臨海咲SS置き場   作:タコピー

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高校編十四話

 ふわふわと意識がおぼつかない。緩やかな酩酊。考えを妨げるもやが頭を覆っている。少し時間を置いてそれを振り払い、のろのろと意識を起こす。既に開いていた薄目を擦りつつ外に意識を向けると、誰かに覗き込まれているのに気づく。

 

 見知った顔。ネリーだ。

 

 咲は瞠目し、ネリーの肩を軽く押すようにして突き飛ばした。

 

ネリー「わっ……サキ?」

 

咲「あ、ごっ、ごめん」

 

 ネリーの表情にみるみる困惑が浮かぶ。慌てて謝る。咄嗟の事とはいえ、ひどい事をしてしまった。

 

 気まずさに視線を逸らし周囲に流すと、臨海の面々、団体戦のメンバーと智葉もこちらを見ていた。

 

智葉「居眠りは感心しないな。気をつけてくれ」

 

咲「すっ、すみません……」

 

 どうやら自分は寝てしまっていたらしい。いや、推論づけるまでもなく、意識を取り戻すより以前の記憶を遡れば事実は火を見るより明らかだ。

 

 叱咤が飛び、咲は平謝りするしかなかった。それがたしなめる程度に留まっていたのは、辛うじてお目零ししてくれているに違いなかった。

 

 壇上で行われる抽選は佳境に達し、対戦表の空欄も大分と少なくなっている。壇上の奥に設えた巨大なディスプレイ。そこに映るトーナメント表には、各校の生徒が整然と設けられた座席から視線を注ぎ、話題の的になっていた。

 

 咲ら臨海の生徒とて例外ではなく、先ほどから主に日本人の生徒たちが言葉を交わす。囁き合うようにして話すのは、泰然と対戦表を眺める留学生に気を遣っての事か。

 

 そうだ。彼女たちの目の前でもあった。

 

 年輩を含む多くの部員から『代表』の席を預かる以上、情けない顔を見せるべきではない。咲は中学からそうしてきたように気を引き締め直す。

 

 気になっていた臨海と白糸台は既に割り振られたようだ。

 

 共にシード。違うブロック。決勝まで勝ち上がらなければ、両者に対決の芽はない。

 

 恐らく、自分はそれを確認して気が抜けたのだろう。長い道のり。決勝までの時間を想い、張り詰めた糸を解いてしまった。

 

 思わず息を吐く。

 

明華「どうしました? 顔色が優れないようですが……」

 

咲「あ……あはは、

寝起きだからなのかな。えっと、体調が悪いわけじゃないんです」

 

 我ながら下手なごまかしだ。そう思いながら、じいっと視線を投げてくる明華に冷や汗を垂らす。笑みがひきつりそうになる。

 

明華「気のせいならばいいのですけど。咲さんは平気で無理をしそうだから心配です」

 

咲「平気でって……そんなにやせ我慢できるほど打たれ強くないですよ私」

 

 顔に出しているつもりはなかった。そして明華に言い返した言葉は本心から口にしているつもりだった。

 

明華「うーん安心できませんね。他ならぬ咲さんの事ですから」

 

 意味がわからない。

 

 いとおしい何かを見つめるように目を細めた明華。その視線が、ゆっくりと通り抜けていくのを感じながら困惑する。

 

 返事を避けてふらりと視線を移す。

 

 壇上では他校の代表がくじを引いていた。残り一校だ。見なくても対戦表がどうなるかは決まっている。

 

 けれど一瞥して視線を切っては逃げ場所がなくなってしまうから、咲はさして興味のない光景に視線を留め続けた。

 

ダヴァン「準決勝で千里山と当たりそうデスね」

 

 ふと、静かに眺めていた留学生たちの方から声が届く。

 

ネリー「そこって強いの?」

 

智葉「はあ、研究しろといったのに調べなかったな?」

 

ネリー「うっ」

 

智葉「……全国に出場すること三十五回。激戦区の北大阪を十一年連続で勝ち抜いてきている。

去年のインターハイで四位、全国ランキングは二位。全国区の名門といっていい」

 

 朗々とした智葉の説明が続く。

 

 二校とも名のしれた強豪だが、ネリーは知らなかったようだ。不勉強を叱られ小さくなっていたが、教えられるうちに強豪と理解したのか、不敵に笑って戦意を燃やす。

 

 喉元に牙を当てられるかのような威圧。日ごろ顔を合わせ、打ち慣れた咲ですらぞっとする獰猛な笑み。

 

智葉「だが、その前に二回戦、

北部九州最強の呼び声高い新道寺女子……まず上がってくる」

 

明華「新道寺ですか。映像を見ましたが、得体のしれない選手がいました」

 

智葉「油断は禁物だな。全国は思いもよらないところから強敵が出てくる」

 

 しかし会話が途切れる事はない。多くの面で高校離れした印象を与える顔ぶれ、ジュニアの世界レベルが集うこの場でそれは何ら不思議はなかった。

 

 そして。

 

 部の面々が他校の話題に花を咲かせる中、咲もまた脳裏に他校の生徒を思い描く。

 

 先ほど再会した原村和だ。長野代表校のレギュラーだと聞いている。

 

 長野出身。という事は。もしかすると。

 

 ずぷりと嫌な感覚が背に流れ落ちる。咲にとって長野は、特別な意味を持っていた。生まれ故郷、家族の思い出が根づく地、そして。

 

 感情が荒れ、思考が乱れる。どうしよう。

 

 冷静になり一息つく。肺の奥から搾り出すような吐息。その余韻に浸る間もなく。頭の中で幾つかの計算を巡らし、会場の全体の様子をちらりと窺ってから、智葉に話しかける。

 

咲「あ、あの、先輩。

おトイ……お手洗いにいってきてもいいですか」

 

智葉「何?」

 

 会話を中断して振り向いた智葉が聞き返す。

 

咲「だから、その……お手洗いに」

 

 恥ずかしい。授業中に尿意を申告する心持ちで、頬に熱が集まっていく。

 

 「だめですか?」と問いかけるも、智葉は眉を寄せていた。やはり抽選が終わるこのタイミングは問題があったか。

 

 内心逸る気持ちを抑えつつ、返答を待つ。

 

 まもなくして智葉が口を開く。

 

智葉「わかった。抽選はもう終わってしまうから会場を出たすぐ傍で待っていよう」

 

 よかった。半ば諦めかけたところに許可が降り、思わず表情が和らぐ。しかし間髪入れず条件がつけられる。

 

智葉「ただし、一人じゃなく誰か連れてだ。迷子になられたら困るからな」

 

 ぐうの音も出ない話だった。ついさっき迷子になっていた身だ。「誰か選べ」との指示に大人しく従い、候補となるメンバーを見繕う。

 

咲「じゃあ……明華さん、お願いします」

 

 数秒ほど逡巡して、咲は一人を選ぶ。

 

明華「おや。意外ですね。はいはい、承りますよ」

 

 朗らかな明華を連れ会場を後にする。

 

 座席から離れる直前、複雑そうに顔をしかめるネリーが目に入ったが、咲の視線はその姿を素通りした。

 

 見えていなかったかのように。

 

 

 

 インハイ会場内のトイレはそこらの公衆のそれと比較すると清潔な以外、特筆する事はなかった。咲は周囲を一瞥すると、すぐ個室の扉を開く。

 

 用は足さない。元々そのつもりだった。蓋を下ろした便座に腰かけ、適当な時間を潰してから、退出し合流しようとする。

 

 しかし、洗面所の姿見の前でぱたりと足が止まる。 

 

 私は何をやってるんだろう。

 

 今さらすぎる疑問がのどを突く。考えるまでもない。思い立って抽選会を抜けだし、こうしてここに立っている。

 

 部の引率に苦労する智葉に真っ赤な嘘をついて。親切から同道してくれた明華を欺いて。

 

 おめおめと。

 

 惨めな少女の姿が鏡に映っていた。肌が総毛立つほどの恐怖が込み上げる。

 

 自分だとわかっている。それでも、改める事ができない自分に、咲は目に見えない重圧に屈したように小さな肩を震わせた。

 

 

 

咲「ごめんなさい、お待たせしましたっ」

 

 洗った手をハンカチで拭きつつ急ぎ足で駆け寄る。明華の姿は出口からやや離れた場所にあり、見知らぬ誰かと対面していた。

 

明華「ああ咲さん、おかえりなさい」

 

 まず一人、柔和な笑みが出迎える。

 

「へー……待ってたのってあの子?」

 

 そして、見慣れない女の子。

 

咲「っ……」

 

 その姿をみて咲は息を呑む。

 

 同年代の少女。すらりとした肢体を包む制服に、ふんわりとウェーブのかかった金色の髪。その中心に整ったパーツで形作られた小ぶりの顔がある。

 

 絵本に登場するお姫様のような面立ち。同性である咲の目からみても、綺麗な少女だった。

 

「そこの人、サキ……宮永咲でしょ?」

 

咲「えっ? そ、そうですけど……」

 

淡「私は大星淡。ということで」

 

淡「いくよっ!」

 

 名乗りながらつかつかと歩み寄ってきた少女、大星淡にむんずと腕を掴まれ引っ張られた。

 

 目の前で対面したかと思うといきなりだ。力任せにぐいっと自分の側に引き寄せてくる。

 

咲「は、…………え? え?」

 

 突然の事に色を失い、一歩二歩となし崩しに手を引かれて歩く。

 

 一体何者なのか。

 

 そこまでして急激に現状が飲み込めて、振り払おうと腕を動かす。だが、僅かに淡の身体を揺らがせただけで振り払えない。引っ張られたままだ。

 

咲「ちょっ、とおお……」

 

 膂力に差があるのか。嫌がる子犬を扱うような力関係。無論子犬の側にされたのは咲だ。

 

 咲は貧弱な自分にちょっぴり危機感を持った。

 

 そこで、無理矢理に繋がれた淡と咲の手にもうひとつ上から手が重なる。

 

明華「こういう事をされると困ります」

 

 明華の赤みがかった茶色の瞳が刺すように見据える。

 

 口調はやんわりとしたものだったが、常にない棘が込められている。咲にはそう感じられた。

 

淡「え、あれっ、動かない」

 

 明華の手に加えられた力と拮抗したのか、その場から歩かされる事はない。事態を把握した淡が「えいっ、えいっ」と勢いをつけて引っ張っても、動かないようだ。

 

淡「ちょっと邪魔しないでよ」

 

明華「そう言われても。連れていくなとしか言えません」

 

 目に見えて機嫌を損ねて睨む淡に、明華は掣肘を加え、光る目に力を込めて見返した。

 

咲「あ……明華さん、ありがとうございます」

 

明華「いえいえ。お知り合いではないんですよね?」

 

 確認するような問いにこくこくと頷く。すると安心したように微笑みを返される。万一にも邪魔者だった可能性を考慮したのだろうか。律儀な人だった。

 

淡「むうっ」

 

咲「あの、その制服……白糸台の人ですか?」

 

淡「あ、わかるんだ。やっぱり?」

 

 風船のように頬を膨らましいかにも不満そうな顔つきの淡に向き直り、恐る恐る尋ねてみると、なぜか淡は顔を綻ばせる。嫌な予感がした。

 

淡「まあテルと同じ学校だからね。手間が省けるよ」

 

咲「っ……!?」

 

 何気なくそれを口にされた瞬間、意識に空隙が生まれ、ぽかんとした咲の肌が一瞬のちに粟立つ。

 

 驚きを隠せなかった。瞳が揺れているのがわかる。鼓動が速くなっているのが自覚できる。

 

 予想はしていたのに、頭が真っ白になった。

 

淡「ふうん、その様子じゃ関係ないって訳じゃなさそうだね。わかってたけど。ねっ、それより打とうよ!」

 

 淡の声は弾んでいた。宝物を見つけた子どものように目を輝かせ、無邪気に喜ぶ。

 

 半ば忘我の彼方に飛んでいた咲にも悪意がないのは何となく感じとれて、冷静に事を見る働きを促した。

 

 名前を出されただけだ。ただ『テル』と呼んだ。それだけ。

 

 どういう関係かと疑問を呈された訳でもなければ、血縁かと勘ぐる記者ほど直截的でもない。

 

明華「出場選手同士の対局は禁じられていますよ」

 

淡「あー、うん。そうだっけ」

 

 指摘にあっけらかんと淡が言葉を返す。

 

淡「ぶー。けどまあ、しょうがないっか。打てるときは打ってよね」

 

咲「え……?」

 

淡「なにその『え』は?」

 

咲「あ、……えっとその」

 

 言い淀む。『そんな規則なんて知った事じゃない。打て』くらいは言いそうな印象だったとは口にしづらかった。

 

 少し意外に思う。同年代にしては幼い印象が先に立ち、その内面まで同じものとばかり考えていたが、それは咲の思い込みだった。

 

 これでは咲が失礼だ。申し訳ない気持ちになり、かといってはっきりと謝る決心もつかず、俯きがちに視線を逸らす。

 

明華「……強引に付き合わせる気がないのなら聞かなかった事にします。咲さん、そろそろいきましょう」

 

咲「あっ……! そ、そうですね、待たせてるんでした」

 

 明華の促しにはっと顔を上げ同意を示す。

 

咲「じゃあ、あの……部の人たちを待たせてるので失礼します」

 

 深くはないが丁寧に頭を下げ、その場をあとにしようとする。

 

 すると。

 

淡「あ、ちょっとだけ待って!」

 

 淡に呼び止められる。どうしたんだろうか。神妙な面つきをした淡に戸惑いつつ受け返す。

 

咲「どうしたんですか?」

 

淡「ごめんね、怒ってる?」

 

 最初意味がわからなかった。しかし、思い当たる節はあって、さらに聞き返した。

 

咲「どうしてですか?」

 

淡「んー、その何となく。テルの話出したとき様子が変だったから……」

 

 心なしかしょんぼりとして話す淡。得心がいった。タブーに触れてしまったと感じたのだろう。

 

咲「そうですか。でも、怒ってないですよ。あっ! 気を遣ってるとかじゃなくて本当に」

 

淡「そっか……よかった!」

 

 一転、安堵したように淡の相好が崩れる。萎れた花が再び咲くかのような笑顔。

 

 咲にとって、淡との会話、それは本当に些細なやりとりだ。

 

 しょっちゅう関係を探られた、中学時代に比べれば。

 

 何て事はない。即断で結論に至る。

 

 インターハイまで臨海への入学を嗅ぎつけられなかった通り、高校に上がってからその類いの状況を運良く避けられていた。

 

 そんな弊害だろう。姉と同じ学校の生徒に名前を出されただけで取り乱してしまった。

 

咲「誤解も解けたようですし、それじゃあ今度こそ。また……機会があれば打ってください」

 

淡「うん、またねー!」

 

 元気よく別れを告げる淡に微笑を返す。淡はそのまま手洗いに向かうようだ。

 

 さて、皆を待たせている。急がなければならない。

 

 明華と共に帰り道をいく。手洗いに始まり、散々待たせてしまった事もあり、咲は頭の上がらない思いで明華と並び歩き始めた。

 

明華「気にやまなくて大丈夫ですよ。気にしていません」

 

 真心のこもった言葉が耳朶を打つ。柔らかな笑み、温かみのある声。優しい響きだった。

 

 抽選会の静かな熱気が嘘のように静まり返った長い廊下に二人分の足音を響かせながら、目を伏せた咲の声が続く。

 

咲「でも……ごめんなさい」

 

 良心の呵責に苛まれぽつりと一言漏らした咲に、明華は困ったような笑みを浮かべる。

 

明華「お手洗いはタイミングが悪かったですが、仕方のない事です。それに先ほどの事でしたら巻き込まれた形で、咲さんに非はありませんよ」

 

 明華の言葉はどこまでも優しかった。でも、それに甘える気持ちにはなれない。

 

 自分は、今こうしている間も明華の厚意を裏切り続けている。

 

 だから、彼女の言葉にうなずく事もできず、咲は無言で歩き続けた。

 

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