登紀子は巴に連れられて、島で一番高さのある岬の先端に来ていた。
既に空は夕日で染まり、登紀子の白い肌も紅く照らされている。
ここに来てから巴はじっと水平線の彼方を眺めている。
2人に会話は無く、波の音とカモメの声だけが小さく聴こえている。
「声が、、出せないの?」
その声はどこか懐かしく、心地良い。
声がいくつも重なる様なトーンの掴めない声。
今まで沈黙を通した登紀子の急な言葉に驚いて振り返る。
少し間を置いて、巴は浅く頷いた。
「そう、生まれつき?」
これには巴は首を横に振る。
右手の指を3本立てて登紀子に見せる。
「3歳の時に?」
巴は頷いてからゆっくりと立ち上がりスカートに着いた土を払う。
日も暮れてきたし今夜は漁師達が祭りをする。
踵を返して港へ向かおうとするとまた後ろで声がする。
「訪問者はもう一人いるんだね。」
振り返ると登紀子と視線が合う。
何か言ったのと表情で聞く。
「なんでもないよ。」
逆光で表情がわからない。
怪訝に思いながらも巴は港へと歩き出した。
私が3歳だった頃。
ある夏の朝突然声を失った。
泣いても、怒っても、笑っても声が出ない。
父と母は島の診療所へ私を連れて行ったけど原因はわからなかった。
医者は二度と治らないと診断した。
その晩に外から聞こえる奇声に驚いて目が冷めた。
暗い部屋で何時もは隣に寝ている母の姿が無く私は泣いた。
普段はすぐに一階から母が駆け付けて寝かしつけてくれるのだが、その日はどんだけ泣いても来ない。
今思えば声が出ないから当然だったのだろうと思う。
外は相変わらず騒がしい。
何を言ってたかは思い出せない。
泣くことに疲れて窓から外を覗く。
部屋の窓からは家を見下ろす事が出来る。
島の役所が麓にあり、そこから山の斜面に住宅が軒並ぶ。
古くから島の有力者は高いところに家を持ち、私の家はかなり高い場所にある。
更に上には、診療所とその医者の小野家、漁船の船長でもある山岸家がある。
一番上には長門家の屋敷が鎮座する。
屋敷に主人は住んでいないが島民が当番制で管理をしている。
私の家は元はもっと下にあったらしい。
私が1歳になる頃に上に引越した。言わば成り上がりである。
それまでその場所に住んでいた八神家は父神村へ呼ばれたらしい。
窓の外は暗闇に浮かぶ松明の赤い炎以外は見えなかった。
赤い炎が沢山連なって斜面を登っている。
私は怖くなった。
沢山の人が私の家に押しかけてくると思った。
松明を持った人集りは家の前を素通りして更に斜面を上がって行った。
安堵した私に睡魔が襲う。
朝、目が覚め母や父に昨夜の事を聞こうとした。
しかし3歳の私には質問する術も無く、今の今まで忘れていた。
港へ歩きながら不思議に思う。
何故、今になってこんな事を思い出したのか。
歩きながら背後を振り返り登紀子を見る。
無意識だった。