「つきました。十二月十八日、午前四時十八分ジャストです」
朝比奈さん(大)の声で目を開けると、そこには暗闇とわずかな薄い光源が広がっていた。
しかし今度は寒い。朝比奈さん(大)を見ると、かたかた震えていらっしゃる。
「どうぞ」
俺は羽織ろうとしていたブレザーを朝比奈さん(大)に差し出した。
「ありがとう・・・そろそろです」
だんだん暗闇に目が慣れてきて、近くに何があるのか大体分かるようになってきた。薄い光源の正体は一本の街灯だった。
そこに、そいつはやってくる。俺たちの世界を変えた張本人だ。
「来ました・・・」
朝比奈さん(大)の緊張が俺にも伝わっている。
そして、とうとうそいつが、長門が言ったとおりの人物がやってきた。
時空改変者が片手をあげ、ゆっくりとなにやら動作をし始めた。これが時空改変か?朝比奈さん(大)が息をのんでいる。
長門が施してくれたなんとかフィールドに俺たちは守られているのか、俺達には何の変化も起きなかった。しかし、何かが変わり始めているような奇妙な感覚が俺を襲う。
やがて改変者は無造作に手を降ろし、きょろきょろとあたりを見渡した。まるでなぜ自分がここにいるのか理解できていないかのように。
「改変が終了しました。行きましょう」
俺はうなずくと、改変者に向かって歩いて行った。拳銃を握りしめて。
ゆっくりと、そいつに呼びかける。
「長門」
・・・・びくっと小柄な制服姿の女子学生が振り返る。そう、改変者は長門だったんだ。
俺は長門が言った言葉を思い出す。
《わたしに蓄積されたエラーデータの一種が、バグの引き金になって以上動作を引き起こした。止める術はない。エラーの原因が分からない》
エラー、な。
ふん、エラーなもんか。たとえエラーだとしても、それは無感情ロボットについて回る宿命みたいなもんなんだって。
お前は俺たちと一年間、いろいろなことをして過ごしてきたけどよ、お前は絶対何か思うことがあったはずなんだ。
例えばエンドレスエイトだ。お前は一万回の繰り返しに、飽きても良かったんだ。
「なんなんだよもう、面倒くさい。やってられっかよ」
そうは思わなかったのか?
例えばコンピ研とのパソコンゲーム合戦だ。お前は卑怯な手口で勝とうとするコンピ研に、憤っても良かったんだ。
「うわー。こいつらうぜー。めっちゃ勝ちてーよ」
そう叫びたくはなかったか?
きっとお前に必要だったのは、お前を助けてくれる理解者と、たっぷりの休息と、少々の隙と油断だったんだ。
分からないか?なら教えてやるよ。聞き漏らすな、一回しか言わねー。
長門・・・お前には、あるんだよ。
「心が」
お前の心は疲労困憊だったんだって。だからお前を悩ませるSOS団なんてない世界を作りたかったんだろ?
お前は思った。団員全員の性格や個性をまるっきり逆のベクトルに向けさせれば、そもそもSOS団なんて存在しなくなる、ってな。実際存在しなかったしな。あんな古泉やハルヒじゃ、どうあがいたってSOS団なんて作れそうもない。
けど俺を忘れてるぜ。俺も真逆の人間にしてくれれば、お前の計画は完璧だった。
違うよな。忘れたんじゃない。残したんだ、俺を。
俺に最終決定権を譲るために。
そこで話は俺に移る。そう、これはいつしか俺にとっての問題でもあった。
俺はどっちの世界を望むのか?宇宙人や未来人やらわけのわからんふざけ倒した滅茶苦茶な世界と、平凡だが穏やかで平和な世界と。
SOS団がある世界と、SOS団がない世界。
比べるのはそれだけか?
いや。
俺の知っている涼宮ハルヒがいる世界と、俺が知らない涼宮ハルヒがいる世界だ。
急に視界が暗転したかと思うと、俺は一年五組の俺の席に座っていた。
「面倒くさいとか、くだらん、とか、いっつも言ってたじゃない」
ハルヒの声がする。いや違う、これは
「あなたを面倒くさいことに巻き込むハルヒのことが鬱陶しかったんでしょう?嫌いだったんでしょう?」
声がナイフのように俺に突き刺さる。
「*****!?」
今度は前方から似たような声が聞こえ始めた。ハルヒの声か。久しいな。だが、口を開いているものの、俺にその声は聞こえない。お前の声が聞こえないよ、ハルヒ。お前だけサイレント映画のようだぜ。いつものように、あの傍若無人、天上天下唯我独尊さながらの――――――
「*********************!」
ハルヒが何かを必死に叫んでいる。だが、俺にはお前の声が聞こえない。
「どうしてそう言い切れるの?
「・・・・・・・・***********・・・***!」
ハルヒの声が自信を無くしていくように何故だか思えた。今にもかき消されそうだ。
涼宮が後ろから俺に抱きついた。長い髪が艶やかに揺れ、涼宮の温かい吐息が耳にかかる。
「こうだったらいいのに。キョンくんはそう思ったんでしょ?事実、わたしと話しているあなたはとても楽しそうに見えたわ。違う?」
「・・・・・***・・・**・・****・・・・」
震えるハルヒの呟きが今にも消えてなくなりそうだ。
「
「・・・・・・・」
「ふふ。だってそうでしょう?なぜなら―――」
違う!
背中の涼宮が眉をひそめる。
・・・違うね、あいにくだが。涼宮。
「どうして?」
どうしてかと聞くのか?答えは簡単だ。
「俺は、エンターキーを押したんだよ」
俺は涼宮を振り払って立ち上がると、
「俺はお前のいる世界で、お前ともう少し一緒にいたいと思ったんだよ、ハルヒ」
脱出プログラムを起動させた、その行動が、何よりの証拠だ。
理性でなく、感情で、な。
「そういうわけだ。涼宮。俺はお前のことが嫌いじゃなかったが―――」
そう言いながら振り返った俺に向かって、涼宮が猛然と何かを俺の方に突き出した。
「え?」
ずん。下腹部を衝撃が襲う。
その瞬間、ハルヒも教室も全て消えて、俺は元いた路上にあおむけになって倒れていた。
生暖かいものが俺の頬を、耳を、ゆっくりと濡らしていく。なんだこれ。
朝比奈さん(大)の悲鳴が聞こえる。俺の目の前に転がるのは、長門にもらった拳銃。
しりもちをついたのは長門で。
俺の腹から突き出ているのは、ナイフの柄。
今度は比喩じゃねえんだな。
そこまで理解したとき、ようやく激痛が襲ってきた。
「なんで?なんでわたしじゃないの?わたしのほうがあんなやつより・・・なんでよ!?」
俺の頭の横で仁王立ちになっているのは、涼宮だった。
「死ねばいいのよ。あなたなんか。あんな女のもとに行かせるくらいだったたら、わたしが殺した方がましだわ」
涼宮はその清楚な顔に爛々と目を光らせ、せわしなく動き回っていた。
「うっ・・・く・・・・・・」
痛みのあまり俺は呻く。
「最初からこうすればよかったんだわ。そうすればもうあなたを他の誰かにとられたりしない。ずっと二人っきりでいられるわ。それがあなたの望みなんでしょう?死ぬまで…いいえ、死んでも離れない。わたしはあなたがいればそれでいい。SOS団なんていらない。ほかのひとなんていらない。せかいじゅうでひつようなのはあなただけ。わたしにはあなただけ。それとおなじように、あなたには、わたしだけよ」
「すず・・・・み・・」
「でしょう?きょん、くん?」
涼宮が俺の腹からナイフを引き抜き、これ以上ないくらいの美しく、邪悪な笑顔でもう一度振り下ろす。
「っ!なんなの!?」
だが予想していた衝撃はやってこなかった。だれかが涼宮と俺の間に割って入っているようだ。だれが・・・いったい?ナイフを素手で受け止め・・あれ。
「キョンくん!キョンくん!」
誰かが俺を・・・朝比奈さんか・・・・?デュエットを奏でているように聞こえるのは何故だ・・・・?
「よお、ひどい格好だな」
不意に別の声が聞こえた。ずっと聞いていたような声でもあり、それにしては懐かしいような声・・・・。
細い、華奢な指が俺の目の前の拳銃を拾い上げる。
「悪いな、あんたが刺されるってのは知ってたんだけど。やけに痛そうだな。・・・わたしもいつか刺されるのかな・・・・やだな。けどまぁ」
そう言ってそいつは拳銃をまっすぐ怯えきった長門に向けた。なびいたのは・・・・ポニーテールの毛先?
ハルヒ・・・か?
そいつはふん、と鼻を鳴らしてこう言った。
「まかせろよ、兄弟」
その瞬間、俺の視界が今度こそ暗転した。