彼は一人森の中を歩いていた。季節は夏の為か辺りではセミの声が喧しく鳴り響いている。頬に次々に滲む汗を拭き取ろうともせずただ男は目的の場所を目指す。やがて……。
「……やっと着いたか」
背負っていたカバンを下ろしつつ、スイゴは一人そう愚痴た。 辺りを見渡すと周りに殆ど人陰はなく、来る人も直ぐに帰ってしまう。
「にしても、やっぱり少し汚いな……」
そう言うと、持ってきた雑巾で自分がいる周辺を拭きにかかる。ホコリがみるみる内に消えて『ソレ』がピカピカになる様を見るのは気持ちがいい。
「もう、一年くらい来てないもんな……」
今住んでいる場所からここへはかなり距離がある。学生の身分である自分は勉強に忙しく、中々ここに来る時間は取れない。
「お金も掛かるしなぁ……」
自身の不満を吐露しつつも目前にある『ソレ』を拭く手は休めない。黙々と作業を続けた。
「……うんまあ。これくらいかな」
一時間程磨き続け漸く妥協点とも言えるくらいまでキレイにすることができた。
「流石にキリが無いし」
結局、おれが今している行為は自己満足なのだ。あまりやり過ぎてもこれ以上は劇的には変わらない。その手に持っていた雑巾をバケツの中に放り込む。
「ちょっと、待ってろよ……」
掃除をした為に手が汚れてしまった。仕方なく、近くにある木陰の水道で手を洗った。周辺が暑い中で身体にかかる水がヒンヤリとして気持ちいい。太陽に体力奪われていたこともあり、少しだけその場で休んだ。
「さてと、『アイツ』に用事を済ませてさっさと帰るか」
雑巾をいれたものとは別のバケツに水を溜める。それを手に抱えて、先程掃除した場所へ引き返す。
「おれだって暑いんだ……ずっと居て平気な訳ないよな」
バケツの水を手にもった柄尺で掬い、『ソレ』にかけてやる。人によっては失礼かは知らないがスイゴにとっては必要な所作だと思っている。中にあった水が無くなった所で、おれはカバンの中にある物を取り出した。
「えっと……お茶に煎餅、饅頭、刀の玩具……和風なものばっかだな」
口にしたそれらの物を次々にならべていく。毎年、行っていることの為か作業をする手に淀みはない。
「さてと」
数分でやることを終わらせ、やっとおれは『ソレ』に手を合わせ……。
「あれー、スイゴじゃない?」
「……ヴッ!!」
背後から声をかけられ思わず吹き出してしまう。そんなおれの姿を見てか声の主はクスクスと笑っている。こんな突発的なことをするのは……。
「シェレン~ッ、一体何のようだァッ!」
後ろを向くと腹を抑えて笑い堪えようとするも出来ていない女。幼馴染みの『ソン シェレン』がいた。
「ふふふっ、あ~~お腹いったーい!」
「おいッ!!ふざけんなよマジで」
彼女のこの行為にはいつもされる度に寿命が縮んだような思いをする。しかも、毎年決まって今の時期は必ず一回は仕掛けてくる。
「あらら、怒っちゃいやん♪……ぷっ」
「…………」
先程から、ずっと手の震えが止まらない。これは恐怖……否、ただ単に怒りを堪えているだけだ。
《殴っちゃだめだッ、殴っちゃだめだッ、殴っちゃだめだッ、殴…………》
頭の中でひたすらこの行為を繰り返して、何とか溢れ出る感情を我慢した。
「まあまあ、わたしもここに用があってきたのよ」
シェレンはそう言って、スイゴの前にある『ソレ』を指差した。
「お帰りください、王様」
「ノリが悪いわよ、スイゴ。わたしも混ぜなさい」
「祭り気分で来られても困るんだよ」
「彼女とは親友だったのよ?」
その言葉に黙りこむ。少なくとも、これを言われてしまってはもうスイゴには口を挟むことは出来ない。目の前では、彼女が自分同様に茶菓子を置く姿が見えた。
「…………邪魔はしないわよ。久しぶりの『兄妹』の会話なんだから」
「……メイリンは」
「えーっ、わたしはだめで彼女は良いのかしらー?」
「そうは言ってないッ!いつもは二人で来るからそう聞いたんだよ」
「メイリンも残念がってたわよ。生徒会のイベント準備に忙しそうだっから……」
シェレンは幼馴染みのメイリンと共に毎年今の時期になるとこの場所に現れた。別に意図してではないが彼女達とはよく鉢合わせすることが多いので、二人はセットでいるという認識がついてしまった。
「……そうか、それじゃあ今年は二人でか」
「違うわよ。三人でしょ?」
シェレンの言葉に一瞬虚を突かれたような気分になった。
「…………そうだな」
「わかればよろしい」
二人は会話を終えて『ソレ』に手を合わせる。暫しの間、静寂の時が流れた。
「……ふふっ、これくらいやればいいかしら?」
「バカいえ、まだまだ足りない」
「ここは暑いのよ。貴方、どうせここに来たのついさっきじゃないでしょ」
「……いや」
確かに、スイゴがこの場所に来たのは二時間くらい前だが……どうして彼女はわかったのだろう。バケツとかは片付けたのに。
「全く、熱中症になるわよ。……ずっとここにいても『ユウハ』も喜ばないわよ」
「わかってるさ。ユウハは真面目だったからな」
ユウハ……おれの妹は昔からシェレンとは仲が良かった。メイリンと合わせて、三人はよく一緒に遊んでいた。
「違うわよ、貴方『シスコン』じゃない♪」
「シスコンじゃねぇッ!!」
人をなんだと思っているんだこの女は。言って置くが、客観的に見てもおれはユウハにたいして普通の兄だった。シェレンの悪ふざけに頭が痛くなる思いだった。
「……本当に妹思いの兄よ。毎年、この時期にはキッチリ来るもの」
「当然だろ、命日なんだから」
そう、スイゴにとっては今日は特別な日だった。
九年前に妹が事故に遭い亡くなってなってしまった。ここは、その妹の為の墓碑なのだ。
「行方不明……だったじゃない」
「…………そう信じたいさ」
しかし、現場には帯たたしい量の血と幼い女子のものとみられる片腕が残っていた。それ以外のものは全て火で燃えて無くなったので詳細はわからないが……。
「信じなさい。兄の貴方がそう思わなくてどうするの」
「悪い……」
彼女の言うことは正しい、確かにこの目で実際の状況を見たわけではないから希望は十分に残っている。遺体も全身が見つかった訳ではないのだ。ただ……。
「……あいつは、生きたがってたのかな」
「スイゴ……」
シェレンはその言葉の意味をよく理解していたのか口をつぐむ。親友だったからこそ、彼女は彼の真意がよくわかったのだ。
「ユウハはイジメを苦にしてた……そんなあいつが」
「わたしは生きていると信じたいわ……親友だもの」
二人の意見は互いに違っている。片方は血のつながりと知りすぎるが故に絶望を肯定し、もう片方は他人ではあるが育まれた絆がある故に希望を否定しない。それでも、二人に共通するのはお互いにとって非常に大切な存在だったということだ。
「帰ろう、シェレン。あまりここに居すぎても良くない」
「スイゴは大丈夫なの?」
「これ以上居たら、おかしくなりそうだ」
《ユウハが事故に遭った時に、おれは風邪で家にいた……》
意識が朦朧とする中で、出かける妹に『いってらっしゃい』と言ったことだけは覚えている。
《どうしてッ!あの時に『行くな』って言わなかったんだ》
妹との今生の別れは曖昧なままで終わった。自分が言った言葉はまるで彼女の死を後押しするようなモノだった。そこに後悔を感じない筈がない。
「許す、許さないは貴方が決めることじゃないわ。ごう慢よ」
「……そうだな。」
「スイゴは良い兄だったわ。ユウハが恨むはずないわよ」
「………そうだな」
視界がよく見えない。目頭が熱い。シェレンの言葉にとてもホッとした。ゆるされて良いような気分になってしまった。
「おれは……『ユウハ』の兄で良かったのかな……?」
「当たり前よ。早く帰りましょ、そんな姿じゃ妹を心配させるだけよ」
「……ヴン」
顔をみっともなく泣き崩しながらもスイゴは幼馴染みと共に来た道を帰っていく。二人の道を照らすかのように、『ギユウ ユウハ』の墓石は太陽の日を浴びて力強く輝いていた。
これは本編の前の話でただ挫折を繰り返した日々のこと……。
二人は未だ己の運命を知らない。