SAO外伝 血の盟約の下に   作:佐藤 黎曜

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 にゃー (リンちゃんかわいい)




月が上るまで待って

 石柵にふたり、並んでもたれて、果てのない群青(ぐんじょう)に散る星々を眺めている。

 

 視界左上のHPバーは、いつの()にか僕と彼女の二本だけになっていた。どうやら、距離が離れるとシステムがパーティとして認識しなくなるらしい。

 

「心配させちゃったね、ごめんね」

 

 と、彼女は申しわけなさそうに目を伏せた。

 

「いったいどうしたんだよ……。散歩?」

 

 訊ねると、彼女は遠くを見上げた。

 

「あのね、月がね、見たくなって」

 

「月?」

 

「暗くて(さび)しいとき、見上げた空に月があると、安心するの」

 

「……そっか」

 

 僕は後ろを(あお)ぎ見る。岩石の天井が薄闇に(よど)んでいた。

 

 確かに気が滅入(めい)る。アインクラッドはその構造上、外周に近づかなければ空を(おが)めない。

 

 けれども正面の夜空にも、彼女が求める月はなかった。

 

 時刻か方位の問題なのか、そもそもこの世界に月はあるのだろうか。

 

「月、見えないね。……もう帰らない?」

 

 できるだけ優しい声で、(うなが)した。

 

「帰るって、どこに……」

 

 彼女のいいたいことはなんとなくわかった。帰りたいのは宿じゃなくて、現実だ。

 

 だけど僕は、ありきたりで当たり前のセリフしか返せなかった。

 

「……ひとまず宿に。みんなのいるところに」

 

「ん……」

 

 と、彼女の反応はけれども鈍かった。

 

「もう少し。……もう少し、待ってる」

 

「……なにを」

 

「……月。先に、帰っていいよ」

 

 この子、どうしようかな。

 

 今の一言で、みんなが心配するとか、明日は早いからとかいうのは、なんだかひどくバカバカしく思えてしまった。僕はもうだいぶヤケになっていた。もう知らん。

 

「じゃあ、僕も一緒に待つ」

 

 もうどうとでもなればいい。このまま世界の終わりまで並んで夜空を眺めてればいいのだ。本気でそう思った。

 

 彼女は、ありがと、と小さく礼をいった。僕は、ああ、とか、うん、とか、間の抜けた返事を返した。そのまましばらく、ただ空を眺めた。

 

「さっき、ね……」

 

 やがて、彼女はうつむいて呟いた。垂れた髪に横顔が隠れる。

 

「さっきまで向こうの方でね、小さな男の子が私とおんなじふうに空を見てたの。ぼうっとして。私もぼうっとして、声かけてみようかなって、思って、ちょっと迷って、そしたら急に、風が吹いてね」

 

 タイミングを計ったように、びゅう、と風が吹きつけて、ぶわあ、と広がった髪から一瞬、右の横顔が(あら)わになる。

 

 風が()いで再び髪が垂れても、その瞬間の顔は、目に焼きついて消えなかった。

 

 恐怖に()れた瞳。

 

 彼女は自分の両肩を抱いて、縮こまり、ぶるり、と震えた。

 

「ちょっと、ほんの一瞬、目を離したら、もういなくなってた。どこに、いっちゃったんだろうね……」

 

「現実に帰ったんだよ」

 

 瞳を大きく見開いて、彼女がこちらを見た。

 

「子供なら、向こうで親が(とむら)ったはずだ。君が気にすることじゃない」

 

 彼女は僕の言葉を聞いてなにを思ったのか、(つら)そうに眉をしかめた。今にも泣きそうだ。

 

「ねえ、どうしてこんなことになっちゃったの……」

 

「ごめん、それは茅場(かやば)のクソ野郎に訊いてみないとわからない。理由がわかれば、納得できるの……」

 

「少しは、楽になるよ。泣いたり怒ったりできるでしょ。でもこんなの、わけわかんない……」

 

「じゃあ、そのうち茅場に会うことがあったら、訊いとくよ。データじゃない、ナマの拳で骨まで砕いて、問いただす。なんでこんなことしやがったんだって」

 

 それは割と本気の言葉だったけれど、僕はわざと冗談めかして笑った。

 

「……うん」

 

 彼女は少し無理の(にじ)む微笑みを返してくれた。

 

 なんだかその顔を見ていられなくて、僕は目を()らして、ずっと遠くのうろこ雲を数えた。

 

「……(くつ)()かずに、追いかけてきてくれたの?」

 

 二十三まで数えたところで、彼女がいった。

 

 僕は素足のままだった。

 

「装備(らん)、いじるの面倒で」

 

 本音だったけれど、彼女はどうやら僕に気を(つか)われたものだと思ったらしい。

 

「ごめんね」

 

 と、懺悔(ざんげ)のように。

 

「どうせみんな眠ってるからって、そのまま出てきちゃったから」

 

「いいよ、もう。……これからはメッセージで一声かけてほしいとは思うけど」

 

「だって」と、彼女は声を小さくする。「迷惑かもって思って」

 

「迷惑って、どうして。勝手にいなくなられた方が迷惑だよ」

 

「面倒じゃ、ない……?」

 

「あー……」

 

 彼女の伏せった目と、面倒という単語が記憶に引っかかった。

 

 どうやら前に僕がいったことを気にしていたらしい。

 

 しゅん、と小さくなる彼女に、罪悪感。

 

「読むだけなら大した手間じゃないよ。そんなにモノグサじゃないし」

 

「一日に百二十八通もメールきてたらうるさくない?」

 

「それはうるせえよ」

 

 思わず突っ込むと、彼女は顔を真っ赤にして、だ、だよねっ? と上ずった声で同意しつつ慌てたように手をぶんぶん振った。メールになにかよろしくない思い出でもあるのだろうか。訊かない方がいいかな。都会の色恋(いろこい)ってなんだか怖いのだ。

 

 僕が迷って、少し間があって、先に訊いたのは彼女だった。

 

「……送っていいの?  メッセージ」

 

「……好きにしなよ。その、僕、現実でもメールなんてほとんどしなかったし、文字打つのも遅いから、気の()いた返事はできないけど」

 

「……ありがとう」

 

 彼女が微笑むのを見ると、何故か、泣いているのを見たときよりずっと胸が痛んで、僕は(たま)らずに夜空の彼方(かなた)へと目を()らした。

 

 この女の子は、なんでこんなに痛ましいのだろう。妹がこのくらいのときは、もっとずっと能天気だったし、そもそも僕の周りのみんなは、なにがあってもナンクルナイサーでどうにかしてしまうような人たちばかりだった。

 

 内地(ないち)じゃこんな子ばかりなのだろうか。

 

 大和(やまと)は悲しみで埋め尽くされてしまったのだろうか。

 

「もう、(くつ)()いたら」

 

「いいよ、このままで」

 

「冷たいでしょ。地面(じめん)、石だよ?」

 

「冷たくて、ざらついて、ちゃんと自分の足で立ってるって感じ、落ち着くから。それに、ここじゃ怪我(けが)とかしないでしょ。どうせ痛くないし、街じゃHPも減らないし」

 

 ひやりとする足裏を意識すると、気が楽だった。試合や稽古では、ほとんど裸足(はだし)だったから、ちょっとでも現実と繋がっている感じがしたのだ。

 

「そっか。でも、もう走っちゃだめだよ。滑るよ。摩擦値(まさつち)が足りないんだよ」

 

「うん」

 

 少しの沈黙。

 

 群青(ぐんじょう)の空。流れる雲海。散った星々は空の涙みたい。

 

 月は、まだ見えない。

 

「ずっと夜ならいいのに」

 

 ふと、彼女が呟いた。

 

「明日なんか、こなくていいのに」

 

「……ねえ」

 

「……」

 

「怖いなら、怖いっていってもいいと思うよ」

 

「いえないよ……」

 

「なんでさ……」

 

「置いてかれたくない……」

 

「……ケイタ君たちは、君を置いていったりしないんじゃないかな」

 

「そんなのわかんないよッ!!」

 

 突如(とつじょ)として放たれた空も星も引き裂かんばかりの金切(かなぎ)り声が、僕の胸に突き刺さった。

 

 殷々(いんいん)(とどろ)く残響が夜闇に吸い込まれて消えて何秒かしても、その血を吐くような叫びが彼女の口から放たれたものだとはにわかに信じられなかった。

 

 生涯(しょうがい)で一番の痛みだったと思う。

 

 友人の縦拳(たてけん)より、引退した米兵の訓練用ゴムナイフより、師範代の貫手(ぬきて)より、ムエタイチャンプの(ひじ)より、もっとずっと胸に痛い叫びだった。

 

 僕がその痛みに、バカみたいに呆けていると、先に彼女が我に返った。

 

「ご、ごめんなさい……っ」

 

 僕が反応を返せないうちに、彼女はまるで自分が怒鳴(どな)りつけられたみたいに(おび)え出してしまう。ごめんなさい、と繰り返しながら、(なみだ)を流して震えている。

 

「ごめん、僕が悪かった……、悪かったから……」

 

「怒ってない……? どこにも行かない……?」

 

「だいじょうぶだって。こんなことで怒ったりしないよ。そんなに怖がらなくてもいいじゃないかよ……」「ごめんなさい……」「もう謝んなくていいから、だいじょうぶだから……」

 

 必死になだめすかしながら、僕はようやく彼女の人間性をわかりかけていた。

 

 仲間に置いていかれたくはない。彼らを信じて宿で待つこともできない。フィールドに出るのも怖い。自殺を選ぶだけの勇気もない。

 

 彼女の心はそれで行き止まりだ。

 

 きっとどこにも行けはしない。

 

 でも、そんなの、どうしろっていうんだ。どうやって助ければいいんだ。

 

 おい、ケイタ君。と、僕は心のうちで訴えた。

 

 こんなのどうしろっていうんだよ。どうしようもないじゃないかよ。

 

 けれども月のない夜の下、僕と彼女は二人きりで、誰も助けてくれはしない。

 

 僕は、必死に彼女に届き()る言葉を探した。

 

 そして彼女の子守唄を思い出した。あれは僕への懇願(こんがん)だったんじゃないのか。僕を助けるような素振(そぶ)りで、実際、僕の心は救われたけれど――本当は、助けて欲しいのは彼女の方だったんじゃないのか。

 

 彼女は僕に、僕は彼女に、なにを望んでいるのか。

 

「あの、私、もう……」

 

 沈黙に()えかねてか、伝い落ちた涙だけを残して彼女は身を(ひるがえ)してその場を去ろうとする。ダメだ、いま行かせたらダメだ。彼女はきっとどこへも行けない。そんな確信があった。

 

 僕は勢いに任せ、極真(きょくしん)ルールの試合で(つか)み技に入る要領(ようりょう)で、背を向けた彼女の左の後ろ手を、両手で包み込むように取った。

 

 彼女は背を向けて(うつむ)いたまま、動きを止めた。僕の言葉を待っている。

 

 けれども猶予(ゆうよ)はなかった。僕がこのままなにもいえなければ、彼女はやがて、この手を振り払って、どこでもないどこかへ消えて、二度とは帰ってこないだろう。彼女がそうしようとすれば、街中のシステム障壁がすぐにでも作動して、紫の閃光と共にふたりの手を分かつはずだ。

 

 とにかく、言葉を。もうなにも考えずに僕はいった。

 

 だからそれは、本気の言霊(ことだま)だった。

 

「僕だって君に置いていかれたくなんかない。君を死なせたり絶対しない」

 

 大きく息を吸い込み、もう一声。

 

「僕が守る。ザコ猪なんか何十匹いても怖くない。だから絶対だいじょうぶ」

 

 彼女は僕の手を勢いよく振り払うと、そのまま振り返って僕の肩口に額を押し当て、声を殺して泣いた。

 




 今話がこの作品のポイントオブノーリターンです。

 ここまで書いてしまったからにはもう引き返せない。

 IF展開は、ありません。
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