風華の背に集まった光は、最初は彼女の背に翼が生えたように見えたが、実際には少し違っていた。翼が生えたと言うよりは、むしろ脱皮という表現が適切だ。
彼女の体から抜け出すようにして、緑の光に包まれたシルエットが浮かび上がってくる。それは光に包まれている事と背に妖精のような翼を持っている二点を除けば風華本人と瓜二つ。分身のように見えた。
その分身の彼女は翼を一度音も無く羽ばたかせると、いきなりこの場からその姿を消した。
「え……?」
「あの光は……何が……?」
イブを除く場の全員が風華の行動の意味を図りかね、当惑したような表情を浮かべて、戸惑った視線を向ける。否、正確にはもう一人だけこの場でその種の感情を抱いていない者がいた。
この結界の魔女だ。彼女にとっては風華がどのような行動を取ろうが関係無い。ただ、餌として喰らい尽くすという悪食の本能しかない。がばあっと大きく裂けた口が開いて、血に塗れた歯やその間に挟まった肉片までもがはっきり見えるようになる。
そうして目の前に現れた新しい餌を喰らおうと、猛然と突進する魔女。それが見えている筈だが、風華は自らの魔力が描いた円の中央で棒立ちのままだ。
「いけない……!!」
二人に助けられた黒髪の魔法少女が飛び出そうとするが、イブが制した。何をするのかと睨み付けるが、イブには確信があるようだった。その証拠に彼女の目には迷いやゆらぎといった類の光が少しも見られない。
魔女は一秒と掛からない内に10メートル以上はあった距離を詰め、風華を今日のディナーのメインディッシュにせんと迫る。
未だ物陰に隠れているまどかとさやかは、思わず目を逸らした。これでは、あの人もマミさんの二の舞に……!!
だが、その未来を変える者がいた。
「ティロ・フィナーレ!!」
魔女に炸裂する黄の光弾。そこに込められたエネルギーが解放され、巨体が後方へと吹っ飛ぶ。
まどかとさやか、それに彼女達の傍にいた白い動物、キュゥべえは、特に一般人である二人はあまりの恐怖で自分達の五感が機能を狂わせてしまったのかと疑った。今、場に響いた声は、確かにあの人のもの。そして魔女を貫いた魔法も、あの人の必殺の技。だが、有り得ない。だってあの人はたった今、自分達の前で……!!
そう頭では否定しつつも僅かな可能性を信じたいと願う感情が、体を振り返らせた。
「危ない所だったわね……お互い……」
振り返ったそこに立っていたのは余人に非ず、魔法少女・巴マミだった。彼女のすぐ傍には先程この場から消えてしまった、碧の光に包まれた風華の分身の姿もあった。
風華の姿をした幻影は、マミの傍から少し離れると再びこの場から消滅した。同時に風華本体の足下に描かれていた緑色の光円も消滅し、振り向いた彼女は後ろに歩き出す。それを見たイブが進み出ると、二人の魔法少女はさっと互いに手を上げて、打ち鳴らす。バトンタッチの合図だ。
「マミさん!!」
「大丈夫ですか!? でもどうして……」
自分達を守ってくれていた魔法少女に駆け寄るまどかとさやか。マミは、彼女自身何故自分が無事でここに立っているのか分からないといった風だった。
「私もどうして無事だったのか分からないけど……」
ちらりと、マミが風華に目をやる。
「あの魔女が私に噛み付こうとした時、不意に後ろから掴まれる感覚があって……それで、気が付いたらここに……」
「え……」
「それって……?」
まどかとさやかの視線も、同時に風華へと向いた。マミのものと含めて3つ以外に更にもう一つ自分へと向けられる視線を感じて後ろを向くと、黒髪の魔法少女、まどかが「ほむらちゃん」と呼んだ彼女もじっと自分を見詰めているのが分かった。まあ、あの状況では自分が何かしたと思われるしかないから当然の反応だ。
そして何をやったのか説明しろ、という空気だ。
風華は魔女はイブが警戒しているので短時間ならば大丈夫と見て、簡単な説明なだけはする事にした。手品の種をバラした所で、対処法が無ければ同じ事だ。自分の不利益にはならない。
「70秒ほど、時間を跳んだのよ」
「時間を……?」
「そんな魔法が……?」
「!!」
マミも含む3名はただ驚いたという表情を浮かべるだけだったが、ほむらだけは違った。明らかに強く衝撃を受けたようで、瞳が大きく見開かれる。
「私の魔法は自分の分身を過去に跳ばして、”今”を改竄する事が出来る。あなた……」
「巴マミよ」
「ではマミ。あなたは実時間では確かにあの魔女に喰い殺されたけど、私の魔法で『70秒前のあなた』を”今”へと連れて来たのよ。タイムマシンのようにね……」
「そんな……」
やっぱり今し方目の前で起こったのは夢でも幻惑でもなく現実であったのだと、二人の一般人と一人の魔法少女は衝撃を受けたらしい。特に実際に殺される所を見ている分、まどかとさやかの受けた衝撃は強かったようだ。
「さて……お話はこれぐらいにしましょ。向こうはそろそろ仕掛けてくるわよ」
風華に言われて全員が目をやると、マミの銃撃で壁に叩き付けられた魔女が傷を再生して、再び獲物を喰らってやろうと牙を剥き出しにしている所だった。
イブは油断無く腰を落とし、ぐっと身構えている。
「協力してもらえるかしら?」
「ええ、あなたには助けられたからね。援護は任せて」
マミは快く頷くと魔法で創り出したマスケット銃を構え、
「じゃあ私は、二人を守るわ」
ほむらは数歩下がると、まどかとさやかと、それにキュゥべえが背後に来る位置に立った。
「それじゃあ、行くわよ!!」
気合いの入った叫びと共にマミは跳躍すると、自分の周囲に無数のマスケット銃を創り出す。それらの銃は彼女の念によって一斉に引き金が引かれて撃鉄が起き、魔力の弾丸が雨あられの如く魔女へと降り注ぐ。凄まじい弾幕は魔女の巨体にも十分な損傷を刻んだが、魔女は蛇が脱皮するかのように口から自分と全く同じ姿の怪物を吐き出して、あっという間にダメージを回復させてしまった。
「くっ……しぶといわね……」
「でも、あの魔女も不死身ではないわ。続けて攻撃すれば……」
「そうね……」
確かに、脱皮した今の魔女は先程よりも動きが鈍くなっている。全く効いていないという訳ではないらしい。ほむらの言う通り一気に攻撃を加え続ければ倒せるかも知れないが、しかしあまり長引かせて更なる隠し球を見せられては面倒だ。ここは一気に決めたい。だがどうすれば? 答えは簡単。
相手が再生するのなら、再生できない、再生しようが意味の無い方法で攻撃するまで。
「イブ!! 面倒だわ、エリクシルを使いなさい!!」
「分かったです、風華」
相方の指示に手を振って了承の意を伝えると、イブは魔力で小さなナイフを創り、その刃を自分の掌に当ててすっと引く。すると、当然の事ながら彼女の小さな手には紅い線が走り、その傷口から滴る血は地面に落ちて、そして紅い霧がもうもうと立ち上った。
「これは……!!」
「血の……霧……!?」
紅い濃霧は完全にイブの意志の下にコントロールされているようだった。自然の法則のように空気の流れに乗って動くのではなく、明らかに風華やマミ達を避けて魔女を包み込むように動いていく。
広がっている霧に触れたお菓子が、溶けていく。使い魔が霧に飲み込まれて、ぼろぼろと崩れていく。
「この霧が……あの子の魔法?」
マミの言葉に、頷く風華。
「そう、イブの魔法……エリクシル。あの子の魔力を流した血の霧は、どんなものでも溶かして崩してしまう。うっかり触らないように気を付けてね」
恐ろしい内容をさらっと口にする風華。それを聞いたまどかやさやかが、思わず一歩退いたように見えたのは気のせいではあるまい。まあそれも無理からぬ所だ。触れば味方であろうとお構いなしに溶かしてしまうのだから、何かの間違いで自分に向けられたらと思うと風華自身ぞっとするものがあった。
だが、こと魔女を狩る一点に於いてこれ以上強力な魔法も無いだろう。
魔女は大抵の場合結界という迷路の最深部に隠れて、身を守っている。だがエリクシルを相手にした場合、結界は身を守るどころか袋小路としてしか働かなかった。
何処に逃げようとも、紅い霧は結界中に満ちて最後には魔女を追い詰める。限定された空間はイブの魔法の威力を最大限に引き出すホームグラウンドだと言えた。
そして今回の魔女のように再生能力を持っていようと関係はなかった。再生しようと脱皮した所から次々に溶かされていき、やがて紅い霧が全身を覆い尽くすと、二度とその中から巨体が浮上する事はなかった。
マミは先刻、倒したと思ったらぬいぐるみのような体からさっきの姿が飛び出してきたのを見ていたので、同じ轍は踏むまいと今度は油断無く銃を構えて神経質に周りを見渡している。
ほむらも、イブが生み出したエリクシルの紅霧が晴れたらまだそこに手負いの魔女が潜んでいるかも知れないと警戒して、臨戦態勢を解いていなかった。
だが、どうやら二人の心配は杞憂だったらしい。結界がゆらぎ、消えていく。そうして完全に全員が通常空間に復帰したのを確かめると、イブは自分の血に流していた魔力の供給をカットした。すると魔の霧は力を失い、無害となって空気中に消えていった。
そうして6人と一匹が立っていたのは結界の入り口があった病院外周の一角だった。足下には、まどかとさやか、それにマミの鞄が置かれている。危うく、この鞄の持ち主が全員いなくなる所だった。
それをこのメンバーの中で一番よく弁えているのは、ほむらだったらしい。じろりと、まどかとさやか、このメンバーの中で無力である二人を睨む。
「命拾いしたわね、鹿目まどか、美樹さやか……それに……」
彼女の視線が、マミへと動く。金髪の魔法少女は返す言葉がないという風に目を伏せる事しかできなかった。彼女本人は体験していないが、実際にこの戦いで一度命を落としているのだ。風華の時間魔法という極め付けのイレギュラーが無ければ、こうして今言葉を交わす事も、触れる事も不可能だった。
「あなた達も見た筈よ……魔法少女になるというのは、ああいう事なの……それが分かったのなら、魔法少女になろうなんて考えない事ね」
冷たく、切り捨てるように言う。その物言いにさやかが反感を覚えたのか何か言おうと進み出たが、マミが制した。
「そうね……確かに今回は、彼女達がいなければ私は間違いなく死んでいた……鹿目さん、美樹さん、あなた達の魔法少女体験コースは今日でおしまいね……私は契約しろともするなとも言えないけど……今まであなた達が見たものを忘れず、後悔しないように選んで……私からはそれだけ……」
マミの意見に、ほむらとしてはまだ不満なようでむすっと目を据わらせたが、だがそれ以上は何も言おうとはしなかった。すると、
「でも良かったですね、ほむらさんでしたっけ? マミ……さんやこの二人が無事で」
「な……」
「ほむら……ちゃん?」
「転校生……」
「暁美さん……?」
イブのその言葉が意外だったのか、ほむらは思わず返しの言葉に詰まり、まどか達は揃って彼女に目を向ける。慌ててイブの口を塞ごうとするほむらだったが、言葉がそこから滑り出る方が早かった。
「ほむらさん、結界の中で僕が拘束を解いたら血相変えて走り出していったですよ。よっぽど皆さんを助けたかったんですねー」
「え、そうなの? ほむらちゃん」
「転校生……あんた……」
「あ……それは……」
同級生二人の追求にしどろもどろになる魔法少女を尻目に、「行くわよ」と背を向ける風華。イブもそれに続く。だが、それを後ろから呼び止める声があった。マミだ。
「そう言えば風華さんと、イブさん……あなた達はどうしてこの見滝原市に?」
「……人を捜しに、ね。私の、大切な人を」
嘘は言っていない。大切な人とは、必ずしも友情や愛情の対象ではないのだ。そもそも大切という言葉の本来の意味は、重要な意味を持つという事なのだから。
そしてその人は、既に見付けた。
彼女の視線が、まどかへと動いた。