意図せず世界を手中に収めよう   作:マーズ

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チェルシーのお話

 

 

 

 

 

 

 

孤児院の長である院長の私室の前に、一人の女性が立っていた。

いつも騒がしい声が止まない孤児院も、かなりの静けさで満ちている。

 

その女性は、チラリと手の中にある懐中時計を見る。

時刻は午前5時50分。

 

それを確認すると、女性は愛おしそうに、かつ何よりも大切なもののように、ゆっくりと懐にしまった。

女性の衣装は、かなり特殊なものだった。

 

もし、日本の街中を歩いていると、注目は避けられない衣装。

そう、メイド服である。

 

肩にかからない程度に切られた鈍い赤色の髪。

そこにアクセントをつけるように、白いカチューシャを頭につけていた。

 

顔の造形は、まるで精巧に造られた人形のように整っていた。

懐中時計を見ていた時、うっすらと笑っていたその顔は、どんな男でも虜にしてしまえるほどである。

 

張りがあって瑞々しい肢体を覆うのは、奉仕をする人間を示すメイド服。

スカート丈は、清楚さを感じさせる長いものである。

 

院長に仕える唯一のメイドである彼女。名前はチェルシー・ブランケット。

孤児院メンバーからは、万能メイドと畏怖されている人物である。

 

チェルシーは音を一切立てることなく、扉を開ける。

カーテンで閉じられ、朝日が入ることのない部屋は真っ暗だ。

 

家具がどこにあるか、地面に何が落ちているかが分からないような部屋だが、チェルシーは一瞬たりとも立ち止まることなく、迷いなく歩いて行く。

何度もこの部屋を訪れているチェルシーには、この程度の暗闇はまったく問題にならない。

 

しょっちゅうこの部屋を訪れる幹部メンバーだが、このような芸当ができるのはクロシロコンビにエム、そしてどこぞのウサギくらいな者である。

チェルシーは、その驚異的な視力を活かして、ベッドの上で眠る人物を見る。

 

ベッドの上には、当然ながらこの部屋の主である院長。

そして、そんな彼に寄り添うように眠るクロとシロの姿があった。

 

前後から挟むように、まるでサンドウィッチのような状態にある。

クロは普段の無表情を、ほんわかと安心感で満たされた表情へと変えている。

 

さらに、普段から蠱惑的でミステリアスな雰囲気を漂わせているシロも、クロと同じくまったく警戒をしていない安らかな表情で眠っていた。

チェルシーはそんな彼女たちを見て微笑ましく思い、間に挟まれて暑そうにしている院長を見て癒される。

 

彼女の脳内フォルダに、院長の寝顔が新たに保存された。

ちなみにこれで五ケタになるまであと少しとなった。

 

チェルシーは寝顔を堪能しながらも、主の健康的な生活のために心を鬼にして彼を起こそうと手を伸ばす。

すると、突然隣で眠っていたシロが、目をパチッと開かせた。

チェルシーはそんな彼女に、一切の動揺なしに挨拶をする。

 

「おはようございます、シロ様」

「……おはよう、チェルシー」

 

シロは起き上がり、ベッドの上でちょこんと座る。

彼女はどうやら朝に弱いようで、ぼーっと空中を眺めている。

 

身体の線が浮き出てしまうような薄着なので、シロの豊満な身体が分かってしまう。

しかし、ここにいる男は院長だけで、チェルシーもノーマルタイプの女性なので何ら問題はない。

 

普通の女性なら羨むほどの肢体だが、チェルシーも中々にわがままボディなのだ。

しばらくボーっとしているシロを、チェルシーはただただ待っていた。

 

シロは隣に眠る院長を見やると、にへっとだらしなく笑う。

そして、再びチェルシーを見る彼女の顔は、普段のしっかり者の顔へともどっていた。

 

「相変わらず静かに動くわね、あんた。私も全然気が付かなかったわ」

「ご主人様の御眠りを妨げるわけにはいきませんから」

 

チェルシーが音を立てずに動く業を身に着けたのは、ひとえに院長のためである。

今では音だけでなく、気配すら完全に絶つこともできてしまう。

 

院長は勿論、側近のシロでさえここまで近づかれなければ気づくことはできない。

まあ、普通ならどれだけ近寄られても気づけないほど、チェルシーの業の精度は高いのだが。

流石は院長の護衛役だと言えるだろう。

 

「それに、クロ様はお気づきでしたしね」

「また寝たふりね」

「……寝てる」

 

チェルシーが微笑ましげに、シロが呆れた様子で見つめる先には、院長にしがみつくようにして横たわる褐色の少女、クロがいた。

目は閉じているが、チェルシーには彼女が起きていることが分かっていた。

 

今までに何度も院長を起こしに来たが、八割方院長のベッドにいたクロは、一度たりともチェルシーに気づかなかったことはなかった。

寝たふりをしているくせに、律儀に答えてしまっていることからも分かるだろう。

 

「もうご主人様を起こす時間ですよ」

「……起きる」

 

チェルシーの言葉に、眠っていたはずのクロはパチッと目を開け、パッと身体を起こす。

朝に弱く、完全起動するのに時間を要するシロとは違い、クロは起きてすぐにでも行動できるらしい。

 

クロは未だに眠っている院長を起こすべく、自身の身体を曲げる。

長い黒髪がサラリと流れ、彼女の顔を隠す。

 

シロと同様、ラフなパジャマ故にどこぞの爆乳教師にも匹敵するほどの乳房が重たげに揺れる。

クロはそれを気にせず、自身の顔を院長のそれへと近づけていって……。

 

「あんた、何してんの」

 

クロの行動は、相棒であるシロに止められてしまった。

幹部メンバーの中でも屈指の仲の良さを誇る二人だが、院長が絡む事案については別だ。

 

他のメンバー同様、いがみ合う。

シロに止められたクロは、相変わらずの無表情で彼女を見やる。

しかし、その表情は心なしか冷たいように見える。

 

「……起こすときはちゅーがいいって、スコールが」

「ちっ、あの年増。余計なことをクロに吹きこんでんじゃないわよ」

 

シロの頭の中で、こちらを見下ろしながらクスクスと笑う妖しげな美女が現れる。

おそらく、自分がほとんど孤児院にいられないからと、こちらをかき回してくるつもりだろう。

 

相変わらず、嫌な性格をした女だ。

ちなみに、クロ以外にもエムやシャルロットが実行しようとしたが、全て未然に防がれている。

孤児院メンバーは優秀だ。

 

「とにかく、それをする必要はないわ」

「……僕がしたい」

「だめ」

「したい」

 

睨み合う両者。

二人とも頬を膨らませ、がるるるっと威嚇し合う。

 

何も知らない人からすれば、美少女二人が可愛らしく喧嘩しているようにしか見えないだろう。

しかし、彼女たちの力を知っている者からすれば、笑いごとではない。

 

「…………」

 

そんな二人を横目に、チェルシーは優しく院長を揺り動かす。

院長が決して不快に思わないような力加減で揺らす。

 

敬愛する主人の瞳が、うっすらと開いていく。

チェルシーは満面の笑顔で、しかし、下品に思われないほどに抑えて彼を迎える。

 

「おはようございます、ご主人様」

 

チェルシーの挨拶に、彼も寝ぼけながら返す。

彼女は、こんな何気ない日常が大好きだった。

 

野望さえなければ、毎朝続けていたい日常である。

一日の初め、院長の視界に最初に入る顔が自分。

 

そのことに、チェルシーは非常に大きな満足を得ていた。

何でも他者の世話をして自分を抑えがちな彼女だが、他のメンバーと同じく、彼のことに関しては絶対に譲らないところがあるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

院長の私室で、チェルシーは至高の時間を過ごしていた。

彼と一緒に眠っていた二人は、すでに子供たちの訓練のために部屋を出ている。

 

普段ならどちらかが残って院長の護衛を務めるのだが、今回はチェルシーがいることから二人ともその任を一時的に降りていた。

ちなみに、クロが戦闘訓練で、シロは座学である。

 

「本日の朝食は、日本の定番料理を作ってみました」

 

院長の私室は、料理の良い匂いが立ち込めていた。

彼の座る前のテーブルには、美味しそうな料理が数品置かれていた。

 

この孤児院には大食堂があり、院長自身もよくそこで食べているのだが、今はチェルシーが帰ってきている。

院長の、何から何までお世話をしたいと主張する彼女は、当然ながら食事の世話も受け持ったのだ。

 

今、ほかほかと湯気のたっている料理も、すべて彼女お手製である。

他の者には決してふるまわれない手料理を、院長は全て胃の中に収めることができた。

 

「……いかがでしょうか?」

 

院長が最初に手を伸ばしたのは、やはり味噌汁であった。

日本では、プロポーズの一つに『味噌汁を作ってくれ』という文句があるほど重要な位置を占める料理。

 

チェルシーは日本人ではないが、その重要性はしっかりと理解していた。

だからこそ、料理の感想を催促するという、メイドにはあるまじき行為もしてしまった。

 

発言してから気づいたチェルシーは、真っ白な肌をそれ以上に白くし、顔面蒼白となる。

他の人間に仕えているのであれば、この程度何ら問題ない。

 

しかし、自分が仕えているのは、この世界においてなによりも尊いお方。

そんな彼に対して不敬なことをしてしまっては、何をされても文句は言えない。

 

命で償えるのであれば喜んで差し出すが、捨てられることだけは絶対に嫌だ。

チェルシーの頭が高速回転して何か言い訳をしようとするが、良い考えが浮かばない。

しかし、寛大な院長は口を開く。

 

「ありがとう、ございます……」

 

彼が口にしたのは、ただ一言。

 

―――――美味しい。

 

それを聞いて、チェルシーは先ほど死にそうになっていた心が一気に回復した。

顔は真っ青から真っ赤にあっけなく変化し、量感のある乳房の内では心臓が早鐘のように打ちなっている。

 

なによりも、下腹部にキュンキュンとした疼きが非常に強まり、立っていられなくなる。

だが、万能メイドたるチェルシーは、張りのある脚にグッと力を込めて耐える。

 

院長の前で不様をするなど、決して許されないからだ。

彼の斜め後ろから、熱っぽい視線を送るチェルシーだったが、院長が焼き魚で何やら手間取っているのを見て、クスリと笑ってしまう。

 

「いえ、申し訳ありません。院長にも、苦手なことがあったのだと思うと、何だかおかしくて……」

 

笑ったことに対して、振り返りながら抗議する院長。

いつもの優しい顔が、少し不満げにゆがめられている。

孤児院にいる者たちを救い、優しく見守っている院長が、魚一つにあれこれと苦心している姿を見ると、不敬ながら可愛いと思ってしまったのだ。

 

「お詫びに、私がほぐしたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

 

チェルシーの申し出に、最初は思案する院長だったが、彼女が強く願い出たこともあって最終的には許可を下す。

院長の世話をすることが生きがいだと考えるチェルシーは、心の中で大喜びしながら院長から受け取った箸で魚の身をほぐしていく。

誰も見ていないからと、ほぐした身を「はい、あーん」と食べさせたのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空になった食器を持って、孤児院の中の廊下を歩くチェルシー。

自分の作った料理を全て平らげ、「美味しい」と褒めてくれたことに強い充実感を覚える。

先ほどまでの幸せな時間を思い出しうっすらと笑いながら歩いていると、前から歩いてくる人物がいた。

 

「あ、チェルシーさん。お久しぶりです」

「これは、シャルル様。今からご主人様のところですか?」

 

前から歩いてきたのは、シャルロットだった。

一房にまとめられた蜂蜜色の髪を左右にプラプラと揺らしながら歩いている。

 

彼女はこの春に入学するIS学園の制服を着用していた。

メイド服で脚を一切見せないチェルシーは、ミニスカートで生脚をさらけ出しているシャルロットの衣装に何か言いたげだ。

 

少し身体を上下に動かせば、むっちりとした臀部に食い込むショーツまで見えてしまいそうなほどだ。

まあ、孤児院の中―――つまり院長の前でしか隙を見せないシャルロットなので、あまり心配はいらないが。

 

「えへへ、制服が届いたから、院長に見てもらいたいなって」

「大変お似合いですよ」

 

恥ずかしそうに頬を染めながら言うシャルロットに、チェルシーも微笑ましい気持ちになる。

色々と暗躍している少女だが、彼の前では一人の乙女になるのだなっと改めて思うチェルシー。

シャルロットに会って、ふと思い出すことがあった。

 

「そういえば、お母様も以前ご主人様に衣装を見せに行きましたね。メイド服で」

「お母さん!?」

 

ガンッと強い衝撃を受けた様子のシャルロット。

以前、「娘には負けていられない」とチェルシーにメイド服の貸し出しを求めてきたことがあったのだ。

 

とくに抵抗する理由もないため、彼女は快く貸し出していたのであった。

しかし、スカートの丈を勝手にかなり短くしていたことには、ほんのりと怒りを抱いていた。

 

だから、こうして娘に告げ口をしているのであった。

「僕もメイド服を着るべきか……」などと、ぶつぶつと呟くシャルロットに会釈し、食器を片しに行こうとするチェルシー。

 

「あ、チェルシーさん」

「はい?」

 

シャルロットはチェルシーを呼び止める。

その顔は、先ほどまで見せいていた乙女のものではなく、一切の感情をそぎ落とした能面のようなものだった。

 

「資金の横流し、ばれていませんか?僕のところだけだったら心もとないですし、チェルシーさんにもしてもらっていますけど」

「……ええ、大丈夫ですよ」

 

チェルシーはふと勤め先のことを思う。

身分をほとんど明らかにしていないのに、暖かく迎え入れてくれた場所。

 

自分が世話をしている少女は、困難に正面から立ち向かえる気丈な娘だ。

そんな場所を、人を裏切って、自分は孤児院にお金を流していた。

 

そのことにチェルシーは―――――何ら罪悪感を抱いていなかった。

勿論、勤め先の家は悪い場所ではない。

 

だが、比べる相手が悪いとしか言えない。

院長と勤め先。比べるまでもないことだ。

 

例え、院長と世界が天秤にかけられたとしても、ちゅうちょなく前者を選ぶだろう。

チェルシーはニッコリと笑う。

 

しかし、その笑みは院長に見せていた暖かなものでは決してなかった。

何か得体のしれないものを体内に飼っているような、恐ろしい笑顔。

 

「お嬢様も、いずれは院長の偉大さをお分かりになるでしょう。その時は、私と一緒に【メイド】として、仕えたいと思います」

「……へー、チェルシーさんのお眼鏡にかなう人なんですね、今の主は」

「シャルロット様、勘違いしないでください。私の主は、今までもこれからも、あのお方ただ一人ですよ」

 

二人は一切振り返ることなく、それぞれ歩き出した。

はたしてチェルシーの顔は、今どのように歪んでいるのだろうか?

 

 

 




院長「ほんと完璧なのに、何で裏切るかなー」
チェルシー「ご主人様のために、苦しいけどおそばを離れよう」

悲しいすれ違い。

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