたゼロ・イクリプスは、全てをゼロに分解する迄止まりはしない。

 

 浮かび上がる今のトーマは、正常な五感を失っている。

 故に世界の崩壊を自覚出来ずに、全てを滅ぼす力を振り撒き続けている。

 

 白百合の声は届かずに、呆然自失するティアナは動けない。

 破壊の余波に巻き込まれたキャロとルーテシアは姿を消し、三人のエースは撃墜された。

 

 

 

 世界の消滅は、最早誰にも止められない。

 今此処に、世界は一つの分岐点へと差し掛かっていた。

 

 

 

 

 




ホテル・アグスタって言ったら、誤射させないと。(使命感)


ティアナの誤射。トーマの暴走。
原作イベントがコンボを発生させた結果、よりアカン結果になりました。




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