次第にボルテージを上げていく、咲に対する智葉の敵意と冷然とした咲の佇まい。そんな中、落ち着き払った声音が場を制した。
アレクサンドラ「はい、そこまで。もうちょっとみてたかったんだけど、やりすぎ」
智葉と咲、アレクサンドラ、それに留学生の四人を除く部員の大半が青ざめた表情で震えているのを一瞥して示す。
アレクサンドラ「結論から言わせてもらうと、宮永さんの入部の件は勿論受理、別件に関しては保留といったとこかな」
智葉「私と宮永が今すぐ打ち、はっきりさせるというのは?」
アレクサンドラ「はあ。それを狙ってやたら険悪にしてたのか。でも却下」
アレクサンドラ「まずデメリットが大きい。どちらが勝ったとしても、片方を失うリスクは侵したくない。これは部全体の戦力をかんがみての話」
説明を聞いた智葉は不快そうに鼻を鳴らす。
智葉「私が負けると?」
アレクサンドラ「下手な芝居はやめなさい。実のところ、歯牙にもかけてないんだろ」
智葉「…………」
あれほど充満していた敵意が唐突に霧散する。
幾らか穏やかになった口調で智葉は話す。
智葉「性分です。私を前にどこまで突っ張れるか見ておきたかった」
アレクサンドラ「困った子ね……」
言葉と裏腹に優しげな視線を送るアレクサンドラ。
しかし、続いて話に加わった部員に内心頭を抱えた。
咲「私は本気でした」
アレクサンドラ「それが困りものなんだった」
咲「先鋒以外は考えられません」
アレクサンドラ「そうは言ってもなあ……」
智葉「メグ。さっきはすまなかったな」
ダヴァン「サトハ……!」
ネリー「ねえねえ、ネリーは?」
智葉「お前は反省するくらいでちょうどいいだろ」
ネリー「そんなー!」
智葉「まあ、悪かった」
ネリー「ネリー思うんだ。誠意を示すにはお金が一番だっあだだだだ!」
ダヴァン「オーウ、ネリーナンマイダブ」
戯れる三人を無言で見つめる咲の心中は穏やかではなかった。
この和みかけたムードをひっくり返さないと。
智葉と力比べする展開になれば早いものの、やはり年の功か、純粋に人柄なのか、単純な挑発ではその気にならないようだ。
中学レベルの実績しかなく、ひ弱な外見で舐められやすいと思っていた咲だが、悪い意味で相手にされていないと感じた。
嘆息する。行き場のない熱を威圧として周囲に撒き散らす。
智葉「お前そのオーラみたいなの飛ばすのやめろ。入ってくる前にもやっただろ」
卒倒したり失禁しかける部員が出て大変だった、とぼやくように智葉が咎める。
ダヴァン「この気圧される感覚……まさしく魔物のモノ……心臓に悪いでス」
ハオ「中国麻将でなら私もあんな感じのできますよ」
明華「面白い方が加わりましたね。彼女と打つのが楽しみです」
咲はしらず口端を緩めていた。
臨海女子。高校女子麻雀界では異色の傭兵軍団。
在籍する四人の留学生はいずれも世界ランカーと聞く。
中学では大した敵もおらず、勝ちの決まった対局に胸が高鳴る事も殆どなかったが、今咲の胸は歓喜に包まれている。
咲「わかりました……先鋒の話は結論を急ぎません」
実際、幾ら前評判があろうと力もみせず先鋒の座を確約するなどあり得ない。咲は冷静な思考を取り戻しかけていた。
となればもう無駄に威嚇する必要もない。臨戦態勢を解いた咲はいつもの大人しそうな雰囲気に立ち戻り、今度こそ如才なく微笑む。
咲「これからお世話になります。よろしくお願いします」
▼
明華「こちらが先ほどいらした対局室、そしてあちらが校内合宿に使う宿舎です」
夕方から夜に差し掛かろうかという時刻。窓から差し込む薄暮の淡い光を浴びながら、明華と咲は長い廊下を歩いていた。
明華「これで回るところは終わりです。何か分からない事などありませんか?」
咲「いえ。大体わかりました。ご親切にありがとうございます」
部室での一件から相当な時間が過ぎた。あれから対局室に連れ込まれ、洗礼とでもいうべき対局漬けの時間を送ったのだが、咲は今、ここ最近ないくらいに気持ちが充実している。
明華「宮永さん……いえ、咲さんとお呼びしてよろしいでしょうか」
咲「はい。私も明華さんと呼びたいです」
親密な関係へと近づく言葉。
二人の距離が縮まり、いよいよ顔が触れそうになるくらい近寄ったところで、明華がささやく。
明華「とても濃密な時間でした。素晴らしい闘牌でしたよ、咲」
咲「……楽しかった。また明日にも打ちたいです」
ふふっ、と稚気を催したように明華が笑う。
明華「私とメグちゃん、それに……ネリーとハオ。これだけの面子と打っておきながら、そう言える一年生は臨海にいませんね」
明華「あなたは点数の上では私たちに及ばなかった。……メグちゃんはカタカタ震えてましたけど」
トラウマでも刺激されたんでしょう、と苦笑いを零す。
咲としても、心配になるカタカタ具合だったが。結局は、不用意に立直したところを追いかけ立直された挙げ句、捲り合いを経て直撃をとられる、といった辛酸を舐めさせられた。
明華「私があなたのカンを逆手にとって槍槓してみせた。覚えていますか?」
咲「……覚えていますよ」
明華「あなたはあのとき槍槓されると思っていましたか?」
咲「率直に言えばいいえです。可能性として考えなかった訳じゃないですけど、私はそんな隙を与えるつもりで打っていないし」
実際、インターミドルに三年間出場し、強豪校との練習試合を幾度となく経験しても。
加槓に槍槓、ましてや暗槓に国士なんて許した事は一度たりとなかった。
その経緯を聞いた明華は不可解そうに眉をひそめた。
明華「なら、なぜ槍槓されたときあれほど平静でいられたのですか?」
明華「あれは偶然だと?」
咲「あれは狙ったものでした。偶然なんかじゃない」
明華「なら、なぜ」
咲「嬉しかったからです」
明華の表情に今度は疑問の色が足された。
咲「今の私がどんなに警戒しても槍槓を決めてくる打ち手がいる」
咲「それは今の私が弱いから」
咲「だから」
咲「そんなあなたを叩きのめし、槍槓できないようにする事ができれば」
咲「私はまた一つ強くなれる」
咲「そう思っただけですよ」
明華「咲さん貴女は……」
冷や汗を垂らす明華をよそに咲は笑みを深める。
明華が最初、案内を買って出たのは好奇心だった。
普通、臨海女子ほどの麻雀部が一年一人のために道案内などしない。
だが咲は別だ。
異質なサポート体制故の特別措置。
既に咲は、留学生達と同じような活躍を期待されている。
だから、道案内にも務めるのはレギュラークラスの人間。
そこで明華はネリーやダヴァンと競合して咲の道案内の権利を勝ち取った。
そして聞きたかった事の真意を問うた。その結果がこれ。
いつのまにか、月が出ていた。
冴えざえとした月の光を浴びる咲。
その姿は、何かに魅入られたかのように幽玄の美しさを湛えていた。
▼
「サキー! 一緒に学校いこうよ!」
翌朝。登校に多少ゆとりを持たせて起床した咲の耳朶を打ったのは、昨日の朝と同様、薄い壁越しに漏れ聞こえてくる声だった。
咲は走った。
咲「全然懲りてないじゃないですか! だから近所迷惑です!」
ネリー「あははーごめんねー」
起きてる気配がしたものだから、と釈明するネリーだったが、他の住人はどうか。
抗議に来るのが咲だけという事は、泣き寝入りしているのか、単に空き部屋なのか。
ため息をつく咲にネリーは優しげに肩を叩く。
ネリー「ため息をするとお金が逃げてっちゃうよ」
咲「しあわせじゃなくて?」
初耳だ。というか、ネリーに限定した持論ではないだろうか。
基本的に、彼女の会話の引き出しは、金銭に関するものばかりだ。
咲「なんだか朝から疲れるよ……」
ネリー「ねえねえ」
ちょんちょんと肩を叩かれる。なんだろう。向き直る。
ネリー「サキって、いつも敬語で話してるわけじゃないよね?」
咲「それは、まあ……はい」
ネリー「だったらなんでわたしに敬語なの! 同い年だよ」
咲「あっ」
思わず口を開けた。
咲「そういえば。最初に敬語を選んだからなんとなく」
日常生活で敬語を使う機会の方が多いのもあるかもしれない。先生や先輩には勿論敬語、同級生とはそんなに喋らないというか関わらないし、インターミドルで会った選手には学年関係なく敬語だ。
考えてみたら、敬語を使わずよく話す相手は『クラスメイト』ちゃんくらいになるのかなぁ……。
今は遠い場所にいる友達を思い出していると、膨れっ面のネリーが何やら訴えようとしていた。
ネリー「タメ口! タメ口にしないとお金を要求するよ!」
何それ、と咲が笑う。
そんな咲の顔を、じいっとネリーが見上げていた。
咲「え、何……」
ネリー「やっぱりサキはそうやって笑ってた方が可愛いね」
不意に褒められ固まる。
明け透けにものを言うのは彼女が日本人じゃない故か。
面映ゆい気持ちになりながら、咲は話題を変えた。
咲「学校にいこうって話じゃなかったっけ?」
随分と脱線した話題を軌道に戻し、いざ登校の準備をしようとすると、前から衝撃が襲った。
ネリー「やったー! タメ語だーっ!」
咲「ちょ、ちょっと、ネリーちゃん」
タメ口の言い方が微妙に変わっていたが、抱きつかれた衝撃に比べたら些細な事だった。
無理に引き離すのも失礼かと思ってなすがまま。しかし釘は刺しておく。
咲「あの……私こういうの慣れてないから、あんまり……」
そう伝えるとぱっと離れるネリー。そのあたり、善良な気質に思えて咎める気持ちは薄れてしまう。
ネリー「ごめんごめん。じゃあ学校いこう!」
咲「私準備してくるね」
▼
朝の通学時間。定刻の電車にネリーと共に乗り込む。
ネリー「誰かと一緒に学校いくのって、はじめてかも」
咲「そうなの? 意外だな」
性格からして友人は多くいそうだが、そんな事もあるかと納得する。
家の場所や時間の都合もあるし、仕方ないだろう。
ネリー「にしてもここ空いてるね」
咲「いちゃいけないところではないはずだけど」
ネリー「女性専用車両でもネリーたち関係ないもんね」
車両の中にぽっかりと空いたスペースに立っている。
周りをみると結構どこもぎゅうぎゅう詰めになっている。奇妙な事があるものだと咲は不思議に思った。
ネリー「まあいいや。それより学校に着くまで話がしたい!」
咲「いいよ。何の話しよっか?」
ネリー「サキの中学の頃の話が聞きたい!」
特に敬遠したい内容でもなかったので話してみる。
咲「うーん。そうだなあ、三年間麻雀部としてインターミドルに出場して」
咲「一年のときにベスト8、二年目は準優勝、最後の年は優勝したよ」
ネリー「あ、それは監督から聞いたかも。団体戦だよね」
ネリー「あれ個人は?」
咲「興味ないから出なかったよ」
ネリー「へー」
咲「ああ、そうそう。三年生のときは部長してた」
ネリー「サキが?」
咲「あんまり柄じゃないけどね」
苦笑いする。「そんなことないよ」とネリーは言ってくれたが、やはり人を率いるのは苦手だった。
咲「あ、あとあんまり麻雀には関係ないんだけど……」
咲「ピンクの髪をした女の子にしつこく連絡先を聞かれて怖かったな」
ネリー「ストーカーってやつだね」
咲「そこまでじゃないよ」
冗談を交わしひとしきり笑い合うと、咲は新しい話を切り出した。
咲「あの……一つお願いしてもいいかな」
ネリー「うん?」
咲「ネリーちゃんが学校にいくときとか、麻雀部の部室にいくときとか、できたら一緒にいてほしいの」
沈黙。数秒変な間を挟み、ネリーが答えた。
ネリー「んー」
ネリー「それってもしかしてコクハク?」
咲「じゃなくて!」
咲「その……私、方向音痴、というか……すぐに迷っちゃう癖があって」
咲「昨日、明華さんに案内してもらったときに言えなかったんだけど……たぶん無駄っていうか」
咲「い、一応努力はしてるんだよ? すれ違う人に道を聞いたり……でも気づいたらどこにいるかわからなくなるっていうか……うぅ」
咲「だから、恥ずかしい話なんだけど、誰かにいてもらえたらなぁ……って」
咲「だ、ダメかなぁ……?」
ネリー「全然ダメじゃないよ!」
ネリー「サキと一緒にいるの楽しいし、ドントコイだよ!」
咲「あ、ありがとう……」
咲は喜ぶ。
恥ずかしかったけど頼んでよかった。
何かお返しできる事ないかなぁ……。
ふと思いついた事を訊く。
咲「ネリーちゃんってお昼はどうしてるの?」
ネリー「お昼? 学校の食堂で食べてるよ」
咲「それなら」
咲は、ネリーに弁当を作って渡そうかと提案した。
幸い母からもらっているお金は潤沢といっていいほどあるし、自分ともう一人分の弁当を作る程度は問題ない。
ネリー「いいの!?」
咲の提案を聞いたネリーは目を輝かせた。
ネリー「やったー! 昼食代が浮く!」
やっぱりそこかと慣れてきた感のある咲は苦笑する。
話は無事まとまり、電車の到着を知らせるアナウンスが流された事もあって、横開きの扉の前に二人は並んで立つ。
ふとネリーがつぶやいた。
ネリー「そういえばどうして昨日は迷子にならなかったんだろ」
咲「麻雀に使ってる力を使うと迷わずに着ける事もあるんだ」
今の力のレベルだと着けるかどうかは半々だった。