臨海咲SS置き場   作:たこっぴ

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高校編二十七話

「な、何を聞きたいんですか……?」

 

 間も置かず聞き返す。答えられるならさっさと答えてしまいたい。詰め寄られた咲の緊張と怯えに震える声が咏へと向けられる。

 

「…………」

 

 そんな咲を咏は静かに見つめていた。棚に片手をついたまま微動だにせず、眼光を俄に鈍くして。

 

 咲は戸惑う。

 

 今の咏からはついさっきまであった威圧的な雰囲気が霧散している。どころか、どこかいたたまれなさそうにすら見えた。

 

「…………はー、やめやめ。やっぱいじめてるみたいだわこれ」

 

 壁に押しつけるようにしていた左手を陳列棚から離すと、過剰に近づいた顔をのけて咏が一歩下がる。

 

「聞かないんですか……?」

 

「んー、話は聞かせてほしいかな。けど無理強いはしないよ」

 

 話したくなければ話さなくていいと、咏は言う。

 

 詰め寄った際と比べると穏やかな口調だ。つい先ほどまで雑談していた時に抱いたのらくらとした印象と裏腹に、その言葉には茶化した感じが一切ない。

 

 とはいえ、それで警戒や怯えが消えるかは別だ。当初はその気さくさに親しみを覚えていたが、そのぶん揺り起こしで腰が引けてしまう。

 

 だが、断ってもその後に展望はあるだろうか。

 

「……話せることならお話します」

 

 咲はそう考え、暗がりを照らす月明かりほどの光明を優先した。それは、相手の機微を感じとる情報が圧倒的に足りない中、不確かでも誠実さを感じたのが大きかった。数秒の逡巡を挟んだ末に返答する。

 

 「ありがとう」、咏はそう言うと、和服の中へとおもむろに手を突っ込んだ。

 

「えっ?」

 

 目を丸くする。何をするつもりだろう。布地が交差して合わさる胸の部分に手を入れ、ごそごそと何かを漁りだした咏を困惑の目で咲は見守る。

 

 まもなくして彼女の懐から真っ黒いメモ帳が出てくる。

 

「あー、宮永咲ちゃんだったね」

 

 改まって話をするには陳列棚が雑然と並ぶこの一角は手狭だ。二人は少し歩き、開けた場所に戻りつつ話す。

 

 取り出されたメモ帳にはボールペンが挟まれていて、その飾り気のないペンとメモ帳を咏は取材する記者のように構えた。

 

「君ってさ、ポットに水を入れるとき『ココマデ』の指示に従うほう?」

 

「……」

 

「あ、これ割とマジだから。笑ってもいいけど正直に答えてね」

 

 白昼の喧騒に溢れるデパートでされたその珍妙な質問の余韻は、咲の耳に不可思議に残り、脱力させられるような心地をもたらした。

 

 空調で炎天下の室外とは別世界に涼やかな店内の温度が一段と下がったように思える。

 

 率直に言って意味がわからなかった。

 

「えっと、守る……かな。壊れたりしたら困りますから」

 

 何だかよくわからないまま咲は答える。

 

「なくなるのが早くても入れ直せばいいって感じ?」

 

「……そんな感じです」

 

「なるほど」

 

 何事かメモ帳に書き込む咏。

 

 今のやりとりで何を書いたんだろうーー少しだけ覗いてみたかったが、さすがに我慢した。

 

「カップ麺は? ほらあれにもあるでしょ。湯を注ぐときの目安としてさ」

 

「……従います。そうしないと味が落ちるような気がするので」

 

 ダヴァンに勧められたときくらいしかカップ麺を口にしないが、食べるときはそうしている。

 

「じゃあ弁当の賞味期限は?」

 

「一応守ります。日本は期限を早めに設定するので二、三日くらいなら過ぎても平気だとは聞きますけど」

 

「ふむふむ、なるほどね」

 

 仰々しく頷いた咏がささっとポールペンを紙面に走らせる。矢継ぎ早の質問。何を書いているかやはり咲からは見えず、不安になったが、咏がそれを気にする素振りはない。

 

 咲は思い切って訊いてみた。

 

「あの……これって何をしてるんですか?」

 

「うん?」

 

 ペンを動かしながら紙面に落とした視線が上がり、咲に向けられる。

 

 手を止め、考えるように瞳を上向かせると咏はまた咲に視線を戻して言った。

 

「プロファイリング」

 

「え……」

 

 驚きの声を漏らし、絶句する。

 

 それは、映画やドラマなどでよく見かけるあれだろうか。警察が捜査でよくしている。

 

 警察……捜査……想像を働かせる。

 

 ーー違法行為。

 

 咲の頭の中に痛烈な閃きが去来した。

 

「あ、あっああああのっ、それっ……!」

 

「ん? あ、犯罪捜査とは関係ないよ。当たり前だけど」

 

「そっ、そうですか……?」

 

 咲は上ずった声で返す。これはーーセーフなのだろうか。いや、怪しまれている?

 

「なんだなんだ、案外不良ちゃん? 見かけによらないねえ」

 

 にやにやと面白がるように笑みを浮かべ、咏が訊いてくる。

 

「…………」

 

 一方で咲は、過度の緊張に心臓が早鐘を打つのを感じながら、咄嗟にごまかしたくなる衝動が生まれた自分に疑問を覚えた。

 

 咏がどういう意図でプロファイリングと称する行為をしているとしても。確かに咲は違法行為ーー賭博麻雀を行った。故意でも、全く本意ではなかったとしても、事実は厳然として変わらない。

 

 だから、正直に事実を公にすべきだという思いは以前からあった。然るべき場所に申し出れば、然るべき報いが下るだろう。それが人間として正しく生きるということ。咲はそう信じている。

 

 だが現実にそうすると、いま臨海がインハイに参加し続けられるかも危うくなってしまう。罪を清算したいーーそんな私情のために団体戦の進退を天秤にかけていいのか。

 

 けれど、部活仲間を巻き込みたくないというのもまた咲の一方的な思いだ。どうするのが正しいのか。あれ以来、咲は義務感と部活仲間への思いの狭間で何度も懊悩していた。

 

「ふーん、なんかワケありって顔だね」

 

 煩悶の海に埋没しそうになった時、声がかかる。目の前の咏だ。彼女は気楽そうな顔でつぶやいた。

 

「まあそれは気になるけど。私が聞き出すことじゃないか。ーー続き、いい?」

 

 事も無げに話す。その様子からは必要以上の関心を向けないある種の気安さがあって、咲は泥沼化しつつあった思案から一旦立ち直ることができた。

 

「あ……はい。続きをどうぞ」

 

 それから二言三言やりとりし、咲からすると他愛もない質問が繰り返される。依然として窺い知れない意図に疑問は尽きなかったーー何でもない質問の答えにやけに感嘆したりしていたーーが、幸いというべきか返答を躊躇うような質問はなく、はやりが戻るまでの時間潰しとして咲はこの応酬を歓迎すらしつつあった。

 

 しかし。

 

「あー、なんか気になってきたなぁ」

 

 何度目かの質問を終えて、脈絡もなくそんな事を言い出す咏に咲は首をかしげた。

 

「何がですか?」

 

「さっきの話。プロファイリングっていったら何だか深刻そうにしたでしょ?」

 

「え……」

 

 話題が及びそうになったときの余韻を忘れそうになった頃、今さらという段階で蒸し返され、咲は愕然とする。

 

「いやーごめんね、私って移り気でさ。唐突に気になって仕方なくなったりするんだわ」

 

 そんなことってあるのだろうか。あるかもしれないが、咲はこの時、本当に勘弁してほしいと思った。

 

「よしっ、いっちょ話してみようか!」

 

「あの……いや、その……」

 

 しどろもどろになる。当然だが、事実を公にする事と彼女に打ち明けるのはイコールではない。どうやってこの場を切り抜けようーー暫く咲が迷っていると、

 

「何ていうかこういう反応って性格が出るねー」

 

 焦る咲の姿を眺めていた咏が、ふと軽薄にもとれる口ぶりでそう言う。

 

「私、このプロファイリングを長い間いろんな人にやってるんだけどね。そうするとある程度傾向がわかってくるんだ」

 

「こうしたらこんな反応を返しそうだなーとかって。誰しも想像するときがあると思うけど、私のそれ、結構当たるんだ」

 

「失礼だけど、咲ちゃんはすごくわかりやすい。この間聞いた白糸台の淡ちゃんもわかりやすかったなー」

 

「淡……?」

 

 咲がつぶやくと彼方に視線をやっていた咏が振り向き、「お、知ってる?」というような顔をする。

 

「淡……」

 

 どこかで聞いた名だ。記憶の糸を手繰り寄せ、心当たりを検分していく。

 

 ーー抽選会の日に会った子だ。咲は思い出す。

 

 大星淡。姉と同じ学校の麻雀部員。そういえば部活の一環でした他校の分析でも確か、要注意選手として挙がっていたような気がする。

 

「知り合い?」

 

「いえ……以前に一度会っただけです。名前は知ってましたけど」

 

「そっか」

 

 短く切り、咏が袖を振るう。

 

「友達だったら面白いなって思ったんだけど、まあそんなとこだよね」

 

 ……面白い?

 

 また疑問に思いながらも咲は返す。

 

「少なくとも友達だとは思われてないと思います」

 

 咲も、友達だとは考えていない。友達というと。

 

 ーーネリーや、クラスメイト。二人の顔が思い浮かぶ。

 

 明華や智葉、ダヴァンとハオに対しても浅からぬ思いはある。だが友達というとしっくりこない。先輩であり、部活仲間であり、チームメイト。はやりにしても同じだった。

 

「ふうん……友達は別かなぁ」

 

「ま、このへんにしときますか。恐ーいおねえさんに蹴られたくないから我慢しとく」

 

 咏の物言いに咲は首をかしげる。もしかしてそれは、はやりのことだろうか。

 

「あーっ、言ってたらマジで恐くなってきたよ」

 

「はやりさんが呼び出されたアナウンス……実はあれ私がやったんだよね」

 

 え、と声が漏れそうになった。

 

「これ……秘密にしといてもらえる? はやりさんにはあらためて謝っとくからさ」

 

「……え? え、ええっと……」

 

「お願い、この通ーり! なんでも言うこと聞くから!」

 

 そこまで言わせるほどまずいのか。 突然の告白、そして懇願。掌を合わせ頭を下げた咏が切実に頼み込んでくる。

 

 咲は目を白黒とさせる。

 

「あ、あと君に詰め寄ったのとかも秘密にしといてもらえると……」

 

 まるで賄賂を持ちかける官吏のようだ。露骨に悪どい顔。余った袖で口元を隠した咏に耳打ちされ、咲はびくっと肩を跳ねあげる。

 

 だが、心なしか空気が一段と緩むのを感じる。それは自分の仕業だと咏が告白したからか。もっと感覚的なものか。話の流れが変わって穏便な方向にまとまりそうになるのをみて、咲はこくんと首を振った。

 

「え、いいの?」

 

 すると咏は瞳を瞬かせる。自分から持ちかけたことなのに意外そうだった。咲は、少しだけ考えーー自分の中の感情を確かめてーーもう一度首を縦に振る。

 

「……そっか。いや、ありがとね。ふざけんなって言われるの覚悟してた」

 

 怒ったり、気分を害していると考えていたのだろうか。たとえ怒っていてもそこまで強い物言いは無理だと咲は思う。しかし、ネリーのように物怖じしない性格なら、そんな風に言ったかもしれない。

 

 明け透けな悪徳官吏の顔を引っ込め、一転してしかつめらしい表情になって話す咏を前にしても、現実にちっとも怒りは湧かない。

 

 ーーポーズではなく感情で怒ったことはあまりない、レギュラー枠を不当に勝ち取ったあの頃でさえ、自分に対してすら憤りや嫌悪を抱くことはなかった。

 

 隠したり、引っ込めたりするのではない。元からないのだ。怒っていないのだから、追及する必要もない。咲はそう思う。

 

 一時的とはいえ、はやりに意図して隠し事をするのは気が引ける。しかし改めて謝罪するという咏の言葉が嘘だとは思わなかった。

 

「いえ……はやりさんもそのうち戻ってくるでしょうから、何気なくしゃべりましょう」

 

 咲の意見に肯いて咏は全面的に賛同した。麻雀や父のことなど当たり障りない話を繰り返す。そうしながら、はやりの帰りを待つ。

 

「待たせてごめんっ、ちょっと手間取っちゃって」

 

 当たり障りない話を始めてから数分もしないうちにぱたぱたとはやりが駆けてきた。

 

 聞けばはやりが着いたときにはもう『お客様』は帰っていて、それとは別に、はやり名義で購入したという商品を持たされそうになったという。

 

 代金は既に支払われていたそうだが、全く身に覚えがなく、配達も手続きしないとならない大きな商品だったので受け取りを遠慮し、店員と問答の末に振り切ってきたとのこと。

 

「おっかしいなぁ……」

 

「い、いやー奇妙なこともあったもんスね」

 

「……」

 

「まったくだよ。熱狂的なファンが待ち受けてたとかならわかるけど。不気味だよ」

 

「…………」

 

 咏が黙りこくる。その端整で若作りな顔に滝のように汗が浮かぶイメージが咲には見えた。

 

「はやりさん、今日はキャンプのお買い物をするんですか?」

 

 咲はそこに口を挟む。助け船を出すというのとは少し違う。だが、実際に咲の気になるところであり、楽しみとするところでもある。

 

 その疑問にはやりはすぐに応じてくれ、キャンプ用品一式の準備、特にバーベキューの食材にはこだわりたい、と出鼻をくじかれた流れを払拭するように熱を上げ、良質な商品を探し始める。

 

 それには咲も大いに賛成し、はやりが伝える商品の捜索を手伝う。咏もこれ幸いと乗っかり、和気あいあいとした買い物ムードを醸しつつあった。

 

「咲ちゃん、ありがとうっ……ほんとにありがとう……!」

 

「あ、あの……そんなにお礼を言われても困ります……」

 

 はやりに隠れて感謝してきた咏は涙を流さんばかりに感動を表情で表している。咲としては助けたつもりはなく、恐縮するばかりだったが、この雰囲気に水を差さずに済んでよかったかなと感じ始めていた。

 

 そこに商品を探しにいっていたはやりが戻ってくる。

 

 手には真空パックに包装された商品。調理用の炭と書かれている。

 

「備長炭見つけたよー、炭はこれにしよう!」

 

「おー、豪華っすね!」

 

 ホームセンター顔負けの高級感溢れる品揃えに揃って感嘆する。買い物は順調に進んでいった。

 

 その中で咲はまどろむような心地に包まれていく。ひとときの間、悩みも何も忘れ、遠くの楽しい事だけを咲は考えていられた。

 

「……はやりさん」

 

「うん?」

 

「ありがとうございます……今日、誘ってくれて」

 

 微笑みながら伝える咲にいつかも見とれさせた透き通るような笑みをはやりが湛えた。そして、音頭をとるように拳を突き上げる。

 

「お安いご用だよっ。よーし、この勢いでキャンプコーナーを制覇だー!」

 

 買い物は日が落ちる頃まで続く。楽しい時間が終わるのを惜しみながら、咲は買い物を終えてはやりの車に乗り、臨海が宿泊する文京区の旅館の近くまで送ってもらった。

 

 

 

 

 車を降りる。排気の音。唸り声のような音を響かせるエンジンが、停車したはやりの車の周辺で存在感を示している。

 

「それじゃ……送ってもらいまでしちゃってすみません」

 

 夕焼けで鮮やかに照らされたアスファルトを踏みしめ、運転席のはやりに咲はぺこりとお辞儀する。降りたのは宿泊する旅館にほど近い路地。入り組んだ道の最中にあって、旅館からは見えにくい場所にあった。

 

「いいのいいの。大会、がんばってね」

 

 「はい」と返事をして、横に視線を移す。

 

 後部座席には帰りの車中、携帯型のゲーム機で遊び通していた咏が座っている。今はゲーム機を膝元に置き、車外に立つ咲を眺めていた。

 

「ねえ、はやりさんちょっとだけ時間いいかな」

 

 咲が咏にも別れの言葉を告げようとした時、咏から出し抜けに提案がなされる。

 

「咲ちゃんに用があるってこと?」

 

「うん。ちょっとそこに降りて……見える位置で話すからさ」

 

 見えないところで話すとまるで問題があるような言い方だ。

 

 はやりは、咲がいいならという風に返答した。二人の視線が咲に向く。突然話の矛先を向けられて咲はあたふたとする。

 

「えっ……はやりさんが大丈夫だったら私も構いませんけど……」

 

「ありがとう。それじゃちょっと失礼します、はやりさん」

 

 咲の困惑もよそにとんとん拍子で決まってしまい、二人で連れ立って車外に。

 

 裏通りであるこの周辺は繁華街にほど近い。閑静な住宅街になっている道の両端はねずみ色の塀に隔たれ、夕焼け空から降る橙色の光が二人を照らす。

 

「咲ちゃん、今日は悪かったね」

 

 車のボンネットから五メートルは離れたといったところで、足を止めて咏が話しかけてくる。やけに神妙な口調。

 

 咲も合わせて歩くのをやめ、咏と向かい合って不思議そうにした。

 

「えっと……気にしないでください?」

 

 何を謝られているのかわからない。咲は咏の心情を推し量ろうとする。

 

 しかし、全くわからない。彼女とは会ったばかりで、何を考えているか想像しづらい。咲にとって彼女は、テレビの向こうの人という印象だ。飄々とした振舞いもあるだろう。

 

「あっと……いきなり謝られてもわかんないか。はやりさんとの時間邪魔してごめんね、ってこと」

 

「……えっと?」

 

 咲は戸惑った。邪魔をされたという認識がない咲にすると、強いていえばアナウンスの件で拗れそうだったがそれもなんとかなった為、一見して問題があるように思えない。

 

「まあ……はやりさんにもバレバレだったけどね」

 

「……気づいてたんですね」

 

 得心がいく。妙な間があったから不審がられている、とは感じていた。

 

「今日は無理言ってついてきたしなー。割と最初から怪しまれてたと思う」

 

「三尋木プロもキャンプに参加するんじゃ?」

 

「んー、そうなんだけどね、はやりさん今日は咲ちゃんと二人で下見にいくって話だったんだよ」

 

 キャンプの買い物を元々咏は面倒くさがっていたらしく、なのに今日に限って頼み込んだのだという話を咏がする。

 

 はやりは気を遣ってくれたのだろう。朝一番に行われた試合をみて、計画してくれたのだろうか。咲よりもずっと忙しいのにこうして気遣ってくれるはやりを改めて尊敬する。何よりも感謝が尽きない。

 

「いやー、インハイの控え室のソファの上で土下座までしたよ。戒能ちゃんとか『ドゲザ!?』って言葉遣いおかしくなってたからね」

 

 冗談めかして話した咏がぷくくっと思い出したように笑う。

 

「でも……どうしてそこまでして?」

 

「君にどうしても会っておきたかったから」

 

「?」

 

 咲の頭に疑問符が浮かぶ。

 

「初対面、ですよね?」

 

「ああ、それは間違いないと思う。私も記憶にないし」

 

 二人揃って忘れているなんてこともないだろう。なら、どうして自分に興味を持ったのだろう。

 

「まあ兎に角二人水入らずの時間にお邪魔しちゃったから。だから……ごめん」

 

 咲の疑問は解消されないまま話は進み、咏は前髪をくしゃっと掌で潰したかと思うとまた謝罪の言葉を口にする。

 

 そして、唇を噛む。何か堪えがたいことがあるかのように。そんな彼女は随分と思い詰めているように見えた。

 

「そんな……とにかく私は気にしてませんから」

 

 咲は本心からの言葉を伝える。

 

 今日は楽しかった。掛け値なしに、今日のことは咲の心を軽くしてくれた。

 

 暗く澱んだ気持ちはその人だけではなく周りにまで影響を与えてしまう。

 

 だから、どこかで気分を切り替えなければいけなかったのだ。今日の買い物はそれに一役買ってくれた。

 

 そしてその背景には、場を盛り上げる咏の姿があったように思う。咏に感謝こそすれ、責める気持ちなど咲の胸には微塵もない。

 

「……」

 

 なのに、当の咏は前髪を潰した姿勢で口を閉ざしている。萎れた花を彷彿とさせる姿。何がそこまで気に病ませているのか。

 

 買い物の時の姿を思い出す。飄々として、からからと笑ったり、困る時も生き生きとした姿。

 

 咲はそんな咏の方が好ましかった。

 

 そこまで思い至り、咲の頭にひとつの方法が浮かぶ。それは、ひどく強い緊張を強いられるやり方。

 

 深く息を吸って吐く。覚悟は、尻込みしてしまう前に勢いで決めた。

 

「三尋木プロ……三尋木さんって、こうしたら人がどう返すかってわかるんですよね」

 

「……?」

 

 咏が前髪に触れる手をのけて視線を上げる。

 

「それってまるで読心か何かみたいじゃないですか。超能力みたいです」

 

 実際にはそんなに便利なものではないのかもしれない。けれど、今はあやふやでいい。

 

「私は未来予知ができますよ」

 

 真面目な顔で咲が言う。

 

「はあ……?」

 

 見るからに怪訝そうにされる。さもありなん。

 

「あ、信じてませんね? 本当なんですから」

 

 咲はスカートから取り出した携帯端末で時刻を確認すると、年・月・日から連想して数を採る。

 

 目に触れた夕焼け色に染まる住宅街、遠くから聞こえてくる子供の声、そして咏を元気づけたいという気持ち。

 

 それらからも採った数を五行、九星、方角、人物、人体……大成卦にも置き換える。

 

 占断、結果はーー

 

『六年越しの真実に打ちのめされる』

 

「……」

 

 携帯端末をしまいながら黙り込む。

 

「笑顔になります」

 

「え?」

 

「いつか、三尋木さんは笑います!」

 

 強引に言い切る。対する咏は微妙な顔をしていた。

 

「それって……次の瞬間に私が車にハネられでもしなきゃそうなるよね?」

 

「う……」

 

 その通りだった。もっと言うと、次の瞬間と言わず次に笑うまでの間だった。

 

「ぷっ、ははっ、あはははは……!」

 

 しかし次の瞬間、咏は声をあげて笑い出す。その姿に、遅まきながら咲は咏の言い回しの意味に気づく。

 

「ああっ、そんなこれみよがしに」

 

「いいじゃんいいじゃん、ほれ当たったよ?」

 

 にやにやと見せつけるようにして笑いながら、袖を振る。

 

 ひとしきり笑い終えると咏は核心を突いた。

 

「本当はちゃんと出てたんでしょ?」

 

「えっ?」

 

「読心。咲ちゃんはわかりやすいねぇー」

 

 完全に咏の方が上手だった。咲は肩を落とす。

 

「戻ろっか。あんま時間かけると悪いし」

 

「そうですね……」

 

 車の方に戻ったら、咏をあまり怒らないようはやりにお願いしてみよう。そんな事を考えながら咲は返事をする。

 

「まー、あれだね。これからも仲よくしてよ。キャンプでも一緒しそうだし」

 

「はい、こちらこそ」

 

 おそれ多いな、と思いつつも返す。

 

「今も昔もこれからも……どこまでだって縁は続いてるかもしれませんから」

 

「ご縁がありますようにってか。昔似たようなことを聞いた気がするよ」

 

 先を歩いていく咏のうしろ姿を追いながら咏とそんな会話をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閉じられた襖を前にする。はやりの車を降り、咏との会話を経て別れた後。旅館に帰った咲は臨海に用意された広間へと繋がる襖を開けようとしていた。

 

 のだが。

 

「やーい、また負けたー!」

 

「うっ、うううっ」

 

「ネリー、そんなに言ってはいけません。いくら衣ちゃんが弱いからって」

 

「うぐぐっ」

 

「こんなに弱いってありうるのかな……これ以上手加減しようがないんだけど」

 

「ぐぬぬっ」

 

「アンビリーバボーでス。マア気を落とさず……カップ麺ありまスヨ?」

 

「ぐぬうっ……食べる」

 

「まったくとんだ期待はずれだよ、このちんちくりんめっ」

 

「チュルチュル……それはお前も人のことはいえないだろうっ!」

 

「ネリーのほうが十センチは高いもんねー」

 

 襖の向こうから聞こえてくるかまびすしい声。その中にこの場にいるはずのない人物がいるように、咲には思えてならない。

 

「疲れてるのかな……衣さんの声が聞こえる」

 

 疑念を払うように咲は頭を振る。だが、襖の向こうの声は途切れることなく聞こえてくる。

 

「ところで……襖のところに誰かいないか?」

 

「誰かいるみたいですね。気配がします」

 

 びくんと肩が跳ねる。

 

 あまりもたもたしているとますます入りにくくなりそうだ。

 

 意を決し、咲は襖に手をかけーーる前に勢いよく開いた。

 

「あっ、サキだ!」

 

「なにっーー本当だ! 待ちかねたぞ咲!」

 

 ぴょこんとウサギの耳のようなカチューシャが奥で揺れる。

 

 開いた襖の向こうに広がる光景には、やはり想像を裏切らず智葉を除く臨海レギュラー陣と、驚くほど違和感なく馴染む衣の姿があった。

 

「龍門渕家の……衣さん?」

 

「ちゃんでもいいぞ」

 

「おかえりなさい咲さん」

 

 明華が口火を切るとおかえりの唱和が降りかかる。

 

「あ……ただいま帰りました」

 

「サキ!」

 

 あっけにとられたまま口にすると、目の前までネリーがやってきて柳眉を逆立てる。

 

「なんなのこのちんちくりん! すっごいえらそうなんだけど!」

 

「ちんちくりんはお前だっ」

 

「なっ、お前だよ!」

 

 同じくネリーの隣まで駆けてきた衣が言い争いを始める。

 

「あの、衣さん……どうしてここに?」

 

「うむ、遊びにきた。今日は衣もこの旅館に逗留していくぞ」

 

「え、一人で?」

 

 咲が尋ねると衣はむっと頬を膨らました。可愛らしい。

 

「本当は一人でも来れたのだが……ハギヨシもいるぞ」

 

 指し示す衣の視線を追うとーー確かにいた。自分は黒子とばかりに風景に溶け込んでいる。

 

「気づかなかった……」

 

「以前、旧家の伝手で日舞の後見をしておりまして。つまらない特技でございます」

 

 まるで何もないところから聞こえるようだったが、咲は深く考えないことにした。

 

「そうだ、咲もやる?」

 

「サキもやろうよ。このちんちくりん面白いんだようぷぷ」

 

「ぐうっ、ちんちくりんっていうなぁ!」

 

「えっと何をしてたの?」

 

「トランプ」

 

「の大富豪です」

 

 ダヴァンの言葉をテンポよく明華が継ぐ。

 

「大富豪……?」

 

 目の前のネリーや衣にばかり目を奪われていたものの、よくよく目を凝らすと明華たちが座す畳の一角にはトランプが散らばっている。

 

 少しだけ咲は面食らう。このメンバーが集まってするには意外と平凡な遊びだ。

 

「やったことあります?」

 

「えっと……ルールはわかります」

 

 実際にやるのは子どものとき以来。ただ基本的なルールは、問題なく記憶している。

 

「サキも参加決まりー!」

 

「オーウ、腕がなりまスネ」

 

「ねえ咲、咲は衣をいじめないよね?」

 

「いじめる……?」

 

 どういうことだろう。

 

 入る前の会話を思い出してみるに衣は負けていたようだがーー

 

「こいつが弱すぎるからしょうがないんだよ」

 

「うるさいっ、さっきまでのはちょっと調子が悪かったんだ!」

 

「うぷぷっ、しってるよそれ、負け犬のトーボエっていうんでしょ」

 

 咲が考えようとするそばから口論が始まる。

 

「衣さんが負けてたんですか?」

 

「ま、負けてない!」

 

「ボロ負けだよ」

 

 ネリーと衣の声が重なって上がる。

 

「まあ、控えめにいってボロボロだったかな……」

 

「一応ルールでハンディキャップをつけたんですけど」

 

 ハオと明華が補足する。

 

「ハンデ?」

 

「こっちにルールを書いてマス」

 

 ダヴァンから一枚の紙を手渡される。

 

『るーるぶっく 著:明華

 

・衣ちゃん以外8切りなし

・衣ちゃん以外2切りなし

・衣ちゃん以外革命なし

・衣ちゃん以外革命返しなし

・衣ちゃん以外ジョーカー切りなし

・衣ちゃん以外革命時3切りなし

・衣ちゃん以外階段なし』

 

 やけにポップなつくりだった。デフォルメされた可愛らしい動物が紙面の端々に躍っており、文字も丸く、メモ用紙の色使いや柄もやたらとファンシー。デコレーションされたケーキのようだ。

 

「私が書きました」

 

「わあ、すごく可愛い」

 

 って、そういうことではない。咲は思い直す。大事なのはルールなのでそれに目を通していく。

 

「ジョーカーや2切りなしって、この場合どういう扱いになるんですか?」

 

「何度か試してみたところ、すべて非革命時の3扱いが妥当という結論に達しました」

 

「それって……」

 

 限界ぎりぎりのハンデではないだろうか。あとは手札に変化を加えるくらいしかない気がする。

 

「試しにやってみようか? 弱すぎて笑えるよ」

 

 提案に従って、一戦みてみることにする。

 

 結果はーー

 

「はい、またコロモの負け!」

 

「うぐう……っ」

 

 清々しいくらいに衣が惨敗した。

 

「相変わらず手札減ってないね」

 

「出し方はそう悪くなさそうなんでスガ……」

 

「不思議ですね」

 

「次はサキもやろうよ!」

 

「うん、次入ろうかな」

 

 誘われて承諾する。散らばっていたトランプを皆で集め、明華がシャッフルする。

 

 そして配られていく。

 

「……」

 

 その最中、衣と目が合う。不安そうだ。どうしてだろう。

 

 衣さん。声をかけようとしたが目を逸らされる。

 

「ねーお昼どこいってたの?」

 

「えっ? ……神社とデパートだよ」

 

 不思議に思っていると、隣に座るネリーが問いかけてくる。不意を突かれたが隠さず話す。

 

「デパートと……神社? あー、あのお守りの?」

 

「うん。あのへん静かで落ちつけるし」

 

 神社に出入りするといちごたちと鉢合わせるかもしれないが、これといって問題ない。神社について軽く話す。

 

「ネリーもいってみたい。今度案内してよ」

 

 すると興味を持ったようで目を輝かせるネリー。咲が了承し、適当に話を膨らませるうちにカードが配り終わった。

 

 目の前に浅い山となっているカードを拾う。

 

「オ、ナンダカ自信ありげデスね?」

 

「結構自信あります」

 

 むん、と力を入れるように受け答える。

 

 実際、大富豪には自信ありだ。幼い頃家族でしていたそれはしばしば白熱した勝負になったし、少なくとも弱い方ではない、と思っているから。

 

 好機を待って果敢に攻め立て、正しく引き際を判断すれば負けはない。

 

 そう、まさに、大軍を前に敵中突破してみせた島津義弘のように、戦国の島津一族を束ねた島津義久のごとく。

 

 拾った手札を自分に見えるよう裏返し、いざ勝負ーー!

 

 

 

 

 

「あー、苦手だった……?」

 

 ーー惨敗だった。

 

「コレは……」

 

「衣ちゃんと同レベル、ですね……」

 

「サ、サキ……どんまい」

 

 何度か対戦した結果。口々に感想がつぶやかれるのを目に咲は唖然とする。

 

 次がある、というような言葉はかけてもらえなかった。

 

「お、お前たちイカサマしているな!?」

 

 咲同様、当たり前のように負けた衣が立ち上がり、気炎を上げる。

 

 猛然、というには可愛らしさが勝る怒声。

 

 しかし咲にはわかっていた。わざわざイカサマなんてするはずがない。人柄としても状況としても信用している。だから、咲は衣の肩にそっと手を置いた。

 

「衣さん……イカサマのせいじゃない。私たちの負けだよ」

 

「咲……うっ、衣は、衣たちは……負けたのか……っ」

 

「おい、何を騒いでる」

 

 哀愁感を演出する小芝居で遊んでいると、突然襖が開き、誰かが入ってくる。智葉だった。

 

「……? 何の騒ぎだ」

 

「お客さんがきたので遊んでました」

 

「ナガノのリューモンプチってとこから来たって!」

 

「リューモンブチでスヨ」

 

「ネリー、龍門……あっ、先に言われた」

 

「天江衣……?」

 

 智葉の眉が訝しげにひそめられ、鋭い瞳が衣の姿を捉える。

 

「そうだっ、あの天江衣だ!」

 

「それはわかる。だが、なぜうちに……練習試合の申し入れなど聞いてないが」

「うむ、話せば長くなるのだが咲と知り合いなので遊びにきた」

 

 ちっとも長くない理由を述べ、胸を張る衣はどうしてか誇らしげだ。この場にいて当然とばかりにふんぞり返ったその姿に、智葉は思わずといった風に目頭を揉む。

 

「監督に許可はとっておきましたよ。特に問題ないそうです」

 

 衣は個人戦出場者ではない。そして、部外者に見られて困るような資料も別室に保管されている。

 

「ああ、ならいいんだが……」

 

 若干疲れた風にしながらも智葉は明華の説明に納得した様子だ。

 

「お初にお目にかかります。衣様の世話役を仰せつかっております、ハギヨシと申します」

 

 ハギヨシは、初対面の衣が失礼した、と詫びてまた風景の中に消えていく。息もつかせぬ業だった。

 

「よろしく頼む。夕餉も共にとりたいと思っている」

 

「この旅館に泊まっていくのか?」

 

「ああ、近くの空き部屋を都合してもらった」

 

「ふむ」

 

 智葉の目が咲へと向く。

 

「ええと、大丈夫ですか?」

 

「監督が許可しているなら何も問題はない。それに部員の知り合いだ。無下にできんよ」

 

 その言葉には含むようなものは感じられない。むしろ歓迎する雰囲気さえあり、咲はほっと息をついて感謝を伝える。智葉は鷹揚に頷いてそれを受け取った。

 

「智葉も帰ってきたことですし、一服しましょうか」

 

 一通り面通りを済ませ、智葉も含め皆が畳に腰を下ろしてから。ふんわりと笑みを浮かべた明華が両手を合わせるように掌を揃えて提案し、その場でつままれていたスナック類とは別に、別室から包装された箱を持ってくる。

 

「北海道産の高品質小豆を使った赤福です」

 

 そして、開けた箱の中にある赤福を手のひらで指して示す。

 

ダヴァン「あの伊勢で作られている赤福?」

 

明華「そう、夏には抹茶の風味も爽やかな赤福氷にもなる、あの赤福です」

 

衣「わーい、もち米も専作団地で栽培されたものにこだわった赤福だー!」

 

 皆が赤福を堪能する至福の時間を過ごす。そんな時間はあっという間に過ぎていったーー夏期限定赤福氷は520円(税込)ーー。

 

 ちなみに猛然たる衝動に突き動かされ口を挟もうとしたハオは、何処からともなく飛来した赤福に口を塞がれていた。

「ところで智葉、なんだか嬉しそうですね?」

 

「ああ……ずっと口説いてたやつがようやく首を縦に振ってくれそうでな。そのせいだ」

 

 ふと、智葉の微妙な変化を見咎めた明華が問いかける。指摘通りわずかに頬を緩ませた智葉はそう返すと、紙コップに入ったジュースを一気に飲み干す。

 

 その深長な意味を匂わせる言い回しに首をかしげる咲の傍ら、横で聞いていた他の面々は色めき立つ。

 

「サトハ! もしかして、おめでたでスカ!」

 

「馬鹿、飛躍しすぎだ。というか方向が違う」

 

「おめでとー!」

 

「だから違う、わかってやってるだろ!」

 

「な、なあ咲っ、つまりどういうことだ? ハギヨシに赤飯を用意させた方がいいだろうか」

 

「そ、そっちじゃないみたいだ。というかそっちでも、ちょっと違うんじゃないかな……」

 

 残るハオは、まだ赤福を噛んでいる途中でもごもごと口を動かしていた。

 

「サトハに相手がいないのはおかしいと思ってマシタ」

 

「モグモグ……ゴクンッ、私たちの中では初めてじゃないですか?」

 

「だから違うって……もういいだろ」

 

 

 

「ね、どう思う?」

 

「え?」

 

 妙な疑惑を持たれた智葉が否定に回る中、他の目を盗むように畳の上をにじり寄ってきたネリーが咲に話しかける。こっそりと小声だ。

 

「サトハだよ、あれあやしいよね」

 

「あやしい? あれはあやしいのか」

 

「ちょっと、入ってこないでよ。あやしまれるじゃん」

 

 見咎められるのを気にしてか、混ざってきた衣に反応するネリー。一方で咲は智葉の変調に思案を巡らせる。

 

(たしかに……なんとなく、何かを隠すみたいな感じだな)

 

 智葉は最初否定するに留まっていた。だが、段々その話には触れてほしくなさそうな素振りを見せ始めた。誰しも痛くない腹を探られ続けたら不機嫌にもなるだろうが、今の智葉はそれとはまた違う印象を与える。

 

 公明正大な先輩の珍しい姿に咲は目をしばたたかせる。

 

「はあ、恋愛話に飢えた奴らの相手は疲れる。この話は終わりだ」

 

 煙たがるように智葉は手を振り、切らしたジュースの補充をしてくる、と広間から退室していく。

 

「ちょっとからかいすぎたかな」

 

「Hum……そうかもしれまセン」

 

「あら何か落ちました」

 

 ひらりと何かが虚空を舞う。襖の向こうに消えていった智葉が落としたものか。薄っぺらいカード状をしたそれを明華が拾い上げる。

 

「…………」

 

「どしたのー、なにそれ?」

 

「ふむ、遠目に見た感じ写真か?」

 

 落とし物に視線を落とした、というか凝視する明華に興味を惹かれたのか、ネリーと衣が近づいていく。そして、明華の手元を覗き込む。

 

「えっ、サキ……?」

 

 顔を突き出すように覗き込んだネリーが、驚いたような困惑したような声を上げる。

 

「これは……咲だな。練習中か? 部室らしき場所で牌を握っている」

 

「わ、私?」

 

 咲も件の写真を見ようと明華たちの方におっかなびっくり歩み寄っていく。

 

 まだ覗き込んでいるネリーと衣に倣うように咲も手元を覗き込む。

 

 すると確かにそれは写真で、咲の練習風景をとらえたものだった。

 

「部の練習風景を撮っただけにも見えますけど……」

 

「それにしてはサキにスポット当たってない?」

 

「ハギヨシ、どうだ?」

 

「ふむ、断定はしかねますが……撮影技術の観点から申せば、この写真は宮永様を被写体として意識されている、そんな風に見受けられます」

 

「……?」

 

 つまり、どういうことなんだろう。口々に飛び交う意見に咲は困惑し首を傾ぐ。

 

「おー、どうシマシタ?」

 

「何かあるの?」

 

 その頃には一所に集まる四人の姿がダヴァンとハオの目にも止まり、七人が同じ写真を観察する格好になる。

 

「これはあやしい! あやしいよ!」

 

「コレ、サトハが落としたんデスか?」

 

「私にはそう見えました」

 

「明華がそういうなら……見間違いじゃない気がするな。でも、そうなると」

 

「臨海のツジガイト……だったか? あの者が咲の写真を持ち歩いていたことになるな」

 

 騒然としてくる。一方の咲はというと、その渦中に身を置きながら流れについていけず混乱気味だ。

 

 ただ、状況は大体飲み込めている。そして、 大切な部分もわかっているつもりだった。

 

「あの」

 

 咲が言葉を発すると皆の目が一斉に集まる。咲は渦中の人物だ。皆挙動に注目していた。

 

「先輩がなんで私の写真を持ってたかわかりませんけど……そんなに騒ぐことでしょうか」

 

 ーーだって先輩だから。やましい目的でそんなものを持っているはずがない。

 

 言外にそんな心情が伝わってくる。智葉に対する咲の信用は揺るぎない。混乱しながらも、咲の心に不安や疑念といったものは一切なかった。

 

「サキ……」

 

 深い情感のこもった咲の言葉に皆はっとした顔をする。そして、ネリーが口火を切ると皆次々に咲の名を呼ぶ。

 

「ま……そうだよね。あのかたっくるしいくらいマジメなサトハが、そんなあやしいことするわけないか」

 

 皆、同感だという顔をする。面識の浅い衣やハギヨシはその人柄の深くまでは知る由もなかったが、そんな二人をして納得するほど他の皆の信用が揺るぎない。ならばその通りなのだろう、と思わせる力があった。

 

 ーーーーしかし、次の刹那。

 

 智葉が外出先から持って帰ってきた肩掛けのバッグが、不安定な形で漆喰の壁に立てかけられていたそれが、転けた。ふとした拍子に。

 

 ゴロンーーバサッ、

 

 簡素な音で動いたバッグから転がり出てくる。カード状。一枚一枚の厚みは薄い。表面に照り返す光で艶めいた光沢が出ている。

 

 それはーー写真だった。

 

「……えっ?」

 

 ネリーの声と共に、彼女の、いやこの場に居合わせた人間全ての視線が向く。

 

 皆、目の前にある光景を認めたくないような顔をしていた。

 

 なぜなら、智葉のバッグから転がり出てきた束というべき写真の集まりは、全てーー。

 

「サキの写真……」

 

 おぼつかない足どりで、ややふらつきながら、出現したそれらの散らばる現場にネリーは歩いていって拾い上げる。

 

 そして、束ねた写真を震える手で一枚ずつ目を通していく。

 

 部活に励む咲、部室棟に向かって歩く咲、クラスで授業を受ける咲、校門前に佇む咲、ネリーと連れ立ち学生マンションに入っていく咲、リビングの机に頬杖を突き椅子に座る咲、自室のベッドで眠る咲、涙の跡が残る寝顔で旅館の布団に入った咲ーー。

 

「あ、あ、あ、あ、あああぁ……」

 

 痙攣を起こしたように不自然な挙動をするネリーの元に、一人、また一人と、近づいていく。

 

 そして皆一様に、慄然とする。

 

「こ、これは……」

 

「何かの間違い……?」

 

「ハ、ハ、ハ……」

 

「き、きっと不埒な人間から押収したんでショウ……そうでなければ、こんな盗撮写真」

 

 盗撮写真。その一言、そのフレーズに、皆硬直したように固まる。咲ですら。

 

「……これは、ちょっとまずいのではないか」

 

「…………」

 

「……衣様」

 

 衣の傍らに存在を霞ませていた執事が立つ。

 

「……え?」

 

 魂が抜け落ちたような表情で自失していた咲の口から間を置いて声が漏れる。状況を飲み込めていない人間特有の現実感のない呟きだった。

 

 皆の驚愕が冷めやらないーーそんな時。

 

 襖が開く。

 

「……ん? 何だこの空気」

 

 襖の向こうから流れ込む風が実体を持ったように広間を包む。数瞬の沈黙。皆の視線は再び一斉に動き、きょとんとする智葉を捉えた。

 

 

 

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