……予想より早く書けたので投下です。
推奨BGM
2.Odi et Amo(Dies irae)
3.To The Real(リリカルなのは)
1.
大地を焼き払う翡翠の光。頭上に広がる青空を、染め上げるは魔法の力。
脳内で魔術式を作り上げ、言葉と共にデバイスへと魔力を流す。受け取った人工知能が最適化を行って、此処に奇跡の力を具現する。
其れが魔法のプロセスで、誰しもが当たり前にやっている事。この高みに立つ女とて変わらない。やっている事は単純作業の積み重ね。
だがしかし、確かに違う事がある。彼女と他の有象無象を分ける由縁。それは一重に量の違いだ。
同時展開される術式量。流される魔力の量。マルチタスクの桁が外れていて、故に高町なのはは至高の魔導師。
誰しもが知っている単純な魔法が、しかし誰しもに理解出来ない規模にある。
故にこそ彼女こそが頂点だ。こと魔法と言う分野に限定すれば、横に並び立つ者など居はしない。
「レイジングハート」
〈All right. Short buster〉
黄金の杖に指示を出し、振り払うだけで放たれる翡翠の砲撃。射程と威力を犠牲にした速射砲が、唯一振りで七を超える。
溢れ出す光の圧倒的な数と速度。心折れている少女は回避する事も出来ず、まるで木の葉の様に吹き飛ばされては痛みに震えた。
「っ、ぁ……」
二度、三度。バウンドしながらに傷付いていくティアナ・L・ハラオウン。
そのデバイスを握る両手に力はなく、その何も見てない瞳に意志はなく、今の彼女には何もない。
大地を舐めて、非殺傷の痛みに震えて、頭に過るのは反発心ではなく淀んだ思考。
(どうして、こうなったの?)
分からない。分からない。分からない。答えの見えない問いにぶつかり、逃げるでもなく思考に耽る。
エースオブエースを前にして、そんな思考に耽るのは間違いなく愚行であろう。
長く続いた師弟関係故にそれを確かに理解して、今の少女がしているのは打破する為の思索ではなく唯の現実逃避。
ティアナ・L・ハラオウンは諦めている。少女はもう当の昔に折れていた。
だから嵐が過ぎるのを隠れて待つ子供の様に、震えて目を背けて立ち上がらない。
だが、そんな無様な姿を前にして、立ち止まる甘さは女にない。
「寝ていたら助かる。頭を抱えて隠れていれば助かる。そんな道理は、何処にもないよ」
倒れて立ち上がろうともしないティアナの下へ、ゆっくりと白い影が近付いていく。
ゆらりと揺れて腕を動かし、掴んだ杖を少女に向ける。そして高町なのはは、黄金の杖を少女の顔に突き付けた。
その先端へと集まる光。其処に加減など、ありはしない。
〈Excellion Buster Accelerate Charge System〉
それはエクセリオンバスターの零距離使用。使用者ですら傷付く高火力砲撃を、一切の躊躇もなく発動させた。
そして噴き上がる翡翠の輝き。非殺傷である事など救いにもならぬ痛みを受けて、ティアナの意識はブラックアウトに程近付く。
「――ぁ、っ」
また倒れて、また倒されて――ここで気絶が出来ていたら、それこそ楽な結果であろう。
だが故にこそ、意識の喪失などは許されない。高町なのはと言う女は、絶妙な加減で痛みだけを齎すのだ。
(痛、い)
震える程に痛い。苦しい程に痛い。全身が酷く傷付いている。
揺らぐ視界で見上げた先、地面に降り立っているのは白き影。
一歩ずつ、一歩ずつ。ゆっくりと迫る高町なのは。倒れるティアナを見ても顔色一つ変えない姿は、まるで悪魔か何かの様にしか映らなかった。
(何、これ……訳、分かんない)
ティアナには、今の現状すら理解出来ていない。
何でこんなに痛いのか、何でこんなに痛めつけられているのか、それが全く分からない。
デバイスを取れと命令されて、連れて来られたのはこの訓練所。
其処で有無を言わさぬままに戦闘を強要されて、抗う意志すら見せないティアナはさながらサンドバック。
魔法の的として打ち抜かれ続けて、当然何をするのかと問い掛けた。
しかし討たれ続けるその標的が何を抗弁したとしても、高町なのはは止まらない。その手が振るう度に生まれる痛みは、積み重ねる様に増え続ける。
(痛いのは、嫌)
言葉も聞かず、唯只管に杖を振るう。そんな女を前に、抱いた感情はそれだけだ。
敵意は抱けない。憎悪も抱けない。反感だって抱けやしない。
感じたのは痛みへの恐怖。ゆらりとゆっくり近付くなのはの姿に、唯只管に恐怖した。
(痛いのは、嫌。もう、嫌なの)
結局はそれだけだ。それだけしか心にない。
だから五体が動くティアナは、近付くなのはから逃れようと手足を動かす。
一歩。近付いて来る影に悲鳴を上げて、上手く立ち上がれないままに身を捩る。
二歩。牛歩の様に歩むその姿に震えながらに、見っとも無く背中を向けた。
三歩。歩き続けている女に無防備な背中を晒したまま、恥も外聞もなく走り出した。
必死な感情に、疲労している身体が付いて来ない。
走り出すと同時にこけて転んで、擦り剝きながらにそれでも逃げる。
怖かった。怖かった。怖かった。
其処に戦士の誇りはなく、唯々あるは惰弱な姿。そんな見っとも無い姿を、冷たい瞳で見詰めながらに――
「……逃げ回るだけ? 抗う意志すら、もうないの?」
高町なのはは、そう問い掛けた。
返る答えはない。返せる言葉なんてない。
唯必死に恐怖を遠ざけようとする今の少女に、冷たい表情を張り付けたままなのはは告げた。
「なら、潰れなさい。……今のティアナは、
そして、展開される魔法陣。数える事も億劫になる程、大量な数の攻撃魔法。
翡翠の雨に身体を撃ち抜かれながら、地面に倒れ込むティアナ。その身体は痛みに震えていた。
「――っ」
痛かった。痛かった。身体が痛いのは当然で、だがそれ以上にその言葉は痛かった。
身体に感じる痛みに恐怖し折れた少女にとっても、その冷たい言葉は耐えがたい程に辛い痛みだったのだ。
(どうして)
ティアナはずっと夢見ていた。憧れていたのだ。その背中に。
――遺失物管理部機動六課。これから新設される新たな部隊。
だからあの日、認められた気がした。
ずっと憧れていた己の師に、自分自身を認められたと内心では歓喜していた。
――私は其処のフォアード部隊に、二人を招きたいって考えてる。ううん。違うね。私達には君達二人が必要なんだ。
必要とされた。必要だと言われた。――でも今は、不要だと断じられた。
震える心は身体よりも強く痛んで、それでも立ち上がる原動力になってはくれない。
折れている。圧し折れている。ならば奮い立つ物など何もない。
言葉が伴う痛みに震えるティアナ。その姿を見詰めながらも、しかし高町なのはは容赦しない。
黄金の杖を一振りして、此処に魔法の力を行使する。
横凪ぎに払った杖の先端から、放射されるはディバインバスター。
広範囲を焼き払う翡翠の輝きは、非殺傷設定とは言え、当たれば痛いでは済まないだろう。
それでもティアナは躱せない。躱す為に、立ち上がろうとも思えなかった。
――決めるのは貴方達。そのまま今の部隊に居ても構わない。
決めたのは、ティアナ自身だ。彼女がそうと決めて、彼女がこうと決めて、その決断の果ての結果として今がある。
翡翠の光に薙ぎ払われて、大地をバウンドしながらに擦り剥けていくこの今。擦り傷から血を流しながら、それでもティアナは何もしない。
何かを為そうとして、空回りを続けた結果が今なのだ。
そうと分かって、そうと理解して、だからティアナは立ち上がれない。
――けど、その手を伸ばしてくれるなら、絶対に後悔させないって約束する。確かな価値があるんだって、それを示して見せる。
嘘吐きだ。誰も彼もが嘘ばかり。そんな風に誰かへ責任転嫁する。そんな自分の弱さすらも気に入らない。
だけど変われない。変わりたいと思って失敗したからこそ、もう変われないと諦めている。その心はもう折れている。
だから――
――だから、一緒に来てくれるかな?
だから――
「もう、
此処までされても、ティアナは立ち上がろうとも思えない。
師が浮かべているであろう蔑みの色を見る事すら怖くて、顔を見上げる事すら出来ていない。
「もう、
地面に倒れたままに、立ち上がろうともせずに口にする。
怖いモノから目を逸らす様に、ティアナは顔を地面に押し付けた。
「逃げるな。ティアナ・L・ハラオウン」
だが、その逃避すらも許されない。その翡翠の輝きは、蹲ろうとする少女すらも逃がさない。
白い衣を纏った女の背に浮かぶのは、無数の特殊誘導弾。
非殺傷の魔法でありながら、これは痛みを与える事に特化した魔法。
怪我を負わせず、痛みだけを感じさせる。そんな捕虜の拷問用に生み出されたその魔法。
それを使う事に、躊躇いはない。必要ならば、躊躇わない。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
当たる。当たる。当たる。躱そうともせず、防ごうともしないのだから必ず当たる。
激しい苦痛に悲鳴を上げてのたうち回る少女の身体を足で固定して、高町なのはは同じ魔法を使い続ける。
一二三四五六七八九――あっという間に増えていく被弾数は、すぐさま数えきれない程になる。
二桁三桁を超えて四桁に、繰り返される痛みの中で足掻く少女は、苦痛に叫ぶ事しか出来ていない。
意識が霞んでいく。その度に苦痛が無理矢理引き戻す。
意識がブラックアウトする。その度に激痛によって気付けをされる。
そんな苦痛の繰り返し。終わらない激痛の輪舞。それを与えるその女は、冷たい声で問い掛ける。
「これで御終い?」
これで御終いか。そう問うているその言葉。
痛みの余りに退行を始めた少女は、嫌々と首を振るしか出来ていない。
これで御終いだ。だからもう許して欲しい。
そう懇願する感情に満たされて、だがそれを口にする余裕も与えて貰えない。
繰り返される。繰り返される。その痛みはもう唯の拷問だ。
「もう何も出来ない?」
問い掛ける。問い掛けて来る。高町なのはは、一体何を期待している。
答えられない。答えられる筈もない。ティアナ・L・ハラオウンは立ち上がれない。
出来ないのだ。彼女には出来ないのだ。ティアナには最初から無理だったのだ。
所詮ティアナ・L・ハラオウンは凡人だ。魔法の才はそこそこあっても、天賦の域には届かない。怪物の領域には至れない。最初から無理だったのだと、もう既に諦めている。
「貴女が願ったその夢は、もう諦めてしまったの?」
「ゆ、め」
夢と問われて、嗚呼何だったかと疑問に思う。それすら問わねばならぬ程に、既に意識の外にあった。
――ランスターの弾丸を、見せる。それだけが、全部。
最初にあったのは、そんな感情だった。
亡き兄の無念を晴らそうと、その力は無価値ではなかったのだと示そうと、だからそれが生きる意味だと思っていた。
――よろしくなっ! 相棒!!
何時しか、傍に彼が居た。気に入らないアイツが居るのが当たり前になっていて、アイツの足を引っ張る事だけは嫌だった。
だから無念を晴らすだけしかなかった人生で、認められたいと言う感情を自覚した。友として、朋として、共にある。唯それだけでは嫌だったのだ。
――結局、貴女にとって大切なのは自分だけ。兄の願いなんて、本当はどうでも良いんでしょう? 結局、貴女は何も見ていない。
けれど最初の願いすらも、承認欲求に過ぎなかったのだと指摘される。
ティアナはその言葉に対し、何一つとして言い返せない。だってそれは事実だから。
兄に認められたい。義兄に認められたい。師に認められたい。相棒に認められたい。それだけだった。結局それだけだったのだ。
そんな浅ましい想い。それを通す為に無茶をして、結果として破滅の引き金を其処に引いた。
――嫌なモノ、全部! 怖いモノ、全部! 消えろぉぉぉぉぉぉっ!!
壊れていく世界の光景。それを生んだのはティアナの魔弾だ。
失われていく世界の光景。その地獄が生まれ掛けたのは、間違いなくティアナが切っ掛けだ。
もしもあの場所で、その阻止の為に動けていれば少しは何か変わっただろう。
だが現実としてティアナは衝撃の余り何も出来ずに居て、覚悟を決める前に問題は全て解決してしまった。
だから――
「そんなの、もう見えない」
もう見えないのだ。もうその眼には、何一つとして映らない。
結局彼女がやった事は被害を増やしただけ。やろうとした事はそれだけで、手にした物は何もない。
失う物しかない現実を前にして、ティアナはもう何をしようとも思えない。それで立ち上がれる程に、彼女は強く在れはしない。
橙色の少女は立ち上がれずに、大地に仰向けになって顔を両腕で隠した。
「……前にも言ったよね。ティアナには、才能が余りない」
そんなティアナの姿を見詰めながら、高町なのはは口にする。其処に優しい嘘などなくて、語られるのは全て事実だ。
「魔導師として、指揮官として優秀だよ。だけど優秀止まりであって、無条件でそれ以上に行ける程じゃない」
ティアナ・L・ハラオウンは特別などではない。
空の高みで輝ける様な星ではない。確かに誰かより秀でているが、それでも特別と見比べれば大きく劣る。
少女は地星だ。地上の星だ。高みに行けない泥塗れの星。
中途半端なその才能を、高町なのははそう断じる。己と同じく、彼女と同じく、羽搏けていない星なのだ。
「足が遅いなら、足を止めちゃいけない。空の星を目指すなら、飛び続けないと追い付けない。私達は底に居るから、そうでないと追い付けない」
だから、立ち上がって欲しいと願っている。
だから、この暴挙を前に反発して欲しいと思っている。
そんな思考に瞳は揺れて、だがティアナはそれに気付かない。
気付けないのだ。気付く筈がない。前を見る事を止めた少女に、分かり易い変化であっても見える筈がない。
「心が折れたら、それで御終い。意志が折れたら、それで御終い。だから前を向き続けて、それでもと意地を張らないと――」
だから、何をしても変わらない。だから、何をしても伝わらない。それが分かって、それでも女は未だ此処に望んでいた。
「無茶をするな。なんて言えないよ。他でもない、私が一番無茶をしてきた」
まだ無茶が出来ると、そう立ち上がってくれる事を期待している。
それでももう無茶が出来ないと言うなら、幕を引くのはなのはの役目。
「無理をするな。なんて言えないよ。他でもない、私自身が無理をしてるって分かってる」
まだ無理が出来ると、そう言ってくれる事を期待していた。
それでももう立ち上がれないと言うなら、終わりを与えるのは師の役目。
「それでもね。我武者羅に前に進むだけじゃ駄目。道を見て歩かないと、結局道に迷っちゃう。だから、無茶をするなら、やり方があるんだ」
誰よりも無茶をしてきた女は、故にこそ得た答えを此処に示す。
誰よりも無茶をしてきた女だからこそ、未だ先に行けるのだと伝えたい。
「ティアナがまだ立てるなら、それを教えるよ」
同じ様な思いを抱いて、同じ様に前を目指して、だからまだ歩けるのだと。
「それで立ち上がれたなら、ティアナはまだ此処に必要だって言えるんだ」
また必要だと言いたいのだと、後悔はさせたくないのだと、そう確かに願っている。
「だから、もう一度聞くね。――これで終わり? ティアナは此処で御終いなの?」
だけど、もしもこれでも駄目ならば――終わらせるのはなのはの役目だ。
そんな身勝手な覚悟を胸に抱いて、高町なのははティアナ・L・ハラオウンへと問い掛けた。
だがしかし、高町なのはは一つ勘違いを此処にしている。だからこの問い掛けは、当然の如く失敗する。
「……もう、無理」
「本当に、もう無理なの?」
諦めた声。諦めた言葉。諦めた瞳。諦めの涙。
高町なのはは似ていると感じたが、しかし二人は致命的に違っている。
「……もう、嫌、なの」
「本当に、もう何も出来ない?」
諦めないと言う不屈の意志。生まれ持った魔法の才能。そして愛した男の存在。
違いは並べるだけでもそれ程にあり、一つ一つは僅かな差であったとしても積もれば此処に断崖の如き差異を生み出す。
「痛いのは嫌。辛いのは嫌。怖いのは嫌。苦しいのは嫌」
高町なのはとティアナ・L・ハラオウンの最大の違い。それはこの今にある原動力。
星を目指して、共に歩く事を祈ったのが不屈の女。だがティアナが目指した形は、その星の輝きを一身に受けたいと言う物だ。
愛して欲しい。褒めて欲しい。認めて欲しい。抱き締めて欲しい。どうかお願い、誰か包んで――それが少女の内にある、最も大きな欲求だ。
「誰か、褒めてよ。誰か、抱き締めてよ。誰か、愛してよ。頑張ったねって、私、頑張ったよ」
そしてその原動力を口にしながらに、同時に見苦しいと感じている。
己の意志の根幹を全肯定できるなのはと違って、ティアナの中途半端な強さがそれを正しいとは認めない。
だからこの
「結局、誰も見てくれない。それも当然。だって、こんな私には何もない。汚い物しかないから、見てくれる筈がない」
少女は涙を零しながらに首を振る。そんな少女を見下す女の表情は、逆光に隠され見えはしない。ティアナはなのはの表情を、見ようともしていない。
「最初から、無理だったの。最初から、間違ってたの。だから、もう嫌なの。だから、もう無理なの」
凡人が、変わろうとした事が無理だった。無茶をした代償は自分自身。何も出来ないままに膝を折り、こうして自分の重量に押し潰される。
「どうして、私ばっかり。どうして、私だけが。どうして、皆虐めるの」
「…………」
どうして、どうして、どうしてと。口に出す疑問はそればかり。
支離滅裂になる言葉はまるで、幼い日に退行してしまったかの様に。
いいやきっと、ティアナはそれを願っている。
ずっと昔に失ってしまった。あの日に帰りたいと願っている。
温かな過去へと戻りたいから、それで苦しい未来に進める筈もないのだ。
「……なら、仕方ないね」
だから仕方ないと、高町なのはは此処に認めた。
もう立ち上がれはしないだろうと、高町なのはは確かに認めた。
だから彼女は魔法を唱える。黄金の杖を構えたままに、少女に向かって魔法を唱えた。
「レイジングハート」
〈Restrict lock〉
ティアナの四肢が、光の輪に繋がれる。両手足を拘束されて、隠していた顔が晒される。
「っ」
泣いていた。少女は見っとも無く泣いていた。涙を零して、確かに泣いていた。
その視線の先に佇む女は翡翠の輝きを集めながら、その黄金の杖を涙に濡れた顔へと突き付ける。
「頑張ったよね。辛かったよね。苦しかったよね。だから――」
認めよう。認めたのだ。
もうこの少女は立てないと認めたから、此処に彼女を終わらせよう。
「もう諦めて良いよ。もう二度と、ティアナには何も求めない。立ち上がれなんて、言わないから」
集う力が膨れ上がる。息すら出来ない程に、濃密な気配が膨れ上がる。その力を振り下ろすなのはを、ティアナは涙に歪んだ視界で見ていた。
「もう二度と、デバイスを握れない様に――もう二度と、諦めた想いを夢に見ない為に――徹底的にやるから」
其処にあるのは、出た戦場で確かに感じたその感覚。
その濃密な気配は、何処までも殺意に似ていると感じられた。
だからこそ、ティアナは一つ疑問に想う。涙に濡れる瞳で見た景色に、一つの疑問を抱いたのだ。
(どうして――)
どうして、それは何時も想う事。どうして、それは幼い日から感じる沢山の疑問。どうして、それは今になっても答えが出せない無数の問い掛け。
ティアナには分からない物が多過ぎる。どうしてどうしてどうしてと、そう抱いた疑問が多過ぎる。出せない答えが多過ぎる。だからきっとこれも、決して答えが出ない問い掛けだ。
(どうして、貴女が、辛そうなの?)
ティアナには分からない。どうして高町なのはは辛そうに、それでも魔法を放つのか。
ティアナには分からない。その答えを出す前に、此処に幕は引かれてしまうから。
「バイバイ。ティアナ。……ごめんね。私は出来の悪い先生だった」
翡翠の光が放たれる。零距離から撃たれた光は躱せずに、ティアナの身体を飲み干していく。
思考が途切れる。意識が保てない。破壊の光に飲み込まれて、少女は暗闇の中へと堕ちて行った。
最後に感じたのは、やはり疑問。何時だって、ティアナ・L・ハラオウンは分からないでばかりいる。
2.
痛みを受けて、身体は倒れる。ブラックアウトした思考は、暗闇の中で過去へと戻る。
ずっとずっと帰りたかった。あの日、あの時に失くした家に、ずっとずっと帰りたかった。
ああ、だから此処にある。ああ、だから此処に帰って来た。なのに、目に焼き付いて離れない。
帰って来たら安心で、もう痛い想いをする必要なんてない。なのに、どうして心にその顔が焼き付いている。
辛そうな顔。どうしてなのか分からない。
憧れたあの人が何を望んでいたのか。それがとんと分からない。
だから、問い掛けようと思った。もう苦しくはないから、戯れに問い掛けてみようと思った。
折角の機会だ。全てを投げ出してしまう前に、積もり積もった疑問に答えを返そう。
最初に抱いた疑問は何だったのか、まだ答えを出せてない疑問。その全てに答えを返そう。
まるで走馬燈を見る様に――彼女の思考は過去の記憶を紡いでいく。
どうしてなのか。何故なのか。そんな想いで見詰める記憶の迷宮。古い古い記憶の中に、其れは確かに存在した。
――ティーダは私達の誇りでした。
――あの子は命を賭けて、この星を守ったんです。叔母として、これ程に嬉しい事はありません。
作った笑みで、作った言葉で、そんな風に語る人達が居た。
兄の死が嬉しいと、本当に本当に嬉しいと、心の底から思っていたその人達。
分からない。分からなかった。どうして、そんな風に言えるのか、だから当然の様に少女は問うた。
――私達が、喜んでいるだと!?
――何を言ってるのよ! この子はっ!!
最初に返って来たのは、そんな否定の言葉。
だがその言葉は薄っぺらくて、その怒りは薄っぺらくて、だから少女にも嘘だと分かった。
――良いじゃないのっ! 喜んでも! どうせアンタ達はその程度しか役に立たないんだからっ!
――兄貴の方は死んで役に立ったのに、妹の方は碌でもないな。誰が養ってやってると思ってるんだっ!
問い掛けて、問い掛けて、問い続けて――返って来たのはそんな真実。
だから余計に分からなくなった。どうして血の繋がった人々が、こんな事を平然と言えるのか。
――何で、兄さんが死んだのに、笑えるの、か。……当然じゃない。あの人達にとって、生きている頃の兄さんはどうでも良い存在で、死んだ後の兄さんはとても都合の良い存在だったのだから。
少しだけ大人になったその日に、ティアナはそう結論付けた。けれど心の奥底では、納得なんてしていなかった。
何故? 何故? 何故? この人達は、何故こんな事を言えるの? この人達は、何故笑っていられるの? 何故私はこんなに辛いの?
どうして? どうして? どうして? どうしてこの人達が生きているのに、どうしてもう兄さんはいないの? 何故私を此処に置いて行ったの?
積もっていく疑問に蓋をして、訳知り顔で答えと示す。だけどそれに心の底から納得なんてしてなくて、だから想いは募っていく。
この問い掛けに答えが欲しい。この疑問の答えが知りたい。そう願った祈りこそがきっと――
(だけど、最初はこれじゃない。もっと前、もっと前にも、分からない事はあった)
少しだけ大人になった頃を思い出して、僅かに澄んだ思考で振り返る。
あの日は理屈と共に折り合い付けて、それでも認めてはいなかったのだと素直に受け入れる。
そうして、もう少し遡る。もう一歩を遡る。
もっと昔の記憶なら、その答えはあるだろうか。僅かに期待しながらに、記憶の轍を振り返る。
その記憶の景色には、もういない優しい女性が居た。
優しく微笑んで手を差し伸べてくれた、或いは母と呼べたかも知れない人が居たのだ。
――ねぇ、ティアナ。家の子にならないかしら?
管理局の士官服。高級将校のそれを来た緑髪の女性は、リンディ・ハラオウン。幼い頃に養い手を失ったティアナへと、彼女はその手を差し伸べていた。
その手を前にして、ティアナは最初握り返す事に躊躇した。握って良いのかと疑問を抱いた。だってティアナは、クロノに対し酷い事をした。
――あの子に言った言葉、後悔してるの?
図星を突かれて、ティアナは無言で頷き返す。
どうして守ってくれなかったかと、そんな言葉、生きて帰った人に向けるべきではない。
クロノだって、意図してティーダを守らなかった訳ではない。
彼自身生き残る事に精一杯で、約束を守れなかっただけの話だった。
失った直後には気付けなくて、冷静になった後には言い出せなくなった。
憧れの人で、兄の友人で、多分初恋の人だった。
そんな相手に過度に期待して、だから暴言を吐いたのはきっと甘えに過ぎなかったのだろう。
――だからこそ、この手を取って欲しいと思うの。
そんな少女の甘えと後悔すらも見抜いていたのだろう。
リンディは優しく微笑みながら、そう口にして手を差し出し続けた。
――何時までも、そのままで居たくはないでしょ? 私達だって、何時までもこのままでは居たくないわ。
優しい微笑みを浮かべたままに、リンディは言葉を紡いでいく。
互いに思いを抱えるからこそ、一歩を共に近付くべきだと彼女は語る。
其処に憐憫がなかったと言えば、それはきっと嘘になろう。
家族を亡くした可哀そうな子供。そんな彼女だからこそ、手を差し伸べたのであろう。
それでも、そんな理屈があったとしても――其処にあった優しさは嘘偽りではなかったのだ。
――少し時間が掛かるけど、一緒に歩いていきましょう。
そう信じられたから、ティアナは差し出された手を握り返した。
その握った手に確かな温かさを感じて、これから先に確かな希望を抱いたのだ。
だけど、リンディ・ハラオウンは迎えに来なかった。
――仕方ないの。もう居ないから、迎えに来れなくても、仕方がないの。
彼女は第九十七管理外世界で命を落として、ティアナの下には帰って来なかった。
――辛くない。泣いてない。だって本当はそんな話はなかった筈だから、其処に戻っただけじゃない。
少しだけ大人になったその日に、ティアナはそう結論付けた。けれど心の奥底では、納得なんてしていなかった。
何故? 何故? 何故? 新しい母は、何故帰って来ないの? 新しい兄は、何故迎えに来ないの? 何故私だけが苦しいの?
どうして? どうして? どうして? 一緒に歩こうって言ったのに、確かに約束した筈なのに、何故私を此処に置いて行ったの?
積もっていく疑問に蓋をして、訳知り顔で答えと示す。だけどそれに心の底から納得なんてしてなくて、だから想いは募っていく。
――私は一人で大丈夫。一人でも、歩いていけるもの。
だからその日に、一人で生きていくのだと心を決めた。だけど一人で生きるのは辛かった。
だから心の底では確かに、誰かの温もりを求め続けていた。だけどそれを認めるのは癪だった。
だって、格好悪いではないか。だって、愛情だけを求めるのは見っとも無いではないか。だって、誰も抱き締めてはくれないじゃないか。
だから其れは理由にならない。だから其れを理由にしたくはない。だからそれに蓋をして、綺麗な言葉で着飾った。兄の未練を果たすのだと。
でも、やっぱりそれは偽りだった。だって心の底から分かっている。ティーダ・ランスターは望んでいない。
あんなにも愛してくれた兄だから、この選択を拒んでいる。妹が戦場に出ると言うその決意に、草場の影で泣かない理由がある筈ない。
だから結局は承認欲求。冥王が語った言葉は確かに、ティアナの心を突いていた。
だから盛大な失敗をした後に、暴かれたそれでは立ち上がれない。そんな醜いと思う感情を、原動力には出来なかった。
ならば、もう何もないのだろうか?
ティアナの中身は空っぽで、内に籠る物は何もない伽藍洞となったのか?
ならばもう、此処で終わってしまって良いのだろう。
もう立ち上がるのは辛いから、此処で全てを投げ出そうと考えて――
(嗚呼、でも一つだけ――今でも気になる、疑問がある)
だが、一つ、その疑問だけが未練となった。
その答えを知らないから、まだ知りたいと思えたのだ。
それはもっと前の記憶。親戚夫婦に引き取られるよりも前、リンディに出会うよりも前、ずっと昔にあった一つの記憶。
(もっと
それは病室の一室に。運び込まれたクラナガンの病室で、確かに一つ抱いた疑問。
――御免な、ティアナ。悪いお兄ちゃんでさ。
ティーダはその時、執務官資格試験に合格して経験を積む為に海に出ていた。
ティアナはそんな兄に心配を掛けたくなくて、調子が悪い事を隠して笑顔で見送った。
だから限界を迎えていた事に気付けず、彼女は風邪を拗らせて倒れてしまった。
――気付いてやれなかった。お前が沢山苦しんでる事。我慢してた事、まるで分かんなかったお兄ちゃんで御免な。
誰もいない家ではなくて、大通りで倒れたのが幸運だったのだろう。
救急車両への通報からティアナは搬送されて、管理局へと連絡は伝わった。
執務官試験と海の研修。それを無事に終わらせて来たティーダは、戻った所でそれを耳にした。
病室に駆け付けたティーダ・ランスターは、熱に浮かされて朦朧としているティアナに対して幾度も幾度も謝った。
――それと、許してほしい。こんな馬鹿をやったのに、まだ管理局員で居る事を許して欲しいんだ。
ティーダは執務官資格を自ら捨てた。空の所属でも執務官は存在するが、当然役職に応じた忙しさが付き纏う。だから捨てたのだ。妹の傍からもう離れない為に。
だけど執務官資格を捨てたのに、それでもティーダは管理局員で在り続けた。自分の夢を諦めて、家族と共に過ごす時間を無理に作って、それでも局員である事は捨てなかったのだ。
――僕は守りたい。ティーダ・ランスターは守りたいんだ。ティアナや、ティアナが生きるこの世界を。
辛かった筈だ。少なくともティアナは、局員となってから辛い想いを沢山した。
大変だった筈だ。少なくともティアナは、局員となってから大変な経験ばかりだった。
それでも先に夢を見て、だがその夢さえ破り捨て、ティーダはそれでも望んだのだ。
守りたいのだ。守らせて欲しい。それだけはどうか許して欲しいと、何故其処まで強く思えたのか。
涙目で謝罪する兄に、笑って許しながらに疑問を抱く。
どうして、貴方は未だ立ち上がれる。何故、此処に来ても諦めない。
夢を直向きに目指したならば、それはきっと理解が出来る。けれどティーダはそれを捨てたのだ。なのにそれでも前を見る。
その強さの答えが知りたかった。その想いの強さを知りたかった。彼が見ている景色を、彼が好きだからこそ知りたかった。
答えが欲しい。答えを教えて欲しい。その答えを知りたいのだ。
それがきっと、ティアナの原点。あの日に抱いた、始まりの想い。
(まだ、私は知らない)
知らない。その答えを知らない。まだティアナは、その答えを知らないのだ。
(まだ、それが未練として残っている)
戦う事は諦めた。追い付く事は諦められた。愛される事は諦めた。――けどそれだけは諦められない。
(知りたいな。知りたいよ。どうしてそれでも、歩けたの?)
ティーダ・ランスターは、何故前に進めたのであろうか。
クロノ・ハラオウンは、何故今も歩き続けているのだろうか。
高町なのははどうして、この今も諦めないで強く在ろうとしているのか。
(貴方は何を見ていたの? 貴女は何を見ているの? 貴方達の目には、世界はどんな色に映っているの?)
その色を知りたい。その景色が見たい。その光景を見ずにして、此処で諦めたら。
(嗚呼、きっと――このまま諦めたら後悔する)
だから、それが答えだ。だから、それが理由だ。
(辛いよ。きついよ。厳しいし、泣きたくて、逃げ出したくて、もう立ち向かいたくなんてないけど――それでも)
醜い感情では立ち上がれない。その依存心を認められる程に、ティアナは
理由がなければ立ち上がれない。意味もなく強く在れる程に、ティアナは
中途半端だ。だから理由が必要だ。
中途半端だ。だけど理由は此処にあった。
(やっぱり、知りたい)
辛いと言う感情よりも、その渇望の方が少しだけ強い。
泣きたい想いよりもほんの少しだけ強く、唯それだけを祈っている。
(答えを教えて、答えを示して、その想いの在り処を教えて)
だから、ティアナは此処に立ち上がる。
(きっとそれが、最初の理由。私が目を背けていた、覆い隠していた本当の願い)
見っとも無い顔で、一度完全に圧し折れて、今更になって立ち上がる。
嫌だ嫌だ駄目だ駄目だと喚き散らして、その癖今更になって立ち上がる。
ああ、なんて無様。ああ、なんて見るに耐えない無様であろう。
(だから――ああ、そうだ)
それでもティアナは指に力を入れて、震える腕で立ち上がる。
よろけながらに立ち上がった少女は此処に、蒼く輝く右の瞳で前を見た。
「これが、私の歪みだった」
見上げる先に、遠く佇むのは高町なのは。
目を逸らして逃げ回り続けていた少女は、今度は確かな意志で、己の歪みで女の瞳を見るのであった。
3.
ティアナは未だ弱い。何かが変われた訳じゃない。
痛みと恐怖。抱いた疑問と欲求。天秤の揺れは僅かであって、もう折れないなんて言えはしない。
そんな弱い自分を射抜く。そんな己の弱さを射抜く。
そんなイメージで己を射抜いて、そうして前に進んで行く。
心にそう決め、彼女は此処に師を見詰めていた。
「ああ、そうか。そうだったんですね」
答えを知りたい。そう望んだのが彼女の渇望。
どうしても知りたいのだ。その感情に応える様に、その蒼き瞳は答えを見通す。
燃え上がる炎は、海の底より尚碧く、空の果てより尚蒼い。
右の瞳がその色を変えて、この今までに背けていた世界を其処に映し出す。
矢よ。己を射抜け。弱い己を此処に射抜け。この真実の答えと言う矢を以って、我が身を貫き変わってみせろ。
それこそ彼女の真なる歪み。それこそ彼女にあった、彼女だけが持つ力。
その歪みを通して答えを見付けたティアナは、得心が行ったと此処に呟いた。
「考えてみれば、分かり易い。もっと冷静に考えれば、そんなの直ぐに分かった筈だった」
違和感があったのだ。異質だったのだ。高町なのはのやり方は、冷静になって考えればおかし過ぎたのだ。
傷付いたのは擦り傷だけ。与えていたのは恐怖が主体。殺気はあったが、殺傷設定は使わなかった。選んだのは、痛みだけを感じさせる魔法であった。
本当に要らないと思ったならば、殺傷設定でも良かった筈だ。
いや、そもそも傷付ける必要すらなくて、部署からの異動を命じれば良い。それだけの立場と権限をなのはは持っている。
だから、ならば其処に理由はあったのだ。
「私を傷付けて、反発心で立ち上がらせようとした」
「…………」
高町なのはの最初の目論見。それはユーノとトーマの焼き直し。
傷付ける事でそれを理由に、再び立ち上がる切っ掛けを与えようとした物。
「だけど無理だと分かったから、今度は底を見極めようとした」
「…………」
だけどそれをするにはティアナが弱くて、反発心を覚える事すらなく潰れていた。
だからやり方を変えようとした。問い掛けの中で底を見定め、何かないかと探っていた。
だがそれもなかったから、だからなのはは決めたのだ。
「それでもやっぱり駄目だったから、諦めさせようとしたんですね」
ティアナはもう戦えない。だから諦めさせよう。未練が一つも残らない様に、と。
「全部
未練も後悔も必要ない。市政を当たり前に生きるなら、そんな物は余分となろう。
だからそれを奪う為に、なのはは仕方がない理由を作ろうとした。悪役になろうとしたのだ。
「心を圧し折ったのは高町なのは。ティアナは誤射が理由じゃなくて、エースオブエースに潰されたから辞めたんだ。諦めるのも仕方がない話だって、皆に納得される理由を用意しようとした」
唯辞めただけならば、先の誤射は付いて回る。アレは隠せる様な惨事でなく、既に多くに知られて居よう。
此処でティアナが折れたなら、それは自分の誤射を恐れて逃げたのだと後ろ指を指されただろう。だから其処に理由を加えた。
ティアナは先の誤射の責任として、高町なのは教導官に罰を課された。
その罰が余りに非人道的過ぎたから、彼女は局員として居続ける事が出来なかったのだ。
そんなカバーストーリーを作り上げ、記録映像と共に上に提出する事で、自分を悪役にする心算だったのだ。
「全部、未練を絶つ為に。戦えないなら、戦おうと思えない様に。憎まれてでも、恨まれてでも、傷付いてでもやろうとした」
「…………」
その眼が見通す。その歪みが答えを導く。その可能性を確かに見て、ティアナは此処に苦笑した。
「……本当、不器用ですね。なのはさん」
「ん。そうだね。けど、こういうやり方しか出来ないからさ」
見抜かれた女は認める様に、肩を竦めて口にした。
そんな不器用な師の想いを受け止めて、泣いていた少女は涙を拭う。
立ち上がる理由はもう得たから、何時までも蹲ってはいられない。
立ち上がったティアナは流れた滴の痕を拭って、高町なのはの瞳を見る。
「傷付けて、傷付けて、――でも殴ったその手だって痛いのに」
痛いのだ。痛みを感じている。
大切な誰かを傷付ける事に、彼女は痛みを感じられる人なのだ。
「痛いなんて、口が裂けても言えないよ。殴ったその手が痛くても、それでも殴られた痛みに比べれば遥かに軽い物なんだから」
それでもなのはに言わせれば、そんな痛みは身勝手な物である。
誰かを殴った時、殴った誰かも痛いのだ。そう賢しげに語る輩はいるだろう。
確かに物理の法則として、殴った時に反作用は存在する。拳を振るった時に、振るった側も痛みを感じるだろう。
それでも、殴られた側より痛い事なんてある訳ない。殴った側より殴られた方が痛いのは自明の理。
殴ると言う意志を決めていた人間が拳に感じる痛みと、拳を受けて感じる痛みが等号であってはいけないのだ。
だから身勝手な言葉だ。殴った方も痛いのだと、殴った側は認めてはいけない。言ってはいけない言葉である。
「それでも、痛い。比べたらマシでも、確かに痛い物ですよ」
だけど、それでも確かに痛いだろう。分かっていても、それでも痛みは感じる物だ。
ましてやそれが大切だと感じる相手なら、胸に感じる痛みは如何ほどか。それが分かって、だから不器用と笑うのだ。
その少女の瞳。涙の痕は残っていても、その瞳にはもう揺らぎがない。
高町なのはは感じる心の動きを押し殺して、その理由を此処に問うた。
「変わったね。答えは見えた?」
「いいえ、まだ見えません。多分、本当はまだ何も変わってないんだって思います」
答えはまだ見つからない。ティアナの本質は、多分まだ変わっていない。
愛して欲しい。抱きしめて欲しい。認めて欲しくて褒めて欲しい。そんな感情は変わらない。
「……なら、答えは見つけた?」
「はい。まだ変われてないけど……それでも進む道は、もう見つけました」
それでも、進む道は見えたから――
「もう、泣き言は言いません」
泣き言は言わない。その先を見る前、その答えを得る迄、もう泣き言は口にしない。
「もう、辛いからって逃げません」
もう逃げない。この今から逃げようとはせずに、立ち向かっていくと心に誓う。
「だから、一手指南をお願いします」
知りたい答えがある。それをこの目で見る為にも、また歩き出すの決めた。
知らないといけない答えがある。その光景を確かに見る為に、ティアナは此処に一歩を踏み出し進むのだ。
「言ったよね? もう甘くないよ」
「ええ、望む所です」
「分かってるよね。優しくなんてしないよ」
「だからこそ、強くなれるって思います」
交わす言葉は唯の確認。それに一拍の間すら置かずに返して、ティアナは強くなのはを見た。
「そっか、じゃあ、行くよ」
「はいっ!」
そして、弾かれる様に二人は飛び出す。
共に選ぶは大きな跳躍。双方ともに後方へ、空高くへと飛び退いて、杖と双銃、二つの武器を互いに向け合う。
ティアナはもう持たない。如何に気概を決めたとしても、既に身体が限界だ。
だから一手。だから今は一手だけ。その一手は全力だ。共に全身全霊で、互いの切り札をぶつけ合うのだ。
『全力全開っ!』
言葉は此処に、同じ音と同じ意味。
手にした魔法の杖に力を――それもまた同じ物。
集うは星の輝き。集まる小さな光の粒が、巨大な力へ変わっていく。
蒼き瞳で確かにその先を見詰めて、その壁の大きさを理解して、それでももうティアナは逃げ出さない。
『スタァァァァライトォォォォッ!』
翡翠と橙。二人の師弟は今此の場所で、同じ技を切り札として行使する。
至高の魔導師と言う高みを前にして、それでもティアナは同じ力を答えと返した。
『ブレイカァァァァァァァァァッ!!』
互いを見詰めて、放たれた二色の極光。それは空中にてぶつかり合い、弾けて周囲を包み込む。
ぶつかり合った二つの力。溢れ出した光の色は翡翠。周囲は翡翠の輝きに染まって、そしてティアナは此処に空から墜ちる。
高町なのはは宙に立つ。彼女は揺るがず立っている。
ティアナ・L・ハラオウンは大地に墜ちる。限界を迎えたこの少女は、意識を失った。
これが結果。これが結末。ならばこの二つの力のぶつかり合い。その勝者は高町なのはか――否。
「届いたよ」
感じるのは、腕の痺れ。感じるのは、非殺傷の痛み。
今ティアナが倒れる理由は、先の一撃で体力が底を突いたから気絶しただけ。
あの瞬間に翡翠が周囲を包んだのは、内側を橙の光に貫かれて霧散したからだったのだ。
即ち――
「確かに届いた。……凄いね。撃ち合いで負けたのは、初めてだよ」
ティアナの砲撃は、なのはのそれを超えていた。
別に、ティアナがなのはより強い訳ではない。
彼女には目覚めた歪みがあって、なのはには未だリミッターが付いていた。
感じる痛みも微量であって、ダメージと言えなくもない程度でしかない。
だから単純に実力差を問えば、未だなのはの方が遥かに高みに居るであろう。
それでも、この今の瞬間には勝利した。
見っとも無く、まだ弱くても、それでも確かに貫いた。
そうとも、ティアナは此処に見せたのだ。その魂の輝きを――
「見えたよ。その輝き。きっと強くなれる。そんな確かな輝きだ」
だから、強くなれると確信出来た。
彼女はきっと強くなる。彼女はきっと、その願いへと辿り着ける。
それはきっと、彼女だけの話ではない。成長が必要なのは、未だ未熟な己も同じくだ。
「ティアナ。強くなろうね」
空から舞い降りた女は少女に歩み寄って、意識を閉ざした彼女の傍らへと座り込む。その頭を膝に乗せて髪を梳き、優しい声で彼女に告げた。
師としても、人としても未熟な高町なのは。
弟子としても、戦士としても未熟なティアナ・L・ハラオウン。
だからこそ、二人で強くなろうと彼女は告げる。
師弟揃って共に進んで行くのだと、なのはは微笑みながら語り掛ける。
「一緒に、二人で――この願いを追い掛けよう」
願い、二人で――この祈りを追い掛けて、何時か必ず届かせよう。
荒れ果てた訓練場の中で、座り込んで微笑む高町なのは。
そんな彼女に抱かれた少女は、何処か満足気な笑みを浮かべて眠る。
ティアナ・L・ハラオウンは、夢を目指すと此処に決めた。
この願いを目指して、この祈りを目指して、その答えを得る為に――まだ歩き続けると決めたのだ。
シーン1の推奨BGMは、やっぱり覚醒ゼオライマー辺り。或いは獣殿のラスボステーマ全般のどれか。
前書きに書くと魔王降臨がネタにしか見えず色々打ち壊しになりそうだったので、後書きに記載しました。
ティアナの歪み詳細はまだ秘密。実際の活躍シーンはもうちょい先です。
でも此処までで効果は大体分かると思う。
現状でオリ歪み名称は、弓道関係の言葉となる予定。(自分を磨く的な意味で何が相応しいかと現在選考中)