文香「最近は…日本どこでも電気が通っているので、あまりお世話になる事は少ないと思いますが…」
文香「オイルランプと言うのは、心に安らぎを与えてくれるものです」
文香「ランプの起源は、遡れば古代から…長くなってしまうので、今回は止めておきましょうか」
文香「時折、夜中に本を読むとき…私は、電球ではなくランプを灯します」
文香「明るいランプを持って、夜道を散歩したくなったりもします」
文香「小さく灯るランプの光は、優しくて、暖かくて」
文香「…ですが、光源が小さければ。光が弱ければ」
文香「それだけ、影が深く見えてしまいますね」
文香「照らされていない場所が、むしろ目立って見えてしまう」
文香「普段は見えないものが、見たくないものが…ランプの影によって浮かび上がってくるんです」
文香「…少し、暗くなってきましたね」
文香「ランプ…灯しましょうか?」
逆行ランプ
ふぅ…と大きく息を吐きながら、私はソファに座り込みました。
ダンスレッスンを終えて家に着く頃には、私はくたくたになっていて。
本を開くも読む気力がなく栞を挟んで閉じ。
のんびりと、夕陽を眺めて微睡んでいました。
昨日のライブの失敗が心を沈め。
気分を変えようにも何かをするは気力が起きず。
きっと今の私にはあれが限界なんだろう、などと。
勝手に納得し、思考の外に追いやりました。
沈みゆく太陽に染められる街は、とても綺麗で。
少しずつ住宅に電気が灯っていく光景は、とても素敵で。
自然の灯りが人工の灯りに代わってゆく瞬間が心地良くて。
ありふれた景色に包まれて、なんとなく幸せでした。
ふと、その時。
視界の中に、珍しい物を見つけました。
これは…オイルランプ、でしょうか?
何故こんな物が私の部屋に…
私はオイルランプなんて、買った記憶がありません。
ファンの方からの応援とも思えませんし、叔父か誰かが忘れて行ったのでしょうか?
とは言え、丁度いいですね。
折角ですから、灯してみましょうか。
燃料は入っているようです。
カーテンを閉め、部屋の電気を消し。
引出しからマッチを取り出し着火。
音もなく、少しずつ火は大きくなります。
…心地良いですね。
ゆらゆらと揺れる炎は、私の心を照らし暖めてくれるようで。
深呼吸しながら、ゆったりと。
暖かい空間の中に静かに溶け込んでゆきました。
どうせなら、紅茶でも淹れましょうか。
そう思い、振り返り。
私は、信じられない光景を目にしました。
ランプによって作られた、私の影に。
本棚しかなかった筈の空間に。
私一人しかいなかったこの部屋に。
ステージで踊る、私がいました。
「…え?」
何が起こっているのか、自分でも分かりません。
実際に目にしている私が一番信じられないのですから。
けれど、間違いなく。
影に映ったのは、私でした。
先日私が上手くいかなかったライブ。
あの日の衣装を着た私が、マイクを握り締めて精一杯歌っています。
その表情はとてもキラキラとしていて。
私なのに、私が見ているのはとても辛くて。
急いで、ランプを消しました。
「…ふー…」
暗くなった部屋の中、私は脱力して崩れ落ちました。
今のは、一体…?
疲れて脳がおかしくなってしまったのでしょうか?
そこまで疲れきっているつもりはありませんが…
今日のダンスレッスンも、あまりうまくいきませんでしたし…
もしかしたら、本当に疲れて幻覚を見てしまったのかもしれません。
それに、もう一度起こるかどうかも確かめたいですし。
そう思い、私は再びオイルランプに火を灯しました。
少しずつ、火は大きくなってきて。
ゆらゆらと揺れながら、影を濃くします。
すぅー…と大きく息を吸い。
私は、覚悟を決めて振り返りました。
…やはり、私がいました。
けれど先程とは違い、トレーニングウェアの姿で。
今日私が上手く踊れなかったダンスを、キビキビとした動きでこなしています。
もちろん、笑顔を絶やすことなく。
…見ていて、悔しいですね。
自分が上手く出来なかったからこそ、上手くいっている自分を見せられると言うのは。
ですが…これは、自分の為になります。
こうしてみていると、自分が出来ていなかったところがよく分かりますから。
ここの次のステップで、この様に右足をだせば…
この時、右手を伸ばせば綺麗に見える…
夢中になって上手な自分を見続けていると。
しゅん、と、私の姿が消えてしまいました。
部屋がまた暗くなった。
つまり、ランプのオイルが切れてしまった様です。
結構な量入っていたのに…いえ、この不思議なランプに常識は通用しませんね。
一度落ち着いて考えをまとめてみます。
ランプをつければ、思い浮かべた失敗を、上手く成功させた私が映る。
けれどその代わり、オイルの消費がとてつもなく早い。
冷静になってみれば、なんて事はありません。
…いやいや、何を私は…
非日常的過ぎるにも程があります。
ですが、実際に二度も目にしているのですから…
けれど、実際。
有効活用は出来そうですね。
それから私は、何かが上手くいかなかった日は家に帰るとオイルランプを灯しました。
人と上手く対話出来なかった日。
プロデューサーさんの目を見て話せなかった日。
オーディションの結果発表で落ちてしまった日。
なるほど、この様に繋げば次のトークを…
プロデューサーさんと目を見て話せている私は、幸せそうですね。
…ここは、こう言っておくべきでしたか…
もちろん、辛くはあります。
けれどそれによって、次は成功できる様にと。
それに、上手くいっている自分を見るのも幸せですから。
まるで自分が物語の主人公になったお話を読んでいるような、そんな感覚。
失敗も成功も、その両方を見てきた私だからこそ。
その次は、少なくとも以前よりは上手く出来る。
このランプさえあれば。
最悪の話、自分が現実では上手くいかなくても。
成功した私を見る事が出来るから…
ここまで語れば、物語の真意を見抜けたと思っているかもしれませんね。
きっとあなたはこう考えている筈です。
きっとその不思議なランプに依存してしまい。
現実と理想の区別が付かず、ずっと成功した自分を見続ける。
…ふふっ。
もし本当にそうでしたら。
私は今こうやって、あなたに語ってはいませんよ?
さて、では。
物語の、次のページに向かいましょうか。
はい、ご想像の通り。
最初は完全に依存しきっていました。
ですが、経験を重ねていくうちに。
そもそも、あまり失敗しなくなったんです。
そこに至るまでに、数々の失敗と長い時間はかかりましたが。
と、言うよりも。
ランプに頼るまでもなく。
プロデューサーさんが、私を支えて下さいましたから。
上手くいかずに沈んでいる私を励ましてくれて。
上手くいかなかったときに改善点と解決案を示してくれて。
上手くいかないと思っていた部分が出来る様になって。
私は、成長出来ました。
もちろん時たま、私はあの不思議なランプをつけました。
ですがそれは、仕事に関してではなく…秘密ですよ?秘密です。
それに、やっぱりオイルランプの灯りは優しくて。
心が温まりますから。
はてさて、そんな私の悩み。
それは、既に起こった過去ではなく今の事。
それは、今はまだ知る事の出来ない未来の事。
ずっと私を支えてくれた人に。
一緒に歩いて進んでくれた人に。
私が想いを寄せる人に。
私の想いを伝えるには、どうすればいいか。
こればかりは、この不思議なランプでもどうしようもなく。
普段相談に乗って下さっている方に相談するわけにもいかず。
上の空でパラパラと本のページを捲りながら。
夕方の窓辺で、夕日と苦悩に包まれていました。
きっと今の私なら、上手くいくかもしれません。
そうであって欲しいですし、そうでないと辛いですし。
ですが、そんな簡単に伝えられるのなら。
私はここまで悩んでいません。
最近は上手くいっていたからこそ。
尚更、失敗してしまった時が怖い。
成功に慣れてしまったからこそ、成功した自分を見てきたからこそ。
余計に、不安は募りました。
ふぅ…と大きくため息をつくも、高い空へと吸い込まれてゆきます。
途中で何かにぶつかる事も、それが誰かへ届く事もなく。
何かをする訳でもなく、何かを出来る訳でもなく。
ただひたすらに、部屋の外を眺めていました。
沈みゆく太陽に染められる街は、とても綺麗で。
少しずつ住宅に電気が灯っていく光景は、とても素敵で。
自然の灯りが人工の灯りに代わってゆく瞬間が心地良くて。
ありふれた景色に包まれて、なんとなく幸せでした。
…そう言えば。
あのランプは、オイルさえあればずっと。
成功した私を見続ける事が出来ます。
で、あれば。
もし私の告白が上手くいかなかったとして。
果たして、何の問題があるんでしょうか?
それに気付いた途端。
先程までの悩みが、すべて阿保らしく思えてしまいました。
あのランプがある限り、別段私が成功する必要は無いんですから。
ずっと、上手く生き続ける私を眺める事が出来るのですから。
…そうと決まれば。
大きく息を吸い込み。
今までの彼とのやりとりを思い出し。
何があっても支えて下さったこれまでを思い出し。
現実に、彼と向き合って話し合った日々を思い出し。
理想で留まっていた私を現実にしてくれた彼を思い出し。
失敗も成功も受け入れてくれた彼の笑顔を思い出し。
そんな時、私がどれ程幸せだったか思い出し。
私は、ランプを床に叩きつけました
…私の物語は、これでおしまいです。
ご静聴、ありがとうございました。
そして、これからは…
私とあなたの物語なのですから