[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

4 / 49
「広報部隊」-2

「よう、早いねえ、今からかい? 一緒に行こうぜえ」

 

 艤装を装着して具合を確かめていると、後ろから声が掛けられた。この尖ったところのない元気な声は、疑いなく僕の新しい友達である。自然と笑顔になって、そちらを振り向いた。

 

「ああ、待ってるから艤装持って来いよ」

「あいよー」

 

 気のおけない友達同士の軽いやり取りをしていたところで、ふと彼女の写真を撮るつもりだったことを思い出した。工廠の艤装置き場へと自分の艤装を取りに行った隼鷹への伝言を近くにいた整備員に頼み、艤装をその場に置いてダッシュで自室に戻る。途中で曙を見つけて遠回りしなければならなかったが、それを除けば何事もなく部屋まで戻れた。片隅の机の上に置いたデジタルカメラを掴み、また工廠へと戻る。隼鷹は伝言を聞いて待っていてくれた。ニヤニヤしながら近づくと、露骨に引いた顔で後ずさる。「そのカメラであたしの何を撮ろうってんだてめえ!」「やめろ誤解を招く!」そんなやり取りをして笑ってから、説明する。訓練所の時の友達が僕のことを心配しているから、こっちでも元気にやってますってことを教えてやりたいんだ、と僕が言うと、隼鷹は持ち前の心の広さで快諾してくれた。「何だぁ、そういうことなら協力するよ。服はどうしよっかねぇ、着替えて来ようか?」「別に記念写真じゃないんだからいいんじゃない?」「それもそっか。よし、んじゃ撮ろうぜ!」

 

 僕らは肩を組んで、自撮りの要領で何枚か撮った。その後隼鷹の「軽空母のポーズ」を何枚か撮影し、知り合いの整備員にカメラを預けた。仕事先に持っていく訳には行かないからだ。防水はばっちりだが、何かの拍子に落としたりしたらいけない。そんなに安い買い物でもなかったのだ。高給取りでもないし、その辺はきっちりしておかないと後で悔やむことになる。預かったついでに写真の印刷も請け負ってくれた整備員に礼を言って、僕らは出撃用水路に向かった。水上に立ち、前進を始める。長い水路を通って、建物の中から外へ、陽光降り注ぐ海面へと出る。僕は思わず手で光を遮った。目に痛かった。隼鷹は目を細めているが、手で隠すようなことはしていない。

 

「さーって、行きますかねー」

「今日は日差しが強いな、日焼け止めでも塗っときゃよかった」

「ああ、ならあたしの使いなよ。丁度持ってるし」

「いいのか?」

「痛い思いしたくないんだろ? あたしも肌弱いから気持ち分かるんだよ」

 

 ありがたく受け取って使わせて貰う。これで僕の繊細な肌は守られた。「助かったよ」「いいってぇ、大したことじゃないんだしさあ」彼女は笑って手を振ってそう言ったが、それを素直に受け取るほど僕も馬鹿じゃない。今度、何かでお返しをしよう。雑談をしながら、広報用素材撮影の為の演習地点に向かう。洋上にぽつんと岩礁が突き出ているのが目印で、しょっちゅう使っている場所だ。前に深海棲艦と出くわしたのもこの辺だった。僕らは他の面々が来るまでの時間を潰す為に、射的をすることにした。簡単なゲームだ。適当な石を拾い、それを投げ上げる。隼鷹は航空機で、僕は砲で狙う。投げる役は交代で行う。どうせ幾ら弾を使ったところで、経費で落ちる程度のものだ。上からは「予算を減らされないようにもっと使え」と言われているほどなのである。減らされない為だけに使うってのもなんだかなあ、と思いながら、僕らは一時の遊びに興じた。命中率は僕がちょっとだけ、隼鷹より高かった。飽きるまでやったが、まだ少し時間が余った。ま、これぐらいなら腰を下ろして待っていればすぐだ。僕が適当なところに腰掛けると、隼鷹もそれに倣って近くに座り込んだ。暫く僕らは海の音に耳を澄ませていたが、隼鷹が口を開いた。

 

「この前さあ」

「んー?」

 

 僕は気だるさに任せた、適当な声を上げた。

 

「訓練所で一緒だった飛鷹から手紙が来てさ」

「へえ、よかったじゃないか。何処勤務?」

「んー、単冠湾」

 

 ちょっと倦怠感と眠気が飛ぶ。単冠湾なら知ってる奴がいる。

 

「単冠湾? 僕の同期も確か二人そっちに行ったわ」

「え、マジ? 誰?」

「天龍と龍田」

「あー! ……知らないねえ」

「知ってたら逆に驚くわ。んで何?」

「何が? ああ飛鷹の手紙だったっけ? あれ?」

「お前もう酒やめろよ」

「やめるかよ」

「力強いなおい」

「やめられねえのさ……」

「ほとんど病気じゃねえか」

 

 そうこう言ってる間に、隼鷹は懐からスキットルを取り出した。僕が彼女を心配するところがあるとしたら、まさにこれだ。僕は海軍本部付の広報部隊に配属され、出張所で彼女たち広報艦隊と会い、今の仕事をするようになった。それから数ヶ月だ。一つの職の継続時間としては短いが、人との付き合いとしては決して短くない。僕は隼鷹が文字通りのしらふのところを見たことがなかった。飲んでも顔が赤らむことがないタイプらしく、あるイベントの際には民間人たちの前で平気な顔をして飲んでいた。暑かったから、熱中症予防の飲み物を入れた水筒だと思ってくれたのか、それを問題にする者はいなかったが……彼女と同じ時期に広報艦隊に配属された榛名さんによれば、隼鷹が飲むようになったのは決して昔からの話ではないそうだ。こちらに配属されてからの悪癖だと言っていた。

 

 酒に逃げるしかない何かがあるのか、酒が楽しすぎて止める気になれないのか。どちらにせよ、後者ならまだ救われる。酒より楽しい何かを見つけることができれば、簡単に片がつくだろう。それができるかどうかは別として、あっさり片付いて、しかも後に何の遺恨を残すこともない。だが前者だったら、話は複雑だ。僕が進んで口を出す問題じゃない。人間にせよ艦娘にせよ、自分の問題を他人に解決して貰うことはできないのだ。自分で立ち向かわなければならない。そうだ、必要な時にはそうしなければならないのだ。男でも女でも、成熟した社会の一員として振舞う人格の持ち主であれば、自分の生み出した子の処刑を代理人に任せるような真似はしない。自分で狙いをつけ、自分で引き金を引くものだ。それが本物の大人だ、そうだろう?

 

「あいつ、いい奴だから友達が沢山いてさぁ、そん中にあたしもいる訳。ほら、分かるだろ? あたしじゃないあたしって奴。単冠湾のあたし、って言うかさ」

 

 一口飲んで隼鷹は話を続けた。もう、話題を変える為の冗談を言うような雰囲気じゃなかった。僕は黙って聞いていた。

 

「軍の方針なのかねえ、同じ訓練所で訓練された艦娘を別々の勤務地にやっちまうってのは。なら諦めもつくんだけどさ。何か、あっちのあたしも飛鷹と同じタイミングで着任したらしいんだよねえ」

 

 僕は隼鷹の方に手を伸ばした。ぽい、とスキットルが放り投げられ、僕の手の中に納まる。僕も飲んでなきゃこんな雰囲気には耐えられそうにない。二口飲んで返すと、隼鷹がじろりとこちらを睨んだ。「多くない?」「今度返す」「そうだねぇ、天山とか流星とか欲しいよねぇ」「何処で使うんだよそれ」僕らは呟くように軽口を応酬した。隼鷹が僕に飲まれた分を取り返すかのように、スキットルを傾けた。んぐ、んぐと音が聞こえる。「ぷはぁーっ、やっぱ海で飲むのが最高だよぉ! へへへー」一気に飲んだので、早速少し回ってきたらしい。こんな調子でも任された分の仕事ができるのが、またこの隼鷹という艦娘の面白いところだった。それに緊急の時には、どうやってか知らないがすっぱりと酔いを散らしてしまえるのだ。あの特技は僕も得ておきたいものだった。

 

 近くの石ころを拾って、海に投げつける。何度か跳ねて、水に沈む。隼鷹はそれをぼーっと見ていたが、真似をして投げ始めた。

 

「飛鷹からの手紙と一緒に、そいつからの手紙も入ってたよ。それがまあ、あたしだったらこう書くだろーなーってのと丸っきり一緒でさぁ、何か居場所を取られた気がするんだよね……しかもあっちのあたしは前線部隊で飛鷹と一緒に命張ってるってのに、さっ!」

 

 最後の掛け声と一緒に思い切り投げられた石が、これまでにない跳躍回数を見せた。隼鷹はほんの少し、子供っぽい得意げな表情を見せた。だがあんまりその表情がはかなく消えてしまったので、一度瞬きをすると僕には、その表情を隼鷹が本当に浮かべたのかどうか自信が持てなくなってしまった。

 

「毎日毎日、こっちじゃ写真撮って作り笑い浮かべての繰り返しだもんなー。ホント、嫌んなるよ」

「でもあっちと違って、友達が目の前で死んじまうってことはないじゃないか」

「ああそうだね、目の前じゃ死なない。知らないとこでくたばっちまうのさ……同期の友達、何人残ってんのかなあ。そっちはどうだい、もう誰か死んだ?」

「友達から聞いてる限り、同期じゃ二人。親しくはなかったけどね。新任提督の艦隊に回されたらしくって、上が引き際を誤ったらしい。僕が知らないだけで、他にも何人か死んでるだろうな」

 

 それは、自分にもどうしてか分からないほど現実感のない事実だった。艦娘が死ぬ、それはあり得ることだ。撃たれて死ぬ、爆撃を受けて死ぬ、雷撃を食らって死ぬ、当たりどころが悪ければ衝突して死ぬことだってある。だが僕にはそれについて考えようとすると、何か頭の中でもやが掛かったようになってしまって、思考が散逸して、結局は考えるのを止めてしまうのだった。だから今回は、僕が死ぬということを考えてみる。自分が死ぬところを想像する。撃たれる自分を思う。血が流れるところを思い浮かべる。右腕が折れて骨が突き出している。口からは黒々とした血の塊がどろりと垂れて落ちる。右目が潰れて、何か液が漏れている。僕はゆっくりと倒れる。水が僕を受け止める。水が僕を包む。水が僕の中に入る。僕は水になる。底へ横たわり、冷たい安らぎに身を任せる。近くには僕と同じような誰かが大勢いる。彼女らは僕に近寄ってくる。言葉が口にされる。だが僕の耳には届かない。そこに空気はない。僕の手に、腕に、足に、腹に、首に、口に、自分の手を添える。声が聞こえる。僕はもがく。口元の指を食いちぎり、彼女らの手を振り払おうとする。息ができない。僕は呼吸をやめる。呼吸をやめる。呼吸を──「おい息しろってば!」

 

 ばしん、と叩かれて僕は目を覚ました。途端に猛烈な吐き気が襲ってきて、僕を叩き起こした隼鷹を押しのけ、岩礁の陰に走りこんだ。そこでげえげえと吐く。アルコールの苦味を感じたが、どれだけ吐いても海水の塩味が喉からも口の中からも消えなかった。吐き終わって、僕はそれを始末してしまおうとした。そして見た。何かぶよぶよとした肉塊が転がっていた。驚き、戦慄、この時に感じたものを表すならこの辺の言葉が簡単で分かりやすいだろうか? 僕は隼鷹を呼びそうになった。だが運よく、僕には落ち着くチャンスがあった。汚物の中に転がるそれを見てみる。それは、単なる海草がへばりついた土くれに過ぎなかった。

 

 僕は隼鷹のところに戻った。断りを言いながら近づこうとすると、隼鷹は海の方を見て僕に背を向けたまま、さっと手を僕にかざした。その手が意味するのは「ちょっと黙ってろ」だ。僕は逆らわなかった。僕と隼鷹は友達だが、いつ彼女の言葉をちゃかすべきか、そしていつ即座に従うべきかは分かってるし区別してる。僕は静かにして、自分の艤装のチェックを始めた。砲に装填してあるのは演習用のもので、艦娘や深海棲艦相手にやり合うことを考えると、殺傷能力は低いと言わざるを得ない。当然の用意として通常の戦闘用実弾も持って来ているが、撃たずに済めばそれに越したことはないのだ。戦闘を目的にしてここまで来たのならともかく、今日の僕は別の用事でここに来た。個人的に血に飢えていたとしても、それは隼鷹までわざわざ危険に晒す理由にはならない。「数は?」僕が尋ねると、隼鷹はぶつ切りの言葉で返事をした。「二か……三。全部軽巡。少しずつ離れていってる。岩礁でこっちに気づいてない。伏せるよ」

 

 塩水に服を濡らすことを厭っていては、艦娘は務まらない。僕らはすぐにごつごつした岩の上に身を投げ出した。吐くのを隅に行くまで我慢してよかった。そうでなきゃ、隼鷹に対して申し訳ないことになっていただろう。僕らは息を潜めて連中が行ってしまうのを待ち続けた。隼鷹は深海棲艦の軽巡に気づかれないように気をつけながら、艦載機で監視を続けているようだ。彼女の開かれた目は、さっき僕に愚痴を漏らしていた時のような、酒に酔ったとろんとしたものではない。眼光は鋭く、顔そのものもきり、と引き締まった精悍なものに見える。やはり、頼りになる奴だ。しっかりしているのは肝臓ばかりじゃない。

 

 と、その時、何の気なしにほんの少しだけ顔を上げて遠くを見ようとした僕の耳に、遠くからの砲声が響いた気がした。隼鷹は偵察中の艦載機の操作に掛かりっきりになっていて、聞こえていないようだ。僕は集中して、聴覚を研ぎ澄ました。聞こえる。軽い発砲音──駆逐──それから、あの重い音は──戦艦? 曙と榛名さんが攻撃を受けているのか! 僕は隼鷹の肩を叩き、二三匹の軽巡だけじゃないらしいということを伝えた。彼女は自分で確かめるまで待つようなことはしなかった。僕の話を信じて、二人の捜索用航空機を発艦させてくれた。見つけ次第支援に入れるよう、ちゃんと実戦用の装備を積んだ機体だ。僕は航空機が飛び立っていくのを見ながら、隼鷹に提案した。

 

「周波数は分かってるんだ、無電でこっちに来るように連絡しては?」

「あの騒ぎで軽巡まで気づいて戻ってきたら厄介じゃね? それに傍受されるのも怖いからね。榛名は戦艦なんだし、まあ心配しなさんなって。ほら、いっつも言ってるだろ? 榛名は大丈夫です……」

 

 笑いを浮かべていた隼鷹の表情が変わった。今や真剣そのものだ。「見つけた。かなり遠いね……敵は戦艦二。榛名が押されてる」「どうする?」「どうするも何も」彼女はがばりと立ち上がり、海に向かって足から飛び込んだ。僕もその後を追う。水飛沫が飛び散り、互いの顔を濡らした。頷き合って、全速力で二人のところに向かう。「援軍は?」「呼びに行かせた!」誰が来るか知らないが、たっぷり数を揃えて来て欲しいものだ。僕は砲の発射準備を始めた。戦闘海域が見えてくる。出張所から僕たちのいた岩礁までの直線ルートから、ちょっと外れたところだった。きっとルート上の深海棲艦を見つけて迂回しようとしたものの、気づかれてしまったのだろう。

 

 水平線の向こうに、仲間たちの姿が見えてくる。「いっくぜぇーっ!」隼鷹が速度を落とし、敵の攻撃に巻き込まれない位置へと移動しながら、残っていた艦載機を放ち始めた。脇腹を押さえ、血で水面に線を描きながら戦う榛名さんが、ちらりとこちらを見た。ほっとした顔をしていた。曙は額に一発かすったのか、顔の半分が真っ赤に染まっている。頭の怪我は浅くても出血がひどいから、見た目よりは軽い傷なのだろう。問題は榛名さんの方だ。

 

 敵の戦艦を見据える。ル級とタ級、揃い踏みと言ったところか。目立った怪我はない。砲の狙いをつけ、一発だけ撃つ。先に上がった艦載機よりも早く、僕の砲弾は弧を描き宙を舞って、ル級が右手に持った艤装に着弾した。砲塔が誘爆を始め、奴はそれを思い切りよく海へと投げ捨てた。いい当たりだったが、二度はないだろう。ル級が僕を見た。水色に光る目が僕を捉える。それがふい、と逸らされ、榛名さんと曙に向いた。そしてル級と僕が交わしていた視線の間に、タ級が横から入って来る。彼女が艤装を動かすのが見えた。僕は足を動かし、横移動に切り替える。ただ横に動いているだけでは狙われるので、斜め移動も取り入れる。当然、あちらは僕を射線に入れようと砲塔を動かす。だがそれではまだ足りない。僕の移動には、僅かに追いつかない。だから、タ級は上体を捻る。それで僕を射線に収め、発砲しようとする。彼女は僕と違って戦って生き抜いてきた。その狙いは正確だ。僕よりも相手を撃つのは上手いだろう。しかも艦種は戦艦、大威力大口径の砲が自慢と来た。ル級には火力で劣ると聞くが、それでも僕よりは高い筈。妖精のいない砲身が、微調整を終える。座学でも習った。この時代、防御力は火力のインフレに取り残されている。死ぬ時は一発だ。僕は首を回して、タ級の砲身を、その暗い砲口を見た。そこからは僕の死を運ぶ砲弾が撃ち出される──とでも思ったか?

 

「ひゃっはー!」

 

 遠くから友の叫ぶ快哉の声が聞こえる。ル級は、榛名さんと曙の二人が抑えていた。タ級の注意は、八割方が僕に向けられていた。頭の上に隼鷹による爆弾の雨が降って来るまで気づかなかったとしても、それは彼女の恥ずべきところではない。落ち度ではあるかもしれないが。

 

 遠慮のない爆弾がタ級に降り注いでいく。彼女にはそれを止める術がない。それが爆発する時、きっと水柱が彼女の姿を隠すだろう。いい展開だ。だが僕は油断しない。水を蹴って向きを変え、爆弾が落ちていく先へと向かう。「ちょっ、そりゃ危ないって!」と隼鷹が慌てるが、大丈夫だ。距離と速度は計算できている。爆弾の最初の一発が、転舵しようとするタ級の足元に落ちた。二発目が、左肩の艤装に当たって爆発した。三発目と四発目は、彼女のすぐ後ろに。爆弾の破片が僕の艤装に当たるが、表面を削るほどの勢いもない。五発目、六発目。水柱が立ち上がる。僕は足に力を込める。水の壁が伸び切った。僕は水面を蹴る。重力に従って薄まって落ちていく海水に体をぶつけて通り抜け、その奥で反撃を準備しようとしている深海棲艦の瞳を覗き込む。その緑の輝きが大きくなったことに気づく。僕は満足しながら叫ぶ。

 

「驚いたか!」

 

 速度は緩めない。僕はタ級に思い切りぶつかる。跳ね飛ばされそうになるのを、相手の体を掴んで耐える。奴は体勢を崩す。僕が奴を押し倒すような形で倒れこむ。僕は砲塔を動かす。彼女もだ。相手の方が少し早い。だがそこで問題だ。こう密着してて、タ級の艤装でどうやって僕を撃つつもりだ? 僕は体をよじって、彼女が戦艦の剛力で僕を突き飛ばすよりも早く砲口をあごの下に押し付け、斉射した。想像通り、タ級の頭は重巡の主砲の接射に耐えられるようにできていなかったようだ。

 

 首から上を失い、痙攣しながら沈んでいくタ級を押しのけて立ち上がる。戦闘機動に再突入しようとすると、丁度ル級が榛名さんの射撃で胸を撃ち抜かれ、仰向けに倒れたところだった。緩やかに水底へと沈んでいく彼女の目は、ずっと僕を追っていたように見えた。頭を振って、その考えを拭い去る。下らない妄想だ。それよりも、榛名さんを早く後方に戻さなければならない。かなりの量の出血をしている。高速修復材を使ったとしても、死人を蘇らせることはできないのだ。

 

 しかし、隼鷹が警戒の為に上空で待機させていた航空機が、こちらに接近してくる深海棲艦の艦隊を発見した為に、話は面倒なことになった。軽巡三に重巡リ級二、戦艦ル級一。どうやら、戦闘の喧騒が呼び寄せてしまったと見える。四人で撤退するか? その考えは即座に否定された。あちらの速度からしても、すぐに追いつかれて一方的に戦艦の長距離砲撃を受けることになるからだ。せめて、援軍が来るまでの時間を稼がなければならない。となると、選択肢は多くなかった。榛名さんが指揮を取れる状況ではない為、僕は隼鷹を見た。着任の順では違うが、艦隊の二番艦は彼女だ。彼女の指揮に従うのが筋というものだろう。隼鷹は自分の服を引き裂いた布を使って曙の頭の傷を手当してやりながら、考えているようだった。思いの外、包帯らしく巻きつけ終わってから彼女は曙に言った。

 

「さあ、これで暫くは大丈夫。榛名を支えて、一人で戻れるかい?」

「……あんたたちを見捨てて行けって言うの?」

「えぇ? まさか。榛名をドックに叩き込んだら、援軍と一緒にすぐ戻って来てくれよなって言ってるのさ。あたしらは連中を引きつけて、例の岩礁を盾にして粘ってるから。ほら、急ぎなよ!」

 

 曙と榛名さんが行った後、僕と隼鷹は迎え撃つ準備をしながら話をした。「かーっ、カッコよかったなあさっきのあたし! 自分に惚れちまったよぅ」「僕もだ。それで先に援軍を呼びに行った航空機は?」「んあ? もう向こうに伝わっててもいい頃だとは思うんだけどねえ……」「はあ、先が見えないな」「何だよー、怖気づいたのかぁ? パーッと行こうぜ! パーッとな!」「まだ酔ってんの?」「え? そんなことないよ、しらふだってぇ」笑い合って、それで少しマシな気持ちになる。ちょっと太刀打ちできない数の敵と戦わなければならないようだが、僕一人じゃあないのだ。弾数は心もとないし、手数も足りない。さっきは二対一で戦えたし、それまでに榛名さんが頑張っていたからこそ、戦艦も仕留められた。今度のは無傷で、元気なもんだ。軽巡なんか、陸に投げ出したら辺り構わず砲撃しながらぴちぴちと跳ね回るだろう。

 

 鍵は僕の雷装か。砲弾よりも威力があり、当たれば戦艦とて無傷では済まない。撤退を考えさせることもできるだろう。そうだ、別に僕らは敵を殲滅しなくてもいいのだ。僕ら二人を殺すことに裂かれる労力が、それで得られるものに対して割に合わないと思い知らせてやればいいのである。深海棲艦は凶暴だ。しかし向こう見ずではないし、決して愚かではない。戦略的視点というものを持っている。だからこそ僕たちと彼女たちは戦争をやっているのだ。おっと、法的に我が国が深海棲艦との交戦状態をどのように解釈しているかという話はここではしないことにしよう。僕は成年ではないので政治的な権利は一切持ってさえないし、二十歳を過ぎたとしても軍にいる限り政治に口出しする権限はない。文民統制という奴だ……賢い考えの一つだな。自律する軍なんて政治家の悪夢みたいなもんだ。

 

 隼鷹を岩礁に戻らせ、僕が敵を釣るつもりだったが、彼女は逆を主張した。装甲が薄い彼女にそんな役目を負わせる訳には行かないと僕は反論したが、隼鷹は航空機を放ち切った後の自分は戦闘の役に立たないから、例え負傷したりしても戦術的優位を失わずに済む、と言って譲らなかった。そして、軍は一つのことを徹底していた。上の者が言うことには従え、だ。僕は岩礁に戻らなければならなかった。不満だったが、その感情は敵にぶつけることにする。岩礁に腰を下ろして、隼鷹がいる方向を睨む。岩の一つに背中を預け、姿勢を固定する。那智教官は砲戦が海の上で行われることが多いという意見には賛同したが、海上戦だけが砲戦のやり方じゃないとも言っていた。時にはわざと陸地に上がり、偽装を施し、姿勢を安定させることで、より効率的に敵を撃破することができるものなのだ。僕は足を組んで作った台に砲を乗せた。乗せるだけだ、押し付けはしない。押し付けると砲は簡単に歪み、命中精度が下がる。あくまで、依託するだけだ。砲口のぶれを抑えて精度を上げるのが目的である。

 

 激しい砲声と爆撃の音が聞こえる。奴らが隼鷹を見つけたようだ。音は近づいてきている。水平線の向こうに、姿はまだ見えない。汗が額から鼻筋を通って垂れ落ちていく。何も見過ごすまいと目を開き、隼鷹の姿を待つ。空と水の境界の向こう側で、煙が立ち上るのが見えた。通常の艤装の排気か、それとも攻撃を受けて損傷しているのか? 心臓が体の中で跳ね回るのを、どうにかして止めようとする。精密射撃にとって、動揺は大敵だ。深呼吸をする。自分に大丈夫だ、などと言い聞かせはしない。そんなことをしても意味はない。精神は人間が歴史的に考えてきたことと違って、かなり機械的なものだ。正しい行動を取れば、正しい反応を返してくれる。僕は僕の落ち着き方を知っていた。訓練の中で知らされた、というべきか。プールに沈められた時、あるいは自分の至近距離に砲撃を受けた時、冷静さを何度も失った。それはつまり、どのように精神の平静を乱されるかということを何度も学んだということだ。それもまた機械と同じことだ。組み立てられるなら、分解することもできる。

 

 隼鷹の特徴的な跳ねた髪が見えた。顔には引きつった笑みが貼り付いている。発砲したくなるが、まだ敵は見えない。隼鷹がこっちに来るのを援護したいなら、全く正しい瞬間を狙って発砲を始めなければならない。早すぎれば連中に僕の存在を悟られ、アウトレンジからの砲撃に切り替えられてしまう。遅すぎれば先制の利を失い、相手に対応の時間を与えてしまう。見極めの難しい試みだった。だが……隼鷹は敵を釣るのに使う艦載機を少なめにしていた。奴らが、この程度なら強引に押し切って隼鷹を始末しようと考えるようにだ。それだけ自分の危険性が高まるにも関わらず、彼女はやったのだ。それもこれも、僕が自分の役割を果たせると信じてくれたからだろう。なら、僕はその思いに答えなければいけない。友達の期待を裏切ってしまうほど、僕の心を苦しませることはない。

 

 敵の姿が見え始めた。まっすぐに隼鷹を追っている。回避行動を取るまでもないという、余裕が見て取れる。軽巡二隻の姿がなかった。隼鷹が逃げ回りながらにでも沈めてしまったのだろう。僕は射角を計算した。砲戦というのは、数学的能力の高低が如実に表れる行為である。彼我の距離と移動速度、砲弾の描く弾道、その初速、着弾までの秒数、気圧、波による揺れ、ありとあらゆる要素を計算しなければならない。だが、戦闘の中でそれを行うのは難しい。それに、波による揺れなんて数式化するのはほぼ不可能だし、水上に立っている時には波がなくとも腕が揺れて狙いはぶれる。現実的じゃない。大体のところまでは計算して、後は勘で撃つものだ。そのせいで命中率が低いのだと言われればそれまでであるが、計算している間に沈むなんてことになったら、笑いも出ないだろう。ただ、今回はどうしても命中率が低くてはいけなかった。弾が少ないのだ。

 

 だから僕は岩礁に上がり、身を隠して岩に背を預け、足を組んで台を作って身体の揺れによるぶれを消した。隼鷹は上手く敵を引っ張ってくれた。奴らは直進を続けている。未来位置の予測をする上で、これほど楽なこともない。僕はその時を待つ。撃ち始めるべき時が来るのを待つ。

 

 今だ、と僕の中の那智教官が言った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。