臨海咲SS置き場   作:タコピー

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高校編二十五話

 

 彼女と出会ったのは、咲が初めて公式戦に出場した年、一年目のインターミドルでのこと。全国大会に進出した咲の中学は準々決勝で洋榎の所属する大阪の強豪とぶつかり、勝敗を争った。

 

 そのとき以来だ。洋榎が咲を疎み、咲が洋榎を避けるようになったのは。

 

洋榎「まあ……出てこんとは思ってなかった。臨海か。意外な選択やけど、強さからしたら妥当かもな」

 

 ぴりぴりとした空気が流れる中、会場の壁にもたれかかった洋榎が腕を組みつつ話しかけてくる。

 

 横目に咲の姿をとらえるその瞳はやはり友好的なものにはほど遠い。咲は固唾を飲み、口を開く。

 

咲「愛宕さんは姫松高校でしたね」

 

洋榎「知っとったんか」

 

咲「……研究しましたから」

 

 そうかと一言、相づちを打たれる。大して興味なさそうだ。その後、互いに沈黙した。驚くほど言葉が浮かんでこない。

 

洋榎「……それにしても驚いたわ。こんなところで鉢合わすとは」

 

咲「……あっ」

 

 失念していた。咲は今、試合の最中にも拘わらず抜け出してここにいるのだった。

 

 洋榎の視線が無遠慮にねめつける。まだ試合中じゃなかったのか。そう言われている気がした。

 

 次鋒戦が始まり、出番が終わったからといって看過される話じゃない。返答に窮した咲の身が竦む。しかし、洋榎からの追及はなかった。

 

洋榎「……そろそろ戻るわ。手洗い言って出てきたとこやしな」

 

 あまり長居して勘違いされたら敵わない、と洋榎は茶化すように言うと踵を返し奥の方へと去っていく。やがて姿が見えなくなり、咲は人心地つく。

 

咲「見逃してくれた……のかな」

 

 出番を終え勝手に歩き回っているのを突き出すというのも何だが、一言厳しく叱咤されてもおかしくない状況だ。

 

咲「……」

 

 それとも。わざわざ叱咤するのも煩わしい、そこまで関わり合いになりたくない、ということだろうか。

 

 遠くから残響が聞こえる。今も何処かで賑わっているのだろう、一瞬大きく沸き上がった歓声が耳朶を打つ。

 

咲「……やっぱり戻ろう。こんなことしてちゃ、いけない」

 

 思い浮かぶのは臨海の人々の姿。団体戦のメンバー、レギュラー争いからは遠かった日本人の部員、そしてーー智葉。

 

 考えたことをつぶやき自身を戒めると、咲は来た道を引き返しざわめきの反響する廊下を黙々と歩き始めた。

 

 

 

 

 

「おかえり。無事に戻ってこられたようでよかった」

 

 控え室に帰った咲にかけられた第一声は、監督のものだった。扉を開きざま中にいた監督含む臨海のメンバーから視線の砲火を浴び、怯んだ咲は恐々と見つめ返す。

 

ネリー「サキ、おかえりっ」

 

明華「おかえりなさい」

 

ダヴァン「迷わなかったようで安心しまシタ」

 

 次々と投げかけられる言葉。ハオがいないのは、次鋒戦に向かったからだろう。控え室に据え置かれたモニターの向こうで闘牌するハオの姿が物語っている。

 

咲「あの……」

 

アレクサンドラ「咲、貴女の行動はあまり感心しない」

 

咲「……すみません。勝手なことをして」

 

 腰を深く折り、慇懃に頭を下げる。 弁明などはせず粛々と監督の沙汰を待った。叱責は当然のものだ。対局中と対局後、二重の意味で。

 

アレクサンドラ「監督としてもの申したいことはあるけど」

 

アレクサンドラ「先鋒の役割を貴女は申し分なく果たした。……今日だけは私個人としても目を瞑る」

 

 ほぞを噛む。その言い回しは、つまり、監督に何らかの働きかけがあったのだろう。何より叱咤にしては軽すぎる。それが、本来あってはならないのだということは鈍くともわかる事実だった。

 

 忸怩たる思いに駆られながらそれでも咲にできることは、すみませんと頭を下げ続けることだった。

 

 やがて、監督からお咎めはお終いと伝えられ皆が観戦を続けるソファーに通される。そこに加わった咲にとって意外だったのは、皆観戦か雑談に興じ、先ほど異質な姿をみせたはずの咲に何ら猜疑や困惑の目を向けないこと。普通に接し、まるで普段の対局を終えた風な皆に咲の方が逆に戸惑う。

 

 モニターの向こうのハオは一方で危なげなく戦局を進めていた。隙のない打ち回し。普段通りの姿に何となく咲が見入っていると、

 

ダヴァン「サキ、体調はダイジョウブ?」

 

 席を立ち咲の隣にまで回り込んできたダヴァンに話しかけられる。

 

咲「え……っと。体調は……問題ないです」

 

ダヴァン「フム。ああ、先ほど見慣れないコトをしてたので気になりまシテ」

 

咲「あ……気づいては、いたんですよね」

 

 やっぱり、という言葉を飲み込んで伏し目がちにダヴァンを見上げる。

 

ダヴァン「ソレは、まあ……気づかないワケにはいきまセン。あれだけ特殊な打ち方をすレバ」

 

 喋るダヴァンの視線がふらふらとさ迷う。直に話してみれば、多少の困惑はあるのだろう。想像に近い反応が得られたことで咲の頭にも徐々に理解が広がる。

 

咲「あの、私……」

 

 切り出して、すぐに言い淀む。可能なだけ伝えられる何かを話そうとするも見当がつかなかった。一方のダヴァンが機先を制す。

 

ダヴァン「サキ、私は体調に問題がないと知れただけで満足でスヨ」

 

 落ち着いた様子で告げられる。

 

ダヴァン「ウチは、留学生が集まってできたチームでス。元々全てを話すような間柄ではありまセン」

 

ダヴァン「私も皆に話していないコトありマス。だから……それでいいんデス」

 

咲「……」

 

 たしなめるような言葉にぽかんとし口を噤む。

 

 ダヴァンの話す理屈はすんなりと頭に入った。普通の学校の、普通の部活仲間ならば、信頼に瑕が入るような隠し事。しかしここでは違う。

 

 臨海女子。ここに在籍するレギュラーの過半数は留学生。そして近い将来、世界を舞台に鎬を削り合う関係。

 

 憎からずとも手の内や胸中の丈を隠すのはこの中にあって常識の範囲。とりわけて追及される謂れもない。

 

 そんな考えが浸透したチームであることを咲はどこかで失念していた。

 

 プロを目指す日本の高校生雀士の多くとは事情が異なる。留学生であり、世界ランカーでもある彼女らは、麻雀生命を賭すし烈な争いにいち早く身を投じている。

 

 同じチームにありながら根本から違う存在。今になって、実感がわいてくる。その事実を咲は静かに噛みしめた。

 

ダヴァン「といっても、マア……」

 

 だが、前言を翻すような脈絡で切り返すダヴァンに目を向けると。

 

ネリー「じー」

 

 いつのまにか、穴が開きそうなほどじっくりとネリーにみられていた。

 

咲「ネリーちゃん……?」

 

 恐る恐る呼びかける。するとネリーは「……うん! サキだね!」と何かに納得してサキの隣にぽすんと座った。

 

咲「……あの」

 

ネリー「んー?」

 

 モニターの方に視線を流しながらネリーが話す。自然体。前半戦と後半戦、その合間に話した時と同様だった。

 

 異変には気づいていながら聞き出そうとしない、咲にとってありがたくも都合の良い対応。

 

咲「な、何でもない」

 

 あえて藪をつつく気にはなれなかった。何がしたいのか。自分でもよくわからない。一体、どうしたいのだろう。咲は平静を取り繕いながら思い悩む。

 

 情けないなと思った。つい数日前も見知らぬ人が相談に乗ってくれたのに、今の自分は少しも応えられていない。

 

 ただ、目まぐるしく思考が空転する中でもわかることは、ネリーがーー。

 

ネリー「あれ?」

 

 思案に耽る咲をはた目にネリーが不思議そうな声を上げた。突如現実に引き戻され、咲は顔を上げる。そして、不自然な方に向いたネリーの視線を追う。

 

咲「あ……」

 

 その先にあったのは、つい先日シンプルな外装の装飾に御守りを増やした咲の鞄だ。

 

ネリー「こんなお守りつけてた?」

 

咲「この前……神社で買ったの。一回戦で手持ちぶさただったとき」

 

ネリー「へー。何のゴリヤクあるの?」

 

咲「えっと……わからない」

 

ネリー「へ?」

 

 あっけにとられた声。そんなに意表を突かれたのか、若干大きな声が出てしまい、モニターを眺めていた明華も目を向ける。

 

明華「何かありました?」

 

ネリー「あー、ついうっかり。大したことじゃないよ」

 

 邪魔してごめんと手を合わせるネリー。

 

明華「そうですか?」

 

 言いつつ、明華も席を立ちダヴァンやネリー、咲が座るソファーに移動する。

 

 モニターに向けてU字に配置されたソファーに、気づけば四人が一列になって腰かけていた。

 

アレクサンドラ「貴女たち……仲がいいわね」

 

 監督も苦笑ぎみだ。

 

ダヴァン「サトハと、今戦ってるハオが揃えば完璧デス」

 

ネリー「サトハもこっちにきたらいいのに!」

 

明華「自分に厳しい人ですから。観戦席で見守ってますきっと」

 

 智葉とハオを入れて六人。臨海の控え室はなごやかな雰囲気に包まれていた。

 

 メンバーの言葉に監督は微笑を浮かべるとすらりとした足を組み替え、どことなく満足そうな様子。その中にあって咲は、奇妙な安心感を覚えた。

 

 心配は杞憂だったのかもしれない。考えすぎて、思い込みが強くなって、ありもしないものを怖がっていた。本当はそうなのかもしれない。

 

 あの日、話を聞いてくれた二人の顔が古いフィルムを何度も巻き直すようにぐるぐると頭の中に映し出される。

 

 あそこにいってみよう。いないだろうけど、もしかしたら……また会えるかもしれない。

 

 時折振ってくるネリーや明華、ダヴァンの話に受け答え、次鋒戦を戦うハオの雄姿を観戦しながら、咲はこの後の予定の算段を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 中天に昇った太陽が西へと傾き始める頃。

 

 咲は渋谷の街をさ迷っていた。

 

咲「ま、迷った……」

 

 炎天下の道路は熱した鉄板めいて暑い。

 

 咲が生まれ持った悪癖は人ごみに溢れる大通りを即席の迷宮に変え、行く手を惑わせる。

 

 何度も訪れ、幾度もその足で歩いた渋谷で迷うことはないんじゃないかと咲は盲信したが、そんなことはなかったようだ。

 

 百面ダイスを振って判定を行うテーブルゲームでもこの状況でまさかそんな目が、という風な事態が起こるように咲のそれも稀にファンブルを招いてしまうのだった。

 

咲「こっちにいったらああなって、あっちにいくとそうなるから……」

 

咲「向こうが南だからそっちが西で……」

 

咲「ああっ、わかった!」

 

 入り口から始まり、最終的にスクランブル交差点のど真ん中で思案すること三分。

 

 宇宙からやってきた光の巨人の大半が帰ってしまう頃、咲は天啓を得た。

 

咲「そうそう、こっちに……」 

 

 雷で打たれるような閃きのまま突き進むと明治通りに出た。

 

咲「ここじゃない……」

 

 目的地とは違ったのでメトロプラザの前の歩道橋を渡って明治通りを越え、宮下公園のそばを通って宮益坂を登りーー円山町へと抜ける。

 

咲「…………円山町?」

 

 円山町。 円山は江戸時代から大山街道の宿場町として栄えていた。円山町が花街となったのは、1887(明治20)年頃、義太夫流しをなりわいにしていた人が、弘法湯の前で宝屋という芸者屋を開業したのが始まり。

 

 渋谷駅の西側、道玄坂上の北側に位置する。東は道玄坂、南は南平台町、西は神泉町、北は松涛に接する。ラブホテル街としても知られる。

 

咲「あわわわわ」

 

 急いで立ち戻る。

 

咲「……ええっと」

 

 すると咲は坂の上にいた。

 

 見覚えがある。ここは坂のちょうど中腹辺りの景色で、このまま登っていけば。

 

咲「や、やった……っ」

 

 あの日も通った道だ。忘れるはずがない。

 

 あのときは目的地があって、けれどいざ向かう段になると踏ん切りがつかなくて、人目を避けたくて閑散とした通りを選んだのだった。

 

 勢揃坂。1964年の東京オリンピックに合わせて整備された外苑西通りが並走していることもあり、今は交通量の少ない裏通り。

 

 この坂の上にはとある祭祀施設が存在する。

 

 数日前にも咲が訪れた、緑の多い静けさの似合う神社だ。

 

(観戦をしないでこっちに来ちゃったけど……許可は出た。準決勝で当たる相手の映像は夜に皆で見ることになってるし、いいのかな)

 

 大会期間中にこうして街を練り歩くのは躊躇いがあったが一日中根を詰めるのも大会中ではよくない。適度に休息するのも必要だと、部員に自由行動を許した監督の指示を思い返す。

 

 臨海は二回戦を勝ち進んだ。一位通過。二位は……新道寺。

 

 一位の臨海と五万点差で通過した彼女らとは準決勝でも当たる事になる。

 

(……気が抜けない。新道寺の先鋒……花田さんには警戒しないと)

 

 坂を登りきった咲は鳥居を潜り、予てからの目的地だったその神社に足を踏み入れる。

 

 街の中にぽっかりと開いた境内。

 

 その中央奥に、純和風の荘厳な社が見えてくるーー。

 

 参道脇にある建物の外廊にぐったりと倒れた人の姿も!

 

咲「きゃああっ!」

 

 のどかな風景に紛れた異物。さながら行き倒れの様相を呈す少女。同年代くらいか。

 

「ん、んぅ……誰じゃ?」

 

咲「あ……」

 

 のっそりと起き上がり、振り返ってきた少女に咲は声を漏らす。ぱちぱちと目をしばたたかせる。その少女は知っている相手だった。

 

 数日前もここで会った、二人のうちの一人。

 

咲「佐々野さん……?」

 

いちご「こんなとこにまでちゃちゃのんを笑いに……って宮永さんか」

 

 すっくと立ってスカートの裾を払いながら返答した少女ーー佐々野いちごは、最初邪険にする風だったが相手がわかると途端に顔を綻ばせた。

 

いちご「宮永さんも来たんか。驚かさんでくれんかのう」

 

咲「驚かさないではこっちの台詞ですよ……」

 

 お互い友人に出会ったかのように気さくなやりとりをしつつ、参道で向かい合う。参道の脇から歩いてきたいちごは手に持った腕時計を弄びながら話す。

 

いちご「そういえばあの人に会ったときも似たような状況なんじゃったか。だったら悪いことをしたのう」

 

咲「いえ、謝るほどのことじゃないですけど……」

 

 どうしてあんな風に建物の端っこで寄りかかるようにして倒れていたかは気になる。聞こうか迷っていると、

 

いちご「まあ立ち話もなんじゃ。本殿の方に座る場所があるしそっちにいかんか?」

 

咲「あっ、そうですね」

 

 提案されて野外にしつらえられた長椅子へと歩いていく。

 

咲「今日は……いないんでしょうか」

 

 うっかり主語を忘れて伝えてしまう。しかし、いちごは言わんとするところを察してくれた。

 

いちご「もう一人はおらんみたいじゃ。まあ、お互い大会があるし、約束もしとらんかったから」

 

 自分と咲が会えたのも偶然だ、と暗に言う。

 

いちご「ところで……」

 

 いちごの顔がきりっとひき締まる。

 

いちご「大会の調子はどうじゃ?」

 

 緊迫の表情に一瞬気圧され、瞳孔が開きそうになった。

 

 お互いインターハイの団体戦、個人戦に出場していることは知っている。嘘をついても仕方ないので咲はありのまま事実を話すことにした。

 

咲「さっき二回戦を勝ち上がってきました」

 

 団体の、とはつけない。わざわざ言わなくとも個人戦は始まってもいないのだからつける必要がなかった。

 

いちご「そ、そうか。宮永さんは臨海じゃったな。うん、順当か。おめでとう」

 

 二回戦突破を祝いながらも、端整な顔に焦りを浮かべるいちご。「順調そうで何よりじゃ」と続く声も勢いがない。

 

 その反応で咲はいちごの戦果に何となく想像がついた。

 

(ど、どうしよう。佐々野さんの方は良い結果じゃないよね、これは。でも……この流れで聞かないっていうのも)

 

 お互い話さないでおくならまだしも、片方だけ話すのは不自然だ。聞かないというのもそれはそれで露骨。咲は腹をくくった。

 

咲「佐々野さんは……どうでした?」

 

 一瞬、沈黙が場を覆った。

 

いちご「……あー、うん。何ていうかその、何じゃ。……一回戦で負けた」

 

咲「そう……なんですか」

 

 言葉に詰まったが、個人戦がまだあるということを咲が話そうとすると、

 

いちご「っ~あぁぁ、もう! あんなんおかしい、考慮できるかっ!」

 

咲「さ、佐々野さん?」

 

 唐突に切れだしたいちごに咲は目を白黒とさせる。

 

いちご「聞いてくれんか宮永さん、実はーー」

 

 いちごは自分たちの学校が敗退に追い込まれた理由を滔々と語った。

 

 途中までは一位をキープしていたらしいが、いちごの失着でそれを崩してしまったこと。

 

 具体的には、役満を振り込まされたのが原因で調子を崩したのだという。

 

いちご「それでな、宮永さん」

 

咲「はい」

 

 親リーチを警戒して、八索四枚見えの場に二枚切れという九索を切ろうとした。いちごが説明する。

 

 詳しく状況を聞いたがその選択は理に敵っていた。振り込んだとしても、せいぜいチャンタかトイトイだと思っていたというのも、相手によるが咲にも頷けた。

 

いちご「それで切ってみれば清老頭だったんじゃ!」

 

咲「そ、それは運が悪いですね……」

 

 絶望的ないちごの嘆きに咲は同調した。

 

 それで三万二千点もの点棒を失うのは辛い。まして場の流れまで一気に持っていかれただろう。失うものは実際点棒より大きかった。

 

いちご「それからやることなすこと全部うまくいかなくて、うちの高校はちゃちゃのんと先鋒の部員がエースみたいなもんだったから、取り返そうにも厳しいし、もう手遅れじゃった……」

 

咲「……」

 

 哀愁を誘う姿に咲はかける言葉に迷う。

 

いちご「それからは散々じゃ……一回戦敗退で部はお通夜みたいに沈むし、マスコミは顔を見るなりコメントがほしいとマイクを向けて追っかけてきて……」

 

いちご「負けた試合はパブリックビューイングで全国のお茶の間に放映されとったから、みんな知ってて……街中を歩いとっても指をさされてからかわれる始末……」

 

いちご「もう最悪じゃ!」

 

 なまじ顔が売れているぶん、状況は悪くなる一方のようだった。

 

 いちごがアイドルとして人気を博していることは咲も承知していた。有名になったいちごの負け試合を知らなかったのは、臨海のデータ収集はそういった世俗的な関心で成り立つ話題とは無縁だし、一部メディアで報道されたニュースは二回戦の事で思い詰めていた咲には知る由がなかった。

 

いちご「うう……ホテルにまで押しかけるマスコミに部員たちがこっそり送り出してくれたのに……街で気晴らしもできんかった。どっか人目のつかんとこでうじうじしとれっていうんか……」

 

咲「佐々野さん……」

 

 落ち込む姿に咲の気分もどんよりとする。次の瞬間にはさめざめと泣きかねない様子。みていて胸が痛かった。

 

 そして、思い至る。先ほど最初に出会ったとき、ぐったりと臥せっていた理由に。

 

 恐らく渋谷の街に出てきて、性質の悪いからかいを受けたのだろう。そうだとしたら、いちごに心なく追い打ちをかけた相手に怒りを抱いた。

 

 何か少しでも元気づけられないだろうか。考えて、咲は手に持っていた袋に気づく。

 

 それと同時に、目の前でお腹が鳴る音がした。

 

咲「もしかしてお腹空いてます?」

 

いちご「うっ……実は今朝から何も食べてなくて」

 

 食事も喉を通らなかったんだろうか。なんにせよ、咲は話を持ちかけることにした。

 

咲「よかったらこれ食べませんか?」

 

 言いながら手に持った袋を差し出す。

 

いちご「それは?」

 

咲「東京バナナです。その、捻りがなくて申し訳ないですが」

 

 ありきたりなものだ。それにお菓子類。咲は八の字に眉を垂れ下げる。

 

いちご「と、東京バナナっ!?」

 

 しかし、予想に反しいちごは目を輝かせた。

 

 咲が持ってきたのは、東京ばな奈「見ぃつけたっ」シリーズのショコラブラウニーとメープルバナナ味とバナナプリン味の四個入りを一つずつ。

 

 一人で食べるには多すぎるが、三人で分けるとキリのいい数なのでこうした。

 

いちご「はむっ、はむっ」

 

咲「……」

 

いちご「はぐっ、はぐっ」

 

いちご「はむうぐっ!? っ、っ……!」

 

咲「はい、お茶です」

 

いちご「あ、……ごくっ、ごくっ」

 

いちご「ぷはぁ……あ、ありがとう宮永さん、助かった」

 

 咲はにこにこと笑みを浮かべる。

 

 喉のつっかえを解消したばかりの状態で懸命にお礼を言う姿はなぜだか可愛らしかった。さすがはアイドルなのだろうか。

 

いちご「って……あ、全部食べてしまった」

 

咲「大丈夫ですよ。私は元々食べたい気分じゃなかったので、ちょうどよかったです」

 

 咲がそう伝えるといちごはほっとしたように胸を撫で下ろす。

 

 だが俄に深刻な表情になったかと思うと、その表情に影を落とした。

 

いちご「な、なあ宮永さん……幻滅した?」

 

咲「え?」

 

 咲の目が瞬く。

 

いちご「二年も下の宮永さんにぐだぐだと愚痴をこぼして、こんなみっともない食べ方して……アイドル失格じゃ」

 

 心中を吐露するいちご。

 

 弱音を零す彼女はとても弱っているように見えた。その目尻からうっすらと光るものが滲む。

 

咲「……」

 

 確かに、彼女の言う通りなのかもしれない。見るものが……彼女のファンがみれば、きっと今の彼女は翳ってみえるに違いない。

 

 それはきっと多くの人を悲しませてしまうこと。そして何より、彼女自身が悲しんでいる。

 

咲「そんなことないですよ」

 

 だから咲は否定した。

 

咲「私、言いましたよね。初めて会ったとき佐々野さんのこと知らないって」

 

いちご「……うん」

 

咲「流行り廃りに疎くって、だから佐々野さんのこと全然知らなかったんです」

 

咲「アイドルだって教えられても可愛い見た目だってくらいしかわからないし、今佐々野さんが着てたりするファッションも漠然といいなって思うくらいで」

 

 息を継いで声を出す。ふわりと笑みを湛えた。

 

咲「でも今は可愛いしいい人だなって思います」

 

咲「愚痴をこぼすとき佐々野さん、誰かのせいにしてませんでした」

 

 聞いていた話だと、二位でも通過できなかったのは他の部員にも原因がある。

 

 面白おかしく騒ぎ立てるマスコミや大衆にだって思うところがある。

 

 けれど一貫していちごは誰かを責めなかった。踏んだり蹴ったりな扱いに嘆きはしても、あのマスコミめ、だとか直接言わなくともそんな風に感じさせる事がなかった。

 

咲「それってすごいことです。私なら……きっと、誰かを怨めしく思っちゃいますから」

 

いちご「……」

 

咲「あと食べ方ですけど」

 

 咲は率直な感想を口にした。

 

咲「私ああいうの大好きなんです」

 

いちご「へっ?」

 

咲「私、けっこう料理が得意で同じ学校の子によくお弁当を作るんです」

 

咲「それでおいしそうに食べてくれるので……嬉しくって」

 

咲「実は……料理をするのあまり好きじゃなかったんです」

 

咲「昔、嫌なことがあって……今でも嫌で……お父さんもそれを知ってるから、私が食事を作ったときはいつも重い空気で」

 

咲「……でも、その子はおいしそうに食べてくれるんです。さっきの佐々野さんみたいに、その、お行儀は悪いかもしれないけど、とにかくおいしそうで」

 

 目を丸くしたいちごが真剣な表情になって聞き入る。

 

 咲は少し涙ぐんでいた。

 

咲「それをみてたら陰鬱な気持ちが吹き飛んじゃって……だから、その、おいしそうに食べる姿をみて幻滅だとか思うことはないんですよ?」

 

 脇道に逸れかけた話をどう落ちつけようかと言葉尻が不自然に上がりつつ、話が締められる。

 

 いちごはうっすらと笑っていた。

 

いちご「宮永さんはその子が大好きなんじゃな」

 

 いちごがハンカチを差し出す。その段になってようやく自分が少し泣いていることに咲は気づき、恥ずかしそうにハンカチを受け取る。

 

 慌ただしく目元を拭う。涙はあっという間に拭き取れた。

 

いちご「まあ今回はその子に助けられた部分が大きいけど、宮永さんに嫌われんかったしよかった」

 

咲「う……その、終わりらへん以外だってちゃんと本音ですよ」

 

いちご「あはは、まあまあわかっとるから。……ありがとうな、宮永さん」

 

咲「……はい」

 

 感謝を伝えるいちごは見るものに元気を与えるアイドルの笑顔をしていた。

 

 その後、二人してぼうっと空を眺める。空は澄みわたるように青かった。雲ひとつない。

 

 木々に囲まれた神社の長椅子で、心地よい静寂が包む。緩やかに時間が流れていく。

 

 そのとき。

 

咲「……あ」

 

いちご「ん? 電話?」

 

 ベルが鳴った。咲のものだった。

 

咲「こっちの電話みたいです」

 

いちご「ん、ちゃちゃのんは気にせんと出て」

 

咲「はい、ありがとうございます」

 

 スカートのポケットから端末を取り出してみる。

 

 着信主はーー瑞原はやりと表示されていた。

 

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