明華「しかし……打つ手なしですね。正直に白状してしまうと匙を投げたい気分です」
ハオ「まさか尾行して探る、というのも気が引けますしね……」
時間は戻り、梅雨明け前のある日。
部活終わりに留学生四人で集まって話し合っていた。しかし、実りある話は特に見当たらない。
ダヴァン「夕食までに帰ってくるのなら、とりあえず夜遊びの心配はないでショウか」
ネリー「いや、ネリーと夕食を食べる日はって話だから……それ以外の日はわからない……」
明華「ちょっとネリー、その話は初耳ですよ」
ハオ「そうすると二日に一回くらいはいつ帰ってるかもわからないの?」
どころか新たな問題まで噴出する始末で、対策を考えるにも一苦労だった。
とはいえ、咲も軽はずみに夜遊びをしたりするような人ではない、というのがこの場の四人の共通した見解であり、最後の一線で落ちつきを取り戻す。
ダヴァン「とにかく根気強く咲に話しかけるしかありマセン」
ネリー「……そうだよね! 咲だっていつか……」
ハオ「やっぱり大まかにはネリーに任せる事になるよね。協力できる事があれば何でも言って」
咲が親しくする人間は限られている。少なくとも臨海では留学生と辛うじて智葉が交流があるくらいで、麻雀部以外の人とは交流を避ける節があるとネリーはみていた。そして、より深い親交があるとなると、ネリーしかいない。
ネリーは意気込む。
咲と楽しく過ごす時間を、思っていたよりも気に入っていたのだと失って気づいたから。
また以前の関係に戻りたい、そんな願いがネリーの背中を押していた。
明華「あの日の翌日、咲さんが泣いているところをネリーは見かけた……それは、重要な意味を持つ気がします」
ふと明華が意味深な発言をする。もしネリーが咲の決定的な変調を目撃しなかったら、事態はもっと霧に包まれたものになっていた。
相も変わらず周囲を遠ざける咲にも、さしたる違和感を抱かなかったかもしれない。
そう考えるとネリーはぞっとした。
ダヴァン「食べるモノが必要な状況になりそうなら私に任せてくだサイ。ドントコイ」
ネリー「どうせカップ麺だろうけど必要だったらお願いするよ」
誇らしげに申し出るダヴァンに半ば呆れつつも厚意には感謝する。必要になる状況は想像できないが。
ネリー「咲を元通りにする! それで、あわよくば咲から事情を聞き出す!」
力強く宣言。不退転の決意を胸に、四人はそれぞれの帰路についた。
▼
咲「あ、あっちの角までで大丈夫です……一人で帰れますから」
住宅街を低速で走る自動車の車内。助手席に座る咲は、運転席の女性に告げる。
「そっか。本当に大丈夫? 万が一って事があったら困るけど……」
咲「さすがにもう目の前ですし。歩いて一分くらいのとこなら、雀力をちょっと使えば……」
「あはは……力は使わないとダメなんだ」
咲「うぅ……ご心配おかけして申し訳ないです……」
週に一回はお世話になる間柄。それも、行き帰りの送迎付き。
至れり尽くせりの扱いに咲は身が縮こまる思いだった。
「んーと、明日はダメなんだっけ。隣に住んでる子と夕飯食べるんだよね」
咲「はい……こちらの都合で申し訳ないのですが……」
「いいのいいの。子どもに融通きかすのが大人の甲斐性ってね。気にしないで」
咲「……」
「あ、あれ? 変な事言っちゃったかな?」
咲「い、いえ、そうじゃなくて……すごく若々しいからあんまり歳上って感じがしなくて」
咲「その……お姉ちゃんくらいかなぁって。……あ、あのすみませんっ、失礼ですよね」
あわあわと狼狽える咲をよそに、空気が抜けるような音が運転席から上がる。
それは、堪えきれず漏れた笑い声だった。
「ふ、ふふふふっ」
「あーもう。本当可愛いなぁ咲ちゃんってば」
「思わず食べちゃいたくなるくらい☆」
咲「あ、あの……」
「あっ、咲ちゃん気をつけてね」
「咲ちゃんって無防備だから……麻雀の強い人だからって簡単に気を許したらダメだよ」
「特に鬼みたいに麻雀の強い、アラフォーみたいなアラサーを見かけたら全力で逃げて☆」
「麻雀の将来性的にも、アッチ的にも狙われたらやばいから☆」
咲「は、はあ……」
よくわからないけど気をつけよう。咲がそう思ったとき、車が目的地に到着した。
「それじゃ……またね咲ちゃん」
咲「はい。今日もありがとうございました」
深々とお辞儀して感謝の意を示す。
車を降りて見慣れた住宅街に足を下ろすと、咲が今まで乗っていた車がこの場を離れていく。
手を振ってそれを見送り、咲は住んでいるアパートに向けて短い道程を歩きだした。
今夜はとても綺麗な半月だ。
咲「……」
オーダーの選出の日から暫く経ってから、誰にも内緒で始めたこの習慣。臨海に入学してから懇意にしていたネリーにも明かす気はない。
後悔は、ない。自分のしてしまった事、自分という存在が団体戦のメンバーである事を考えれば、悩むべくもない。
願わくば。自分が座る椅子に本来座るはずだった人の望みを叶えられるように。
自分を磨き抜き、そして圧倒的な力を全国で示す。
そのためのこの上ない協力者も得た。
迷いは、なかった。
▼
ネリー「サキー! 学校いくよ!」
咲への決意をした翌日の朝、準備を済ませて部屋から出てきた咲に向かって、ネリーは勢いよく抱きつく。
咲「わっ! ど、どうしたの」
ネリー「どうもしないよ、今日も朝からサキに会えたから嬉しかっただけ!」
咲「え、ええ……?」
みるからに戸惑う咲、しかし嫌そうな素振りはなく抱きつく自分を受け止めている。
ネリーは心の中でにやりとした。
(ふっふっふ、計算通り!)
(動揺した咲を押して押して押しまくれば、ボロを出す!)
(咲ってば結構おっちょこちょいだから……これでいける!)
ネリー「サキー、サキー」
咲「ネ、ネリーちゃん……くすぐったいよ」
じゃれつく犬や猫のようにひっつき、暫しくんずほぐれつ。
くすぐったさに堪えかねた咲が「ん……っ」と艶かしい声を出した頃を見計らい、ネリーは切り出した。
ネリー「サキー、最近部活おわったあとにどこいってるのー?」
咲「そ、れは……はやっ、……さんと……はっ!」
何か話し始めた咲だったが、はたと目を見開く。
それから怒りか羞恥からか頬を赤く染め、ネリーから素早く離れる。
咲「いっ、いきなり何……どうしちゃったの!」
(失敗!)
(うーん、いい線いってた気がするんだけど……次いこう!)
その場は適当に誤魔化し、ネリーは咲と連れ立って登校した。
お昼。昼食の時間になり、留学生四人で囲む卓から抜けて、ネリーは咲の教室に向かう。
明華「やる気十分ですね」
ネリー「咲を落としてみせるよ!」
ダヴァン「その意気デス」
ハオ「なんか嫌な予感がするんだけど」
次なる咲を動揺させる作戦とは。
ネリー「はいサキ、あーん」
咲「え、えっと……?」
ネリー「あーんだよ! ほら口あけて!」
咲「あ、あーん……もぐもぐ」
咲の教室に乗り込み、弁当をネリー手ずから食べさせる。
最初は困惑していた咲もネリーの行動の意図するところを知って観念したのか、おずおずと口を開く。
教室中の視線が突き刺さる。
咲の顔は茹で蛸のごとく紅潮していた。
ネリー「はい、あーん。ねえサキ」
咲「……あーん、もぐもぐ……な、何?」
ネリー「どうしてネリーの事避けるの?」
咲「別に……避けてなんて……」
ネリー「うそだよ! ネリーの事なんか放って他の人のとこいってるんだ!」
ざわざわざわざわひそひそひそひそ
「聞いた今の?」
「うん。つまり浮気?」
「えー宮永さんああ見えて……」
「ああいう子に限って遊んでるんだよね」
咲「わああああっ! 何言ってるのネリーちゃん!?」
ネリー「何って、ネリーの事なんで避けるかしりたくて」
咲「さ、避けてなんかないってば! それより今日はもうここらへんで……」
ネリー「……ネリーを帰らせて誰かを呼ぶの?」
咲「呼ばないよ! ネリーちゃんはもう食べ終わってるみたいだし、昼休みもあんまり残ってないから」
ネリーが手ずから食べさせていては時間が足りないかもしれない。正論だとネリーは思った。
(残念。ここまでか……ここは引き下がるしかないみたい)
(でも諦めないよ! 次こそ尻尾をつかんでみせるんだから!)
放課後。
咲を迎えついでに抱きついて、腕を組んだまま部室までの道程を踏破する。
咲はびくびくと震えてネリーの顔色を窺っていたが、容赦はしない。
不意を打って組んだ腕の隙間から脇をくすぐり、驚いて腰を抜かした咲に馬乗りになって責め続ける。
そして耳元に口を近づけ囁く。
ネリー「ねえサキ……隠してる事言ってくれないと食べちゃうよ?」
咲はぐうの音も出ない様子でされるがままだったが、耳打ちされてがばりと起き上がる。
咲「な、ななななっ」
ネリーから距離をとった咲は指を差したまま泡を食う。
ネリー「どうしたのサキ?」
咲「ど、どうしたのって……はぁ」
咲「いいから来てっ」
人通りの多い廊下で白昼堂々繰り広げた醜態は多くの視線を集め、一刻も早くその場を去りたかった、のだろうか。
ネリーの手をひっぱり、部室へと足早に向かった。
明華「ああ。来ましたね。咲さんこんにちは」
咲「……こんにちは」
ハオ「ネリーもおかえり」
ネリー「咲を連れてきたよ!」
部室に入り、ここ最近の常となりつつある素っ気ない挨拶を返す咲。
ネリーも後から入ってくる。
ダヴァンは給湯室でカップ麺にお湯を注いでいた。
咲「あ、あの……」
明華「あら私にご用ですか?」
咲「今日のネリーちゃん……なんだか変なんです。理由を知りませんか」
明華「はて……変、ですか」
ネリー「~♪ ねえねえハオ、なんだかいけそうな気がするよ!」
ハオ「そ、そう」
明華「何やらご機嫌のようですが……それ以上は」
咲「そうですか……はぁ」
明華「ネリーが何か?」
咲「えっと……その、今日はやけにアグレッシブだなぁ……と」
咲「……あんまり、お近づきになりたくないくらいに」
明華「そ、そうでしたか……あのすみません」
咲「はい?」
明華「ネリーが今日変わった事をしているなら、それは私のせいでもありますから」
咲「それって……」
ネリー「サキーいっしょに打とう!」
咲「ひっ」
明華「……」
明華「ネリー、ちょっとこっちに来なさい」
ネリー「え? なにっあだだだだ!」
明華「こっちに来なさい」
今日咲に何をしたか詰問する明華。
内容を聞くにつれて口元がひきつり、やがて般若のごとき形相に変わっていく。いつもの微笑を湛えながらそれとわかる、おそろしい形相だった。
明華「ネリー、あなたに任せたのは間違いだったかもしれません」
ネリー「間違いってそんな大げさなっあだっ! いだいいだいいだい!」
明華「黙りなさい。さっきあなたに呼ばれただけで怯えていましたよ、彼女」
ネリー「そ、そんな……何かの間違いじゃ?」
明華「何が間違いですか。今日の部活中は無闇な接触を禁止します」
うな垂れるネリーにも明華の視線は冷ややかだった。
ダヴァン「マアマア、ネリーにも悪気はなかったんデスよ」
ネリー「メグ!」
思わぬ助け船にぱあっと目を輝かすネリー。
カップ麺をずるずると啜りながらではあるものの、味方してくれるダヴァンに強く感謝していた。
ハオ「こっちの卓に誰か入りませんか?」
咲と座ったハオが誘いをかける。頃合いを見計らってか、ネリーの方をみている。
その視線を受けたネリーはいの一番に名乗り出る。
ネリー「はいはい! ネリーが入る!」
明華「……では私も見張り役という事で」
ダヴァン「私は新発売のヌードルを味見するので待ってマス」
ハオ、咲、ネリー、明華で卓を囲む。
起家はネリー。全自動卓でシャッフルされた牌が配られる。
(あ、ラッキー。いきなり一向聴だ!)
三四四五八3455①①⑤⑥‐ツモ五
ドラは3。開局親番でピンフドラ1高め一盃口の一向聴。
一巡目は、もちろん打八。
第二ツモが三、打5。
これで聴牌。四筒か七筒が入れば和了だ。
(この局はもらったかな……他のみんなは聴牌してないし、字牌を整理したりしてる段階)
相手の聴牌やツモ牌を察知できるネリーにとって、この局は自分の独壇場。そう感じるに十分な条件が揃っている。
唯一この盤面を一気にひっくり返すのは、咲がカンを連打しての和了。しかし、その確率はそこまで高くない事をネリーは今までの経験から予想していた。
(ここは強気に攻めるーー!)
と意気込んだものの、待ち牌を引けずツモ切りする事七牌。
そこで恐れていた事が現実となった。
咲「カン」
咲「もいっこカン」
咲「ツモ、嶺山開花です」
一向聴から嶺山牌を二枚引いて和了に持ち込んだのだろう。
しかも二回目のカンは、ネリーにとって不運な事に七筒によるカン。
ネリー「うわー、アガれると思ったのにー!」
明華「惜しかったみたいですね」
ハオ「ドンマイ」
咲は勝者の余裕を湛えて微笑んでいる。ネリーはむっとなった。
ネリー「次はアガってやるんだから!」
次局。四巡で好形の聴牌が完成、速攻を仕掛けるもまたかわされ、咲による嶺山開花。
さらに次の局。明華が早い巡目で聴牌した気配を察知したのでベタオリ。ハオもオリたようだった。
咲「それロンです」
明華「っ! はい」
しかし後から追って聴牌した咲が競り勝ち、明華から直撃をとる。また咲の和了。
そのまた次の局は、ダブルリーチしたハオがツモ切りした牌を咲がカン、嶺山開花。
咲の独走状態だった。
ネリー「サキ、今日ノってるね!」
咲「うん。調子いいみたい」
とはいえ、このくらいの連続和了は稀にある事。なので誰もさして気にとめていないようだった。
だが。
咲「カン、ツモ」
咲「それロン」
咲「カン、もいっこカン、もいっこカン」
咲「ーーツモ、嶺山開花」
咲の独走がほぼ一半荘続き、二人が飛んだところで対局が終わる。
その頃には、異常を感じとっていたのはネリーだけではなかった。
明華「咲さん、随分飛ばしてますね」
ハオ「私は実際に飛んじゃったよ……」
ダヴァン「ムムム、次は私が入りまショウ!」
ハオとダヴァンが入れ替わり、再び対局。しかしまた咲の一人勝ち。先ほどから打っていた明華とネリーは失点が少なかったものの、ダヴァンがトビで終局。
対局慣れしているはずの面子に妙な緊張が走る。
ネリー「サキ、なんか打ち方変えた?」
咲「ん、そうだね。相手の速攻手に対応する打ち方を意識してるかな」
対局した面子がやられたのは、一重にがらりと咲の打ち方が変わった事が大きいだろう。
だから一度対局した面子は慣れてある程度対応できたし、そうでない者は対応しきれず失点を重ねた。
咲が格段に腕を上げたわけではない。しかし、以前にまして打ちにくい相手となったようにネリーは感じていた。
ネリー「速攻手?」
この時期に打ち方を変えるとは中々大胆な決断だ。いや、そもそも誰を意識したのだろうか。
明華、ハオ、ダヴァン、ネリー、そして智葉。
誰かなようでいて、誰でもない気がする。
ネリーは困惑した。
咲「そ、それより次打とう?」
とはいえ、練習中だ。咲の促しに応じて次の対局へと移る。
結局、その日は皆一変した咲の打ち方に対応しきれず、翻弄される事となった。
▼
部活が終わる。今日も終わり際不在だった智葉に伝言を残し、帰り支度をしていく。
ネリー「サキー! 今日は」
咲「ご、ごめん、また今度」
言い終わらないうちに遮り、そそくさと部室を後にする咲。
ネリーは頬を膨らませた。
ネリー「ぶー、どうしようもないじゃん!」
明華「まあまあ。忍耐ですよ」
ダヴァン「センリの道も一歩カラ。地道にいきまショウ」
ネリーを慰める面々も見慣れたものだ。
咲に迷惑をかけた点であれほどきつく当たった明華も、このときばかりは同情的だった。
ハオ「でも今日は一つ手がかりがあったね」
ネリー「打ち方の事?」
ハオ「うん。あれは何かあると思うな」
明華とダヴァンも頷く。
ネリー「んー、打ち方か」
意識して打ち方を変えてしまうほどの相手となれば、相当な実力者だ。
それも変えたのは咲である。
臨海に入学してネリーや智葉たちの影響は受けたとはいえ、今まで咲は基本的に中学時代の打ち方を崩す事はなかった。
その咲が、特定の打ち筋を警戒するほどの相手。
明華「私たちではない……とすると」
ダヴァン「世界ジュニア、もしくは日本のプロクラスといったところ……デスか?」
対象が多すぎた。日本のプロでさえまだ来日して日が浅いネリーは網羅できていない。
とはいえ、意見が合っているところもある。それは、自分たちを意識して打ち方を変えたのではないという事。
ネリー「サキ……なんだかネリーたちと打ってても上のそらだった」
明華「……そうですね。無視されるのはやはり、気持ちよいものではありません」
顔を突き合わせているのに。咲の瞳は他の誰かを映していた。
むしゃくしゃする。
ハオ「でも正直意外だな」
ダヴァン「意外?」
ハオ「ネリーの事。こう言っちゃ何だけど、お金の絡まないとこでこう熱くなると思わなかった」
期せずして自分の話題になり、反応が遅れる。
咎めるように明華が顔をしかめた。
明華「ハオ、その言い方は……」
ハオ「わかってます。でも私としては別に、悪口のつもりじゃないんだ」
ハオ「日本人は……特に同年代のやつは良い顔しないけどさ。私たち中国人からしたら、お金稼ぎを目的にするのは何も後ろめたい事じゃないし」
ハオ「それはともかく、ネリーは目的以外のものは必要以上に追わないクレバーなタイプだと思ってたんだよ」
ネリー「まあね! だいたい合ってるよ」
ハオ「そう。こうやってさらりと認めて、建て前を気にしないし」
ハオ「だから、宮永さんに執着するのはよっぽどなんだなって」
ハオの言いたい事がわかってか、既に表情を和らげている明華。
一方のネリーも、怒りは微塵もない。よくみているなと感心したくらいだ。
そして咲を特別視しているのも、当たっている。
ネリー「サキとは……何も求めないでいられるから」
咲が入学して間もない頃。ネリーは日本の気候にまだ少し馴染めず、夜風に当たりすぎて体調を崩した事がある。
国許とは違う勝手に療養にも苦心して、つい薬や器具を探すのにどたばたと騒がしくしてしまったのだ。
当然、日頃騒音に悩まされていた咲が文句を言いに来たのだが。
ネリー「サキって根がお人好しだから、具合が悪いネリーをみて慌てちゃって」
ネリー「あの頃はまだ刺々しかったんだけど……一人しかいないなら看病するって聞かなかったんだよね」
今の押しの弱い咲からは想像しにくいが強引に上がり込んで、あれこれと世話を焼いていった。
当時の咲は周囲に壁を作っていてつんけんした態度が目立つ存在だったのだが、ネリーの目が届いてないと思っているところでは素に戻り、あたふたとしていたのだ。
ネリー「熱で意識が朦朧としてたからわからないと油断してか、気弱そうに心配してたな。……ばっちりみてたけどね」
ネリー「んでそのときに思ったんだ。お金の絡まないところでネリーを気にかけてくれる人って久しぶりだなって」
日本に来てから、お金に絡まない、仕事ではない感情を持つ事は滅多になかった。誹謗中傷のようなものを除いて、持たれる事も遠ざかっていたと言っていい。
そして、日本に来る前、麻雀で身を立てようと決意してからも、目に入るのは落とし落とされる相手ばかりで、個人として付き合おうと考える余地は残されていなかった。
ビジネスライクな関係や競争する関係に、あまりに毒されていたのかもしれない。
咲のささやかな優しさに触れて、ふとネリーはその事に気づいたのだ。
ネリー「それにサキって案外可愛いと思ったんだよね。今はもう普通に可愛いけど、前はもっとつんつんしててギャップがあったっていうか」
ネリー「あと……サキは私に何も求めてない。歓心を得ようだとか取り入ろうだとかそんな気持ちはこれっぽっちもなくて、無理して好かれようとも思ってない」
ネリー「私も……私も、お金をもらったり、技術を盗み合ったりするんじゃなくて……ただ隣にいて、笑いかけてくれるサキが好きなんだってわかったから……」
ぽつり、ぽつりと咲と打ち解けた思いでを話す。
そうするとネリーの心は自然と穏やかに凪いで、温かな気持ちに包まれる。
静かに聞いている面々も、微笑ましいものを感じたのか、薄く笑っている。
明華「だから……ネリーにとっても、咲さんは特別なんですね」
ネリー「ネリーにも?」
明華「咲さんにとっても……という事です。恐らくですが」
ネリーにはいまいち分かりにくい話だった。
明華が続ける。
明華「以前の刺々しかった咲さんの事を、私は危うく思っていました」
明華「嵐へと変わる風のような……近づくものをみな傷つけてしまいそうな雰囲気を持つ彼女が、恐くて仕方なかった」
明華「今の彼女は大切なものを優しく包み込み、向けるべき相手にだけ刃を向ける騎士……」
明華「きっとネリーと触れ合う事でかつて抱いていた感情を取り戻したんだと思います」
明華「だから……ネリーにとっての特別が咲さんであるように、咲さんにとっての特別も」
ダヴァン「マア、そういうコトでショウネ」
ダヴァン「ミョンファみたく難しいコトはわかりマセンが」
ダヴァン「サキとネリーのハートは熱いタイズで結ばれてイル……そのコトはみてたらわかりマスヨ」
ダヴァン「まったくお熱いデス。朝の通学だけでもサキを貸してくれマセンカ?」
ネリー「お前はどこまでいっても変わらないね……」
だけど、萎みかけていた気力は取り戻せた。
心の中で三人に深く感謝する。
ネリー「うん! 決めた!」
ネリー「サキを絶対振り向かせてみせるんだから! 百回振り向かすっ!」
心に強く、強く念じて。
気力をくれた三人に背を向けて、ネリーは勇ましく握り拳を掲げた。