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ネリー「ねえねえ、サキはもうきてる?」
正午を過ぎた昼下がり。部室に顔を出したネリーに答えたのは、カップ麺を啜るダヴァンだった。
ダヴァン「サキデスカ? サキなら対局室にいマスヨ」
ネリーは胸を撫で下ろす。
ネリー「そっか。ならいいけど」
どうしたのかと訊いてくるダヴァンを適当にあしらう。徒に時間を費やしたくなかった。
留学生との会話は実になる事も往々にしてあるが。
時に、己の弱みを露呈させてしまう事もある。
チームだろうと関係ない。油断すれば喰い殺される世界。
日本で安穏と麻雀をする連中には浮世離れした話だろうが、それがネリーの生きてきた現実だった。
ネリー「……ねえ、メグ」
ダヴァン「ング。どうしたんデスカ?」
ネリー「サキのことどう思う?」
ダヴァン「ン……」
しかし、そんな話題を振ったのはどういった心境からだったか。
ダヴァンは口内で咀嚼したカップ麺を嚥下すると、
ダヴァン「べらぼうに麻雀強いデス」
簡潔に答えた。
ネリー「そんなのみればわかるよ」
麻雀が強い。それは、咲と相対した雀士の多くが感じるだろう。
卓越したセンス。それを裏打ちする純粋な技術。両方を兼ね備える咲は、高校一年生にして世界ジュニアに通用する域に達している。
息を落としながら落胆したように返すネリー。しかし、続く意見に相づちを打った。
ダヴァン「ノーノー。私が一番見てるのは、潜在能力といいマスカ……その成長性デス」
ネリー「成長性……たしかにね」
成長性。そう、成長だ。
咲が入部してきた時、ネリーは今ほどの評価を咲に下さなかった。
入部した当日。留学生たちと卓を囲み、監督の指示で咲を抑え込むように各人が動いてはいたが、ネリーたち留学生は連携をとらなかった。
各人が交互に牽制にかかり、波状攻撃じみたものを咲に仕掛けてはいたものの、それは一斉攻撃ではなかった。
それでもネリーたち世界ジュニアレベルの選手相手に一進一退の攻防を演じ、わずかに一人沈む程度に済ませた咲を警戒しなかった訳ではない。
しかし。
ダヴァン「尋常じゃない速度でサキは成長してマス。今となっては……私が奥の手を出しても、いや」
ネリー「サトハすら喰いかねないかもね。ほんと、シャレにならないよ」
そう。入部当日は留学生たちが奥の手は出さず、恐らくは咲は全力を出してあの結果だった。
だが今は、留学生たちが奥の手を出さない、その前提を覆しても勝負の行方はわからない。そんな状況になりつつある。
ネリー「ネリーたちと打ってることがそれだけサキの成長を促してる?」
ダヴァン「……強い打ち手と打つコトは大きな経験になりマス」
「デスガ」ダヴァンが言葉を継ぐ。
ダヴァン「それだけとも思えナイ。ナニカがある……そんな気がシマス」
それきりダヴァンは閉口した。ネリーも答えを得た訳ではないが、何となくこの件に関してこれ以上議論を重ねても無駄な気がした。
この辺りが潮時か。すっかり長くなってしまった話を打ち切ろうかと思った時、ふとダヴァンがつぶやいた。
ダヴァン「サキは……時々寂しそうに麻雀を打ちマスね」
ネリー「え?」
ネリーの胸がひとつ脈を打った。
ダヴァン「思いマセンカ? 気のせいでショウカ」
ネリー「うーん……そうかな」
否定的に答えたものの、何か胸に引っかかる。そんな感触があった。
『ツモ。嶺上開花』
ーー勝ったとき。
『……私が一位ですね。ありがとうございました』
ーー他の三人を打ち負かし、一位になったとき。
麻雀を打つ最中、凛々しく見える横顔が翳りを帯びる。
いつしかネリーは目を閉じていた。左右に首を振るう。瞼の裏に浮かぶ光景を振り払った。
ダヴァン「ネリー?」
呼びかける声を無視して部室の奥へと進んでいく。そこは咲がいる対局室とは別の方向。
わからない。どうして意識してしまうのか。こんなにも。
弱った時に看病してもらっただけ。それだけで、どうして。
ーーチャリ。
ポケットに入れたものがスカートの中で擦れ合って、軽妙な金属音を立てた。
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日が暮れ、夜のとばりが落ちようとする時分、次々と帰っていく部員を尻目に鞄を持ち上げる。
寄り道をするつもりはない。さっさと帰ろう。
明華「今帰るところですか?」
そう思っていたところに話しかけられる。
ネリー「そうだよ」
努めて親しげに言う。
正直煩わしい。態度にこそ出さないが、明華のように笑顔の裏で何を考えているかわからない、そんな相手と話すのは苦手だった。
明華「よければ忘れ物を届けてくれませんか?」
ネリー「忘れもの?」
みれば明華は肩から二つ鞄を提げている。誰のものだろう。
明華「咲さんのものです」
ネリー「え?」
明華「確かアパートで隣部屋でしたよね?」
ネリー「ああ……うん」
歯切れ悪く返す。なんだろう。大した手間じゃないし、即答で引き受けたっていいはずだ。
なのに。どうして気が乗らないんだろう。
明華「咲さんの対応が気になりますか?」
ネリー「……対応?」
明華が思案げに眉を寄せる。
明華「いえ気のせいかもしれませんけど……最近になってネリーにきつく当たっている気がして」
え、と声が漏れる。
困惑し何も言えずにいると。明華は眉を寄せたまま、話を続けた。
明華「最初は親しげにしていたと思うんですけど。咲さんが刺々しくなっているというか」
明華「言い方は悪いですが智葉に対するそれに近くなったような……」
考える。明華の言葉は憶測だ。けれど、いざ振り返ってみると無視できない符合がある。
咲『それで……何の用?』
咲『そんなの……知らない』
誰に対しても最初からよそよそしい感じではあったが、こんなに拒絶するような空気を前面に出していたか。
咲『あの……私こういうの慣れてないから、あんまり……』
咲『ネリーちゃんが学校にいくときとか、麻雀部の部室にいくときとか、できたら一緒にいてほしいの』
はっとする。そういえば……付き添いを頼まれる事が最近めっきりなくなっていた。
わずかな間の事だったから気にとめなかったし、別の人に頼んだんだと軽く受け止めていたけれど。
考えてみれば、これは明確なサインだったのではないか。
瞬く間に焦燥が募る。
ネリー「ミョンファそれ貸して!」
明華「えっ」
ひったくるように明華から鞄を掴みとると、ネリーは猛然と家路を急ぐ。
部室を飛びだし、校門を抜け、通学路を疾走して。
学校にほど近いアパートに到着し、エレベーターを待ちきれず階段を駆け上っていく。
三階。一直線の通路に等間隔に配置された扉、見慣れつつある自室の扉、今はその手前に。
インターホンを鳴らすのを忘れ、うっかりノブに手をかけてーー開く。鍵がかかっていない!
一瞬の迷い。瞬時に決断して扉を開く。その先には、
ネリー「サキっ!?」
フローリングに倒れ伏した咲の姿。すかさず飛び込む。
倒れ伏す咲に駆け寄ろうとして、ネリーは玄関の段差に足をひっかけた。
「うわああっ」倒れ込むと同時に二つの鞄が手からすっぽ抜ける。ぎっしり詰まっていたからだろう、咲の鞄の中身が滑り落ち、散乱していく。
倒れ込む刹那、見えたその中身は大量の紙束ーー牌譜だった。
ネリー「サ、キ……っ」
玄関口の傍で倒れる咲の元に慌ててにじり寄り、額に手を当てる。高温。猛烈な熱が伝わってくる。
咲「あ……っ」
意識はあったらしい。呻き声を上げた咲は駆けつけたネリーに目もくれず、震える手を伸ばすと、
咲「あ……った、……姉……ちゃんのはい、ふ……っ」
青息吐息で散乱した牌譜を掴もうとする。その姿にネリーはかちんときた。
ネリー「バカァァァァっ!!」
大喝。あまりに自身を省みない言動にネリーは感情を爆発させる。
咲「う、……あ……っ」
大音声を間近で叩きつけられた咲がふらつく。しまった。酩酊した咲を抱きとめ、素早く辺りを見回す。
まずはソファーまで運ぼう。
体格に差のある相手。咲が華奢とはいえ、ネリーには一先ずそれが精一杯だ。
できるだけ引きずらないように咲を運ぶと、寝室から掛け布団をひっぱりだしてきてかける。咲の手にある鞄から出てきた牌譜は取り上げて、リビング中央の丸テーブルに置いた。
咲「う、あ……うう……っ」
ネリー「サキ……」
横になった咲が熱に浮かされて呻くのを目に、ネリーは力なく呼びかける。
どうみても風邪だ。そして、原因はやっぱりーー。
ネリー『サキ、なんか顔赤くない?』
咲『またからかってるの? はいはい、またあとでね』
ネリー「看病して……自分が風邪になるなんて」
ネリー「バカっ、サキの間抜け……!」
埒のない事をぼやきつつ、どうするか考える。まずは風邪薬。常備薬を探すより、買ってきた方が早いだろう。後は……。
ネリー「病人食なんてつくれないよ……」
コンビニかどこかでレトルト食品。それくらいしか思いつかない。
ネリー「よしっ……」
頭の中で必要なものを整理し、すっくと立ち上がる。
ネリー「……サキ。いってくるからね」
聞こえているとも思えなかったが、何となく一声かけて部屋をあとにする。
ふと。背後から視線にさらされたような感覚に陥る。気のせいだろう。ネリーはアパートの部屋を飛び出した。