からりと、硬質な音を立てて机に魔法少女の魂そのものであるソウルジェムが乱暴に転がされた。
「騙してたのね、私達を……!!」
普段の彼女からは想像も付かない暗く重い声で、さやかはキュゥべえに詰問した。
「僕は魔法少女になってくれって、きちんとお願いした筈だよ?」
奇跡の商人たる小動物は表情を少しも変えずにそう返す。その答えは到底、さやかを納得させられるものではなかった。キュゥべえの前に両手をばんと叩き付ける。
「何で教えてくれなかったのよ!!」
「聞かれなかったからさ」
凄まれてもキュゥべえは暖簾に腕押しであり、慌てた様子の欠片すらも見せない。確かに「聞かれなかった」というのは事実に違いないが、さやかにとて言い分はあった。そもそもマミの部屋で受けた説明からでは、そういう発想を抱く事自体不可能だったのではないか?
「知らなければ知らないままで、何の不都合もないからね。事実、マミや杏子は魔法少女になって長いけど、君が死ぬまでその事に気付かなかったろう?」
「!!」
それは倫理的には兎も角、正しい論理ではあった。杏子はどうだか知らないがマミは魔法少女になって数年になるが、彼女からソウルジェムが自分の魂であると知らなかった事による不都合などは聞いた事がなかった。
だがだからと言って、自分の魂を抜き取られてあんな石に変えられてしまうなんて……
これじゃ私、ゾンビにされたようなものじゃないか。それも、一度死んでるし。
「そもそも君たち人間は、魂の存在なんて知覚できていないんだろう?」
これもそれ自体は正論ではある。頭や胸に魂が宿るという言葉は沢山あるが、それらは所詮何の根拠もない精神論、言葉遊びでしかない。今の所人間が「魂」に関して行っているアプローチと言えば、精々がマウスが死の瞬間僅かに体重が減る事に注目して、魂の重さを計ろうなどという原始的なアプローチぐらいだ。頭は神経細胞の集まりでしかなく、胸には循環器系の中枢があるだけだ。
「そのくせ人間は、肉体が生命を維持できなくなると精神まで消滅してしまう。だから僕達は、君たちの魂を物質化してきちんと守れるようにしたんだよ。少しでも安全に、魔女と戦えるようにね」
「余計なお世話よ、そんな事!!」
「前もって説明していれば」、という一文さえ付け加えるのならキュゥべえの言葉は全く持って全て至極正論だ。さやかも頭の片隅でそうした理解が出来ている部分はあったが、やはり納得できる訳もなくそうした言葉が口から出た。
「君は戦いというものを甘く考えすぎだよ」
だがキュゥべえにはそうした人間の感情の機微といったものは理解できないようだった。寧ろ、なぜこうも正論しか言っていない自分をさやかが理解してくれないのかと理解に苦しむという風に首を横に振ると、机上に無造作に転がされていたさやかのソウルジェムに、ぽんと前足を置く。
「例えばお腹に槍が突き刺さった場合、肉体の痛覚がどれほどの刺激を受けるかっていうとね……」
さやかの意志によらずソウルジェムは光を発し、何事かと見ていた彼女の腹部に、突然視界が全て白くなるような激痛が走った。
「う……ぐぅっ……ああ……っ!!」
立っている事もままならず、床に転がってしまうさやか。キュゥべえはそんな彼女を見下ろしつつ「たった一発でも、動けやしないだろう?」と告げる。
魔法少女の意識は肉体と直結していないので、痛みによって戦闘に支障が発生しないよう必要以上の痛覚信号は自動的にカットされて、ほどほどへと抑制された痛みだけが攻撃を受けた事を教える為に、意識へと上る。というありがたい講釈も、痛みで脳がスパークしているさやかには届かなかった。
キュゥべえがこうしてソウルジェムを操って痛みを意識へと送る事が出来るのは、先程彼が「人間は魂の存在を知覚できていない」と言った事の裏返し、彼等には魂の存在が知覚できて理解できてもいるという事でもあった。
だからこうした芸当は、彼等にしか出来ないのだ。
それとほぼ同じ時間、駅近くのお値段ほどほどのビジネスホテルの一角では、清潔なシーツが敷かれて完璧なメイキングが施されたベッドに、風華がダイブしていた。隣にはイブの姿もある。
彼女達二人は先日までは同盟を組む事になったほむらの家に居候していたが、つい数時間前にソウルジェムの本質が明かされる事件が起き、その発端となったのはイブがさやかに仕掛けた模擬戦であった事。しかもその際に一度ソウルジェムが砕けてさやかが死亡する事態にまで発展したので二人とも彼女の家には居辛くなって出てきたのだ。
「今日は疲れたわ…」
「お疲れ様です。風華の魔法は過去に干渉すると、その分の負荷が風華に掛かるですからね」
さやかのソウルジェムが砕かれた時、風華はすかさず自分の魔法を発動させて30秒前の過去に自分の分身を跳ばし、砕かれる前のソウルジェムを実時間へと持ってきてさやかに握らせたのだ。お陰で、さやかの死亡という事態はある意味”事前に”回避できた。
「不便な魔法よ。あなたのエリクシルみたいに、もっと気軽に使えれば良いのだけれど」
そんな軽口を叩いて笑い合いつつ、風華は自分のソウルジェムをぽいとイブに投げ渡した。イブは腕を大きく振ってそれをキャッチする。
「久し振りに頼むわ、あれ」
イブは頷くと、そのたおやかな指を相方の魂が封じられた宝玉にすっと這わせた。すると風華のソウルジェムが彼女の意志とは関係なく碧色の光を発し、
「んっ!!」
ベッドの上で風華がびくりと体を跳ねさせた。それを見たイブは少し、指の角度を変える。
「んんんんっ、き、効くぅーっ」
甘い声を上げて表情を蕩けさせる風華。イブはそれを見てまた指の角度を変え、新しい快感を彼女の意識の深層にまで叩き込んでいく。このやりとりは風華がベッドの上で足腰立たなくなるまで続いた。
「イブのソウルジェムマッサージは効くわぁ……私はすっかりこの感覚の虜よ……」
肌を上気させて額に汗を浮かべつつ、風華が腕を差し出す。イブはその手に、彼女の魂を握らせた。
「私も、あなたみたいに出来れば良いのだけどね……ソウルジェムの操作……」
汗で張り付いた髪の毛をすっと掻き上げる風華。その動作にはこの年頃の少女とは思えない色気があった。
「残念だけどそれは無理です、風華。あなたに限らすほぼ全ての人間は、魂がどんなものかについて理解できていませんから、なのです」
そう言うと彼女は、やれやれと溜息を吐いた。
「それにしても物事は中々、自分の思い通り行かないものなのです」
「……今日の事?」
まだベッドの上で寝転がりながらイブがもたらした快感の残滓を楽しみつつ、尋ねる風華。パートナーは頷く。
「あそこでまどかさんが来るなんて、予想外だったです。もし僕が考えていた通りに事が運んでいたのなら、今頃はさやかさんも杏子さんも、八方丸く収まって全員ハッピーハッピーだったのに、です」
「……まあ、確かにね……」
高架での一件はさやかのソウルジェムが砕け、一度は彼女が死に、それをきっかけにキュゥべえによってソウルジェムが魔法少女の魂が物質化したものであり肉体は外付けのハードウェア、もっと身も蓋もない言い方をすればただの抜け殻だと判明し、その後は皆、三々五々に別れるという最悪に近い結果に終わってしまった。
だがイブにとってまどかがあそこで現れるという事は計算に入っていなかったのも事実である。それにさやかのソウルジェムが砕けたのはあくまでまどかの行動の結果であり、イブ自身の行動の結果で何が起こるかは分からずじまいだった。本人は起こらなかった結果に自信があったらしいが……
一度だけ、イブはふうと溜息を吐いた。
『……あの時、風華が電話してこなければもっと早く片付いていたのですけど……なのです』
心中でそう呟くと、彼女はもうこれ以上は口でも心でもさやかの件について言及する事はしなくなった。以前に風華が言った通り、起こってしまった事に心に囚われるのではなく、次善の手を考えるべきだ。
と、それなりに時間を掛けた為に風華の方もやっと足腰の調子が戻ってきたらしい。立ち上がると首の関節をごきんと鳴らした。
「ま、気にしない事ね。昔の人も言っていたけど、不運だからと言ってその不運な巡り合わせにしがみついている事自体が不運なのよ。運というものは力尽くで自分の方へ向かせるものよ」
「じゃあ、その運に負けた時はどうするです?」
パートナーの問いに風華は一瞬だけ沈黙して、やがて会心の笑みを浮かべて答えた。
「笑って誤魔化すのよ。さ、行きましょう。今日も魔女退治に」
「分かったです」
頷いたイブを従えて、風華は夜の町へ駆け出していった。
次の日。今日の魔女の反応は、建設中のマンション地帯からだった。だが、風華達が到着した時には既に先客がいた。魔力の波長から、マミやほむらではない。
そして杏子でもない。彼女は高台に陣取って結界が展開された空間を見下ろしながら、アイスキャンデーをかじっていた。と、後ろに出現した気配に気付いて、振り返る。そこに立っていたのは風華とイブの二人組だった。
「あんた達か……」
「意外だったわ。もっと動揺しているかと思ったのだけど」
と、風華。少し挑発的な発言だったが、杏子は気にした素振りは見せなかった。
「まあ、確かにあの時は驚いたけどこんな体になったからこそ、魔法の力で好き勝手出来てる訳だし……それに魔法少女になったのはあたしの自業自得だからねぇ……」
「マミさんもそんな風に考えられたら良かったのだけど」
杏子の後ろに立っていた自分達の、更に後ろから掛けられたその声に振り向く二人。そこには魔法少女のコスチュームを纏ったほむらが立っていた。相変わらず近付いてきた気配は全く無く、いきなりその空間に現れたかのようであった。
「マミの奴がどうかしたのかい?」
「ええ、ソウルジェムの真実がショックだったのでしょうね……部屋に閉じこもってしまったわ……」
「……無理もねぇか……あんな事聞かされちゃあな……」
杏子は諦めたように天を仰いだ。実際、自分も今はこうして何事もなかったように振る舞っているが、あの時に受けた衝撃は計り知れなかった。どっちかと言えばマミの奴の方が、普通の反応だろう。
あんな事を聞かされたら彼女のように自分の殻に閉じこもるか、あるいは……!!
「ところで、黙って見ているだけなの?」
ほむらが尋ねる。自分達の眼下に見える結界の中で戦っている魔法少女、さやかの事だ。
「今日のあいつの相手は使い魔じゃなくて魔女だ。グリーフシードも落とすだろう。無駄な狩りじゃない」
「そんな理由であなたが獲物を譲るなんてね……」
建前を見破られて心の中を見透かされたような気がして、杏子はほむらを睨み付ける。自分がここまでさやかを気に掛けるのは、同じ存在だからかも知れない。
自分も彼女と同じで、人の為に契約した。だがその結果は……
『だから、さやかもあたしと同じように……』
その時、結界から漏れ出す魔力の波動が揺らぐ。それを感じ取って4人の思考も、会話も中断された。
「あのバカ、手間取りやがって」
毒づくと杏子は魔法少女の力を解き放ち、結界へと身を躍らせる。風華とイブ、そしてほむらも彼女に続いた。
結界の中は、まるで虐殺現場の如き様相を呈していた。辺り一面に散乱してちょっとした溜まりとなっている鮮血。斬り捨てられた使い魔の群れ。だが血の海を作っているのは使い魔の血ではなかった。
その血は狂ったように魔女を切り刻んでいるさやかのものだ。彼女は今現在も魔女の攻撃を受けて全身から血を流しながら、それでも攻撃の手を休めようとしない。まともな戦い方ではなかった。戦いと言うより、獣の食い合いという方が適切に思える。
「おい、あいつは……」
「痛覚をカットしているのね……」
「なんて馬鹿な事を……です」
「さやか……!!」
あまりの光景にこの場に乱入してきた4人は、揃いも揃って言葉を失ってしまう。同行していたまどかと同じで。
杏子の懸念はこれだった。ソウルジェムの真実みたいな衝撃的な事実を知らされたら、まずまともではいられない。となればマミのように引きこもるか、あるいは今のさやかのように自暴自棄になって、死にたがるように戦うかだ。
「あはははは!!」
哄笑が響く。狂気を孕んださやかの声が、結界中に反響する。本来ならさやかを援護するなりそれとも力尽くで彼女を止めたりするべきなのだろうが、今は4人とも、行動に移る移らない以前にそうした発想それ自体が頭の中から飛んでしまっていた。
「さやかちゃん……もう、やめて……!!」
突っ伏したまどかの声が、さやかの笑い声に掻き消される中で小さく聞こえた。