意図せず世界を手中に収めよう 作:マーズ
音が何もしない廊下を歩くと、彼女の足音がやけに響く。
彼女は少女であった。
身長は小柄で、眠たそうに瞼を半分閉じている。
そんな彼女の容貌は、寝ぼけた様子でもぞっとするほど美しいものだった。
表情が無で固まっているからだろうか、冷たい凍土のようだ。
彼女の最も大きな特徴は、その真っ黒な姿である。
長い長い黒髪。彼女はそこを院長に撫でてもらうのが大好きである。
肌も褐色で、健康的な印象を与える。
身に纏っている服も真っ黒。
全て黒く染められていた。
しかしただ一点。黒く染められていない部位があった。
それは瞼が半分閉じられている、瞳であった。
そこはまるで血の池地獄のような真っ赤な色をしていた。
見る者を畏怖させるような、おぞましき色。
彼女は小さなころ、悪魔として周りの者から迫害されてきた。
殴られもしたし、蹴られもした。
数少ない食事を奪われたこともあった。
しかし彼女は、今この真紅の瞳が嫌いではなかった。
それは院長が褒めてくれたからだ。
おぞましき瞳を褒められたあの瞬間、この漆黒の少女は間違いなく院長にのめりこんでしまった。
「着いた……」
フラフラと危なっかしく、かつゆっくりとした速度で歩いていたので、お求めの場所に到達すると思わず声を漏らしてしまう。
彼女が立っているのは、一つの扉の前。
そこはこの孤児院の中で、院長だけが使うことを許されたお風呂であった。
そんなある意味神聖な場所に、この少女は何の気負いもなく脚を踏み入れる。
勿論、一般の孤児院のメンバーが入ろうとすれば、キツイ処罰を受ける。
院長は別にいいと言っているが、彼を妄信的なまでに慕う彼女の相棒的存在が、それを絶対に許さない。
彼女自身も、他の誰かがここを使うことは良いことだとは思わない。
ここを使えるのは院長と自分、そして相棒である彼女だけでよいのだ。
他はいらないし、必要ない。
扉を開けると、着替えを行う場所に入る。
浴室内には明かりがついていた。
相棒である少女は孤児院の子供たちに授業を行っていたので、ここを使っているのは必然的に院長だと判断できた。
院長は男で、彼女は女である。
この時点で普通なら彼女はここから立ち去るべきなのだが、彼女はそんなそぶりを一切見せず、おもむろに服を脱ぎだした。
簡素なワンピース型の服だったので、それを脱ぎ捨てると簡単に裸になる。
普段なら面倒ではあるが一応下着を身に着けているが、風呂に入るためにここにきたので、その前に脱ぎ捨てていた。
そうなると今彼女を覆い隠す布は一枚たりともないことになる。
小柄ながら不釣り合いとしか言いようのないほど、たわわに実った双丘。
よく眠るが、それ以上に運動することがあるがゆえに引き締まったお腹。
綺麗な括れまでできている。
むっちりと肉の詰まった安産型の臀部。
肉付きの良い太もも。
それらすべてを程よく焼いている褐色の肌。
魅力的で男の目を引いて止まないグラマラスな肢体が、露わになる。
間もなく全裸となった彼女は、何ら躊躇する様子を見せず浴室の扉を開けた。
「……来た」
彼女―――クロが入った先にいたのは、彼女が予想した通り院長であった。
彼はクロがいきなり侵入してきたことに一切驚いた様子を見せず、優しい笑顔で彼女を迎え入れた。
その笑顔を見て、クロの胸がぽかっと暖かくなる。
クロはシャンプーを出して、小さな手でわしゃわしゃと泡立てる。
そしてしっかりと泡立ったそれがのった両手を院長に差し出す。
「……洗って」
そう言って泡を差し出したクロに、院長は苦笑しながらそれを受け取る。
クロは彼に背を向けて、長い黒髪を水でぬらす。
今彼女はこれ以上ないほど無防備な姿を、院長にさらしていた。
女が男に見せる隙ではない。
後ろからは、髪の毛の合間から見られる色気のあるうなじや、後ろからでも分かるほど隆起した乳房。
椅子に座って柔らかそうに形を歪める臀部が見えている。
クロの極上の身体でこのような無防備な姿を見せられたら、男はどうにかなってしまいそうだ。
だがクロからすると、院長になら何をされたって構わないのだ。
彼が『おっぱいが好き』だと言えば、クロは何のためらいもなく胸を差し出す。
彼が『あいつ邪魔だな』と言えば、たとえ相棒である少女でも殺す。
彼が『お前死んでくれないか』と言えば、喜んで自害する。
クロは、院長に対して激しく歪んだ愛情を持っていた。
彼こそが至高の存在であり、頂点なのだ。
「……さいこー」
院長に頭をわしわしと洗われ、蕩けるような声を漏らしている彼女の姿を見れば、そんな歪んだ思想を持っていることは全く想像できない。
しかしクロは、彼が自分の考えを知っているだろうと考えていた。
彼に隠し事は通用しない。
彼は何でも知っている。
だが、そんな歪んだ自分を彼は受け入れてくれている。
それならば、別に自分の恥部を見られようがまったく問題ない。
クロは身体を預けるように院長に寄りかかりながら、彼と触れ合う時間を幸福に思うのであった。
◆
クロが所属しているとある孤児院だが、現在ほとんど犯罪に巻き込まれることは少ない。
それは今までの経歴が、テロリストや武装戦闘員たちに知れ渡っているからだ。
『この孤児院を攻撃した奴らは、誰も生きて戻ってこない』
そんな馬鹿なことがあるかと、何人もの人間が攻撃をしかけ、また彼らも戻ってくることはなかった。
おそらく彼らは銃殺されたのだろう。
実際、孤児院の周りには銃を持って警戒している子供や大人が大勢いる。
彼らに撃ち殺されたとみて間違いない。
しかし、死体の中にはおかしなものもあった。
それは何も外傷がないのに、息絶えている人間。
何故死んだのか。それが分からないことに、不気味さを感じるテロリストたちはここを狙わない。
だが、過ちは何度でも繰り返されるものである。
「……へ、へへっ、意外と簡単に侵入できるじゃねえか」
一人の男が、孤児院の敷地内に侵入する。
男はこの地域で衝突している二つの勢力の片側に属する者だった。
彼がここに侵入した理由は、院長の拉致であった。
現在、男の属する勢力ともう一つの勢力は、力の拮抗によって膠着状態に陥っていた。
これを打開するには、優秀な兵力を吸収するしかない。
その優秀な兵力として真っ先に頭に浮かぶのが、この孤児院である。
ここを守護する孤児たちは、非常に優秀な戦士であった。
孤児院を攻撃したりすると、悉く撃退されることがそれを示している。
彼らを自勢力に引き込められればいいのだが、彼らは金でも女でも、何を対価にしても勢力に吸収されることを拒んだ。
彼らが守り戦うのは、全て恩人たる院長のためである。
そのことを知った勢力のとある幹部が、この男に命令を下したのである。
『院長を生きたまま捕らえよ』
彼を手中に収めると、あの軍事力は全て自分のものとなる。
そう判断した幹部は、この男に拉致を命じたのである。
男は昔から、潜伏や拉致、暗殺などを得意としていた。
だから今回の仕事もあまり気は進まないものの、達成することはできると思っていた。
この仕事を達成したら、自分は勢力の中で幹部に登り詰めることができる。
男は未来の自画像を思い浮かべ、唇を歪ませる。
「さてと、いつ気づかれるかもわかんねえし、さっさと終わらせるか」
男が出たのは、広い庭だった。
辺りに自分以外の人影はない。
だが自分の上司である幹部が欲しがるほど、ここの警備隊は優秀だ。
いずれ自分が侵入したこともばれるだろう。
素早く任務を達成し、勢力に帰還しよう。
そう思い男が一歩足を踏み出した、その時だった。
「……あ?」
男の視界が変化する。
男はなんと転んでいた。
別に段差があるわけでもない、平坦な地面である。
それなのに男は地面に顔を付着させるほど、豪快に転んでしまっていた。
何が起きたのかと脚を見ると、そこにはあるはずの脚が一本しかなかった。
千切れた脚が近くに寝転がっている。
―――――脚が引きちぎられていた。
そのことをようやく理解した男は大きな悲鳴を上げようとして―――――。
「ダメ」
声を上げることはできなかった。
男の首には小さな手が食い込んでいた。
喉を塞がれ、声どころか息もできなくなる。
首に食い込んだ手で、男は持ち上げられる。
男は自分を掴みあげている人物を見て、驚きを隠せない。
「(な、何でここに……ISが……っ!?)」
現存する全ての兵器を凌駕する超兵器、IS。
全て国家に管理されてあるはずの戦略兵器が、どうしてこんな孤児院にあるのか?
男が考えても分かることではない。
彼の首を絞めているISは、真っ黒であった。
夜の闇よりも深い黒。
全てを塗りつぶすような鈍い黒だ。
「……大きな声を出しちゃダメ。……いんちょーに聞こえちゃう」
「が……あ……!」
院長……つまり自身の首を締め付けるこの女は、孤児院の子供だった。
首にかかる圧力がどんどんと強くなっていく。
男は薄れゆく意識の中で、自分を殺すであろう女を見る。
朦朧とする意識の中では、あまり彼女の様子をうかがい知ることはできなかった。
ただ男が最後に見たのは、血より濃い深紅の双眸であった。
◆
「……これ、片付けておいて。……いんちょーの目が汚れる」
「はい」
息絶えた愚かな侵入者から手を離す。
まるでごみのように地面に捨てる。
もうクロは一度たりともその男を見ることはなかった。
彼を殺したことにも、何ら感慨を抱いていない。
院長に手を出そうとしたのだから、殺されて当たり前。
そういった考えがクロの中にはあった。
彼女の前では、孤児院を警備するメンバーが死体の処理をする。
皆院長を敬愛する者たちだ。
「こいつ、誰の命令で動いたのでしょうか?」
「……知らない」
警備隊の一人が懸念を口にするが、クロはそれを簡単に切り捨てる。
正直、彼が誰の命令で動いたのかなどどうでもいいのだ。
院長に敵対するのであれば、クロの敵である。
全て殺し、彼の前の障害を吹き飛ばす。
クロの考えは非常に明瞭で簡単であった。
それにそういったことを考えるのは、自分ではなく相棒の少女の仕事である。
そもそも一生懸命考えても、クロは分からないだろう。
クロはここで一つ欠伸をする。
つい先ほど一人の人間の生命を終わらせたとは思えないほど、のんびりとした雰囲気を醸し出していた。
「……いんちょーと二度寝しよ」
そう言ってクロはフラフラと危なっかしい足取りで、院長の部屋に向かって歩き出した。
その十分後、男が殺された場所からは誰もいなくなったのであった。
オリジナルヒロインって一度書いてみたかったんです。