リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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お待たせしました。ほぼ半年ぶりの最新話です。
大幅改訂だとか、なろうでオリジナル書いたりとか、リアルが罅割れていたりして更新が遅れました。

今後は個人的な都合でのんびりペースになりますが、更新再開となるのでまたお付き合い下さい。


推奨BGM
1.若き槍騎士~Theme of Erio~(リリカルなのは)


第十六話 少年の祈りと女の決断

1.

 黒い影が躍る。黒い影が躍る。雷光を思わせる速度で、蒼き槍が命を刈り取る。

 違法な施設に逃げ惑う人の群れ。邪魔と断じて切り捨てる赤毛の槍騎士は、その黒き鎧を血で染め上げる。

 

 抱き締めたのは、荒い呼吸を続ける少女。イクスヴェリアは今にも死にそうで、時間がないから手段は選べない。

 奪う命。邪魔だから奪い去る。逃げる命。追う暇もないから放置する。急げ、急げ、急げ。内なる衝動に突き動かされる様に、失わぬ為に鋼鉄の道を直走る。

 

 

〈それで? どうするんだい相棒(エリオ)

 

 

 内側から問い掛けるのは、彼に宿った悪魔の声。

 これからどうするのかと言う問い掛けは、この今の行動に対する問いではない。

 

 違法な施設。此処は無限蛇の根城の一つ。

 逃げ惑う人々。彼らは皆、表に出れない犯罪者達。

 

 理解が出来ない。訳が分からない。どうして味方である筈の魔刃が牙を剥いたのか。

 

 訳が分からぬと逃げ惑う。殺さないでと命乞いをする。そんな下等な犯罪者の群れを踏み躙る。

 そんな脆弱な構成員たちを薙ぎ払いながら、エリオは僅かたりとも足を止めずに問いを投げ返した。

 

 

「何の話だ。ナハト」

 

〈何、単純な確認事項だよ。エリオ〉

 

 

 内なる悪魔の言葉は確認事項。先に誓ったエリオの宣言に対し、投げ掛ける問いはそれである。

 

 

〈君は弱い。その魂は脆弱だ。継ぎ接ぎだらけの君が生きていられる理由。それを忘れた訳ではないだろう?〉

 

 

 エリオ・モンディアルは弱い。だがそれは、純粋な力量や精神性の話ではない。

 

 今のエリオには魔刃の力を使わずして、魔法と体術だけで拾等級の歪み者にも勝るだけの力がある。

 其処に最強の悪魔が力を貸せば、それこそ夜都賀波岐の両翼を除いて彼を止められる存在などこの世の何処にも居ないだろう。

 

 だがそれでも弱い。その力でも心でもなく、その魂が弱いのだ。

 

 

「そうだね。僕は弱い。この魂は脆弱だ。お前の様な寄生虫が居なければ、生きていられない程に曖昧だよ」

 

〈そうとも、君は無数の魂の集合体。だがそれを統括する程の自我を持たない。故に俺と言う悪魔の存在にその生を依存している。悪魔がいなければ生きていられないか弱いモノだ〉

 

 

 それも当然、エリオ・モンディアルは所詮クローンだ。Fの技術で複製された肉体に、オリジナルの魂が宿っただけの子供であった。

 そしてその自我が確立されるよりも前に、父母の魂を混ぜたのだ。その自我が明確な物となる前に、二十万を超える人の魂を混ぜ込んだのだ。

 

 魂を統合する自我もなく、ただ膨大なだけの力の塊。それが辛うじて人の振りをしていられるのは、内なる悪魔が居るからに他ならない。

 ナハト=ベリアルが消え去れば、エリオはそれだけで死ぬだろう。己だけで己自身を維持できず、他に生殺与奪を握られた彼の魂がどうして強いと言えようか。

 

 太極に至れるだけの力を持ちながら、それでもエリオは流れ出せない。

 それはその魂を統制出来ていないから、悪魔が居なければ死ぬ程に弱く脆い生き物だから。

 

 それでも――

 

 

「だが、強くなれない理由もない」

 

〈ほう〉

 

 

 何時までもそうであると言う理屈はない。

 何時までもそうでなくてはいけないと言う理由はない。

 

 この今に前に進むと決めた少年は、確かに一歩を踏み出したのだ。

 

 

「流れ出すぞ。僕は。必ずや、流れ出す」

 

〈力だけなら既に至り掛けているのに、その弱く儚い自我故に無形太極にすら至れない。そんなお前が、それでもそう語るのか〉

 

「語るさ。そう決めたのだから、そう語るのさ」

 

〈なるほど〉

 

 

 此処に意志は決めた。此処に決意は決めた。後に必要となるのは純粋なる格だ。

 魂の総量ではなく、明確な自己の格。己自身を磨き上げ、さすれば至ると分かっている。

 

 だからエリオはそう断じて、だからナハトはまた一つを問うた。

 

 

〈だが仮にお前が流れ出せたとしてだ、それでも一つ問題は残るぞ〉

 

 

 槍を振り回しながら、違法施設を駆け抜けるエリオ。

 命を奪い続ける若き槍騎士に投げ掛ける問題点は、流れ出せた後にある。

 

 

〈今も人の命を奪う。そんな君が本当に、愛する者が幸福に生きられる世界を作れるとでも思っているのかい?〉

 

 

 逃げ惑う犯罪者達。その動きが遅いから、それだけの理由でエリオは奪う。

 元より蜥蜴の尻尾として用意されていた構成員達に、一片たりとも価値を見出してはいない。

 

 そんな無情の魔刃が、どうして慈愛の神へと成れようか。

 

 

〈だとすれば愚かしいぞ。エリオ。お前は殺す事しか出来ない。お前には奪う事しか出来ない。だって他に知らないだろう?〉

 

 

 成れる筈がない。成れる訳がない。エリオ・モンディアルは他には知らない。

 

 

〈与える事を知らずして、一体何を与えると言う。恵む事を知らずして、一体何を恵むと言う。幸福の形を知らずして、どうして幸福を生み出せると言う〉

 

 

 当たり前の幸福を知らない。機械越しにしか見た事がない。

 現実感など何もなく、唯憎悪が込み上げるだけの光景。そんな物を心の底から、どうして目指そうと思えるか。

 

 

「……そうだね。お前の言う通りだ。ナハト」

 

 

 覇道神とは、己の法則を強要する存在だ。己の内にある価値観で、世界を定義する存在だ。だから覇道の神は、己の内にある物しか示せない。

 

 

「無価値な命に意味はない。弱者は奪われ、強者が手にする。それが世の道理であって、この思考は揺るがない」

 

 

 流れ出せたとして、その価値観は拭えない。流れ出そうと思って、その価値観は変わらない。

 そんな物ではないのだ。そんな取って付けた様な物では本心は変わらず、心の底から思わねば流れ出す事など出来はしない。

 

 

「弱さも含めて全てが救われる。遍く全てに降り注ぐべき光など、生み出せる物か。そんな気持ち悪い物、理解すら出来ないよ」

 

〈ふむ。結構。自分を良く分かっているじゃないか〉

 

 

 結局エリオはそうなのだ。魔刃の思考はそれなのだ。

 悪魔を宿し、泥の中で足掻き続けた少年は、それ以外など語れない。それ以外など示せない。

 

 だから流れ出す世界の色など、既に此処に決まっている。

 

 

〈その上で問おう。君はどんな世界を目指す?〉

 

「知れた事。強者が得て、弱者が失う世界だ」

 

 

 弱肉強食。優勝劣敗。行尸走肉。

 強き者が全てを手にして、弱き者は無価値と蔑まれる世界。

 

 

「それしか浮かばない。それしか作れない。それでも其処に、異なる理屈を強要するとするならば――」

 

 

 エリオにはそれしか目指せない。エリオにはそれしか作れない。エリオではそれは変えられない。

 だから其処に付け加える。だからその上に積み上げる。此処に一つの理を、世の道理の上に突き立てるのだ。

 

 

「弱さは罪だ。強くなれ。弱者は無価値だ。強くなれ」

 

 

 それは一つの強迫観念。強さを目指す一つの衝動。

 

 

「もっと先へ。もっと先へ。もっと先へ! 他者を蹴落とし、踏み躙り、奪い取って強くなれっ!!」

 

 

 始まりが底辺でも、上を目指せば覆せる世界。

 始まりが遥か高みでも、僅かにでも怠れば覆される世界。

 

 努力が必ず結実する世界。誰もが必ず強くなれる世界。より上を、より高みを、奪い合うは悪魔の論理。

 

 

「守りたいなら強くなれ! 失いたくないなら強くなれ! 貫き通したいなら強くなれ!!」

 

 

 弱さは罪。与える思考はそれである。

 守りたいなら強くなれ。強要する法則はそれである。

 

 誰もが強くなる為に、常に競い合うその世界。それこそ悪魔が齎す共食地獄。

 

 

「敵から逃げるな! 背を向けるな! 目を背けた瞬間に、その全てが無価値になると知るが良い!!」

 

 

 殺す。殺す。殺す。殺す。傷付け切り裂き踏み潰す。

 魔刃と言う怪物から逃げる犯罪者達を見下して、エリオは只管に唯一点を目指し続ける。

 

 駆け抜ける魔刃はもう止まらない。足踏みする事はない。前にだけ進むと心に誓った。

 

 

「この今に必要なのは、“新世界を語る超越者(Also sprach Zarathustra)”じゃない! 誰しもの胸に宿った“力への意志(wille zur macht)”こそがっ! この先に進む為に必要な物だっ!!」

 

 

 強くなると言う意志を、誰もが心に刻んだ世界。

 高みを目指し続ける人しかいない。完全なる競争社会。

 

 其れこそが、エリオが流れ出させると決めた法則。

 彼の抱いた渇望と彼の抱える常識。その二つに相反しない、彼が目指せる理想の天だ。

 

 

〈ククク、クハハハハ〉

 

 

 嗤う。嗤う嗤う嗤う。悪魔が高らかに嗤っている。心底から楽しいと、その悪魔は嗤っていた。

 

 

〈良いのか? エリオ。地獄になるぞ〉

 

「分かっている」

 

 

 誰もが上を目指すなら、其処には必ず対立が生まれる。

 それを魂レベルで強要されたと言うならば、その世界は悍ましい程に争いが続く世となろう。

 

 

〈競い合う地獄だ。奪い合う地獄だ。人が共食いする最低の世界が生まれるぞ?〉

 

「分かっていると、言ってるだろうっ!」

 

 

 そんな事は分かっている。悪魔に言われずともに分かっている。

 生まれ落ちるは地獄と分かって目指す少年を、無価値な悪魔は嗤い見下す。

 

 

「地獄になると分かっている。それでも――」

 

 

 それでも其処に、悪魔の埒外にある言葉が入り込む。

 ナハトにとっては不純物にしか過ぎないそれは、それでもエリオの心に深く刻まれた少女の想い。

 

 

――その強さを忘れないで。

 

 

 桃色の髪をした優しい人が、エリオにそう言葉を掛けた。

 だから弱肉強食の地獄と言う理は、少しだけ違う色をこの場に見せる。

 

 

「その強さを忘れない。その根源たる想いを、決して忘れず繋いで行く」

 

 

 忘れない。忘れる物か。その言葉、未来永劫那由他の果てでも忘れない。

 

 

――その優しさを否定しないで。

 

 

 誰もが強くなる世界。誰もが強くなろうとする世界。そんな世界に、それでも一片の光があるとするならそれだ。

 優しく微笑む竜の巫女が、確かな想いと共に伝えた言葉。その言葉が救いのない悪魔の地獄を、ほんの僅かに変えるのだ。

 

 

「誰よりも強くなって、それでも誰かを想えたならば――」

 

 

 強くなっても、忘れない。高みにあっても、大切な物を抱き締められる。

 強者が弱者を喰らうだけではなくて、強者が弱者を心の底から愛せたならば――

 

 

「それはきっと、遍く全てに降り注ぐ光にはならなくても――荒野に一輪の花を咲かせる。その程度の輝きにはなるんだ!」

 

 

 それはきっと、ほんの僅かな救いになる筈なのだ。

 だからエリオは目指すと決めた。それがエリオの目指す至高の(ソラ)だ。

 

 

 

 そして彼は辿り着く。目的地と定めたその場所に。

 片手を封じて、懐に愛する者の一人を抱いて、それ程に枷を背負ってなお間に合った。

 

 

「イクス」

 

 

 優しく抱いた少女を寝かせて、少年は其処に栽培されている物へと手を伸ばす。

 水耕栽培された無数の植物。彼が掴み取るのはそれではなく、その植物を育てている赤い水。

 

 臭い立つ水を手に掬い上げ、異臭を異に介さずに口に含んだ。

 舌を抉る様な強烈な味は鉄のそれ。この場に溜まった赤い水は、ある人物の血液だった。

 

 血を吸い育った植物が、グラトニーと呼ばれる薬の材料となる。

 この血を素材とした液体こそが、エリキシルと呼ばれる麻薬の正体。

 

 即ち、魔群クアットロ=ベルゼバブの血液だ。

 

 飲み干せば悪魔に乗っ取られる。そんな偽りの霊薬。

 それを躊躇いもせず口に含んだエリオは、そのままイクスの下へと歩み寄る。

 

 そうして少女を抱き抱えると、彼は口移しにその血潮を流し込んだ。

 

 

「分かっているな。クアットロ。今度は逃げるな」

 

 

 血を飲み干させて、優しく少女の髪を撫でながらにエリオは告げる。

 内に宿ったクアットロにだけ殺意を向けて、エリオは悪魔に命令した。

 

 

「イクスを生かせ。イクスを守れ。もう二度と、僕のイクスを傷付けるな」

 

 

 彼がこの地を目指した理由。それは此処が、クアットロの予備を作る為の生産場だったからだ。

 肉体的に生きられないイクスヴェリアと言う少女。彼女を生かす方法が他に浮かばなかった。だから悪魔を利用すると決めたのだ。

 

 予め気付かれれば、魔刃を恐れるクアットロは逃れる為にこの施設を破壊しただろう。

 そしてイクスの時間切れとなる。だからそれを避ける為だけに、此処にエリオは無限蛇の構成員を焼いたのだ。

 

 

「破れば地の果てまでも追い詰めて、お前と言う存在を焼き尽くそう」

 

 

 それ程の本気。それ程の執心。それ程の意志。それは確かに、イクスの内に宿ったクアットロに伝わった。

 だから魔刃を恐れる魔群は少女を生かす。イクスヴェリアを生かす為だけに不死の霊薬は効果を発揮し、健康な色を取り戻していく少女の姿にエリオは安堵の息を吐いた。

 

 そして魔群に釘を刺したエリオは、返す刀で魔刃に対して釘を刺す。

 

 

「お前もだ。寄生虫(ナハト)。住まわせてやっているんだ。精々僕の役に立て」

 

〈おやおや、命を繋ぐだけでは足りないと言うのかね。このご主人様は〉

 

「足りないさ。足りてない。お前の力、使わせて貰うぞ。誰でもない悪魔」

 

〈はいはい。仰せのままにさ。俺の相棒(マインマイマスター)

 

 

 ニヤニヤと嗤う悪魔の声。愉しげなその様子に、エリオは眉を顰める。

 悪魔たちを利用する。そう決めた少年は、その内面が分かって平然と首肯した悪魔を警戒した。

 

 

「……何を企んでいる」

 

 

 魔刃を恐れる魔群は分かり易い。決して怒りを買わぬ様にと、怯え続ける小物である。

 だがこの悪魔は分からない。ナハト=ベリアルは一方的にエリオを殺せると言うのに、なのに支配しようとする意志を喜び受け入れている。

 

 ここぞと言う場面で、また裏切り嘲弄する心算なのか。

 そう訝しむエリオに対し、ナハトは愉しそうに嗤いながら言葉を返した。

 

 

〈企みなど、そんな大仰な物はない〉

 

 

 企みなどはない、とは言えない。だが真実、ナハトはその企みを破られても良いと思っている。

 何れ来る失楽園の日。其処に至る前にエリオが流れ出したなら、それでも良いとさえ感じているのだ。

 

 それは唯一つの感情故に。その感情は即ち、膨大な量の好意である。

 

 

〈その不純物こそ気に入らんがね。お前の願いは好ましい。お前自身も好ましい。だから手を貸す。それだけの話しさ〉

 

 

 誰でもない悪魔は、この少年を好ましいと思っている。

 大切な玩具。替えのない贄。とてもとても素晴らしいと、心の底から愛している。

 

 人の想念から生まれた悪魔は、悪魔らしいやり方で彼に好意を向けているのだ。

 それは歪な愛情。気狂い悪魔の好意。それを抱いた内なる悪魔は、だからそれで良いのだと嗤っていた。

 

 

「ふん。抜かせ。気狂い悪魔」

 

 

 そんな悪魔の想いに反吐を吐き捨てながら、エリオはどうでも良いかと言葉を紡ぐ。

 

 

「お前が何を企んでいようと知った事か。僕は目指すぞ。僕は至るぞ。僕は流れ出すぞ」

 

 

 悪魔が何を企んでいようと関係ない。

 彼が最悪の場面で裏切ろうと、それすら道の内だと受け入れる。

 

 目指すのだ。至るのだ。抱きしめた二つの熱を守る為に、前に進むと決めたのだ。

 

 

「僕は僕の意志で座を目指す。これこそが、僕の掲げる“力への意志(wille zur macht)”だっ!!」

 

 

 渇望は此処に定まった。願う世界はもう見えた。後は唯進むだけ。

 力への意志を胸に抱えた若き槍騎士は、大切な者を抱きしめたままに新たな一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

2.

 白い布のカーテンと、白いベッドが並ぶ場所。機動六課の医療区画。その一室に、三人の人物が集っている。

 

 一人はジェイル・スカリエッティ。此処にある患者の処置をした人物だ。

 もう一人は高町なのは。歓喜と不安の涙に揺れる女の瞳は、愛する男を映している。

 

 そして最後の一人。ユーノ・スクライアの右腕には、黒く輝く鋼鉄が存在していた。

 

 

「調子はどうだい? 君の要望通り、一切の魔法を使用していない機械仕掛けの義手だ」

 

「ええ、良い感じです。素手と比べれば重いですが、この程度なら誤差も少ないでしょう」

 

 

 その機械仕掛けの右腕。鋼鉄の義手は失った腕の代用に。

 クローン培養した人体ではなく、機械仕掛けの腕を作った。

 

 そこには当然、確かな理由が存在する。

 

 

「エクリプスに取り込まれた腕は、しかし失われた訳ではない」

 

「まだ此処にあるから、生身を付けても異常が出る。魂が拒絶してしまう。でしたね」

 

 

 それが理由だ。ユーノの腕が戻らずに、義手を必要とした理由。

 

 トーマの分解の本質は物質の移動であって、消失ではないのだ。

 だからこそ欠落してしまったその腕は、しかし魂の域では失っていないと認識してしまっている。

 

 その為生身の手は付けられない。付けても違和感が強く働き、魂が拒絶してしまうと言う問題が生じるのだ。

 

 だから其処に付けられるのは、偽りの物に限られる。

 魔法文明が発達したこの世界において、本来ならば嘗ての聖王オリヴィエの様に、魔法駆動の義手を付けるのが最も相応しい選択だっただろう。

 

 それでも、ユーノは完全な機械式を望んだ。

 生体との融合も、魔法の流用も望まず、唯純粋な鉄の塊だけを求めた。

 

 それを望んだ理由は一つ。そう選んだ理由は一つ。

 彼は未だ諦めていないのだ。だからこの鋼鉄の腕を、自ら望んで手にしたのだった。

 

 

「でも……これでまた、アイツと戦えます」

 

「天魔・宿儺か」

 

 

 鋼鉄の腕(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)を求めたのは、再び挑むと言う意志があるから。

 次は負けないと、己しか戦えないのだと、そう知るが故に魔法の力を内から排した。より高い性能が目指せると分かって、それでもユーノは鋼鉄の手を選んだのだ。

 

 

「だがあの太極に、今の君が耐えられるとは限らないよ」

 

「ええ、それは分かってます」

 

 

 ユーノは既に死に体だ。なのはの力が生かしている、生きた屍に近いその身体。

 それがあらゆる異能を否定する地獄の中にあって、生きていられるとは限らない。

 

 もしかしたら即死するかも知れないし、生き残っても真面目に生きていないと断じられる可能性も確かにある。

 状況は悪化した。相性が良いとは言えない。最悪の可能性を考えれば、ユーノが戦うのは何処までも悪手だ。

 

 

「それでも、勝ち目が高いのは僕だけ――いいえ、それは言い訳ですね」

 

 

 それでも、戦うと決めた。それでも倒すと心に決めた。

 己が打ち勝つのだと、あの日に諦めた子供の夢を取り戻した。

 

 

「頭に来たんですよ。あの子に勝手な期待をして、好き勝手に引っ掻き回して」

 

 

 理由は単純だ。教え子に過度な期待を掛けて、引っ掻き回された事への苛立ち。

 過去に繋いだ関係性に、積もりに積もった恨みもあって、その上同じ条件下で負けた事が気に入らない。

 

 

「勝ちたいと久しぶりに思った。気に入らないと、心の底から再認した。だから、僕が戦いたいんです」

 

 

 だから、勝ちたいと思った。だから、勝とうと心に決めた。

 勝率だとか勝算だとかは投げ捨てて、愚かにも自分こそが勝ちたいと思ったのだ。

 

 一度死んだのだ。だから馬鹿になろうと決めた。

 愚かな行為であると分かって、それでもまた戦うと決めたのだ。

 

 

「らしくない、ですかね?」

 

「まぁ、良いんじゃないかな。共感できるよ。その勝ちたいと言う感情にはね」

 

 

 何処か恥ずかしそうに苦笑するユーノに、スカリエッティは共感できると頷いた。

 元より彼の求道とて、発端は神々への対抗心。下らぬ男の意地が素であればこそ、同じ馬鹿を好ましいと感じるのだ。

 

 

「だがそれよりも今は、先に決着を付けないといけない事があるんじゃないかな?」

 

 

 そんなスカリエッティは、ニヤニヤと笑みを浮かべたままに問い掛ける。

 

 その視線が向く先に、佇んでいるのは高町なのは。

 腕を失くして今も苦しむ青年に、何と言った物かと彼女は惑っていた。

 

 

「ユーノ君」

 

「なのは」

 

 

 呼び掛ける声。名前を呼んで、なのはは近付く。

 そんな彼女の名を呼び返し、ユーノはその眼でなのはを見た。

 

 

「その、私は――」

 

「ありがとう」

 

「ユーノ君?」

 

 

 謝罪をしよう。そんななのはの言葉に先んじて、ユーノが感謝を口にする。

 何に対する感謝なのか、訳が分からないと首を傾げるなのはにユーノは語る。

 

 

「身体が痛い。呼吸が上手く出来なくて今も苦しい。気持ち悪くて、血反吐を吐きそうだ」

 

 

 それはユーノ・スクライアの現状。今後死ぬまで付いて回るであろう身体の異常。

 その元凶となった女は済まなそうに顔を下向け、しかしそんな女にそれだけではないのだとユーノは伝える。

 

 

「でも、それでも、伝わって来てる」

 

 

 流れてくるのは、魂を汚染する力だけではない。

 繋いだ心を通して感じるのは、身体を苦しめ続ける毒素だけではない。

 

 いいや、それは言葉として正しくない。

 同じ物。毒素ももう一つのそれも、根本的には同じ物である。

 

 

「君が、僕を大切に想う感情。死なないでと言う切なる祈り。それが確かに、伝わって来てるんだ」

 

 

 それは女の情念だ。失いたくない、死なないで、そんな女の情念だ。

 呪いの如く己を苛み、今も血肉と精神を犯すその情念。それに苦しめられながら、それでもユーノは此処に微笑む。

 

 

「好きな人に愛されて、嬉しくない筈がない。大切だと縋られて、嬉しくない筈がない。それに――同じくらいに僕は君を愛している」

 

 

 女の想いは酷く重い。男の身体を壊す程に、それは余りに重過ぎる。

 それでも愛しているからこそ、その愛を受け入れられるのだと青年は此処に語った。

 

 

「君が愛してくれた程には、僕は君を愛している。君が失いたくないと想うくらいには、僕だって君との日々を失いたくないって思ってる」

 

 

 だから、感謝は其処に。

 ユーノが語るありがとうは、其処にこそ存在する。

 

 

「だから、ありがとう。僕にまた、君と会える時間をくれて」

 

「ユーノ君。私、私――」

 

「だから、ありがとう。僕はまだ、君と一緒に居られる」

 

 

 大粒の涙を零し始めた女を抱き寄せて、ユーノは生身の左手でその栗毛を撫でる。

 この今に彼女と生きていられる。ならばどれ程に苦しく厳しい場所であっても、彼にとっては地獄になどなりはしない。

 

 

「大好きだよ。なのは」

 

 

 だから、その想いを伝えるのだ。

 その想いが伝わったからこそ、高町なのはは年甲斐もなく涙を零し続けるのだった。

 

 

 

 

 

3.

 白いベッドに腰掛けるユーノと、彼に抱きしめられたなのは。

 冷たい筈の鋼鉄の腕に温もりを感じながら、なのはは彼に言葉を伝える。

 

 

「あのね。一つだけ、決めた事があるの」

 

 

 それは心に決めた事。戻ったら為そうと決めた事。彼とその教え子を見て、高町なのはが決めた事。

 

 

「ユーノ君とトーマ君を見て、確かに決めた事があるんだ」

 

「何だい? なのは」

 

 

 胸に顔を付けたまま、見上げるなのはは確かに語る。

 抱き合う青年から強さを貰って、向き合う意思を此処に定めていた。

 

 

「私も、向き合おうと思う」

 

 

 向き合う相手は決まっている。それは誰より明白だ。

 ユーノがトーマと向き合ったのならば、なのはが見るべきなのは一人しかいないのだ。

 

 ティアナ・L・ハラオウン。恋人にとってのトーマと同じく、己にとっての教え子である少女。

 

 

「私も、傷付いて、傷付けて来ようと思う」

 

 

 彼女を傷付けようと此処に決めた。本気で向き合おうと此処に決めた。だからなのはは宣言する。

 

 

「その先に折れてしまっても、それが私の役目だって想うから」

 

 

 その先に心が折れても、もう二度と立ち上がれなくなっても、それでも貫くのが役割だ。そう彼女は自認する。

 

 

「間違ってるかな。この想い」

 

「そうだね。……どうだろう?」

 

 

 果たして、その想いは正しいのか。或いは独善の押し付けではなかろうか。

 気遣うと言うのは当然の対応で、苦しんでいるからこそ手を差し伸べるべきで、其処で傷付け合うのは正しいのか。

 

 それが分からず、不安気に見上げる栗毛の女。

 抱きしめる男は微笑むままに、高町なのはに問い掛ける。

 

 

「でも、間違っていてもやるんだろう?」

 

「うん。やると決めた。だから、ユーノ君みたいに、先生として胸を誇れる様な人になってくる」

 

 

 間違っていてもやるのだろう。正しくなくてもやるのだろう。失敗するとしてもやるのだろう。

 何も為さずに諦めない。何も為せずに居られない。だから正しいと信じられずとも、必要だと信じて向き合うのだ。

 

 

「ん。ユーノ君成分補充完了」

 

 

 その為に、高町なのはは立ち上がる。

 その背中に、ユーノ・スクライアは応援する様な言葉を投げ掛けた。

 

 

「それじゃ、行ってくるね」

 

「ああ、待ってるよ」

 

 

 その結果が、どうなるかなんて分からない。だが状況は確かに変わるだろう。

 向き合う結果として折れるのか、向き合う結果として立ち上がれるのか、それは誰にも分からないから――信じて唯貫くのだ。

 

 

 

 

 

 寄宿舎の一室。任務地より戻ったティアナは、膝を抱えて蹲っていた。

 暗い部屋の中、何をするでもなく閉じこもっている。膝を抱える少女は未だ、あの日の景色を見詰めている。

 

 何か為せる筈だった。それで変われる筈だった。なのに一番大切な場面で、ティアナは盛大に失敗した。

 一発の誤射とそれが生んだ世界の崩壊。其処に自責を抱いた少女は、諦めた様な瞳で此処に閉じ籠っていた。

 

 そんな引き籠る少女の扉を、此処に開け放つ女が現れる。

 

 

「ティアナ」

 

 

 扉から差し込む光。逆光に照らされる表情は見えない。

 いいや光がなくとも、ティアナには見れなかったであろう。彼女は下を向いたままで居たのだから。

 

 

「……なのはさん。私」

 

 

 呟く様に、その名を口にする。

 立ち上がれない少女は、言い訳をする様に言葉を紡ぐ。

 

 

「違う。私、あんなこと。あんな心算じゃ」

 

 

 違う。違う。違うのだ。

 自分が求めたのは、あの景色じゃない。この今ではない。もっと違う物だった。

 

 だから自分の所為ではないと、自分でも信用できない言葉を紡ぐ。

 そんな風に口を開いて出る言葉は本心ではなく、心の底では自責の末に諦めている。

 

 

「なのに、どうして、私」

 

 

 そう。諦めた。ティアナはもう何も出来ないと、濁った瞳で諦めている。

 この今にまで続いた苦痛は、先に受けた失敗の衝撃は、この少女の心を圧し折るには十分過ぎたのだ。

 

 

「こんなの、違う。こんな筈じゃなかった。もっと、私は――」

 

 

 誰も聞いていない言い訳を続けるその姿。

 誰にも責められていないと言うのに、心の自傷を続けるその姿。

 

 哀れみを誘うその姿に、しかし高町なのはは揺らがない。表情筋を動かさずに、震える子供に対して命令した。

 

 

「デバイスを取りなさい」

 

「なのは、さん?」

 

 

 分からない。分からない。何を言っているのか分からない。

 困惑して見上げたティアナの視線に、映り込む師は冷たい表情を張り付けて此処に告げる。

 

 

「クロスミラージュを手にして、立ち上がりなさい」

 

 

 それは既に傷だらけの少女を、更に傷付けようと言う選択。

 それは既に心が折れた少女を、更に圧し折ろうとする選択。

 

 本気で向き合うと決めたから、其処に甘えは一切入らない。

 無理矢理にでも立ち上がらせる為にこそ、高町なのはは此処に来たのだ。

 

 

「師匠としての命令――今日は優しくしないから」

 

 

 優しさなどは此処にない。甘さなどはあり得ない。

 そんな物、今のこの少女の為にはならないから捨ててしまう。

 

 

「死にたくなければ、死ぬ気で来なさい」

 

 

 今此処で立ち上がれないと言うならば、もう二度と杖を握れぬ程に痛めつける。

 此処で諦めて腐っていくのが幸福ならば、悔いも残せぬ程に完膚なきまでに可能性を叩き折る。

 

 

 

 そう決めたなのはは、己と戦えとティアナに命じるのであった。

 

 

 

 

 




次回、管理局の白い魔王降臨。
君はティアナの死を其処に見る。


  n   ∧_∧  n
 (ヨ( *´∀`) E) < 嘘です(多分)



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