風華の魔法によって数多の世界から可能性を届けられ、ソウルジェムの呪いさえも受け止めきれる器を備え、魔力を全開で行使できるようになった魔法少女達と、全開の攻撃を繰り出してきたワルプルギスの夜との力関係はほぼ五分と言って良かった。
魔女の全身からは破壊の力が濁流のように迸り出るが、全方位に展開した魔法少女達は全員の力を集結させて、先程と違って魔力を遠慮無く使える分、より頑強となった魔法障壁を使って防いでいた。
間違いなく五分と五分の勝負であるが、しかしこれは見方を変えれば行き詰まり状態とも言えた。
魔女の方は自分の攻撃手段を封じられ、他にやるべき事がない。
一方魔法少女達も、魔女の攻撃を封じる事は出来ているが、逆にそれしかできない。彼女達の力はここが限界点だった。いかにソウルジェムが穢れずに魔力が使い放題となったと言っても、瞬間に発揮できる魔力量には限界がある。どんなにバルブを捻っても、一度に出てくる水の量にはホースの口の面積という限界があるのだ。
何らかの破局点が存在しない限りは、この状況は果てしなく続きそうであった。
その時だった。最強の魔女から発せられる破壊の力が、より巨大なものとなる。どうやらこの膠着状態を打開する為の切り札を保っていたのは、ワルプルギスの夜の方だったらしい。
戦闘態勢に入って本気を出した魔女であったが、本気の本気、全力100%の力はまだ出し切ってはいなかったようだ。奴にしてみればここからが本当の勝負と言う所か。
しかし、魔法少女達にしてみればたまったものではなかった。こっちは必死こいて先程までのパワーを、やっとこさ抑え込んでいたと言うのに。
「ちょっとは手加減しろよな!!」
苦笑いしつつも障壁を維持する力を緩めず、杏子が毒づく。
「弱音とはあなたらしくないわね、佐倉さん」
マミが軽口を叩く。しかし彼女の額には汗が滲んでいてて、口調や表情ほど余裕が無い事は明らかだった。
「私達は、沢山の”私達”から可能性を、希望を託されているわ……!!」
ほむらの言葉は、正確には少し違った。風華の魔法によってこの世界に繋がる全ての平行世界の”自分達”から、今の自分達は可能性を集め、束ね、託し、委ねられている。
この戦いで自分達が勝利すればそれは異なる世界、違う次元の全ての自分達が勝利する事であるし、逆もまた真なり。
即ち、今の自分達は”自分達”にとっての希望そのものであると言えるのだ。ならば、負ける訳には行かないではないか。何があっても。
彼女の言葉は漏れ出た思念を通じて、この場の全ての魔法少女達にも伝わったらしい。全員が発する魔力が、気持ち強くなったように思えたのは、錯覚ではあるまい。
「ワルプルギスの夜の力……やはり、底が知れないわね……20人近い魔法少女が束になり、しかも数多の世界の可能性を束ねても、拮抗するのが精一杯だなんて……」
最後衛の位置で魔法少女達の戦いを見守る風華が、ここまで来るともう尊敬するしかないという口調で言った。彼女のソウルジェムもまた、これまでになく強い輝きを放っている。平行世界から集められた可能性の中には、彼女自身の可能性もあったのだ。
「深雪風華。君には驚かされてばかりだね」
キュゥべえが言う。彼も風華がワルプルギスの夜へと抱いているのに近い感情、尤もインキュベーターは感情を持たないらしいからそれに近しい印象のようなものを抱いたのだろうか。その口調には畏敬の念が込められているように思えた。
「まさかこんな方法で魔法少女達の条理を覆し、ソウルジェムを濁らなくさせるなんて……僕達インキュベーターにはその発想さえも無かったよ」
彼にしてみればこれは純粋に感心していた。今まで数え切れないほどの魔法少女達を見て、呆れるほど多くの願いを叶えてきた。しかし風華やイブほど長い時間を存在してきた魔法少女は。彼女達ほど自らの魔法を使いこなし、システムの穴を突いてくるような魔法少女は見た事が無かった。どころか、どんなデータバンクにも存在しなかった。
彼が言ったようにインキュベーターには魔法少女システムを構築するような技術力はあるが、風華達ほどの発想の転換や応用性は無かった。宇宙に適応した事による永い寿命や、肉体に無数のスペアを持ち”死”の確率自体が低い事が彼等から危機感を奪い、そうした思考の発展性を失わせたのかも知れなかった。
「でもどうする? ここまでしてもまだ魔法少女達とワルプルギスの夜の力関係は五分と五分、いや、まだ僅かだけれど魔法少女達が下回っている。君も含めた魔法少女達がソウルジェムを濁らせずに魔力を行使できるのは、暁美ほむらの力によって平行世界が高い密度で収束しているこの短い時間だけだ。それを過ぎれば……」
この奇跡の時間が終われば、今のこの均衡はあまりにもあっけなく崩れ去るだろう。だからその前にまどかが契約を、と魔法の使者は言っているのだ。だが、当然さやかが反発した。
「やらせないって言ってるでしょ!!」
そう言うと、彼女は風華に向き直る。
「風華さん、何とかならないの? 今集めている世界の可能性で足りないのなら、もっと沢山の世界から可能性を拾ってくるとか……」
「出来ればやっているわ!!」
言われるまでもないと、風華は怒鳴った。
「私の魔法が飛べるのは、あくまでもこの世界と繋がっている世界だけ。繋がっていない、ほむらが行った事のない世界へは飛べないのよ。今の時点で、全ての飛べる世界にありったけの分身を送っているわ。これ以上は……」
世界とは、それこそ可能性の数だけ存在する。よく、数の多い事を星の数ほどと言って表現するが、存在する平行世界の数はその比ではないだろう。
風華が分身を過去に飛ばせるのは、その内の十にも満たない一握りの世界でしかないのだ。
しかし、ここでも逆に考える事が重要だった。ほんの僅かな世界の可能性だけでも何とか拮抗する事が出来ているのだ。だとすれば、もっと多くの世界から可能性を集めてこの世界の皆に託す事が出来たのなら、あの最強の魔女を打倒する事も不可能ではあるまい。
だがそれには数多の世界を束ねる事が絶対に必要。そんな奇跡のような事、出来る訳が……
「大丈夫、出来るよ」
まどかが、進み出た。彼女はキュゥべえの前に立つと「私とほむらちゃんの会話を、みんなに繋いで」と頼む。インキュベーターは別段拒む理由はないので、これは契約とは別に彼女の願いを聞き届けた。
『ほむらちゃん、ごめんね』
『まどか?』
二人の会話は要望通りちゃんとオープンチャンネルになっているようだった。風華の頭に、二色の声が響いてくる。恐らく他の魔法少女も同じだろう。
『私、魔法少女になる』
『やめて、まどか……!! それじゃあ私も……今戦っているみんなも、一体何の為に……!!』
普段のクールな彼女からは想像も付かない動揺に震えた声が、響いてくる。それに恐れも。これは友を失う事への恐れだ。それとは別にこの会話を傍聴しているだろう他の魔法少女達の声にならない声も、一緒に伝わってきた。
いくらイブの能力があるとは言え、今までまどかが魔法少女にならないように、こうして力を尽くしてきたのに。今になってこんな事が起こってしまったら……!!
だが彼女の最高の親友は、こう言った。
『ほむらちゃんは……信じられる?』
『え?』
『私が、決して自分を犠牲にしたりしないって。同時に、ほむらちゃんも、杏子ちゃんも、マミさんも、さやかちゃんも。今まで戦ってきた全ての魔法少女達の祈りを……決して無駄にしないって、信じてくれる?』
まどかは具体的な事は何も言っていない。それで信じろと言うのも無理な相談だと、彼女自身思っていた。だが、ほむらも一つの事を理解していた。
信頼とは、あの人はこういう人だから信じられるとか、そういう言葉で表すものではないと。敢えて一つ言うのならまどかがまどかであるから信じられる。それだけで良いのだ。本当に誰かを信じるとはそういうもの。それは、無心の信頼というものなのだと。
『……分かったわ、信じてるわよ。まどか……』
その言葉を最後に、念話が切れた。ほむらは再び、ワルプルギスを封じ込める障壁を維持する作業に戻ったのだ。そうして、キュゥべえと相対するまどか。さやかは親友を止めようとしたが、風華に阻まれた。魔法少女は、事ここに至ったからには全てをまどかに委ねる事を決めたのだ。
少なくとも、今の彼女は魔法少女と魔女、ソウルジェム、インキュベーター、そして願いの先に訪れるであろう自分と世界の未来。その全てに正しい知識を持っている。ならば後は、先程の彼女の言葉を信じるのみ。
ほむらがまどかの言葉を信じるように、自分もまたまどかの決断が正しい事を信じよう。彼女の選択の先に、希望があるのだと。
「数多の世界の運命を束ね、因果の特異点となった君ならば、どんな途方も無い願いだって叶えられるだろう」
「本当だね?」
「さあ、鹿目まどか。君はその魂を対価として、一体何を望む?」
魔法の使者の問いにまどかは一度天を仰いで、大きく深呼吸する。
大丈夫な、筈だ。自分の決断は間違っていない筈。だが正しければ、間違っていなければハッピーエンドに辿り着ける訳ではないとママも言っていた。そういう意味ではこれは一か八かの賭けでもある。
だからこの勝負、まどかは自分にベットする事にした。自分の決断に。
「ほんの短い間だけで良い……僅かな時間だけ、全ての平行世界を一点に束ねて!!」
「その願いは……!!」
インキュベーターの言葉には、上擦っているような響きがあった。非常にレアな反応だ。これはまどかの願いが、彼にとってもどれほどにスケールの大きなものかを物語っていた。
「この今に全ての世界を束ねて、そしてこの世界を救う事で、同時に全ての世界を救いたい。私だけじゃない、みんなの力で!! これが私の祈り、私の願い!!」
兆か京か、あるいは那由他の位を数えるかも知れない世界を、短い時間とは言え一点に束ねる。それは確かに途方も無い祈りであった。キュゥべえは魔法少女になる少女のどんな願いだって叶えてあげると言っていたが、それでもこれは、まどかにしか叶えられない願いであった。最強の魔法少女となれる、彼女にしか。
「さあ、叶えてよ!! インキュベーター!!」
自分に不都合・不利益であるからと言って、願いを叶えないという選択肢はキュゥべえには無かったらしい。あるいはそれも彼等のルールの一つなのか。
そして、契約は成された。
瞬間、目も眩むような光が走り、開放された魔力がまどかを中心として、星の世界にまで達するほど巨大な桃色の光柱として立ち上った。その魔力の圧は、確かに最強の魔法少女と呼ばれるに相応しいもの。この場に集まっている全ての魔法少女達の魔力を束にしても、まどか一人の方がずっと強い。
そして光が治まった時、新しい魔法少女がそこに立っていた。ドレスのように可愛らしいコスチュームをまとったまどかは、風華に笑顔を見せる。
「まどか……あなた……!!」
「風華さん、お願い!!」
この時、風華も彼女の願いのスケールにあんぐりと口を開けてしまっていた。あまりにも予想外の願いであり思考が追従できなかったが、僅かな時間を置いて頭脳がそれを理解すると、彼女は自らの魔法を発動させた。
文字通り全ての世界に己の力の限り飛び、あらゆる世界の可能性をまどかに束ねる。
ソウルジェムの穢れは、祈りが生み出す呪いをその魔法少女が受け止めきれないから起こる。ましてやまどかの祈りの大きさは、無限の世界に干渉して全ての未来を変えるほど大きなもの。だがそれは逆に、あらゆる世界を滅ぼすほどの呪いを生み出してしまう。そんな呪いは、到底彼女一人では、と言うより一人ではどんな人間だろうと受け止めきれるものではない。
だが、一人でないのなら?
百万の世界へ飛んだ風華が、千億の可能性を集め、兆の祈りを束ね、京の夢を委ね、垓の可能性をまどかに託す。それで足りないのなら、無量大数の彼方からさえも。
それによってまどかは、自らの祈りを受け止める事が出来る。今、ワルプルギスの夜と戦っている多くの魔法少女達と同じように。
「まどか……あなたは希望……私にとっても……」
風華が呟いた。今この瞬間、全ての世界はまどかの願いによって繋がっている。だから、この世界を救う事が出来れば救えるのだ。もうどうにもならないと諦めていた、自分の本来生まれた時間軸の世界も、お父さんもお母さんも、そして”お姉ちゃん”も。
風華だけではない。昔の未来にほむらが今まで訪れてきた世界さえも、今のまどかは救える可能性を秘めている。
「さあ、撃って!! まどか!! 全ての世界の祈りがこの時に集まってる!!」
「はい!!」
まどかは頷くと、彼女の魔法武器である長弓を物質化し、束ねた魔力を矢に変えて、弦を引く。
「全ての世界の”私”……私に、力を貸して。この
あらゆる世界の可能性が束ねられた最初で最後の一矢。それが離れ、彗星の如く巨大な光条が魔法少女達が展開していた魔力の防壁ごと最強の魔女を貫き、その巨体を光の中に消していく。
だがそれだけで収まりきらないエネルギーはそのまま天空を貫き、立ちこめていた暗雲を綺麗に吹き飛ばして蒼穹へと消えていった。晴れ渡った空には、いつの間にか太陽が輝いていた。
魔法少女は、最初はみんな実感が湧かないのだろう。ぼんやりと立ち尽くしているだけだったが、離れて見ていた事もあってかいち早く正気を取り戻して杏子に走り寄ったさやかの声を聞いて、一人、また一人と歓声や勝利の雄叫びを上げ、顔をほころばせていく。
ほむらは、泣き崩れていた。
「まどか……私、やっと……約束を……」
親友と、三度目の世界で交わした約束。とうとうそれを果たす事が出来た。長い時間だった。まるで何百年も経ったかのように。それが今、漸く終わる。
「ありがとう、まどか」
風華は、たった今魔法少女になった彼女に深々と頭を下げた。まどかは、嘘でも大げさでも紛らわしいでも比喩でも何でもなくこの世界、この地球を救った。
それだけでなく、少なくともワルプルギスの夜がきっかけとなって滅びの運命を辿る全ての世界をも救ったのだ。その中の一つには、風華の生まれた世界もあっただろう。世界線が再び離れた今となっては彼女に確かめる術はもう無いが、きっと今頃はあの世界にも違った未来がある筈だ。そこでは両親も、”お姉ちゃん”も、きっと元気で……
マミは、腰が抜けたように座り込んでいた。隣には同じく全ての力を使い果たしたという風の杏子が、さやかに寄り添われてそこにいる。
「食うかい?」
「いただくわね」
差し出されたポッキーを口にし、紅茶を飲む。舌に慣れたはずの味が、まるで生まれて初めて口にしたかのように思えた。
マミはふと空を見上げて、そして勝ち誇ったように杏子に言った。
「私の言った通りだったでしょ? 佐倉さん……」
「あ? 何が……」
杏子は最初は首を捻っていたが、マミの視線を追っていて、理解したと頷く。
「日が昇ると……」
「あァ、夜が明けたな」