リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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色々詰め込んだ回。二万字超えとかなり長いです。


副題 コンビ再開。
   隠れ潜む脅威。
   スカさんフルボッコ。


第十八話 夢追い人

1.

 地獄に一番近い日から、三日と言う時が経過した。

 

 抱き締められて救われて、そうして意識を飛ばした少年。

 トーマ・ナカジマは今朝になって目を覚まし、そうして今は此処に居る。

 

 機動六課の隊舎裏。林が生い茂る人気のない場所。

 白い壁に背を預け、座り込んだ少年が見詰めるのは己の掌。

 

 大切な人を傷付けた。大切な人達を傷付けた。そんな自分の手を握り絞めている。

 

 

「トーマ」

 

 

 傍らにある少女。白百合は不安げな瞳で、トーマ・ナカジマを見上げている。

 彼女を傷付けた。彼女も傷付けた。必死に止めようとしたその言葉を振り払い、あろう事か恐怖に怯えて全てを消し去ろうとした。

 

 其処に後悔を抱くなら、自分は変わっていかなくてはいけない。

 もう二度と震えて逃げ出す事はなく、立ち向かう為の理由(キズ)は確かに此処にある。

 

 なのに――

 

 

「俺は、僕は――」

 

 

 その手が震えている。その手はまだ震えていた。

 

 一体自分は誰だろう。此処にいる我は誰なのだろう。それが確かな答えとして、口に出す事が出来ていない。

 魂の浸食は止まった訳ではない。溢れ出す記憶の奔流に押し流されて、それでも忘れたくはないと叫ぶ事しか出来ていない。

 

 薄れてしまった。混ざってしまった。自分が誰かも分からない。

 でも逃げ出した結果として傷付けたのだから、もう逃げたくないと思っている。

 だから立ち向かわないといけないのに、何処に向かっていけば良いのかが分からない。

 

 どうすれば良い。どう進めば良い。一体何を想えば良いのか。

 

 

「トーマ」

 

 

 その心が伝わる少女は、何度だってその名を呼ぶ。

 忘れない様に、忘れない様に、貴方が貴方を忘れない様に。

 

 

「マ、……リリィ」

 

 

 一瞬、彼女の名を間違えそうになる。彼女の名前すら忘れそうになった。

 そんな自分に嫌悪を抱いて、それでも沈む思考を頭を振って振り払った。

 

 そうしてトーマは、息を大きく吸い込み前を見る。

 何時までも陰鬱とはしていられない。何時までも止まっては居られない。

 

 だから彼は前を見て――

 

 

「何、辛気臭い顔してんのよ」

 

 

 其処には、一歩先に進んだ相棒(シラナイダレカ)の姿があった。

 

 

 橙色の髪の毛を、頭のサイドで二つに束ねた一人の少女。

 両手と両肘。両足と両膝。額も含めて全身の至る所に包帯を巻いたその姿。

 

 疲れた表情をしながらも、それでも目が生き生きとしている。

 そんな彼女が誰であるのかを、トーマは確かに知っている筈だった。

 

 

「…………」

 

 

 だが、名前が出て来ない。答えが浮かばない。その名を此処に呼ぼうとすると、どうしてか違う名前を口にしそうになる。

 そんな自分の無様が嫌で、それを察せられるのも嫌だった。だから軽口を言う様に、誤魔化す言葉を此処に紡ぐ。

 

 

「……お前、湿布臭いぞ」

 

「うっさい。ほっとけ」

 

 

 デリカシーのない発言に、ティアナは半眼で言葉を返す。

 臭いと言う直球の言葉は年頃の乙女として、中々に受け入れ難い物であった。

 

 そして同時に、彼女は気付いていた。だから苦笑と共に名乗りを上げる。

 

 

「ティアナよ」

 

「あ? 何だよ、行き成り」

 

 

 今の彼女を欺ける者は、あまりいない。皆無とは言えないが、それでも決して多くはない。

 少なくとも、入り混じった記憶と自我に翻弄されている子供の誤魔化しなどティアナ・L・ハラオウンには通じない。

 

 

「私の名前。忘れたんでしょ? 馬鹿トーマ」

 

 

 蒼い右目が彼を見ている。蒼い歪みでそれを見詰めて、ティアナは仕方がないなと笑っていた。

 

 

「アンタは鳥頭なんだから、忘れても仕方ないわ。……だから、忘れる度に教えてあげる」

 

 

 ティアナの歪みは、答えを見ると言う物――ではない。

 隠された物事を暴く物ではなく、此処に見るは別の物。そして語るは、それを元にした唯の推測。

 

 それでも、分かる事はある。彼女の知性は、確かにその事実を見抜いていた。

 

 トーマの忘却は、抗おうと思って抗えるような物ではない。

 忘れて塗り替えられて、消えていく心に恐怖を覚えない筈がない。

 

 それでも彼は立ち向かうと決めた。心の傷が理由になって、立ち向かうと決めたのだ。

 ならばティアナは手を差し伸べる。忘れられる事を咎めるのではなく、その度に何度だって己の名を教え込む。

 

 

「私はティアナよ。ティアナ・L・ハラオウン。アンタの相棒だから、また忘れるまで覚えときなさい」

 

 

 笑顔で語る。その少女は既に先に進んでいた。

 

 

「ティアナ」

 

 

 その笑顔に僅か見惚れる。羞恥の感情を抱きながらも素直に憧れる。

 追い抜かれて先に進まれた。その背中に、幾許かの悔しさを抱いて前を見る。

 

 そんな先に進んだ少女が語る、また忘れると言うその前提。言い訳出来ない自分の有り様に、苛立ちを抱いて吐き捨てる。

 

 

「……馬鹿にするな」

 

 

 虚勢であっても、口にする。

 口にした言葉を此処で誓いへと返る為に、トーマは強い言葉を此処に紡いだ。

 

 

「忘れるか。もう、忘れるもんか」

 

 

 忘れるものか。もう二度と、忘れて堪るか。

 自分はもう消えないのだと、その決意を此処に決める。

 

 己はトーマか。己はツァラトゥストラか。

 混じり合う意識は答えを返せず、それでも此処に居る我は我であろう。

 

 その我が感じている。トーマにも神にも成れぬ中途半端が望んでいる。

 もう忘れたくはない。ほんの僅かな些細な事だって、もう忘れたくなんてない。

 

 だから忘れない。そう口にするだけで、立ち上がるには十分だった。

 

 

「そ、なら精々期待してやるわ」

 

 

 先を行く少女は上から目線でそう語り、漸く歩き出した少年は負ける物かと奮起する。

 そんな少年の心の変化に思う所を残しながらも、傍らに咲く白百合は花開く様に微笑んでいる。

 

 そしてティアナは手を差し伸べる。立ち上ったばかりのトーマに向かって、その傷だらけの掌を差し出していた。

 

 

「ほら、行くわよ」

 

「……何処にだよ」

 

 

 差し出された掌を、不躾に見詰め返す。

 手を引かれねば歩けないと思われているのか、馬鹿にするなと、そんな意志を向けるトーマにティアナは笑う。

 

 

「義兄さん――ん、クロノ局長が呼んでるのよ。六課集合ってね」

 

 

 彼女が此処に来た目的は、義兄からの召集。病室を抜け出した相棒を回収する為に来たのだ。

 

 

「重要な話だから、急いで集まれって。――んな訳で、アンタのとろい歩みを待ってやる暇はないの」

 

 

 とても重要な発表があると、それに裏で関わっている今のティアナは、それを噯に出さずに語るのだ。

 

 

「ルーとキャロも待ってるわ。アンタがまた追い付くまで、手を引いてやるからさっさと立って進むわよ。トーマ」

 

「ティアナ」

 

 

 差し出された掌を前にして、それでも僅かに手を迷わせる。

 自分は確かに定めた。此処にある今の自分こそが、誰であっても己であると。

 

 だが混ざった想いが、その手を取る事を阻んでいる。

 

 

「俺は……」

 

 

 理由は単純。男の意地だ。

 恥ずかしいのだ。頼るのは。進むと決めたのだから、一人で歩きたかったのだ。

 

 だが混ざった想いが、その手を取ろうと阻んでいる。

 

 

「僕は……」

 

 

 理由は単純。歓喜の情だ。

 嬉しいのだ。その思い遣りに応えたいのだ。だから手をとって、一緒に歩こうと言う思いもあった。

 

 迷っている。悩んでいる。そんなトーマの逡巡など知った事かと手を取って、ティアナはその手を強引に引いた。

 迷っている。悩んでいる。だから無理矢理に引き摺られて、思わずトーマは抵抗の意志を示してしまった。

 

 途端に崩れるバランス。トーマはその場に転びそうになる。

 だが転ばない。足を踏み外して倒れる前に、もう一人の少女が彼を支えた。

 

 

「恥ずかしくないよ。トーマ」

 

「リリィ」

 

 

 ティアナが引く手とは逆の腕。優しく絡め取った白百合は柔らかく微笑む。

 そして語るのは彼への言葉。きっと今なら届くから、トーマに向かって言葉を掛ける。

 

 

「誰かを頼るのは、恥ずかしくない。恥ずかしいのは、頼りっぱなしで居ること」

 

 

 今、トーマはとても大変な状況にある。

 皆が支えて取り戻してくれたその自我も、何時まで持つかも分からない。

 

 歩く速度は大きく遅れて、そのままでは置いて行かれる。

 だったらきっと頼って良い。一人で歩けない程に、消耗している今は頼って良い。

 

 何時か一人で進める様になって、その時感謝を返せば良いのだ。

 

 

「頼れる人が居るなら支えて貰おう? 受け取るだけが恥ずかしいなら、後で返そう? 歩ける様になってから、確かな想いを其処に返そう?」

 

 

 白百合は言葉を紡ぐ。リリィはその想いを此処に紡ぐ。

 彼女の言葉は受け売りだ。彼女の内から生まれた想いではきっとない。

 

 ならば誰の受け売りか。決まっている。

 眠り続けていた彼女がずっと夢に見ていたのは、この少年の背中だけだから――

 

 

「人は一人じゃ出来ない事が多くある。けど、きっと二人なら、だけど、きっと三人なら、出来る事は増えるから――」

 

 

 これはトーマの言葉だ。父母に愛され、師に導かれ、幸福の中に育った子供の言葉。

 

 嘗ての彼が信じて、追い掛け続けた一つの夢。

 だがだからこそ強く響く。その心を打ち付ける感動は、何度だって色褪せたりはしないのだ。

 

 

「そうして世界は広がっていく。だから今は、一緒に進もう」

 

 

 夢追い人は、此処にもう一度思い出す。何を望んでいたのか、それを此処に思い出す。

 

 前に進もう。そう微笑む少女の姿。

 さっさと行くぞ。そう告げて来る少女の姿。

 

 それを前にして、トーマは取り戻す。

 その瞳の輝きは、まるで満天の星空の如く。

 

 

「……ああ、そう、だね」

 

 

 今ある我を忘れない。その上で此処に夢を追う。

 追い掛けるその夢は、もう忘れてしまった日に見た夢。

 

 其処に辿り着く為に、少年は素直に少女らを頼った。

 

 

「リリィ。僕を高みへと導いて欲しい」

 

「うん。一緒に行こう」

 

 

 白百合よ。聖母の象徴たる永遠の君よ。どうかこの手を引いて欲しい。

 

 

「ティア。駄目な相棒だけど、駄目なままで居たくないから――どうかこの手を引いて欲しい」

 

「……今引いてるじゃない。頭だけじゃなくて目も悪くなったの?」

 

 

 一歩進んだ先を歩く我が友よ。どうかこの手を引いて欲しい。共に前へ進む為に、此処から先へと進む為に。

 

 

「進もう。進もうと決めた。なら、振り返らずに進めば良い」

 

 

 自分が分からない。振り返る轍はもう見えない。

 過去はもうなく、現在はあやふやで、進む先は五里霧中。

 

 それでも、歩き出す理由は得た。傷付けた人々に、確かに報いる必要が此処にある。

 それでも、手を引いてくれる誰かが居る。足下すら覚束ない暗闇の中でも、なら恐れる物など何もない。

 

 そして目指すべき場所は此処に決まった。在りし日に抱いたその夢を、此処にもう一度追い掛ける。

 

 

「行こう。――その先は、きっと綺麗な場所だから」

 

 

 夢追い人は歩き出す。多くの人に支えられて、また此処に歩き出した。

 

 

 

 

 

2.

 そうして、集まったのは古代遺産管理局内にある一つの部屋。

 巨大な円卓を中央に囲むその部屋は、会議場として作られた一室だ。

 

 扉を開けて入ったフォワード四人と白百合。その先頭に立つトーマは、其処で顔を会わせ辛い人と遭遇した。

 

 

「来たね。トーマ」

 

「先生。……ご心配、お掛けしました」

 

 

 金髪の微笑む青年は、トーマの師にして恩人であるユーノ・スクライア。

 スーツの上からでも分かる程に無骨な右腕は、彼の身体には些か不釣り合いに見えていた。

 

 

「その、腕は――」

 

「気にしなくていい。名誉の負傷さ」

 

 

 その腕の傷に対して、謝罪をしようとするトーマ。

 そんな彼の言葉を遮って、ユーノは名誉の一つだと笑って済ませる。

 

 その笑みを見て、トーマは歯噛みした。

 先の光景は確かに彼の傷になっていて、だからこそあっさりと許されてしまえば抱える鬱屈も強くなる。

 

 相手が許しているのだから、自責を続ける事は出来ない。

 それでも自分が許せないから、煮え切らない感情を其処に抱いてしまうのだ。

 

 

「ったく、辛気臭いったらないわね。自責は大事。反省は重要。だけど、後悔は別よ。男ならしゃんとなさい」

 

「エレオ……ん。アリサさん、か」

 

「人の名前間違えんな。ひよっこが」

 

 

 思い悩むトーマの姿に、同じく室内にいた女性が口を突っ込む。

 見ていて不愉快だと語るその女傑は、悩むくらいなら前に進めと彼に告げる。

 

 

「馬鹿娘一人でも面倒だってのに、他に手が掛かるひよっこなんて迷惑なの。……さっさと巣立ちなさいよ、男の子」

 

 

 分かっている。言われるまでもない。前に進むと決めたのだ。

 だからその言葉に頷いて、トーマは思考を切り替えた。傷付けた事は忘れずに、それでも其処に拘泥し過ぎない。それが大事だと、彼はもう分かっていた。

 

 そんな彼とは異なって、共に歩いていた二人の少女は別の言葉に反応する。

 友になると決めて、共に遊んだ少女の名前。馬鹿娘と呼んだ時に籠った一つの感情に、キャロとルーテシアは気付いていた。

 

 

「ヴィヴィオ。あんた、それ」

 

 

 目を移して、その変化に直ぐに気付く。

 アリサに手を引かれる小さな少女は、その髪の毛がばっさりと短くなっていた。

 

 首の付け根辺りで切り揃えられた短い金髪。その項から背中にかけて、酷い傷痕が存在していた。

 

 

「怪我、したんですか?」

 

「この馬鹿。私らがアグスタ行ってる間に、アイナさんの目を盗んで抜け出してたのよ」

 

 

 不安げに問い掛けたキャロの言葉に、アリサは常より苛立ちながらに言葉を返す。

 六課の隊員寮、其処の寮母であるアイナ・トライトン。彼女に任せていた筈の少女は、その眼を盗んで抜け出していた。

 

 その傷は、対価である。無茶をした代償に、背にその傷を負ったのだ。

 

 

「んで、スカリエッティのアホの所に入り込んで、保管されてた資料引っ繰り返してこの有り様よ。ったく、もっと考えなさい。馬鹿娘」

 

 

 ヴィヴィオが引っ繰り返したのは、資料として保管されていた魔群の毒。

 戸棚ごとに倒してしまい、結果としてこの少女は強酸の血を背中に浴びたのだ。

 

 その背は焼け爛れて、同じく髪も焼け落ちた。

 そのままでは見っとも無いから、戻って来たアリサが切り揃えたのだ。

 

 

「ごめん、なさい」

 

 

 母に散々に怒られたのだろう。しゅんと項垂れた金糸の少女は、握る手を強く握り返す。

 

 此処にアリサが彼女を連れてきたのは、もう目を離さない為だ。

 これで過保護な一面を見せる彼女は、こうして六課に居る間は行動を共にすると決めたのである。

 

 そんな義母に手を引かれながら、ヴィヴィオは不安げに見上げている。

 気落ちしている金糸の幼子は、全く意図せずに爆弾発言を口にするのだった。

 

 

「ユーノパパ、心配だったの」

 

 

 面会謝絶になっていたユーノ。彼を心配して、ヴィヴィオは寮を抜け出した。

 ごめんなさいと目を伏せる幼い少女は、自分の発言が与える影響にも気付かない。

 

 

『パパっ!?』

 

「そ、その言い方はやめいっ!」

 

 

 首を傾げる一同に、顔を真っ赤にして言い聞かせるアリサ・バニングス。

 爆弾発言を口にした本人は何も分かっていない様に、疑問の表情を浮かべながら首を傾げていた。

 

 顔を赤くした一人。疑問符を浮かべたその他大勢。だが一人だけ、それとはまるで違う反応をした男が居た。

 青褪めた表情をした男性。渦中の人物であるユーノ・スクライアは気付いていたのだ。

 

 まるで計ったかのようなタイミングで、彼女が扉をくぐっていたその事実に。

 

 

「……ねぇ、どういう事かな。ユーノ君」

 

 

 扉の先、其処には白い悪魔が居た。

 

 

「あれ? おかしいな。何でアリサちゃんの子供が、ユーノ君の事をお父さんって呼んでるの?」

 

 

 笑っている。微笑んでいる。なのに何かがズレている。

 まるで血染花を思わせる瘴気を漂わせながら、濁った瞳でなのはが問う。

 

 ユーノが一度死に瀕してから、彼女は色々と箍が外れていた。

 

 

「ちょ、なのはっ!?」

 

「ま、待っ、子供の言う事だから――」

 

「声を揃えて……何時からそんなに仲良くなったのかな、二人とも?」

 

 

 慌てて説得しようとした二人に、嗤いながら声を掛けるは一人の女。

 高町なのはと共に部屋に入って来た月村すずかは、確信犯の如くに嗤っていた。

 

 そして、ユーノはその笑みに全てを理解した。

 

 

「くっ! すずかっ! 謀ったな! 月村すずかぁぁぁぁぁっ!!」

 

(君は良い友人だったけど、君の女誑しスキルがいけないんだよ。フフフ、フハハハハハ)

 

 

 コイツだ。諸悪の根源。己の天敵はこの女だ。

 この女がなのはを足止めし、絶妙なタイミングで中に入れたのだ。

 

 そう理解したユーノは叫ぶが、しかし届かない。

 これより訪れる友の末路を理解して、すずかは内心で高笑いを浮かべていた。

 

 

(くっ、だが僕とてなのはを愛する男だ。無駄死にはしない)

 

 

 敗北に叫びながら、思考を回すユーノ。

 そんな彼の肩に、ぽんと背後から置かれるのは惚れた女の白い指先。

 

 振り返った先には、太陽を思わせるのに冷たい笑顔が浮かんでいた。

 

 

「ユーノ君。……少し、頭冷やそうか」

 

 

 一番頭を冷やす必要がある人間が、にっこり笑って死刑を宣告する。或いは無期懲役の投獄刑か。

 微笑む女の笑顔は濁っていても、それでも綺麗な物だ。そう思ってしまうユーノ。彼も彼で末期であろう。

 

 

「機動六課に、栄光あれぇぇぇぇぇっ!!」

 

「……ほんっと、馬鹿ばっかりね。ここは」

 

 

 無駄死にしそうな台詞を吐きながら、翡翠の光に焼かれそうになっている青年。

 そんな馬鹿馬鹿しい遣り取りを溜息交じりに見詰めながら、まあこれも悪くはないかとティアナは小さく笑っていた。

 

 今正に放たれんとする光。だがそれは、新たに姿を見せた人物の力によって防がれる。

 義妹と同じく呆れの色を表情に乗せながら、歪みで取り上げた杖を手にクロノは軽く溜息を吐いた。

 

 

「戯れるのは良いが、後にしろ。それと高町、室内で砲撃魔法は使うな」

 

 

 奪い取った杖を持つ手とは逆の手で、頭を抱えながらにクロノは叱責する。

 そんな友人の姿に危機に陥っていたユーノは、ほっと一息を吐くと感謝の言葉を口にした。

 

 

「クロノ。……本気で助かったよ」

 

「後が大変だと思うがな。取り敢えず、痴話喧嘩は他所でやってろ、バカップル」

 

 

 安堵の息を吐くユーノに、結局問題を先送りしただけだと返すクロノ。

 彼は手にしたデバイスをユーノに渡すと、そのまま会議室の中央へと歩を進めた。

 

 そんなクロノの背に続く影。その数は七つ。

 ゼスト・グランガイツ。メガーヌ・グランガイツ。シャリオ・フィニーノ。シャッハ・ヌエラ。ヴェロッサ・アコース。ウーノ・ディチャンノーヴェ。

 

 そして――

 

 

「スカさん」

 

 

 トーマの見詰める先、常の薄い笑みを張り付けたのは狂気の科学者。

 複雑な感情を抱きながらに彼を見詰めるトーマに対し、スカリエッティは彼にしては珍しく真摯な声で言葉を返した。

 

 

「聞きたい事、言いたい事、色々あるとは思うよ。トーマ」

 

 

 それこそ、問うべき事。聞くべき事は多くある。

 リリィの事。エクリプスの事。そして何よりエリオの事。

 

 そんなトーマの感情を理解して、だからスカリエッティは約束した。

 

 

「後で話そう。逃げ隠れはしないと約束するさ」

 

「……はい」

 

 

 後で語る。必ず語ると。その言葉を信じて、トーマは素直に頷くのだった。

 

 

「さて、これで全員だな。略式だが、これより六課隊主会を行う」

 

 

 そして必要なメンバー全員が揃った事を確認し、椅子に腰かけたクロノは告げた。

 

 

 

 

 

3.

 円卓を囲む椅子に腰掛ける機動六課、古代遺産管理局の面々。

 その主要構成メンバーの顔を見回しながら、クロノは先ず労いの言葉を口にする。

 

 

「さて、先ずは無事を喜ぼう。全員、良く先の襲撃を乗り切った」

 

 

 ホテル・アグスタでの激闘。地獄が一番近い日(クリミナルパーティ)を乗り切った。そんな彼らの奮闘を此処に称えた。

 

 

「フィニーノ一等陸士」

 

「はい」

 

 

 そしてクロノは視線を移すと、目配せされた女が頷き端末を操作する。

 会議室の中央にある投射型のモニタが起動して、其処に文字の羅列が映し出された。

 

 

「今回の被害状況。遺産管理局の受けた被害と、それ以外の犠牲者の数だ」

 

 

 其れは今回の一件で、生じた被害と犠牲の数。

 失った戦力と奪われた命の数に、その場の誰もが表情を歪めていた。

 

 

(ザフィーラさんは)

 

 

 文字を目で追うキャロは、己を庇ってくれた守護獣の名を探す。

 先の一件が終わってから倒れたザフィーラの名は、重軽傷者の中に並んでいた。

 

 死んではいないらしい。その結果に安堵の吐息を吐いて、今はどうしているのだろうと思考する。

 そんな彼女の小さな反応に多くの者は気付く事もなく、視線で被害者の数を数えながらに表情を暗くさせていた。

 

 

「……やっぱり、多いね」

 

「最悪は避けられた。だが傷は浅くない」

 

 

 呟く様な声音に、返されるのは局長の冷たい言葉。

 

 全滅と言う最悪の結果は避けられた物の、最善どころか次善すらも掴めていないこの現状。

 山岳リニアレールの時よりも尚明確に、機動六課が反天使に敗北した事を此処に示していた。

 

 

「世間の評判。その悪化は避けられない。反天使にしてやられたと言う事実は、今後も付き纏ってしまう」

 

 

 人員と言う面に限れば、六課の傷は浅い。主要メンバーの内、動けなくなったのはザフィーラのみだ。

 

 だがしかし、その評判は大きく下がったと言えるだろう。

 六課が防衛に回っていて、それでも反天使からホテルを守れなかった。

 

 その結果は、六課を英雄視していた民衆にとっては恐怖以外の何物でもない。

 

 

「生存者の多くは我々の後援に回る事を約束してくれたが――それでも採算が取れるとは言えない結果だ」

 

 

 最高評議会への反抗。それを為すのに必要な支援者は此処に手に入れた。

 だがそれで収支が均等になるかと言えば否。民衆の不安を煽る事になったと言う状況は、酷く痛い。

 

 まだ全ての信用が失われた訳ではない。機動六課と言う英雄達は、まだ華々しいと言えるだろう。

 

 だがこれで最高評議会を敵に回した時、一体何処まで人は付いて来てくれるのか。

 彼らの為した悪徳の多くを世に明かした後で、それでも古代遺産管理局を支持してくれるのだろうか。

 

 恐らく、此処が臨界点。これ以上の失態は、もう取り返せないのが現状だ。

 

 

「故に先ずは、どうしてこうなったのかを問わねばならない」

 

 

 故にクロノはそう断ずる。もう失敗は出来ないから、この失態の原因を探って次に活かさねばならないのだと。それこそが、皆を此処に集めた理由であった。

 

 

「……魔群の高火力砲撃を、防げなかった事が原因ですか?」

 

 

 おずおずと、キャロは手を上げ口にする。

 先の戦いにて自分達が敗北したのは、偽神の牙(ゴグマゴグ)を防げなかった事が理由であると。

 

 

「違う。グランガイツ三等陸士。問題点は其処じゃない」

 

「おと――グランガイツ一等陸佐」

 

 

 そんな彼女の発言を、彼女の父が否定する。

 確かに偽神の牙が直接的な原因だ。だが此処に求められる解答とは、根本的な問題提起。

 

 

「砲撃を防げない事が問題なのではなく、防げない砲撃を撃たれた事が問題なのだ」

 

 

 詰まりはそう。偽神の牙を防げなかった事ではなく、その砲撃を察知できなかった事が問題だった。

 

 

「事前予測。事前察知。――ううん。そんな高度な物じゃない。周辺の索敵を最低限にでもしていれば、直前にでも魔力反応は追えた筈」

 

「考えて見りゃ変な話よね。砲撃受けるその瞬間まで、緊急警報一つも発生しないなんて」

 

 

 月村すずかとアリサ・バニングスが共に頷く。

 

 魔群が観測班の上手を行って、直前まで気付かせなかったと言う事も出来るであろう。

 仮にその隠蔽を抜けたとして、事前に分かっていて、それで防げたかと言えば疑問はあろう。

 

 だが問題なのは、アグスタが消滅する直前になっても警報一つなかった事だ。

 司令部であるロングアーチが現場の異常に気付けたのは、トーマの暴走が始まった後なのだ。

 

 それまで気付けなかった。それは余りに異常が過ぎよう。

 

 

「……当日、ロングアーチの管制を担当していた者は、既に思考捜査を受けています」

 

「その結果はグレー。状況的には黒と言うしかないが、証拠は全く出て来ない」

 

 

 当日司令部に詰めていたメガーヌがそう口にして、思考捜査を行ったヴェロッサが言葉を補う。

 

 

「あの日司令部に詰めていたメンバーは全員、あの瞬間の記憶を失っている。何かされたようだけど、何をされたのか分からない」

 

 

 何かがあった。確実にあの日、ロングアーチには何かがあった。

 だがそれを現場に居た者らも分からない。その脳裏を覗いた査察官も分からない。

 

 故に限りなく黒に近いグレー。確実に言える事は唯一つ、あの日司令部は何者かの妨害を受けていた。

 

 

「重ねるなら、もう一つある」

 

 

 そして、あの日起きた異常はそれだけではない。

 完全にしてやられた理由は、司令部の沈黙だけが理由ではないのだ。

 

 

「サーチャーとレーダーによる警戒網だけではない。事前に古代遺産管理局の人員を配置して、アグスタに立ち入る人間は全てチェックしていた」

 

 

 司令部からの警戒網だけではない。各分隊の警備網だけでもない。ホテル・アグスタには、もう一つの防衛網が存在していた。

 

 それが零課のメンバーの一部と、遺産管理局の人員による出入の徹底管理だ。

 あの場に無関係なモノは立ち入れず、出入りする際には局員がその眼を光らせていた。

 

 その上招待客ではないホテル関係者には、前日に厳密な徹底的な身体検査を受ける事を義務付け、更に当日には外出禁止と言う決まりが与えられていたのである。

 

 それ程に今回、機動六課は執拗なまでに警戒網を用意した。

 それなのに突破されてしまった。それが最大の誤算だったのだ。

 

 

「完全な外部関係者が立ち入れる筈がない。なのに何故、魔群はその毒を仕込めた?」

 

 

 エリキシル中毒者が入り込めば、確実に気付けた筈だった。

 事前に毒が仕込まれると言う可能性を考慮しない筈がなく、対策は出来ていた筈だったのだ。

 

 だが現実の答えとして、クアットロの毒は仕込まれていた。クロノは故に膝を付いて、その傷は今も残っている。何故そうなったのか。答えは一つしかあり得ない。

 

 

「拘束された料理人の体内からは、多量のエリキシルが検出されてます。ですが前日、彼がホテルの厨房に入る前に行われた検査では、エリキシルの反応は出ませんでした」

 

「詰まり厨房に入った後にエリキシルを入れられたか、誰かが検査結果を改竄したか、だ。……そして残念な事に、前者の可能性はあり得ない」

 

 

 捕縛された当日の調理担当者は、中度のエリキシル中毒者になっていた。

 それだけの変異を起こせる量の麻薬。隠し持って当時のアグスタに入り込むのは、検査を誤魔化すより難しい。

 

 当日勤務者の証言から、調理長が調理中に怪我をしたと言う発言。使われていた料理包丁からエリキシル反応が出た事。

 その事実から考察するに、エリキシルに汚染された己の血液を調理に混ぜた。それが先の感染拡大の原因であったと見るのが自然だ。

 

 調理長はあの日よりも前から、エリキシル依存者となっていた。ならば検査結果を改竄した誰かが居る。そう考えるのが当然なのだ。

 

 

「……それって、裏切り者が居たって事、ですか?」

 

「そうなります。……そして当時の検査責任者は、事件の翌日に自宅で首を吊っている姿で発見されました」

 

 

 慣れない言葉使いで問うルーテシアに、シャリオは表情を暗くしながら言葉を返す。

 裏切り者とは言え、身内の自殺。その発言に誰もが顔を暗くして、どうしてそうなったのかと胸中で呟いた。

 

 

「裏切り者とは、嫌な話です。……ですが、これで一応は終わったんですよね?」

 

 

 その空気を塗り替える様に、シャッハ・ヌエラが口を開く。

 裏切り者が自殺した以上は、これで話は終わりなのだろう。

 

 そんな彼女の期待が籠った発言は――

 

 

「――ところが、話はそう簡単には行かない」

 

 

 沈鬱な表情を浮かべたクロノの言葉で、完全に否定されていた。

 

 

「当日に起きた不審な出来事。その全てを自殺者の責任とするには、おかしな所が最低でも一つはあるんだ」

 

 

 現場の検査責任者。それが内通者だと仮定して、だがそれでは解決しない問題がある。

 クロノの発言を聞いて思考を回していたアリサは、それが何を示しているのか直ぐに行き付いた。

 

 

「……おかしな所。――っ!? 三提督っ!!」

 

「ああ、そうだ。その自殺者が犯人とした場合、それだけがどうしても説明付かない」

 

 

 その老女達に守られた女だからこそ、その違和に直ぐ気付く。

 もしも検査責任者が黒幕だったと仮定して、だが件の人物が三提督を弑逆出来る訳がないのである。

 

 彼女達が来訪したのは当日で、検査責任者が立ち会ったのは前日だ。

 そんな時間的な問題に加え、もう一つ。一部署の責任者程度の機密レベルでは、三提督の来訪を知る事が出来ないのだ。

 

 

「クローベル統幕議長とフィルス相談役が来訪していた事実を知る者は、特に少ない筈だった。分隊長でさえ情報が回ったのは現場に着いてから、司令部勤めではグランガイツ副指令しか知らなかった情報だった」

 

 

 その時現場に居らず、その来訪すら事前に知れない立場に居た。

 そんな人物がどうして、最高峰の警備体制にあった二名の老女を弑逆出来たのか。

 

 

「なのに、どうして両名が殺害された? 一体何時、犯人はそれを知ったのか。一体何時、犯人は実行に移ったのか」

 

 

 いいや、其れ以前の話。現場を見ていたなのはとアリサは気付いている。

 

 クローベル統幕議長とフィルス相談役は、単純に殺害された訳ではなかった。

 まるで操り人形の如くに利用されて、死した後も辱めを受け続けていたのである。

 

 そんな異常。そんな異質。それを見つかったら自殺する。その程度の裏切り者に為せる物か。どう考えても不可能だ。

 

 

「詰まり、裏切り者はまだ何処かに居る?」

 

「……それも、事前開示されない事を知れる立場に居る、って事ですよね」

 

 

 ならば黒幕は他に居る。その自殺者は蜥蜴の尻尾か犠牲の羊。

 そう誰もが結論付けた時、その場に居た多くの者がある一人の人物を見ていた。

 

 

「おや、其処で何故、全員揃って私を見るのかね?」

 

「残念ですが、当然の結果かと。ドクターは控え目に言ってもアレな人物ですから」

 

「言われてしまったねぇぇぇ! しかしウーノ。生みの親である私に対して風当たりが強くないかね!?」

 

 

 ジェイル・スカリエッティ。反天使の生みの親。

 管理局技術部の頂点に立つこの男なら、黒幕であっても違和はない。

 

 そう疑念の視線を向ける六課メンバーに、溜息を漏らしながらクロノは否定の言葉を告げていた。

 

 

「残念だが、そいつは白だ。あの時、最高評議会に呼び出されていたスカリエッティは動ける立場に居なかった」

 

「クロノ君!? 残念とはどういう意味かね!?」

 

「それは僕も保証しますよ。一応そいつ、三日に一度は思考捜査受ける事が義務になってるんで、僕に対して隠し事が出来ないんですよ」

 

「あからさまに嫌そうな顔をしないでくれるかね!? 何がそんなに嫌なんだ。ロッサ君!!」

 

「お前がロッサ言うな。三日に一度、頭がイカレタ男の思考を覗かないといけない僕の苦労を少しは知れ」

 

 

 裏切り者は確かに居る。ジェイル・スカリエッティは怪し過ぎる。

 だが彼ではない。彼だけは裏切り者ではないのだと、その状況が告げていた。

 

 

「話を戻すぞ。今此処で重要なのは、ほぼ確定で内通者が居ると言う事実だ」

 

 

 裏切り者。内通者。反天使に対して情報を送り、その活動を支援する者が六課に居る。

 

 

「古代遺産管理局結成前に、参加者は全員が思考捜査を受けている。お前達も同じく、秘密裡にだが中身を暴いた」

 

 

 済まないと思っている。だが必要な事だった。

 思考捜査されていたと理解して、顔色を変える彼らに詫びながらクロノは続ける。

 

 

「その時点では、内通者は居なかった。断言しよう。()()()()()()()()()()()()()()()。ならば当然、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だが我々は式典からこちら、()()()()()()()()()()。そしてこの三日の内に行われた思考捜査で、()()()()()()()()()()。となると、答えは単純。何者かが誰かと入れ替わっている」

 

 

 内通者が入って来たのは、機動六課結成より後。だが追加人員がいない以上は、それは裏切り者となる。しかし裏切り者はいないのだから、なら成り代わりが其処に居るのだ。

 

 基地司令と副指令。指導者に当たる二人の男は、表情を険しくしながらに断言した。

 

 だがそんな言葉に、反論の声を上げる者も居た。

 

 

「待って下さい。ハラオウン局長。それはあり得ません」

 

 

 栗毛の女。高町なのはだ。魂を見る事の出来るこの女は、それだけはあり得ないと断言する。

 

 

「中身が変わっていたら、流石に気付きます。魂までも偽る術は、このミッドにはありません」

 

 

 最初から入っていた者が裏切ったなら兎も角、途中から入って来た者が入れ替わっている筈がない。

 外部から、誰かが入り込めば流石に気付く。中身が変われば違和を感じずにはいられない。

 

 そう語るなのはの言葉に、しかしクロノは否定を返した。

 

 

「……だが、それを可能とする者を僕は知っている」

 

 

 高町なのはの魂の見る目。それを誤魔化せる者が居る。

 ヴェロッサ・アコースの持つ思考捜査。それを欺ける者が居る。

 

 白衣の狂人からの伝聞で、その存在を確かにクロノは知っていた。

 

 

「スカリエッティ」

 

「説明なら、任せたまえ。研究者と言う生き物は皆、自慢したがりなのだからねぇ」

 

 

 語れと、それを生み出した製作者に命じる。

 入れ替わっていると、クロノがそう断じた理由を狂人は此処に告げるのだった。

 

 

「三柱の反天使。その最後の一つ。魔鏡アスト」

 

 

 神殿の聖娼。未来を識る者。中傷者たるアスタロス。

 それこそが古代遺産管理局上層部の彼らが、内通者と目する最後の反天使。

 

 

「人の脳を介して魂に干渉するあの子ならば、誰かの魂を偽る事さえ簡単だ」

 

 

 魔鏡アストは、人の脳を介してその魂に干渉する。

 一瞥しただけで他者の五感を乗っ取り、果てにはその異能や記憶までも模写して奪い取る。

 

 そんなアストがその気になれば、内に膨大な魂を秘める他者さえも写し欺く事が出来るのだ。

 

 

「死者ではなく生者を模写するならば、あの子が知れない事はない。脳が欠損した残骸を真似るのとは違う。些細な呼び間違いすら起こらない」

 

 

 ティーダの記憶は、脳が破損していたが故に完全模倣が不可能だった。

 だがそれでもあれ程の完成度。その魔鏡が偽りの仮面(ライアーズマスク)を其処に着ければ、見付け出すなど不可能だ。

 

 

「はっきり言おう。今この場に集った君らの内、誰かが魔鏡であったとしても私は驚かないよ」

 

 

 それこそ、今この場に居る誰かが魔鏡であってもおかしくない。ジェイル・スカリエッティは嗤いながら、そんな事実を語るのであった。

 

 

「……全ては状況証拠の域を出ないが、ほぼ確定と見て良いだろう」

 

 

 それは未だ推測の域を出ない。物的証拠など出ていない。だがそれでも、確信と共に断言出来る。

 

 

「機動六課。古代遺産管理局。()()()()()()()()()()()()()

 

 

 既に魔鏡は此処に居る。最後の反天使は当の昔に隠れ潜んで、内から機動六課を攻撃していたのだと。

 

 

「……それで、ハラオウン局長はその上で、どうされる御積りですか?」

 

「今は知っておいてくれるだけで良い。魔鏡が潜んでいる事。そいつは誰だって偽れると言う事を」

 

 

 多くが一瞬黙り込んで、最初に気を取り直した金糸の女が問う。

 どうする心算かとアリサに問われて、クロノは表情を変えずにそう返した。

 

 暗く沈み込んだ機動六課。そんな彼らの中にあって、平静そのままの狂人は嗤いながらに口を開く。

 

 

「一応例外はあるよ。高町なのは。トーマ・ナカジマ。ユーノ・スクライアの三名は例外にしても良いだろうさ」

 

 

 魔鏡が偽れない例外は三名。トーマ・ナカジマの内に秘める神は、さしもの魔鏡とて模倣出来ない。そして高町なのはとユーノ・スクライアは繋がっているが故に、片方を真似しても意味がない。だからこの三人だけは、魔鏡である筈がない。

 

 

「それでも、それ以外の人間は、誰が魔鏡であってもおかしくない。それ以外の人間が、何時魔鏡に取って変わられてもおかしくはない」

 

 

 だが例外はその三人だけ。それ以外の誰しもが、魔鏡でないとは断言できない。

 そして最悪の状況。この今は魔鏡でなくても、次に会う時には魔鏡になっている可能性もあるのだ。

 

 

「……小娘の歪みは」

 

「私のこれは、そういう用途には使えないんですよ。バニングス執務官」

 

 

 三日の訓練に付き合って、ティアナの歪みを知ったアリサが確認する。

 だがそんな小さな希望は、他でもないその歪みの所有者によって否定された。

 

 

「何と言いますか。答えそのものを見る訳じゃなくて、もっと漠然とした異能なので……嘘発見器的な使い方は出来ません」

 

「その点で言えば、僕の思考捜査が一番なのでしょうが――」

 

「相手が魔鏡なら、それは悪手だ。あの子は人の記憶を改竄する。思考捜査出来る程に近付けば、その影響は避けられんよ。今の私の様にねぇ」

 

「……揃って使えない奴らね。特に製作者」

 

「酷い言われようだねぇ」

 

 

 魔鏡を見付け出す術はない。事前に見付け出す手段は、何処にも存在しないのだ。

 

 

「次の任務は、公開意見陳述会。我々にとって本命となるこれで、先の様な失態を晒す訳にはいかない」

 

 

 故にクロノは此処に告げる。この今になって告げるのは、目前に迫った大一番があるからこそ。

 

 

「各自協力を蜜に――だが自分以外を信用し過ぎるな」

 

 

 もう失敗は出来ない。内通者に足を引かれる事は確定で、それでも失敗だけは出来ないのだ。

 

 

「誰が何時裏切ってもおかしくはないのだと、誰が裏切ったとしても動ける状態を維持するのだと、肝に銘じておいてくれ」

 

『はっ!』

 

 

 だからこそ、最悪を常に念頭に置いた上で動いて欲しいと口にする。

 そんな彼の発言に皆が揃って答礼し、此処に隊主会は一先ずの幕を迎えるのだった。

 

 

 

 

 

4.

 誰もが去った会議室。其処に顔を合わせる人の数は三。

 トーマ・ナカジマとリリィ・シュトロゼック。寄り添う二人の前に立つのは白衣の狂人。

 

 漸く、語り合う時が来た。全てを此処に、明かす時が来た。

 この状況に身構えるトーマを前にして、ジェイル・スカリエッティは常の笑みを浮かべている。

 

 

「スカさん」

 

「約束だったね。さぁ、話そうか」

 

 

 トーマの中に渦巻くのは、言葉にし辛い無数の疑念だ。

 エリオの言葉。スティードの言葉。先に語った男の言葉。渦巻き続ける内心は、筆舌するのも難しい。

 

 

「何を聞きたい? 何を知りたい? 教えようとも、嘘は言わんよ」

 

 

 そんな少年の内心を理解して、それでも狂人は変わらない。

 だが嘘偽りを言おうともせずに、こうして向き合っているのが彼にとっての誠意だろう。

 

 

「…………」

 

「トーマ」

 

 

 何を問うべきか。何を聞くべきか。何を言うべきか。

 悩む少年の拳を優しく包む掌。見上げる少女の手を握り返して、一つ頷いたトーマは前を向いて問い掛けた。

 

 

「リリィを作ったのは、貴方ですか?」

 

「ああ、そうだ。君を完成させる要素として、私がその子を生み出した」

 

 

 先ず言葉にしたのは、今傍らに寄り添う少女。

 リリィ・シュトロゼックの素性を問うたトーマに対し、スカリエッティは微笑みながらに製作理由までも語る。

 

 全てはトーマを完成させる為に、その言葉に繋いでいない手を握り絞める。

 この疑問は一番聞きたい事ではない。先ず第一声は当り障りのない事を、そんな事は両者共に知っている。

 

 だから次は最も知りたく、だが心の何処かで知りたくはないと思う言葉を問う。

 

 

「エリオを――反天使を生み出したのは、貴方ですか?」

 

「ああ、そうだとも。私があの子達の生みの親だ」

 

 

 先の会議でも語った様に、反天使の製作者が彼である事は最早周知の事実だ。

 明言こそされていなかったが、それでも実質的には認めていた。だからこの問い掛けは、確認にしかならなかった。

 

 そしてトーマは、次に問う。それは其処から一歩を進んだ、現状への問い掛けだ。

 

 

「……今のこの現状、全てが貴方の目論見ですか?」

 

「いいや違うよ。あの子は私を超えた。既に此の手の中には居ない」

 

 

 返る答えは否定。今の現状は、スカリエッティの狙った物ではない。

 そんな言葉にトーマは安堵する。大切な身内の一人である彼が、この今も悲劇を作り続けてはいないのだと知り安堵した。

 

 だが、そんな少年の安堵にも気付かず、狂人は此処に最悪の言葉を口にする。

 

 

「喜ばしい話だ。本当に、喜ばしい話だよ」

 

「……喜ばしい、だって」

 

 

 この現状を、喜ばしい。満面の笑みでそう語るスカリエッティに、トーマは溢れんばかりの怒りを抱いて叫びを上げた。

 

 

「人が、人が死んだんだぞ!」

 

 

 掴み掛かる。リリィの手を放して、空いた右手で白衣を掴む。

 怒りの形相を顔に張り付けた少年は、ジェイル・スカリエッティにその道理を叩き付ける。

 

 

「其処に居た。当たり前に生きていた。唯平穏に生きていて、幸せにありたいだけだったのにぃっ! それを、アイツらがっ! それをアンタはっ!!」

 

 

 エリオは殺した。クアットロは殺した。余りに多くを殺し続けた。

 その犠牲者。その膨大な被害。それをこの白衣の男は、それでも喜ばしいと語るのか。

 

 

「喜ばしいって、そう言うのかよっ!!」

 

 

 それは許せない。それは許さない。そんなトーマの形相に、しかしスカリエッティは揺らがない。

 

 

「そうとも、そう言うとも」

 

 

 ニヤリと嗤って、男はその道理を踏み躙る。

 この狂気の科学者にとって、人の道理などちり紙程度の価値もない。

 

 

「我が求道に比べれば、万象皆全て路傍の石にも劣る――とまで言う気はないがねぇ」

 

 

 人の情にて語る少年に、狂人が返すのは冷徹な算術。

 少年が一つの命に対して感じる価値よりも、男が見ている世界に溢れる命の価値は遥かに軽い。

 

 

「そんなに重要な物ではないだろう? 質の悪い素材が幾つが壊れて、結果として作品の価値が示されるなら、それは求める利益として十分過ぎる」

 

 

 例えばトーマが語る命の価値を百としよう。だがその命、この狂人にとっては一か二にしか感じ取れない。

 

 対してスカリエッティの価値観で言えば、その子らの活躍には億にも代えがたい価値がある。

 故にこそ、一か二にしか過ぎない命を数百数千数万と奪ったとして、それで十分お釣りが来るのだ。

 

 価値を感じていない訳ではない。ただ十分な収支はあった。だから狂人が返すのは、冷徹な意志による算術だ。

 

 

「……質の悪い、素材?」

 

「そうとも、私の目から見て、世の中の全ては私の実験材料だ」

 

 

 この白衣の狂人にとって、決して揺らがぬ価値基準。万象全ては実験材料。それこそがこの狂気の意志が見ている世界の全てだ。

 

 

「それは君も変わらない。大丈夫。大切だとは思っている。君は代えの効かない、とてもとても大切な素材で作品だ」

 

「っ! そうじゃないっ! そうじゃないだろっ!!」

 

 

 それはトーマにとって、決して受け入れられる価値観ではない。

 白衣を掴む手に力を込めて、揺さぶりながらに縋る言葉を口にする。

 

 

「俺は、僕は、アンタの事、恩人だって、恩師だって思っていて――っ!!」

 

「だから、私も素直に答えている。隠し事をしていない。これが私の好意の形だ」

 

 

 だが、届かない。余りに男はズレている。どれ程大切に想っても、同じ答えは返らない。

 

 

「何でっ! アンタはっ!!」

 

「それが私の求める道だからだ」

 

 

 道を求めた狂人は、その道以外には振り向かない。

 どれ程大切に想った相手であったとしても、必要ならばどれ程にでも無残に壊してしまえるのだ。

 

 

「神を殺す。神を弑逆する。その為に、その為だけに――だから、君にはこれでも感謝している」

 

 

 求めたのは、神を殺せる者を生む事。願ったのは、遥か昔に生まれし神座の超越。己こそが至大至高の頭脳であると、示す為にこそ求道を歩く。

 そんな男の目から見て、トーマ・ナカジマは最高の教材だった。友の弟子である事以上に、だからこそジェイル・スカリエッティはこの少年に感謝している。

 

 

「君の身体はとても良い素材だった。君の身体には、幾つもの手を加えさせて貰った」

 

 

 その細胞一つを取っても、人とは確かな違いが存在する。

 治療と称して身体を開いて、見付けた物は正しく情報の宝物庫。

 

 この少年を知る事で、確かにスカリエッティは叡智へ何歩も近付いた。

 

 

「例えば、その身にあるリンカーコア。神の魂を宿しながらも、ああ、どうしてその器官が君に存在しているのか?」

 

 

 リンカーコアとは、魂の破損を埋める為に進化の中で人が得た器官。

 其れがどうして神の器にも存在するのか。それは他者のリンカーコアとどれ程に違うのか。

 

 

「他のそれと何が違うのか、確認する為に少し砕いてみた事もある」

 

 

 実験の為に開いて取り出し、砕いて検査した。

 彼が心からの信頼を向けてくれていたからこそ、それを易々と行えたのだ。

 

 

「比較対象にしたエリオのそれと、君のそれ。砕いた欠片を入れ替えた。互いの体細胞も一部入れ替えて、先の共鳴現象の理由はそれだ」

 

 

 エリオの体内に埋め込んだ無数のリンカーコア。中でも中核となっていたエリオ・モンディアル自身のそれ。

 それをトーマと同様に取り出し砕いて、砕いた物を入れ替えた。今、トーマの中にはエリオの一部が存在し、エリオの中にはトーマの一部が存在する。

 

 魂が繋がっている。肉体が繋がっている。後は精神が一致すれば、彼らは同一の存在として共鳴を始める。

 

 

「強くなる。強くなるんだ。君達は同じ感情に支配された時、魂の繋がり故にとても強く成長する。白百合と言う切っ掛け一つで其処まで染まったのは、その共鳴が故だよ。トーマ」

 

 

 陰陽合一とは異なるもう一つの解答。余り好かない形であるが、それもまた一つの神殺しと言えるだろう。

 

 

「エリオの魂が、俺の中に――」

 

 

 自分の中に憎む敵の魂がある。その事実に驚愕するトーマ。

 そんな怒りよりも大きな感情に揺れる彼に向かって、スカリエッティは自慢する様に嗤いながら説明を続ける。

 

 彼が言った様に、研究者は自慢したがりだ。

 だからこそ誰にも言えなかったその自慢を、地雷を踏むと分かって口にする。

 

 

「エクリプスと言う毒も十分に機能した。魂の強化に肉体が追い付ける様に、それは確かに機能を発揮した」

 

 

 それは、エクリプス・ウイルスの真実。

 他でもない、この男が最初に行ったトーマへの実験内容だ。

 

 

「……待て、おい、待ってくれよ」

 

 

 信じたくない。信じたくはない。困惑する思考の中に、縋り付く様に言葉を紡ぐ。

 

 

「エクリプスの暴走、それを止める方法を教えてくれたのは、スカさんで――」

 

「それは当然だ。何しろ私が作った物。この世で私程に、それを知る者はいないだろうさ」

 

「――っ!!」

 

 

 そんな言葉は、信じたい人の言葉に否定された。

 白衣を掴んでいた手から力が抜けて、トーマの腕は力なくだらりと下がる。

 

 

「ヴァイセンで人が死んだ。沢山、沢山、人が死んだ」

 

「ああ、そうとも、それも私だ」

 

 

 覚えている。忘れていない。沢山の人が死んだのを。

 力なく呟くトーマの言葉に、嗤いながらスカリエッティは肯定の意を示す。

 

 

「エクリプスの暴走で、一杯、一杯巻き込んだ。あのホテル・アグスタで、沢山の人を巻き込んだ」

 

「ああ、そうだとも、それも私だ」

 

 

 あの日のホテル・アグスタに、その傷跡は未だ残っている。

 世界を分解する光によって、周辺地形は壊し尽されて穴だらけとなっている。

 

 其処には人が居た筈なのだ。無関係な人が居た筈なのだ。

 その引き金を引いたのはトーマであっても、その元凶を生み出したのがスカリエッティと言うならば――

 

 

「ユーノ先生の、腕を奪った。もう二度と戻ってこない、その原因が――」

 

「それも私だ」

 

 

 其処でせめて、少しでも悪いと思ってくれたなら――

 其処でせめて、僅かにでも反省の意志を見せてくれたなら――

 

 だがこの狂人に、そんな物がある筈もない。故に――

 

 

「だが、それが何だと言うのかね?」

 

「――っ!」

 

 

 其処に怒りを、感じずに居られる筈もない。

 

 

「ジェイル・スカリエッティィィィッッ!!」

 

 

 拳を握り締めて、大きく振りかぶる。

 振り抜いたその右手は狂人の顔を打ち抜いて、その身を大きく吹き飛ばした。

 

 運動不足気味の肉体は、軽々と宙を舞って壁にぶつかる。

 大きな音を立てて地面に落ちたスカリエッティは、血反吐と共に折れた歯を吐き捨てた。

 

 

「……これだけかね?」

 

 

 怒りの形相で、殴り飛ばしたトーマ・ナカジマ。

 だが彼の拳はそれだけで、其処に追撃などはない。

 

 だからこれだけか、そうジェイル・スカリエッティは問う。

 

 

「これで終わりかね? トーマ・ナカジマ」

 

 

 座り込んだジェイル・スカリエッティ。殴り飛ばされ立てない狂人は、未だ怒りを抑えられない少年を見上げて問う。

 

 

「今ならば、殺せるよ。その処刑の剣ならね」

 

 

 許せないなら、まだ殴れば良い。それでも足りないなら殺せば良い。

 此処で終わると言う結果は困るが、散々に命を奪って来た己が命乞いなど道理が伴わぬだろう。

 

 だから憎いならば殺せ。静かに告げる狂人に、トーマは手を握り締めて言葉を紡ぐ。

 

 

「……アンタは、許せない」

 

「ああ、そうだ。当然だろうさ」

 

「この今にある悲劇。その多くの元凶を、俺はどうしても許せない」

 

「そうとも、そうであるとも、私こそが元凶だ」

 

 

 許せない。許してはいけない。ジェイル・スカリエッティは外道である。だが、だがそうだとしても――

 

 

「だけど」

 

 

 それでも、トーマには別の想いもある。

 唯単純に外道であると、討てない理由が其処にはあった。

 その擦れてしまった記憶の中に、その理由は確かにあったのだ。

 

 

「それでも、僕は憎めない」

 

「…………」

 

 

 憎めないのだ。許せないのに憎めないのだ。

 ジェイル・スカリエッティは憎悪を向けるには、余りに近く大切過ぎた。

 

 

「貴方が居たから、僕はエクリプスに向き合えた」

 

「……所詮はマッチポンプだよ。元凶なのはこの私だ」

 

 

 トーマがエクリプスウイルスを抑えて生きて来れたのは、ジェイル・スカリエッティが居たからだ。

 例え全てが彼の掌中。マッチポンプに過ぎない悪意であったとしても、それでもあの日に助けになってくれたのはこの人だった。

 

 

「貴方が居たから、僕はリリィやスティードに逢えた」

 

「必要だったから、用意しただけだ。感謝される由縁はないよ」

 

 

 トーマがスティードやリリィに出会えたのは、それを生み出した人が居たからだ。

 ジェイル・スカリエッティにどんな理由があったとしても、この出会いを嬉しいと思うなら、それは憎めない理由になってしまう。

 

 

「貴方は、多くを教えてくれた。身体の調整の為に通う時、何時だって色んな事を教えてくれた」

 

「改造する為に、油断させていただけだよ。多少の自慢もあったけどね」

 

 

 研究所通いだった幼い日々。あの日母を喰らった日から、トーマはスカリエッティの元に通っていた。

 塞ぎ込んだ少年を元気付けたのは、一番はやはり師であるユーノだろう。二番はきっと父たるゲンヤ・ナカジマか。

 

 だから三番目。面白い話をしてくれて、偶に道化として遊んでくれて、そんな人は確かにトーマにとって大切だった。

 

 

「理由はあった。受け入れられない。許せない理由は確かにあった。……それでも、スカさんは僕の恩師で恩人だった」

 

 

 その日々は輝いていた。どんな悪意が裏にあって、どれ程冷たい意志で縛られていたのだとしても、それでもその日々は輝いて見えた。

 

 

「許せないよ。だけど憎めない。憎み切れないんだ。貴方の事をっ!」

 

 

 トーマは真実を知って、それでも狂人を憎めないでいる。

 このジェイル・スカリエッティを許せないと感じていて、それでもこれ以上傷付ける事も無理だった。

 

 

「だから、この一発で終わりにする。殴り飛ばして、それで僕は貴方を受け入れるんだ」

 

 

 許せない。それでもそのまま受け入れよう。

 

 

「お願いだよ。スカさん」

 

 

 憎めない。だから変わって欲しいとお願いしよう。

 

 

「まだ、恩師で居て欲しい。まだ、恩人で居て欲しい。だから――」

 

 

 もう忘れてしまった記憶の中に、それでも感じる心は残っている。

 トーマの魂が彼を恩師と感じている。恩人だったと叫んでいる。だからそう在って欲しいのだと、此処に彼は口にする。

 

 

「何か報いを。奪った人々に報いを。僕が心から貴方を許せる様に、その為にも――生きていて下さい」

 

 

 許す為に報いを。心から許せる様になるまで、奪った全てに対する報いを。

 そう頼み込む少年の瞳は涙に濡れて、それでも満天の星空の様に何処までも輝いていた。

 

 

「…………全く、同じ事を言う。君は本当に、記憶を失っているのかね?」

 

「え?」

 

「彼も同じ事を言ったんだよ。友で在り続ける為に、許せる様に生きてくれ、とね」

 

 

 機動六課設立前、同じ様にスカリエッティは友へと語った。

 真実の全てを嗤いながらに告げた狂人に、たった一人の友人が返したのは容赦のない一撃だった。

 

 

「ユーノ先生、も、同じ事を」

 

「ああ、そうだとも、君達は良く似ている。いや、君が彼に良く似ている」

 

 

 友で居る為に、奪った命に報いて欲しい。

 そう手を差し伸べたユーノに、スカリエッティは苦笑しながらにその手を取った。

 

 だから今の彼は此処に居る。この狂人が機動六課に拘る理由の一つは、友と交わした約束が故なのだ。

 

 

「私の予想を超えたのは、あの子だけではなかった。そう、君もそうだった」

 

 

 あの日の友人(ユーノ)と同じ様に、己を何時か許すと語った少年(トーマ)。その内には確かに色濃く残っている。

 

 スカリエッティの想定通りに進んだならば、当の昔に神に飲まれて消えていた筈だった。それでもこの今になっても、教えられた事を色濃く残している。

 

 だから、この少年は超えたのだ。ジェイル・スカリエッティの思惑を、此処に確かに超えたのだった。

 

 

「喜びたまえよ夢追い人。君の内側には、確かに彼の教えが今も息づいている。君が全てを忘れても、その教えは消えていない」

 

「あ、あぁ」

 

 

 記憶は消える。でも感情は消えてない。

 其処にあった物全てが、何も残らなかった訳ではないのだ。

 

 だから、あの友人に良く似たこの子は――

 

 

「トーマ・ナカジマ。君は確かに、私の友の一番弟子だ」

 

 

 確かにユーノの一番弟子だ。そう認めるスカリエッティの言葉を受けて、膝を地面に付いたトーマは感極まった様に想いを零す。

 

 

「残ってた。忘れたと思って、でも、残ってた」

 

 

 残ってた。大切に想える感情も、教えて貰ったその事も、確かに此処に残っていた。

 

 

「全部じゃない。全部じゃない。全部じゃないけど、消えてなかった」

 

 

 全部は残っていない。多くが消えてしまった。もう思い出せない事は沢山ある。

 だけど残っている。全部じゃないけど残っている。あの日の景色も、あの日に抱いた想いも、確かに此処に残っていた。

 

 

(オレ)は、(ボク)は……」

 

 

 消えてなんてなかった。それがどうしようもなく嬉しかった。

 だから零れ落ちる涙は感涙。嬉しくて嬉しくて、トーマは此処に涙を零した。

 

 そんな少年を苦笑しながらに見詰めて、壁を使って如何にか立ち上がった男は語る。

 

 

「リリィ。誰が敵に回っても、決して裏切らずに、その子を――その子だけを支えてあげなさい」

 

「言われなくても、分かってる。私はずっと、トーマの味方」

 

 

 そんなスカリエッティの言葉を受けて、言われるまでもないと声を返す。

 溢れ出す激情に何も言えなくなっている少年を抱き締めながら、リリィは穏やかな笑みで微笑んでいた。

 

 

「そうか。ああ、そうか……それは良かった」

 

 

 壁伝いに歩きながら、白衣の狂人は去って行く。

 もう語るべき言葉はない。この場に留まる程に無粋でもない。故に足腰立たない程にダメージを受けながらも、彼はゆっくりと姿を消した。

 

 

 

 そして、蹲ったままに泣き続けるトーマ。

 そんな彼を抱き締めたまま、優しく撫でるリリィは語る。

 

 

「嬉しかったんだね。だったら今は泣いても良い」

 

 

 トーマの感情が分かる。リリィと彼は繋がっているから、その心が強く伝わってくる。

 

 

「伝わってくるよ。凄い、凄い嬉しいって、その感情。だから」

 

 

 流れ込んでくる感情は歓喜。何もかも失ったと思っていたから、まだ無くなっていない物が多くあると分かって嬉しいのだ。

 そんなトーマの歓喜の声に、リリィ自身も嬉しいと感じている。そんな彼が好きだから、何より嬉しいと感じていた。

 

 

「今は泣いて、また立ち上ったら一緒に進もう」

 

 

 今日は泣いて良い。今は泣いて良い筈だ。

 だから明日は立ち上がろう。立ち上がったなら一緒に進もう。

 

 

「見果てぬ夢を追い掛けて、その綺麗な先を一緒に目指そう」

 

 

 その夢は忘れてしまった。だが、その夢を見た日の感情は未だ忘れていない。

 だからこそその夢を聞いた時に、彼はそれをもう一度目指そうと思えたのだ。

 

 

「私はずっと、貴方と共に――愛しい人(モン・シェリ)

 

 

 ならばきっと、此処からなのだ。此処から先へと、夢追い人は進んで行く。

 何時か綺麗な、見果てぬ夢に辿り着くまで――夢追い人は傍らに咲く白百合と共に進み続けるだろう。

 

 

 

 

 

 




おおっと、スカリエッティ君ふっ飛ばされたぁぁぁぁっ!!

取り敢えずコイツは思いっきりぶん殴らないと駄目だと思いました。(小並感)



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